よく晴れた日。いつもと変わらない朝。
朝日が昇ってからしばし時間が経ったぐらいの朝。朝食を食べてから少し時間が経過しており、昼食にはまだ早すぎる微妙な時間帯。
こんな時間は普段の霊夢なら縁側で暇を持て余して日向ぼっこでもしているだろう。しかし、今日は縁側に霊夢の姿は無かった。
かと言って、霊夢が真面目に働いている訳でもない。この日、霊夢は朝っぱらか客を迎えていたのだ。もっとも、客と言っても霊夢にとっては朝っぱらから押しかけて来た、至福の時を壊す乱入者としか思っていないのだが。
「…暇を持て余しているからと言って、私のところに来てもらっても困るんだけどね」
「…すいません」
暇を常に持て余している霊夢が苦言を呈する相手は、霊夢の正面で申し訳なさそうに小さくなっている早苗であった。
早苗が何故博麗神社にいるのか。それは簡単に説明できる程度の話であった。
こっちの世界に来てからもよく働く早苗であったが、年頃の娘がそんな事では不憫であろうと守矢神社の神様二人は思った。そして、たまには息抜きにどこかで遊んで来いと二人は早苗に言った。早苗にとっては嬉しい話ではあったが、突然どこかで遊んでこいと言われても早苗は困る一方だった。
何故ならば、神社の仕事関係以外での早苗の行動範囲は、恐ろしく狭かったからだ。普段はやれ修行だの、やれ神社の切り盛りだので過ごしており、妖怪の山に住んでいて友達とよべる人間の存在はいるはずもなく、また、かと言って妖怪と一緒に暇を潰すと言っても、したたかな妖怪に早苗が遊ばれるのが目に見えていた。
そんな事で行くあてに困った早苗が行きついた先が、博麗神社であった。早苗と同じく巫女である(厳密には違うが)という事もあるが、とりあえず博麗神社に行けばなんとかなるかなっと早苗はなんとなく考えたからである。
「いや、ならないから」
「…ですよね」
そんなどうでもいい理由で押しかけられても、霊夢としては当然困る。ましてや、土産も無いのだ。霊夢にとっては何の得にもならない話である。
「そう邪見にするなよ。どうせ霊夢もする事無いんだろ?」
「そういうあんたはどうなのよ!」
「当然ない。だからここでダラダラくつろいでいるんだぜ」
横から話を挟んだのは、魔理沙であった。早苗と前後して博麗神社にやって来た魔理沙であるが、早苗とは違って我が物顔で博麗神社でくつろいでいた。
「それはそうと、茶はまだか?客には茶ぐらい出すのが礼儀だぜ」
「あんたらの様な奴らは客とは言わないの!ただの不法侵入者よ!」
「あ、あの、それって私も含まれてます?」
「土産も賽銭も無い奴らは、みんなそうよ。そもそも、なんで毎日毎日客でもない奴らに私が茶を出さなくちゃいけないのよ。ここでお茶を飲みたかったら土産と賽銭を持ってきなさい。あと御神籤を買っていったら出涸らしじゃなくて新しい茶葉を使ってあげても構わないわ」
「なあ、早苗。心の狭い巫女は見苦しいと思わないか。ああなったら巫女はお終いだな。新手の宗教家として壺と掛け軸を売り付けているほうが似合うと言うもんだ」
なっ、と同意を求めてくる魔理沙であったが、早苗としては返事をする訳にはいかなかった。すぐ傍で鬼の様な形相をしている霊夢が睨みつけているからだ。
「早苗、こうなったらお前だけがこの幻想郷の希望だ。霊夢は汚れちまったが、早苗だけはいつまでも純粋な心の巫女でいてくれよ?」
「…ねえ、魔理沙。人生最後に一言だけ言わせてあげる。何か言い残す事はある?」
「とりあえず、茶をくれ」
関節技をきめられて苦しみ絶叫する魔理沙の声が辺りに響き渡る。博麗神社にとりあえず来てはみたものの、本当に来るべきであったのか一抹の不安を抱える早苗であった。
もう少しで正午となる時間となると、人里はにわかに忙しそうな雰囲気に包まれてくる。そんな中であても無く暇そうにブラつく三人は、どこか浮いた存在と言えた。
「そろそろ昼の時間だな。何を食べる?」
「私はこれと言って食べたいという物はありませんので、他の皆さんに合わせます」
「私も何ででもいいわよ。魔理沙に任せるわ。どうせ、魔理沙の奢りだし」
むっと口籠る魔理沙とは対象に、霊夢はどこか浮かれた様子だった。それもそのはず、今日の飯代は魔理沙が払う事になったからである。関節技と共に。
「じゃあ、とりあえず安い所にするからな。もう異論は認めんぞ」
「あら、なんだったらうんと高い店にすればよかった?例えば、鰻とか」
「…言ってろ」
魔理沙の先導で安い店やに向かう霊夢と早苗だが、彼女達三人が里で何をしていたかと言えば、先にも述べたが別段目的を持って行動している訳ではない。あても無く里の中をブラつき、適当に店に入っては冷やかして時間を潰していたのである。
「それにしても、良い茶葉はやっぱり高いわね。うちじゃあ縁の無い代物だけど、早苗の所じゃあ毎日高い茶葉を使ってるの?」
「守矢神社でも良い茶葉を使うのはお客様に出す時だけですよ。普段は一番安い茶葉を使って倹約に努めています」
「何が倹約よ。どうであんたの所だから、出涸らしは飲んでないんでしょう?倹約という言葉を使いたいなら、最低でも十回は同じ茶葉を使ってからにしてもらいたいものね」
霊夢の力説に、早苗はただ苦笑するしかなかった。守矢神社でも茶葉を一回ぽっきりで交換するような事は勿体ないのでしていないが、流石に十回は考えられない回数であった。
「ねえ、今思ったんだけど、最高に良い茶葉を使ったら何回出涸らしを取っても味が落ちないのかな?」
「そ、それは流石にない無いと思いますが…」
「そっか。残念ね。高いけどずっと美味しいお茶を飲めるのなら良い茶葉を買うのもお得かなって思ったんだけど、やっぱり世の中そんなに甘くはないわよね」
心底残念そうに呟く霊夢に、これまた苦笑するしかない早苗だった。もっとちゃんと自分の仕事に精を出せばいいのにと早苗は思わないでもなかったが、今となってはキビキビ働く霊夢の姿を想像するのは難しい事になっていた。
「何を言っているんだよ、霊夢。お茶の味なんて分からないんだから、何を飲んだって同じだろ?」
「何をっ!?」
後ろを振り向いて魔理沙が口を挟んだ。当然、その言葉に霊夢はムッとなって反応する。
「だってさ、霊夢が茶店でお茶を試飲し比べた時、どれが良いお茶なのか分からなかっただろう?」
「うっ、あ、あれは、偶々よ」
三人が訪れた茶葉屋では、お茶の試飲できるサービスがあった。これは是非とも利用しなければという事で早速色々なお茶を飲み比べた霊夢であったが、どれが良い茶葉を使ったお茶なのかを最後まで当てる事ができなかったのだ。
「偶々で三軒とも外すかよ」
「う、五月蠅いわね。次こそは当てて見せるわよ」
「もう茶葉屋は無いぜ」
グウっと唸って黙りこむ霊夢であった。
ちなみに、そのお茶の飲み比べは、早苗は全て当てる事ができたし、魔理沙もかなりのところまでは当てる事ができた。要するに、これは霊夢の貧乏舌はほとんどの物を美味しいとしか判別できない性能を発揮した、悲しい出来事だったのである。
「そう言えばさ、さっきから気になっていたんだけど、早苗はよく懐に手を入れるわよね。財布を落としていないのか、そんなに気になるの?」
「あ、いえ、そういう訳じゃないんですけど…」
霊夢の疑問に早苗は少しハッとした。彼女が懐に手を入れる理由、それは財布を落としていないかを確認する事ではなく、今は持っていない携帯電話に手をつい伸ばしているのであった。
「これはなんと言いますか、癖の様なものです」
「ふうん、変な癖ね」
「霊夢の自堕落癖よりは、よっぽどマシだぜ」
「五月蠅いわね。そんなに針が恋しいの?それとも、夢想封印の方かしら?」
さて、こんな他愛も無い話をしているうちに、三人は魔理沙が向かっていた店に到着した。が、それは随分と里の中心から離れた所にある店であった。
「へえ、こんな所に茶店があるなんて、全然知らなかったわ」
「まあな。私もついこの間知ったばかりなんだが、どうも里の連中を相手にするというよりも、農作業者を相手に商売しているって感じで、こんな里の外れにわざわざ店を出しているらしいんだ」
「美味しいんでしょうね?」
「味の方は保証するよ。それに、何と言っても安いんだ」
どこか雑な造が目立つ店で、商売目的と言うよりは、近所の農家が趣味で店を開いている感じが強い店であった。しかし、魔理沙の口ぶりからすると、味の方はどうやら確かなもの様だった。
いざ、店の中に入ろうとした三人であったが、外に設置された席で珍しい先客がいるのに気がついた。まったく予想もしていなかった、むしろこんな所でお茶をしている事そのものが想像する事ができないと言ったほうがいいその先客とは、紅魔館のメイド長、咲夜であった。
何とも言えない沈黙が辺りを支配していた。咲夜とはあまり面識が無い早苗はもとより、霊夢も魔理沙もなんとなく気まずくて何と声を掛けていいのか分からないでいた。また、とうの咲夜は口に食べ物を含んでいる為か、口は動かしているが声は一向に出てこなかった。
沈黙の中に沈み込む四人。誰も声を発しないまま時は流れる。そして、静寂の中にゴクンっと呑み込む音が響き渡った。
「何よ、人を珍しい動物でも見る様な目で」
「…いや、何か、こう、非常に珍しい光景が見えたもんだからな」
「失礼ね。私だって茶店でお茶をする事くらいあるわよ」
咲夜が文句を言いながらお茶を啜った。
「それで、貴方達は一体何をしに来たのよ?」
「食い物を腹に入れる以外に、茶店に来る理由は無いぜ」
「それもそうね。だったら、早く店に入って注文をしたら?往来の邪魔になっているわよ」
咲夜に促されたという訳ではないが、魔理沙達はとりあえず店の中に入る事にした。とは言っても、大きな店ではない。店の中に四つ小さめの席がある程度で、全体的にこじんまりとした店である。入ってすぐ、店主がカウンターの前に立っていた。
「私は団子3本と柏餅2つ」
「私もそれと同じやつで」
「じゃあ、私は団子5本と五平餅3本とおはぎ2つ」
「ちょ、おま、食い過ぎだ」
「他人の奢りの時は沢山食べるのが礼儀でしょう?」
「れ、霊夢さん、ほどほどにしましょうよ…」
遠慮と太るという単語から無縁の霊夢の暴挙に、ただただ魔理沙は項垂れるだけであった。
しばらくの間、恨めしそうな表情で魔理沙が霊夢を睨みつけていると、注文した食べ物が出てきた。そのお盆を持って三人は外の席で食べる事にした。中の席よりも、外の席の方が解放感があるからだ。
「お、なんだ、まだ食べていたのか」
三人が店の外に出ると、咲夜が食事をしていた。遠くの風景でも眺めながらゆっくりと団子を一つずつ頬張る咲夜の姿は、紅魔館でキビキビ働いているメイド長とは思えないものであった。
「悪いかしら?」
「いんや、別に。ただ、何となくのんびり団子を食べている咲夜なんて想像できなかっただけだ」
「私だってたまにはこういう事もあるわよ」
霊夢も魔理沙も何と言っていいのか分からず、結局はやれやれといった感じで溜息をついた。そして、咲夜の隣に腰を下ろした。
「あら、凄い量じゃない、霊夢。なにか臨時収入でもあったの?」
「そんな事があったら、使わずに貯め込むわね。これは魔理沙の奢りよ」
「ふうん。残念だったわ、私も奢ってもらえば良かった」
「お前まで食わせるほど、私の懐は暖かく無い!」
霊夢と魔理沙と咲夜がやんのやんのと話を咲かせているのを、早苗はその横で団子を頬張りながら聞いていた。咲夜は今日は休暇をもらって、早苗達と同じく里で暇を潰していたという話が聞こえてくる。しかし、早苗は霊夢達の話に加わろうとはしなかった。
別に、早苗は霊夢達に遠慮をしている訳ではない。また、早苗が爪弾きにされている訳でもない。先ほど咲夜がぼんやりと風景を眺めながら団子を食べていた姿を見て、何となく『良いなぁ』と思っただけであった。
何故そんな事を早苗は思ったのか。それには深い意味は無い。思い返せばあんなふうに食事をした事はなかったな、と早苗は思っただけだ。
早苗はいつも食事は神奈子と諏訪子と一緒に取る。親子団欒といった雰囲気の中で食べる食事であるが、諏訪子はともかく早苗も神奈子も何気に忙しかった。その為、食事は手早く済ますという習慣になっていた。
「咲夜が休みになって、紅魔館は大丈夫なのか?お前のご主人を筆頭に、館の運営なんか我関せずな連中ばかりだろ?」
「その点なら大丈夫よ。私が今日一日抜けても大丈夫な様に、しっかり準備をしてきたから」
「流石は紅魔館のメイド長と言ったところかしら。休む為に働くなんて、私には考えられないわね」
「…霊夢が自堕落過ぎるのよ」
早苗は咲夜が眺めていたと思われる風景に目を向けた。道の向い側。そこには川から引いてきた用水路があって、その更に奥は水田が広がっていた。
早苗は新しい団子を手に取った。団子は串に小さめの団子が三つ刺さっている物で、早苗はまず一番先っぽについている団子を口の中に入れた。
「ねえ、一つ聞いていい?何で休みなのにメイド服を着ているわけ?」
「それは霊夢が一年中巫女服を着ているのと同じ理由よ」
「ふうん、お金が無いから私服が無いんだ」
「…霊夢を引き合いに出した私が馬鹿だったわ」
早苗は二つ目の団子を口に入れた。外の世界で食べた団子や、里の中で売られている団子の様に少し小洒落た味がする様な団子ではない。素朴で田舎くさい味のする団子であったが、今の状況ではこの味が早苗には妙にしっくりくる様な気がしてならなかった。
早苗の頬に、柔らかい風が当たった。水の張った田圃で、植えられた稲が風に揺られていた。まだ田植えからそう時間が経っていないので稲に実はついていないが、稲の長さはだいぶ長くなっている。その稲が一斉に風で揺らいでいる光景は、どこか見ていて飽きないものだった。
また、風の吹き抜ける音も、風に揺られて、稲がカサカサと擦れ合う音も心地いいものだった。そして、風で波立つ田圃の水面も、眩しいがどこか優しい光だった。
「ところで、咲夜はどんな店を見て回ってたんだ?」
「別にこれといってターゲットを絞って回っていた訳じゃないけど、そうね、刃物屋が多かったわね」
「物騒な店屋に冷やかしに行ったものね」
「あら、貴方達と一緒にしないでくれる?ちゃんと吟味して、良いものだったら私は購入しているわよ」
「ああそうですかって、お前、それ全部今日買ったナイフなのか!?っていうか、今どこから取り出したんだ!?」
「どこからって、それはこの服からに決まってるでしょう。服の裏側に、色々とナイフを仕込めるように細工を施してあるのよ」
「…咲夜がメイド服しか着ない理由、何となく分かったわ。まるで、歩く刃物保管庫ね」
正面に見える用水路は少し大きく、目をやるとその縁には子供達の姿があった。魚でも釣ろうとしているのだろうか。皆、竿を持ってはしゃぎ回っていた。
早苗はそんな光景をボンヤリと眺めつつ、三つ目の団子を食べようとした。三つ目の団子は奥までしっかり刺さっている為か、なかなか上手に抜く事ができない。団子を軽く噛み、少し串を引っ張る。そして、一旦団子を離し、少し串の角度を変えて同じ事を繰り返す。四度目の挑戦で、やっと団子を引きぬく事に早苗は成功した。
「おーい、早苗。なに一人で年寄り臭くボンヤリしてるんだ」
「あ、いえ、つい…」
「おいおい、気をつけてくれよ。縁側に座って一日中座って動かない巫女は霊夢だけで十分だからな」
「何をっ!」
「あの、厳密には私は巫女では無いんですが…」
「…早苗、あんたも私のフォローは無いのね」
「あう、そういう訳では…」
いきなりの事でうろたえる早苗であったが、霊夢と魔理沙は早苗が何を眺めていたのかに気がついた。
「子供が釣りをしているところを見ていて、面白いの?」
「間違えて子供が用水路に落ちるのを見るのは面白いがな」
「い、いえ、そういうのじゃないんです…」
煮え切らない早苗の返答に怪訝そうに首を傾げる霊夢と魔理沙であった。それもそのはず、早苗も何と言って説明すればいいのか分からないのだ。霊夢と魔理沙に説明のしようがなかった。
「まあいいわ。よく分からないけど、早苗って釣りが好きなの?」
「あ、いえ、釣りはした事が無いので、分かりません」
早苗は風祝とか色々とあるが、基本的には科学技術が発達した世界に住んでいた現代っ娘である。友達と遊ぶにしろ一人で遊ぶにしろ、街に繰り出す事はあっても川や湖、釣り堀等で釣りに勤しむ事はまず無かった。否、その選択肢自体存在していなかったとも言える。
従って、テレビ等では釣りを見た事はあるが、早苗にとって釣りとは遠い存在のものであった。
博麗神社がある山でも、妖怪の山でもない、幻想郷に存在する山。もっとも、幻想郷は平地よりも山の方が多いと言った方がいいのかもしれないが、そこは人里に比較的近い位置にある山である。
そんな名も知れない山に、人間の少女四人の姿があった。
何故彼女達の姿がこんな山の中にあるのか。それは釣りをした事が無いという早苗の発言を受けて、じゃあ釣りをしに行くか、という事になったからである。
もっとも、霊夢にしろ魔理沙にしろ純粋に早苗に釣りを教えようという訳ではなく、魚が釣れたら晩御飯のオカズ代が浮くという打算が見え隠れしている事は言うまでも無い。
ちなみに、茶店で一緒になった咲夜も同行しているのが少し意外に思えるところだが、本人曰く、どうせする事が無いとの事だった。
釣り道具一式を持った少女四人が目指したのは、あまり人が立ち入らなさそうな沢だった。魔理沙の先導の元、のんびりと目的地に移動する四人。普段忙しい咲夜を含め、これからの午後の予定は誰もなかった。
「凄い所ですね、ここ」
「だろ?ここは私のとっておきの場所なんだ」
彼女達が今立っている場所は、山に挟まれた川だった。川の周りは岩場となっており、岩と岩の間から水が勢い良く流れているかたちとなっている。大きい川ではないが、流れが強い川だった。
また、岩場は斜面にそって盛り上がっており、場所によってはよじ登らなければならない場所もあった。
「あそこら辺がよさそうだな」
魔理沙が指差した先には、水が溜まった場所があった。そこは大きな池の様になっていて、上流から注ぎ込む水が滝になって落ちていた。そして、魚の姿もちらほら確認できた。
「んじゃあ、釣りを始めるか」
彼女達が持ってきた釣り道具に、浮とかルアーとかリールとか、そんな近代的な道具は無かった。竿は竹で、後は糸と針だけである。
従って、針に餌をつけて垂らすだけなので、聞くだけでは素人の早苗にもできそうな事だった。事実、土を掘り返して出てきたミミズを針に通し、川に糸を垂らすところまでは早苗にも簡単にできた。
だが、準備が簡単にできたからと言って魚が釣れるかと言えば、そんなに世の中甘くはない。
「…つれませんね」
糸を垂らし始めてからいくらか時間が過ぎたが、早苗の竿に一向に魚が掛かる気配が無かった。もっとも、魚を釣る以前に針が岩等に引っかかって四苦八苦しているだけといってもいい。水に勢いがある分、針がどうしても流されてしまい、岩等に引っかかってしまうのだ。
「…むう」
正直なところ、早苗は少しイライラしていた。まるで釣れないという事もあるが、釣りが面白いと感じないからだ。テレビで見る限りでは面白そうに思えた釣りだが、いざ実際にやってみると釣れないし、意外に暇なので早苗は退屈していた。
「釣り方がなって無いわね」
何度目かの溜息をついた時、早苗はいきなり声を掛けられた。早苗が振り返ると、そこにはいつの間に傍に来ていたのか、咲夜が立っていた。
「私、釣りは初めてなんです」
「まあ、見れば分かるわ。霊夢や魔理沙に釣り方を聞かなかったの?」
「二人とも、気合いと根性としか言ってくれませんでした」
「…あの二人に、人に何かを教えるセンスがあると一瞬でも思った私が馬鹿だったわ」
盛大に溜息をついた咲夜だったが、気を取り直して早苗の方へ向き直った。
「とりあえず、この場所から移動しましょう。この場所では釣れるものも釣れないわ」
「え、あ、はい。でも、どこへ?」
「そうね、あの場所がいいわ」
そう言って咲夜が指差した場所に、早苗は咲夜と共に移動した。咲夜が指差した場所は早苗がいた場所よりも少し上流側で、水が落ち込んでいる場所に比較的近い場所だった。
「ここから、あの場所に向かって投げてみて」
「あの水が落ち込んでいる所にですか?でも、少し距離がありますよ。浮かびながら釣りをするんですか?」
「そんな疲れる事はしないわよ。竿を思いっきり振ってみなさい。あそこぐらいなら、簡単に届くはずよ」
難しい顔をして悩む早苗の為に、咲夜が実際に竿を振って見せた。勢いよく振られた竿はグッとしなり、まるで鞭の様に動いた。そして、糸が真っ直ぐ伸びて行き、目当ての場所に針が落ちた。
早苗がやっていた方法は、針を掴んで放り込む方法であった。この方法では餌が付いているとは言え針があまり重く無いので、適当に針がヘロヘロっと飛んでいき、そこら辺にポチャンっと落ちるだけだった。
従って、咲夜がやって見せた方法は早苗がやっていたそれとは根本から違っているものであった。
「ほら、貴方もやってみなさい」
咲夜に促される様に早苗は竿を握った。そして、勢いよく竿を振りかざした。
「…まだまだ練習が必要ね」
確かに先ほどまでと違って、針の飛距離は随分と伸びた。しかし、目的としていたポイントとは、これまた随分と離れた位置に針が落ちてしまったのだ。
「要、練習ですか」
「そう、練習あるのみね。うーん、そうね。竿と糸が一体化したとイメージしてみたらどうかしら」
「分かりました。やってみます」
それから、早苗は咲夜の指導の元、何度も竿を振り続けた。初めはまるで見当違いの場所に針が落ちていたが、咲夜の指導が良かったせいか、次第に目的としたポイントの近くに針が落ちる様になってきた。
そして、ついにはあまり狂いないく針が落とせるようになった。
「良い感じね。じゃあ、そろそろ本番といきましょうか」
練習は終わりと告げた咲夜は、別の場所を指差した。そこは先ほどまで練習で狙っていた場所から比較的近いポイントだが、その後ろに横倒しになった木が水面から出ていた。
「あそこを狙えばいいんですね?」
「そう。でも、針を流れるままに任せては駄目よ。後ろの木に引っ掛かるから。針が流れる方向を、糸を手繰ってコントロールするのよ」
「糸をコントロール、するんですか?」
「こればっかりは貴方に口で説明する事はできないから、実際にやってコツを掴んでもらうしかないわね」
そう言って、咲夜は指示したポイントとは別の場所に向けて竿を振った。その場所は早苗に譲るという事なのだろうが、早苗は食い入る様に咲夜が糸を手繰る様子を見た。
咲夜が「貴方もやってみなさい」と言うように、ちょっとした仕草をした。それを見た早苗は、言われたポイントに向けて竿を振った。
早苗はじっと糸の先を見ていた。浮がついている訳では無いので、針がどこを漂っているのか分からないのだ。その為、片時も目を離さずに糸の先を見続けながら、咲夜がやって見せたように必死で糸を手繰った。
いったい早苗がどれぐらいそうしていた頃だろうか。だんだん糸の手繰り方が分かる様になってきて、そしてついにある程度糸を自分の意のままに手繰れるようになった。
「少し力を抜きなさい。糸を垂らしたからと言って、直ぐに魚が食いついてくる訳じゃないから。のんびり夕暮れまで待つぐらいのんびりして、体中の力を抜いてリラックスして、それでも糸の先だけには意識を集中する。これができる様になれば、一応合格といったところね」
そう言う咲夜は、もう既に何匹か上げている様だった。釣りの時まで完全で瀟洒な様子の咲夜に、早苗は何となく溜息をついた。
「釣りも得意なんですね、咲夜さんは」
「私を誰だと思っているの?」
当然と言った咲夜の口調に、早苗は思わず笑ってしまった。
「いいなあ、何でもできるってのは」
「メイドの基本よ。なんだったら、貴方もうちに来て修行したらどう?」
「…遠慮しておきます」
それからというもの、咲夜と早苗の話は弾んだ。料理の話から世間話、はては占いの話などに花を咲かせた二人であったが、どの分野においても何でも知っている咲夜に早苗はただただ感心するしかなかった。
「ねえ、ちょっと気になったんだけど。何故、貴方は時々懐に手を入れるの?」
魔理沙の手癖の悪さの話の合間に、咲夜は気になった早苗のくせの様な仕草について質問した。その咲夜の質問に、早苗はまたハッとした。この質問は少し前にも霊夢にされたものと同じだった。
無用の長物と化した、今は持ち歩いていない携帯。持ち歩いていないはずなのに、つい携帯に手を伸ばそうとするのは、長い年月にわたって染み付いた早苗の癖であった。幻想郷に来てから治そうと早苗が思っている癖の一つであるが、一向に治る気配がなかった。
「これは、その、癖の様なものです」
「ふうん、変な癖ね。あ、それよりも、貴方の竿、引いているわよ」
咲夜に言われると同時に、早苗は自分の竿が引っ張られるのを感じた。魚が食いついたのだろうが、初めての当たりに早苗はどうしていいか分からず、慌て始めた。
「落ち着きなさい。糸を弛ませない様に注意しながら、少しずつ魚を岸の方へ誘導するのよ」
「で、でも、凄い力ですよ、これ」
「だから落ち着きなさいって。現状維持をしつつ、魚の力がどこかで弱まる時がくるから、その時にこっちに引っ張るのよ。魚との根競べと思って」
早苗は暴れる竿にしがみ付く様にして竿を押さえた。早苗の竿に掛かった魚は大きいのか、暴れる力は強く、早苗は必死になって竿を引き続けた。
早苗としては魚が掛かった事も初めてであれば、掛かった魚が暴れて竿を持っていかれそうになる事も初めてであった。その為、必死に、と言うよりは無我夢中で掛かった魚と戦っていたと言った方が良いのかもしれない。
咲夜に言われた事だけを頭の中で何度も繰り返し呟き、竿を操る。早苗がいったいどれぐらいの時間そうしていた頃だろうか。気がつくと魚の抵抗が弱いものとなり、そしてついに魚を岸に上げる事ができた。
「やったわね」
咲夜がそう早苗に言葉をかけ、慣れた手つきで早苗が釣りあげた魚を取り外そうとした。上げられた魚はまだ少しビクビクと動いていたが、咲夜が針を取り外す時には抵抗らしい抵抗は見せなかった。
「…私、やったんですね」
「そうよ、貴方は立派に獲物を釣り上げたのよ。初めてにしては上出来ね」
「あ、ありがとうございます、咲夜さん。それで、それはイワナですか?それにしては大きい様な気がしますが」
「…きっと、ここら辺は栄養がいいのね」
早苗はふと空を見上げると、あまり太陽の位置が変わっていない事に気がついた。早苗の体感時間では、もう何時間も過ぎている様に感じたのだが、実際にはものの数分だった様だ。
「釣りって、面白いですね」
「でしょう?」
早苗は思わず笑った。そして、咲夜も思わず笑みが零れた。
こんな昼下がりも悪くない。早苗は針に新しい餌をつけながら、なんとなくそう思った。
水の流れる音がした。それは次第に大きくなり、川の流れる音である事が分かる様になってきた。そして、早苗は自分がいつの間にか眠りこけてしまっていた事に気がついた。
早苗が目を開けると、まず初めに目に飛び込んできたのは木漏れ日だった。眩しすぎず、強すぎず。柔らかな光と影が、早苗を包んでいた。
早苗はもう一度目を閉じた。川の流れる音が大きく聞こえ、身体に覆い被さってくる様な気になってきた。目を閉じるだけで、それだけで聞こえてくるものがまるで違う様に感じる。人間の感覚とは不思議なものだった。
川の音に包まれ、木の葉が風に揺れる音に耳を傾ける。あまりの心地よさに、早苗は目を開ける事さえ億劫になった。
どれぐらいそうしていた頃だろうか。この山に早苗を含めて四人で遊びに来ていた事を思い出した。自分だけがこうしている訳にはいかないと思い、早苗は気だるさを身体から追い出して起きる事を決意した。
早苗は大きな木にもたれ掛かる様に寝ていた。この木は釣りをしていた川から割と近い位置にあり、この木がもたらす木陰はいかにも昼寝にうってつけの心地よさを醸し出していた。
何故ここで早苗が寝ていたのか。それは早苗が何匹目かの魚を釣り上げた頃だった。昼食後の昼下がりという事もあって、垂らしている糸の先を見ていた早苗の目は次第に重くなっていった。何とか眠らない様にしなければと思ったが、釣りに少し慣れてきて身体の力も抜けてきた事もあって、早苗は耐えがたい睡魔に襲われた。そして、気がつくとこの木の下で眠っていたという訳である。
恐らくは眠りこけた早苗を近くにいた咲夜が運んでくれたのだろうが、周囲を見渡しても咲夜の姿は見当たらなかった。
「…誰よ、私の至福の時を邪魔する奴は」
背後からゆったりと、それでいて恨みがましい声が聞こえてきたので、早苗は慌てて振り返った。そこには、早苗が眠っていた木の下で、早苗と同じように昼寝をしていた霊夢の姿があった。
「まったく、早苗がガサゴソするから、起きちゃったじゃない」
「霊夢さん、どこへ行っても寝ているんですね…」
「こんないい天気の昼下がりには、昼寝をするのが私の日課になっているのよ。それで釣りを切り上げてちょうど気持ちよさそうな木を探し当てたら、もう先客がいたし。それでもって、その先客に起こされるんだから今日は厄日ね」
恨みのこもった言葉を早苗に投げかけてくる霊夢であったが、その様子はあまり気にしていない様子だった。そして、霊夢は二、三回首を振る仕草をしたが、立ち上がろうとする気配な無かった。
「それで、早苗は釣りを続けるの?私はもう少しここでのんびりまったりしていこうと思っているけど」
「そうですね、私ものんびりまったりしていこうと思います。御一緒してもいいですか?」
「さっきまで一緒に寝ていたんだから、いまさら許可を求める必要はないでしょう?」
すっかりくつろぎモードになっている霊夢に苦笑しながら、早苗は霊夢の近くに腰を下ろした。そして、霊夢がのんびりまったりしたくなる理由を早苗は実感した。やはり、この木の下は気持ちがいいのだ。
「霊夢さんって、なんでもできますよね」
風にチラつく木漏れ日を眺めながら、早苗は何となく話を切り出した。沈黙に耐えられなかった、という訳ではなく、何となく早苗は霊夢とお話をしたくなったのだ。
「そりゃ、一人で暮らしているんだから、何でもできなくちゃね」
「掃除も洗濯もお料理もできて、一人で神社を切り盛りして、弾幕戦も強くて、お酒にも強くて。おまけに、釣りも上手ときて」
「…?どうしたの早苗。いつもはだらしが無いって言ってくるくせに」
「私、同じ神に仕える身としては、霊夢さんが少し羨ましいんです。一人で何でもできる、霊夢さんが」
「どういう風の吹き回しかしらないけど、羨ましがれ、羨ましがれ。私の事をもっと羨ましがっても、罰は当たらないわよ。別に景品も当たらないけど」
何故こんな事を言ってしまったのか、早苗にも分からなかった。
今でも霊夢がだらしが無いと早苗は思っている。一日中ダラダラしていて、博麗神社の掃除はマメにやらない。放っておけば、博麗神社の境内に置いた守矢神社の分社も汚れっぱなしになる。それでいて、何度お願いしてもまるで聞く耳を持たなかった。
気分屋の怠け者と悪い所ばかりが目立つ霊夢であったが、そんな気ままで自分とはまるで違う生き方をしている霊夢に、早苗は心のどこかで羨望の眼差しを向けていた。
そんな心の奥深くにある言葉を、何故言ってしまったのか。それは、木漏れ日がくれたフンワリとした時間が早苗を惑わしたのかもしれない。
「ま、聞かなかった事にしておくわ」
霊夢も、その事は何となく察したようで、別段気にした様子は無かった。その様子を見て早苗は少し安心し、そして霊夢に少し感謝した。
「ところで、他の皆さんはどうしているんでしょうか?」
「咲夜は分からないけど、魔理沙だったら買い出しに行ってるわよ」
「買い出し、ですか?」
「どうせなら釣った魚をここで食べていこうという話になったの。それで、一番釣った魚の数が少なかった魔理沙が代表として買い出しに行っているってわけ」
どうやら、早苗が眠ってしまってから色々と話が決まった様だ。だが、早苗もここで夕食を食べる事については、何の異論もない。神奈子や諏訪子から、夕食について何か言われている訳でもなかった。
「釣った魚の数が一番魔理沙さんが少なかったって言ってましたけど、私もそんなに魚は釣っていませんよ?」
「魔理沙はボウズだったのよ。本人曰く、大物を狙いすぎたらしいんだけど、私に言わせれば魔理沙は落ち着きが無さ過ぎるのよ」
「はあ、そうでか。ところで、霊夢さんは何匹釣ったんですか?」
「さあ?正確には数えていないけど、とりあえず十匹以上だと思うわよ」
さらりと言う霊夢に早苗は驚いた。自分が釣り上げた魚の数と雲泥のさである。やっぱり霊夢には敵わないなっと改めて早苗は思った。
「でも、ほとんどがこれだったけどね」
いつの間にか直ぐ近くに来ていた咲夜が、石を投げ込む仕草をした。音も気配も無く咲夜が現れた事に驚いていた早苗だが、その仕草を見てピンっとくるものがあった。
川の中に岩に、別の石を叩きつける。その衝撃が水に伝わり、岩の下に魚がいれば、気絶して浮いてくる。ダイナマイト漁の原型の様なやつで、そのやり方は早苗も何かの本を見て知っていた。
「…少し、卑怯じゃないですか、霊夢さん?」
「要は魚が獲れればいいのよ」
「魔理沙がかわいそうね」
「一匹も釣れなかった魔理沙に、何か言われる筋合いは無いわよ」
しらっとした顔で言ってのける霊夢にただ苦笑するしかない早苗であったが、そこが何とも霊夢らしいとも心の中で思った。
山の夕暮れは早い。そもそも山に中にあるといってもいい幻想郷は夕暮れがはやいのだが、山中にいると更に早く日が沈むようだ。
普段よりも早めに日が沈みかけている中、霊夢達四人は食事の準備をしていた。今日釣り上げたばかりの魚をメインディッシュにし、後はそこら辺で採取してきた木の実や里で買ってきた米や野菜等のその他食材、そして各人が思い思いに取って来た酒などがあった。
「ここら辺に火を起こせばいいんですか?」
「ああ、そうしてくれ。初めに燠火を作るんだが、薪をケチるなよ。沢山薪を燃やさないと、強い火力が得られないからな」
「そう言えば、魔理沙さんの八卦炉って、調節しだいで料理にも使えるんですよね?」
「こういう時に、マジックアイテムを使うのは無粋ってもんだぜ」
早苗は魔理沙に言われた通り、薪を燃やし始めた。早苗が燠火を作っている間、魔理沙や咲夜は魚の準備をした。準備をとは言っても、山中では大した料理はできない。魔理沙ができる事と言えば、血を抜いた魚の口に太めの枝を挿すぐらいだった。
「お、何をやってるんだ、咲夜?」
「ただ焼くだけでは芸が無いと思ったから、手持ちの道具でちょっと趣向を凝らしてみようと思ったのよ」
咲夜は自前のナイフで魚の腹を裂き、内臓を取り出した。そして、その中に細かく刻んだ野菜やニンニク、生姜等の調味料を入れ込み、アルミホイールで包んだ。
「へえ、美味そうじゃないか」
「私を誰だと思っているのよ?」
咲夜はその他にも野菜と研いだ米を中に入れた物も用意しているようで、咲夜の凄さを改めて思い知った魔理沙はただただ苦笑いするだけだった。
「ねえ、そろそろ火にかけてもいい?」
川で米を研いでいた霊夢が、飯盒を持ってやって来た。霊夢の持っている飯盒は研いだ米が入っているが、要は野外実習の飯盒炊さんの時に使うあれである。
ちなみに、この鍋を含めた機材は、魔理沙がレジャー用の道具を香霖堂から半ば強引に借りてきた物である。
「うーん、そうだな。そろそろ火もしっかりしてきているようだし、いいと思うぜ」
「分かったわ。じゃあ、早速」
その時、咲夜は霊夢が鍋以外にもう一つ別の物を持っている事に気がついた。
「ねえ、何故薬缶も持っているの?」
「何故って、お湯を沸かす為に決まっているじゃない」
「最初にお湯を沸かす必要は無いと思うけど」
「お湯を沸かさなくちゃ、私がお茶を飲めないじゃない」
さも当然の事だと言い放つ霊夢に、魔理沙と咲夜は呆れた。ここまで来てお茶かよ、と二人の心中は見事に一致した。
「…そんなにお茶を飲みたいのか?飲料水だったら、私が持ってきただろ?」
「私はお茶がいいの。特に食事の時にお茶がないなんて、世界を破滅させた方がましよ」
「じゃあ、一番最初にお湯を沸かす必要は無いじゃない」
「食事の前にも一服やりたいのよ、私は」
もはや聞く耳持たずといった感じの霊夢に、黙って溜息をつく魔理沙と咲夜であった。お茶の詳しい味など分からない癖にと魔理沙は心の中で思ったが、自分の命が危険なので間違っても口に出さなかった。
なお、霊夢はこの場に急須や茶葉、そして愛用の湯飲も持ち込んでおり、用意万端の体制である。
そんなこんなで一部の作業妨害があったが、彼女達の食事は無事完成した。早苗が掛けてある飯盒をひっくり返してしまいそうになったり、魔理沙が火に炙っている魚を焦がしそうになったり、霊夢が食材を摘み食いをしたりと色々とあったが、何とか料理が完成したので細かい事は誰も気にしなかった。
「それじゃあ、乾杯といくか」
魔理沙がそう言うと、皆は自分が持ってきたお酒をコップに注ぎ、手に持った。そして、合図とともにコップを重ね合わせた。
「なんだ、魔理沙は日本酒じゃないんだ」
「日本酒も捨てがたかったんだが、こんな時はビールに限ると思ってな」
魔理沙が飲んでいるのはビールであり、霊夢が飲んでいるのは日本酒だった。そして、咲夜はカクテルで、早苗は梅酒であった。
「あ、このお魚、色んな味が染み込んでいてとても美味しいです」
「当たり前でしょう。誰が作ったと思っているの?」
「へいへい、紅魔館のメイド長様には敵わないですよってな」
憎まれ口を叩く魔理沙であったが、内心では咲夜の料理の腕に舌を巻いていた。
「私は別に、焼いた魚に醤油を垂らして食べるだけでも満足だけどね」
「霊夢の場合は、お茶と酒が美味ければ何でもいいんじゃないのか?」
「まあ、そうとも言うわね」
霊夢に何を食べさせても同じ反応しかしないのではないか。魔理沙達三人は心の中でそう思ったが、それを確かめてみようとは思わなかった。試しに食べさせる食材に申し訳ないと思ったからだ。
「こんなふうに食べる食事って、美味しいですね…」
食事が進み、皆が酒の入ったコップを持って思い思いに話に花を咲かせている時、焚火をボンヤリと眺めていた早苗がポツリと言った。
「何よ、藪から棒に」
「あ、いえ、何となく。すいません…」
急に変な事を言いだしてしまって、早苗は少し恥じた。今日の早苗は緩みっぱなしである。いくら遊びに来ているとはいえ、締めるところは締めなくてはいけない。そうしなければ、目の前にいる巫女の様になってしまうと早苗は気を引き締めようとした。
「飯は早く食べるんだったけ、早苗は。そりゃ、神様二人と飯を食べたら、息苦しくてたまらないよな」
「いえ、そんな事はありません。ただ、こんなふうに火を囲んでワイワイ食べるって事はした事がなかったので」
「そう言えば、早苗って宴会にはいつも参加していなかったな」
早苗が宴会に呼ばれていない訳ではない。早苗を含めて守矢神社に住む三人に招待がかかるのだが、神社を空にする訳にもいかないという事で早苗はいつも留守番をしていた。
もちろん、神奈子も諏訪子も早苗に宴会に行く事を勧めた。しかし、仕える神を差し置いて宴を楽しむ事はできないと早苗は断っていた。
「ねえ、早苗。一度聞いてみたかったんだけど、楽しい?」
「…?どういう意味でしょうか?」
「うーん、うまく言えないんだけど、早苗って変に理屈に縛られていてさ、それでいて色々と窮屈そうに生きているって思えるのよね。だからさ、そんな生き方をしていて面白いのかなって」
霊夢の言葉に、早苗はハッとした。痛い所を突かれたと言ってもいい。早苗が漠然と感じ続けてきたもの、霊夢を羨ましいと思ったこと、霊夢とは違うこと。いや、霊夢を含めて幻想郷に住む人達と違うところと言うべきか。
「同じく誰かに仕えているって言うなら咲夜も同じなんだけど、咲夜はこんな感じでどこか飄々としているしね」
「私は、抜くところはしっかり抜いているから。お嬢様への忠誠を第一にしているけど、固っ苦しい事ばかりじゃ続かないわ」
「…お前も神に仕えている身だろ?」
「あ、そう言えばそうだったわね」
「おいおい…」
何故自分は霊夢達の様に自由に生きられないのか。それは早苗が考え続けてきた事でもある。神に仕えているから自由になれないのか。ならばその条件は霊夢も同じである。ならば、何が自分と彼女達とは違うのか。いくら考えても、答えは出ないままだった。
「幻想郷はのんびりまったりが似合う所なんだ。早苗はさ、生真面目すぎるんだよ。もうちょっと、いい加減でもいいと思うぜ」
「…そう、ですね」
「まあ、いい加減すぎて、こんなふうになってもらっても困るがな」
そう言って魔理沙が指差したのは、当然霊夢の方だった。それを見た霊夢が眉間に皺を寄せて、針を構える。慌てて魔理沙は咲夜の背中に隠れた。
「ねえ、外の世界でも今の様に生きていたの?」
そんな霊夢と魔理沙を気にした様子も無く、咲夜は早苗に聞いてきた。
ちなみに、咲夜を挟んで霊夢と魔理沙の激しい読み合いが今でも続いている。
「信仰が薄れているっていう事もありましたが、概ねあまり変わっていません。いえ、もっと固っ苦しかったかもしれません」
「信仰が集まらなかったから、その分苦しかったってこと?」
「いえ、元の世界ではもっと色んなものに縛られていたと思います。時間とか、友達とか」
成果主義、効率主義が進んだ世界で、幻想郷の様にノビノビと生きる事は不可能である。決められた時間に朝起きて、決められた時間で学校に行き、決められた事以上の事を学ぶ事を要求され、決められた時間にバイトに行き、決められたノルマ以上の事を達成する事を要求される。
時間を有効に使う、のではなく、時間に有効に使われる。早苗の住む世界とは、そんな世界であった。
「時間は分からないでもないけど、友達に縛られるってどういうこと?」
「何と説明したらいいのか、いい言葉が思いつかないんですけど…」
どう説明したものかと思いあぐねる早苗であったが、そんな様子を咲夜は見守っていた。霊夢も魔理沙も一時休戦として、同じく早苗の言葉を待った。
「外には携帯電話っていうのがありまして、いつでもどこでも望みの相手と話す事ができる機械があるんです。まあ、他にも色々な機能が付いているんですけど、離れた相手に好きな時間に連絡を取る為の道具と思ってください」
「へえ、それは便利な物があるもんだな。それで、そいつがどうした?」
「私は友達との連絡を絶やさない為に、一日中携帯電話をいじっていました」
朝起きて初めにする事は、寝ている間に着信がきていないかを確かめる事。相手からメールが来たら即座に返信するのは当たり前で、例え授業中やバイト中でもバイブレーターが作動したら即座に携帯電話をチェックする。それが元の世界での早苗の生活であった。
「例え相手から連絡が来ていなくても、見逃していないか定期的に確認するのは当たり前でしたね。ちょうど、今日私が懐を確認していた様にですね」
「…なんかよく分からないけど、なんでそんな事をしていたの?別に、少し連絡が遅くなったぐらいで相手が怒る訳じゃないでしょう?」
「それはそうなんですけど、早く返事を返さないと相手に嫌われる、或いは相手が嫌われていると思ってしまうと思ってしまうんです。もっとも、実際に何で早く返事を返してくれなかったんだって怒る友達もいましたけど」
外の世界にいる人々が皆そうであるかと言えば、そん事はない。多種多様な人間がいるが、少なくとも早苗を取り巻く環境ではそういう人間が多かったし、早苗を含めて早苗の友達は皆そうだった。
「なんだか早苗の話を聞いていると、外の世界って面白く無い所なのね。だいだい、そんな事で怒る様な奴と友達になるなんて、お金を積まれたって願い下げね」
「霊夢さんならそう言うと思いましたが、誰にどう思われているかって事に酷く神経質になってしまっているんです」
いつからそんな生き方をし始めたのか。それは今となっては思い出せない事であるが、事あるごとに携帯電話を操作する早苗を見て、またそんな早苗を注意してもこの事だけは聞こうとしなかった早苗に対して神奈子や諏訪子が酷く悲しそうな顔をした理由が今になってようやく早苗にも分かった。
「霊夢が外の世界は面白く無いって言うのは、私も同感だな。重要なのは、お前がどう思われているかって事じゃなくて、お前がどう思っているかって事だろ?」
魔理沙の言葉に、早苗はあっと思った。確かに誰にどう思われているかを酷く気にしていたが、自分が相手をどう思っているかについては二の次の事だった。
「早苗はさ、私達の事をどう思っているんだよ」
魔理沙の問いかけに、早苗は直ぐに答える事ができなかった。それでも、答えなくてはいけない事は早苗にも分かっていた。聞いてきた魔理沙も、傍で黙っている霊夢も咲夜も早苗を黙って見つめている。
「…わ、私、は、皆さんの、事を、友達、だと、思って、います…」
早苗の顔は真っ赤になっていた。心の中で思っていても、いざ面と向かって口に出す事は早苗にとって酷く恥ずかしい事だった。それでも、口に出した後は不思議と嫌な気分にはならなかった。
「なら、それでいいじゃないか。誰にどう思われていようとも、お前がそう思っていればそれだけでいいじゃないか」
「もっとも、魔理沙みたいに世間の目を気にし無さ過ぎても困りものだけどね」
「何だと!? 清く正しいこの魔理沙様が、世間に悪い目で見られている訳がないじゃないか!」
「…少なくとも、うちから盗んでいった本を全部返してから、その台詞は言うべきね」
何やら窮地に追い込まれた魔理沙があれこれ言い募っているが、早苗が友達だと言った時の霊夢達の表情は優しい表情であった。そんな霊夢達の表情を見て早苗は胸を撫で下ろしていたが、早くも相手の動向を気にしている自分に気が付き、一人溜息をついた。
「…もう少し、破天荒な生き方をするべきなのかもしれませんね」
例えば、常識に捕らわれない生き方をするとか。もちろん、素っ裸で里を歩き回るというようなものではなく、もう少し自由に、器用に生きられる自分を目指す事である。
明日から常識に捕らわれない様に頑張ってみよう。早苗は焚火の炎を見つめながら、そう心に決めた。
夏休みの切れ端みたいな日常。
やりたいことは風にまかせて、ゆらゆらと。
……加奈子て
このお話を読んだら本気で幻想郷に行きたくなった…
>体制であっる
っがありました。(ネタだったら御免なさいorz
我々は、たった数百年でどこに行こうとしてるんでしょうね。
………まさか、これが切っ掛けで?
こういうのを見ると今の人は色んなものにがんじがらめになっているって再確認します。
…自分ももう少しのんびり生きたいです。
使える神様を差し置いて?
でもたまに寺とかで団子食うとすげえ和む。びっくりするくらい和む。
なにはともあれ人間四人組の休日、いいお話でした。
自体〇
どうであんたの所だから、出涸らしは飲んでないんでしょう?
どうせあんたの所だから・・・・・の打ち間違いでしょうか
それを捨てるなんてとんでもない!