蓬莱山輝夜が部屋で死んでいたので、鈴仙・優曇華院・イナバはいつものように、彼女の身体を浴室へと運んでいた。
永遠亭の居住区域内にあるその浴室は、決して広いものではない。むしろ狭っ苦しいほどだ。小さな体躯の妖怪兎達ならばともかく、大人が二人一緒に入ることは難しいだろう。バスタブなど、脚を屈めなければ中に入ることはできない小ささだ。
そのバスタブの中に、負ぶっていた輝夜の身体をどさりと降ろし、鈴仙はやっとのことで一息ついた。
「重……。毎度のこととはいえ勘弁してほしいわ」
そして浴槽の脇にしゃがみ込み、乱れていた輝夜の前髪を軽く整える。
この浴室は、入浴には用いていない。永遠亭には一流旅館もかくやというほどの大浴場が備えられていて、住人達はそちらで存分に疲れを癒している。
いつの間に幻想郷に流れ着いたのかは分からないが、気が付いたら永遠亭に存在していたこの浴室は、次第に本来の用途とは全く違った使われ方をするようになった。蓬莱人をふたりも抱えるこの医院でしか必要とされないであろう場所、すなわち簡易の遺体安置所である。
「今日の死因は何かしら。部屋の中で倒れてたんだし、あの炎使いに殺られたって訳じゃなさそうだけど」
眼を薄く開けたまま少しずつ硬直していく輝夜は何も応えない。なぜ彼女が死んだのかを知るには、生き返るまで今少し待たなければならない。
死亡からリザレクションまでの少しの間、蓬莱人はここに寝かされる。以前は布団の上に安置していたのだが、傷等があると当然布団は血や汚物で汚れてしまう。その点、このバスタブは便利だった。蛇口を捻れば水が出るので、すぐに汚れを洗い流せるのだ。もっともこの浴室掃除は、申し付けられる兎達からはとても嫌われる仕事だったが。
「あら、輝夜死んでたの?」
浴室のドアを通じて声をかけたのは、鈴仙の師匠たる八意永琳だ。
「はい、部屋のど真ん中で。死因は分かりませんけど。解剖でもして調べてみます?」
「必要ないわよ。『心不全』でいいわ、面倒臭いし。まったく、呼んでも返事がないと思ったら」
呆れたように一つ息を吐いて、永琳は踵を返した。
「ウドンゲ。輝夜が目を覚ましたら、私の研究室に来るよう伝えて頂戴」
「分かりました」
「あぁ、あと買い足してほしいものがあるから、貴女今から人里まで行ってきてくれる?」
「今、ですか」
「そ、今。はい、これメモ。じゃ、よろしくね」
すたすたと歩いていく師匠の背中が廊下の角に消えてしまうと、鈴仙も一つ溜息を漏らした。
「人使いが荒いなぁ、もう……」
昼食の後片付けが終わって、少し食休みでも取ろうかと思っていた矢先だったのである。愚痴の一つも零れようというものだ。
鈴仙は立ち上がり、丸めて立てかけてあったバスタブの蓋を閉めた。輝夜の頭がつっかえたので、腰の位置をずらしてきちんと納め直さなければならなかった。
人里から戻るころには、輝夜はとっくに蘇生しているはずである。なので伝言は、その辺りにいる適当な兎に頼もう。
そう決めて、鈴仙は浴室の灯りをぱちんと消した。
◆ ◆ ◆
永遠亭の庭先で八意永琳が死んでいたので、藤原妹紅はどうしていいか分からず、とりあえず面識があって憎しみはない鈴仙を呼んだ。
「貴女が殺したんじゃないでしょうね」
「馬鹿なこと言わないで。私が何でそんなことをしなきゃいけないのよ。起きたらそいつに聞いてみればいいでしょ」
鈴仙は師匠を負ぶって、妹紅と共に狭い浴室へと向かっていた。
永琳の身体に外傷は見当たらないが、唇からひとすじの血が垂れている。自分の作った薬を飲んでみたら毒だった、とかだろうか。彼女には毒も薬も効かないはずなのだが。
「ここ、なの?」
「はい。ドア開けて、灯りを点けてもらえますか」
言われた通り、妹紅は擦り硝子でできたドアを開け、電気のスイッチを入れた。
「こいつは何ともまぁ……。生き返るまでここに置いとくのか」
妹紅にとっては見たことのない形をした部屋だったが、床がタイル張りであることやカランと浴槽があることから、ここが浴室であるということは見て取れた。所々に黴汚れがあるものの、清潔感はそれなりに保たれている。
よっこらせ、と鈴仙は永琳の身体を浴槽に降ろした。永琳の薄く見開かれた眼が、天井をぼんやりと見つめていた。
「はぁ、困ったなぁ。今日は師匠の授業があるはずだったのに」
「授業って、医学のか」
「えぇ。師匠の仕事と私の仕事、その空いた時間が噛み合う日に少しずつ進めて頂いているんですけど」
鈴仙はスノコのように丸めてあるバスタブの蓋を取って、ぱらりと被せる。
「ま、いっか。前回の課題の出来栄え微妙でしたし、やり直す時間ができたと思えば」
「その蓋、閉めちゃうんだ。生き返ったときに邪魔じゃない?」
妹紅の脇をすり抜けた鈴仙は、ドアを閉めて灯りを消し、傍の洗面台で手をじゃぶじゃぶと洗った。
「死んで生き返った経験がないので、邪魔かどうかは分かりませんが。でも姫様も師匠も別に文句言ってきませんし、問題ないんじゃないでしょうかね」
そのまま、手拭いで水気を切る。やたらと念入りに、月兎はごしごしと両腕を擦る。
「それに目に入って気持ちいい物ではないでしょう、死体なんて。蓋しておくに限ります」
紅い眼が妹紅を少しの間見つめた。
妹紅は言葉を返せなかった。人間たる自分より目の前の宇宙兎の方が、人間らしい感性を持っているように思えてしまった。自分はとっくに人間ではなくなっているのかもしれないと、妹紅は今更ながらに思った。
「それじゃ、姫様と顔合わせないうちに早く帰って下さいね。よしんば出会ってしまったとしても、殺し合いとか弾幕勝負とかなら外でお願いします」
そう言い置いて、鈴仙は行ってしまった。永琳からの課題のやり直しをするつもりなのだろう。
妹紅は浴室に目を向けた。擦りガラスの向こうに白くぼんやり浮かぶ浴槽を見た。
あの中には、死んだ永琳が入っている。
その事実だけで、目の前の空間が圧倒的な質量をもった。非日常のはずの日常がすっかり溶け込んでしまっている、この永遠亭という場所がひどく恐ろしいものに思えた。あの狭いバスタブが、理想郷であるところの幻想郷を余すところなく蹂躙してしまっていた。
「……帰ろ」
脊髄を走った寒気に、妹紅の身体は大きくぶるりと震えた。
◆ ◆ ◆
藤原妹紅との殺し合いに勝ったので、蓬莱山輝夜は鈴仙を呼んで、その死体を持ち帰らせた。屋敷の掃除を途中で放棄せざるを得なくなった鈴仙としては、大変にいい迷惑であった。
「なんで今日に限ってこんなことを……」
「だって今日は、珍しく身体を綺麗に残したまま負かせられたんだもの」
ふたりはふよふよと竹林を飛ぶ。よほど嬉しいのか、輝夜は満面の笑顔だ。鈴仙もあははと表面では笑顔を取り繕いながら、姫君の笑顔の意味はまるで理解できなかった。
確かに負ぶわれている妹紅は、服は多少乱れているものの顔や身体に傷は見られない。死体にしては温いのが気になるが、激しい運動の後だからとか妹紅の炎のせいだとか、そちらの理由は分からないでもない。
「私も色々と仕事がありますので、これっきりにして下さいよ」
「いいじゃないの、そんなに時間かかるわけじゃないんだし」
輝夜が唇を尖らせると同時に、永遠亭の正門が現れた。だが鈴仙は、正門をくぐると玄関とは別の方向に飛んでいく。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「裏口です。あの浴室にはそっちの方が近いので」
重い荷を背負う鈴仙としては、できるだけ長く飛んでいたかったのだ。
浴室は、裏口から入って本当にすぐのところにあった。この裏口を知らなかった輝夜は、永遠亭の秘密をまたひとつ知ったと更に上機嫌になった。
「ほらほら、早くお風呂場に入れてよイナバ」
「分かりましたよ、ちょっと待って下さい」
灯りをつけてドアを開いて、輝夜は待ち切れないといった様子で鈴仙を急かす。
急かされるままに慌てて背中から降ろしたため、浴槽の縁に妹紅の頭がぶつかって、ごんと鈍い大きな音がした。
「あぁもう、気をつけてよ。傷ついたら大変」
「す、すいません」
輝夜は妹紅の頭をぺたぺたと触り、傷ができていないことを確かめた。やがて傷のないことを知るとにこりと笑い、ぺたぺたしていた手を後頭部から頬へ持ってきた。両掌で頬をむにゅうと挟んだり、指先で鼻をつついたりしている。眠っている友人に悪戯でもしているかのような光景だが、妹紅の力なく虚空を見つめる眼が、悪戯の相手が死体であることを知らしめていた。
「こうして改めて見ると、本当に綺麗だわ、この娘の顔って」
輝夜の表情は、お気に入りの人形で飯事をする娘のそれであった。
鈴仙はその様をしばらく眺めていたが、掃除の途中であったことを思い出し、少しげんなりとなった。
「それじゃ姫様。私掃除をしてきますので」
「行ってらっしゃい。あ、そうだイナバ」
行きかけた鈴仙は、呼びかけた声に振り返る。輝夜は無邪気に笑って言った。
「妹紅の身体をひっくり返してさ、お湯を張っておくってのはどうかしら。眼が覚めたら水の中で、この娘きっとパニック起こして、またそのまま溺れ死んじゃうわ、きっと」
「…………ご自由にどうぞ」
その笑顔がこの上なく不気味に見えてしまうことが、鈴仙にはたまらなく悲しかった。
◆ ◆ ◆
永遠亭の小さいほうの浴室は本当に狭い。大人二人が同時に入浴することはまずできないだろう。
そんな部屋に、三人の蓬莱人が立っていた。一歩動くこともままならない空間で、彼女らは真っ直ぐバスタブを見下ろしていた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
永琳が誰ともなしに呟いた。
「貴女達の勝負に巻き込まれた、とかじゃないでしょうね」
「違うわ。というか、この娘はそんなヘマするような娘じゃない」
妹紅が取り繕うように答えた。
「あんたの下にいるのが嫌になって……とか」
「ふざけるんじゃないわよ。この娘はここで幸せに暮らしていたじゃない」
輝夜は憤った。
「永琳。変な薬の実験台とかにしたんでしょう」
「あのねぇ。いくらなんでも私だって命の危険くらい考慮するわよ」
三人の声は、浴室特有のリヴァーブが加わってよく響いた。
しかしそれっきり言葉が続くことはなく、残響が短い尾を引いて窓から飛び出していくだけだった。
「それにさ」
輝夜が問う。
「誰よ、ここにこれを置いたのは。意味なんかないでしょうに」
「私じゃないし、もちろん妹紅でもないでしょうね。そうなると――」
永琳は、ふと気配に気づいて廊下の方を見た。
「私だよ、入れたのは」
そこには因幡てゐが立っていた。俯いたまま、唇を噛んでいるのか声を震わせている。
「そこに入れれば、生き返るんだ。きっと目を覚ますんだ。だから!」
言うが早いか、てゐは三人の脚の間をくぐり抜け、バスタブの蓋を手にした。
「そっとしておいてよ! 蓋を開けちゃ駄目だよ!」
叫ぶ彼女は、ふるえる手で何度もしくじりながら、バスタブに蓋を被せようとする。
蓬莱人達は、その様子をぼんやりと眺めていた。その眼がかつて、自分がバスタブの中で見せていたものと同じであることなど、誰も知る由もなかった。
浴槽の中では、薄く眼を開けたままの鈴仙・優曇華院・イナバが、ただじっと浴室の天井を見つめていた。
永遠亭の居住区域内にあるその浴室は、決して広いものではない。むしろ狭っ苦しいほどだ。小さな体躯の妖怪兎達ならばともかく、大人が二人一緒に入ることは難しいだろう。バスタブなど、脚を屈めなければ中に入ることはできない小ささだ。
そのバスタブの中に、負ぶっていた輝夜の身体をどさりと降ろし、鈴仙はやっとのことで一息ついた。
「重……。毎度のこととはいえ勘弁してほしいわ」
そして浴槽の脇にしゃがみ込み、乱れていた輝夜の前髪を軽く整える。
この浴室は、入浴には用いていない。永遠亭には一流旅館もかくやというほどの大浴場が備えられていて、住人達はそちらで存分に疲れを癒している。
いつの間に幻想郷に流れ着いたのかは分からないが、気が付いたら永遠亭に存在していたこの浴室は、次第に本来の用途とは全く違った使われ方をするようになった。蓬莱人をふたりも抱えるこの医院でしか必要とされないであろう場所、すなわち簡易の遺体安置所である。
「今日の死因は何かしら。部屋の中で倒れてたんだし、あの炎使いに殺られたって訳じゃなさそうだけど」
眼を薄く開けたまま少しずつ硬直していく輝夜は何も応えない。なぜ彼女が死んだのかを知るには、生き返るまで今少し待たなければならない。
死亡からリザレクションまでの少しの間、蓬莱人はここに寝かされる。以前は布団の上に安置していたのだが、傷等があると当然布団は血や汚物で汚れてしまう。その点、このバスタブは便利だった。蛇口を捻れば水が出るので、すぐに汚れを洗い流せるのだ。もっともこの浴室掃除は、申し付けられる兎達からはとても嫌われる仕事だったが。
「あら、輝夜死んでたの?」
浴室のドアを通じて声をかけたのは、鈴仙の師匠たる八意永琳だ。
「はい、部屋のど真ん中で。死因は分かりませんけど。解剖でもして調べてみます?」
「必要ないわよ。『心不全』でいいわ、面倒臭いし。まったく、呼んでも返事がないと思ったら」
呆れたように一つ息を吐いて、永琳は踵を返した。
「ウドンゲ。輝夜が目を覚ましたら、私の研究室に来るよう伝えて頂戴」
「分かりました」
「あぁ、あと買い足してほしいものがあるから、貴女今から人里まで行ってきてくれる?」
「今、ですか」
「そ、今。はい、これメモ。じゃ、よろしくね」
すたすたと歩いていく師匠の背中が廊下の角に消えてしまうと、鈴仙も一つ溜息を漏らした。
「人使いが荒いなぁ、もう……」
昼食の後片付けが終わって、少し食休みでも取ろうかと思っていた矢先だったのである。愚痴の一つも零れようというものだ。
鈴仙は立ち上がり、丸めて立てかけてあったバスタブの蓋を閉めた。輝夜の頭がつっかえたので、腰の位置をずらしてきちんと納め直さなければならなかった。
人里から戻るころには、輝夜はとっくに蘇生しているはずである。なので伝言は、その辺りにいる適当な兎に頼もう。
そう決めて、鈴仙は浴室の灯りをぱちんと消した。
◆ ◆ ◆
永遠亭の庭先で八意永琳が死んでいたので、藤原妹紅はどうしていいか分からず、とりあえず面識があって憎しみはない鈴仙を呼んだ。
「貴女が殺したんじゃないでしょうね」
「馬鹿なこと言わないで。私が何でそんなことをしなきゃいけないのよ。起きたらそいつに聞いてみればいいでしょ」
鈴仙は師匠を負ぶって、妹紅と共に狭い浴室へと向かっていた。
永琳の身体に外傷は見当たらないが、唇からひとすじの血が垂れている。自分の作った薬を飲んでみたら毒だった、とかだろうか。彼女には毒も薬も効かないはずなのだが。
「ここ、なの?」
「はい。ドア開けて、灯りを点けてもらえますか」
言われた通り、妹紅は擦り硝子でできたドアを開け、電気のスイッチを入れた。
「こいつは何ともまぁ……。生き返るまでここに置いとくのか」
妹紅にとっては見たことのない形をした部屋だったが、床がタイル張りであることやカランと浴槽があることから、ここが浴室であるということは見て取れた。所々に黴汚れがあるものの、清潔感はそれなりに保たれている。
よっこらせ、と鈴仙は永琳の身体を浴槽に降ろした。永琳の薄く見開かれた眼が、天井をぼんやりと見つめていた。
「はぁ、困ったなぁ。今日は師匠の授業があるはずだったのに」
「授業って、医学のか」
「えぇ。師匠の仕事と私の仕事、その空いた時間が噛み合う日に少しずつ進めて頂いているんですけど」
鈴仙はスノコのように丸めてあるバスタブの蓋を取って、ぱらりと被せる。
「ま、いっか。前回の課題の出来栄え微妙でしたし、やり直す時間ができたと思えば」
「その蓋、閉めちゃうんだ。生き返ったときに邪魔じゃない?」
妹紅の脇をすり抜けた鈴仙は、ドアを閉めて灯りを消し、傍の洗面台で手をじゃぶじゃぶと洗った。
「死んで生き返った経験がないので、邪魔かどうかは分かりませんが。でも姫様も師匠も別に文句言ってきませんし、問題ないんじゃないでしょうかね」
そのまま、手拭いで水気を切る。やたらと念入りに、月兎はごしごしと両腕を擦る。
「それに目に入って気持ちいい物ではないでしょう、死体なんて。蓋しておくに限ります」
紅い眼が妹紅を少しの間見つめた。
妹紅は言葉を返せなかった。人間たる自分より目の前の宇宙兎の方が、人間らしい感性を持っているように思えてしまった。自分はとっくに人間ではなくなっているのかもしれないと、妹紅は今更ながらに思った。
「それじゃ、姫様と顔合わせないうちに早く帰って下さいね。よしんば出会ってしまったとしても、殺し合いとか弾幕勝負とかなら外でお願いします」
そう言い置いて、鈴仙は行ってしまった。永琳からの課題のやり直しをするつもりなのだろう。
妹紅は浴室に目を向けた。擦りガラスの向こうに白くぼんやり浮かぶ浴槽を見た。
あの中には、死んだ永琳が入っている。
その事実だけで、目の前の空間が圧倒的な質量をもった。非日常のはずの日常がすっかり溶け込んでしまっている、この永遠亭という場所がひどく恐ろしいものに思えた。あの狭いバスタブが、理想郷であるところの幻想郷を余すところなく蹂躙してしまっていた。
「……帰ろ」
脊髄を走った寒気に、妹紅の身体は大きくぶるりと震えた。
◆ ◆ ◆
藤原妹紅との殺し合いに勝ったので、蓬莱山輝夜は鈴仙を呼んで、その死体を持ち帰らせた。屋敷の掃除を途中で放棄せざるを得なくなった鈴仙としては、大変にいい迷惑であった。
「なんで今日に限ってこんなことを……」
「だって今日は、珍しく身体を綺麗に残したまま負かせられたんだもの」
ふたりはふよふよと竹林を飛ぶ。よほど嬉しいのか、輝夜は満面の笑顔だ。鈴仙もあははと表面では笑顔を取り繕いながら、姫君の笑顔の意味はまるで理解できなかった。
確かに負ぶわれている妹紅は、服は多少乱れているものの顔や身体に傷は見られない。死体にしては温いのが気になるが、激しい運動の後だからとか妹紅の炎のせいだとか、そちらの理由は分からないでもない。
「私も色々と仕事がありますので、これっきりにして下さいよ」
「いいじゃないの、そんなに時間かかるわけじゃないんだし」
輝夜が唇を尖らせると同時に、永遠亭の正門が現れた。だが鈴仙は、正門をくぐると玄関とは別の方向に飛んでいく。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「裏口です。あの浴室にはそっちの方が近いので」
重い荷を背負う鈴仙としては、できるだけ長く飛んでいたかったのだ。
浴室は、裏口から入って本当にすぐのところにあった。この裏口を知らなかった輝夜は、永遠亭の秘密をまたひとつ知ったと更に上機嫌になった。
「ほらほら、早くお風呂場に入れてよイナバ」
「分かりましたよ、ちょっと待って下さい」
灯りをつけてドアを開いて、輝夜は待ち切れないといった様子で鈴仙を急かす。
急かされるままに慌てて背中から降ろしたため、浴槽の縁に妹紅の頭がぶつかって、ごんと鈍い大きな音がした。
「あぁもう、気をつけてよ。傷ついたら大変」
「す、すいません」
輝夜は妹紅の頭をぺたぺたと触り、傷ができていないことを確かめた。やがて傷のないことを知るとにこりと笑い、ぺたぺたしていた手を後頭部から頬へ持ってきた。両掌で頬をむにゅうと挟んだり、指先で鼻をつついたりしている。眠っている友人に悪戯でもしているかのような光景だが、妹紅の力なく虚空を見つめる眼が、悪戯の相手が死体であることを知らしめていた。
「こうして改めて見ると、本当に綺麗だわ、この娘の顔って」
輝夜の表情は、お気に入りの人形で飯事をする娘のそれであった。
鈴仙はその様をしばらく眺めていたが、掃除の途中であったことを思い出し、少しげんなりとなった。
「それじゃ姫様。私掃除をしてきますので」
「行ってらっしゃい。あ、そうだイナバ」
行きかけた鈴仙は、呼びかけた声に振り返る。輝夜は無邪気に笑って言った。
「妹紅の身体をひっくり返してさ、お湯を張っておくってのはどうかしら。眼が覚めたら水の中で、この娘きっとパニック起こして、またそのまま溺れ死んじゃうわ、きっと」
「…………ご自由にどうぞ」
その笑顔がこの上なく不気味に見えてしまうことが、鈴仙にはたまらなく悲しかった。
◆ ◆ ◆
永遠亭の小さいほうの浴室は本当に狭い。大人二人が同時に入浴することはまずできないだろう。
そんな部屋に、三人の蓬莱人が立っていた。一歩動くこともままならない空間で、彼女らは真っ直ぐバスタブを見下ろしていた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
永琳が誰ともなしに呟いた。
「貴女達の勝負に巻き込まれた、とかじゃないでしょうね」
「違うわ。というか、この娘はそんなヘマするような娘じゃない」
妹紅が取り繕うように答えた。
「あんたの下にいるのが嫌になって……とか」
「ふざけるんじゃないわよ。この娘はここで幸せに暮らしていたじゃない」
輝夜は憤った。
「永琳。変な薬の実験台とかにしたんでしょう」
「あのねぇ。いくらなんでも私だって命の危険くらい考慮するわよ」
三人の声は、浴室特有のリヴァーブが加わってよく響いた。
しかしそれっきり言葉が続くことはなく、残響が短い尾を引いて窓から飛び出していくだけだった。
「それにさ」
輝夜が問う。
「誰よ、ここにこれを置いたのは。意味なんかないでしょうに」
「私じゃないし、もちろん妹紅でもないでしょうね。そうなると――」
永琳は、ふと気配に気づいて廊下の方を見た。
「私だよ、入れたのは」
そこには因幡てゐが立っていた。俯いたまま、唇を噛んでいるのか声を震わせている。
「そこに入れれば、生き返るんだ。きっと目を覚ますんだ。だから!」
言うが早いか、てゐは三人の脚の間をくぐり抜け、バスタブの蓋を手にした。
「そっとしておいてよ! 蓋を開けちゃ駄目だよ!」
叫ぶ彼女は、ふるえる手で何度もしくじりながら、バスタブに蓋を被せようとする。
蓬莱人達は、その様子をぼんやりと眺めていた。その眼がかつて、自分がバスタブの中で見せていたものと同じであることなど、誰も知る由もなかった。
浴槽の中では、薄く眼を開けたままの鈴仙・優曇華院・イナバが、ただじっと浴室の天井を見つめていた。
ゾクッときた
鳥肌立った…
生活感のこもった描写がお見事でした。
久しぶりにドスッときました。すばらしいです。
していればよかったのにと。
深くおもわざるをえない
はは、笑えないわ。
別にこわくはないけど、なんかこわい
うーん、なんといえばいいか……
ともあれ見事な文章でした
ピープル良いですよね。
aliceの「君は誰の子だい?」とかもそれっぽいな
ただの蓬莱人死にまくりなシュール作品だと思ったのに。
予想してなかっただけに破壊力がしゃれになってないです
参りました、満点置いていきます
やられました。
いい作品ですね。
とにかく最後まで引き込まれつつ読めて、オチにも感心したのでこの点で。
アレもすごく、何とはなしに「死」がからみついた嫌な空気
いつも「死」の場面がどこかで目に入る生活ってのは、
たとえ気にしないように振る舞っても何かしらの影響を受けるモノなのかな
もちろん現実の葬儀屋や医者、看護師さんとかが、
みんなそういう暗い影を背負って生きているとは言わないけど
ただどんげは元軍人かつ狂気を操る気質で、
何というか、彼女の性質として少し死というモノに親しみやすかったわけで
ふとしたキッカケでこうなってしまったんでしょうか、とか
ぞっとしました
技巧に負けて何かがある臭いを消せない作品をばかりの中で見事だったと思います。
個人的にはもっと重苦しく落とした作品をのほうが好きですね。
死体安置浴室とかおもしろい設定だなーって楽しみながら呼んでたら、最期の最期で完全予想外のオチ……。
おもしろかったです・・・うどんげぇ・・・
実に気持ち悪いという褒め言葉を送らせていただきます。
浴室がここまで異様な空間になるとは。永遠亭ならではですね。
例えるなら、淀みきり禍々しいまでの藻が溢れそうな池に沈められるような気持ち悪さ。
美しさの欠片もないのに、圧倒される。
他の方も仰っているが、気持ち悪いというのがここまで似合うのも他にはない。
お見事です。
だめぇ…
どうして…
えっ?なにそれこわい←クリック時。
素晴らしい落差でした。
面白かったです!←今ここ。