Coolier - 新生・東方創想話

その一瞬の思い

2010/07/03 02:13:49
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夜の迷いの竹林は、じわりと汗ばむ暑さがある。
頬を撫でる生温い風が、否応なしに不快感を煽り、あたりに満ちる、息苦しくなるような、むしむしとした空気に、肌に衣服が張り付き、長い髪はひたすらに鬱陶しい。
正直、あまり長居をする気にはなれない気候だ。というか、本能に従うなら、有無を言わさず帰っているだろう。あくまで本能に従うなら、だが。私は一度、髪を掻きあげる。心身ともに、溜まりに溜まった疲れを隠す気にもなれず、大きくため息を吐く。それでもまだ、私はその場に佇んだままだった。
これは仕様のないこと。今、私はこの場を離れるわけにはいかないのだ。
何の約束があるわけでもない。何を得られるわけでもない。
それでも、止められないのだ。絶対に、こればかりは誰かに請われても止める気にはなれない。習慣と言うにはいささか執着心の強すぎる、それでも『習慣』程度の意味しか見出せないものが、私にはある。

私は、彼女を見つめる。
目の前の、死した藤原妹紅を、見つめる。
やがて、驚いたな、と私から気の抜けた声が漏れる。
珍しく、今日の彼女の遺体は、傷が少ない。衣服はところどころ破れていたり、汚れていたりしたが、彼女自身に怪我があるのは一か所だけだった。
左胸から伸びた、一本の矢。正確無比に心臓を射抜いたのであろう、そこだけだった。
妹紅は眠るような表情だ。意外なほど、穏やかなものであった。でも、そうか。実際、彼女にとっての死とは、一時の休息のようなものなのだから、その表情に悲嘆や驚愕、後悔を捉えられないのも、当たり前のことなのかもしれない。
一時の、静かな安息に眠る彼女の表情を見る。打ち倒された際だろう、広がって土に汚れる銀髪を見る。長い睫毛、閉じた瞼はぴくりとも動く気配がなく、薄桃色の唇に、薄く開いた口からは、わずかに白い歯が覗いていた。ちょっと太めの眉が視界に入って、以前、彼女がそのことを気にしていたのを、私は思い出す。
彼女の肌は、まさしく死人然とした白さがある。しかし、それは彼女が活動している時も同じことであった。生きようとも死んでいようとも、彼女の肉体は生きていて、でも、死んでいるのだ。

私が堪え切れず、おずおずとしながらも手を伸ばすと、彼女の頬に近づく自分の手は、細かに震えていて、なんともみっともない。何度となく見てきた目の前の『死』に、無様に怯えているのだ。
しかし構わず、彼女の頬に、触れる。
冷たいな、と私は思った。そして、硬い。およそ生き物らしさを感じない、作り物めいた感触だった。私はそのまま、妹紅の口を覆うようにして、手をかざす。
当然、息はなかった。なにせ彼女は死んでいるのだ。当たり前である。
ただ、それでも私は、しばらく手をかざしたままだった。
汗が額を伝って、顎をなぞり、地面に落ちるまで、止めなかった。

次に私は、彼女の首に触れた。指先で、ちょんとつついた。そして、ゆっくりと、包み込むように、それを両手で掴んだ。ゆっくりと、じわりじわりと力を込めた。
きっと、妹紅が生きていたなら、苦しくて抵抗しだすぐらいのところで、止める。そのまま掴む位置だけをずらして、ちょうど腕が彼女の鎖骨に触れた辺りで、手を離した。

もう一度、妹紅を殺した矢を見つめた。
ぴんと立ったそれを握ると、私は一息に引っこ抜いた。矢尻を間近で見つめると、それは真っ赤な血で染まっていた。私は空いた手で、彼女の傷を、隠すようにして手で触れた。
私は徐々に空気に晒され、変色していく矢尻を眺める。
やがて傷口から離した手に視線を移すと、それは指先だけが赤黒く塗られていた。
私はその手で拳を作って、しかしそれを振り上げたまま、勢いよく振り下ろすことはなかった。だらりと垂れ下げて、それまでだった。

しばらくの時を、私は何もせず、無為に過ごした。
溢れる汗を気にかけず、周りを飛ぶ羽虫を払って、なにも考えずに過ごした。

妹紅。

永い時を経て、私は彼女の名を口にした。
本来ならば、永遠でなければならない眠りにつく彼女は、反応しない。

妹紅、私はろくな奴じゃないよ。

私は、彼女が死んでいるのを良いことに、告白した。
それなのに声が震えて、身体中がぞわぞわとして、地面についた膝に、必死で爪を立てなければ、逃げだしてしまいそうになる自分が、本当に恥ずかしい。

私はね。お前が苦しむ様を見て楽しんでるんだ。

ぽつりと私が言葉を零しても、妹紅は、眉ひとつ動かさない。
死んでいるのだから、当然だ。

私は。私は、どうしようもない、屑だ。

私は、ささやく程度の、小さな弱々しい声で、ようやっと言った。
とめどなく溢れかけては、結局、すんでのところで飲みこんでしまう激情。
その一欠片だけれど、私はようやく言うことができた。












息が、詰まった。
私は握ったままだった妹紅の手を、思わず取り落とした。
まだ手に残るほのかなぬくもりに、心が震えた。
私がじっと見つめていると、妹紅の手はやがて、ぴくん、と動いた。ゆっくりと開いたかと思うと、またきゅっと何かを掴むような形を取った。
慌てて視線を、彼女の表情に移すと、かくんと首が動いて、艶やかな銀髪がさらさらと風に流れた。口を動かして、舌を動かして、何事かを言おうとしているのが見えた。
 私は、少しだけ迷ってから、いまだ目を閉じた妹紅の表情を、より近くで見下ろした。
 睫毛が微細ながら、ふるふると揺れるのがわかった。ばらばらに散って、沈んでいった彼女の意識が、集約されて、再び浮かび上がってくる様を、私は感じた。
 あ、と私は思った。妹紅が起きる。妹紅が生き返る。

 妹紅の目が、開く。くすんで濁っていた瞳に、光が差して、きらきらと輝きだす。
 妹紅は、私を見て、わずかに驚いた顔をした。そして、すぐに心の底からの辛苦が滲んだような、見るも痛ましい表情になったかと思うと、最後は、微笑んだ。
 諦観が透けて見えるような、それでいて、希望を失ってはいない、儚げな、ただの少女の微笑みだった。
 
すまん、妹紅。
やはり私は、ろくでもない奴だ。
だって、そうだろう。
こんなにも、不老不死の呪いに苦しみもがくお前を見て、私は思ってしまうのだ。
生きてて、よかったって。何篇でも思ってしまうのだ。
生き返る瞬間、変わらぬ運命を自覚する瞬間を、私は喜んでしまうのだ。
どうしても、この言葉を放ってしまいたくなるのだ。
お前にとっては絶望でしかない、残酷な一言を。

「おかえり」

妹紅は、その言葉を予期していたように、微笑んだまま、返した。

「ただいま、慧音」
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コメント



0.660簡易評価
8.90コチドリ削除
切り取られたその一瞬という設定と秀逸な慧音の心理描写の相乗効果で
良い緊張感が漲っていますね、物語に。

慧音をある意味縛りつけている妹紅の微笑み。
どのような気持ちで浮かべているのか凄く気になります。
10.100名前が無い程度の能力削除
深い
12.90名前が無い程度の能力削除
もこけねでダークめとは珍しい。
14.90名前が無い程度の能力削除
慧音が妹紅をどう思っているのか、とても興味深かったです。
そして妹紅の致命傷が矢傷ということは、今回の刺客は永琳?
なんにせよ確かにダークけーね先生は珍しい。そして面白い。
19.100名前が無い程度の能力削除
目覚める瞬間の描写が好きです