エヌ氏は天才だった。
ひとたび筆を握れば弘法大師の魂が嫉妬し、字と字とを繋いだ言葉を紡いではあらゆる小説家の筆を折ってきた。また絵画にも造詣が深く、人里の美術館に飾られた作品はあらゆる人間に涙を零させた。創作という一点において、エヌ氏の才能は誰もが認めるところであったし、本人も自らの才能に絶対の自信を持っていた。
しかし、エヌ氏の本業は書道家でも、文筆家でも、美術家でもなく、発明家だった。
誰にもできない唯一無二の発想で人々の驚愕するものを創りだす。
実際のところ、氏には人の為にだとか、人の役に立つだとかの考察は後回しで、自分の頭に浮かんだ妄想を自らの手で具現化し、人々が驚く顔を見るのが楽しくてしようがなかったのだ。
エヌ氏は、その有り余る時間を、発明と、発明の構想の為に使っていた。
◇ ◇ ◇
エヌ氏はお気に入りの帽子で蒸れてしまった頭をポリポリとかき、長年愛用してきた木製の椅子に深く腰掛けた。酒はやるが煙草はやらないエヌ氏は、煙を燻らせる代わりに大きくため息をついた。
ここ数日というもの、全く頭に構想が沸いてこない。里の微弱な湿気を感知して天気を推測する発明。川からくみ上げた水を自動的に撒く発明。山の神にヒントをもらい、水洗式のトイレを作り上げたときなど、人間から絶賛されたものだ。人間ではないエヌ氏がここまで人間に尽くすのは、彼らの驚く顔が一番面白いからだった。
よし、また一つ人間のために役立つ発明でもしてやろうと意気込んだのが一週間前。いつもならその日のうちに構想が浮かび、夜を徹して設計図を書き上げ、翌日には発明品を抱えて意気揚々と里に下りるはずだった。
エヌ氏は天才ゆえ、一度もぶつかったことのないそれがスランプと呼ばれる現象だということには気がつかなかったのだ。
発明品の変わりに頭を抱え、前屈みにウンウンと唸る。唸ったところで泉から滾々と閃きが湧き出るわけではないのだが、エヌ氏の声に応じるように、部屋の中に一匹の悪魔が現れた。
「助けを求める声になんとなくやってきたのよ。さぁ、願いを言いなさい。どんな願いも一つだけかなえてやろう」
悪魔は吸血鬼だった。運命を見透かす吸血鬼が何の戯れか自らの能力でエヌ氏の願いを叶えようと言うのだ。
「たわけ。貴様、何のつもりだ。私に手を貸したところで何の見返りもないだろうよ」
声を張り上げるエヌ氏を見て、気まぐれな吸血鬼は鼻で笑った。
「ほかでもない、この私が救ってやろうと言うんだ。素直に運命を受け入れろ、愚か者」
「代償は魂とか言うんじゃなかろうな」
「お前の魂の価値は一寸の虫けらにも劣るよ」
無礼極まりない態度で怪しさ満点の吸血鬼。しかし、エヌ氏は藁にもすがりたい一心で吸血鬼の申し出を受け入れることに決めた。吸血鬼はすっとある方向を指さし、そちらに行けと命じた。不適に笑う吸血鬼の身体が突如ふわりと浮かんだ。
「お嬢様、こんなところで遊んでいたんですか」
いつのまにか吸血鬼の首根っこを子猫のように掴んでいるエス女史。時間を止める彼女には造作もないことだった。
「だって、お前が遊んでくれないから」
「門限を過ぎても帰らない悪い子は誰ですか。さぁ、帰りますよ」
迎えにきたエス女史と共に手を繋いで帰る吸血鬼。呆気にとられながらも見送るのだった。
◇ ◇ ◇
うんうん唸っていると今度は吸血鬼の妹すらやって来かねないと判断したエヌ氏は身支度をし、吸血鬼の指さした方向に歩きだした。狭い狭い幻想郷。急いでも急がなくても行く先は決まっている。あの方向に思い当たる物件は一つしかなかった。魔法の森の魔法使い、エム氏の家である。
暢気者が多い幻想郷。突然の訪問に驚いた様子も無く、丁重なもてなしを受けるのだった。機械油まみれの手を洗い、紅茶を啜りながら部屋の中を見渡す。発明に役立つものは無いか、少しでもヒントが得られればと目を皿の様にするのだった。キョロキョロがギョロギョロに変わってきた頃、エム氏の声で我に返ったエヌ氏の視界に人形が飛び込んできた。
完全なる自律人形。自ら考え、判断し、行動する自動人形。エム氏はそれを魔術で作り上げようと言うのだ。エム氏の話を聞いたとき、エヌ氏の脳内に電流が走った。いつまでも成功しないのは魔術を基盤としているから。術式の代わりに数式を、魔力の代わりに電気を流したら……。エヌ氏は自分と同じ志の魔法使いに感謝した。種族こそ違えど、人為らざるモノとしての奇妙な連帯感が心地よかった。
◇ ◇ ◇
閃いたのは完全なる電動人形。自ら考え、判断し、行動し、一人で発明する。エヌ氏の代わりとなる人形だった。そうと決まれば話は簡単だった。お茶請けを出そうとするエム氏の家を駆け出し、自らの工房に戻るとまずは頭脳の肝となる学習装置を発明する。これがなければ新たな閃きも生まれないだろう。完璧に本人の代わりをするならば外見もそっくりでないといけない。エヌ氏は人工皮膚を作り出し、人形の外見を瞬時に変える技術を発明した。冷静な思考、学習能力。それだけではエヌ氏を完全にトレースしたとは言い難い。無機物に感情を込める術を発明し、それを人形に組み込んだ。
この時エヌ氏が発明した様々な技術は、後の弾幕ごっこに無くてはならないものになるのだが、それはそれで別の話。
◇ ◇ ◇
寝食を忘れ三日三晩。視界がぼやけ、意識も朦朧としてきた頃。エヌ氏はようやく組み上げたという達成感に満足していた。今までの発明品の中でもこの電動人形は最高の出来である。あとはこの人形が発明した機械を人里で見せびらかすのだ。エヌ氏は人形のスイッチをオンにする。低い振動音がした後、人形の目が光り、生命の火が灯った。
発明は成功だった。
それも大成功だ。
完璧な自動人形はよろよろと歩き出し、やがて木製の椅子に深く腰掛けるとため息をついてウンウンと唸りだした。
-終-
ひとたび筆を握れば弘法大師の魂が嫉妬し、字と字とを繋いだ言葉を紡いではあらゆる小説家の筆を折ってきた。また絵画にも造詣が深く、人里の美術館に飾られた作品はあらゆる人間に涙を零させた。創作という一点において、エヌ氏の才能は誰もが認めるところであったし、本人も自らの才能に絶対の自信を持っていた。
しかし、エヌ氏の本業は書道家でも、文筆家でも、美術家でもなく、発明家だった。
誰にもできない唯一無二の発想で人々の驚愕するものを創りだす。
実際のところ、氏には人の為にだとか、人の役に立つだとかの考察は後回しで、自分の頭に浮かんだ妄想を自らの手で具現化し、人々が驚く顔を見るのが楽しくてしようがなかったのだ。
エヌ氏は、その有り余る時間を、発明と、発明の構想の為に使っていた。
◇ ◇ ◇
エヌ氏はお気に入りの帽子で蒸れてしまった頭をポリポリとかき、長年愛用してきた木製の椅子に深く腰掛けた。酒はやるが煙草はやらないエヌ氏は、煙を燻らせる代わりに大きくため息をついた。
ここ数日というもの、全く頭に構想が沸いてこない。里の微弱な湿気を感知して天気を推測する発明。川からくみ上げた水を自動的に撒く発明。山の神にヒントをもらい、水洗式のトイレを作り上げたときなど、人間から絶賛されたものだ。人間ではないエヌ氏がここまで人間に尽くすのは、彼らの驚く顔が一番面白いからだった。
よし、また一つ人間のために役立つ発明でもしてやろうと意気込んだのが一週間前。いつもならその日のうちに構想が浮かび、夜を徹して設計図を書き上げ、翌日には発明品を抱えて意気揚々と里に下りるはずだった。
エヌ氏は天才ゆえ、一度もぶつかったことのないそれがスランプと呼ばれる現象だということには気がつかなかったのだ。
発明品の変わりに頭を抱え、前屈みにウンウンと唸る。唸ったところで泉から滾々と閃きが湧き出るわけではないのだが、エヌ氏の声に応じるように、部屋の中に一匹の悪魔が現れた。
「助けを求める声になんとなくやってきたのよ。さぁ、願いを言いなさい。どんな願いも一つだけかなえてやろう」
悪魔は吸血鬼だった。運命を見透かす吸血鬼が何の戯れか自らの能力でエヌ氏の願いを叶えようと言うのだ。
「たわけ。貴様、何のつもりだ。私に手を貸したところで何の見返りもないだろうよ」
声を張り上げるエヌ氏を見て、気まぐれな吸血鬼は鼻で笑った。
「ほかでもない、この私が救ってやろうと言うんだ。素直に運命を受け入れろ、愚か者」
「代償は魂とか言うんじゃなかろうな」
「お前の魂の価値は一寸の虫けらにも劣るよ」
無礼極まりない態度で怪しさ満点の吸血鬼。しかし、エヌ氏は藁にもすがりたい一心で吸血鬼の申し出を受け入れることに決めた。吸血鬼はすっとある方向を指さし、そちらに行けと命じた。不適に笑う吸血鬼の身体が突如ふわりと浮かんだ。
「お嬢様、こんなところで遊んでいたんですか」
いつのまにか吸血鬼の首根っこを子猫のように掴んでいるエス女史。時間を止める彼女には造作もないことだった。
「だって、お前が遊んでくれないから」
「門限を過ぎても帰らない悪い子は誰ですか。さぁ、帰りますよ」
迎えにきたエス女史と共に手を繋いで帰る吸血鬼。呆気にとられながらも見送るのだった。
◇ ◇ ◇
うんうん唸っていると今度は吸血鬼の妹すらやって来かねないと判断したエヌ氏は身支度をし、吸血鬼の指さした方向に歩きだした。狭い狭い幻想郷。急いでも急がなくても行く先は決まっている。あの方向に思い当たる物件は一つしかなかった。魔法の森の魔法使い、エム氏の家である。
暢気者が多い幻想郷。突然の訪問に驚いた様子も無く、丁重なもてなしを受けるのだった。機械油まみれの手を洗い、紅茶を啜りながら部屋の中を見渡す。発明に役立つものは無いか、少しでもヒントが得られればと目を皿の様にするのだった。キョロキョロがギョロギョロに変わってきた頃、エム氏の声で我に返ったエヌ氏の視界に人形が飛び込んできた。
完全なる自律人形。自ら考え、判断し、行動する自動人形。エム氏はそれを魔術で作り上げようと言うのだ。エム氏の話を聞いたとき、エヌ氏の脳内に電流が走った。いつまでも成功しないのは魔術を基盤としているから。術式の代わりに数式を、魔力の代わりに電気を流したら……。エヌ氏は自分と同じ志の魔法使いに感謝した。種族こそ違えど、人為らざるモノとしての奇妙な連帯感が心地よかった。
◇ ◇ ◇
閃いたのは完全なる電動人形。自ら考え、判断し、行動し、一人で発明する。エヌ氏の代わりとなる人形だった。そうと決まれば話は簡単だった。お茶請けを出そうとするエム氏の家を駆け出し、自らの工房に戻るとまずは頭脳の肝となる学習装置を発明する。これがなければ新たな閃きも生まれないだろう。完璧に本人の代わりをするならば外見もそっくりでないといけない。エヌ氏は人工皮膚を作り出し、人形の外見を瞬時に変える技術を発明した。冷静な思考、学習能力。それだけではエヌ氏を完全にトレースしたとは言い難い。無機物に感情を込める術を発明し、それを人形に組み込んだ。
この時エヌ氏が発明した様々な技術は、後の弾幕ごっこに無くてはならないものになるのだが、それはそれで別の話。
◇ ◇ ◇
寝食を忘れ三日三晩。視界がぼやけ、意識も朦朧としてきた頃。エヌ氏はようやく組み上げたという達成感に満足していた。今までの発明品の中でもこの電動人形は最高の出来である。あとはこの人形が発明した機械を人里で見せびらかすのだ。エヌ氏は人形のスイッチをオンにする。低い振動音がした後、人形の目が光り、生命の火が灯った。
発明は成功だった。
それも大成功だ。
完璧な自動人形はよろよろと歩き出し、やがて木製の椅子に深く腰掛けるとため息をついてウンウンと唸りだした。
-終-
とある色々な理由と、オチに笑わされ唸らされました。
オチは秀逸なのに、釈然としない思いが残りました
読み終わってタグでエヌ氏の正体に気がつきました。
たしかにNだw
確かにエヌ氏だ
余談ですが、エヌ氏と聞いてとある短編作品を思い出してしまいました。
ああ、エヌ氏ですね。これはひどいw
無限にループするから大長編。恐ろしい
これにイラストつけるなら真鍋博あたりかなぁ・・・