山を染め上げた桜ももはや散り、宴会で浮かれていた者達も三々五々帰りだす。
花見もお開きになり、今ではすっかり静かになってしまった。
ほとんどの者は、桜の盛りは過ぎたと思っている。
私とあいつだけが、まだ咲いている桜があると知っている。
子供じみた、二人だけの秘密。二人だけの約束。
頃合を見計らって一人で出かける。
人を集めて酒を呑んで、馬鹿騒ぎしながらの花見も悪くは無い。
でも、偶には静かに花を見たいとも思う。
人に知られていない、とっておきの場所で。
心通わす相手と共に。
・・・
「お邪魔するわ」
少し待ってみるが何の反応も無い。
外出中か、きっと寝ているのだろう。
今更遠慮する仲でもない。
勝手に入ってしまおうと一歩踏み出す。
「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ったわ」
上から声が降ってくる。
そして、スキマから紫が落ちてくる。
風を含んでスカートが膨らみ、髪がなびく。
地に立って優しく笑う。
それだけで周囲が華やぐ。
演出だとは分かっていても、それでも目を奪われる。
まったく、憎たらしい愛嬌だ。
軽いキスを一つ、それから頬をくっつける。
二人だけの挨拶。
これをすると、こいつの機嫌が良くなる。
流石に人がいる所ではやらないけど、私にだけ甘えてくるんだと考えると、私も気分が良くなる。
向日葵のような笑顔を振りまきながら、紫が身を翻す。
「今年も綺麗に咲いてるわよ」
八雲紫の屋敷。
その奥に、幻想郷ではここにしかない桜がある。
八重桜。別名、牡丹桜。
他の桜よりも遅く咲き、牡丹のように花弁が折り重なった華美な花を咲かせる。
どことなく、紫と似ている花だと思う。
幻想郷の土地に合わないのか、紫が独り占めしているのか。
他の場所でこの桜を見た覚えが無い。
自分と紫しか知らないことに、ちょっとした優越感を覚える。
あれはいつの事だったか。
花見が終わった後、とっておきの場所があると紫に言われた。
興味があったので付いていってみると、ここの桜を見せられた。
あまりに見事なものだったので、思わず紫に抱きついて押し倒してしまった。
それがきっかけ。
それから、毎年の恒例行事になっている。
本当は私が勝手に押しかけてるだけなんだけどね。
紫も満更じゃなさそうだし、もうしばらくはこの習慣が続きそうだ。
紫に手を引かれ、桜の元まで向かう。
紫は時々、絡ませた指をきゅっと軽く握ってくる。
それに応えて、私も紫の手を握り返す。
時々は、私の方から紫の手を握ってみる。
紫が前を向いているせいで顔は見えないけど、嬉しそうなのが分かる。
紫の歩みは遅い。
この時間を少しでも長く感じたいらしい。
私もこの空気が嫌いじゃないから、紫に合わせている。
でも、ちょっとのんびりしすぎね。
紫の手を5回握る。
ア・イ・シ・テ・ル のサイン。
気付いたかな? まあ、分からなくてもいいけど。
紫が5回手を握り返してくる。
分かってやってるのかしら? まあ、どちらでもいいけど。
顔を見られないようにしている紫の手を引っ張って、こちらを向かせる。
顎を掴んで、少し長めのキス。
らしくないわね。
動揺して目を白黒させてるなんて。
今度は赤くなって俯いちゃった。
からかい甲斐があるわ。
「ほら、早くお花見しましょう」
笑顔を見せてから、立ち止まりそうになる紫を引いて歩いていく。
元々大した距離でもない。
何度も来ているから間違いようもない。
ほら、もう見えてきた。
「ゆーうーかーっ」
紫が後ろから抱き着いてくる。
あーあー、すぐこれだよ。
格好つけてたと思ったら、結局いつも通りじゃないの。
首に抱きついて子猫みたいにじゃれついてくるし。
妖怪の賢者様の肩書きはどこに捨ててきたのかしらねえ。
・・・
「何か敷くものでも持ってくる?」
「要らないわ。花びらの絨毯があるもの」
八重桜はとても綺麗に咲いていた。
厚みのある花が鈴なりに枝にぶら下がっている。
薄紅色の桜が一本きりだが、それでも十分見応えがある。
聞くところによると、幻想郷を隔離したときに植えたものらしい。
幻想郷の歴史と共に育った桜。
酒なんかで濁さず、ちゃんと見てやらないと失礼というものだ。
花びらが落ち、桜の周りを円く、薄紅色に染めている。
それを荒らさないよう気をつけながら、桜の下に座る。
見上げると、視界いっぱいに桜の花が広がる。
柔らかそうな可愛い花。
それが房になっていくつも咲いているのがとても愛らしい。
ずっと眺めていても飽きが来ない。
部屋に飾っておきたいくらいだ。
空を仰ぎ、太陽に向かって咲く花のほうが好きだけど、こうして空を背景に眺める花も悪くは無い。
「ずっと上を見てたら疲れちゃうでしょ」
そう言って紫に抱きしめられ、後ろに倒される。
紫にもたれるような格好で、桜を仰ぎ見る。
別にこの程度で疲れたりしないけど、紫が抱きつきたいみたいだし、別にこのままでもいいか。
日が落ち、辺りが暗くなってくる。
月が出ているので、花が見えなくなる心配は無い。
むしろ趣が出るというものだ。
桜は静かに散り続けている。
風が吹かないので、花びらが木の下に溜まっている。
地面をすっかり覆ってしまい、桃色の絨毯が出来上がる。
まるで、ここだけ別世界のように円く切り取られてしまっている。
ああ、春が終わる。
桜もこれで見納めか。
「寂しいの?」
「うん、ちょっとね」
さっきからほとんど動かなかった紫が聞いてきた。
俯いて、眠っているのかと思ってたけど……。
こいつも色々と思うところがあるのかな。
月の光を受け、妖しさを増した牡丹桜に手を伸ばす。
幽雅に咲き、散り際も美しくある。
それは結構な事だが、やはり寂しさを感じもする。
儚い美しさを永遠に手の内に留めておきたいと思うのは、やはり我侭なのだろう。
花は散る。季節は巡る。人も死ぬ。
去るものをあげればきりがない。
せめて、笑って送れるよう、新しいものを受け入れ、心を閉ざさぬように、存分に今を楽しもう。
「来年も、そのまた来年も、ずっとずっと、ここで桜は咲いてくれるわ。
幽香は、いつまでも見に来てくれる?」
紫らしくない。感傷的で、弱気な発言。
紫の頭を撫で、そっと呟く。
「ええ、いつまでも通いに来るわ。 死が二人を別つまで、ね」
一瞬の間。
そして、
「ねえ、その言葉って…」
キスで紫の言葉を封じる。
「聞き返さないの、野暮なんだから」
こんな夜だから、言葉は要らない。
二人の気持ちだけあれば、それで十分だ。
「うん」
紫がぎゅっと強く抱きついてきたので、こちらも抱き返す。
「私は簡単に死ぬつもりはないし、死んでからも会いに来てあげるけどね」
「うん」
弾むような声。
どうやら紫の不安は消えたらしい。
二人で夜桜を見上げる。
月明かりの下、桜の下で、愛を交わす。
桜が完全に散るまで、もう暫くこのままで。
花見もお開きになり、今ではすっかり静かになってしまった。
ほとんどの者は、桜の盛りは過ぎたと思っている。
私とあいつだけが、まだ咲いている桜があると知っている。
子供じみた、二人だけの秘密。二人だけの約束。
頃合を見計らって一人で出かける。
人を集めて酒を呑んで、馬鹿騒ぎしながらの花見も悪くは無い。
でも、偶には静かに花を見たいとも思う。
人に知られていない、とっておきの場所で。
心通わす相手と共に。
・・・
「お邪魔するわ」
少し待ってみるが何の反応も無い。
外出中か、きっと寝ているのだろう。
今更遠慮する仲でもない。
勝手に入ってしまおうと一歩踏み出す。
「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ったわ」
上から声が降ってくる。
そして、スキマから紫が落ちてくる。
風を含んでスカートが膨らみ、髪がなびく。
地に立って優しく笑う。
それだけで周囲が華やぐ。
演出だとは分かっていても、それでも目を奪われる。
まったく、憎たらしい愛嬌だ。
軽いキスを一つ、それから頬をくっつける。
二人だけの挨拶。
これをすると、こいつの機嫌が良くなる。
流石に人がいる所ではやらないけど、私にだけ甘えてくるんだと考えると、私も気分が良くなる。
向日葵のような笑顔を振りまきながら、紫が身を翻す。
「今年も綺麗に咲いてるわよ」
八雲紫の屋敷。
その奥に、幻想郷ではここにしかない桜がある。
八重桜。別名、牡丹桜。
他の桜よりも遅く咲き、牡丹のように花弁が折り重なった華美な花を咲かせる。
どことなく、紫と似ている花だと思う。
幻想郷の土地に合わないのか、紫が独り占めしているのか。
他の場所でこの桜を見た覚えが無い。
自分と紫しか知らないことに、ちょっとした優越感を覚える。
あれはいつの事だったか。
花見が終わった後、とっておきの場所があると紫に言われた。
興味があったので付いていってみると、ここの桜を見せられた。
あまりに見事なものだったので、思わず紫に抱きついて押し倒してしまった。
それがきっかけ。
それから、毎年の恒例行事になっている。
本当は私が勝手に押しかけてるだけなんだけどね。
紫も満更じゃなさそうだし、もうしばらくはこの習慣が続きそうだ。
紫に手を引かれ、桜の元まで向かう。
紫は時々、絡ませた指をきゅっと軽く握ってくる。
それに応えて、私も紫の手を握り返す。
時々は、私の方から紫の手を握ってみる。
紫が前を向いているせいで顔は見えないけど、嬉しそうなのが分かる。
紫の歩みは遅い。
この時間を少しでも長く感じたいらしい。
私もこの空気が嫌いじゃないから、紫に合わせている。
でも、ちょっとのんびりしすぎね。
紫の手を5回握る。
ア・イ・シ・テ・ル のサイン。
気付いたかな? まあ、分からなくてもいいけど。
紫が5回手を握り返してくる。
分かってやってるのかしら? まあ、どちらでもいいけど。
顔を見られないようにしている紫の手を引っ張って、こちらを向かせる。
顎を掴んで、少し長めのキス。
らしくないわね。
動揺して目を白黒させてるなんて。
今度は赤くなって俯いちゃった。
からかい甲斐があるわ。
「ほら、早くお花見しましょう」
笑顔を見せてから、立ち止まりそうになる紫を引いて歩いていく。
元々大した距離でもない。
何度も来ているから間違いようもない。
ほら、もう見えてきた。
「ゆーうーかーっ」
紫が後ろから抱き着いてくる。
あーあー、すぐこれだよ。
格好つけてたと思ったら、結局いつも通りじゃないの。
首に抱きついて子猫みたいにじゃれついてくるし。
妖怪の賢者様の肩書きはどこに捨ててきたのかしらねえ。
・・・
「何か敷くものでも持ってくる?」
「要らないわ。花びらの絨毯があるもの」
八重桜はとても綺麗に咲いていた。
厚みのある花が鈴なりに枝にぶら下がっている。
薄紅色の桜が一本きりだが、それでも十分見応えがある。
聞くところによると、幻想郷を隔離したときに植えたものらしい。
幻想郷の歴史と共に育った桜。
酒なんかで濁さず、ちゃんと見てやらないと失礼というものだ。
花びらが落ち、桜の周りを円く、薄紅色に染めている。
それを荒らさないよう気をつけながら、桜の下に座る。
見上げると、視界いっぱいに桜の花が広がる。
柔らかそうな可愛い花。
それが房になっていくつも咲いているのがとても愛らしい。
ずっと眺めていても飽きが来ない。
部屋に飾っておきたいくらいだ。
空を仰ぎ、太陽に向かって咲く花のほうが好きだけど、こうして空を背景に眺める花も悪くは無い。
「ずっと上を見てたら疲れちゃうでしょ」
そう言って紫に抱きしめられ、後ろに倒される。
紫にもたれるような格好で、桜を仰ぎ見る。
別にこの程度で疲れたりしないけど、紫が抱きつきたいみたいだし、別にこのままでもいいか。
日が落ち、辺りが暗くなってくる。
月が出ているので、花が見えなくなる心配は無い。
むしろ趣が出るというものだ。
桜は静かに散り続けている。
風が吹かないので、花びらが木の下に溜まっている。
地面をすっかり覆ってしまい、桃色の絨毯が出来上がる。
まるで、ここだけ別世界のように円く切り取られてしまっている。
ああ、春が終わる。
桜もこれで見納めか。
「寂しいの?」
「うん、ちょっとね」
さっきからほとんど動かなかった紫が聞いてきた。
俯いて、眠っているのかと思ってたけど……。
こいつも色々と思うところがあるのかな。
月の光を受け、妖しさを増した牡丹桜に手を伸ばす。
幽雅に咲き、散り際も美しくある。
それは結構な事だが、やはり寂しさを感じもする。
儚い美しさを永遠に手の内に留めておきたいと思うのは、やはり我侭なのだろう。
花は散る。季節は巡る。人も死ぬ。
去るものをあげればきりがない。
せめて、笑って送れるよう、新しいものを受け入れ、心を閉ざさぬように、存分に今を楽しもう。
「来年も、そのまた来年も、ずっとずっと、ここで桜は咲いてくれるわ。
幽香は、いつまでも見に来てくれる?」
紫らしくない。感傷的で、弱気な発言。
紫の頭を撫で、そっと呟く。
「ええ、いつまでも通いに来るわ。 死が二人を別つまで、ね」
一瞬の間。
そして、
「ねえ、その言葉って…」
キスで紫の言葉を封じる。
「聞き返さないの、野暮なんだから」
こんな夜だから、言葉は要らない。
二人の気持ちだけあれば、それで十分だ。
「うん」
紫がぎゅっと強く抱きついてきたので、こちらも抱き返す。
「私は簡単に死ぬつもりはないし、死んでからも会いに来てあげるけどね」
「うん」
弾むような声。
どうやら紫の不安は消えたらしい。
二人で夜桜を見上げる。
月明かりの下、桜の下で、愛を交わす。
桜が完全に散るまで、もう暫くこのままで。
でも二人してはっちゃけた姿も見てみたかったりもするw
香霖堂の紫の挿絵を思い出してイメージするのも可愛らしくて良いですね