ここは、どこなのだろう。
気付けば、私は深い深い霧の中を歩いていた。
霧は驚くほど濃く、右も左も前も白く塗りつぶされている。
それでも何故だろうか、今自分が進んでいる方向が確かに前であり、自分の進むべき方向なのだと、そう思える。
しばらく歩くと、霧の向こうから水の流れる音が聞こえてきた。
音の元まで歩を進めてみれば、それは川だった。
川の前で足を止め、霧で見えない対岸を見つめながら私はひとりごちる。
「困り、ましたね。なんとなくとは言え、こちらで道は正しいと思ったのですが」
はてどうしたものか、引き返そうか、などと考えていると、右手側から声が来た。
「おや、お客さんかい? 大丈夫、この道はここで終点さ。あってるよ」
視線を声がした方向に向けるけれども、やはり霧が濃く、声の主は見つけられない。
からり、からりと規則的な音だけが、こちらに近づいてくる。
「えっと、どちら様でしょうか? そもそも、ここはどこなのでしょう?」
見えずともそちらにいるのだと信じ、声を投げる。
「おや、気づいてなかったのかい?」
言葉と同時に、霧に人影が浮かんだ。
「ここは三途の川。あたいは船頭。あんたは、死んだのさ」
ちゃぷり、ちゃぷりと音をさせ、船が川を進む。
赤い髪を後ろで二つに括った船頭は船の先頭でその役目を全うし、私は船の中間辺りに腰を下ろし、彼女を見ている。
まあ、川を見ても霧が濃くて退屈なので、彼女以外に視線の置き場がないだけなのだけれども。
そんな私の視線に気づいたのか、彼女はこちらに視線をよこす。
「ん? ああ、自己紹介がまだだったね、あたいの名前は――」
「小野塚小町。三途の川の船頭で死神。上司は四季映姫ヤマザナドゥ。趣味は昼寝で休憩と称してよく仕事をサボり、上司に叱られている。ですか。私がこうして運んでもらっているのは、運が良かったのかもしれませんね」
私の挨拶代わりの言葉に、彼女の顔に驚きの色が広がる。
「なんで……そっか、あんた覚りか。いや、これは珍しいお客さんだ」
そう言って、笑顔を浮かべて見せた。
珍しい客が乗ってきて嬉しいといったふうだ。
こちらの素性を知って、こういう顔を出来る者は少ない、というか殆どいない。
大半の者は怯えて逃げ、もう大半は作り笑いを浮かべながら心の中で「うわ、最悪」などと思いつつその場を去ろうとする。
だからこの死神のこの表情は、少し新鮮だった。
だからだろうか。少し話がしてみたくなった。
「それにしても、驚きました」
「ん? 何がだい?」
「いえ、まさか自分が死んでいるとは思わなかったものですから」
「はは、寿命で死んだ奴にはよくあることさ」
「あ、いえ、その、そうではなくて、こうして普通に喋れているので。ほら、御阿礼の子の書物では、死人に口無しと……」
「ああ、そういう事かい」
言って、死神はけらけらと笑う。
「何か、変な事を言いましたか?」
「いやだってさ、あんた、人じゃないだろう?」
「ああ、なるほど」
「分かったかい? そ、あれはあくまで御阿礼の子が人間のために書き記した書物さ。どこまでも人間視点で、人外はその限りじゃないよ」
だからね、と死神は続ける。
「人外のお客さんは大歓迎さ。なんせ人間の魂は本当に死人に口無しで、こっちが一方的に喋り続けることしかできないからねぇ」
本当に楽しそうに喋るその姿を見て、私の顔も少しほころぶ。
「おや、いい顔するね。覚り妖怪っていうと結構暗くて陰険なイメージがあったけど、思い込みだったかな?」
そこまで言って、ん? と首をかしげる。
「あれ、でも……さっき普通に会話してたね? 覚りなんだろう? 『何か変な事を言いましたか?』は変じゃないかい?」
言葉に頷きで返し、
「ええ、まあ、確かに心は見えていたのですが……折角人とお話できる機会ですし、どうせなら会話を楽しもうかと思いまして」
「ふうん……いや、本当イメージとは真逆だ。もっとこう、相手の心を読んでこちらには何も言わせずまくし立てるようなのを想像していたんだけどねぇ」
「ふふ、どちらかと言うと先ほどからまくし立てているのは、貴女のように思えますが」
死神は目を丸くして、自らの額をぺちんとその手のひらで叩いて、
「いや、こりゃまいった。確かにその通りだ」
空を仰いで、大仰に笑った。
面白い人だな、と思う。
心の内でもこちらに怯える様子も煙たがる様子も無い。
単純に、覚りという妖怪の恐ろしさに気づいていないだけなのかもしれないが。
まあそれならそれで構わない。どうせ最後の話し相手なのだ。
さっき自分で言ったように、折角の機会だ、楽しもう。そう思った。
「それじゃあ、今度はあんたの番だ」
「え?」
「あんたの生きた生涯、聞かせてくれないかい?」
「ああ。ええ、構いませんよ。えっと、それでは、何から話しましょうか?」
死神は少し悩む素振りを見せて、
「そうだね、じゃあ、最初から直球でいこう。人生は、楽しかったかい? それとも、辛かったかい?」
本当にど真ん中の直球が来て、今度はこちらが悩む番となった。
さてどうだったろうかと、記憶を掘り起こす。
頭の中でそれらを咀嚼し、一つの言葉にして表してみる。
「無色、でしょうか」
「無色?」
意味が分からない、と死神が疑問の表情を返す。
「ええ。楽しくも、辛くもありませんでした。ただただ、無味無臭の毎日を過ごしてばかりでしたから」
「へえ、それはまた、ずいぶんと達観した生き方をしていたんだねぇ」
私は苦笑を返し、
「そういう生き方を、せざるを得なかったんですよ」
「なんだ、訳ありかい?」
その言葉からも、心の内からも、この死神がやはり覚りという妖怪がどんなものか良く分かっていないのが分かる。
まあ、きっと覚りで最初に死んだのは私だろうから、この死神が覚りに初めて出会ったのだとしても不思議はないのだけれど。
「えっと、そうですね。小町さん、まず、貴女は覚りという妖怪をどの程度知っていますか?」
「その言葉に意味があるのかい? なんて言うのは失礼か。こちらにあわせてくれてるんだものね」
すまん、と思いながら苦笑いをこちらに向ける。
私も気にしてませんよ、と軽い笑顔で返す。
「まあ、そうだね。心を読める妖怪、って事は知ってるよ」
「では、どうして覚りが様々な妖怪、人間に恐れられるかは、ご存知ですか?」
「それは……」
顎に手を当てて、悩み始める。
数秒ほど考えてから、首を横に振った。
「いや、わかんないね。便利じゃないか。実際あたいは別にあんたの事嫌いじゃないよ」
「ふふ、嬉しい事を言ってくれますね」
けれども、これから告げる事実の後でも、同じ言葉を紡げるだろうか。
「実はもう一つ、心を読むのと似ているのですが、それ以上に醜悪で、意地の悪い能力があるのですよ。まあ、それは後に残しておきましょうか」
言って、一息吐く。
「心を読める能力を、貴女はどう思います?」
「さっきも言ったけれど、便利じゃないか。相手の気持ちが丸分かりなんだろう? 相手の望むものを与えられ、相手の望むとおりに振舞える。最高のコミュニケーション能力だと思うけどね」
「最高のコミュニケーション能力、ですか」
ふと、霧に包まれた空を見る。
だったら、よかったのですけどね。
視線を死神に戻し、言葉を続ける。
「それでは、コミュニケーションとはなんですか?」
「んー、会話を基本とした、人と人との繋がりあいじゃないかね」
「まあ、そんなところでしょうね。では、会話とはなんでしょう?」
「なんか、問答みたいになってきたね」
苦笑を浮かべ、
「互いの思いを伝えるもの、じゃないかい? ほら、心のキャッチボールってよく言うだろ?」
思っていたとおりの答えが来た。だから用意しておいた言葉を返す。
「では、互いに思った事を思ったままに口にする。これは会話と言えますか?」
「言えない、んじゃないかね。それはもうキャッチボールじゃない。言葉の弾幕ごっこだ」
言った後、死神がはっと顔を上げる。
「そういうこと、なのかい? つまり、覚りにとっては常に相手は全力投球だと?」
言葉に私は少し満足して、
「三割ほど、正解でしょうか。七割間違いですけれど」
「もったいつけるね」
死神が苦笑する。
だから私も笑って返した。
「それだけだと、私が恐れられる理由になりませんよ。むしろ私が被害者のように聞こえませんか?」
「ああ、言われてみれば」
納得、といった表情。
「三割の正解部分は、キャッチボールじゃないという点です。つまりは、互いが対等でないという事ですね」
「ふむふむ」
「先ほどの例で言いますと、相手は常に全力投球をしなくてはいけないんです。逆にこちらは遅い球でも、速い球でも、変化する球でも投げられます」
「なるほど。つまり」
「ええ。コミュニケーションにおいて、優位すぎるんです。相手の本心は筒抜け、こちらの本心は相手には直に伝わらず、相手はこちらの言葉や表情からそれを想像するしかない。そして私は相手の心を読み、その言葉も表情も自由に振舞える」
さて、と一拍置いて、
「そんな相手を、貴女は信用できますか?」
「難しい……かな」
正直な人だ。そしていい人だな、とも思う。
こちらを気遣っても、それがかえってこちらを傷つけかねないという事を分かっている。
悩むような顔をしていたその口が開かれ、
「でも、それは利害関係でのコミュニケーションの話だし、優位の差があっても心からあんたと一緒に居たいと思う人だっていたはずだ。そういった人の全力投球なら、問題ないんじゃないかい?」
いいところをついてくる。
だから私はもう一つ、残しておいた話を引っ張り出す。
「そこでさっき言った、もう一つの能力が出てきます」
「ああ、なんなんだいそれは? 心を読む以外に能力があるなんて初耳だよあたいは」
「まあ、正確には心を読む能力の延長、でしょうか」
それは。
「相手の過去、さらに言えば
おまけで、催眠術を用いてそのトラウマをある程度は再現出来ることも説明しておく。
「……なるほどね」
「心を読むのとは違い、こちらは相手の深層心理を覗く必要があるため見ようと思わなければ見る事は出来ませんが、そんな事は関係ないでしょう。自分の汚辱に塗れた過去が、いつの日かの悪夢が、誰にも知られたくない歴史が、見られている『かもしれない』。それだけで十二分に恐ろしかったようです。実際、私に出合った殆どの方がそう思っていましたしね」
自分を見る人々の目と心を思い出し、自然と重い空気が口からこぼれた。
「この二つで、大体十分です。九割九分、私は恐れられ、人も妖怪も私を嫌います」
下を向いてうつむいた死神は、しかし心の中で何か言葉を探していた。
そして、見つけた。
「一分は? 九割九分がだめでも、残りの一分はいたんだろう?」
「ええ」
頷きと共に両の瞳を瞑り、生涯の中で数名だけいた、自分に良くしてくれた人達を思い出す。
想い出は、数えるほどしか浮かんでこなかった。
何故ならば。
「その一分の方々からは、私の方から離れました」
「……どうして? 何が、駄目だったんだい?」
瞳を開けば、気遣うような顔がこちらに向けられていた。
その顔が、過去のあの人達と被って見えた。
「何も、悪い事なんてありませんでしたよ。皆さん、本当にいい人でした。トラウマを持ちつつも、それを覗かれても構わないと私と友達になろうとしてくれた方もいました。一人の私を、養って育ててやると言って下さった方もいました」
「なら!」
どうして、とは言わせなかった。
「十割の内の、一分なんですよ」
「……え?」
一瞬、意味が分からないといった顔を返す。
だから私は続ける。
「そこそこ長く生きてみて分かった事ですが、そういうもの、みたいです。少は多から排斥される。まして、多の嫌うものを好く少がどうなるかは、なんとなく想像つきませんか?」
再び死神は視線を下にそらし、その瞳に哀しい色を宿す。
それを見た私は、逆に自分の頬に柔らかい笑みが浮かぶのを感じる。
こういった死神に送ってもらえるなら、私を含め、死者は幸福でしょうね。
「私と友達になろうとしてくれた子は、私以外の友人全てを失いかけ、その家族までも迫害に近いものを受けました。養ってやると言ってくださった高年の方は、近隣住民からの醜悪な視線、行為に晒される事となりました」
瞳を瞑り、続ける。
「能力が能力ですしね。人の心が読める奴に取り入って、何をする気だ、と。そう思う方が多かったようです。実際、私に近づいてくる方の中には、そんな方も何人もいましたし」
ふう、と一息ついて、
「自分で言うのもなんですが、私は少し、強すぎました」
「強すぎた?」
疑問の表情を浮かべる死神。
「ええ。生まれたときから一人で、そしてこれまでに述べたような日々を過ごして、心が、強くなりすぎました。そういった日々に、慣れてしまったんです」
「それは……」
「私がもう少し弱ければ、その一分の方へ迷惑が掛かると分かっていても、そちらに甘える事もできたのでしょうけど」
実際は、そうはならなかった。
「そんな訳で、他者の心を見るのにも疲れたり、排斥されたりと色々ありまして。人知れぬ場所で、一人無色な生涯を過ごす事になったわけです。妖怪としての本分を全うするぶんには、私の姿を見ただけで人は恐れて逃げ出しますしね。時折人里近くをうろつけばそれで十分でした。この世を恨むとかも、ありませんでした。確かに心が醜い人も多いですが、先の一分の方々のように優しい方々もいると知っていましたし、それに、私を敵視する方も、自分の家族や友人には、この上なく優しいんです。だからまあ、この世は最低なものでもなく、かといって素晴らしいものでもなく、良く分からないものだと思ったら、何か色々と受け入れられるようになりまして」
自らの歴史と想いと言葉を吐き出すと、どっと疲れがやって来た。
なので行儀が悪いとは思いつつも、背を倒し、船の上で横になった。
足の向こうから、何かを堪えるような声が投げられた。
「悲しいとも、思わなかったのかい?」
言葉に、私は思考をめぐらせる。
「悲しい、ですか……どうなんでしょうね。多分、無かったと思います。少なくとも、心がそう感じない程度には、強かったです」
それは強いと言えるのだろうか、という疑問が一瞬浮かんだが、生涯を閉じた今となってはどうでもいいことだと、すぐにかき消した。
満足は無いけれども、後悔も無い人生だった。それでいいではないか。
そうして死神も私も語る言葉が無くなって、死神の心をちらりと覗き見つつさてこの空気をどうしたものでしょうかと考えていると、突然船が止まった。
どうにも丁度いいタイミングで岸についたらしい。
タイミングを考えると生涯を話し終わったから岸に着いたのではと思ったけれど、死神の心を読む限りそういうものではないみたいだ。
「……着いたよ。このまままっすぐ行けば、係りの者がいる。あとはその指示に従っていけば、閻魔様とのご対面だ」
「そうですか、ありがとう。最後に貴女とお話が出来て、楽しかったです」
軽い笑顔でそう言って起き上がると、真逆の、重く辛そうな顔がこちらを迎えた。
私は小さく息を吐いた後、その瞳をじっと見つめ、彼女に催眠術をかけた。
彼女の記憶を探り、言葉を紡ぐ。
「貴女は、少し優しすぎる。仕事に私情を持ち込みすぎる。心を強く持ちなさい。人の過去に共感しすぎないようにしなさい。でなければ、心が磨り減ってしまう」
気の利いたことでも言えればなと思ったのだけれども、あまり人と関らず無色に生きてきた私だ。別段大したことも言えなかった。
何にせよ、この優しい死神が、その優しさ故に潰れてしまう事が無ければと思う。
催眠術そのままに彼女を寝かせて、私は船を下りた。
誰かに居眠りが見つかり上司に怒られるかもしれないが、まあいつもの事のようだし大丈夫だろう。
岸辺から数歩歩いて、船を振り返る。
何かを言おうと思ったが、やめておいた。
前に向き直り、歩みを再開した。
――――――――――――――――――――――――――――――
「以上で、十王裁判を終わります」
言葉と共に、多数の閻魔様達が法廷を出て行く。
最後に残ったのは、あの死神の上司、幻想郷の閻魔様こと四季映姫・ヤマザナドゥと、私だけだった。
「一生涯と、今回の法廷、お疲れ様でした。それとどうやら、川では小町がお世話になったみたいですね」
ありがとう、と頭を下げてくる。
いえいえそんな、と言いつつ思う。
この礼儀正しさと自らの正義に準じる心の内、なるほど流石は閻魔様ですね。
閻魔様は顔を上げると、それまでよりは幾分軽い口調で、
「ところで、転生に関して何か希望はありますか?」
「希望、ですか?」
オウム返しに聞き返す。
「ええ。ある程度、聞ける限りは聞こうかと思います。覚りという、誰からも嫌われる生涯を勤め終えましたからね。来世では覚りは嫌だと言うのなら、それも十分に叶えられる範疇ですよ」
言葉に、先ほどまで死神としていた会話を思い出す。
悲しくは、無かった。
寂しくも、無かった。
そのはずだった。
あの死神が悪いのだ。
無色で人生を終えることが出来たはずだったのに。
こちらの生涯を聞いたときの、あの何かを堪えるような顔が思い浮かぶ。
十割の内の、一分。
最後の最後にそれに出会ってしまったのは、運がいいのか悪いのか。
一息をついて、閻魔様の顔を見つめる。
「私がもう一度覚りに転生する事も可能なのですか?」
すると閻魔様は驚いた顔で、
「おや、まさかそんな返事がくるとは思っていませんでした。が、もちろん可能です。貴女の体と魂を用いて、新しい覚りに再構築します」
「私が覚りになりたくないとしたら、どうなりますか?」
「貴女の魂と体は貴女の転生に使われますから、転生待ちの内の誰かが新しい覚りとして生まれることとなります」
それを聞いて、安心した。
再び、閻魔様に願いを投げる。
「一つ、無茶なお願いをしてもいいでしょうか」
「私に出来る限りでしたら」
閻魔の貫禄をもって、頷いてくれた。
「私の体と魂を、二つに分ける事は出来ませんか?」
「ふむ……すみません。仰る意味が、いまいちよく理解出来ないのですが」
「つまり、私の左目を中心とする左半身を使って、一人の覚りを。右目を中心とする右半身を使って、もう一人の覚りを作る。そんな事は、出来ませんか?」
ふむ、と閻魔様が考え込む。
「難しい、ですね。一人分の肉体と魂は、所詮一人分のものでしかありません。それを二つに分けると言うのは……」
「覚りを二人に増やすだけでも無理でしょうか? 私の左目と右目、それぞれを、私とは別の肉体で構成された一人ずつに与えると言うのは」
「それは、不可能ではありませんが……」
悩むように、目を閉じる。
「何か問題が?」
「貴女の肉体を、他の者を構成していた肉体に埋め込むのです。そう簡単に馴染みはしない。それを馴染ませるには、貴女の肉体と魂それぞれを二つに分け、その二人に用いる必要があります」
「でしたら、是非」
「いいのですか? それは即ち、貴女の魂と肉体は、他人に部品として使われるという事です。当然、新たな覚りは貴女たりえない。それは転生ではなく、貴女は輪廻の輪から外れ、生まれ変わる事も出来ないという事なのですよ?」
強い視線が、こちらを射抜く。
力強く、頷けたと思う。
しばらく私の視線と閻魔様の視線が空中でぶつかり合っていたけれども、数秒して、根負けしたように閻魔様が肩を落とした。
「分かりました。そのようにしましょう」
「ありがとうございます」
そう言って、先ほどの閻魔様に負けないようお辞儀をした。
「全く……貴女は少し、心が強すぎる」
苦笑と共にそんな言葉を残して、法廷を後にした。
私だけが、残された。
これでよかったと思う。
転生できないというのは少し残念な気もするけれど、よくよく考えれば前世の記憶なんて覚えていないのだ、出来ても出来なくてもきっと大差はないだろう。
最後の閻魔様の言葉。
貴女は少し、心が強すぎる。
分かっている。だから、こんな生涯を送ってしまった。一人で大丈夫になってしまった。
孤独に耐えられてしまった。寂しさも悲しさも一人で受け入れられてしまった。
そんなのは悲しすぎる。
そう思ったのはもちろん私ではなく、あの死神だった。
私が覚りにならなければ、当然誰かが覚りになり、私と同じように生きて、同じように死ぬのだろう。
そして私が転生した来世の私は、それを見てどう思うのだろうか。来世の覚りを送るとき、あの死神は。
だからこうした。
私ではない次の覚りは、心が強くなどならないように。強くなりすぎないように。
私は最初から一人だった。だから強くなりすぎた。
だから。
一人じゃどこか欠けてるように。
一人でなど生きてかないように。
今度生まれる覚り達は、キャッチボールが出来るといいなと思う。
二人覚りがいれば、それも可能なはずだ。たった二人ではあるけれども、コミュニケーションの最上位同士、唯一対等な立場であるはずなのだから。
さて、少し眠くなってきた。
近くの椅子に腰を下ろし、目を閉じる。
無色な人生ではあったけれども。
最後に、少しは色を付けられたでしょうか。
――――――――――――――――――――――――――――――
跳ねるようにして、ベッドから飛び起きた。
ベッドの背に自らの背中を預け、速く脈打つ心臓に手をやる。
何か、遠い昔の夢を見ていた気がした。
しかし不思議な事に、その夢の内容は全く思い出せない。
しばらく両の目を閉じて夢を思い出そうと努力していると、暗闇の奥から、ギィ、という音がした。
閉じた両目はそのまま、もう一つの瞳をそちらに向ければ、私と同じ瞳を持った妹がそこにいた。
部屋のドアからこちらを覗く妹に対し、声をかける。
「あら、こいし。こんな夜中にどうしたの?」
言葉に、妹の瞳もこちらの姿を捉らえる。
「あ、お姉ちゃん、起きてたんだ」
「ええ、少し変な夢を見てしまって」
「へえ、どんな夢?」
「それが、思い出せないのよ。それどころか、自分の夢じゃなかったようにも思えてきて」
「うわ、凄い偶然、私もそんな夢見たよ」
「本当?」
「うん。そしたらなんか、急にお姉ちゃんに会いたくなっちゃって」
「そう」
なんとなく、その言葉が嬉しかった。
「それじゃあ、今日は久しぶりに一緒に寝ましょうか?」
「あはは、いつまでたっても妹離れできないなぁ、お姉ちゃんは」
「はいはい、そういう事にしておいてあげるわ。いらっしゃい」
言って、シーツの裾を持ち上げる。
わーい、と妹が飛び込んできた。
私もシーツに包まり再び眠ろうとすると、妹が手を絡めてきた。
「ねえお姉ちゃん」
「なあに、こいし」
「私達、ずっと一緒だよね?」
胸が、小さく跳ねた。
「当然でしょう。姉妹なんですもの」
わずかに熱を持った頬を隠すよう、浅く笑ってそう言うと、
「うんっ」
返ってきたのは、とても嬉しそうな声とくすぐったい心。
妹離れ、か。
確かに、出来そうにないわね。
頬に柔らかな笑みが浮かぶのを自覚しつつ、そっと目を閉じた。
手の中の温かさが、心地よかった。
とても面白かったです。
オリキャラがオリキャラに感じられないくらい溶け込んでた気がします。
次回作も期待します。
前世の願い叶わずまた覚りが一人になってしまったのは悲しいですね……
覚りは一人になったけど一人で生きいくわけじゃないので
結果として願いは叶ったんですかね。
本当に憧れはしないし、そもそもそんな強さ持てねえよ。
彼女が望んだ不完全さは、彼女を継ぐ姉妹にいったい何をもたらしたのでしょうか。
彼の心の「強さ」故の「弱さ」。そこまでして強くなってしまい、だけれどそうせざるを得なかった彼に強く胸を打たれました。
また最後のシーンの2人にも感動しました・・・1人になってしまった覚、それでもまたいつの日か2人が覚になれる日を夢見て・・・。
素晴らしい作品をありがとうございます。
実によく練り込まれていると感じられました。
さりげなく、古明地姉妹と彼岸との縁を匂わせる話の運びもいいですね。
ただ、前置きにあたる部分が小町との会話だけで描かれちゃってるから、
ちょっと味付けが薄い印象を受けます。
主人公が決断に至るまでの苦悩や葛藤をもちっと書き込んでくれると嬉しかったかも。
なんというか話がうまくて、公式設定でもおかしくない!
まったく、お見事です。