おはようございます。みんな大好き小悪魔です。
朝起きたらパチュリー様が本の山に埋まってました。はい。
「…………」
「むきゅううう…………」
驚くには驚きましたが、「何故」とは思いません。パチュリー様のことです。
朝起きたら目覚しに一冊。目覚めの紅茶片手に一冊。朝食後の腹ごなしに一冊。「頭の運動」と称して一冊。……もうすでに例を挙げていくのが面倒くさくなってきましたが、ひがな本を片手に過ごしていらっしゃいます。
なにしろ魔法使いであるパチュリー様はライフサイクルというものが存在しません。目が覚めて本、食後に本、ならまだいいほうです。
下手をすると読書と読書の間に他の動きが入らないこともあります。「就寝」と「起床」すらありません。隣りでパチュリー様を見ている私の目がしょぼついてきます。眠いんです。
最近は読むだけに飽き足らず、本の様々な使いかたを模索しているようです。
武器にするのはもちろんのこと、枕に百科事典、積み立ててイスにするのは基礎のうち。唐突にトランプタワーを建ててみたり、ジェンガをしてみたり。
この前は本をピンにして、ボーリングをしていました。あ、球はロイヤルフレアでした。あれ使うと燃えるみたいですよ、いろんな意味で。
話が脱線気味でしたが、そういうぜんk…………前例があるので、パチュリー様が本の山に埋もれていても、なにも不思議ではないのです。そういえば昨日は革表紙の本を敷きつめて転がっていたので、今日は被りたくなったんでしょう。たぶん。
「むーむーむー、きゅーきゅーきゅー、むーむーむー……」
「…………SOSっ!?」
<救助されました。>
「ねえ、こあ。私、死ぬときも本に囲まれて逝きたいわ……」
「たった今実現なさるところでしたが、何か?」
私の片付けに不備があって崩れたのではないか、とも思いましたが案の定です。わざわざ自分で本の下敷きになって死にそうになっているようなご主人様には三倍ツンモードです。ふーんだ。コーヒーはミルクとシュガー無しにしてやります。
「もうちょっと乗ってくれてもいいじゃない……」
「一緒に埋まれ、という意味でしたら遠慮させていただきます」
「つれないわねえ……」
「そういわれましても」
つきあいが悪い、という評価は悪魔の間ではクビにも等しいレッテルなのですが、パチュリー様に言われてもカユイです。というか、ご自分の閉じこもりグセをなんとかしましょう、パチュリー様。ええ、可愛い顔をしてもだめです。
「ところで、パチュリー様。今日は何かご予定は……」
「予定……? そうね。無いに等しいけど、」
ふと言葉を切って、パチュリー様は図書館の出入り口のひとつ――最近になってよく開くようになった扉の方を指さしました。
「……いつものネズミはいるかもしれないから、迎撃よろしく」
まあ、パチュリー様が期待するお客様なんて、おおよそ予想はつきますが。
「またさっくり負けちゃうと思いますけど」
「その時はその時。今から負ける気でいてどうするのよ。まあ多分負けるけど」
「容赦ない評価をありがとうございます」
「妥当なとこでしょ」
「だいたい私なんかより、もっと強い使い魔を呼べば良かったんじゃないですか」
まあ、私も分かっていて言っているのですが。これで「それもそうね」なんて契約解除された日には目もあてられませんし。それに……。
「……またそういうことを言う。別に、あなたは本の整理が出来ればそれでいいのよ」
「分かっておりますとも、ご主人様(マイマスター)」
◇◇◇◇◇◇◇◇
暗く澱んだ水の底から、海面へと浮上するように、意識が戻ってくる。
何回目か。数えるのはもうやめた。どうせこの先も無限に増え続けるのだから、この一回や二回に何の意味がある。少し長いか、短いかの違いがあるだけだ。
何人目かだって、もう数えたくもない。記録さえ残っていればいい。記憶なんて、無数の過去のなかに消えてくれればいいのに。
この前のやつは、『人間以下だ。話にならない』だったっけ。罵倒で済んだだけ、儲けたものだ。銀の杭も茨の鞭も無かったのだから。
だいたい、あの程度の用意では私のようなものが出て来て当然じゃないか。……それでも『話にならない』のだから、我が身の無力さが知れる、といったところかな。思い出すだけで自分がいやになる。
だんだんと戻ってくる視力に、周りの風景が映りこむ。
一瞬、そこが建物の中なのかどうかも分からなかった。上を見上げるようにして、初めて天井が目に入る。
こんな巨大、いや広大な建築物など、目にしたことがなかった。呆けるようにしばらく見入ってしまったのは仕方のないことだと思う。
でも、もっと早く目の前にあるものに気付くべきだった。
人の気配を感じて、あわてて正面へと視線を戻す。召還されたのだから、召還した人物がいるはずなのだ。なるべく長く居座るためにはマイナス点を極力つくらないことが基本だというのに、うっかりしていた。
契約事項の最終確認もしなくてはいけない。私は、自分を囲む魔方陣、その向こうにいるはずの新しいご主人様を見ようと正面を見据えた。
「……『これであなたもエレメンタルマスター☆』?」
まず目に飛び込んできたのは、そんな言葉だった。本の題名じゃないか。……いやいや、本を探しているんじゃない。私を召還した人を…………
「……あれ……?」
いまごろ気付いた私も相当にばかだと思う。
魔方陣の周りには一面に、何十、いや何百、それ以上の本が積んであったのだ。しかもよく見ると全ての本が魔力を持っているようで。どうやら私を呼ぶための魔力の足しにしたらしい。私程度を召還するのに……?
しかし、まあアホみたいな量の本が…………
「…………」
……さて突然だけど、召還儀式の風景というものをご存じだろうか。
術者が呪文を唱えると魔方陣から光が溢れ出し、それとともに呼び出された、例えば使い魔がその中に現れる。まあ、そんなイメージでだいたい正しい。
でも、それだけでは済まない。召還のために用意された魔力。それが全て召還の対価に消えるわけではなく、必ず余剰魔力が発生するのだ。
余って魔方陣から溢れてくる魔力をどうにかしている余裕など術者にはない。つまり魔力はそのまま放っておかれ、周囲に風や振動や衝撃となってあらわれる。
『召還儀式をするときには、まず周りを片付けましょう』というのはこどもの約束事みたいなものだ。
……何が言いたいかというと、私程度を呼ぶのに注ぎ込んだ大量の魔力がそのまま辺りにリバースして、んでその辺に積んであるこれまた大量の本をぐらっぐら揺らしているわけで。
あ、くずれてきた。
本の波が私を飲み込もうとゆったり迫ってくる。あれ、おかしいな。とっくに巻きこまれていてもいいのに、まだ波が私にだんだん近づいてくる。
……ああ、『時が見える』ってこういうことなんだ。実体験できるとは思わなかった。え、まさか今回の契約もうこれで終わり? …………あはは、最短記録じゃない。次の所で自慢できるわ。契約主の顔も見る前に解約されました、ってね。
じゃ、さようなら。カビ臭い本の山。
「うきゃあああああああっ!?」
「むきゅうううううううっ!?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
どさささっ
わざとらしい音をたてたくもなります。
パチュリー様が埋まっていた本の山は、当然のことですが、私が片付けている真っ最中です。
人ひとり埋まってしまうような量です。簡単には片付きません。その間散らかした本人は優雅に読書に励んでいるのですから、主人と使い魔という差が身に沁みます。
もちろん、代わりに他の仕事が無くなるわけでもないですし。あ、目にも沁みてきた。これは百倍ツンモードでもいいかもしれません。ちくしょー。
パチュリー様は……今はお静かに読書中のようです。
正直に言うと、読書していらっしゃるときのパチュリー様が、一番安心できます。これで朝っぱらから実験だなんだと始められたときには私の身が持ちません。今でさえそこそこにギリです。
いつも思うんですが、『睡眠が必要ない』主人と『睡眠が必要な』使い魔っておかしくないですか? 逆ですよね、ふつう。ぷんぷん。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私が目を覚ましたのは次の召還陣の中ではなく、ベッドの上だった。
その事に気付いて、飛び起きる。というより、なぜ私は介抱されているのだろうか。使い魔など、よほど高位の存在でもないかぎり捨ておかれるのが常だというのに。しかも、シーツも何もかなり質の良い品じゃないか。いったい誰がこんな……
「あら、無事だった?」
「あ、はい。…………え?」
左から聞こえてきた声に条件反射的に答えてしまう。言ってからあわててその方向に顔を向けると、声の主は眠たそうな目をこちらに向けた。
「召還した途端に圧死されたらどうしようかと思ったわよ。今度こそ誰も呼べなくなるかしら」
「はあ…………」
声の主は年の頃十五ほどの少女だった。紫色のネグリジェのような服――いやネグリジェだろう――を着て、寝起きのような目でイスを揺らしている。
彼女が助けてくれたのだろうか。
「あの…………」
「ああ、まだ寝てていいわよ。安定してないでしょ」
そう言うと、少女は膝の上に広げた本に目を移してしまった。
…………本?
「あの……! もしかして……」
「なによ。騒ぐくらいなら仕事してもらうけど」
「違います! え、あ、違わないんですけど……。もしかして、あなたが私の」
私の言葉に思いあたることがあったらしい。少女は突然立ち上がると私のもとに歩み寄り、おもむろに私の額に手をあてて、
「……あ、ラインが繋がってなかった。どうりでなかなか目を覚まさないはずね」
そう言った途端に、その少女の手から私に有り余るほどの魔力が流れ込んできた。そうかやっぱり、私の目の前にいる彼女が……
「あなたが……私のご主人様ですね」
「ええ、そうよ。私はパチュリー。パチュリー・ノーレッジ」
よろしくね。そう差し出された右手に、私は困惑するしかなかったのだけれど。
◇◇◇◇◇◇◇◇
大きく開いて差し出された右手。
対して私が出したのはチョキ。
ウィナー、私。ひゃっほい。
「ああもう、あなた相手にじゃんけんすると必ず負けてる気がするわ……」
「では約束どおり、ご自分でお願いしますねー」
むきゅん、と面倒くささを全身であらわしてテーブルにつぶれるパチュリー様。
十も歩けば見つかる本くらいは自分で取りに行ってほしいものです。私はパチュリー様が昨日広げた革表紙コレクションを片付けるので忙しいのですよ。にぱー。
「…………あなたは何のためにここにいるのよ」
「パチュリー様の健康を守るため、と自負しているのですが、いかがでしょうか」
「ラクしたくて呼んだんじゃなかったかなあ、私」
「魔法使いも太るらしいですよ? お体が弱いとはいえ、適度な運動はなさってください」
「はいはい……。私も面倒なやつを呼んじゃったものね。主人を動かす使い魔なんて」
そうは言いながらも、何かにつけてじゃんけんに持ち込もうとするパチュリー様が、私は大好きです。
「こあー。高くて届かないわ。やっぱり取って」
「そんなパチュリー様にはこちらの脚立をおすすめしますねー」
「むきゅー……けち」
◇◇◇◇◇◇◇◇
私の仕事は主に本の整理だった。
ひと口に本といっても、この場所ではその重みが全く異なる。あまりにも多すぎるのだ、本が。この建物自体が本で出来ているといっても間違いには感じないくらい。
昼も夜もなく本を読みつづけるパチュリー様は、私に無理難題を押しつけるようなことはなかった。こう言ってはなんだが、なかなかの良識の持ち主らしい。魔法使いに良識だなんて、皮肉過ぎて笑ってしまうけれど。それでもそのおかげで私は痛めつけられることも、理不尽な叱責を受けることもなく仕事を続けていた。
「コーヒーを、お持ちしました」
「ん……」
パチュリー様は、そう唸るように返しただけでまた文字の森へと没入してしまう。本に集中し始めるとまともな会話も成り立たなくなるのだ。やりづらくはあるけど、それでも今までに比べればずっとマシ。
ところで、ここに呼ばれてからというもの、私はここから一度も出たことはなかった。パチュリー様も私も、栄養補給という意味での食事は必要がない。私はパチュリー様から魔力の供給があれば、それだけで十分活動できる。
よって、この場所で消費されるものといえば主に筆記具、羊皮紙とコーヒーになるのだが、そのどちらも、気が付けば何時の間にか補充されているのだった。
パチュリー様が自力でなんとかしているとは考えにくい。となると、誰か協力者がいるはずなのだが……。魔法使いに協力者というのもおかしな話だ。でもまあ、パチュリー様ならありえるかもしれない。
静けさだけが充満していた空気をかち割るように、鐘の音が十二回。鐘がなったということは、夜の十二時なのだろう。パチュリー様が言っていた、ここの鐘は夜にしか働かない、と。
何故かは聞かなかった。パチュリー様が言わないのなら、私が知る必要はないことなのだろう。
「ああ、もうこんな時間なのね……。こあ、もう休んでいいわよ」
他の音にはほとんど反応が無かったはずなのに、鐘の音には敏感に反応するパチュリー様。
「いえ、お気になさらないでください。私なら大丈夫ですから……」
これもまた信じられないことに、私には一日ごとの休息が与えられていた。私の経験と常識からではありえないほどの好環境。でも、私はその事を素直には喜べなかった。
本当に、なぜ私なんかがここにいるのだろう。彼女なら、もっと高位の存在を使役することも容易いだろうに。
「あのね…………」
パチュリー様が音をたてて本を閉じる。このとき初めて、私はパチュリー様の不機嫌そうな表情を見ることになった。
「あなたは私から供給を受けていれば問題なく活動できるかもしれないけどね。知らなかったかも分からないけど、あなたは消費効率が極端に悪いの。休息をとらないのは、あなただけの問題じゃなくて私にも影響してくることなのよ。いい? 分かったら、主思いの使い魔は二、三時間でも休んでくること」
分かったわね? パチュリー様はこちらを見つめたまま、そう念を押すように問い掛ける。
「……はい……分かり、ました。では……」
「あい、おやすみ」
「おやすみ、なさい……」
私が起きていることで無駄な消費があると言われてしまっては、少しでも眠っておくしかない。また本へと意識を戻してしまったパチュリー様に背を向けて、私はその場を後にした。
でも、それでも……やっぱり分からない。なぜそんな私をわざわざ使役しているのだろうか、彼女は。消費効率が悪いと口にするくらいなら、さっさと代わりを探せばいいのだ。こんな何の取り柄もない『小』悪魔など置いておかずに…………。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「……全く。本当に悪魔なのかしら、あの娘は。こうでも言わないと……。まるで――」
――まるで人間みたいね。
溜め息混じりに呟いた声は、もちろん、小悪魔まで届くことはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
午前十時を告げる鐘の音、そして大扉がきしみをあげて開く音がちょうど重なって聞こえてきました。
「サイレントにおじゃまするんだぜー」
あったりめーだばーろー! ここは図書館だこんにゃろー! という叫びは心にしまっておくとしまして。図書館ですから。
そろそろいらっしゃるかな、とは思っていたんですよ。もともと顔なじみといえるお客様の少ないこの図書館ですので、普段からおいでになる方は片手で数えられる程しかいらっしゃいませんし。
私の場所からだと姿は見えないのですが、この声と口調からしても、考えるまでもなく『魔理沙さん』でしょう。お茶の時間を狙っているのかはともか――
「うわきゃああああああ!?」
――およそ聞き慣れない可愛らしい悲鳴と、少なからず本の落下音のようなものが聞こえてきました。
さてはもうなにか散らかしたんですか……? うふふ、また本を棚に戻すだけの作業に戻れと? いい度胸ですねえ。珍しく大人しく入ってきたから迎撃で散らかすこともないかと思っていたの…………
…………迎撃? あ。
「ごめんなさい……」
「まったくだ……。たまにと思って大人しく客として来てみたのに、不意撃ちなんだぜ。まったく、ほんとにまったく」
魔理沙さんは扉を入ってすぐの所で、今朝のパチュリー様のごとく本の山に飲み込まれていました。
とはいえ、ご自分で散らかしたわけではありません。実は、私が仕掛けたトラップが何故か作動していたんです。何故でしょう。何故でしょうね。ええ、この小悪魔にはちっとも分かりません。
…………起動コードをシンプルに『魔理沙さん』としたのがまずかったんでしょうかねえ。
ちなみに自分で仕掛けたトラップだったので、元に戻すのも一発です。仕事を増やすようなマネはしませんよ。その辺にぬかりはないのです。
その音がパチュリー様にも聞こえていたのでしょう。私が魔理沙さんをお連れしたときには、もうこちらに気付いていらっしゃいました。
「また来たわね、黒ネズミ」
「おう。今日は本じゃなくてクッキーをかじりに来たんだが」
「クッキーが無くなれば本に手を伸ばすんでしょう」
「さあな。未来のことは未来の私に任せてあるから」
「……白々しさも相変わらずね。こあ。紅茶、お願いね。こいつの分も用意してやって」
「用意してやってくれー」
「はい。少々お待ちくださいな」
どう言っても、やっぱり仲が悪いということもないですもんね、お二人は。給仕室に向かう間も、後ろの方から聞こえてくる声からも、会話が弾む様子が自然と想像出来ました。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私は今、『死』に直面している。
「…………」
「えあ……うっ、あっ……あの……」
もっとも、今にも死にそうだとか、そういった状況になっているわけじゃない。でも、限りなくそれに近い。
つまりは、目の前にいて、私の目を覗き込んでいる吸血鬼だ。見た目はとても幼くて、きっと遊びざかりな年頃の少女そのもの。だが、その目に映る光が内面の幼さを完全に否定している。
吸血鬼は扱い上、悪魔の『眷属』ということになっているが、その辺の一般悪魔に比べればよっぽど純粋種に近い力を持っている。私の行動如何によっては、次の瞬間に文字どおり蒸発させられたとしても何の不思議もないのだ。
そんなものと何故、対面してしまうことになったのか。……答えは実に簡単。この図書館がある屋敷(まず屋敷だなんて気付かなかったけれど)、その主なのだ、この見た目少女な高位魔族は。
ある夜、休息を終えた私がパチュリー様の元へ戻ると、パチュリー様とこの悪魔が談笑していたのである。
「あ、あの…………お嬢様、とお呼びして、よろしい、ですか……?」
「…………」
一言の返答も返ってこない。表情も視線も無表情を装ってはいるが、何を考えていかはすぐに分かった。
値踏みしているのだ、私のことを。
どうやら、パチュリー様とこの悪魔は友好的な関係であるらしい。おそらくは、パチュリー様を支援しているのも彼女なのだろう。その友人にある日突然使い魔ができたら、まずそれを疑うのは当然のこと。
「…………ふん」
「あの……」
目を覗き込むのは止めてもらえたが、今度は逆に、こちらを全く見なくなった。
「……なにか力を隠してるのかとも思ったけど。そんなんじゃパチェにはかすり傷もつけられないわね。もういい、せいぜい働け」
「そんな判断をしてくれなんて誰も言ってないじゃないの、レミィ。……こあ。こっちはいいから、何か淹れてきてちょうだい」
パチュリー様から助け舟、というわけでもないのだろうけど。どちらにしろ、これ以上この悪魔と対面し続けるのは御免被りたい。個人的にはありがたい命令だった。
「はい。……あの、お二人とも、コーヒーでよろしいですか?」
「……コーヒー?」
「…………っ!」
「レミィ。悪いけど、お茶っ葉が無いのよ」
「なんでさ」
「基本的に飲まないのよ」
「じゃあ今度からこっちにも持ってこさせるからさ、置いといて頂戴よ」
お二人はなんでもないように話しているけど、私は生きた心地がしなかった。パチュリー様の執り成しが無ければ、片翼くらい飛んでいたかもしれないのだから。
そして、給仕室。私の前には、お茶の葉が一瓶。それと、必要な道具も一式揃っている。
あの後のパチュリー様の「まあ、じゃあ試しに一度淹れてみなさいよ」という一言で、こういう状況になっているのだけど。
ちょっと途方に暮れてしまうけど、やらないわけにはいかない。まずはお茶の葉の入った瓶に手を伸ばす。
蓋を開けると、私を取り囲うように香りが広がった。……ちょっと変わったクセのある感じ、ウェールズかな。吸血鬼なのに『ウェールズ』ってどういう趣味なんだろう。好きなのかな?
「ふふっ……」
自分でも意識しないうちに笑いが零れてた。やっぱり私、紅茶が好きなんだろうな。知らず知らず、気分が高揚してたみたいだ。
「……うん。いつも通りにやろう」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「で、どういうつもりなの、パチェ?」
「……何が?」
「近頃は高位のやつばかりたて続けに呼び出してたと思ったら、あんな弱っちいの呼んで。てっきり失敗したんだろうと思ってたのに、いつまでたっても送り返さないし」
「何をふてくされてるのよ……」
「別に……。まあ、さっきも言った通りあんな奴じゃパチェを狙うには役者不足だから、そういう面じゃ心配は無いけど? まさかとは思うけど、パチェはあんなのと正契約したりしないわよね」
「……使い魔は力が云々じゃないのよ」
「…………そ。まあ、これ以上は何も言わないけど」
「ええ。ありがとう、レミィ」
「ふん……この『運命の吸血鬼』の前で後悔なんかしたら……パチェ、あなたとはいえ、殺すからね」
「あら、こわい」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お待たせいたしました。ウェールズ、お好きなんですか、お嬢様?」
「……いいから、さっさと用意して頂戴」
……いけない。思わず余計なことを。
「ウェールズ? ……あら、ほんと、よく分かったわね。詳しいの、こあ?」
「いえ、ほんの少しだけです。……どうぞ」
そう言って紅茶の入ったカップを差し出す私を見て、パチュリー様もお嬢様も、変な顔をしている。……少し、調子に乗りすぎただろうか。
パチュリー様は恐る恐る――本当に恐る恐る、だ――カップを口に運ぶ。そして、ひと口含んで……。
「…………あら。……美味しい」
そう言ったパチュリー様は、軽くて本当に小さな、それでも私にとっては初めて見る微笑みを浮かべていた。
――それはきっと、ある意味『魔女の微笑み』だったのだろう。たった一度目にしただけの私を、こんなにも惹きつけてしまったのだから――
「へえ……紅茶くらいはまともに淹れられるのね。今度から、お茶の時だけはここに来ることにしようかな」
「あらレミィ。さっきはあんなにこきおろしておいて」
「評価するべきところは評価する主義なのよ」
目の前でパチュリー様とお嬢様がそんなようなことを話しているけれど、半分以上聞いていなかった。全く違うひとの声が、私の脳裏に、本当に久しぶりによみがえっていたから。
『使い魔というのはご主人様のためになること、そのために生きることよ。それはね、納得するしかないの、使い魔になるからにはね。でも、誰かに仕えるからには、その人の笑顔のために働くことよ。そうすればきっと自分も幸せになれるから。
ほら、自分も幸せじゃなきゃ、存在する意味がないでしょう?』
紅茶の淹れ方も知識も、その人から教わったんだ。
この人のところなら、私、幸せになれるかな? お母さん……。
でも、私は…………。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「……正契約、ですか?」
いや、なんの冗談かと言いたい。そこで問題なのは、そう言ったパチュリー様の顔が隅から隅まで真面目一色なことだ。
「すごい顔してるけど、冗談じゃないから。『あなたと正式に主従の契約を結びたい』って。確かにそう言ったわよ」
冗談じゃなきゃ、なんだ。
確かに、私はここにいたいと願っている。居心地はいいし条件もいい。私とパチュリー様の相性にもそれ程問題は無いと思う。それに、何よりも……。
……それでも。魔法使いとして、譲れない一線というものがあるはずだ。私をここに置き続けることで、なんのメリットがある?
「……分かりません。失礼を承知で、言わせてください。以前、私の消費効率が悪いと、そうおっしゃいましたよね? 正契約を結べば今以上の負担が掛かるはずです。それでも、私に重点を置こうとする理由が分かりません。メリットと言えるものが……ありません」
自分で自分を貶めるような発言をしても、それこそ私にメリットは無い。無いけど、この人が、私なんかのために身を無駄に食いつぶすのは嫌だ。
「え? ああ、ほら。仮契約じゃあ私の魔力が通りきらないのよ。危険分類の魔術書なんかを扱ってもらうのに、ちょっとそれじゃあ心許なくて」
……それなのに。それなのに、あなたはそんなことで誤魔化そうとするんだ……。
「いい加減にして!」
心に溜まった黒くてもやもやしたもの。それを吐きだすように、吐きだすために、声を力のかぎり張りあげた。さすがのパチュリー様も引き攣ったような表情をしているけど、いい気味だ。そのまま、感情に任せて、私を送り返すなり、この場で消すなりすればいいんだ……!
「『危険分類の本が扱えないから』? ふざけないでください。そんなことを言うくらいなら、もっと――私では及びもつかないような――高位の使い魔を呼べばいいんです。そもそも私を置いておくこと自体、ただの無駄でしかないんですよ。それなのに……それなのに、そんな私と正契約だなんて、そんなの! 社交辞令みたいなものじゃないですか! ……もう、止めてください。そんな同情なら私は――!」
「違うっ!」
…………え……?
「そんなじゃないっ! 同情なんかじゃ、ない、の……」
頬を引っ叩かれたような気がした。パチュリー様が、叫んだ……?
「ちが…………っ! ごほっ……は、かはっ、ごほ……」
「……!? パチュリー様!?」
突然、パチュリー様がその場に倒れこんだ。あわてて駆け寄ったけど、咳が一向に止まるようすがない。……まさか。
「……パチュリー様……失礼を、お許し下さい」
迷っている場合じゃない。私は、パチュリー様を背負って、寝室へと急いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
余計な振動を与えないようにして、パチュリー様をベッドに寝かせる。そのころには、パチュリー様の『発作』も、だいぶ収まっていた。
「……ふう。ごめんなさいね。重かったでしょう、私」
呼吸も穏やかになると、さっそくパチュリー様は話し始めた。
「あ、だめです。しばらくはおとなしくしていてください」
「何言ってるのよ。まだ話の途中だったじゃないの」
「あ、はい。すいません……」
……とっさに謝っちゃったけど。今の怒られるところだったのかな。
「喘息、よ。気付いた?」
「はい……」
しかも、かなり重いものなのだろう。そんな人に叫ばせるようなことを、私は……。
「……申しわけありません」
「え、何が?」
「主に対して、あのような口を聞き、そのうえ……」
……これで、やっぱり私はもう、ここにはいられない、かな。
「……そうね。責任とって私のお世話、頑張ってもらおうかしら」
…………はい?
「私は諦めてないわよ、正式契約」
このひとは……この期に及んでも……。
「……何故なんです? どうして、そこまでして私を置いておこうとするんですか?」
仮契約のままなら、私もこの境遇に甘えて生きていこうとも思える。でも、パチュリー様はどうしても正式契約にこだわるのだ。
正契約を結んでしまえば、簡単に契約を解くことはできなくなる。召還時以上の対価が求められるからだ。それだけでなく、他の使い魔を呼ぶことが基本的にできなくなってしまう。
魔法使いなら、そんなデメリットを捨て置くはずがない。
「……お願いします。正直に言ってください。どうして、そこまでして私を置いておきたいんですか……?」
すると、パチュリー様は一転して、気まずそうに顔を軽く背けてしまった。
本来なら、使い魔の側にこんな問いつめるようなことをする権利は無いし、するべきことじゃない。でも、もう後には引けない。例えそれが原因で追い出されたとしても、答えを聞かなければ、気が済まない。
それから少しして、パチュリー様はぽつりと呟いた。
「……紅茶」
「はあ。お淹れいたしますか?」
「違うわよ……。これからもあなたの紅茶が飲みたいから……、だから」
……へ?
「……パチュリー様」
「うん」
「重ね重ね失礼いたしますが……正気、ですか?」
「ええ。なんなら、もう一度言いましょうか? 『あなた』にこれからも、ここで働いてほしいから。だから正契約。これが本当にほんとの私の意思、よ」
…………ねえ。私、本当にいいのかな……?
「信じられない、です。およそ魔法、使いの……考えることじゃ、ないですよ?」
「当然。私は私だからね。……もっとそれっぽい理由が聞きたいんだったら、そうね、『お前は私の弱点を知りすぎたのよ。見逃すわけにはいかない』、とかどうかしら」
「は…………? は、あはは……! 今さらそれですか……? ああ、信じられない。そっちの方が嘘くさく聞こえてきました」
「そりゃ、嘘だもの」
ここで、幸せになっても、いい? 私は……。
「…………あ……」
そこで突然、何か恐ろしいことに気が付いたように、パチュリー様は俯いてしまった。なにかまずかったのかしら。
「……はあ……一番、大事なことを忘れてたわ。浮かれてたのね、もう最悪……」
一瞬、思いあぐねるように目を泳がせて、深く、息をついてから、私に真っ直ぐに目を合わせてきた。
「こあ」
「は、はい!」
「一度しか聞かないから、一度だけ答えて」
「……はい、なんでしょう」
「あなたは……その、どう思ってるのかしら。もしかして、ここに残りたくない、とか。お前が気に入らねえ! とか、思ってたりするんだったら、えっと、今さらだけど、その、契約は……」
「…………」
……私とパチュリー様の相性は良いと思ってたけど、大いに訂正。私たち、お互いに、コミュニケーション能力に問題あり、と。
「……パチュリー様」
「ひあ!? こ、こあっ?」
思わずパチュリー様の両手を握ってしまったけど、許してもらおう。これくらいしないと、にぶい私たちの間ではきっと伝わらない。
「私も一度しか言いませんからね。聞き逃さないでくださいよ?」
「う、うん」
こくこくと、ただうなづくパチュリー様に、思わずくすりと、笑いがこぼれてしまう。
……そうだ。最初から、こうすればよかったのかもしれない。メリットだの理由だのと悩む前に、私がこうするべきだったんだ。
「パチュリー様。私を、お側に置いてください。この先もずっと、ずっと――」
――あなたの隣りで、私は生きたいんです。
◇◇◇◇◇◇◇◇
…………懐かしい、夢だ。
「むーん…………」
自分のことなんですけどねー。思い出すたびに気恥ずかしいというか、「うわあ、私のくせにめっちゃ頑張ってカッコイイこと言おうとしてる!?」というような感じで。
あのあと結局、正式契約、結んじゃいました。私のムダに多い魔力消費はやっぱりそのままで、最初はパチュリー様も辛そうでした。最近は慣れてきたみたいですけどね。
パチュリー様もだんだんとはっちゃけるようになられて。あれですかね。お互いに気が知れてくると、隠していた自分も出せるようになる、みたいな。
はい、そのおかげで毎日忙しいですけど……パチュリー様がかわいいので無問題です。のーぷろぶれむ。
……お前もいい感じに捻くれてきたな、ですか。あははー、それを言うんじゃねーよこいつうー。潰すよー?
さてさて。これ以上もたもたしていては、お寝坊さんの疑いを掛けられてしまいますね。急いでパチュリー様のところに行かなくてはなりません。
ドアの内側に架けてある鏡で身だしなみを整えて。部屋のドアを開ければ、私はこの大図書館の司書、小悪魔なのでs…………
「…………」
一瞬、私の平衡感覚がおかしくなったかとも思いましたが。違いますね。違いますよね。目の前に妙な坂のようなものがこう、続いているのですが。
はい、言わずもがな、本です。つまり、またしてもやつですね。……いけない、主に対して『やつ』などと。訂正、おやつですね。違う。パチュリー様です。
決してパチュリー様が夜のおやつだったりするわけではげふんごふん……。むしろ私がおやつでがふげふ……。
……ええ。ふざける前に状況を把握しなくては。ちょっと飛び上がって上から見てみることにしましょう。
「…………あれ? これ、もしかして……」
砂漠の中にそびえ立つ、かの壮大な建築物を彷彿とさせるこれは――!
「ピラミッド……?」
まごうことなき本で出来たピラミッドでした。しかもちゃんと三つ並んでますよ。クフ王のやつなんか天辺が色違いで仕事がこまかいなあ…………じゃない!
思わず猛りをピラミッドにぶつけそうになったちょうどそのとき、容疑者二人の声が聞こえてきました。
「……やるだけ無駄だと思うわよ。だいたいまともに起動するかすら怪しい。こんなにたくさん、一度に発動させられるだけの魔力があなたにあれば別だけど?」
「ええー。せっかく積んだんだからやってみようぜー。それに魔力だったら本自体に蓄積してるやつを使えるんじゃないか?」
「どうかしら……」
やっぱり、あのお二人でしたね。パチュリー様が外に繋がりを持つのは大いに喜ぶべきことなのですが、ええ、それでも言わなければいけないことがあります。
軽く背伸びをして、何回か深呼吸をして、そして最後に思い切り吸い込んで。
――届けっ! この想い!
「お二人ともーっ! 片付けるのは、私なんですからねー!?」
まあ、そんなこんなで毎日楽しく生きています。が、幸せってどういう意味なのか、ちょっと考え直してみたくなる小悪魔なのでした。ばいばいっ!
私もこれくらいバランスの取れた作品が書きたいですね……
最近成分が不足気味だったので本当にありがとうございます
やっぱりこう、二人の間にはそこそこのドラマがあってもいいですよね!
今のこあは物凄くリラックスできてるんだな、というのが感じ取れました。
思いのたけをぶつけ合える二人が素敵でした。パチュこあはやっぱりいいなあ。
ぱちゅこあは夢がひろがりんぐ
そしてあとがきの解答がわからない。モールスのイロハ?
でまず噴いた