「私は四季映姫・ヤマザナドゥ、この世界の閻魔です」
「あぁ、説教好きな方らしいわね、月の兎に聞いたことがあるわ」
「あら、私の事を知っているの?」
妹紅が、その口うるさい閻魔と出会ったのは、竹林での事であった。
人里に夕飯の食材を買いに行った帰りに、妹紅は、竹林で一人立ちつくしている女性を見かけた。
人間では無い事は一目で分かったが、唯の妖怪とも違うように見えた。
人間に害をなす様には見えないが、普通の妖怪にしては、力が強大すぎる。
まさか、迷っているという訳では無いだろうが、万が一と言う事もあるし、目的も良く分からないので声をかけてみたのである。
そうした所、彼女が閻魔であるという事が判明したのである。
閻魔様が、何故こんな所にいるのかと問うた所、今日は久しぶりの休暇であり、それを利用して、幻想郷の人妖に説教に来た、という返事が返ってきた。
寝るなどしてゆっくり過ごせばいいものを、物好きな奴もいるものだ、と彼女は思ったが口には出さないでおいた。
今日に限らず、休暇には、良く説法に来るらしい。
彼女が以前説教をしたという人間の中には、妹紅が知っているのも何人かいた。
巫女に魔法使い、メイドに半人。
どいつもこいつも肝試しの肝を抉り取って行く様な奴らだったので、説教されるのもまあ当然だろうなと思いつつ、妹紅は閻魔の愚痴に耳を傾けていた。
その話の中で、映姫が、会った事もない人妖の事を、恰も全てを知っているかの様に語れるのに疑問を感じ、妹紅はその訳を尋ねた。彼女は、私には、幻想郷にいる全ての生命を見る手段がある、と返答をした。
「私がどんな人間かってのも分かるって言うの?」
妹紅は何の気は無しにそう尋ねた。
「はい」
そう言うと、映姫は懐から手鏡を取り出した。
「この鏡は浄玻璃の鏡と言って、貴方の過去をすべて映し出します」
「ふぅん?」
映姫の手の平に収まりそうなそれは、鈍い光を放っており、得体の知れない不気味さを彼女に感じさせた。
「何でもお見通しってわけね。じゃあ、質問なんだけど、私って死ねるの?」
自分でも何故そんな質問をしたか分からないまま、妹紅はそう問いかけていた。
不老不死である妹紅は、死ぬことが出来ない。天国からも、地獄からも、冥界からも拒絶された存在である。故に質問の答えは決まりきっていた。
「不可能です」
予想はしていたが、閻魔の答えはえらくあっさりとしていた。
「そう」
そのせいか、妹紅の返事も自然と素っ気のない物になる。
「まずは前提として、貴方は三途の川に至れません。貴方は蓬莱の薬により、この世界、即ち現世に縛られています。三途の川は此岸と彼岸の境界ですからそこを覗く事も出来ません」
他に特に話したい事も無く、夕御飯の準備もあったので別れを告げようとした妹紅だったが、映姫は滔々と解説を始めだした。そのまま放って置く訳にもいかない為、面倒臭がりながらも映姫の話に耳を傾ける。
「仮に何らかの手段で三途の川に足を踏み入れたとしましょう。この幻想郷は御伽噺の世界ですから、ともすれば、そんな事があるかもしれません。しかし、小町が居ますからね。あの子の能力は、死者の罪の重さに応じて、川の長さを変えます」
「貴方と私は竹馬の友じゃあない。そこは何とかサービスしてよ」
「冗談ではありません。貴方は大罪人です。斯様な事は許されません」
茶々を入れた妹紅だったが、映姫は取り合わない。それどころか、妹紅を全否定する様な言葉を吐いた為、妹紅は少しむっとした顔になった。
「話を続けますよ。貴方が生まれてから何百年かして制度が変わりましてね。それまでは死者も少なかったから川を渡って貰っていたのだけど、死神が船頭をする事になったの。残念だったわね、その時だったら、貴方ももしかしたら死ねたかもしれないのに」
妹紅の眉がぴくりと動く。しかしそれを意に介さないかの様に、映姫は話を続ける。
「それでまあ、何とか三途の川を渡ったとしましょう。その後には私の裁判がありますね。」
「そう、もう分かったわ。どっちにしろ私には不可能な話なのだから、説明は不要だわ」
妹紅は少し声を荒げる。知らず知らずの内に自分の拳に力が入っていた理由を自問自答しながら、話を打ち切ろうとする。しかし目の前の閻魔はその口を止めようとしない。
「私のこの悔悟の棒は罪の数に従って重みが増します。貴方が、裁かれる場合その重さは…」
「ありがとう、もう必要ないからそれ以上はやめて」
妹紅は無理矢理話を打ち切ろうとする。砂嵐が吹き荒れるが如く、自分の心がざわめきだっていくのが分かる。握りしめた拳が熱を帯びる。
「…その重さは無尽の物となります。その棒で叩かれた場合」
「やめて」
「貴方の霊魂は」
「月のいはかさの呪い」
頭が真っ赤になったと感じる間も無く、妹紅はほぼ無意識にスペルカードを発動していた。
攻撃を仕掛けたという事実に頭が冷静さを取り戻しかけるが、映姫に対する怒りがそれを凌駕した。
「弾幕裁判」
しかし、不意打ちに対する反撃にしては、あまりに早すぎる速度で映姫の攻撃が展開された。
「っ…!」
映姫の氷の様な冷たい目が妹紅を射抜く。妹紅はそれを振り払うかの様に炎を放っていった。
数刻の後、その場に倒れていたのは妹紅だった。スペルカード戦であるにも関わらず、妹紅は輝夜と殺し合いをする時以上の恐怖を感じていた。絶対的な、異次元から見つめている様な眼光が自分の心を固く掴み、それに捉えられると、否が応にも、自分の中にあるどろりとした物と向き合わなければならなくなるのだ。
富士の山で岩笠を殺し、己の立場を守る為に敵を殺し、人を殺し、妖怪を殺した。不老不死の原因となった輝夜を殺した。何度も何度も殺した。
私は唯の人間だ。
無限の時を生きるといっても、生きている時間は未だ有限でしかない。那由他の時が過ぎようとも、天地がその形象を失おうとも、妹紅はその存在を持続するが、その時から見ても矢張り生きてきた時間は有限である。
良く、物語の中で、不老不死の人間はあたかも悟りきった仙人の様に描かれる事が多い。
巫山戯るな、と妹紅は思う。総てを諦めて、総てを俯瞰して、総てを許して生きられるものか。私は復讐を望んだだけの一介の人間でしかなく、ありふれた、歴史に残らない筈の人間だった。同様の咎人は腐るほどいるはずなのだ。なのに私だけが、果てる事の無き苦輪にその身を痛めつけられる。輝夜や、あの薬師と私を一緒にするな。あんな螺子が数百本吹っ飛んだ奴等と同じ様に、日々を過ごしていく事は私には出来ない。私が味わった絶望は何人にも理解されない。不死であるという事は未来を奪われる事と同意である。
人は死ぬからこそ生きる事が出来る。死ぬからこそ、生に対する不安、未来に対する不安を抱く事が出来る。妖怪や妖精達の中にも死なない物達はいるが、それらは“そういう物”として生まれて来ているのだ。無限の責苦を共に背負ってもらう事は出来ない。私だけが黒い光の中で孤絶される。私だけが、取り残される。共に歩む者も無く。過去の罪に縛られて。
「藤原妹紅」
無機質でありながら、憐憫を含んだかのような映姫の声が、妹紅の耳朶を打つ。その言葉に意識を取り戻した妹紅は、近くの岩場に腰を下ろし、片膝を抱え込むようにしながら映姫の方に目を向けた。
「老いる事も死ぬ事も無い、大罪人」
楽園の閻魔は変わらぬ調子で言の葉を紡ぐ。
辺りは、全ての生命が死に絶えたかの様に静まりかえっている。
全ての物が、閻魔の下に平伏していた。
「貴方はその無限の輪廻から外れる事は出来ない。殺人を犯し、蓬莱の薬を奪い取った貴方から、その罪が消える事は無い。死なない貴方は、その罪を裁かれない」
「…」
「貴方にできる事は、無限に自分の罪と向き合い、無限に自らを裁く事。裁かれない罪を裁く事。それが貴方の積める善行です」
裁判官は、氷の様な厳粛さを以て、そう告げた。
「と、いうのが私の閻魔としての立場からの言葉です」
一転して、柔らかい口調に転じた映姫に驚き、妹紅は思わず訝しむ様な顔で頭を上げた。
「実は、白沢から相談を受けていましてね。」
思わぬ単語が映姫の口から飛び出したのを聞き、妹紅は虚を突かれた表情になる。
聞く所によると、閻魔である映姫は、御阿礼の子である歴代の稗田と交友関係がある、という事であった。御阿礼の子は転生の術の為、閻魔の下で働かなければならない。今の稗田阿求は9代目の御阿礼の子であるから、転生時には記憶がリセットされるとは雖も、映姫とは何百年単位で付き合いがある事になるのである。勿論、映姫には立場がある為、お互い仲よしこよしという訳には行かないし、そもそも閻魔としての性質上、彼女は何者にも染まる事はない。言うなれば映姫と稗田は、先生と生徒の様な間柄なのである。
そして、稗田と慧音は共に歴史の編纂を手掛ける者同士、同好の士として知識の交換
を頻繁に行っており、その仲の良さは人里で皆知る所となっている。
慧音と映姫は稗田を介して知り合ったという事であった。
映姫は、慧音が妹紅の事を慮り、酷く心を傷めていた事を語った。
慧音は、自分が死んだ後の事を、特に心配していたという。今の幻想郷は、確かに人ならざるものに対しても優しい環境ではあるが、それが即ち、妹紅という人間を理解しているという事にはならない。幻想郷の在り方は相手が何なのか分からないまま、取り敢えずそれを受け入れる。そして彼女は、そんな幻想郷の中で、妹紅が、いつも己の境遇故の孤独を感じている事に気づいており、心を悩ませていた、と言う事だった。自分が生きている間は、理解できないまでも、まだ彼女と共に歩く事は出来る。しかし自分が死んでしまった後、理解しようとする人がいなければ、妹紅は、今より深い孤独に閉じ込められてしまう。そう考えた慧音に、妹紅自身に己の考え方を変えさせ、自分が死んだ後も、妹紅が現世を儚まずにいられる様にして欲しい、孤独を感じずに居られる様にして欲しい、とお願いされた、と映姫は語った。慧音自身が妹紅に直接述べず、映姫という媒介を介し、述べてもらったのは、少しでも、自分の言葉に縛られないようにしたかった、という狙いがあったらしい。
妹紅はそれを聞き、私が何百年生きてると思ってんの…てかあんたの説教だと生きるの嫌になっちゃうわよ…と呆れた様に呟いた。だが、その頬にはほんのり薄紅色がさし、眼は涙を湛え、きらきらと濡れていた。
「私は死者として貴方を裁く機会が無いですから、こちらで一度裁いてみる必要があると思ったのです。貴方は死なないので、死後を豊かにするという観点で、思考し行動する事が出来ない。そうすると現世をただ無為に過ごす事となります。それはあまりにも哀しい事です」
映姫は妹紅に向けて幽かに笑顔を向けながら語る。妹紅はそれを受け、くすぐったそうな顔をして顔をそらす。
「いきなり攻撃を仕掛けて悪かったわね」
「いいえ、貴方が怒る事も織り込み済みで話していましたから」
映姫はしれっとした顔で答える。
「でしょうね、まあ私もそれに乗っかった所あるし」
妹紅もそれに返し、ふふ、と軽く笑った。
辺りはすっかり薄暗くなり、誰そ彼時の夕闇が竹林を包んでいた。
そろそろ、妖怪達が活発に活動し始める時間である。
映姫は話したい事は話したらしく、踵を返し帰ろうとしていた。
妹紅は、その背中に言葉を投げかけた。
「閻魔さん」
「なんでしょう?」
映姫は、くるり、と振り向いた。
「あんたの言う事は分かるよ」
ぽつり、と妹紅は呟いた。
でもね、という言葉と共にその眼が暗い冥い物へと沈んでいく。唇が薄く開き歪な笑顔を形作る。
「私は矢張り人間なんだ」
「…」
「私は私である事を変えられないし、変える気もない。あんたの言う事が可能なら、既にやっている」
「…」
「私は変わらず輝夜を殺すし輝夜も変わらず私を殺す。私は罪を築き続ける。そしてその罪を背負い続ける。でも、私は絶対にそれを裁かない。裁く事は最早出来ない。そうするには、私は少し長く生き過ぎた」
「それで良いと思いますよ」
予想外の言葉が映姫の口をついて出る。
「私が言う事を実現しながら生きていく事なんて誰にも出来ませんよ」
「拍子抜けする様な事を言うわね」
「私が説教するのは、相手の心中に私の思考という芽を埋め込む為。そうすれば、自然と行動にも私の説教による影響が生まれるのです。人は一人で生きているのでは無いですからね。藤原妹紅」
「…そうね」
「私の今日の説教の裏の目的は、貴方が孤独では無い、という芽を植え付ける事」
「…」
「白沢に感謝しなさい。貴方は善い友を持っています。彼女と仲睦まじく過ごす事もまた貴方の積める善行かも知れませんね」
「かも知れません、とは閻魔様の癖に曖昧な言い方ね。まあでも分かったわ。ありがとね、御地蔵さん」
「あら」
映姫は驚いた様な表情で妹紅を見返す。
「何百年か前、あんたと似た様な気配を味わった事があるのを思い出してね。鎌をかけてみたの」
「一本取られましたね」
「驚かす事が出来たなら重畳だわ。説教されっぱなしじゃ、少し悔しいじゃない」
照れくさそうな顔をしつつ、妹紅は舌を出す。
「ふふ」
映姫もそれを見て微笑む。
妹紅は緩やかに死を望む。
地獄は彼女の理想郷。
地獄は彼女の幻想郷。
死は、届く事の無い憧れ。
その考えは変わらない。
果てぬ生は醜く憎いもので。
それを与えた輝夜もまた憎い。
その思いは変わらない。
それを思うと心は鬱ぐ。
しかし、今は少し心が満ちている。
白沢は彼女の生を肯定する。
彼女はそれを再確認できた。
無限に生きるという事は、無限に生を肯定されるという事。
無限にその思いを味わえると言うのは、何とも嬉しい事では無いか?
そして生を肯定出来るなら、その時は自分の罪を裁く余裕も持てるかも知れない。
妹紅は緩やかに生を望み始めた。
朋が有り
そしてその朋は私の傍にいる。
不亦楽?
おまけ
けーね「というか、サン・ジェルマンとか徐福とか八百比丘尼とかさまよえるユダヤ人とか色々来てると思うんだよな、幻想郷なら。さみしいならそいつら探してみれば良いんじゃないか?」
もこー「おおそれは盲点」
めでたしめでたし
あるあ
しかし 両方良かった。
踏み台にするには勿体ない出来の作品だと思いますよ。
少なくともジャンプ台ですね、個人的には。
あともこー、けーねの紹介した前二人はやめるんだ、けつの毛までむしられちゃうから。
最後に、初投稿おめでとうございます。それと、ご苦労様で静葉た。
すばらしい名言でした
静葉のSS待ってますww
なんだかんだ言って同じ境遇な人多そうだな、さすが幻想郷
なんとなく踏み台にするのは惜しいかもしれません
まあ踏み台とまでは行かないもののこの世界観を踏まえればこれからもいい作品が作れると思いますよ。
少なくとも僕は好きです
えーきっき可愛い
うるわしい閻魔様に脱帽