冬である。
空から降りしきる雪たちが世界を銀色に染めあげ、身を切らんばかりの冷気を纏った寒風吹き荒ぶ、あの冬である。
現実の季節感とかどれだけ無視していようが、そろそろ世間の往来には半袖の人の姿がチラホラと見受けられようが、そんな些事とはまったく無関係に、冬である。
そう、幻想郷は冬を迎えていた。
そして幻想郷における冬の到来は、ある妖怪の本格的な活動の開始を意味する。
冬の象徴という言葉で、幻想郷の住人の半数はその妖怪の名を連想することであろう(ちなみに博麗の巫女を筆頭に残りの半分はこたつ、例外的に現人神などはヒロセコ○ミと答える。まったく間違ってはいない)。
「アーこ~とし~も~冬が来た~」
どこかで聞いたようなフレーズのウィンターリミックスを口ずさみながら、「冬の忘れ物」レティ・ホワイトロックは、白銀色の雪が舞い散る幻想郷の空へと飛び立った。余談ではあるがこのフレーズ、彼女は相当お気に召しているようで、冬がくるたびに毎年同じことを口にしている。まったく紛うかたなき余談である。
春夏秋冬巡りに巡って訪れた、冬。
普段は活発な人間や動物、そして妖怪も、この季節になると、やがて訪れる春を夢想しながらただ静かにおとなしく過ごすようになる。
風になぞらえられる里の童らは、そんな季節にも雪合戦やら雪だるまづくりやらで元気に外を走り回り、たまにハメを外しすぎて人里の守護者からありがたい頭突きを頂戴したりもする。
しかしやはり大多数の人間は、一つのジャパナイズ・ドリームの体現「KOTATU」にその身を預け、みかんと温かいお茶という、意外に合わない取り合わせを楽しむことだろう。誰だってそーする、俺だってそーする、少なくとも博麗の巫女はそーする。
「ああ! これでもかっていうくらいに冬ね!」
そんな静と忍耐の時期と称してもいい季節を迎えた幻想郷の寒空を、レティ・ホワイトロックは人里の童と同じくらい、あるいはそれ以上にはしゃぎながら飛んでいた。その浮かれっぷりは、くろまくを名乗るにはあまりに忍んでいない。
「毎年のこととはいえ、思えば長かったものだわ……」
だがそれも致し方なし。この日が来ることを、レティはまさに一日千秋の思いで待ち続けたのである。
「この四字熟語、気に入らないわね。なんで『秋』なのよ。『冬』でいいじゃない」
そんな無茶をひとりごちるレティの力は、わざわざ「冬の」妖怪とあだ名されるだけあって、他の季節になると大きく制限される。そんなレティにとっての春夏秋はまさに戦いの日々。
春のうららかな陽気に舌打ちをしながら、フラワーマスターのそれにも劣らぬ完全UVカットの日傘を取り出したかと思えば、夏の暑さを避暑地で氷風呂に浸かることでしのぎ、風呂上がりにはかき氷をかっ食らう。あの頭にくる“キーン”も、一度や二度ならば夏の風物詩として和やかに受け入れられるかもしれない。だが生きるために大量のかき氷を一気にかき込み、そのたびにあの“キーン”を味わう辛さは筆舌に尽くし難いものがあるだろう。でもなんだかんだ言ってもやっぱり大好物。レティがかき氷に寄せる思いは、愛憎入り交じって秋の空のように複雑である。また『秋』の字を使ってしまったがこれは他にいい表現が浮かばなかっただけであり、他意などはまったくない。
「まあ結局、一番おいしいのはスイよね」
どこぞの副部長もそう言っていたが、そこはイチゴだと思う。それはさておき、秋は秋で残暑に閉口し、涼しくなるまで堪え忍べば徐々に調子を取り戻すとはいえ、まだ万全とはいえない。そんな状態のレティを後目に、まさに絶好調といった様子ではしゃぐ秋の姉妹神。彼女らの肌のツヤと表情の輝きを見たレティは妬みをその胸に押し込めて、今に自分の季節がくると自らに言い聞かせる日々を送るのである。
「そして今、やっとこの私の季節がきたのよ!」
そんな語るは涙、聞くは微苦笑の苦労を乗り越え、レティは待ちに待った季節の到来を全身で感じながら祝福する。肌を撫でる心地よい冷気。かざした手の中で、元より存在していなかったかのように溶けてしまう細雪。そしてやや明るさの足りない冬の寒空。どれもこれも、レティにとっては馴染み深いものばかりである。懐かしき旧友との再会を喜ぶような心持ちで冬の空を飛んでいると、
「やい! 見つけたわよ!」
そんな気分に水を差す、これまたある意味馴染み深い声が、後方からレティを捉える。その声を聞くやいなや、ああこれも毎年のことだったかと、先ほどまでの上機嫌な表情から一転、みるみるうちに顔をしかめてしまう。観念したようにため息をつき、レティは嫌々ながら振り向く。その方向では、
「はぁ……。またアンタなの、チルノ」
自称幻想郷最強の氷精、他称幻想郷最強の公式バカ、チルノが、その雷名にふさわしき堂々たる佇まいを見せていた。
この冬の妖怪と氷精の邂逅は、「また」というレティの言葉が指すとおり、冬が訪れると決まって果たされる、毎年の恒例行事のようになっている。それがいつごろから始まったのかはレティ自身にも定かではないが、とにかくこの氷精は、彼女が毎年初めて冬の空へ飛び出す日を狙い撃ちするかのように、こうしてちょっかいを出してくるのである。
「はぁ……」
またため息。その様を見るに、彼女はこのようなチルノのちょっかいを、決して歓迎しているわけではないことがわかる。それもそのはず、冬になれば自然に干渉するほどの力を有する自分と、妖精にしては強い力を持っているとはいえ、所詮一介の氷精にすぎないチルノ。この両者の間には埋め難い絶対的な差があり、そして自分は遙か前方に位置するのだという自負を、レティは胸に抱いていた。そんな妖怪らしい矜持を持つ彼女であるから、自らの力と身の程を弁えずになにかと突っかかってくるこの氷精には、ぶっちゃけ迷惑していた。
「何? 強制イベントなの? これ」
しかしそんなレティの胸中をガン無視するかのように、運命は今年もこうして二人を引き合わせてしまったのであった。憎々しげに紅い館の方向へと目を向けるレティ。ちなみにその頃、運命の支配者たるスカーレット・デビルは、洋館において存分に違和感を振りまきながら設置されたこたつのなかで、例の取り合わせを堪能していた。西洋出身の割になかなか粋な吸血鬼である。
話が逸れに逸れてしまったところで、軌道修正を試みるかのように、チルノはレティに指を突きつけた。たとえ無自覚でもありがたい。
「ふふん、また会ったわね! レティ・ホワイトホール!」
レティは反射的に口から出かかった「誰が白い明日だ」というツッコミを、グッとこらえて飲み込んだ。そんなあまりに普通すぎるツッコミをした日には、猛火のごとき非難を浴びせられることは目に見えている。そんなものにさらされては、こおりタイプ(?)のレティとしてはたまったものではない。もし仮にチルノがこれを狙っていたのであれば、恐るべき罠である。チルノがそんな高度な心理戦を仕掛けてきているとはレティには到底思えなかったが、念には念を、である。考え過ぎともいう。
「また、というか約一年ぶりね。あと正しくはレティ・ホワイトロックよ、氷精さん。で、何の用?」
冷厳なる冬のごとき思考を以て、チルノの仕掛けた罠を回避しつつ、ごくごく冷静に間違いを正し、果てには用件まで聞き出すという高等技術を惜しげもなく披露するレティ。レティ本人的には妖怪と妖精の格の違いを見せつけた格好であるが、これらはあくまで彼女の主観による見方であり、実際の評価とはややズレが生じる可能性があることを断っておく。
「ふっふっふ、よくぞ聞いたわね。ここで会ったが百年ぶり!」
「一年ぶりだっつーの」
細かい言い回しの間違いには目もくれず、自分の発言に関する部分をツッコむレティ。この辺りにも妖怪特有の自尊心が見え隠れしている。ような気がしないでもない。
「今日こそあんたを倒して、冬の最強はあたいだってことを思い知らせてやるわ! 勝負よ! レティ・ホワイトホール!」
「誰が白い明日だ」
さしもの冬の忘れ物も我慢できなかったようである。
「勝負って言っても、結局は弾幕ごっこなわけでしょ?」
浮かない顔で頭をかくレティ。この弾幕ごっこも、彼女を憂鬱にさせる一つの要因である。
「もちろん」
「はぁ……」
幸せを集団脱走させんばかりのペースでため息を量産するレティ。どうにもこうにも気が乗らないのにはもちろん訳がある。
はっきり言ってレティは弾幕ごっこが苦手である。冬の間という制限付きながら大きな力を持つレティではあるが、精密かつ機敏な動作、避けづらさと遊び心を両立させた弾幕を作る発想等、弾幕ごっこに必要な諸々の要素が自分に欠けていることを、彼女は自覚していた。
「ふふん、あたいの強さに怖気づいたようね」
対照的にチルノは、妖精の本領発揮といわんばかりにちょこまかと動き回り、力不足を天才とアレの境界のごとき柔軟な発想でカバーするかのような弾幕で、レティを翻弄する。
今のところはどうにか勝ちは譲ってはいないものの、レティはスペルカードルールの恩恵を受けたチルノに幾度となく苦しめられてきたのである。
「いやそれはない。ない、けど……」
有り体にいってしまえば、地力の差は歴然にもかかわらず、全力を尽くさないと勝利は難しいこのスペルカードルールが、レティはめんどくさくて仕方がないのである。力の差があるもの同士でもある程度対等に戦えるこのルールには、レティも良識ある妖怪の一人として理解を示しながらも、やはりめんどくさいことには変わりない。
「どう? 素直にあたいの方が強いって認めるんなら、見逃してあげてもいいわよ」
なら適当に手を抜いてわざと負けるなりすれば、実際どうなるかは別として、満足したチルノはこうしてレティにからむこともなくなるかもしれない。
「――ふん。オツム足りてないくせに、よくも次から次へとでかい口叩けるもんだわ」
「褒めても無駄よ!」
「一ミリも褒めてないわ。あ、今のもストレートすぎたか。失敗失敗」
「さあ、受けるの? やるの? どっち!?」
「見事なまでの一択ね……ったくしょうがない、ならいいわ」
「ふっふっふ、商談成立ね」
「そんな金の匂いがする話をした覚えはない」
だからといって氷精ごときに負けるのもそれはそれで悔しい。そんな妖怪としてのプライドも、めんどくささを助長している一因であることを、レティは自覚しているかどうか。
「さあ、あたいの最強のスペルでヒィヒィ言わせてやる! いくわよ!」
「その根拠のない自信、粉雪のように散らしてあげる! 覚悟しなさい!」
なにはともあれボーダーオブデュエル。一枚目のスペルカードを同時に取り出す二人。寒空を戦場とした冬と氷の対決にもかかわらず、一気にヒートアップする空気。だがその熱気にまかせて攻撃を仕掛けてしまうような無粋な輩は、弾幕少女たちの中には誰一人としていない。
「レティ・ホワイトホール。あんたに言っておくことがあるわ」
「へえ、私に。いいわよ、聞いてあげる。どうせ大したことじゃないでしょうけど」
この世でもっとも無駄な遊びを始めるにあたっての、無駄な言葉による応酬。舌戦とも評し難い戯れ言の飛ばし合いもまた、スペルカードルールを彩る暗黙の了解の一つである。ちなみに名前の言い間違いはこの際スルーすることにしたようである。実に賢明な判断だと思う。
「レティ・ホワイトホール! あんたはりんりてきに考えて──あたいには勝てない!」
「!?」
ビシィと力強くVサインを突きつけて、勝利を宣言をするチルノ。そんなチルノのセリフにはやはり訂正箇所があるわけで、いちいち説明するまでもないかもしれないが、正しくは“りんりてきに”ではなく“論理的に”である。
そんな微妙な間違いが含まれたチルノのセリフに、しかしレティは動揺を隠せずにいた。
「……」
「ふふん、驚きで声も出ないようね!」
「……」
己の絶対優位を確信したかのように勝ち誇るチルノと、冷や汗が背中を伝うのを感じている自分とを見比べるレティ。そして自らの懸念が杞憂などではないことを、改めて確認する。
ヤバい──その時レティの脳裏によぎった言葉である。
何がヤバいってそりゃあんた、倫理的にいろいろとヤバい。
「──ッ!」
ギリッと歯を鳴らすレティの視線の先には当然、手を腰にあてて胸を張るチルノ。
ここであらゆる煩悩を一切排除した上で、その張った胸に焦点を当ててみよう。するとその部分には女性特有の凹凸が見られず、未だ発達には至っていないことがわかる。「んなもん個人差とかあるだろう」「幻想抱いてんじゃねーよ」「だがそれがいい」その他諸々の意見は、なるほどごもっともである。しかしあえて一部分にクローズアップせずとも、彼女を見た者は誰もが「子ども」という言葉を連想するだろう。
対するレティの体はというと、下品でない程度に肉付きの良い、いわゆるないすばでぃ。もっと言えば「すげーぐらまらす!!」である。そんな幻想郷でも屈指のばでぃを持つ彼女を、「少女」はともかくとして、「子ども」と称するにはいささかの抵抗があるだろう。
「くっ!」
加えて両者の身長差。レティの豊かな胸の高さ程度の身長しかないチルノ。レティがチルノの頭を撫でたりすれば、仲のよい姉妹、あるいは親子と見紛うほどに、実に絵になりそうな図である。
「うぎぎ」
そんな見た目は年長者の彼女が、子どもにしか見えないチルノ相手に、本気の弾幕を放つのである。大人げない通り越して、これは虐待ではないか。それって誇り高き妖怪として、いやそれ以前に分別ある大人としてどうなのよ。レティの動揺は広がるばかりである。
最も愛情を注ぐべきであるはずの親が我が子を虐待する、そんな悲しいニュースが連日お茶の間に伝えられる世知辛い時代である。それに伴って、児童虐待に対する世間の目も日に日に厳しさを増している。
このような世相を鑑みれば、レティの懸念もある意味当然と言えよう。ただし、これは別に幻想郷の話をしているわけではないという、根本的な点に目をつぶれば、だが。そして幻想郷ではごくごく日常的に、見た目幼女と見た目少女と見た目少女以上による弾幕ごっこがドンドンパチパチと繰り広げられているわけだが。
「今さらそんなこと言われても……!」
しかしレティがその点に気づくことはない。そもそも彼女がいかにしてそのような現代的発想に至ったのかまったくもって不明であるが、おそらくこの物語でその謎が明かされることはないだろう。たとえ強引であろうと、この件はこれで迷宮入りである。
「ふっふっふ、なら理由を聞いてもっと驚くといいわ!」
みなまで言うな。そんなことはもう嫌というほどわかっている。
レティは耳を閉ざしてその場を逃げ出したくなった。だが次にチルノが発した言葉は、レティにとって意外なものであった。
「あたいは二ボス、あんたは一ボス、一ボスが二ボスに勝てるどーりはない!」
バアァァアァンと、チルノは腕を組んでどうだまいったかと言わんばかりに、論理的思考によって導き出したらしい理由をレティに突きつけた。
「……はぁ?」
まったくの想定外。ならばこんな間の抜けた声の一つも出よう。
もちろんレティの思考が博麗大結界を突き抜けていたというのもあるが、それを差し引いても、チルノの言葉は突拍子のないものだった。だがしかし、動揺から立ち直って鋭さを取り戻しつつある冷厳なる冬のごとき思考(レティ談)を以て、彼女はとりあえず自分がバカにされているのだということだけは明確に理解していた。レティのハートに、火が灯る。
「チルノ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
「ふふん、何? あたいは優しいから何でも答えてあげるわ」
レティが、自らの勝利を信じて疑わない様子のチルノに問いかける。
「それ、誰に教えてもらったの?」
チルノが自ら考えたという可能性を一切考慮していない、レティの失礼極まりない予想に基づいた問いに、
「文よ。あいつなんでも知ってるから」
チルノは実に誠実な答えを返した。レティ、大正解。
「あや」
奴か。レティの脳裏に、いつぞやの取材に来たのかおちょくりにきたのかわからないブン屋の顔が浮かぶ。あのブン屋が、“わくわく”という文字を背負ってこの氷精にいらんことを吹き込む光景が、それほどブン屋と面識のないレティにもありありと想起できた。
あの迷惑極まりないジャーナリズムが道理を語るなどちゃんちゃらおかしい。あと誰が一ボスだ。あ、私か。いやそれはまあ百歩譲って認めるとしても、この私が氷精に勝てない? 面白いことを言う。面白すぎて笑えない。
レティの裡で燃え上がり始めた怒りの炎に、そいやそいやと油が注がれる。冬の妖怪ゆえ、あまり熱くなりすぎると体に障るのではないかと少々心配になったりもするが、とにかくこうしてレティは、氷精に余計な入れ知恵をした不逞の輩を知るに至ったわけである。
あと、別にチルノは論理的思考など用いてはいなかったことも判明したが、これはレティの知るところではない。
「ふふん」
そして目の前の氷精の、この勝ち誇った顔である。
「随分と、余裕そうじゃない」
「そりゃそうよ。だって文が『こーりとどーりが両方そなわり最強にみえます』って」
「無理がある」
手痛い指摘である。
しかしいくらブン屋にそそのかされたとはいえ、氷精がこうも生意気な口を利いていることは、やはり冬の妖怪たるレティとしては到底看過出来るものではない。そもそもそんな訳の分からん、道理と呼ぶにもおこがましいトンデモ理論に、なぜそこまでの信頼をおけるのか。それを聞いて本当に勝てると思ったのか。思ったのだろうな。いくら妖精とはいえ、あまりに短絡的にすぎる……! 次々と湧き上がる怒りと疑問と呆れのせいか、レティの体はプルプルと震え、こめかみにはピキピキと青筋が浮かぶ。
「フ、フフッ」
こんな感じで私すげえ怒ってますよと体全体が一致団結して盛大にアピールする中、団体行動のできない問題児が一箇所。レティは知らず、それはもう素敵すぎる笑顔を浮かべていた。されどその氷の微笑に秘めたるはもちろん、ほおずきみたいに紅い激情。そんなレティの笑顔の裏に隠された感情を、この単純な氷精が見抜くはずもなく、
「どう、驚いた? これであたいには勝てないってことがよーくわかったでしょ? だからそうやって笑ってられるのも今のうちなんだから!」
やはり自信満々に挑発を繰り返す。まあ見抜いていたところで、この氷精の振る舞いが変わったかどうかは疑問であるが。
「ん、ああ、私笑ってたの。全然気づかなかったわ。まあでも、確かに驚いたことは驚いた。まさか本当に教えてくれるとは思わなかったから。いやさすが最強名乗るだけあってやることが違うわー」
皮肉を言いながら、クックックッとそこはかとなくくろまくっぽい笑い声をあげる。
さて、長ゼリフを言い終えたレティが実力行使も辞さない抗議の対象を特定するにあたって、チルノの返答は大いにその結果に貢献しており、翻ってチルノは情報源の漏洩という、あってはならない愚を侵したわけである。が、だからといってチルノを愚か者だと責めることが、いったい誰にできようか。
「本当、チルノは優しいのね」
「え? あ……ふ、ふん! 今さらそんなこと言っても遅いわよ!」
そう。本人も言ったように、チルノは優しいだけなのである。
どこぞの化け猫も言っているように、わからなかったら人に聞くのが一番。しかしその問いに答えが返ってくるかどうかは別問題。そこから先は返答者次第である。
そこへきて、繰り返すがチルノは優しかった。チルノにとって聞かれたことに答えることは、冬場のねことみこがこたつでまるくなるくらい当然であり、何でも答えてやるという彼女の言葉に、相手を欺くなどという邪な感情が入る余地など存在しない。
かような妖精らしいともらしくないともいえる純粋な心を持ったこの氷精を責める者がいようものなら、顔の一つも見たくなるというのが人情である。
「さて、聞きたいことも聞いたところで。チ・ル・ノ・ちゃ~ん?」
「何? まだあるの? ないならこっちから」
先制攻撃を繰り出そうとするチルノに、レティは笑みから一転、鬼のような形相を向けながら、
「氷精ごときがこの、私にッ! そんなふざけた態度とったこと、雪に埋もれながら後悔なさい!」
とりあえずチルノを責める者の顔が見たくなった人情に溢れる方々は、この物語を見届けたあとにでも、お手持ちの「東方妖々夢」を起動してみるのもいいかもしれない。軽快かつ勇壮なトランペットが心躍らせるクリスタライズシルバーをバックに、その勇姿を披露してくれるはずである。ついでにこの物語のもう一人の主役も、道中地味に出迎えてくれる。
「ふーんだ! そんな怖い顔しても、二ボスのあたいにはかないっこないもんね!」
「一ボス舐めるんじゃないわよ! このノータリン氷精!」
「どーぱみん氷精!? あれ、なんだか気持ちよくなってきて体が軽いわ! やっぱりあたいったら最強ね!」
「なんで本当にスピードが上がるのよ!」
あれほど気にしていた倫理感や矜持はどこへやら、なぜかランナーズハイ状態の氷精に向かって、全力全開のルナティック弾幕を張る誇り高き冬の妖怪、レティ・ホワイトロック。結局のところ、彼女も大概、大人げない。
「ハァ、ハァ、か、勝った……」
「ううう! ちっくしょー! また負けたー!」
二人して大の字になって雪の中に埋まる。勝者よりも敗者の方が元気が有り余っているのは気のせいではないだろう。その証拠に、敗者であるチルノはバッと勢いよく立ち上がって、
「今日のところはあんたの勝ちにしといてやるわ! でも、この次は絶対にあたいがあんたをケチョンケチョンにしてやるから、覚えときなさい! レティ・ホワイトホール!」
息も絶え絶えといった様子のレティに指を突きつけながら言い放った。ありがちな負け犬の捨てゼリフにもかかわらず、どこか力強さと潔さを帯びたチルノのリベンジ宣言。この辺に最強の片鱗を感じさせると描写するのは、さすがに贔屓目に見すぎか。
その言葉を残し、チルノは疲れをまったく感じさせない飛行速度で冬の空へ消えていった。勝手に現れてケンカを売り、勝手に再戦を予告して速やかに退場。実にフリーダムな生き様である。
「誰がしろゲホッ」
それを見送るは、ツッコミすらままならないほどに疲労して、未だ雪の中から起き上がれないレティ。
チルノのいつも以上に機敏で予想のつかない動きに振り回されたり、「アイシクルフォール」のNをEと取り違えてうっかりチルノの正面に陣取ったあげく氷の交差弾に撃墜されそうにもなったが、どうにかこうにかレティは、妖怪としての面目を守った。そんな必死の攻防の末に掴みとった勝利にレティは、
「まったく……なんでわざわざこんなしんどい思いしないといけないのよ」
それは、スペルカードルールへのほんの少しの不満や、やたらとからんでくるチルノへの恨み節をこめた、本音のひとかけらだったのかもしれない。それでも、
「ま、これも、毎年のことよね……」
それでもレティは、どこか清々しさを含んだ苦笑いを浮かべていた。あの能天気な氷精とやり合うといつもこうだ。今年も、去年も、一昨年も、きっとその前も。いつもこんな、わけのわからない気分になる。そんな正体不明の、しかし決して悪くはない気分に、レティは心地よい疲労感に包まれながら浸っていた。
「あー、ねむ。いいや、ここで寝ちゃおう」
人間にとっては寝るな死ぬぞのやりとりが交わされる死亡フラグ、されど冬の妖怪である彼女にとって雪は何にも勝るゆりかご、その中で眠ることはすなわち安眠を約束されたようなものである。それに、不覚にも熱くなりすぎた自分を冷ますにもちょうど良かった。
「また来年、か」
そう呟いたきり、襲いくる睡魔になんの抵抗も見せずにそっと目を閉じる。禄なことがなかった割にはなんだかいい夢が見れそうだ。意識を手放す刹那、レティはそんなことを思った。
さて、最後はこんな感じで割と綺麗に、レティ・ホワイトロックの本格的な活動開始の初日は過ぎていくのだが、ここでレティが夢の世界へ旅立つ寸前の一言について、追記しておかなければならない。
レティ自身は来年の冬までチルノに会う気はないようであるが、実際は冬の間、幾度となくチルノの突撃にさらされることとなる。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよう……かき氷」
あまりにも月並みかつ非現実的な寝言を口にしながら、周りの雪をおいしそうにむしゃむしゃと咀嚼するレティ。
そんな幸せそうな彼女がこの事実に気づくのは次にチルノの声を耳にした瞬間であり、さらに言えば、レティが頭痛の種を思い出してため息をつくこの一連の流れもまた、毎年のことだったりする。
「う~ん、でももう一杯……えへ、えへへへ……」
さあレティ・ホワイトロックよ。
妖怪の矜持と妖精の意地が氷雪散らす次の戦いはすぐそこに迫っている。
だからせめて今だけは、全てを忘れて眠るがいい。
いい夢見ろよ!!
「あれ……イチゴもイケる……かも……?」
わかってくれたようでなによりである。
空から降りしきる雪たちが世界を銀色に染めあげ、身を切らんばかりの冷気を纏った寒風吹き荒ぶ、あの冬である。
現実の季節感とかどれだけ無視していようが、そろそろ世間の往来には半袖の人の姿がチラホラと見受けられようが、そんな些事とはまったく無関係に、冬である。
そう、幻想郷は冬を迎えていた。
そして幻想郷における冬の到来は、ある妖怪の本格的な活動の開始を意味する。
冬の象徴という言葉で、幻想郷の住人の半数はその妖怪の名を連想することであろう(ちなみに博麗の巫女を筆頭に残りの半分はこたつ、例外的に現人神などはヒロセコ○ミと答える。まったく間違ってはいない)。
「アーこ~とし~も~冬が来た~」
どこかで聞いたようなフレーズのウィンターリミックスを口ずさみながら、「冬の忘れ物」レティ・ホワイトロックは、白銀色の雪が舞い散る幻想郷の空へと飛び立った。余談ではあるがこのフレーズ、彼女は相当お気に召しているようで、冬がくるたびに毎年同じことを口にしている。まったく紛うかたなき余談である。
春夏秋冬巡りに巡って訪れた、冬。
普段は活発な人間や動物、そして妖怪も、この季節になると、やがて訪れる春を夢想しながらただ静かにおとなしく過ごすようになる。
風になぞらえられる里の童らは、そんな季節にも雪合戦やら雪だるまづくりやらで元気に外を走り回り、たまにハメを外しすぎて人里の守護者からありがたい頭突きを頂戴したりもする。
しかしやはり大多数の人間は、一つのジャパナイズ・ドリームの体現「KOTATU」にその身を預け、みかんと温かいお茶という、意外に合わない取り合わせを楽しむことだろう。誰だってそーする、俺だってそーする、少なくとも博麗の巫女はそーする。
「ああ! これでもかっていうくらいに冬ね!」
そんな静と忍耐の時期と称してもいい季節を迎えた幻想郷の寒空を、レティ・ホワイトロックは人里の童と同じくらい、あるいはそれ以上にはしゃぎながら飛んでいた。その浮かれっぷりは、くろまくを名乗るにはあまりに忍んでいない。
「毎年のこととはいえ、思えば長かったものだわ……」
だがそれも致し方なし。この日が来ることを、レティはまさに一日千秋の思いで待ち続けたのである。
「この四字熟語、気に入らないわね。なんで『秋』なのよ。『冬』でいいじゃない」
そんな無茶をひとりごちるレティの力は、わざわざ「冬の」妖怪とあだ名されるだけあって、他の季節になると大きく制限される。そんなレティにとっての春夏秋はまさに戦いの日々。
春のうららかな陽気に舌打ちをしながら、フラワーマスターのそれにも劣らぬ完全UVカットの日傘を取り出したかと思えば、夏の暑さを避暑地で氷風呂に浸かることでしのぎ、風呂上がりにはかき氷をかっ食らう。あの頭にくる“キーン”も、一度や二度ならば夏の風物詩として和やかに受け入れられるかもしれない。だが生きるために大量のかき氷を一気にかき込み、そのたびにあの“キーン”を味わう辛さは筆舌に尽くし難いものがあるだろう。でもなんだかんだ言ってもやっぱり大好物。レティがかき氷に寄せる思いは、愛憎入り交じって秋の空のように複雑である。また『秋』の字を使ってしまったがこれは他にいい表現が浮かばなかっただけであり、他意などはまったくない。
「まあ結局、一番おいしいのはスイよね」
どこぞの副部長もそう言っていたが、そこはイチゴだと思う。それはさておき、秋は秋で残暑に閉口し、涼しくなるまで堪え忍べば徐々に調子を取り戻すとはいえ、まだ万全とはいえない。そんな状態のレティを後目に、まさに絶好調といった様子ではしゃぐ秋の姉妹神。彼女らの肌のツヤと表情の輝きを見たレティは妬みをその胸に押し込めて、今に自分の季節がくると自らに言い聞かせる日々を送るのである。
「そして今、やっとこの私の季節がきたのよ!」
そんな語るは涙、聞くは微苦笑の苦労を乗り越え、レティは待ちに待った季節の到来を全身で感じながら祝福する。肌を撫でる心地よい冷気。かざした手の中で、元より存在していなかったかのように溶けてしまう細雪。そしてやや明るさの足りない冬の寒空。どれもこれも、レティにとっては馴染み深いものばかりである。懐かしき旧友との再会を喜ぶような心持ちで冬の空を飛んでいると、
「やい! 見つけたわよ!」
そんな気分に水を差す、これまたある意味馴染み深い声が、後方からレティを捉える。その声を聞くやいなや、ああこれも毎年のことだったかと、先ほどまでの上機嫌な表情から一転、みるみるうちに顔をしかめてしまう。観念したようにため息をつき、レティは嫌々ながら振り向く。その方向では、
「はぁ……。またアンタなの、チルノ」
自称幻想郷最強の氷精、他称幻想郷最強の公式バカ、チルノが、その雷名にふさわしき堂々たる佇まいを見せていた。
この冬の妖怪と氷精の邂逅は、「また」というレティの言葉が指すとおり、冬が訪れると決まって果たされる、毎年の恒例行事のようになっている。それがいつごろから始まったのかはレティ自身にも定かではないが、とにかくこの氷精は、彼女が毎年初めて冬の空へ飛び出す日を狙い撃ちするかのように、こうしてちょっかいを出してくるのである。
「はぁ……」
またため息。その様を見るに、彼女はこのようなチルノのちょっかいを、決して歓迎しているわけではないことがわかる。それもそのはず、冬になれば自然に干渉するほどの力を有する自分と、妖精にしては強い力を持っているとはいえ、所詮一介の氷精にすぎないチルノ。この両者の間には埋め難い絶対的な差があり、そして自分は遙か前方に位置するのだという自負を、レティは胸に抱いていた。そんな妖怪らしい矜持を持つ彼女であるから、自らの力と身の程を弁えずになにかと突っかかってくるこの氷精には、ぶっちゃけ迷惑していた。
「何? 強制イベントなの? これ」
しかしそんなレティの胸中をガン無視するかのように、運命は今年もこうして二人を引き合わせてしまったのであった。憎々しげに紅い館の方向へと目を向けるレティ。ちなみにその頃、運命の支配者たるスカーレット・デビルは、洋館において存分に違和感を振りまきながら設置されたこたつのなかで、例の取り合わせを堪能していた。西洋出身の割になかなか粋な吸血鬼である。
話が逸れに逸れてしまったところで、軌道修正を試みるかのように、チルノはレティに指を突きつけた。たとえ無自覚でもありがたい。
「ふふん、また会ったわね! レティ・ホワイトホール!」
レティは反射的に口から出かかった「誰が白い明日だ」というツッコミを、グッとこらえて飲み込んだ。そんなあまりに普通すぎるツッコミをした日には、猛火のごとき非難を浴びせられることは目に見えている。そんなものにさらされては、こおりタイプ(?)のレティとしてはたまったものではない。もし仮にチルノがこれを狙っていたのであれば、恐るべき罠である。チルノがそんな高度な心理戦を仕掛けてきているとはレティには到底思えなかったが、念には念を、である。考え過ぎともいう。
「また、というか約一年ぶりね。あと正しくはレティ・ホワイトロックよ、氷精さん。で、何の用?」
冷厳なる冬のごとき思考を以て、チルノの仕掛けた罠を回避しつつ、ごくごく冷静に間違いを正し、果てには用件まで聞き出すという高等技術を惜しげもなく披露するレティ。レティ本人的には妖怪と妖精の格の違いを見せつけた格好であるが、これらはあくまで彼女の主観による見方であり、実際の評価とはややズレが生じる可能性があることを断っておく。
「ふっふっふ、よくぞ聞いたわね。ここで会ったが百年ぶり!」
「一年ぶりだっつーの」
細かい言い回しの間違いには目もくれず、自分の発言に関する部分をツッコむレティ。この辺りにも妖怪特有の自尊心が見え隠れしている。ような気がしないでもない。
「今日こそあんたを倒して、冬の最強はあたいだってことを思い知らせてやるわ! 勝負よ! レティ・ホワイトホール!」
「誰が白い明日だ」
さしもの冬の忘れ物も我慢できなかったようである。
「勝負って言っても、結局は弾幕ごっこなわけでしょ?」
浮かない顔で頭をかくレティ。この弾幕ごっこも、彼女を憂鬱にさせる一つの要因である。
「もちろん」
「はぁ……」
幸せを集団脱走させんばかりのペースでため息を量産するレティ。どうにもこうにも気が乗らないのにはもちろん訳がある。
はっきり言ってレティは弾幕ごっこが苦手である。冬の間という制限付きながら大きな力を持つレティではあるが、精密かつ機敏な動作、避けづらさと遊び心を両立させた弾幕を作る発想等、弾幕ごっこに必要な諸々の要素が自分に欠けていることを、彼女は自覚していた。
「ふふん、あたいの強さに怖気づいたようね」
対照的にチルノは、妖精の本領発揮といわんばかりにちょこまかと動き回り、力不足を天才とアレの境界のごとき柔軟な発想でカバーするかのような弾幕で、レティを翻弄する。
今のところはどうにか勝ちは譲ってはいないものの、レティはスペルカードルールの恩恵を受けたチルノに幾度となく苦しめられてきたのである。
「いやそれはない。ない、けど……」
有り体にいってしまえば、地力の差は歴然にもかかわらず、全力を尽くさないと勝利は難しいこのスペルカードルールが、レティはめんどくさくて仕方がないのである。力の差があるもの同士でもある程度対等に戦えるこのルールには、レティも良識ある妖怪の一人として理解を示しながらも、やはりめんどくさいことには変わりない。
「どう? 素直にあたいの方が強いって認めるんなら、見逃してあげてもいいわよ」
なら適当に手を抜いてわざと負けるなりすれば、実際どうなるかは別として、満足したチルノはこうしてレティにからむこともなくなるかもしれない。
「――ふん。オツム足りてないくせに、よくも次から次へとでかい口叩けるもんだわ」
「褒めても無駄よ!」
「一ミリも褒めてないわ。あ、今のもストレートすぎたか。失敗失敗」
「さあ、受けるの? やるの? どっち!?」
「見事なまでの一択ね……ったくしょうがない、ならいいわ」
「ふっふっふ、商談成立ね」
「そんな金の匂いがする話をした覚えはない」
だからといって氷精ごときに負けるのもそれはそれで悔しい。そんな妖怪としてのプライドも、めんどくささを助長している一因であることを、レティは自覚しているかどうか。
「さあ、あたいの最強のスペルでヒィヒィ言わせてやる! いくわよ!」
「その根拠のない自信、粉雪のように散らしてあげる! 覚悟しなさい!」
なにはともあれボーダーオブデュエル。一枚目のスペルカードを同時に取り出す二人。寒空を戦場とした冬と氷の対決にもかかわらず、一気にヒートアップする空気。だがその熱気にまかせて攻撃を仕掛けてしまうような無粋な輩は、弾幕少女たちの中には誰一人としていない。
「レティ・ホワイトホール。あんたに言っておくことがあるわ」
「へえ、私に。いいわよ、聞いてあげる。どうせ大したことじゃないでしょうけど」
この世でもっとも無駄な遊びを始めるにあたっての、無駄な言葉による応酬。舌戦とも評し難い戯れ言の飛ばし合いもまた、スペルカードルールを彩る暗黙の了解の一つである。ちなみに名前の言い間違いはこの際スルーすることにしたようである。実に賢明な判断だと思う。
「レティ・ホワイトホール! あんたはりんりてきに考えて──あたいには勝てない!」
「!?」
ビシィと力強くVサインを突きつけて、勝利を宣言をするチルノ。そんなチルノのセリフにはやはり訂正箇所があるわけで、いちいち説明するまでもないかもしれないが、正しくは“りんりてきに”ではなく“論理的に”である。
そんな微妙な間違いが含まれたチルノのセリフに、しかしレティは動揺を隠せずにいた。
「……」
「ふふん、驚きで声も出ないようね!」
「……」
己の絶対優位を確信したかのように勝ち誇るチルノと、冷や汗が背中を伝うのを感じている自分とを見比べるレティ。そして自らの懸念が杞憂などではないことを、改めて確認する。
ヤバい──その時レティの脳裏によぎった言葉である。
何がヤバいってそりゃあんた、倫理的にいろいろとヤバい。
「──ッ!」
ギリッと歯を鳴らすレティの視線の先には当然、手を腰にあてて胸を張るチルノ。
ここであらゆる煩悩を一切排除した上で、その張った胸に焦点を当ててみよう。するとその部分には女性特有の凹凸が見られず、未だ発達には至っていないことがわかる。「んなもん個人差とかあるだろう」「幻想抱いてんじゃねーよ」「だがそれがいい」その他諸々の意見は、なるほどごもっともである。しかしあえて一部分にクローズアップせずとも、彼女を見た者は誰もが「子ども」という言葉を連想するだろう。
対するレティの体はというと、下品でない程度に肉付きの良い、いわゆるないすばでぃ。もっと言えば「すげーぐらまらす!!」である。そんな幻想郷でも屈指のばでぃを持つ彼女を、「少女」はともかくとして、「子ども」と称するにはいささかの抵抗があるだろう。
「くっ!」
加えて両者の身長差。レティの豊かな胸の高さ程度の身長しかないチルノ。レティがチルノの頭を撫でたりすれば、仲のよい姉妹、あるいは親子と見紛うほどに、実に絵になりそうな図である。
「うぎぎ」
そんな見た目は年長者の彼女が、子どもにしか見えないチルノ相手に、本気の弾幕を放つのである。大人げない通り越して、これは虐待ではないか。それって誇り高き妖怪として、いやそれ以前に分別ある大人としてどうなのよ。レティの動揺は広がるばかりである。
最も愛情を注ぐべきであるはずの親が我が子を虐待する、そんな悲しいニュースが連日お茶の間に伝えられる世知辛い時代である。それに伴って、児童虐待に対する世間の目も日に日に厳しさを増している。
このような世相を鑑みれば、レティの懸念もある意味当然と言えよう。ただし、これは別に幻想郷の話をしているわけではないという、根本的な点に目をつぶれば、だが。そして幻想郷ではごくごく日常的に、見た目幼女と見た目少女と見た目少女以上による弾幕ごっこがドンドンパチパチと繰り広げられているわけだが。
「今さらそんなこと言われても……!」
しかしレティがその点に気づくことはない。そもそも彼女がいかにしてそのような現代的発想に至ったのかまったくもって不明であるが、おそらくこの物語でその謎が明かされることはないだろう。たとえ強引であろうと、この件はこれで迷宮入りである。
「ふっふっふ、なら理由を聞いてもっと驚くといいわ!」
みなまで言うな。そんなことはもう嫌というほどわかっている。
レティは耳を閉ざしてその場を逃げ出したくなった。だが次にチルノが発した言葉は、レティにとって意外なものであった。
「あたいは二ボス、あんたは一ボス、一ボスが二ボスに勝てるどーりはない!」
バアァァアァンと、チルノは腕を組んでどうだまいったかと言わんばかりに、論理的思考によって導き出したらしい理由をレティに突きつけた。
「……はぁ?」
まったくの想定外。ならばこんな間の抜けた声の一つも出よう。
もちろんレティの思考が博麗大結界を突き抜けていたというのもあるが、それを差し引いても、チルノの言葉は突拍子のないものだった。だがしかし、動揺から立ち直って鋭さを取り戻しつつある冷厳なる冬のごとき思考(レティ談)を以て、彼女はとりあえず自分がバカにされているのだということだけは明確に理解していた。レティのハートに、火が灯る。
「チルノ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
「ふふん、何? あたいは優しいから何でも答えてあげるわ」
レティが、自らの勝利を信じて疑わない様子のチルノに問いかける。
「それ、誰に教えてもらったの?」
チルノが自ら考えたという可能性を一切考慮していない、レティの失礼極まりない予想に基づいた問いに、
「文よ。あいつなんでも知ってるから」
チルノは実に誠実な答えを返した。レティ、大正解。
「あや」
奴か。レティの脳裏に、いつぞやの取材に来たのかおちょくりにきたのかわからないブン屋の顔が浮かぶ。あのブン屋が、“わくわく”という文字を背負ってこの氷精にいらんことを吹き込む光景が、それほどブン屋と面識のないレティにもありありと想起できた。
あの迷惑極まりないジャーナリズムが道理を語るなどちゃんちゃらおかしい。あと誰が一ボスだ。あ、私か。いやそれはまあ百歩譲って認めるとしても、この私が氷精に勝てない? 面白いことを言う。面白すぎて笑えない。
レティの裡で燃え上がり始めた怒りの炎に、そいやそいやと油が注がれる。冬の妖怪ゆえ、あまり熱くなりすぎると体に障るのではないかと少々心配になったりもするが、とにかくこうしてレティは、氷精に余計な入れ知恵をした不逞の輩を知るに至ったわけである。
あと、別にチルノは論理的思考など用いてはいなかったことも判明したが、これはレティの知るところではない。
「ふふん」
そして目の前の氷精の、この勝ち誇った顔である。
「随分と、余裕そうじゃない」
「そりゃそうよ。だって文が『こーりとどーりが両方そなわり最強にみえます』って」
「無理がある」
手痛い指摘である。
しかしいくらブン屋にそそのかされたとはいえ、氷精がこうも生意気な口を利いていることは、やはり冬の妖怪たるレティとしては到底看過出来るものではない。そもそもそんな訳の分からん、道理と呼ぶにもおこがましいトンデモ理論に、なぜそこまでの信頼をおけるのか。それを聞いて本当に勝てると思ったのか。思ったのだろうな。いくら妖精とはいえ、あまりに短絡的にすぎる……! 次々と湧き上がる怒りと疑問と呆れのせいか、レティの体はプルプルと震え、こめかみにはピキピキと青筋が浮かぶ。
「フ、フフッ」
こんな感じで私すげえ怒ってますよと体全体が一致団結して盛大にアピールする中、団体行動のできない問題児が一箇所。レティは知らず、それはもう素敵すぎる笑顔を浮かべていた。されどその氷の微笑に秘めたるはもちろん、ほおずきみたいに紅い激情。そんなレティの笑顔の裏に隠された感情を、この単純な氷精が見抜くはずもなく、
「どう、驚いた? これであたいには勝てないってことがよーくわかったでしょ? だからそうやって笑ってられるのも今のうちなんだから!」
やはり自信満々に挑発を繰り返す。まあ見抜いていたところで、この氷精の振る舞いが変わったかどうかは疑問であるが。
「ん、ああ、私笑ってたの。全然気づかなかったわ。まあでも、確かに驚いたことは驚いた。まさか本当に教えてくれるとは思わなかったから。いやさすが最強名乗るだけあってやることが違うわー」
皮肉を言いながら、クックックッとそこはかとなくくろまくっぽい笑い声をあげる。
さて、長ゼリフを言い終えたレティが実力行使も辞さない抗議の対象を特定するにあたって、チルノの返答は大いにその結果に貢献しており、翻ってチルノは情報源の漏洩という、あってはならない愚を侵したわけである。が、だからといってチルノを愚か者だと責めることが、いったい誰にできようか。
「本当、チルノは優しいのね」
「え? あ……ふ、ふん! 今さらそんなこと言っても遅いわよ!」
そう。本人も言ったように、チルノは優しいだけなのである。
どこぞの化け猫も言っているように、わからなかったら人に聞くのが一番。しかしその問いに答えが返ってくるかどうかは別問題。そこから先は返答者次第である。
そこへきて、繰り返すがチルノは優しかった。チルノにとって聞かれたことに答えることは、冬場のねことみこがこたつでまるくなるくらい当然であり、何でも答えてやるという彼女の言葉に、相手を欺くなどという邪な感情が入る余地など存在しない。
かような妖精らしいともらしくないともいえる純粋な心を持ったこの氷精を責める者がいようものなら、顔の一つも見たくなるというのが人情である。
「さて、聞きたいことも聞いたところで。チ・ル・ノ・ちゃ~ん?」
「何? まだあるの? ないならこっちから」
先制攻撃を繰り出そうとするチルノに、レティは笑みから一転、鬼のような形相を向けながら、
「氷精ごときがこの、私にッ! そんなふざけた態度とったこと、雪に埋もれながら後悔なさい!」
とりあえずチルノを責める者の顔が見たくなった人情に溢れる方々は、この物語を見届けたあとにでも、お手持ちの「東方妖々夢」を起動してみるのもいいかもしれない。軽快かつ勇壮なトランペットが心躍らせるクリスタライズシルバーをバックに、その勇姿を披露してくれるはずである。ついでにこの物語のもう一人の主役も、道中地味に出迎えてくれる。
「ふーんだ! そんな怖い顔しても、二ボスのあたいにはかないっこないもんね!」
「一ボス舐めるんじゃないわよ! このノータリン氷精!」
「どーぱみん氷精!? あれ、なんだか気持ちよくなってきて体が軽いわ! やっぱりあたいったら最強ね!」
「なんで本当にスピードが上がるのよ!」
あれほど気にしていた倫理感や矜持はどこへやら、なぜかランナーズハイ状態の氷精に向かって、全力全開のルナティック弾幕を張る誇り高き冬の妖怪、レティ・ホワイトロック。結局のところ、彼女も大概、大人げない。
「ハァ、ハァ、か、勝った……」
「ううう! ちっくしょー! また負けたー!」
二人して大の字になって雪の中に埋まる。勝者よりも敗者の方が元気が有り余っているのは気のせいではないだろう。その証拠に、敗者であるチルノはバッと勢いよく立ち上がって、
「今日のところはあんたの勝ちにしといてやるわ! でも、この次は絶対にあたいがあんたをケチョンケチョンにしてやるから、覚えときなさい! レティ・ホワイトホール!」
息も絶え絶えといった様子のレティに指を突きつけながら言い放った。ありがちな負け犬の捨てゼリフにもかかわらず、どこか力強さと潔さを帯びたチルノのリベンジ宣言。この辺に最強の片鱗を感じさせると描写するのは、さすがに贔屓目に見すぎか。
その言葉を残し、チルノは疲れをまったく感じさせない飛行速度で冬の空へ消えていった。勝手に現れてケンカを売り、勝手に再戦を予告して速やかに退場。実にフリーダムな生き様である。
「誰がしろゲホッ」
それを見送るは、ツッコミすらままならないほどに疲労して、未だ雪の中から起き上がれないレティ。
チルノのいつも以上に機敏で予想のつかない動きに振り回されたり、「アイシクルフォール」のNをEと取り違えてうっかりチルノの正面に陣取ったあげく氷の交差弾に撃墜されそうにもなったが、どうにかこうにかレティは、妖怪としての面目を守った。そんな必死の攻防の末に掴みとった勝利にレティは、
「まったく……なんでわざわざこんなしんどい思いしないといけないのよ」
それは、スペルカードルールへのほんの少しの不満や、やたらとからんでくるチルノへの恨み節をこめた、本音のひとかけらだったのかもしれない。それでも、
「ま、これも、毎年のことよね……」
それでもレティは、どこか清々しさを含んだ苦笑いを浮かべていた。あの能天気な氷精とやり合うといつもこうだ。今年も、去年も、一昨年も、きっとその前も。いつもこんな、わけのわからない気分になる。そんな正体不明の、しかし決して悪くはない気分に、レティは心地よい疲労感に包まれながら浸っていた。
「あー、ねむ。いいや、ここで寝ちゃおう」
人間にとっては寝るな死ぬぞのやりとりが交わされる死亡フラグ、されど冬の妖怪である彼女にとって雪は何にも勝るゆりかご、その中で眠ることはすなわち安眠を約束されたようなものである。それに、不覚にも熱くなりすぎた自分を冷ますにもちょうど良かった。
「また来年、か」
そう呟いたきり、襲いくる睡魔になんの抵抗も見せずにそっと目を閉じる。禄なことがなかった割にはなんだかいい夢が見れそうだ。意識を手放す刹那、レティはそんなことを思った。
さて、最後はこんな感じで割と綺麗に、レティ・ホワイトロックの本格的な活動開始の初日は過ぎていくのだが、ここでレティが夢の世界へ旅立つ寸前の一言について、追記しておかなければならない。
レティ自身は来年の冬までチルノに会う気はないようであるが、実際は冬の間、幾度となくチルノの突撃にさらされることとなる。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよう……かき氷」
あまりにも月並みかつ非現実的な寝言を口にしながら、周りの雪をおいしそうにむしゃむしゃと咀嚼するレティ。
そんな幸せそうな彼女がこの事実に気づくのは次にチルノの声を耳にした瞬間であり、さらに言えば、レティが頭痛の種を思い出してため息をつくこの一連の流れもまた、毎年のことだったりする。
「う~ん、でももう一杯……えへ、えへへへ……」
さあレティ・ホワイトロックよ。
妖怪の矜持と妖精の意地が氷雪散らす次の戦いはすぐそこに迫っている。
だからせめて今だけは、全てを忘れて眠るがいい。
いい夢見ろよ!!
「あれ……イチゴもイケる……かも……?」
わかってくれたようでなによりである。
しかし、これはかわいいレティ・ホワイトホー……ホワイトロック!