土曜日の夜、ここ命蓮寺はいつもよりも本堂の消灯時間が遅くなる。
「皆さん揃いましたね。では、儀式を始めましょうか。今宵もまた素晴らしい魔法が生まれることを願って」
灯篭の明かりに照らされる本堂の中、種々の花柄をあしらった畳の上に立ちながら、聖白蓮は柔和な微笑みを湛えて呼びかけた。
瞬時に応じて立ち上がる、寅丸星、村紗水蜜、雲山を纏う雲居一輪の四者――その反応に戸惑う封獣ぬえ、冷静に見つめるナズーリンはやや遅れて。
門徒達のそんな様子を一通り見回してから、白蓮は人差し指を口元に当てて尋ねた。
「今日は誰が相手を務めてくれるのでしたっけ?」
「私です、姐さん。ですが先週、今ひとつ納得なさっていなかったようなので……星」
「すみません。先に失礼しますよ、一輪、雲山」
「ああ、そうでした。嫌だわ、ちゃんと準備までしてきたのというのに、ど忘れしちゃって。
若返りの術といえど、物覚えの良し悪しを左右することまではできないのかしら?
……まぁそんなことはどうでもいいですか。よろしくお願いしますね、星」
歩み出てきた星に一つ頷き、白蓮は他の門徒達から大きく距離を取る。それを星が追いかけ、白蓮と対峙する位置に陣取る。
そして星は宝塔とスペルカード三枚を左右のてのひらに乗せて、両腕を真っ直ぐ伸ばした。
「では……本地垂迹・毘沙門天、とくとご覧あれ! 天符『焦土曼荼羅』」
凛とした星の宣言を受け、スペルカードが六の宝塔のレプリカに姿を変える。
その手を鋭く振るうと、レプリカはそれぞれ星の背後に一つ、右側に二つ、左側に二つ、そして白蓮の背後に一つ、全て非対称のジグザグな配置になるように飛んでいく。
静かに着地したそれらは、すぐさま一方向に大口径の光線を放ち、白蓮を方形の陣の中に閉じ込めた。
「さあ聖、法の光が織り成し描く結界、いかにして破りましょうや!」
次いで星の咆哮に煽られるように、真の宝塔から光弾が無数、対面にある白蓮に向けて釣瓶撃たれる。
「そうですね……では星、此度は貴女の在り方にあやかります」
相対する白蓮はしかし、迫る脅威を前にしながらもやんわりと答え、頭上に弧を描くように巻物を振った。
そして後背に現われた花園の、咲き誇る大輪のうちの二つにスペルカードを一枚ずつ埋める。
すると花園全体が妖しく輝き、四方に散っている大輪が細い光の筋を白蓮の前方に張り巡らせた。
「習合『垂迹大日如来』」
「おお!」
白蓮の厳かな宣言の後に訪れたのは、法の光よりもなお眩き曙光と、光弾と向き合う流線型の群れ――
煌きに気圧されて瞬いた後、星の視界に入ってきたのは先程からまったく変わることのない白蓮の笑顔のみだった。
星も力の抜けた笑みを返し、自分の術が破られたことをむしろ喜ぶように賞賛する。
「……流石。封印明けといえど、その巻物に満ちる力には寸毫の衰えなしと見えますね。よもや大日如来の御業を寸分違わず再現するとは」
「いいえ、これも皆さんが千年の時を経てしてなお、私を慕ってくれていたおかげ。
貴女達も知っているように、私の力の源は妖怪の霊力なのです。貴女達が水を注いでくれる限り、私が萎れ枯れることはないでしょう」
星以外の皆にも目を向けながら感慨深く呟くと、白蓮は三種類のスペルカードを取り出し、慈しむように胸に抱いた。
「魔法『紫雲のオーメン』、光魔『スターメイルシュトロム』、そして大魔法『魔神復誦』
雲山、ムラサ、あの時は先んじて私に示唆を与えてくれてありがとう。それと、永劫に近い時の中、数度だけ巡り合えた偉大なる魔界の神にも万謝の念を。
『幻想郷ニ根ヲ下ロスタメノ通過儀礼トシテ、博麗モシクハ其ノ代理人ノ裁定ヲ受ケルベシ』、それに際して大きな力となってくれました」
「いえ、私は何も。そも、スペルカード決闘に敗北して動けなかった私達の代わりに、法界へ伝令の妖精を飛ばしたのは一輪の機転ですから」
「ふふっ、あの子の翅を見た時、これが魔界の蝶の化身なのかと勘違いしてしまったわ。
でもその誤りと貴女達の手紙に込められた匂いから、さらに一枚出来上がったのですけどね」
畏まって答える村紗と、黙って頭を垂れる雲山を眺めつつ、白蓮は封印が解かれた時の些事を懐かしそうに語る。
追憶の切れに、その時に生まれたというカードをまた一枚、頭上に掲げた。
「それにしても、ともすれば惨憺たる災厄にしかならない妖異を、一つの芸術に昇華させたこの仕組みにはつくづく感心させられます。
幻想郷には本当、賢いことを考えた方がいるのね」
「そしてそれを写真に収め、蒐集し、広く公表しようとする輩もいる、と。鴉天狗の弾幕取材がとうとうこの寺に矛先を向けてきたね」
「ええ、ナズーリン。うまく時間の猶予を作ってくれて、本当に感謝しています。おかげで私も新しいスペルカードを披露できそうだわ」
「まぁ御身は法界より返り咲いてからというもの、寺の建立に各地への遊行にと忙しそうだったからね。
鴉天狗には先に地底に興味を覚えてもらうように誘導しておいたよ。当然のことをしたまでさ」
他の者達よりも少し離れていたナズーリンは、鷹揚に構えて白蓮の謝辞を受け取る。それを見て、星は焦って村紗と一輪の顔色を窺った。
「あ、あの、ナズーリン? 聖にはもう少し……その、なんというか」
「別に、姐さんのためを思って行動してくれた以上、どういう態度を示されようが気にしないわよ」
「たとえ大きな態度の小さな賢将相手であっても、礼を尽くせるお方だというのは承知のこと。私達がとやかく口を挟む気はさらさらありませんわ」
しかし危惧したとおり、ナズーリンの態度が癇に障ったのか一輪と村紗が反応してきた。
「う、嘘ですっ。二人とも口調がトゲトゲしいですよ、すごく!」
「気のせいよ」
「ですわ」
「ああもうっ、どうして聖のこととなると、そこまで大人げないのですか!?」
「生憎と神格を頂いた誰かさんと違って」
「私達にはまともさが足りていません……から。そう、まともさが……ええ、ええ。どうせ私は不吉な念縛霊。
法の光の恩恵に与れない中途半端な改悛者。だから私はこうして、些細なことを根に持ち続ける……貴女にも聖にも遠く及ばない……」
「は? ちょ、え……」
剣呑だった空気が唐突に沈んだため、星は呆気にとられて思わず間抜けな声を上げる。
落ち着いて見ると、悲嘆に暮れている村紗の隣で一輪は口元を押さえて肩を揺らしていた。
そこにナズーリンの呆れたような声が加わる。
「からかわれたのだよ、ご主人様。二人とも本気ではないさ」
「なんですって!?」
「そういうことよ。まったく、星はからかい甲斐があるわねぇ。それにしても水蜜、まともじゃない『私達』は酷いんじゃない?」
「……失礼を、一輪。まともではないのは私だけでしたね。今後は気をつけるよう善処しますわ」
「あ、あれ? もう演技は終わったんじゃないの?」
そんな命蓮寺の古参達の様子を、最後まで蚊帳の外にいたぬえは呆然と見つめる。
「……なんだか、仲良さそうね」
そして誰にも聞こえないくらいの声音で、零すように呟いた。
「え~、お待たせしてしまって申し訳ありません、姐さん。では改めて、雲居一輪、および雲山、お相手仕ります」
「あら、気にしなくてもいいわよ。ちょっと微笑ましかったですし」
村紗の機嫌をなんとか修繕した後、白蓮の対面に一輪と雲山が立ちはだかる。ただし白蓮の指示により、充分な距離を開けた状態で。
そして白蓮は、すでに展開させた花園に咲く四の大輪にカードを挿し込む傍ら、一輪にも準備を整えるよう呼びかけた。
「実は、貴女に試そうと思っていたスペルカードは既に出来上がっているの。一輪、先手は私に譲ってくれないかしら?」
「喜んで。もとよりこの儀式は姐さんのために執り行われているようなもの。遠慮することなく存分に力をお振るい下さい」
「ありがとう。それでは、参ります。『スターソードの護法』」
片手に一枚、花園に埋めることのなかったカードを頭上に掲げ、白蓮は符号なきスペルを発動させる。
その宣言を合図に、四の大輪全てから多数の方形の盾が産み出された。
盾の一枚一枚は螺旋軌道を描きながら、全体としては波紋のごとく広がっていく。まるで花びらが少しずつ咲き開くかのように、盾は空間を覆い尽していった。
「円陣を組んだ盾といえど、一網打尽にしてしまえばそれで終わりですよ!」
相対する一輪は手にしていた金の法輪を素早く回し、自らの周囲に眩い閃光を産み出す。光はすぐに尾を引く矢となり、迫る方形の盾に矛先を揃えて放たれていった。
その尖端が壁面に突き立ち、押し破らんとしたまさにその刹那、白蓮が手の中のカードを翻らせる。
紙面に表されていたのは、やいばのよろいを纏った護法童子の絵と、一つの呪文。
「『剣と化せ我がコート』」
次の瞬間、光の矢を受け止めていた盾はそれを吸収し、そして恒星のように輝く剣へと変じた。
「なっ!?」
自らの放った弾幕全てを一方的に打ち消され、一輪は愕然となった。その無防備な身体に向けて、無数の剣の尖端が迫る。
視界いっぱいにひしめく刃の中、それでも一輪は雲をたなびかせる六枚のスペルカードに焦点を合わせる。
そして剣が自らの服に触れるや否や――
「潰滅『天上天下連続フック』!」
無意識に、自分のスペルカード名を叫んでいた。
直後、それをかき消すほどの轟音とともに、巨大な雲が目の前を横切っていった。
熱を帯びているかのような赤い塊は風圧で一輪を後ろに押し倒した後、剣の群れを順に殴り飛ばしていく――右から左へ、左から右へと。
危険が去ったことを一通り確認してから、一輪は後ろを振り返り、緊張した面持ちの雲山を見上げた。
「あ、ありがとう、雲山。貴方が咄嗟に決死結界を用意してくれたのね」
礼を受けて、わずかに眉と拳を緩める雲山。その手から緑の装飾を裏に施したカードが、通常必要とされる以上の枚数零れ落ちていった。
それに目を奪われているうちに、一輪の身体が穏やかに引き上げられる。慌てて前を向くと、いつの間にか白蓮が傍らに寄っていた。
「一輪、大丈夫ですか? きっと雲山が何とかしてくれるとは思っていましたけど……怪我はない?」
「は、はいっ。大事ありません。それにしても先程のスペルカードは一体?」
「ええ、先程展開してみせたのは相手の霊力を吸収して形を作り変える、防御と反撃の為の盾。
一輪、雲山……これが私なりの守り守られし大輪、です」
「姐さん……」
一輪と雲山を順に見つめながら、白蓮は誇らしげに由来を告げる。それを聞いた二人は、目を閉じて感じ入った。
その、誰もが麗しいと感じる光景を遠くから退屈そうに眺めていたぬえだったが、急に悪戯っぽく笑い、そして再び眉根を寄せることでそれを隠した。
日付が変わろうとしている頃、白蓮は再び門徒達の前に立ち、深々と頭を下げる。
「皆さん、本日もありがとうございました。天狗さんが取材に来る前に細かい調整をお願いすることになるかもしれませんが、その際もよろしくね」
「委細承知。全ては聖の御意のままに」
「ありがとう……ああ、貴女達の慈雨が、私を様々に色付かせてくれる。なんと恵まれた境遇なのでしょう」
皆を代表して返答した星の言葉に、白蓮は目を閉じて感慨深く呟いた。
しばしそのまま佇んだ後、白蓮は村紗の方を見て、少しの茶目っ気を混ぜて問いかける。
「ムラサ船長、今は何時ですか?」
久しぶりに肩書き付きで呼ばれたために村紗は笑い、すぐに懐中時計を取り出そうとする。
「お待ちを……現在ふたさんごぅまる時、儀式を始めてから既に1時間以上過ぎていたようです」
「まあ! そんなに長いこと煩わせてしまっていたのね。でも幸い明日は日曜日。皆さん、朝のお勤めは気にしないでゆっくり休んでちょうだい。
では、これにて解散とします」
白蓮の言葉を受けて、一同は軽く頭を下げてから明かりを落とすために散開していく。
そんな中、同じように灯篭に向かっていた白蓮の傍に近寄る影があった。
「白蓮」
「あら、どうしたの? ぬえちゃん、浮かない顔をしているみたいだけど」
「――は――ないの?」
「え?」
「私のは、参考にしないの?」
自分よりも背の高い白蓮を上目遣いで見上げながら、ぬえはか細い声で言葉を投げかける。
「そりゃ、私の妖異は正体不明、分かりにくいっていう自覚はあるよ? でもね、それだけで無視されるのは……寂しいかな、って」
一度言葉を切ると、ぬえは口元を押さえたまま白蓮から目をそらす。そして白蓮が黙っているのを出汁に言葉を続ける。
「封印を解く邪魔をした私を受け入れてくれた時、なんていうか、白蓮って懐が大きいんだなぁって思ったんだ。
だからさ、最近はあんたの力になるのも悪くないかな――って、ちょっ!?」
一方的にまくし立てる傍ら横目で白蓮の様子を窺うと、白蓮はいつの間にか両膝とてのひらを畳に落としていた。
弱々しく震えるその肩を見て、ぬえはなんと言ったらいいものか分からなくなる。
そもそもぬえとしては、自分にゆかりのあるスペルカードが今まで出ていないことに気付き、そこをつついて困らせようとしか考えていなかった。
そんなぬえをよそに、白蓮は切羽詰った声で吐き出すように呟く。
「わ、私は……非想非非想天に上りつめた気になって、目がくらんでいたのか……こんなにも近くに、不平等の種を蒔いていたなんて!」
「あの、白蓮? よ、予想以上にダメージ――」
「私は何も変わっていないな」
「喋り方は変わっちゃぅひゃあ!?」
何を言っても通じていないのか、白蓮はぬえを顧みることなく後背に花園を展開した。
先程は曙光や盾を撃ち放っていた大輪の中の宝玉が、まるで白蓮を睨みつけるかのように妖しく光る。
それを見て、離れていた他の面々は大いに慌てた。
「わああ聖! 気を確かにっ!」
「姐さん早まらないで!」
「ぬえお願い聖を止めて!」
「どど、どうやって!?」
「まことに酷薄で、短慮軽率であるッ! いざ、南無三――」
四方に散らばっている大輪を止める方法をぬえが考えあぐねているうちに、白蓮を穿たんとする流線型の弾幕が列を成して撃ち出される――
「守符『ペンデュラムガード』」
しかしそれらは、突如として白蓮を取り囲んだ五の正八面体によって阻まれた。
金属同士がぶつかり合ったような甲高い音と衝撃の後、本堂は一瞬の静寂に支配される。
その中をナズーリンが静かに歩み、顔だけを上げていた白蓮の前に立つ。
「やれやれ……普段は呆れるほど穏やかだというのに、こういう時だけは無駄に感情的だよね、御身は。
こう言ってはなんだが、先の思い上がった態度とやらを裁く権限が、御身に与えられているとは思わないな。
そう、御身の行く末を決定するのはそこの悪戯っ子の心一つ。もっとも、御身がやろうとしたことほど深刻にはならないと、私は信じているけどね」
そして白蓮に向けて苦笑交じりに話しかけた後、ナズーリンはぬえに向けてウィンクを送る。対するぬえは、そっぽを向くことで答えた。
終始穏やかなナズーリンの声に感化されたのか、白蓮の瞳に次第に正気が戻っていった。
「……重ね重ね、ありがとう。ちょっと取り乱してしまいました」
「御身のそういうところは嫌いではないけどね」
珍しく柔らかい笑みを浮かべるナズーリン。
それを恥ずかしそうに受け取った後、白蓮はぬえを膝立ちのまま見上げ、それから深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、ぬえちゃん。まだ知り合ったばかりだからって、貴女のことを見落としてしまっていて。何か私に出来る償いはあるかしら?」
「い、いやもういいって! 取り乱した白蓮っていう新鮮なものが見られただけで充分だから。
まぁ、あの姿を写真に収めておきたかったかなぁとは思っているけどね」
本気で罰を求めてくる白蓮をぬえは慌ててなだめる。とはいえ、何とか憎まれ口を叩くことだけは忘れずに果たしておく。
しかしそれに構うことなく、白蓮はぬえの言葉で何か思いついたのか、満面の笑みを浮かべて声を弾ませた。
「写真……そうだわ! 今度天狗さんが来た時に、貴女の取材風景を見せてもらっていいかしら? きっとぬえちゃんのこと、色々と分かるかもしれないから」
「……お好きにどうぞ。でも、さっきみたいに取り乱すような白蓮に正体不明の妖異がどこまで見切れるかしら?」
「そうね。でも大丈夫、もう二度と不覚を取らないように精一杯頑張るから」
ひねくれた言葉を投げつけても笑顔を崩さない白蓮を見て、ぬえはもう返す言葉を思いつけなかった。
同時に、いつもの落ち着きを取り戻した様子に安堵の溜息を吐かされる。
そんな自らの態度を顧みて、らしくないとまず思う。そして、自分も大概、白蓮に日和ってしまったかなぁと心中で苦笑した。