※ナズーリンの一人称については『性別とかどうでもいいじゃない』をご参照ください。
「ご主人。今ならまだ怒らないからきちんとした理由を述べてほしい」
命蓮寺内、星の私室。
ナズーリンは後ろ手に縛られてベッドの上に座らされていた。
「これはいったい、どういう了見なのかな?」
足首も縛られているので、立ち上がることもできない。
ベッドに正座する格好のまま、ナズーリンは星の顔を見上げた。
星はいつものにこやかな笑みのまま、こちらを見下ろしている。
「いえ、大したことではありません」
「ほう……私を拘束することは大したことではないと」
思わず額に青筋が浮かんだ。声が怒気をはらむのを堪えきれない。
なるべく冷静に対応しようという気はあったのだが、それにも限度はある。
そもそも、法力での拘束とは一体どういうことだ。
ロープの類なら部下に噛み切らせることもできるが、これではどうしようもない。
「ご主人。まだ怒らないよ? 怒らないから理由を述べてくれたまえ。例えば私やあるいは部下が知らぬうちに何か粗相をしでかして、その罰だというなら、粗相の内容によっては甘受しよう。部下が大事な巻物を囓ってしまったとか。私の部下に限ってそんなこともないとは思うが」
「大丈夫、そのようなことはありません」
「だったら理由は何だい? 不当かつ理由なき拘束には断固として抗議するよ。いくらご主人、貴方のすることであってもね。聖と毘沙門天にも報告する」
浮かび上がる怒りを堪えつつ、低い声で宣告するが、星は相変わらず涼しい顔だ。ナズーリンは訝しむ。
うっかりを他人に知られることをあれほど怖れるご主人が、聖や毘沙門天の名を出しても動じない……?
「大したことではないのです。ただ少しばかり、実験に付き合って欲しいのですよ」
「実験?」
思いがけない言葉に、ナズーリンは眉を寄せる。
星はにこやかに、後ろ手に持っていたものをナズーリンの目の前にぶら下げた。
紐にくくられたチーズだった。
「……何のつもりだい、ご主人」
「ですから、実験です」
どこまでも微笑みを崩すことなく、星はゆらゆらとナズーリンの目の前にチーズを揺らす。
思わず視線がチーズを追いかけてしまって、ナズーリンははっと首を振った。
落ち着け。落ち着け自分。チーズごときに狼狽えるな。
そもそもどうしてこんなことになったのかを思い出す。
そう、星に呼び出されたのだ。それで星の私室を訪れると、お茶と一緒に星がチーズを差し出して、それに気を取られていたら迂闊にも背後をとられて――これである。
「檀家の方から、興味深い話を聞いたのです」
「話?」
「ネズミは本当はチーズが好きではない、と」
ナズーリンは思わず目をしばたたかせた。
「確かに私の部下は肉食だ。チーズも食べるが、肉の方が好みだね」
「しかし『ネズミはチーズが好物』というのは、広く知られている風説です」
「誰がそんなデマを流したんだろうね」
ゆらゆら。チーズが目の前で揺れている。
「ですから、身近で実験してみようと思いまして」
ゆらゆらゆらゆら。鼻腔をくすぐるチーズの香り。黄色が目の前を何度も横切る。
「ネズミは本当にチーズが好きでないのかを」
「――解っててやってるだろう、ご主人!」
ナズーリンは吠えた。思わず立ち上がろうとして、バランスを崩しかける。
よろめいた眼前に、チーズが迫る。鼻先、口元、口を開ければかぶりつける距離、
思わず口を開けた。かぐわしいチーズの塊にかぶりつこうとした。
ひょい、と星がチーズをぶら下げる紐を引いて、がちん、とナズーリンの歯が固い音をたてた。
「ご主人ッッ、キミという者はッッ――」
怒りで言葉にならない。涙が目尻に浮かんでしまった。しかし拭いようもない。
星はどこまでも変わらない微笑でナズーリンを見下ろしている。
「僕を馬鹿にしてるのかい!? キミがこんな卑劣で破廉恥で恥知らずな真似をする外道だとは思わなかったよ!」
「ほーらナズーリン、チーズですよ」
「ッッッ、キミは本当に度し難い――」
ゆらゆら。チーズがまた揺れる。鼻先から口元へ。
ごくり、と喉が鳴った。汗が額からたらりと鼻筋を伝って落ちた。
落ち着け、落ち着けナズーリン、冷静に、冷静に――チーズを、
あーん。口を開いた。
ひょい。星が紐を引いた。
がちん。目の前に火花が散った。
「馬鹿! 馬鹿! 最低だ! キミという奴は鬼か悪魔か畜生か!?」
「ほらほらナズーリン、美味しい美味しいチーズですよ」
「止めッ――キミは僕を何だと思ってるんだ、この――」
ゆらゆら。
あーん。
ひょい。
がちん。
「……キミという存在を今ほど心底軽蔑したことはない。やっていいことと悪いことがあるだろう、これは立派な拷問だ、無辜の僕に対してこんな真似をしてキミはそんなに楽しいのか? どうしてそんなにニコニコとしていられる? キミには血も涙も無いのか? キミの血は何色だ?」
ゆらゆら。
あーん。
ひょい。
がちん。
「……解った、解ったよご主人、これはキミに対して敬意に欠ける僕に対する罰なんだろう? それならそうと言ってくれ、確かに僕はキミに厳しく当たりすぎたかもしれない、部下として上司に対して敬意に欠ける言動が多かったかもしれない。それは反省しよう。悔い改めよう。キミがたとえうっかりまた大事なものをなくして僕に泣きついてきても、にこやかにかつ迅速にキミの願いを叶えよう。もう文句は言わない。キミを怒りもしないから、だから――」
ゆらゆら。
あーん。
ひょい。
がちん。
「ご主人……ご主人様、申し訳ありません。申し訳ありませんでした。わたくしめはあまりに出過ぎた真似をいたしました。わたくしは貴方様の部下です。下僕です。畜生です。毘沙門天代理たる貴方様への数々の非礼、どうかお許しください。謝って済むことではございませんが、どうか、どうかこの哀れな畜生めに、僅かばかりのご慈悲を賜りください――」
「……何をしているのです、ナズーリン?」
あらぬ方向から、星の声が響いた。
壊れたブリキ人形のような動作で、ナズーリンは声の方を振り向いた。
部屋の入り口で、寅丸星が目を丸くしていた。
「え……?」
目の前にぶら下がるチーズの紐の主を見上げた。そこにも寅丸星がいた。
――星が2人?
目をしばたたかせたナズーリンの目の前で、「うげ」という全く星らしからぬ声を、チーズを持った方の星があげた。
その瞬間、ナズーリンは全てを理解した。
「ぬえええええええええッッッ、キミの仕業かーッッッ!!!」
「あちゃー、バレちゃ仕方ない、三十六計逃げるにしかずっ」
星――の姿をした封獣ぬえは、入り口に突っ立っていた本物の星を突き飛ばすようにして部屋を飛び出していった。そこでナズーリンの拘束も解ける。ベッドに倒れ込んで、ナズーリンは呻いた。
要するに、正体不明の種によってぬえの姿がナズーリンには星に見えていたのだ。傍から見れば、自分が何故かぬえをご主人と呼んでいるように見えたのだろう。
「だ、大丈夫ですか、ナズーリン」
慌てた様子で星が駆け寄ってくる。抱き起こされると、心配そうに自分を見下ろす星の顔があった。
「ぬえが何か悪戯したのですね? 後できつく言っておかないと――」
眉を寄せる星の顔を見上げながら――ナズーリンは。
内心に、怒りの炎がふつふつと沸き上がってくるのを堪えきれない。
それが理不尽な怒りであるという自覚はある。目の前にいるのは本物の星で、自分に拷問を行っていたのはニセモノだ。それは解っている、解っているのだが、先ほどまでの笑顔で自分の目の前にチーズをぶら下げていた星の顔が重なって、
思わずナズーリンは、自由になった両手で思い切り星の頬をつねっていた。
「い、いひゃいいひゃいでふはふーひん~」
「五月蠅い黙れ本当にご主人キミという輩は――」
「わ、わらひがはひをひはっへ~」
涙目で抗議する星に構わず、ナズーリンはさらにその柔らかい頬を引っぱった。
泣きたいのはこっちの方だ。
「僕は、僕はね、ご主人――」
手を離して、それからナズーリンは力なく星の胸にもたれた。
「な、ナズーリン? 本当に大丈夫ですか?」
心配する星の声に、けれどその顔をそれ以上見上げられなくて、ナズーリンは目を閉じる。
――いちばん、腹立たしくて情けなくて泣きたくなる事実は。
チーズに気を取られていたとはいえ、目の前にいる星がニセモノだというのを見抜けなかったということ。
ニセモノの星に対して、本気で対応してしまったということだった。
本物の星が、あんな真似をするはずがないのに。
「ナズーリン」
「五月蠅い馬鹿。キミのことなんか大嫌いだ、馬鹿」
星にきゅっとしがみついて、顔を伏せたままナズーリンは泣きそうな声で言った。
困ったように、けれど優しく髪を撫でてくれる星の手に、本気で泣きたくなった。
そしてあなたのナズも可愛い
さらに!ぬえの笑い悶えるシーンの加筆を申請する!
ナズーリンの可愛さは異常
でも興味なさげなフリして実は大好物だった方が色々おいしいよね! このSSが良い例だ
失礼、
チーズを食べたくなった。
ぬえ…南無
なんかいいわ
それはともかく後書きのSS化はまだですか?
後書きの投稿機体したいです。
どうした? 口ではそんな強がり言っていてもほら、体はこんなに正直じゃないか……
あと一回ゆらゆらさせたらナズーリンはどんなことでも言うこと聞いてくれそうだな。
…………よし!(ロープを片手に何かの決意)
ぬえ良くやった!
さて、私は悶絶しているぬえを保護してきます。
と、言いたい所ですが、見事に私も釣られちゃいましたねー。
あのナズに対して、一回スカしただけでも良心の呵責に押し潰されそうだった自分にとって、
四回も空振りさせたぬえは、鬼畜を通り越してある意味尊敬の念さえ抱きますよ。
とにかく可愛過ぎるナズのお話、ありがとうございました。
ちなみに、うずナズをMPCみたいなシークバー付プレーヤで35~40/271を部分再生させると結構エロいぞ
最後のシーンはほんのり甘くてこっちがうずうずしました。
> ゆらゆら。
あーん。
ひょい。
がちん。
萌えて死にそうになった