人は、旅に出ます。
なぜ、旅に出るのでしょうか。
はるか昔から、
人はありとあらゆる手段を使って表現していきました。
本当にそこにあるのかと疑問を持つのも当然でしょう。
「本当に存在する物にはかなわない」
そう思われるからでしょう。
ですが、これから起こることを見れば少しはわかるかもしれません。
それでは、この乗り物から起こる物語を少し覗いて見ましょう。
「卯酉東海道に乗って」
*提供*
Phantasm Your Vision
[YUKARIN]
Case 1 東京に通勤で利用するITエンジニア
ヒロシゲは走る。
音もなく、ヒロシゲは西に走る。
『長らくのご乗車、お疲れ様でした。まもなく酉京都駅~、酉京都駅です。お忘れ物無い様、お手周り品良くご確認ください。今日も卯酉新幹線110号をご利用頂きまことにありがとうございました。またのご乗車をお待ちしています』
はっ・・・
つい寝込んでしまった。
今日は珍しく座席を確保できたせいか、思わず寝込んでしまった様だ。
カレイドスクリーンは確か3番目の風景が流れている、もうそろそろ着く頃合いだ。
このスクリーンは結構明るいから目をつぶっていてもじゃまされて眠りにくいとおもったが、さすがに身体がそうはいっていないようだ。
―卯酉新幹線が出来たのはかれこれ私が会社に入って2年立ったぐらいの時だ。
現在東京の方で、今では当たり前となったITエンジニアをしている、その時は現場で四苦八苦していたが、現在はマネージャーとして指示する方が多い。
その当時私は京都の実家に住んでいた。
そのため、一人暮らしをせざるを得なかった。
最初は何かと大変だったが、次第に慣れてその苦痛は特に無くなった。
そんな時に舞い込んだのがこの話だった。
「卯酉新幹線開通!」と新聞、電車の中吊り、雑誌、映像など至る所で流れた。
それは私にとってとても大きな衝撃になった。
確かに開発の話は聞いていた、そのときの新聞にはほんのちっちゃいスペースに書いてあるだけで、最初に気がついたのはネットのニュースで偶然見かけたぐらいだ。
それに、新幹線のホームページでは特に卯酉新幹線の情報もなく、仕事に追われ忘れかけていた時期だった。
当時とすれば1時間足らずでもそんな遠くに行けないのに私の実家に行き来が容易になるからだ。
私は迷わず会社に卯酉新幹線を使った通勤手当申請をした。
さすがに従来の新幹線と違って若干割高だった卯酉新幹線、認可を受けるのに半年かかった。
そして定期券を持ちながら卯酉新幹線を初めて乗車する。
最初はとにかく驚きの連続だった。
とにかく地下深くに有り、エスカレーターを何度か下る行為。
乗車してみれば音もなく、揺れもなく、ましてや窓の外は地下の蛍光灯しか映らない。
だからなのだろう、情報誌に早速といって良いほど批判が絶えなかった。
実際、利用していても席はガラガラ。
確かに静かだが何か息苦しい。
私はパソコンがあれば暇つぶしできるが観光には不向き等々。
そこで一番の画期的だったのが“カレイドスクリーン”だった。
卯酉新幹線・ヒロシゲ号が全車両を改良してまで作ったと言われるこのシステムは、窓の部分をスクリーンにしてヒロシゲ号の名前を元となった歌川広重の『東海道五十三次』を道中に映し流すというシステム。
実際は55枚前後と言われているが、映像を流してしまえば「もう着いてしまうのか」と言う感覚に陥る現象、つまり暇つぶしの良いシステムだった。
時には数秒しか映さない映像が有ったりと楽しむ要素もある。
今ではトンネル自体をスクリーンにして窓を半パノラマビューにして廊下と席以外はほとんど外のスクリーンが見える形へと変わった。
そんなシステムも、いまや現場のエンジニアから指示や指導する立場になるまで年を取るまで乗ってしまっては、はっきり言って暇つぶしにもならなくなった。
また、通勤に使う者も増え、そのおかげで自由席立ち乗車も目立ったのか、指定席区分を少なめになり、私もかなりの頻度で立ち乗車をするのも当たり前になった。
特に、カレイドスクリーンの明るさは仕事の徹夜明けの体には答えた。
ヒロシゲ110号を降りると、発車待ちをしていた卯東京行きの34号が発車し始めた。
卯酉新幹線は開通当時から無音で走るのがウリだったが、在来線の走る路面音、フットゴングと呼ばれるらしいが「ガタンゴトン」と音を発しながら卯東京へと向かっていく。
聞き慣れているので気にはしなかったが、確かに最初の頃はそんな音を出してなかった。
この音も、先にいった不快をなくすためにとある音響デザイナーと呼ばれる者が考案したと言われている。
同じようなエンジニアから言わせてみれば、音が有る方が良いのかない方が良いのか、どっちが先進的なのかはココまで来るとわからなくなったな。
ざわざわ…
長い長いエスカレーターを昇り終えて京都駅のコンコースに着く。
仕事が朝帰りだったのだが、彼らにはそれをわかってもらえるスキマが無いくらい人が行き交う。
『次の卯酉新幹線・ヒロシゲ36号・卯東京行きは9時ちょうど発です。卯東京駅には9時53分に到着致します。ご乗車のお客様はお手持ちの特急券より乗車位置を良くお確かめの上、ゲートの内側にお待ちください』
「メリー、こっちみたいよ」
ふと耳に入った私はそちらの方に目をやると、帽子の少女が金髪の少女に言う。
「弁当はかっていかないの?」
外見からしておそらく大学生辺りだろう。
そうか、今は夏だったな。
もし彼女たちその辺りの年であれば、おそらくまだ彼女たちが生まれていない頃にこの卯酉新幹線ができたのだろう。
めまぐるしく変化していく日常、何が正しくて何が間違っているかわからない日常。
だが、ふと旅行気分に見える彼女たちを見ていると新鮮な気持ちになるのは何故だろうか。
そんな日常を日頃思っても意味がないと思いながら、私は乗り換えで京都駅を後にした。
~~~~~~
覚えてますか?窓の外はまぶしく、
ずっとずっと、あなたを見ていたことを。
今も、昔も、はにかんだ笑顔を、
昨日の様に思い出します。
けれども今は、ヒロシゲの来る音を聞くたび、
あなたの顔を思い出してしまって。
「24番線到着、卯酉新幹線・ヒロシゲ152号ご利用頂きましてまことにありがとうございました。
なおこの電車は折り返しヒロシゲ36号・卯東京行きになります。車内清掃が終わり次第ご案内致しますのでお手元の乗車券を確認して頂き、乗車番号にて今しばらくおまちください」
春夏秋冬あなたと歩んできました。
何時も、片時も歩んできました。
静かな春も、激しい夏も。
心地よい秋も、笑い合った冬も。
昼下がり、旅立ち、まっさらな手帳と
あなたと共にホームに立っています。
けれども今は、私一人で座ります。
眩しい外と、汽笛と共に旅立ちます。
『はい!「卯酉新幹線36号・卯東京」行き、まもなく発車しま~す!!』
プルルルルルルルル……
~~~~~~
Case 2 休みを利用して知人に勧められ共に東京に観光へ向かう大学生、マエリベリー・ハーン
この十数年で京都は大きく変わったわ。
文化財と名を打たれた物はかろうじて残るものの、それ以外は当時のガイドブックの面影はほとんどない。
財産を残そうと考える者、新しいのを取り入れようと考える者。
それらが両者の終わることのない争い。
それが結果となって“当時”の面影も無くなった世の中。
この国は変わった。
そして今日に至る物、
ヴァーチャルを表現できる様になったこの世界は、
ヴァーチャルによって表現された風景を表現し、ヴァーチャルによって表現された場を提供し、
ヴァーチャルによって想いが交錯し、ヴァーチャルによって人々は新たな人生を手に入れた。
それによって当の本人たちの意思とは関係なく、思想・出会い・革命・破滅など有りとあらゆる事を操作される様になった。
ヴァーチャルは現実として普遍的な物に変わった。
日本は外の技術に頼りすぎた、ツケがまわってきたのよ。
日本人は日本人らしい事が無くなった。
代わりに日本人は人間らしい事を手に入れたわ。
どちらを喜べばいいのかしら?
ただ、日本人には変わらない事が一つだけある。
知らず知らずに覚えた魅力を感じる場所。
ちょうど酉京都からでて30分ちょっと、このなにか私の感にさわる場所。
カレイドスクリーンに映るその雄大な姿、
この富士に関してはね。
人の心に焼き付いている本物。
そのひとつが霊峰富士山。
日本人にとって富士とはどのような存在なのでしょうか。
それは、本物に他ならないからでしょう。
その富士を幾人の者たちが描き、写真に収めてきました。
ここでひとつの疑問が生まれます。
「この本物をみんなに伝えたい」
それを原動力によって、
鮮明に再現された音。
緻密に描かれた絵。
だけど、それは本当に存在する物にはかなわない。
そういう人は、もはやいるのでしょうか?
そう、考え創り出されたものは、本物ではないのです。
もちろん本物はちゃんと残っています。
メ「ここが、東京・・・?」
蓮「ええ、東京よ」
地下のエスカレーターから出た二人が目にした光景、
青い空。
それに突き刺さるビルの林。
卯酉新幹線から続け、まだ話足りない二人は、
その続きをしながら林の中へと散策しはじめました。
人は、旅にでます。
なぜ、旅に出るのでしょうか。
それは、本来あるべき姿を探しているのだと思います。
本物の方がすばらしいから?
違います。
本物を見て、本物を越えたいという欲求なのでしょう。
なぜならば、そのままでは退屈になってしまうからだと、思います。
そして、本物を創造するのです。
「卯酉東海道に乗って」
出演
「秘封倶楽部」
マエリベリー・ハーン
宇佐見 蓮子
エンジニアの男
ナレーター
挿入歌
「ひろしげ36号」
なぜ、旅に出るのでしょうか。
はるか昔から、
人はありとあらゆる手段を使って表現していきました。
本当にそこにあるのかと疑問を持つのも当然でしょう。
「本当に存在する物にはかなわない」
そう思われるからでしょう。
ですが、これから起こることを見れば少しはわかるかもしれません。
それでは、この乗り物から起こる物語を少し覗いて見ましょう。
「卯酉東海道に乗って」
*提供*
Phantasm Your Vision
[YUKARIN]
Case 1 東京に通勤で利用するITエンジニア
ヒロシゲは走る。
音もなく、ヒロシゲは西に走る。
『長らくのご乗車、お疲れ様でした。まもなく酉京都駅~、酉京都駅です。お忘れ物無い様、お手周り品良くご確認ください。今日も卯酉新幹線110号をご利用頂きまことにありがとうございました。またのご乗車をお待ちしています』
はっ・・・
つい寝込んでしまった。
今日は珍しく座席を確保できたせいか、思わず寝込んでしまった様だ。
カレイドスクリーンは確か3番目の風景が流れている、もうそろそろ着く頃合いだ。
このスクリーンは結構明るいから目をつぶっていてもじゃまされて眠りにくいとおもったが、さすがに身体がそうはいっていないようだ。
―卯酉新幹線が出来たのはかれこれ私が会社に入って2年立ったぐらいの時だ。
現在東京の方で、今では当たり前となったITエンジニアをしている、その時は現場で四苦八苦していたが、現在はマネージャーとして指示する方が多い。
その当時私は京都の実家に住んでいた。
そのため、一人暮らしをせざるを得なかった。
最初は何かと大変だったが、次第に慣れてその苦痛は特に無くなった。
そんな時に舞い込んだのがこの話だった。
「卯酉新幹線開通!」と新聞、電車の中吊り、雑誌、映像など至る所で流れた。
それは私にとってとても大きな衝撃になった。
確かに開発の話は聞いていた、そのときの新聞にはほんのちっちゃいスペースに書いてあるだけで、最初に気がついたのはネットのニュースで偶然見かけたぐらいだ。
それに、新幹線のホームページでは特に卯酉新幹線の情報もなく、仕事に追われ忘れかけていた時期だった。
当時とすれば1時間足らずでもそんな遠くに行けないのに私の実家に行き来が容易になるからだ。
私は迷わず会社に卯酉新幹線を使った通勤手当申請をした。
さすがに従来の新幹線と違って若干割高だった卯酉新幹線、認可を受けるのに半年かかった。
そして定期券を持ちながら卯酉新幹線を初めて乗車する。
最初はとにかく驚きの連続だった。
とにかく地下深くに有り、エスカレーターを何度か下る行為。
乗車してみれば音もなく、揺れもなく、ましてや窓の外は地下の蛍光灯しか映らない。
だからなのだろう、情報誌に早速といって良いほど批判が絶えなかった。
実際、利用していても席はガラガラ。
確かに静かだが何か息苦しい。
私はパソコンがあれば暇つぶしできるが観光には不向き等々。
そこで一番の画期的だったのが“カレイドスクリーン”だった。
卯酉新幹線・ヒロシゲ号が全車両を改良してまで作ったと言われるこのシステムは、窓の部分をスクリーンにしてヒロシゲ号の名前を元となった歌川広重の『東海道五十三次』を道中に映し流すというシステム。
実際は55枚前後と言われているが、映像を流してしまえば「もう着いてしまうのか」と言う感覚に陥る現象、つまり暇つぶしの良いシステムだった。
時には数秒しか映さない映像が有ったりと楽しむ要素もある。
今ではトンネル自体をスクリーンにして窓を半パノラマビューにして廊下と席以外はほとんど外のスクリーンが見える形へと変わった。
そんなシステムも、いまや現場のエンジニアから指示や指導する立場になるまで年を取るまで乗ってしまっては、はっきり言って暇つぶしにもならなくなった。
また、通勤に使う者も増え、そのおかげで自由席立ち乗車も目立ったのか、指定席区分を少なめになり、私もかなりの頻度で立ち乗車をするのも当たり前になった。
特に、カレイドスクリーンの明るさは仕事の徹夜明けの体には答えた。
ヒロシゲ110号を降りると、発車待ちをしていた卯東京行きの34号が発車し始めた。
卯酉新幹線は開通当時から無音で走るのがウリだったが、在来線の走る路面音、フットゴングと呼ばれるらしいが「ガタンゴトン」と音を発しながら卯東京へと向かっていく。
聞き慣れているので気にはしなかったが、確かに最初の頃はそんな音を出してなかった。
この音も、先にいった不快をなくすためにとある音響デザイナーと呼ばれる者が考案したと言われている。
同じようなエンジニアから言わせてみれば、音が有る方が良いのかない方が良いのか、どっちが先進的なのかはココまで来るとわからなくなったな。
ざわざわ…
長い長いエスカレーターを昇り終えて京都駅のコンコースに着く。
仕事が朝帰りだったのだが、彼らにはそれをわかってもらえるスキマが無いくらい人が行き交う。
『次の卯酉新幹線・ヒロシゲ36号・卯東京行きは9時ちょうど発です。卯東京駅には9時53分に到着致します。ご乗車のお客様はお手持ちの特急券より乗車位置を良くお確かめの上、ゲートの内側にお待ちください』
「メリー、こっちみたいよ」
ふと耳に入った私はそちらの方に目をやると、帽子の少女が金髪の少女に言う。
「弁当はかっていかないの?」
外見からしておそらく大学生辺りだろう。
そうか、今は夏だったな。
もし彼女たちその辺りの年であれば、おそらくまだ彼女たちが生まれていない頃にこの卯酉新幹線ができたのだろう。
めまぐるしく変化していく日常、何が正しくて何が間違っているかわからない日常。
だが、ふと旅行気分に見える彼女たちを見ていると新鮮な気持ちになるのは何故だろうか。
そんな日常を日頃思っても意味がないと思いながら、私は乗り換えで京都駅を後にした。
~~~~~~
覚えてますか?窓の外はまぶしく、
ずっとずっと、あなたを見ていたことを。
今も、昔も、はにかんだ笑顔を、
昨日の様に思い出します。
けれども今は、ヒロシゲの来る音を聞くたび、
あなたの顔を思い出してしまって。
「24番線到着、卯酉新幹線・ヒロシゲ152号ご利用頂きましてまことにありがとうございました。
なおこの電車は折り返しヒロシゲ36号・卯東京行きになります。車内清掃が終わり次第ご案内致しますのでお手元の乗車券を確認して頂き、乗車番号にて今しばらくおまちください」
春夏秋冬あなたと歩んできました。
何時も、片時も歩んできました。
静かな春も、激しい夏も。
心地よい秋も、笑い合った冬も。
昼下がり、旅立ち、まっさらな手帳と
あなたと共にホームに立っています。
けれども今は、私一人で座ります。
眩しい外と、汽笛と共に旅立ちます。
『はい!「卯酉新幹線36号・卯東京」行き、まもなく発車しま~す!!』
プルルルルルルルル……
~~~~~~
Case 2 休みを利用して知人に勧められ共に東京に観光へ向かう大学生、マエリベリー・ハーン
この十数年で京都は大きく変わったわ。
文化財と名を打たれた物はかろうじて残るものの、それ以外は当時のガイドブックの面影はほとんどない。
財産を残そうと考える者、新しいのを取り入れようと考える者。
それらが両者の終わることのない争い。
それが結果となって“当時”の面影も無くなった世の中。
この国は変わった。
そして今日に至る物、
ヴァーチャルを表現できる様になったこの世界は、
ヴァーチャルによって表現された風景を表現し、ヴァーチャルによって表現された場を提供し、
ヴァーチャルによって想いが交錯し、ヴァーチャルによって人々は新たな人生を手に入れた。
それによって当の本人たちの意思とは関係なく、思想・出会い・革命・破滅など有りとあらゆる事を操作される様になった。
ヴァーチャルは現実として普遍的な物に変わった。
日本は外の技術に頼りすぎた、ツケがまわってきたのよ。
日本人は日本人らしい事が無くなった。
代わりに日本人は人間らしい事を手に入れたわ。
どちらを喜べばいいのかしら?
ただ、日本人には変わらない事が一つだけある。
知らず知らずに覚えた魅力を感じる場所。
ちょうど酉京都からでて30分ちょっと、このなにか私の感にさわる場所。
カレイドスクリーンに映るその雄大な姿、
この富士に関してはね。
人の心に焼き付いている本物。
そのひとつが霊峰富士山。
日本人にとって富士とはどのような存在なのでしょうか。
それは、本物に他ならないからでしょう。
その富士を幾人の者たちが描き、写真に収めてきました。
ここでひとつの疑問が生まれます。
「この本物をみんなに伝えたい」
それを原動力によって、
鮮明に再現された音。
緻密に描かれた絵。
だけど、それは本当に存在する物にはかなわない。
そういう人は、もはやいるのでしょうか?
そう、考え創り出されたものは、本物ではないのです。
もちろん本物はちゃんと残っています。
メ「ここが、東京・・・?」
蓮「ええ、東京よ」
地下のエスカレーターから出た二人が目にした光景、
青い空。
それに突き刺さるビルの林。
卯酉新幹線から続け、まだ話足りない二人は、
その続きをしながら林の中へと散策しはじめました。
人は、旅にでます。
なぜ、旅に出るのでしょうか。
それは、本来あるべき姿を探しているのだと思います。
本物の方がすばらしいから?
違います。
本物を見て、本物を越えたいという欲求なのでしょう。
なぜならば、そのままでは退屈になってしまうからだと、思います。
そして、本物を創造するのです。
「卯酉東海道に乗って」
出演
「秘封倶楽部」
マエリベリー・ハーン
宇佐見 蓮子
エンジニアの男
ナレーター
挿入歌
「ひろしげ36号」
バーチャルという言葉、何かと否定的なニュアンスで語られることの多い言葉ですが、
あえて肯定的な意味を見出したZUNさんと丁稚↑さんの解釈に脱帽です。