ある時は地霊殿の主、ある時は魔法少女、またある時は妹のお姉ちゃん!
けれどそれは世を忍ぶ仮の姿。しかしてその実態は――
みんなの心の拠り所、メンタルセラピスト・古明地さとり!
どんなお悩みもびびっと解決! あなたの心を分かってくれるのは、心を読める彼女だけ!
さあ、今すぐ地霊殿までお越しを!
「え、いや、何これ」
朝起床して寝ぼけた頭のまま洗顔歯磨き、朝食をとり、着替えるために自室に戻ろうとした矢先のことだった。
扉にでかでかと、妙な煽りのついた貼り紙がしてあったのである。
全くもって意味が分からない。いや、ところどころあってるんだけど、魔法少女じゃないし。セラピストでもないし。そもそも世を忍んでなんか全然ない。少なくとも地底の中では。
まぁ、大方こいしかその辺りのいたずらでしょうけれど……しかし、どういうつもりなのかしら。やけに凝ってるデザインだし、一朝一夕で出来上がるようなものにも見えないけれど……いたずらするためだけに、こんなものを?
と、そんな疑念もすぐに吹き飛ぶ。そうだ、あの子は「そんな理由」でも手は抜かない。周りがどう思っていたところで、自分が面白いと思ったものには一直線なタイプの性格だ。そのためならどんな労力も厭わないだろう。
その情熱をもっと別の方向に向けてほしいものだわ、と溜め息を吐きつつぺりぺりと貼り紙を扉からはがす。どういうつもりだかは知らないが、こんなものを堂々と貼っておいたままに出来るほど私も神経は太くない。無論即ゴミ箱行きである。
「あぁもう……いつから貼っておいたのかしら、これ。多分私が寝てからでしょうね。全く、手の込んだいたずらをして……こいしに会ったらちゃんと叱っておかないと」
しつけは最初が肝心。最近のあの子は自由にさせている方だが、それが災いして少々奔放に動き過ぎる。たまには姉としてしっかりと言ってやらねば。うんうん。
一人で頷き、扉を開ける。そして視界に入ってきた自分の部屋の光景に、私は少しの間茫然としてしまった。
「……え、ぇっと……なん、でしょう……これは……?」
ようやく搾り出した言葉はたどたどしく、弱い。けれども仕方ないでしょう。だって見慣れた風景が広がっているはずのそこは、一面真っ白だったのだから。
白い壁に白い床、ベッドも白く机はグレー。私独自のセンスによって彩られたピンク色の可愛いお部屋が、ただ「個室」としてしか機能を果たさない殺風景な一部屋となり下がっていたのだった。
勿論お気に入りのクッションやくまのお人形さんもいない。嗚呼、私の優雅なひと時の過ごせる唯一の空間は何処へ。とんでもなく不条理で非現実的な景色に、私は頭の中まで真っ白になりかけた。
あぁ、もう、何これ。わけわかんない。朝から疲れた。寝たい。思考まで途切れ途切れになりつつふらふらと歩を進め、部屋の中の唯一の灰色に腰掛け机にべたーっと突っ伏した。
「うあー……なんなのよ、もう……どういうことなの……」
何が何やらわからない。と、ふと目を開けてみるとそこには折り畳まれた白い布と眼鏡。体を起して布を広げてみると、それはなんと白衣だった。
白衣と眼鏡。珍妙な組み合わせだ。何故こんなものが、と思った端にふとあの貼り紙を思い出す。あぁそうか、つまりこれは全部あの貼り紙の制作者の仕業だということか。成程成程、そう考えれば合点がいく。
この真っ白な部屋も診察室。白衣はお医者さんの証。つまりこれらを着けて、あの貼り紙通りの私を演じろと。ほー。誰がやるか。
もう我慢ならない。馬鹿にしているにも程がある。立ち上がり衝動に任せて、思いっきり手に持ったそれらを床に叩きつけようとする。
しかしその時視界の端に捉えたのが、備え付けの姿見。流石に備え付けの物品までは取り除くことが出来なかったようである。
「…………」
ごくり。喉を鳴らす。
右手に持った白衣と、左手に持った眼鏡と。
そしてすぐ傍にある、全身を映すだけの大きさの鏡。
誰も、見て、ないわよね……?
誰に確認するでもなくそっと呟くと、私はまたごくり、と喉を鳴らした。
「……うん、思った通り。やっぱりそこそこイケてるじゃない、私」
いつもの趣味全開の恰好はどこへやら。鏡に映った姿は眼鏡を掛け白衣をまとう、整然とした出で立ちの賢そうな女医さんである。
いやはや、敬遠していたのだが、好奇心に任せて着てみればこれがどうにも案外なかなか。似合っているじゃあありませんか。一本飛んで私がびっくりだ。
こう……ほら、体をくねっとさせてみたりとか。わーおセクシーじゃないか私。この夏はクールビューティーさとりさんで決まりね。
などと、鏡の前でふざけて遊んでいると。
――とんとん。
「ひゃぁっ!?」
突然のドアのノック音に、思わず飛び上がり悲鳴を上げてしまう。やばい早くこの服脱がないと何か勘違いされるし見られたらまずいと思いつつ、いつもの癖で「はい、どうぞ」とよどみなく答えてしまった。
しまった、と口をふさぐ間もなく開くドア。どうすることも出来ず、その場にただ硬直してしまう。しかし扉の先に見えたのは。
「あの、ちょっと相談事がありまして……」
私の恰好など意に介することもなく、暗く下を俯き続けている釣瓶落としの妖怪の姿だった。
「ふむ。そう……もうちょっとこの内気な性格を何とかしたい、ですか……成程ねぇ」
私の言葉にキスメはこくりこくりと頷く。この受け答え方もはっきり声を出さない辺り、内気だということは間違いないのだろう。
私もどちらかと言えば、人と関わり合いになるのは好まない方だし、そもそも好まれないし。気持ちは分かると言えば分かる。割り切れないと辛いのだ。
そこを割り切ってしまったのがつまりは私なのだが、この子はなんとか改善したいと思っているらしい。それはとてもいいことだ。
しかしそれなら、やることは決まっているはずなのだが。
「それなら、まずは友達と積極的に話してみるとかはどうでしょう? 新しく友達を作るとか。まずは自分から動かなきゃ、変わるものも変わりませんよ」
「…………」
そう言うと、キスメは途端に黙りこくって俯いてしまう。しかし私は覚。例え思いを口に出さなくとも、心の中が読めるのだ。
とどのつまり、それも怖いのである。最初の一歩が踏み出せない。だから、いつまで経っても進歩がない。
逆に言えば、最初の一歩さえ踏み出してしまえば、あとはとんとん拍子に進むのである。
だから私に出来るのは。
「誰でもいいのよ。あなたのことを気にかけてくれる人とか、いるんでしょう?」
「……まぁ、その、一人……」
「ならその子を大事になさいな。きっとその子は、いつでもあなたを見てくれているはずだから」
「…………!」
「あなたから目を背けていちゃ何も始まらないわ。まずは向い合って、お話ししてみることからはじめましょう。ちゃんと相手の目を見て、想いを伝えられるようしっかりと話す。出来るでしょう? 何とかしたいと思うことが出来たあなたなら」
「……はいっ」
後ろから、とんと押すことだけだ。
キスメは小さく頷くと頭を下げて、ぴょんぴょん跳ねながら部屋を出て行く。
その表情はどこかすっきりとしていて、もやもやは全部消えてしまっていたようだった。
キスメの次に間髪入れず訪ねてきたのは、土蜘蛛である黒谷ヤマメ。
何せ地底のアイドル的存在だ。私もその名前くらいは知っている。交流自体はないけれど。
「……で、そんなあなたがいったい何の御用で……あぁはいはいそうでしたね、分かりました」
「勝手に心読まれるのはやっぱりなんか不快よね……せめて会話してよ」
「そうですか、ではそのように」
正直二度手間だが、相手がそのように希望しているのなら仕方がない。相手は相談に来ているのだし、神経を逆撫でしても何もいいことはないだろう。
そうなると一つ疑問が浮かぶわけだが、それはまぁ後回しにするとして。
「それで? 人気者のあなたが、いったいどうしてそんなご不満を?」
「……そりゃあね、人気者だっていうことはいいのよ。こっちだって好いてもらうことは嫌じゃないっていうか、むしろ嬉しいし。でもねぇ……」
「話をする相手が多過ぎて面倒、ってことですよね。贅沢な悩みだこと」
「贅沢なのは承知の上。でも、切り捨てるのだって嫌なのよ。だって相手は私のことを好いてくれているんだもの」
「……まぁ、分からないでもないけれど」
相手は好意で寄ってきてくれている。それが分かっているからこそ、突き放すことなんて出来やしない。
先程のキスメとまるで反対だ。さっきは人に近付きたいと思っていて、今度は人から近付かれたいと思っている。そしてどちらも、それを悩みの種としている。
悩んでいること自体は真反対でも、その大元はどうしてか同じ。きっと、本質が同じだからでしょうね。
「あなたはどうしたいのですか? 正直なお気持ちを聞かせて下さい」
「んー……出来れば、みんなと仲良くしたいのは事実だけどさ。たまーにかちんとくるようなことを言う奴もいるわけね。そういうところがなければ気のいい奴らばっかりだから、無下にするのも忍びない。だから、直してもらえるんだったらそれで一番丸く収まるんだけど――」
「それを言い出すのにも勇気がいる、と。成程、随分と欲張りな方なのですね、あなたは」
「選べる故の悩みってやつさね。どうせ貰えるんなら、得する方を選びたいだろう?」
「えぇ、それは確かに」
苦笑する。
欲張りだ。自分の要望も相手の要望も両立させたいと思っている。これが欲張りでなくて何と言おうか。
そういう選べる立場になかった私からすれば、それは羨ましい限りなのだけれど。彼女の言う通り、選べるからこその悩みというものもあるのでしょうね。
けれどさっきも言った通り、根源はまるまる一緒なのだ。根源が一緒であるならば、当然その解決法だって。
「なら……折衷案として、こういうのはどうですか?」
「折衷案?」
「はい。その数多くいるお友達の中で、一番を自分の中で決めておくんです。いわゆる親友、という立ち位置ですね。そういう方は、あなたにだっているのでしょう?」
「うん? うーん……まぁ、相手がどう思っているかは知らないけれど、私からよく話し掛けてる相手はいるね」
「なら、その人。気の置けない親友、っていうのかしら。みんなを大事にしたままでもいいですが、その一人だけは特別扱い。誰にも話さないようなことも、その子にだけは話すのです。そうすれば、いくらか気は紛れるはず」
「……そんなことしてもいいのかなぁ……なんか、他のみんなに申し訳ないような気も」
「妖怪ですもの。誰にだって平等に接していたら疲れてしまうでしょう。だから、あなたの本当の心の拠り所は一つだけに絞る。大丈夫ですよ、あなたは誰にだって信用されている。なら、あなたが誰かを信頼したっていいじゃないですか。あなたが思っているその一人は、きっとあなたが寄り掛かってくるのを受け止めてくれますよ」
「ふーん……そんなもの、なのかなぁ」
「どうでしょうか。それ程友人のいない私には分かりませんけれど。先程仰った方は、あなたの思いを受け止められない程弱い人なのですか?」
私の問いかけに、ヤマメは少し口ごもってから返す。
「そう、とは思わないけど……でも、相手が私のことをどう思っているかが分からないから。そこがちょっと、不安、かも」
「だめですね」
「……なにがだめなのよ」
「信頼できてないじゃないですか。相手のことを慮るのも良いことですが、たまには我がままになってもいいんじゃないんですか。それが出来るということが、信頼出来るということなのですよ」
「…………」
「勿論、これは私の考えでしかないのですが。最終的な判断はあなた次第です。ゆっくりと考えて、それからお決めになってもいいでしょう。私以外の誰かに意見を聞くのもいいでしょうね。ただ、最後は絶対に自分の判断で決めること。それが一番大事なのですから」
暫く黙りこむヤマメ。しかしやがて、うんうんと何度も頷き、急に立ち上がって彼女は言った。
「うん、そう……そうだよね。私が決めなきゃいけないんだ。うん……分かった。ありがと、さとり」
「どういたしまして。何かヒントを得られたようですね。よかった」
「うん。なんだか、話を聞いてもらうだけでもやっぱり違うね。頭が軽くなった感じだよ。他の奴にはなかなか言えないことだったからさ」
「そうですか。もしよければ、今度からはあなたの親友に話を聞いてもらえばいいでしょう。あなたのことを分かってもらえる相手なら、きっと理解してくれますから」
私にとってのペットのように。
ヤマメにとっての誰かは、自分の心の内をさらけ出せる相手なのだろうか。
私には分からないけれど、ヤマメ自身は自分の中での答えを出せたようだった。
「そんじゃ、そろそろお暇するわ。また今度何かあったら愚痴らせて。あんたみたいな立ち位置の意見も、結構貴重だからさ」
「最後まで失礼な……勝手にしなさいな。もしまた来たら、お茶くらいは用意しておきますから」
私の返しにからからと笑いながら、ヤマメは部屋を後にする。
憑き物の落ちたような晴れ晴れとした笑顔は、人気者らしくとても魅力的に見えた。
「――で」
なんで私が本当にアドバイスなんかしているのやら。というかあれはなんだ。勢いで押し切られた感がするけれど、どうして私のところに来たんだ。っていうかなんであの話を知っているんだ。
とそこまで考えてはっとする。そうだ、あの子なら、こいしならやりかねない。外まで行って、そこらじゅうにあの貼り紙を貼ることなんて――きっと、何のためらいもなくやってのけるはず。
あぁっもう! どうしてこんなことにまで気が回らなかったのかしら……あの行動力を知っていて、その可能性に気付かないなんて!
あぁやって既に客が一人来た以上、情報自体はもう出回ってしまっていると考えて間違いない。つまり今から回収に行ったところでもう遅いというわけだ。
なんという災難。うっかりしていた私が悪いのだけれど。
ほら、またノックの音が聞こえる。こんこんと、私を訪ねる音が聞こえる。
……仕方ない。不本意ではあるけれど、私を頼ってきているわけだから。それに応えないのは、いささか私の良心が痛む。
意を決し、扉越しの相手に届く程度の声で返事をする。次いでがちゃりとドアノブをまわす音。開いてゆく扉の先には――
「はい、また来ないことを祈っていますよっと……はぁ、どうしてこんなに大繁盛なんだか」
くるわくるわ人の波。鬼やら橋姫やら何やら何やら。地底はこんなにも疲れた奴らばかりなのかと、一周回って心配すらしたくなるほどである。
極めつけは空だ。なんで一番何も考えてなさそうなあんたがここに来るんだ。と尋ねてみれば理由は単純、最近食事の量が少ない感じがすると。もしかしてこれはいじめじゃないかと。違うってそれはいじめじゃないってただあんたがエネルギー無駄に消費しまくるようになったからでしょうがって突っ込んだらしょんぼりしちゃったから、ご飯の量を増やすと約束したら途端に元気いっぱいになるし。何この現金すぎるペット。見てて逆に清々しくなるくらいだったわ。
まぁ、そんな予想外の来客もあってか私自身が今非常に消耗しているのだった。正直もうベッドに横になって寝てしまいたい。どうせまだ来るから、おちおち寝てもいられないのだが。
――こんこん。
ってほら、言ってる傍から。
「はぁい……どうぞ中へ」
「はぁ……それでは、失礼します」
「はいこんにちは、じゃあ……ってあれ、燐?」
「えっと……はい、まぁ……そうですけど」
声では分からなかったが、顔を上げてみればそこにはいつも見知った姿。ペットの火車、火焔猫燐である。
空に続きお前もか、と言いそうになってしまったが、そのやけにげっそりとした表情を見ればあまり良くない状態にあることは分かる。
これはあの貼り紙の件を覗いても、飼い主として話を聞かないわけにはいかない。何より助けを求めてきたのだ。それを無下に扱うことは出来ない。
何はともあれ、まずは何を悩んでいるのか。まずはそれを尋ねてみた。
「あなたがこんなところにくるなんて、予想もしていなかったから驚いたけれど……その様子だと、かなり疲れているようね。一体何があったのかしら?」
「いや……何があったというか、その……ね、はい」
内容がなかなか言い出しにくいそれなのか、濁すばかりで要領を得ない回答。これは放っておけば長引くタイプだと判断し、私の方から仕掛けていく作戦に変更した。
一日だけでもかなりの量をこなせば、それなりにノウハウは身につくものなのである。
「大丈夫よ。誰かに知られたくないことも、決して口外したりはしませんから。だから安心して話して?」
「あ、えっと、そういうことじゃ、なくて……その、本来は喜ぶべきことなんですけどね」
「喜ぶべき、こと?」
「はい。……ほら、おくうとか、こいし様とか。こういうのもなんですけど、最近、かなり自立するようになったじゃないですか」
「ふむ……まぁ、そう言われればそうかも」
空はちゃんと仕事を一人でもこなせるようになったし(それまでは燐がサポートについていた)、こいしだって何か問題を起こすわけでもなくなった。ここ最近はどちらも落ち着いた生活を送っている。それはあの子たちが成長したというべきなのだろうし、また実際そうなのだろう。精神的な成長は目に見えないから分かりにくいけれど、あの子たちも徐々に変わり始めているのである。
「それがですね……なんだか、寂しくなっちゃって。あたいを頼ることなんかもうないんだろうなぁって思うと、ちょっとだけ悲しいんですよね。何故か。で、それを悲しいと思う自分が、なんだかとっても嫌な奴に見えてきて……」
「成程ねぇ……その気持ち、分からなくもないわ」
いわゆる親離れ、という奴だ。
燐は基本的にお世話係。手の掛かる子の世話は、ほとんど燐に任せっきりだった気がする。私もここ地霊殿の主として誰からも慕われる良い主人を演じてきたつもりだったが、幼かったペットたちが成長してまた自分たちだけで仕事を回していくのを見ると嬉しい反面、どこか寂しく思う気持ちも確かにあったのだ。
常に頼られっぱなしの位置。それがいつの間にか頼られなくなっていたと分かった時の気持ち。全部まるまる、そっくり理解できる。
これは憶測だが、きっと燐もそれが分かっていて私に相談を持ち掛けてきたのだろう。何となくだが、そんな思いが伝わってきた。
「でも……ほら、こういう時って普通は喜ぶものでしょう? 喜びますよね? でもあたいは、それが何故だか悲しくって悲しくって……もう、どうすればいいのやら……」
そこで燐は言葉を切って、両手で顔を覆い嗚咽を漏らす。きっとまた昔のことを思い出してしまったのだろう。
自分の中ではまだまだ昔のままの姿で、でも現実にはもうすっかり一人前。そのギャップは、あまりにも激しい。
だから私は、大丈夫よ、とまず最初に声を掛けた。
「大丈夫、って……何がですか……?」
「みんなね、確かに成長してる。もう手のかからない良い子たちになっている。それでも、あなたがいらなくなったわけじゃないのよ。いなくちゃならない。あなたのことを必要としているからこそ、なるべく負担を掛けまいとみんな自分一人の力で頑張ろうとしているんじゃないかしら?」
「……それは……分かりませんけど……」
「だから、そんな心配はいらないのよ。心の中ではみんなあなたのことを頼りにしているのだから。何より、私自身があなたを必要としている。この地霊殿はあなたがいなくちゃやっていけないのよ」
「そ……そうですかね……」
「そうよ。今のは私の心の底からの本音。だから安心なさい。あなたは胸を張っていればいいのよ。周りのみんなから信頼されている、地霊殿のリーダーなんだから」
「ほ、褒めすぎですよう……えへへ……」
ぽりぽりと燐は恥ずかしそうに頬を掻く。まぁ、多分に誇張は入っているけれど、事実であることは間違いない。実際燐がいなければ、この地霊殿は回ることすら出来なかったように思える。
努力家で堅実で、でも人にはそれを決して見せない。そんな生真面目さがあるからこそ、あんなことで思い詰めてしまうのだ。自分が思っているように、また自分も思われていることを知らない。そのことにさえ気付けばまた違った結果になるだろう。
今の燐はそれに気付けた。きっとそれは、とても尊いことのはずだ。
「……話を聞いて頂きありがとうございます。すっきりしました。いきなりお邪魔して申し訳ありませんでした」
「ふふ、お礼を言うか謝るかどっちかにしなさいな。……でも、ペットたちの相談ならいつでも大歓迎よ。何か悩み事があったらまたすぐにいらっしゃい。いつでも待ってるから」
「はい! ありがとうございますさとり様!」
そう言って燐はにこやかに笑い、それじゃあまだ仕事が残っていますのでとぺこりを頭を下げると止める間もなく行ってしまった。
こんな日くらい、仕事を休んだっていいのに。勤勉過ぎるのよあの子は。たまには休むことも覚えないと。
と、そこまで思ってからその勤勉さがみんなに好まれていることを思い出して、つい噴き出してしまった。
「このくらい、かな……もう夜だし、わざわざここまで来る人もいないでしょう。はぁ、疲れた」
矢継ぎ早に訪れる来客も今やなし。たった一日でここまで多くの人が来るとは。ただひたすら疲れた。もうすぐに寝てしまいたい。
勿論ご飯だってまだだし、お風呂にも入らなきゃいけないし、歯も磨かなければならないのだけれど。それでも今は、ただこうして休んでいたかった。
「……お疲れ様、お姉ちゃん」
「……こいし、いつからそこにいたの?」
「さっき」
「入ってくる時はノックくらいしなさいな」
「いいじゃない。姉妹ですもの」
「全く……困った子ね」
背後から聞こえてきた耳慣れた声。しかし私は体を起こすこともせず、そのまま会話を続ける。
恐らくは、自分の仕掛けたいたずらがどう効果を表したのか見に来たのだろう。けれど私はそれを追及することはない。その気力すら残っていなかったのだ。
そこまで計算してこいしがあんないたずらをしたのかというと、微妙なところだけど。
「ごめんね。まさか、こんなに人が来るなんて思ってなかったからさ」
「やっぱりあなたの仕業だったのね……また変なことを思いつくものだわ。どこからあんな発想が出てきたのやら」
「だってさ……お姉ちゃん、いっつも家の中に引きこもってばかりだから。たまには知らない人とお喋りするのも、いいんじゃないかなぁって」
「……そんなの、一人二人でも疲れるというのに。今日だけで十人くらい、見たこともないような相手の相談に乗るはめになったわよ。いい刺激にはなったけど、おかげ様で久しぶりにこんなに疲れてしまったわ」
「だからそこまで予想してなかったんだよう……ごめんね、お姉ちゃん」
「いいわよ別に。気にしてないから」
気にしてないならどうして言うのか。決まってる。妹の困る顔が見たいだけだからだ。
にしても、ただのいたずらでなくそんなことまで考えていたとは。咄嗟に考えた方便かもしれないけれど、燐の言っていたように、この子もしっかりと成長しているみたいね。
やれやれ、全く、どいつもこいつも。回りくどいことばっかり考えて行動するんだから。
もっと素直になりなさいな。
「ちょっとこいし。こっちへいらっしゃい」
「ん? なーに?」
「いいから」
私が手招きするとこいしはとたとたと近寄り私の顔を覗き込む。瞳の中は疑問に満ちて、いったいどうして呼んだのだろうかと顔に書いてあるかのようだ。
だから私は、その答えを行動で示すことにした。
「わうっ! ちょ、ちょっとお姉ちゃん!? どうしたの、いきなり抱きついたりなんかして……」
「黙って抱きつかれてなさい。私だって疲れるんだから、これくらいのご褒美はあってもいいはずよ」
「ご褒美なの?」
「ご褒美よ」
そう答えると、こいしはうーんと何やら考えている様子で、最後にうん、と小さく漏らしてから言った。
「ならいいや。お姉ちゃんへの、ご褒美ね」
「えぇ。…………」
そのまま抱きつき続ける。
直に伝わる心臓の鼓動。私の音も聞こえているのかしら。なんて、そんなことを思って、少しだけ恥ずかしくなったり。
でもそれすらも心地いい。こうしているだけで癒される。どんな疲れもこうしていれば、一日で吹き飛んでしまいそうな、それくらいの。
けれど、今日くらいは良いわよね。こうしてたって、罰は当たらないはずだよね。
そう、だって。
私にとっては妹が、私のメンタルセラピストなのだから。
こいしちゃんの拠り所もさとり様かしら
・誤字報告
燐の台詞「……それは……分かりませんけど……」は「……それは……分かりますけど……」では?
面白かった。続編とかないんですかねぇ…(チラッ
誤字?
両手で顔を多い嗚咽を漏らす。
覆いのまちがい?
お燐ちゃんええ子や・・・
元々他人に嫌われるのが嫌で第三の目を閉じたこいしが、
他人と接する楽しさを知ってそれをさとりにも味わってもらおうとする。
覚り妖怪らしい生き方ではないのかもしれませんが、この話のこいしは別の道を見つけたようで好感が持てます。
さとりの方もいかにも人の心を知り尽くした妖怪、という感じで、いい相談役になっていたようですね。
「なんでわたしがこんなこと」と愚痴りながらもついつい相談に乗ってアドバイスしてしまうのは、やはり他者の心が分かる故でしょうか。
苦しみが見えるからこそ無視できない、と言った感じで、非常に優しい印象を受けるさとりでした。
ただ、話の構成的に仕方がない面もあるのでしょうが、
ずっと一つの部屋にいて悩みを聞いてアドバイスして……といった展開の繰り返しであるが故に、少々退屈にも感じました。
「お姉ちゃんにいろんな人と話をしてもらいたい」というのがこいしの狙いであれば、
最初さとりが白衣を着た辺りで部屋に飛び込んできて、姉の手を引いて旧都の町へ飛び出す、といった展開の方が良かったかもしれません。
それで道行く人々の悩みを察知してさり気なくアドバイスしたり、姿を隠せるこいしと協力してその人の悩みが解決するよう陰ながら導いてやるなりする……といった展開にした方が、起伏があって面白く読めたような気がします。
作中で語られていることや、他人の悩みに対してアドバイスしてあげるさとり、というコンセプトは非常に魅力的だと思いますので、
もっと動きのある筋書きで読んでみたかったな、というのが個人的な感想です。
それでは、ありがとうございました。