「はぁ、はぁ、はぁっ!」
闇の深い路地を走り抜ける一つの人影。
荒い息使いを整えようともせず、何度も後ろを振り返るのは中肉中背の男。
大人がやっと一人通れる裏路地を無理に駆け抜ける中で、肩を擦り、肘をぶつけ、水溜りを踏みつける。
足を進めるたびに汚れ、傷ついていく衣服を意に介さず、後ろを気にして走り続けていた男だったが。
ちょうど十回目。
視線を背後の闇に向けた直後、その速度を緩める。すると先ほどまでうるさいほど反響していた足音は、段々と小さくなり、ついには消え失せた。
自分の心音と呼吸音だけが残る狭い路地裏で、額に浮かんだ汗を腕で拭い取る。目を擦り何度暗がりを確認しても、闇が揺らぐ気配はなく。
新しく耳に入って来たのは、遠くでごみ箱を漁るカラスと野良犬の鳴き声だけ。
そこで初めて、男は口元を緩める。
逃げ切って見せたぞ、ざまぁみろ、と。
そうやって愚鈍な警察を嘲笑う。
さあ、後は何をしようか。
凶器の処分か、それとも、衣服の新調か。
どちらにしろ、そうそう難しくはないはずだ。街を離れればまだ昔ながらの家が立ち並ぶ場所がある。そこは清潔とは程遠い環境だが、悪びれもなく家の前に洗濯物が干されているし、包丁だってボロボロの物しかないような世界だ。
そんな場所で、この赤い包丁を投げ捨ててやれば、勝手に証拠を消してくれる。衣服だって赤黒く汚れているだけで、そうそう悪くはない品質だ。交換を申し出れば喜んで受けてくれれるだろう。
貧富の差を生んだ社会というやつが、勝手に自分を救ってくれる。
法律というルールに縛られている世界と、法律というルールを必要としない世界。その狭間を行き来する彼は、規則正しい猟犬が知らない匂いを放ち。いとも簡単にその存在を消してみせる。
だから今日も、増えただけ。
光と闇の世界を往復する回数が一つ増えただけ。
そして、これからもずっと増え続けるに違いない。
何故なら――
「誰もあなたを捕まえられないって思ったりしてる?」
「――っ!?」
声がした。
確かに、人の声だ。
録音機が発する掠れた音じゃない、
はっきりと口の湿り気すら感じさせる、生の声。
しかし彼が驚いたのはそんなことではない。路地裏での逃走劇など何度も経験済みであるし、相手との距離や方向も、反響に惑わされず聞き取ることができる。
だからそのときも瞬時に判断できた。その声が一体どこから聞こえてくるのか。
方角も、位置も、距離も――すべてが完璧だった。
だが、完璧であるが故に彼は混乱する。
何度思考を繰り返しても、何度音の名残を辿っても、行き着く真実はたった一つ。
「少しやりすぎたね、お兄さん」
その声は、彼の足元から聞こえてくるということ。
もちろんそこには人間の大きな影もなく。
録音機のような機械すらない。
ただそこにあるのは、たった一匹の。
リボンを付けた、奇妙なカラスだけ。
「な、何者だ、何なんだお前はっ!」
悪い夢としか思えない真実に行き着いた彼は、混乱する思考回路を整理することもできず。ただ、カラスと距離を取ることしかできない。
蹴り飛ばしてやることもできるはずなのに、彼はそれを選ばない。
いや、選べなかった。
その選択肢を一瞬にして奪われてしまったから。
「うふふ、私? 私はね……」
カラスが宝石のような瞳を閉じ、嘴を擦り合わせて含み笑いを零した瞬間。
男が両手で押さえつけられる程度の大きさしかなかったカラスが、赤い光を放ちながら膨張し。
美しい黒髪をなびかせる、女性の姿をとったから。
「私の名前は『れいうじ うつほ』探偵さ――」
◇ ◇ ◇
「って、感じでいけると思うのよ! 私!」
「あー、うん凄いねぇ、凄過ぎるねぇ、うん、だからちょっと寝かせてねぇ~」
「だからほら、お燐~っ! 地上行こうよ~っ!」
「うん、わかった、わかった。ほら、あそこの時計の一番短い針がぐるっと二周くらいしたら一緒に行ってあげるからさ」
「え~、駄目だよ! すぐ行かないと事件が腐っちゃうよ」
「そんなナマモノチックな事件なんてこっちからお断りだよ。死体の匂いなら良いけど」
というわけで、お燐は困っていた。
なんというか、うんざりしていた。
自室のベッドの上で寝転がり、昼食後の幸福感をベッドの上で味わいたいというのに、お燐の『あそびにいこー』攻撃に晒される始末。
ほとんど眠らなくて良い妖怪に分類されるお燐にとっては、睡眠は体を休めるというより幸福感を味わう娯楽と表現した方が適しており、時折見る夢のようなものも楽しみの一つだ。
しかし、その大切な時間が最近親友に奪われ始めているのが悩みの種。
「もぉ~、事件なんてそんな簡単におきないんだぁってば! あの絵本みたいなのは特別!」
「でも、ほらほら、毎日出歩いてたら事件に巻き込まれちゃったりするかもしれないじゃない!」
「なんでそんな自信満々なんだろうねぇ……」
「それは、ほら、私が名探偵になる……名探偵になる……シソ?」
「……素質」
「そう、それ! そしゅちゅがあるからだよ! 名探偵になれる素質があるってことは、ほら事件を呼び寄せてしまう、みたいな感じ!」
どうしてこんな偏った知識ばかりは即記憶するのだろうか。
普通ならここで何を馬鹿なことを、と、簡単に否定できるのだが。
しかし、お燐は思うのだ。
確かにそれはある意味正しい、と。
自由という広い空の下に解き放たれたお空を置いておくと、それ自体が事件なのだから。事件を呼び込むのではなく、事件を作る才能に関しては、こいしに続いて地底ツートップ間違いなしである。
「それで? さっきのお話みたいに犯人を追い詰めて事件解決するのかい?」
「そうだよ、もちろんだよ」
布団の上によじ登って、ばんばんっと。制御棒を取り外した右手を布団に叩きつけ、早く行こうのアピール。
もうここまで乗せてしまうと絶対に引かない性格をしているので、お燐は仕方なく丸めていた体を動かし、ベッドの上で猫独特の腰を上げた伸びを繰り返す。
「で、地上のどこに事件を探しにいくのさ」
「あ、ほら、やっぱりアレだよ。事件が起こりそうな、人間が集まる場所だよ」
「あー、はいはい、わかった。あそこか、あそこかな?」
お燐は二つほど頭の中に場所を思い描き、軽くベッドから飛び降りると、ストレートに下ろしてあった髪の毛を手早く三つ編みに纏めると、さとりに対し置手紙だけを残して地上へ向かったのだった。
『地上で何か事件が起きたら、全力で庇って下さい』
お空の活躍を予想した、とても心のこもった置手紙を。
◇ ◇ ◇
さて、何故こうもお空が探偵に拘るかと言えば、理由は簡単。
推理物の漫画にはまったからである。
旧都のバザーで見つけてしまったのが始まりで、どんどんのめり込んでいき。最近では古本の露店を一日中回るほど。
その結果が――
「……お空?」
「ん、なんだい、ワトおリンくん」
「その呼び方が気に食わないから減点1」
「えーっ!?」
時折口走る意味不明な言葉。
お燐が推測するには、どうやらその漫画の中に出てくる言葉のようであるのだが、いきなり呼び名を変えられても困る話である。
しかも推理漫画を読み漁って、ある程度の知識をつけたと見越し、それを生かして案内を頼んだ。しかし、お空が人の多い場所としてお燐を先導したのは『ここ』だった、確かに多いには多い場所ではあるが。
「場所が不適切だから、さらに減点2」
「え、えぇっ! 1から2引かないとだから1しか残らないよ」
「あたいは残った事実に驚きだよ」
とりあえず減点方式は合わないことが判明したことは、二人にとって一歩前進といっていいだろう。
しかし、場所の悪さから言うと一歩前進どころでは足りない気がしてならない。
「たぶん、多いとは思うんだけどね、あたいの怨念探知機にびんびん引っかかるし」
「でしょ! 多いと思ったんだ~♪」
「生きてないけどね。白骨死体とか怨霊とか土の中にあるだろうね、うん」
お燐が案内されたのは、綺麗なお花畑。
しかもおもいっきり毒性の強い場所だった。
地上に死体を探しにいったとき、この花畑に一度目をつけたことのあるお燐の感は確かにここに死体があることを告げている。昔、いらなくなった子供たちを無名のまま捨てる場所だから、『無名の丘』と呼ばれたという逸話も、お燐の情報として蓄えられている。
だから畑の中の白骨死体をでも掘り出して、骨から過去に会った事件を考察してみようということはできるかもしれないが、まったく気が乗らない。
お涙頂戴が嫌というわけではない。
畑に生えている鈴蘭という植物を傷つけたくないわけでもない。
ただ、確実に言える事が一つだけあり。
「あら、そのカラスは花畑全面立ち入り禁止にしたいと思うのだけれど?」
「あれ? ゆうか、その子知ってるの?」
今、そんなことをすると、命の危険指数が非常に高いということ。
ここの住人である、メディスン・メランコリーという妖怪なら人間にしか敵対心を燃やしていないからまだ救いはある。
しかしもう一方は危ないとかそういう単純な言葉では終わらない。
お花畑に笑顔が映える、そんな素敵なお姉さんに出会うなど計算外もいいところ。
「えーっと、なんで傘のお姉さんがここに?」
「メディスンから鈴蘭の花が咲いたって連絡があったから見学に来ただけよ。一種類の花が咲き誇る風景というのは嫌いじゃないから。でもそんな綺麗な風景にみすぼらしい黒猫とカラスは必要ないわよね?」
「いやぁ、あたいもあんまり長居する気はないんだよ。ちょっと死体を捜しに散歩しにきただけだからね! ねぇ、お空!」
下手なことを言われる前に釘を刺して、すぐにこの場を出て行こう。そう考えたお燐は、お空の服を引っ張りながら、引きつった笑みを浮かべた。
そんな意図を感じ取ったのか、うんうんっと頷く彼女はお燐に釣られるように笑みを作り。
「だから地面の死体を掘り起こそうと思ってたんだよね♪」
「お、おくぅぅぅ……」
お燐は泣いた。
尻尾をだらんっと垂らし、脱力しながら泣いた。
死体を探しにきたという部分だけを強調するお空の感受性に泣いた。
「……スーさんを傷つけるの?」
「へえ、私の目の前で花の根を掘り起こそうと?」
「い、いや、そうじゃないよ、あたいたちはあくまでも穏便に」
「……穏便、穏便」
なんとかその場を取り繕うとするお燐の後ろで、顎に手を当てたお空が瞳を閉じて何かを考え始め、おもむろにお燐を押しのけて前に出た。
そして挑発するように、制御棒を二人に翳し薄ら笑いを浮かべる。
「ふふふ、こちらも穏便に済ませたいのですがね、そちらがそういう態度で出ると言うのなら、もう少し強い手段を使わざるを得なくなる。お分かりかな?」
「あんたがお分かりになれ馬鹿ぁっ!」
すぱぁんっと、小気味良い音がお空の側頭部から響いた。
胸元から生み出されたスリッパが閃き、お空のこめかみを打ったのである、しかし大して痛みを感じているように見えないお空は、『うにゅ?』と小さく唸って顔をお燐に向けてくるだけ。
しかし、お空のなんでもない気配とは対照的に。
怒りのオーラを放ち始めた二人から引き離すようにお空を引きずる。
ずりずりと、一生懸命引っぱって、背の高いお空の頭を耳元に引き込んだ。
「なにしてんのぉぉっ!」
「え、だって、ほら、穏便って言葉が出てきたじゃない?」
「うん、出てきたね」
「その言葉を使ったかっこいいシーンっていうのが漫画にあったんだよ。思い出したらちょっとやってみたくなっちゃって♪」
「やってみたくなる前に、お願いだから一度その後のことを考えておくれよぉ」
「えっと、その後は確か。凶器を取り出した犯人が闇雲に探偵って人に向かっていって」
「そっちじゃないよぉ……」
「うにゅ?」
どうやらお空は楽しんでいるだけのようだ。
漫画で読んだ話を真似して遊んでいるだけ。
しかしすでに冗談が通じる展開にはほど遠くて……
背中から感じる物凄い殺気を感じるお燐は、項垂れるくらいしかできず。
「あ、でもやっぱりあの二人は怪しいよ、ああやって必死に私をあそこに入れようとしないってことは、何か隠してるんだよ」
「あのね、お空。あんたが花畑を荒らすかもしれないからあの二人は警戒しているだけで」
「そうか、つまりあの二人が犯人だと決定付ける証拠が!」
すぱぁんっ、と再びお燐の右腕が流れるように動き『地霊の湯専用スリッパ』をお空の後頭部に叩き込む。
「……今のちょっと痛い」
「わからないこと言ってないで、別の場所にいくよ。このままだと命がいくつあっても足りないからね」
「はぁ~い」
なんだかんだ言いながらお空の面倒を見てしまう。
そんな自分の性格に深いため息を零しながら、お燐は二人に頭を下げて逃げるように空へ飛び上がる。
それに続くようにしてお空もぺこりと頭を下げて続く。しかしどこか納得できない様子で首を傾げていた。
「お燐、飛んじゃっていいのかな?」
「えっ?」
何かを直感で察したお空がそうつぶやく。
慌ててお燐は地上のほうを振り返るが、幽香は特に動いているようには見えない。ただ日傘を少し傾けて、お燐たちの方へと先を向けただけだった。
そう、微笑みながら、妖力を高めた状態で、先端を向ける。
不用意に、草木の生きる地面から足を離し、空中に飛び上がった目標に対して。
微笑みながら最高のお礼を届けようと、力を集中させ。
「え、ま、待っておくれよっ! 本当にそんなつもりじゃっ!」
理解したお燐がなんとか静止を呼びかける。
しかし、微笑も、力の流れも消えず、お燐の訴えを掻き消すように圧倒的な力は青空に放たれた。迫り来る極太の力の奔流に対し、お燐は体を縮めることしかできない。
痛みを覚悟して強張らせた体。
しかし、それがとんっと押される。
「よっこいしょ、と」
物凄い熱量が迫っている。そんな追い詰められた場面だというのに、お空はお燐を退かし、自然な仕草で制御棒を下に構えた。
平然とその光景を見つめる瞳には、恐怖の色すらなく。
「ばぁん♪」
子供が輪ゴムで遊ぶ光景を連想させるくらい、無邪気に笑い。その力を解き放った。体をすべて飲み込もうとするほどの力の流れに対してお空が撃ったのは、一抱え程度の光弾。
誰が見ても力不足に見える弾を一つだけ。
だが――
お空の真下でぶつかり合うその力は、お互いの力を削り合い。
あっさりと掻き消えた。
派手な爆発を残すでもなく、ただ光弾とぶつかり合って、文字通り霧散した。
「ねね、お燐! お燐! すごいよあの人! 久しぶりにスペルカードなしで力使っちゃったよ!」
「……えっと、まあ、一応助けてくれてありがとうなんだけどさ。あんまり『素の力』を地上で使わないでね。さとり様にも言われてると思うけど、絶対にスペルカードを媒体にするようにっ」
「はぁ~~いっ!」
「じゃあ、いくよっ」
そうやって新しい場所を目指す地底の二人組。
「手加減してあげたんだ、優しいね」
「……まあね」
その二つの影を少々納得のいかない顔で見上げていた幽香は気を取り直し、花畑の中で飛び回るメディスンを追い掛けた。
◇ ◇ ◇
霧の覆う神秘的な湖、そこから少し離れた場所に屋敷はあった。
誰が立てたかもいつ立てたかもわからない。
ただ一つ言えることは、そこに入った客人の全てが数奇な運命を辿るという事。まるで運命を狂わされ、自ら望むよう人生の階段を踏み外す。
血塗られた、紅の屋敷。
「うわ、ほらほら、なんかすっごい不思議系の推理ものっぽい! 偶然足を運んだ探偵の一家が屋敷の中で起こった過去の事件を紐解いたりするんだよ」
「うん、いいんだけどね。それはそれでいいんだけどね、お空。ちょっと気になったんだけどさ」
「え、何?」
「地底から出るとき、人間の多いところに行くって言ってなかったっけ?」
「……ん、……うん?」
「減点3」
「え、えええええええっ!?」
確かに、さっきの場所と比較すれば人間の数は確実に増えたといっていい。
「え、えと、ほら、人間いるじゃない、私たちみたいなペットの人間」
ただ0から1になっただけで人間の多いところには該当しない。
しかし、そんな遊び心の評価を取り戻そうと、お空はなんとか思考を巡らせていた。そんな場面で、お燐は重大な問題に直面する。
「ペットじゃないよ、一応メイドって言うんだよ、それにね、あんまり館とかの悪口みたいなこと言わないほうがいいと思うんだけどねぇ」
「なんで?」
「さっきからね、あたいの首筋にすっごく冷たい感触があるんだよ。無言で圧力を加えてくるんだよ、たぶんこれナイフなんじゃないかなって思うんだけど、どうだいお空?」
「あー、すごいよっ! お燐大正解! 探偵のシソ――素質があるよ!」
「……うん、できれば助けて欲しいなぁって意味だったんだけど」
門を通って館の中に入り、『探検』という名目で廊下を並んで進んでいたら、お燐の首筋に金属の冷たい感触がいきなり発生した。
そして左腕を簡単に極められてしまい、身動きすら取れない。
「……とりあえず不法侵入の理由を教えてくれたら解放してあげてもいいわよ?」
「あ、なるほどね! きっとそこでお燐が『私のことはいいから逃げてっ!』とか――」
「減点5」
「えぇぇ~っ! そんなに一杯引かれたら2点しか残らないよ」
「だからどうして残るのさ、もう助けなくていいから大人しくしてておくれよ」
今までの経緯を理解してもらえるかどうかが不安であったが、お燐はぼそぼそと、最近にお空に置き始めた変化を後ろのメイド長に語ったのだった。
◇ ◇ ◇
「ねえ、咲夜。私の気のせいかしら?」
「何がです?」
「私、あのカラス苦手だって言わなかった? 八咫烏って太陽と似てるから相手にしたくないって」
「はい、お聞きしました」
「そうね、確かに言ったわよね」
謁見の間、屋敷でありながら王様が客人と出会うための部屋をモチーフにしたその部屋の中央奥。そこに設置された玉座に深く座るレミリアは真紅の瞳をゆっくりと開けた。
しかし、その後何度もパチパチと瞬きをして眼前に広がる光景を確認してから。
再度ゆっくりと目を瞑って、ふぅっとため息。
そして眉をピクピクと揺らしながら、もう一度ゆっくり瞳を開いてその二つの姿を確認する。
火車の猫と、地獄烏を。
「わかってるなら何で連れて来るのよ、嫌だって言ったじゃない!」
「嫌がるお嬢様の姿が見たか――いえ、やはり主たるもの苦手を克服してこそではないかと」
「本音でたよね? 今、あっさりと」
「ああ、お嬢様、恐怖から幻聴をお聞きになったのですね、お可愛そうに。どうぞ、心を落ち着けるために紅茶を」
「ありがとう、咲夜。いろいろ気になるところはあるのだけれど、なんで紅茶の上に緑色のつぶつぶが浮かんでいるの?」
「先日、人里で初物が取れたということでしたので、隠し味としてブレンドしてみました。ブロッコリーを」
「……もういい、わかったから」
紅茶の表面に浮かぶ普通なら紅茶に含まれない成分に恐怖を感じながら、レミリアは待たされている二人へと呼びかけた。少しでも危険物から意識を外すために。
「あー、なんだって。そのカラスが事件を探しているって?」
「そう、私の名前は『れいうじうつほ』探偵さっ!」
「ポーズ取らなくていいからね、お空」
お燐の側で自信に満ちた笑みを作り、制御棒を高く掲げてからそれをびしっとレミリアの方に向ける。その瞬間、向けられた方がおもしろいくらいビクッと震えた。
種族的な観点ならば天敵と表現してもいい相手が、いきなり攻撃姿勢に似た体勢を取ったのだから仕方ない。
しかし表面では冷静な態度を維持しながら、羽をピクピク震わせつつ、こほんっと咳払い。
「咲夜、探偵という職務について何かない? 生憎私にはそういった部類の知識は不足していてね。魔物を狩るハンターの職務であるなら記憶にあるのだけれど」
「人の依頼に対しそれを解決する役割を持つ者で主に捜索や推理が得意な部類の人間かと思われます」
「捜索か。ところで、あなたもそういったものを読むの?」
「はい読書は教養を増やすことにも繋がりますので」
従者の言葉に納得し、納得して瞳を閉じながら紅茶を口に運び、即座に眉をしかめる。
どうやらあの緑のツブツブのことをすっかり忘れていたらしい。お空やお燐から黙視できないように、手で口元を隠しながら咲夜と何か交渉をしているが。
咲夜は笑顔のまま首を横に振り。
「お飲みください」
そういわれた瞬間、何故か捨てられた子犬のような心細い顔をした。
それでも咲夜は何も言わない。それを指摘するのが可愛そうになるほど、脂汗を流して紅茶を凝視していても冷静に椅子に座る主を見下ろしている。これが悪意あるものとして取れるならレミリアは容赦なく中身を床にぶちまけるはず。しかし紅茶に緑黄色野菜を足すという斬新な発想は冗談でも悪意でもなく『いつも血液ばかり摂取するお嬢様の健康のため』という咲夜なり優しさであり、忠義心でもある。
だからロシアンルーレットならぬ、いつものロシアン紅茶なら躊躇なく飲んできたレミリアであったが、今回はどうしても口をつけられずにいた。水面に浮かぶ緑色のつぶが食欲をあっさりと奪い取るからである。
しかし客人の前でいつまでも放心してはいられない。二人の視線に気づいたレミリアはなんとか場を取り繕うために大袈裟に足を組み替えた。
「こほんっ! さっき咲夜が発言したとおりならば、あなたたちは探し物が得意なのよね? ならばお願いしたいことがあるのだけれど」
「探し物だね、まっかせてよ!」
「その自信はどこからくるのか聞きたいところだけど」
「食う寝るところに住むところからだよ!」
「絶対あんた探偵向いてない気がしてきた」
偏り過ぎているお空の知識。
それを垣間見たお燐は表情を暗くして頭を押さえるが、親友は相変わらずノリノリで羽をばさばさ動かしている。
瞳を輝かせて、ばっちこーいっ! と言わんばかりに右腕を上げて振り回していた。もちろん、制御棒がついたままで。
「本当に得意なんだよ、もう。完璧なんだよ」
「じゃあ、その完璧過ぎる手腕の内容を教えておくれよ」
「ふっふっふ、お燐、驚きすぎて尻尾抜けちゃっても知らないからね」
不敵な笑みを浮かべて腕を組み、騒々しかった空気を投げ捨てる。そうやって静かに佇む様は身長の高さと能力の威圧感からして、中々のものだ。
下手をすれば咲夜よりも大人びた空気を纏っているかもしれない。
「では、お嬢さん、探し物の特徴を教えていただきましょうか」
いつものお空とはかけはなれた低い声音で話し掛けているところを見ると、おそらく何かを真似ているのだろう。言うまでもなく漫画に出てくる男役の探偵か何かを。それでも、
このまま何もおかしなことを口走らなければ、であるが……
「特徴なんてありすぎて困るわね、えっとまずは――」
まさか普通の質問のやり取りでしかないこの状況で波乱なんて起きるはずもない。
お空がいくらはしゃいでいるからといって、そうそう面倒ごとを起こされては、お燐の体がも持たな――
「あ、忘れてた。それと、探し物の融点を教えていただけるかな?」
「は?」
一気に雲行きが怪しくなってきた。
さっきまで朗らかだった空気が、お空の一言であっという間に静まり返る。そんな不可思議な気配の中で、お燐はため息をつきながら瞳を閉じ、自分の胸元をごそごそと探り始めた。
「融点、物が解けちゃう温度だよ、ドロドロってね」
「それは理解しているとも、問題は何故それが捜索に関係しているかということだよ」
「あれ? わかんないかな、ほら、私が探し物のある部屋かどこかにまず入るでしょ」
「そこから探し始めるんでしょう?」
「でもごちゃごちゃしてたりしたら探すの大変だからね、もし探し物が融点の高いものだったらね。良い方法があるんだよ」
「温度をセンサー代わりにでもするというの?」
「そんな難しいことじゃないよ♪ 融点以下の温度の熱で周りを消し炭にしちゃえば――」
そう言いかけた瞬間。
スパァンっ、とお空の後頭部に電光石火のスリッパが振り下ろされた。あまりの速度にスリッパに縫い付けられた温泉マークが剥がれてしまうほどに。
さとりの経営する温泉持参の暗器を振りぬいたお燐は、やりきった顔で再び胸元にそれを納めるが。
「んー、なんでそういうことするかな」
後頭部に不意打ちを受けた当の本人は対してダメージを受けた様子もなく、すりすりと攻撃された当たりを撫でていた。
「あんたねぇ、なんで探し物意外が犠牲になるような手段を取るのさ!」
「大切なモノを取り戻すにはそれなりの犠牲が必要なんだよ!」
「あ~、また変な台詞覚えて、この子はもう…… 駄目に決まってるじゃないか!」
「えぇ~? ある意味凄く綺麗になるよ?」
「消し炭だらけの荒野を普通綺麗とは言わないんだよ……」
「紅魔館を焼け野原にするような計画を私の前でしないで欲しいのだけれど?」
紅茶を口につけようとして、再び視界の隅に追いやろうとするレミリアが投槍な言葉を吐く。斜め後ろからメイド長による視線のプレッシャーを受けつつも、館の主らしい威厳を保とうと翼を大きく広げて見せるも、蝙蝠に似たその羽の先が小刻みに震えていた。なんだか健気で可愛らしい印象しか受けないと正直に言うと、とばっちりを受けそうなのでお燐は口を真一文字に結び目を逸らす。
「それにね、私が探して欲しいのはモノなんかじゃない。とても大切な存在なのよ」
しかし、レミリアの口から信じられないほどか弱い声が漏れて、思わず視界を元に戻してしまっていた。
「大切な存在っていうと、やっぱり家族か何かかねぇ……」
「そのとおりです。レミリアお嬢様魔の妹様、探していただきたいのはフランドールお嬢様ですわ」
俯いて、黙り込んでしまったレミリアの変わりに後ろに控えていた咲夜が口を開いた。それでもレミリアからの静止の声はでない。
冷え切った紅茶のカップを両手で掴んだまま、何の反応も示さない。
「昨日の夜、元気に遊んでいらしたのですが」
レミリアの沈んだ表情と、咲夜の言葉。
それを冷静に分析するなら、何かが館の中で起こっていると判断もできる。しかし昨日の夜という話なら、すでに半日以上時間が経過しているというわけだ。
大切な家族とも呼べる存在に何も痕跡を残さずに姿を消したと仮定するならこれは。
「お燐、もしかして気付いてないかもしれないから伝えておくね」
そしてお空は真剣な顔でお燐の両肩を掴み、沈痛な面持ちで左右に首を振る。
「たぶん、これ事件だよ……」
「おもいっきり理解してるよ、はっきり言って館に入ったときから事件だよ。むしろ昼寝を妨害されてからずっと事件続きだよ」
「そんな単純なことじゃないんだよ、お燐!!」
「何で怒られたんだろう、あたい……」
そんなおかしなやり取りを繰り返していると。
さきほどからほとんど話す素振りを見せなかった一人の女性が声を上げる。
「それでは、私から当時の詳しい説明をさせていただきます」
主であるレミリアよりもわずかに前に出た咲夜は、一度瞳を伏せるとあまり抑揚のない声で事実を語り始めた。
「昨晩、お嬢様と妹様が夕食を召し上がってからのことです。珍しく妹様がお嬢様の部屋にいらっしゃいまして遊びたいとおっしゃられました。普段なら妖精メイドと弾幕ごっこをするのが日課なのですが、その日はそれだけで満足できなかったのでしょう」
普段と違う行動というキーワードに、話に聞き入っていたお空の眼が細くなる。
そこに何かあると踏んだのだろう。
「お嬢様が快くその提案を受けると、妹様は続けておっしゃいました。嬉しそうに笑いながら『少しだけ待ってて』と。それだけ言い残して、部屋を出て行ったのです。なのでお嬢様は退屈しのぎに数を数えながら待ちました。けれど、100まで数えたというのに妹様からはなんの音沙汰もなかったのです。ゆっくり数えていたはずなので、時間的には二分程度かと思われますが」
「そのときメイドさんはその部屋の中にいたの?」
「ええ、身の回りのお世話をしておりました」
お空は咲夜のアリバイを探ったつもりなのかもしれないが、はっきり言ってそれは無謀というもの。何せ彼女は時間を止められるので、もし事件の鍵を握っていたとしても時間軸という観点を容易にすり抜けられる。
そんなことを考えていたお燐の脳裏に、ふと、ある言葉が浮かんできた。
「お嬢様はその後、屋敷中を走り回りました。私が助力を申し出ても、私が見つけないと意味がないと逆にお叱りを受けるほどで、真剣に妹様を探していらっしゃいました。けれどどこにも妹様の愛らしい姿はありません。まさかと思い門番の美鈴に声を掛けて見ても、『誰も出て行ってませんが、え、えええええっ!? い。妹様が行方不明っ!?』と、悲鳴を上げるほど驚いただけ。図書館で話を聞いても、落ち着いた様子のパチュリー様が『さあ? 私は読書してたから見てない』と、おっしゃるばかりで、手掛かりはなかったそうです」
フランドールと比較的接点の多い美鈴の大袈裟な反応と、パチュリーの平静な態度。性格がはっきりと分かれる返答ではあるが、何かが引っかかる。
お空と思わず視線を合わせたお燐は、『どう思う?』と視線で訴えるが、お空は首を傾げるばかり。探偵の素質はどこに行ってしまったのだろうか。
「それで結局、半日が経過した今でも行方が知れないというわけでして……」
「ねぇ、お姉さん。その子の力っていうのは相当危険だったりするのかい?」
「そちらのお連れの能力と同程度と考えていただければ」
「……大問題だね」
「ねえ、お燐もしかして私、悪口言われてる?」
「いやいや、お空は凄いってことだよ」
「え、ホントに! わーい、誉められた~~っ!」
「あー、なんだろうねこの罪悪感は……」
推理そっちのけで飛び跳ね始めたお空の姿に、お燐は頭を抱える。これだけ無邪気で危なっかしいお空と似た危険性を持つ能力者が行方不明になったのら、と、お燐は推測する。
妹の姿を求めて必死に探すレミリアのケースのは別として、美鈴が驚愕したのは当然。能力者にも外部の人間や妖怪にも危険が及ぶ可能性があるからだ。
それなのに、である。
「図書館のパチュリーって言う人は特に変化がなかったんだよね?」
「ええ、そこにいたパチュリー様の従者も特に」
「……ふ~ん」
館の住人の二人が、動揺を見せていない。
それが違和感となってお燐の思考にこびり付く。相反する反応をする館の住人たちを比較する中で、もう一人。冷静な対処を続けている人物に気が付いた。
その人物は、レミリアの側で事件の始まりを眺め続けていたはずで、屋敷のことも主より詳しく知っている可能性のある者。
十六夜 咲夜。
主が望まないから手を出さないと言うが、いくら冷静なメイドだとしても目の前に姿を見せた主の妹が唐突に居なくなれば多少感じることがあるのではないだろうか。それでも落ち込むレミリアの横で何の変化も見せずにいられるのは、何故か。
「失踪事件か、もしかして、誘拐事件だったり?」
お空はすでに大きな事件として考えているようではあるが、お燐はどうしてもそう考えられない。咲夜の冷静な口調を聞いていると、まるで居なくなって当たり前のように聞こえてくるのだから。
しかし、そんなケースなどあるはずがない。
待っていてと頼まれ、数を数えて、探しに行く。
多少不自然なところはあるが――
――おや?
「誘拐されたとしたら、もしかして今頃縄でぐるぐるになってたりするのかな? それとももう、利用価値はないとか犯人が言って……」
物騒なことを言いながら推理を続けていくお空の頭の中では、すでに身代金の要求すら飛び越えそうである。
しかし、この事件はそんなに難しいものではない。
むしろ事件ですらない。
「おくぅ~、おいでおいで」
「え、どうしたの?」
手招きしてお空の頭を下げさせたお燐は、彼女の中に浮かび上がった真実を順を追って告げていく。すると最初はコクコクと耳打ちされる言葉に頷いていた首の動きが、突然ぴたりっと止まった。
目を丸くして一度頭を離すと、もう一回、と指を一本立てて再びお燐の口元に頭を持っていく。
それを、後2回ほど繰り返し――
「何か、わかったのかしら?」
二人の様子が変わったことを感じ取ったレミリアが、顔を上げたとき。
そこにはすでに、自信に満ち溢れるお空の姿があった。
前髪をふぁさ、と掻き上げて制御棒のついていない左腕をびしっとレミリアに向けたかと思うと、また低い声を発し、芝居がかった笑みを作り出す。
「その前にレミリアさん、あなたは、私に嘘をついていますね?」
「……なんのことかしら? 私はただあなたにフランの捜索を依頼しているだけよ。それに何なのその口調は」
「いや、嘘、というのは適切ではありませんでした。では、こう言わせていただきましょう。真実を隠して、私たちにある行動をとらせようとしている。違いますかな?」
「な、何を証拠に言っているのかしら? これ以上侮辱するようならこちらも然るべき行動を取るわ」
「止めましょう、安い挑発は……」
そう言って、左手を軽く握るようにして口元へと持っていく。
何事かとお燐がその様子を眺めていると、その格好のまま大きく呼吸を二~三回繰り返し、最後に大きく息を吐き出しながら左腕を斜め上に掲げる。
たぶん、漫画に出てきた『タバコ』ってヤツを吸ってるつもりなのだろう。そんなごっこ遊びのような仕草だというのに、身長の高さとすらりと伸びた手足のおかげで格好良く見えるのだから悔しい。しかも低い声と仕草が絶妙だし。
「あなたの妹は失踪したわけでも、誘拐されたわけでもない。すべてはそこのメイド長が語ったことの中にありました」
「さ、咲夜の話のどこにおかしいところがあったというの!」
「遊び、ですよ。レミリアさん」
「なっ!?」
がたっ、と大げさに椅子を揺らして立ち上がる。
明らかに狼狽するレミリアを冷静に見詰めつつ、お空は推理を続ける。
お燐から聞いた内容を丸暗記したものを、堂々と、我が物顔で声にする。
「そうです、フランドールさんはあなたに遊んで欲しかった。それがすべての答えなんですよ。遊び、待つ、数を数える。これで私はピーンと来ましたよ。一体なんの遊びをフランドールさんとしていたか。そしてなぜそれが、行方不明事件と関係するのか。冷静に考えれば簡単な事実しか見てきません。もう一度言いましょう。これは事件などではない!」
声を溜め、瞳に強い意志を宿し。
お空は制御棒をまっすぐレミリアに突きつける。
「『かくれんぼ』なんですよ! レミリアさん!」
「く、わ、私の……負けだわ……」
がくり、と膝を突き。
そのまま四つん這いになってしまう。そして左右に首を振りながら、一度大きく羽を振り動かす。
いつ頃から勝負になったのかとか、なぜその程度でそんなにショックを受ける必要があるのか。突っ込みたいところは多々あったのだが、それを指摘すると面倒なことになりそうだったので、お燐は無言で部屋の隅に移動する。
「あの子が、フランがいけないのよ! 私が見つけられないところに隠れるから!」
「そう、あなたは昨日の夜からずっとフランドールさんを探していた。そこのメイド長の助力も断るほど一生懸命探したことに恥じることはない。しかし、もう一歩及ばなかったんですよ。必死になるがあまり、身近な不信点を見逃してしまっていた」
「不信点……ですって?」
「考えても見てください。フランドールさんの性格上、あなたが探しに来るのを長時間待つことができるとお思いですか? 一人で、どこかの暗がりの中で」
「あっ!」
フランドールの性格はそうそう大人しいものではない。
それを思い出したレミリアは、歩み寄ってきたお空を見上げて短い声を上げた。多少の時間ならまだしも半日も何も変化のない空間で孤立していられるはずがない。
「でも、身を隠せるところで退屈を紛らわせることができるところなんて」
「あるでしょう、一ヶ所。様々な内容ものを見ることができる場所が、退屈を紛らわせるために会話すらできる場所が、館の中でフランドールさんがいなくなったと知っても、まったく驚かなかった場所があるでしょう?」
「っ! 図書館だわ! パチェめ……やってくれる。それにフランもフランよ、どうしてもっと見つけやすい場所に隠れないのよ! これじゃあ、私だけ除け者みたいじゃないか!」
腰を地面に付けた状態で、右手を何度も床に叩き付ける。
悔しさで、表情を歪ませながら、想いを何もいわない床に吐き出し続ける。それは自分の不甲斐なさによるものか、友人に裏切られたと感じてしまった寂しさによるものか、それとも、フランドールに対する不満によるものか。
それは本人にしかわからないが、お空は無意識に手を伸ばす。
振り上げた腕を掴んで、それは違う、と静かに告げる。
「かくれんぼというのは、見つかるか見つからないかのドキドキが楽しんですよ。そのドキドキを一杯味わいたくて、フランドールさんはパチュリーさんにお願いしたのでしょう。『お姉様が着ても教えないように』とね。あなたと遊んでいると実感できる時間を少しでも増やしたかった。違いますかね?」
「そんなこと、フランじゃないとわからないよ!」
「じゃあ、会いに行ってあげてください。きっとあなたが来るのを首を長くして待っているはずです。私や、お燐に調べさせるのではなく。あなた自身で、迎えに行ってあげてください!」
「探偵さん……ありがとうっ!」
涙を流し、感涙を流し続けるレミリアと、それを抱きしめるお空。
そんな、なんだか熱い空気が漂う部屋の一点とは別な場所。
部屋の隅にピクニック用のマットを敷き、その上でくつろぐ別の二人の姿があって。
「えーっと、帰っていいかねぇ?」
「核物質はお持ち帰りください」
そのとき、振り回されっぱなしのお燐のため息の回数がちょうど3桁に突入したのだった。
◇ ◇ ◇
「ねえ、お空? あんた人里で問題起こした?」
「へ? なんで?」
紅魔館を出て、口調も元に戻ったお空と一緒に訪れたのは、当初の本命『人里』だった。そのときは素直にお燐ポイントを加点してあげたわけだが、なんだか入ったときからおかしな視線に襲われるのである。
どっちが見られているのかを探るために、お燐はわざとお空から離れてみれば、おもしろいくらいに視線がすべてお空へと向く。
「身に覚えはないってことなのかい?」
「うん、この前お饅頭買いにきただけだし」
だとしたら、変だ。
この注目度はまともじゃない。
そう、実におかしい。
「目的地が寺子屋っていうのも不自然なんだけどね……」
「え、何いってるんだよ、お燐! 凶悪事件と言ったら、子供が巻き込まれるって相場が決まってるんだよ! だから寺子屋に向かう、常識だね」
「あのね……お空。人里で凶悪事件とか子供を巻き込むとかそういう話だけはやめておくれ、なんか背中から凄い殺気を感じるんだよ……」
「あっはっは~、お燐は怖がりだなぁ♪」
「怖がりとかじゃなくてぇ……」
先ほどから感じる視線の強さが明らかに増した。
わかりやすく言えば、『なんだこいつら』という認識から『人類の敵』にレベルアップした感覚だ。
それでも元気良く制御棒を振って歩くお空は、我感ぜずという態度のまま通りの角をくるりっと曲がって、寺子屋への道を一直線。それに遅れないようにお燐も続いて。
「あいたっ」
いきなりお空が止まったので、鼻を背中にぶつけてしまう。
瞳に涙を溜めながら前に回り込んで、文句の一つくらい言ってやろうとお空の顔を見たら、ぼーっと先を眺めていた。
釣られるようにそちらを振り向けば。
『人攫いの妖怪出没により、休日とします。特徴はこちら』
流麗な文字が描かれた張り紙が、寺子屋の入り口にあった。
まだ十歩以上先にあるのでそれ以上の文字を読み取ることはできないが、何かよくないことが起きていることは確かだ。
お燐はお空を軽く追い抜き、その張り紙をよく見れば。
『こちら』
という文字の後に、妖怪の特徴が記されていた。お燐がそれを読んでいると、追いついたお空がお燐の頭の上に顎を乗せて小さい体に覆い被さる。
「えーっと、いわく、こどもをさらったようかいはぁ~、おおきなはねがとくちょうで、そのなかまには、ねこのようなようかいが、いた? へぇ、人里に入って攫うなんて勝負師だね!」
「ねえ、お燐……」
「なに?」
「何か気がつかないかい?」
「え、そりゃあわかるよ! 今度こそ誘拐事件ってことでしょ! 名探偵うつほの前にはやっぱり事件がおきるって証明だね!」
「あのね、そうやってあんまりはしゃがないほうが良いと思うんだよねぇ、あたい」
「え、なんで?」
「なんでもいいから、1、2、3で飛び上がるよ。いいかい? いちにのっさん!」
「う、うわぁっ!」
お燐が強引に玄関の軒下からお空を引っ張って空へと舞い上がると、それにわずかに遅れる形でお燐立ち退いた場所にお札が襲い掛かった。いきなり何もない空間から現れたわけじゃない。お空が気が付いていなかっただけ。
50人は軽く超えそうな人だかりが一斉に札を放ったその中心は、地面を埋め尽くすほど様々な紙が張り付いていた。
「うわ、すっごい、人が一杯いるね」
「あ~、間一髪だよ本当に! もう少し遅かったら退治されてたじゃないのさ」
「あ、そっか、あの特徴って私たちにも当てはまるんだね!」
「今ごろ気づいたのかい、あんた……じゃあ本当に囲まれてることもわからなかったとか」
「……ん、……うん?」
「もういい、わかったから……じゃあ、もう帰ろうか。人里にはもう入れないし」
当初の目的、人里で事件を見つけることには成功したが、事件解決までの聞き込みや情報収集が不可能に近い。そんななかで探偵ごっこも続けられるはずもない。そう判断したお燐は、進行方向を変えて地底へと帰ろうとするが。
その腕を何故かお空に掴まれた。
「……えと、何のつもりかな、お空?」
「いいよ、いいよこれ! この『しちゅーえちょん』はアレだよ。探偵が誰かの罠に嵌められて犯人に仕立て上げられるんだけど、逆に一人で真犯人を捕まえるってやつ!」
「ええぇぇぇっ! 無理、無駄、無謀だって! あたいたち犯人の情報あの紙の部分しか知らないんだよ! 今日誘拐があったことと、あたいたちと似た特徴を持ってるってことしか!」
「そこはアレだよ、名探偵の推理力で!」
「さっきはあたいの推理丸暗記した癖に」
「ち、違うよ! あれは、お燐に花を持たせてあげようかなぁって思っただけであれくらいなら昨日からわかってたよ!」
「軽く時空を飛び越えないようにね」
しかし、こうなってしまうとお空は聞かない。
遊びたい盛りの子供と同じで、目的に向かって進まないと気がすまないのである。
「まあ、付き合うくらいならいいけどさ……一刻だけだよ?」
「はぁ~い! じゃあ、行こう! そいつらのアジトへ♪」
はぁっと、本日101回目のため息をついたお燐は嫌々お空が進み始めた方角へと向き直って。
ふと、眉間にしわを寄せた。
何か聞いてはいけない言葉を聞いてしまった気がしたから。
「ねえ、お空? まさかと思うけど、犯人知ってるのかい?」
「ん、この前人間に襲われてたから助けたことあるんだよ、鳥の妖怪と猫の妖怪。たぶんその子たちだと思うから」
「な~んだ、それなら話は早いね。さっさと無実の罪を晴らしちゃおうか」
「その油断が、慢心に変わるときこそ気をつけたまえよ……」
「何のキャラだよあんた……」
その妖怪たちの住処は、妖怪の山の近く。大きな川のすぐ近くの森にあった。もしかしたら森というよりは林と言った方がいいだろうか。まばらに生えた樹木の隙間からはいくつもの木漏れ日が溢れ、その僅かな光を得た茂みがところどころに点在していた。
それでも薄暗い世界では中々探し物は見つかりにくい。
お燐が鼻をヒクヒク動かして感じ取ろうとしても、妖怪の匂いも、人間の匂いもあまり感じない。
便りのお空は、『このあたりで会った』としか言わないし、探しようもないと思ったその瞬間。
森に似つかわしくない、高い音が響いた。
誰かの悲鳴だ。
しかも、人型の生き物の。
お燐は地を蹴り、木の幹を蹴り、声が発せられた地点へと一気に迫る。
ただ速度だけを求めて、全身の筋肉を軋ませた。
林の中だと羽が邪魔で進みにくいのか、お空が『待って!』と叫ぶが、止まらない。
少しでも速度を緩めれば、間に合わない可能性があるから。
自分たちの無実を証明するための大切な証拠の一つが、消されてしまうかもしれないから、お燐はただ進むことに集中する。
時間にすれば、数回瞬きをする程度の時間だったのかもしれない。それでも、そのわずかな時間でお燐は見つけた。
地面に押し倒され、肩を押さえつけられた。今にも食い殺されそうな人間の子供と、涎を垂らしながらかぶりつこうとする化猫と、なんの種族かわからない鳥の妖怪がいた。
それを見たお燐は躊躇うことなく、妖気を込めた弾幕を水平にばら撒く。
牽制じゃない、当たれば大怪我をするような、力を込めた弾幕を。
「よっこいしょ、ってね!」
そうしないと、止まらない。
命に危険を感じるほどの攻撃でなければ、本能のままに食事をしようとした妖怪を止められるはずがないのだから。
「くそ、横取りか!」
化猫が叫ぶ。
黒っぽい毛並みの、雄の化猫が恨みの声を上げた。
お燐の弾幕をなんとか避けながら後退しつつ、憎しみの瞳を突如現れた邪魔者に向ける。
「横取りじゃ、ないんだけどね……あたいは死体にしか興味ないし」
「死体好きな、猫? まさか火車か! 魂を地獄へ運ぶ呪われた妖怪の!」
「はぁ、酷い言われようだね、あたい」
耳をぽりぽり掻きながら、お燐はまだ倒れたままの人間の子供の前に移動し、猫の妖怪の前に立つ。まるで人間を守るようにして。
「死体が欲しいならくれてやるよ! 俺の食べ残しを! だから邪魔するな」
「いやぁ、残念だけど。今日は死体が欲しいわけじゃないんだよ。できればこの子を生きたまま人里へと連れ帰りたくてね、そうしないと今後地上に顔出しにくくてさ」
「妖怪が、人間を守る? はは、気でも狂ったか?」
「……狂ってるっぽいのは側にいつもいるけどね、別の意味で」
そのとき、地面の落ち葉がかさり、と鳴って、お燐の足に何か暖かいものが絡みついてくる。おそらく、さっき転がされていた子供に違いない。お燐が助けると宣言したせいで藁をも掴む思いでしがみ付いてきたのだ。
しかしそれは、化猫の争いでは致命的な行為。
機動力を阻害するなど、あってはならないことなのだ。
「じゃあ、その狂った火車さんには、退場してもらおうか!」
そして、そのタイミングを狙っていたかのように化猫が地を蹴った。
本気で動くために強く大地を蹴ろうとすると子供まで巻き込むことになりかねないこの状況で、大きく動いて避けるという選択肢は取れない。かと言って、全速力で突っ込んでくる化猫の攻撃を正面から受けるのも分が悪い。
ならば、一体どうするか。
「地底以外でこれやると、疲れるんだけどねぇ……」
お燐は、正面から突っ込んでくる雄に向けて、身を屈めて見せた。別に降参しているわけでも謝っているわけでもない。こうしないと、地面に手を付きにくかったから。
「さて、一名様ごあんなぁ~いってね!」
お燐がそう叫んだ瞬間。
地面に手をついた彼女を中心として、白い、薄気味の悪い色の妖精が浮かび上がった。そして生まれるが早いか、円を描きながら化猫に迫り。
1匹、2匹……合計5匹の気味の悪い妖精が取り憑いて離れなくなる。
「うわっぷ! 何だこれ!」
「お兄さんが好みなんだって♪ よかったねぇ」
「くそ、ふざけるなよ! この――」
妖精たちに押され、進むことができなくなった化猫は、逆に妖精たちに押し戻されていく。前に足を動かそうとしても、どうしてもまとわりつく妖精が邪魔で自由が利かない。苛立つ化猫は、とうとうその鋭い爪で妖精の一匹を切り裂き――
「はい、残念賞」
「なっ!? ぎゃああああああああああああ」
その一匹が、至近距離で破裂する。
そしてそれに連動するように、男にとりついていた残り4体も綺麗に弾け飛んだ。大きな爆発ではないが、妖力が込められた爆発を連続して浮ければたまったものではない。化猫は膝から地面に崩れ落ち、どさりっと大地にその身を預けた。
なんとか子供を庇いながら化猫を退けることには成功。
そう安堵したお燐の耳が、わずかな風の変化を捉える。
「くっ、もう一人っ!」
弾幕を撃った時に、身を隠した鳥の妖怪。
その羽音が、お燐の直上で響いたのだ。
上を確認する時間すら惜しみ、お燐は子供を抱えるように横に飛ぶ。
しかし、その鋭い爪から完全に逃れることなどできず……
「……これは、ちょっとヤバいかねぇ」
地面にお燐の背中に、激痛が走る。
足で体を支えることが困難なほどの激痛。
目で確認することはできないが、痛みで傷の深さは理解できた。額に脂汗を浮かべながら後ろを振り返れば、羽を畳んだ鳥の妖怪がじわじわと距離を詰めてきている。
さきほどのお燐の能力を警戒し、確実に仕留めるつもりなのだろう。
「あー、ここまでやっといてなんだけど……ここからスペルカードバトルってだめかい?」
「そんなものは持ち歩いていない。この世は食うか食われるかだ!」
「あらぁ~、古典的なお考えをお持ちでいらっしゃる……」
これは拙い。
洒落にならない。
相手がスペルカードバトルを望まないとなると、それはお互いの命が尽きるまで獲物を奪い合うということ。
もちろん、今回の獲物はお燐の腕の中にいる年端もいかない少女。
「えっと、考え直すなら、今だよ?」
「くどい! それに命乞いならもう少し上手くやることだな!」
比較的広い空間に落ちる木漏れ日は眩しいくらいで、二つの影をはっきりと地面に映していた。つまりそれは、暗闇で身を隠すことが難しいということを意味する。
いや、それだけではなく――
「ねえ、お兄さん。一応、ヒントなんだけどね?」
「五月蝿いな、まずはその喉を掻っ切ってやろうか」
「まあ、別にあたいの話は聞かなくていいんだけどさ。この林の木漏れ日って、こんな眩しかったっけ?」
「ふむ、確かに不自然ではあるが、それがどうし――」
その瞬間、鳥の妖怪は見てしまった。
何気なく視界を上に移動させた瞬間、知ってしまった。
周囲の木々の枝を焼き尽くし、林に大きな穴を作り出した存在。
地上にはありえないはずの、地獄の太陽に見初められたことを。
「ねえ、お燐? スペルカードなしでいいんだよね?」
その声と同時に光の量が一気に増し。
普段、ほとんど風が吹かない場所で、大気が流れた。
熱で動いたのだ。
頭上で作り出された橙色の巨大な光の玉。その熱量で上昇気流が発生し、空気が対流を始めたのである。自然現象にすら干渉する巨大な力を操るのは、お燐の親友であるお空。
そしてお空は力を維持したまま、感情も何も見えない能面のような顔で静かに尋ねる。
傷つけられたお燐をじっと見つめながら、ゆっくりと尋ねる。
「本気でやっちゃっていいんだよね?」
小型の太陽を頭上に掲げ、その余熱だけで林を焼き払っていく。
しかし完全に制御された熱はお燐まで届くことはなく、ただ、鳥の妖怪だけにその矛先が向けられる。
すると、鳥の妖怪は意を決したように身構えて。
「え、あ。あの、お空さん? あの! お空さんですよね! えと、この前助けていただいた私のこと覚えていらっしゃいません? いやぁ、偶然出会えるなんて幸せだなぁ! あ、もしかしてこの可愛らしい猫さんはお空さんのお知り合い? あ、そうか、そうですよね。だからそんなに怒っていらっしゃるわけでぇぇ……、あはは、あははははははは、ごめ、ごめんなさい! もうしませんから、お許しを! お空様ぁぁぁぁああああ!」
いきなり土下座した。羽を畳んで、地面に額を擦り付けるくらい必死で。
「うわぁ、あたいのときと態度違うなぁ……」
「謝ってるけどどうする、お燐? とりあえず体半分ぐらい消しとく?」
「やめときなって、楽しいご飯の時間を邪魔したのはあたいたちなんだから」
「でも、あいつはお燐を
……」
「いいから! 大丈夫だから降りておいで! 心配してくれただけであたいは満足だから。それにこんな傷もう少ししたら治るし」
「うにゅぅぅぅぅ……」
不満気な鳴き声を上げながらも、小型の人工太陽を消し、お燐の側に着地する。お空が力の解放を抑えたおかげで、林の中はまた無風の状態に戻るが、鳥の妖怪は土下座したまま頭を上げようとすらしない。
それでもお空は鳥の妖怪に視線を向けたままで、いつでも攻撃態勢が取れるように半身で構えていた。その様相からして、お燐が許可したら間違いなくあの鳥の妖怪を打ち抜くだろう。
地形すら変えかねない、割に合わない仕返しを実行するに違いない。
しかしそうなると、せっかくの地底と地上の友好関係が崩れる恐れもある。
「人間の子も無事だし、それでいいじゃないか。さっさと人里に戻るよ」
「うー、わかった……お燐がそれでいいなら」
「はい、話は終わりだ。ごめんね、お兄さん。今度活きのいい死体をいくつかもってくるから、それで勘弁しておくれ。それに猫のお兄さんも気絶してるだけだから、たぶん大丈夫だよ。じゃあ、先を急ぐからお暇するね」
そう言って、お燐は子供を抱きかかえたままお空と一緒にゆっくりと林の中を移動し、そのまま人里へと急いだ。
ゆっくり移動したせいで、監視役の人間に見つかり、入り口を固められてしまったけれどそれはそれで好都合。
おかげで手早く子供の親に連絡してもらうことができた。
「おかぁあさぁぁぁん、おとぉぉさぁぁん」
両親の姿を見つけ、泣きながら駆け出す子供の姿を見送りながら。
お燐は、お空の背中を引っ張る。
「いくよ」
「え、で、でも、この後、探偵としての大見得を切る見せ場が」
「全然探偵らしいことしてないじゃないか、それにね、あんたにはまだ早い」
「えー、早いって何がっ! あ、待ってよお燐!」
あまり人間の暖かい家族というものを見続けたら、妖怪としての存在が揺らぎかねない。人間と妖怪が違いをはっきり認識してからでなければ、存在を狂わされる。
親子という要因は、それだけ強大で、危険だ。
もしも、いつかお空が人間と正面からぶつかり合わないといけなくなったとき。
人間を攻撃することに対し割り切ることができなくなる。
「でも、まあ、いいか! 今日は二つも事件解決させちゃったしね~ふふ~ん♪」
今後、地上の人間と争うことはないのかもしれないけれど。それでも忌み嫌われた地底の妖怪というレッテルを貼られただけで、他の妖怪たちよりも危険性を多く孕むことには違いない。
だからあまり暖かい人間の生活は見せるべきじゃない。
お燐はそう判断した。
「……ま、今日の事件はあたいがほとんど解決したような気がするんだけどね」
「じょ、助手として当然の働きだよ! ワトおリンくん!」
「……減点100」
「え、ぇぇぇぇぇっ!?」
今日最大の減点に不満の声を漏らすお空を見て、楽しそうに笑い。
「あ、でも、今度はもっと凶悪な事件を解決したいかなぁ、誘拐とかでこんなに楽しいなら、もっともっと楽しいんだろうね♪」
「え……?」
笑いながら、背筋に何か冷たいものを感じた。
◇ ◇ ◇
それから、毎日お空はお燐を連れて外に出る。
事件を探してあっちこっちを飛び回り、小さなことから解決していった。
それでも平穏な幻想郷で大掛かりな事件などそうそう起きるはずもなく。お空が待ち望む凶悪事件の陰も形もない日々が連なり、時が流れていく。
このまま何も起こらず、いつかお空も飽きて忘れるだろう。
地霊殿の住人がそう思い始めた頃。
一匹のペットが何者かに襲われる事件が発生する。
手口は鈍器による撲殺、さとりから旧都へのお使いを頼まれ、その帰りに何者かに襲われた。お空とお燐は、さとりの命令を受けて犯人の手掛かりを探す。けれどゴツゴツした岩場が多い地底では少し手を伸ばしただけで凶器となる鈍器が手に入ってしまう。
お空とお燐が歩いた距離に比例して、鈍器に使えそうな石ころが爆発的に増えていく。その中から血痕のついたものを探すのは一苦労。
しかも犯人らしき匂いさえその場にないのだから。
捜査が進展することなくあっという間に行き詰まってしまい、その日の捜査が終わり。
そして翌日。
新たに二匹のペットが犠牲になった。
手口はまったく同じ。そして、やはり地霊殿の外、ごつごつした岩場で殺害されていた。
『地霊殿に恨みのある者の犯行か』
『地上からの攻撃か』。
様々な憶測が飛び交う中。
温泉を臨時休業にさせたさとりがその日から捜査に加わり、聞き込みも強化。旧都にも足を運び大勢の妖怪たちに話を聞いたというのに、手掛かりがない。
ペットを3匹も失った悲しみと、気苦労のせいだろうか。
「まさか、こいしが……」
さとりは実の妹を疑うまでに追い詰められていた。
確かに最近、さとりの妹であるこいしの姿が見えない。でも数日間いなくなることなど珍しくもなんともない。だから普段なら疑いもしないはずなのに、さとりは疑問を拭い切れない。
「馬鹿なこと言わないでくださいよ! そんなことあるわけないじゃないですか!」
「そうですよ、さとり様! お燐の言うとおりですよ!」
二人に励まされても、曖昧な返事しか返さず。
地霊殿に戻っても夕食すら口にしない。
だから、心配でお燐とお空は夜に様子を見に行った。しかし鍵がしっかりと閉められたその部屋は全てを拒んでいるように見えて、仕方なくその日は引き下がる。
しかし、そんな行動が、また新たな悲劇を生んだ。
次の日、さとりが朝食に出てこないことを不信に思ったペットの一匹が部屋をのぞきに行ったとき、大きな悲鳴が屋敷中に響き渡る。
「さ、さと、さとり様!?」
悲鳴が聞こえ、いち早く駆け付けたお燐が見たものは信じられない映像で。
「うそ、だ……、嘘だこんなの……」
何者かに胸を貫かれ、仰向けにベッドの上で息絶える。
地霊殿に住むペットたちにとって育ての親のような存在の、さとりだった。慕っていたさとりの凄惨な姿を見せ付けられたペットたちは、その場から立ち上がることすらできず、次々に廊下に座り込み。酷い者になると、その場で気絶したり、嘔吐するペットすらいた。
今まで感じたことのない脱力感に襲われながら、それでもお燐は部屋の中に進む。
地底と地上の交流のため温泉まで作って頑張っていたというのに、その結果がこれだというのだろうか。
孤独の中で、苦痛の中で最期のときを迎え、夢半ばにして散る。
こんなことが許されるのか。
「絶対に、許すもんか……」
主人の無念を晴らす。犯人だけは許さない。
お燐は部屋の中の遺留品を探り、少しでも手がかりを見つけようとする。残虐で卑劣な犯人の痕跡を探そうとする。
なのに、見つからない。
そんなものは何も残っていない、匂いすらしない。
卑劣で、無慈悲な犯人がここにいたはずなのに……
「なんで、なんでこんなのがあるのさっ!」
お燐が唯一見つけたのは、帽子だった。
見覚えのある、何度も目にしてことのある黒い帽子。
それは明らかに、あの人の、さとりの妹である『こいし』のもので……
「みんな、座ってないで! こいし様を探すんだよ! 早くっ!」
お燐の悲痛な叫びに反応して、ペットたちが動く。廊下を走り抜け、窓から外へ飛び出て。どこかにいるはずのこいしを探す。
その列に加わろうと、お燐が部屋を飛び出そうとしたとき。
「ねえ、お燐……」
お空が廊下に立っていた。
暗い顔で封筒を差し出してくる。
「中庭に、落ちてた」
灼熱地獄に通じるところに落ちていたという封筒には――
「冗談にも、ほどがあるよ。何なんだい、これはっ!」
少し乱れた字で『古明地 こいし』という名前と、『遺書』という二文字が、寂しそうに並んでいた。
『つかれた』
たったそれだけだった。
遺書に記された文面は、たった平仮名四文字だけ。書いたはずのこいしの姿はどこにもなく、死体すら見つからない。だからペットたちは口々に言う。灼熱地獄に身を投げたんだと。
でもお燐はどうしても納得いかなかった。
犯人がこいしであるなら、確かに全ての犯行は可能なのだ。あの無意識の能力を扱えるなら誰にも気づかれずに犯行は可能。
でも、それだけでは証明できないことがある。
「ねえ、お空」
だからお燐は灼熱地獄へと向かった。
自分の疑問を解決させるために、座りながら沼地を眺めていたお空の左側に腰を下ろす。
「お空はさ、犯人がこいし様だって思う?」
「どうかな、よくわかんない」
地霊殿の新しい管理者が必要になった手前、さとりと一番仲の良かったペットのお燐が引き受けることになり、葬儀と平行して引継ぎ業務をさせられたお燐には悲しむ暇さえ与えられなかった。
それでも時折空いた数分の間に、昔を思い出して書類を濡らしてしまう。
そうやって過去を引きずっているからこそ、お燐の中で疑惑は残り続けた。
「ねえ、あたい、もしかしたら変な思い違いしてるのかなって思うんだ」
「思い違い?」
「うん、だってね。匂いがしなかったんだよ、こいし様のね。一回目と二回目のペットが犠牲になったときの事件で、全然そんな匂いしなかったんだ」
「無意識の能力使ってたからじゃない?」
「それで消えるとしたら、死体も全部消えちゃうはずなんだよ。匂いだけ、しかもこいし様の匂いだけを集中して消すなんて、はっきり言って不可能なんだよ。あたいたち犬猫タイプの妖怪くらい鼻が利かないと」
「そう、なんだ」
「だからね、あのときはあたいも混乱したよ。なんで犯人の匂いがないんだろうって。なんであたいたち以外の匂いがこの場所にないんだろうってね」
「……それで、お燐は何が言いたいの?」
お燐が答えを出す前に、目の前の水面が大きく泡立つ。
静寂の中にありながらそれでいて波打つ沼地は、まるで彼女の心境そのもの。本来なら炎の如く燃え上がる熱を秘めているというのに、何故か頭のどこかが冷え切ってしまっている。
爆発してしまいそうな自分を抑えてくれる部分があるから、お燐はそこに座っていられるのかもしれない。
そうでもなければ――
「お空、本当のことを話しておくれよ……」
お燐は、お空お喉笛に牙を立てていたかもしれない。
「お燐、何のことかわからないよ?」
「……嘘を吐かないでおくれよ、お空。言っただろう? 最初の二つの事件は、あたいとお空、現地に駆けつけたあたいたちの匂いしかなかったんだ。だから、ね。あんたしか考えられないんだよ、お空……」
膝を抱き、唇を噛み締め、血反吐を吐く思いで声を絞り出す。親友を犯人として扱わなければならない苦痛に、心が砕けそうになる。
なのにお空は、平然とした顔でその推理を受け止め。
「おかしい事、言うんだね。何か悪いものでも食べちゃった?」
いつもとかわらない態度で、いつもとかわらない仕草で、平然と笑う。友達と冗談を言い合う子供の笑顔で、問い返す。
そんなお空の瞳を、お燐はまっすぐ見つめ返した。
強い意志を込めた瞳で睨み返した。
「あの子が、さとり様が死んでいるのを見つけた子が叫んだとき、まだあたいたちペットは地霊殿の中にいた。だから、我先にとそっちにいった。でもね、お空、なんであんたはあんなに遅れたんだい? それにさとり様の変わり果てた姿を見て取り乱すことすらしなかった」
「ちょっと、寝坊しただけだよ。だから何が起きたかわからなくて」
「何が起きたかわからなかったのに、寝ぼけたままだって言うのに、こいし様の遺書を持ってくる余裕があったのかい?」
「……それは」
「しかもその遺書からはね、あんたの匂いしかしなかったんだよ! 書いたはずのこいし様の匂いなんてこれっぽっちもなかった! これが何を意味するかあんたにもわかるだろう!」
「……」
「……お空、あんたがやったんだろう? 全部、あんたが!」
静寂が下りた。
最後の叫び声の余韻だけが、閉鎖的な地獄の中へと染み渡る。その悲痛な音が消えた後、お空は何も答えずに立ち上がると、お燐に背を向けてゆっくり歩き始めた。逃げるような素振りはない、慌てる様子もない。
自分の大きな羽を見せつけるように広げて、腰に手を置き、おどけるように数歩進む。その羽を追い掛けるように、お燐が立ち上がると。それを待っていたかのように振り返る。
「正解だけど、違うよ。違うんだよ、お燐」
どこもおかしくない。
穏やかなお空の表情なのに、その瞳をむけられた途端に、全身が震えた。毛穴という毛穴が全部開いてしまったと錯覚するほどの、怖気が、お燐の手足を、背中を這い回る。
「お燐はね、探偵さん役じゃないんだよ♪」
何を言っているのか、お燐にはわからなかった。
「お燐は犯人さん役だもん。だから、そんな推理しちゃダ~メ」
「……何を、いってるんだい……あんた」
無邪気に両手の人差し指でバツを作るお空が、一体何を考えているのか。
それを理解しようとすること自体を、理性が拒否した。
「だってさ、お燐って私と一緒にずっと行動してきたじゃない。それならね、お燐だって十分偽装とか犯行とかできちゃうよね。だって、さとり様の部屋に一番最初に入ったのって、お燐だったはずだし? それ以外でも先頭にたって動いてたのって全部お燐だもん♪」
恋人と語らう顔とでも言うのだろうか。
言葉さえ聞かなければそう錯覚してしまう表情で、お空はお燐を見つめる。何かを期待する顔で、じっとお燐を見つめる。
「地霊殿、壊滅。その事件の裏側で蠢く、ペットの憎悪。それを止めようと動く親友であったが、その狂った行動を止められない。次々と倒れていく仲間を目の前に、たった一人で立ち向かう私。謎に満ちたこの事件の解いた名探偵、しかも悲劇のヒロインって、燃えるよね♪」
「あんた、そこまで……」
「あれ? どうしたの、お燐? 何で泣いてるの? あ、嬉しいんだ! そうだよね、犯人役って探偵さんの次に憧れる立場だもんね。うふふ、感謝してよ、お燐……、お燐はね、私と一緒に、名前を残すんだよ。幻想郷の極悪人って立場でね」
探偵として活躍する楽しさが、皆から感謝される嬉しさが、お空をじわりじわりと蝕んでいた。
何かを解決する快楽をもっと得たい。
それを得るためには大きな事件が必要。
でも、幻想郷にはそんな大きな事件がそうそう転がっているわけではなく。事件が異変にまで発展すると巫女が解決してしまう。
でも、もっと、もっと楽しみたい。
この快楽を感じていたい。
その欲求が、お空を一気に狂わせた。
「ミイラ取りが、ミイラになった……か」
「ちゃんと、お燐の遺書も準備してあるからね。安心していいよ♪」
「お空、あんたがそれでいいなら、あたいはもう何も言わないよ。でもね、これだけは覚えておきな」
いつのまにか、瞳から溢れ出ていた涙を服で拭い。
お燐はお空の右手を掴み、自分の胸へと押し当てる。
制御棒を取り付けていない、柔らかい手を自分の心臓の位置に押し付ける。
「これが、あんたが求めた『事件』の結末だよ」
そして、返答を待たず。
自分の妖力でお空の手を強化したお燐は、その淡く輝く指先を自分の胸に押し込んだ。
「え?」
生暖かい、感触。
計画とは少し違うけれど、その右手は同じ結末を取った。
なのに、お空は満たされない。
結果は望んだものと同じはずなのに、何か違う。
違う――
こんなの、違う――
「ああああああああああああああああああっ!」
お燐が、ずるりっと、その手離れ、倒れると同時に。
お空の体から、とてつもない熱量の火球が生み出され。
地底は崩れ去り、闇に閉ざされた。
◇ ◇ ◇
「―――――――!」
そして、その闇を砕いたのも。
彼女の声だった。
声として表現していいかわからないほどの、狂気染みた叫び声だった。
「お燐、お燐っ!」
親友の名前を呼びながら転がるようにベッドから落ち、起き上がることすら忘れて部屋の出口から廊下へと、飛び出る。
靴も履かず、乱れた服も直さず。
ただ、廊下を走る。
瞼の裏に覗く姿を少しでも早く、両の瞳に収めようとがむしゃらに廊下を走る。
「おりん、おりぃぃぃん!」
勢い余って体を壁にぶつけても、羽を擦っても止まらない。
ただひたすらに目的の場所へとひた走り。
やっと、辿り着いた。
あの赤茶色のドアを開ければお燐がいるはず。
ドアに圧し掛かり、ノブを荒々しく回し。
頭から滑り込む姿で部屋へと入った。
きっとこんな入り方をしたら。
『なにやってるんだい、馬鹿』
とか。
『もうっちょっと静かにしてよぉ』
とか。
眠そうだったり、不機嫌そうだったり。
そんな声を向けてくれるはずなのに、いくら待ってもその声がない。
暗い部屋の中に、寝息すら聞こえない。
「う、嘘だ……そんなことない、いるよ……きっと、お燐はいる。隠れてるだけなんだ、きっと。あんな変な夢見たからそう思っちゃうだけだよ。だってほら、ベッドの中にいるじゃ――っ!?」
いない。どこにもいない。
暗闇に目が慣れても、その姿は見えない。
それどころか、お燐の部屋はまるで誰かに襲われたようにボロボロだった。内装は剥がれおち、本来ベッドがあった場所には、汚らしい箱が一つ置かれているだけ。服を入れていたはずの衣装ダンスも、小物置場も、綺麗に無くなってしまっていた。
まるで、その部屋には最初から誰も――
「うぁ、うぁぁぁぁああああ、さとり様っ! さとりさまぁぁっ!」
――どこか、散歩しているだけかもしれない。
そんな気休めなど掻き消すほどの部屋の様相に、お空は逃げ出した。
泣きながら、来た道を戻りこの屋敷の主の部屋を目指して駆ける。
感情が揺れてしまっているためか、上手く手足を動かすことができずに何度も転んでしまうが、弱音なんて言っていられなかった。
――あれは、正夢なんじゃないか
事件がもっと起こればいいなんて、そんなことを思った自分への罰なんじゃないか。
そう心に思ってしまったら、もう、感情の波は止められない。
嗚咽を隠すことなく、裸足で床を蹴って、また転んで。
それでもさとりの部屋へと急ぐ。
不安に駆り立てられる心を静めるために、馬鹿な創造を止めるために、必死で走る。
「さとりさま…… おりんが、おりんがぁ……」
擦り傷を作りながら、やっとのことで、さとりの部屋のドアまでやってきたお空は。
恐怖に怯えながらドアノブに手を掛ける。
でも、じっとしている事なんてできるはずもなく。
お空はそのドアを開いた。
「さとりさ――っ!?」
しかし、さとりは居なかった。
どこを探しても、部屋の所有者である彼女の姿が見えない。
「う、ぅぅぅぅぅっ!」
お空は、とうとう耐え切れずに大声で泣き出し。
飛び付いた。
「え、なっ!? 何っ! 何事っ!?」
さとりの部屋の中。
そのベッドの上で鼻歌を鳴らして髪を梳いていた、無防備なお燐に。
◇ ◇ ◇
「……しっかし、さとり様も性格悪いねぇ。相談した私も私だけどさ」
「ん? なんか言った?」
「な~んにも、明日の朝ご飯はなんだろうって思ってね」
お空が、『事件が起きたら嬉しい』と言い出したその日の夕方。
核の力を得た時のことを思い出したお燐は、そのことをさとりに相談した。するとさとりは、こくりっと頷いて。
「わかったわ。ちゃんと躾ておくことにしましょう」
と、一言。
その躾というのがどういうものかわからなかったものの、さとりが動いてくれることに安心したお燐が部屋に戻ろうとしたら。
部屋には改修中、のプレートが掛けられていた。
いきなり何事かとドアをじーっと観察していたら隙間にわざとらしく紙が挟められていて、『しばらく私の部屋を使いなさい。さとりより』というメモ書きが記されていた。
そのときは単なる工事程度にしか思わなかったのだが。
「トラウマを思い浮かばせるタイプの能力を夢に応用するなんて。どんな嫌がらせ種族だよまったく……」
「あ、やっぱりなんか言ってる!」
「言ってない。怖い夢見たお空の空耳じゃないの?」
「あ、ああああああっ! まだそういうこと言うんだ! 酷いね! お燐最低だね!」
「そういう台詞を言いたかったら、自分のベッドに戻ってからにしておくれよ」
「……やだ。今日は一緒に寝る」
その『夢』の効果は抜群で、最初部屋に飛び込んできたお空は
『事件なんていらない、みんながいればいい!』
と、何度も繰り返して泣き叫び続けた。
個人的には、『事件』が起きたら、必ず誰かが不幸になるから、それが起きたことを喜んじゃいけない。その程度のことを教えて欲しかったのに、必要以上に怖がらせてしまったようで。
「絶対今日はお燐と一緒に寝る! 絶対寝る!」
と言い出すほど。
それでも、お空が変なことを覚えなくてよかったと思う気持ちと、やりすぎだよという二つの気持ちに挟まれ、少々複雑な心境のまま布団を共にすることになってしまった。
しかもお空は羽が邪魔になるせいで横向きにしか寝ることができず、必然的にずっとお燐の方に顔を向けることになるというわけだ。
正直、寝にくい。
なのにそのお燐の内心など無視して、お空は泣きつかれてあっさり眠ってしまうわけで。
「……お燐、どこにもいかないでね」
さらには、寝言でなんか顔が真っ赤になるようなことを言い出す始末。
お燐は天井をまっすぐ見つめながら、なんとかお空を見ないように努力しつつ。
「……徹夜だ、これ」
深い、今日一日で一番深いため息をついた。
翌日、早朝――
「ひゃっほー! おっり~~んっ! 地上行こう! 地上!」
「……お呼びになったお燐は、睡魔に襲われているか、そもそも起きる気がないので出かけられません。にゃーん。という奇妙な鳴き声の後に用件だけ言い残してさっさと部屋から出やがりなさい。にゃぁぁ~~~ん!」
「地上行こう! 地上! 世界が私たちの救いを待ってるんだよ!」
「ああもぉぉ~、今度はなんなのぉ」
「世界はね、私のような魔砲少女を求めているんだよ!」
スパァンっ!
「痛い! でも、負けない!」
「少しは懲りて、お願いだから懲りてぇ……」
「ふふん? そうだ、お燐はやっぱり自分が活躍できないから不満なんだね! 大丈夫だよお燐、主人公は二人だから!」
「……大丈夫の意味がわからない、理解したくない」
「ちゃんとお燐の衣装もあるから安心してネ♪」
「だから言い直さなくてもっ……えっと、お空さん? まさかその格好というのが」
「うん、さとり様が準備してくれたの♪ もうすぐ、お燐の着替えを持ってきてくれるはずだから♪」
がしっ
「逃げちゃ、駄目だよ?」
「え、あ、いや、あのお空? 離して、離してお空ぅぅぅ~~~~~!!」
そして、今日も働き者の猫さんは。
烏と一緒に旅立つのであった。
闇の深い路地を走り抜ける一つの人影。
荒い息使いを整えようともせず、何度も後ろを振り返るのは中肉中背の男。
大人がやっと一人通れる裏路地を無理に駆け抜ける中で、肩を擦り、肘をぶつけ、水溜りを踏みつける。
足を進めるたびに汚れ、傷ついていく衣服を意に介さず、後ろを気にして走り続けていた男だったが。
ちょうど十回目。
視線を背後の闇に向けた直後、その速度を緩める。すると先ほどまでうるさいほど反響していた足音は、段々と小さくなり、ついには消え失せた。
自分の心音と呼吸音だけが残る狭い路地裏で、額に浮かんだ汗を腕で拭い取る。目を擦り何度暗がりを確認しても、闇が揺らぐ気配はなく。
新しく耳に入って来たのは、遠くでごみ箱を漁るカラスと野良犬の鳴き声だけ。
そこで初めて、男は口元を緩める。
逃げ切って見せたぞ、ざまぁみろ、と。
そうやって愚鈍な警察を嘲笑う。
さあ、後は何をしようか。
凶器の処分か、それとも、衣服の新調か。
どちらにしろ、そうそう難しくはないはずだ。街を離れればまだ昔ながらの家が立ち並ぶ場所がある。そこは清潔とは程遠い環境だが、悪びれもなく家の前に洗濯物が干されているし、包丁だってボロボロの物しかないような世界だ。
そんな場所で、この赤い包丁を投げ捨ててやれば、勝手に証拠を消してくれる。衣服だって赤黒く汚れているだけで、そうそう悪くはない品質だ。交換を申し出れば喜んで受けてくれれるだろう。
貧富の差を生んだ社会というやつが、勝手に自分を救ってくれる。
法律というルールに縛られている世界と、法律というルールを必要としない世界。その狭間を行き来する彼は、規則正しい猟犬が知らない匂いを放ち。いとも簡単にその存在を消してみせる。
だから今日も、増えただけ。
光と闇の世界を往復する回数が一つ増えただけ。
そして、これからもずっと増え続けるに違いない。
何故なら――
「誰もあなたを捕まえられないって思ったりしてる?」
「――っ!?」
声がした。
確かに、人の声だ。
録音機が発する掠れた音じゃない、
はっきりと口の湿り気すら感じさせる、生の声。
しかし彼が驚いたのはそんなことではない。路地裏での逃走劇など何度も経験済みであるし、相手との距離や方向も、反響に惑わされず聞き取ることができる。
だからそのときも瞬時に判断できた。その声が一体どこから聞こえてくるのか。
方角も、位置も、距離も――すべてが完璧だった。
だが、完璧であるが故に彼は混乱する。
何度思考を繰り返しても、何度音の名残を辿っても、行き着く真実はたった一つ。
「少しやりすぎたね、お兄さん」
その声は、彼の足元から聞こえてくるということ。
もちろんそこには人間の大きな影もなく。
録音機のような機械すらない。
ただそこにあるのは、たった一匹の。
リボンを付けた、奇妙なカラスだけ。
「な、何者だ、何なんだお前はっ!」
悪い夢としか思えない真実に行き着いた彼は、混乱する思考回路を整理することもできず。ただ、カラスと距離を取ることしかできない。
蹴り飛ばしてやることもできるはずなのに、彼はそれを選ばない。
いや、選べなかった。
その選択肢を一瞬にして奪われてしまったから。
「うふふ、私? 私はね……」
カラスが宝石のような瞳を閉じ、嘴を擦り合わせて含み笑いを零した瞬間。
男が両手で押さえつけられる程度の大きさしかなかったカラスが、赤い光を放ちながら膨張し。
美しい黒髪をなびかせる、女性の姿をとったから。
「私の名前は『れいうじ うつほ』探偵さ――」
◇ ◇ ◇
「って、感じでいけると思うのよ! 私!」
「あー、うん凄いねぇ、凄過ぎるねぇ、うん、だからちょっと寝かせてねぇ~」
「だからほら、お燐~っ! 地上行こうよ~っ!」
「うん、わかった、わかった。ほら、あそこの時計の一番短い針がぐるっと二周くらいしたら一緒に行ってあげるからさ」
「え~、駄目だよ! すぐ行かないと事件が腐っちゃうよ」
「そんなナマモノチックな事件なんてこっちからお断りだよ。死体の匂いなら良いけど」
というわけで、お燐は困っていた。
なんというか、うんざりしていた。
自室のベッドの上で寝転がり、昼食後の幸福感をベッドの上で味わいたいというのに、お燐の『あそびにいこー』攻撃に晒される始末。
ほとんど眠らなくて良い妖怪に分類されるお燐にとっては、睡眠は体を休めるというより幸福感を味わう娯楽と表現した方が適しており、時折見る夢のようなものも楽しみの一つだ。
しかし、その大切な時間が最近親友に奪われ始めているのが悩みの種。
「もぉ~、事件なんてそんな簡単におきないんだぁってば! あの絵本みたいなのは特別!」
「でも、ほらほら、毎日出歩いてたら事件に巻き込まれちゃったりするかもしれないじゃない!」
「なんでそんな自信満々なんだろうねぇ……」
「それは、ほら、私が名探偵になる……名探偵になる……シソ?」
「……素質」
「そう、それ! そしゅちゅがあるからだよ! 名探偵になれる素質があるってことは、ほら事件を呼び寄せてしまう、みたいな感じ!」
どうしてこんな偏った知識ばかりは即記憶するのだろうか。
普通ならここで何を馬鹿なことを、と、簡単に否定できるのだが。
しかし、お燐は思うのだ。
確かにそれはある意味正しい、と。
自由という広い空の下に解き放たれたお空を置いておくと、それ自体が事件なのだから。事件を呼び込むのではなく、事件を作る才能に関しては、こいしに続いて地底ツートップ間違いなしである。
「それで? さっきのお話みたいに犯人を追い詰めて事件解決するのかい?」
「そうだよ、もちろんだよ」
布団の上によじ登って、ばんばんっと。制御棒を取り外した右手を布団に叩きつけ、早く行こうのアピール。
もうここまで乗せてしまうと絶対に引かない性格をしているので、お燐は仕方なく丸めていた体を動かし、ベッドの上で猫独特の腰を上げた伸びを繰り返す。
「で、地上のどこに事件を探しにいくのさ」
「あ、ほら、やっぱりアレだよ。事件が起こりそうな、人間が集まる場所だよ」
「あー、はいはい、わかった。あそこか、あそこかな?」
お燐は二つほど頭の中に場所を思い描き、軽くベッドから飛び降りると、ストレートに下ろしてあった髪の毛を手早く三つ編みに纏めると、さとりに対し置手紙だけを残して地上へ向かったのだった。
『地上で何か事件が起きたら、全力で庇って下さい』
お空の活躍を予想した、とても心のこもった置手紙を。
◇ ◇ ◇
さて、何故こうもお空が探偵に拘るかと言えば、理由は簡単。
推理物の漫画にはまったからである。
旧都のバザーで見つけてしまったのが始まりで、どんどんのめり込んでいき。最近では古本の露店を一日中回るほど。
その結果が――
「……お空?」
「ん、なんだい、ワトおリンくん」
「その呼び方が気に食わないから減点1」
「えーっ!?」
時折口走る意味不明な言葉。
お燐が推測するには、どうやらその漫画の中に出てくる言葉のようであるのだが、いきなり呼び名を変えられても困る話である。
しかも推理漫画を読み漁って、ある程度の知識をつけたと見越し、それを生かして案内を頼んだ。しかし、お空が人の多い場所としてお燐を先導したのは『ここ』だった、確かに多いには多い場所ではあるが。
「場所が不適切だから、さらに減点2」
「え、えぇっ! 1から2引かないとだから1しか残らないよ」
「あたいは残った事実に驚きだよ」
とりあえず減点方式は合わないことが判明したことは、二人にとって一歩前進といっていいだろう。
しかし、場所の悪さから言うと一歩前進どころでは足りない気がしてならない。
「たぶん、多いとは思うんだけどね、あたいの怨念探知機にびんびん引っかかるし」
「でしょ! 多いと思ったんだ~♪」
「生きてないけどね。白骨死体とか怨霊とか土の中にあるだろうね、うん」
お燐が案内されたのは、綺麗なお花畑。
しかもおもいっきり毒性の強い場所だった。
地上に死体を探しにいったとき、この花畑に一度目をつけたことのあるお燐の感は確かにここに死体があることを告げている。昔、いらなくなった子供たちを無名のまま捨てる場所だから、『無名の丘』と呼ばれたという逸話も、お燐の情報として蓄えられている。
だから畑の中の白骨死体をでも掘り出して、骨から過去に会った事件を考察してみようということはできるかもしれないが、まったく気が乗らない。
お涙頂戴が嫌というわけではない。
畑に生えている鈴蘭という植物を傷つけたくないわけでもない。
ただ、確実に言える事が一つだけあり。
「あら、そのカラスは花畑全面立ち入り禁止にしたいと思うのだけれど?」
「あれ? ゆうか、その子知ってるの?」
今、そんなことをすると、命の危険指数が非常に高いということ。
ここの住人である、メディスン・メランコリーという妖怪なら人間にしか敵対心を燃やしていないからまだ救いはある。
しかしもう一方は危ないとかそういう単純な言葉では終わらない。
お花畑に笑顔が映える、そんな素敵なお姉さんに出会うなど計算外もいいところ。
「えーっと、なんで傘のお姉さんがここに?」
「メディスンから鈴蘭の花が咲いたって連絡があったから見学に来ただけよ。一種類の花が咲き誇る風景というのは嫌いじゃないから。でもそんな綺麗な風景にみすぼらしい黒猫とカラスは必要ないわよね?」
「いやぁ、あたいもあんまり長居する気はないんだよ。ちょっと死体を捜しに散歩しにきただけだからね! ねぇ、お空!」
下手なことを言われる前に釘を刺して、すぐにこの場を出て行こう。そう考えたお燐は、お空の服を引っ張りながら、引きつった笑みを浮かべた。
そんな意図を感じ取ったのか、うんうんっと頷く彼女はお燐に釣られるように笑みを作り。
「だから地面の死体を掘り起こそうと思ってたんだよね♪」
「お、おくぅぅぅ……」
お燐は泣いた。
尻尾をだらんっと垂らし、脱力しながら泣いた。
死体を探しにきたという部分だけを強調するお空の感受性に泣いた。
「……スーさんを傷つけるの?」
「へえ、私の目の前で花の根を掘り起こそうと?」
「い、いや、そうじゃないよ、あたいたちはあくまでも穏便に」
「……穏便、穏便」
なんとかその場を取り繕うとするお燐の後ろで、顎に手を当てたお空が瞳を閉じて何かを考え始め、おもむろにお燐を押しのけて前に出た。
そして挑発するように、制御棒を二人に翳し薄ら笑いを浮かべる。
「ふふふ、こちらも穏便に済ませたいのですがね、そちらがそういう態度で出ると言うのなら、もう少し強い手段を使わざるを得なくなる。お分かりかな?」
「あんたがお分かりになれ馬鹿ぁっ!」
すぱぁんっと、小気味良い音がお空の側頭部から響いた。
胸元から生み出されたスリッパが閃き、お空のこめかみを打ったのである、しかし大して痛みを感じているように見えないお空は、『うにゅ?』と小さく唸って顔をお燐に向けてくるだけ。
しかし、お空のなんでもない気配とは対照的に。
怒りのオーラを放ち始めた二人から引き離すようにお空を引きずる。
ずりずりと、一生懸命引っぱって、背の高いお空の頭を耳元に引き込んだ。
「なにしてんのぉぉっ!」
「え、だって、ほら、穏便って言葉が出てきたじゃない?」
「うん、出てきたね」
「その言葉を使ったかっこいいシーンっていうのが漫画にあったんだよ。思い出したらちょっとやってみたくなっちゃって♪」
「やってみたくなる前に、お願いだから一度その後のことを考えておくれよぉ」
「えっと、その後は確か。凶器を取り出した犯人が闇雲に探偵って人に向かっていって」
「そっちじゃないよぉ……」
「うにゅ?」
どうやらお空は楽しんでいるだけのようだ。
漫画で読んだ話を真似して遊んでいるだけ。
しかしすでに冗談が通じる展開にはほど遠くて……
背中から感じる物凄い殺気を感じるお燐は、項垂れるくらいしかできず。
「あ、でもやっぱりあの二人は怪しいよ、ああやって必死に私をあそこに入れようとしないってことは、何か隠してるんだよ」
「あのね、お空。あんたが花畑を荒らすかもしれないからあの二人は警戒しているだけで」
「そうか、つまりあの二人が犯人だと決定付ける証拠が!」
すぱぁんっ、と再びお燐の右腕が流れるように動き『地霊の湯専用スリッパ』をお空の後頭部に叩き込む。
「……今のちょっと痛い」
「わからないこと言ってないで、別の場所にいくよ。このままだと命がいくつあっても足りないからね」
「はぁ~い」
なんだかんだ言いながらお空の面倒を見てしまう。
そんな自分の性格に深いため息を零しながら、お燐は二人に頭を下げて逃げるように空へ飛び上がる。
それに続くようにしてお空もぺこりと頭を下げて続く。しかしどこか納得できない様子で首を傾げていた。
「お燐、飛んじゃっていいのかな?」
「えっ?」
何かを直感で察したお空がそうつぶやく。
慌ててお燐は地上のほうを振り返るが、幽香は特に動いているようには見えない。ただ日傘を少し傾けて、お燐たちの方へと先を向けただけだった。
そう、微笑みながら、妖力を高めた状態で、先端を向ける。
不用意に、草木の生きる地面から足を離し、空中に飛び上がった目標に対して。
微笑みながら最高のお礼を届けようと、力を集中させ。
「え、ま、待っておくれよっ! 本当にそんなつもりじゃっ!」
理解したお燐がなんとか静止を呼びかける。
しかし、微笑も、力の流れも消えず、お燐の訴えを掻き消すように圧倒的な力は青空に放たれた。迫り来る極太の力の奔流に対し、お燐は体を縮めることしかできない。
痛みを覚悟して強張らせた体。
しかし、それがとんっと押される。
「よっこいしょ、と」
物凄い熱量が迫っている。そんな追い詰められた場面だというのに、お空はお燐を退かし、自然な仕草で制御棒を下に構えた。
平然とその光景を見つめる瞳には、恐怖の色すらなく。
「ばぁん♪」
子供が輪ゴムで遊ぶ光景を連想させるくらい、無邪気に笑い。その力を解き放った。体をすべて飲み込もうとするほどの力の流れに対してお空が撃ったのは、一抱え程度の光弾。
誰が見ても力不足に見える弾を一つだけ。
だが――
お空の真下でぶつかり合うその力は、お互いの力を削り合い。
あっさりと掻き消えた。
派手な爆発を残すでもなく、ただ光弾とぶつかり合って、文字通り霧散した。
「ねね、お燐! お燐! すごいよあの人! 久しぶりにスペルカードなしで力使っちゃったよ!」
「……えっと、まあ、一応助けてくれてありがとうなんだけどさ。あんまり『素の力』を地上で使わないでね。さとり様にも言われてると思うけど、絶対にスペルカードを媒体にするようにっ」
「はぁ~~いっ!」
「じゃあ、いくよっ」
そうやって新しい場所を目指す地底の二人組。
「手加減してあげたんだ、優しいね」
「……まあね」
その二つの影を少々納得のいかない顔で見上げていた幽香は気を取り直し、花畑の中で飛び回るメディスンを追い掛けた。
◇ ◇ ◇
霧の覆う神秘的な湖、そこから少し離れた場所に屋敷はあった。
誰が立てたかもいつ立てたかもわからない。
ただ一つ言えることは、そこに入った客人の全てが数奇な運命を辿るという事。まるで運命を狂わされ、自ら望むよう人生の階段を踏み外す。
血塗られた、紅の屋敷。
「うわ、ほらほら、なんかすっごい不思議系の推理ものっぽい! 偶然足を運んだ探偵の一家が屋敷の中で起こった過去の事件を紐解いたりするんだよ」
「うん、いいんだけどね。それはそれでいいんだけどね、お空。ちょっと気になったんだけどさ」
「え、何?」
「地底から出るとき、人間の多いところに行くって言ってなかったっけ?」
「……ん、……うん?」
「減点3」
「え、えええええええっ!?」
確かに、さっきの場所と比較すれば人間の数は確実に増えたといっていい。
「え、えと、ほら、人間いるじゃない、私たちみたいなペットの人間」
ただ0から1になっただけで人間の多いところには該当しない。
しかし、そんな遊び心の評価を取り戻そうと、お空はなんとか思考を巡らせていた。そんな場面で、お燐は重大な問題に直面する。
「ペットじゃないよ、一応メイドって言うんだよ、それにね、あんまり館とかの悪口みたいなこと言わないほうがいいと思うんだけどねぇ」
「なんで?」
「さっきからね、あたいの首筋にすっごく冷たい感触があるんだよ。無言で圧力を加えてくるんだよ、たぶんこれナイフなんじゃないかなって思うんだけど、どうだいお空?」
「あー、すごいよっ! お燐大正解! 探偵のシソ――素質があるよ!」
「……うん、できれば助けて欲しいなぁって意味だったんだけど」
門を通って館の中に入り、『探検』という名目で廊下を並んで進んでいたら、お燐の首筋に金属の冷たい感触がいきなり発生した。
そして左腕を簡単に極められてしまい、身動きすら取れない。
「……とりあえず不法侵入の理由を教えてくれたら解放してあげてもいいわよ?」
「あ、なるほどね! きっとそこでお燐が『私のことはいいから逃げてっ!』とか――」
「減点5」
「えぇぇ~っ! そんなに一杯引かれたら2点しか残らないよ」
「だからどうして残るのさ、もう助けなくていいから大人しくしてておくれよ」
今までの経緯を理解してもらえるかどうかが不安であったが、お燐はぼそぼそと、最近にお空に置き始めた変化を後ろのメイド長に語ったのだった。
◇ ◇ ◇
「ねえ、咲夜。私の気のせいかしら?」
「何がです?」
「私、あのカラス苦手だって言わなかった? 八咫烏って太陽と似てるから相手にしたくないって」
「はい、お聞きしました」
「そうね、確かに言ったわよね」
謁見の間、屋敷でありながら王様が客人と出会うための部屋をモチーフにしたその部屋の中央奥。そこに設置された玉座に深く座るレミリアは真紅の瞳をゆっくりと開けた。
しかし、その後何度もパチパチと瞬きをして眼前に広がる光景を確認してから。
再度ゆっくりと目を瞑って、ふぅっとため息。
そして眉をピクピクと揺らしながら、もう一度ゆっくり瞳を開いてその二つの姿を確認する。
火車の猫と、地獄烏を。
「わかってるなら何で連れて来るのよ、嫌だって言ったじゃない!」
「嫌がるお嬢様の姿が見たか――いえ、やはり主たるもの苦手を克服してこそではないかと」
「本音でたよね? 今、あっさりと」
「ああ、お嬢様、恐怖から幻聴をお聞きになったのですね、お可愛そうに。どうぞ、心を落ち着けるために紅茶を」
「ありがとう、咲夜。いろいろ気になるところはあるのだけれど、なんで紅茶の上に緑色のつぶつぶが浮かんでいるの?」
「先日、人里で初物が取れたということでしたので、隠し味としてブレンドしてみました。ブロッコリーを」
「……もういい、わかったから」
紅茶の表面に浮かぶ普通なら紅茶に含まれない成分に恐怖を感じながら、レミリアは待たされている二人へと呼びかけた。少しでも危険物から意識を外すために。
「あー、なんだって。そのカラスが事件を探しているって?」
「そう、私の名前は『れいうじうつほ』探偵さっ!」
「ポーズ取らなくていいからね、お空」
お燐の側で自信に満ちた笑みを作り、制御棒を高く掲げてからそれをびしっとレミリアの方に向ける。その瞬間、向けられた方がおもしろいくらいビクッと震えた。
種族的な観点ならば天敵と表現してもいい相手が、いきなり攻撃姿勢に似た体勢を取ったのだから仕方ない。
しかし表面では冷静な態度を維持しながら、羽をピクピク震わせつつ、こほんっと咳払い。
「咲夜、探偵という職務について何かない? 生憎私にはそういった部類の知識は不足していてね。魔物を狩るハンターの職務であるなら記憶にあるのだけれど」
「人の依頼に対しそれを解決する役割を持つ者で主に捜索や推理が得意な部類の人間かと思われます」
「捜索か。ところで、あなたもそういったものを読むの?」
「はい読書は教養を増やすことにも繋がりますので」
従者の言葉に納得し、納得して瞳を閉じながら紅茶を口に運び、即座に眉をしかめる。
どうやらあの緑のツブツブのことをすっかり忘れていたらしい。お空やお燐から黙視できないように、手で口元を隠しながら咲夜と何か交渉をしているが。
咲夜は笑顔のまま首を横に振り。
「お飲みください」
そういわれた瞬間、何故か捨てられた子犬のような心細い顔をした。
それでも咲夜は何も言わない。それを指摘するのが可愛そうになるほど、脂汗を流して紅茶を凝視していても冷静に椅子に座る主を見下ろしている。これが悪意あるものとして取れるならレミリアは容赦なく中身を床にぶちまけるはず。しかし紅茶に緑黄色野菜を足すという斬新な発想は冗談でも悪意でもなく『いつも血液ばかり摂取するお嬢様の健康のため』という咲夜なり優しさであり、忠義心でもある。
だからロシアンルーレットならぬ、いつものロシアン紅茶なら躊躇なく飲んできたレミリアであったが、今回はどうしても口をつけられずにいた。水面に浮かぶ緑色のつぶが食欲をあっさりと奪い取るからである。
しかし客人の前でいつまでも放心してはいられない。二人の視線に気づいたレミリアはなんとか場を取り繕うために大袈裟に足を組み替えた。
「こほんっ! さっき咲夜が発言したとおりならば、あなたたちは探し物が得意なのよね? ならばお願いしたいことがあるのだけれど」
「探し物だね、まっかせてよ!」
「その自信はどこからくるのか聞きたいところだけど」
「食う寝るところに住むところからだよ!」
「絶対あんた探偵向いてない気がしてきた」
偏り過ぎているお空の知識。
それを垣間見たお燐は表情を暗くして頭を押さえるが、親友は相変わらずノリノリで羽をばさばさ動かしている。
瞳を輝かせて、ばっちこーいっ! と言わんばかりに右腕を上げて振り回していた。もちろん、制御棒がついたままで。
「本当に得意なんだよ、もう。完璧なんだよ」
「じゃあ、その完璧過ぎる手腕の内容を教えておくれよ」
「ふっふっふ、お燐、驚きすぎて尻尾抜けちゃっても知らないからね」
不敵な笑みを浮かべて腕を組み、騒々しかった空気を投げ捨てる。そうやって静かに佇む様は身長の高さと能力の威圧感からして、中々のものだ。
下手をすれば咲夜よりも大人びた空気を纏っているかもしれない。
「では、お嬢さん、探し物の特徴を教えていただきましょうか」
いつものお空とはかけはなれた低い声音で話し掛けているところを見ると、おそらく何かを真似ているのだろう。言うまでもなく漫画に出てくる男役の探偵か何かを。それでも、
このまま何もおかしなことを口走らなければ、であるが……
「特徴なんてありすぎて困るわね、えっとまずは――」
まさか普通の質問のやり取りでしかないこの状況で波乱なんて起きるはずもない。
お空がいくらはしゃいでいるからといって、そうそう面倒ごとを起こされては、お燐の体がも持たな――
「あ、忘れてた。それと、探し物の融点を教えていただけるかな?」
「は?」
一気に雲行きが怪しくなってきた。
さっきまで朗らかだった空気が、お空の一言であっという間に静まり返る。そんな不可思議な気配の中で、お燐はため息をつきながら瞳を閉じ、自分の胸元をごそごそと探り始めた。
「融点、物が解けちゃう温度だよ、ドロドロってね」
「それは理解しているとも、問題は何故それが捜索に関係しているかということだよ」
「あれ? わかんないかな、ほら、私が探し物のある部屋かどこかにまず入るでしょ」
「そこから探し始めるんでしょう?」
「でもごちゃごちゃしてたりしたら探すの大変だからね、もし探し物が融点の高いものだったらね。良い方法があるんだよ」
「温度をセンサー代わりにでもするというの?」
「そんな難しいことじゃないよ♪ 融点以下の温度の熱で周りを消し炭にしちゃえば――」
そう言いかけた瞬間。
スパァンっ、とお空の後頭部に電光石火のスリッパが振り下ろされた。あまりの速度にスリッパに縫い付けられた温泉マークが剥がれてしまうほどに。
さとりの経営する温泉持参の暗器を振りぬいたお燐は、やりきった顔で再び胸元にそれを納めるが。
「んー、なんでそういうことするかな」
後頭部に不意打ちを受けた当の本人は対してダメージを受けた様子もなく、すりすりと攻撃された当たりを撫でていた。
「あんたねぇ、なんで探し物意外が犠牲になるような手段を取るのさ!」
「大切なモノを取り戻すにはそれなりの犠牲が必要なんだよ!」
「あ~、また変な台詞覚えて、この子はもう…… 駄目に決まってるじゃないか!」
「えぇ~? ある意味凄く綺麗になるよ?」
「消し炭だらけの荒野を普通綺麗とは言わないんだよ……」
「紅魔館を焼け野原にするような計画を私の前でしないで欲しいのだけれど?」
紅茶を口につけようとして、再び視界の隅に追いやろうとするレミリアが投槍な言葉を吐く。斜め後ろからメイド長による視線のプレッシャーを受けつつも、館の主らしい威厳を保とうと翼を大きく広げて見せるも、蝙蝠に似たその羽の先が小刻みに震えていた。なんだか健気で可愛らしい印象しか受けないと正直に言うと、とばっちりを受けそうなのでお燐は口を真一文字に結び目を逸らす。
「それにね、私が探して欲しいのはモノなんかじゃない。とても大切な存在なのよ」
しかし、レミリアの口から信じられないほどか弱い声が漏れて、思わず視界を元に戻してしまっていた。
「大切な存在っていうと、やっぱり家族か何かかねぇ……」
「そのとおりです。レミリアお嬢様魔の妹様、探していただきたいのはフランドールお嬢様ですわ」
俯いて、黙り込んでしまったレミリアの変わりに後ろに控えていた咲夜が口を開いた。それでもレミリアからの静止の声はでない。
冷え切った紅茶のカップを両手で掴んだまま、何の反応も示さない。
「昨日の夜、元気に遊んでいらしたのですが」
レミリアの沈んだ表情と、咲夜の言葉。
それを冷静に分析するなら、何かが館の中で起こっていると判断もできる。しかし昨日の夜という話なら、すでに半日以上時間が経過しているというわけだ。
大切な家族とも呼べる存在に何も痕跡を残さずに姿を消したと仮定するならこれは。
「お燐、もしかして気付いてないかもしれないから伝えておくね」
そしてお空は真剣な顔でお燐の両肩を掴み、沈痛な面持ちで左右に首を振る。
「たぶん、これ事件だよ……」
「おもいっきり理解してるよ、はっきり言って館に入ったときから事件だよ。むしろ昼寝を妨害されてからずっと事件続きだよ」
「そんな単純なことじゃないんだよ、お燐!!」
「何で怒られたんだろう、あたい……」
そんなおかしなやり取りを繰り返していると。
さきほどからほとんど話す素振りを見せなかった一人の女性が声を上げる。
「それでは、私から当時の詳しい説明をさせていただきます」
主であるレミリアよりもわずかに前に出た咲夜は、一度瞳を伏せるとあまり抑揚のない声で事実を語り始めた。
「昨晩、お嬢様と妹様が夕食を召し上がってからのことです。珍しく妹様がお嬢様の部屋にいらっしゃいまして遊びたいとおっしゃられました。普段なら妖精メイドと弾幕ごっこをするのが日課なのですが、その日はそれだけで満足できなかったのでしょう」
普段と違う行動というキーワードに、話に聞き入っていたお空の眼が細くなる。
そこに何かあると踏んだのだろう。
「お嬢様が快くその提案を受けると、妹様は続けておっしゃいました。嬉しそうに笑いながら『少しだけ待ってて』と。それだけ言い残して、部屋を出て行ったのです。なのでお嬢様は退屈しのぎに数を数えながら待ちました。けれど、100まで数えたというのに妹様からはなんの音沙汰もなかったのです。ゆっくり数えていたはずなので、時間的には二分程度かと思われますが」
「そのときメイドさんはその部屋の中にいたの?」
「ええ、身の回りのお世話をしておりました」
お空は咲夜のアリバイを探ったつもりなのかもしれないが、はっきり言ってそれは無謀というもの。何せ彼女は時間を止められるので、もし事件の鍵を握っていたとしても時間軸という観点を容易にすり抜けられる。
そんなことを考えていたお燐の脳裏に、ふと、ある言葉が浮かんできた。
「お嬢様はその後、屋敷中を走り回りました。私が助力を申し出ても、私が見つけないと意味がないと逆にお叱りを受けるほどで、真剣に妹様を探していらっしゃいました。けれどどこにも妹様の愛らしい姿はありません。まさかと思い門番の美鈴に声を掛けて見ても、『誰も出て行ってませんが、え、えええええっ!? い。妹様が行方不明っ!?』と、悲鳴を上げるほど驚いただけ。図書館で話を聞いても、落ち着いた様子のパチュリー様が『さあ? 私は読書してたから見てない』と、おっしゃるばかりで、手掛かりはなかったそうです」
フランドールと比較的接点の多い美鈴の大袈裟な反応と、パチュリーの平静な態度。性格がはっきりと分かれる返答ではあるが、何かが引っかかる。
お空と思わず視線を合わせたお燐は、『どう思う?』と視線で訴えるが、お空は首を傾げるばかり。探偵の素質はどこに行ってしまったのだろうか。
「それで結局、半日が経過した今でも行方が知れないというわけでして……」
「ねぇ、お姉さん。その子の力っていうのは相当危険だったりするのかい?」
「そちらのお連れの能力と同程度と考えていただければ」
「……大問題だね」
「ねえ、お燐もしかして私、悪口言われてる?」
「いやいや、お空は凄いってことだよ」
「え、ホントに! わーい、誉められた~~っ!」
「あー、なんだろうねこの罪悪感は……」
推理そっちのけで飛び跳ね始めたお空の姿に、お燐は頭を抱える。これだけ無邪気で危なっかしいお空と似た危険性を持つ能力者が行方不明になったのら、と、お燐は推測する。
妹の姿を求めて必死に探すレミリアのケースのは別として、美鈴が驚愕したのは当然。能力者にも外部の人間や妖怪にも危険が及ぶ可能性があるからだ。
それなのに、である。
「図書館のパチュリーって言う人は特に変化がなかったんだよね?」
「ええ、そこにいたパチュリー様の従者も特に」
「……ふ~ん」
館の住人の二人が、動揺を見せていない。
それが違和感となってお燐の思考にこびり付く。相反する反応をする館の住人たちを比較する中で、もう一人。冷静な対処を続けている人物に気が付いた。
その人物は、レミリアの側で事件の始まりを眺め続けていたはずで、屋敷のことも主より詳しく知っている可能性のある者。
十六夜 咲夜。
主が望まないから手を出さないと言うが、いくら冷静なメイドだとしても目の前に姿を見せた主の妹が唐突に居なくなれば多少感じることがあるのではないだろうか。それでも落ち込むレミリアの横で何の変化も見せずにいられるのは、何故か。
「失踪事件か、もしかして、誘拐事件だったり?」
お空はすでに大きな事件として考えているようではあるが、お燐はどうしてもそう考えられない。咲夜の冷静な口調を聞いていると、まるで居なくなって当たり前のように聞こえてくるのだから。
しかし、そんなケースなどあるはずがない。
待っていてと頼まれ、数を数えて、探しに行く。
多少不自然なところはあるが――
――おや?
「誘拐されたとしたら、もしかして今頃縄でぐるぐるになってたりするのかな? それとももう、利用価値はないとか犯人が言って……」
物騒なことを言いながら推理を続けていくお空の頭の中では、すでに身代金の要求すら飛び越えそうである。
しかし、この事件はそんなに難しいものではない。
むしろ事件ですらない。
「おくぅ~、おいでおいで」
「え、どうしたの?」
手招きしてお空の頭を下げさせたお燐は、彼女の中に浮かび上がった真実を順を追って告げていく。すると最初はコクコクと耳打ちされる言葉に頷いていた首の動きが、突然ぴたりっと止まった。
目を丸くして一度頭を離すと、もう一回、と指を一本立てて再びお燐の口元に頭を持っていく。
それを、後2回ほど繰り返し――
「何か、わかったのかしら?」
二人の様子が変わったことを感じ取ったレミリアが、顔を上げたとき。
そこにはすでに、自信に満ち溢れるお空の姿があった。
前髪をふぁさ、と掻き上げて制御棒のついていない左腕をびしっとレミリアに向けたかと思うと、また低い声を発し、芝居がかった笑みを作り出す。
「その前にレミリアさん、あなたは、私に嘘をついていますね?」
「……なんのことかしら? 私はただあなたにフランの捜索を依頼しているだけよ。それに何なのその口調は」
「いや、嘘、というのは適切ではありませんでした。では、こう言わせていただきましょう。真実を隠して、私たちにある行動をとらせようとしている。違いますかな?」
「な、何を証拠に言っているのかしら? これ以上侮辱するようならこちらも然るべき行動を取るわ」
「止めましょう、安い挑発は……」
そう言って、左手を軽く握るようにして口元へと持っていく。
何事かとお燐がその様子を眺めていると、その格好のまま大きく呼吸を二~三回繰り返し、最後に大きく息を吐き出しながら左腕を斜め上に掲げる。
たぶん、漫画に出てきた『タバコ』ってヤツを吸ってるつもりなのだろう。そんなごっこ遊びのような仕草だというのに、身長の高さとすらりと伸びた手足のおかげで格好良く見えるのだから悔しい。しかも低い声と仕草が絶妙だし。
「あなたの妹は失踪したわけでも、誘拐されたわけでもない。すべてはそこのメイド長が語ったことの中にありました」
「さ、咲夜の話のどこにおかしいところがあったというの!」
「遊び、ですよ。レミリアさん」
「なっ!?」
がたっ、と大げさに椅子を揺らして立ち上がる。
明らかに狼狽するレミリアを冷静に見詰めつつ、お空は推理を続ける。
お燐から聞いた内容を丸暗記したものを、堂々と、我が物顔で声にする。
「そうです、フランドールさんはあなたに遊んで欲しかった。それがすべての答えなんですよ。遊び、待つ、数を数える。これで私はピーンと来ましたよ。一体なんの遊びをフランドールさんとしていたか。そしてなぜそれが、行方不明事件と関係するのか。冷静に考えれば簡単な事実しか見てきません。もう一度言いましょう。これは事件などではない!」
声を溜め、瞳に強い意志を宿し。
お空は制御棒をまっすぐレミリアに突きつける。
「『かくれんぼ』なんですよ! レミリアさん!」
「く、わ、私の……負けだわ……」
がくり、と膝を突き。
そのまま四つん這いになってしまう。そして左右に首を振りながら、一度大きく羽を振り動かす。
いつ頃から勝負になったのかとか、なぜその程度でそんなにショックを受ける必要があるのか。突っ込みたいところは多々あったのだが、それを指摘すると面倒なことになりそうだったので、お燐は無言で部屋の隅に移動する。
「あの子が、フランがいけないのよ! 私が見つけられないところに隠れるから!」
「そう、あなたは昨日の夜からずっとフランドールさんを探していた。そこのメイド長の助力も断るほど一生懸命探したことに恥じることはない。しかし、もう一歩及ばなかったんですよ。必死になるがあまり、身近な不信点を見逃してしまっていた」
「不信点……ですって?」
「考えても見てください。フランドールさんの性格上、あなたが探しに来るのを長時間待つことができるとお思いですか? 一人で、どこかの暗がりの中で」
「あっ!」
フランドールの性格はそうそう大人しいものではない。
それを思い出したレミリアは、歩み寄ってきたお空を見上げて短い声を上げた。多少の時間ならまだしも半日も何も変化のない空間で孤立していられるはずがない。
「でも、身を隠せるところで退屈を紛らわせることができるところなんて」
「あるでしょう、一ヶ所。様々な内容ものを見ることができる場所が、退屈を紛らわせるために会話すらできる場所が、館の中でフランドールさんがいなくなったと知っても、まったく驚かなかった場所があるでしょう?」
「っ! 図書館だわ! パチェめ……やってくれる。それにフランもフランよ、どうしてもっと見つけやすい場所に隠れないのよ! これじゃあ、私だけ除け者みたいじゃないか!」
腰を地面に付けた状態で、右手を何度も床に叩き付ける。
悔しさで、表情を歪ませながら、想いを何もいわない床に吐き出し続ける。それは自分の不甲斐なさによるものか、友人に裏切られたと感じてしまった寂しさによるものか、それとも、フランドールに対する不満によるものか。
それは本人にしかわからないが、お空は無意識に手を伸ばす。
振り上げた腕を掴んで、それは違う、と静かに告げる。
「かくれんぼというのは、見つかるか見つからないかのドキドキが楽しんですよ。そのドキドキを一杯味わいたくて、フランドールさんはパチュリーさんにお願いしたのでしょう。『お姉様が着ても教えないように』とね。あなたと遊んでいると実感できる時間を少しでも増やしたかった。違いますかね?」
「そんなこと、フランじゃないとわからないよ!」
「じゃあ、会いに行ってあげてください。きっとあなたが来るのを首を長くして待っているはずです。私や、お燐に調べさせるのではなく。あなた自身で、迎えに行ってあげてください!」
「探偵さん……ありがとうっ!」
涙を流し、感涙を流し続けるレミリアと、それを抱きしめるお空。
そんな、なんだか熱い空気が漂う部屋の一点とは別な場所。
部屋の隅にピクニック用のマットを敷き、その上でくつろぐ別の二人の姿があって。
「えーっと、帰っていいかねぇ?」
「核物質はお持ち帰りください」
そのとき、振り回されっぱなしのお燐のため息の回数がちょうど3桁に突入したのだった。
◇ ◇ ◇
「ねえ、お空? あんた人里で問題起こした?」
「へ? なんで?」
紅魔館を出て、口調も元に戻ったお空と一緒に訪れたのは、当初の本命『人里』だった。そのときは素直にお燐ポイントを加点してあげたわけだが、なんだか入ったときからおかしな視線に襲われるのである。
どっちが見られているのかを探るために、お燐はわざとお空から離れてみれば、おもしろいくらいに視線がすべてお空へと向く。
「身に覚えはないってことなのかい?」
「うん、この前お饅頭買いにきただけだし」
だとしたら、変だ。
この注目度はまともじゃない。
そう、実におかしい。
「目的地が寺子屋っていうのも不自然なんだけどね……」
「え、何いってるんだよ、お燐! 凶悪事件と言ったら、子供が巻き込まれるって相場が決まってるんだよ! だから寺子屋に向かう、常識だね」
「あのね……お空。人里で凶悪事件とか子供を巻き込むとかそういう話だけはやめておくれ、なんか背中から凄い殺気を感じるんだよ……」
「あっはっは~、お燐は怖がりだなぁ♪」
「怖がりとかじゃなくてぇ……」
先ほどから感じる視線の強さが明らかに増した。
わかりやすく言えば、『なんだこいつら』という認識から『人類の敵』にレベルアップした感覚だ。
それでも元気良く制御棒を振って歩くお空は、我感ぜずという態度のまま通りの角をくるりっと曲がって、寺子屋への道を一直線。それに遅れないようにお燐も続いて。
「あいたっ」
いきなりお空が止まったので、鼻を背中にぶつけてしまう。
瞳に涙を溜めながら前に回り込んで、文句の一つくらい言ってやろうとお空の顔を見たら、ぼーっと先を眺めていた。
釣られるようにそちらを振り向けば。
『人攫いの妖怪出没により、休日とします。特徴はこちら』
流麗な文字が描かれた張り紙が、寺子屋の入り口にあった。
まだ十歩以上先にあるのでそれ以上の文字を読み取ることはできないが、何かよくないことが起きていることは確かだ。
お燐はお空を軽く追い抜き、その張り紙をよく見れば。
『こちら』
という文字の後に、妖怪の特徴が記されていた。お燐がそれを読んでいると、追いついたお空がお燐の頭の上に顎を乗せて小さい体に覆い被さる。
「えーっと、いわく、こどもをさらったようかいはぁ~、おおきなはねがとくちょうで、そのなかまには、ねこのようなようかいが、いた? へぇ、人里に入って攫うなんて勝負師だね!」
「ねえ、お燐……」
「なに?」
「何か気がつかないかい?」
「え、そりゃあわかるよ! 今度こそ誘拐事件ってことでしょ! 名探偵うつほの前にはやっぱり事件がおきるって証明だね!」
「あのね、そうやってあんまりはしゃがないほうが良いと思うんだよねぇ、あたい」
「え、なんで?」
「なんでもいいから、1、2、3で飛び上がるよ。いいかい? いちにのっさん!」
「う、うわぁっ!」
お燐が強引に玄関の軒下からお空を引っ張って空へと舞い上がると、それにわずかに遅れる形でお燐立ち退いた場所にお札が襲い掛かった。いきなり何もない空間から現れたわけじゃない。お空が気が付いていなかっただけ。
50人は軽く超えそうな人だかりが一斉に札を放ったその中心は、地面を埋め尽くすほど様々な紙が張り付いていた。
「うわ、すっごい、人が一杯いるね」
「あ~、間一髪だよ本当に! もう少し遅かったら退治されてたじゃないのさ」
「あ、そっか、あの特徴って私たちにも当てはまるんだね!」
「今ごろ気づいたのかい、あんた……じゃあ本当に囲まれてることもわからなかったとか」
「……ん、……うん?」
「もういい、わかったから……じゃあ、もう帰ろうか。人里にはもう入れないし」
当初の目的、人里で事件を見つけることには成功したが、事件解決までの聞き込みや情報収集が不可能に近い。そんななかで探偵ごっこも続けられるはずもない。そう判断したお燐は、進行方向を変えて地底へと帰ろうとするが。
その腕を何故かお空に掴まれた。
「……えと、何のつもりかな、お空?」
「いいよ、いいよこれ! この『しちゅーえちょん』はアレだよ。探偵が誰かの罠に嵌められて犯人に仕立て上げられるんだけど、逆に一人で真犯人を捕まえるってやつ!」
「ええぇぇぇっ! 無理、無駄、無謀だって! あたいたち犯人の情報あの紙の部分しか知らないんだよ! 今日誘拐があったことと、あたいたちと似た特徴を持ってるってことしか!」
「そこはアレだよ、名探偵の推理力で!」
「さっきはあたいの推理丸暗記した癖に」
「ち、違うよ! あれは、お燐に花を持たせてあげようかなぁって思っただけであれくらいなら昨日からわかってたよ!」
「軽く時空を飛び越えないようにね」
しかし、こうなってしまうとお空は聞かない。
遊びたい盛りの子供と同じで、目的に向かって進まないと気がすまないのである。
「まあ、付き合うくらいならいいけどさ……一刻だけだよ?」
「はぁ~い! じゃあ、行こう! そいつらのアジトへ♪」
はぁっと、本日101回目のため息をついたお燐は嫌々お空が進み始めた方角へと向き直って。
ふと、眉間にしわを寄せた。
何か聞いてはいけない言葉を聞いてしまった気がしたから。
「ねえ、お空? まさかと思うけど、犯人知ってるのかい?」
「ん、この前人間に襲われてたから助けたことあるんだよ、鳥の妖怪と猫の妖怪。たぶんその子たちだと思うから」
「な~んだ、それなら話は早いね。さっさと無実の罪を晴らしちゃおうか」
「その油断が、慢心に変わるときこそ気をつけたまえよ……」
「何のキャラだよあんた……」
その妖怪たちの住処は、妖怪の山の近く。大きな川のすぐ近くの森にあった。もしかしたら森というよりは林と言った方がいいだろうか。まばらに生えた樹木の隙間からはいくつもの木漏れ日が溢れ、その僅かな光を得た茂みがところどころに点在していた。
それでも薄暗い世界では中々探し物は見つかりにくい。
お燐が鼻をヒクヒク動かして感じ取ろうとしても、妖怪の匂いも、人間の匂いもあまり感じない。
便りのお空は、『このあたりで会った』としか言わないし、探しようもないと思ったその瞬間。
森に似つかわしくない、高い音が響いた。
誰かの悲鳴だ。
しかも、人型の生き物の。
お燐は地を蹴り、木の幹を蹴り、声が発せられた地点へと一気に迫る。
ただ速度だけを求めて、全身の筋肉を軋ませた。
林の中だと羽が邪魔で進みにくいのか、お空が『待って!』と叫ぶが、止まらない。
少しでも速度を緩めれば、間に合わない可能性があるから。
自分たちの無実を証明するための大切な証拠の一つが、消されてしまうかもしれないから、お燐はただ進むことに集中する。
時間にすれば、数回瞬きをする程度の時間だったのかもしれない。それでも、そのわずかな時間でお燐は見つけた。
地面に押し倒され、肩を押さえつけられた。今にも食い殺されそうな人間の子供と、涎を垂らしながらかぶりつこうとする化猫と、なんの種族かわからない鳥の妖怪がいた。
それを見たお燐は躊躇うことなく、妖気を込めた弾幕を水平にばら撒く。
牽制じゃない、当たれば大怪我をするような、力を込めた弾幕を。
「よっこいしょ、ってね!」
そうしないと、止まらない。
命に危険を感じるほどの攻撃でなければ、本能のままに食事をしようとした妖怪を止められるはずがないのだから。
「くそ、横取りか!」
化猫が叫ぶ。
黒っぽい毛並みの、雄の化猫が恨みの声を上げた。
お燐の弾幕をなんとか避けながら後退しつつ、憎しみの瞳を突如現れた邪魔者に向ける。
「横取りじゃ、ないんだけどね……あたいは死体にしか興味ないし」
「死体好きな、猫? まさか火車か! 魂を地獄へ運ぶ呪われた妖怪の!」
「はぁ、酷い言われようだね、あたい」
耳をぽりぽり掻きながら、お燐はまだ倒れたままの人間の子供の前に移動し、猫の妖怪の前に立つ。まるで人間を守るようにして。
「死体が欲しいならくれてやるよ! 俺の食べ残しを! だから邪魔するな」
「いやぁ、残念だけど。今日は死体が欲しいわけじゃないんだよ。できればこの子を生きたまま人里へと連れ帰りたくてね、そうしないと今後地上に顔出しにくくてさ」
「妖怪が、人間を守る? はは、気でも狂ったか?」
「……狂ってるっぽいのは側にいつもいるけどね、別の意味で」
そのとき、地面の落ち葉がかさり、と鳴って、お燐の足に何か暖かいものが絡みついてくる。おそらく、さっき転がされていた子供に違いない。お燐が助けると宣言したせいで藁をも掴む思いでしがみ付いてきたのだ。
しかしそれは、化猫の争いでは致命的な行為。
機動力を阻害するなど、あってはならないことなのだ。
「じゃあ、その狂った火車さんには、退場してもらおうか!」
そして、そのタイミングを狙っていたかのように化猫が地を蹴った。
本気で動くために強く大地を蹴ろうとすると子供まで巻き込むことになりかねないこの状況で、大きく動いて避けるという選択肢は取れない。かと言って、全速力で突っ込んでくる化猫の攻撃を正面から受けるのも分が悪い。
ならば、一体どうするか。
「地底以外でこれやると、疲れるんだけどねぇ……」
お燐は、正面から突っ込んでくる雄に向けて、身を屈めて見せた。別に降参しているわけでも謝っているわけでもない。こうしないと、地面に手を付きにくかったから。
「さて、一名様ごあんなぁ~いってね!」
お燐がそう叫んだ瞬間。
地面に手をついた彼女を中心として、白い、薄気味の悪い色の妖精が浮かび上がった。そして生まれるが早いか、円を描きながら化猫に迫り。
1匹、2匹……合計5匹の気味の悪い妖精が取り憑いて離れなくなる。
「うわっぷ! 何だこれ!」
「お兄さんが好みなんだって♪ よかったねぇ」
「くそ、ふざけるなよ! この――」
妖精たちに押され、進むことができなくなった化猫は、逆に妖精たちに押し戻されていく。前に足を動かそうとしても、どうしてもまとわりつく妖精が邪魔で自由が利かない。苛立つ化猫は、とうとうその鋭い爪で妖精の一匹を切り裂き――
「はい、残念賞」
「なっ!? ぎゃああああああああああああ」
その一匹が、至近距離で破裂する。
そしてそれに連動するように、男にとりついていた残り4体も綺麗に弾け飛んだ。大きな爆発ではないが、妖力が込められた爆発を連続して浮ければたまったものではない。化猫は膝から地面に崩れ落ち、どさりっと大地にその身を預けた。
なんとか子供を庇いながら化猫を退けることには成功。
そう安堵したお燐の耳が、わずかな風の変化を捉える。
「くっ、もう一人っ!」
弾幕を撃った時に、身を隠した鳥の妖怪。
その羽音が、お燐の直上で響いたのだ。
上を確認する時間すら惜しみ、お燐は子供を抱えるように横に飛ぶ。
しかし、その鋭い爪から完全に逃れることなどできず……
「……これは、ちょっとヤバいかねぇ」
地面にお燐の背中に、激痛が走る。
足で体を支えることが困難なほどの激痛。
目で確認することはできないが、痛みで傷の深さは理解できた。額に脂汗を浮かべながら後ろを振り返れば、羽を畳んだ鳥の妖怪がじわじわと距離を詰めてきている。
さきほどのお燐の能力を警戒し、確実に仕留めるつもりなのだろう。
「あー、ここまでやっといてなんだけど……ここからスペルカードバトルってだめかい?」
「そんなものは持ち歩いていない。この世は食うか食われるかだ!」
「あらぁ~、古典的なお考えをお持ちでいらっしゃる……」
これは拙い。
洒落にならない。
相手がスペルカードバトルを望まないとなると、それはお互いの命が尽きるまで獲物を奪い合うということ。
もちろん、今回の獲物はお燐の腕の中にいる年端もいかない少女。
「えっと、考え直すなら、今だよ?」
「くどい! それに命乞いならもう少し上手くやることだな!」
比較的広い空間に落ちる木漏れ日は眩しいくらいで、二つの影をはっきりと地面に映していた。つまりそれは、暗闇で身を隠すことが難しいということを意味する。
いや、それだけではなく――
「ねえ、お兄さん。一応、ヒントなんだけどね?」
「五月蝿いな、まずはその喉を掻っ切ってやろうか」
「まあ、別にあたいの話は聞かなくていいんだけどさ。この林の木漏れ日って、こんな眩しかったっけ?」
「ふむ、確かに不自然ではあるが、それがどうし――」
その瞬間、鳥の妖怪は見てしまった。
何気なく視界を上に移動させた瞬間、知ってしまった。
周囲の木々の枝を焼き尽くし、林に大きな穴を作り出した存在。
地上にはありえないはずの、地獄の太陽に見初められたことを。
「ねえ、お燐? スペルカードなしでいいんだよね?」
その声と同時に光の量が一気に増し。
普段、ほとんど風が吹かない場所で、大気が流れた。
熱で動いたのだ。
頭上で作り出された橙色の巨大な光の玉。その熱量で上昇気流が発生し、空気が対流を始めたのである。自然現象にすら干渉する巨大な力を操るのは、お燐の親友であるお空。
そしてお空は力を維持したまま、感情も何も見えない能面のような顔で静かに尋ねる。
傷つけられたお燐をじっと見つめながら、ゆっくりと尋ねる。
「本気でやっちゃっていいんだよね?」
小型の太陽を頭上に掲げ、その余熱だけで林を焼き払っていく。
しかし完全に制御された熱はお燐まで届くことはなく、ただ、鳥の妖怪だけにその矛先が向けられる。
すると、鳥の妖怪は意を決したように身構えて。
「え、あ。あの、お空さん? あの! お空さんですよね! えと、この前助けていただいた私のこと覚えていらっしゃいません? いやぁ、偶然出会えるなんて幸せだなぁ! あ、もしかしてこの可愛らしい猫さんはお空さんのお知り合い? あ、そうか、そうですよね。だからそんなに怒っていらっしゃるわけでぇぇ……、あはは、あははははははは、ごめ、ごめんなさい! もうしませんから、お許しを! お空様ぁぁぁぁああああ!」
いきなり土下座した。羽を畳んで、地面に額を擦り付けるくらい必死で。
「うわぁ、あたいのときと態度違うなぁ……」
「謝ってるけどどうする、お燐? とりあえず体半分ぐらい消しとく?」
「やめときなって、楽しいご飯の時間を邪魔したのはあたいたちなんだから」
「でも、あいつはお燐を
……」
「いいから! 大丈夫だから降りておいで! 心配してくれただけであたいは満足だから。それにこんな傷もう少ししたら治るし」
「うにゅぅぅぅぅ……」
不満気な鳴き声を上げながらも、小型の人工太陽を消し、お燐の側に着地する。お空が力の解放を抑えたおかげで、林の中はまた無風の状態に戻るが、鳥の妖怪は土下座したまま頭を上げようとすらしない。
それでもお空は鳥の妖怪に視線を向けたままで、いつでも攻撃態勢が取れるように半身で構えていた。その様相からして、お燐が許可したら間違いなくあの鳥の妖怪を打ち抜くだろう。
地形すら変えかねない、割に合わない仕返しを実行するに違いない。
しかしそうなると、せっかくの地底と地上の友好関係が崩れる恐れもある。
「人間の子も無事だし、それでいいじゃないか。さっさと人里に戻るよ」
「うー、わかった……お燐がそれでいいなら」
「はい、話は終わりだ。ごめんね、お兄さん。今度活きのいい死体をいくつかもってくるから、それで勘弁しておくれ。それに猫のお兄さんも気絶してるだけだから、たぶん大丈夫だよ。じゃあ、先を急ぐからお暇するね」
そう言って、お燐は子供を抱きかかえたままお空と一緒にゆっくりと林の中を移動し、そのまま人里へと急いだ。
ゆっくり移動したせいで、監視役の人間に見つかり、入り口を固められてしまったけれどそれはそれで好都合。
おかげで手早く子供の親に連絡してもらうことができた。
「おかぁあさぁぁぁん、おとぉぉさぁぁん」
両親の姿を見つけ、泣きながら駆け出す子供の姿を見送りながら。
お燐は、お空の背中を引っ張る。
「いくよ」
「え、で、でも、この後、探偵としての大見得を切る見せ場が」
「全然探偵らしいことしてないじゃないか、それにね、あんたにはまだ早い」
「えー、早いって何がっ! あ、待ってよお燐!」
あまり人間の暖かい家族というものを見続けたら、妖怪としての存在が揺らぎかねない。人間と妖怪が違いをはっきり認識してからでなければ、存在を狂わされる。
親子という要因は、それだけ強大で、危険だ。
もしも、いつかお空が人間と正面からぶつかり合わないといけなくなったとき。
人間を攻撃することに対し割り切ることができなくなる。
「でも、まあ、いいか! 今日は二つも事件解決させちゃったしね~ふふ~ん♪」
今後、地上の人間と争うことはないのかもしれないけれど。それでも忌み嫌われた地底の妖怪というレッテルを貼られただけで、他の妖怪たちよりも危険性を多く孕むことには違いない。
だからあまり暖かい人間の生活は見せるべきじゃない。
お燐はそう判断した。
「……ま、今日の事件はあたいがほとんど解決したような気がするんだけどね」
「じょ、助手として当然の働きだよ! ワトおリンくん!」
「……減点100」
「え、ぇぇぇぇぇっ!?」
今日最大の減点に不満の声を漏らすお空を見て、楽しそうに笑い。
「あ、でも、今度はもっと凶悪な事件を解決したいかなぁ、誘拐とかでこんなに楽しいなら、もっともっと楽しいんだろうね♪」
「え……?」
笑いながら、背筋に何か冷たいものを感じた。
◇ ◇ ◇
それから、毎日お空はお燐を連れて外に出る。
事件を探してあっちこっちを飛び回り、小さなことから解決していった。
それでも平穏な幻想郷で大掛かりな事件などそうそう起きるはずもなく。お空が待ち望む凶悪事件の陰も形もない日々が連なり、時が流れていく。
このまま何も起こらず、いつかお空も飽きて忘れるだろう。
地霊殿の住人がそう思い始めた頃。
一匹のペットが何者かに襲われる事件が発生する。
手口は鈍器による撲殺、さとりから旧都へのお使いを頼まれ、その帰りに何者かに襲われた。お空とお燐は、さとりの命令を受けて犯人の手掛かりを探す。けれどゴツゴツした岩場が多い地底では少し手を伸ばしただけで凶器となる鈍器が手に入ってしまう。
お空とお燐が歩いた距離に比例して、鈍器に使えそうな石ころが爆発的に増えていく。その中から血痕のついたものを探すのは一苦労。
しかも犯人らしき匂いさえその場にないのだから。
捜査が進展することなくあっという間に行き詰まってしまい、その日の捜査が終わり。
そして翌日。
新たに二匹のペットが犠牲になった。
手口はまったく同じ。そして、やはり地霊殿の外、ごつごつした岩場で殺害されていた。
『地霊殿に恨みのある者の犯行か』
『地上からの攻撃か』。
様々な憶測が飛び交う中。
温泉を臨時休業にさせたさとりがその日から捜査に加わり、聞き込みも強化。旧都にも足を運び大勢の妖怪たちに話を聞いたというのに、手掛かりがない。
ペットを3匹も失った悲しみと、気苦労のせいだろうか。
「まさか、こいしが……」
さとりは実の妹を疑うまでに追い詰められていた。
確かに最近、さとりの妹であるこいしの姿が見えない。でも数日間いなくなることなど珍しくもなんともない。だから普段なら疑いもしないはずなのに、さとりは疑問を拭い切れない。
「馬鹿なこと言わないでくださいよ! そんなことあるわけないじゃないですか!」
「そうですよ、さとり様! お燐の言うとおりですよ!」
二人に励まされても、曖昧な返事しか返さず。
地霊殿に戻っても夕食すら口にしない。
だから、心配でお燐とお空は夜に様子を見に行った。しかし鍵がしっかりと閉められたその部屋は全てを拒んでいるように見えて、仕方なくその日は引き下がる。
しかし、そんな行動が、また新たな悲劇を生んだ。
次の日、さとりが朝食に出てこないことを不信に思ったペットの一匹が部屋をのぞきに行ったとき、大きな悲鳴が屋敷中に響き渡る。
「さ、さと、さとり様!?」
悲鳴が聞こえ、いち早く駆け付けたお燐が見たものは信じられない映像で。
「うそ、だ……、嘘だこんなの……」
何者かに胸を貫かれ、仰向けにベッドの上で息絶える。
地霊殿に住むペットたちにとって育ての親のような存在の、さとりだった。慕っていたさとりの凄惨な姿を見せ付けられたペットたちは、その場から立ち上がることすらできず、次々に廊下に座り込み。酷い者になると、その場で気絶したり、嘔吐するペットすらいた。
今まで感じたことのない脱力感に襲われながら、それでもお燐は部屋の中に進む。
地底と地上の交流のため温泉まで作って頑張っていたというのに、その結果がこれだというのだろうか。
孤独の中で、苦痛の中で最期のときを迎え、夢半ばにして散る。
こんなことが許されるのか。
「絶対に、許すもんか……」
主人の無念を晴らす。犯人だけは許さない。
お燐は部屋の中の遺留品を探り、少しでも手がかりを見つけようとする。残虐で卑劣な犯人の痕跡を探そうとする。
なのに、見つからない。
そんなものは何も残っていない、匂いすらしない。
卑劣で、無慈悲な犯人がここにいたはずなのに……
「なんで、なんでこんなのがあるのさっ!」
お燐が唯一見つけたのは、帽子だった。
見覚えのある、何度も目にしてことのある黒い帽子。
それは明らかに、あの人の、さとりの妹である『こいし』のもので……
「みんな、座ってないで! こいし様を探すんだよ! 早くっ!」
お燐の悲痛な叫びに反応して、ペットたちが動く。廊下を走り抜け、窓から外へ飛び出て。どこかにいるはずのこいしを探す。
その列に加わろうと、お燐が部屋を飛び出そうとしたとき。
「ねえ、お燐……」
お空が廊下に立っていた。
暗い顔で封筒を差し出してくる。
「中庭に、落ちてた」
灼熱地獄に通じるところに落ちていたという封筒には――
「冗談にも、ほどがあるよ。何なんだい、これはっ!」
少し乱れた字で『古明地 こいし』という名前と、『遺書』という二文字が、寂しそうに並んでいた。
『つかれた』
たったそれだけだった。
遺書に記された文面は、たった平仮名四文字だけ。書いたはずのこいしの姿はどこにもなく、死体すら見つからない。だからペットたちは口々に言う。灼熱地獄に身を投げたんだと。
でもお燐はどうしても納得いかなかった。
犯人がこいしであるなら、確かに全ての犯行は可能なのだ。あの無意識の能力を扱えるなら誰にも気づかれずに犯行は可能。
でも、それだけでは証明できないことがある。
「ねえ、お空」
だからお燐は灼熱地獄へと向かった。
自分の疑問を解決させるために、座りながら沼地を眺めていたお空の左側に腰を下ろす。
「お空はさ、犯人がこいし様だって思う?」
「どうかな、よくわかんない」
地霊殿の新しい管理者が必要になった手前、さとりと一番仲の良かったペットのお燐が引き受けることになり、葬儀と平行して引継ぎ業務をさせられたお燐には悲しむ暇さえ与えられなかった。
それでも時折空いた数分の間に、昔を思い出して書類を濡らしてしまう。
そうやって過去を引きずっているからこそ、お燐の中で疑惑は残り続けた。
「ねえ、あたい、もしかしたら変な思い違いしてるのかなって思うんだ」
「思い違い?」
「うん、だってね。匂いがしなかったんだよ、こいし様のね。一回目と二回目のペットが犠牲になったときの事件で、全然そんな匂いしなかったんだ」
「無意識の能力使ってたからじゃない?」
「それで消えるとしたら、死体も全部消えちゃうはずなんだよ。匂いだけ、しかもこいし様の匂いだけを集中して消すなんて、はっきり言って不可能なんだよ。あたいたち犬猫タイプの妖怪くらい鼻が利かないと」
「そう、なんだ」
「だからね、あのときはあたいも混乱したよ。なんで犯人の匂いがないんだろうって。なんであたいたち以外の匂いがこの場所にないんだろうってね」
「……それで、お燐は何が言いたいの?」
お燐が答えを出す前に、目の前の水面が大きく泡立つ。
静寂の中にありながらそれでいて波打つ沼地は、まるで彼女の心境そのもの。本来なら炎の如く燃え上がる熱を秘めているというのに、何故か頭のどこかが冷え切ってしまっている。
爆発してしまいそうな自分を抑えてくれる部分があるから、お燐はそこに座っていられるのかもしれない。
そうでもなければ――
「お空、本当のことを話しておくれよ……」
お燐は、お空お喉笛に牙を立てていたかもしれない。
「お燐、何のことかわからないよ?」
「……嘘を吐かないでおくれよ、お空。言っただろう? 最初の二つの事件は、あたいとお空、現地に駆けつけたあたいたちの匂いしかなかったんだ。だから、ね。あんたしか考えられないんだよ、お空……」
膝を抱き、唇を噛み締め、血反吐を吐く思いで声を絞り出す。親友を犯人として扱わなければならない苦痛に、心が砕けそうになる。
なのにお空は、平然とした顔でその推理を受け止め。
「おかしい事、言うんだね。何か悪いものでも食べちゃった?」
いつもとかわらない態度で、いつもとかわらない仕草で、平然と笑う。友達と冗談を言い合う子供の笑顔で、問い返す。
そんなお空の瞳を、お燐はまっすぐ見つめ返した。
強い意志を込めた瞳で睨み返した。
「あの子が、さとり様が死んでいるのを見つけた子が叫んだとき、まだあたいたちペットは地霊殿の中にいた。だから、我先にとそっちにいった。でもね、お空、なんであんたはあんなに遅れたんだい? それにさとり様の変わり果てた姿を見て取り乱すことすらしなかった」
「ちょっと、寝坊しただけだよ。だから何が起きたかわからなくて」
「何が起きたかわからなかったのに、寝ぼけたままだって言うのに、こいし様の遺書を持ってくる余裕があったのかい?」
「……それは」
「しかもその遺書からはね、あんたの匂いしかしなかったんだよ! 書いたはずのこいし様の匂いなんてこれっぽっちもなかった! これが何を意味するかあんたにもわかるだろう!」
「……」
「……お空、あんたがやったんだろう? 全部、あんたが!」
静寂が下りた。
最後の叫び声の余韻だけが、閉鎖的な地獄の中へと染み渡る。その悲痛な音が消えた後、お空は何も答えずに立ち上がると、お燐に背を向けてゆっくり歩き始めた。逃げるような素振りはない、慌てる様子もない。
自分の大きな羽を見せつけるように広げて、腰に手を置き、おどけるように数歩進む。その羽を追い掛けるように、お燐が立ち上がると。それを待っていたかのように振り返る。
「正解だけど、違うよ。違うんだよ、お燐」
どこもおかしくない。
穏やかなお空の表情なのに、その瞳をむけられた途端に、全身が震えた。毛穴という毛穴が全部開いてしまったと錯覚するほどの、怖気が、お燐の手足を、背中を這い回る。
「お燐はね、探偵さん役じゃないんだよ♪」
何を言っているのか、お燐にはわからなかった。
「お燐は犯人さん役だもん。だから、そんな推理しちゃダ~メ」
「……何を、いってるんだい……あんた」
無邪気に両手の人差し指でバツを作るお空が、一体何を考えているのか。
それを理解しようとすること自体を、理性が拒否した。
「だってさ、お燐って私と一緒にずっと行動してきたじゃない。それならね、お燐だって十分偽装とか犯行とかできちゃうよね。だって、さとり様の部屋に一番最初に入ったのって、お燐だったはずだし? それ以外でも先頭にたって動いてたのって全部お燐だもん♪」
恋人と語らう顔とでも言うのだろうか。
言葉さえ聞かなければそう錯覚してしまう表情で、お空はお燐を見つめる。何かを期待する顔で、じっとお燐を見つめる。
「地霊殿、壊滅。その事件の裏側で蠢く、ペットの憎悪。それを止めようと動く親友であったが、その狂った行動を止められない。次々と倒れていく仲間を目の前に、たった一人で立ち向かう私。謎に満ちたこの事件の解いた名探偵、しかも悲劇のヒロインって、燃えるよね♪」
「あんた、そこまで……」
「あれ? どうしたの、お燐? 何で泣いてるの? あ、嬉しいんだ! そうだよね、犯人役って探偵さんの次に憧れる立場だもんね。うふふ、感謝してよ、お燐……、お燐はね、私と一緒に、名前を残すんだよ。幻想郷の極悪人って立場でね」
探偵として活躍する楽しさが、皆から感謝される嬉しさが、お空をじわりじわりと蝕んでいた。
何かを解決する快楽をもっと得たい。
それを得るためには大きな事件が必要。
でも、幻想郷にはそんな大きな事件がそうそう転がっているわけではなく。事件が異変にまで発展すると巫女が解決してしまう。
でも、もっと、もっと楽しみたい。
この快楽を感じていたい。
その欲求が、お空を一気に狂わせた。
「ミイラ取りが、ミイラになった……か」
「ちゃんと、お燐の遺書も準備してあるからね。安心していいよ♪」
「お空、あんたがそれでいいなら、あたいはもう何も言わないよ。でもね、これだけは覚えておきな」
いつのまにか、瞳から溢れ出ていた涙を服で拭い。
お燐はお空の右手を掴み、自分の胸へと押し当てる。
制御棒を取り付けていない、柔らかい手を自分の心臓の位置に押し付ける。
「これが、あんたが求めた『事件』の結末だよ」
そして、返答を待たず。
自分の妖力でお空の手を強化したお燐は、その淡く輝く指先を自分の胸に押し込んだ。
「え?」
生暖かい、感触。
計画とは少し違うけれど、その右手は同じ結末を取った。
なのに、お空は満たされない。
結果は望んだものと同じはずなのに、何か違う。
違う――
こんなの、違う――
「ああああああああああああああああああっ!」
お燐が、ずるりっと、その手離れ、倒れると同時に。
お空の体から、とてつもない熱量の火球が生み出され。
地底は崩れ去り、闇に閉ざされた。
◇ ◇ ◇
「―――――――!」
そして、その闇を砕いたのも。
彼女の声だった。
声として表現していいかわからないほどの、狂気染みた叫び声だった。
「お燐、お燐っ!」
親友の名前を呼びながら転がるようにベッドから落ち、起き上がることすら忘れて部屋の出口から廊下へと、飛び出る。
靴も履かず、乱れた服も直さず。
ただ、廊下を走る。
瞼の裏に覗く姿を少しでも早く、両の瞳に収めようとがむしゃらに廊下を走る。
「おりん、おりぃぃぃん!」
勢い余って体を壁にぶつけても、羽を擦っても止まらない。
ただひたすらに目的の場所へとひた走り。
やっと、辿り着いた。
あの赤茶色のドアを開ければお燐がいるはず。
ドアに圧し掛かり、ノブを荒々しく回し。
頭から滑り込む姿で部屋へと入った。
きっとこんな入り方をしたら。
『なにやってるんだい、馬鹿』
とか。
『もうっちょっと静かにしてよぉ』
とか。
眠そうだったり、不機嫌そうだったり。
そんな声を向けてくれるはずなのに、いくら待ってもその声がない。
暗い部屋の中に、寝息すら聞こえない。
「う、嘘だ……そんなことない、いるよ……きっと、お燐はいる。隠れてるだけなんだ、きっと。あんな変な夢見たからそう思っちゃうだけだよ。だってほら、ベッドの中にいるじゃ――っ!?」
いない。どこにもいない。
暗闇に目が慣れても、その姿は見えない。
それどころか、お燐の部屋はまるで誰かに襲われたようにボロボロだった。内装は剥がれおち、本来ベッドがあった場所には、汚らしい箱が一つ置かれているだけ。服を入れていたはずの衣装ダンスも、小物置場も、綺麗に無くなってしまっていた。
まるで、その部屋には最初から誰も――
「うぁ、うぁぁぁぁああああ、さとり様っ! さとりさまぁぁっ!」
――どこか、散歩しているだけかもしれない。
そんな気休めなど掻き消すほどの部屋の様相に、お空は逃げ出した。
泣きながら、来た道を戻りこの屋敷の主の部屋を目指して駆ける。
感情が揺れてしまっているためか、上手く手足を動かすことができずに何度も転んでしまうが、弱音なんて言っていられなかった。
――あれは、正夢なんじゃないか
事件がもっと起こればいいなんて、そんなことを思った自分への罰なんじゃないか。
そう心に思ってしまったら、もう、感情の波は止められない。
嗚咽を隠すことなく、裸足で床を蹴って、また転んで。
それでもさとりの部屋へと急ぐ。
不安に駆り立てられる心を静めるために、馬鹿な創造を止めるために、必死で走る。
「さとりさま…… おりんが、おりんがぁ……」
擦り傷を作りながら、やっとのことで、さとりの部屋のドアまでやってきたお空は。
恐怖に怯えながらドアノブに手を掛ける。
でも、じっとしている事なんてできるはずもなく。
お空はそのドアを開いた。
「さとりさ――っ!?」
しかし、さとりは居なかった。
どこを探しても、部屋の所有者である彼女の姿が見えない。
「う、ぅぅぅぅぅっ!」
お空は、とうとう耐え切れずに大声で泣き出し。
飛び付いた。
「え、なっ!? 何っ! 何事っ!?」
さとりの部屋の中。
そのベッドの上で鼻歌を鳴らして髪を梳いていた、無防備なお燐に。
◇ ◇ ◇
「……しっかし、さとり様も性格悪いねぇ。相談した私も私だけどさ」
「ん? なんか言った?」
「な~んにも、明日の朝ご飯はなんだろうって思ってね」
お空が、『事件が起きたら嬉しい』と言い出したその日の夕方。
核の力を得た時のことを思い出したお燐は、そのことをさとりに相談した。するとさとりは、こくりっと頷いて。
「わかったわ。ちゃんと躾ておくことにしましょう」
と、一言。
その躾というのがどういうものかわからなかったものの、さとりが動いてくれることに安心したお燐が部屋に戻ろうとしたら。
部屋には改修中、のプレートが掛けられていた。
いきなり何事かとドアをじーっと観察していたら隙間にわざとらしく紙が挟められていて、『しばらく私の部屋を使いなさい。さとりより』というメモ書きが記されていた。
そのときは単なる工事程度にしか思わなかったのだが。
「トラウマを思い浮かばせるタイプの能力を夢に応用するなんて。どんな嫌がらせ種族だよまったく……」
「あ、やっぱりなんか言ってる!」
「言ってない。怖い夢見たお空の空耳じゃないの?」
「あ、ああああああっ! まだそういうこと言うんだ! 酷いね! お燐最低だね!」
「そういう台詞を言いたかったら、自分のベッドに戻ってからにしておくれよ」
「……やだ。今日は一緒に寝る」
その『夢』の効果は抜群で、最初部屋に飛び込んできたお空は
『事件なんていらない、みんながいればいい!』
と、何度も繰り返して泣き叫び続けた。
個人的には、『事件』が起きたら、必ず誰かが不幸になるから、それが起きたことを喜んじゃいけない。その程度のことを教えて欲しかったのに、必要以上に怖がらせてしまったようで。
「絶対今日はお燐と一緒に寝る! 絶対寝る!」
と言い出すほど。
それでも、お空が変なことを覚えなくてよかったと思う気持ちと、やりすぎだよという二つの気持ちに挟まれ、少々複雑な心境のまま布団を共にすることになってしまった。
しかもお空は羽が邪魔になるせいで横向きにしか寝ることができず、必然的にずっとお燐の方に顔を向けることになるというわけだ。
正直、寝にくい。
なのにそのお燐の内心など無視して、お空は泣きつかれてあっさり眠ってしまうわけで。
「……お燐、どこにもいかないでね」
さらには、寝言でなんか顔が真っ赤になるようなことを言い出す始末。
お燐は天井をまっすぐ見つめながら、なんとかお空を見ないように努力しつつ。
「……徹夜だ、これ」
深い、今日一日で一番深いため息をついた。
翌日、早朝――
「ひゃっほー! おっり~~んっ! 地上行こう! 地上!」
「……お呼びになったお燐は、睡魔に襲われているか、そもそも起きる気がないので出かけられません。にゃーん。という奇妙な鳴き声の後に用件だけ言い残してさっさと部屋から出やがりなさい。にゃぁぁ~~~ん!」
「地上行こう! 地上! 世界が私たちの救いを待ってるんだよ!」
「ああもぉぉ~、今度はなんなのぉ」
「世界はね、私のような魔砲少女を求めているんだよ!」
スパァンっ!
「痛い! でも、負けない!」
「少しは懲りて、お願いだから懲りてぇ……」
「ふふん? そうだ、お燐はやっぱり自分が活躍できないから不満なんだね! 大丈夫だよお燐、主人公は二人だから!」
「……大丈夫の意味がわからない、理解したくない」
「ちゃんとお燐の衣装もあるから安心してネ♪」
「だから言い直さなくてもっ……えっと、お空さん? まさかその格好というのが」
「うん、さとり様が準備してくれたの♪ もうすぐ、お燐の着替えを持ってきてくれるはずだから♪」
がしっ
「逃げちゃ、駄目だよ?」
「え、あ、いや、あのお空? 離して、離してお空ぅぅぅ~~~~~!!」
そして、今日も働き者の猫さんは。
烏と一緒に旅立つのであった。
しかし、おぜうさま……
途中2箇所程お空がお燐になってますよ。
大仕掛けまで作ってあるなんて凄い。
時々入れてくれるお空は本当は美人なんだよって描写が嬉しかった。
>お燐の『あそびにいこー』攻撃に晒される始末。
お空の
>最近にお空に置き始めた変化を後ろのメイド長に語ったのだった。
最近お空に起き始めた変化を
>なんで探し物意外が犠牲になるような手段を取るのさ!
探し物以外
>レミリアが投槍な言葉を吐く。
投げやり、投げ遣り(レミリアだけに、でなければ)
>『お姉様が着ても教えないように』とね。
来ても
>「えーっと、いわく、こどもをさらったようかいはぁ~、おおきなはねがとくちょうで、そのなかまには、ねこのようなようかいが、いた? へぇ、人里に入って攫うなんて勝負師だね!」
>「ねえ、お燐……」
お空
>それにわずかに遅れる形でお燐立ち退いた場所にお札が襲い掛かった。
お燐(たち)が立ち退いた場所に
>その一匹が、至近距離で破裂する。
>そしてそれに連動するように、男にとりついていた残り4体も綺麗に弾け飛んだ。
匹か体で単位を統一した方が良いと思ったりします。
>地霊殿に住むペットたちにとって育ての親のような存在の、さとりだった。
誤字では無いですが、ここで改行した方が個人的に衝撃が大きく感じられるように思いました。
>馬鹿な創造を止めるために、
馬鹿な想像を止めるために
以上です。長々とすみませんでした。
すっかり騙されました
テンポが良く、のめり込んでいける話なので、余計にその誤字によってちょっと冷めてしまう感がもったいなかった。
でもそれを差し引いても面白いですね。
コメディな部分もシリアスな部分も両方楽しめてお腹いっぱい。
そして、やっぱりお燐はツッコミ苦労人キャラが似合うな。
お見事です!