妖怪の山を裏側へ回り、中有の道を渡った先に流れる三途の川。
普段ならば死者の魂とそれを運ぶ死神しかこの川を渡る事は無いのだが、
鎌を持つ手を櫂に代えた死神が操る小船の上には、今は生きた人間―私、稗田 阿弥だ―が乗っている。
三途の川を渡ってしまうと普通なら渡し守である死神以外は戻る事が出来ず、つまりは死を意味するが
私は別に死にたくて船に揺られている訳ではない。八代目の御阿礼の子として、転生の術の一環として
その許しを閻魔に乞うために特例として生きながらに三途の川を渡っているところである。
しかしこの船旅、辺り一面特に何があるでもなく、彼岸へ行く魂と相乗りになっても言葉を交わす術が
無いために退屈だろうと思っていたのだが、
「……なんて奴もいたね。幻想郷の内外に関わらず数奇な人生歩む人間なんざ五万といるよ」
「それはまた……そんな話を聞けるなら少なくとも退屈しそうにはないですね」
「加えて語る中身はそれぞれの一生分だから、語り終えるまでには彼岸までなんてあっと言う間さ」
陽気に語る船頭の名前は小野塚 小町さんと言い、鮮やかな赤い髪と女性にしては大柄な体格、それから
その……女性としての特徴際立つ身体付きが印象的だ。……何食べたらあんなになるんだろう。
……こほん、まあそれは兎も角。
『この体』では初対面だが、先代以前に幻想郷縁起へ記した事のある相手なので多少の記憶は残っていたし、
自身も今代の縁起を書く際直に聞き取りをしたのだからこのように気安く話す事も出来て非常に助かっている。
その辺りは彼女自身の性質によるものが大きいのだろうが、三途の川の渡し守をしている死神は大体
そう言った陽気で奔放な性格の者が多いらしい。
ただ彼女の場合、話を聞いた時にはサボって幻想郷に来ていた所だったので、それを褒められた物ではないだろうが。
「さて、もうじき終点だよ。残念だけど楽しいお話はこれで一旦お仕舞いさ」
不意に小町さんが話を区切った。見れば花咲き乱れる彼岸はもうすぐそこ。
そう言えば三途の川は運ばれる魂の生前の罪の深さによって長さを変えると言う。しかもその長さは
死神の能力によって変わる物らしいので、恐らく小町が適当に切りの良い所で終わりにしたのだろう。
「映姫様の話は硬い上に長いからね。今みたいに楽しくとはいかないから覚悟しなよ?」
「ふふっ、心しておきますね」
冗談めかして言うのだが、件の彼女の事も記憶に残っている。
確かに説教は非常に長いが、それ以外は実直で真面目な彼女らしく簡潔だ。
その事をこちらも知っているからこそなのだろうが、告げ口されたらその長い説教を受けるのは彼女なんだけどなぁ。
「んじゃあ、あたいはここで待ってるからさ」
「はい、では後ほど」
小町さんと簡単な別れの挨拶を交わして彼岸に降り立つと、案内役らしい死神が引き継いでくれた。
先程まで話していた小町と比べるとおどろおどろしいと言うか……死神としていかにもな雰囲気を
漂わせていて少し怖いが、物腰が丁寧なのでそれが逆に滑稽でもある。
何気なく振り返ると岸に係留された小船の上に小町さんの姿は無く……いや、船の中で寝ているだけのようだ。
縁の部分から赤色が見え隠れしている。
全く以ってマイペースであるが、それが彼女らしいと言う事だろう。
案内に従って歩けば程なく是非曲直庁へと辿り着く。
人がその数を増やすに伴い人員の増加が行われ、施設は建て増しに建て増しを重ねた結果として今では
まるで迷路のようになってしまっていると、案内の死神が教えてくれた。各所にあると言う案内板も見せてもらったが、
確かに一人では妖精に悪戯されなくても迷ってしまいそうだ。
幾つかの建物の脇を通り抜け、通路を曲がり階段を上りと繰り返して漸く幻想郷担当の閻魔様、
四季 映姫様の居る所へ辿り着く。
判決を行う部屋の前に並んだ幽霊の列を追い越し、死神が扉を叩く。
「失礼します」
「少しは地獄の責め苦で自分の罪深さを自覚する事ですね……っと、おや、貴女は」
入って早々物騒な台詞で迎えられたものである。それが自分に向けられたものでない事はすぐに分かったが、
それでも一瞬びくりとしてしまった。
「すみません、仕事中に」
「いえ、構いません。……そう言えば、もうそんな時期でしたね。少し待って下さい、そろそろ一段落付きますので」
それまでそこへどうぞ、と示された椅子に腰掛けると案内を務めてくれた死神は映姫様に一礼して部屋を出た。
質素な造りの部屋の中は余り広くなく、幽霊たちの生前の記録を収めているであろう山のような資料を積んだ
簡素な机が中央にあり、その隣に書記の死神がやはり大量の紙に囲まれて机を並べている。
その中で英姫様の良く通る声が響く度、幽霊達は部屋の左右にある扉へと分かれて行った。それに合わせて
隣の死神が内容を逐次記録し、扉の前に佇む鬼は様々な色の札から判決に合わせた色の物を取り出して
貼り付けてから送り出す。
待たされる間は暇になるかと思ったが、閻魔様の仕事をまじまじと眺める事などそうはない体験なので
私は飽きもせずその様子を眺めていた。
映姫様が手元の資料を基に速やかに判決を下せば、裁かれた幽霊達は悲喜こもごもの感情を身振りで表す。
喋る事が出来ない分表現が過剰になっているのかどれも個性的な動きで、どことなく愛嬌がある。
「ふぅ、こんなところでしょうか」
「お疲れ様です」
気が付けば幽霊の列は途切れ、今部屋を出て行ったので最後のようだった。書記の死神は首を鳴らし、
扉の前に居た鬼はそのまま部屋を出ている。
映姫様も流石に疲れたのか、大きく伸びをすると何処かの関節が小気味良く音を立てた。
「ん……と、では手早く済ませましょう。ええと、転生の許可申請用紙は……」
席を立とうとしていた書記に英姫様が目配せをすると、彼女は机の引き出しを漁り一枚の紙を手渡した。
「ではお先に」
「ええ、ご苦労様です」
そのまま一礼して部屋を辞する。小町さんとは違って理知的な感じのする死神だった。案内をしてくれた
死神もそうだったが、容姿や能力に応じて適材適所と言う事らしい。
その線で行けば話し上手な彼女は船旅の間中、幽霊たちを退屈にさせることは無いだろう。ただ、私の目からも
勤務態度に問題がありそうな気もするのだが……
「お待たせしました、ではまず太枠内の必要事項に記入を」
「え?あ、はい」
いけない、つい考えに耽ってしまった。
まあこれが初めてではなので向こうにも以前申請した時の資料が残っており、転生の理由も変わらないから
大して書く事もないのだが。
最後に彫刻のされていない印を渡され朱肉も付けずにぺたんと捺すと、じわりと青白い模様が浮かび上がる。
何度見ても不思議なものだが、何でも捺印した者の魂の形を表しているんだとか。
それにしても……
「ふむ……問題無いようですね。はい、確かに受理しました」
「有難う御座います。……しかし、何だかとても簡単になりましたね。呆気ないというか……」
「言いたい事はわかりますよ。ただまあ、印象付けとして大事な所以外は事務的に処理しないと、とてもでは
ないですが処理できる物ではありませんから」
仕方が無いんですよ、と溜息混じりに映姫様は言った。手にした薄っぺらい用紙がへたりと折れ曲がるのが、
どことなくその心情を表しているように思える。
「とまあ、愚痴を零していても仕方が無いですし行きましょうか。送りますよ」
「宜しいんですか?その、持ち場を離れたりしても……」
「ああ、言ってませんでしたか。ちょうど交代の時間なんですよ」
「それでもわざわざ映姫様がお見送りなんて」
「私だってたまには仕事の話以外もしたくなるのですよ?まあついでで小町に小言もありますがね」
そう言う映姫様は悪戯っぽく笑っていたのだが、普段の硬い印象からはとても想像できなかったので
それが何だか可笑しかった。
「でも、そう言う事なら小町さんの方が適任じゃないんですか?」
「確かにあの子は本人が好きな事もあって上手いんですが……」
「何か問題が?」
「私と話すとその間合法的にサボれると思っている節がありますからね。それはもう嬉々として喋りますよ」
はぁ、と溜息をついた映姫様に私は苦笑を返すしかない。
そこでふと、気になっていた事があるのを思い出す。
「そう言えば、小町さんとの付き合いは長いんですか?」
「付き合い……ですか。まあ彼女を勧誘したのは私ですし、長いと言えば長いでしょうね。しかし、何故?」
「ええと、その……お二人は性格も随分違いますし、馬が合わなさそうなのに仲が良いように見えると言うか……」
「それはまあ、少なくとも彼女の事は信頼してますからね。……ちゃんと仕事をしてくれれば言う事は無いんですが」
「あ、あの!勧誘したって事は小町さんは元々人間だった、とかですか?」
会話の流れが愚痴っぽい方に向かい始めたのを少々強引に引き戻す。そんな私の態度に映姫様が怪訝そうな
顔をしたが、これも気になった事であるのは嘘ではない。
だがしかし、
「ふむ……」
と一つ呟いて英姫様は黙ってしまった。その様子に今度は私の方が訝しんでしまう。
すると、真面目な表情で映姫様がこちらに向き直った。
「別に無理して隠す事でもないですから、貴女には話しましょうか」
「……良いんですか?」
「小町は隠したがるでしょうけどね。……長い話でもないですから、少しゆっくり歩きながら話しましょう」
まずは……そうですね。貴女の言ったとおり、小町は生まれ付いての死神と言う事ではなく、人間でした。
陰陽師、と言うよりは退魔師と呼ぶべき妖怪退治の専門家の家系に生まれ、女ながらに家督を継ぎ、第一線で
その任を務めていました。
生前もあの性格は変わらなかったようですね。豪放で快活、話好きで遊び好き……一方で妖怪に対しては
容赦なく、また意外かも知れませんがああ見えて子供好きなんですよ。妖怪に親を殺されてしまった孤児を
引き取って、何人も親代わりとして育てていました。
だからでしょうね、周りからはやや遅れて婿を取り、子を宿した時はもう大層な喜びようでした。
ですが……万事が上手く行っていた訳ではなかったのです。
復讐の機会を窺っていた妖怪達が、臨月を迎えた小町を襲いました。
旦那の方も小町の夫になったぐらいですから妖怪に対抗する心得もあったのですが、それを差し置いて小町は
『あたいと、あたい達の子供がそんなにヤワだと思うかい?』と啖呵を切って身重の体で大立ち回りを演じ、
……流石母は強しと言った所でしょうか、子供を守り夫を守り、妖怪達を全て返り討ちにしました。
ただ、彼女の命を代償に。
直後にお腹の子は無事産みおろしたのですが、小町の方がそれに耐えられなかったのです。
そうして三途の川辺に来た小町は……あろう事か川を渡る事を拒否し、見回りの鬼さえ殴り倒しました。
何しろ私が初めて報告を受けた時は『三途の川で暴れてる幽霊が居る』と言うものでしたからね。
兎も角、私は現場へ赴いて訳を聞く事にしました。
『暴れている幽霊とは、貴女の事ですね』
『やっとこさ親玉の登場かい。アンタを倒せばあたいの勝ち、かな?』
『……分かりませんね。何故そこまでして居座ろうと言うのですか』
『子供を産んでおいてはいサヨナラじゃあ、母親として無責任にも程があるだろう?ならせめてどんな人生を
歩んできたのかぐらいは聞いてやらないとね』
『……なるほど。言いたい事は分かりました。ですが、こちらもそれを受け入れる訳にはいかない。このままでは
貴女の魂は穢れ、磨り減り、悪霊となるか妖怪となるか……どちらにせよ輪廻の輪から外れる事になる。
それを許す訳には、いきませんから』
『なら、やる事は一つだね』
『そう……貴女は少し、身の程を知るべきだ!』
小町も死に物狂いでしたが、私も引けない事情がありましたからね。本気でいかせて貰いました。
故に、結果は火を見るより明らかですね。
『……あーあ、負けちゃったかぁ』
『では大人しく彼岸へ来て貰いましょう、と言いたいところですが……』
『何か罰でも下すかい?』
『いいえ。……一つ、取引をしましょうか』
『何だって?』
『率直に言いましょう。死神として働きなさい』
『それで罪を償えと?』
『確かにそれもあります。ですが、貴女にとっても益のある話ですよ』
『……聞こうじゃないか』
『三途の川の渡し守として働けば、合法的にここに居続ける事が出来ます。いつか、あなたの子供の
魂を運ぶ日も来るでしょう』
『で、それで損をする事は?』
『……察しが良いですね。死神になればそう簡単に輪廻の輪へと戻る事は許されません』
『何だ、そんな事かい』
『そんな事と言いますが、一度輪廻の輪から外れると言う事はそれまでの縁を全て断つと言う事。
いつになるか分からない転生の時に、あなたの夫や子供達と再び巡り合うのは難しくなるでしょう』
『でもその時にはどうせ、前世の記憶なんか残っちゃいないんだろう?』
『それはそうですが……』
『なら良いさ。元より輪廻の先の事なんて考えずに生きてきたんだ、どちらも同じさ』
『……分かりました。では、新たに名前を受け、私の部下としてその任に付きなさい』
『ああ、良い名前にしてくれよ』
『……こほん。それでは、小野塚 小町。貴女を死神として任命します。長い付き合いになるでしょうから
今後とも宜しくお願いしますね』
『こちらこそ、宜しく』
「へぇー……それで小町さんは映姫様に頭が上がらないんですね」
「まぁ、そう言う事になるんでしょうか……」
歯切れ悪くそう言って渋い顔をする映姫様に首を傾げていると、何故だか観念したように話し始めた。
別に追求したかった訳では……そんなにはなかったけど。
「実は、別に一度小町を懲らしめる必要は無かったんですよ」
「へ?」
「体面を保つためと言いますか……暴れる幽霊が手に負えないから引き込んだと見られては沽券に係わりますからね。
本当は会ってすぐに勧誘の話を切り出せば良かったのですよ」
思わずぽかんと口を開けてしまう。
「え、え、でも……」
「あの頃は閻魔も死神も死者の増加にあわせて人員を増強しようと言う時期でしたから……」
「それは……」
何気に酷い話を聞いてしまったかも知れない……
「まあ、だからあの子には甘いのかも知れませんね、私は」
「あ、あはは……」
……一度小町さんに説教をしているところを見た事があるのだが、あれで甘いと言えるのか……
返す言葉が見つからなかった私は、笑って誤魔化すしかなかった。
そうこうしている内に小町さんの舟が待つ彼岸の船着場まで歩いてきていた。元々大した距離でもなかったが
丁度良い時間潰しとなったようだ。
ああでも、これはちょっと拙いかな……
「……やっぱり寝てる」
「寝てますか」
隣で深い深い溜息が聞こえる。
この流れはやっぱり……
「小町。起きなさい小町」
「むにゃ……?ふぁ……んー、意外と早かったねぇ稗田の……」
「そうですね、時間の掛かる手続きでもありませんでしたから」
「あれ……何か声が映姫様っぽくなってないかい?と言うか帽子と言い服と言い……」
「お目覚めですか?小町」
あら、映姫様にっこり笑うとすごく可愛らしい。
……怖いですけど。
「えーっと、そのー……お早う御座います……」
「まあここは朝も夜も無いですが……申し開きする事は?」
「いやぁ、余りにも陽気が心地良かったんでつい……すいませんでしきゃん!!」
何と言うか……ご愁傷様です、小町さん……
「……ほんとにもう、待ってる間寝てるくらい良いじゃないかねぇ?」
時折叩かれた頭をさすりつつ、ぼやきながら舟を漕ぐ小町さんに私は苦笑を返した。
しかし、人は見かけによらないものだなと本当に思う。
そんな考えが顔に出ていたのだろう、小町さんが首を傾げて不思議そうにしていた。
「何だいそんな顔して。あたいの顔に何か付いてるかい?」
「いえ、そう言う訳ではないんですが……」
「じゃあどうしたって言うのさ?何か言いたい事があるって顔だよ?」
少し、迷う。
映姫様は小町さんが隠したがってるって言ってたし……でも、実際本人が今どういう思いでこの仕事を
続けているのかは気になるし……
「実は、さっき英姫様にですね……」
恐る恐る、私はついさっき聞いた小町さんの昔話を繰り返した。
すると小町さんは目を丸くしたかと思うと、
「あっはっはっはっはっは!そりゃあ嘘だよ、映姫様なりの冗談さ」
「え……えええええええ!?」
……笑い飛ばされてしまった。
「あたいは生まれついての死神で、そんな染みったれた話とは無縁に生きてきたんだからさ」
「う、うーん……?」
小町さんはそう言うが、私はどうしても腑に落ちない。
冗談だったとしても嘘は嘘。閻魔たる映姫様があのような作り話をするだろうか?
「さて、しんみりしてちゃ余計に船旅が長く感じるからね。ここからはそういう話はやめに仕様じゃないか」
……何となくはぐらかされてしまった気がする。
だがそれ以上追求する事も出来ず、胸に引っ掛かる物が残ったまま、私は小町さんの陽気な話に耳を傾けるしか
ないのだった。
これでは、幻想郷縁起に載せる訳にはいかないだろうなぁ……
普段ならば死者の魂とそれを運ぶ死神しかこの川を渡る事は無いのだが、
鎌を持つ手を櫂に代えた死神が操る小船の上には、今は生きた人間―私、稗田 阿弥だ―が乗っている。
三途の川を渡ってしまうと普通なら渡し守である死神以外は戻る事が出来ず、つまりは死を意味するが
私は別に死にたくて船に揺られている訳ではない。八代目の御阿礼の子として、転生の術の一環として
その許しを閻魔に乞うために特例として生きながらに三途の川を渡っているところである。
しかしこの船旅、辺り一面特に何があるでもなく、彼岸へ行く魂と相乗りになっても言葉を交わす術が
無いために退屈だろうと思っていたのだが、
「……なんて奴もいたね。幻想郷の内外に関わらず数奇な人生歩む人間なんざ五万といるよ」
「それはまた……そんな話を聞けるなら少なくとも退屈しそうにはないですね」
「加えて語る中身はそれぞれの一生分だから、語り終えるまでには彼岸までなんてあっと言う間さ」
陽気に語る船頭の名前は小野塚 小町さんと言い、鮮やかな赤い髪と女性にしては大柄な体格、それから
その……女性としての特徴際立つ身体付きが印象的だ。……何食べたらあんなになるんだろう。
……こほん、まあそれは兎も角。
『この体』では初対面だが、先代以前に幻想郷縁起へ記した事のある相手なので多少の記憶は残っていたし、
自身も今代の縁起を書く際直に聞き取りをしたのだからこのように気安く話す事も出来て非常に助かっている。
その辺りは彼女自身の性質によるものが大きいのだろうが、三途の川の渡し守をしている死神は大体
そう言った陽気で奔放な性格の者が多いらしい。
ただ彼女の場合、話を聞いた時にはサボって幻想郷に来ていた所だったので、それを褒められた物ではないだろうが。
「さて、もうじき終点だよ。残念だけど楽しいお話はこれで一旦お仕舞いさ」
不意に小町さんが話を区切った。見れば花咲き乱れる彼岸はもうすぐそこ。
そう言えば三途の川は運ばれる魂の生前の罪の深さによって長さを変えると言う。しかもその長さは
死神の能力によって変わる物らしいので、恐らく小町が適当に切りの良い所で終わりにしたのだろう。
「映姫様の話は硬い上に長いからね。今みたいに楽しくとはいかないから覚悟しなよ?」
「ふふっ、心しておきますね」
冗談めかして言うのだが、件の彼女の事も記憶に残っている。
確かに説教は非常に長いが、それ以外は実直で真面目な彼女らしく簡潔だ。
その事をこちらも知っているからこそなのだろうが、告げ口されたらその長い説教を受けるのは彼女なんだけどなぁ。
「んじゃあ、あたいはここで待ってるからさ」
「はい、では後ほど」
小町さんと簡単な別れの挨拶を交わして彼岸に降り立つと、案内役らしい死神が引き継いでくれた。
先程まで話していた小町と比べるとおどろおどろしいと言うか……死神としていかにもな雰囲気を
漂わせていて少し怖いが、物腰が丁寧なのでそれが逆に滑稽でもある。
何気なく振り返ると岸に係留された小船の上に小町さんの姿は無く……いや、船の中で寝ているだけのようだ。
縁の部分から赤色が見え隠れしている。
全く以ってマイペースであるが、それが彼女らしいと言う事だろう。
案内に従って歩けば程なく是非曲直庁へと辿り着く。
人がその数を増やすに伴い人員の増加が行われ、施設は建て増しに建て増しを重ねた結果として今では
まるで迷路のようになってしまっていると、案内の死神が教えてくれた。各所にあると言う案内板も見せてもらったが、
確かに一人では妖精に悪戯されなくても迷ってしまいそうだ。
幾つかの建物の脇を通り抜け、通路を曲がり階段を上りと繰り返して漸く幻想郷担当の閻魔様、
四季 映姫様の居る所へ辿り着く。
判決を行う部屋の前に並んだ幽霊の列を追い越し、死神が扉を叩く。
「失礼します」
「少しは地獄の責め苦で自分の罪深さを自覚する事ですね……っと、おや、貴女は」
入って早々物騒な台詞で迎えられたものである。それが自分に向けられたものでない事はすぐに分かったが、
それでも一瞬びくりとしてしまった。
「すみません、仕事中に」
「いえ、構いません。……そう言えば、もうそんな時期でしたね。少し待って下さい、そろそろ一段落付きますので」
それまでそこへどうぞ、と示された椅子に腰掛けると案内を務めてくれた死神は映姫様に一礼して部屋を出た。
質素な造りの部屋の中は余り広くなく、幽霊たちの生前の記録を収めているであろう山のような資料を積んだ
簡素な机が中央にあり、その隣に書記の死神がやはり大量の紙に囲まれて机を並べている。
その中で英姫様の良く通る声が響く度、幽霊達は部屋の左右にある扉へと分かれて行った。それに合わせて
隣の死神が内容を逐次記録し、扉の前に佇む鬼は様々な色の札から判決に合わせた色の物を取り出して
貼り付けてから送り出す。
待たされる間は暇になるかと思ったが、閻魔様の仕事をまじまじと眺める事などそうはない体験なので
私は飽きもせずその様子を眺めていた。
映姫様が手元の資料を基に速やかに判決を下せば、裁かれた幽霊達は悲喜こもごもの感情を身振りで表す。
喋る事が出来ない分表現が過剰になっているのかどれも個性的な動きで、どことなく愛嬌がある。
「ふぅ、こんなところでしょうか」
「お疲れ様です」
気が付けば幽霊の列は途切れ、今部屋を出て行ったので最後のようだった。書記の死神は首を鳴らし、
扉の前に居た鬼はそのまま部屋を出ている。
映姫様も流石に疲れたのか、大きく伸びをすると何処かの関節が小気味良く音を立てた。
「ん……と、では手早く済ませましょう。ええと、転生の許可申請用紙は……」
席を立とうとしていた書記に英姫様が目配せをすると、彼女は机の引き出しを漁り一枚の紙を手渡した。
「ではお先に」
「ええ、ご苦労様です」
そのまま一礼して部屋を辞する。小町さんとは違って理知的な感じのする死神だった。案内をしてくれた
死神もそうだったが、容姿や能力に応じて適材適所と言う事らしい。
その線で行けば話し上手な彼女は船旅の間中、幽霊たちを退屈にさせることは無いだろう。ただ、私の目からも
勤務態度に問題がありそうな気もするのだが……
「お待たせしました、ではまず太枠内の必要事項に記入を」
「え?あ、はい」
いけない、つい考えに耽ってしまった。
まあこれが初めてではなので向こうにも以前申請した時の資料が残っており、転生の理由も変わらないから
大して書く事もないのだが。
最後に彫刻のされていない印を渡され朱肉も付けずにぺたんと捺すと、じわりと青白い模様が浮かび上がる。
何度見ても不思議なものだが、何でも捺印した者の魂の形を表しているんだとか。
それにしても……
「ふむ……問題無いようですね。はい、確かに受理しました」
「有難う御座います。……しかし、何だかとても簡単になりましたね。呆気ないというか……」
「言いたい事はわかりますよ。ただまあ、印象付けとして大事な所以外は事務的に処理しないと、とてもでは
ないですが処理できる物ではありませんから」
仕方が無いんですよ、と溜息混じりに映姫様は言った。手にした薄っぺらい用紙がへたりと折れ曲がるのが、
どことなくその心情を表しているように思える。
「とまあ、愚痴を零していても仕方が無いですし行きましょうか。送りますよ」
「宜しいんですか?その、持ち場を離れたりしても……」
「ああ、言ってませんでしたか。ちょうど交代の時間なんですよ」
「それでもわざわざ映姫様がお見送りなんて」
「私だってたまには仕事の話以外もしたくなるのですよ?まあついでで小町に小言もありますがね」
そう言う映姫様は悪戯っぽく笑っていたのだが、普段の硬い印象からはとても想像できなかったので
それが何だか可笑しかった。
「でも、そう言う事なら小町さんの方が適任じゃないんですか?」
「確かにあの子は本人が好きな事もあって上手いんですが……」
「何か問題が?」
「私と話すとその間合法的にサボれると思っている節がありますからね。それはもう嬉々として喋りますよ」
はぁ、と溜息をついた映姫様に私は苦笑を返すしかない。
そこでふと、気になっていた事があるのを思い出す。
「そう言えば、小町さんとの付き合いは長いんですか?」
「付き合い……ですか。まあ彼女を勧誘したのは私ですし、長いと言えば長いでしょうね。しかし、何故?」
「ええと、その……お二人は性格も随分違いますし、馬が合わなさそうなのに仲が良いように見えると言うか……」
「それはまあ、少なくとも彼女の事は信頼してますからね。……ちゃんと仕事をしてくれれば言う事は無いんですが」
「あ、あの!勧誘したって事は小町さんは元々人間だった、とかですか?」
会話の流れが愚痴っぽい方に向かい始めたのを少々強引に引き戻す。そんな私の態度に映姫様が怪訝そうな
顔をしたが、これも気になった事であるのは嘘ではない。
だがしかし、
「ふむ……」
と一つ呟いて英姫様は黙ってしまった。その様子に今度は私の方が訝しんでしまう。
すると、真面目な表情で映姫様がこちらに向き直った。
「別に無理して隠す事でもないですから、貴女には話しましょうか」
「……良いんですか?」
「小町は隠したがるでしょうけどね。……長い話でもないですから、少しゆっくり歩きながら話しましょう」
まずは……そうですね。貴女の言ったとおり、小町は生まれ付いての死神と言う事ではなく、人間でした。
陰陽師、と言うよりは退魔師と呼ぶべき妖怪退治の専門家の家系に生まれ、女ながらに家督を継ぎ、第一線で
その任を務めていました。
生前もあの性格は変わらなかったようですね。豪放で快活、話好きで遊び好き……一方で妖怪に対しては
容赦なく、また意外かも知れませんがああ見えて子供好きなんですよ。妖怪に親を殺されてしまった孤児を
引き取って、何人も親代わりとして育てていました。
だからでしょうね、周りからはやや遅れて婿を取り、子を宿した時はもう大層な喜びようでした。
ですが……万事が上手く行っていた訳ではなかったのです。
復讐の機会を窺っていた妖怪達が、臨月を迎えた小町を襲いました。
旦那の方も小町の夫になったぐらいですから妖怪に対抗する心得もあったのですが、それを差し置いて小町は
『あたいと、あたい達の子供がそんなにヤワだと思うかい?』と啖呵を切って身重の体で大立ち回りを演じ、
……流石母は強しと言った所でしょうか、子供を守り夫を守り、妖怪達を全て返り討ちにしました。
ただ、彼女の命を代償に。
直後にお腹の子は無事産みおろしたのですが、小町の方がそれに耐えられなかったのです。
そうして三途の川辺に来た小町は……あろう事か川を渡る事を拒否し、見回りの鬼さえ殴り倒しました。
何しろ私が初めて報告を受けた時は『三途の川で暴れてる幽霊が居る』と言うものでしたからね。
兎も角、私は現場へ赴いて訳を聞く事にしました。
『暴れている幽霊とは、貴女の事ですね』
『やっとこさ親玉の登場かい。アンタを倒せばあたいの勝ち、かな?』
『……分かりませんね。何故そこまでして居座ろうと言うのですか』
『子供を産んでおいてはいサヨナラじゃあ、母親として無責任にも程があるだろう?ならせめてどんな人生を
歩んできたのかぐらいは聞いてやらないとね』
『……なるほど。言いたい事は分かりました。ですが、こちらもそれを受け入れる訳にはいかない。このままでは
貴女の魂は穢れ、磨り減り、悪霊となるか妖怪となるか……どちらにせよ輪廻の輪から外れる事になる。
それを許す訳には、いきませんから』
『なら、やる事は一つだね』
『そう……貴女は少し、身の程を知るべきだ!』
小町も死に物狂いでしたが、私も引けない事情がありましたからね。本気でいかせて貰いました。
故に、結果は火を見るより明らかですね。
『……あーあ、負けちゃったかぁ』
『では大人しく彼岸へ来て貰いましょう、と言いたいところですが……』
『何か罰でも下すかい?』
『いいえ。……一つ、取引をしましょうか』
『何だって?』
『率直に言いましょう。死神として働きなさい』
『それで罪を償えと?』
『確かにそれもあります。ですが、貴女にとっても益のある話ですよ』
『……聞こうじゃないか』
『三途の川の渡し守として働けば、合法的にここに居続ける事が出来ます。いつか、あなたの子供の
魂を運ぶ日も来るでしょう』
『で、それで損をする事は?』
『……察しが良いですね。死神になればそう簡単に輪廻の輪へと戻る事は許されません』
『何だ、そんな事かい』
『そんな事と言いますが、一度輪廻の輪から外れると言う事はそれまでの縁を全て断つと言う事。
いつになるか分からない転生の時に、あなたの夫や子供達と再び巡り合うのは難しくなるでしょう』
『でもその時にはどうせ、前世の記憶なんか残っちゃいないんだろう?』
『それはそうですが……』
『なら良いさ。元より輪廻の先の事なんて考えずに生きてきたんだ、どちらも同じさ』
『……分かりました。では、新たに名前を受け、私の部下としてその任に付きなさい』
『ああ、良い名前にしてくれよ』
『……こほん。それでは、小野塚 小町。貴女を死神として任命します。長い付き合いになるでしょうから
今後とも宜しくお願いしますね』
『こちらこそ、宜しく』
「へぇー……それで小町さんは映姫様に頭が上がらないんですね」
「まぁ、そう言う事になるんでしょうか……」
歯切れ悪くそう言って渋い顔をする映姫様に首を傾げていると、何故だか観念したように話し始めた。
別に追求したかった訳では……そんなにはなかったけど。
「実は、別に一度小町を懲らしめる必要は無かったんですよ」
「へ?」
「体面を保つためと言いますか……暴れる幽霊が手に負えないから引き込んだと見られては沽券に係わりますからね。
本当は会ってすぐに勧誘の話を切り出せば良かったのですよ」
思わずぽかんと口を開けてしまう。
「え、え、でも……」
「あの頃は閻魔も死神も死者の増加にあわせて人員を増強しようと言う時期でしたから……」
「それは……」
何気に酷い話を聞いてしまったかも知れない……
「まあ、だからあの子には甘いのかも知れませんね、私は」
「あ、あはは……」
……一度小町さんに説教をしているところを見た事があるのだが、あれで甘いと言えるのか……
返す言葉が見つからなかった私は、笑って誤魔化すしかなかった。
そうこうしている内に小町さんの舟が待つ彼岸の船着場まで歩いてきていた。元々大した距離でもなかったが
丁度良い時間潰しとなったようだ。
ああでも、これはちょっと拙いかな……
「……やっぱり寝てる」
「寝てますか」
隣で深い深い溜息が聞こえる。
この流れはやっぱり……
「小町。起きなさい小町」
「むにゃ……?ふぁ……んー、意外と早かったねぇ稗田の……」
「そうですね、時間の掛かる手続きでもありませんでしたから」
「あれ……何か声が映姫様っぽくなってないかい?と言うか帽子と言い服と言い……」
「お目覚めですか?小町」
あら、映姫様にっこり笑うとすごく可愛らしい。
……怖いですけど。
「えーっと、そのー……お早う御座います……」
「まあここは朝も夜も無いですが……申し開きする事は?」
「いやぁ、余りにも陽気が心地良かったんでつい……すいませんでしきゃん!!」
何と言うか……ご愁傷様です、小町さん……
「……ほんとにもう、待ってる間寝てるくらい良いじゃないかねぇ?」
時折叩かれた頭をさすりつつ、ぼやきながら舟を漕ぐ小町さんに私は苦笑を返した。
しかし、人は見かけによらないものだなと本当に思う。
そんな考えが顔に出ていたのだろう、小町さんが首を傾げて不思議そうにしていた。
「何だいそんな顔して。あたいの顔に何か付いてるかい?」
「いえ、そう言う訳ではないんですが……」
「じゃあどうしたって言うのさ?何か言いたい事があるって顔だよ?」
少し、迷う。
映姫様は小町さんが隠したがってるって言ってたし……でも、実際本人が今どういう思いでこの仕事を
続けているのかは気になるし……
「実は、さっき英姫様にですね……」
恐る恐る、私はついさっき聞いた小町さんの昔話を繰り返した。
すると小町さんは目を丸くしたかと思うと、
「あっはっはっはっはっは!そりゃあ嘘だよ、映姫様なりの冗談さ」
「え……えええええええ!?」
……笑い飛ばされてしまった。
「あたいは生まれついての死神で、そんな染みったれた話とは無縁に生きてきたんだからさ」
「う、うーん……?」
小町さんはそう言うが、私はどうしても腑に落ちない。
冗談だったとしても嘘は嘘。閻魔たる映姫様があのような作り話をするだろうか?
「さて、しんみりしてちゃ余計に船旅が長く感じるからね。ここからはそういう話はやめに仕様じゃないか」
……何となくはぐらかされてしまった気がする。
だがそれ以上追求する事も出来ず、胸に引っ掛かる物が残ったまま、私は小町さんの陽気な話に耳を傾けるしか
ないのだった。
これでは、幻想郷縁起に載せる訳にはいかないだろうなぁ……