暑い。
猛烈に暑かった。
太陽は容赦なく照らしているけど風は全然部屋に入ってこない。
頭巾なんか被ってられない、被ってるやつは馬鹿だと思う。
だってどう考えたって脱いだほうが涼しいし、快適だし、蒸れないし。
つまり今の私は馬鹿だ。
私の頭は凄い勢いで不快指数が増大していることだろう。
乙女にあるまじき臭いを発している可能性も大。
このままじゃ女としても妖怪としても失格なんだろうけど、何かもう、全てがめんどくさかった。
汗と一緒にやる気とか色々垂れ流しちゃったんだよ、うん。
ていうか畳が気持ちよかった。
だからまぁ、こうして朝の仕事と昼ごはんの間にごろ寝してても仕方がないことなんだ。
「そりゃー」
「おぶぁ」
いきなり真上から大量の水が滝のように降ってきて私を濡らした、別にエロい意味ではなく。
てか、何、しょっぱいよこれ、海水?
おいおい船長さんよ、寝ている友達に問答無用の水責めとかひどいじゃないか、ぷんぷん。
「水も滴るいい女?」
みつが何かくいっと首を傾げる可愛げな仕草をしたけどお母さん騙されませんよ。
滴るってかびしょ濡れだしこれ海水だし塩分過多だし、高血圧にさせたいのか貴様は。
「だらしないよー動かなきゃだめだよーいっちゃん」
「暑い」
「知ってる」
「暑い」
何回でも繰り返してやる、暑いんだよちくしょう。
私だってこのままじゃいけないってことは分かってる。
でもどうしようもなく暑いのだ。
加えてさっきの海水で全身ベッタベタなのだ、すっごい気持ち悪い。
もう一回、今度は真水で体を洗い流して欲しいな。
仰向けになってみつに向かって腰を上げた。
「何それ」
「おねだりのポーズ」
「錨を?」
NO、違う、全力で否定する。
とっさに両手で自分の菊門をガードした。
あぶねー、あのままだったら確実に拡張されてたね、ガバガバだね。
怖い怖い。
「くだんないことしてないで脱いだ脱いだ。洗濯しちゃるから」
「めんどい」
「水でも浴びてきたらいいじゃん」
「みつが真水ドバーっとやってくれたら済む話」
「おりゃー」
「ぐぬぶぅ」
今度は鉄砲水が飛んできた。
何故わざわざ横方向にぶっとばす必要がある。
障子突き破って外まで放り出されるとか、ちょっと力加減が甘いんじゃないのかね。
「いやわざと」
さいですか。
もう突っ込み入れようにも前髪が邪魔で前が見えない。
ついでに服も何もかも泥だらけになった。
散々だ、散々すぎる。
夏ってのはもっと爽やかであるべきだ。
だというのにびしょびしょどろどろなんて爽やかという形容詞からは最も遠いじゃないか。
どうしてくれるんだ。
「どうしてくれるんだ」
「知らないよ。いいから着替えて体洗ってきなさいなー、すっきりするから」
「把握」
水を被ったおかげか流石に頭冷えてきた。
ちょっと泥が冷た柔らかくて気持ちいいなんて思ってないよ。
このまま眠るのもありかもしれないなんて思ってないよ。
いいや、ここで服脱いでみつに渡しちゃおう。
「いっちゃん破廉恥」
「雲山いるから大丈夫」
「いないじゃん」
あれ、ホントだ。
どこ行ったんだあの親父。
纏わせてタオル代わりにしようと思ったのに、これじゃ下着で寺をうろつく変態さんじゃないか。
痴女か私は。
「いや、それはそれでありか」
「なしだよ。兎のお姫様に連行されちゃうよ」
「こわー」
「連れてかれちゃう前にさっさと行けってーの」
「あいた」
痛い。
柄杓で叩かれた、ぺこんて。
みつめ、私のお尻はデリケートなんだぞ丁重に扱え。
あう、ごめ、ごめん、何度も叩かないで癖になっちゃう。
あー駄目だ、今日の私はゆるくてだるくて隙だらけだ。
素直に水浴びして頭冷却して冷静沈着一輪さんに変身だ。
……いい感じに茹だってるな私の脳、さっさとご飯作って頭のネジを締め直そう、うん。
「あ、いっちゃーん」
「なんね」
「お昼ごはん何?」
「素麺」
「また?」
「そういう子には胡麻だれと胡麻油入れたげない」
「ごめーんそういうことなら大歓迎」
またとか言うなまたとか、余りまくってるんだからしょうがないでしょ素麺。
文句ばっかり言ってると全国のお母さんが怒りますよ、私の中のお母さんも怒りますよ。
あ、そういえば。
雲山どこ行ったんだろ。
***
ぷかぷか。
ふわりふわる。
ここはどこかな、神社の上か。
今日も風が気持ちいい。
夏の暑さだって日傘があれば平気ヘッチャラ。
わちきはいつも風まかせ。
だって速いのも忙しいのも風当たりが強いのも嫌いだもん。
それに比べて人間たちときたら。
(余裕が無いねぇ、無粋だねぇ)
里の人間はいっつもえっちらおっちらちまちまと。
そんなんだから自分にも気づいてくれないんだ、こんなボロ傘って。
失礼な話だ。
でも今時妖怪なんかに驚く人間なんてここにはいやしない。
(ひもじいねぇ、苦しいねぇ)
ああ、空よ。
何でお前さんはそんなに青くて広いんだ。
そんなにでっかく振舞って、わちきは一人だと言いたいのか。
なんだよちくしょう。
この世に産まれた時いっちばん最初に感じたのは『やった!』でもなく『よくも!』でもなくて。
(寂しい)
出来たばっかのおめんめから水がだばーって溢れ出した。
出来たばっかの口からぎゃんぎゃん音が出た。
そうこうしてる内に自分が何なのか分かった。
お腹空いたから驚かして、一人が嫌だから驚かして、その繰り返し。
今じゃ全く相手にされなくなった、いつも寂しくなった。
もうそれすら慣れたけど。
(みんなもっと適当に生きればいいのに)
楽に、適当に、それなりに。
そんな風に生きれば自分を見て驚くこと位のことはしてくれるんじゃないかな。
寿命が短いからかもしれないけれど、人間には余裕が無い。
だからこそ肩の力抜いて生きたらいいのに。
(切ないねぇ、虚しいねぇ)
自分と人間、どっちのほうが寂しいかな。
くっだんない。
「うらめしやー!!」
ふぅ、叫んだらすっきりした。
さぁて帰るかな。
──ビクッ
「んん?」
何か後ろで動いた気がする。
「んんー?」
おっかしいなぁ、雲しかいないのに。
生き物の気配なんてあるわけないし。
何だろ、気になるな。
「うらめしや?」
──ビクビクッ
分かった。
雲だ、目の前のこの雲が動いたんだ。
で、気づいたことがもう一つ。
私今お腹いっぱいだ。
そうかそうかなるほどなるほどつまりこいつは。
(驚いちゃってる?)
うへぇ、思わず顔がにやけちゃった。
よぉしじゃあもう一回だ。
「うらめしやー!!!」
ぼふん、って音がして雲が大きく弾けた。
けたけたけた、反応が大げさすぎる。
これが何なのかよくわからないけど愉快な奴だ、間違いない。
「うらめしや! うらめしや!! うーらーめーしーやー!!」
叫ぶ度にぼふんぼふん、いいなぁこいつ反応が素敵すぎる。
まだまだ行ける、一生分驚いてもらおう。
「うらめしy」
「……」
雲から困り果てた親父顔が浮かび上がった。
「みぎゃあああああああああああ!!!!」
この場で一番驚いたのは私だった、というオチ。
***
「むっ!」
絹を引き裂くような娘の悲鳴が耳に届いたので、私はすかさずカメラを上空へと向けた。
私の勘はどうやら当たっていたようだ、傘を持った少女が何かに追われるように西の空へと飛んでいったのが目に入る。
余りにも必死に逃げるものだからスカートが必要以上にはためき、中身が哀れにもさらけ出されてしまっている。
当然ファインダーにはその黒が収まった、上々。
ああいうのは何と言うんだったかな、スパッツだとか言ったっけ。
何故に付喪神があんなハイカラな物を穿いているのかは知らないが、パンチラはパンチラである。
全ての写真はおおよそ二つの種類に大別される。
パンチラ写真か、パンチラしてない写真だ。
今日は運が良い、神社の鳥居の上に腰掛けているだけで乙女の下着が見られるなんて。
まぁ、新聞のネタにはならないし私の趣味でしかないんだけど、とにかく良い物が撮れたと思う。
「ねぇ」
どうしようかな、この写真。
コレクションに加えるべきだろうか。
「ねぇ!」
「はい?」
下からちょっと怒り気味の声が聞こえた。
相変わらず怒りっぽいんだからこの人、もっと心をおおらかにしないと参拝客も集まらないんじゃないかな。
言わないけど、言ったら絶対に怒るし。
「いつまでそこにいるのよ」
「邪魔ですか?」
「入り口に妖怪が居たらそりゃ邪魔でしょうよ」
「でもこっちから来る人なんていないじゃないですか」
「そうだけど」
この神社は幻想郷の端の端に位置している。
鳥居をくぐって石段を降りればそこはもう境界なのだ、必然的に神社に来る者は裏から回ってくる形になる。
今私の目の前には山々が広がっているけれども、それはまやかし、嘘の風景だ。
季節のせいか緑が鮮やかで、鮮やかすぎて、かえってそれが偽物であることを明白にしていると私は思う。
境界の作成者が何を考えてこの仕様にしたのかは知らないけれども、趣味が悪いことは確かだ。
私はネタが無い時はこうして鳥居の上に腰掛けてぼんやりこの景色を眺めることにしているのだ。
特に意味はない。
前に現実の、本物の情報を扱うべき新聞と、幻想の、偽物の塊であるこの風景との関係性を考えたことがある。
馬鹿馬鹿しくなってすぐに止めた。
私がここにいるのは多分、風がいつも吹いているからとか、座っている所が冷たくて気持ちいいからとか、その程度のことなのだ。
何となくネタが出やすいというのもある。
「夏ですねぇ」
「当たり前じゃない」
「いい天気で、いい景色だとは思いませんか?」
「思わない」
「奇遇ですね。私もです」
「何が言いたいのよ」
「さぁ」
下の彼女は至極面倒臭そうな顔をして私を見つめている。
彼女は回りくどいことが嫌いだ、持って回った言い方が嫌いだ、本意が見えない態度が嫌いだ。
逆にそういうことをしなければお茶だって飲ませてくれるしご飯だって食べさせてくれる。
なのにからかいたくなるのは、彼女が人間で、二十年も生きてなくて、あと八十年しないうちに死んでしまうからかもしれない。
だからこそ愛惜しくて、ねこじゃらしを振りたくなるのだ、ほれほれと。
「前から言いたかったんだけどさ」
「何ですか?」
「あんたみたいな古参達の、余裕顔が気に食わない」
「それはそれは。残念ですね」
「その顔止めたら茶出してあげる。飲んだら帰れ」
「はいはい」
言って彼女は神社へと戻っていった、どうやら今日の掃除は終いにしたらしい。
私もおいしいお茶をいただいてここからお暇することにしよう、ネタもとうとう思いつかなかったし。
「おっと」
動いた拍子にポケットから写真が何枚かはらりはらりと落ちてしまった。
慌てて地面に降りて落ちたそれを拾い集めた、内容が目に入る。
ふむ。
涼し気なスポット特集とかどうだろうか、あそこも規制が緩くなっているから受けがいいかもしれない。
やはりここは私にとって縁起のいい場所なのかな、見える景色はとても好きにはなれないけど、おかげでネタは見つかった。
蜘蛛の糸やら天井やらが写っている写真を眺めてそう思った。
***
地底の夏はそこまで気温は上がらない。
さらに深度を深めれば旧地獄の太陽はあるものの、距離があるので影響は殆ど無い。
その分冬は寒く原理は知らないが雪まで降ってしまう始末なのだが、おおよそ今の季節は過ごしやすいのだ。
快適で涼しくて。
でも私はしかめっ面。
「貰ったはいいけれども……」
手元にあるのは数枚の写真。
少し前に天狗が取材と号して、嫌がって弾幕を展開する私を勝手に撮っていったものだ、下心が見え見えだったが。
写真の中の私はうろ覚えの天井を必死で投げつけていた。
よく撮れて……いるんだろうか、普段写真というものを見ないから分からない。
取りあえず分かったことが一つある。
私は自分自身の姿を客観的に見ることが好きではない。
容姿がどうというわけではなく、単なる嫌悪感。
私は私をそんなに好きじゃないということだろう、大嫌いまではいかないけれど。
これ見てニヤニヤするほうがどうかしてるし、これで正しい反応だと思う。
さてどうするかな、これ。
捨ててもいいのだけれども 縁起が悪い気もしないでもない。
かと言って部屋に飾るのも小っ恥ずかしい。
紛れ込んだこの一枚に関してもそうだ。
一面に広がるハートの弾幕、いつものポーズをとる私の妹。
当然のことながら写真の中の妹からは何も聞こえてこない。
天狗の奴がわざと紛れ込ませたのではないことは分かっている。
偶然、そう偶然私の手元に渡ってしまったのだ。
本人に渡すべきなのだろうけども、滅多に帰ってこないからそれも出来ない。
勝手に飾っていいものなのかしら。
【おや、さとり様いらっしゃる】
後ろから私に向けて思念が届いた。
この心は……お燐か。
「どうしたのお燐」
私は背を向けたまま声をかけた。
「あ、どうもっすさとり様」
【……不意に声かけるのどうにかしてくれないかな、びっくりする】
「ごめんなさいね、癖なの」
「いやこちらこそすいません」
【読まれちまった、まぁしょうがないか】
「そのくらいの意識でいてもらえると助かるわね」
「はぁ、そうですか。いやま、それはいいとして報告なんですけども」
【あの馬鹿、まぁた火力調整とちりやがった。追加の死体が必要とかふざけんな】
「なるほど。では今日の作業は少し長引きそうということね?」
「伝わったようで何よりです。とにかくそういうことですんでお夕飯はちょっと遅めにしてほしいかなと」
【ホッケが食べたい、ホッケ。というか魚ならなんでもいい】
「分かりました。考えておきましょう」
「うっすよろしくお願いします」
【ホッケ♪ ホッケ♪】
耳をしきりに動かしながらお凛は私の部屋から出て行こうとした。
そこでまた、私の頭に声がするりと流れ込んだ。
【さとり様の持ってたのって何だったんだろう、プライベートだから聞いちゃだめかな】
……気を遣わせてしまったようだ。
ありがたくもあるけれど、ペットはペットらしく無邪気にじゃれついてほしいものだ。
「お燐」
「はい?」
【あれ? 何かやらかした?】
「写真ですよ、これ。見ますか?」
写真をひらひらさせながら見せると、お燐は驚いたような顔をした、実際に心は驚いていた。
何に驚いていたかというと写真それ自体ではなく、少し微笑ながら見せてきた私の表情らしい、失礼な。
ちょっと優しさを見せればこれなんだから。
写真を眺めるお燐はよく撮れてますね、とか隈が出来てるとか、好き勝手なことを言ったり思ったりした後部屋を出て行った。
バタン、と扉を閉める音が響く。
……やはり写真は恥ずかしいものだ。
…………
……
…
お燐が仕事に戻った後、少し眠ってしまったらしい。
時間を確認すると2時間経っていなかった、うたた寝程度といったところか。
突っ伏していた机を見ると、置いてあった写真が無い。
「こいし」
いつの間にか、隣に写真をまじまじと眺める妹の姿があった。
それこそ穴が開くほど、自分が写った一枚の紙を。
「こいし」
私は呼びかける、あなたは応えない。
自分を閉じてしまったあなたにあなたの姿はどう映るのだろうか。
そこにいるのがあなた自身だと理解出来るだろうか、してくれるだろうか。
窓からの風が入ってきて、私と、あなたの髪を揺らす。
あなたは何を想ったの?
応えてちょうだい、応えて。
「こいし」
ゆっくりと、妹は私の方を向いた。
瞳には私が映っているけれども、その奥にあるものは分からない。
「お姉ちゃん」
私を呼んで、妹は写真に目を戻した。
「これ」
「写真よ」
「お姉ちゃんがいる」
「あなたもいるわ」
「……」
満足したのか、それとも興味が無くなったのか、妹は写真を私に手渡した。
気に入ってくれたのかもしれない、もう飽きてしまったのかもしれない。
何か思うことがあったことは確かなようだ、飾っておくべきかな、やっぱり。
【素敵な、写真】
「そう? なら──」
──そこにはもう妹の姿は無かった。
ドアが半開きのまま、風のせいか軋んだ音を立てている。
私は一つ息を吐いて手元の写真を机にしまった。
ちりん、とどこかで風鈴が鳴った。
洋風のこの邸には到底似合わない音。
いつだったか、妹が持って帰ってきた蛙模様の風鈴の音。
紛れもない、夏の音。
***
ちりん。
頭上に蛙の風鈴、手元に団扇、足元には水を張った桶。
完璧だ、完璧すぎる。
これで涼しくならないわけがない、夏よ、ざまあみろ。
「ふはは、ふははははは」
はぁ。
試しに意味もなく一人で高笑いしてみたら思ったよりも虚しくなった、もうやらない。
もし今のを神に見られたらと思うとぞっとしない、絶対にネタにしてくる。
二人とも常に姿を顕現しているわけじゃないから私はこうしてたまにふざけることが出来るのだ。
日も徐々に傾きつつある、ここから見える夕暮れはきれいだからそれまでぼーっとしてよう。
「あ、天狗」
ちょくちょく空を飛び交う天狗が景色に混じることもある。
大抵は下っ端の皆さんが飽きもせずに警戒飛行をしているのが見える。
たまにうちに寄って休憩したりお茶飲んだりお参りしたり、いわゆる常連だ。
その時に河童なんかが訪ねてくると、そのままうちで将棋をさしていく。
ここは集会所か、と突っ込みを入れたくなるが彼らも立派なお得意様なのでそこは空気を読んで黙っておく。
たまに例外もある、例えば今日はいつぞやの傘っ娘が何かから逃げるように這々の体でうちまで飛んできた。
何があったのか聞いてもしきりに親父が、親父が、と呟くばかり。
要領を得ないばかりかずっと涙目だった、それでいいのか妖怪。
お茶を飲んだら気分も落ち着いたらしくいきなり私に向かって飛び掛ってきた。
思いっきりカウンターを食らわしておいた、右で。
『何故殴るの!?』
『襲いかかってきたから』
『驚かそうとしただけじゃん!』
『だから、少し驚いたので、つい手が出ちゃったんですよ』
『え? 驚いたの? ならいいやえへへ』
馬鹿だった、果てしなく馬鹿だった。
そのまま馬鹿は満足気に帰っていった、あの悪趣味な傘を片手に。
妖怪って適当でいいんだな、少し羨ましくもある。
私ももっと力抜いて、適当に、囚われずに、生きてみるのもいいのかもしれない。
神奈子様辺りに怒られるかな、その時はその時だけど。
でもここはそれさえも受け入れてくれる気がする。
なんてことを考えてたら周りはすっかり赤く染まっていた。
いい加減団扇を動かす腕も疲れてきたし、水も温くなってきた。
やっぱりここから見る夕暮れはきれいだ、引越しして初めてこの景色を見た時もそう思った。
あっちでも見れなかったわけじゃないけど、空気というか透明感が違う、夏特有の緑の匂いも濃い。
深呼吸して、気分一新。
さぁて、お夕飯作らなきゃ。
……そういや素麺しか残ってなかった。
***
結局、昼も夜もどっちも素麺だった。
文句を垂れたどこぞの毘沙門天の使いは哀れ、つゆ無し素麺を啜る羽目に。
私も言わなかったけれどもやっぱり連続はきついよ。
いっちゃんは余ってるとか何とか言ってたけど絶対面倒くさかったに違いない。
長い間涼しい地底にいたせいか我が友は暑さに耐性がないようだ。
いつもよりも緩い、全体的に、隙だらけ。
下手したら雲山さえ制御できなくなりそうな勢い。
当の雲山は昼過ぎに妙に消沈した顔で帰ってきた、何があったのかはよく分からない。
みんな、夏でどこか溶けちゃってるんだろう、きっと。
だから普段きちっとしてる我が友も、今は私の隣で無防備に寝てるんだ。
だから縁側から見る星も、いつもよりきれいに見えるんだ。
ああ、夏だな。
「ん……磯くさい」
……。
「そりゃー」
「おぶぁ」
猛烈に暑かった。
太陽は容赦なく照らしているけど風は全然部屋に入ってこない。
頭巾なんか被ってられない、被ってるやつは馬鹿だと思う。
だってどう考えたって脱いだほうが涼しいし、快適だし、蒸れないし。
つまり今の私は馬鹿だ。
私の頭は凄い勢いで不快指数が増大していることだろう。
乙女にあるまじき臭いを発している可能性も大。
このままじゃ女としても妖怪としても失格なんだろうけど、何かもう、全てがめんどくさかった。
汗と一緒にやる気とか色々垂れ流しちゃったんだよ、うん。
ていうか畳が気持ちよかった。
だからまぁ、こうして朝の仕事と昼ごはんの間にごろ寝してても仕方がないことなんだ。
「そりゃー」
「おぶぁ」
いきなり真上から大量の水が滝のように降ってきて私を濡らした、別にエロい意味ではなく。
てか、何、しょっぱいよこれ、海水?
おいおい船長さんよ、寝ている友達に問答無用の水責めとかひどいじゃないか、ぷんぷん。
「水も滴るいい女?」
みつが何かくいっと首を傾げる可愛げな仕草をしたけどお母さん騙されませんよ。
滴るってかびしょ濡れだしこれ海水だし塩分過多だし、高血圧にさせたいのか貴様は。
「だらしないよー動かなきゃだめだよーいっちゃん」
「暑い」
「知ってる」
「暑い」
何回でも繰り返してやる、暑いんだよちくしょう。
私だってこのままじゃいけないってことは分かってる。
でもどうしようもなく暑いのだ。
加えてさっきの海水で全身ベッタベタなのだ、すっごい気持ち悪い。
もう一回、今度は真水で体を洗い流して欲しいな。
仰向けになってみつに向かって腰を上げた。
「何それ」
「おねだりのポーズ」
「錨を?」
NO、違う、全力で否定する。
とっさに両手で自分の菊門をガードした。
あぶねー、あのままだったら確実に拡張されてたね、ガバガバだね。
怖い怖い。
「くだんないことしてないで脱いだ脱いだ。洗濯しちゃるから」
「めんどい」
「水でも浴びてきたらいいじゃん」
「みつが真水ドバーっとやってくれたら済む話」
「おりゃー」
「ぐぬぶぅ」
今度は鉄砲水が飛んできた。
何故わざわざ横方向にぶっとばす必要がある。
障子突き破って外まで放り出されるとか、ちょっと力加減が甘いんじゃないのかね。
「いやわざと」
さいですか。
もう突っ込み入れようにも前髪が邪魔で前が見えない。
ついでに服も何もかも泥だらけになった。
散々だ、散々すぎる。
夏ってのはもっと爽やかであるべきだ。
だというのにびしょびしょどろどろなんて爽やかという形容詞からは最も遠いじゃないか。
どうしてくれるんだ。
「どうしてくれるんだ」
「知らないよ。いいから着替えて体洗ってきなさいなー、すっきりするから」
「把握」
水を被ったおかげか流石に頭冷えてきた。
ちょっと泥が冷た柔らかくて気持ちいいなんて思ってないよ。
このまま眠るのもありかもしれないなんて思ってないよ。
いいや、ここで服脱いでみつに渡しちゃおう。
「いっちゃん破廉恥」
「雲山いるから大丈夫」
「いないじゃん」
あれ、ホントだ。
どこ行ったんだあの親父。
纏わせてタオル代わりにしようと思ったのに、これじゃ下着で寺をうろつく変態さんじゃないか。
痴女か私は。
「いや、それはそれでありか」
「なしだよ。兎のお姫様に連行されちゃうよ」
「こわー」
「連れてかれちゃう前にさっさと行けってーの」
「あいた」
痛い。
柄杓で叩かれた、ぺこんて。
みつめ、私のお尻はデリケートなんだぞ丁重に扱え。
あう、ごめ、ごめん、何度も叩かないで癖になっちゃう。
あー駄目だ、今日の私はゆるくてだるくて隙だらけだ。
素直に水浴びして頭冷却して冷静沈着一輪さんに変身だ。
……いい感じに茹だってるな私の脳、さっさとご飯作って頭のネジを締め直そう、うん。
「あ、いっちゃーん」
「なんね」
「お昼ごはん何?」
「素麺」
「また?」
「そういう子には胡麻だれと胡麻油入れたげない」
「ごめーんそういうことなら大歓迎」
またとか言うなまたとか、余りまくってるんだからしょうがないでしょ素麺。
文句ばっかり言ってると全国のお母さんが怒りますよ、私の中のお母さんも怒りますよ。
あ、そういえば。
雲山どこ行ったんだろ。
***
ぷかぷか。
ふわりふわる。
ここはどこかな、神社の上か。
今日も風が気持ちいい。
夏の暑さだって日傘があれば平気ヘッチャラ。
わちきはいつも風まかせ。
だって速いのも忙しいのも風当たりが強いのも嫌いだもん。
それに比べて人間たちときたら。
(余裕が無いねぇ、無粋だねぇ)
里の人間はいっつもえっちらおっちらちまちまと。
そんなんだから自分にも気づいてくれないんだ、こんなボロ傘って。
失礼な話だ。
でも今時妖怪なんかに驚く人間なんてここにはいやしない。
(ひもじいねぇ、苦しいねぇ)
ああ、空よ。
何でお前さんはそんなに青くて広いんだ。
そんなにでっかく振舞って、わちきは一人だと言いたいのか。
なんだよちくしょう。
この世に産まれた時いっちばん最初に感じたのは『やった!』でもなく『よくも!』でもなくて。
(寂しい)
出来たばっかのおめんめから水がだばーって溢れ出した。
出来たばっかの口からぎゃんぎゃん音が出た。
そうこうしてる内に自分が何なのか分かった。
お腹空いたから驚かして、一人が嫌だから驚かして、その繰り返し。
今じゃ全く相手にされなくなった、いつも寂しくなった。
もうそれすら慣れたけど。
(みんなもっと適当に生きればいいのに)
楽に、適当に、それなりに。
そんな風に生きれば自分を見て驚くこと位のことはしてくれるんじゃないかな。
寿命が短いからかもしれないけれど、人間には余裕が無い。
だからこそ肩の力抜いて生きたらいいのに。
(切ないねぇ、虚しいねぇ)
自分と人間、どっちのほうが寂しいかな。
くっだんない。
「うらめしやー!!」
ふぅ、叫んだらすっきりした。
さぁて帰るかな。
──ビクッ
「んん?」
何か後ろで動いた気がする。
「んんー?」
おっかしいなぁ、雲しかいないのに。
生き物の気配なんてあるわけないし。
何だろ、気になるな。
「うらめしや?」
──ビクビクッ
分かった。
雲だ、目の前のこの雲が動いたんだ。
で、気づいたことがもう一つ。
私今お腹いっぱいだ。
そうかそうかなるほどなるほどつまりこいつは。
(驚いちゃってる?)
うへぇ、思わず顔がにやけちゃった。
よぉしじゃあもう一回だ。
「うらめしやー!!!」
ぼふん、って音がして雲が大きく弾けた。
けたけたけた、反応が大げさすぎる。
これが何なのかよくわからないけど愉快な奴だ、間違いない。
「うらめしや! うらめしや!! うーらーめーしーやー!!」
叫ぶ度にぼふんぼふん、いいなぁこいつ反応が素敵すぎる。
まだまだ行ける、一生分驚いてもらおう。
「うらめしy」
「……」
雲から困り果てた親父顔が浮かび上がった。
「みぎゃあああああああああああ!!!!」
この場で一番驚いたのは私だった、というオチ。
***
「むっ!」
絹を引き裂くような娘の悲鳴が耳に届いたので、私はすかさずカメラを上空へと向けた。
私の勘はどうやら当たっていたようだ、傘を持った少女が何かに追われるように西の空へと飛んでいったのが目に入る。
余りにも必死に逃げるものだからスカートが必要以上にはためき、中身が哀れにもさらけ出されてしまっている。
当然ファインダーにはその黒が収まった、上々。
ああいうのは何と言うんだったかな、スパッツだとか言ったっけ。
何故に付喪神があんなハイカラな物を穿いているのかは知らないが、パンチラはパンチラである。
全ての写真はおおよそ二つの種類に大別される。
パンチラ写真か、パンチラしてない写真だ。
今日は運が良い、神社の鳥居の上に腰掛けているだけで乙女の下着が見られるなんて。
まぁ、新聞のネタにはならないし私の趣味でしかないんだけど、とにかく良い物が撮れたと思う。
「ねぇ」
どうしようかな、この写真。
コレクションに加えるべきだろうか。
「ねぇ!」
「はい?」
下からちょっと怒り気味の声が聞こえた。
相変わらず怒りっぽいんだからこの人、もっと心をおおらかにしないと参拝客も集まらないんじゃないかな。
言わないけど、言ったら絶対に怒るし。
「いつまでそこにいるのよ」
「邪魔ですか?」
「入り口に妖怪が居たらそりゃ邪魔でしょうよ」
「でもこっちから来る人なんていないじゃないですか」
「そうだけど」
この神社は幻想郷の端の端に位置している。
鳥居をくぐって石段を降りればそこはもう境界なのだ、必然的に神社に来る者は裏から回ってくる形になる。
今私の目の前には山々が広がっているけれども、それはまやかし、嘘の風景だ。
季節のせいか緑が鮮やかで、鮮やかすぎて、かえってそれが偽物であることを明白にしていると私は思う。
境界の作成者が何を考えてこの仕様にしたのかは知らないけれども、趣味が悪いことは確かだ。
私はネタが無い時はこうして鳥居の上に腰掛けてぼんやりこの景色を眺めることにしているのだ。
特に意味はない。
前に現実の、本物の情報を扱うべき新聞と、幻想の、偽物の塊であるこの風景との関係性を考えたことがある。
馬鹿馬鹿しくなってすぐに止めた。
私がここにいるのは多分、風がいつも吹いているからとか、座っている所が冷たくて気持ちいいからとか、その程度のことなのだ。
何となくネタが出やすいというのもある。
「夏ですねぇ」
「当たり前じゃない」
「いい天気で、いい景色だとは思いませんか?」
「思わない」
「奇遇ですね。私もです」
「何が言いたいのよ」
「さぁ」
下の彼女は至極面倒臭そうな顔をして私を見つめている。
彼女は回りくどいことが嫌いだ、持って回った言い方が嫌いだ、本意が見えない態度が嫌いだ。
逆にそういうことをしなければお茶だって飲ませてくれるしご飯だって食べさせてくれる。
なのにからかいたくなるのは、彼女が人間で、二十年も生きてなくて、あと八十年しないうちに死んでしまうからかもしれない。
だからこそ愛惜しくて、ねこじゃらしを振りたくなるのだ、ほれほれと。
「前から言いたかったんだけどさ」
「何ですか?」
「あんたみたいな古参達の、余裕顔が気に食わない」
「それはそれは。残念ですね」
「その顔止めたら茶出してあげる。飲んだら帰れ」
「はいはい」
言って彼女は神社へと戻っていった、どうやら今日の掃除は終いにしたらしい。
私もおいしいお茶をいただいてここからお暇することにしよう、ネタもとうとう思いつかなかったし。
「おっと」
動いた拍子にポケットから写真が何枚かはらりはらりと落ちてしまった。
慌てて地面に降りて落ちたそれを拾い集めた、内容が目に入る。
ふむ。
涼し気なスポット特集とかどうだろうか、あそこも規制が緩くなっているから受けがいいかもしれない。
やはりここは私にとって縁起のいい場所なのかな、見える景色はとても好きにはなれないけど、おかげでネタは見つかった。
蜘蛛の糸やら天井やらが写っている写真を眺めてそう思った。
***
地底の夏はそこまで気温は上がらない。
さらに深度を深めれば旧地獄の太陽はあるものの、距離があるので影響は殆ど無い。
その分冬は寒く原理は知らないが雪まで降ってしまう始末なのだが、おおよそ今の季節は過ごしやすいのだ。
快適で涼しくて。
でも私はしかめっ面。
「貰ったはいいけれども……」
手元にあるのは数枚の写真。
少し前に天狗が取材と号して、嫌がって弾幕を展開する私を勝手に撮っていったものだ、下心が見え見えだったが。
写真の中の私はうろ覚えの天井を必死で投げつけていた。
よく撮れて……いるんだろうか、普段写真というものを見ないから分からない。
取りあえず分かったことが一つある。
私は自分自身の姿を客観的に見ることが好きではない。
容姿がどうというわけではなく、単なる嫌悪感。
私は私をそんなに好きじゃないということだろう、大嫌いまではいかないけれど。
これ見てニヤニヤするほうがどうかしてるし、これで正しい反応だと思う。
さてどうするかな、これ。
捨ててもいいのだけれども 縁起が悪い気もしないでもない。
かと言って部屋に飾るのも小っ恥ずかしい。
紛れ込んだこの一枚に関してもそうだ。
一面に広がるハートの弾幕、いつものポーズをとる私の妹。
当然のことながら写真の中の妹からは何も聞こえてこない。
天狗の奴がわざと紛れ込ませたのではないことは分かっている。
偶然、そう偶然私の手元に渡ってしまったのだ。
本人に渡すべきなのだろうけども、滅多に帰ってこないからそれも出来ない。
勝手に飾っていいものなのかしら。
【おや、さとり様いらっしゃる】
後ろから私に向けて思念が届いた。
この心は……お燐か。
「どうしたのお燐」
私は背を向けたまま声をかけた。
「あ、どうもっすさとり様」
【……不意に声かけるのどうにかしてくれないかな、びっくりする】
「ごめんなさいね、癖なの」
「いやこちらこそすいません」
【読まれちまった、まぁしょうがないか】
「そのくらいの意識でいてもらえると助かるわね」
「はぁ、そうですか。いやま、それはいいとして報告なんですけども」
【あの馬鹿、まぁた火力調整とちりやがった。追加の死体が必要とかふざけんな】
「なるほど。では今日の作業は少し長引きそうということね?」
「伝わったようで何よりです。とにかくそういうことですんでお夕飯はちょっと遅めにしてほしいかなと」
【ホッケが食べたい、ホッケ。というか魚ならなんでもいい】
「分かりました。考えておきましょう」
「うっすよろしくお願いします」
【ホッケ♪ ホッケ♪】
耳をしきりに動かしながらお凛は私の部屋から出て行こうとした。
そこでまた、私の頭に声がするりと流れ込んだ。
【さとり様の持ってたのって何だったんだろう、プライベートだから聞いちゃだめかな】
……気を遣わせてしまったようだ。
ありがたくもあるけれど、ペットはペットらしく無邪気にじゃれついてほしいものだ。
「お燐」
「はい?」
【あれ? 何かやらかした?】
「写真ですよ、これ。見ますか?」
写真をひらひらさせながら見せると、お燐は驚いたような顔をした、実際に心は驚いていた。
何に驚いていたかというと写真それ自体ではなく、少し微笑ながら見せてきた私の表情らしい、失礼な。
ちょっと優しさを見せればこれなんだから。
写真を眺めるお燐はよく撮れてますね、とか隈が出来てるとか、好き勝手なことを言ったり思ったりした後部屋を出て行った。
バタン、と扉を閉める音が響く。
……やはり写真は恥ずかしいものだ。
…………
……
…
お燐が仕事に戻った後、少し眠ってしまったらしい。
時間を確認すると2時間経っていなかった、うたた寝程度といったところか。
突っ伏していた机を見ると、置いてあった写真が無い。
「こいし」
いつの間にか、隣に写真をまじまじと眺める妹の姿があった。
それこそ穴が開くほど、自分が写った一枚の紙を。
「こいし」
私は呼びかける、あなたは応えない。
自分を閉じてしまったあなたにあなたの姿はどう映るのだろうか。
そこにいるのがあなた自身だと理解出来るだろうか、してくれるだろうか。
窓からの風が入ってきて、私と、あなたの髪を揺らす。
あなたは何を想ったの?
応えてちょうだい、応えて。
「こいし」
ゆっくりと、妹は私の方を向いた。
瞳には私が映っているけれども、その奥にあるものは分からない。
「お姉ちゃん」
私を呼んで、妹は写真に目を戻した。
「これ」
「写真よ」
「お姉ちゃんがいる」
「あなたもいるわ」
「……」
満足したのか、それとも興味が無くなったのか、妹は写真を私に手渡した。
気に入ってくれたのかもしれない、もう飽きてしまったのかもしれない。
何か思うことがあったことは確かなようだ、飾っておくべきかな、やっぱり。
【素敵な、写真】
「そう? なら──」
──そこにはもう妹の姿は無かった。
ドアが半開きのまま、風のせいか軋んだ音を立てている。
私は一つ息を吐いて手元の写真を机にしまった。
ちりん、とどこかで風鈴が鳴った。
洋風のこの邸には到底似合わない音。
いつだったか、妹が持って帰ってきた蛙模様の風鈴の音。
紛れもない、夏の音。
***
ちりん。
頭上に蛙の風鈴、手元に団扇、足元には水を張った桶。
完璧だ、完璧すぎる。
これで涼しくならないわけがない、夏よ、ざまあみろ。
「ふはは、ふははははは」
はぁ。
試しに意味もなく一人で高笑いしてみたら思ったよりも虚しくなった、もうやらない。
もし今のを神に見られたらと思うとぞっとしない、絶対にネタにしてくる。
二人とも常に姿を顕現しているわけじゃないから私はこうしてたまにふざけることが出来るのだ。
日も徐々に傾きつつある、ここから見える夕暮れはきれいだからそれまでぼーっとしてよう。
「あ、天狗」
ちょくちょく空を飛び交う天狗が景色に混じることもある。
大抵は下っ端の皆さんが飽きもせずに警戒飛行をしているのが見える。
たまにうちに寄って休憩したりお茶飲んだりお参りしたり、いわゆる常連だ。
その時に河童なんかが訪ねてくると、そのままうちで将棋をさしていく。
ここは集会所か、と突っ込みを入れたくなるが彼らも立派なお得意様なのでそこは空気を読んで黙っておく。
たまに例外もある、例えば今日はいつぞやの傘っ娘が何かから逃げるように這々の体でうちまで飛んできた。
何があったのか聞いてもしきりに親父が、親父が、と呟くばかり。
要領を得ないばかりかずっと涙目だった、それでいいのか妖怪。
お茶を飲んだら気分も落ち着いたらしくいきなり私に向かって飛び掛ってきた。
思いっきりカウンターを食らわしておいた、右で。
『何故殴るの!?』
『襲いかかってきたから』
『驚かそうとしただけじゃん!』
『だから、少し驚いたので、つい手が出ちゃったんですよ』
『え? 驚いたの? ならいいやえへへ』
馬鹿だった、果てしなく馬鹿だった。
そのまま馬鹿は満足気に帰っていった、あの悪趣味な傘を片手に。
妖怪って適当でいいんだな、少し羨ましくもある。
私ももっと力抜いて、適当に、囚われずに、生きてみるのもいいのかもしれない。
神奈子様辺りに怒られるかな、その時はその時だけど。
でもここはそれさえも受け入れてくれる気がする。
なんてことを考えてたら周りはすっかり赤く染まっていた。
いい加減団扇を動かす腕も疲れてきたし、水も温くなってきた。
やっぱりここから見る夕暮れはきれいだ、引越しして初めてこの景色を見た時もそう思った。
あっちでも見れなかったわけじゃないけど、空気というか透明感が違う、夏特有の緑の匂いも濃い。
深呼吸して、気分一新。
さぁて、お夕飯作らなきゃ。
……そういや素麺しか残ってなかった。
***
結局、昼も夜もどっちも素麺だった。
文句を垂れたどこぞの毘沙門天の使いは哀れ、つゆ無し素麺を啜る羽目に。
私も言わなかったけれどもやっぱり連続はきついよ。
いっちゃんは余ってるとか何とか言ってたけど絶対面倒くさかったに違いない。
長い間涼しい地底にいたせいか我が友は暑さに耐性がないようだ。
いつもよりも緩い、全体的に、隙だらけ。
下手したら雲山さえ制御できなくなりそうな勢い。
当の雲山は昼過ぎに妙に消沈した顔で帰ってきた、何があったのかはよく分からない。
みんな、夏でどこか溶けちゃってるんだろう、きっと。
だから普段きちっとしてる我が友も、今は私の隣で無防備に寝てるんだ。
だから縁側から見る星も、いつもよりきれいに見えるんだ。
ああ、夏だな。
「ん……磯くさい」
……。
「そりゃー」
「おぶぁ」
多々良多良多良がスパッツとはなかなか。
夏と言えば入道雲と海ですなぁ
お燐が大変かわいらしくてよろしい。
ところで小傘ちゃんはスパッツ直穿きということなのか……!!
なんかこー、せーしゅん?(謎)な感じがしたりしなかったり
小傘は相変わらず、文も相変わらず、さとりだって相変わらず、こいしなんか相変わら……ぅ、うおぉ;
そして早苗さんが相変わらずで、命蓮寺は今日も相変わらずでした、とね