Coolier - 新生・東方創想話

よんでますよ、こあくまさん。 ~丸投げ編~

2010/06/29 20:39:37
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 紅い館に足音が二つ。一つは子どものような軽い音、もう一つは引きずり気味の弱々しい音。明かりは蝋燭のみという照明としては多少心許ない廊下を互いに無言で進んでいくのは館の当主と居候の魔女。
 辿り着いたのは無数にある周りの扉より一回りも二回りも大きい古めかしい扉。当主がそれを両手で重々しい音と共に開く。二人の目の前に広がるのは数え切れないほどの本、本、本。館の外見から測ると明らかにありえない広さの空間を見て、魔女は呆れとも感心ともとれるため息をついた。

「よくもまあ用意したものね、こんな場所。一体どこの情報ライブラリと接続したのよ」
「ま、私の手にかかればこんなものよ。ただもうちょっと空間制御が上手くいけばねえ、もっと広く出来たんだけど」」
「そっち方面は私も専門外ね。知ってはいるけど使えない」
「でもこんだけあれば十分でしょ。思う存分使いなさい」
「ふむ、そうね。ありがとお嬢様」
「レミィでいいって言ってるでしょパチェ」

 そう言い残すとレミリアは手を顔の横でひらひらさせながら部屋を出た。扉の閉まる音が部屋に響く。残されたのはパチュリーと全くの静寂。膨大な蔵書を見つめ再びため息をつくと、パチュリーはまず部屋の把握と読書をするための空間作りに移った。
 幾許かの時が過ぎた頃、大体の本の種類と数が判明した時点でパチュリーはかなりげんなりしていた。想像はしていたが多い、あまりにも多すぎる。いくら研究員として空間転移を調べてほしいという当主の意向とはいえこれは流石にやりすぎだろう。全く関係無い分野の魔道書はもちろんそもそも魔道書ではない俗界の本まであるとはどういうことだ。こんな調子ではかの地に行けるまでどれくらいかかることやら。
 やはり助手が必要か。使い魔なら何匹かは契約済みである。そう思い立つとパチュリーは早速魔法陣の作成に取り掛かった。床に手をかざしぐるっと円周すると1mほどの陣が浮かび上がってた。次々と描かれる魔法文字と五芒星。その最後の部分、あと一文字分書き込めば完成なのだがそこでパチュリーはかざす手を顎に当て少々考え込んだ。使い魔にやらせる作業は本の整理や移動などの力作業になる。大した魔力は必要ないしわざわざ上級のものを連れてくることもない。継続的に作業させるとなると顕界に留めておく必要も出てくる。そういった手間を考えるとやはり──

「──こいつでいっか」

 呟きと共に手を振ると最後の文字が浮かび上がった。パチュリーはそれを見届けブツブツと小さく且つ高速で呪文を唱えていく。途端に陣は淡い光を帯び同時に煙が漂い始めた。煙が満ちやがて陣を隠す程になると光は強さを増し部屋全体に急速に広がった。そこに現れたのは一つの影。





 ジャージに眼鏡で参考書(『エソテリア公務員試験問題集Ⅱ』)を読む一人の少女の姿が。





「……あの、パチュリーさん? アンタこっちに喚ぶ時は事前に連絡くれって何回言ったら分かるんすか」
「悪魔が勉強してんな。一旦戻してやるからそれっぽくしてこい」
「いやいや明らかに勤務時間外でわーリバースはやーい」

 五分後、再び姿を現した少女は背中に禍々しい羽を生やし黒い服に身を包んでいた。若干顔はふてくされているが。

「ありえんこんな時間に希望は18時からって契約書にも書いてあるっつーのに……で、今日のイケニエはどこですかね」
「そこのテーブルの上」

 パチュリーが指さした先。そこには銀の皿とそこに盛られたビタミンA及び鉄分を多く含む──

「──何すかこれ」
「白モツ」
(悪魔舐めてんのとちゃうんかこいつ……!!)

 取り敢えずせっかくなのでいただく。

「あ、でもこれ意外と……キライじゃないかも」
「さて、小悪魔。名も無い小悪魔。名も持てないほどヒエラルキーの底辺に存在する小悪魔。まず私はあなたに心からお祝いの言葉を送るわ。Congratulation! Congratulation!」
「は?」
「あなたはめでたくバイトから契約社員にランクアップしました、まる」
「はあああああ!?」

 いきなりの決定に小悪魔は思わず声を荒げた。契約社員ということは今までの半分フリーのバイトと違ってより強固な主従関係を強いられることになる。主の傍を離れることも許されないのでもう魔界、というか実家にはほとんど帰れない。結構重要な更新内容の上いくらかの手続きを踏まなければならない事項なのに何を言っているんだこの魔女は。

「いや私契約社員になる気は無いって最初に話しましたやん! っていうか手続きは!?」
「あなた実印こっちに忘れてたわよ。年末に」
「勝手にやったの!?」

 乱暴極まりない話である。よもや人の捺印を勝手に使って契約更新する雇い主がどこにいようか。

「契約社員だけはホント勘弁できませんかね!? 自分公務員に向けて勉強中なんですよ!」
「作業内容は本の整理と整頓。あ、あとブッカーもお願いね? 防腐の術式はこっちでかけとくから」
「聞けやクソヴィッチ。服だけじゃ飽き足らず脳と下の口まで腐って紫になったか?」

 次の瞬間小悪魔が立っていた場所には黒く焦げた煤の塊が転がっていた。素早い反応だった。もう「下の口」の時点で火柱があがっていた。

「すんませんついお国の煽りが」
「訛りじゃなくて煽りというのがまた素敵ね」
「とにかく無理です。私には夢があるんです。地方公務員として惰眠を貪る夢が。その為には努力を惜しみません」

 ちなみに小悪魔の周りはほとんどが就職を決めていた。メイドの先輩は中央勤務、糸目の同期は趣味が高じてツアーコンダクター、後輩にいたっては魔界門管理局勤務とそれぞれ立派に社会で働いている、しかも名前まできちんと貰って。だからこそ小悪魔もその中に加わるべくバイトをしながら勉強していたのだ。こんなド畜生の魔女の使い走りなんてやってる場合じゃない。

「ていうか自分今月いっぱいで辞めるつもりだったんですけど……」
「あらあら」
「グリモアにも2週間以上前に伝えれば給与は下がらないって書いてあった、は、ず」

 そこで小悪魔はあることに気づいた。いや、正確には“無い”ことに気づいた。

「……私のグリモアは?」
「さあ」
「いや、『さあ』じゃないでしょ。あれ無いと手続きっつーかそもそも自分喚びだせないでしょ。呪文クソ長いし」
「あれくらい覚えるのなんて訳ないわ」
「わーすごーいパチュリー様甜菜」

 悪魔の取扱説明書であるグリモアを持たずに召喚する魔法使いはまずいない。主従関係が構築されるとはいえ下手すれば悪魔に乗っ取られ操られる可能性があるからだ。だというのに持っていないことを明言するということはそれほどパチュリーが魔力が強いかそれほど小悪魔の魔力が弱いか。
 とにかくあれが無いと契約の解除も迫ることが出来ない。力の差が圧倒的な場合、グリモアが無いと不利になるのは悪魔のほうなのだ。

「そういうわけだからよろしく。キリキリ頑張ってちょうだい」
「だから自分辞めるって言ってるじゃないですか……」
「あー、そういや私って読み終わった本を適当な所に戻しちゃう癖があるのよねえ」
「それがどうかしましたか」
「整理してれば見つかるかもね、もしかしたら」
「死ね糞モヤシ」

 歯車でミンチにされた体を回復させるのに半日かかったという。








──────────────────────────────








 と、いうのが数十年前の話。
 その後すったもんだあったが(引越し用の魔法陣の生贄にされかけたり、新天地でのいざこざに巻き込まれて危うくバニッシュデスされそうになったり、新入りにヤキを入れようと思ったらいつの間にか銀のナイフに囲まれていたり)小悪魔は何とか五体満足でいることが出来た。母さん、私、生きてます。
 未だに自身のグリモアを見つけることは出来ていない。というか図書館の作業が一向に終わる気配を見せない。最近パチュリーの舌打ちする回数が増えたような気がするのは考えすぎだろうか、小悪魔の気苦労は絶えない。
 今日もまたいそいそとパチュリーの指示に従って本を取ってきたり戻したり忙しなく働いていた。小悪魔の働きぶりを眺めるパチュリーは少し思案する素振りを見せぼそっと小さく呟いた。

「……人手不足か」
「このタイミングで!?」
「予想以上にあなたが使えなかっただけの話よ」
「部下の能力を判断するのにこんだけ時間がかかってるほうがよっぽdめがろぽりすっ!!」

 翠玉の石柱がせりあがって小悪魔の横っ面をはたいた。はたいたというか叩き潰したというか。

「の、ノーラグでのコマンド入力とは流石ですねパチュリー様……」
「そりゃどうも」
「で、どうするんすか。バイト募集でもするんですか?」
「適当にサーチかけて引っ張ってくるわよ。なるべく魔力の弱い、力づくで契約させられるような」
「んなのストックから持ってくりゃいいのに」
「私の使い魔、あなた以外は名前付きの中級上級ばかりよ。小間使いに呼べるわけないでしょ」
「ああそうでしたね。おかげ様で私は劣等感というものを嫌というほど味わいました」

 苦々しい思い出である。バイトの時間中に同時に居合わせた時の疎外感。『こいつ何でここにいるんだ?』という冷たい目線。その後の『ああ、なるほど。ただの雑用か』と納得された時の表情。明らかに馬鹿にする者はいなかったがそれがかえってやり場の無い感情を生むことになった。敵意が無いから反発することもできない、畜生。
 パチュリーが図書館に引き篭るようになってからは召喚術を使用することはほとんど無くなり、専ら小悪魔のみが使われている状態なのであの頃のような惨めな思いをすることは無くなった。代わりに仕事量が膨大に増えているが。

「都合良くいきますかねぇ」
「モノは試しよ」

 パチュリーが手を地面にかざすとあっという間に魔法陣が完成した。強制移動、索敵、条件付けなどもろもろのタグも組み込み済みである。相変わらず自分の興味の範囲や利益になることのみに関しては仕事が早い。それ以外は遅いも遅い、友人がみんなして文句を言うレベルだ。曰く『パチェの仕事はワンテンポずれてる』らしい。
 完成した陣を使って早速魔力を探る。すると5秒もしないうちに陣に反応が表れた。

「見つけた」
「はやっ!?」
「この反応……魔界からじゃないわね。幻想郷、しかもすぐそこよ。湖の畔辺りかしら」
「それ氷精じゃあ」
「いや、多分違うわ、ねっ!」

 かざした手を体ごと後ろに引っ張る。ずるっ、という生々しい音と共に陣の中心から一人の少女が頭から引っ張り上げられてきた。グロい。何かぬるぬるしてる。少女は何が何だか分からない、といった表情だ。

「え? 何これ? ここどこ?」

 その姿は小悪魔と何処と無く似たような雰囲気をしていた。ブロンドの長髪を揺らし黒を基調とした服、そして背中には悪魔を自負する禍々しい羽。どう見ても妖精の類ではない、というか。

「……963番?」

 知り合いだった。

「あれ? 509番じゃん! ひっさしぶりー! 何やってんのこんな所で!」
「……契約社員」
「え? 何? ごめん聞こえなかった~。まさかその歳でけい……とかありえないよね~」
「だから契約社員だっつってんだろうが。何度も言わせんなやヘマトフィリア(血液嗜好症)」
「あ゛? 今ヘマトっつったか? 私の高尚な吸血行為を性的倒錯と同列にすんじゃねえぞ名無し」
「吸血“少女”の癖に何ナマぶっこいてんだ低脳ブロンド。ていうか名無しはあんたもでしょうが。揃って真名試験落ちた癖によぉ」
「今の私にはれっきとした“くるみ”って名前があるんだよヴォケ。残念でしたー」
「くwwwwるwwwwみwwww自称じゃんwwwwwwアホかwwwwwwww」
「んだと!!」
「ああ!?」
「くだらない口論はそこまでよ」
「「さてらいとっ!!?」」

 二人のいた場所を緑と黄色の光弾が雨となって貫いた。体の至る所が穴だらけになったけど気にしない。

「知り合い?」
「知り合いも何も──大学で同じ学科になったから最初はちょくちょく話してたんだけど段々サークルとか別のグループのほうにお互い行くようになって会えば話すんだけど特に一緒に遊びに行ったりはしないっていうそんな感じです」
「ね」
「ね」
「長い。どうでもいい。その割には仲が悪いようね」
「地元だとこれがデフォなんで」
「随分素敵な地元だこと」
「あの、そろそろ状況説明! プリーズ!」

 少女──くるみが声を張り上げ会話を中断させた。

「知り合いがいたからつい話し込んじゃったけど、何? 何なの?」

 無理もない。彼女がいつものように湖の門番としてあって無いような仕事を適当にこなしていたら、これだ。昼寝の最中に突然何かに引っ張られて気づいたらよく分からない建物の中。混乱しないほうがおかしい。
 対するパチュリーの答えはただ一言。

「出しなさい」
「は?」

 口をぽかんと開け、呆然と相手を見つめるくるみ。相手が何を言ってるのかさっぱり分からない。小悪魔にも分からない。いきなり何を言い出すんだこの魔女は。困惑する相手を無視してパチュリーは表情を変えずに会話という名の尋問を続けた。

「あるんでしょ? グリモア」
「ぐ、グリモア!? そんなのおいそれと渡せるわけn」

 火柱。

「脅したって無理なものはm」

 串刺し。

「すんませんあれ今実家のタンスにしまいっぱなs」

 水責め。のち土下座。

「出します」
「話が早くて助かるわ」
(うわぁ……)

 ずぶ濡れのくるみが手を前にかざし力を込めると淡い光の球の中に古びた本が浮かび上がった。パチュリーはそれをさっと掠め取る。案の定、自分でグリモアに触ることができないからすぐ喚び出せる所で管理していたようだ。ちくしょう、と小悪魔は唇を噛み締めた。自分も面倒臭がらないできちんと術式を組み込んでおくべきだった。そうすれば今頃こんな所でこんなことやってないっつーの。

「ふむ、低級らしい良い薄さね。手続きも簡単」
「すんません……」

 受け取ったグリモアに軽く目を通した後、パチュリーは用意しておいた羊皮紙にさらさらっと契約の内容を書き自身の名前と血印を記した。これであっさりと、あまりにもあっさりと契約は完了。晴れてくるみは小悪魔同様パチュリーの使い魔の仲間入りである。

「何ていうか……どんまい」
「……うん」
「今度一緒に飲もう、ね」
「……うん」

 悪魔にだって、飲みたい日はあるのだ。

「さっさと仕事しろ」
「「あぐにしゃいんっ!!」」








───────────────








「じゃあなっ! また借りに来るぜ!」

 室内なのに何故か風を切る音。例の鼠がまた侵入してきたらしい。小悪魔はパチュリー以上に深い溜息をついた。こうなった日は大抵パチュリーの人使いは荒くなる。普段からも荒いことは荒いのだがそれに輪を掛けてひどくなるのだからたまったものではない。
 隣で作業するくるみもまたか、といった面立ちで同じように溜息をつく。くるみもここの業務に慣れてきたらしい。慣例というかお約束というものも分かってきたのだろう。これからどういう仕打ちを受けるのか、考えただけで今日一日は憂鬱になりっぱなしだ。どこぞの騒霊の長女でもあるまいし。

「小悪魔」
「はい!?」

 いつもよりトーンの一段階低い声が耳に届く。不機嫌がひしひしと伝わって非常に心臓に悪い。パチュリーは額に薄く青筋を立てながら椅子から立ち上がった。

「私はこれから門の前にいる木偶の坊を炭にしてくるわ。戻るまでにリストに書いた本を持ってきておいてちょうだい」
「あ、はい。了解しました」

 無理難題を押し付けれるかと思ったら意外と普通の内容で小悪魔はかえって勘ぐってしまう。今回は怒りの矛先は全て門番に行っているのだろうか。だとすると他人事ながら彼女が気の毒でならない。小悪魔は小さくご愁傷さまと呟いた。と、その時。

「ん?」

 小さな違和感。胸の奥の奥、自分の根源に関わるような部分が変化したような感覚。立ち止まりその正体を探るが一向に掴める気配がない。くるみが訝しげに小悪魔を見つめる。
 あれやこれやと思案していると突然図書館の扉が勢い良く開いた。何事かと二人が視線を向けるとパチュリーが肩を怒らせて部屋に入ってきた。珍しく怒りを露にした表情でづかづかとテーブルまで進む。小悪魔は恐る恐るパチュリーに声をかけた。

「あの、どうなされたんで……?」
「やられたわあの黒鼠!」
「そんなの、いつものことじゃあないですか」
「他でもないあなたが気づかないのなら、これほど間抜けなこともないわよ」
「あ、まさか……」
「グリモアの所有権がさっき失われたわ。しかも“喚び出し”の術式も解除っていうおまけ付きでね!」
「っていうことは」
「48時間以内にグリモアを取り戻さないとペナルティが来るってことよ。ああ鬱陶しい!!」
(こ、これは……!)

 チャンスだ、と小悪魔は固く拳を握りしめた。このまま時間が過ぎてしまえば所有権がパチュリーから魔理沙へ移る、つまり自由の身。魔理沙程度の力量ならバイト契約は出来ても本契約までグリモアを読み込むことはできないはずだ。待遇がここより良いとは断言できないが自由度は確実に高くなる。
 ここで小悪魔自身がグリモア奪還に名乗り出れば、手こずる振りをしてわざと時間切れにしたり魔理沙に契約を解除させることも可能だろう。これを逃す手は無い。だが、最初に声を上げたのは──

「──私にお任せください!」
「あっ! くるみてめぇ!!」
「必ずやパチュリー様の大事な大事なグリモアを取り戻してみせましょう!」

 大口を叩くくるみに小悪魔が詰め寄った。あくまで下に聞こえないよう声の音量は低めだ。

(どういうつもりなのくるみ!)
(抜け駆けとは感心しませんなぁ~。あんただけ自由になれると思うなよ)
(良く考えろボケ! このまま時間が過ぎればあの外道魔女はペナルティ食らって蛸にでも何にでもなる! そうすりゃあんたの所有権も失うんだよ!)
(ボケはそっちだ! あの魔女が大人しくペナルティ食らうと思う? 何かしらの被害はあるがおそらくピンピンしてるでしょうよ)
(ぐっ……)
「何ごちゃごちゃ話してるの」
「い、いえ! 何でも!」

 慌てて小悪魔が取り繕う。まさかくるみがここでしゃしゃり出てくるとは思わなかった。だがくるみの言う事にも一理ある。確かに一定時間内にパチュリーが小悪魔のグリモアを取り戻すことが出来なければ契約法に則りペナルティが与えられることになる。が、そこは今まで幾千の悪魔を従えてきたパチュリーのことだ。何らかの対策は講じていると考えるのが妥当である。
 だからこそ、ここでくるみに出し抜かれるわけにはいかない。何とかして先にグリモアを手に入れなければ。

「パチュリー様!」
「何」
「自身のグリモアが盗まれたことにはひとえに私の責任にございます。奪還の任、ぜひこの小悪魔めにお任せ下さい!」
「この者は脱走を試みています! 是非私めに!」
「そんな脱走だなんて……! 自分の失態は自分で取り返します! どうか汚名返上の機会を!」
「いや私が!」
「いやいや私が!」
「私が!!」
「私が!!」



「少し黙れ」




 恐ろしく低い声が図書館に響いた。先程まで喧々諤々主張しあっていた二人もぴたりと揃ってその口を閉じる。最初小悪魔はこの声が誰から発せられているのか把握することが出来なかった。だが、目の前の主の口が開いてるのを見て初めてどこから聞こえてきたのかを理解した。理解すると同時に何か薄ら寒いモノが背中を走った。

「私は、今、非常に、機嫌が悪い」

 一つ一つ言葉を区切りながら、ゆっくり、だが有無を言わさぬ口調でパチュリーは続ける。

「出し抜かれ、面倒を押し付けられ、挙句の果てにペナルティまで課せられようとしている」

「責任だとか、脱走だとかはどうでもいい。誰でもいいから私のグリモアとあの鼠を引っ張ってこい」

「今すぐにだ」

 ごくり、耳の奥でつばを飲み込む音が聞こえる。明らかに暑さのせいではない汗が頬を伝った。本来ならここで返事をしなければならない。チャンスなのだ、一言命令に応えそして自身のグリモアを追えばいいのだ。だが足がすくむ、動かない。

「頼んだわよ」

 叱咤激励のつもりか、小悪魔は背中を手ではたかれた。声の調子は既にいつも通りに戻っており、それがかえって恐怖を煽る。普段はこんなこと絶対にやらないのに。そのギャップにただ戸惑うしかない。

「……はい」

 どうにかして絞り出した声はまるで蚊の鳴くような頼りないものだった。





***





 夜の幻想郷をひたすらに飛ぶ。風は涼しく気持ちが良い。が、小悪魔とくるみにはそれを感じている余裕は一片足りとも無い。季節はもう夏に入るはずなのに、脳内に染み付いたパチュリーの声が聞こえるたび全身に悪寒が走る。それは隣で飛んでいるくるみも同じのようだ。

「……何なの、あれ。鬼?」
「一応魔法使い……のはず」

 小悪魔にも断言出来る自信が無い。あれは一体何なのだろう。一応敵対していたはずの二人だが、とにかく今はあの鬼から離れることで頭が一杯だった。小悪魔はただただ体の震えが止まらない。

「あれあれ? 小悪魔ちゃんびびって震えてるじゃないですか~」
「そういうくるみちゃんだって股から小雨が降り注いでるけど何ですかそれ~?」
「違います~これはちょっと森に恵みを与えようと思っただけです~」
「それは一人の大人としても生理的にも無理があると思います~」
「思いません~」

 二人とも涙目である。
 涙やら何やら垂れ流すうちに二人は魔法の森上空まで辿り着いた。暗く沈む森にぽつりと光が灯っている。こんな場所に居を構える物好きはそういない。魔理沙とあとは魔界から来た人形遣いくらいなものである。二人が静かに降り立ち窓から中の様子を伺ってみると机に向かう魔理沙の後ろ姿が見えた。

「さてどうするか……」
「こんばんわー」
「躊躇い無いねくるみちゃん!」

 くるみが扉をノックすると少しの間の後、ゆっくり開いた隙間から魔理沙がひょっこり顔を出した。

「んぁ、何だパチュリーの使い魔二人か。本なら返さねえぞ」
「話が早すぎて逆に助からないわ。パチュリー様がとてつもなくお怒りよ? 返しといたほうが身のためだと思うけど」
「死んだら返すからあと70年くらい待て」
「今のパチュリー様なら今すぐ殺しそうな勢いだけどね」
「おぉ怖い怖い。怖いから私はさっさと寝る。おやすみ」

 魔理沙が扉を閉めようとするとすかさずくるみは足を挟んだ。

「閉めんな溝鼠。いいからさっさとグリモア出せや」
「グリモア? お前ら私のネタ帳狙いか。増々怖いな」
「誰もてめえのらくがき帳何か欲しくねえよ。今日盗んだやつだよ」
「ああ、あれか。生意気にもタグ付けしてあったから外してやったぜ。随分大切なものらしいな?」
「だから返せっつってんだよ。言葉通じるか?」

 延々と言い合う中、常に扉に力を込める魔理沙にくるみは対抗して体を入れようとする。一方小悪魔はそれを少し後ろで眺めていた。魔理沙という人間に対して真正面から交渉しようなんて無駄の極み。どう考えても素直に渡すはずがない。くるみはまだそういう所を把握していないのだ。さて、どうやって二人を出し抜くか。

(あの馬鹿を利用するか)

 魔理沙に見えないように手に魔力を集中させる。いつものように派手に撒き散らす必要はない。不意打ち、一発だけで十分だ。静かにゆっくりと、だが着実に手の中の塊は大きくなっていった。魔力の塊が所謂“大弾”と言えるほどの大きさになった時──小悪魔はそれを魔理沙に向かって勢い良く放り投げた。

「げっ」
「んなっ!?」

 当然、小悪魔程度の魔力で作られた弾は家の周りに張り巡らされた障壁に阻まれはじけ飛んだ。くるみは予想だにしていなかったのか避けた拍子に尻もちをついてしまっている。魔理沙が弾に意識を奪われた隙をついて小悪魔は瞬時に距離を詰めた。手には弾幕用の苦無が握られている。

「──っつう!」

 小悪魔の攻撃は魔理沙の手の甲に浅く傷を付けるだけに終わった。赤い液体が魔理沙の手から滲み出す。

「実力行使たぁ穏やかじゃねえな。ま、お前らの実力なんて穏やかなもんだがな」
「いえいえ、今回はこれで十分。そう、十分過ぎますわ」
「は?」

 怪訝な顔をする魔理沙に小悪魔はにやりと笑みを浮かべた。ふと、魔理沙は横から何かが立ち上がる雰囲気を感じた。そちらのほうにゆっくり振り向くと、明らかに先程とは目の色を変えたくるみがじっと魔理沙の手を見つめている。

(あ、こいつヤバい)

 頭に危険信号が鳴った時にはもう遅かった。

「血ぃぃぃぃいぃいいぃいぃいぃいいい!!!」
「ぎゃああああああああ!!!」

 目に狂気を携えたくるみが理性とかもろもろ吹っ飛ばして魔理沙に襲いかかってきた。完璧に我を忘れてしまっている。とっさに扉を閉めようとした魔理沙だが、己のリミッターを外したくるみに無意味だと言わんばかりの力でこじ開けられてしまった。
 一心不乱に傷口にむしゃぶりつくくるみと恐怖と快感の混じった表情を浮かべた魔理沙との濃厚な描写を省略しつつ、小悪魔は中に侵入した。

「相変わらず血を見ると見境無しねあいつ……お、あった」

 目的のモノは意外なほどあっさりと見つかった。寸前まで読んでいたのだろう、机の上に小悪魔のグリモアは開っぱなしで置いてあった。直接触れないように慎重にグリモアに向かって魔力を注ぐ。やがてグリモアを光球が包みふわりと浮かび上がった。
 玄関の方を伺うと未だに18禁な擬音が飛び交っていたので、そっと脇を通り抜け小悪魔は外に出た。向かうべくは紅魔館──ではなく魔界門だ。パチュリーの手の届かない所まで逃げて、実家に帰ろう。公務員の試験を受けて職に就くんだ、親孝行するんだ。あと、母さんの肉じゃがが食べたい。





***





 くるみが我に返った時、辺りにはやけに紅潮した顔でぐったりする魔理沙以外誰もいなかった。

「やられた……!」

 まんまと出し抜かれた。どれだけ自分が乙女の血を堪能していたのか分からないがかなりの時間が経っているはずだ。行き先は見当付くが追いつけるかと言ったらそれはもう無理だろう。だがこのまま手ぶらで帰るわけにはいかない。確実に殺される。

(……とりあえずこいつを生贄にするか)

 ちょっと血液の足りなくなった魔理沙がパチュリーの手によってえらいことになるのはまた別の話。





***





 くるみがまだお楽しみの頃、幻想郷の端に小悪魔は立っていた。外界とも冥界とも違う、魔界に繋がる境である。境界線に沿うように立てられた魔界門が悠然とそびえる。その大きさは扉というには少々巨大すぎた。
 大分前に幻想郷ツアーが流行った時ここには魔界人が溢れかえったらしい。最近では豪華客船による魔界ツアーにもここが使われたが今ではそれも落ち着きひっそりとしている。小悪魔は扉の縁に設置された操作パネルにそっと手を乗せると、それに反応したのかどこからか声が聞こえてきた。

『はいはいこちら魔界門管理局。ご利用は個人ですか? 団体ですか?』
「個人よ。識別番号は509、パスワードは」
『あっれぇ? 509先輩じゃないっすか。どうしたんすかこんな時期に』
「……サラ」

 懐かしくも聞きたくなかった声。成功した後輩ほど会いたくないものは無い。学生時代はあんなに世話してやったのに実家のコネだか知らないがちゃっかり就職決めてしかも名前までいただいている。もしかしたらとは思っていたが、あちらに気づかれると何か色々な感情がごちゃまぜになって胸にせり上がる。

『てか、先輩まだ名前貰ってないんすね。そっちで何やってたんすか?』
「パスワードは****。早く開けて」
『いやー急に連絡取れなくなっちゃったから心配してたんすよー。あ、今度一緒に飲みません?』
「開けて」
『はいはい開けます開けますぅー。そういや聞きました? ルイズ先輩今度結婚するんですって』

 後輩の言葉を無視し、一人分だけの開いた扉の隙間を抜ける。聞き捨てならん台詞があったような気がするが、それを問い詰めるのはまた今度の機会にしておこう。

「や、やっと帰ってこれた……」

 目の前に広がる懐かしい魔界の景色に小悪魔は思わず涙を流した。電車を乗り継ぎ1時間、最寄の駅のホームを降りるとあの頃とちっとも変わってない地元の景色がそこにあった。学校帰りによく行ったゲーセン、チキンカツがおいしかったお肉屋さん、いつも待ち合わせに使ってた魔界神像。何もかもがそのままだった。
 だから、あの歩道橋を曲がって少し狭い小路を抜けて信号を渡ればほら。

「マイホオオオオオオオオオム!」

 小悪魔が喜びで頭が一杯になりながら一歩踏み出したその時。

「ん?」

 突如として真上からまばゆい光が溢れ出した。描かれたのは──魔法陣。

(強制移動!? 何で!? 何でこのタイミングで!? てか発生源はどこ!?)

 混乱する思考を死に物狂いで整理し、とっさに手元のグリモアを陣の外へやろうとするが間に合わない、陣の範囲が広すぎる。発動直前の陣の中で小悪魔の体がふわりと浮いた。もがく小悪魔を無視して彼女の体は陣の中に吸いこまれていく。何故、どうして、媒介はどこだ。完全に陣に吸い込まれる直前、彼女は気づいた。

 背中が、熱い。





────頼んだわよ





「あんのクソアマああああああああああああああ!!!」

 小悪魔の叫びは虚しくも魔界の空へと掻き消えた。





***





「さて」

 いつもの図書館に張られた陣の真ん中に座る小悪魔、その前にパチュリー。後はくるみと何か白いネバネバしたモノをぶっかけられまくった魔理沙。若干一名大変なことになっているがそれ以外は普段どおりの面子だ。だが小悪魔の顔からは滝のような汗が垂れ流しで前が見えない。主にパチュリーの顔が見えない、見たくない。

「私はね、心配していたのよ。もしかしたらこの鼠にかじられちゃうかもって」

 パチュリーの口調は恐ろしいほどいつもと変わらなかった。平坦で、まるで感情が込められていない。淡々と用意された言葉のみを吐き出すような、無機質な声。だが小悪魔にはそれが死刑宣告か何かにしか聞こえなかった。

「だからほら、こうして背中にちょこっと組み込んでおいたんだけど……おかしいのよねぇ、くるみから報告もらった時に確認したら何故か反応が魔界から返ってきたのよ」
「そ、それは」
「咲夜がね」
「は?」

 いきなり話が変わり戸惑う小悪魔。

「新しい搾血用の器具を仕入れたんだけど、ちょっと試運転したいって言ってたのよ」
「えっとそれが」
「言ってたの」
「あの」
「じゃ、あとよろしく」
「「「おいーす」」」
「誰!? てか何なのこの怪しい集団は!! いやああああああああああああ!!!」

 ぞろぞろと現れたやけに筋肉質で紫の三角頭巾にマントを羽織った集団に担がれ、小悪魔は扉の外へ連れて行かれた。必死の叫び声が段々と遠ざかり、やがて下に向かっていって、途絶えた。
 翌日、フランから『隣から断末魔がずっと聞こえてきてウザい』という苦情が来たのでとりあえず目の光を失った魔理沙を与えておいた。








───────────────








 湖の畔。雲ひとつ無い空は憎たらしいほど青く透き通っていて、何となくくるみは悪態をつきたい気分になった。ばーか、あーほ、死ね糞が。どうして私はこんな所で使い魔なんかやってるんだろう。

「どうしてだろうなぁ……」

 魔界で就職に失敗して流れ流れついた先が何か怪しい館で、言われるがままこの湖で門番やってたら人間にぶちのめされて、いつの間にか館もぶっ壊れてて。仕方ないからここで門番の振りをしながら妖精とダベったり適当に迷い込んだ人間からご飯を失敬したり、生産性は無いがくるみにとってはそれなりに楽な生活だったのだ。

「あの外道魔女さえいなければ……」

 今日は珍しくオフだった。オフというか、フランと“健康的に”遊びすぎて歩けなくなった魔理沙を家に送り届ける途中で急に切なくなって門番時代に使っていたこの場所で少し黄昏ていたのだ。このまま時が過ぎればいいのと、くるみが到底叶いそうにない願望を抱いた時何かが背後で動いた気配がした。

「誰?」
『オイオイオイ誰だじゃねえよ決まってんでしょ』
『どうもこんにちわ』

 現れたのは二人の少女。一人は少し赤みがかった白を基調とした服に真っ赤なリボンを頭に結わえ背中から生える羽はまるで天子のように白銀に輝く。もう一人は青と白のメイド服に白いカチューシャ、憮然とした表情で静かに傍らに立つ。


「私よ私!!! 幻月という名の私様よ!!!!」 

「夢月です」

 予想だにしない来客に、くるみは明らかに不機嫌そうな顔をした。

「……何の用よ、夢幻姉妹」
「何の用!? この私様が! わざわざ旧友を! 訪ねてやったのよ!? まずは感謝をしなさい感謝を!!」
(うぜえ……)

 傲慢すぎるほどの彼女の傲慢には理由がある。夢幻姉妹──魔界から独立した魔力世界の一つ、夢幻世界の統率者。姉の幻月はメイド服に対して異常な執着心を見せるが世界を丸々一つ任される実力は本物である。

「悪いけど、私これから用があるからあなたに構ってる暇は無いの」

 そろそろ戻らないとパチュリーに何をされるか分からない。そうでなくてもこいつの相手を務めるのは非常に骨なのだ。妹の夢月がいつもカバーに入るのだがそれさえあまり効果は無い。幻月はまさか自分の訪問を拒否されるとは思わなかったのか、信じられないといった面持ちで目を見張った。

「正気なのあんた……私よ!? この私がわざわざ相手してやるって言ってるのよ!? 秒刻みのスケジュールの中あんたのためだけにこの場所に存在してやってるのよ!? あの幻月様が!!」
「姉さんうるさい」
「フン……」

 くるみは聞く耳を持たない。まともに相手していたら日が暮れるし、そもそもこいつは自分の話しかするつもりがないことが分かりきっている。無視するのが一番だ。

「シカトね……どうせまたあの悪い癖が出たんでしょ」
「……!」

 くるみの眉がぴくりと上がった。

「昔っからそうよねぇ、血を見ると直ぐに我を忘れちゃって。それさえ無ければ正式な真名も貰えて今頃吸血“少女”なんてやってないでしょうに」
「言い過ぎよ姉さん」
「おい聞いてんのかウマヅラコウモリ、ヘマトフィリア、モスキートちゃん、鉄分が足りてないんじゃない?」

 くるみの中で何かが千切れる音がした。ずい、と前に進んで自分の額を相手の額にぶつけ睨み合う。互いに青筋を走らせながらドスの利いた声を辺りに響かせた。

「過疎世界の引き篭もりのくせにいっぱしにクソ垂れてんじゃねえよこの半人前」
「じゃあ名無しのてめえはそれ以下か? 今ここで消滅させてやってもいいんだけど?」
「止めなさいって二人とも」

 一触即発。夢月が間に入ろうとするがそれを無視して二人は魔力を高めていく。だがそれがぶつかり合うことは無かった。魔法陣が三人の上空に出現したからである。避ける間の無く、その場にいた全員が光のなかに吸い込まれていった。





***





「……やけに大所帯ね」

 やはりいつも通りの図書館で張られた陣に現れたのは一人だけではなかった。

「帰りが遅いから何事かと思ったけど、楽しそうね? あなたたち」
「いえいえとんでもない。少し知り合いと話していただけで」

 くるみの横に立った二人の招かれざる訪問者に小悪魔が眉をひそめた。

「げっ、夢幻姉妹じゃん……くるみの奴何連れてきてんだ」
「誰」
「魔界の元エリートですよ。確か素行が悪すぎたせいで過疎世界に左遷されたんです」
「ふぅん」
「おいおい私の許可なしに私のうわさ話をしているのは誰!?」
「だからうるさいって姉さん」
「終始こんな感じでして」
「なるほど」

 納得した様子でパチュリーは幻月に詰め寄ると、自分より少し背の低い彼女を見下ろし問いかけた。

「さて聞くけど、あなたたちは何が出来るのかしら?」
「“出来ますか?” でしょ?」

 パチュリーの眉がぴくりと上がる。

「何が出来るか? 答えは“何だって出来る”よ。つまらないこと聞かないで。私は夢幻世界の主よ?」
「私は真面目な話がしたいんだけど」
「真面目!? 私はいつでも私に対してマジで生きてるんだけど!?」

 本格的にウザくなってきたのかパチュリーの額に青筋が走る。そのまま幻月の襟を掴み上げた。

「頭は悪そうだけど実力者なんでしょ? 契約してあげる。グリモアを出しなさい、出せ」
「出せじゃねえよまずはその手を離せやファッキンデブ」

 瞬間、火の玉が幻月を包んだ。轟々と燃え盛る火炎に悲鳴を上げるかと思われたが幻月は表情を一つも変えない。パチュリーからは明らかに邪悪な黒いオーラが全身からあり得ないほど出てる。ぶち切れてる証拠だ。

「ぬるいねぇ、ぬるすぎる。まるで湯たんぽね」
「あら火力が高いのがお好み?」

 火球の熱量がどんどん上がっていく。しばらくすると小悪魔から垂れる汗も瞬時に蒸発してしまうほどにまで部屋全体が熱せられていた。これ以上温度が上がると洒落にならない事態にまで発展してしまう。

「パチュリー様! それ以上はマズイです! ロイヤルなフレアにまで膨れ上がっちゃいますよ!!」
「まだまだ、まだまだまだまだ生焼けよ」

 その熱が太陽にまで達しようとすると、幻月から余裕の表情が消え去った。

「夢月、こいつを止めろ」
「はいはい」

 先程まで興味なさそうに傍観していた夢月が仕方なくといった感じで懐からナイフを取り出しす。標的は姉を掴み上げているその腕。

「くるみ」

 パチュリーの命でとっさにくるみが抑えに入ろうとするが、途中ではたと気づいた。

(……殺っちゃってもらったほうがいいかも)

 足を止めるくるみ。その脇を抜けて夢月がパチュリーに高速で襲いかかった。ナイフが振り上げられ、幻月を掴むパチュリーの腕へと向かう。だがその刃がパチュリーの肌に届くことは無かった。何故なら夢月の手の中には何も存在せず、握られた形のままの手だけが虚空に振り下ろされたからである。

「──随分物騒ですねぇ、最近の図書館は。暑いし」
「いいからあなたは黙ってお茶を運んでいればいいのよ咲夜」

 くるくると指で夢月のナイフを回しながら咲夜が答える。パチュリーの横で片手に銀のお盆とティーセットを乗せて佇み、辺りの様子を伺う。襲う気まんまんの知らない敵が二人、魔法陣、つまり。

「契約失敗ですか?」
「交渉中よ」
「いや~パチュリー様が無事で良かった! 流石咲夜さん!」

 幻月を掴んでいる手とは反対の手でパチュリーはくるみに向かって腕を振った。

(あら? 秋風かしら)

 一陣の風が吹いたかと思うとくるみの頭の半分が鎌鼬で切り取られた。ぶしゃあ、という音と共に噴水のような勢いで血がくるみから噴きだす。掃除が大変、と咲夜が少し嫌そうな顔をした。
 夢月は咲夜に対して警戒を解かない。だが姉の幻月は少々意味合いの違った目で咲夜を見つめていた。

「……いいもん飼ってんじゃない。おいそこのメイド、私様のモノになれ」
「あいにく既に売却済みなので」
「姉さん状況考えて」
「そんなことはどうでもいいからさっさと出すもん出せ。燃すぞ」
「るせえよいい加減は、な、せ!」

 パチュリーの手を払いのけ幻月はようやく解放された。そのままその足で堂々と咲夜に近づきぐい、と顔を見上げた。

「誰のモノだろうが関係無えんだよ。いいから私様のモノになれっつってんだ」
「はぁ、仰ってる意味がよく分かりませんわ」
「だからこの幻月様に気に入られたって──」

 ──後の言葉は続かなかった。凄まじい轟音と共に幻月の体の上に黄土色に輝く巨大な結晶が落ちてきたからだ。とっさに動こうとした夢月の喉にも同じく紅蓮に燃える結晶の先端が突きつけられていた。加えて3つ、計5つの結晶が場に出現した。

「パチュリー様賢者の石はちょっと大げさすぎやしませんかね?」
「黙ってろ小悪魔」
「おい腐れ魔女……このくっせぇ石をさっさとどけろ。今なら半殺しで許してやる」
「“許してやる”はこっちの台詞よ。今すぐ泣いて喚いてグリモアを出せば許さないこともないけど?」
「ああ!? 自分の立場も分かんねえのかコラ、チューボーかてめえはよぉ!!」

 パチュリーが手をかざすと黄土色の結晶にかけられていた力場がさらに強くなった。床にひびが入るほど幻月にかかる重力は増大し、背中の羽も地面にへばりついてしまっている。


「まぁゆっくりしていきなさいよ」


「うるっせえよいちいちキレてんじゃねえよ」



(……こえー)

 小悪魔は微動だに出来なかった。まるでレベルが違いすぎる。くるみは血のスプリンクラー状態から回復していないから頼りにならない。最も五体満足の状態でも到底役に立つとは思えないが。

(そうだ咲夜さん! あの人ならこの場に収拾つけてくれるはず!)

 一抹の希望を抱いて咲夜の立っていた場所に振り向いた。だが確かに先程までそこにいたはずの咲夜の姿は無く、代わりに一枚のメモ用紙だけがポツリと置いてあるだけだった。

『そろそろお嬢様のお茶の時間なので抜けます。何かあっても呼ばないでください、忙しいので』
「咲夜さあああああああん!!」

 これであとは互いにぶち切れているパチュリーと幻月、鬱陶しそうに目の前の結晶を睨む夢月、そして小悪魔という面子になった。変わらず緊迫した空気が場に立ち込める。誰もアクションを起こそうとしない、若しくは起こせない。数瞬後、最初に口を開いたのは意外にもこの場において一番発言の少なかった夢月であった。

「姉さん」
「な、に、よ!」

 苦しそうに幻月が答える。

「どうやら気づかれたみたいよ、“喚び出し”がかかってる」
「あんのババァもう嗅ぎつけやがったか……!」
「何の話かしら?」

 パチュリーは攻撃の手を休めようとはしない。

「時間切れってことよ腐れ魔女。今度会った時は全身の皮を剥いでメイド服に仕立ててやるから楽しみにしておくことね」
「地面にへばり付きながらよくそこまで口が回るものね。感心するわ」
「ほざけ雌豚。養豚場でブヒブヒ言いながら肉棒でも突っ込まれてな!!」
「なっ──」

 幻月が言い終わるや否や眩い光が図書館全体を包み込んだ。そして魔法陣が二つ、幻月と夢月の真上に出現したかと思うとパチュリーが行動を起こす前に二人を吸い込みやがて消えた。あっという間の出来事だった。
 部屋には静寂が戻り、行き場をなくした賢者の石だけがふよふよと浮いている。パチュリーが腕を一振りするとそれら全てが煙を立てて消えた。

「逃げられたか……」
「何だったんですかね」
「ふん、どうにかして手駒に加えたかったわね」
「んーと、残念ながらそりゃ無理っすよ」
「あ、回復したんだ」

 BJばりに顔に縫合糸を付けたくるみがずれないように顔を押さえながら答えた。

「無理ってどういうこと」
「奴ら昔あっちで暴れまくったせいで自分らのグリモア没収されちゃってるんです。だから」
「そういうことは早く言え」
「また八つ裂きっ!!?」

 全身に縫合後が増えまくったくるみはもうボロボロの古くなったぬいぐるみのようだ。何とか意識までは飛んでいない。

「で、誰なのそのグリモアを没収したのは」
「パーツ足りない……絶対顔のパーツ足りない」
「ジグソーパズルは好きかしら?」
「あっ! 言いますっ! 言いますから止めて! だからほら! あいつですよ!」










「神ですよ、神」
次回は神綺とかアリスとか活躍する予定だといいですね。
頑張れ小悪魔、俺も頑張る。
わおん
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コメント



0.570簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
幻月さん強いしパチュリーさん怖い。
続きが楽しみです。
3.70玖爾削除
タイトル見て「先越された!?」と思ったけどそんなことはなかった。安堵してます、ごめんなさい。
しかしパチュリーが怖い。ひたすら怖い。ぱっちぇさん、とか軽々しく呼べねえな。
最近、ほのボケなパチュリーを書いていた自分は心折れそうでした、あはは。
正直なところ、ちょっとパチェ無双が過ぎたような気もするので、この点数で。
8.100名前が無い程度の能力削除
アザゼルさんパロを期待して開いたらもっとひどかった(褒め言葉)
続き楽しみにしてます!
10.70名前が無い程度の能力削除
パチュリーの小悪魔達への接し方、あまりにも鬼畜過ぎて、自分はちょっと寂しく感じました。
16.無評価名前が無い程度の能力削除
続きはありやすかい?楽しみにヾ( ゚Д゚)ノ゛マッテマース
17.100名前が無い程度の能力削除
点数書き忘れた
18.90名前が無い程度の能力削除
自分パチュリーさんはかなり強いと思ってます
まさにこんな感じです
20.90名前が無い程度の能力削除
このパチュリーと小悪魔にやりとり含め違和感がないw
悪魔だもんなー。そりゃなー。
22.90名前が無い程度の能力削除
続き楽しみにしてるよ
25.70ずわいがに削除
なんだコレはwww魔界は暗黒にやんちゃの国だし、魔理沙とかwwもう;www
邦画のようなノリでイメージ湧いてきましたわw
26.100名前が無い程度の能力削除
自然と『アザゼルさん』の中の人の絵で脳内再生されたwwwww
28.100名前が無い程度の能力削除
テンポもよくとても面白かったです。