労働は義務である、なんてこと最初にを言い出したのは果たして誰なのだろうか。
私から言わせてもらえれば実に馬鹿馬鹿しい話だ、の一言で済ましてしまうところだ。。
この言葉によって一番得をするのが誰かということを考えると、労働させることで利益を得る人たちが一番得をしているのだから。
その言葉だけで士気を一定以上に上げるという効果が望めるのだから実に恐ろしい言葉だとも思う。
結局のところ、働くいうのは働かなければどうにもならない状態であるからこそ働くだ。
働かなければどうにもならないというのなら、そりゃあ自然と働く羽目にもなるだろう。
結論として何が言いたいかというと、働く必要のない人間は働く義務なんて全くないのである、ということだ。
むしろ働く必要がない人間が働かないことによって雇用の競争が一人分減るのだから、誰にとっても幸せな展開じゃないか。
そう―――
「だから私は働かなくていい!」
「働いてください」
彼女の返答に付け入る隙は全くなかった。ついでに返答までに一秒の間もないのはどういうことだろう。
以心伝心ということだろうか。こんな考えを以心伝心されたくない。
「…はい」
そして、私は非常に情けないことではあるが、そう返事をするしかできないのであった。
天子さんの地上体験記
~天子さんの初労働編~
さて、私こと比那名居天子がそんな冷静に考えると実に真面目に考えることが馬鹿らしくなることを考えていたりするかといえば、それなりの事情は一応あったりする。
「衣玖」
「総領娘様、やんちゃで大騒動起こして総領娘様のお父君にこっぴどく叱られる。
総領娘様のお父君、総領娘様に反省兼ねて社会勉強してこいと地上に叩き出す。
総領娘様、嫌々ながら仕方ないので紹介された店で給仕として働き出す。←今ここ」
さすが衣玖。空気を読んでコンパクトに三行でまとめてくれた。
というかここまでくると本当に私の心の中読まれてるんじゃないかと突っ込みたくなってくる。
そう、私現在この茶店の給仕として雇われの身なのである。期間は一週間ぽっきり。
…うん、暇すぎたり鬱憤が相当溜まっていたとは言っても、さすがに幻想郷に大地震起こさせようとしたのはついかっとなってやった今はとても反省している。
でも、でもそれでも…
「労働なんて無駄な行為、私はしたくなぁいっ!!」
「働かざる者食うべからずです、ご飯がほしくないならご自由にどうぞ」
「…ぐぅ」
ぐぅの音しか出なかった。
そうなのである、何故か今私の生殺与奪の権利は衣玖が握っているのだ。
「…大体なんで衣玖にそこまで私の行動の制限されなくちゃならないのよ。衣玖にそこまでする権限なんてないでしょっ」
秘奥義、無駄に権利の主張。目上の立場に言われると何もいえなくなる。
…のはずだったのだけど。
「クスッ」
当の衣玖は実にいい笑顔をしてらっしゃった。
なんか笑ってるのに笑ってない目つきが怖いんですけど…。
「どうせそんなことを言い出されると思いまして、お父君よりご許可はいただいています。『地上にいる間は比那名居天子に関するあ
らゆる権限を永江衣玖に与える』と」
「何その解釈自由な曖昧な権限っ!?」
権利の幅広っ。
つまり何されても問題無ってことじゃんっ。
というか期限すら指定されてないってどういうことなの、お父様…。
「まぁ、それが私が地上についていく時の最低限の要求でしたし。あ、ちなみにちゃんと書状にもしてもらってますのであしからず」
「…」
もうぐぅの音を出す元気もない。
私のお供をしろって言われた時すごい嫌そうな顔して癖に、お父様と二人きりで話した後は承諾してたのは何でかと思ったら、こういうことだったのね…。
一度でいいから忠臣に仕えられてみたいと割と本気で思う。
「ほんとに仲の良いいい娘さん達だ」
笑いながら奥から人が好いという要素を凝縮したような雰囲気の持ち主のおじさんが顔を出してくる。
…仲が良いでひとまとめにしないでほしいのだけど。
一応解説しておくと、今現在不本意ながら私がお世話になってるそこそこ大きい茶店の店主でもある。
「わざわざこんな店を手伝ってもらってすまないね。一人じゃ店を回しきれんかったものだから」
「いえ、丁度といっては悪いですけど、私達も働き口を探していたところでしたので」
「そうかい。そういってくれると、こっちの気も休まるよ」
何でもこのお店は長年おじさんとその奥さんの二人で切り盛りしていたらしいのだけど、最近になって奥さんのほうが身体を悪くしてしまったらしく、どうしたものかと悩んでいたところだったらしい。
たしかに、そこそこ客はいるのだけれど決して満席になることはない、そんな茶店なので確かにここを一人で切り盛りするのは難しいだろう。
そんなところに不本意ながら登場したのが私達、ということになる。
ちなみにここの仕事を紹介してくれたのは衣玖の知り合いの人、という流れ。
衣玖は職務の関係で地上に来る機会がそこそこあるので、地上にそういった知り合いも割といるらしい。
「…さて、総領娘様」
店主のおじさんその場からいなくなるのを確認してから、こそこそと衣玖が話しかけてくる。
今回の件は一応お忍びということなので、衣玖は人前では出来るだけ「総領娘様」と呼ぶのは避けているらしい。
「総領娘様、一見親切に説明をする振りをして話題から逃げようとするのはやめてください」
「…私としては心の中を完全に把握してるといわんばかり突っ込みをやめてほしいんだけど」
あんまり読まれすぎると逆に怖いから。空気とかそういう問題じゃないから。
「そんなことは些細なことです。さぁ、いつまでも座り込んで駄々をこねてる場合ではありませんよ。お仕事をしましょう。今日の『
ご飯』のために」
「…はい」
働かざるもの食うべからず、その言葉が非常に重く感じた今日この頃だった。
※
さて、拙緻ながら仕事の大変さについて体感したことについて語っていこうと思う。
天人でも現金なもので、今後が関わって来るとなると必死にもなる…と言うと話は簡単なのだが、実際のところ暫く食べなくてもどうにかなるようなことはない。これでも天人だし。
ただし、今後の進退が関わってくると真面目にやらざるを得ない。
…分かっていても、どこまで真面目にやってたらいいのかが分からなかったからやる気がなくなっていただけなのだ、うん。
もしかすると衣玖は衣玖なりに『食』という分かりやすい当面の働く理由をくれたのかもしれない。
食べなくてよくても、やはり食べれるものなら食べたい、そんなものです。
さて、肝心の仕事内容についてだが、言ってしまえば単純なもので『注文を貰う⇒注文の品を持っていく⇒代金を貰う』という単純な工程だ。
ただ、ここで肝心なところはこれらの工程を全てにおいて私が未経験ということだ。
注文を貰えば注文を勘違いし伝えてしまい、注文の品を持っていけば転んで商品を台無しにし、代金を貰えばおつりを間違えて渡すという失態。
…まぁ、早い話がいろんな意味でぼろぼろだった。
そんなこんなで人が最も店にやってくるお昼時を無事突破したところである。
「モウダメダー…」
訂正。私はあんまり無事じゃなかった。
お客が誰もいない余った席に座って精根尽き果ててるのが私です。
「正気に戻ってください、まだ営業時間には違いないんですから」
「ちょっと…休ま…せて」
割と本気の私の訴えに、衣玖はため息をつきながら自分の作業に戻っていく。
暗黙の許可と考えていいだろう。
冗談とか演技抜きで気力と色んなものが底を尽きかけていた。
対する衣玖の方はと言えば、私とは対称的に軽やかに仕事をこなしている。
お客さんの冗談には見事な笑顔で返し、決して注文を聞き逃したりはしない。
衣玖目的のお客も混じっているであろうことは想像に難くない。
…何この最強の給仕?
これで私と同じく給仕が初体験とか嘘でしょ。
衣玖に私のお供をさせたのは、世話役というだけではなく衣玖をお手本にしなさい、というお父様の意図もあるのかもしれない。
分かったところで簡単に出来るなら誰も苦労はしないんだけれど。
というか、私本気で役に立ってないんですけど…。
「邪魔するよ」
「イラッシャィマセー」
「うわぁっ!?」
おまけに店に来たばっかりお客さんに残った気力をこめて挨拶したら本気で引かれた。
死にたい。死なないけど。
「…ん?なんだ、君か。驚かせないでくれ」
「…?」
よくよく見れば見知った顔だ。…いや、そのはずなんだけど、どこで会ったんだっけ。
「あら、慧音さんじゃないですか」
こちらに視線を向けた衣玖が答えを示してくれる。
ああ、そうだ。確かこの人は衣玖の知り合いの上白沢慧音って人だ。
半獣なのに人の守護者なんてやって変わり者。見るからに善人。
私が一番苦手な性質の人。
ちなみにここの仕事を紹介してくれた張本人でもある。
あまり話してはいないのでどこまで私のことを知ってるかは分からないが、多分正体くらいなら把握しているだろう。
でもなければ少し衣玖と二人で話し合った程度で住居から仕事の手配までしてくれるわけもない。
衣玖が自身の正体を偽ってるならまだ分からなくもないけど。
「おや、慧音先生じゃないですか」
と、そこに店主のおじさんもやってくる。
「はは…『先生』は止めてくれ。私はそんな大層なものじゃないよ」
「いえいえ、色々とお世話になってるんですから、先生と呼ぶのは当たり前で。今回だってこんな美人さん達を助っ人につれてきてくれて大助かりですよ」
あ、私も含まれてるっぽい。ちょっと嬉しいかも。
「ああ、実はその件でお邪魔させてもらったんだ。助っ人していってもらったのはいいんだが、返って迷惑になってないか気になってな」
「じゃ、邪魔だなんてとんでもない。こちらは大助かりで」
痛い。その純真な心遣いが痛いっ。
「あー、上手くやってるのか?」
慧音の視線がこちらに向けられる。
勿論私は視線をそらした。
「えー…初めてということもあり、ちょっと失敗の方がデスネ…」
「総領娘様、表現は正しく。『ちょっと』ではなく、『かなり』です。何なら『私は役立たずです』でも大丈夫です。語弊はありません。何なら私が代理で言いますよ」
「ちょっとぉっ!?」
最も歯に衣着せるべき人が、歯を研いで噛みにくるってどういうことっ!?
一番の敵はここにいた!やっぱりこの竜宮の遣いは真っ先に始末して自由を勝ち取っとくべきやったんやっ!
「…ほんとーに、大丈夫なのか?」
慧音の疑惑の視線がおじさんに向けられる。
頑張っておじさんっ。私の最後の味方は貴方だけなのよっ。
「…少しばかり失敗は多いといえるかもしれませんな」
そんな期待は虚しく打ち砕かれた。
この物語は早くも終了ですね。
「ですが、補助できない程ではありませんので何とかなりますよ」
と、以外にもそこで助け舟を出してきたのは衣玖だった。
「…まぁ、私としては大丈夫だということなら問題はないが」
「ええ、今のところの失敗は全力でやった上での失敗ですから、問題点さえ直せばどうにでもなりますよ」
「本気の失敗には価値がある、ということか」
「そういうことです」
何か空気の流れが一転してた。
貶しといて上げてくるとは恐るべし話術である。
「ふむ、そういうことなら大丈夫そうだ。そういうことだから店主、二人のことは任せるよ。不慣れな点もあるだろうから迷惑を書けることは多いと思うが、大目に見てやってくれ」
「勿論ですよ。こんな美人さん達に囲まれて仕事をする機会なんてないからこっちからお願いしたいくらいで」
「あら、お上手ですね」
「ははは、そんなことを言ってると寝込んでる奥さんに雷を落とされるぞ。夫婦喧嘩の仲裁なんてごめんだからな」
「おや、これは失言だ。黙っといてくださいよ」
店内に笑い声が木霊していた。
ふと冷静に考えて私は気づく。私、ほとんど会話に参加できてないや。
孤独って辛い、としみじみ思った私なのだった。
※
そんなこんなで早数日。
言葉にすると一行で済ませやがってとか文句をいわれそうなんだけど、実際の苦労から見るとそれだけで物語が一つ分くらいできそうだったのよっ。
と、見えぬ人に文句を言っても仕方がない。
さすがに数日間同じことをやっていればある程度は慣れてくるというものだ。
衣玖の鬼のような指導があったような気もするが、記憶から消したいので深くは語らない。
「暇ねぇ」
「そうですねぇ」
そして、今現在私達は大変暇だった。
普段だったらこの時間帯なら、まばらながらも多少のお客さんはいるものなんだけど、今日に限っては人っ子一人いない。
たまにはこんな時もあるということだろうか。
「…でも、たまにはこんな時間があってもいいわよね。いつも忙しくてもあれだし」
「そうですねぇ」
しみじみと思う。忙しいって大変だ。
「…しかし、総領娘様もようやく暇な時間を慈しめるようになりましたね」
「どういうことよ?」
「いつでも暇な人は暇なことが当たり前ですから、本当の暇な時間の大切さを分からないのです。だから無駄にだらだらとした時間
過ごすことになるんです。人生の九割九分九厘損してますね」
…残りの一厘に謝れっ!
つい数日前くらいの私じゃあないですか。
暇すぎて騒動起こしたくらいだし。
というか、これ完全に私のこと言ってるよね。
「…いえ、その、深く反省しております」
「ええ、ちゃんと反省しているのは存じております」
くすりと微笑みながら衣玖は答える。
…こういう細かい仕草がいちいち綺麗なのよねぇ、衣玖は。
「?何か私の顔についてますか」
「いーえ、何でもない――」
「お邪魔しまーす」
「――いらっしゃいませぇーっ」
反射的に接客状態に移行する。これが教育の賜物である。
そして見よ、この輝かんばかりの笑顔。
竜宮流奥義『笑顔0銭』!
意味はまったく分からないけどね。
さて、改めてやってきたお客に視線を向けてみる。
「…えーと」
正直反応に困る。
なんか脇出した巫女っぽい服を着てる娘がそこにいた。
いいのかな、これ客として迎えていいのかな。
一応店側にも客を選ぶ権利があると思うんだけど。
「えーと…、巫女さん?」
「何で疑問系なんですかっ。どっからどう見ても巫女でしょうっ」
「いや、だって、普通巫女服って紅白…」
同じ脇出しでも博麗のとこの不良巫女だって一応その様式は備えてるのに…
青白巫女はさすがに有り得ないわ…
「そういうこと言わないでくださいよぅ、どこでもそればっか言われてこれでも気にしてるんですから…」
「あ、ごめん…」
特に悪いことを言ってるはずはないのだが、何か謝ってしまった。
「それに厳密には巫女ではなく風祝ですから衣装的には何の問題はないのですっ。博麗の似非巫女には負けませんっ」
落ち込んでいたらと思ったらすぐに立て直す。
どちらかというと似非っぽいのはあなたの方だ、とかはきっと言わない方がいいんだろう。
「随分仲が良いことで」
気が付けば、衣玖が凄く慈愛に満ちた目でこっちを見ていた。
なんか逆に気持ち悪い。
「おや、どこかで見たような気がする顔だと思ったら、たまに神奈子様を訪ねに来られている方ですね」
少女の目線は衣玖の方に向けられている。
さすがと言うべきか、ほんとに顔が広いなぁ。
「東風谷早苗さん、でしたよね。改めまして、永江衣玖です。衣玖でいいですよ」
「はい、よろしくお願いしますね衣玖さん。…ところでこちらの方は衣玖さんのお知り合いですか?」
少女――確か早苗とかいう名の少女の視線がこちらに向けられる。
出来れば視線からは逃げたいところだったんだけど。
「ええ、知り合いどころか上司の娘ですから逃げるに逃げれない関係です。個人的には一生かかわりたくなかったのです」
なんと。
「えぇと…?」
「個人的にはそろそろ私任せにせず、自己紹介くらいはしてほしいものですけど」
わざとらしく視線をこっちに送ってくる衣玖。
…あー、もうわかったわよっ!
「…天子よ、比那名居天子」
「しなない天子さんですか、よろしくお願いしますねっ」
「何かかっこいい!?」
漢字に直すと『死なない天使』って二つ名みたいだっ。
今まで普通と思ってたのに比那名居天子って名前がすごい恥ずかしい名前みたいに感じてきた…。
「失礼しました、しにたい天子さんですね」
「死にたい天子っ!?」
本当は死にたいのに何らかの理由でどうしても死ぬことが出来ないみたいな裏設定がついた!
何か私が死について懸命に考えてるみたいじゃない…。
「失礼、しあわせ天子さんですね」
「せめて『ひ』から始まる言葉にしようよっ!?」
というかもう名前の原型留めてない…
天子の前に四文字あればなんでもいいみたいになってるじゃん。
あと人を能天気みたいに言うな。
「ふふ、やはり気難しそうな初対面の方とはこうやると円滑に話が進むと神奈子様が仰られていたことは正しかったのですねっ!」
「…ええ、確かに猛烈に話がしたくなってきたわ」
文句とか文句とか文句で。
ついでにその神奈子様とやらにも抗議してやるっ。
「と、ところで、何か用件があっていらっしゃったように見えるのですが」
衣玖なんか必死に笑いをこらえてるし…。
「ん、また来たのかい?」
と、そこに姿を現すのは店主のおじさん。
本当に間のいい時に現れる人だ。
もしかして常に出る機会を伺ってたりするのではなかろうか。
会話の間に入るのって本当に大変だからね、うん。
「あ、店主さんご無沙汰してます」
とまぁ、親しげに早苗も返事をする。
何だ、二人とも顔見知りだったんだ。
「うちはそういうのはお断りだもんで。毎度ご足労してもらっといて悪いんだけど…」
「いいえ、私は何度でも諦めません。人間の里の人全てに我々の神社を信仰してもらうためにっ」
無駄に不屈で無意味に野望の大きい巫女(仮)だった。
まぁ、一応巫女っぽい出で立ちなわけだし、仕えている神様もいるんだろう。
その勧誘活動といったところだろうか。
このご時勢どこも大変らしい。
「『おはようからお休みまで。一家に一信仰八坂神社!今信仰を始めたらおまけで大蛙がついてくる!』という素晴らしい組み合わせだと思うのですがっ!」
「何その詐欺っぽい宣伝文句」
おまけがつく信仰とか嫌過ぎる…
なんかこの宣伝文句考えたのも件の「神奈子様」な気がする、なんとなく。
「神様なんか崇めて何の意味があるんだか」
その姿があまりに純真そうだったからだろうか、私の口からは自然とそんな言葉が漏れていた。
「このご時勢、神様って言ったって自分のことで精一杯じゃないの。そんな中で信仰なんて大した救いがあると思えないけど」
個人を救うのは何時だって個人の力によるもの。
信仰で得るものなんてちっぽけな満足心だけ。
大体信じるだけで救われるなら誰も苦労なんて要らない。
「いいえ、救いの手を差し伸べる神はここにいます」
早苗は自分を指差してそう言いきった。
やだ…天然かっこいい。
なんか納得してあげたい気分になってくる。
とはいえ、これでも天人の端くれ。
こっちから売ってしまった喧嘩を簡単に引っ込めれるわけもない。
「救い、ねぇ。貴方なら全ての人を救えるというの?」
「ふふふ、天子さんは何かを勘違いしているようですね。全てを救う必要なんてないんですよ。欲するなら与えよ。救いを求めるなら信仰を。世の中全て等価交換、これが神奈子様の教えです」
滅茶苦茶現実感のある神様だ…
さすが信仰に対しておまけをつけるだけのことはある。
「では、その救いとは?」
「救いとは人の心の隙間を埋めることです。信仰という心に対して与える救いに心という対価を与える。これこそ即ち等価交換也っ」
「等価というのなら、信仰という対価があれば必ず救う、ということになるのよね?」
でなければ契約違反だ。
何時の時代も契約の不履行には厳しいものである。
「その程度が出来ないなら神を名乗るのもおこがましいです」
はっきりとそう言い切られる。
多分ここ幻想郷じゃなければ「やれる」「やれない」の議論になるだけなのだろうけど、その神奈子様とやらにどんな神通力があるか分からないから、これ以上はなんとも言えなかったりするのよね…
「出来ないならそれはむしろ紙ですね、紙」
「紙扱い!?」
口に出すとすごく分かり難いけど、壮絶な降格神事だった。
物扱いにまで落ちるとは…
せめて髪くらいにしてあげて欲しい。
「さぁ、天子さんも私と一緒に信仰生活をっ」
「お断りします」
きっぱりさっぱりと否定してみる。
「そもそも、私は救いなんて信じてないの。救いにすがるくらいなら何にも期待せずに惰性で過ごして他方が何倍も良いわ」
『平凡な生活がしたい』、その程度の願いも叶えられないというのなら救いなんかいらない。
「さぁ、私と話しても無駄だって分かったでしょ。分かったらさっさと他所に――」
「――たまにはそういう反応がこないとそうこなくっちゃ勧誘なんてやってられませんよっ」
「…え?」
突然気合の入る早苗にちょっと呆気にとられてしまう。
気のせいか、私は何か起こしてはならないものを起こしてしまった気がした。
「あなたが救いを否定するというのなら、私はその幻想を打ち砕く」
「いやいや、救いの方がとっちかというと幻想だから」
相変わらず無駄にかっこいい。
「燃えてきた、燃えてきたぁっ」
人の話聞いちゃいないよこの人。
「まずは幾千の言葉よりも実際に神奈子様に会っていただいたほうがいいでしょう。場所は妖怪の山にありますが、ご心配なさらず。私自ら常識に囚われない道案内を披露しましょうっ」
「いや、それは囚われてお願いだから」
どんな案内をする気だ。
すごい迷走しそうな感じしかしない。
「ちなみにお住まいはどちらに?」
「今は上白沢さんの近くの長屋の方で…ああ、上白沢さんの所に行けば分かるはずですので」
「あ、そこなら分かります。…では、準備が整いましたらこちらから伺わせて頂きます」
「はい、うちの総領娘様をお願いしますね」
しまった、口を挟む間もなく勝手に話が進んでる!
「ちょっと、衣玖――」
「――今の私はあらゆる権限がありますので」
そうでした。
断る権利すらないのか私…
人権侵害じゃないの、これ。
「それじゃあ、またお会いしましょう!!」
そう言って早苗は元気よく飛び出していった。
出来れば二度と会いたくないなぁ、心の底からそう思った私だった。
※
そんなこんなで一週間が過ぎる。
言葉にすると一行で済ませやがってとか文句を以下略。
そう、一週間である、一週間。
この比那名居天子は労働という大敵に打ち勝ったのだ!
「終わったどーっ!」
そんな事を叫びたくもなる夕暮れ時の店からの帰り道であった。
同じ速度で歩きながらも、衣玖は他人の振りして歩いてるような気がしなくもないけど、気にしない。
はしたない、とか言われたってどうしようもない。
天人だろうが何だろうが、精神の欲求には逆らえないものなのである。
「いやぁ、心地よい気分だわ」
私がこんなに上機嫌な理由にはもうひとつある。
私が後生大事に握り締めている紙袋に秘密がある。
この一週間の労働の対価である。早い話がお給金。
知識としては知っていたが、実際に貰ったのは初めてだ。
その日その日を必死だった分すっかり忘れていたけど、その…やっぱり自分の仕事が評価されたみたいで嬉しい。
そんなわけで私は今有頂天状態だった。
「単純ですねぇ」と言わんばかり表情で衣玖がこちらに視線を向けてくる。
「単純ですねぇ」
訂正、直接口に出しよった。
せめて心の中だけで思ってよ、そういうのはっ。
「総領娘様ほど変わりやすい性格の天人も他にいないんじゃないでしょうか。本質的には素直なくせに捻くれ者を演じてるんですから始末に終えません。だいたい今日日そんなの流行りませんよ」
心に小刀が突き刺さってくる気分だった。
…私、衣玖にここまで言われるようなこと何かしたっけ。
「良いじゃない。ただでさえ着慣れない服着て動き回って頑張ってたんだからっ」
全く説明してなかったけど、私はずっと着物姿だったのである。
面倒だったので説明しませんでしたっ。
動き辛いったらありゃしないんだから。
「――ええ、身内の贔屓目を抜きにしても総領娘様はよくやられてました。それについては私が太鼓判を押させて頂きます」
「…むぅ」
飴と鞭とでも言うべきなのだろうか、あれだけ落としといて褒められると二の句が告げれなくなる。
やっぱり衣玖のこの笑顔は色々と反則だと思う。
男だったらころっといっちゃうんじゃないだろうか。
「あー、でも本当――」
私は空を仰ぎ見る。
この視線の先に天界があるのだろうか、地上からではよく見えない。
見えない世界。つまらない世界。
みんな何が望みあんな所を目指すというのか。私には全然理解できない。
「――楽しかったわ」
「……」
何もかもが新鮮で、分からなくて、だからこそ素晴らしかった。
天界にいたのでは絶対に得ることの出来ない世界の出来事。
二度と味わうことはないと思ってた世界の出来事。
辛くて大変で、でもそれに見合うだけの何かはある。
まだ肝心なその何かは理解できないけれど。
「ねぇ、衣玖」
立ち止まって、私は衣玖に話しかける。
視線は空を見上げたままで。
「はい?」
「…もう少し地上で色々見て行ってもいい?」
なんだか気恥ずかしくて、私はつぶやくようにしてそう言った。
そんな私に、衣玖はくすりと微笑んでいる。
いや、実際のところは恥ずかしくて目を合わさないようにしているが、口調でちゃんと伝わってくる。
「ええ、総領娘様がそう望まれるなら私に依存はありませんよ。山の巫女さんの招待もあることですし」
「…その話はしないで」
げんなりする。
話してるだけで疲れそうだ。
きっと一番遭遇していけない類の人に遭遇したのだ。
「あと、私の要望としては総領娘様の人見知り癖を失くしてほしいものです。結局ここ一週間自分から進んで話しかけたことほとんど
ありませんでしたし」
…ばれてたのか。
これだから衣玖は侮れない。
「でも、きっとお友達の一人でも出来れば随分変わりますよ」
そんなものなのだろうか。
そもそもどこまでいったら友達になれるのだろうか、何も分からない。
「あ、そうだ。衣玖」
「はい」
けれど、そんな中で確かに言える事がある。
それは、
「もう接客は嫌よ。無駄に疲れるし」
「…はぁ」
盛大にため息をつく衣玖であった。まる。
まぁ、そんなこんなで私の地上滞在記はもう少し続きそうなのであった。
~天子がいい意味で成長するまで終わらない~
私から言わせてもらえれば実に馬鹿馬鹿しい話だ、の一言で済ましてしまうところだ。。
この言葉によって一番得をするのが誰かということを考えると、労働させることで利益を得る人たちが一番得をしているのだから。
その言葉だけで士気を一定以上に上げるという効果が望めるのだから実に恐ろしい言葉だとも思う。
結局のところ、働くいうのは働かなければどうにもならない状態であるからこそ働くだ。
働かなければどうにもならないというのなら、そりゃあ自然と働く羽目にもなるだろう。
結論として何が言いたいかというと、働く必要のない人間は働く義務なんて全くないのである、ということだ。
むしろ働く必要がない人間が働かないことによって雇用の競争が一人分減るのだから、誰にとっても幸せな展開じゃないか。
そう―――
「だから私は働かなくていい!」
「働いてください」
彼女の返答に付け入る隙は全くなかった。ついでに返答までに一秒の間もないのはどういうことだろう。
以心伝心ということだろうか。こんな考えを以心伝心されたくない。
「…はい」
そして、私は非常に情けないことではあるが、そう返事をするしかできないのであった。
天子さんの地上体験記
~天子さんの初労働編~
さて、私こと比那名居天子がそんな冷静に考えると実に真面目に考えることが馬鹿らしくなることを考えていたりするかといえば、それなりの事情は一応あったりする。
「衣玖」
「総領娘様、やんちゃで大騒動起こして総領娘様のお父君にこっぴどく叱られる。
総領娘様のお父君、総領娘様に反省兼ねて社会勉強してこいと地上に叩き出す。
総領娘様、嫌々ながら仕方ないので紹介された店で給仕として働き出す。←今ここ」
さすが衣玖。空気を読んでコンパクトに三行でまとめてくれた。
というかここまでくると本当に私の心の中読まれてるんじゃないかと突っ込みたくなってくる。
そう、私現在この茶店の給仕として雇われの身なのである。期間は一週間ぽっきり。
…うん、暇すぎたり鬱憤が相当溜まっていたとは言っても、さすがに幻想郷に大地震起こさせようとしたのはついかっとなってやった今はとても反省している。
でも、でもそれでも…
「労働なんて無駄な行為、私はしたくなぁいっ!!」
「働かざる者食うべからずです、ご飯がほしくないならご自由にどうぞ」
「…ぐぅ」
ぐぅの音しか出なかった。
そうなのである、何故か今私の生殺与奪の権利は衣玖が握っているのだ。
「…大体なんで衣玖にそこまで私の行動の制限されなくちゃならないのよ。衣玖にそこまでする権限なんてないでしょっ」
秘奥義、無駄に権利の主張。目上の立場に言われると何もいえなくなる。
…のはずだったのだけど。
「クスッ」
当の衣玖は実にいい笑顔をしてらっしゃった。
なんか笑ってるのに笑ってない目つきが怖いんですけど…。
「どうせそんなことを言い出されると思いまして、お父君よりご許可はいただいています。『地上にいる間は比那名居天子に関するあ
らゆる権限を永江衣玖に与える』と」
「何その解釈自由な曖昧な権限っ!?」
権利の幅広っ。
つまり何されても問題無ってことじゃんっ。
というか期限すら指定されてないってどういうことなの、お父様…。
「まぁ、それが私が地上についていく時の最低限の要求でしたし。あ、ちなみにちゃんと書状にもしてもらってますのであしからず」
「…」
もうぐぅの音を出す元気もない。
私のお供をしろって言われた時すごい嫌そうな顔して癖に、お父様と二人きりで話した後は承諾してたのは何でかと思ったら、こういうことだったのね…。
一度でいいから忠臣に仕えられてみたいと割と本気で思う。
「ほんとに仲の良いいい娘さん達だ」
笑いながら奥から人が好いという要素を凝縮したような雰囲気の持ち主のおじさんが顔を出してくる。
…仲が良いでひとまとめにしないでほしいのだけど。
一応解説しておくと、今現在不本意ながら私がお世話になってるそこそこ大きい茶店の店主でもある。
「わざわざこんな店を手伝ってもらってすまないね。一人じゃ店を回しきれんかったものだから」
「いえ、丁度といっては悪いですけど、私達も働き口を探していたところでしたので」
「そうかい。そういってくれると、こっちの気も休まるよ」
何でもこのお店は長年おじさんとその奥さんの二人で切り盛りしていたらしいのだけど、最近になって奥さんのほうが身体を悪くしてしまったらしく、どうしたものかと悩んでいたところだったらしい。
たしかに、そこそこ客はいるのだけれど決して満席になることはない、そんな茶店なので確かにここを一人で切り盛りするのは難しいだろう。
そんなところに不本意ながら登場したのが私達、ということになる。
ちなみにここの仕事を紹介してくれたのは衣玖の知り合いの人、という流れ。
衣玖は職務の関係で地上に来る機会がそこそこあるので、地上にそういった知り合いも割といるらしい。
「…さて、総領娘様」
店主のおじさんその場からいなくなるのを確認してから、こそこそと衣玖が話しかけてくる。
今回の件は一応お忍びということなので、衣玖は人前では出来るだけ「総領娘様」と呼ぶのは避けているらしい。
「総領娘様、一見親切に説明をする振りをして話題から逃げようとするのはやめてください」
「…私としては心の中を完全に把握してるといわんばかり突っ込みをやめてほしいんだけど」
あんまり読まれすぎると逆に怖いから。空気とかそういう問題じゃないから。
「そんなことは些細なことです。さぁ、いつまでも座り込んで駄々をこねてる場合ではありませんよ。お仕事をしましょう。今日の『
ご飯』のために」
「…はい」
働かざるもの食うべからず、その言葉が非常に重く感じた今日この頃だった。
※
さて、拙緻ながら仕事の大変さについて体感したことについて語っていこうと思う。
天人でも現金なもので、今後が関わって来るとなると必死にもなる…と言うと話は簡単なのだが、実際のところ暫く食べなくてもどうにかなるようなことはない。これでも天人だし。
ただし、今後の進退が関わってくると真面目にやらざるを得ない。
…分かっていても、どこまで真面目にやってたらいいのかが分からなかったからやる気がなくなっていただけなのだ、うん。
もしかすると衣玖は衣玖なりに『食』という分かりやすい当面の働く理由をくれたのかもしれない。
食べなくてよくても、やはり食べれるものなら食べたい、そんなものです。
さて、肝心の仕事内容についてだが、言ってしまえば単純なもので『注文を貰う⇒注文の品を持っていく⇒代金を貰う』という単純な工程だ。
ただ、ここで肝心なところはこれらの工程を全てにおいて私が未経験ということだ。
注文を貰えば注文を勘違いし伝えてしまい、注文の品を持っていけば転んで商品を台無しにし、代金を貰えばおつりを間違えて渡すという失態。
…まぁ、早い話がいろんな意味でぼろぼろだった。
そんなこんなで人が最も店にやってくるお昼時を無事突破したところである。
「モウダメダー…」
訂正。私はあんまり無事じゃなかった。
お客が誰もいない余った席に座って精根尽き果ててるのが私です。
「正気に戻ってください、まだ営業時間には違いないんですから」
「ちょっと…休ま…せて」
割と本気の私の訴えに、衣玖はため息をつきながら自分の作業に戻っていく。
暗黙の許可と考えていいだろう。
冗談とか演技抜きで気力と色んなものが底を尽きかけていた。
対する衣玖の方はと言えば、私とは対称的に軽やかに仕事をこなしている。
お客さんの冗談には見事な笑顔で返し、決して注文を聞き逃したりはしない。
衣玖目的のお客も混じっているであろうことは想像に難くない。
…何この最強の給仕?
これで私と同じく給仕が初体験とか嘘でしょ。
衣玖に私のお供をさせたのは、世話役というだけではなく衣玖をお手本にしなさい、というお父様の意図もあるのかもしれない。
分かったところで簡単に出来るなら誰も苦労はしないんだけれど。
というか、私本気で役に立ってないんですけど…。
「邪魔するよ」
「イラッシャィマセー」
「うわぁっ!?」
おまけに店に来たばっかりお客さんに残った気力をこめて挨拶したら本気で引かれた。
死にたい。死なないけど。
「…ん?なんだ、君か。驚かせないでくれ」
「…?」
よくよく見れば見知った顔だ。…いや、そのはずなんだけど、どこで会ったんだっけ。
「あら、慧音さんじゃないですか」
こちらに視線を向けた衣玖が答えを示してくれる。
ああ、そうだ。確かこの人は衣玖の知り合いの上白沢慧音って人だ。
半獣なのに人の守護者なんてやって変わり者。見るからに善人。
私が一番苦手な性質の人。
ちなみにここの仕事を紹介してくれた張本人でもある。
あまり話してはいないのでどこまで私のことを知ってるかは分からないが、多分正体くらいなら把握しているだろう。
でもなければ少し衣玖と二人で話し合った程度で住居から仕事の手配までしてくれるわけもない。
衣玖が自身の正体を偽ってるならまだ分からなくもないけど。
「おや、慧音先生じゃないですか」
と、そこに店主のおじさんもやってくる。
「はは…『先生』は止めてくれ。私はそんな大層なものじゃないよ」
「いえいえ、色々とお世話になってるんですから、先生と呼ぶのは当たり前で。今回だってこんな美人さん達を助っ人につれてきてくれて大助かりですよ」
あ、私も含まれてるっぽい。ちょっと嬉しいかも。
「ああ、実はその件でお邪魔させてもらったんだ。助っ人していってもらったのはいいんだが、返って迷惑になってないか気になってな」
「じゃ、邪魔だなんてとんでもない。こちらは大助かりで」
痛い。その純真な心遣いが痛いっ。
「あー、上手くやってるのか?」
慧音の視線がこちらに向けられる。
勿論私は視線をそらした。
「えー…初めてということもあり、ちょっと失敗の方がデスネ…」
「総領娘様、表現は正しく。『ちょっと』ではなく、『かなり』です。何なら『私は役立たずです』でも大丈夫です。語弊はありません。何なら私が代理で言いますよ」
「ちょっとぉっ!?」
最も歯に衣着せるべき人が、歯を研いで噛みにくるってどういうことっ!?
一番の敵はここにいた!やっぱりこの竜宮の遣いは真っ先に始末して自由を勝ち取っとくべきやったんやっ!
「…ほんとーに、大丈夫なのか?」
慧音の疑惑の視線がおじさんに向けられる。
頑張っておじさんっ。私の最後の味方は貴方だけなのよっ。
「…少しばかり失敗は多いといえるかもしれませんな」
そんな期待は虚しく打ち砕かれた。
この物語は早くも終了ですね。
「ですが、補助できない程ではありませんので何とかなりますよ」
と、以外にもそこで助け舟を出してきたのは衣玖だった。
「…まぁ、私としては大丈夫だということなら問題はないが」
「ええ、今のところの失敗は全力でやった上での失敗ですから、問題点さえ直せばどうにでもなりますよ」
「本気の失敗には価値がある、ということか」
「そういうことです」
何か空気の流れが一転してた。
貶しといて上げてくるとは恐るべし話術である。
「ふむ、そういうことなら大丈夫そうだ。そういうことだから店主、二人のことは任せるよ。不慣れな点もあるだろうから迷惑を書けることは多いと思うが、大目に見てやってくれ」
「勿論ですよ。こんな美人さん達に囲まれて仕事をする機会なんてないからこっちからお願いしたいくらいで」
「あら、お上手ですね」
「ははは、そんなことを言ってると寝込んでる奥さんに雷を落とされるぞ。夫婦喧嘩の仲裁なんてごめんだからな」
「おや、これは失言だ。黙っといてくださいよ」
店内に笑い声が木霊していた。
ふと冷静に考えて私は気づく。私、ほとんど会話に参加できてないや。
孤独って辛い、としみじみ思った私なのだった。
※
そんなこんなで早数日。
言葉にすると一行で済ませやがってとか文句をいわれそうなんだけど、実際の苦労から見るとそれだけで物語が一つ分くらいできそうだったのよっ。
と、見えぬ人に文句を言っても仕方がない。
さすがに数日間同じことをやっていればある程度は慣れてくるというものだ。
衣玖の鬼のような指導があったような気もするが、記憶から消したいので深くは語らない。
「暇ねぇ」
「そうですねぇ」
そして、今現在私達は大変暇だった。
普段だったらこの時間帯なら、まばらながらも多少のお客さんはいるものなんだけど、今日に限っては人っ子一人いない。
たまにはこんな時もあるということだろうか。
「…でも、たまにはこんな時間があってもいいわよね。いつも忙しくてもあれだし」
「そうですねぇ」
しみじみと思う。忙しいって大変だ。
「…しかし、総領娘様もようやく暇な時間を慈しめるようになりましたね」
「どういうことよ?」
「いつでも暇な人は暇なことが当たり前ですから、本当の暇な時間の大切さを分からないのです。だから無駄にだらだらとした時間
過ごすことになるんです。人生の九割九分九厘損してますね」
…残りの一厘に謝れっ!
つい数日前くらいの私じゃあないですか。
暇すぎて騒動起こしたくらいだし。
というか、これ完全に私のこと言ってるよね。
「…いえ、その、深く反省しております」
「ええ、ちゃんと反省しているのは存じております」
くすりと微笑みながら衣玖は答える。
…こういう細かい仕草がいちいち綺麗なのよねぇ、衣玖は。
「?何か私の顔についてますか」
「いーえ、何でもない――」
「お邪魔しまーす」
「――いらっしゃいませぇーっ」
反射的に接客状態に移行する。これが教育の賜物である。
そして見よ、この輝かんばかりの笑顔。
竜宮流奥義『笑顔0銭』!
意味はまったく分からないけどね。
さて、改めてやってきたお客に視線を向けてみる。
「…えーと」
正直反応に困る。
なんか脇出した巫女っぽい服を着てる娘がそこにいた。
いいのかな、これ客として迎えていいのかな。
一応店側にも客を選ぶ権利があると思うんだけど。
「えーと…、巫女さん?」
「何で疑問系なんですかっ。どっからどう見ても巫女でしょうっ」
「いや、だって、普通巫女服って紅白…」
同じ脇出しでも博麗のとこの不良巫女だって一応その様式は備えてるのに…
青白巫女はさすがに有り得ないわ…
「そういうこと言わないでくださいよぅ、どこでもそればっか言われてこれでも気にしてるんですから…」
「あ、ごめん…」
特に悪いことを言ってるはずはないのだが、何か謝ってしまった。
「それに厳密には巫女ではなく風祝ですから衣装的には何の問題はないのですっ。博麗の似非巫女には負けませんっ」
落ち込んでいたらと思ったらすぐに立て直す。
どちらかというと似非っぽいのはあなたの方だ、とかはきっと言わない方がいいんだろう。
「随分仲が良いことで」
気が付けば、衣玖が凄く慈愛に満ちた目でこっちを見ていた。
なんか逆に気持ち悪い。
「おや、どこかで見たような気がする顔だと思ったら、たまに神奈子様を訪ねに来られている方ですね」
少女の目線は衣玖の方に向けられている。
さすがと言うべきか、ほんとに顔が広いなぁ。
「東風谷早苗さん、でしたよね。改めまして、永江衣玖です。衣玖でいいですよ」
「はい、よろしくお願いしますね衣玖さん。…ところでこちらの方は衣玖さんのお知り合いですか?」
少女――確か早苗とかいう名の少女の視線がこちらに向けられる。
出来れば視線からは逃げたいところだったんだけど。
「ええ、知り合いどころか上司の娘ですから逃げるに逃げれない関係です。個人的には一生かかわりたくなかったのです」
なんと。
「えぇと…?」
「個人的にはそろそろ私任せにせず、自己紹介くらいはしてほしいものですけど」
わざとらしく視線をこっちに送ってくる衣玖。
…あー、もうわかったわよっ!
「…天子よ、比那名居天子」
「しなない天子さんですか、よろしくお願いしますねっ」
「何かかっこいい!?」
漢字に直すと『死なない天使』って二つ名みたいだっ。
今まで普通と思ってたのに比那名居天子って名前がすごい恥ずかしい名前みたいに感じてきた…。
「失礼しました、しにたい天子さんですね」
「死にたい天子っ!?」
本当は死にたいのに何らかの理由でどうしても死ぬことが出来ないみたいな裏設定がついた!
何か私が死について懸命に考えてるみたいじゃない…。
「失礼、しあわせ天子さんですね」
「せめて『ひ』から始まる言葉にしようよっ!?」
というかもう名前の原型留めてない…
天子の前に四文字あればなんでもいいみたいになってるじゃん。
あと人を能天気みたいに言うな。
「ふふ、やはり気難しそうな初対面の方とはこうやると円滑に話が進むと神奈子様が仰られていたことは正しかったのですねっ!」
「…ええ、確かに猛烈に話がしたくなってきたわ」
文句とか文句とか文句で。
ついでにその神奈子様とやらにも抗議してやるっ。
「と、ところで、何か用件があっていらっしゃったように見えるのですが」
衣玖なんか必死に笑いをこらえてるし…。
「ん、また来たのかい?」
と、そこに姿を現すのは店主のおじさん。
本当に間のいい時に現れる人だ。
もしかして常に出る機会を伺ってたりするのではなかろうか。
会話の間に入るのって本当に大変だからね、うん。
「あ、店主さんご無沙汰してます」
とまぁ、親しげに早苗も返事をする。
何だ、二人とも顔見知りだったんだ。
「うちはそういうのはお断りだもんで。毎度ご足労してもらっといて悪いんだけど…」
「いいえ、私は何度でも諦めません。人間の里の人全てに我々の神社を信仰してもらうためにっ」
無駄に不屈で無意味に野望の大きい巫女(仮)だった。
まぁ、一応巫女っぽい出で立ちなわけだし、仕えている神様もいるんだろう。
その勧誘活動といったところだろうか。
このご時勢どこも大変らしい。
「『おはようからお休みまで。一家に一信仰八坂神社!今信仰を始めたらおまけで大蛙がついてくる!』という素晴らしい組み合わせだと思うのですがっ!」
「何その詐欺っぽい宣伝文句」
おまけがつく信仰とか嫌過ぎる…
なんかこの宣伝文句考えたのも件の「神奈子様」な気がする、なんとなく。
「神様なんか崇めて何の意味があるんだか」
その姿があまりに純真そうだったからだろうか、私の口からは自然とそんな言葉が漏れていた。
「このご時勢、神様って言ったって自分のことで精一杯じゃないの。そんな中で信仰なんて大した救いがあると思えないけど」
個人を救うのは何時だって個人の力によるもの。
信仰で得るものなんてちっぽけな満足心だけ。
大体信じるだけで救われるなら誰も苦労なんて要らない。
「いいえ、救いの手を差し伸べる神はここにいます」
早苗は自分を指差してそう言いきった。
やだ…天然かっこいい。
なんか納得してあげたい気分になってくる。
とはいえ、これでも天人の端くれ。
こっちから売ってしまった喧嘩を簡単に引っ込めれるわけもない。
「救い、ねぇ。貴方なら全ての人を救えるというの?」
「ふふふ、天子さんは何かを勘違いしているようですね。全てを救う必要なんてないんですよ。欲するなら与えよ。救いを求めるなら信仰を。世の中全て等価交換、これが神奈子様の教えです」
滅茶苦茶現実感のある神様だ…
さすが信仰に対しておまけをつけるだけのことはある。
「では、その救いとは?」
「救いとは人の心の隙間を埋めることです。信仰という心に対して与える救いに心という対価を与える。これこそ即ち等価交換也っ」
「等価というのなら、信仰という対価があれば必ず救う、ということになるのよね?」
でなければ契約違反だ。
何時の時代も契約の不履行には厳しいものである。
「その程度が出来ないなら神を名乗るのもおこがましいです」
はっきりとそう言い切られる。
多分ここ幻想郷じゃなければ「やれる」「やれない」の議論になるだけなのだろうけど、その神奈子様とやらにどんな神通力があるか分からないから、これ以上はなんとも言えなかったりするのよね…
「出来ないならそれはむしろ紙ですね、紙」
「紙扱い!?」
口に出すとすごく分かり難いけど、壮絶な降格神事だった。
物扱いにまで落ちるとは…
せめて髪くらいにしてあげて欲しい。
「さぁ、天子さんも私と一緒に信仰生活をっ」
「お断りします」
きっぱりさっぱりと否定してみる。
「そもそも、私は救いなんて信じてないの。救いにすがるくらいなら何にも期待せずに惰性で過ごして他方が何倍も良いわ」
『平凡な生活がしたい』、その程度の願いも叶えられないというのなら救いなんかいらない。
「さぁ、私と話しても無駄だって分かったでしょ。分かったらさっさと他所に――」
「――たまにはそういう反応がこないとそうこなくっちゃ勧誘なんてやってられませんよっ」
「…え?」
突然気合の入る早苗にちょっと呆気にとられてしまう。
気のせいか、私は何か起こしてはならないものを起こしてしまった気がした。
「あなたが救いを否定するというのなら、私はその幻想を打ち砕く」
「いやいや、救いの方がとっちかというと幻想だから」
相変わらず無駄にかっこいい。
「燃えてきた、燃えてきたぁっ」
人の話聞いちゃいないよこの人。
「まずは幾千の言葉よりも実際に神奈子様に会っていただいたほうがいいでしょう。場所は妖怪の山にありますが、ご心配なさらず。私自ら常識に囚われない道案内を披露しましょうっ」
「いや、それは囚われてお願いだから」
どんな案内をする気だ。
すごい迷走しそうな感じしかしない。
「ちなみにお住まいはどちらに?」
「今は上白沢さんの近くの長屋の方で…ああ、上白沢さんの所に行けば分かるはずですので」
「あ、そこなら分かります。…では、準備が整いましたらこちらから伺わせて頂きます」
「はい、うちの総領娘様をお願いしますね」
しまった、口を挟む間もなく勝手に話が進んでる!
「ちょっと、衣玖――」
「――今の私はあらゆる権限がありますので」
そうでした。
断る権利すらないのか私…
人権侵害じゃないの、これ。
「それじゃあ、またお会いしましょう!!」
そう言って早苗は元気よく飛び出していった。
出来れば二度と会いたくないなぁ、心の底からそう思った私だった。
※
そんなこんなで一週間が過ぎる。
言葉にすると一行で済ませやがってとか文句を以下略。
そう、一週間である、一週間。
この比那名居天子は労働という大敵に打ち勝ったのだ!
「終わったどーっ!」
そんな事を叫びたくもなる夕暮れ時の店からの帰り道であった。
同じ速度で歩きながらも、衣玖は他人の振りして歩いてるような気がしなくもないけど、気にしない。
はしたない、とか言われたってどうしようもない。
天人だろうが何だろうが、精神の欲求には逆らえないものなのである。
「いやぁ、心地よい気分だわ」
私がこんなに上機嫌な理由にはもうひとつある。
私が後生大事に握り締めている紙袋に秘密がある。
この一週間の労働の対価である。早い話がお給金。
知識としては知っていたが、実際に貰ったのは初めてだ。
その日その日を必死だった分すっかり忘れていたけど、その…やっぱり自分の仕事が評価されたみたいで嬉しい。
そんなわけで私は今有頂天状態だった。
「単純ですねぇ」と言わんばかり表情で衣玖がこちらに視線を向けてくる。
「単純ですねぇ」
訂正、直接口に出しよった。
せめて心の中だけで思ってよ、そういうのはっ。
「総領娘様ほど変わりやすい性格の天人も他にいないんじゃないでしょうか。本質的には素直なくせに捻くれ者を演じてるんですから始末に終えません。だいたい今日日そんなの流行りませんよ」
心に小刀が突き刺さってくる気分だった。
…私、衣玖にここまで言われるようなこと何かしたっけ。
「良いじゃない。ただでさえ着慣れない服着て動き回って頑張ってたんだからっ」
全く説明してなかったけど、私はずっと着物姿だったのである。
面倒だったので説明しませんでしたっ。
動き辛いったらありゃしないんだから。
「――ええ、身内の贔屓目を抜きにしても総領娘様はよくやられてました。それについては私が太鼓判を押させて頂きます」
「…むぅ」
飴と鞭とでも言うべきなのだろうか、あれだけ落としといて褒められると二の句が告げれなくなる。
やっぱり衣玖のこの笑顔は色々と反則だと思う。
男だったらころっといっちゃうんじゃないだろうか。
「あー、でも本当――」
私は空を仰ぎ見る。
この視線の先に天界があるのだろうか、地上からではよく見えない。
見えない世界。つまらない世界。
みんな何が望みあんな所を目指すというのか。私には全然理解できない。
「――楽しかったわ」
「……」
何もかもが新鮮で、分からなくて、だからこそ素晴らしかった。
天界にいたのでは絶対に得ることの出来ない世界の出来事。
二度と味わうことはないと思ってた世界の出来事。
辛くて大変で、でもそれに見合うだけの何かはある。
まだ肝心なその何かは理解できないけれど。
「ねぇ、衣玖」
立ち止まって、私は衣玖に話しかける。
視線は空を見上げたままで。
「はい?」
「…もう少し地上で色々見て行ってもいい?」
なんだか気恥ずかしくて、私はつぶやくようにしてそう言った。
そんな私に、衣玖はくすりと微笑んでいる。
いや、実際のところは恥ずかしくて目を合わさないようにしているが、口調でちゃんと伝わってくる。
「ええ、総領娘様がそう望まれるなら私に依存はありませんよ。山の巫女さんの招待もあることですし」
「…その話はしないで」
げんなりする。
話してるだけで疲れそうだ。
きっと一番遭遇していけない類の人に遭遇したのだ。
「あと、私の要望としては総領娘様の人見知り癖を失くしてほしいものです。結局ここ一週間自分から進んで話しかけたことほとんど
ありませんでしたし」
…ばれてたのか。
これだから衣玖は侮れない。
「でも、きっとお友達の一人でも出来れば随分変わりますよ」
そんなものなのだろうか。
そもそもどこまでいったら友達になれるのだろうか、何も分からない。
「あ、そうだ。衣玖」
「はい」
けれど、そんな中で確かに言える事がある。
それは、
「もう接客は嫌よ。無駄に疲れるし」
「…はぁ」
盛大にため息をつく衣玖であった。まる。
まぁ、そんなこんなで私の地上滞在記はもう少し続きそうなのであった。
~天子がいい意味で成長するまで終わらない~
なにこのトートロジー。でもなんとなく伝わる不思議。
衣玖さんの飴と鞭の使いっぷりと天子のテンパった姿に和みました。
こんなこというと天子に怒られそうですが。
死なない天子の発想は天才