Coolier - 新生・東方創想話

手加減知らず、忘れ傘

2010/06/13 19:23:30
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 げに恐ろしきは噂であった。姿形も無いくせに、この噂という生き物は光よりも早く走り回るのだからタチが悪い。狭い幻想郷。広まる速度ともなれば、とっくの昔に光速を越えている。
 しかも防ぐ手だてが無い。内緒だからと申し訳程度の注意はあっても、皆が皆同じように内緒だからと伝えていくのだから全人類皆兄弟という標語もあながち的はずれではないのだろう。
 防衛策もとれず、想像を絶する速度で広まっていくのなら凶悪なウィルスよりも恐ろしい。それが自分とは関係ない第三者の事ならまだ放っておけるものを、よりにもよって広まっているのは自分に対する噂。
「そりゃ確かに、私は博愛主義じゃないけどさ……」
 だからといって凶悪と評するのは如何なものか。ちょっと夕日が見えないからって山を吹き飛ばしたらコレだ。どうせ出所は天狗なのだろうけど、案外連中も心が狭い。これぐらいは笑って済ませよと思う。
 ああ、我らが幻月の評判が良くなるのは何時になるのやら。夢月、お姉ちゃんったら挫けそう。
 飲み干したビール缶を握りつぶし、背後に向かって放り投げた。
 道ばたで飲むビールはやはり格別だ。鬼やら河童は日本酒を愛しているようだけど、やはり日本で暮らしている以上は老若男女問わずビールを飲むべきだ。日本が原産なのかとか、若者が飲んでいいのかとか、そういった御託はこの際置いておいて。
 何はともあれ、ビールを飲もう。今日は六缶ほど持参しており、まだ手をつけていない奴は川の水で冷やし中。温くて飲めるのは日本酒ぐらいのもので、ビールには適さない。無駄に蒸し暑いこの日本には、キンキンに冷えたビールがよく似合う。もしも温いビールを出されたら、怒り狂って幻想郷を滅亡に追いやってしまうかもしれない。
 なるほど、凶悪だ。
「まぁ、ビールがあるうちは大丈夫よ。うん、飲もう」
 夢月は飲みすぎが身体に毒だと言うけれど、むしろ飲まない方が毒だと思う。美味しいものを我慢したって、身体にストレスという害を溜め込むだけだ。人間も妖怪も天使も悪魔も、好きなだけ好きなものを飲めばいいのに。
 じわりと肌に浮き上がる汗を抑える為に、私はまた新しい缶を開けた。やっぱり、この格好で出たのは失敗だったかな。加えて、背中の羽だ。暑くるっしくてビールを飲む速度も加速する。美味しい。
 無駄に防寒対策だけ整った衣装が、じっとりと肌につく。だけど着なければ着ないで夢月が拗ねるのだから仕方ない。良い言葉だ、仕方ないというのは。
 こうして私が道ばたに座り込み、ビールを飲んでいるのも仕方がないこと。凶悪というレッテルを貼られた私に、椅子を用意してくれるほど飲み屋というのは無防備でないのだ。
 あらゆる屋台にも逃げられ、全ての店舗は私の姿を見れば閉店してしまう。そんな悪魔が飲めるところなど、せいぜいが自宅か誰もいない道ばたくらい。家は夢月が五月蠅くて満足に飲めないとくれば、後はもう道ばたしかなかった。
 そう、仕方ない。
「仕方ない、仕方ない。仕方ないったら、仕方ない」
 二本目のビールを開けたところで、不意に感じる背中の重み。まさかもう酔ったわけでもあるまいし、一体誰がのし掛かっているのか。真っ先に思い浮かぶのは幽香だが、アレにこんな茶目っ気があるはずもない。ましてや夢月ならのし掛かる前に注意してくるだろうし。
 誰だろう。不思議に思う私に対して、背中の某は声を張り上げた。
「小傘、搭乗!」
 無視して三本目のビールを開ける。
 尋ねるべきなのだろうか。その搭乗は登場にかけた洒落なのかと。





 噂以前に、私へ近寄ろうとする者は少ない。まったく意識していないのだが、どうも威圧的な雰囲気を常に発しているらしい。夢月からは抑えるように言われているのだけど、こればっかりはどうしようもない。
 ビールを止めるつもりはないけど、あれは止めようとすればいつだって止められる。だけど意識していないものを止めるだなんて、そんな器用な芸当が私に出来るとは思えなかった。
 仮に噂が広まらずとも、元より私へ近づく人妖など数えるほどだ。寂しいとも思わないし、悲しいとも思わない。
 棘だらけのハリネズミが、他人と仲良くなろうとしてるのが間違いなのだ。それに私には夢月がいるし。可愛らしい妹さえいれば、他に近寄ってくる奴がいなくっても構わない。どうせ、誰も私に近づけないのだから。
 そのはずだったんだけど、ね。
「さぁ、私の方は準備万端だよ。いつでも行ける!」
 生憎と私はタクシーじゃないんだ。行けと言われて従う道理はない。
 無視して開けた三本目のビールが、早々に空となった。せっかくの美味しい飲み物だったのに、全然味わった気がしない。それもこれも、この背中で何か吼えている妖怪のせいだ。
 妖怪……だよね。まさか人間がこんな事する度胸もないだろうし。
 そもそも私は小傘とやらの顔も見ていない事に気付き、四本目のビールの前に背中の小傘を引きはがした。つい力余って、メンコの要領で地面へ叩きつけたのもご愛敬。蛙が潰されたような悲鳴が聞こえたけれど、妖怪なのだから問題ない。
 ピクピクと痙攣する手足は放っておき、改めてというか初めて顔を眺める。空を溶かしたような水色の髪の毛、それに子供のように可愛らしい顔立ち。なによりも特徴的なオッドアイ。一度見ていたら忘れることはないだろう。
 なるほど。少なくとも見覚えがないということは、今までに会った事がないというわけだ。初対面なのにいきなり背中へおぶさり、あろうことかタクシー代わりに使うだなんて。度胸は認めるが勇気とは呼べない。蛮勇はいつだって身を滅ぼすのだ。
「あなた誰よ」
「おや、私をご存じない? あちきは多々良小傘。人を驚かせて回る、昔気質の唐傘お化けだよ」
「ほお、唐傘お化け。その割りには傘らしき物がどこにも見あたらないようだけど」
「おぶさるのに邪魔だから置いてきた」
 本末転倒の香りがする。そもそも良いんだろうか、そんな適当で。
 天使に例えるなら暑っ苦しいから羽を置いてくるようなものだ。それはそれで魅力的な提案だが、簡単に取り外せるようなものじゃないし。
「別におぶさらなくてもいいじゃない。子泣き爺じゃあるまいし、私の背中はあなたのくつろぎ空間じゃないのよ」
「ふふふ、私の種族を聞いたのなら自ずと答えは分かるんじゃないかな」
 挑発的な物言いにも、腹を立てることが出来ない。地面に仰向けで寝転がる妖怪に何を言われても、悔しくも何ともなかった。
「そう言われてもねえ……」
「………………」
「………………」
「…………ぐえっ」
 いきなり舌を出されたので、反射的に踏みつけてしまった。
「何すんのよ!」
「だって、舌出すし。馬鹿にされたのかと思って、脊髄が反応したの」
「仕方ないじゃん。私、唐傘お化けなんだからさ。舌を出すのは癖みたいなもんなの」
「そうなの?」
「そうよ」
「………………」
「……………ぐえっ」
 そうらしい。
「あなたの癖には興味なんてないわ」
「二度も踏んだくせに」
「もう一回踏もうか?」
「いや、それはちょっと……」
 我が儘な妖怪だ。最近の妖怪はみんなこんな感じなんだろうか。しばらく見ない間に、妖怪の世界も随分と様変わりしたらしい。
「それで、何で私におぶさってきたの?」
「あちきは人を驚かす妖怪であすんり。ありすん。ありんす」
「そんな無理してキャラ作らなくても」
「とにかく、私は人を驚かすことでお腹を膨らませてるの!」
 妖怪の食事は多種多様だと聞いたけど、そういう方法で満腹になる奴もいるのか。恐怖を糧にしている妖怪は多いそうだけど、驚きというのは初めて聞いた。
 ちなみに私の主な食料源は(本人曰く)ビールで、夢月は(本人曰く)生クリームである。どっちも主食としては不適切だが、人外なんてそんなものだ。
「風の噂で聞いたわ。あなた、みんなから恐れられているそうね」
「まあ、ね」
「そんな奴と道ばたでいきなり出くわしたとしたら、きっと誰だって驚くはずよ」
「確かに、驚きはするでしょうね」
「そこで私が背中におぶさっていたとしたら、あたかも私を見て驚いたみたいじゃない!」
「……そうかな」
「最近は人間も抵抗力が上がってきて、ここのところずっと空腹だったのよ。でも、あなたの力があれば満腹だって夢じゃない!」
 力説しているけれど、それでお腹が膨れるものだろうか。人間達が驚いているのは私であり、小傘じゃないんだけど。当の本人は全く意に介していないようだ。あるいは本当に、それでお腹が膨れるのかもしれない。
 キラキラと目を輝かせる彼女を見ていると、こっちもそんな気がしてくるから不思議である。
「こういうの何て言ったかな」
「虎の胃を刈る狐?」
「強いなあ、狐」
 小傘のことわざが正しいのなら、きっと尻尾が九本あるのだろう。その狐には。
「だから、さあ私と人間の里へ行きましょう! 大丈夫、不安になる必要はないわ。私がついてるから!」
「あなたがいるから不安なんだけど……そもそも行くと言った覚えはないし」
 不満を零していると、不意に小傘の姿が掻き消えた。どこぞのスキマ妖怪じゃあるまいし、転移したとは思えないんだけど。そんな事を考えていたら、またしても感じる背中からの重み。
 いつのまにか小傘は私の背中に再び舞い戻ってきたらしい。今度は油断も何もしておらず、密かに警戒していたのに。どうやって注意をかいくぐり、しかも背後を取れたのか。
 生まれてこの方、後ろを取られた回数など片手で数えるほどしかなかった。それが今日に限って、もう二回もカウントされるだなんて。
「随分とあっさり背後をとるものね。これでも一応、警戒はしていたはずなんだけど」
「人を驚かすのが生き甲斐みたいなもんだから。気配を消してこっそりと近づく技はなかなかのものですよ」
「……その能力を使って人間を驚かせば良いんじゃないの? こっそり近づいて大声をあげれば、大抵の奴は驚くと思うけど」
「後ろからだったら顔が見えないからね。やっぱり前からが王道よ」
 宝の持ち腐れとは、こういう事を言うのだろう。もしも格闘か弾幕のセンスさえあれば、幻月を脅かすほどの大妖怪になれたかもしれないのに。まこと天というのはバランス感覚を考えないものだと呆れてしまう。
 そして、小傘が誰も驚かせられない理由も何となく察することができた。遙か古の時代ならばそれでも通用しただろうけど、今となっては子供だって驚くかどうか妖しいものだ。
 仕方ない。乗りかかった船だし、どうせ暇だったのだ。
 残りのビールは川で冷やし続けるとして、少しばかりこの妖怪に付きあうとしよう。
 ちょうど酒の肴が足りないと思っていたところだった。





 悲しくも寂しくもないが、気持ちの良いものではない。人妖問わず、私の姿を見ればギョッとした顔で驚き、すかさず目を逸らして道を譲る。酷い者など化け物に遭遇したかのように戦き、道を引き返す始末だ。
 ただ今日はいつもと違い、視線を逸らすものはおらず、誰もが背中の妖怪を見上げていた。
「あー、背が高いっていいなあ」
 暢気な台詞を吐いてる小傘は気付いているのだろうか。自分が注目を集めていることに。
 我ながら間抜けな格好だと思う。仮に向こうから似たような奴がやってきたら確実に観察するだろうし、少なくとも視線を外すことはない。
 厳密に戦ったことはないが、幻想郷という範囲でなら最強だと自負している。それもどこまで本当か疑わしいものだが、少なくとも私と戦ってくれそうなのは一部の妖怪ぐらいのもの。その連中にしたって、私から有効打を奪ったことはない。
 ただ幻想郷も狭いようで広い。どこかにはきっと、私なんか相手にもならないほど強い妖怪か神様が眠っていることだろう。それまでは少なくとも、幻想郷最強と思い続けるのも悪くはない。
 そして少なくとも、小傘に最強の称号を譲るつもりはなかった。それなのに一介の妖怪が私の背に乗って、足代わりにこき使っている。端から見れば大層奇妙な状況に思えるだろう。私だって、段々と冷静になって自分のしている事がおかしいと気づき始めていた。
 あの時はきっと、酒が入ってちょっと酔っていたのだろう。酔いつぶれたことはないけれど、酔った経験なら数知れず。それで夢月に何度も怒られて、今度は絶対にアルコールになんて負けないぞと誓っては敗北する日々が続いていた。
 ああ、そういった意味では幻想郷最強はアルコールなのかもしれない。勝った回数の方が少ないし。
「あっ、早苗だ。おーい!」
 顔見知りを発見したらしい。遭難者のように手を振っている。
 小傘とは違い、早苗という名前には心当たりがあった。幻想郷に新しくやってきた巫女。東風谷早苗。巫女という職種とは縁があったので、新しい巫女とやらにも興味があったのだ。
 霊夢ほどの力はなさそうだが、なかなかどうして将来は手強そうな女性だったのを覚えている。
「あら、小傘さん。……と、そちらの方は?」
「幻月」
「呼び捨てなのね。まぁ、いいけど」
 大概の連中はさん付けで、呼び捨てにするのは夢月か幽香ぐらいのものだ。さして拘りや矜持があるわけでもなし、これぐらいで怒りはしないけど。
 ただ早苗の顔色は露骨に変わっていく。直接顔を合わせたのはこれが初めてだけど、おそらく噂で私の名前は知っているらしい。どこまで尾ひれが付いたのかは知らないが、少なくとも褒め称えていない事だけは確かだ。
「あの、幻月というのはひょっとして噂にもなっている……」
「どの噂か知らないけど、幻想郷に幻月は一人しかいないわ。そして最強を名乗っているのも、今のところは私だけね」
 確信に至ったのか、買い物袋から見慣れた祓串を取り出す。同時にスペルカードも何枚か手に持ち、すっかり準備は整ってしまったらしい。
「私はやる気なんて無いんだけどね」
「妖怪はみんなそう言うんです」
「なんか、あなたも段々と霊夢化してるみたいね。良いことなのか、悪いことなのか知らないけど」
 あれはあれで目についた妖精とかを退治しているらしい。憂さ晴らしに消滅させて歩く私が言えたことじゃないが、巫女としてはどうなのかと疑問に思った事もあった。
 そしてその精神は早苗にも受け継がれてしまったらしい。廃れてしまえばいいのに、そんな風習。
「それに私は妖怪じゃなくて悪魔なんだけど」
「残念ながら私のは神道ですから。宗派が違います」
「そういう問題かなあ」
「そういう問題なんですよ」
 徐々に高まる気迫が、自然と私もやる気にさせていく。今日は喧嘩を売るような気分じゃなかったけど、売られたのなら話は別だ。やられそうなら先制攻撃。それが私のモットーなのだから。
 一切の容赦もなく、欠片の手加減もなく。
 二度と刃向かってこないよう徹底的に……
「うらめしやー」
 がくり、と膝から力が抜ける。早苗も同じように、体勢を崩していた。
 ここで言うかね、普通。空気が読めないにも程がある。
「あのさ、何でいきなりうらめしやーなの?」
「ん、だってまだ早苗に言ってなかったなと思って。泣いて驚け、うらめしやー」
「……だから驚けませんって」
 いつものやり取りなのだろう。呆れ顔が徐々に苦笑へと変わる。すっかり戦意は抜け落ちてしまったらしく、祓串もスペルカードも買い物袋へと収められてしまった。
 まぁ、私もここから戦おうなんて思う気はさらさらしない。仮にやってもギャグにしかならないだろう。何となく、そんな予感がした。重しもあるし、背中に。
「今日の所は見逃しましたが、次はこうもいきませんよ。覚悟しておいてください」
「ふふふ、素敵な台詞ね。そういった魅力的なお誘いが最近無いものだから、カレンダーに花丸付けて待っているわよ」
「望むところです」
 思わぬところで挑戦者を見つけてしまった。まだまだ私には敵わないだろうけど、これから先はどうなるか分からない。もっともその前に戦意が挫けてしまなければいんだけど。それは彼女の精神力に任せるしかなかった。
「ばいばい!」
 暢気に手を振る小傘。今度戦う時は、絶対にこれを降ろしてからにしよう。
 そう誓ったところで、私は気付いてしまった。これから最悪の事態が襲ってくるということに。
 去っていく早苗の側。入れ替わるように姿を現したのは、見覚えのありすぎる嗜虐的な笑顔を携えた女性。通り過ぎた人々によって新しい噂が流されたのだとしたら、それを見物しようとアレがやってくるのは火を見るよりも明らかだった。
 馬鹿だ。早苗の相手なんかしてる場合じゃない。一刻も早く、此処から逃げ出せば良かったのに。
 ニタニタといやらしい笑みを浮かべたそれは、背中の小傘を見て、それから苦々しい表情の私を見て口を開く。
「随分と、可愛らしいものを付けて歩いているじゃない。幻月」
 風見幽香、いまこの場で最も会いたくない妖怪であった。





 あっさりと収縮した戦意が、殺意へと変わって表面化するのにさほど時間は掛からなかった。小傘を放り投げ、幽香と手加減抜きの弾幕ごっこに興じたのは言うまでもないこと。元よりあの状況で出会えば、遅かれ早かれ戦いになっていたのだ。
 怒りで冷静な判断ができなかったせいか、今日はなかなかに接戦となってしまった。悪魔だって理性がなければただの狂戦士。狂戦士では幽香を倒すことなんて出来ない。
 ボロボロになりかけた衣装を押さえ、夢月に怒られるだろうなあと今から頭を悩ませる。幸いにも目的のモノが見られたからと幽香は消え去ったものの、このままではいつ夢月が現れるとも知れない。
 一刻も早く帰らねば。あるいは小傘を捨て置くか。
 要は小傘を背中におぶさっていなければいいのだ。それならば夢月が来ても、噂を信じちゃいけないよと返すことができる。そうだ、そうしよう。
「あのね、小傘」
 返事がない。
 ふと見るとそこには根本から折れた樹木と、頭を押さえながら気絶する小傘の姿があった。手加減の苦手な私のこと。思い切り放り投げたら、それがちょうど木に当たったのだろう。
 耐久力はさほどでもない小傘。あっさりと気絶したのも頷ける。
 降って湧いた好機だ。この機を逃がす手はない。
 撤退するようで気分は悪いが、小傘の能力は実に厄介なのだ。気付かぬうちにおぶさって、それを夢月が偶然目撃なんていうドキドキシチュエーションも起こる可能性が充分にある。
 幽香から馬鹿にされるのも避けたいけれど、同じぐらいに夢月から笑われるのも回避したいところ。笑わすのは良いけど、笑われるのは御免だ。
 私は羽を広げ、大空へと飛び立った。
 これを逃避行と言うのなら、どうぞ存分に呼ぶがいい。その代償に得られた安穏という日々が、どれだけ大切なものが知らぬと言うならば。
 喜んで、私は逃亡者となろう。





 小傘は相変わらず、人を驚かすことが出来ていないようだ。無理もない。あんな調子では、もう赤ん坊だって驚いてくれないだろう。それは良い。どうせ他人事だ。私には関係ない。
 問題は、
「チルノちゃん、危ないよ。降りて! 降りて!」
「駄目だよ、大ちゃん。一度登ると決めたんだもの、最後までやり遂げなきゃ!」
 あの一件以来、どうも私に関する噂が毛色を変えたらしい。凶悪という二文字は消え去り、変わりに付けられたのが博愛だ。別にそういう意味で小傘をおぶさっていたわけじゃないのに、どういうわけか世論はそう受け取ってくれなかったらしい。
 最近では妖精のみならず、妖怪達も挙って私の背中を狙っている。生憎と普通に警戒していれば、そう易々と背中をとられることはないのだけど。時折、馬鹿らしくなって抵抗を止める瞬間があった。
 連中はその隙の狙って飛びかかり、高難易度の山にでも挑むかのように登頂を始めるのだ。迷惑極まりないが、毎日のことだからもう馴れた。
 最初はきっちり消滅させていたのだけど、妖精や妖怪のタフネスさを見誤っていたようだ。妖精は普通に復活してくるし、妖怪も一週間あれば元気になってまた登頂を始める。もう抵抗するのにも疲れてきた。
「もう少し……もう少しなのよ!」
「が、頑張れチルノちゃん!」
 今の私を癒してくれるのは、川で冷やしたビールだけ。夢月は何も言わなくなったけど、あれは多分同情から来ているのだろう。あるいは姉の可愛らしい一面を見つけて、何も言う気にならなくなったのか。いずれにせよ立場が逆転したようで面白くはなかった。今度、変わった衣装を着せようと思う。
 何を着せようか悩む私を尻目に、妖精達は相変わらず登頂に夢中だ。あともう少しで、両手が首に回されるだろう。振り落とすのは、それからでも遅くない。
 なんてことを考えていたら、不意に首の周りが温かくなった。見れば両肩からぶら下がるのは腕ではなく足。いつのまにか肩車をさせられていたらしい。
 こんな真似が出来るのは、幻想郷広しと言えども一人しかいなかった。
「小傘……」
「甘いわよ、チルノちゃん。最強を名乗るなら、これぐらいのことはやってみせなきゃ!」
「くっ、さすがは小傘ね。あたいが認めるだけのことはあるわ」
「チルノちゃん、張り合うの止めようよ……」
 今や競技と化した幻月こと私登り。その頂点に君臨するのが小傘だ。
 甚だ不本意ではあるが、少なくとも彼女の地位を高めるのには手助けをしているらしい。最も当人はそんな地位に興味がなく、相変わらず人を驚かせられない事に涙しているようだが。
 そろそろ本格的に腰を据える時期かもしれない。小傘が一人でも人を驚かせるようになったら、もう登頂から興味を無くすはずだ。困難な道に思えるけれど、こんな日々が続くのなら手伝ってあげるのも悪くはない。
「そろそろ、私の威も返して貰わないといけないし」
 小声で言ったのだが聞こえてしまったのか。不思議そうに、小傘は言った。
「でも、そうなったらまた寂しくなるよ」
 どこかで私の愚痴を聞いていたのか。声にした覚えはないけど、覚りではないのだから言ったのだろう。
 それを紛らわせる為に、こんな馬鹿騒ぎをしているのか。いや、それだけとは思えない。おそらく単純に、一緒にいれば寂しくないぐらいの考えしかないのだろう。
 何ともありがた迷惑な心配りではある。
 寂しくないと言ったのに。
 悲しくないと言ったのに。
 こんな事をされたなら、寂しいと思ってしまうじゃないか。
 まったく、背中だけじゃなく心の隙にも潜りこむのが上手いのか。まこと、多々良小傘という妖怪の恐ろしさを垣間見た気がする。
「まぁ、寂しくはなかったわ。確かに」
「でしょ!」
 満足そうに頷く小傘。私は躊躇うことなく、彼女の足を掴み、メンコの要領で地面に叩きつけた。
「ぐえっ」
 一欠片の感謝もしているし、ほんの僅かだけどお礼を言ってもいい。
 だが肩車まで許した覚えはなかった。
 だから、これはほんの仕返し。
 生憎、手加減は出来なかったけど。
 
 
 
 
 
 後に幻月の格好をした夢月が姿を現したのだが、誰も登頂する者はいなかったらしい。
 小傘曰く、あれはやばい、とか。
八重結界
http://makiqx.blog53.fc2.com/
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コメント



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警戒警報警戒警報~
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さらっと楽しめた
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まあ、夢月は人間の命なんかなんとも思ってないそうですからね。確かにやばいかも。
11.100名前が無い程度の能力削除
小傘さんマジ半端ねぇっす。
17.100名前が無い程度の能力削除
夢月www
23.90コチドリ削除
虎の威を借る、と言うよりも、虎の尾を踏む小傘ちゃんですね。

ナチュラルボーン怖いもの知らずの彼女にビールで乾杯!
25.80名前が無い程度の能力削除
夢月絶対に寂しがってるだろwww
32.100ねじ巻き式ウーパール-パー削除
ビールごきゅごきゅやっちゃう幻月ねーさんかわいいお。
ナチュラルに凶悪で手加減できなくて、でも何だかんだで愛されちゃった幻月ねーさん素敵だお。
夢月さんもかわいい。
35.80名前が無い程度の能力削除
あとがき夢月がかわいいw
37.100名前が無い程度の能力削除
幻月も夢月もかわいいなぁ
38.100名前が無い程度の能力削除
夢月は幻月より近づき難いのかw
54.100名前が無い程度の能力削除
小傘ちゃんすげー