注:現代ものです。
テン……テン……と蛍光灯が点いたり消えたりしている階段を上り、自室を目指す。
塗装の剥げている202号室の木製の扉は「幸せになりませんか?」という文字で埋め尽くされた宗教の勧誘チラシや「即日貸し出し!」という貸金チラシなどであふれ返っていた。
「ただいまぁ」
別に『おかえり』なんて言葉を期待して言っているわけじゃない。
ただの習慣だった。
午後九時の帰宅。
真っ暗な部屋を危なげなく進み、スイッチを手探りで見つける。
LEDなんて洒落たものじゃない。普通の裸電球。
60Wの電球は、それでも、出かける前と変わらぬ悲惨な散らかりようを鮮明に照らし出してくれた。
帰ったらまず掃除。
一般家庭とは大分異なるであろうこの生活様式は、私が、夢は夢だと思い知らされた頃から続いている。
日々の生に追われ、安酒に逃げ、そのまま寝る。そして朝は体を濡らすだけのシャワーを浴び、家を出る。
笑えるルーチンワークだった。
そして、それは当然、今日も同じ。
「ふー……」
どさ、とコンビニの袋を床に置く。中身は発泡酒二本と、チーズとイカ。849円が今日の私の晩御飯だった。
ぷしゅ、とプルタブを引く。
私はこの音が好きだ。
一時間で終わる一人の宴の始まり。
それだけが人生の生きがいだった。
ごくり、とそれを流し込む。
「っあぁ~~~!」
――このままでいいのだろうか。
そんな考えも、流し込んでしまえるような気がした。
「あぁ、採点……」
学校で終わらなかった仕事は家でやるしかない。明日は明日の仕事があるのだ。
受け持つ三十二人分の答案用紙一つ一つにマルとバツをつけていく。時間を持て余したのか、裏にアニメのキャラクターを描いている生徒や、一人○×ゲーム、自作小説のプロローグを書いている生徒がいた。
……まあ、しっかりテストを受けているのならいいさ。
しかし、許せないものもある。
『将来絶体ミュージシャン! by西沢』
頼む、ミュージシャンになるのは勝手だが、絶対という漢字くらい間違えないでくれ。
『たっくん大好き♥』
答案用紙で思いを伝えてどうするんだ、吉川。先生、正直対応に困るぞ。たっくん(西沢)に届けてやればいいのか? この18点の答案用紙を。
頭が痛くなるのは、アルコールのせいか、それとも他の原因かどうかはわからない。けれども、仕事はしなければならないし、ビールも飲まずにはいられないのだ。
「ふう……終わった」
ビールを飲みながら、つまみを食べながらの採点を終えると、時計の短針は十を過ぎていた。
「寝よう……」
空き缶や空き袋はそのままで、せんべい布団に入る。
カチ、と電球を消し、ため息をつく。
「先が見えないなぁ……」
その呟きは闇に消え、そして私の意識もまた、闇に沈んでいった。
ジリリとなる目覚ましの音で飛び起きる。
「ひぇっ!?」
眠りについた瞬間に目覚ましがなったという錯覚に陥りながら、寝ぼけ眼で時計を見る。
「…………!?」
見れば時計は無情にも、遅刻を予感以上確信未満させるくらいの時刻を指し示していた。
「ノーッ!!」
シャワーを浴びなければギリギリ間に合う。
「~~~~」
帰宅したときのままのブラウスを脱ぎ捨て、新しく着替える。
放り投げたブラウスは、空き缶の上に被さり、勢いで倒れた空き缶の中から、残ったビールがブラウスを染めた。
「~~~~!」
上手くいかない。何もかもが上手くいかない。
声にならない憤りを飲み込み、バッグを引っつかむ。
「うー! いってきますぅ!」
無論、いってらっしゃいという声はない。
「おはようございます!」
なんとかギリギリ始業時間前に着くことができた。これならお咎めを受けることもあるまい。
「あら、上白沢さん。随分余裕があるのね。羨ましいわぁ」
なんて甘い現実は存在しない。
眼鏡をかけた、つり目の数学教師(彼女のことは心の中で狐と呼んでいる)がここぞとばかりに嫌味を吐いてきた。
狐は何かにつけて私に文句を言ってくる。目をつけていた男子生徒が私に鼻の下を伸ばしているのが気に食わないのだろう。嫌い。
「すみません……」
とはいえ、今回の件に関しては確かに私が悪いので、素直に謝ることにした。
「……ふん」
すると狐は意外にあっさりと引き下がった。
(およ?)
珍しい。ネチネチ攻撃が続くと思っていたのに。
「慧音先生」
ほっと安堵のため息を吐いていると、後ろから声をかけられた。息くっさ。距離近いし。
なるほど、狐がさっさとどこかへ行ったのは、こいつが近づいてきていたからか。
ナイスセクハラ。
こいつのあだ名である。
この世のセクハラというものを具現したような存在で、そのセクハラのオンパレードは、もはや賞賛を受けるほどひどい。ゆえにナイスセクハラ。
そのウワサは私の友達にまで伝わっている。いわゆる愚痴。
「いやぁ、なんか目ぇつけられちゃって大変だねぇ。どうしたの?」
「いえ、始業ギリギリに駆け込んだものですから……」
「ああ、だからかぁ。髪ちょっと乱れてるもんねぇ」
「あ、す、すみません……」
「シャワー浴びてこなかったの?」
「はい、時間がなかったもので……」
「昨日の夜も入ってないの?」
「……はい」
「ふーん……」
舐め回すような視線が気持ち悪い。
「ダメだよ~、慧音先生は美人なんだからぁ」
面がどう関係あるんだ。このエロダヌキが。
「暑くなってきたんだしさ、かくでしょ? 汗」
「はあ、それはまあ……」
「それだと、臭ってきちゃうでしょ? 私は慧音先生のなら全然いいんだけどね、はは!」
「はは、は……」
ぎこちない笑顔を浮かべ、なんとか取り繕う。蕁麻疹が出そうだ。
「おっと、会議が始まっちゃう。また後でね、慧音先生」
何がまた後でなんだ。このセクハラ地獄が後にも待っているのか。軽く……いや、かなり鬱になってきた。
「……はい、教頭先生」
そう、教頭。私が今まで話していた相手は教頭先生。学校のナンバー2。
この学校はもう終わりだ。
そんな、どうしようもないことを考えている間にも時間は進む。遅れてきた分、急いで授業の準備をしなくてはいけなかったのに、無駄な時間を過ごした。狐は、ストッキング伝線しろ。ヒール折れろ。ナイスセクハラは、治りかけた口内炎を噛め。小魚が歯と歯茎の間に刺され。
そんな呪詛に近い思いを、手を動かすことによって抑え込む。これ、社会人の必須スキル。
キーンコーンカーンコーン……
「おっと、急がなくっちゃ」
可愛い生徒たちが待っている。それだけで頑張れる気がした。
「みんなおはよう。席に着けー」
「うわ来た! またあとでな!」
「金、金!」
……何このバイキン扱い。高校生が賭けごとしてんじゃねぇよ。可愛くねーな。
「……授業を始めます」
見なかったことにする。一流の社会人は時としてスルーを有効活用する。
「まず答案を返します。朝倉ー」
苗字順にテストを返していく。
「西沢ー」
「ういー」
でた、たっくん。
「……えー、絶対くらい間違えないでね」
「なんすか?」
「ここ……」
「?」
指摘してやってもわからないという漢字力の無さ。携帯やパソコンが普及した現代社会では仕方が無いことだとでもいうのか。
「ま、いいや」
よくないんだけどねー。まあ、ミュージシャンに漢字は必要ないだろ。(偏見)
野口、橋本、本田、前川、松本、とテストを返していく。
で、問題の吉川。
「吉川ー」
「はぁい」
うわこの女、化粧してた。家でしてこいっての。
「はい。……もうちょっと頑張ろうね」
「はぁい。……あ! ちょっと先生これ見たでしょ!?」
「へ?」
「これ!」
そう言って指差した文字は『たっくん大好き♥』
見えるように書いてるんだから見ちゃうに決まってるだろ。
「やだもう最低ー! 超恥ずかしいし! 先生絶対誰にも言わないでよ!」
「わかった。わかったから席に着こうね……」
パニくる馬鹿女を落ち着かせ、授業を始める。……なら最初から書かなきゃいいのに。
「はい、では教科書の73ページを……ん?」
見ると、教壇から一番近い、目の前の席の男子生徒がすでに机に突っ伏していた。なんという度胸。ナメられてるのかしら。
これはさすがに看過できない。
「……おい……おい!」
「んぁ?」
茶髪というには余りにも明るい髪をだらしなく肩まで伸ばした男子生徒、松本君は、なぜ自分が起こされたのかわからない、というような視線を私に向けてきた。それ、教師に対して向ける視線?
「……なんスかー」
「なんすかー、じゃない! 授業を始めるって言ってるのに、何早速寝ようとしてるんだ! やる気ないのか!?」
「昨日バイトきつかったんスよー」
「バイトって……」
一応アルバイト禁止ってことになってるんだから、そんな堂々と言うのはどうかと思う。
私の呟きを、なんのバイトをしているのかという質問と取ったのか、松本君は眠そうにしながらぼそぼそと言った。
「……チンコ」
「にゃ!?」
「だから、パチンコ屋ですって」
「え? あ、そう」
あ、そう。じゃないだろ私。
「いやいや、高校生がパチンコ屋って、大丈夫なの?」
「年齢ごまかしてるんで大丈夫です」
どこらへんが大丈夫なのかわかりやすく説明してくれ。
年齢ごまかしたりはするのに、先生には全部打ち明けてくれるんだね。嬉しいよ。……嬉しいか? やっぱりナメられてる。
「……そう、頑張ってね」
なんだか面倒くさくなっちゃった。
「はーい、おやすみなさーい」
おやすみなさいってあんた……。
「もういいょ……」
そんなこんなで、授業は出だしからぐだぐだだった。
午前の授業も終わり、お昼の時間がやってきた。
「あー、お腹すいたぁ」
朝ごはんをもらえなかった私のお腹は、きゅーきゅー鳴いて食べ物を要求していた。
お弁当も作れず、コンビニに寄る暇もなかった私は学食に来ていた。
学食はすでに大勢の生徒で溢れかえっていた。
券売機に並びながら、何を食べようか考える。
「うーん、何食べようかなぁ」
今日は結構食べられそうな気がする。朝ごはん食べてないし。
そんなことを考えていると私の番が来た。
「よし、カツカレーと山菜そばにしよ」
1000円札を入れ、ボタンを押す。400円のおつりが出たきた。
カツカレー400円(カレー300円+カツ100円)と山菜そば200円という内わけ。
(安い)
うちの食堂が安くて量が多いのが売り。味は気にするな。
食堂のおばちゃんに券を渡し、料理を受け取る。
「空いてる席はー……と」
幸いにも、食堂の奥の方はまだ席が結構空いていた。
席に座り、両手を合わせる。
「いただきまー」
「慧音先生」
いざ食べんとしたところで邪魔が入った。
「ご一緒してよろしいですか?」
「……はい」
ナイスセクハラだった。
「よいしょ」
ひいい、なんで隣なんだ。こういう時って普通正面だろ。
「おや、慧音先生も山菜そばですか。私たち気が合いますね、はは!」
「はは、は……」
冗談じゃない。二度と山菜そばなんて頼まないもん。
「おや、カツカレーもですか。慧音先生、結構食べるのですね。道理で発育もいいわけだ、はは!」
胸に視線を感じる。気持ち悪い。こいつなんで捕まらないんだ?
さっさと食べて逃げるに限る。
私は急いで食事を終わらせることにした。
「おお、豪快ですね。惚れ惚れします」
黙れ。
「慧音先生は何をしても凛々しいですなぁ」
ナイスセクハラはその後も、私の一挙手一投足にいちいちコメントと視線を残していった。
すごく疲れるお昼休みだった。
はぁ……。
午後の授業もなんとか無事に終え、放課後となった。
コツコツと事務作業をする私。
そこに、入り口の方から私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「慧音せんせーい!」
「ん?」
ととと、と私の席までやってきたのは、前川正太郎くん。通称ショタくん。高校生にもなったのに150cmしかない身長と、栗色の髪、つぶらな瞳で男女関係なく和ませる2年C組のマスコットキャラだった。
この子は勉学に対しても非常に真面目に取り組んでいて、わからないところはすぐに聞きにくるので先生受けもいい。当然、私も気に入っている。
「なんだ、ショタくんか。どうしたんだ?」
「もー! 先生までそのあだ名で呼ばないでくださいよー!」
ぷりぷりと怒るショタくんも可愛かった。
「ははは、すまんすまん。で、どうしたんだ? わからないとこでもあるのか?」
「あ、はい。そうなんです。教えてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろんだ。そのための先生だからな」
「わー、ありがとうございます!」
全員こんな生徒だったら楽なのに。
そんなことを思いながら、私はショタくんに勉強を教えていった。
「――と、いうわけだ。わかったか?」
「はい、ばっちりです! ありがとうございました!」
日も傾いてきたところで、勉強の方も区切りがついた。生徒を遅くまで残しておくのも危ないので、帰宅を促す。
「うん、それはよかった。それじゃあ今日はもう帰りなさい。しっかりと復習もするんだぞ」
「はーい。先生さようならー!」
ととと、と小走りで出口に向かうショタくん。なんだかリスみたい。
「ああ、寄り道するなよー!」
「わかってまーす!」
ぶんぶん、と手を振ってショタくんは帰宅した。
まともな先生らしいことができたので、私も気持ちが良かった。
「ちょっと、慧音先生!」
こういう気分のいい時に限って、こういうのが来る。私の幸せは絶対にぶち壊される。
「あ、きつ……佐々木先生」
本日二度目の登場。狐こと佐々木先生だった。(今更の名前公表)
狐は眉をひくひくさせながら、私に詰め寄ってきた。
「……慧音先生、どういうつもりかしら?」
「どういうつもり、とは……?」
「しらばっくれるのはやめなさい! 私のショタくんに色目を……ゲフンゲフン、生徒をこんな時間まで学校に残して、帰り道に何かあったらどうするんですか!?」
あー、こいつショタくん狙ってたのか。面倒くさ。
「いえ、部活動をしている生徒もいますので、特別に前川くんだけ遅い、ということもないと思います。それに、彼は人望もあるので、部活動が終わった生徒と一緒に帰るんじゃないでしょうか?」
「そういう問題じゃありません!」
じゃあどういう問題なんだ。
「とにかく! 慧音先生は先生としての自覚が足りません!」
「はぁ……」
強引だなぁ。
「ちょ、ちょっとちょっと、どうしたんですか?」
狐のヒステリック声に驚いてやってきたのは、ぽんぽこ。この学校の校長だった。
ぽんぽこというあだ名は、私が心の中で密かに使っているあだ名である。
「け、喧嘩はやめましょう?」
「喧嘩をしているわけではありません。慧音先生に教師としての在り方を説いているだけです」
「そ、そうなの? で、でも、職員室の外まで声が……」
「もう終わります。校長先生は出しゃばらないでください」
「あ、そ、そう?」
あわれ、人の良い校長はすごすごと退散していった。
普段は傍観に徹していて、たまに勇気を出して声をかけてみるも何の役にも立たない、毒にも薬にもならない置き物のような存在。だからぽんぽこ。
単純にお腹が出ているからってのもある。
悪い人じゃないし、嫌いじゃないんだけど……学校のナンバー1がそれでいいのだろうかという思いが拭い切れない。
「ふん、邪魔が入りましたが……」
校長のことをはっきりと邪魔って言えるのもすごいなぁ。
「とにかく! ショタくんと話さないでください! わかりましたね!」
結局それが言いたいだけか。女って怖い。
「はい」
色々と言いたいことはあったが、それを言ったら何十倍何百倍となって返ってくるのは目に見えているので、素直な返事をしておいた。
これが……社会……。
仕事が終わり、帰路に就く。道中、夕飯を買いにコンビニに寄る。
ニキビ面をしたキモ店員に、お釣りを貰う際、手をべたべたと握られた。どうやら、毎日来るものだから勘違いさせてしまったらしい。
アパートに近いから重宝してたのに、どうしようかなぁ……。
コンビニを出たところで、一昔前に流行ったアイドルグループの音楽が流れた。
「メールだ」
愛だの恋だのと、薄っぺらい言葉を並べ立ててできている曲は、それでもメロディだけは割りと気に入っていた。
メールなんて、メールマガジンか迷惑メールくらいのものだ。友達も数えるほどしかいない。
それでも人恋しい私は、ほのかに淡い期待を胸に二年間使い続けている携帯を開いた。
「……あ、妹紅だ」
思わず顔がほころんだ。
私の数少ない友人。親友。大切な人。
ともに夢を語り合った、かけがえのない友達。
「どうしたのかな」
わくわくしながら本文を開く。
『でっかいたけのこみつけた!v(*^▽^*)v』
「あは、何やってるんだ。あのばかは」
妹紅はたまに、こんなわけのわからないメールを送ってくる。だけど、それだけで十分だった。
「かーえろっ」
幾分軽くなった心で、ガムやタバコがあちこちに捨てられている汚い我が帰り路を歩いた。
コンビニで買った、麺が伸びきったとろろうどんをずるずるとすすりながら、ぼんやりとテレビを観ていた。見ていた、と言ってもいい。
しばしば映りの悪くなるブラウン管からは、私がすすっているものとは比べ物にならないほど上等な料理を食べる番組が垂れ流されていた。
MC二人が、ゲスト二人と掛け合いながら楽しく料理を頬張っている。
「いいなぁ。おいしそう」
番組も終盤、ゲストの「参りました」からそれぞれの自分語りが始まった。漫然としながら聞く。
「……それ、食わず嫌いとは言わないだろ」
嫌いになった立派な理由があるじゃん。意味違うよそれ。
テレビに突っ込むようになったらお終いだな、と小さい頃お父さんを見て思ったものだが、まさか自分がそうなるとは。世も末である。(世は関係ないが)
『この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りしました』
番組も終わり、何千回何万回と聞いた常套句を今日も聞く。
「誰か私のスポンサーになってくれないかなー……」
そんな現実逃避じみた言葉を紡いでも、ばかだなと笑ってくれる人もいない。
だから、横になって目を閉じた。
目をつむると、まぶたの裏にはあの頃の情景。
高校生だった私たちの、青臭い誓い――――
それは、いつかの放課後のこと。私たちは川の前の土手に座り、夢を語り合った。
「妹紅、私は先生になるよ。子どもたちに勉強を教えて、明るい未来を作るんだ!」
「そっか。じゃあ私はたけのこで一発当てるよ!」
「はは、なんだそりゃ」
「見てろよ慧音。夢は諦めなければいつかきっと叶うって、見せてやるからさ!」
「はいはい。じゃあ妹紅も見てろよ。私は日本で一番立派な先生になるからな!」
「慧音ならなれるさ!」
だっと駆け出す。
川に向かって大声で叫ぶ。
「私は絶対先生になるー!」
「うおおお!」
妹紅も面白がって、後ろから走ってきた。
「たーけのこー!」
「あはは、だからなんなんだそれは!」
「あはは!」
私たちは、いつまでも笑い合っていた。
ごんごんごん、と扉を叩く音で、意識を現実へと引き戻された。
「う……?」
頭がぼんやりとする。いつの間にか眠りこけていたらしい。
しかし、うるさいな。一回チャイムを鳴らせば済むだろう。……あ、壊れてるんだった。
扉を叩く音は止まらない。
「……はぁい、今出ますぅ」
全く、誰だこんな時間に。非常識な。
「どちらさまぁ?」
「けーねー!」
「わぷ!?」
扉を開けた瞬間に、私の胸に何かが飛び込んできた。何かが、なんて決まってるけども。
「妹紅!」
「けーねけーねけーねー!」
私の胸に顔をうずめ、すりすりしてくる。すっごく可愛いし、嬉しいのだけど……。
「や、ちょ、妹紅、くすぐったい」
「やーらかーい」
「も、妹紅ってばっ」
胸から妹紅を引っぺがす。
「ぶー」
「ぶー、じゃない。いきなりどうしたんだ? 来るなんて言ってなかっただろ」
事前にわかってれば、ある程度のもてなしもできただろうに。
入っても空き缶とごみ袋と食べかけのうどんしかありませんよ。
「え? 来るって言ったよ?」
「あれ、そうだったか? いつ言ったっけ」
「さっき、メールで」
カチカチ。
「…………言ってないじゃん」
「あり、そうだったっけ。まいいや! たけのこ持ってきたんよ!」
そう言って妹紅は、がさがさと袋を漁った。
「どだ! でかいっしょ!」
「お、おぉー……」
確かにでかい。通常のそれとは明らかに大きさが違う。一体、妹紅はどこからこんなものを採ってきたんだ。
「妹紅、今、何やってんの?」
「うどんの残り食べてる」
「……うん、まあいいんだけどね。そんなもんでいいんなら。じゃなくて!」
「じゅる?」
「ああ、もう。きれいに食べなさい。仕事は何をしているのか聞いたんだよ」
「たけのこラー」
たけのこラー。
「……それは何?」
「たけのこを採る人」
まさか。
「妹紅、もしかして、仕事してないの?」
「ウイ、ブッシュ」
「ムッシュだろ。いや、ムッシュでもないし。って、そんなことはどうでもいい」
「ブッシュにあやまれー!」
「なんで!?」
「あはは!」
底抜けの馬鹿。底抜けの笑顔。底抜けの友愛。
妹紅の笑顔に癒されながらも、言わねばならぬことは言わねばならぬ。私は心を鬼にした。
「妹紅。夢を追いかけるのは結構だが、お前もいい年だろう。そろそろ真面目に働かなきゃ駄目だ。生活できなくなるぞ?」
「大丈夫だって、慧音! 私はいつか、たけのこでドカーンと一発当てるからさ!」
「まだそんなことを――」
妹紅は構わず続けた。
「そしたら慧音! 一緒に暮らそう!」
「――え?」
頭が真っ白になった。
「慧音が、そんなつらい顔して毎日働かなくても、私が一生養ってやる! だから、もうちょっとだけ待っててな!」
にか、と。たけのこで一発当てるという、途方も無い、どうやるかもわからないような夢を信じて疑わない、真っ直ぐな笑顔を向けられた。
――――あの頃から、何も変わってないな。
そう思った。
私は、社会で生きていくために色々知った。そして、叶った夢に押しつぶされた。
夢を得て、夢を失った。
何かを得て、何かを失った。
それとは逆に、こいつは、何も得ないで、夢を守った。何も、変わらないままで――。
(……いや)
妹紅は『変わらないことを得た』んじゃないのか? 私のことを心配してくれる妹紅。つまり、社会の厳しさも知っている。妹紅は何も知らないわけじゃない。『知った上で、あの頃と変わらないままの自分』を守り通しているんだ。
そんな答えに行き着いて――
「そんなの、ずるい……」
――と、呟いてしまった。
私ができなかったことを、妹紅はやってのけた。
何よりも大切なもの、何よりも大事にしなければいけないものを、持ち続けていられたんだ。
私が、できなかったことを……。
「慧音?」
妹紅が心配そうに私の俯いた顔を覗き込んできた。私と目が合った瞬間に、妹紅はまた笑顔になって。
「大丈夫さ、何も心配することなんてないよ!」
そんなことを言った。
その笑顔は、本当にまぶしくて、私のすれた心を優しく包み込んでくれるようで……。
「……えいっ」
それでも、なんだかちょっと悔しいから、私は妹紅のほっぺたを強くつねってやった。
「ひたた、あにふんのへいねー」(いたた、何すんの慧音ー)
「うるさい。しばらくこうされてろ」
「あんでよー!」
そうして、私にも笑顔が灯る。
妹紅は、いつだって私に火を灯してくれる。
それは、これからもずっと続くのだろう。
夢を信じられなくなった私でも、妹紅だけは信じられる。
そのことが、ただただ嬉しかった。
コンビニ飯の散らかった202号室は、いつもより少しだけ暖かかった。
終わり
でも、所謂現代ものなら注意書きがあった方が良かったかもしれません。
しかし「たけのこラー」って、妹紅は今どうやって生活しているんだw
うん、セクハラ堕ちろ。
あんまりな呼称に吹いてしまった。
こういうのも嫌いじゃないゼ☆
それはそうと妹紅かわいい
絶体たっくん=チルノ/化粧娘=大妖精/居眠りバイト=美鈴
狐=藍/教頭=文(初登場時は紫)
ショタくん=橙/校長=レイセン(新)
現代日本を舞台にして貧乏長屋のようなアパートで暮らす苦労人の教師とは、思い切った設定ですね。
しかし、慧音先生に幸薄い生活がなんと似合う事か。語り口がとても良かったです。
学食で慧音先生がセクハラされているシーンの可愛らしさは凄いですね。
>二度と山菜そばなんて頼まないもん。
教頭は初登場の段階では何も感じなかったのに、学食での様子を読んでいると魅力を引き立ててくれる人に思えてきました。
もう結婚しちゃってもいいんじゃないでしょうか。妹紅もいるし、何となく既婚者の可能性もありますが。
ところで出発前にビールで汚れたブラウスの件が放置されているのは勿体無いと感じました。
片付けの場面をカットせずに、また嫌な気持ちになる方がそれらしいように思います。
>目をつけていた男子生徒が私に鼻の下を伸ばしているのが気に食わないのだろう。
>あー、こいつショタくん狙ってたのか。
これは……てっきり佐々木先生の意中の相手を特定しているものだと思っていただけに、違和感がありました。
>『でっかいたけのこみつけた!v(*^▽^*)v』
そうか。これですね。妹紅が家を訪ねると送ったというメールは。これが伏線になっていたとは。
初めに読んだときは、思い込みだけでメールを送信した気になっている子なのかと思っていましたが……なるほど。
自分が幸せな気持ちになれる物を見つけたのですから、親友に幸福を分け与えに行くのは当然のこと。
これは凄く上手いと感心しました。魅力的な彼女の人となりが明確に伝わってきますね。
もしや、作者様にはこの妹紅のような友人がいらっしゃるのでしょうか?
いるのなら素直に羨ましくて、いないのにこれを書けたのなら嫉妬します。
私が同じものを書いていたなら絶対に「え? 来るって言ったよ?」なんて台詞は出てこなかったでしょう。
慧音がこれを理解していないのも微笑ましいです。
慧音が夢を見ようとしなくなったのは、一応は夢が叶ったと理屈で考えてしまうせいなのかもしれません。
教師にまでは成れた。先生になった。でも、これ以上は望めない。これが理想としてきた夢の現実だと。
それに対して、妹紅は諦めない事が第二の理想となって彼女の夢を支えている感じがします。
一人の夢は儚くて、その一柱は微風でも簡単に倒れてしまう。
二人の夢は互いを補強し合える道ではなかったので、妹紅は二つの夢を持たざるを得なかったのでしょう。
そんな二人ですが、慧音が夢を失った事で、いっそう釣り合いの取れた関係になれたのかもしれないと思えました。
慧音が夢を追い続けていられる強さを持っていたら、今頃は妹紅が夢を手放していたかもしれない。
夢を追うためには、どちらかが現実に対応する――少なくとも建前では現実を選んでいる――必要があったのではないかと。
幸せというものについて考えさせられる話です。
奇跡のような二人の関係が維持されているのは、偏に慧音が理屈を訊ねないでいるおかげなのでしょうね。
どうやるかは分からない。妹紅がどう考えているかも分からない。それでも何も言わないでいる慧音。
そのおかげで妹紅は夢を追う事は苦難の道だと自ら学び、親友に「夢を諦めるための理屈」を語らせずに済んだのでしょう。
慧音は有能だから先が見えてしまう、納得できる諦めの理由を見つけてしまう。
でも、それを口に出したらお終いです。二人の関係は、それでお終い。ただの親友になってしまう。
慧音が妹紅を信じているから、妹紅も自分の夢を信じていられるという事なのだと思います。
これだけの言葉ではちっとも伝わった気がしませんが、ともかく素晴らしい関係ですね。
主人公は好感の持てる人物で、その日常の話も面白いものでした。
東方でやる意味があるのかは難しい問題ですが、もし要素を濃くするなら人物を当て嵌めて想像できる部分が欲しいですね。
冒頭に挙げたイメージは、一部を除いてかなり無理のあるこじつけで考えました。恐らく殆ど間違いでしょう。
現代風の人物の風貌や衣装を描写する中にも、東方キャラを連想させられるような要素が混ぜられていたらと思うのです。
9点の答案、脳以外の箇所からの命令(反射)で行動する、正体不明、タバコで雲のように濃い煙……など。
佐々木先生と前川君の関係のような改変は楽しめたので、もっとそういったエピソードが読みたかったです。
いくつか不満はありましたが、特筆に値する「でっかいたけのこみつけた!」の前ではどれも些事に過ぎませんね。
良い物を読ませて戴きました。
すごくいい感じでした。
本当に、こんな感じですよね、先生って。
狐みたいな先生いるなぁ。
そしてセクハラは吹き飛べばいい。
妹紅かわいいなぁ、おい。
「シリーズ化希望!」とか言ったら怒られるかなぁ・・・。
特につまらなくはないけど、面白くもなかった
東方でやる意味云々ぬきにして、微妙
設定の決まった名無しキャラに慧音と名付けたという印象が強かったです。
今までの作品は、キャラの魅力を引きだしていたような作品であったために、余計に残念な気持ちになりました。
付け足しました。ありがとうございますー。
>10
泣き寝入り。日本の負の文化ですねぇ。
>15
ショタくんの魅力をもっと描ければよかったです。
>19
そう言ってくださる読者さんがいる限り、私は頑張れます。
ありがとうございます。
>香霖堂本店さん
ですよねー。
きっと、あえて勉強しないで叱られる。
>23
そんなつもりはなかったのですがw
>風峰さん
大丈夫! こんなにひどいとこは滅多にないですよ!
実際は土日がないくらいです!
>優依さん
>目をつけていた男子生徒が私に鼻の下を伸ばしているのが気に食わないのだろう。
>あー、こいつショタくん狙ってたのか。
これは……てっきり佐々木先生の意中の相手を特定しているものだと思っていただけに、違和感がありました。
今作品一番の失敗です。やっちまったーです。
ショタくんの出番は最初は考えてなかったので、最初の方を修正し忘れていましたorz
これは戒めとしてそのままにしておきます。
ありがとうございましたー。
>35
妹紅を少しバカっぽくしすぎたかなと思いましたが、気に入ってもらえたのなら幸いです。
>36
シリーズ化希望って、作家にとって最高に嬉しいコメントですね。
同じキャラを使うつもりはありませんが、似たような雰囲気の作品は作っていきたいと思います。
ありがとうございましたー。
>39
武器を捨てた人間は、言葉を武器にした。
いやいや、そこまで重い話じゃありませんw
>40
>ありがちな教師ものに慧音の名前あてはめただけだなぁってのが感想
ご期待に沿えず申し訳ありません。
しかし
『ありがちな教師ものに慧音の名前あてはめただけ』
まさしくその通りで、だけど、それがやりたかったのです。
面白さ云々に関しては、単純に実力不足ですね。精進いたします。
>43
誰かがそのキャラを使いたいと思ったその瞬間から『東方キャラを使う必要』というものは確かに存在します。
作家様と思われようが、傲慢だと感じられようが、そこは断じて譲る気はありません。
一般的なキャライメージから外れないで、失敗しないよう失敗しないよう書き続けていたら、二次創作という狭い世界は縮小の一途をたどります。
とは言え、一般的なキャライメージがダメなのかと言うと、もちろんそんなことはなく、むしろイメージをさらに魅力的に描くことが作家の使命であり、楽しさであり。
そして、一般的なキャライメージから外れた今回の慧音が魅力的かどうかと言われれば、それは読者さんによって違うのでしょう。
結果、賛否両論な作品となってしまい、否の側の読者さんには申し訳ないなとは思いつつも、挑戦こそ私のスタンスです。
これからも賛否両論な作品を量産することとなるかと思いますが、願わくば、少しでも多くの読者さんの笑顔を作れますことを。
長文失礼しました。
このキャラがこんな立ち位置に!…って妄想したりそれで何かのテーマを表現
したりして楽しむのは同人の立派な伝統芸なんやー。
慧音は真面目な先生でいかにもなんだけど、妹紅はなんだろう。自由人かw
妹紅は今回ちょっと馬鹿っぽくしすぎましたねw
でも、結構好きだったりします。
何の疑いもなく、明日を信じていられる。そんな馬鹿。
馬鹿って言葉は、一般的に暴言の部類に入るのでしょう。
でも、私はある種のほめ言葉に思えてならないのです。
馬鹿って言い合える間柄って、とてもいいものだと思います。