「あら、もう出てきたの?」
言い出したのは冬の妖怪。
「こんなに暖かいのに、まだ居たんですか?」
言い返したのは春を告げる妖精。
二人は微笑み合っていた。
「もう雪も氷も、冷たいものは何も残っていませんよ?」
「そんなことないわ。森の木の陰にはまだ雪が残っているもの」
「無駄な足掻きですね」
「無駄で結構」
棘のある言葉が飛び、それをいなす。そんな遣り取りが一本の木の前で行われていた。
別に敵視している訳でもないらしく、二人は笑顔のままだ。
「まぁどちらにしろ、あなたが出てきたってことは」
冬の妖怪は妖精に背を向けて、
「冬は終わったのね」
空を見上げた。寂しそうに眉を下げることも声を震わせることもなく、そう呟いた。
「ええ、あなたの大好きな季節はもう終わりました」
妖怪に歩み寄って追い打ちをかけるような一言。
しかしそれを聞いても妖怪は動揺などせずに言い返す。
「何言ってるの。私の好きな季節はまだ終わってないわよ?」
その答えに妖精は驚いたように目を見開いた。
「たった今言ったじゃないですか。『冬は終わった』って」
クスクスと笑いながら妖怪は言う。
「冬が終わっただけよ」
この言葉を聞いて妖精は首を傾げた。その様子がまた可笑しいのか笑いが止まらない。
だが嫌味を感じられる笑い方ではなかった。
「冬だけが好きって訳じゃないの。分かる?」
「そ、それぐらい分かります!」
分かっていなかったことを隠すように顔を赤くして妖精は怒っている。先程までの強気な態度はどこへやら、妖怪にペースを崩されていた。
妖怪はそれなら良いわ、と微笑んだまま
「私は春も好きなのよ」
と言った。今までの笑顔とはまた違う、無邪気な子どものような顔で。
「…おかしいです。あなた本当に冬の妖怪ですか?」
疑いの眼差しで妖怪を見据える妖精だが、
「冬の妖怪が春を好きなのはおかしいの?」
返された。それも不貞腐れた顔で。
コロコロと変わる表情に呆気に取られる妖精だったが、はっきりと答える。
「おかしいです。冬の妖怪にとって春は消えなければならない嫌な季節でしょう?」
そう言うと妖怪はハァ、とよく聞こえるように大袈裟に溜息を零した。
「あのね、消えなければならないのは自然の摂理だから仕方がないし、私自身存在することを諦めてるわ。でも、消えなければならないからと言って何で私が春を嫌わないといけないの?」
妖怪は妖精のそばに詰め寄り、そして言った。一見怒っているようだが表情は呆れたという雰囲気を纏っていた。
「そんなこと、私に聞かれても分かりません」
開き直る妖精。引かない妖怪。
「じゃあはっきり言ってあげる。私は春が好き。春が始まるほんの一瞬しか存在できないけど、その一瞬で暖かな日差しも、甘い花の香りも、のそのそ起き出す動物の姿を見ることも、みんな体験できるの。冬には見られない光景がたくさんあって、その一瞬が堪らなく幸せだわ」
まさか冬の妖怪から春の良さが聞けるとは思っていなかった妖精は目を丸くする。その様子に満足気に微笑む妖怪。
「これで私の春好き、分かってもらえたかしら?」
だが妖精も引かなかった。
「い、一瞬なんて短過ぎます。それだけでは春の良さなんて全然分からないですよ」
顔を逸らして噛み付く様な返答。
「あらあら、春の妖精さんは春みたいに優しくはないのね」
困ったように苦笑する妖怪は頬を指で掻いた。ちらりと横目で様子を窺う妖精だったが、
「…私が春だと告げる前の春なんて、全然です。もっと、もっとすごいんですから」
否定的だった言葉の雰囲気が変わった。
不満気だった妖精の顔が悪戯好きの子どもの顔へと変わる。妖精は息を大きく吸い込んで止める。
そして、叫んだ。
「春、です、よおーーーーーッ!!」
その大声は妖怪の耳にビリビリとした振動を与え、その後すぐに周囲に影響した。
残っていた雪が跡形もなく消え、地面からは小さいものから大きいものまで、様々な花が咲き乱れた。
白に桃色黄色に紫、絵具で塗ったような鮮やかさが目に飛び込んでくる。
リスや野ネズミなど、野生の動物たちがちらほらと這い出てくる姿も見えた。
「どうです?今までの春の一瞬とは比べ物にならないくらいでしょう?」
満足気に微笑むのは今度は妖精だった。どうだ、と言わんばかりの笑顔が眩しく見える。
妖怪は目を丸くした。先程とは全く逆の立場に居た。
「本当に…すごいわね」
素直に感心し、感動していた。今まで見てきた春の一欠片が霞んで見えるほどに素晴らしい光景が目の前に広がっている。
辺りを見回し、そして近くに立っていた木を何気なく見やる。そこには、満開に咲き誇る桜が存在していた。
「この木、桜だったのね」
「知らなかったんですか?」
残念そうな顔の妖精。
「ごめんなさいね」
謝る妖怪。謝罪を聞きながらも妖精は続けた。
「あなたは毎年消える時、この木の目の前で消えてたじゃないですか」
「…え?」
妖精の言葉を聞き取れなかったのではない。何故そのことを知っているのかという疑問を持って聞き返したのだ。
妖精は言う。
「私は毎年、此処で最初に春を告げるんです。特に決まっている訳ではないんですが、多分気紛れです」
無言で聞く妖怪。
「此処に向かう時に、毎回遠くからあなたを見ていました。全く花を咲かせていないこの木を見上げて、寂しそうに消えてゆくあなたを」
「…悪趣味ね」
「そうですか?」
悪びれずに笑う妖精。
「そんなあなたが、とても綺麗に見えたんです。寂しげに消えてゆくあなたは、本当に雪の結晶のようでした」
「それは褒めているのかしら?」
「半分褒めてます。もう半分は腹が立ちましたけど」
訳が分からないと肩を竦める妖怪。そんな妖怪を無視して妖精は、
「何で欲することをしないのか分かりませんでした。一言でも言えば良いじゃないですか、願えば良いじゃないですか、『咲いて』って。それなのにあなたは何も言わずに毎年、消えていってしまった。そこが大嫌いでした」
ムスッとした表情で妖怪を睨む。しかし次第に表情は優しくなった。
「でも、忘れられなかったんです。大嫌いだからとかじゃなく、もっと別の…何て言えば良いのか分かりませんが」
くすぐったそうに笑って妖精は、
「あなたに春を見て欲しかった。それだけだと思います」
と告白した。妖怪は静かに聞いていたが、話が終わると少々考え込んだ。
そして尋ねる。
「えと…じゃああなたが最初に喧嘩腰だったのは…?」
「はい、またあなたが寂しそうに木を見ていたので腹が立ってました」
答えを聞くと妖怪はプッと噴き出した。段々と笑いが大きくなり、最後には腹を抱えて笑い出す始末。
「そんなに笑わないでくださいよー、私拗ねちゃいますよー?」
と妖精は言うが、その顔は怒っていない。むしろ楽しそうに見えた。
「ごめんごめん、本当にはっきり言うなーって思ってね」
目尻に溜まった涙を指で拭うと、妖怪はもう一度桜を見上げた。今まで見られなかった桜の花が視界におさまり切らないほどに広がっている。
これが春か、と感じることができた。
暖かな春の世界は、冬の妖怪である自分には望めないものだと知らず知らずのうちに決めてしまっていたのかもしれない。
そう思うと自然と涙が流れた。先程とは違う涙を急いで拭おうとする。
だが自分の手が届く前に、目尻に温かいものが触れた。
頑張ってつま先で立ち、足りない身長を補って目元に口付ける妖精。ゆっくりと離れて唇をぺろりと一舐めし、
「あなたの涙って、しょっぱいんですね」
と優しく微笑む。
「…当たり前でしょ。涙なんだから」
一瞬驚いたがすぐに微笑み返した。そして目の前に居る妖精を抱き締める。自分より小さな身体は、小さいながらも精一杯強く抱き返してくれた。
「春ってあったかいのね」
「当たり前です」
「私溶けちゃいそうよ」
「溶けちゃえば良いじゃないですか」
「酷いこと言うわね」
「言い出したのはそっちです」
「もっと優しくしてくれても良いんじゃない?」
「今してます」
「ごもっとも」
二人一緒に笑った。抱き合っているためお互いの表情は分からないが、とても幸せそうに笑っているのは確かだった。
しばらくして妖怪が身体を離す。妖精の顔を覗き込み、
「私、もっと春が好きになったわ」
そう言った。
「春だけですか?」
妖精が聞き返す。妖怪は嬉しそうに
「あなたのことも、大好きになったわ」
そう答えた。妖精は満足そうに微笑み、
「私もです」
と返す。再び二人で微笑み合い、春という時を楽しんだ後、妖怪が妖精の頭の上にぽんと手を乗せる。
そして
「そろそろ行くわね」
小さく呟いた。妖精は寂しそうな顔をしたが、妖怪はそんな妖精の頭を優しく撫でる。慰めるような手の動きに妖精の寂しさは増す。
しかし妖怪は微笑んでいた。今までのような寂しそうな顔など見せずに。
そして続ける。
「そんな顔しないで?あなたが私に笑うことを教えてくれたのよ?本人が寂しそうな顔してどうするの」
「それはそうですけど…」
言い返すも勢いがなく、弱々しい返事しかできなかった。
そんな中妖精が妖怪に向き直ると、妖怪の身体は右肩から霧のようになって散っていた。全体の色も薄くなり、向こう側の景色が透けて見え始めている。
「あッ!?」
さらさらと砂が流れるように消えていく妖怪の姿に驚きの声が出た。
「待って!行かないでください!!」
引き止めようとするが妖怪は首を横に振る。その様子を見て妖精の目にじんわりと涙が滲んできた。
妖怪は、まだ存在している左手で妖精の涙を拭ってやり、
「大丈夫よ、また来年になれば会えるわ。だから泣かないで?」
そう言った。その言葉にさらに寂しさを感じた妖精は、袖でごしごしと滲み出てくる涙を拭いて妖怪を見据える。
そして機嫌が直った子どものように笑顔で、
「また、来年もッ…この桜の前で待ってますから!!」
声を震わせながらも叫ぶように伝えた。驚く妖怪。
だが嬉しそうに微笑んで
「私も待ってるわ、私の彦星様」
と言い、もうほとんど存在していない手で妖精の頬を撫でた。
泣いて赤くなった目の妖精は目を瞑り、その手に自分の手を重ねる。
触れているのか分からないほどの微々たる感触しか伝わってはこなかったが、それでも妖怪が存在している喜びを噛み締めた。
そして穏やかな動作で瞼を上げ、
「…季節外れですよ、私の織姫様」
と言って微笑んだ。幸せに、再び会えるように。
そして
「…またね」
その一言を最後に、冬の妖怪は完全に姿を消した。
桜の木の前で一人佇む妖精。寂しさゆえかまた涙が零れそうになる。
それをじっと堪え、桜を見上げた。風に揺れる花は春を祝福しているように見える。
そんな桜に励まされたのか、妖精は両手で自分の両頬をバシンと強く叩き、気を引き締めた。
そしてにこやかに、晴れやかに。春と消えていった冬を祝福するために呟く。
「…春ですよ、レティ」
その顔はまた、あたたかな春の笑顔だった。
また来年も逢えますようにと願いたくなる素敵な作品でした。
>>レティとリリーが幻想郷の織姫と彦星的な立場に居るように思えてなりません。
桜吹雪が天の川の代わりと。なかなか雅で。
織姫と彦星からレティとリリーを繋げるのは面白いと思います。
そして今後は季節が終わる頃に自分の役目が終わる悲しさと友人に会える楽しさが生まれるわけですね。
ロマンチックな良い関係だと感じました。
レティさんに桜は似合わないと誰が決めた。
勝手ながらこのお話からそんな想いを読み取らせていただきました。