「たっだいまー!」
「あら、お帰りなさいこいし。……そう、今日も楽しく遊んだの。それは良かったわね。お菓子は駄目よ。先に手を洗ってらっしゃい。あぁそうそう、お夕飯は何がいいかしら? ……そう、ハンバーグなの。あなたは本当にハンバーグが好きね。え? ……全くもう、恥ずかしいことを思わないでちょうだい。どうせ誰が作ったところで、味なんか変わりやしませんよ。……えぇ、そうね。私も、あなたと一緒に食べるのが、他の誰と食べるよりも一番おいしいわよ」
「――あぁもう! なんで先回りしてどんどん話進めちゃうのよ!」
「仕方ないじゃない。仮にも覚妖怪なんだから」
「せめて会話――」
「こっちの方が便利じゃない?」
「――――」
「はいはい。分かったから、早く手洗いうがいしてきなさい。おやつはそれからだって言ってるでしょ」
「だーかーらっ! 私の話を聞いてよ、お姉ちゃん!」
と、それからというもの、妹は大層ご立腹である。
まぁ理由なんて聞かずとも分かるのだが。あんまりにも反応が面白いものだから、ついつい意地悪したくなってしまうのである。これはもう仕方ない。
しかし、妹も妹で覚なのだから心を読めるし、別に会話しなくとも意思の疎通はできるはずなのだけれど。いったい何が気に入らないと言うのだろうか。首をかしげてしまうところだ。
「ねぇこいし、どうしてそんなことにこだわったのかしら? よかったら教えてもらえないかなぁ」
「…………」
「……お姉ちゃんに話すことは何もない、ときましたか。なるほどね」
こいしはつんとそっぽを向いたまま、私の言葉にひたすら無言で対抗してくる。頭の中も別の思考で埋め尽くされているから、その奥に隠された真意を掴み取ることも難しい。こいしにしてはなかなか考えた方だと思える。
しかしながら、右手にフォーク、ほっぺたにチョコレートケーキをくっつけたまま口をもぐもぐとさせている姿はあまりにも愛らし過ぎた。
「はぁこいしマジかわいい」
「……お姉ちゃん、思ってることと言ってることが完璧に一致してるのね」
「別に隠す必要もないしね。隠したところで読まれるわけだし。というか、私に話すことは何もないんじゃなかったの?」
「…………」
はぁ。
強情な奴め。
「全く……そこまで意地を張ろうと言うのであれば、こっちにだって考えがあるわよ」
「……考え?」
「今日のハンバーグは花丸抜き」
「――っ!?」
そう。
我が家のハンバーグは特製花丸ハンバーグ。ただのハンバーグではないのだ。
焼いたハンバーグの上に、目玉焼きを――それもただの目玉焼きではない、ちゃんと花丸の形にくり抜かれた、文字通り「花丸」な目玉焼き――をトッピングしてあるのである。
むしろそれがなければ花丸ハンバーグとは言えない。花丸型の目玉焼きがあってこその花丸ハンバーグ。これこそが目玉なのである。目玉焼きだけに。
その花丸が、ない。花丸ハンバーグに花丸がなければそれはただのハンバーグだ。魅力は八割減、それならカレーを食べていた方がよっぽどいいと思えるくらい。少なくともこいしにとって、花丸ハンバーグはそれだけの重要性を持っていたのだった。
私はそんなこと重々承知している。だからこそここぞという時に抜くことのできる伝家の宝刀。これをちらちらとチラつかせている限り、こいしは私には逆らえないのであった。
「ぐ……うぐ、ぐ……」
「さぁ、どうします? 大人しく意地を通すのをやめて、素直に喋るか――それともこのまま意地を通して、ただのハンバーグを食べる羽目になるか。どちらか二つに一つ。あなたは選択するしかないのよ、こいし!」
「ううう……ご、ごめんなさい!」
私の猛烈な攻めに苦しげな表情を浮かべ唸っていたこいしだったが、最後の駄目押しが効いたのか、わりと時間は掛からずに折れてしまった。記録は一分三十二秒。なかなかの好タイムである。
「ってなんで私が謝ってんのさ。大体お姉ちゃんが意地悪するからいけないんでしょうが」
「あぁ……それもそうだったわね。ごめんなさい」
「いや、謝られても困るんだけどさ……あんまり言われても、私もどうしていいか分からなくなっちゃうから。その辺りはよろしくお願いします」
「分かりました。で、あなたがあそこまで会話に固執する理由はなんだったの?」
「えっ」
「えって」
「…………」
「…………」
無言の応酬。こいしはまたしても視線をどこかへと逸らし、吹けない口笛を必死にふーっふーっと吹こうとしている。せめて吹けるようになってからやってほしかった。
まぁ、これ以上問い詰めたところで答えは出ないだろう。何より本人が言いたくなさそうだし。そこを突っつき回すのも、酷な話というものだ。
「……言いたくないのなら言わなくてもいいわよ。また、夕食が出来た時に呼ぶから。それまで自分の部屋にいなさいな」
「……分かった」
数瞬の沈黙の後にこいしはこくりと頷き、席を立って部屋から出て行く。
その表情には、迷いが確かに表れていた。
「こいしー! ご飯よ、こっちにいらっしゃい!」
私がそう呼び掛けると、どこか遠くの方からどたどたと騒がしい音が聞こえてくる。そしてぼんやりと妹の姿が見えたと思ったら、見る見る間にこちらに近付いてきて、私を追い越し、食堂の定位置へと座った。
「さ! さ! ハンバーグ! 花丸! ハンバーグ!」
「わ、分かったから……そう興奮しないで、ね?」
テンションの上がり方が異常だ。さっきまでの意気消沈っぷりはいったいどこへやらである。いくらなんでも立ち直りが早すぎやしないだろうか。
私は苦笑しつつ、既に焼き上げたあつあつのハンバーグを白皿によそい上にふんわりと花型目玉焼きを乗せる。誰がどう見ても立派な花丸ハンバーグだ。こいしも目を輝かせて、いつ食べられるのか今か今かとすっかり待ちわびた様子だ。
それがあんまりにもあんまりなものだったから、ついつい悪戯を仕掛けてしまうのであった。
「お姉ちゃーん? まだー?」
「はいはい、もうちょっとね」
「……まだ?」
「まだ」
「もう待てないよー」
「待て」
「わふっ」
「いい、まだよ、まだ『待て』だからね……よし食べてもいいわよ!」
「きゃんきゃん! ……ってお姉ちゃん? 何やらせてんの?」
じろりとジト目でこちらを睨むこいし。おぉ怖い怖い、と私はおどけながら向かいの席に座る。
目の前にはこいしと全く同じメニューの料理。いつもなら別の仕事に忙しくて少し時間をずらして食べているのだが、今日は心を読んだせいで驚くべき事実を知ってしまったから、まさかそうやってぞんざいに扱うわけにも行くまい。
私が座ったのを確認すると、こいしは頬をでれっとさせてえへへ、と笑う。こんな些細なことでそこまで喜んでもらえるのか、と少し驚いたが、一緒に住んでいるのにたまにしか食事を共にしないというのも寂しい話なのだろう。それを言い出さないあたり、私たち姉妹は揃って不器用なようだった。
「さ、食べましょうか。両手を合わせて」
「いただきまーすっ!」
「いただきます」
元気なこいしの声に溶けるように消えていく私の挨拶。いつもここまで元気だったろうかと記憶をたどってみて、まぁ理由は分からないが元気になったのならそれでいいだろうと思い直す。
しかし改めてこいしの方に顔を戻してみると、どうしてかまた暗い表情に戻っている。
それに気付いた私は、持っていた茶碗をテーブルの上に置き居住まいを正した。
「言ってくれる気になったかしら」
無言でこくりと頷くこいし。私がその先を促すと、また少しためらってから恐る恐る、といった感じで喋り始めた。
「……だってさ、やっぱり、お話ししたいもん。お姉ちゃんといっぱいいっぱい、楽しく笑いたいんだもん。自分から教えたいことだって、たくさんあるんだもん。なのに、なのにお姉ちゃんは、どれもこれも全部分かってて……」
苦しそうに。
腹の底から、捻りだすようにして声を搾るこいし。今語っているのは紛れもない本心なのだろう。感情をこらえて語る様が、とても痛々しく感じられた。
「そういうことだったの……ごめんなさいね。確かにあなたの言う通り、知られたくないことや自分で教えたいこともあるでしょうし。そこは、そう、私の配慮不足だったわ。本当にごめんなさい」
「ううん……いいの、別に、いいの」
首を横にふりふり、こいしはひたすら否定する。
私のことを気遣ってくれているのか、それともまた別の理由なのか。いずれにせよ、こいしが真っ直ぐな心根を持っていることを証明する材料にしかならないだろう。
だけどね、こいし。
私だって、何も考えがないままあなたに意地悪しているわけじゃないのよ。
「でもね、こいし。一つだけ、言いたいことがあるの」
「ん?」
「私はね、それでも、多分あなたの全てが分かってしまうと思う。それはどうしようもないことなの。きっと、意識しても見透かしちゃうことでしょうね」
「なんで? どうして? お姉ちゃんは、そんなに私とお話ししたくないの?」
「したいわよ」
「じゃあ、なんで」
愚問だ。
そんなの、決まっているじゃないか。
「大好きな相手のことなんて、すっかり分かり切っちゃうものじゃない」
「……何それ」
「わざわざ話さなくても、ね」
「…………」
「そうでしょ? 私の大好きな人」
「……ばー、か」
ぷい、とこいしは私から顔を逸らし、見た目怒っているかのように乱暴にハンバーグを口へと運ぶ。
頭の中には、なにそれ、馬鹿みたい、いきなり変なこと言わないでよ、恥ずかしいな全くもう等々。読んだこっちが思わず噴き出してしまうような、照れ隠しはなはだしい内容だった。
そんな微笑ましい心の中に私はやんわりと笑みを浮かべて、表面上だけ怒りを装った妹の横顔を改めて見る。
その頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
中々に切ないですね。
古明地姉妹ってどうしてこう、すれ違いの話が似合うのでしょうか。
とにもかくにも良い作品をありがとうございます。
心を閉ざしたことで、姉に対する関心も無くなってしまったのは悲しいですね……
こいしちゃんはさとり様とのやりとりも忘れてしまったのかなあ
後書き「…とでも思ったのか?」
古明地姉妹はほのぼのも切ないのもいいなぁ。
だけどハッピーエンドの続きで締めてくれる人はなかなかいないんだよなぁ……