人も妖怪も入り乱れての宴会の席。途切れることのない会話たちがその場を満たしている。
そんな声に私は耳を傾ける。言うまでもないが、会話の内容になど興味はない。ただその音色たちが美しいと思ったからだ。
耳を澄ますことをしなくても、どこからともなく誰かの爽快な笑い声が聞こえる。
なんと素敵な空間だろうか。
視界の端に浮かれた誰かの舞う姿が映る。それと同じように私の心は踊っていた。
……ほんの少し前までは。
そう、私はこの素晴らしい空間の中でただ一人困惑していた。
けれど、それは致し方のないこと。きっと誰でもそうなるだろう。
何故なら……
「お姉様、眠い」
見ず知らずの少女に絡まれているからだ。
――本当に突然のことだった。騒ぐ皆を遠目に眺めていたその時だ。
背中に軽い衝撃を受けた。私の穏やかだった感情は一瞬にして凍りついた。
誰がこのような場所で背後から襲撃されるなどと予想しただろうか。
幸いと言えるべきところは、痛みは殆どなかったことだろう。
だが、やはり不足の事態であったため姿勢を保つことはできなかった。
いったい何だと、前のめりになりながら首を捻って後ろに目を遣る。
そして、私の目は大きく開かれる。
少女が覆い被さるように抱き付いているではないか。
思考が追いつかない。何故私が少女に抱き付かれなければならないのだろうか。
何事か把握できない私のことなどお構いなしに、少女は肩に手を回してくる。
その上、私の耳元で、お姉様見つけた、などと言うではないか。
私に妹などいるはずもない。
それじゃあ、私の知り合いのだろうか、急いで記憶を手繰ってみるが思い当たる節がない。恐らくだが初対面だろう。
落ち着くために姿勢を戻す。少女は私から離れる様子は全く見られない。
面倒なことにならなければいいのだがと、私は静かに溜息を吐いたのだった。
知り合いでないとなると、考えられる可能性は限られる。
少しでも手がかりを掴むべく注意深く少女の顔を見れば、酒のためか真っ赤に染まっている。
服からも僅かだが、酒の匂いを感じた。
その上、視線もどこか定まっておらず、あっちへこっちへと忙しなく動き回っている。
なんとも見ていて落ち着かない仕草だ。
こうして観察すれば、酔っ払いであることは明白だった。ただ、どうにも普通の酔い方とは違う違和感も感じるが……
それにしても、まだ成熟していない身体に酒気は如何なものかとは思う……
まあ、背中に羽があるので人でないことは明白だし、それほど心配する必要はないのだろうが。
……ここまで見れば誰でも感づくだろう。
この少女は私のことを誰かと勘違いしている。
これは厄介だ。なんせ、全く心当たりがない人物なのだ。
一度でも顔を合わせた人物ならば言葉を交わすのも大いに結構なのだが……
生憎、向こうは初対面な上に勘違いときている。
さて、どうしたものか……
と対応を考えていると少女がうなじへ頭を押し付けていた。
「ねえ、お姉様無視しないでよ……」
「あ、はいはい、何ですか」
反応の薄い私に耐えきれなくなったのか、少女が寂しそうな声を出す。
その声色に私も胸が痛んで思わず返事をしてしまった。
別にこの子の姉ではないのだが……
少女は返事があったことに気を良くしたのだろう。
私の首にまわした、その両手にぎゅっと、力を込めるのが感じられた。
周りを見てもこの子と私に気付く者はいない。
皆、それぞれに輪を作り会話に勤しんでいる。
今だけ、この子の姉が見つかるまで、お姉様になってあげても良いかもしれない。
えへへ、と笑う声を聞いていると、そんなことを思ったのだった。
――少女が私の頬に指を押し付けてくる。
撫ぜるような触り方は、どこかぎこちないもので。
ああ、この子は人に触り慣れていないのだな、という感想を抱いてしまうのだった。
そして、私はそれがとても悲しいことのように思えてならなかった。
……でも、私の肌をクッションみたいと表現してじゃれ付いてくる少女を見ていると、自然と口元が弛んで哀の感情も影を潜めるのだ。
そう、実を言えば私……満更でもなかったりする。
やはり、小さい子供に甘えられるのは嬉しいものだ。
人の笑顔は素敵なものだが、子供のそれは格別に素晴らしい。
あの、見ている者の頬を弛ませる力は侮れないものがある。
「ねえ、眠いから膝枕してよ」
首筋に押し付けた頭をぐりぐりと軽く揺らしながらそんなことを言ってくる。
少女の髪が肌に当たって少しくすぐったい感じだ。
そして私の体温より少し高い少女の額の温度が肌に伝わる。
その熱は、私の奥にまで伝わってきて、心臓を小刻みに揺らす。
私の周りはどうにも堅苦しいのが多いためか、こうして素直に甘えて来られることがないのだ。
つまり、耐性がない。
弟がいなくなってから眠り続けていたものが目覚めそうだ。
私の心に姉属性が満ちる。
とでも言ったところか。
そんなことを考えていると、いつの間にか移動した少女が、私の足に頭を預けてきた。
適度な重さが足に伝わる。
許可した覚えはないのだが……困ったものだ。
だが、悪くない。むしろ、ありだ。
「仕方ない子ですね」
少女の髪を撫でてやれば
「ごめんなさい」
と笑いながら返してきた。
その表情を見ていると、久しぶりの姉も悪くないな、そんな気持ちになった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
少し離席した間に大変なことになった。
妹が見知らぬ者に甘えているではないか。
あのひねくれた性格の妹が。
まあ、妹が誰と話していようが構わないのだが……
しかしあれは、どう見ても妹の悪戯だ。
相手は見るからに大人しそうな雰囲気をしている。
そして、寄った振りをして相手の困る反応を見て楽しもうと言う魂胆だろう。
そういうことなら私も黙っている訳にはいくまい。
さも嬉しそうに妹の髪を梳いている女性に声を掛ける。
「ちょっと……人の妹取らないでもらえる」
「あ、どうも。この子のお姉さんですか」
私が声を掛けると、女性は顔だけをこちらに向けてきた。
……その妹の頭を撫でるのを止めないか。
なんだか無性に腹が立つ。
と、まあそれは目を瞑ろう……
「家の妹が迷惑掛けたわね」
「いえいえ、とんでもない。可愛らしい子じゃないですか」
膝の上の妹を見つめる彼女の視線は実に穏やかだ。
「そうでしょうとも、何たって私の妹だしね」
当然とばかりに胸を張って言ってやる。
すると、彼女はさも可笑しそうにくすくすと笑うのだった。
それに呼応して膝上の妹が身動ぎをする。
妹の閉じていた瞳が開かれ私を捉える。
そして、おお、と驚きの声を上げたかと思えば
「あれ、お姉様が二人いる」
などと寝ぼけたことを言い始める。
愉快そうに笑う、締りのない顔をした妹。
私は溜息を吐く。妹にはもっと、お淑やかに品のある振る舞いをしてもらいたいものだ……
妹は笑っていたかと思えば、突然、右手を掲げると、凡符「ワンペア」と高らかに声を上げる。
そうして、次の瞬間には再び一人で笑い出す。
突然の奇行に、初めは呆気にとられていた私たちだったが、それがあまりにも楽しそうなので私たちも釣られて笑ってしまうのだった。
――程なくして妹がはしゃぎ疲れたのか、大人しくなる。
覗き込んでみれば目を閉じていて、どうやら寝てしまったようだ。
周りの喧騒とは対照的に私たちの形成する空間は静かなものだ。
「……随分と仲のいい姉妹なんですね」
彼女の横に腰を下ろした私に、そんな言葉を投げ掛けてくる。
「別に仲良くはないよ、いつも私の言うことは聞かない癖に他の奴の言うことは素直に聞くんだ」
全くもって、可愛げのない奴だよ。と返してやる。
静かに微笑む彼女の横顔は光の加減か、白く輝いて見えた。
「丁度いいんですよ。姉弟なんてそれくらいが」
その声には人を魅せるような何かがあって、私は黙って彼女の言葉に耳を傾けるしかなかった。
「出来過ぎた妹やら弟やらなんて居たら、姉の立場がないじゃないですか」
そんなものかな、と首を傾げれば、彼女は、そうですよと 念を押してきた。
私としては、自分の家族なら他所で自慢できる方がいいと思うのだが……
まあ、価値観は人それぞれなのだから、否定することはできないだろう。
振るわない顔の私に、やっぱり不器用な方がいいですよ。
そう、彼女は笑い掛ける。
「それじゃあ、あなたから見て家の妹はどんな感じかしら?」
ならば、違った目線から見た評価を聞いてみるのもなかなか面白いかもしれない。
私の言葉を受けた彼女はわざとらしい大げさな仕草で顎に手を当てると、うーん、と小さく唸った。
「どうでしょうね? 分かりません。でも、あなたがいいお姉さんだってのは分かりますよ」
なんとなくですけどね。という補足を付け足して彼女は目を閉じる。
彼女の膝の上の妹が身体を揺する。服に皺が寄っているのが見えたが、別に注意する気は起こらなかった。
「ほんとに、羨ましいですね。弟妹が居るって」
彼女の声はとても希薄で形の薄いもの。それでも心に届く綺麗なものだった。
「そうかな? 小憎らしい奴だと良く思うし、居てよかったとは思わないな」
彼女は小さく首を横に振る。本当に少しだけなので、髪も揺れることはない。
「やっぱり、良い姉妹じゃないですか」
彼女は目を開いて私の目を見つけてくる。
それに対して、私はよく分からないなと、両手を挙げて答える。
「そういう、弟妹、の方がいいんですよ」
「どういうこと?」
「あなたたちがとても似ているということです」
妹の横顔を覗き込む。確かに姉妹なのだから似ているのは当然というものだろう。
「あなたは妹が要らないと思ったことありますか?」
長い年月を生きる中で要らぬ思いを抱くこともあったのは確かだ。だけど、それを素直に答える気にはならなかった。
ただ、私の渋い顔を見て彼女は、ええ、分かります、と言って目を細めた。
「でも、心の底から、本当に居なくなれと思ったことはないんじゃないですか?」
答えるまでもないことだ。普通は誰だって肉親を嫌ってはいないのだから。
私は黙って頷いた。
「やっぱり、そうですよね」
彼女は失礼なことを聞きました、と頭を掻く。
そんな彼女に私は、まったくだ、と言ってやった。
――彼女が横で髪を掻き揚げる。そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は、きょうだい、ってもう一人の私だって思うんですよ」
それは私に向けられた言葉というより空に向けて語っていると思わせるような感じだった。
「どこまでも私と同じ性格で、憎たらしく思うこともある。でも、どこまでも私と同じ性格で、愛おしい存在」
妹の頭を撫ぜるその手はとても穏やかなものだ。
「姉に足りないものを補ってくれる。とても頼りになる人。それは、例えばそれは人望であったり力であったり……」
そこまで言って彼女は僅かに押し黙る。ほんの一瞬の間に如何なる想いが彼女を逡巡させたのか推し量ることはできない。
「私の持っていなかったものをもっていた恨めしい人。それは、在るがままを受け入れる勇気であったり……」
彼女は空を仰ぐ。その目にはきっと私に映らない何かを捉えているのだろう。
「自分に似ているけれど別人。だから、一方が持て囃されると赤の他人が賞賛されるよりも嫉妬が強くなる」
「あら、私は器はそんなに小さくないわよ」
彼女の目を見つめて、言い切ってやる。
それに対して彼女は私の目を見ることもせずに、そうですね、と言い放った。
「ええ、最も身近な競争相手であると同時に憧れでもあるのかもしれません」
腕を組んでよく分からないと唸ってやれば、彼女は困ったように頬を掻くのだった。
「これが、もう一人の私。ねえ……」
彼女の膝で眠る妹の頬を突いてやる。
実に情けない姿だ。とてもじゃないが私の分身だとは思えない。いや、思いたくない。
「やっぱり、要らないかな……」
「あら、いらないなら、私が貰っちゃいますよ」
彼女はそんなことを呟きながら、妹の髪を両手で撫ぜる。
すると、妹の耳が見る見る内に赤になって行った。
私は曖昧に笑い返して、狸寝入りを続けている妹の頭を小突く。
少し前から薄目を開けているのがばればれだ。
本人は気付いていないつもりなのだろうけど。
「ほら、いつまでも寝た振りしてないで、そろそろ退いてあげなさい」
あくまで寝た振りを続けるつもりなのか、妹は無反応だ。
やはり私の言うことは聞かない、まったく仕方のない奴だ。
両手を挙げて降参のポーズをとる。
「あらあら、妹さんは寝てるのに酷いお姉さんですねー」
彼女は嬉しそうに頬を吊り上げながら、妹の耳元でそっと呟く。
妹の眉が歪むのが見えた。
本人はきっと機会を窺っていたのだろうけれど、ああ言われては起きるに起きれないだろう。
私は丁度良いとばかりに妹の頬を摘まんでやる。
生意気な妹に対するささやかな仕返し。
肉付きの悪い身体に反して、意外と柔らかくて弄り甲斐がある。
それが、なんだか嬉しくてついつい遊びすぎてしまった。
右へ左へ、引っ張りまわした妹の頬は赤くなっていた。
それでも妹は、やはり動かない。
私は内心やり過ぎたかなと反省しながら、妹の頬を撫でながら彼女にお願いする。
「こんな可愛げのない妹だけど、これからも良くしてあげてよ」
そんな私の言葉に、彼女は目を瞑って静かに頷くのだった。
私は世間が思うような姉らしい振る舞いはして上げられないけれど……
それでも、たった一人の姉妹として共に歩んでいけたらと思う。
それだけは確かな嘘のない気持ちだ。
偶にはこうやって、そういう想いを確認するのも良いものだ。
そうだな……偶には姉らしいことをしてあげるのも悪くないかもしれない。
「……ほら、いつまでも人様に迷惑掛けてないで、膝枕なら私がしてあげるから、ほら来なさい」
やや間を置いて妹が起き上がり、私の方へ寄って来た。
いつもなら、いらない、と一蹴するだろうにやけに素直だ。
だから一瞬、戸惑ってしまったが今の私は姉らしい姉だ。
できる限り穏やかな笑みを意識して、膝を示してやる。
普段作りなれていない笑い顔は上手くできているか分からないが……
すると、妹もぎこちない笑みを浮かべて私に頭を預けて来た。
膝に重みが伝わる。
今まで一度も感じたことのない重みだ。
でもそれは、妹が姉を信頼してくれているという証に他ならないのだ。
そう思えば、悪くない重さだ。
今日はこの重みをたっぷりと味わうとしよう。
隣でくすくすと笑う声が聞こえる。
横目に窺えば、ものすごい笑顔の彼女の顔が映った。
「変かな?」
「いえ、そんなことないですよ」
人に見られていると思うとすごく気恥ずかしいものだ。
「ええ、とてもお姉さんだと思いますよ。やっぱりいいですね。きょうだいって」
「まあ、そのあれだよ……いや」
初めは、何か気の利いた言葉でも返そうかと思った。
でもやっぱり、今はやめておこう。
変わりに短く簡潔に答えてやった。
「私もそう思うよ。姉妹っていいなあ」
私も妹がおりますが、なんだかんだいっていいものですよね。
後白蓮さんがいいお姉さんですごく素敵でした。
あんなお姉さんも欲しかった・・・。
ですが、特に違和感も無く、温かくて、ほのぼのとした気持ちになれる作品でした。
作者さんの思惑通りと言ったところでしょうか。良い話だったと思います。
一人の読者をそのような心持にさせるお話を書く技量を、間違いなく貴方は持っていますよ。
>それに対して、私はよく分からないなと、両手を挙げて答える。
>両手を挙げて降参のポーズをとる。
ブラボー! 激しく個人的な感情でごめんなさいだけど、おおブラボー!!
私も兄弟がいて、たまにうっとしいなあと思うときもありますがそれでもいてくれるだけでおちついたりします
やっぱいいっすよね、兄弟