今日は久々に幻想郷の様子を見に行くとおっしゃっていたのに、言った本人の紫様がまだ起きてこない。
仕方がないので私が起こしに行かなければ……やれやれ。
私は紫様のお屋敷に入ると、まっすぐに主の寝室へと向かった。
「紫様ー、入りますよー」
そういって私は主の寝室の障子戸を開いた。
我が主は畳の上に敷かれた「黴の生えない不思議な布団」の上で、一年間の大体の時間をずっと睡眠にあてている。
(きっと、何時ものようにまだ冬眠中なのだろう)
と、思った私の目の前に紫様が突っ立っていた。無言で、感情の無い瞳が私を睨めつける。
障子戸の向こうで、寝間着のままの紫様が棒立ち……私は彼女の身に何が起きているのか全く理解出来なかった。
「あの……紫様?今日はこれから幻想郷の視察にいくとおっしゃっていたのに……なんでここで突っ立っているんですか?」
「見てわからないかしら、藍」
主の言葉に私は首を傾げる。
我が主はちゃんと起きていたのに、この部屋の敷居を跨ぐ事なく障子戸の前で立ち尽くしていた……
その行動の理由は、私には全く想像もつかなかった。
「紫様、私には分かりません」
正直にそういうと、紫様は大きな溜息をついて顔を伏し、右手で顔面を抑え失望を表現した。
そして少し怒気を孕んだ瞳を私に再度向けると、こう言った。
「寝癖のせいで部屋から出られないのよ」
ブーッ。私は思わず吹き出した。
「ね、寝癖が恥ずかしくて出られないんですか?八雲紫ともあろう御方が……」
私は主に対する失望と愛情を持ってそういった。
この幻想郷を管理する、そして私という九尾すら式神とする大妖が、まさか寝癖が恥ずかしくて外に出られないとは……
しかし、私の無礼な噴出しに抗議もせずに、紫様は私の勘違いを指摘した。
「違うわよ。まぁ、確かに恥ずかしいのもあるけど……そうじゃなくて、なんというか、物理的に出られないのよ」
「はぁ?」
私は思わず素っ頓狂な声をあげた。一体、この御方は何を言っているのか?物理的に出られない??
しかし、私がふと視線を紫様の頭上に移すと、その答えは私の目の前に広がっていた。
――それは、まるで釈迦仏尊の背負う後光であった。
紫様の足元まで伸ばした長い長い金の髪は、長年の塩漬け冬眠状態による異次元の寝癖によって、強く、しなやかに、そして何より生活動作の邪魔になるほど巨大に成長していた。
重力を物ともせず毛根に対して直角に伸びて、まるで怒ったハリネズミのようになった紫様の髪の毛は、確かに障子戸をくぐり抜ける事を物理的に困難にしていた。その髪の毛の直径は優に3mを超える。
「巨大な金色(こんじき)のウニ」――それが私の抱いた第一印象であった。
「……いやいや、まさか。寝癖って、こうまでなるものなんですか?」
「私だって驚いたわよ。まず、目が覚めたら髪の毛が枕を突き破ってたんですもの」
なるほど、確かに紫様の背後に見える布団と枕は、無残にもズタズタに引き裂かれている。(あれも、私が苦労して手に入れたものなのだが……)
しかし、私にも紫様を外へお連れして幻想郷の管理をしてもらう義務がある。なんとかしてこの部屋から出てもらわねば。
「紫様、スキマを使って外に出られてはいかがですか?」
「出来るならやってるわよ。スキマっていうのは小さいモノが滑り込めるからスキマなのよ。障子戸も通れないのにスキマを通れる訳は無いじゃない」
「うぬぬ……」
こうなったら仕方がない。どうせ、直すのも私ならば壊すのも私になろう。
「紫様、お下がりください」
私はそういうと右手を横に薙ぐように振るった。哀れな障子戸は跡形もなく吹っ飛んで、ちょうど紫様と寝癖が一緒に通れるくらいの空間が出来た。
「ちょ、人の家を……何してくれるのよ!」
「私が後で直しておきますから。さぁ、紫様!早く外に出る為に着替えてください」
私はそういって紫様の部屋の箪笥へと向かい、お出かけ用の服(威厳があるように見せるデザインのもの)をコーディネートして紫様に差し出す。
しかし、紫様は頭の上に金色のウニを乗っけたままに、不満そうにそれを拒否した。
「藍、障子戸を通れない頭なのに、どうやって着替えろというのよ?首も袖もこの寝癖が通る訳ないじゃない」
「うぬぬ……」
確かにそうである。私はまたもや障害に直面した。――しかし、私はやり遂げなければならない。それが紫様から幻想郷の管理者代行、そして目覚まし時計の役を仰せつかっている私の義務だ!
目の前の巨大ゴールデンシーアーチンとにらめっこしながら、しかしすぐに私はまたもや同じ解決法に考えが至った。
「紫様、失礼します」
私の両腕が疾風の如く早さで紫様の寝間着を引き裂いた。唖然とする紫様を尻目に、私はコーディネートした服を一旦細切れに引き裂いてから、ジグソーパズルのように紫様の身体に充てていった。この間、1秒――
そして続いて目にも留まらぬ早さで自前の刺繍針を走らせた私の動きは、まさに神速であった。紫様の服は一旦バラバラになったとは思えない程、彼女の身体に纏われた形で完璧に再現された。この間、2秒――
かくして、私の目の前には一瞬にして(幻想郷の管理者としての威厳に満ち溢れた)八雲紫と金色巨大ウニのセットが完成したのだ。私はそれを見て満足気に腕を組んだ。
「さぁ!これでお出かけ出来ますね!幻想郷の様子を観に行きましょう!」
「ちょっと待って、ちょっと待って」
紫様はゆっくりと二回繰り返して私を止めた。これ以上、何か外に出られない理由なんてあるのだろうか?私は多少不機嫌になりながらも聞き返した。
「なんです?紫様。急ぎましょう、時間がないのです」
「まぁ、貴方のぶっ飛んだ行動の大体には目を瞑ってあげるわ……。でも、もう、正直に言うわ。実は物理的に外に出られないんじゃなくて、精神的に外に出られないだけなのよ。つまり恥ずかしいから外に出たくないだけ。スキマとか使って、普通に部屋出れたし」
「ええ!?ここまでの私の苦労は一体……そうならそうと早く言ってください!障子戸も寝間着も無駄に壊しちゃったじゃないですか!」
「まさか、いきなり家や服を破壊されるとは思わないわよ、普通」
それにしても参った。まさか、やはり紫様は寝癖が恥ずかしくて外に出られなかったなんて……
そんな私の心の中を察したように、紫様が語る。
「そりゃ、ちょっとやそっとの寝癖くらいじゃ私も気にしないわよ。というか普通に直せば良い話だし……。でもね、これは寝癖というよりは一つの妖怪よ」
「妖怪……ですか?」
紫様の神妙な面持ちに、私も固唾を飲んで話に聞き入った。
頭の上のウニをゆさゆさと揺らしながら、紫様は続けた。
「そう、八雲紫という妖怪の中に、いや上に生まれた一つの妖怪よ。今、生き物の中で最も硬い部位を持つものは?と問われたならば、それは天人の身体でもなく、龍神様の鱗でもなく、八雲紫の髪の毛という答えになるわ。それほどまでにコイツは強力よ」
「ま、まさか。紫様の力を以てしてでも、直せないというのですか……!?」
私は信じられないという表情で紫様に尋ねた。そして主は「試してみれば?」という表情で私に答えを返した。
「……!少々お待ちを」
私は踵を返すと廊下を全力で駆けた。そして洗面所から水をたっぷり汲んだ桶を持ってくると、紫様の元へ帰ってきた。
「それでは、失礼します……!」
私は桶に入った水を用いて、紫様の寝癖を直そうとした。
この私も式神として紫様に仕えて数百年。主の身だしなみを整えるのも、大事な役目の一つであった。
昔は人間の帝との形式的謁見の為に時代に則した豪奢な衣装を紫様に着せたりしたものだが、寝癖を直すのだって大事な仕事の一つだ。そして、私に直せなかった寝癖など今まで、ない。
しかし、私もこれほどまでにウニ然としている寝癖を見るのは初めてである。この髪の毛一本一本は、まるで自分たちが一個の生命体として「直されはしまい」と強固な意思を持っているようにすら見える。
私はゴクリと喉をならして、紫様の髪の毛に朱塗りの櫛を通した。それは今までの数百年間、共に紫様の寝癖を直してきた相棒とも言うべき櫛だ。
「……!?固いッ」
ペキッ。私の愛用の櫛が歯を折る。
私は相棒の散り際を悲しむよりも、この寝癖に対する戦慄に身を凍らせた。
「なるほど。これは厄介。確かに一朝一夕では直せる寝癖ではありません」
「でしょ?こんな姿のままで幻想郷なんかにいったら、私の管理者としての威厳が地に落ちるわよ。だから、今日はもう行かないわ」
私は紫様の言葉に同意をせざるを得なかった。私も主が笑い者にされるのを黙って見ている事は出来ない。
しかし、私も簡単に寝癖に負ける訳には行かない。このまま紫様が幻想郷に降りる事が出来ないなどという事は、絶対に避けなければならない。
「分かりました、紫様……。今日の所はゆっくりと休養されてください……。しかし!必ずや私が、その寝癖を打ち倒す方法を編み出して参ります。それまで、それまでご辛抱を……!」
「仕方が無いわ、こうなったら貴方に任せるしかないわね。期待しているわ、我が式神よ」
私は悔しさに顔を歪ませながら、それを悟られないように紫様に頭を下げると直ぐに踵を返して屋敷を出た。
それから、私は自分の書斎に閉じこもって研究に励んだ。
あの寝癖を倒す秘策。それを編み出すために……
◇ ◇ ◇
私は3日ぶりに紫様の部屋を訪れた。
そこには寝癖によって、月の光を浴びる事すら奪われた我が主が寝ていた。
「紫様、起きてください」
「うーん?あら、藍じゃない。久しぶりね」
「大して久しぶりでもないですよ。それよりも!ついに完成しましたよ!」
そういうと私は懐から一枚のアイテムを取り出した。
それこそが、私の陰陽術の全てを注ぎ込んで創り上げた究極の寝癖殺しである。
「なにそれ?でっかいドアノブカバー?」
「ナイトキャップですよ!」
私は端正込めて作った帽子を紫様に献上する。白い帽子に紅いリボン。そのデザインはシンプルかつ、紫様の妖としての深さを表現したつもりだ。
そして、私はその自慢の逸品の使用方法について説明を始めた。
「それは、被ると同時に寝癖立った髪の毛を全て元通りに戻してくれる優れものです。急いでいる朝などになかなか寝癖が直らない場合には使いましょう。でも帽子を取ると元通りになるので注意ですよ」
「いや、要らないわよ」
紫様は私の渾身の一品をポイと畳へと放り投げた。
「うわわわ!何をするんです!」
間一髪で地面に落ちる前に帽子をキャッチした私は、紫様に向かって抗議の声を上げる。
しかし、金色のウニ様……違った、紫様は軽蔑の眼差しで私を見下してこう宣告した。
「こんなドアノブカバーみたいな帽子を被ったまんま外に出て行ったら、この寝癖のまま外に出るのと一緒よ!一人でこんなのを被ってたら阿呆だと思われるわ!」
紫様は頭を横に振って否定の意思表示をする。その度に寝癖立った髪の毛の先端が天井をガリガリと削ってしまう。ああ、また修理する箇所が増えた……。
でも、それよりも今は自信作である帽子を使っていただく事の方が私にとっては重要である。私は紫様の説得を始めた。
「紫様!ほら、試しにコレ被ってみてください!!あんなに頑固だった寝癖が魔法のように元通りに!!」
「えっ、ちょ……うわ!本当に元に戻ったわ!……いや、でもやっぱりこんなの被って外に出られないわよ」
「それならば、私も似た様な帽子を被りますから!ほら、恥ずかしくないですよ!一緒、一緒、おそろいです」
「ちょっとあんた、それ御札貼ったりしてデザインを誤魔化してない?私のなんかドアノブカバーそのまんま過ぎるわよ!」
「ええい、ならば……!幻想郷の者どもが、みんなこの帽子を被っていれば、紫様も恥ずかしくないですよね!?」
「え、うん、まあ、そうだけど……」
私の熱意によって押し切られた紫様の言質を取ると、私は張り切って紫様の屋敷から飛び出した。きっと、紫様は呆然とした表情のままで私の作った帽子を被っているだろう。
それからの私の激闘の数週間は、ダイジェストでお送りする事にしよう。
成功もあれば失敗もある。そんな波乱万丈な帽子普及作戦だ。
Case1.吸血鬼の場合
「ええ、やはり吸血鬼という種族は流行の最先端をいかないと」
「そんなヘンテコな帽子が、本当にこれから流行るのかねぇ?」
「吸血鬼さん、騙されたと思って一旦被ってみてはいかがですか?」
「まぁ被るだけなら……。どう、咲夜?」
「はぁ、結構お似合いかと思います。(狐、本当にこれで寝癖が直るんでしょうね?)」
「え、咲夜は似合うと思う?うーん、じゃあ被ろうかなぁ……」
「ふむふむ、必要ならばタダであげましょう。(安心しろ、これでどんな寝癖もバッチリ直る。……お互い大変だな)」
「まぁ、お嬢様!親切な式神がタダでくれるそうですよ!折角だから、もらっておきましょう(恩に着るわ。毎夜直すのが大変なのよ……)」
「うん、なんか自分でも似合ってる気がしてきた。ありがたく、もらってやるよ」
Case2.鬼の場合
「萃香様、少々お時間を頂けますか?」
「お?紫のとこの狐じゃないか。一体どうしたんだ」
「はい、ただいま幻想郷で流行の兆しを見せている召し物をご紹介しようと思いまして」
「流行~?そんなもの私に紹介したって仕方がないんじゃん?」
「いえいえ、何しろ紫様も大変お気に召されて、是非ともご友人の萃香様にも薦めるようにと……」
「まぁ、それを見せてみなよ。後は自分で見て決めるさ」
「はい、こちらで御座います」
「おいおい、帽子じゃんか。鬼の私に帽子を被れっていうのも酷だねぇ。だって角が邪魔で被れないじゃないか」
「あっ……」
Case3.強い妖怪の場合
「いや~、お花が綺麗ですね~。幽香さん、そんな貴方に耳寄りな情報が」
「あら、いらっしゃい。セールスなら間に合ってるわよ」
「いえいえ、セールスではないのです。何故なら、タダでモノをあげちゃうのですから」
「タダより高いものはない、ってね」
「ところが、ここにその例外が!……どうです、この帽子?一見すると寝間着用の帽子のようですが、実は……」
「要らないわ」
「いや、そう言わずに……」
「要らないわ」
「うぐぐ……」
Case4.弱い妖怪の場合
「……帽子を被ってない妖怪はいないかぁ~」
「ああ、出た!最近噂になっている、強制的に帽子を被らせてくる謎の覆面妖怪だ~!逃げろ~」
「捕まえた~!夜雀、貴様ぁ!帽子を被っていないなぁ~!」
「いや、だって夜しか外に出ないのに帽子とかいらな……」
「この幻想郷では帽子を被る事が義務付けられているんだよ~!!それ!」
「うわー、私の頭に、まるでオーダーメイドで作られたようなサイズぴったりの帽子がぁ~」
「むむ!こそこそと逃げようとしている虫の妖怪を発見!!お前も帽子を被っていないなぁ……!」
「うわわ、捕まった~!ちょっと、私は帽子なんて被らなくても……」
「うるさい!被らせてやる~!」
「あだだ!待って、触覚があるから被れないんだって~」
「チッ……。お前は見逃してやろう……。いいか、他にも帽子を被っていない妖怪がいたら、被るように忠告しておいてやるんだな、ペッ!」
「ひぃ~、なんなんだ~、あの謎の帽子を被らせる覆面妖怪(九尾)は~!」
お分かり頂けただろうか?私のこうした涙ぐましい努力によって、紫様はあの帽子を被ってくださる事を了承し、再び幻想郷の監視も出来るようになったのです。
つまり、今の幻想郷があるのも私の帽子のおかげという訳ですね。えっへん。
発想がとても面白かったです
あなたのアイデアに脱帽です
そんな歴史があったんですね!
じゃあ私の大好きな帽子なしverのゆかりんは、実際には存在しないと、そういうことなのか。
ゆったりとした導師服を遊惰に着こなし、そのサラッサラの輝く柔らかな金の髪を綺麗に纏め上げたあのゆかりんは、あれは私の見間違いだとでも言うのか。
ああ憎い!あのZUN帽が憎い!あんなものただのドアノブカバーじゃあないか!
努力の勝利
変装すればまずばれませんって。
一見冷静だけど、障子を外す事に思い至らないほど取り乱してる藍かわいい。
いいか取るなよ! 絶対に取るんじゃないぞ!!
藍しゃまの涙ぐましい努力に涙を禁じ得ない……! 笑いしか出ないッ!!ww
ウニ頭で真面目に会話してるシーンなんて特にww
真面目に馬鹿やってる話は大好きです。
ちょっとオチが弱かった感じがありますが、まさかの急展開も面白かった。無駄に壮大だなあ。