※このお話は幽々子さまがふわふわと空をお散歩するだけの話です。
「ふわふわ~」
「あっ、幽々子様! どちらに行かれるんですか?」
「ちょっとお散歩よ」
「なら私も……」
「貴方は庭の手入れでもしていてちょうだい。最近、さぼってるでしょう?」
白玉楼の上空を、一人の亡霊がふわふわと飛んでいきます。
その人は西行寺幽々子。冥界に住む亡霊少女です。
従者の魂魄妖夢は白玉楼の廊下から心配そうに幽々子を見上げています。
それを尻目に幽々子は風に漂う葉っぱのようにふわふわと冥界から出ていきました。
◇ ◇ ◇
「ふわふわ~っと」
幽々子が降り立ったのは博麗神社。ここには幻想郷の平和を守る博麗の巫女が住んでいます。
「あら、こんな所にお団子が」
縁側に置かれた三色団子を見て、幽々子は自分の小腹が空いている事に気が付きました。
とん、とん、っとつま先で地面を蹴ると、幽々子はふわふわとお団子に近づいていきます。
「団子の前に私に気付きなさいよ」
その団子の隣に座っていた巫女が、皿をひょいと取り上げて幽々子に文句を言います。
自分を無視して隣に置いてある団子に手を伸ばされては、文句の一つも言うのは人間誰しも当たり前です。
「あら、博麗の巫女さん。ご機嫌いかが?」
「さっきまでは良かったわ。ほんの、ついさっきまでは」
巫女は不機嫌そうに団子を口に運んでいきます。串に刺さった三色のまあるい団子は、巫女のお腹の中に収められました。
幽々子は団子を食べられなくて、ちょっと残念そうです。
「あら……。一口くらい私にくれても良いじゃない。お客さんには、ちゃんとおもてなししなきゃダメよ?」
「挨拶も無しに団子を取ろうとする奴は客って言わないのよ。……それで、今日は何の用かしら」
巫女の当然の質問に対して、幽々子はポカンと口を開けたまま空を見上げました。お空はとても良い天気。
少し間をおいてから巫女は、返事が無いのが返事なんだと理解しました。
「……あんたねぇ、なんの用事もなしにうちにやって来たわけ?」
「あら、散歩に用事なんて無いわよ?」
「なら散歩しに来たって言いなさいよ」
幽々子は扇子で口元を押さえると、クスクスと笑いました。
巫女は呆れたように目を瞑ってお茶を一口啜りました。
「そういうわけで、お邪魔したわ」
「あら、お茶の一杯でも飲んでいったら? 団子はもうないけど」
「いえいえ、まだまだお散歩しに行かなくちゃ」
「ふーん。……そういえば、さっきから妖夢が鳥居の陰で待ってるわよ。早く行ってあげなさい」
巫女の言葉に幽々子は首を捻りました。鳥居の方を見ても、そこには誰もいません。
そもそも、妖夢は冥界にいるはずですから。
「妖夢なら冥界に置いてきたわ。さっきまで誰かあそこにいたの?」
「おかしいわね。人間でも妖怪でもないのが、あそこの陰にいる気配がしたのだけれど」
巫女はちょっと不思議に思いましたが、やがて興味をなくして再びお茶を啜り始めました。
彼女は特に事件がない日はこうやって一日中暇に過ごしているのです。それは幽々子も似ています。
「それじゃあ、さようなら。ふわふわ~」
「ああ、さようなら」
幽々子は再び空中に浮き上がりました。そしてまるで煙のように風に煽られて空高く飛んでいくのです。
◇ ◇ ◇
「ふわ~っと」
「うわーっと! 危ない!」
幽々子は危うく衝突事故を起こしそうになってしまいました。
お相手は幻想郷の閻魔様です。
「西行寺の! いきなり飛び出してくるなんて危ないじゃないですか! 空を飛ぶ時は前方に気を付けなさい」
閻魔様はお怒りです、それも無理はありません。何故なら休日を利用して幻想郷の住民に説教をして回っている最中だったのですから、格好のお説教相手を見つけた訳です。
一方で幽々子は突風に煽られて閻魔様の前に飛び出してしまったのですが、悪びれた様子もなく何時もの調子です。
「あらあら、閻魔様。いつもお世話になってますね」
「ええ、貴方は良くやってくれています……って今はそれよりも私にぶつかりかけた事を謝りなさい」
「ええ、すみません。でも風に舞う一枚の木の葉が身体に当たっても、痛くはないでしょう?」
「たかが葉っぱでも、尖った縁で薄肌を切り裂いてしまうかもしれませんよ。どちらにせよ、ちゃんと自分の力で飛びなさい」
閻魔様は、ここぞとばかりに説教を始めました。くどくど、くどくど、長い話です。
えらーい閻魔様のながーい説教を、幽々子は聞いているのかいないのか、ポケーと口を半開きにしたままふわふわと浮いています。
「ちょっと、西行寺。聞いているのですか? 貴方を冥界の管理者と指名した私の立場というものが……」
「四季映姫様」
突然、幽々子はボソッと言いました。
幽々子と閻魔様は長い年月、仕事上の付き合いで年に何度か顔を合わせる仲の二人です。
しかし閻魔様は幽々子にそのように名前で呼ばれるのは初めてでした。だから少し動揺して説教を途切れさせてしまいました。
「な、なんですか西行寺」
「私、転職を考えていますの。それに際して何かアドバイスはありませんか?」
幽々子のそんな唐突な妄言にも、閻魔様は少しも動揺することなく、至って真剣な眼差しを彼女に向けて答えました。
「そうですか。それならば、退職する貴方に餞別の説教をしてあげましょう」
「それはありがたいわ。是非ともお願いします」
「それでは、ごほん。――貴方はもっと家族と過ごすべきです。親しいものとより多くの時間を共有しなさい」
「ええ、そのようにさせてもらいますわ。ってあら、急に風が……」
そういうと幽々子は唐突に吹いた強風で、また一枚の落ち葉のようにあらぬ方向へ飛ばされていきました。
「西行寺。くれぐれも、人にぶつからないようにしなさい」
「ええ、さようなら。四季映姫・ヤマザナドゥ」
幽々子は大きく手を振りつつ、閻魔様から離れていきました。
閻魔様はフンと鼻から息を漏らすと、次なる説教の相手を求めて再び飛んでいきました。
◇ ◇ ◇
「ふわふわ~っと」
幽々子は大きなお屋敷の玄関先に降り立ちました。
そこは幻想郷の中でも特に辿りつくことが困難な、八雲紫のお屋敷です。
でも幽々子は紫とお友達なので、ちゃんと辿りつく事が出来ます。
「ごめんくださ~い」
「あ、これはこれは。西行寺様でしたか」
玄関から出て来たのは紫の式神である八雲藍でした。幽々子は式神に友人の所在を尋ねます。
「紫はいないのかしら?」
「ええ、すみません。紫様は朝から出掛けたっきり戻ってこないのです。何か用事があるのでしたら、私から伝えておきますが?」
「いいの、いいの。ただ散歩の途中で寄っただけだから」
「そうですか。……あっ、紫様はおっしゃっていましたよ、今日は誰かのお誕生日パーティがあるとか……」
「今日が誕生日の人? 心当たりがないわねぇ。まぁ良いわ。それじゃあ、お邪魔したわね」
「いえいえ、お気をつけて」
「さようなら、藍」
「はい、ご達者で」
幽々子はお屋敷から離れていきました。風は吹いていませんが、ふわふわと空中に浮かんでいきました。
そこで式神はふと気づきました。幽々子の他に、実はもう一人の訪問者が近くにいたことに。
自分に気づかれない様にお屋敷の近くにやってきた訪問者は、とてもすごい人物だと式神は思いました。それが泥棒だったら大変です。
しかし最後にその訪問者は、物陰から身を乗り出して自分に向かって手を振ってきました。それは式神も知っている人物だったので彼女は一安心しました。
その訪問者が幽々子を追いかけるのを見送ってから、式神はお屋敷の中に戻って行きました。
◇ ◇ ◇
「ふわふわ、ふわふわ」
幽々子は自分の身体が揺れるのに合わせて口ずさんでいました。
空から見下ろした幻想郷は、春の陽気にみち溢れていて、見ていてとっても楽しいものです。
悪戯好きの妖精たち、のんびり生きてる人間たち、せかせかしている妖怪たち。色んな人達に声を掛けながら、幽々子は散歩を終えました。
彼女は冥界に戻ってきました。
冥界に戻る為には、大きな長い階段を上らなければなりません。でも彼女はふわふわ浮いているので疲れ知らず。
「ねぇ、姿を見せてはくれないの?」
階段の上をふわふわと浮いている最中、幽々子は誰にともなく言いました。
すると、どこからか声が響き渡ってきました。それは誰がどこから発したのか分からないような不思議な声です。
「はっはっは、幽々子様。さすがにお気づきでしたか」
「当たり前じゃない。こそこそと、何かついてきていると思ったら……なんでそんな事をしているのかしら」
「ふっ、妖夢が一人前になるまで身を隠しているつもりでしたが……」
「妖夢はちゃんと、一人前になったわ。見た目だけ」
「中身は変わりませんな。しかし、それも今は関係のない事」
「最後に、妖夢に顔だけでも見せてやったら?」
「今更、貴方達に見せる顔もありません」
響き渡っていた声はふつりと途切れました。冥界への階段は、人魂たちが漂うだけの寂しい場所に戻りました。
「さようなら、妖忌」
返事はありませんでした。
◇ ◇ ◇
「ふわふわ~っと」
白玉楼に戻ってきた幽々子は、地面に敷き詰められた玉砂利をつま先で弾きながら縁側へと近づいていきました。
縁側には真っ白な団子が一つ、小さなお皿に載せられ置いてありました。
「あら、お団子だわ。さっきは食べられなかったし、頂こうかしら」
幽々子は喜んで団子に手を伸ばしました。
しかし、その手は横から伸びてきた扇子によってピシャリと止められました。
「貴方には団子しか見えていないのかしら?」
「あら、紫……気が付かなかったわ。私の家に来ていたのね」
皿の横に腰掛けていた八雲紫は、不機嫌そうな演技をしながら幽々子に苦言を呈しました。
友人は分かっていました。幽々子が目の前にいる人を無視して、その隣に置いてある食べ物に手を伸ばすのは、1000年くらい前からの幽々子お決まりの寸劇でしたから。
「貴方の式神に聞いたのだけれど、今日は誰かのお誕生日パーティに出掛けたのではなくて?」
「え? 幽々子、貴方……今日が誕生日じゃなかったかしら?」
友人は首を捻って尋ねました。幽々子は友人の隣に腰掛けると首を横に振ります。
「今日は私の誕生日ではないわ。誰かと勘違いをしているんじゃない?」
「いいえ、私の考えが正しければ。今日は貴方の誕生日よ」
幽々子と友人はクスクスと笑い合いました。それを後ろで聞いていた妖夢は訳が分からずに、思わず主人に尋ねました。
「幽々子様、今のってどこが面白いんですか?」
「ふふふ、妖夢は駄目ねぇ」
そう言われて妖夢は、全く要領を得ない主人たちの会話に「はぁ」と溜息をついて閉口してしまいました。
「あっ、そうだ。幽々子様、お茶をお持ちしますか?」
「そうね、お願いするわ」
言われた妖夢は早足に幽々子の分のお茶を淹れに行きました。それを見て友人はおもむろに立ち上がりました。
「ねぇ幽々子。もしも、の話をしていいかしら?」
「断る理由は今のところないわねぇ」
「もし、私が明日死ぬとしたら……幽々子は私の最後を看とってくれるかしら」
「私は嫌ね。多分、自分の部屋の中で一人ずっと泣いていると思う」
「そう、分かったわ。じゃあ私の葬式には貴方を呼ばない事にしておく」
友人は皿の上の団子を急くように口の中に詰め込むと、お茶を飲み干して幽々子に背を向けました。
「あら、お帰りかしら?」
「そうするわ。どうやら誰かの誕生日と間違えていたみたいだし」
そのまま白玉楼の廊下を歩いていく友人に、幽々子は別れの言葉を投げかけます。
「さようなら、紫」
友人は軽く右手を上げると、それで返事としました。
◇ ◇ ◇
「あれ~? 紫様、帰っちゃったんですか?」
お茶と団子を持ってきた妖夢は、一人で縁側に腰掛ける幽々子を見てそう言いました。
幽々子は妖夢に振り返ると、思いついたようにこう言います。
「そうだ、妖夢。お花見をしましょう」
「は、花見ですか? なんだか、いつぞやの事を思い出しますねぇ」
「うちの庭でお花見をしましょう。ここの反対側の縁側に、お茶とお団子を二人前持ってきてちょうだい」
「ええ、分かりました」
妖夢はせかせかと足を動かしてお茶と団子を取りに行きました。幽々子はゆっくりと浮き上がると、場所を変える為に廊下を浮遊していきます。
「ふわふわー」
妖夢はお盆に載せた二人分のお茶と団子を急ぎ足で持ってきました。ちょうど幽々子も反対側の廊下からやってきて、お花見の席に着くところでした。
「ふわふわ~っと」
廊下に着地した幽々子は、お盆を床においた妖夢の事をじっと見つめました。
主人に見つめられた妖夢は、ちょっとドギマギしています。
「なんですか幽々子様……? 人の顔をジロジロ見るのは良くないですよ」
「ふーん、妖夢」
幽々子は妖夢の言葉をまるで無視して、ますます彼女の顔を見上げて、見つめます。
やがて、幽々子は自分の頭のてっぺんに右手を載せて、それを水平に妖夢の方へ動かしました。
「あだっ! 何するんですか~」
幽々子の右手はちょうど妖夢の目のあたりに命中してしまいました。妖夢は目を押さえて主人の行動に対して非難の声を上げました。
「妖夢も、大きくなったわね」
「ええ、お陰さまで……。で、さっきのはなんだったんです?」
妖夢の問いは一切無視して、幽々子は縁側に腰を掛けました。仕方がないので妖夢も幽々子の隣に腰を降ろします。
白玉楼の桜は見事に咲き誇っていました。桜吹雪がお庭を舞っています。
白い花びらが舞う風景は、まるで地吹雪が舞い上がっているようにすら見えます。
「綺麗ね、妖夢」
「ええ、綺麗です。本当に」
二人はお茶を啜りました。申し合わせたように「ズズズッ」と二人のお茶を啜る音が重なります。
「お散歩、楽しかったですか?」
「ええ、とっても楽しかった。どうせなら、妖夢も一緒に来れば良かったのに」
「いやいや、幽々子様。貴方が私に留守番を申し付けたんじゃないですか」
「そうだったわね。たまには二人で出掛けるのも良いわ。満月隠しの夜みたいに」
「あの時は大変でしたね。でも、確かに楽しかったです」
「私には、楽しくない時なんて無かったのかもしれない」
「そうだったら、本当に、良かったです」
妖夢はお茶を啜りました。置いた湯のみの底が床に当たると、コツリと乾いた音が廊下に響きます。
さっきまで花びらを舞わせていた冥界の風は、嘘のようにぴたりと止まって桜の花びらは全て地に落ちてしまいました。
白玉楼を静寂が包みます。水を打ったような静けさの中で、妖夢の衣擦れの音だけが微かに聞こえました。
お皿に載った二つの真っ白な団子を見て、妖夢は言いました。
「二つは、多すぎるわよねぇ」
白玉楼の桜は、満開でした。
色々と疑問も残るのですが(結局誕生日だったのは誰だったのかとか、ゆゆ様は団子二つで多いということはないだろうとか)この手のお話で気にしたら負けですかね。
和めました。
ふわふわー
よかったです。
転職
寂しさは感じますけど、なんとなく悲しくは無いですね、不思議と。
ただ、風の赴くままに飛んでいっただけのように感じるからでしょうか。
幽々子さまは俺の嫁。異論は認めない。
「ふわふわ~」が幽々子様にぴったりの
とても不思議な雰囲気の物語でした。
もう作者様の技量に振り回され、妖忌やゆかりん、はたまた妖夢が消えてしまうのかと思って読んでいたら……。
幽々子さまの掴めない感じが、幻想郷自体の掴めなさと併せて上手く表現されていて感服です。
優しい雰囲気の文章一つ一つが多重の解釈を許すスキマを内蔵していて、不思議なぽわぽわ感がありますね。
紫だけが少し刺々しいのが不可解でしたが、読み返して納得。
切なげなゆかりん、とても愛らしいです。
読み返してみると、「博麗の巫女」とだけ表記されていたり、
会う人物会う人物に「さようなら」を言っていたりと伏線をちりばめるその周到さに気がつきました。
読んでいるあいだ、心は風に乗ってふわふわと幻想の空を漂っていたように思います。
この作品を読めてよかったです。
評価の点が100点じゃあ、とても足りません。
別れもやっぱり風のように。
ふわふわと、ゆらゆらと。
ごちそうさまでしたっ
中盤までほのぼのとしながらも少し寂しげなお話ですね。
最後のシーンでの妖夢の台詞が胸にグッと来ます。
確かに誕生日で転職ですね、初めはいったい何の事かと…
きっと紫は泣いてるんでしょうね
素晴らしいお話をありがとうございました
なんでこんなに切ないのでしょうか。
なのに何故だ!何故こんなにも...
ゆゆさまあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!