Coolier - 新生・東方創想話

アカイミズタマリ

2010/06/22 08:34:35
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前々作「サシイレ」の続編になっております。




気が付くと私、十六夜咲夜は紅い水たまりの上に立っていた。
まわりの風景からさっするに、どうやら私は紅魔館の門の前にいるみたいだ。
近くに他の従者達や、妖怪を含む動物など生き物の気配はなく静寂に包まれていて、
周りからは生命の息吹とも呼ばれるものが一切感じられない。不気味な雰囲気が漂う。

たしか、私は図書館でパチュリー様にいつもの相談をしていたはずだ。
私は狐につままれた気分になったが、考えても仕方がないと判断し館内に戻ることにした。
最初の一歩で何かにつまずき転びそうになった。私は視線を足元に落としてみた。

足元には全身を紅く染め上げた美鈴が身体を丸くして横たわっていた。

美鈴の身体、特に背中には冷たくて硬そうな金属がたくさん生えていて、
なにか別の生きモノに見える。丸まっていて背中にはトゲトゲがたくさん……
あぁ、そうかハリネズミに似ているんだ。前に図鑑で見たことがある。
たしか危険が迫ると、こんな風に丸くてトゲトゲになってやり過ごすんだっけ。
どうしたんだろう、なにか怖いことでもあったのかな。そうなら私が慰めてあげたいな。

「……美鈴?」

私はおそるおそる、美鈴が私にそうするように、丸まった彼女に声をかける。
だけど美鈴は閉じこもったままで返事をしてくれない。早く出てきて欲しい、
ここには私しかいない。だから、危ないモノなんてどこにもないのに。

「美鈴、どうしたの? もう怖いものなんてないよ」

私はもう一度、大好きな彼女の名を口にした。
美鈴からは返事どころか反応すらない、まるで物言わぬ石像みたいだ。
もしかしたら私が上手く声を出せていないのかもしれない。話すのは得意ではない。
もしくは、美鈴が丸くなったままで寝ているのかもしれない。ありえない話ではない。

「美鈴、起きてよ。お仕事しなくちゃいけないでしょ」

前よりも少し大きめの声で丸くなった背中に声をかけてみる。
返ってくるのは鈍く光る鉄のトゲトゲの光沢だけで、美鈴の声は返ってこない。
この様子だと本当に美鈴は、深いお昼寝に突入してしまっているのかもしれない。
これだけ話しかけてもうんともすんとも言わないのだから、相当深い眠りなのだろう。
私は美鈴を起こすのをいったんあきらめて、その背中に生えたトゲトゲ達に目を向ける。

私はこのトゲトゲ達を前にも見たことがあるような気がした。

私は紅い水たまりにスカートの裾が浸らないように、気をつけてその場にしゃがんでみる。
見れば見るほどその冷たいトゲトゲ達は、私の知るそれらの形に酷似している。
さらによく見てみるとトゲトゲの端っこの部分に、なにか彫ってあることに私は気が付いた。
だけどその部分は紅く彩られているせいで、なんと彫られているのかわからない。

私はその汚れをそっと親指の腹でぬぐってみた。指に紅い染みができる。
その紅い汚れは粘り気があって、なんとなく嗅いでみると私の鼻を鉄臭さが刺した。
でもそのおかげで、そこの部分はきれいになり私は彫りものを読みとることができた。
そこには短く『S.I』の二文字があった。やけに気になる胸に突き刺さる二文字だ。
気になった私はその柄を握って、美鈴の背中からトゲトゲを一本だけ引き抜いてみた。
とたんにそこからゴフッという詰りのとれた音がした。紅いものが飛散し私の顔に染みを作る。
その音はまるで密閉された容器に囚われた液体が、解放された時に出すものにそっくりだった。
抜いた瞬間に美鈴の身体が少し跳ねた気がしたけど、多分私の気のせいだろう。

私は手中のトゲトゲに目をやる。
なんというか手になじむ。ずっと昔から知っている感触がした。
私は確認のために美鈴の背中から、もう一本トゲトゲを引き抜くことにした。
ふたたび詰まりのある音を立てたあと、私の手には再びなじみのある感触が生まれた。
そしてその感触は間もなく、とても嫌な予感に変わっていった。

私は何かの間違いだと思い、残ったトゲトゲの全部を抜いてみた。
トゲトゲを抜くたびに美鈴の背中から詰まった音がして紅が飛び散ったが、
それもだんだんと大人しくなっていき、私が最後のトゲトゲを抜き終わった時には、
その詰まった音も飛び散っては私の服を彩った紅色も完全になりをひそめていた。
美鈴の背中からトゲトゲは無くなったが、トゲトゲがあったところにはスキマができていた。
そこからは私の顔や服を染色してくれた紅が、まるで湧水のようにちろちろと流れ出ている
私は紅く染め上げられた美鈴と自分の服を見比べた。程度の差こそあれお互いに真紅を纏っている。
美鈴とおそろいの服を着ているみたいで私は少し嬉しくなった。

邪魔なトゲトゲが無くなったので、美鈴のスキマだらけの背中をゆすってみた。
私の手に流れ出る紅い湧水がついて、鉄臭さが増したがそんなこと気にしない。
とにかく私は美鈴の背中をゆすり続けた。美鈴の身体は冷たく石みたいに硬く重かった。
ゆすり続けていたところ、横たわっていた美鈴の身体は転がり美鈴の顔が天を向いた。

美鈴の目は薄いながらも開いていた。
天を見つめる美鈴の目に光彩は写っておらず深く暗く淀んでいる。
いつもは血色の良い健康的な顔色も、今は蝋人形みたいな青白い耽美性を宿している。
そしてその顔は悲痛の表情で完全に固定されており、他の表情に変化する気配はない。
私は美鈴の頬を指でなぞってみた。紅い筋が引かれて青白さがいくぶんか和らいだ。
美鈴は反応してくれない。
次に私は美鈴の唇を指でなぞってみた。赤い唇がさらに紅くなってより魅力的になった。
美鈴は抵抗してくれない。
最後に私は美鈴の耳元で囁いてみた。できるだけ優しく艶やかな声音で美鈴を魅了した。
美鈴は返事してくれない。

そうして遊んでいると紅かったものにだんだんと黒が混ざってきた。
もちろん私や美鈴も例外ではなく、特に美鈴は全身を紅く染め上げられているためか、
その変化も大きくその色彩は数分前とはまったく異なものになっている。

そろそろ限界だった。私は自分を騙せなくなっていた。
目の前の現実が非情にも私の良心を刺激し、それを認めさせようと脅迫してくる。
私はそれに抗った。だけど世界に対して人間の力はなんて微小な存在なのだろう。
抵抗も空しく迫りくる目前の現実に、私はなす術もなく屈服してその過ちを受け入れた。
なんでなんだろう。どうしてなんだろう。なにがあったんだろう。
その過程はわからない、だけどその結果だけは理解できたのだ。

私はまた美鈴を傷つけたのだ。そして今度は本当に取り返しがつかない。
だって美鈴はもう息をしてくれない、目に光を宿らせることもない。
話しかけても返事をしてくれないし、もう二度と笑ってくれないのだ。

そう考えているうちに、私は立っているのもつらくなってきた。

そしてとうとう私は紅黒い水たまりに崩れ落ちた。
そこはもう冷たくなりはじめていた。





暗い水の中から引き上げられる。そんな感じがした。
靄のかっていた意識もしだいにはっきりとしてきて、私は自分が誰なのか認識する。
それにともない私の感覚器は外界の各情報を受信しはじめる。
ここはどこだろうか、地獄にしては明るいし天国にしてはカビ臭い。
起き上ってそのどちらなのか確認したいが身体をうまく動かせないし、頭痛もする。
どうやら、私の身体の指揮系統は依然として覚醒し切れていないみたいだ。
そんな時に私の耳は新たな情報を受信した。

「あら、目が覚めたのね。気分はどう?」
「……いつも通りです」

私はその音声情報の送り主であるパチュリー様に無難な返信をする。
どうやら私は図書館にいるらしい。誰が運んでくれたのだろうか。
パチュリー様はお手元の本をお閉じになり、私へとその視線をお移しになられた。
その瞳は深みがあり底が見えないが、穏やかな様子だ。

「よく寝ていたわ。疲れが溜まっているのね」
「そんなことはありません。たんに気が緩んでいただけです」
「それならいいけど、あまり無理はしないでよ」
「肝に銘じておきます」

少し強がってみたものの、頭痛は鎮まらないし全身を覆う気だるさもぬぐえない。
本調子から遠く離れてしまっている。正直な話、まだ寝ていたいくらいだ。
そう思い私が瞼を閉じようとした矢先に、パチュリー様の言葉が私の耳を貫いた。

「ところで、どこまで覚えているのかしら?」

その声は断罪裁判開廷の音のごとく私の心を揺さぶる。
唐突ながら和やかな時間は終わりみたいだ。そこまで和やかでもなかったけど。
今からはじまるのは尋問の時間か、それとも贖罪の時間になるのだろうか。
どちらにしろ、私はそれだけの事をしてしまったのだ。素直に従う他ない。
まずは何から言えばいいのだろうか、迷った私は自分の罪状から述べることにした。

「……気が付いたら、美鈴を殺していました」
「……ちょっと待ってなんの話? いつの間にあなたそんなことしたの?」

私の言葉を聞いたパチュリー様は、豆鉄砲を当てられた様な顔をなされた。
私が主演の美鈴殺害劇はパチュリー様に報告されていないのだろうか。

「しっかりして、まだ寝ぼけているの?」
「いえ、そんなことは。私はさきほど美鈴に差し入れを持って行って……」
「ほら、その時点ですでにおかしい。今日の差し入れはこれからでしょ」
「そんなはずは……」
「じゃあ、そこにあるマフィンはなんなの? 今しがた焼けたばかりのはずよ?」

私はかたわらに置いてあるマフィンに、そっと手を伸ばしてみた。
マフィンは温かいままだった。たしかに調理されてからそう時間は経っていない。

(あれは夢、ただの悪夢だったの?)

それにしてもただの悪夢にしては、迫力というか現実感に溢れていた。
内容はかなり細かいところまで記憶しているし、物理的な感触もあった。
あの血の冷たさや紅黒さが本当に夢だったのだろうか、とうてい信じられない。

「思い出させるようで悪いけど、その夢の内容を教えてくれない?」
「……かしこまりました。まず私は気が付くと――」

見た夢の脚本の話をしているはずなのに、まるで懺悔をしているような気分になる。
いくら夢とはいえ、その中で私は美鈴をこの手にかけてしまったのだ。
もしあれが夢でなければ、私は本当に一生かけても贖えない罪を犯したことになる。
そう考える私の頬と背中には、冷たいものが何筋か流れ落ち、嘔吐感までもよおす。

「――と言った感じになります」
「なかなか刺激的なものを見たようね」
「……はい。今になって怖くなってきました」
「今日は差し入れやめておく?」
「いえ……行きたいです。美鈴に……会いたいです」
「それは残念。マフィンを独り占めできると思ったのに」
「また機会があったらお作りします」
「あと、会いに行くのはいいけど、ナイフは全部ここに置いて行きなさい」
「念には念をいれておけ、というわけですね」
「杞憂だと思うけど保険は必要でしょ?危機管理というやつよ」

私はパチュリー様の指示に従い、持っている凶器のすべてを吐きだす。
ナイフが次から次へと出てきて、それを目にしたパチュリー様にあきれられてしまう。
だけどこれで、安心して美鈴のところにマフィンを届けられる。
昨日のクッキー以上に気合いを入れて作った自信作だ。きっと喜んでくれるはずだ。
そう思えるだけで吐き出したナイフの分だけ、身も心も軽くなっていくのがわかった。




図書館をあとにする時はいくらか落ち着いた私の心も、門が近づいてくるとざわめいてしまう。
それも不思議なもので、初めて差し入れをした昨日よりも、二度目の今日の方がざわめきは大きい。
きっとあの悪夢を見たせいだ。私はそう判断した。

せっかく美鈴の夢を見るなら、私はもっと楽しいものを見たかった。
例えば美鈴と楽しくお話しする夢だとか、一緒に美味しい物を食べる夢だとか、
そんな幸せなものなら他にも色々あるというのに、なんで私はあんなものを見たのだろう。
もったいなくてしょうがない、時間操作も便利だけど、夢を操る能力も欲しい。

そんなことを考えているうちに、私は門のすぐそばまで来てしまっていた。
あと十歩もしないうちに美鈴と会える。そう思うと緊張にも拍車がかかってくる。
今日も起きているかなとか、今日はその場で美味しいと言ってくれるかなとか、
お話しできるだけでも幸せなのに、私の胸はそんな贅沢な期待で膨らんでいく。

私はその贅沢な期待を満たすために、残り十歩のうち最初の一歩を踏み出した。

しかしながら、次の二歩目であれ?と思い、三歩目でまさか?と不安になって
とうとう四歩目でやっぱりと確信し、五歩目で私の歩みは早くも止まってしまう。

先客がいるみたいなのだ。

まだ姿は見えないが、たしかに美鈴は誰かと話している。
誰なんだろうと六歩目を踏み出すと、私は美鈴の話し相手の大体の見当がついた。
どうやら美鈴の話し相手をしているのは、彼女の部下の妖精メイドの誰かみたいだ。

私はその場で美鈴達の会話が終わるのを見計らうことにする。
わがままな私は美鈴と二人きりになりたいのだ。だからその場に同席者はいらない。
そのわがままをもっと素直な言葉で表現するなら、私は美鈴を独り占めしたいのだ。
それに彼女の部下が同席していると、私に対し美鈴が警戒心を強くしてしまう。
これだって私の自業自得なのだろうけど、それでもつらいものはつらいのだ。

(いったい何を話しているんだろう? 早く終わらないかな)

私は勤務時間中ということもあり、門前の会話はすぐに終わるだろう予想した。
しかし困ったことに何を二人は話しているのか、会話はなかなか終わってくれない。
このままだとマフィンが冷めてしまう。作りたてが一番美味しいというのに。
仕方がないので私は七歩目に足を進めた。話の内容を確認して待つか一度出直すか
見極めるためだ。これは戦術的なものであり、決して興味本位の下種な盗み聞きではない。

あと三歩でご対面できる位置というだけあり、二人の会話を傍受するのは容易だった。
といっても位置関係よりも、耳に意識を集中したことの方が大きいのだろうけど。
とにかく私の耳にたくさんの音声情報が流れ込んでくる。感度はこれ以上ないくらいに良好だ。
しかしながらそこから聞こえてくるものは、なんというか他愛もないただの雑談ばかりだ。

しかも聞こえてくる声のほとんどが妖精メイドのもので、美鈴は聞き手に徹しているみたいで、
ときおり相槌をうつくらいで、なぜか他には何も喋ってくれない。まるで食事中みたいだ。
特別の用事でないのなら、早く私と代わって欲しい。せっかくのマフィンが冷めてしまうし、
そろそろシビレだって切れてしまう。それにまだ仕事だっていくつか残してきているのだ。
このままだと仕事にまで支障がでてしまう。どうやら進軍か撤退か決断の時は近いようだ。


私は短めの熟考の末に進軍という決断を出した。
妖精メイド相手に遠慮することはない。私はそう考えついたのだ。
自分勝手と罵られようとも美鈴に会えれば官軍なのだ。今はつき進む他ない。
そうして私が最後の三歩を踏み出そうとするのと、妖精メイドが声音を変えて高らかに
美鈴に先制攻撃を、そして私に宣戦布告をしてきたのは同時のことだった。

「門番長、いえ美鈴さん。これからは私が隊長のお昼ごはんを用意します」
「それはありがたいですね。でも大変でしょう、そんな無理しなくていいんですよ」
「無理なんかじゃありません。前からお料理の練習をしてきたんです、美鈴さんのために。
 それに昨日だって本当は、邪魔さえはいらなければ、お昼ご飯を用意できたんです」

耳をつんざくその声と、その内容に私はたじろいだ。
目と鼻の先で美鈴を奪われそうになっている。そのことに私の理性は溶かされていく。
以前より美鈴を慕うメイド達がいるのは知っていた。だけど出し抜かれると思っていなかった。
どうせ妖精メイドなのだから影で黄色い声を上げるだけで、何も実行に移せないだろう。
そうやって私は内心で彼女らを軽く見ていたのだ。そしてこの傲慢さが仇となった。

私は今すぐにでも門前に躍り出て美鈴の前から妖精メイドを排除したい衝動に駆られた。
手元に一本でも凶器があれば、私は時間を止める暇すら惜しんで即座に実行していたと思う。
なんなら素手で妖精メイドの細首をへし折って、引導をわたすくらいなら今からでもできる。
美鈴を他の誰かに奪われるくらいなら、私は手段なんて選ばない。最短手で決着をつける。
その結果、美鈴から永遠に軽蔑されようとも、私はそれを甘んじて受け入れる覚悟もある。
だって、私は美鈴をかすめ盗られてしまうことの方が軽蔑されるよりも怖くて嫌なのだ。
そんな豪胆な見栄をはらなければ私の心は耐えられなかった。

(そんな強がりはすべてまやかしだ)

私に美鈴から永遠に軽蔑される覚悟なんて露ほどもない。もちろん盗られるのだって嫌だ。
排除や引導をわたすと意気込んでみても、私の心身にとりついた恐怖はなくなってくれなかった。
私は純粋に今の状況を恐れている。怖くて仕方がない、歯を食い縛らないと泣き出しそうになる。
ごめんねと私は作られた意味を失いかけているマフィンの入った袋を強くすがるように胸に抱いた。
紙袋がぐしゃぐしゃになる。きっと中のマフィンも無事ではすまされないだろう。
私は美鈴がその提案を突っぱねてくれることを天に祈った。

「そうですか……それならお願いしようかな。でも無理はしないでくださいね」

天に私の願いは届かなかった。私は声無き悲鳴をあげる。
胸にも激痛が走る。まるでナイフで深々と肉をえぐられるような痛みだ。
視界が暗転し、聴覚も外界から遮断される。聞こえるのは自分の乱れた呼吸と心音だけになった。
全身を冷くて嫌なものが濡らし、もう夏も近いというのに私の身体はがくがくと震えはじめた。
まず私は自分の耳を疑い、次に記憶違いを疑って、そして最後はまた悪夢なのではと世界も疑った。
だけどそれらの嫌疑はすぐさま取り下げられて無罪釈放、白と裁定される。再審は行われない。
歯を食い縛っている目的が泣き出さないためから、嗚咽を漏らさないためにと変わってしまった。

私の思考は負の螺旋階段を転げ落ちはじめていた。

おそらく私が妖精メイドと同じ提案をしたところで、美鈴は首を縦に振ってくれなかったと思う。
かんたんな差し入れ程度のものならともかく、日々の食事ともなれば相当の親愛と信頼がなければ、
受け入れてもらえるわけがない。そして、私と美鈴の間にはその二つは構築されていない。
かつては美鈴が竣工してくれていたが、私がそれを全損させてそれ切り放棄されてしまっている。
今では私が一方的にその二つを美鈴へと架けようとしているが、完成のめどは立っていない。
それとは反対に美鈴から私には不信、恐怖の二つが架けられている。

私は時間を停止させた、妖精メイドを始末するためではない、尻尾を巻いて逃げるためだ。
時間を停止させたついでに、私は意地汚くも美鈴を盗み見た。

美鈴は嬉しそうに笑っていた。

大好きな笑顔なのに、今日はなんだか見蕩れた分だけ悲しくなってきた。
やっぱり私に、暖かい陽日は不釣り合いなのだろうか。






尻尾巻いて逃げかえってきた私を見てパチュリー様はたいへん驚かれたが、
赤子みたいに泣きじゃくるだけの私を、あきれもせずに慰めてくれた。
そして私の泣きが落ち着いた頃合いに、ことのしだいを尋ねてこられた。
私はときおりむせびながらも、門前でのやりとりをパチュリー様に報告した。

「あぁ、せっかくのマフィンが崩れてしまっているわ。どうする、これ?」
「……どうしましょうか。どちらにしても私には、もう必要のないものです」
「ふーん、それだと美鈴のことは、もうあきらめるのね」
「……あきらめたくはないです。だけど、終わってしまったんです。どうしようもありません」
「たしかにチェックはされた。だけどチェックメイトというわけではないでしょ」
「たとえそうだとしても、もはや時間の問題です。あと数手で王をとられてしまいます」
「どうせ負けるなら、投了する前に特攻してみるのも手だと思うのだけど」

案外どうにかなるものよ、とパチュリー様は言われるが、私にはそうは思えなかった。
むしろ、私はともかく、美鈴の後味を悪くするだけのように思えたのだ。
そもそも、さんざん美鈴を害してきた私に、悪あがきをするだけの資格があるのだろうか。
閻魔様に尋ねれば即座に、そんなものはないと判決が下されそうだ。
……それに最後に見た美鈴の笑顔が頭から離れてくれないのだ。

「しかし、それでは美鈴にいらない気負いをさせてしまいそうです」
「その様子だと本当に負け犬化したみたいね、他にも何かあったのかしら」
「いえ、そんなことは……」
「それで誤魔化せると思っている? 誤魔化してどうにかなると思っているの?」

普段は冷静なパチュリー様の言葉の語尾がすこしずつ荒くなっていくのが分かった。
それだけ私のことを考えてくれているのだろう。
それなのに私は一番大切なことを言い出せないでいた。
それを口にするとすべてを終わってしまうことになるから。
だけど、もういいんだという諦観にも似た何かが、私の本心の代弁をしてくれた。

「……最後に見たんです、幸せそうな美鈴の笑顔を。初めて見る美鈴の表情でした。
 ここでもし私が何か余計なことをすれば、その笑顔が曇ってしまうような気がするのです」
「……あなたはそれでいいの? それってつまり認めることになるわよ」
「……認めたくなんてありません。ですが、あの笑顔を曇らせたくもありません。
 元々はあの笑顔を見るために、今まで私は自分なりに頑張ってきたつもりなのです。
ですから、たとえその笑顔を向けられる相手が、私でなくとも私には十分過ぎます。
 一度は曇らせるどころか、大雨まで降らした私が言うのもおかしなものですけどね」

この言葉はまやかしや嘘はふくまれていない純然たる私の意思だ。
私は美鈴と親密な関係になりたい。これは私の願い――私の望む手段であって目的ではない。
また美鈴の笑顔を見たいというのも、その目的に限りなく近いが完全に同一のものではない。
私の目的とはすなわち美鈴が幸せに包まれて笑っていてくれることだ。
そして今日、その目的は私ではなく妖精メイドがほぼ完璧なかたちで果たしてくれた。
その名誉を奪われたのは悔しいけど、その時の美鈴はたしかに幸せそうだった。
もう私の出番はない。そんな風に私の中のなにかが切れてしまったのだ。

出番を終えた役者は舞台袖にひっこむもの。それがこの世の理というものだろう。
私は舞台の主役にはなれなかったのだ。せいぜい小悪党役が関の山だったのだ。
これからは華やかな主役に舞台をまかせて、私は袖の奥から見ているだけでいい。
主役達への拍手喝さいのおこぼれを、薄暗いところで聞くだけでも私の身に余るのだ。
それなのに余計なことをして、せっかくの舞台を台無しにする権利なんて私にはない。

「そう、わかったわ。あなたが納得しているのなら、私からは何も言わない」
「ありがとうございます」
「だけど、けじめをつける意味でも今日の差し入れは行きなさい」
「……ですが」
「もし行かないとこれから先あなたは、ずっと後悔すると思う」
パチュリー様の瞳には拒否を許さぬ凄みが宿っていた。
それに射抜かれた私は魅入られたように、その指示を噛み締める。
そしてそれは、私の切れたなにかを繋ぎ合わせてくれた。
「……わかりました。美鈴に会ってきます」
私はくしゃくしゃになった紙袋を手にして図書館をあとにした。




すでにその場には妖精メイドの姿はなく、門前には美鈴が一人で立っていた。
ときおり吹く風にゆられ舞う美鈴の長い紅髪を、私はずっと眺めていたくなる。
だけどそれも今日で見おさめになると思うと、私の視界には霧がかかってしまう。

胸に抱くマフィンはすでに冷めてしまっているし、かたちも崩れてしまっている。
それがなんだか私と美鈴の関係を如実に表現しているようで、悲しくもおかしくもあった。
これも二回目の今日で早くも幕を閉じるのだ。脇役に過ぎない私でも感慨深さはある。

「こんにちは、美鈴。お仕事がんばっているみたいね」
「こんにちは、咲夜さん。えっと、その、がんばっています」

私は美鈴を驚かせないよう、怖がらせないよう、できるだけ穏やかな声をかけた。
それでも美鈴は緊張してしまうみたいで、本人は上手く誤魔化しているつもりなのだろうけど、
言葉の節々に引っ掛かりができてしまっていて、親愛の念は込められていないように感じる。
それでも昨日までと比べるとかなり改善されている。
美鈴は私の目を見て話してくれるようになったのだ。
そして私を見て露骨に怯えたりはしなくなってくれた。

「お昼寝さえしなければ、あなたが優秀な門番であることは知っているわ」
「そ、そんなことありませんよ……、すべて部下の子達のおかげです」
「そんな謙遜しなくてもいいのに、実際あなたは立派な門番さんでしょう」
「そんなに褒められても、何もでませんよ……?」
「そんなつもりではないわ、本心よ。それに何かを出すのは私の役目よ」

そう言って私がマフィンの入った紙袋を手渡すと、美鈴は他人行儀ながらもお礼をしてくれたが、
その顔は嬉しいというよりも、申し訳なさそうな表情をしていた。私の胸に小さな刺が刺さる。
やはり多少は改善されたとはいえ、マフィンと同様に私と美鈴の間柄は冷め切っているみたいだ。

「味は大丈夫だと思うけど、ちょっとかたちが変になっているの。ごめんなさい」
「さ、咲夜さんが謝る必要なんて……どこにもありませんよ。とても美味しそうです」
「気を遣わなくてもいいのよ、変なら変とはっきりと言いなさい。怒ったりしないから」
「い、いえ変だなんて……頂けるだけでも、ありがたいです。それに……」

「私……咲夜さんの料理の味、好き……ですから」

ぞくり、と何かが私の身体を突き抜けていった。
「……嬉しいわ。でも一度食べただけで、そう決め付けるのは早計ではなくて?」
「一度だけではないです……食堂の当番表に咲夜さんの名前がある時はいつも頂いています」
そう言う美鈴の顔は恥ずかしそうに赤らんでいる。

私は初めてはにかむ美鈴を見た。
頬を朱に染めて目を伏せるその顔に、私の胸の鼓動は高鳴るばかりで張り裂けそうになる。
だけど苦しいはずなのに不快ではなくて、むしろその苦しさが心地良いことに戸惑ってしまう。
冷め切り終わっているはずなのに、なんだか温かみとこれからを感じはじめていた。

「……私の作る料理、そんなに美味しい?」
「はい、すごく美味しい……です。その、毎日食べたいくらい……」
「じゃ……じゃあ、毎日差し入れしても、食べてくれるのかしら……?」
「えっ……作って頂けるのですか……?」
「あ、あなたが食べてくれるなら作るけど……」
「本当に……ですか?」
美鈴は私の言葉の真偽を確認してきた。
だけど、その口調は猜疑心ではなく期待感に包まれている。
私は無愛想ながらも、美鈴のその期待にかなうように応える。
「……こんなことで嘘なんてつかないわ。……約束するわ」
「あ、ありがとうございます。……すごく、嬉しいです」

美鈴のはにかみ具合がさらに深刻になり、私の心音の轟きもさらに激化した。
このままだと過剰熱で私の頭は沸騰してしまうだろう、本気でそう思った。
しかしながら、ある憂慮がその過剰熱を冷ましてくれたので、私の頭は沸騰せずにすんだ。
その憂慮とはあの妖精メイドのことだ。美鈴は彼女とも、私と似た約束しているはずだ。
また、普通に考えれば二者択一の場面なのに、美鈴はそんなのお構いなしといった様子。
私はどうするのか、どういうことなのか尋ねることにした。

「……だけど、私ともこんな約束してもいいの……?」
「その様子だと、先ほどのこと、お聞きになられていたんですね」
「……ごめんなさい。盗み聞くつもりはなかったの」
「多分、大丈夫だと思います。私かなり燃費が悪い体質なんで……」
「そう……それならいいのだけど」
あやうく、そういう問題ではないでしょう、と突っ込むところだった。
おそろしいことに美鈴はあの妖精メイドの言葉をそのままの意味で受け取っているらしい。
どうすればあんな言葉を額面通りに受け取れるのか、私は不思議でしょうがない。
だからといって私は、件の妖精メイドには悪いが、このチャンスを逃す気はない。
「ねぇ、美鈴。何かリクエストはないかしら?」
「そう……ですね、その……咲夜さんの好きな物とかが食べたいです」
「私の好きな物……? それだと甘い物になるけどいい?」
「はい、甘い物は私も大好きです」
美鈴も甘党という共通点が見つけられて、私は心の中で拳を握り込む。
どんな些細なことでも、美鈴と同じというだけで大きな幸せを感じてしまう。
「それなら、これからもお菓子を中心に作ることにするわ」
「はい、ありがとうございます。あ、あと、もう一つだけ、お願いしてもいいでしょうか……?」
「どうしたの? 嫌いな物や食べられない物がある、とかなら早めに言ってくれると助かるわ」
「ち、違います。えっと……よろしければなんですけどね……その……」

「咲夜さんと、一緒に食べたいなぁ……なんて。やっぱりダメ……ですよね」





「ねぇレミィ。前から常々思っていたのだけど、あなた相当な親バカよね」
「一体なんのことかしら、パチェ。いきなりヒトをバカ扱いとは酷い物言いね」
レミリアは興味がなさそうに応えたが、その背の翼の根元はぴくぴくしている。
それを見たパチュリーはため息を抑えながら、独り言のように続きの言葉を紡ぐ。
「咲夜が見たという悪夢。あれはただの夢なんかではなく、あの子の持つ悪い方の運命よね。
 それをレミィは能力を使ってあの子に見せた。ここまでの推理、当たっているかしら?」
にたにた笑うレミリアを見たパチュリーは、自分の推理が当たっていることを確信して、
さらに言葉を続ける。レミリアの偽悪趣味には慣れているのだ。だてに親友をしていない。
「運命を見たあの子は、まぁ私の助言もあるのでしょうけど、凶器をすべて吐き出した。
 そのおかげで運命は変わり、あの子は自分の手で美鈴を殺めないですんだ――」
「今のあなた、まるで名探偵みたいよ」
親友の突然の合いの手にパチュリーは自分の推理に欠陥があるのを瞬時に悟った。
しかし、パチュリーはあえてその見落としのある考えをすべて口にする。
「――そしてその後もあの手この手で、咲夜の運命に干渉したのでしょう?」
「半分正解で半分不正解ね。私がしたのは運命を見せたところまで、それ以降は高みの見物」
「なるほど、最初の一手でその後の展開までもすべて操作し終えたと。さすがレミィね」
「パチェが私を高く評価してくれるのは嬉しいけど、さすがの私もそこまで器用ではないわ」
予期せぬレミリアの否定の言葉に、パチュリーは少しばかりの動揺を抱く。
立て続けに推理を外したのは初めてのことなのだ。
「……それにしては、あの二人は仲良くしているみたいだけど?」
「そこらへんは、あの二人の努力の結果よ。私の運命操作なんて関係ないわ」
「二人? 咲夜だけでなく美鈴も含むみたいな言い方ね」
「美鈴は美鈴でずっと耐えてきたのよ。気になる相手にずっと冷たくされても諦めなかった」
「その気になる相手こと咲夜は、美鈴に愛想を尽かされたと言っていたけど」
「それは言うなればただの思い込みよ。といっても、美鈴が咲夜にずっと嫌われていると思い込んで、二、三歩引いた接し方になったせいで、お互いの誤解を悪化させたことは否めないけどね」
「……なんて面倒くさい従者達なのかしら。一度、主人の顔を見てみたいわ」


「まったくだわ、きっとカリスマに溢れた傾国の美少女吸血鬼に違いないもの」
そういえば美鈴の正体は何なのでしょうか、龍?

読者の皆様に感謝です。

誤字指摘、ありがとうございます。
砥石
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コメント



0.2380簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
甘酸っぺぇな~。
だがそれがいい
6.100名前が無い程度の能力削除
乙女心は複雑怪奇
恋する女は怖い
9.90名前が無い程度の能力削除
途中まで胃が痛かったぞー! しかしこれも氏のめーさくの醍醐味よな
12.100名前が無い程度の能力削除
この微妙な加減が良し
14.100山の賢者削除
だが彼女はまだ乙女だ。(某中佐)

>>そういえば美鈴の正体は何なのでしょうか、龍?
きっと天上天下みたいに気が龍みたいな形になるんでしょう。

>>たしかにチェックはされた
個人的に「さされた」のほうがいいかな~なんて。
15.100名前が無い程度の能力削除
二人の主人は、カリスマにあふれた吸血鬼……の姉でしょうね。
16.100kou of kimagure削除
最初 (大体予想したけど)こっちも現実逃避したかった

最期の前の転機 ……よかったよかった

最期 自画自賛だな、オイ

総合 こういうのがいいんだよな~
28.100名前が無い程度の能力削除
うん
31.90コチドリ削除
前々作のキーワード、『本当の意味での中二病』と『思春期』
今作を読んではっきりと腑に落ちました。

パチュリーが保健室の先生に見えて仕方ないです。
34.100名前が無い程度の能力削除
美鈴の正体は美鈴に決まってる

パチョリー先生、格好良いッス
36.100名前が無い程度の能力削除
すばらしい
38.100名前が無い程度の能力削除
妖精メイドがんばれ!
龍の巫女かな
43.100名前が無い程度の能力削除
このおぜうはカリスマがあるな。親身なパチュリーもすごくよかった。
途中ヤバかったけど、最後は胸があたたかくなりました。

誤字?報告
>私は狐につかまれた気分になったが
→狐につままれた

>身も体も軽くなっていくのが
→身も心も
54.100名前が無い程度の能力削除
相手の心なんて、聞いてみるまで分からないものだということですね。
思春期タグを頭でなく、心で理解しました。