さして意味もなく、ぷらぷらとペン先が宙を彷徨う。
そこに紙かキャンパスでもあったのなら、象形文字のような奇妙な絵が出来ていたに違いない。
ややウェーブの掛かった腰ほどまである栗色の髪は、紫のリボンでツインテールに。
襟に紫のフリルが付いた短袖ブラウスに黒のスクエアタイ、同色のハイソックスでミニスカートは黒と紫の市松模様という出で立ちの少女は、手帳片手に妙に楽しそうだ。
それとは対照的に、私はいささか不機嫌であった。
そのことに気がつきもしないまま、彼女は私ににっこりと笑いかけている。
机をはさみ、対面に座る彼女のその表情に苛立ちを募らせながらも、それを表に出さないように無表情を装うのは、中々に骨が折れる。
「それでー、さとりは基本的にここから出ずに生活しているのね?」
「えぇ、そうです。それにしても、あなたも物好きですね姫海棠はたて。自ら進んで、我ら覚妖怪の元に訪れるのですから」
「そう?」
「えぇ。あなたも用事が済んだのなら早々に立ち去りなさい。心の秘密を暴れたくないのならね」
脅すように、威圧するようにつむいだ言葉。それは警告であり、忠告であり、そして紛れもない本心である。
もっとも、このくらいの言葉で彼女が怯まないのは経験済み。
第三の目で心を読み取ってみれば案の定、特に恐れるような風もなく、不思議そうな感情ばかりが渦巻いている。
煩わしい。思わず紡ぎそうになった言葉を、かろうじて飲み干した。
「……うーん、もしかしてだけど、さとり今機嫌悪い?」
それとなく、私の言葉に棘があるのを察したのか、目の前の鴉天狗はそんなことをのたまってくる。
時々、こんな風に鋭くなる彼女。普段からそれぐらい察してくれたのなら、私の心労もここまで酷くはならなかっただろうに。
小さく、陰鬱を吐き出すような、そんなため息をつく。
それから、私は呆れたような視線を隠しもせずに、鴉天狗の少女に向けた。
それに、きょとんっという表現が似合いそうな間の抜けた表情を浮かべた彼女を見て、少し心が晴れた私も、随分と性格の悪いものだと自覚する。
「えぇ。せっかく訪れたところ残念だけど、私は取材を受けるような気分ではありません」
突き放すような、そんな言葉。
一線を越えようとするものを遠ざける、棘のある声。
われながらなんとも可愛げのない声だと、そんなことを思う。
そんな私の言葉にも、彼女は不機嫌になるでもなく「それならしょうがない」と言って立ち上がった。
少し残念そうではあるけれど、私に対する非難はかけらもない。
そんな心のまま、変わらない笑顔のままで。
「それじゃ、今日は帰るね。また今度お邪魔するから、その時はよろしく!」
当たり前のように言葉にして、彼女は部屋の窓から飛び去っていく。
二度と来るなという言葉を紡ごうとして、けれどもそれは終ぞ紡ぐことはなく、あっという間に見えなくなったその姿を見つめ続け。
心がチクリと痛んだ気がして、私はそれに気づかぬ振りをしてため息をついた。
▼
姫海棠はたて。彼女は私にとって、非常に厄介な頭痛の種だ。
こちらの警告も忠告も聞きもせず、さも当然のように地霊殿に訪れては、取材と称して私と会話を望んでくる。
初対面のとき、「私の楽しい気持ちを読んでもらって、楽しくなってもらおう」などという心を読んだときは、はっきり言って正気を疑ったこともあるほどだ。
もっとも、彼女はまだ若く、私たちがなぜ地底に追われたかを知らなかったことで、その疑問もあっさり氷解してしまったが。
だからこそ―――私は、彼女との距離を測りかねている。
彼女も、私が心を読む妖怪だということは知っている。
だからこそ、正気を疑うようなあの考えを持っていたのだろうし、興味津々と言った様子で私との対話を求めてくるのだ。
けれど、それは彼女が「心を読む」という行為の、本当の恐ろしさを知らないからこそ。
心を読むということは、他者への侵略と同義だ。
相手の秘密を暴きたて、侵し、抉り、蹂躙する、精神への攻撃に他ならない。
だからこそ―――私たちは人間からも、そして妖怪からも忌み嫌われたのだ。
精神に強く依存する妖怪たちにとって、私の力はさぞ脅威であっただろう。
相手の心の傷(トラウマ)を形にするということは、妖怪にとっては正に脅威であり、時には死することにもなりかねない。
人間も妖怪も、私達の前では疑心暗鬼にとらわれる。悪辣で辛辣な言葉を心で叫び、怨嗟の言葉を浴びせてくる。
その心に秘めた言葉の苛烈さは、第三の目を閉ざしてしまったこいしを見れば、少しは伝わるだろうか。
つまり、私はそういう存在。誰からも忌避された、忌むべき種族。
彼女は、姫海棠はたては本当の意味で私を理解していない。
理解していないから、あんなにもへらへらと笑って私の元に訪れるのだ。
あんなにも楽しそうに、あんなにも嬉しそうに。
私達姉妹の何を気に入ったのか知らないが、事実を知ればどうせすぐに掌を返すに違いない。
私達を地底に追いやった連中のように、こいしの心をズタズタにした者達と同じように。
悪辣に罵り、陰湿に叫び、嫌悪の眼差しを向けてくることを想像するのは、とても容易だった。
「さとり様」
そんな風に、思考に埋没していたときだ。
彼女が帰って少したった頃、扉を開けて入室してきたのはペットの霊烏路空。
少女にしては長身だろう背丈は160cm後半と、私より頭ひとつと半分ほど高く、烏の濡れ羽色の艶やかな、しかし多少ボサボサな黒髪は腰まで下ろされ、アクセントに緑のリボン。
丸々と大きな瞳は赤茶色、私と同じで碌に日に当たらないおかげで白く、奇妙な赤い目玉の模様が施されたシャツにグリーンのスカート。
地獄鴉であり、皆からは「おくう」と呼ばれ親しまれている彼女は、キョロキョロと誰かを探すように辺りを見回している。
探しているのは……案の定というべきなのか、あの能天気な鴉天狗らしい。
「彼女なら帰りましたよ、おくう」
「えぇ!? そうなんですか!!? うぅ、せっかく新しいスペルカード考えたから試したかったのに」
そんな風に不機嫌そうに剥れる彼女に苦笑しながら、私は「それは残念ですね」と頭をなでてやる。
種族は違えど鴉同士で気が合うのか、おくうは彼女に対してはとても好意的だ。
根は素直で信じやすいおくうだから、基本的に彼女は誰とでも仲良くなれる。
私とは正反対で、だからこそ、彼女が少しうらやましいと思う。
私に、少しでも信じるということができていたのなら、おくうのように彼女を好意的に見れていたかもしれない。
けれど、私は誰かを信じるには臆病になりすぎた。
心を読めるからこそ、私は誰かを信じるという行為ができずに、その心の声で判断してしまう。
あぁ……と、心のどこかが答えを得たように納得する。
人間達が、妖怪達が疑心暗鬼に駆られて私達を地底に追いやったのと同じように。
他でもない私こそが、疑心暗鬼に駆られていたのだと今更のように気がついた。
昔も、そして―――今も。
▼
「面白い奴だよ、あいつは」
ケタケタと上機嫌に笑いながら、目の前の鬼は豪快に酒を口に運ぶ。
浴びるようになんていう比喩表現があるが、きっとそれは今こそ使うべき表現なのだろう。
旧都の建物の増築の件で訪れた彼女、星熊勇儀は、姫海棠はたてのことを「面白い」と、そう評した。
金紗の長い髪は煌びやかで美しく、170以上はあるだろう長身に、抜群のスタイルのよさは女性なら誰しもが羨む様な体型だ。
非常に整った顔はアルコールが入っているせいで朱色に染まり、額からは立派な赤い角が生えている勇儀は、どうにもあの鴉天狗がお気に入りらしい。
彼女の持ってきた書類に目を通しながら、その言葉に自然と眉が釣り上っていくのを感じる。
自分で聞いておきながら、自分で機嫌が悪くなる。その感情を何とか押しとどめ、私は怪訝そうな表情を一瞬だけ鬼に向けた。
「面白い……ですか?」
「あぁ、そうだよ。普段こそ少し私たちに遠慮するがね、宴会の席になったら見境なしさ。
何しろ、この四天王たる『力の勇儀』の頭を笑いながらバシバシ叩く奴だからね。私にあんなことができる鴉天狗は、あいつ以外にゃいないだろうさ」
けらけらと大笑いしながら、彼女はそんなことをのたまった。
心を覗いてみれば、当時のことを思い出しているようで、その時の光景が視界いっぱいに広がっていく。
博麗神社の大宴会。私はいつもほとんど行かないその席で、姫海棠はたては笑いながら勇儀ともう一人の鬼の頭をバシバシ叩き、それを見た天魔らしき天狗が卒倒した。
……思わず、絶句。怖いもの知らずにもほどがある。
「それはなんというか……、阿呆ですね」
「あっはっは! 阿呆か、確かに違いない!! けど、あんな阿呆がいるんだから、存外に今の天狗の社会も悪くないのかも知れないねぇ」
よっぽど私の言葉が面白かったのか、上機嫌な様子のまま酒を煽る星熊勇儀。
どうやら、彼女の頭の中で姫海棠はたては阿呆ということに決定したらしい。
私も概ね同意見なので、それを訂正することもなく資料に判子を押して、彼女に差し出す。
「はい、確認しました。ペットに案内させますから、そこから木材を必要なだけ持っていってください」
「お、いつも悪いねぇ。……しっかし、そんな顔をしてるってことは、あんたはアイツのことをよく思っちゃいないみたいだね」
書類を受け取りながらクツクツと笑って、彼女はそんなことを問いかけてくる。
藪蛇だったかと内心で舌打ちして、ジロリと勇儀に視線を向けるが、相変わらずニヤニヤと興味津々と言った様子。
はぁ……と、疲れたようにため息をひとつこぼす。それから私は、なんでもない風に言葉を紡ごうとして―――
「えぇ、嫌いですね」
自分でも驚くくらいに、すんなりとその言葉が飛び出してしまっていた。
「今でこそ、彼女は友好的ですよ。心が読めるんですから、そのくらいはわかります。けれど、あなたもわかるでしょう、星熊勇儀?
何故私達が地上を追われたのか、なぜ地底に押し込められたのか、彼女はそれを『知らない』のですよ。
知らないから、彼女は私に友好的でいられる。知らないからこそ、私の前で平然と笑っていられるのです。
覚妖怪の本質を知らないからこそ―――彼女は、私の元に何度も訪れる。
無知とは時にそれ自体が罪となる。私がどういった存在か知れば、どうせ他の連中と同じように、忌避の目を向けてくるでしょう。
同じ山の仲間であるはずの私たちを地底に追いやった、他の鴉天狗達と同じように」
期待することなど、とうの昔にあきらめた。
誰かに好かれることなど、ありもしないことなのだと思い知らされた。
おくうやお燐たち身内からならともかく、外部の者に期待することなど、無意味なことだと知っている。
ましてや、かつては同じ山に住んでいたはずの、同じ妖怪の山の仲間のはずの私たちを、率先して地底に追いやった鴉天狗の心なんて、どうして信じられようか。
妖怪の山は、身内に甘く仲間意識が強いと聞いたが、そんなのは嘘っぱちだ。
率先して同じ山の妖怪を地底に追いやったあの連中が、何を都合よくそんな戯けた事を謳うというのか。
小さく、ため息をつく。
勇儀に視線を向けてみれば、パチクリと意外そうな表情をした間抜けな顔がある。
それだけ、今の私の言葉が意外だったのだろう。
いつものように酒を飲むこともせぬまま、ぽけっとした顔で目を瞬かせている。
「……すみません、忘れてください。今の言葉、あなたにぶつけるべき言葉ではありませんでしたね」
「いや、私のほうこそ悪かったね。悪乗りがしすぎたか」
バツが悪そうに席を立ち、頭をガリガリとかきながら席を立つ。
我ながら、失敗したと陰鬱な気分を感じずにはいられない。そもそも、何で私はこんな言葉を紡いでしまったのか。
話す気なんてなかったのに、適当にごまかすつもりだったのに、いつの間にか心の内にたまった感情を吐き出すように言葉を紡いでしまった。
自分でも予想以上に、姫海棠はたての来訪に気が滅入っているのか、よっぽどストレスでも溜まっていたのか。
間の抜けた話があるものだ。彼女が知らないのなら、そうと悟られないように立ち回ればいいのだ。
向こうが好意的であるのなら、やりようによっては良い関係を結べるだろうに。
私は思った以上に、誰かを信じるという行為が苦手なようだ。本当、情けない。
今の言葉は、誰が聞いても明らかな失言に他ならなかった。
傍にいた怨霊に案内を任せ、ふわふわと移動する怨霊の後を勇儀が歩く。
部屋を出ようとドアノブに手をかけたとき、彼女はふと……肩越しに私へ視線を向けた。
「難儀なもんだね、心を読めるっていうのは」
「仕方ありません。生まれついた能力ですからね」
その会話を最後に、勇儀は苦笑して「違いない」と言葉にして立ち去っていく。
バタンと、扉が閉まる。ひたひたと裸足で歩く音が遠ざかっていくのを感じながら、私は盛大なため息をひとつこぼして。
「……何をやっているのかしら、私は」
先ほどの失言を悔いるように、陰鬱な感情とともに言葉を吐き出したのだった。
どうして彼女のことになるとこんなにもムキになってしまうのか、その答えが見つけられなくて、結局私は首を傾げるしか出来ないでいる。
▼
あれから三日ほどたった頃だろうか。
再び、私の頭痛の種は望みもしていないのにやってきた。
朗らかにニコニコと笑って、「楽しんでもらおう」なんて悪びれもせずに思いながら。
そんな風に思っているから、私は彼女を無碍に扱えない。
本来なら招き入れたくもないのに、純粋な好意を無碍にしたくなくて、結局地霊殿の中に招き入れて、お燐に紅茶の準備を命じることになる。
「すぐに紅茶を用意させます。ですので、飲んだらすぐに帰ってください」
「相変わらず辛辣ねぇ。……うーん、もしかして照れ隠し?」
んなワケ無いでしょうが。そう叫びそうになった言葉を、すんでの所で飲み干した。
悪びれもないあたり、本気でそう思っているらしい。昨今の平和になりつつある幻想郷の弊害だろうか。
いくらなんでも、能天気すぎる気がしてならないのだが、こんな様子なら勇儀の頭をガシガシ叩くのもうなずける。
怖いもの知らずというのも、なかなかに考え物だ。
「……ご想像にお任せします。席はいつもの所でかまいませんね?」
「うん、全然オッケーよ! さぁて、今日こそさとりんの恥ずかしい話を聞いちゃうんだから!」
「お帰りはあちらですが?」
「ごめんなさい、冗談です」
見事な土下座だった。プライドの高い鴉天狗がこうも易々と頭を下げるのは、正直どうなんだろうか?
正直、とっとと帰ってもらいたいのだけれど、ここまでしておいて「さぁ帰れ」というのもちょっと気が引ける。
……我ながら、変なところで妙に甘い。
「頭を上げてください。そんな風に頭を下げていられると踏みつけたくなりますので」
「さとりん、もしかして隠れドS?」
「お望みならば踏みつけてあげましょうか?」
何度となく繰り返した妙なやり取り。この間この光景を見ていたお燐が「まるでコントみたいだ」と思っていたのは記憶に新しい。
失敬な。誰が好きで彼女とコントなどするものか。
さすがに踏まれるのは嫌なようで、はたては慌てた様子で立ち上がり、そそくさと案内された席に座った。
手帳とペンを取り出し、すっかり先ほどのことなど忘れたようにニコニコと笑う彼女の姿を見て、小さくため息がこぼれる。
なんとも、切り替えの早い。
「と、言うわけで。今日聞きたいのはね―――」
「身長もスリーサイズも答えませんよ。ていうか、どこのナンパですかこれ」
「むむ、じゃあ―――」
「趣味はペットの世話と読書。以上」
「え、えっと―――」
「新聞の定期購読は断ります。私にメリットがまったくないので」
彼女が質問するまでもなく、その質問を先読みしてすべてさえぎるように答えていく。
最初は元気だった彼女も、先読みされてだんだんと力をなくしていき、最後には突っ伏すように机の上で沈黙した。
いつもいつも、ストレスの種になっているのだ。このくらいの意趣返しをしたってばちは当たるまい。
何度も何度も、質問を受ける前に答えを出して出鼻を挫く。
そんなことを繰り返していたら、やがて質問もやんでぐったりと鴉天狗はうなだれている。
うん、ちょっとすっきりしたかもしれない。
「……うぅ、せめて質問ぐらいさせてくれたっていいじゃない」
「何を言うのかしら。質問する手間を省いてあげたのだから、少しぐらい感謝して欲しいものです」
お燐が持ってきてくれた紅茶に口をつけながら、そんな風に皮肉をこめて言葉にする。
うん、おいしい。お燐の入れてくれたお茶は、日に日に上達するから主としては非常に誇らしい。
なんでも、地上で何度かどこぞのメイド長に習ったことがあるのだとか。
今度、紅魔館にはお礼に向かってもいいかもしれない。
あそこの妹さんとこいしは仲がいいようだし、手作りのクッキーなんか持って行けば喜ばれるだろうか?
今度検討してみよう。まぁ、私が外に出ようかと思うかは果てしなく微妙ではあるけれど。
そんな風に、私が紅茶の出来に感心している頃、鴉天狗は机に突っ伏したまま盛大なため息をひとつこぼし。
「あーあ、いいなぁさとりんはさ。心を読むって、便利だよねぇ。うらやましいなぁ」
そんな―――ふざけた言葉を、本心から口走っていた。
「……今、なんと言いましたか?」
自分でも驚くほど、低い声がついて出た。
首筋がチリチリとざわめく様な感覚。胸の奥から、黒い感情が醜く溢れて行くのが、実感として理解できる。
彼女は、不思議そうな顔で私に視線を向けてくる。それが、こんなにも腹立たしくて、叫びだしたい衝動に苛まれた。
だというのに、私の表情はいたって能面。仮面を貼り付けたかのように席を立ち、ツカツカと彼女の元に歩み寄る。
そして―――彼女を、見下ろした。
黒い感情を瞳に宿して、心の内でのた打ち回る叫びを内包したまま、姫海棠はたてを見下ろしている。
ふざけるなと、心がざわめいて金切り声で叫んでいる。
けれども心のどこかで、やめろと、必死になって押しとどめようとする冷静な部分が叫んでる。
だけど、止まれない。私は、彼女の言葉を許せない。
頭の中でカチリと、意識が切り替わるような、そんな音が聞こえた気がした。
「うらやましいと、そう言いましたか姫海棠はたて。心を読む能力が、心を読む力が、どういった物なのか本質も理解できないあなたが?
ならば私はこう言いましょう、姫海棠はたて。―――ふざけるな、と」
能面な顔のまま、ぎょろりと彼女を覗き込む。
彼女の目には、果たして私はどのように映っただろうか。
答えは―――「恐れ」。
私の目を見て、私に覗き込まれて、彼女は今確かに恐れている。
やはりという納得と、同時に落胆。
おかしな話だ。最初から期待などしていなかったくせに、無意味だと断じたくせに、どうして私は今この瞬間、落胆を感じているのか?
わからない。理解できない。意味がわからない。だから余計に腹立たしくなって、……同時に、無性に悲しくなった。
それでも、私の言葉は止まらない。どす黒い感情が血液のように巡回して体中を駆け巡る。
止まらないじゃなくて、止められない。
「心を読むということは、他者への侵略と同義です。相手の秘密を暴きたて、侵し、抉り、蹂躙する、精神への攻撃に他ならない。
だからこそ―――私たちは人間からも、そして妖怪からも忌み嫌われたのですよ、鴉天狗。
妖怪の山に住んでいた私達を、かつては仲間と謳いながら忌み嫌って追い出したあなた達鴉天狗が、今度は私の能力がうらやましい?
笑わせないでください姫海棠はたて。これ以上に―――ふざけたことが他にありますか!!?」
能面だった顔が、醜く怒りに歪んでその感情を露にした。
一度爆発した感情はとめどなく噴出して、ギリギリと歯をかみ締める音が耳に届く。それが自分のものであると、気づくのに少しだけ時間がかかる。
本当は、今の私の怒りが場違いなものであると、心のどこかが理解しているのに、憎悪にまみれた私の心はその理解をたやすく食いつぶす。
「ち……違う! 私、そんなつもりじゃ―――」
「無知とは、それだけで相手の逆鱗に触れることがあるということ。あなたはまずそれを知るべきだわ。
知らなかったなんて言い訳にもなりはしない。知らずに放った言葉が相手を傷つけ、怒りに燃え上がらせると、あなたは知るべきだった。
……そうでしょう? 引きこもりの鴉天狗さん」
今度こそ―――彼女は明確な恐れを抱いて、私を見上げた。
驚愕と、疑問。それがない交ぜになった表情のまま、耳を塞げと叫び続けている、彼女の心。
知らず、頬がつりあがった。歪な三日月のような笑みで彼女を覗き込み、逃がさないように頬に手を当てる。
「可愛そうなはたて。誰もあなたには見向きもせず、持ちえた能力で家から出ずにいつも独り。
誰もがあなたの新聞を『古い』と声にして馬鹿にし、げたげたと下品な笑いであなたを蔑んだ。
ランキングに乗らない自慢の新聞。誰もあなたに興味すら持たず、長い長い独りっきりの時間。
その寂しさを紛らわすように宴会に訪れて、馬鹿みたいに叫んで、はしゃいで、自分の存在をアピールして、上司の頭だって遠慮なく叩いたりもしたのよね?
最近仲良くなった鴉天狗と、白狼天狗も―――本当のところは、あなたのことをどう思ってるのか不安なのよね?」
ぁ……っと、か細い声が彼女の口からこぼれ出た。
蒼白な表情、目を見開いて、カチカチと心を暴かれることに歯を鳴らしておびえている彼女を、愛しいとさえ思ってしまう、歪な自分。
彼女の瞳に移りこんだ私の顔は―――こんなにも、楽しそうに嗤っている。
「射命丸文はあなたの目標。千年を生きた妖怪だものね、彼女。たとえ周りが評価しない新聞だろうが、あなたは彼女の新聞に惚れ込んで、勝負を挑んだのでしょう?
だけど、彼女は手加減をした。手を抜いて、本気で勝負なんてしなかった。それを悔しいって、何度も思った。
だって、仕方ないじゃない。射命丸文にとってすれば、あなたなんて―――取るに足らない相手なんだから」
「やめてッ!!」
悲鳴にも似た絶叫とともに、思いっきり突き飛ばされた。
肺を突き抜けるような衝撃で、一瞬目の前が真っ暗になりそうだったが、何とか踏みとどまって意識をつなぐ。
明滅する視界ではたてに視線を向ければ、真っ青な表情で、明確な恐れを抱いたまま、私を見つめる彼女がいた。
昔と同じように。忌避と恐怖が入り乱れた、そんな瞳と、そして心で。
慣れている。その目にも、その心にも、いつも浴びせられたものだから慣れきっているはずなのに。
なのに何で、私の心が―――こんなにも痛むのだろうか?
「理解しましたか、姫海棠はたて。これが、あなたの「うらやましい」と言葉にした力の本質ですよ。
相手の秘密を暴きたて、侵し、抉り、蹂躙する、精神への侵略。トラウマを形にして、相手の心を追い詰める、そんな能力。
忌み嫌われ、恐れられ、そして誰しもが忌避と恐怖の視線と心で私達を遠ざけ、そして口汚く罵るのです。
これでも、あなたは―――この能力を、うらやましいと口にしますか?」
胸の痛みも、今は気にしない。気にする暇もなく、私はするりと言葉を紡ぎ、彼女を追い立てる。
私達、覚妖怪の恐ろしさと、心を読むという能力の、脅威と畏怖を彼女に刻み込むように。
これは、そう。一種の儀式だ。無知な彼女に私達がどういう存在なのかを、忘れさせないように刻み付ける、そんな儀式。
彼女は、何も言わない。何も言葉にしないまま、静かにうつむいてよろよろと後ずさる。
だけど、心はずっと叫んでる。ごめんなさいって、何度も何度も、涙を零す様に、嗚咽のように。
それがこんなにも、私の心を痛ませる。
本当は、理解してる。これが、ただの八つ当たりにしか過ぎない、彼女にとっては理不尽な暴力であると。
無知が罪だなんて、そんなの都合のいい自己防衛だ。
知らなければ回避できないことなんて山ほどあるというのに、私はその言葉を盾にして、彼女を責め続けて。
一度理性が戻ってくれば―――こんなにも、心が苦しくて張り裂けそうだ。
「……帰りなさい、姫海棠はたて。出来ればもう二度と―――ここには訪れないでください」
感情を押し殺しながら、私はそう言葉を紡いで部屋から退出する。
ドアを閉め、まるで逃げるように足を速めて廊下を突き進む。
いいや、違う。私はきっと、あの場所から逃げ出したくてたまらなかったのだ。
本当は、もっとうまく立ち回るつもりだった。知らないのなら、この力の恐ろしさをもっと冷静に言葉で伝えてあげればよかったのに。
なのに、私がやったことは相手の心への蹂躙。彼女の感じている負い目を、不安を、口にして罵って、増長させて。
期待することなど、とうの昔にあきらめた。
誰かに好かれることなど、ありもしないことなのだと思い知らされた。
なのに、私は彼女が恐怖を感じたとき、納得したのと同時にどこかで落胆して。
少し考えれば、わかることだったのだ。
口ではなんだかんだと言っていたけれど、私の心はどこかで―――彼女のことを期待していたのではないだろうか。
けれど、もう手遅れ。
私は致命的なまでに、あの子の心をこの力で踏みにじり、蹂躙した。
もうきっと、彼女は以前のようには笑ってくれまい。
以前のように、楽しんでもらいたいからと、笑顔を浮かべながらこの場を訪れることなんて二度と無い。
本当は、あの笑顔が。その心が。
私にはとても―――眩しくて眩しくて、羨ましかったのだ。
今頃気がつくなんて、今頃その思いに気がつくなんて―――本当に、馬鹿みたいだ。
私室に飛び込むようにして入り込み、すぐさまドアを閉めた。
息が荒く、肩で息をするまで疲弊していたあたり、いつの間にか私は全力疾走していたらしい。
そのままドアを背にしたまま、ずるずるとその場に座り込む。
乾いた笑いが、室内にこだまする。くしゃりと、目にかかるうっとうしい前髪を握り締めた。
「最低じゃない……私は」
後悔にまみれた言葉は、室内の空気に溶けて消えた。
本当は、嬉しかったはずなのに。どこかで期待していたはずなのに。そのすべてを、私自らが台無しにした。
ぼろぼろと、涙が零れ落ちる。自分の情けなさと、醜さと、そして彼女に対する申し訳なさとが、ない交ぜになって、ぐちゃぐちゃに心をかき乱す。
どうして、こうなってしまったのだろう。何故、あそこで私は我慢が出来なかったのだろう。
一度起こってしまったことは、無かったことになんてできやしない。
結局私は、どこまでいっても誰も信用できない惨めな者でしかないのだろうと、そう思うとますます涙が止まらなくなった。
私は、地上を追われて以来、初めて―――枯れはてるのではないかと思うほどに泣き続けた。
▼
時間がたつのは、思いのほか早いもので。
あれから、そろそろ一週間。
彼女が訪れることは無くなり、時々、外に出ていたおくうやお燐、こいしから彼女の話を聞くぐらいで、平静を装いながらその話に耳を傾ける日々が続いた。
どうやら、こいしやおくう達にはこれまで通り接してくれているらしい。それで少しだけ、ホッとした。
私のせいで、こいし達まで嫌われてしまったら、私は自分が情けなくて自殺してしまうかもしれなかったから。
そんなある日、お燐から彼女が地霊殿に訪れていることを聞いた。
ゾッと、背筋が凍りつくような思いだった。
何故、どうして、と疑問の言葉ばかりが脳内をぐるぐると循環する。
結局、顔を合わせる勇気の無かった私は、お燐に彼女を帰ってもらうように頼むと、私は逃げるように仕事部屋から飛び出した。
どんな顔をすればいいのかわからない。あんなことを口にしておいて、今更どんな風に謝ればいいのかわからなくて。
だから、私は逃げたんだ。また、あの目を向けられるのが怖くて。あの心を見せられるのが恐ろしくて。
そんな都合のいいことを思って、私は、逃げた。
それから、彼女は何度もここを訪れた。
そのたびに、玄関で待つ彼女をお燐に頼んで帰ってもらって、それが何度も続けば、お燐も疑問に思うのも当然で。
何度か問いついめられて、私はその度にごまかした。
私がそう言えば、従者でありペットであるお燐は何も言えない。本当は聞きたくて仕方ないと心で呟きながら、けれども彼女はそっとしておいてくれた。
それが、その心使いが、今はとてもありがたい。
そんな風に、彼女が訪れ、私が避ける。
そのような奇妙な関係が続いて、もう少しで……一ヶ月がたとうとしていた。
今もまだ、私の耳にはあの日の「ごめんなさい」と叫ぶ彼女の心の声が、こびりついて離れない。
▼
「さとり様、さとり様!!」
あれから二ヶ月。とうとう彼女が地霊殿を訪れることも無くなって、それを忘れるように仕事に没頭していた頃である。
勢いよく扉が開いて、愛しい従者―――霊烏路空が姿を見せた。
ニコニコと笑顔のまま楽しそうに入室し、彼女の腕にはいつか巫女たちが使用していた陰陽玉が抱えられている。
大方巫女あたりからもらったのだろう。彼女の記憶を読んでみても、もうすっかり記憶から抜け落ちたようで誰からもらったかさっぱりだが。
「どうしたのですか、おくう。随分と機嫌がよさそうですね?」
「うん、これをさとり様に届けるだけの頼まれもので、ゆで卵いっぱいもらったんです!!」
よっぽど嬉しかったのだろう。おくうの頭はすでにゆで卵でいっぱいで、それを頼んだ人物がさっぱり。
うん、今度餌付けされないようにちゃんと教育しておこう。なんかゆで卵でいろんなことを要求されてもあっさり応じそうで怖い。
そんな風にひっそりと決意を固めながら、おくうから陰陽玉を受け取った。
やっぱり、記憶のとおりのそれは巫女が使っていたそれだ。おそらく、この向こうに誰かがいるのだろうとあたりをつけた瞬間―――
『あー、テステス、こちら姫海棠はたてー。古明地さとりさん、応答願いマース』
そんな、もう二度と聞くことが無いと思っていた能天気な言葉が、その陰陽玉から聞こえてきた。
途端に、私は怖くなった。
彼女から何を言われるのか怖くて、鏡を見るまでも無く、顔が引きつるのがよくわかる。
背筋に走る、悪寒。これから罵られるのではないかという、忘れかけていた恐怖。
そんな都合のいい言葉を並び立てる自分自身が、逃げようとする自分が、一番、嫌いだというのに。
『とまぁ冗談はおいといて、えーっと、聞こえてるかな、さとり』
「……えぇ、聞こえてます。こんな手の込んだことまでして、何の用ですか」
私が答えれば、彼女はどこかホッとしたようで、向こうからそんな気配が伝わってくる。
何を言葉にすればいいのかわからなくて、何を言えばいいのかわからずに、私はそんな、棘のある言葉を紡いでしまう。
謝りたいのに、ごめんなさいと口にしたいのに、不良品にでもなってしまったのか、私の口は遠ざけるような言葉ばかり紡ぐ。
それが、腹立たしくて、情けなくて、また泣いてしまいそうで。
今、私はどんな顔をしているのだろうか。おくうが心配そうにおろおろしているのを見る当たり、今にも泣き出しそうな表情でもしているのかもしれない。
『いや、本当は面と向かって伝えたかったんだけどさ、全然会ってくれないからこういう手段をとることにしたわけよ』
「伝えたいこと、ですか?」
『えぇ、そうよ』
どこか満足したように、鴉天狗は口にした。
よっぽど遠いところから喋っているのだろう。私の能力は、彼女の心を拾えず、何を言われるのか恐ろしいと、そう思っている。
自身の能力をどこかで蔑んでおきながら、いざ使えなくなればそれに恐怖を覚える。
本当、今の私は惨めだ。都合のいいことばかり考えて、いざ想定外のことが起これば怯えてばかりで。
なんて―――無様。
「それで、何を伝えたいのですか?」
それでも、彼女の言葉を逃げずに聞こうと思った。
彼女の好意を自ら踏みにじり、八つ当たりのように傷つけて。
だから、聞かないといけないと、そう思う。
罵詈雑言を浴びせかけるかもしれない。けれど、私はそれを聞かなければいけないのだ。
それが、彼女の好意を踏みにじった―――せめてもの罪滅ぼし。
そう、思っていたのに。
『えっとさ、ごめんね』
なんで、彼女が私に謝るのか。
「え?」と、呆然とした言葉がこぼれた。何で? どうして? と、疑問ばかりが頭をぐるぐるめぐってうまく思考が出来やしない。
ワケがわからなかった。何故彼女が謝って、こんなにも申し訳なさそうな言葉が耳にこびりつくのか。
だって、そんなのおかしい。絶対に、おかしいに決まってる。
彼女の心を踏みにじったのは私なのに、傷つけたのは私なのに、彼女が謝るなんて、そんなの絶対におかしいのに。
なのに私の喉は、声を搾り出そうともせず硬直したまま動かない。
『文や椛にさ、覚妖怪がどうして地底に追われたのか聞いたの。一部始終を、全部。
お笑い種だよね、私はさとり達を楽しませたかったのに、いつも面白くなさそうにしてるあなた達を喜ばせたかったのに、その喜ばせるべき相手のことをまるで知らなかった。
だから、ごめんねさとり。私のあの言葉は―――あまりにも軽率だったわ』
違う。それは違う。
彼女は悪くない。本当に悪いのは、他でもない私だ。
あの時、私は彼女の心を知っておきながら―――私は、一時の感情に任せてすべてを踏みにじった。
彼女が謝る必要なんて、どこにも無い。本当に謝るべきは―――私のほうなのに。
「いいえ、違います。本当に謝らなければいけないのは、私のほうです。
あなたの気持ちはわかっていたはずなのに、それなのに、私はあなたにとてもひどいことをした。
都合のいい言葉だと、理解しています。でもね、はたて。私は、あなたのその心が眩しくて、その心を向けてくれることを嬉しく思っていたのですよ?
それなのに、私はあなたの心を踏みにじった。ごめんなさい、はたて。本当に、ごめんなさい」
はたして、どこまで正確に彼女に伝わっただろうか。
途中からぼろぼろと泣き崩れて、嗚咽交じりの言葉でどこまで彼女に伝わったのかわからない。
情けなくて、惨めで、都合のいいことばかり口にする自分が、酷く滑稽で涙が止まらなくて。
おくうが慌てた様子で私に駆け寄ってくれる。今はその気使いが、とても嬉しい。
『あはは、そう思っていてくれたなら、ちょっと気持ちが楽になったかな。それじゃあさ、ちゃんと面と向かって、ごめんなさいって言おうよ、さとり。
それでさ、出来ればそのまま友達になろう。私みたいな元引きこもりでよければ、なんだけどさ』
「……私のような、覚妖怪とでもいいのですか? あなたにあんなに酷いことをした私でも」
『もっちろん。それに、酷いことをしたのはお互い様なんだし、それはおあいこってことで一つ』
けらけらと、陰陽玉の向こうから笑う声が聞こえてくる。
その言葉を信じていいのか、私にはわからない。
今まで忌み嫌ってたくせに、その能力に頼りきりだったから、誰かを信じるということがとても怖い。
だけど、今彼女を信じることが出来なければ、私は一生、誰も信じられないような気がして。
『それで、返事は?』なんて、彼女が能天気に聞いてくる。
ぐしぐしと、流れ落ちる涙をぬぐう。向こうから見えちゃいないだろうけれど、出来るだけ笑顔を浮かべて。
泣き笑いなんて、妙な表情のまま、私はただ一言。
「はい」と、新しい一歩を踏み出すための言葉を紡ぎだしていた。
▼
あれから三日ほどたった頃だろうか。
私の頭痛の種改め、無二の友人となった彼女は能天気にやってきた。
朗らかにニコニコと笑って、「楽しんでもらおう」なんて悪びれもせずに思いながら。
その心が、なんだかとても懐かしい。
そんな風に思っているから、私は彼女を笑顔で迎え入れる。
今日も今日とて笑顔を浮かべたつもりなのだけれど、彼女にはまだ無表情に見えるらしい。
おくうには自然に笑えるのに、なかなか気恥ずかしさも手伝ってかうまくいっていない。
ひとまず、お燐に紅茶の準備を命じてテーブルに着く。
「すぐに紅茶を用意させます。ですので、飲んだらすぐに帰ってください」
「相変わらず辛辣ねぇ。……うーん、もしかして照れ隠し?」
まったく持ってそのとおりである。その言葉も、ふんっとそっぽを向いたのも照れ隠し。それがばればれなもんだから、彼女にニヤニヤと笑われることになる。
いくらなんでも、このままじゃ彼女にペース持っていかれすぎだろう。なんとか彼女に対抗すべきしぐさというものを見つけるべきなのかもしれない。
出来ればこう、一発で鼻血が吹き上がるような……って、そんなの碌なしぐさじゃないことに気がついてため息をつく。
「……ご想像にお任せします。席はいつもの所でかまいませんね?」
「うん、全然オッケーよ! さぁて、今日こそさとりんの恥ずかしい話を聞いちゃうんだから!」
「お帰りはあちらですが?」
「ごめんなさい、冗談です」
見事な土下座だった。プライドの高い鴉天狗がこうも易々と頭を下げるのは、正直どうなんだろうか? と、以前も思った気がする。
正直、もう何度も見た光景ではあるのだけれど、そのたびにゾクゾクとした快感が走り抜けるのは何故だろうか。
……変態か私は。
「頭を上げてください。そんな風に頭を下げていられると踏みつけたくなりますので」
「さとりん、もしかして隠れドS?」
「お望みならば踏みつけてあげましょうか?」
何度となく繰り返した妙なやり取り。以前、この光景を見ていたお燐が「まるでコントみたいだ」と思っていたのも随分と懐かしい。
失敬な。と、口にして否定できないあたりがなんとも情けない。
さすがに踏まれるのは嫌なようで、はたては慌てた様子で立ち上がり、そそくさと案内された席に座った。
手帳とペンを取り出し、すっかり先ほどのことなど忘れたようにニコニコと笑う彼女の姿を見て、ホッと安堵の息をこぼす。
いつもの彼女。いつかのあの日以来、二度と見ることなど無いだろうと諦めた、眩しかった笑顔と心。
それが、目の前にある。目の前で感じられる。
それがこんなにも、嬉しくてたまらない。
「と、言うわけで。今日聞きたいのはね―――」
「身長もスリーサイズも答えませんよ。ていうか、どこのナンパですかこれ」
「むむ、じゃあ―――」
「趣味はペットの世話と読書。以上」
「え、えっと―――」
「新聞の定期購読は断ります。私にメリットがまったくないので」
彼女が質問するまでもなく、その質問を先読みしてすべてさえぎるように答えていく。
最初は元気だった彼女も、先読みされてだんだんと力をなくしていき、最後には突っ伏すように机の上で沈黙したのは、ついこの間までの話。
やがてお互いに耐え切れなくなったようで、お互い噴出すようにくすくすと笑った。
「懐かしいですね、このやり取り」
「本当、懐かしい懐かしい。このあと喧嘩しちゃうんだよねぇ」
「あれは喧嘩というか……、うぅ、なんだか申し訳なくなってきたんですが」
だんだんと自分が情けなくなってきて、ぐったりと机の上に突っ伏した。
そんな私を見て、彼女はけらけらと笑って、私もつられるように笑顔を浮かべる。
「いろいろあったよねぇ」
「えぇ、本当にいろいろありました」
「今度さ、こいしちゃんも一緒にお茶でもしたいなぁ。今はいないの?」
「さぁ、居るのかもしれませんし、居ないのかもしれません。あの子は気まぐれで放浪癖のある子ですから、今頃どこにいるのやら」
そんな風な言葉を交わしながら、私達は笑い会っている。
もう二度と見ることの出来ないと思っていた笑顔。もう二度と、向けられることが無いと思っていた心。
それが、目の前にある。こんなにも近くに感じられる。
幻想郷は変わり始めている。能天気な彼女が、生まれたように。鴉天狗が、覚妖怪と友達になりたいと願うように。
きっと、私も変わらなくちゃいけない。
ここに閉じこもるばかりじゃなくて、自分から未来を掴み取るように。
「そうだ、今度博麗神社で宴会があるんだけどさ。えっと……一緒に行かない?」
「いつもなら断るところですけど……そうですね、行きましょうか。久しぶりに、地上の空も思いっきり見上げてみたいですから。
どうせなら、おくう達も一緒に連れて行きましょう。巫女にはちょっと迷惑かもしれませんが」
いつも思いはせた地上の空。その空を懐かしんで、おくうに名を与えたのも懐かしい思い出だ。
本当は、少しの勇気を持てば見ることが出来ただろう青い空。
結局私は、あの時から少しも勇気というものを持てずに居たに違いない。
けれども、今の私なら、家族や友達が居る、今の私なら―――
きっと、私は地上の空の下でも笑っていられる。
かけがえの無い家族と、友達と一緒に、きっといつまでも。
そこそこの長さなのに、すっと一気に読めてしまいました。
オーソドックスな話の流れながら、さわやかな読後感はさすが。
良いものを読ませていただきました。
>用事が住んだ
「済んだ」……ですかね。
しかし、文は千年天狗だけど、はたての歳っていくつなんだろ。
はたてはこういう性格なのが良いところですね。
素晴らしい。
てっきりはたてが念写で反撃するかと思ったけど、思いの外良いカップル?
特に、中盤のさとりとか。あのくらい心を抉ってくるさとりが好き。
いいお話でした。
はたては鴉天使やなぁ
さとりんの心の葛藤と、歩み寄ろうとするはたてのやり取りに
ハラハラしながら一喜一憂してしまった
これがはたさとの原型ですよね。あるべき姿と言うか。兎も角最高でした。