場所は命蓮寺にある一室。
そこで星と美鈴は木製の盤を間に挟んで相対していた。
その盤の上には、同じように木でできた駒が何十と展開している。
二人は簡易ながらも奥深い戦略的な遊びにこうじているのだ。
戦況としては星が攻め、美鈴がそれを受けている。
これは毎度のことで二人の攻守の立場に大した意味はない。
星が攻め、美鈴が守るというお互いの戦術方針の違いが表出しているだけだ。
事実、戦績としてもおおむね五分五分といったところ。
これに関して星はお互いの出自や立場が影響を与えているとにらんでいた。
武神でもある毘沙門天様の代理である星に対し、美鈴は紅魔館の門番をしている。
攻めるだけが戦いとは言えないが、それでも武神の力は攻めの時にこそ真価を発揮するし、
そして門番はいわずもがな守りに徹する役職だ。
――この二つがお互いの戦術に真逆の価値を付加している、星はそのように考えていた。
「星、あなたに折り入ってお願いがあります」
「お願い……ですか?」
突然の声に星は美鈴の顔をまじまじと見る。
この状況での頼みというと、「待った」と呼ばれる政治的な駆け引きの可能性もあるが、
星はその可能性を即座に切り捨てた。そんなに良い手を打ったわけではないからだ。
また、美鈴が姑息な手段を好まないことは、これまでの戦歴の中ですでに把握している。
それでは何なのでしょうか、と疑問を持った星は、美鈴が言葉を続けるのを待つ。
「そう、お願いです……それも、星にしかできないものです」
美鈴の口から甘美な言葉が続けられた。
「私にしか……できない」
「ええ、星にしかできません」
星は美鈴の言葉を噛み締め、味わい尽すようにそれを繰り返し口にする。
それは美鈴の言葉が命蓮寺おいて星には、なかなか向けられない類のものだからだ。
逆の意味のものなら、部下でもあるはずのナズーリンからよく向けられている。
それゆえ星は嬉しさに尻尾とトラ耳を動かしながらも、少しばかり不安を持った。
果たして自分は、この大切な友人の期待にきちんと応えられるのかと。
「うちには私よりも頼りになるナズや聖達もいますが……」
だから星は苦味を堪えて、自分ではない頼れる身内の名前を口にした。
すると美鈴は真剣な面持ちで、身を乗り出してきた。
真剣ながらも赤らむその表情に、星は知らない内に身を引いていた。
「ナズちゃんはともかく、聖さん達ではちょっと無理なことです。
――そしてなにより私は星にお願いしたい、あなたがいいんです」
星は、ナズーリンはともかく聖達には無理のところに引っ掛かりを覚える。
しかし、それよりも後半の情熱的な言葉の方に意識の大部分が引かれてしまい、
星は小さな嬉しさと小さくない戸惑いを感じ、頬が熱を持つのがわかった。
以前に一輪から借りて読んだ、とある草子のことを思い出したのだ。
その内容は、主人公が親友だと思っていた相手に突然、告白されて……というもので、
加えて言うなら一輪の部屋にある草子の多くは似たような展開をたどっている。
今の星なら、その趣向の意味と理由を船長の鈍感さ加減に求めることができるが、
当時の星はよく飽きないものだと、そのことをナズーリンの前で口にしてしまい、
彼女の失笑とお勧めの草子を頂くことになった。内容は主従ものだった、しかも昼夜逆転。
それがナズーリンと今の仲になるきっかけになった。ただ逆転は夜だけではなかった。
「……お気持ちは嬉しいのですが、そのナズが……」
ごまかした語尾には、どんな思いを込めようとしたのか。それは星にしかわからない。
だから美鈴も執拗に誘いの声を続ける。星にはそれがとても背徳的なものに聞こえる。
「ナズちゃんからも許しをもらいます。ですから、どうかお願いします」
「……ここでナズから許可が出たら、私なんなのでしょうね。ついでにあの子も」
そう言いながら星は、あぁ、だからナズはともかくなのか、と変な納得をするとともに、
ナズなら冗談半分か何かで許してしまうのでは、と千年来の付き合いを疑ってしまう。
もちろん信用している。しかしそれでもナズーリンに底知れぬものもあると星は思うのだ。
それが何なのかは見当もつかないし、ただの思い違いで実際は何もないのかもしれない。
星はナズーリンを完全に理解できていないことに、もどかしさすら覚えている。
「星の立場や経緯を考えれば、不躾なこととは思います。でも、そこをなんとか」
「いえ躾の問題ではなく、もはや倫理の問題ですよね。この場合」
「倫理ですか……たしかにそうかもしれません。ですが本当に私は……」
「私だって美鈴のことは好きですよ。ですがそればかりは……」
「そうですか……すみません、いきなり変なことを言って」
相手に言わせたくなかったものを、星は自ら言うことでそれを押し留まらせた。
美鈴もまた、星の濁らせた語尾が持つ意味を察し、諦めをつけて軽く頭を下げた。
そして上げられた顔が照れ笑いをしている当たり、後腐れはしなさそうなことに安堵する。
すると美鈴の方から思い出したような声がした。
「それと星、私もあなたのこと好きですよ」
美鈴の顔からは赤色も消えており、その好意はただ嬉しいだけで動揺はしなかった。
そして二人は同時に盤上へと視線を移す。こちらは決着まで時間を要するはずなのだ。
ときおり乱れるものの、交互に木を打つ独特の音が畳敷きの部屋に響く。
戦況は美鈴の方に傾きつつあった。妙手が打たれたわけではない。
星が誤った攻めをしてしまい、美鈴の守りに絡め取られたのだ。
視線は盤上へ移したものの、意識と思考はいまだ盤外に向けられていた。
もしナズーリンと美鈴の言葉の前後が違っていれば、自分はどうしただろうと。
考えても答えのでない難題に取り憑かれた軍師が戦に勝てるわけもなく、
大した抵抗もなしに星の王は、美鈴の兵達に何重にも取り囲まれ逃げ場を失くしていた。
「少し休みましょうか、もう連続して結構な数を打ちましたし」
「あっ……はい、そうですね、少し休みましょうか」
精細さに欠ける星の采配を見た美鈴は休戦を申し込み、星もそれを受け付けた。
はじめた頃には青空の頂上にあった日も、気が付けば橙に染まり山の陰に隠れつつある。
その橙色を背景にして飛ぶカラスの黒羽を眺める星に、美鈴はおもむろに声をかける。
「すみません、私が余計なことを言ったばかりに」
「美鈴のせいではありません。私の切り替えが遅いだけです」
「そうは言っても、やはり時を選ぶべきでした」
「たしかに突然のことで驚きましたが……それでも嬉しくもありました」
星が無意識に口にした後半の言葉に、美鈴は冗談混じりの声音で応える。
「それなら次はもっと情緒的な場面で攻めてみようかな」
「私も、美鈴ほどではありませんが、守りだって得意ですよ」
そう言って、にこりと笑う星の頬は朱というよりも、夕日の色に染まっていて、
はちみつ色の瞳と髪、そしてその中からのぞくトラ耳も普段より色が深くなっている。
その様子に美鈴の口からは嘆息とともに、胸の奥にしまったはずの想いが漏れ出す。
「あぁ、でも星のトラ耳、触りたかったな……尻尾も……」
「……はい?」
武神でもある毘沙門天の代理、寅丸星はなされるがままとなっていた。
すでに抵抗する気概はなく、そしてその体も脱力していて極一部を除き全く動かない。
それでいて悪い気はしなかった。頭を預ける美鈴の膝はとても柔らかく気持ちよいし、
トラ耳を撫でるその指使いも優しく心地よい、油断してしまうと寝入ってしまいそうだ。
尻尾がせわしなく動いているのも感じる。自分では見えないが顔も緩んでいるに違いない。
こんなところをナズに見られたら色々とマズいですね、と星は苦笑しながらも悦に浸る。
「痒いところはありませんか?」
「これといって特には。美鈴こそ膝、痛くないですか?」
「昔も今もよくしているので、慣れていますから平気です」
「私もよくナズに……ってあれ、これ言っていいのかな」
「ナズちゃんにしてもらってるんですね」
「否定はしませんが、基本的には私がしています!」
星は懸命に反論するが、美鈴は気にもせずトラ耳を撫でる指を休めようとしない。
星からしてみれば、自分の耳の魅力が全く理解できず、そのことを尋ねてみた。
「そんなにも気持ち良いものなのですか?」
「ええ、とても。それこそ一日中、お触りし続けたいくらいですよ」
「そ、そうですか……なんだか照れますね」
「照れるどころか、誇ってもいいくらいです。星のトラ耳は幻想郷一です」
「……私以外にも、幻想郷に虎妖怪っていますか?」
少なくとも私は知りませんね、と応える友人の声を聞き、星はため息をつく。
そして、いくらか悩んだ後に、頭上で上機嫌にトラ耳をいじり続ける美鈴に声をかける。
「仕方がありませんね、今日だけですよ……少し離れて下さい」
そう言って星は美鈴に膝枕をといてもらい、深呼吸をしてから丹田に力を込めた。
夕飯の時間になっても顔を見せない主人を心配したナズーリンが見たものは、
なぜか妖虎の姿に戻っている星と、その体躯にうずもれて嬉しそうに戯れる美鈴の姿だった。
ナズーリンは何も言わず、その場から離れて本堂で待つ聖達にてきとうな報告をして、
先に夕餉を食べてもらうことにし、自室の隣の部屋に入りお仕置きの準備をはじめた。
お仕置きの対象は主人であるはずの星だけで、その客人の美鈴はふくまれていない。
その代わり使いのネズミを一匹、紅魔館の方へと走らせた。それで十分こと足りる。
猟犬への伝言には少々誇張表現があるかもしれないが、それも愛敬というものだろう。
『うちのご主人が生まれた時の姿で、おたくの門番さんに体中を撫でまわされていた』
嘘は一つもついていない、ただこの短文を相手がどう受け取るかまでは責任を負いかねる。
お布団を敷き、そのお仕置きの準備をあらかた済ませたナズーリンは密かに笑う。
紳士淑女であるナズーリンの胸中に怒りなどなく、もちろん嫉妬なんかもしていない。
その心は妖怪の山が誇る大瀑布の如き穏やかさと静けさを保っていた。
穏やかといいつつ大瀑布なナズーもgood.
うちの猫も気持ちよさそうにするんですよねぇ。
それにしても…一輪さんwww
その調子で幻想郷に百合を広げていって下さい。
それはさておき、竜虎の組み合わせは平和でいいですね。
鼠と猟犬は大変ですが。
山で天狗や河童がたしなんでいる大将棋にはあるんだけど…”盲虎”なんだよなぁw
貴女は鬼か!?
うん!!確かに嘘は言ってないな。
紅い館に帰っていった紅い龍は、銀色の猟犬によって御仕置き受けるんでしょう
拷問部屋かベットルームかの違いはあるでしょうが……w
(個人的には後者でw)
……知ってるからこそなんだろうなあw
ナズさんも星さんもめーりんも、いいですねw
ところで一つ。
>それも愛想というものだろう。
愛敬、でしょうか?