「やばい、ぺんぺん草超美味い」
野草生活が始まって、今日で一週間。
私こと博麗霊夢は縁側に寝そべりながら、おやつのぺんぺん草を楽しんでいた。
春のぽかぽか陽気が身体を包み、爽やかな風が頬を撫でる。
その中で春の七草を楽しめるとは、何と言う贅沢なのだろう。
しかも野草はとってもヘルシー。
いくらおやつを食べても、太る事などまずありえない。
おかげ様で今日も私の身体はスレンダーで胸もぺたんこです、やったね。
「お肉食べたいよぅ」
思わず本音が出た。
くそう、自分は幸せだと思いこもうと頑張っていたのに、何とだらしない口だ。
とは言え、朝昼晩と野草野草野草。
流石に肉や魚や白米が恋しく思ってしまうのも無理はないという物である。
どうしてこんな極貧生活を送る事になったのか、そんな事は考えるまでも無い。
どれもこれも妖怪退治の依頼がぱったりと無くなってしまったのが原因である。
昨今の妖怪ときたら平気で人と交流するわ、商売するわ。
人に危害を加えるような連中が、随分と少なくなってしまった。
加えて、そこに人と妖の共存を訴える命蓮寺の登場である。
これが癪な事に人にも妖にも絶大な人気を誇り、人里では種族を超えたラブ&ピースが蔓延する始末。
今では妖怪愛護団体などと言う組織が創設されると言うのだから、世も末である。
まぁつまる所、妖怪退治などという商売は最早衰退の一途。
メイン収入源を失ってしまった博麗神社に未来はにいと言う訳である。
え? 御賽銭?
ははは、こやつめ。
「……妖怪って食べられるのかな」
そんな恐ろしい思考が、不意に私の頭の中をよぎる。
いやいや待て待て、流石にありえない。
確かに肉には違いないが、妖怪なんて食べたらお腹を壊すに決まっている。
そもそも、妖怪の肉なんて美味しい筈がないではいか。
そうだ、美味しい筈が無い。
多分美味しくない。
美味しくないと思う。
……美味しいのかなぁ。
「紫は何か変な臭いしそう。萃香は食べてて酔っちゃいそうだわ。文は……まぁ比較的まともな味しそうね」
「食べます?」
「食べます」
がぶり。
不意に差し出された腕を、取り敢えず噛んでみた。
まずい。
「本当に食べる奴がありますかっ!?」
「美味しくないんだけど。次はちゃんと味付けしてから来なさい」
「嫌ですよ……。あー、腕に歯形が」
自分で「食べます?」とか聞いた癖に五月蠅い奴である。
顔を上げた先で涙目になっている天狗……射命丸文に向けて、私はやれやれと首を振る。
飢えた獣をからかおうとするからこうなるのだ。
「で、アンタがどうしてここに居るのよ」
「いえ、新聞配達に人里まで出ていた物で。ついでによってみただけですよ」
私に噛まれた腕をさすりながら、小さく溜息を吐く文。
……思えばコイツ、妖怪退治衰退の元凶の一人ではないか。。
この天狗、妖怪の癖に人里で取材をするわ、新聞配るわ。
屈託のない笑顔と愛嬌を振りまき続け、人の妖怪に対する警戒心を奪っていったのだ。
つまり、私が今極貧生活を強いられているのは彼女のせいでもある訳で。
あ、なんか無性に腹が立ってきた。
「しばくぞ、コラ」
「なにゆえ!?」
「天狗が笑えば巫女が損するのよ」
「何ですか、その風が吹けば桶屋が儲かる的な超理論」
彼女にはそんなつもりは一切ないのだろうが、事実そうなっているのだから仕方ない。
明らかに納得のいっていない様子の文に、私は大きな溜息で返してやった。
「どうせ人里なんて行っても、アンタの新聞は売れないでしょ」
「む、それは失礼発言。これでも定期購読して下さる方だってたくさんいるんですよ?」
「たくさん?」
「それなりに」
「それなり?」
「す、少しは……」
「少し?」
「いや、本当に少しは居るんですよ? 赤字は否定しませんが……」
何処の物好きだ、定期購読しているのは。
きっとセンスがおかしかったり、蒐集癖がある奴に違いない。
まぁ文々。新聞は、濡れた靴を乾かす際は水分を吸ってくれるし、油虫が出た時は触らずに退治するのに便利ではあるが。
逆にいえばそれ以外の用途が思い付かない私にとって、定期購読など考えられない行為である。
そんな思考にふけりながら、渋い表情をしているだろう私に対して。
お得意の素早い動きで前へと回り込んだ文は、新聞片手に私の顔を覗きこむ。
その表情は、先程までへこんでいたと言うのに、見事な営業スマイルである。
「という訳で霊夢もそろそろ文々。新聞を定期購読して頂けませんか? 霊夢なら特別サービスとして、とっても可愛い新聞記者が付いてきますよ? 不束者ですがよろしくお願いします」
「お金が無い」
「お代はラヴで結構」
「愛はお金で買う物よ」
「あややや、すさんでますねぇ」
私の至極現実的な言葉を受けた文は、やれやれとばかりに首を振る。
自分でも枯れてるとは思うが、現在進行形で貧乏に苦しんでいる身故至仕方なし。
ラヴではお腹は膨れないのだ。
「はぁ、何処かに儲け話でも転がって無いかしら」
「ふむ、儲け話なら転がってはいませんが、私の手帳に記されていますよ」
ぴくり。
文の言葉に、思わず身体が反応する。
脊髄反射のように彼女を見上げてしまうあたり、貧乏人の悲しい性である。
いやいや落ち着け、博麗霊夢。
良く考えろ、そう簡単に美味い話が見つかる筈が無いではないか。
それにこの天狗が持ってくる話が、ロクな物とも思えない。
仕方ないので正座で、思いっきり目を輝かせて待機してやる。
べ、別に期待なんてしてないんだからね?
「仕方ありません、霊夢だから教えるんですよ?」
真面目に話を聞こうとしている私の様子に満足したかのように。
ゆっくりとその双眸を閉じた文は、余り立派ではない胸をむんと張る。
何故に誇らしげなのだ、コイツは。
「まず私が霊夢に文々。新聞をまとめ売りします。それを霊夢は1割の利子を付けて5人の方に売るんです。それで配られた5人の方もまた1割の利子を付けて25人に……という具合であっという間に誰も損しないピラミッドの出来上がりです。名付けてナズーリン商法」
「うっわ、アンタ天才じゃない!?」
「ふふん、そうでしょう。元手につきましてはこの清く正しい射命丸がお貸し致します。利子は10日で1割。なぁに、10日以内に返して頂ければ利子は取りません。ささっと稼いでささっと返して頂ければいいのです」
「文……ありがとう。本当に感謝しているわ……」
清々しい表情のままに、文の首をフロントチョーク。
「感謝のあまり、首をへし折ってしまいそう」
「冗談! 冗談ですって!」
ロクな話じゃないと予想してはいましたが、本当にロクな話じゃありませんでした、まる。
拘束から逃れて、けほけほとむせている文に、私は心底冷ややかな視線を送ってやる。
取り敢えずふざけた冗談で私を楽しませてくれた彼女には、謝礼としてデコピン10発を贈呈しよう。
などと言う私の決断が伝わったのか、目の前の天狗はとても狼狽した様子で引きつった笑みを浮かべていた。
「じ、じゃあこうしましょう! まず私が新聞を無料で百部霊夢に差し上げるんです」
「何を企んでいる、言え」
「うわー、そこまで信用されてないと軽くショックです」
大きく肩を落とす文だが、はっきり言って自業自得である。
この状況で果たして誰が彼女の言葉を信じると言うのだ。
「取り敢えず最後まで聞いて下さいよ。霊夢は幻想郷中に私の新聞を売って回るんです……あ、勿論売り上げは全部霊夢の物でいいですよ」
「何それ、そんな事してアンタに何のメリットがあるのよ」
「私以外が文々。新聞を配る、この事実だけで相手の関心を惹くんですよ。それに博麗の巫女が推薦するとなれば人妖共に新聞のブランド力もアップ。どうです? 互いに得しかしないと思うのですが」
「む」
まさかのまともな提案に、私は思わず唸ってしまう。
てっきり新聞紙で偽札でも作れとか言い出すと思っていたのだが。
確かにこれならば互いに利のある話だし、文の言葉も現実的で信憑性がある。
こう言う時はギブ&テイクの方が、かえって信頼出来ると言う物だ。
……何より、最早手段を選んでいる状況ではない。
利用されてお金がもらえるのならば、喜んで利用されようではないか。
「問題は文々。新聞の商品価値だけど、今は選り好みはしていられないわね」
「……口に出てますよ」
こうして博麗の巫女、もとい博麗の営業霊夢が誕生したのだった。
「さぁ、魔理沙。文々。新聞を購入しなさい」
「は?」
営業としての初仕事の客に私が選んだのは、我が友人霧雨魔理沙だった。
扉をあけるなり訝しげな顔をする魔理沙に向けて、金の卵……もとい文々。新聞を突きつける。
「おいおい、霊夢。お前何時の間に天狗の使いっぱになったんだ」
「アンタの思考回路くらい深い事情があるのよ」
「む、それは相当複雑だな。私は優しいからその事情とやらには触れないでおいてやる」
「優しいなら新聞も買ってよ」
「優しいからこそ、世間の厳しさを教えてやるのも務めだぜ」
毎日野草で飢えを凌ぐこの私に、世間の厳しさを説くとは方腹痛い。
同情するなら金をくれとは、よく言った物である。
とは言えこの白黒、同情のみで恵んでくれる程人間の出来る女ではない訳で。
新聞を買ってもらうには、純粋に新聞に対する興味を惹く他に手は無いであろう。
「買わないと損するわよー。凄く面白いんだから」
「へー、じゃあ何かPRしてくれよ」
「へ?」
「売り込みなんだろ? なら商品の良さをアピールしてくれないと」
魔理沙はそう口にしながら、ニヤニヤと唇の端を歪めている。
くっ、楽しんでるなこの白黒。
目の前の魔女を睨みつけてやりたい衝動に駆られるが、相手はあくまでお客様。
ここは怒りをぐっと堪えて、相手の要求に応えてやるのが得策である。
つまり、文々。新聞のいい所を具体的に紹介する必要がある訳だが……。
ある訳ないじゃん、褒める所なんて。
そもそも自分で読んでないし。
「……文々。新聞の半分は優しさで出来ています」
「もう半分は?」
「努力、友情、勝利」
物凄い構成の新聞である。
内容スカスカってレベルじゃねーぞ。
我ながら営業トークとしては失格な気もするが、実際に褒める所が無いのだから仕方ない。
そうだ、私が悪いんじゃない……私の営業の能力を引き出せないあの紙がいけないのだ。
おのれ、文々。新聞!
などと言う逃避はともかく、魔理沙への営業は失敗であろう。
あんなPRではこの情も胸も薄い、ちみっこ魔法使いが買ってくれる筈が無い。
全く、本当に友人甲斐の無い奴……
「んー、まぁいいか、友人のよしみで買ってやるよ」
流石将来はナイスバデーのカリスマ大魔法使い様。
持つべき物は親友である。
「それでどのくらいだ?」
「25部」
「ふざけんな」
ぽかっ。
叩かれた、痛い。
親友とは言え、流石に25部は釣りあげすぎだったらしい。
「じゃあ10部でもいいわよ」
「何で複数限定なんだよ。私が聞いたのは値段だ値段」
一部しか買ってくれないとは、随分と安い友情である。
しかし、魔理沙に言われて気付いたが、そう言えば値段を決めて無かった。
とは言え、新聞の相場なんてわかる筈も無い。
それは私だけでは無く魔理沙も同様であろう。
取り敢えず適当に吹っ掛けてみるか、と私は魔理沙に向かって爽やかに笑む。
「貴女の私に対する気持ち分の値段で」
「はい1円」
「うわぁい、霊夢ちゃんショック」
流石は薄情薄胸ちみっこ魔法使い、普通は言えない様な事を平然と言ってのける。
昨今の幻想郷でのインフレぶりを知らないのか、この白黒は。
1円では肉や魚は愚か、野草だって買えませんよコンチクショー。
10円でようやく飴が買える、昨今の幻想郷はそんな無情な世界なのだ。
「せ、せめて、私が今日一日を幸せに暮らせるくらいの値段でお願いします」
「……具体的に幾らだよ、それ」
魔理沙の疑問を受けた私は、顎に手を当ててむぅと考え込む。
はて、 最近私は一日にどれくらいの経費を使っていただろう?
食費に関しては……朝食は裏山の野草、昼食は魔法の森の野草、夕食は妖怪の山の野草。
洗濯と水浴びは川の水だし、夜になったら灯りもつけずにすぐ就寝。
ヤバい、まるで使ってないではないか。
いや、しかし幸せな暮らしとなると話は別である。
お米食べたいなぁ……肉とは言わないから、せめて三口くらいでいいからお米が食べたい。
確かこの間人里で見たお米の値段は……。
自分の記憶を手繰り寄せた私は、目の前で回答を待つ魔理沙に向けて、恐る恐るその金額を宣言する。
「ひ、百円弱」
刹那、魔理沙が硬直した。
まるでどこぞのメイドに時でも止められたようにぴくりとも動かない。
しまった、ちょっと高額すぎただろうか。
新聞一部で一日分の生活費を稼ごうなんて虫がよすぎたのだ。
否、そもそも私がささやかな幸せを願うなんておこがましかったのだ。
ごめんなさいごめんなさい、幸せなんて願ってしまってごめんなさい。
「……10部買うぜ」
ごめんなさいごめんな……へ?
懺悔中に不意に耳へと入ってきた声に、今度は私が硬直した。
今、なんか信じられない言葉が聞こえたような……。
「ほら、千円」
「え、嘘!? ほ、ホントにっ!?」
「ああ……これで美味い物でも食ってくれ」
そう言って魔理沙は私の胸に聖徳天子(何処ぞの偉い天人、キモい)の描かれた一枚の札を押しつけた。
嗚呼、何と寛大な心を持ち合わせているのだ。
流石はナイスバデーのカリスマ大魔法使い様である。
……いや、それとも私の営業としてのスキルが彼女をこうさせたのか。
いずれにせよ、貴重な生活費を供給してくれたお客様に、私はぺこぺこと頭を下げる。
そんな私の様子を見ながら白黒のお客様は、世の中間違ってるぜ……と小さくすすり泣いていた。
「文々。新聞のおかげで彼女が出来ました」
「カエレ」
魔理沙の次のターゲットは紅魔館だ。
そう意気揚々と扉を叩いた私を待ちかまえていたのは、屋敷のメイド長十六夜咲夜の言葉のナイフだった。
門番がブリッジしながら寝息を立てている横で、私とメイドは激しく睨みあう。
くそう、はるばるやって来た営業さんになんと冷たい態度なのだこの使用人、テメーの血は何色だ。
確かに文々。新聞の購入など物好きしかしないだろうが、もう少し暖かく出迎えてくれてもいいではないか。
「悪いけど紅魔館はお嬢さま直々に定期購読しているの。今日の分も既に入手済み」
うわぁ、物好きが居た。
こんな紙切れを金を払って読むとか、このブルジョアどもはどれだけ金を持て余しているのだろう、妬ましい。
しかし個人的な感情を抜きに考えれば、これはチャンスではないだろうか。
先程の魔理沙も決して裕福とは言えないが、私の営業トークによってこの紙切れを10部も購入してくれた。
ここで上手く咲夜を説得できれば、このブルジョワ館の事だ。
ひょっとしたら50部くらいはぱーっと買ってくれるかもしれない。
「言っておくけど、こっちの新聞にはプレミアが付いているわ」
「どんな?」
「私の体温付き」
ぽかっ。
ぶたれた、痛い。
今日はよく頭を叩かれる日である。
いや、私の体温なんて別に誰も欲しがって無い事なんてわかってましたとも。
だけど、実際それくらいしか付いてないんだから仕方ないじゃないですか、奥さん。
「駄目?」
「そんな瞳を潤ませても駄目」
「らめぇ?」
「変な声出すな、キモい」
むぅ、博麗に代々伝わる奥義『猫撫で声』でも効果無しとは。
この奥さんかなりの堅守である。
「ほら、こっちは忙しいのよ、しっし」
そう言ってリグルでも追っ払うかのように手を振る咲夜。
くっ、まるで取りつく島が無い。
せめて横でアクロバティック就寝――――いつの間にか三点倒立してやがる―――――を決め込んでいる門番にでも、意識が向いてくれればその隙に侵入するのだが。
全くもって気にとめてないあたり、門番の普段の行いが知れると言う物である。
兎にも角にも、このメイド長がいる限り紅魔館への営業は困難を極めるであろう。
残りの90部を売る為にも、そろそろ諦めて他の場所へと向かう方が得策だろうか。
目の前に立ち塞がる高い壁に、私がそんな事を想い始めた丁度その時だった。
「待ちなさい咲夜」
突如響き渡るロリボイス。
聞き覚えのあるその声に、私と咲夜は同時に扉の方向へと向き直った。
「お嬢さま?」
案の定と言うべきか。
そこに佇んでいたのは館の主レミリア・スカーレットであった。
本来ならば従者が持つ筈の日傘を杖のように地に向け、何処までもどす黒く唇を歪めている。
「口の周りチョコだらけよ」
「……つけてるのよ」
「はい、動かないでくださいねー」
「いや、だからこれはつけてもがもがもが」
だがカリスマは微塵も無い。
「……コホン、まぁいいじゃないか咲夜。他ならぬ霊夢の頼みだ。募金のつもりで1部くらい買ってやるのも悪くない」
「は、はぁ、お嬢さまがそうおっしゃるのでしたら……」
す、凄まじいカリスマ……!
私の前に立ち塞がっていた鉄壁のメイド長が、まるでこんにゃくの様ではないか。
流石は曲者揃いの紅魔館をまとめ上げる、ハイスペックお嬢さまである。
お金持ちは心も広くなると言うのは本当であったか。
今の彼女は悪魔では無い……女神、しかも慈愛のロリ女神だ。
そんな阿呆な事を考えている私に対して、レミリアは自尊と自信に溢れた笑みを向ける。
チョコで黒ずんでいた先程とは違って、その歯は何処までも白く輝いているように見えた。
今の彼女ならばその暖かな包容力で全てを許してくれるであろう。
「それで、その新聞は幾らなのかしら」
「50万円」
「ふざけんな」
ロリ女神のグングニルが私の頬を掠めた。
殺す気か、コイツ。
何とか五体満足な事を確認して、私はほっと安堵の息を吐く。
しかし、これはどうやら機嫌を損ねてしまった様子。
この程度のジョークで怒るとは、これだから薄情薄胸ちみっこ吸血鬼は困る。
さっきも同じような事を言ったような気がするのはきっと気のせいだろう。
さて、問題は機嫌を損ねた彼女達が、文々。新聞を買ってくれるかだが……。
ヤバい、どう見てもそんな事言える雰囲気じゃない。
もう一度50万円なんて言おうものなら、私のおでこが不夜城レッドとなってしまうだろう。
ここは何とか彼女達に買い気を取り戻してもらう必要がある。
幸い昔、こういう場面での営業トークの仕方が書かれた外の世界の本を、香霖堂で読んだ事がある。
私の営業としてのスキル次第では、まだまだカバーリングをする事は可能だろう。
むん、と一つ気合を入れた私は、レミリアや咲夜に見せつけるように頭を抑えてその場に転がり込む。
「あー、いたたたた!」
「は?」
いきなり目の前でもがき始めた私の姿に、明らかに困惑する様子のブルジョワ館の二人。
掴みはオッケーである。
「ぐ、 グングニルが刺さった……! レミリアの投げたグングニルが私のおでこに刺さった!」
「いや、どうみても刺さってないし。刺さったら痛いじゃ済まないし」
「あー、血で私の巫女服が真っ赤に……これは損害賠償請求ね」
「何言ってるのよ、この年中紅白」
「うわー、服の脇の部分まで切れてるわ―。お気に入りだったのに……これは『そしょー』も持さないわ」
「……」
私の迫真の演技に、レミリア嬢はただただ無言のまま。
恐らく今頃は、お金を払って『じだん』をまとめようと考えている所なのだろう。
流石は外の世界のビジネス本、まさしく記されていた通りの展開である。
後はメイド長が懐から財布を出すのを待つだけ……って、待て待て、どうしてナイフを出す、確かに高価そうだけど、現物より現金の方が私としては……。
「……刺していいですか?」
「構わん、やれ」
弾幕ごっこなのにナイフなのはずるいと思う。
満身創痍の身体を摩りながら、私は深い溜息を吐く。
営業は身体が資本と聞いていたが、まさかこれ程とは。
危うく業績どころか、命を落とす所だったではないか。
だけど治療費として1万円で買ってもらった、やったね。
「文々。新聞を買ったら悲しみを背負う事が出来ました」
「悲しみより悦びの方が嬉しいかな」
次なる目的地はマヨヒガ県マヨヒガ町在住八雲一家さん。
出迎えてくれた長女もとい式神の八雲藍に、取り敢えず私は頭を下げて挨拶をする。
営業は第一印象が大切なのだ。
「今日はおつかいかい霊夢? よし、大根をサービスしてあげよう」
「近所の八百屋さんかおんどれは……もらうけど」
「なんだ、イワナの方が良かったかい?」
「そう言う意味じゃなくて……もらうけど」
「今なら出血大サービスで紫様もつけよう」
「それはいらない」
そんなごく潰しを押しつけられても困る。
素敵な提案を一蹴する私に、藍はそれは残念と首を横に振った。
……残念なのか、おい。
「そこは嘘でも要るって言う所でしょう?」
ふと、誰もいない筈の背後から声がする。
くるりと後ろを振り返ると、そこには八雲家の名目上大黒柱、八雲紫の姿。
邪険に扱われた事などまるで気にしていない様に笑みを浮かべながら、私に向けて手を振っている。
「聞いたわよ、霊夢。何でも生活費の為に文々。新聞を売ってるんですってね」
どれだけ情報通なんだ、このスキマ。
相変わらずの何もかもお見通しと言わんばかりの笑みで顔を覗きこむ紫に、私は苦笑を浮かべる事しか出来ない。
そこまで知っているのなら、食料くらい供給して欲しい物だ。
「わかっているなら話が早いわ。さっさと買いなさい……75部」
「……75兎を追う者は、1兎も得られないわよ」
「むしろ兎に反撃されそうですね。知ってるかい、霊夢、兎は性欲が――――――」
「どうでもいい」
話が逸れそうだったので適当に一蹴しておく。
この辺りは勝手知ったる仲、慣れた物である。
紫と藍も私の反応を予想していたのか。
兎の性欲トークをさっさと切り上げると、私には聞こえない様にひそひそと内緒話を繰り広げる。
恐らくは新聞を買うべきか否か、相談しているのだろう。
まぁ、75部は大袈裟にしても、何だかんだで協力的な彼女の事だ。
少しくらいは私の売り上げに貢献してくれるだろう。
そんな甘い考え……否、願いを胸に抱く私に対して。
藍との相談を終えた紫は、相変わらずの不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと口を開く。
「まぁ、貴女とは浅い仲では無いし、私と藍の分くらいは買ってあげてもいいのだけれど……」
「本当!?」
紫の寛大な一言に、私は思わずガッツポーズする。
一瞬、浅い仲よと言いそうになったけど、踏みとどまってよかった。
「勿論、サービスは付けてくれるのよね?」
「サービス?」
「洗剤とかライブのチケットとか、新聞を買ってもらうならそれくらい常識でしょう?」
前言撤回、やっぱり浅い仲だ私とコイツ。
このスキマ妖怪、私に渡せる物が無いと知ってからかってやがる。
ニヤニヤと意地悪く嗤う目の前のスキマ妖怪に、私は歯を食いしばって怒りを堪える。
恐らく「何も渡せない」と言えば、散々馬鹿にした挙げ句に購入してくれるのだろうが……。
こんな奴の良いように動かされるなど、癪にも程があると言う物だ。
と言う事で少しばかり虚勢を張ってみる。
「付くわよ、サービスくらい」
「へぇ、具体的にはなに?」
「うぐっ」
……馬鹿か私は。
サービスが付くと言えば、具体的な内容を聞いてくるに決まっているではないか。
思わず意地になってしまった事を、私は一瞬で後悔する。
対する紫はと言えば、相も変わらずニヤニヤと意地悪な笑顔。
コイツ、ひょっとして私が虚勢を張る所まで予想していたのではないだろうか。
始めから泥沼にはまっていく私を、嘲笑おうとしていたのではないだろうか。
だとすると、コイツの思い通りに終わるのはやはり癪である。
この状況を打破する為にも、何かしらのサービスを提供せねば。
私に提供できる安価で手軽なサービスと言えば……。
「か……肩叩き券」
だから馬鹿か私はああああ!
言うに事欠いて肩叩き券って、肩叩き券って……!
母の日に初めてプレゼントを渡す子供か、私は!
こんなちみっこみたいなサービス、きっと紫は大爆笑しているに違いない。
嗚呼、我ながらなんて阿呆な事を口走ってしまったのだ。
私は頭を抱えたまま、深い後悔と共に恐る恐る顔を上げる。
そこに在ったのは――――――
「買い占めるわよ、藍」
これ以上ない程真剣なスキマ妖怪の姿。
先程までの人を喰った余裕などは最早微塵も感じられない。
むしろ必死……よくわからないけど物凄く必死な様子で、自分の式に指示を出している。
対する式はと言えば、主の豹変にも全く動じていないのか。
何処か蔑むような目で、主の瞳を覗きこんでいる。
「それでは紫様のお小遣いから」
「そこを何とかっ!」
なんて立場の弱いご主人様だ。
一瞬にして真剣な空気をブチ壊したスキマ妖怪に向けて、私は大きく溜息を吐いた。
何とか経費で落ちないかと、式神の足にしがみつくその姿は何とも哀愁を誘う。
と言うか、そこまで欲しいのか肩叩き券。
そんなに揉んで欲しいのなら、そこの式にでもお願いすればいいではないか。
「肩外し券なら無料で差し上げますよ?」
やっぱりやめておいた方が無難かもしれない。
口調こそ丁寧だが言動は外道な式神を持つ紫に、私はほんの少しだけ同情したい気分になった。
しかしそんな私情と、お金の話は別である。
情けでは腹は膨れないのだ。
「……ご、5部でお願いします」
「一部千円よ」
「霊夢の肩叩き券……プライスレス」
そんな訳のわからない事を言いながら、紫は泣く泣く財布から一枚の札を取り出した。
誠意には誠意で返す物。
私は今度しっかりと肩を叩いてやろうと、心に誓うのだった。
……御祓い棒でね。
その後も、博麗の営業霊夢は絶好調。
「文々。新聞のおかげで失せ物が減りました」
「買います」
わぁい。
「文々。新聞のおかげで……妬ましい、妬ましい」
「買ったわ」
うわぁい。
「文々。新聞のおかげでシャンハーイ」
「ホウラーイ」
ひゃっふー。
御覧の通り、物凄い売れ行きである。
人里、魔法の森、妖怪の山、etcetc......
向かう所向かう所で文々。新聞がはけて行く。
恐るべしナズーリン商法(?)……人妖共存万歳と言う物だ。
ちなみに果たして誰が購入したのかはプライバシー保護の為、秘密である。
『乾杯っ』
カチンと音を立てて二つの御猪口が重なり合う。
夕暮れ時の博麗神社、私と文は二人でささやかな祝勝会を開いていた。
食卓を彩るのは昨日までの野草暮らしが嘘のような御馳走とお酒。
何せ百部もあった新聞が、全てはけてしまったのだ。
少しばかりブルジョワな暮らしをしても罰は当たらないと言う物である。
……ああ、幻想郷っていいなぁ。
「いやぁ、流石は博麗の営業霊夢さん。まさか完売するとは思っていませんでした」
「これも日頃の行いと、博麗の巫女の人徳と言った所ね」
「はは、間違いありません。まぁ元々商品の質が良かった事も一因ですがね」
「それはない」
「はははははっ」
私と文は二人顔を合わせて笑い合う。
普段は五月蠅い天狗だが、たまにはこうやって二人で騒ぐのも悪くない。
気の迷いでも何でも無く、心からそう思えた。
私は当面の生活費の確保、文は新聞のブランドイメージの向上。
互いに持ちつ持たれつとは言え、協力し合った仲。
彼女が居なければ、私の贅沢な宴も夢のまた夢だった訳で。
上納金収めろとか言うならばぶん殴るが、せめてお礼くらいは言ってやっても良いだろう。
我ながら何ともらしくない思考が、頭の中をよぎる。
それ程までに今の私の心は寛大だったのだ。
「ところで、霊夢さん」
そんな私の寛大モードを、頬をほのかに朱に染めた文の言葉が遮った。
何だ、せっかく人がお礼を言ってやろうと思ったのに。
機を逃したことで若干気が削がれる私だが、文は構わず言葉を続ける。
「霊夢さんはちゃんと、私の新聞読んでくれました?」
何だ、そんな事か。
緩んだ頬を隠そうともせずに詮無き事を聞いてくる文に、私は溜息を吐く。
「読む訳ないでしょ。そんな事より売る方に必死だったわよ」
「……駄目ですよー。営業は商品を説明できるくらいじゃないと。はい、一部あげますから読んで下さい」
そう口にして先程売り払った新聞を一部、私の方へと伸ばしてくる。
「えー、めんどくさい」
「読んで下さいー」
「むー、仕方ないわねー」
コイツ、ただ単純に私にも自分の新聞を読んで欲しいだけだろう。
ぐいぐいと頬へと押しつけられる新聞を、私は苦笑しながら受け取った。
今日の私は淑女的……この程度の無礼では怒らない。
それが例え興味の無い新聞でも、スポンサーが読めと言うならば読んでやるとしよう。
またお金が尽きた時営業させてもらう可能性もあるし、彼女の機嫌を取っておくのも悪くないと言う物だ。
寛大な気分そのままに、渡された新聞を目の高さまであげる。
まぁ、一面の内容は営業周りしてた時にも見えてたし、とりあえず三面からでも。
そんな事を考えながら、大きく開いた新聞を覗きこむと、そこには――――――
『密着三十日! 博麗の巫女霊夢の腋の香りは!?』
とりあえず寛大な気分でファイナルアトミックバスターしておいた。
シャンハーイ→ホウラーイで売れるなんて!
何だかんだで完売してるw
みんないい味出してるなぁ
文々丸新聞のおかげで日本もカメルーンに勝てました!
つ百円 一部くださいー。
保存用と観賞用と購読用×3の5部ください。
いやまじで。
文ちゃんの新聞には神が宿る
つ千円
私にも一部お願いします!
ひとまず兄弟分一部ずつ、お代は一ヶ月分の家事洗濯食事でっ…!!
かるーいノリとお話が良かったです。
三点倒立とか肩外し券とか終始笑わせてもらいました。
俺も霊夢から新聞買うわw
そしてれいむがくわぁいい!
いや、これはおもしれーわww
椛が元凶かよww
それに気づいたら文と椛の関係に納得したwwww
うちにきたら25部くらいなら買うよ!買うよ!
てか椛は自分の腋についてかいてもらいたかったんじゃ・・・
・・・日本語って難しおもろい、つまり手負いさんの作品はツンデレ
椛は手負い殿の化身であると。
だからこそいろいろおちょくったりしているのですな。そしてなぜか素直な文も素晴らしくかわいらしい。
ってか霊夢、朝昼晩野草で生きてるんかいwww
「文々。新聞のおかげで失せ物が減りました」「買います」
ちょっと掃除して捨てる予定だった花瓶持って命蓮寺行ってくる。
テンポが良くてすらすら読めました。
人を襲う妖怪が、妖怪を恐れる人間が、減少するという結果を生む。
霊夢の唯一の収入源である妖怪退治をする必要がなくなれば、彼女の収入は0になる。
ここから、文に飼われる霊夢というギャグパートに進むのか!? はたまた、大どんでん返しのバッドエンドが待ち受けるのか!?
とかずっと妄想してたせいで、日和ったラストに思えて仕方が無いです。もったいないなあ、と思いました。
<誤字報告>
毎日野草で飢えを凌ぐこの私に、世間の厳しさを説くとは「方」腹痛い。
感謝です