雨、だ。
買い物を済ませ、白玉楼へ帰ろうと軒先へ出てみれば、淡い霧雨が空を舞っていた。
直前までの天気は曇り。雨が降る気配はそれほど強くなかったので、降り始める前には帰れると踏んでいたのだが、甘かった。気まぐれを起こしたように雲は暗く、物静かに雨を吐き出し続けている。もちろん手元に傘はない。
天候は強い。こうなってしまえば天気に干渉できぬ者には三つの選択肢しかとりようがない。止むまで待つか、傘を捜すか、濡れてでも帰るか。
濡れて帰るのだけは真っ先に候補から外す。なにせ購入した品が水に弱い書物だ。霧雨とはいえそれは弱い雨ではなく、雨の滴の大きさを示しただけに過ぎない。雨量は通常の雨とそれほど大差はないだろう。たかをくくれば、白玉楼へと帰る頃には本も私も台無しになるに違いない。となれば残るは待つか探すか。
止むまで待ってもよいのだが、帰りは早いに越したことはない。形だけになりつつあるとはいえ私も主の警護役。許可は得ているものの、やはり長時間の留守は避けたい。
探す、のは少し難しいか。店内の売り物の中に傘はないし、忘れ打ち捨てられた傘を捜すにしても、見つけたところでひょいと持って行くのは気が引ける。
――気が引けるのだが、不意に目をやった傘立てに、一本の傘を見つけてしまった。
古びた和傘だ。やたらと大仰な作りで、私くらいなら完全に雨から守れそうなほどの大きさだろう。柄は漆まで塗り込まれた手の込んだものだが、古いせいか紫色の傘布が毒々しいほどの色彩に変色してしまっている。
もったいない、と思う。立派で古いものなのに、こんな乱雑な扱いをするなんて。
その……決してそのまま持ち去ろうという腹積もりはないのだけれど、もう少し触れてみたくなって手を伸ばしてみる。持ち上げると、重たい。大きさのせいか和傘のせいか、それとも――
「……お嬢さん」
「は、はいっ!?」
いけない、持ち主だろうか。慌てて周囲を見渡す。
だが、やはり軒先に居るのは私だけだ。
雨音に混じった声音は、果たしてどこから聞こえたのか。それともただの空耳か。不可思議に思いながら和傘へ視線を戻し、くるりと回してみるのだがこれもしかして――
バン! とひとりでに傘が開く。
悲鳴は堪えたものの、柄から手を離してしまう。すると傘は広がったままガタガタと音を立て地面に落ちる。
洋傘でなく、ましてやバネ式でもない和傘がひとりでに開くことなんてあるのだろうか。驚いた気持ちをそのままに、傘を拾って確かめようと手を伸ばす。すると、すんでの所で傘はころころと転がって離れ。
現れた反対側には、さっきまでは無かったはずの、大きく見開かれた一つきりの眼と、長く舌の伸びる口が。
思考が空白に満たされる最中、大きな目玉がギョロりと動いて視線が合い――
「べろべろばぁ~~~!」
その下から跳ね上がるように現れ、傘を持ち上げる妖怪の少女。
――えっ、と。これは、驚かされた。のだろう。
突然、人の形をしたものが現れたのには確かに吃驚した。
のだけれど、その。元気余ってあふれ出ている声音で驚かされては、何もかもが台無しだ。
片腕はやったぞと言わんばかりに天を突き上げているし、顔は満面の笑み。なまじ直前までの前フリが完璧であったために、この落差では恐怖も何もない。可愛らしいなと思いこそはすれど……これでおどろおどろしい声音で襲い掛かられていたら、間違いなく私は悲鳴をあげていただろう。どうせ驚かせるなら最後まで完璧にやってほしい。でないとこう、こちらが恥ずかしくて困る。
「…………」
そのまましばし、言葉もなく見詰め合ってしまう。
いけない。これ、どう反応すればよいのだろうか。お世辞でもいいから怖がってあげるべきなの? さっきまでの私の恐怖を返して欲しい。
「あ、あれ。驚かないの? 怖がらないの?」
挙句、十秒ほど間が過ぎてから失敗だと気づく始末。元気の咲いていた顔はしぼみ、困り顔になる。
私は溜息をこらえながら、とりあえず口にできる言葉を出す。
「その。驚きましたし、最後の『べろべろばぁ~』までは少し怖かったのですけど、もっと違う趣向が欲しいというか、もうちょっと空気を読んで欲しいというか」
「う~、それ『うらめしや~』って言って早苗を驚かせた時にも言われた」
言葉の問題ではないのだが、どうやらこの妖怪、根本的に食い違っていることに気がついていないらしい。まあ、それはそれで平和だからよいのだけれど。
「早苗というと、守矢の神社の巫女さん?」
「うん。私は多々良小傘、見ての通りの付喪神だよ」
自己紹介など求めていないのだけれど、名乗られたからには返さなくてはならない。
「私は魂魄妖夢。白玉楼の庭師です」
初対面の者にはこう名乗ることにしている。半霊という事も剣のことも、話せば話すほどややこしくなるので、できるかぎり自ら口にしないようにしていた。
妖怪相手ならば大体これでいい。彼らにとっては人間かどうかが要点らしい。現に、例に漏れずこの小傘という妖怪も気にする素振りはない。
「今回はイケると思ったんだけどなぁ」
「ええと……はい、それなりに怖かったのでもう少しだと思いますよ」
怖がりな自分の性分を差し引いても、むしろあれだけできて失敗するのが不思議なくらいだ。風の話で彼女のことは少し聞いていたけれど、噂よりはまともだ。勉強したのだろうか。
ただ、褒めたり励ましたりしたつもりもないのにぱぁっと表情を明るくしてしまう姿を見ると、やはり先は遠いような気がする。
「妖夢ありがとうっ! その、やっぱりちょっとだけ感じた美味しさは本物だったんだね」
両手を握られてブンブンと振られる。この実りすぎて元気がはちきれてしまったような性分は、妖怪としてとことん損をしているだろう。こうして振り回される分には良いのだけれど。
「私みたいに、怖がりそうな人を狙うというのもいいんじゃないですか?」
「おお。それは考えなかった。今後の参考にしてみます……じゃ、ごちさうさまでした」
と、言って小傘さんはしゅたっとこの場から去ろうとするのだが、さっき手を握られて確信を得た。
待ちなさい。と声音を張って呼び止める。自前の傘をさして雨に吹かれる小傘さんは、不思議そうに小首を傾げてくる。
その鼻先に、楼観剣の切っ先をつきつけた。
「えっ!? ちょ、お礼もお返しも仕返しもいらないよ!」
傘を抱えながらさし、器用に降参のポーズをする小傘。でも切っ先は下げない。
「いいえ。先ほどのことは特別なにも思っていません」
「うううやめてよぅ。別に私を驚かしても、おいしくないでしょ?」
「はい。私は妖怪と違って人の感情を食べることはできませんから」
「じゃあどうして……」
「ええい、白々しい!」
気迫を込めて声を出す。すると小傘はびくっと身を竦める。
「義務ではない。けれど、人里であなたを見かけた以上は、あなたが安全な妖怪であるかどうか、確認をさせていただきます」
「か、確認って……私、人を驚かせるくらいしか」
「そうかもしれない。でも、まかり間違うこともあります――刃を持つのなら」
言葉が途切れ、しばし雨が打つ音に満たされる。
その静寂の先、小傘は降参のポーズをとく。そして傘で顔を半分ほど隠し、傘の目と、自身の色違いの片目で、私を静かに見据えてくる。
先ほどまでの怯えるような気配は、消えていた。
「……いつからそれを?」
「傘を手にした時には違和感を。確信したのはあなたに手を握られた時」
最初手にした時、傘にしては重すぎると感じていた。和傘は確かに重量がある。加えて傘自体も規格外に大きい。でも、それだけでは説明のつかない重さがあった。
決め手は小傘の手。私のそれと同じく、皮が重なり特定のタコができている手。竹刀ダコと呼ばれるものだ。
「あなたは、仕込み傘ですね」
小傘はしらばっくれることもなく、小さく、決して目線は切らずに頷く。
「あい。わちきは、暗殺用の仕込み傘でございやす」
やはり。ならばここで確かめておく必要がある。
ただの化け傘であったのなら、私も何も干渉しなかっただろう。だが、それが仕込み傘の化け傘であるのなら話は別だ。
「同じく剣を手に取る者として、その剣が狂気でないか確かめる」
人を驚かせる妖怪。それが刃をもって、剣を使って人を驚かすようになったのなら。過ちを犯し、その刃を血に染めるようになることがあるかもしれない。
未然に防ぐ義務はない。けれど、見てしまった以上、見過ごして何かが起きれば、自分も罪を作るに等しいこととなる。やった方が良いことなら、やらなければ。
「左様、でございやすか」
少しだけ目線を逸らし、やがて腹を括ったように視線が戻る。
酷く、かなしげな双眸だった。
「どうしても、いたしやすので?」
「こと剣のことに関すれば、千や万の言葉を連ねて語るより、一太刀交えた方が早いのはお互いよく分かっているでしょう」
「……違いありやせん」
観念した小傘は、ようやく傘の柄を両手で取り、しゃりん、と涼しげな音を立てて、仕込んだ刀を抜く。
それから、傘を上へ放り投げる――すると傘が異様に伸び、上空五メートルほどの高さに浮いて簡単な雨よけを張ってしまった。半径は十メートルほどか。こんな気の効いた舞台を用意してもらえたからには、この仕合、本気でやらざるを得ない。
無言で頷き、伸びた傘の下へ入る。距離にして二足。もう一歩入れば踏み込める距離を置いて、私たちはお互い構えをとる。
小傘の構えは、俗に言う八双の構え。兜をした状態でも上段の構え同様の剣を行うために開発された構えだ。その性質は限りなく上段に近く、使用者は火の気位をもって相手と対峙する。その緊迫感に、場がキンと引き締まる。小傘は既に呼吸も読めず、目も静かにこちらを見据えている――仕込み刀だと思って油断していた。これはもう、真っ当な剣士のそれだ。
同じく気迫を込めて呼吸を無くす。静かに相手を見据え、足を引き、構えを取る。全力で行かなければ。その直感で私は、正眼の構え。俗に中段と呼ばれる構えをとる。
勝機は互いに先――相手の動き始める瞬間、攻撃に移るというどうしようもない隙を、先と呼ぶ。それよりさらに前、相手がいついた時など意識の外から打つ隙を先の先。相手が動作している最中の隙を後の先と言うのだが、このあたりは流派によって若干の差異がある。
力量が上がり拮抗するにつれて、自ずと隙は先を取るようになっていく。先の機は、相手が動き始める所を狙う。つまり、相手が動作を始めるのを捉え、それよりも早く自分が動く必要がある。未来予知にも近い行動だが、剣士はそれを読み合いによって可能とする……剣術とはつまるところそこに行き着く。剣を打ち合うのではない、相手の隙をいかにして取るか、だ。
小傘の構えは、八双にしては高い。本来、鍔元を握る拳の高さは頬くらいだが、僅かに上へ来ている。恐らく得意な剣は先打ち。それも破壊力のあるもの。打ち合いになれば技では圧し負けるかもしれない。しかし、剣の拵えならばこちらがはるかに有利だ。小傘の刀は仕込み刀、ピンとした業物ではあるが、どうしてもその作りは華奢にならざるを得ない。対して、私の刀は本格的に拵えた妖刀。同時に打ち合えるのであれば、負けない自信はある。
だが、その考えが既に術中であろう。同時を狙う相手ほど動きは読みやすい。恐らくそれを見越しての仕込み刀による八双の構え。小傘は、こちらが相討ちに出るのを誘っている。
無論、応じない。いや、むしろそれを利用する。
小傘が先の機を欲しがっている。私も欲しい。だが、あえてこれを諦める。
相手の仕込み刀は、先ほどの通り華奢で脆い。故に、後の先の機でもかなり有利に持ち込める。重量がある分、こちらが刀をさばきやすいためだ。
でもできれば後の先は取りたくない。この機は相手の太刀筋を読みきっていなければ打つことが出来ないためだ。自分の予想とは違う太刀筋が来てしまえば、それまで。非常に危ない橋だ。
そこで相手の太刀筋を読むと同時に、ある程度を誘導をしてしまうのだ。
八双からであれば、最善の太刀筋は袈裟懸け。もちろん逆手にとることはいくらでも可能だが、先の機を取るとなればそう凝ったことはできない。唐竹――上から下への真っ直ぐな太刀筋と、袈裟懸け――右から左にかけて斜めへの切り込みと、逆袈裟――左から右への切り込み。来るならば恐らくこの三つのどれか。胴や逆胴はどうしても速度で劣る。切り上げは論外。これらは先の機で打つには向かない。
ならば、このどれかへ確実に絞らせる。
柄を握る手に汗が混じる中、私は僅かに自分の剣線を上げる。相手の頭上を狙うのを装いつつ、である。一般に手元が上がるのは隙に繋がる。小手が開いてしまうのだ。
そう、相手に小手を打たせる。逆袈裟を要求するのだ。
逆袈裟による小手打ちという先の機に重ねる更なる奇襲。これに対して、前に打ち出るように刀は振るう。しかし足裁きはほぼその場で踏み込みだけを行う。俗に抜きと呼ばれる技だ。幸い、小手を抜いての攻撃は得意中の得意――これで、小傘を討つ。
相手の呼吸も、自分の呼吸も無い……そのように見える世界。雨音も通行人の声も何もかもを締め出し、二人境地の世界に訪れる。
互いの目が、切っ先が、音も無くぶつかり合う静寂。
気は満ちている。ただただ己の身の内で爆ぜ、歯車が噛み合うのを今か今かと待っている。
――思考も、煌めきも、一瞬のこと。
動く。相手の鋭い踏み込みと、こちらへ迫り来る切っ先。
抜く。相手の近い体。その場で僅かに踏み込めばいい最適の間合い。
打つ。全身の筋肉を体重移動に用い、その延長線上に腕を、刀で切るという技を付け足す。
しかし、私の切っ先は小傘を捉えられなかった。
首筋に居る、冷気のような切っ先。僅かに血が流れ、ほんの一押しで私を貫くことが出来る。
小傘の取った剣筋は、まさかの八双から首筋への突き。
完全に読まれていた。小傘が選択した機は先の先。私の負けだ。
運びも、隙も、互いに完璧であった。だから小傘は、寸止めを成功させていた。器用にも、切り込む私の刀をかわしつつ、である。
やがてこちらから刀を引く。楼観剣を片手で提げると、小傘も残心を取りながら切っ先を引いてくれた。
「――参りました」
「ありがとうございやした」
と、小傘が軒先へ避難するように言う。切り合いの後の緊迫感を引きずりつつ移動すると、テントが縮んで元の傘に戻った。ああ、切り合いに集中しすぎて雨さえ忘れていた。
「ご理解、いただけましたか」
「はい――よい剣でした」
もし、と想像していた狂気も邪気もない、磨き上げられた上質な太刀筋である。
きっと間違いは起こらない。先の寸止めが何よりそれを物語っている。けれど。
「一つ聞かせてください」
「わちきに答えられるのであれば」
「では。どうして寸止めを?」
邪な思いが僅かにでも過ぎれば、私を仕留められていたはずだ。確かめるとは言ったものの、本気で刀を抜いた以上は切り捨てられても文句は言えない。それをどうして、わざわざこちらにあわせたのか。
訊ねられて小傘さんは、霧雨が舞い落ちる先、水溜りに浮かぶ波紋を眺める。
先ほどと同じような、悲しげな瞳をして。
「わちきはもう、人を殺めとうないのでござんす」
「よろしければ、理由もお聞かせください」
「付喪の神さま……つまりわちきの宿る前、わちきは傘として作られながら、まともに傘としては使われることがありやせんのでした。もっぱら人を騙し、人を殺し。そうして時代の流れを彷徨っているうちに、長くありすぎたせいでいやしょうか、恐れられるようになったのでありんす。人を殺め続ける不気味な暗殺武器。そんなもの誰も手にしとうございやせん。そのうちにわちきは忘れ去られ、ここへとたどり着き……気がつけば、この風体でした。
その、恥ずかしい話ですが、わちきはどうも普通の傘に憧れていたようでして。雨の日に、誰かにさしてもらって雨に打たれることを夢みていやした。けれど、ご存知の通りその道の方にはすぐに武器だと分かりやす。そうでなくてもこんな品、どなたが使いたがるでしょう――わちきは付喪の神さまになってしまった時点で、二度とただの傘である機会を失ったのでござんす。なら、せめて幻想郷では『傘の妖怪』であろうと、なんの変哲もないただの化け傘でありたいと、真っ当な妖怪でありたいと、そう心に決めたのでありんす」
「……そうでしたか。それで刀を使って驚かせたりしないのですね」
「あい。この刃は妖怪や霊の、それも同じく剣を持った相手にどうしても、という時と腹に決めておりやした。やはり妖怪であるのなら、人間と同じ技で驚かしては芸も品もありやせんので」
言いながら小傘さんは、仕込み刀を傘へと仕舞う。
そして、最初に出会った時のような雰囲気に戻る。
「このこと、秘密にしといてね。約束だよ」
そして深々とお辞儀をしてから、こちらの静止も聞かず早足で去って行ってしまった。
一人、雨音に取り残されながら考える。
時代に取り残された道具。それが付喪神となって現れた、妖怪の少女。
私は剣士として自分の信念の通りに行動をした。
小傘は? あの子は確かによい腕の剣士だ。でも、その信念は? その心は?
間違いは無かった。ただ、どうしようもないすれ違いがあっただけ。
残ったのは感動と――不可抗力という言葉では片付けられない、後悔。
私は、剣士として最大限のことはやった。
でも私は人間としてやれることを、何一つとしてあの子にしてあげていない。
――やった方が良いことなら、やらなければ。
気がつけば、私は店主から風呂敷をもらい、本を包んで雨の中を駆け出していた。
しばらく走ると、小傘さんが見つかる。呼び止めると、慌てて向こうからもこちらへ駆け寄ってくれる。
「どうしたの妖夢!? そんな格好じゃびしょ濡れになっちゃうよ」
「ありがとうございます。でも、どうしても謝りたくって」
ふえ? と首を傾げる小傘さんは、私が息を整えるのを待ってくれる。呼吸が落ち着いてから、今度は私が頭を下げる。
「先ほどは失礼なことをしてしまって、申し訳ありませんでした」
「えっ、やだ。ぜんぜんそんなことないよ。妖夢はちょっと驚いてくれたし、久しぶりに剣も振ったし」
「でも、私はあなたに刀であることを強要してしまった。望んでいないのなら、やっぱり悪い事をしたことになります」
そこまで聞いてから小傘さんは、顔を上げてくださいと小さく言う。掻き消えそうなそれを聞き取って、視線を上げる。
見えたのは、遠くを見つめるような顔。
「不思議だよね。確かにあんまりいい気持ちじゃなかった。でも、やらなくちゃ理解してもらえない」
「確かに、きっと私はあなたと打ち合わなければ、あなたから言葉を聞かなければ、本当のことを知ることは無かった」
「でも、知ってもらえてちょっと嬉しいんだ……きっと、妖夢だから言えたんだと思う。そういう意味じゃ、うん。良かった」
寂しげな笑みは、どこか満足しているようにも、何か諦めたようにも見える。
違う。私がしたいのはこういうことじゃない。こんな傷を舐めあうような慰めではなく、もっと……もっと簡単で、すごく前向きなことを言ってあげたいんだ。
もうぐちゃぐちゃになってしまって、とにかく思いついたことを――口にする。
「あのっ!」
「もう謝らなくていいってば」
「そうじゃなくってその……すいません。白玉楼まで送っていただけませんか?」
呆気に取られた顔をする小傘さんに、さらに畳み掛ける。
「見ての通り傘も何もなくって、でもこの本は濡らしたくないんです。すごいわがままを言って申し訳ないのですが、道中お付き合いをしていただけないでしょうか」
早口でテンパりながら喋った割には、自分でもすごくいい思いつきだと感じる。
小傘さんはしばし目をぱちくりとさせた後、とても気恥ずかしげに視線を切る。動揺しているらしい。そして次に言葉を口にするまでに、頭の中でありったけの言葉を用意する。
「そ、その。変に同情しないでよ」
「同情もありますけど、それ以上に切実です」
なにせ元々は幽々子様が頼んだ品。台無しにしてしまっては大目玉を食らう。
お願いします。と再度頼むと、小傘さんは少し考え込んでから、いいよ。と小さく返事をしてくれる。
そして、こちらですと強引に先導をしていく。
最初の時の元気はどこへ行ったのか、小傘さんは嘘みたいにしずしずとついてくる。その様子がちょっと可笑しいのだけれど、自分でもやりたいことやれているのだと、実感する。
「二人で入ってもこんなに濡れないなんて、良い傘ですね」
「う……そ、そんな褒めないでよ。早苗なんてナス茄子言ってバカにするんだから」
「なす。ああナスビですか確かに。そういう遊び心めいた情緒もあるのですね」
「あうう。なんか、調子狂う」
どうも彼女の周囲には私のような性格の者があまり居ないらしい。自分では特別ひっかきまわしているつもりはないのだけれど、小傘さんは一方的に困っている。
でも困ることなんてないのだと、最後の一押しを言う。
「小傘さん」
「おおう『さん』付けなんて初めてだぁ……で、なに」
「確かにあなたはもうただの傘にはなれない。でも、今はあなたが居るのですから、誰かに傘をさせるじゃありませんか」
聞いた小傘さんは、え? と驚きを呟く。
「……そ、そんなこと。しちゃってもいいの?」
「はい」
「ダメだよそんな、傘が自分からおせっかい焼きに行くだなんて」
「じゃあ、今こういうのはお嫌いですか?」
「……ううん」
「確かに道具が自分からでしゃばるなんておせっかいかもしれない。でも、あなたは妖怪。そしてここは幻想郷。固定しなければいけない観念は何一つとしてないのですから」
「……ほんと?」
「はい」
「ほんとに、ほんと?」
「はい」
そう、ここは幻想郷なのだ。
半人半霊なんて常識外れの存在が許されるのだから、雨の日に誰かへ傘をさしてあげる妖怪くらいなら、可愛らしいものだろう。居てもいいと思う。
しばらく無言のまま歩き続けると、小傘さんが雨音に混じり、ありがとう、と言う。反射的にどういしたしましてと口にしかけて、考え直す。
地面に落ちた雨を踏む音くらいの大きさで、ありがとう。と私も言った。
それから。
雨の日に人を驚かせては、雨に困っているその人を傘で送る。という事をする妖怪が人里に現れたそうな。
まさかのカリスマ小傘に驚かせてもらいました。
素直に心からの百点を
妖夢も良い描写をしていると思いました。
今年の梅雨は傘を置いて出掛けます
全体の構成としては刀の如く余計なものをそぎ落としつつ、しかし人と人の触れ合いの情緒があり楽しく拝見いたしました。
これはいいコペルニクス小傘。
かっこ良さは、実は隠された能力があったのか、なるほど。
カッコいいただそれだけでなく、設定を上手く活かして
綺麗に纏められていると思いました。
特に、この時代がかったわざとらしい口調を使って、
まるで時代劇の一シーンのように演出するという発想に脱帽。
仕込み刀なんて好きすぎる。
とてもいい小傘でした。
いい作品でした。
そしてかっこいいだけで終わらない、かっこよすぎないところもまた。これは素直に好い小傘さんだと思いました。
渋いねェ〜全くおたく渋いぜ
愛されキャラのマスコットみたいなのもそれはそれで好きですが、
こういう「実は~」みたいなの、好きです。
バトルシーンも勉強になります。剣術は奥が深いのですね。