真っ白い空間が広がっている、
眩し過ぎて何も見えない。
話し声が聞こえる、
うるさ過ぎて何も聞こえない。
楽しそうな、嬉しそうな、悲しそうな、悔しそうな、
感情が、あまりの密度で液体化している。
ここは、水の中?
底の方はさらに明るく輝いている。
私は重力に任せてゆっくりと沈んでゆく。
光の奥底から笑い声が聞こえた。
雑多な話し声の中、その笑い声は楽しそうに、嬉しそうに、
まるで、私を誘うように……。
ふと、私は急激な浮力を得る。
逆らう事の出来ない一方的な力で、私は頭上の闇に向かって浮上してゆく。
それは、覚醒の闇。
その闇に飲み込まれると、私は全てを忘れ、
そして、
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目を覚ます。
「ぅん……んー……」
力なくつぶやき、姫海棠はたては布団からゆっくりと身体を起こした。
寝起きなのにかなり疲れていた。背中が寝汗でじっとり濡れている。
夢を見ていたのだろう、それは分かる。しかし、何も思い出せない。どんな夢だったのか、何をしていた夢なのか、何処にいた夢なのか。
「……またか」
夢の内容を覚えていない、なんて事は良くある話だ。夢は睡眠中の脳が記憶の整理の為に行っている作業で、うっかり意識中に投影されてしまった中途半端で意味のない記憶の羅列なのだ。
しかし、はたては気になっていた。どんな夢を見ていたのか、何故忘れてしまうのか、何故、夢をみるようになったのかを。
「うーん……3日目……だよね」
女の子の日ではない。
「やっぱり、あれが原因か……」
はたてはすっと立ち上がり、自分の机に向かう。充分な睡眠は取れていない、そのせいか、少し不機嫌だ。
はたてが机の引き出しを開けると、そこには手の平サイズの、長方形でキラキラとした小物があった。
はたては『ソレ』を手にとってみた、『ソレ』は貝のように2つに開き、内側の面は片方は無数の数字が書いてある釦があり、もう片方には黒く塗りつぶされた枠があった。化粧をする時の道具にも見えるがそうではないらしい。
はたては『ソレ』が外の世界の道具である事を、ある程度分かっていた。外の人間は、黒い枠の中に電気を流して色々なものを映し出すのだ。
しかしそれ以上は分からない。そもそも幻想郷には電気がない。いや、ないわけではないが、外の世界の人間ほど上手く電気を扱えない。
河童の連中はそのへんを躍起になって再現しようとしているらしいが……。
「何に使う物なのかなー、コレ」
はたては押せる釦をあれこれ押してみたり、二つ折りの機構を開けたり閉じたり、色んな角度から眺めてみたりした。しかし、分からないものは分からない。『ソレ』が電気で動く物なら、いくら弄ってもどうしようもないのだが。
「でも……」
はたてはその用途不明の小物を気に入っていた。
キラキラしていて綺麗だし、小さくて何だかカワイイと思えた。
手の中でぎゅっとにぎると、きっとこの小物を使えば、とても楽しい事ができるんだ、と、そう思えた。
「コレを拾ってからだよね……夢を……覚えていない夢を見るようになったの……」
ほんの少し過去を回想する。その時、はたては珍しく部屋の外に出た。何かの用事があったわけではない、ただ何となく、散歩に出かけただけだった。
誰もいない山中で、はたては何かキラリと光る物が目に入った。はたては鴉天狗だ、どこか光り物に興味を引かれる所があるのだろう。何だろうと近寄ると、それが杉の木の根元で、自然界では異質な光を放っていた例の小物だった。
はたては辺りを見回した。誰もいない。はたてには『ソレ』が捨てられた愛玩動物のように見え、放っておけなくなった。そうして自分の部屋まで持って帰ったのである。
そう、4日前の話だ。
「むー……」
はたては頭を掻いて唸った。胸の中がもやもやしている。どうしようもなく気持ちが悪い。
偶然拾った謎の小物と、忘れるくせに気になる夢。
2つの事には因果があるように思えるが、それを証明する方法をはたては知らない。
分からない事柄に出くわした時にはどうすれば良いか。真っ先に思い浮かぶのは他人に聞く事だが、いかんせん、はたてにはそれができなかった。
はたてはいわゆる引き篭もりだった。他人との交流はなるべく避けて生活していたのだ。
他人に悩みを話す。普通の人には簡単なその事が、はたてにとってはとても、とても難しい問題なのだった。
はたては頭を掻いた手が寝汗でじっとり濡れている事に気付く。
「……水浴び、しよっかな」
はたてはしばらくぶりに部屋のドアを開けた。
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山には水浴びに適した小さな滝が幾つかある。そういった所は大抵妖怪だけでなく、動物や妖精も集まってくるのだが、朝が早かった事もあって、はたてが訪れたそこは周囲に気配は感じられなかった。
はたては服を脱ぎ、水辺の渕の岩の上に畳んで置いた。
初夏の早朝の水は少し冷たかったが、寝起きの呆けた頭を覚醒させるには丁度良い。普段あまり外出しないはたてには、久しぶりの水浴びが存外心地よかった。
流る水が、はたての瑞々しい肌に当たって弾ける。寝汗と共に、心に溜まったもやもやも流されていけばいいのに、そう願った。
しかし、川の水がどんなに肌を潤そうとも、はたては心が渇いていた。水では癒えないその渇きは、忘れる夢だけが原因ではない。いや、むしろその心の渇きこそが、夢の原因であるかもしれなかった。
「おやまぁ、これは珍しい」
「!?」
不意に聞こえた声に、はたては驚いて身を縮める。
「ネタはないかと思って飛んでいたら、引き篭もりのはたてさんに遭遇するとは」
そこには同じ鴉天狗の射命丸文がいた。
「き、きゃぁぁぁぁ!」
絶叫が山に響き渡る。はたては慌てて裸体を隠そうとするが、胸をおさえてしゃがみ込む事くらいしかできなかった。
「そんなに大声出さなくても、女同士なんだし押し倒したりしませんよ」
はたての絶叫に思わず顔をしかめる文。しかし悪びれている様子はない。
「そ、そういう問題じゃないでしょ!? こっち見ないでっ!」
涙目になって叫ぶはたて。顔が火を噴いたように真っ赤になっている。
「あらあら、かわいい反応しちゃって。あんまりいい反応してくれると、思わず写真に撮りたくなっちゃいますよ」
文は手に持っていたカメラを構えようとする。
「やめてよこの変態っ! どっか行って!」
「う~ん加虐欲求を刺激するその表情! きっと男の人はこういうのに弱いんでしょうねぇ」
「~~~~見るなぁぁぁぁ!」
再び絶叫と共に川の水を文に向かってふっかけるはたて。
「うおっと!」
カメラを水浸しにされては敵わんと一歩引く文。その隙にはたては自分の服へと猛ダッシュし、服を掴むと林の中へ駆け込んだ。
「やれやれ、久しぶりに会ったっていうのにつれないですね」
林の木の裏で、はたては半ベソをかきながら服を着ていた。当然身体はまだ濡れていたがそれどころではないらしい。
「……ちょっとからかい過ぎましたか」
文は軽く頭を掻く。ほんの冗談のつもりであったが、はたての純情っぷりは想像以上だったようだ。
「えーと、はたて……さん? やり過ぎちゃったのなら謝ります」
文は多少の誠意を込めて、木の裏のはたてに話しかける。
「顔見るの久しぶりだったし、ちょっとしたスキンシップのつもりだったんですよ。でもほら、あなた、山の妖怪の宴会にも顔を出さないじゃないですか。それって良くないと思うんですよ、同じ種族同士、もう少し親交を深めてもいいんじゃないですか?」
はたては無言で聞いていた。思うところはあった。言い返したいところもあった。けれど、ぐっと堪えて感情を押し殺す。
「……やっぱり、気にしているんですか? 神通力が発現しないこ……」
「関係ないでしょ!!」
文の言葉は、はたての激しい語勢によって押し込められた。
「私が何しようが、他の妖怪が何しようが関係無い! 知った事じゃな無い! そんな事、興味無いっ!」
怒涛の勢いで一気にまくし立て、木の陰から鬼の形相で文を睨むとサッと飛び去っていってしまった。
「あ……う~ん、図星、ですか……」
文は自分の失言を悔いた。
天狗という種族は古来より、種族としての威厳を保つ為に協調を取って活動し、時に個人では敵わない強大な妖怪をも打ち負かしてきた。そのお陰もあって、山では鬼に次ぐ実力を持つ妖怪として敬われてきた。
妖怪同士のもめごとにスペルカードルールが適用され、種族間の争いが血みどろの死闘でなくなってくると、天狗たちは社会の安全の為に磨いてきた神通力を一種のゲームのように使うようになった。その最たるものが、天狗たちの間で最大の関心事である新聞大会である。
神通力とは正に神=自然に通じる力。流れる風の中に遠い地の風景を見て、大地の奥まで触覚を張り巡らせその律動を感じる。自然が教えてくれる情報から、あらゆる異変をいち早く察知し、速やかに解決する。
天狗としての神通力に優れた新聞記者は、記事になる異変をいち早く察知して駆けつける事ができる。天狗社会を守る為にあった神通力は、形を変えて新聞制作に利用され、新聞大会は天狗の能力の優劣を競い合う趣のイベントになっていった。
はたては落ちこぼれだった。天狗としての神通力が発現しなかったのだ。
人間より秀でているところがあるとすれば、空を飛べる事くらい。いや、人間ですら空を飛べる者はいる、そんなアドバンテージは無いに等しい。
そんなはたてを、一部の慢心した天狗たちは嘲笑し、僅かな優越感を得る為に侮辱し続けた。
(何の力も無いのかよ? とんだ落ちこぼれだな)
はたての頭の中に、同僚の天狗たちの声がこだまする。
(天狗の恥だよな、こんなやつがいたら種族全体の威信にかかわるぜ)
容赦の無い侮蔑と嘲笑、過去の記憶に、はたての胸は激しく軋んだ。
「ちくしょう! ちくしょうちくしょう!」
精一杯の悪態を、記憶上の同僚についてみる。頭によぎる、ありとあらゆる汚い言葉。
文の下から飛び去ったはたては、行く当ても無いまま空を飛んでいた。
想起してしまったトラウマと闘いながら、猪突に、蒙昧に。
「ちくしょう……ちく……しょう」
同じ種族への憎悪と嫌悪。それは、そっくりそのまま自分に返って心を破壊する。
悔しさに打ちのめされて、はたては飛ぶこともできなくなった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
降り立った山の木に顔を埋めて、みっともなく泣いた。
悔しくて悔しくて仕方がなかった。
文の言わんとした事は正しかった。
気にしている。大いに気にしているのだ、自分に神通力が無い事を。
自分が天狗として、あまりにも無能である事を。
でも、それだけじゃなかった。
それだけでは足りなかった。
でも、それだけじゃないなら、何なのだろう?
悔しさだけでないのなら、何がこんなに悲んだろう?
泣き疲れたはたては、ふっと、空を見上げた。
キラリと光る、点と線が見えた。一定のベクトルへ進む光の点が集まって、ある種の模様を描いていた。弾幕だ。
どこかの妖精のケンカだろうか。少し先の上空で、弾幕戦が行われているようだった。
それを見て、はたては思う。
キレイだな、と。
恐らく妖精たちの、他愛の無い、ろくでもないケンカなのだろうが。
それでも、どうしようもなく、そんな弾幕を見て、
美しいと思った。
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真っ白い空間が広がっている、
(あれっ?)
眩し過ぎて何も見えない。
(ここ、私、知ってる)
話し声が聞こえる、
(ここは、夢だ)
うるさ過ぎて何も聞こえない。
(今、私、夢を見ているんだ)
感情が液体化した水の中で、はたては自分自身を自覚する。
(これは、私の夢?)
話し声が聞こえる、
(それとも、誰かの夢?)
それは、私を呼ぶ声。
(私を呼んでるの?)
楽しそうに、嬉しそうに。
(私と……遊んでくれるの?)
やさしく、やわらかく、手が差し伸べられる。
(私……遊びたい……)
手を伸ばせば、触れられる。
(みんなと……話したい!)
突然! 声が闇に飲まれてゆく!
周囲は粘性を持つ液体になり、息が詰まって呼吸が出来ない!
笑い声がどんどん遠ざかる。もがいても、もがいても、1ミリだって近づけない。
(いやだっ! まって! 行かないで!)
必死になって身体を動かし、闇に対して抵抗する。
闇はどんどん深くなる、光は遥か底へと遠ざかる。
(いやだっ! いやだ行かないで! 私はもっとみんなと居たいっ! もっとみんなと話したい! みんなと、みんなと遊びたい! 私は……私は……)
はたては、闇に飲み込まれた。
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勢い良く布団から跳ね起きた。
時刻は分からない。ただ、まだ窓の外は真っ暗だ。
尋常でない汗をかいていた、ノドがカラカラに渇いている。
「……夢……」
はたては顔に手を当てた。汗だけでなく、涙で顔が濡れていた。
「覚えてる……覚えてる……けど」
今度は夢を覚えていた。
それは誰かの、不幸な夢。
不幸だけれど、幸せな夢。
その誰かは、不幸の中に、幸せを見つけて、
……そして。
「うぅ……ひっく」
はたては静かに、泣いた。
声を殺して、出来る限り、小さく。
けれども、閉じた目蓋から、大粒の涙が止めどなく溢れる。
もうこれで最後だ、泣くのはこれで終わりにしよう。
そう思ってはたては、布団に顔を押し当てて、激しく嗚咽を上げた。
顔を洗って鏡を見る。泣きはらしたアトが目立つが、まぁ仕方が無い。
はたては部屋を出た。
これから何をしよう、良くは分からないがとにかく『コレ』が何であるかを突き止めよう。はたては手の中の小物を見ながらそう思った。
『コレ』は外の世界の誰かの所有物だ。その所有者はきっと不幸な環境だった、『コレ』はその人の希望だったんだ。
はたては自分の見た夢が、外の世界の誰かの記憶なんだと感じていた。
その人は、今の自分とちょっと似ている環境にあって、でも『コレ』が、その人に楽しい時間を提供していたんだ、と。
知りたい。はたては強く思った。
その人がどうなったのか、それは分からない。けれど、夢で自分とシンクロした人に、希望を与えてくれた『コレ』を、私が拾ったのは偶然なのか。それが知りたかった。
いや、それだけじゃない。本当に知りたいのは、この胸に新たに芽生えた高鳴りの事。このまま何もせず、誰とも関わらないまま、ウンザリする程長い寿命を生きるのはまっぴら御免だ。
はたての胸は何だかスッキリしていた。夢を見て、泣いて、流した涙に色んな物が入っていた気がした。
昨日までの自分をとてもちっぽけに思える。
見た目は何も変わってない。昨日も今日も落ちこぼれの能無し天狗である事は変わっていない。
けれど、今の自分には、夢の正体を知りたい、という好奇心がある。
それが、昨日の自分と今日の自分を、天と地ほどに大きく隔絶させている。
どんな困難にも負けないでいられる気がする。
はたては飛んだ。
昨日までとは全てが生まれ変わった、別世界になった幻想郷を。
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山を流れる綺麗な川の辺りに来て、はたてはキラキラ光る河童が飛んでいるのを見た。
何をやっているのか分からないが、はたては早々にチャンスが訪れたと感じた。
この謎の小物の事を他人に聞く場合、候補に上げていたのは3パターン。
一つは古道具屋に聞く。
一つは外の世界とを隔てる結界の主に聞く。
もう一つが河童に聞く事である。
森の近くの古道具屋に持っていけば、道具の用途や名前が分かるかも知れない。しかしそこは商売をする所、うっかり商品にされては堪らない。
結界の主、八雲紫はこの幻想郷を生みの親とも言える大妖怪で、外の世界の知識も豊富にあるという。しかし……正直そんな大妖怪を伺うのは腰が引ける、はっきり言って怖い。
そんなワケで、機械について詳しく、何よりあらゆる種族に友好的な河童に話しかける事は、とても有効に思えた。
もしかしたら、これがキッカケで友達になれるかも知れない。
はたてはそんな事を思った自分にびっくりした。友達を……作る? 私にも友達が……出来る?
「ね、ねぇ! そこの河童さん!」
はたては思い切って、輝く光源に声をかける。
「ぬがっ!?」
河童ははたてに振り返った。はたては眩しさに目を細める、自分より幼く見える、素直にかわいい子だな、と感じた。しかし分からなかったのは、何でそんなこの世の終わりみたいな顔をしてるの? って事だった。
「あの……どうしたの?」
自分から声をかけたにもかかわらず質問してしまった。
「あなた、ひょっとして私が見えるの?」
「え?……えぇまぁ、眩しくて見づらいけど」
どうやら河童は服を発光させているようだった。はたてにはどういう原理で光っているのか分からないけど。
「ああぁぁぁぁ! また失敗かあぁぁぁぁ!」
突然、河童は頭を抱えて悶え出した。かと思ったらガクリとうなだれてメソメソ泣いている。
「え、えぇぇぇぇ!? ど、どうしたの? 私、何か気に触る事言った?」
はたては思わず動揺してしまった。自分は泣き虫だと思うが他人に泣かれるなんて初めてだ。
「あ、いや、あんたは悪くない……。はぁ~またダメだったかぁ~、今回は自信があったのにな~」
河童は言いながら服の袖についてる釦を操作した。服の発光がおさまり、よく見る河童らしい雨合羽みたいな衣装が露になる。
「これね、私自作の光学迷彩『キエルくん13号』よ。これを着ると周りの景色と同化して周囲の人には見えなくなっちゃうの!」
「コウガク……メイサイ?」
「そ! ま、消えてなかったみたいだから、う~ん『キエナカッタくん』かな?」
「はぁ……」
泣いた河童がもう笑った。そんな言葉はないが、はたてはえらくポジティブな思考の持ち主なんだと思った。
「あ! それで、何の用? 見たところ天狗さんだよね?」
「あ……うん、ちょっと聞きたい事、って言うか見てもらいたい物があって」
はたては説明に困ってとりあえず現物を見せる事にした。
「コレ……なんだけど」
巾着からその小物を出し、河童に見せる。
「ぬ? ……むおぉぉぉぉ!? こ、これはぁ~!」
瞬間、河童の雰囲気がガラリと変わる。荒れ狂う海の、岩にぶつかる波しぶきのように、厳格な職人のオーラが爆発した。まぁはたては海を見た事が無いのだけれど。
「ど、どうしたの!? これ、何かマズい物なの!?」
急変した河童のオーラに仰天して、はたては聞いた。
河童はワナワナと身を震わせてはたてを見る。
「……伏せてーっ!」
「ええーっ!?」
イキナリ押し倒されるように抱きつかれ、そのまま2人で地上に急降下。むしろ墜落。
「ギャフン!」
ワケの分からないまま地上に叩き落されたはたては、盛大に尻餅をついてしまった。
「アイテテテ……もう、イキナリ何するのよ~」
「何するも何も、アンタ、コイツを何処で手に入れたのさ」
河童は妙に声を殺して凄んできた。大きな声をだすなという事らしい。
「……何処って、山で、拾ったんだけど」
「ふーん、そいつは妙だね」
「妙……なの?」
河童は腕を組んで何やら思案している。
「あの……それで、あなたはコレが何だか知っているの?」
「ん? んー、こいつはね、外の世界で使われている、最新のカメラさ」
「カメラ!? なの!?」
はたてにはその答えは意外だった。カメラとは瞬間の風景を切り取る道具。先日の射命丸文が持っているような、レンズの付いた小箱のような……そういえば『コレ』にも小さなレンズがついているようにも見えるが、それにしても形が随分違う。
「と言ってもタダのカメラじゃない! ありとあらゆる事ができる魔法のカメラなのさ!」
「魔法の……カメラ」
はたてが思いついたのは文の弾幕戦である。文はカメラに妖力をつぎ込んで、相手の弾幕を写真へ取り込む事ができる。ただそれは文の力によるものだ。特殊な使い方をしているけど、カメラはいたって普通のカメラなのだ。
「っていう話なんだけどね」
「え?」
河童の話は唐突に曖昧になる。
「外の世界から入ってきた物の管理をしているのが、この幻想郷の生みの親でもある大妖怪、八雲紫だってのは知ってるよね?」
「う、うん」
はたては唾を飲む。大妖怪の名前を実際に聞くと、思わず緊張してしまう。
「その、紫がね、コイツをあんまり幻想郷に入れたがらないらしいんだ。だから、誰かがコイツを見つけると、何処で嗅ぎつけたのか紫がやってきて、奪っていってしまうんだって」
「そう……なんだ」
はたてはその話を疑問に感じた。『コレ』がそんなに悪い物だとは思えない、もっと、使う者を幸せにしてくれる、そんな素敵な物だと思っていた。そうとしか思えなかった。
「だから、私も見るのは初めてなんだ、ケータイ」
「?……ケータイ?」
「あぁ、その道具の名前。持ち歩くっていう意味の携帯だけど、それがそのままそのものの名前になっちゃったんだって」
「へぇ……」
はたては少し嬉しくなった。もうコレとかソレとか代名詞で考える必要はない、コレはケータイっていう物なんだ。
「……でさ、すっかり忘れてたけど、アナタ名前は?」
「へ?」
「名前よ、名前、アナタの名前! 私は河城にとり、見ての通り河童よ」
「ああぁ! あの、私、はたて! 姫海棠はたて! て、天狗!」
「はたてちゃんか、初めまして、だよね? 今更だけど、ふふっ、これからよろしくねっ!」
「!! ……ああっ! あのっ! こちらこそっ! よろしくお願いしますっ!」
にとりの差し出した手を、はたては盛大にドギマギして握り返す。嬉しさと気恥ずかしさと、経験の無い対応への困惑が入り混じって、みるみるうちに赤面してゆく。
「ははっ、何だか珍しいタイプの天狗だねぇ。天狗ってもっとこう、慢心の象徴っていうか、癇に障るヤツばっかりだと思ってた」
「あー、あはははは」
はたて自身もそう思えるので、思わず乾いた笑いで返してしまう。
「でさ、はたてちゃん」
「な、何?」
ちゃん付けで呼ばれる度にドキドキしてしまう。胸の中を直接くすぐられるような、変な感覚。でも多分、とても気持ちいい。
「そのケータイを、どうするの?」
「えっ? えーと……」
はたてはちょっと困ってしまった。冷静に考えてみれば、具体的にどうしたいのだろう。希望としては使えるようになって欲しいけど、難しいだろうか。ありとあらゆる事ができるカメラだっていうけど、では、どうやってありとあらゆる事をするのだろう。それを知りたいっていうのはある。あとは自分の見た夢との関係だけど、それは説明する事自体難しいし……。
「んー……」
はたてが思案していると、にとりはニヤリと目尻を下げて言ってきた。
「ものは相談なんだけど……」
「うん?」
「そのケータイ……分解させてーっ!」
「ええーっ!」
見るとにとりは両手にドライバーを持って満面の笑みを浮かべている。ご馳走を目の前にした食いしん坊がナイフとフォークを持っているかのようだ。次の瞬間にも「いただきまーす!」と言ってかぶりつきそうな気配さえする。
「だ、ダメよ!」
反射的にケータイを握って身を引いてしまう。はたては直感的に『壊される』と感じてしまった。今の状態が壊れていないかは別として。
「えー、いいじゃーん、ちょっとだけー!」
「ダメってばダメよ! これは……その、すっごく大事な物なのっ!」
「別に壊そうってワケじゃないよー! 分解して構造を調べて、ある程度分かったら元に戻すよ? それに、分解したら何か分かるかも知れないよー?」
「それは……そうだけど……でも……」
はたては元々、このケータイの調査を依頼しようとしていたのだから、にとりの申し出は願ったり叶ったりなのだ。が、にとりの目の色を見て当初の考えは消え失せてしまった。嫌な予感がする。プンプンする。
「やっぱりダメー!」
「えー! ちょっとだけー! 端っこだけー! つまむだけでもー!」
「酒の肴じゃないー!」
しばらく良いではないか良いではないかあれーおよしになってー的な追いかけっこが繰り広げられた。追われる事に夢中になったはたては、何かやわらかいものにぶつかる。そこで追いかけっこは中断された。
「アイテッ! ……あっ! ご、ごめんなさいっ!」
はたてがぶつかったのは人だった。見るからに豪華なドレスに身を包み、日傘を差して悠然と佇む美しい女性。その息を飲む程の美しさは、どこか迫力すら感じさせる。
「ゲェー! 出た! スキマ妖怪ー!」
にとりは仰天した! 引き篭もりのはたては一瞬分からなかったが、そんな別称で呼ばれる妖怪は一人しかいなかった。一人一種族の大妖怪、八雲紫である。
「ふふっ、騒がしいわね、お嬢ちゃんたち」
美しい口元が緩み、美しい声が言葉を紡ぐ。完璧過ぎて恐ろしいくらいだった。ささやくくらいの小さな声が、はたての全身に響き渡った。
「あ、あの、ぶつかって、ごめんなさいっ! 私、周りを良く見てなくて……」
猛烈な勢いで謝罪するはたて。妙に緊張しているのか顔が真っ赤だ。
「謝る事ないよーはたてちゃん、コイツがいきなり現われたんだから」
にとりは嫌悪感を剥き出しにして言う。紫に対して余程良い経験がないらしい。
「え、でも……」
「いいのよお嬢ちゃん、私が急に現われたんだから。お嬢ちゃんたちの話が気になってね」
「!」
はたては先程のにとりの言葉を思い出す。八雲紫は、ケータイが幻想郷にある事を好ましく思っていない。見つけ出して持っていってしまう……。
「貴方……外の世界の物を持っているわね」
殆ど表情を崩さない紫の目に、強い光が宿る。途端にはたての背筋は凍りついた。
「あの! ……これは!」
思わずケータイを握りしめた両手を胸に押し付けて半身を引く。
「……正直な子ね」
紫はにっこり微笑んで掌を差し出す。
「分かっているんでしょう? それは幻想郷にあってはならない物。私が責任を持って処分するわ」
そのまま、はたてにずいっと近づく紫。
「あ……い、嫌です! これは、その、そんなに悪い物じゃありません! 持って行かないで下さい!」
身体を強張らせて身を引くはたて。
今のはたてにとって、ケータイは希望だった。ケータイについて調べ、行動する事によって何かが変わる。何か良い方向に動く、そう思えた。
「良い物か、悪い物か、それは私が決めるわ。良い子だから、素直に渡しなさい」
はたての脳裏に、過去の暗い気持ちが蘇る。一人、部屋で、悶々としている毎日。そんなやるせない想いを、はたてはこのケータイに感じていた。
私は寂しかった。このケータイからも、同じような気持ちを感じた。だから私はこのケータイを拾ったんだ。きっと、ようやくめぐり合えた私の半身なんだ。今ここでこのケータイを奪われる事は、私の魂を奪われるに等しい。その身を引き裂かれる事に等しい。
「嫌だ……」
「……」
にじり寄る紫。
「い、嫌だぁぁぁぁっ!」
はたては叫んだ。
「嫌だっ! これは私のだっ! 絶対に渡したくないっ! たとえ幻想郷の誰も敵わない大妖怪が相手でも、これを渡すのだけは絶対嫌だっ! 私が拾ったんだっ! 私の……大事な物なんだっ!」
はたての、恐らく初めての強い意思表示。
他人との交流を避け、ずっと引き篭もっていたはたての存在を、紫は気にも留めなかった。だが誰であれ、幻想郷において神にも等しい紫に盾突く者など、数えるほどしかいない。傍らで悪態をついたにとりでも「渡せ」と言えば渋々渡すだろう。
「ふむ……」
精一杯に拒否したものの、はたての両膝は恐怖で震えており、目には涙が浮かんでいる。紫はほんの少し思案した様子で言った。
「じゃあ、こうしましょう」
「え?」
一瞬やわらかい口調で話す紫を、はたてが不思議そうに見上げた瞬間。
「がっ!?」
突然、はたては背中に強い衝撃を感じ、息が出来なくなった。
「はたてちゃん!!」
にとりが絶叫する。
続いていくつもの光線がはたての目の前をよぎる。明確な攻撃の意思を感じるエネルギー、これは紫の弾幕だ、はたては紫の不意打ちを喰らったのだ。
「うぅ……」
突然の事に、はたての思考回路は上手く働かない。私は殺されるんだろうか、このケータイを持つという事は、そんなに悪い事だったのだろうか。
ケータイを持つ右手に強い衝撃が走る! 光線状弾幕の直撃を受けたのか、急激過ぎる出来事に痛みを感じる事すら間に合わない! いつの間にか閉じていた目をうっすら開けると、持っていた筈のケータイが見当たらない!
「!!」
慌てて辺りを見回すはたて。すると、背後に立っていた紫の手に、そのケータイはあった。
「か、返してっ……!」
はたては叫ぶ、しかしその声に力は無い。攻撃を受けたダメージもある。しかし、ケータイが紫の手の中にあるという精神的ダメージが何より大きい。次の瞬間にもコナゴナに壊されてしまうかも知れない。はたては自身の身体が締め付けられるような思いだった。
「意外と元気ね」
余裕の笑みを浮かべ、はたてに対峙する紫。
「こらー! 紫ィ! 不意打ちとは汚いぞー!」
にとりが精一杯抵抗してくれている。
「あのままだとこの子、死んでも『コレ』を渡しそうになかったからね。……さて、泣き虫お嬢ちゃん?」
紫ははたてに向き直る。はたては唾を飲んだ。目の前の妖怪にかかれば、自分を一瞬で殺す事など容易い。それは今はっきりと分かった。
「な、何ですか……」
それでも紫の視線から目を逸らさない。恐怖で眩暈がする。だが、ここで目を逸らしたら終わりだ。何一つ勝てる要素は見当たらない。けど気持ちだけでも負けるわけにはいかないんだ。
「この『ケータイ』……確かに貴方にとってとても大事な物のようね。私としても、そういった物を強引に奪うのは心が痛むわ」
「じ、じゃあ!?」
僅かに希望を持ったはたてを紫は視線で制す。
「でも、これは本来幻想郷にあってはならない物。簡単に例外を認める訳にはいかない。そこで……ちょっとしたゲームをしましょう」
意外な単語が出てきてはたては戸惑う。
「ゲーム?」
「ええ」
すると紫はケータイを空へ高々と放り投げた。
「あっ!」
空を舞ったケータイは、次の瞬間、空間に突然出来た割れ目の中に消える。すぐさま空間の割れ目も消え、辺りは何事もなかったように風が流れた。
「な、何をっ……」
はたての顔が真っ青になっている。
「あのケータイは今、私が幻想郷のどこかに隠したわ。それを貴方が見つけられるか……時間は、そうね、日が没するまでにしましょう。それまでに、貴方があのケータイを見つける事が出来れば、貴方はそのまま所有者になって構わない。けど、日が沈めば……」
紫は残酷なくらい美しく微笑んだ。
「そ、そんな! 幻想郷のどこかなんて、広過ぎるっ! そんなの、どうやって!」
「見つけられなければ貴方にアレを持つ資格はない、それだけの事よ」
「そんな……」
「じゃあ、精々頑張りなさい」
紫の背後に空間の切れ目が生まれ、謎の空間が紫を飲み込む。切れ目が閉じると、そこは何も無いただの空。紫の姿は消えていた。
「消えた……くっそースキマ妖怪め! 相変わらず胡散臭い技を……」
にとりは空に向かって文句を言うと、呆然としているはたてに目をやる。
「大丈夫? はたてちゃん?」
返事が無い。
「はたて……ちゃん?」
「……どうしよう……どうしよう……」
顔面蒼白のはたては、今にも泣いて崩れそうだった。
「わ、わ、泣かないではたてちゃん! 大丈夫、まだ時間はあるよ! 何とかして捜そっ!」
「捜すっていったって、どうすれば……」
「うう~ん、そうだ! 友達に頼んでみるよ!」
「友達?」
「うん、はたてちゃんは知らないかな? 白狼天狗の犬走椛って、私の将棋友達なんだけど、千里眼の能力を持っていて遠くの方まで見わたせるんだって。他にも、何か……沢山の人に協力してもらえば、きっと何とかなるよ!」
「うぅ……うん……」
にとりははたての手を引いて飛び出す。出来るだけ多くの、協力してくれそうな者を集めに。
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事情を聞いた犬走椛はう~んと唸った。
「出来る限りの事はやってみます。ただ、あの八雲紫が隠した場所となると……正直、私の力で探し出せる気がしません」
天狗の神通力もピンからキリだ。この白狼天狗の力も、どちらかと言うと下っ端の方になる。
「それでも、やれるだけやってみようよ! もっと沢山の妖怪が力を合わせれば、なんとか……」
にとりは自分の事の様に真剣に協力を求めた。はたても続いて懇願する。
「お、お願いしますっ! 出来るだけでいいんで、出来るだけ……お願いします!」
「う~ん……こういう事はやはり、大天狗様にお願いするのがいいんでしょうけど……」
天狗の長、大天狗。強い神通力を持ち、幻想郷中の出来事を全て察知出来るとまで言われている。
「大天狗は無理でしょうね」
「え!?」
はたてが振り返るとそこに、先日水浴びを目撃された鴉天狗、射命丸文がいた。
「文さん、いつからいたんです?」
椛は驚いて聞いた。
「面白そうな事には鼻が利くんですよ。引き篭もり天狗と河童の組み合わせ、将棋を打ちに行くにしては少々慌ただしい様子でしたからね」
「あの、それで……大天狗様に頼めないっていうのは……」
はたては聞く。
文に、同じ種族に対してわだかまりがあるのは確かだった。しかしはたて自身も気づいている。社交的になれないのは自分自身の弱さだ。けど今はそれを克服したい、と、強く思っている。
ケータイを捜す為に、無能な部分を全て晒して協力を請う。そうしてはたての小さなプライドを壊す事で、もっと大事な、大きな何かを得る事ができるかも知れない。
「ん……単純に、ケータイを隠したのが八雲紫の意志だからですよ。大天狗は紫に逆らうような真似はしないでしょう」
重い空気が周囲に満ちる。それはつまり、ケータイを捜す事自体、しない方が良いという事になる。はたての表情は一層暗くなる。
「……とはいえ、我々天狗は共に助け合い結束せよ、という教えの下に生きています。今目の前に困難な状況に遭い、救いを求めている仲間がいるなら、力を貸さないわけにはいかないですがね」
「……え?」
文は不敵な笑みをはたてに向けた。
「我々にできる事は少ないかも知れませんが、貴方が助けを必要とするなら、尽力しますよ」
はたては目を丸くして言葉の意味を噛みしめる。にとりと椛も、文の意思を酌んで微笑む。
「それじゃ……」
「助けは……必要ですか?」
はたて胸の奥から熱いものが込み上げてくる。想いが目蓋の堰を切って溢れ、流れる。
「はい……助けて、下さい……お願い……します」
しゃくりあげてしまって上手くしゃべれなかった。はたては深々と頭を下げた。
文はニッコリ微笑んで、ハッキリした口調で言った。
「号外を出しましょう。失くし物の詳細を教えて下さい、出来れば絵を描いて。にとり、あなたの印刷機も使わせてもらいますよ。椛、他の哨戒天狗達にも伝えて回って下さい、事態は一刻を争います、急ぎますよ!」
「おうよ!」「はい!」
キビキビした態度で行動を開始する文。にとりも椛も続く。
「私……あの……ありがとう……」
はたての胸でつっかえていた同族への嫌悪が融解してゆく。自分はどこまでも弱く脆い、でも、少し手を伸ばせば、こんなにも温かい繋がりがあった。
私は一人じゃない、私は弱くても、私たちは弱くない!
「素直になってくれれば……かわいいものを」
文は少し照れくさそうに、宙を眺めて言った。
「え?」
「貸しですよ、今度の宴会にでも一杯奢ってもらいます!」
「……はい!」
こうしてはたてのケータイ捜索は、山中の妖怪を巻き込んでいった。
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はたての描いたイラストを元に簡単な号外が作られた。
文はそれを幻想郷中にばら撒いた。
親身になって協力した者、暇つぶしと思って参加した者、温度差は様々あるが、その規模はどんどん拡大していった。
情報はひっきりなしに寄せられ、その度にはたては幻想郷を西へ東へと飛び回った。
しかし、
発見の報告はおろか、有力な手掛かりも掴めないまま、時間だけが残酷に過ぎていった。
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太陽がオレンジ色に輝きだした。
日没の時間など気にして生きた事が、今までどのくらいあっただろうか。
はたては焦った。
今日一日、幻想郷のあらゆる場所を捜し、出会った妖怪たちにことごとく頼み込んだ。
多くの妖怪の温かさに触れ、はたては胸がいっぱいになった。その想いが無に還るのは嫌だ。何とかして発見しないと、協力してくれた仲間たちに申し訳が立たない。
はたては紫の言葉を思い出す。
『見つけられなければ貴方にアレを持つ資格はない、それだけの事よ』
アレを持つ資格。あのケータイを持つ資格って何だろう?
夢の事を考える。あれはケータイが見せていた夢? それとも、ケータイが見ていた夢? ケータイの……望んでいた……夢?
あのケータイが夢を見るなら、一体何を思って夢を見るのか。何を望んで夢を見るのか。何を望んで、この幻想郷に来たのか……。
……寂しかったからだ。
はたては何かを唐突に覚り、胸が痛くなった。
寂しかったから、繋がっていたかったからだ。
話したかったから、遊びたかったから。
多くの人に会って苦楽を共にして。沢山の人の喜怒哀楽を見ていたかったから。
それを私も望んだから。
さみしくて、かなしくて、でも話したくて、会いたくて。
だから、私たちは繋がった。
一緒に、色んな物を見たい。
一緒に、色んな事を知りたい。
その想いが、私たちを引き合わせた。
だったら……お願い、答えて。今あなたはどこにいるの?
はたては想いを飛ばす。
幻想郷のどこかにいる同志に。
音が聞こえた。
ピリリリリ、と、自然界に無い異質な音。
「!?……どこ?」
はたては叫ぶ! 確かに聞こえた! 音なのか、声なのか、あのケータイが発した音だ。
だけど分からない、どこから聞こえたのか。
遠く……? ここではない、暗い、狭い場所?
おぼろげに、はたての目蓋に風景が浮かぶ。
……東のはずれ……神社? そこ? そこなの!?
次の瞬間、はたては飛んだ! 風のように! 音のように!
周りの妖怪は仰天した。何があったと心配して追う者もあった。しかしはたての耳に周りの者の声は入らなかった。今はとにかく音の鳴る方へ、心の中で呼んでいる声に向かって、ただひたすら、まっしぐらに!
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「こ、ここ?」
闇色に染まってゆく空を駆け、乱れる息もそのままに、はたては博麗神社の拝殿前にたどり着いた。
博麗神社。
幻想郷の東端に位置し、幻想郷と外の世界を隔てる、博麗大結界を管理している巫女が住んでいる場所。参拝客の為の拝殿と、巫女が生活している本殿兼住居からなっている。幻想郷において特に重要な意味を持つ場所であるが、見た目だけで言えば普通の神社である。
はたては困惑した。あろう事か『音』は、神社でも別格の存在感を放って設置されている所から聞えてきた。賽銭箱である。
聞き間違えだろうか、勘違いだろうか。賽銭箱の中は互い違いに斜めについた板で見えない。
しかし、この中にケータイはある! と、はたてには確信が持てた。
周囲を見回す、紅く染まった太陽は、もう半分も山の端に埋もれている。時間が無い。闇に脅迫されるように、はたては賽銭箱に手を伸ばした。
「っつ!?」
閃光と共に、はたての手が賽銭箱から弾かれた!
「何? これ、結界!?」
賽銭泥棒用の防犯結界。不可侵なる賽銭箱の中身を暴こうとする不届き者を怯ませ、その存在を神社の主に知らせる設置型の術。
はたては焦る! これでは自分は泥棒だ! 私は泥棒じゃない! 事情は話せば分かってもらえる、と思う、けど何と言って説明したら良いのか分からない。何より時間が無い! はたてはパニックになった!
とにかくケータイを! 再び賽銭箱に手を触れる。弾くような効果はもうないようだ、どうにかして中を開けられないか? それなりに重量のある賽銭箱を抱え、蓋か引き出しか、何かないか、中身を出す手段を何とかして見つけようとしていた、その時。
「人ん家の賽銭箱をどうしようっての?」
紅白の変則的な巫女服が眩しい、博麗の巫女、博麗霊夢その人が現われた。
「ーーーーーっ!!」
はたては声にならない悲鳴を上げた。
見た目に15,6歳の少女。寿命の概念が根本から違う人間の少女であるにもかかわらず、高密度の大気が噴出しているかのような圧倒的な存在感! 体を切り刻む刃物のような視線!
……死……。
自分の罪悪は関係ない。捕食者に睨まれた小動物のように、生命の危機と知りながら一寸たりとも動けなかった。
「あの……これは……その……」
目の前が真っ暗になった。
その時はたては、はたと気付いた。
……暗い。比喩ではなく、周囲が本当に暗い。
夕日の方向に目をやる。
太陽が、最後のきらめきを山の陰に隠す寸前だった。
「ああああぁぁぁぁ~~!!」
動転したはたては思いもよらない行動に出た。
「え?」
霊夢は仰天する。はたては賽銭箱を力いっぱい空に放り投げた!
「うわぁ~~~!」
ありったけ妖力を込めて賽銭箱に放つ! 疾風を伴った光弾が賽銭箱に炸裂し、箱はコナゴナになった!
「な……え?」
霊夢はワケが分からない。賽銭泥棒かと思いきや、目の前で賽銭箱をぶっ壊されたのだ。
爆散した賽銭箱の破片がパラパラと落ちてきた、見事なまでに原型を留めていない。
はたては空にいた、ちょうど賽銭箱のあった少し上空。
賽銭箱を破壊すると同時に、そこへ飛び込んだ、木片と妖気で燻る煙の中へ、中にあるはずの物に手を伸ばし。
その手には、しっかりとケータイが握られていた。
はたてはケータイを強く、強く胸に抱きしめ、歓喜の涙を溢れさせた。
「あぁ……良かった……良かったぁ~~~!」
感情のたがが外れたように、大きな声で泣き喚く。泣き声は段々と大きくなってゆく。
次第に、はたての後を追って来た妖怪たちが集まってきた。射命丸文、犬走椛、河城にとりもいる。皆、目の当たりにしている光景を理解出来ずにいる。
「これは……一体」
「どうなってるの?」
集まってきた妖怪が、雰囲気の不可思議さにざわつく。嬉しそうに泣いているはたて、こちらはいいとしよう。問題は現場を構成しているであろうもう一人の人物……恐らく、幻想郷において最も怒らせるとマズい者=博麗霊夢から発せられるただならぬ空気だ。
「ひっく……ぅえ?」
はたても霊夢の空気に気付く。理不尽に対するやり場の無い怒りが渦を巻き、空を薙ぎ、風を泣かせている。はたては思わず悲鳴を飲み込んだ、感情で大気を震わせる事ができるだなんて初めて知った。霊夢と大気が同調し、唸り声を上げている。簡単に擬音にするとゴゴゴゴゴ、と、大地の中で炎を爆発させる火山のように。
「何が良かったっていうのよー!」
霊夢火山の怒りのマグマは、ついに爆発した。
「ひ、ひえぇ~!!」
次の瞬間、物凄い勢いで霊夢ははたてに弾幕を放つ!
霊気の塊の光弾が、はじけたように高密度ではたてを襲う!
「ご、ごめんなさ~いっ!」
命からがら弾幕をかわすはたて。一応は鴉天狗なので速いには速い、しかし弾幕を見極めてかわしているワケではない、無我夢中で全速で逃げているだけだ、そんな一方的な弾幕戦の結末は容易く予想が立つ。
「逃すかっ!」
霊夢は御札に霊力を込めて放つ! 札が生き物のように意思のある流れとなってはたての行く手を阻む!
「は!?……うぅ~!! ど、どうすればっ!」
必死に逃げ道を探すはたて。しかし頭はパニック状態になっている、自分はどんな状態にいるのか、どんな弾幕を使われているのか全く理解できない。弾幕の隙間はどんどん狭くなる。
「闘いなさいっ! はたてっ!」
「!?」
沢山のギャラリーの中に、はたては自分に激を飛ばした人物を見つける、射命丸文だ。
「逃げてばかりでは埒があきません! 相手が誰であろうと、弾幕の強さと美しさで捻じ伏せる! 多少の理不尽も何のその、それが幻想郷です! 私達が生きてる世界なのです!」
迫り来る弾幕と理不尽さの嵐。絶望的で残酷な文のアドバイスを受け、はたては泣きたくなる気持ちを必死に抑えて考える。
「弾幕……? 私が……闘う?」
幾多の異変を解決してきた弾幕戦のプロと、戦闘はおろか外の空を飛び回る事すら慣れない引き篭もり、戦力差は歴然としている。敵いっこない、闘う意味なんてない、そう思いながらも、恐怖に濡れた目を強く開き、歯を食いしばって霊夢に向き直る。
ふっと、はたては世界の空気が変わった瞬間を見た。
空気に密度を感じ、時間の長さが引き伸ばされたように思えた。
凶暴に荒れ狂い、間隔を詰めてゆく弾幕に、規則正しい模様のようなものが見えた。
はたてはそれを、美しい、と感じた。
ああ……そうだ、私はどこかで憧れていた。
遠くから眺めるだけだった弾幕戦を。
粗暴で野蛮で理不尽で、でも、ため息が出る程美しい弾幕の渦中に身を投じる事を。
バカな事で弾幕を打ち合い、魂と魂をぶつけ合う事を、心のどこかで望んでいたんだ。
知りたい! 弾幕戦を。心と体、妖気と霊気、技と意地をぶつけ合うその境地を!
「今、私……弾幕戦を……してるんだ!」
どうしてこんな状況になったのか、どちらに非があるのか、そんな事は関係ない! 私は今、弾幕戦をしている! 憧れていた空間にいるんだ!
肌が粟立つ感覚が全身に広がった! 高揚する感情、喜びと興奮で脳が痺れてゆく! はたては知らない間に笑みを浮かべていた。
「何が可笑しいのよっ!」
霊夢は弾幕の名を叫ぶ。
名前に律せられ、札弾は更に美しく踊り狂う!
「夢符『二重結界』!」
視界を埋め尽くす弾幕! 逃げ道なんてない! しかし、その時のはたてにはもう一つの視界が見えた。
自分という存在を含めて、周囲の弾幕を傍観しているような視界。
神様のような、自分でない誰かが見下ろしているような、俯瞰の景色。
はたてはその視界から、刻一刻と変わる迷路のような弾幕の隙間を見つけ出す。
「何っ!?」
霊夢は驚愕する! 初めて見せた弾幕を、どう見ても手練には見えない半ベソ少女が避けている!
なぜ!? 周囲の空間を結界でずらし、見た目通りの弾筋では避ける事は適わないハズなのに!?
「うわぁぁぁぁ!」
今度ははたてが弾幕を放つ!
しかし、それはただの妖力の塊。何の工夫も無く、霊夢に向かって一直線に飛ぶ単純な弾。
「そんなもの! 夢符『夢想亜空穴』!」
一瞬にして霊夢が姿を消したかと思いきや! 次の瞬間、はたての背後から現われ飛び蹴りをかました!
「きゃあっ!」
蹴りを喰らってよろめくはたて。結界で空間と空間を繋げて瞬間移動、防御と攻撃が一体となった霊夢の必殺技である。
「まだまだ!」
はたての周囲、四方八方から札弾が広がり襲いかかる! 隙間が無い! 逃げ場は全く無い!
「きゃあぁぁぁ!」
はたては絶叫した。
その瞬間である。はたての頭に、あるイメージが湧く。
自分の周囲の弾幕のイメージ。この中に、私は取り込まれ……て。
あれ?
はたては被弾していない事に気づく。
思わず目を閉じていたのか、恐る恐る目蓋を開ける。……すると。
周りに霊夢の弾幕は無かった。
そして、ケータイが開いていた。
無意識に自分が開けたのか、何かの理由があって勝手に開いたのか、それは分からない。
ケータイの画面は光っていた。電気、ってヤツが必要なハズなのに。動くハズが無いのに。
その画面に映っていたのは、弾幕だった。
一瞬前、はたての頭によぎった、はたてに当たるハズだった弾幕。
霊夢も目を丸くしている。状況が理解できないらしい。
「あっ!」
はたてははたと気がついた。
にとりはこのケータイをカメラだと言っていた……。
文はカメラを使って『弾幕を切り撮る』という能力を持っていた……。
もしかして、無我夢中の内に、この『カメラ』を使って弾幕を切り撮ったのだろうか?
そうだよと、誰かに言われた気がした。
声と言えるかは分からない、ただの思い込みかも知れない、それでもはたては信じられた。
このケータイが、カメラが私を救ってくれたんだ!
私に力を貸してくれたんだ!
「ぅぅ~、そのくらいが何よ~!」
霊夢の飛び蹴りが、あらぬ方向からやってきた。
「わわ!」
咄嗟の判断でギリギリ避けるはたて。
霊夢の機嫌は収まっていない。弾幕戦はまだ終わっていなかった。
「わっ! ひぇっ! うわぁぁ!」
四方八方から飛んでくる霊夢の蹴り! 結界から結界へ、背後に気配を感じて振り返ったら、また背後から殺気が襲ってくる!
はたては自分を俯瞰する感覚を冴えさせた。ギリギリで霊夢の攻撃を避けられていたが、少しでも集中力を欠けばその瞬間にダメージを受けるだろう、せめてこちらからも攻撃ができれば……。
はたては聞いた話を思い出す。弾幕を切り撮る文のカメラ。そのフレーム内に収まった妖怪は、弾幕と共にある程度の妖力を写真に封じ込められる。それは弾幕を被弾させた時と同等の精神的ダメージになるという。
弾幕を切り撮る事ができたのなら、同様に写真に写すことでダメージを与えられるのではないか。はたては玉砕覚悟で、突っ込んでくる霊夢にケータイカメラを向ける。
「む!」
恐らく幻想郷一、勘の鋭い霊夢は、またも結界を使った瞬間移動ではたてから離れた。
「あっ!」
霊夢の姿を見失うと、またも隙間のない弾幕が四方から襲ってくる。
「お願いっ!」
祈りを込めてケータイの釦を押す。フレーム内に収まった周囲の弾幕が消え、画面に映し出される。霊夢を捉える事は出来なかったが、はたても被弾を回避する事ができた。
もしかして、自分は霊夢さんと対等に闘えているのかも知れない。
はたてがほんのひと時自惚れたのもつかの間、また結界からの、どこから来るか分からない飛び蹴りが襲う。
結界から結界へ攻撃と回避、少し離れての弾幕。壮絶な波状攻撃に、はたては成す術も
なく、次第にネガティブな思考に囚われる。
ダメだ、やっぱり私は弱い! 真っ直ぐ飛ばすだけの弾幕と、射程の短いカメラ攻撃だけじゃ敵いっこない!
はたての心が折れそうになったその時、またもケータイの画面が輝きだし、何かをささやいたように思えた。大丈夫、見えるよ、と。
ケータイの画面には、眼で追う事が敵わなかった霊夢の姿が映っていた。
これは……何? この霊夢さんは、今この周囲にいるハズの霊夢さん? 結界から結界へと飛び続ける、視認出来ないの霊夢さんを、このケータイは捉えてるの?
……もし、ここへ弾幕を送り込めたら……相手のいる所へ、想いを届けられたら……。
はたては、念を込めた。
「届けっ!」
ケータイの画面が発光した!
同時に、はたての背後の空間に閃光が走る!
突如、何もない空間に現われた立方体の光の塊は、次第に無数の弾幕となってゆっくり四散してゆく。
「な!?」
驚いたのは霊夢だった。
結界から結界へと飛び回り、相手に視認される事の無い移動のハズなのに!
不意に嫌な予感がしてその場を離れた。次の瞬間、そこにはおびただしい数の弾幕がしき詰まっていたのだ。
「遠隔攻撃!?」
離れた場所に弾幕を生み出す。上位の強力妖怪にも見当たらない変則的な能力だった。
生まれついての勘の良さで、いきなり凝縮された弾幕の只中に放り込まれるという事態は回避したが、直近に大量の弾幕が現われたのは事実だ。なりふり構わず回避行動に専念した霊夢だった。
焦ってはいけない! あまり動かず、ギリギリの距離で弾をかわし、隙を見つけて反撃に移る! 冷静な判断で弾幕を回避する霊夢。
今しかない! 霊夢と対象的に、熱い想いを込めて、はたては霊夢に突進していった。後の事はまるで考えていなかった。
「わあぁぁぁぁ!」
「!?」
霊夢が振り向くと、そこにはたての顔があった。くっついてしまそうなほど、近く。
「しまっ……」
霊夢の言葉より早く、はたてのカメラから乾いたシャッター音が響いた。
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「霊夢の敗北とは……なかなか面白いものが見られたわね」
突進の勢いを殺せず、霊夢共々地面に落下したはたては、聞き覚えのある声を耳にして起き上がった。一瞬、気絶していたようだ。
「八雲……紫」
気付くとそこに八雲紫がいた。騒動に遭遇した妖怪たちも集まってきている。
「がんばったわね、お嬢ちゃん。約束通り、それは貴方の物よ」
「……!」
うっかりしていた。はたては何故弾幕戦に巻き込まれたのか忘れていた。
ぱぁぁ……と、安堵の感情が込みあがった。途端に身体が重くなる、緊張の糸が切れたのか、今日一日の疲れが怒涛のように押し寄せてきた。
「紫ィ……この騒動の犯人はアンタなのね~?」
はたてと同じように起き上がった霊夢は、持ち前の勘で鋭く状況を察したようで、恨みを込めて紫を睨んだ。
「幻想郷は全てを受け入れる……それはつまり、全ての厄介ごとは霊夢が引き受けるという事になるわよね」
しれっとした顔で紫は言う。霊夢の堪忍袋が一瞬にしてブチ切れた!
「アンタいい加減にぃぃぃぃ……」
紫への怒りとは裏腹に、霊夢は身体に力が入らなかった。
「はわわわわ……」
拳を振り上げたまま、霊夢は地面に突っ伏した。
「霊夢さん!?」
はたては驚いて駆け寄る。初めての弾幕戦だった、カメラで霊気を奪う事がどれほどのダメージになるのか見当もつかない。ひょっとして自分は取り返しのつかない事をしてしまったのでは? はたての顔が見る見るうちに青くなる。
はたてに抱きかかえられ、霊夢は力無くつぶやいた。
「お腹……減ったぁ……」
「……へ?」
目を丸くするはたて。霊夢の続きのセリフは、口ではなく腹から聞こえた。
「ぐぅ~~~~」
小刻みに肩を震わせている紫。ついには、堪えきれずに大きな笑い声を上げたのだった。
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はたては呆然とした。
周りには、百はいるであろう妖怪たちが、芋洗い状態で騒いでいる。
博麗神社は今、飲めや歌えやの大宴会場になっていた。
当然、それほどの数の妖怪は神社に収まらないから、敷地内はおろか周りの林にまで酒盛りの集団が溢れている。
「こんなに……妖怪が、集まるなんて……」
霊夢に酒を注がれたお猪口を持って、周りを見わたすはたて。喧騒とか集団とか、とにかく妖怪の集まる場所をひたすらに避けていたのである、その騒がしさと楽しげな雰囲気に、分かりやすく面食らってしまっていた。
霊夢が倒れたのは空腹からであった。
幻想郷の重要人物である霊夢は、妖怪たちからのお供え物で裕福に生活している……ハズなのだが。基本的に平和で能天気な妖怪たちと、霊夢の小さなプライドが上手く重なり合い、気付くと超極貧状態になっている、という事は、割とよくあるらしい。
はたてが百戦錬磨の妖怪ハンターである霊夢に一矢報いる事ができたのも、そんな条件が重なったからだっ!
と、霊夢ははたてに念を押す。
それから場にいあわせた妖怪たちは、こぞって神社に食料を持ってきた。どうせならそのまま宴会にしてしまおう! と、祭好きな妖怪たちは、酒盛りしながら集まった妖怪分の料理を作り始めたのだ。
「ま、飲みなさいよ。あなたも私も、紫に一杯食わされた被害者って事よね」
ほろ酔いで頬を少し紅く染め、はたてに微笑みかける霊夢。
弾幕戦の時の鬼の形相とは打って変わって、誰もが心を奪われる女神のような微笑である。
「あ、はい……」
お猪口に注がれたお酒を、くいっと飲み干すはたて。胸が熱くなり顔が紅色に染まるのは、アルコールの所為だけではないようだ。
「で? 何故にウチの素敵なお賽銭箱が、宝探しの隠し場所にされのよ」
静かに、しかしながら睨まれただけで命を奪われそうな視線が、傍らで飲んでいる紫に刺さる。賽銭箱は、直ぐさま山の妖怪が新しく作ってくれる事になった。それはそれで、である。
「全てを受け入れる能力を持つ巫女は誰でしたっけ? 新参者が早く幻想郷に慣れるには、貴方に逢わせるのが一番。そういう事よ」
「新参者? はたての事? そう言えば見ない顔だけど」
キョトンとした顔ではたてを見る霊夢。はたては長い間引き篭もっていて、表立った場面に出る事は無かった。とは言っても天狗である、人間の寿命を遥かに超えた時間を生きている。
「引き篭もりのお嬢ちゃんはついでだったんだけど……そうね、もしかしたらお嬢ちゃんが幻想郷に呼んだのか、はたまたお互いが引き合ったのか……」
紫はケータイに視線を落す。はたてはハッとしてケータイを見る。霊夢は話を理解出来ずに怪訝な顔をする。
「その変な形のカメラがどうかしたの? 外の世界の道具だって聞いたけど」
霊夢は紫に焦らされている事に苛立った。さらにその姿を紫が楽しそうに眺めている事に気付いてさらに不機嫌になる。
紫は霊夢の態度に満足したようで、くすりと笑って話を始めた。
「それはもう、外の世界のタダの道具ではないのよ、言うなれば付喪神ね」
「付喪神~!?」
はたてと霊夢は同時に聞き返した。
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数年前、外の世界に一人の少女がいた。少女は生まれつき身体が弱く、病気がちであった。学校もほとんど病欠してしまい、友達を作る事もままならなかった。いつか丈夫な身体になって、たくさんの友達を作って遊びたい。そんな事を夢見る少女だった。
しかし、少女の願いは叶わなかった。体調を崩し、いつしか学校に全く行けなくなった。ただ、自宅と病院のベッドを行き来するだけの生活になっていった。
そんな少女の心の支えになっていたのは、親が買い与えてくれた携帯電話だった。
最初は、学校の数少ない友達との、何気ない会話やメールのやり取りに使っていた。暫くして少女は、その携帯電話から世界中のネットワークに繋がる事を知る。
少女は歓喜した。ベッドの上から、世界中のあらゆる人と意志の疎通を図った。
老若男女、あらゆる人種と、病気の事、学校の事、好きな事、嫌いな事、TVに出ているイケメンアイドル、将来の夢、恋への憧れ、そんな他愛ない、けれどもかけがえのない話をする事ができた。
そうして少女と心を通わせた人たちは、一つのコミュニティを作る。少女のために何かをしたい、何か出来る事はないかと問いかけた。少女は答えた、沢山の事を知りたい、沢山の人と知り合いたいと。コミュニティは数千人の規模に膨れ上がった。
少女の下には毎日沢山の情報が集まった。時に楽しい、時に下らない、時に涙を誘うような話が届けられた。
たくさんの人と夢を語り、たくさんの人に感謝の意を表して、
そうして少女は、短い人生を終えた。
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「そのケータイにはね、少女と心を通わせた何千人という人間の、想いや祈りが込められたの。強い想いを受けて長い時間を経た物は、やがて神へと昇華するわ。時間をかけたわけじゃないから、強い力を持つ神とは言えないけど、そうね、少女に良く似た引き篭もりさんと心を通わす、妖怪程度にはなったんじゃないかしら」
紫の説明が終わった。
はたてはケータイを抱きしめて、嗚咽を上げて泣いている。
「ぅう……ひっく……そんな、そんなことが……」
夢に見た少女に同情し、涙を流すはたてに、紫はやわらかく微笑む。
「少女の人生が幸か不幸か、それは分からないわ。でもね、その魂は未練に迷い冥界に行く事も、世界を怨んで地獄に堕ちる事もなかった。むしろ少女を失って一番浮かばれなかったのは、妖怪化した挙句にこんなところまで来ちゃったその付喪神なんじゃないかしら?」
はっと息を飲み、胸に抱いたケータイを見つめるはたて。
「お前……」
紫は一層優しく微笑んだ。
「大事にしてあげなさい」
「……はい」
強く、やさしく、はたては再びケータイを抱きしめた。
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数ヶ月後。
「撮ったぁぁぁぁ! 撮ったぞ~!」
ボロボロになった身体を地面に放り投げて、はたては歓喜の雄叫びを上げた。
「全く……こんなになるまで付き合わされるなんて……どっちが勝者だか分かりゃしない」
ぜぇぜぇと息を切らし、文は文句をぶちまける。
「ふーんだ! 誰も回数制限なんて言ってないもん。アンタの『幻想風靡』を撮れば私の勝ち、それまで何回被弾しようが、諦めなければいいのよっ」
それは2人の鴉天狗の、お互いを高めあう修行のようなものだった。
はたては幻想郷最速とも言われる射命丸文の、最速の弾幕『幻想風靡』の撮影に成功した。
はたての言い分では勝者ははたてだが、現在までの戦歴は100戦1勝99敗である。
「全くなんて諦めの悪い……」
文は不満を口にしながら、それでいて気分は晴れやかだった。
「さぁ! これで少し自信がついたわ! 明日から幻想郷中の妖怪と写真を撮るわよ!」
「元気な事で……って、あなた念写の能力に目覚めたんじゃなかったですか?」
霊夢との弾幕戦以来、はたては遠い地の風景を写真に写す、念写の能力に目覚める。
それはまるでカメラの機能のように見えるが、紫が言うには、元々はたてが持っていて眠っていた能力なのだそうだ。
カメラ自体には何の能力も無い、強いて言うなら『はたてと心を通わせる程度の能力』しかないのだとか。
外の世界の様々な想いの集合体と心を通わせて、はたては世界に興味を持った。もっと広い世界が見たい、もっと色んな人と知り合いたい、そんな想いが、はたての眠っていた能力を開花させた。
引き篭もりのはたてはもういなかった。積極的に、好奇心の赴くままに行動する、世間知らずで無鉄砲で、時々泣き虫なはたてがそこにいた。
「念写だけじゃダメなのよ! お互いの全力の弾幕を見せ合って、気持ちを込めた写真を撮ってこそ、真の理解が生まれるのっ!」
「へいへい……」
あなたの諦めの悪さはよーく理解しましたよ、と文は言外に続けた。
「ねっ! ケイ?」
はたてはケータイに話しかけた。
「……けい?」
「ん? あぁコイツの名前だよ、いつまでも物の名前で呼ばれちゃかわいそうだもんね」
「ああ、付喪神でしたっけね、あなたのカメラ」
「そう、漢字ではね、繋がるって書いて『ケイ』って読ませるの。人と人、妖怪と妖怪の心を繋げて、広い世界を見せてくれる私の相棒……いい名前でしょ?」
屈託のない笑顔に、思わず文はどきりとする。
全く、つい最近まで引き篭もっていた根暗な引っ込み思案が、こんな顔をするようになって……。
「……妬けますよ。さて、2人の間に入り込む隙は無いみたいだし、私は行くとしますか」
飛び立とうとする文の手を、はたてはむんずと掴んだ。
「おや?」
「わたし、文の弾幕受け過ぎてもう動けないの」
「……はぁ」
文は首を傾げる。確かに疲れているだろうがそこまでではないだろう?
「だからー、おんぶして?」
「……はぁ!?」
「私の部屋まで連れてって」
「な、何を甘えた事をいってるんですかっ! 大体、あなたの一方的な挑戦を、私は渋々受けたのにっ!それを!」
「もー一歩も動けなーい」
文の背中に飛びつき、あからさまに寝たフリをするはたて。
「くぅ~~~! 泣き虫引き篭もりだったかと思えば、今度はわがまま甘えん坊ですかっ! これなら引き篭もりだった頃の方がまだ……」
渋々はたてを背負い、その場を飛び立つ文。
「……そう言えば」
ふと何か思いついたのか、ニヤリと笑って話しだす文。
「あなたの念写画像、河童が開発した現像機を使って写真にしているそうですねぇ」
何の事かと思いながら、とりあえず寝たフリを続行するはたて。
「という事は、頭に思い描いた記憶の映像も、写真におこせるかも知れないワケですね?」
「……?」
言っている意味が分からず、寝たフリをしつつ眉をしかめるはたて。
「と、いう事は、ですよ? 私が以前遭遇した、はたてがあられもない姿で水浴びをしている記憶なんかも、写真にできちゃったりするんですかねー?」
はたては顔から火を噴いた。
「なぁぁあぁ! それは! その記憶はぁ!」
「あれ? 一歩も動けない割りに元気じゃないですか?」
文の背中から離れ、口をぱくぱくさせているはたて。
「で、出来ない出来ないっ! 記憶を写真にするなんて出来ないっ! っていうか忘れろー! その煩悩にまみれた頭の中から、私の記憶を消せー!」
「はっはっはー、消せるわけないじゃないですかー。今でも鮮明に蘇ってきますよ、あの頃のウブなはたてのウブな反応っ! 思い出しただけでも抱きしめたくなりますねぇ」
「~~~~~~ぅぅぅぅう」
耳まで真っ赤にしてカメラの『繋』を構えるはたて。
「切り撮ってやるっ! 文の記憶の画像をっ!」
「ふんっ、出来るものならやってみなさい! ちなみに私の頭の淫らなはたて画像は108枚あります」
「多いよ! っていうか淫らって何よっ! そんな姿を見られた覚えはなーい!」
「はっはっは、私の妄想力は無限大って事ですよ!」
ちろっとはたてに舌を見せると、音の速さで飛び去る文。
「あっ! ま、まてー!」
見る見るうちに、空の青さに霞んでゆく文。
はたては手に持ったケイを開いて話しかける。
「いこう、ケイ! 文のヤツをギャフンと言わせて、そうしたら幻想郷中の妖怪とツーショット写真を撮りに行こう! 知らない妖怪に会って、話して、たまには弾幕撃ち合って! それでも物足りなくなったら、外の世界にくりだそう! だから教えて、広い世界を! 一緒に探そう、誰も知らない素敵な事を!」
はたては翼を広げる、広い世界へ。
はじけて溢れた好奇心に導かれ。
寂しさゆえに、時空を超えて惹かれあった相棒と共に。
「私はもう、一人でなんかいられないから!」
<了>
眩し過ぎて何も見えない。
話し声が聞こえる、
うるさ過ぎて何も聞こえない。
楽しそうな、嬉しそうな、悲しそうな、悔しそうな、
感情が、あまりの密度で液体化している。
ここは、水の中?
底の方はさらに明るく輝いている。
私は重力に任せてゆっくりと沈んでゆく。
光の奥底から笑い声が聞こえた。
雑多な話し声の中、その笑い声は楽しそうに、嬉しそうに、
まるで、私を誘うように……。
ふと、私は急激な浮力を得る。
逆らう事の出来ない一方的な力で、私は頭上の闇に向かって浮上してゆく。
それは、覚醒の闇。
その闇に飲み込まれると、私は全てを忘れ、
そして、
--------------------------------------------------------------------
目を覚ます。
「ぅん……んー……」
力なくつぶやき、姫海棠はたては布団からゆっくりと身体を起こした。
寝起きなのにかなり疲れていた。背中が寝汗でじっとり濡れている。
夢を見ていたのだろう、それは分かる。しかし、何も思い出せない。どんな夢だったのか、何をしていた夢なのか、何処にいた夢なのか。
「……またか」
夢の内容を覚えていない、なんて事は良くある話だ。夢は睡眠中の脳が記憶の整理の為に行っている作業で、うっかり意識中に投影されてしまった中途半端で意味のない記憶の羅列なのだ。
しかし、はたては気になっていた。どんな夢を見ていたのか、何故忘れてしまうのか、何故、夢をみるようになったのかを。
「うーん……3日目……だよね」
女の子の日ではない。
「やっぱり、あれが原因か……」
はたてはすっと立ち上がり、自分の机に向かう。充分な睡眠は取れていない、そのせいか、少し不機嫌だ。
はたてが机の引き出しを開けると、そこには手の平サイズの、長方形でキラキラとした小物があった。
はたては『ソレ』を手にとってみた、『ソレ』は貝のように2つに開き、内側の面は片方は無数の数字が書いてある釦があり、もう片方には黒く塗りつぶされた枠があった。化粧をする時の道具にも見えるがそうではないらしい。
はたては『ソレ』が外の世界の道具である事を、ある程度分かっていた。外の人間は、黒い枠の中に電気を流して色々なものを映し出すのだ。
しかしそれ以上は分からない。そもそも幻想郷には電気がない。いや、ないわけではないが、外の世界の人間ほど上手く電気を扱えない。
河童の連中はそのへんを躍起になって再現しようとしているらしいが……。
「何に使う物なのかなー、コレ」
はたては押せる釦をあれこれ押してみたり、二つ折りの機構を開けたり閉じたり、色んな角度から眺めてみたりした。しかし、分からないものは分からない。『ソレ』が電気で動く物なら、いくら弄ってもどうしようもないのだが。
「でも……」
はたてはその用途不明の小物を気に入っていた。
キラキラしていて綺麗だし、小さくて何だかカワイイと思えた。
手の中でぎゅっとにぎると、きっとこの小物を使えば、とても楽しい事ができるんだ、と、そう思えた。
「コレを拾ってからだよね……夢を……覚えていない夢を見るようになったの……」
ほんの少し過去を回想する。その時、はたては珍しく部屋の外に出た。何かの用事があったわけではない、ただ何となく、散歩に出かけただけだった。
誰もいない山中で、はたては何かキラリと光る物が目に入った。はたては鴉天狗だ、どこか光り物に興味を引かれる所があるのだろう。何だろうと近寄ると、それが杉の木の根元で、自然界では異質な光を放っていた例の小物だった。
はたては辺りを見回した。誰もいない。はたてには『ソレ』が捨てられた愛玩動物のように見え、放っておけなくなった。そうして自分の部屋まで持って帰ったのである。
そう、4日前の話だ。
「むー……」
はたては頭を掻いて唸った。胸の中がもやもやしている。どうしようもなく気持ちが悪い。
偶然拾った謎の小物と、忘れるくせに気になる夢。
2つの事には因果があるように思えるが、それを証明する方法をはたては知らない。
分からない事柄に出くわした時にはどうすれば良いか。真っ先に思い浮かぶのは他人に聞く事だが、いかんせん、はたてにはそれができなかった。
はたてはいわゆる引き篭もりだった。他人との交流はなるべく避けて生活していたのだ。
他人に悩みを話す。普通の人には簡単なその事が、はたてにとってはとても、とても難しい問題なのだった。
はたては頭を掻いた手が寝汗でじっとり濡れている事に気付く。
「……水浴び、しよっかな」
はたてはしばらくぶりに部屋のドアを開けた。
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山には水浴びに適した小さな滝が幾つかある。そういった所は大抵妖怪だけでなく、動物や妖精も集まってくるのだが、朝が早かった事もあって、はたてが訪れたそこは周囲に気配は感じられなかった。
はたては服を脱ぎ、水辺の渕の岩の上に畳んで置いた。
初夏の早朝の水は少し冷たかったが、寝起きの呆けた頭を覚醒させるには丁度良い。普段あまり外出しないはたてには、久しぶりの水浴びが存外心地よかった。
流る水が、はたての瑞々しい肌に当たって弾ける。寝汗と共に、心に溜まったもやもやも流されていけばいいのに、そう願った。
しかし、川の水がどんなに肌を潤そうとも、はたては心が渇いていた。水では癒えないその渇きは、忘れる夢だけが原因ではない。いや、むしろその心の渇きこそが、夢の原因であるかもしれなかった。
「おやまぁ、これは珍しい」
「!?」
不意に聞こえた声に、はたては驚いて身を縮める。
「ネタはないかと思って飛んでいたら、引き篭もりのはたてさんに遭遇するとは」
そこには同じ鴉天狗の射命丸文がいた。
「き、きゃぁぁぁぁ!」
絶叫が山に響き渡る。はたては慌てて裸体を隠そうとするが、胸をおさえてしゃがみ込む事くらいしかできなかった。
「そんなに大声出さなくても、女同士なんだし押し倒したりしませんよ」
はたての絶叫に思わず顔をしかめる文。しかし悪びれている様子はない。
「そ、そういう問題じゃないでしょ!? こっち見ないでっ!」
涙目になって叫ぶはたて。顔が火を噴いたように真っ赤になっている。
「あらあら、かわいい反応しちゃって。あんまりいい反応してくれると、思わず写真に撮りたくなっちゃいますよ」
文は手に持っていたカメラを構えようとする。
「やめてよこの変態っ! どっか行って!」
「う~ん加虐欲求を刺激するその表情! きっと男の人はこういうのに弱いんでしょうねぇ」
「~~~~見るなぁぁぁぁ!」
再び絶叫と共に川の水を文に向かってふっかけるはたて。
「うおっと!」
カメラを水浸しにされては敵わんと一歩引く文。その隙にはたては自分の服へと猛ダッシュし、服を掴むと林の中へ駆け込んだ。
「やれやれ、久しぶりに会ったっていうのにつれないですね」
林の木の裏で、はたては半ベソをかきながら服を着ていた。当然身体はまだ濡れていたがそれどころではないらしい。
「……ちょっとからかい過ぎましたか」
文は軽く頭を掻く。ほんの冗談のつもりであったが、はたての純情っぷりは想像以上だったようだ。
「えーと、はたて……さん? やり過ぎちゃったのなら謝ります」
文は多少の誠意を込めて、木の裏のはたてに話しかける。
「顔見るの久しぶりだったし、ちょっとしたスキンシップのつもりだったんですよ。でもほら、あなた、山の妖怪の宴会にも顔を出さないじゃないですか。それって良くないと思うんですよ、同じ種族同士、もう少し親交を深めてもいいんじゃないですか?」
はたては無言で聞いていた。思うところはあった。言い返したいところもあった。けれど、ぐっと堪えて感情を押し殺す。
「……やっぱり、気にしているんですか? 神通力が発現しないこ……」
「関係ないでしょ!!」
文の言葉は、はたての激しい語勢によって押し込められた。
「私が何しようが、他の妖怪が何しようが関係無い! 知った事じゃな無い! そんな事、興味無いっ!」
怒涛の勢いで一気にまくし立て、木の陰から鬼の形相で文を睨むとサッと飛び去っていってしまった。
「あ……う~ん、図星、ですか……」
文は自分の失言を悔いた。
天狗という種族は古来より、種族としての威厳を保つ為に協調を取って活動し、時に個人では敵わない強大な妖怪をも打ち負かしてきた。そのお陰もあって、山では鬼に次ぐ実力を持つ妖怪として敬われてきた。
妖怪同士のもめごとにスペルカードルールが適用され、種族間の争いが血みどろの死闘でなくなってくると、天狗たちは社会の安全の為に磨いてきた神通力を一種のゲームのように使うようになった。その最たるものが、天狗たちの間で最大の関心事である新聞大会である。
神通力とは正に神=自然に通じる力。流れる風の中に遠い地の風景を見て、大地の奥まで触覚を張り巡らせその律動を感じる。自然が教えてくれる情報から、あらゆる異変をいち早く察知し、速やかに解決する。
天狗としての神通力に優れた新聞記者は、記事になる異変をいち早く察知して駆けつける事ができる。天狗社会を守る為にあった神通力は、形を変えて新聞制作に利用され、新聞大会は天狗の能力の優劣を競い合う趣のイベントになっていった。
はたては落ちこぼれだった。天狗としての神通力が発現しなかったのだ。
人間より秀でているところがあるとすれば、空を飛べる事くらい。いや、人間ですら空を飛べる者はいる、そんなアドバンテージは無いに等しい。
そんなはたてを、一部の慢心した天狗たちは嘲笑し、僅かな優越感を得る為に侮辱し続けた。
(何の力も無いのかよ? とんだ落ちこぼれだな)
はたての頭の中に、同僚の天狗たちの声がこだまする。
(天狗の恥だよな、こんなやつがいたら種族全体の威信にかかわるぜ)
容赦の無い侮蔑と嘲笑、過去の記憶に、はたての胸は激しく軋んだ。
「ちくしょう! ちくしょうちくしょう!」
精一杯の悪態を、記憶上の同僚についてみる。頭によぎる、ありとあらゆる汚い言葉。
文の下から飛び去ったはたては、行く当ても無いまま空を飛んでいた。
想起してしまったトラウマと闘いながら、猪突に、蒙昧に。
「ちくしょう……ちく……しょう」
同じ種族への憎悪と嫌悪。それは、そっくりそのまま自分に返って心を破壊する。
悔しさに打ちのめされて、はたては飛ぶこともできなくなった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
降り立った山の木に顔を埋めて、みっともなく泣いた。
悔しくて悔しくて仕方がなかった。
文の言わんとした事は正しかった。
気にしている。大いに気にしているのだ、自分に神通力が無い事を。
自分が天狗として、あまりにも無能である事を。
でも、それだけじゃなかった。
それだけでは足りなかった。
でも、それだけじゃないなら、何なのだろう?
悔しさだけでないのなら、何がこんなに悲んだろう?
泣き疲れたはたては、ふっと、空を見上げた。
キラリと光る、点と線が見えた。一定のベクトルへ進む光の点が集まって、ある種の模様を描いていた。弾幕だ。
どこかの妖精のケンカだろうか。少し先の上空で、弾幕戦が行われているようだった。
それを見て、はたては思う。
キレイだな、と。
恐らく妖精たちの、他愛の無い、ろくでもないケンカなのだろうが。
それでも、どうしようもなく、そんな弾幕を見て、
美しいと思った。
--------------------------------------------------------------------------------
真っ白い空間が広がっている、
(あれっ?)
眩し過ぎて何も見えない。
(ここ、私、知ってる)
話し声が聞こえる、
(ここは、夢だ)
うるさ過ぎて何も聞こえない。
(今、私、夢を見ているんだ)
感情が液体化した水の中で、はたては自分自身を自覚する。
(これは、私の夢?)
話し声が聞こえる、
(それとも、誰かの夢?)
それは、私を呼ぶ声。
(私を呼んでるの?)
楽しそうに、嬉しそうに。
(私と……遊んでくれるの?)
やさしく、やわらかく、手が差し伸べられる。
(私……遊びたい……)
手を伸ばせば、触れられる。
(みんなと……話したい!)
突然! 声が闇に飲まれてゆく!
周囲は粘性を持つ液体になり、息が詰まって呼吸が出来ない!
笑い声がどんどん遠ざかる。もがいても、もがいても、1ミリだって近づけない。
(いやだっ! まって! 行かないで!)
必死になって身体を動かし、闇に対して抵抗する。
闇はどんどん深くなる、光は遥か底へと遠ざかる。
(いやだっ! いやだ行かないで! 私はもっとみんなと居たいっ! もっとみんなと話したい! みんなと、みんなと遊びたい! 私は……私は……)
はたては、闇に飲み込まれた。
--------------------------------------------------------------------------------
勢い良く布団から跳ね起きた。
時刻は分からない。ただ、まだ窓の外は真っ暗だ。
尋常でない汗をかいていた、ノドがカラカラに渇いている。
「……夢……」
はたては顔に手を当てた。汗だけでなく、涙で顔が濡れていた。
「覚えてる……覚えてる……けど」
今度は夢を覚えていた。
それは誰かの、不幸な夢。
不幸だけれど、幸せな夢。
その誰かは、不幸の中に、幸せを見つけて、
……そして。
「うぅ……ひっく」
はたては静かに、泣いた。
声を殺して、出来る限り、小さく。
けれども、閉じた目蓋から、大粒の涙が止めどなく溢れる。
もうこれで最後だ、泣くのはこれで終わりにしよう。
そう思ってはたては、布団に顔を押し当てて、激しく嗚咽を上げた。
顔を洗って鏡を見る。泣きはらしたアトが目立つが、まぁ仕方が無い。
はたては部屋を出た。
これから何をしよう、良くは分からないがとにかく『コレ』が何であるかを突き止めよう。はたては手の中の小物を見ながらそう思った。
『コレ』は外の世界の誰かの所有物だ。その所有者はきっと不幸な環境だった、『コレ』はその人の希望だったんだ。
はたては自分の見た夢が、外の世界の誰かの記憶なんだと感じていた。
その人は、今の自分とちょっと似ている環境にあって、でも『コレ』が、その人に楽しい時間を提供していたんだ、と。
知りたい。はたては強く思った。
その人がどうなったのか、それは分からない。けれど、夢で自分とシンクロした人に、希望を与えてくれた『コレ』を、私が拾ったのは偶然なのか。それが知りたかった。
いや、それだけじゃない。本当に知りたいのは、この胸に新たに芽生えた高鳴りの事。このまま何もせず、誰とも関わらないまま、ウンザリする程長い寿命を生きるのはまっぴら御免だ。
はたての胸は何だかスッキリしていた。夢を見て、泣いて、流した涙に色んな物が入っていた気がした。
昨日までの自分をとてもちっぽけに思える。
見た目は何も変わってない。昨日も今日も落ちこぼれの能無し天狗である事は変わっていない。
けれど、今の自分には、夢の正体を知りたい、という好奇心がある。
それが、昨日の自分と今日の自分を、天と地ほどに大きく隔絶させている。
どんな困難にも負けないでいられる気がする。
はたては飛んだ。
昨日までとは全てが生まれ変わった、別世界になった幻想郷を。
--------------------------------------------------------------------------------
山を流れる綺麗な川の辺りに来て、はたてはキラキラ光る河童が飛んでいるのを見た。
何をやっているのか分からないが、はたては早々にチャンスが訪れたと感じた。
この謎の小物の事を他人に聞く場合、候補に上げていたのは3パターン。
一つは古道具屋に聞く。
一つは外の世界とを隔てる結界の主に聞く。
もう一つが河童に聞く事である。
森の近くの古道具屋に持っていけば、道具の用途や名前が分かるかも知れない。しかしそこは商売をする所、うっかり商品にされては堪らない。
結界の主、八雲紫はこの幻想郷を生みの親とも言える大妖怪で、外の世界の知識も豊富にあるという。しかし……正直そんな大妖怪を伺うのは腰が引ける、はっきり言って怖い。
そんなワケで、機械について詳しく、何よりあらゆる種族に友好的な河童に話しかける事は、とても有効に思えた。
もしかしたら、これがキッカケで友達になれるかも知れない。
はたてはそんな事を思った自分にびっくりした。友達を……作る? 私にも友達が……出来る?
「ね、ねぇ! そこの河童さん!」
はたては思い切って、輝く光源に声をかける。
「ぬがっ!?」
河童ははたてに振り返った。はたては眩しさに目を細める、自分より幼く見える、素直にかわいい子だな、と感じた。しかし分からなかったのは、何でそんなこの世の終わりみたいな顔をしてるの? って事だった。
「あの……どうしたの?」
自分から声をかけたにもかかわらず質問してしまった。
「あなた、ひょっとして私が見えるの?」
「え?……えぇまぁ、眩しくて見づらいけど」
どうやら河童は服を発光させているようだった。はたてにはどういう原理で光っているのか分からないけど。
「ああぁぁぁぁ! また失敗かあぁぁぁぁ!」
突然、河童は頭を抱えて悶え出した。かと思ったらガクリとうなだれてメソメソ泣いている。
「え、えぇぇぇぇ!? ど、どうしたの? 私、何か気に触る事言った?」
はたては思わず動揺してしまった。自分は泣き虫だと思うが他人に泣かれるなんて初めてだ。
「あ、いや、あんたは悪くない……。はぁ~またダメだったかぁ~、今回は自信があったのにな~」
河童は言いながら服の袖についてる釦を操作した。服の発光がおさまり、よく見る河童らしい雨合羽みたいな衣装が露になる。
「これね、私自作の光学迷彩『キエルくん13号』よ。これを着ると周りの景色と同化して周囲の人には見えなくなっちゃうの!」
「コウガク……メイサイ?」
「そ! ま、消えてなかったみたいだから、う~ん『キエナカッタくん』かな?」
「はぁ……」
泣いた河童がもう笑った。そんな言葉はないが、はたてはえらくポジティブな思考の持ち主なんだと思った。
「あ! それで、何の用? 見たところ天狗さんだよね?」
「あ……うん、ちょっと聞きたい事、って言うか見てもらいたい物があって」
はたては説明に困ってとりあえず現物を見せる事にした。
「コレ……なんだけど」
巾着からその小物を出し、河童に見せる。
「ぬ? ……むおぉぉぉぉ!? こ、これはぁ~!」
瞬間、河童の雰囲気がガラリと変わる。荒れ狂う海の、岩にぶつかる波しぶきのように、厳格な職人のオーラが爆発した。まぁはたては海を見た事が無いのだけれど。
「ど、どうしたの!? これ、何かマズい物なの!?」
急変した河童のオーラに仰天して、はたては聞いた。
河童はワナワナと身を震わせてはたてを見る。
「……伏せてーっ!」
「ええーっ!?」
イキナリ押し倒されるように抱きつかれ、そのまま2人で地上に急降下。むしろ墜落。
「ギャフン!」
ワケの分からないまま地上に叩き落されたはたては、盛大に尻餅をついてしまった。
「アイテテテ……もう、イキナリ何するのよ~」
「何するも何も、アンタ、コイツを何処で手に入れたのさ」
河童は妙に声を殺して凄んできた。大きな声をだすなという事らしい。
「……何処って、山で、拾ったんだけど」
「ふーん、そいつは妙だね」
「妙……なの?」
河童は腕を組んで何やら思案している。
「あの……それで、あなたはコレが何だか知っているの?」
「ん? んー、こいつはね、外の世界で使われている、最新のカメラさ」
「カメラ!? なの!?」
はたてにはその答えは意外だった。カメラとは瞬間の風景を切り取る道具。先日の射命丸文が持っているような、レンズの付いた小箱のような……そういえば『コレ』にも小さなレンズがついているようにも見えるが、それにしても形が随分違う。
「と言ってもタダのカメラじゃない! ありとあらゆる事ができる魔法のカメラなのさ!」
「魔法の……カメラ」
はたてが思いついたのは文の弾幕戦である。文はカメラに妖力をつぎ込んで、相手の弾幕を写真へ取り込む事ができる。ただそれは文の力によるものだ。特殊な使い方をしているけど、カメラはいたって普通のカメラなのだ。
「っていう話なんだけどね」
「え?」
河童の話は唐突に曖昧になる。
「外の世界から入ってきた物の管理をしているのが、この幻想郷の生みの親でもある大妖怪、八雲紫だってのは知ってるよね?」
「う、うん」
はたては唾を飲む。大妖怪の名前を実際に聞くと、思わず緊張してしまう。
「その、紫がね、コイツをあんまり幻想郷に入れたがらないらしいんだ。だから、誰かがコイツを見つけると、何処で嗅ぎつけたのか紫がやってきて、奪っていってしまうんだって」
「そう……なんだ」
はたてはその話を疑問に感じた。『コレ』がそんなに悪い物だとは思えない、もっと、使う者を幸せにしてくれる、そんな素敵な物だと思っていた。そうとしか思えなかった。
「だから、私も見るのは初めてなんだ、ケータイ」
「?……ケータイ?」
「あぁ、その道具の名前。持ち歩くっていう意味の携帯だけど、それがそのままそのものの名前になっちゃったんだって」
「へぇ……」
はたては少し嬉しくなった。もうコレとかソレとか代名詞で考える必要はない、コレはケータイっていう物なんだ。
「……でさ、すっかり忘れてたけど、アナタ名前は?」
「へ?」
「名前よ、名前、アナタの名前! 私は河城にとり、見ての通り河童よ」
「ああぁ! あの、私、はたて! 姫海棠はたて! て、天狗!」
「はたてちゃんか、初めまして、だよね? 今更だけど、ふふっ、これからよろしくねっ!」
「!! ……ああっ! あのっ! こちらこそっ! よろしくお願いしますっ!」
にとりの差し出した手を、はたては盛大にドギマギして握り返す。嬉しさと気恥ずかしさと、経験の無い対応への困惑が入り混じって、みるみるうちに赤面してゆく。
「ははっ、何だか珍しいタイプの天狗だねぇ。天狗ってもっとこう、慢心の象徴っていうか、癇に障るヤツばっかりだと思ってた」
「あー、あはははは」
はたて自身もそう思えるので、思わず乾いた笑いで返してしまう。
「でさ、はたてちゃん」
「な、何?」
ちゃん付けで呼ばれる度にドキドキしてしまう。胸の中を直接くすぐられるような、変な感覚。でも多分、とても気持ちいい。
「そのケータイを、どうするの?」
「えっ? えーと……」
はたてはちょっと困ってしまった。冷静に考えてみれば、具体的にどうしたいのだろう。希望としては使えるようになって欲しいけど、難しいだろうか。ありとあらゆる事ができるカメラだっていうけど、では、どうやってありとあらゆる事をするのだろう。それを知りたいっていうのはある。あとは自分の見た夢との関係だけど、それは説明する事自体難しいし……。
「んー……」
はたてが思案していると、にとりはニヤリと目尻を下げて言ってきた。
「ものは相談なんだけど……」
「うん?」
「そのケータイ……分解させてーっ!」
「ええーっ!」
見るとにとりは両手にドライバーを持って満面の笑みを浮かべている。ご馳走を目の前にした食いしん坊がナイフとフォークを持っているかのようだ。次の瞬間にも「いただきまーす!」と言ってかぶりつきそうな気配さえする。
「だ、ダメよ!」
反射的にケータイを握って身を引いてしまう。はたては直感的に『壊される』と感じてしまった。今の状態が壊れていないかは別として。
「えー、いいじゃーん、ちょっとだけー!」
「ダメってばダメよ! これは……その、すっごく大事な物なのっ!」
「別に壊そうってワケじゃないよー! 分解して構造を調べて、ある程度分かったら元に戻すよ? それに、分解したら何か分かるかも知れないよー?」
「それは……そうだけど……でも……」
はたては元々、このケータイの調査を依頼しようとしていたのだから、にとりの申し出は願ったり叶ったりなのだ。が、にとりの目の色を見て当初の考えは消え失せてしまった。嫌な予感がする。プンプンする。
「やっぱりダメー!」
「えー! ちょっとだけー! 端っこだけー! つまむだけでもー!」
「酒の肴じゃないー!」
しばらく良いではないか良いではないかあれーおよしになってー的な追いかけっこが繰り広げられた。追われる事に夢中になったはたては、何かやわらかいものにぶつかる。そこで追いかけっこは中断された。
「アイテッ! ……あっ! ご、ごめんなさいっ!」
はたてがぶつかったのは人だった。見るからに豪華なドレスに身を包み、日傘を差して悠然と佇む美しい女性。その息を飲む程の美しさは、どこか迫力すら感じさせる。
「ゲェー! 出た! スキマ妖怪ー!」
にとりは仰天した! 引き篭もりのはたては一瞬分からなかったが、そんな別称で呼ばれる妖怪は一人しかいなかった。一人一種族の大妖怪、八雲紫である。
「ふふっ、騒がしいわね、お嬢ちゃんたち」
美しい口元が緩み、美しい声が言葉を紡ぐ。完璧過ぎて恐ろしいくらいだった。ささやくくらいの小さな声が、はたての全身に響き渡った。
「あ、あの、ぶつかって、ごめんなさいっ! 私、周りを良く見てなくて……」
猛烈な勢いで謝罪するはたて。妙に緊張しているのか顔が真っ赤だ。
「謝る事ないよーはたてちゃん、コイツがいきなり現われたんだから」
にとりは嫌悪感を剥き出しにして言う。紫に対して余程良い経験がないらしい。
「え、でも……」
「いいのよお嬢ちゃん、私が急に現われたんだから。お嬢ちゃんたちの話が気になってね」
「!」
はたては先程のにとりの言葉を思い出す。八雲紫は、ケータイが幻想郷にある事を好ましく思っていない。見つけ出して持っていってしまう……。
「貴方……外の世界の物を持っているわね」
殆ど表情を崩さない紫の目に、強い光が宿る。途端にはたての背筋は凍りついた。
「あの! ……これは!」
思わずケータイを握りしめた両手を胸に押し付けて半身を引く。
「……正直な子ね」
紫はにっこり微笑んで掌を差し出す。
「分かっているんでしょう? それは幻想郷にあってはならない物。私が責任を持って処分するわ」
そのまま、はたてにずいっと近づく紫。
「あ……い、嫌です! これは、その、そんなに悪い物じゃありません! 持って行かないで下さい!」
身体を強張らせて身を引くはたて。
今のはたてにとって、ケータイは希望だった。ケータイについて調べ、行動する事によって何かが変わる。何か良い方向に動く、そう思えた。
「良い物か、悪い物か、それは私が決めるわ。良い子だから、素直に渡しなさい」
はたての脳裏に、過去の暗い気持ちが蘇る。一人、部屋で、悶々としている毎日。そんなやるせない想いを、はたてはこのケータイに感じていた。
私は寂しかった。このケータイからも、同じような気持ちを感じた。だから私はこのケータイを拾ったんだ。きっと、ようやくめぐり合えた私の半身なんだ。今ここでこのケータイを奪われる事は、私の魂を奪われるに等しい。その身を引き裂かれる事に等しい。
「嫌だ……」
「……」
にじり寄る紫。
「い、嫌だぁぁぁぁっ!」
はたては叫んだ。
「嫌だっ! これは私のだっ! 絶対に渡したくないっ! たとえ幻想郷の誰も敵わない大妖怪が相手でも、これを渡すのだけは絶対嫌だっ! 私が拾ったんだっ! 私の……大事な物なんだっ!」
はたての、恐らく初めての強い意思表示。
他人との交流を避け、ずっと引き篭もっていたはたての存在を、紫は気にも留めなかった。だが誰であれ、幻想郷において神にも等しい紫に盾突く者など、数えるほどしかいない。傍らで悪態をついたにとりでも「渡せ」と言えば渋々渡すだろう。
「ふむ……」
精一杯に拒否したものの、はたての両膝は恐怖で震えており、目には涙が浮かんでいる。紫はほんの少し思案した様子で言った。
「じゃあ、こうしましょう」
「え?」
一瞬やわらかい口調で話す紫を、はたてが不思議そうに見上げた瞬間。
「がっ!?」
突然、はたては背中に強い衝撃を感じ、息が出来なくなった。
「はたてちゃん!!」
にとりが絶叫する。
続いていくつもの光線がはたての目の前をよぎる。明確な攻撃の意思を感じるエネルギー、これは紫の弾幕だ、はたては紫の不意打ちを喰らったのだ。
「うぅ……」
突然の事に、はたての思考回路は上手く働かない。私は殺されるんだろうか、このケータイを持つという事は、そんなに悪い事だったのだろうか。
ケータイを持つ右手に強い衝撃が走る! 光線状弾幕の直撃を受けたのか、急激過ぎる出来事に痛みを感じる事すら間に合わない! いつの間にか閉じていた目をうっすら開けると、持っていた筈のケータイが見当たらない!
「!!」
慌てて辺りを見回すはたて。すると、背後に立っていた紫の手に、そのケータイはあった。
「か、返してっ……!」
はたては叫ぶ、しかしその声に力は無い。攻撃を受けたダメージもある。しかし、ケータイが紫の手の中にあるという精神的ダメージが何より大きい。次の瞬間にもコナゴナに壊されてしまうかも知れない。はたては自身の身体が締め付けられるような思いだった。
「意外と元気ね」
余裕の笑みを浮かべ、はたてに対峙する紫。
「こらー! 紫ィ! 不意打ちとは汚いぞー!」
にとりが精一杯抵抗してくれている。
「あのままだとこの子、死んでも『コレ』を渡しそうになかったからね。……さて、泣き虫お嬢ちゃん?」
紫ははたてに向き直る。はたては唾を飲んだ。目の前の妖怪にかかれば、自分を一瞬で殺す事など容易い。それは今はっきりと分かった。
「な、何ですか……」
それでも紫の視線から目を逸らさない。恐怖で眩暈がする。だが、ここで目を逸らしたら終わりだ。何一つ勝てる要素は見当たらない。けど気持ちだけでも負けるわけにはいかないんだ。
「この『ケータイ』……確かに貴方にとってとても大事な物のようね。私としても、そういった物を強引に奪うのは心が痛むわ」
「じ、じゃあ!?」
僅かに希望を持ったはたてを紫は視線で制す。
「でも、これは本来幻想郷にあってはならない物。簡単に例外を認める訳にはいかない。そこで……ちょっとしたゲームをしましょう」
意外な単語が出てきてはたては戸惑う。
「ゲーム?」
「ええ」
すると紫はケータイを空へ高々と放り投げた。
「あっ!」
空を舞ったケータイは、次の瞬間、空間に突然出来た割れ目の中に消える。すぐさま空間の割れ目も消え、辺りは何事もなかったように風が流れた。
「な、何をっ……」
はたての顔が真っ青になっている。
「あのケータイは今、私が幻想郷のどこかに隠したわ。それを貴方が見つけられるか……時間は、そうね、日が没するまでにしましょう。それまでに、貴方があのケータイを見つける事が出来れば、貴方はそのまま所有者になって構わない。けど、日が沈めば……」
紫は残酷なくらい美しく微笑んだ。
「そ、そんな! 幻想郷のどこかなんて、広過ぎるっ! そんなの、どうやって!」
「見つけられなければ貴方にアレを持つ資格はない、それだけの事よ」
「そんな……」
「じゃあ、精々頑張りなさい」
紫の背後に空間の切れ目が生まれ、謎の空間が紫を飲み込む。切れ目が閉じると、そこは何も無いただの空。紫の姿は消えていた。
「消えた……くっそースキマ妖怪め! 相変わらず胡散臭い技を……」
にとりは空に向かって文句を言うと、呆然としているはたてに目をやる。
「大丈夫? はたてちゃん?」
返事が無い。
「はたて……ちゃん?」
「……どうしよう……どうしよう……」
顔面蒼白のはたては、今にも泣いて崩れそうだった。
「わ、わ、泣かないではたてちゃん! 大丈夫、まだ時間はあるよ! 何とかして捜そっ!」
「捜すっていったって、どうすれば……」
「うう~ん、そうだ! 友達に頼んでみるよ!」
「友達?」
「うん、はたてちゃんは知らないかな? 白狼天狗の犬走椛って、私の将棋友達なんだけど、千里眼の能力を持っていて遠くの方まで見わたせるんだって。他にも、何か……沢山の人に協力してもらえば、きっと何とかなるよ!」
「うぅ……うん……」
にとりははたての手を引いて飛び出す。出来るだけ多くの、協力してくれそうな者を集めに。
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事情を聞いた犬走椛はう~んと唸った。
「出来る限りの事はやってみます。ただ、あの八雲紫が隠した場所となると……正直、私の力で探し出せる気がしません」
天狗の神通力もピンからキリだ。この白狼天狗の力も、どちらかと言うと下っ端の方になる。
「それでも、やれるだけやってみようよ! もっと沢山の妖怪が力を合わせれば、なんとか……」
にとりは自分の事の様に真剣に協力を求めた。はたても続いて懇願する。
「お、お願いしますっ! 出来るだけでいいんで、出来るだけ……お願いします!」
「う~ん……こういう事はやはり、大天狗様にお願いするのがいいんでしょうけど……」
天狗の長、大天狗。強い神通力を持ち、幻想郷中の出来事を全て察知出来るとまで言われている。
「大天狗は無理でしょうね」
「え!?」
はたてが振り返るとそこに、先日水浴びを目撃された鴉天狗、射命丸文がいた。
「文さん、いつからいたんです?」
椛は驚いて聞いた。
「面白そうな事には鼻が利くんですよ。引き篭もり天狗と河童の組み合わせ、将棋を打ちに行くにしては少々慌ただしい様子でしたからね」
「あの、それで……大天狗様に頼めないっていうのは……」
はたては聞く。
文に、同じ種族に対してわだかまりがあるのは確かだった。しかしはたて自身も気づいている。社交的になれないのは自分自身の弱さだ。けど今はそれを克服したい、と、強く思っている。
ケータイを捜す為に、無能な部分を全て晒して協力を請う。そうしてはたての小さなプライドを壊す事で、もっと大事な、大きな何かを得る事ができるかも知れない。
「ん……単純に、ケータイを隠したのが八雲紫の意志だからですよ。大天狗は紫に逆らうような真似はしないでしょう」
重い空気が周囲に満ちる。それはつまり、ケータイを捜す事自体、しない方が良いという事になる。はたての表情は一層暗くなる。
「……とはいえ、我々天狗は共に助け合い結束せよ、という教えの下に生きています。今目の前に困難な状況に遭い、救いを求めている仲間がいるなら、力を貸さないわけにはいかないですがね」
「……え?」
文は不敵な笑みをはたてに向けた。
「我々にできる事は少ないかも知れませんが、貴方が助けを必要とするなら、尽力しますよ」
はたては目を丸くして言葉の意味を噛みしめる。にとりと椛も、文の意思を酌んで微笑む。
「それじゃ……」
「助けは……必要ですか?」
はたて胸の奥から熱いものが込み上げてくる。想いが目蓋の堰を切って溢れ、流れる。
「はい……助けて、下さい……お願い……します」
しゃくりあげてしまって上手くしゃべれなかった。はたては深々と頭を下げた。
文はニッコリ微笑んで、ハッキリした口調で言った。
「号外を出しましょう。失くし物の詳細を教えて下さい、出来れば絵を描いて。にとり、あなたの印刷機も使わせてもらいますよ。椛、他の哨戒天狗達にも伝えて回って下さい、事態は一刻を争います、急ぎますよ!」
「おうよ!」「はい!」
キビキビした態度で行動を開始する文。にとりも椛も続く。
「私……あの……ありがとう……」
はたての胸でつっかえていた同族への嫌悪が融解してゆく。自分はどこまでも弱く脆い、でも、少し手を伸ばせば、こんなにも温かい繋がりがあった。
私は一人じゃない、私は弱くても、私たちは弱くない!
「素直になってくれれば……かわいいものを」
文は少し照れくさそうに、宙を眺めて言った。
「え?」
「貸しですよ、今度の宴会にでも一杯奢ってもらいます!」
「……はい!」
こうしてはたてのケータイ捜索は、山中の妖怪を巻き込んでいった。
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はたての描いたイラストを元に簡単な号外が作られた。
文はそれを幻想郷中にばら撒いた。
親身になって協力した者、暇つぶしと思って参加した者、温度差は様々あるが、その規模はどんどん拡大していった。
情報はひっきりなしに寄せられ、その度にはたては幻想郷を西へ東へと飛び回った。
しかし、
発見の報告はおろか、有力な手掛かりも掴めないまま、時間だけが残酷に過ぎていった。
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太陽がオレンジ色に輝きだした。
日没の時間など気にして生きた事が、今までどのくらいあっただろうか。
はたては焦った。
今日一日、幻想郷のあらゆる場所を捜し、出会った妖怪たちにことごとく頼み込んだ。
多くの妖怪の温かさに触れ、はたては胸がいっぱいになった。その想いが無に還るのは嫌だ。何とかして発見しないと、協力してくれた仲間たちに申し訳が立たない。
はたては紫の言葉を思い出す。
『見つけられなければ貴方にアレを持つ資格はない、それだけの事よ』
アレを持つ資格。あのケータイを持つ資格って何だろう?
夢の事を考える。あれはケータイが見せていた夢? それとも、ケータイが見ていた夢? ケータイの……望んでいた……夢?
あのケータイが夢を見るなら、一体何を思って夢を見るのか。何を望んで夢を見るのか。何を望んで、この幻想郷に来たのか……。
……寂しかったからだ。
はたては何かを唐突に覚り、胸が痛くなった。
寂しかったから、繋がっていたかったからだ。
話したかったから、遊びたかったから。
多くの人に会って苦楽を共にして。沢山の人の喜怒哀楽を見ていたかったから。
それを私も望んだから。
さみしくて、かなしくて、でも話したくて、会いたくて。
だから、私たちは繋がった。
一緒に、色んな物を見たい。
一緒に、色んな事を知りたい。
その想いが、私たちを引き合わせた。
だったら……お願い、答えて。今あなたはどこにいるの?
はたては想いを飛ばす。
幻想郷のどこかにいる同志に。
音が聞こえた。
ピリリリリ、と、自然界に無い異質な音。
「!?……どこ?」
はたては叫ぶ! 確かに聞こえた! 音なのか、声なのか、あのケータイが発した音だ。
だけど分からない、どこから聞こえたのか。
遠く……? ここではない、暗い、狭い場所?
おぼろげに、はたての目蓋に風景が浮かぶ。
……東のはずれ……神社? そこ? そこなの!?
次の瞬間、はたては飛んだ! 風のように! 音のように!
周りの妖怪は仰天した。何があったと心配して追う者もあった。しかしはたての耳に周りの者の声は入らなかった。今はとにかく音の鳴る方へ、心の中で呼んでいる声に向かって、ただひたすら、まっしぐらに!
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「こ、ここ?」
闇色に染まってゆく空を駆け、乱れる息もそのままに、はたては博麗神社の拝殿前にたどり着いた。
博麗神社。
幻想郷の東端に位置し、幻想郷と外の世界を隔てる、博麗大結界を管理している巫女が住んでいる場所。参拝客の為の拝殿と、巫女が生活している本殿兼住居からなっている。幻想郷において特に重要な意味を持つ場所であるが、見た目だけで言えば普通の神社である。
はたては困惑した。あろう事か『音』は、神社でも別格の存在感を放って設置されている所から聞えてきた。賽銭箱である。
聞き間違えだろうか、勘違いだろうか。賽銭箱の中は互い違いに斜めについた板で見えない。
しかし、この中にケータイはある! と、はたてには確信が持てた。
周囲を見回す、紅く染まった太陽は、もう半分も山の端に埋もれている。時間が無い。闇に脅迫されるように、はたては賽銭箱に手を伸ばした。
「っつ!?」
閃光と共に、はたての手が賽銭箱から弾かれた!
「何? これ、結界!?」
賽銭泥棒用の防犯結界。不可侵なる賽銭箱の中身を暴こうとする不届き者を怯ませ、その存在を神社の主に知らせる設置型の術。
はたては焦る! これでは自分は泥棒だ! 私は泥棒じゃない! 事情は話せば分かってもらえる、と思う、けど何と言って説明したら良いのか分からない。何より時間が無い! はたてはパニックになった!
とにかくケータイを! 再び賽銭箱に手を触れる。弾くような効果はもうないようだ、どうにかして中を開けられないか? それなりに重量のある賽銭箱を抱え、蓋か引き出しか、何かないか、中身を出す手段を何とかして見つけようとしていた、その時。
「人ん家の賽銭箱をどうしようっての?」
紅白の変則的な巫女服が眩しい、博麗の巫女、博麗霊夢その人が現われた。
「ーーーーーっ!!」
はたては声にならない悲鳴を上げた。
見た目に15,6歳の少女。寿命の概念が根本から違う人間の少女であるにもかかわらず、高密度の大気が噴出しているかのような圧倒的な存在感! 体を切り刻む刃物のような視線!
……死……。
自分の罪悪は関係ない。捕食者に睨まれた小動物のように、生命の危機と知りながら一寸たりとも動けなかった。
「あの……これは……その……」
目の前が真っ暗になった。
その時はたては、はたと気付いた。
……暗い。比喩ではなく、周囲が本当に暗い。
夕日の方向に目をやる。
太陽が、最後のきらめきを山の陰に隠す寸前だった。
「ああああぁぁぁぁ~~!!」
動転したはたては思いもよらない行動に出た。
「え?」
霊夢は仰天する。はたては賽銭箱を力いっぱい空に放り投げた!
「うわぁ~~~!」
ありったけ妖力を込めて賽銭箱に放つ! 疾風を伴った光弾が賽銭箱に炸裂し、箱はコナゴナになった!
「な……え?」
霊夢はワケが分からない。賽銭泥棒かと思いきや、目の前で賽銭箱をぶっ壊されたのだ。
爆散した賽銭箱の破片がパラパラと落ちてきた、見事なまでに原型を留めていない。
はたては空にいた、ちょうど賽銭箱のあった少し上空。
賽銭箱を破壊すると同時に、そこへ飛び込んだ、木片と妖気で燻る煙の中へ、中にあるはずの物に手を伸ばし。
その手には、しっかりとケータイが握られていた。
はたてはケータイを強く、強く胸に抱きしめ、歓喜の涙を溢れさせた。
「あぁ……良かった……良かったぁ~~~!」
感情のたがが外れたように、大きな声で泣き喚く。泣き声は段々と大きくなってゆく。
次第に、はたての後を追って来た妖怪たちが集まってきた。射命丸文、犬走椛、河城にとりもいる。皆、目の当たりにしている光景を理解出来ずにいる。
「これは……一体」
「どうなってるの?」
集まってきた妖怪が、雰囲気の不可思議さにざわつく。嬉しそうに泣いているはたて、こちらはいいとしよう。問題は現場を構成しているであろうもう一人の人物……恐らく、幻想郷において最も怒らせるとマズい者=博麗霊夢から発せられるただならぬ空気だ。
「ひっく……ぅえ?」
はたても霊夢の空気に気付く。理不尽に対するやり場の無い怒りが渦を巻き、空を薙ぎ、風を泣かせている。はたては思わず悲鳴を飲み込んだ、感情で大気を震わせる事ができるだなんて初めて知った。霊夢と大気が同調し、唸り声を上げている。簡単に擬音にするとゴゴゴゴゴ、と、大地の中で炎を爆発させる火山のように。
「何が良かったっていうのよー!」
霊夢火山の怒りのマグマは、ついに爆発した。
「ひ、ひえぇ~!!」
次の瞬間、物凄い勢いで霊夢ははたてに弾幕を放つ!
霊気の塊の光弾が、はじけたように高密度ではたてを襲う!
「ご、ごめんなさ~いっ!」
命からがら弾幕をかわすはたて。一応は鴉天狗なので速いには速い、しかし弾幕を見極めてかわしているワケではない、無我夢中で全速で逃げているだけだ、そんな一方的な弾幕戦の結末は容易く予想が立つ。
「逃すかっ!」
霊夢は御札に霊力を込めて放つ! 札が生き物のように意思のある流れとなってはたての行く手を阻む!
「は!?……うぅ~!! ど、どうすればっ!」
必死に逃げ道を探すはたて。しかし頭はパニック状態になっている、自分はどんな状態にいるのか、どんな弾幕を使われているのか全く理解できない。弾幕の隙間はどんどん狭くなる。
「闘いなさいっ! はたてっ!」
「!?」
沢山のギャラリーの中に、はたては自分に激を飛ばした人物を見つける、射命丸文だ。
「逃げてばかりでは埒があきません! 相手が誰であろうと、弾幕の強さと美しさで捻じ伏せる! 多少の理不尽も何のその、それが幻想郷です! 私達が生きてる世界なのです!」
迫り来る弾幕と理不尽さの嵐。絶望的で残酷な文のアドバイスを受け、はたては泣きたくなる気持ちを必死に抑えて考える。
「弾幕……? 私が……闘う?」
幾多の異変を解決してきた弾幕戦のプロと、戦闘はおろか外の空を飛び回る事すら慣れない引き篭もり、戦力差は歴然としている。敵いっこない、闘う意味なんてない、そう思いながらも、恐怖に濡れた目を強く開き、歯を食いしばって霊夢に向き直る。
ふっと、はたては世界の空気が変わった瞬間を見た。
空気に密度を感じ、時間の長さが引き伸ばされたように思えた。
凶暴に荒れ狂い、間隔を詰めてゆく弾幕に、規則正しい模様のようなものが見えた。
はたてはそれを、美しい、と感じた。
ああ……そうだ、私はどこかで憧れていた。
遠くから眺めるだけだった弾幕戦を。
粗暴で野蛮で理不尽で、でも、ため息が出る程美しい弾幕の渦中に身を投じる事を。
バカな事で弾幕を打ち合い、魂と魂をぶつけ合う事を、心のどこかで望んでいたんだ。
知りたい! 弾幕戦を。心と体、妖気と霊気、技と意地をぶつけ合うその境地を!
「今、私……弾幕戦を……してるんだ!」
どうしてこんな状況になったのか、どちらに非があるのか、そんな事は関係ない! 私は今、弾幕戦をしている! 憧れていた空間にいるんだ!
肌が粟立つ感覚が全身に広がった! 高揚する感情、喜びと興奮で脳が痺れてゆく! はたては知らない間に笑みを浮かべていた。
「何が可笑しいのよっ!」
霊夢は弾幕の名を叫ぶ。
名前に律せられ、札弾は更に美しく踊り狂う!
「夢符『二重結界』!」
視界を埋め尽くす弾幕! 逃げ道なんてない! しかし、その時のはたてにはもう一つの視界が見えた。
自分という存在を含めて、周囲の弾幕を傍観しているような視界。
神様のような、自分でない誰かが見下ろしているような、俯瞰の景色。
はたてはその視界から、刻一刻と変わる迷路のような弾幕の隙間を見つけ出す。
「何っ!?」
霊夢は驚愕する! 初めて見せた弾幕を、どう見ても手練には見えない半ベソ少女が避けている!
なぜ!? 周囲の空間を結界でずらし、見た目通りの弾筋では避ける事は適わないハズなのに!?
「うわぁぁぁぁ!」
今度ははたてが弾幕を放つ!
しかし、それはただの妖力の塊。何の工夫も無く、霊夢に向かって一直線に飛ぶ単純な弾。
「そんなもの! 夢符『夢想亜空穴』!」
一瞬にして霊夢が姿を消したかと思いきや! 次の瞬間、はたての背後から現われ飛び蹴りをかました!
「きゃあっ!」
蹴りを喰らってよろめくはたて。結界で空間と空間を繋げて瞬間移動、防御と攻撃が一体となった霊夢の必殺技である。
「まだまだ!」
はたての周囲、四方八方から札弾が広がり襲いかかる! 隙間が無い! 逃げ場は全く無い!
「きゃあぁぁぁ!」
はたては絶叫した。
その瞬間である。はたての頭に、あるイメージが湧く。
自分の周囲の弾幕のイメージ。この中に、私は取り込まれ……て。
あれ?
はたては被弾していない事に気づく。
思わず目を閉じていたのか、恐る恐る目蓋を開ける。……すると。
周りに霊夢の弾幕は無かった。
そして、ケータイが開いていた。
無意識に自分が開けたのか、何かの理由があって勝手に開いたのか、それは分からない。
ケータイの画面は光っていた。電気、ってヤツが必要なハズなのに。動くハズが無いのに。
その画面に映っていたのは、弾幕だった。
一瞬前、はたての頭によぎった、はたてに当たるハズだった弾幕。
霊夢も目を丸くしている。状況が理解できないらしい。
「あっ!」
はたてははたと気がついた。
にとりはこのケータイをカメラだと言っていた……。
文はカメラを使って『弾幕を切り撮る』という能力を持っていた……。
もしかして、無我夢中の内に、この『カメラ』を使って弾幕を切り撮ったのだろうか?
そうだよと、誰かに言われた気がした。
声と言えるかは分からない、ただの思い込みかも知れない、それでもはたては信じられた。
このケータイが、カメラが私を救ってくれたんだ!
私に力を貸してくれたんだ!
「ぅぅ~、そのくらいが何よ~!」
霊夢の飛び蹴りが、あらぬ方向からやってきた。
「わわ!」
咄嗟の判断でギリギリ避けるはたて。
霊夢の機嫌は収まっていない。弾幕戦はまだ終わっていなかった。
「わっ! ひぇっ! うわぁぁ!」
四方八方から飛んでくる霊夢の蹴り! 結界から結界へ、背後に気配を感じて振り返ったら、また背後から殺気が襲ってくる!
はたては自分を俯瞰する感覚を冴えさせた。ギリギリで霊夢の攻撃を避けられていたが、少しでも集中力を欠けばその瞬間にダメージを受けるだろう、せめてこちらからも攻撃ができれば……。
はたては聞いた話を思い出す。弾幕を切り撮る文のカメラ。そのフレーム内に収まった妖怪は、弾幕と共にある程度の妖力を写真に封じ込められる。それは弾幕を被弾させた時と同等の精神的ダメージになるという。
弾幕を切り撮る事ができたのなら、同様に写真に写すことでダメージを与えられるのではないか。はたては玉砕覚悟で、突っ込んでくる霊夢にケータイカメラを向ける。
「む!」
恐らく幻想郷一、勘の鋭い霊夢は、またも結界を使った瞬間移動ではたてから離れた。
「あっ!」
霊夢の姿を見失うと、またも隙間のない弾幕が四方から襲ってくる。
「お願いっ!」
祈りを込めてケータイの釦を押す。フレーム内に収まった周囲の弾幕が消え、画面に映し出される。霊夢を捉える事は出来なかったが、はたても被弾を回避する事ができた。
もしかして、自分は霊夢さんと対等に闘えているのかも知れない。
はたてがほんのひと時自惚れたのもつかの間、また結界からの、どこから来るか分からない飛び蹴りが襲う。
結界から結界へ攻撃と回避、少し離れての弾幕。壮絶な波状攻撃に、はたては成す術も
なく、次第にネガティブな思考に囚われる。
ダメだ、やっぱり私は弱い! 真っ直ぐ飛ばすだけの弾幕と、射程の短いカメラ攻撃だけじゃ敵いっこない!
はたての心が折れそうになったその時、またもケータイの画面が輝きだし、何かをささやいたように思えた。大丈夫、見えるよ、と。
ケータイの画面には、眼で追う事が敵わなかった霊夢の姿が映っていた。
これは……何? この霊夢さんは、今この周囲にいるハズの霊夢さん? 結界から結界へと飛び続ける、視認出来ないの霊夢さんを、このケータイは捉えてるの?
……もし、ここへ弾幕を送り込めたら……相手のいる所へ、想いを届けられたら……。
はたては、念を込めた。
「届けっ!」
ケータイの画面が発光した!
同時に、はたての背後の空間に閃光が走る!
突如、何もない空間に現われた立方体の光の塊は、次第に無数の弾幕となってゆっくり四散してゆく。
「な!?」
驚いたのは霊夢だった。
結界から結界へと飛び回り、相手に視認される事の無い移動のハズなのに!
不意に嫌な予感がしてその場を離れた。次の瞬間、そこにはおびただしい数の弾幕がしき詰まっていたのだ。
「遠隔攻撃!?」
離れた場所に弾幕を生み出す。上位の強力妖怪にも見当たらない変則的な能力だった。
生まれついての勘の良さで、いきなり凝縮された弾幕の只中に放り込まれるという事態は回避したが、直近に大量の弾幕が現われたのは事実だ。なりふり構わず回避行動に専念した霊夢だった。
焦ってはいけない! あまり動かず、ギリギリの距離で弾をかわし、隙を見つけて反撃に移る! 冷静な判断で弾幕を回避する霊夢。
今しかない! 霊夢と対象的に、熱い想いを込めて、はたては霊夢に突進していった。後の事はまるで考えていなかった。
「わあぁぁぁぁ!」
「!?」
霊夢が振り向くと、そこにはたての顔があった。くっついてしまそうなほど、近く。
「しまっ……」
霊夢の言葉より早く、はたてのカメラから乾いたシャッター音が響いた。
--------------------------------------------------------------------------------
「霊夢の敗北とは……なかなか面白いものが見られたわね」
突進の勢いを殺せず、霊夢共々地面に落下したはたては、聞き覚えのある声を耳にして起き上がった。一瞬、気絶していたようだ。
「八雲……紫」
気付くとそこに八雲紫がいた。騒動に遭遇した妖怪たちも集まってきている。
「がんばったわね、お嬢ちゃん。約束通り、それは貴方の物よ」
「……!」
うっかりしていた。はたては何故弾幕戦に巻き込まれたのか忘れていた。
ぱぁぁ……と、安堵の感情が込みあがった。途端に身体が重くなる、緊張の糸が切れたのか、今日一日の疲れが怒涛のように押し寄せてきた。
「紫ィ……この騒動の犯人はアンタなのね~?」
はたてと同じように起き上がった霊夢は、持ち前の勘で鋭く状況を察したようで、恨みを込めて紫を睨んだ。
「幻想郷は全てを受け入れる……それはつまり、全ての厄介ごとは霊夢が引き受けるという事になるわよね」
しれっとした顔で紫は言う。霊夢の堪忍袋が一瞬にしてブチ切れた!
「アンタいい加減にぃぃぃぃ……」
紫への怒りとは裏腹に、霊夢は身体に力が入らなかった。
「はわわわわ……」
拳を振り上げたまま、霊夢は地面に突っ伏した。
「霊夢さん!?」
はたては驚いて駆け寄る。初めての弾幕戦だった、カメラで霊気を奪う事がどれほどのダメージになるのか見当もつかない。ひょっとして自分は取り返しのつかない事をしてしまったのでは? はたての顔が見る見るうちに青くなる。
はたてに抱きかかえられ、霊夢は力無くつぶやいた。
「お腹……減ったぁ……」
「……へ?」
目を丸くするはたて。霊夢の続きのセリフは、口ではなく腹から聞こえた。
「ぐぅ~~~~」
小刻みに肩を震わせている紫。ついには、堪えきれずに大きな笑い声を上げたのだった。
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はたては呆然とした。
周りには、百はいるであろう妖怪たちが、芋洗い状態で騒いでいる。
博麗神社は今、飲めや歌えやの大宴会場になっていた。
当然、それほどの数の妖怪は神社に収まらないから、敷地内はおろか周りの林にまで酒盛りの集団が溢れている。
「こんなに……妖怪が、集まるなんて……」
霊夢に酒を注がれたお猪口を持って、周りを見わたすはたて。喧騒とか集団とか、とにかく妖怪の集まる場所をひたすらに避けていたのである、その騒がしさと楽しげな雰囲気に、分かりやすく面食らってしまっていた。
霊夢が倒れたのは空腹からであった。
幻想郷の重要人物である霊夢は、妖怪たちからのお供え物で裕福に生活している……ハズなのだが。基本的に平和で能天気な妖怪たちと、霊夢の小さなプライドが上手く重なり合い、気付くと超極貧状態になっている、という事は、割とよくあるらしい。
はたてが百戦錬磨の妖怪ハンターである霊夢に一矢報いる事ができたのも、そんな条件が重なったからだっ!
と、霊夢ははたてに念を押す。
それから場にいあわせた妖怪たちは、こぞって神社に食料を持ってきた。どうせならそのまま宴会にしてしまおう! と、祭好きな妖怪たちは、酒盛りしながら集まった妖怪分の料理を作り始めたのだ。
「ま、飲みなさいよ。あなたも私も、紫に一杯食わされた被害者って事よね」
ほろ酔いで頬を少し紅く染め、はたてに微笑みかける霊夢。
弾幕戦の時の鬼の形相とは打って変わって、誰もが心を奪われる女神のような微笑である。
「あ、はい……」
お猪口に注がれたお酒を、くいっと飲み干すはたて。胸が熱くなり顔が紅色に染まるのは、アルコールの所為だけではないようだ。
「で? 何故にウチの素敵なお賽銭箱が、宝探しの隠し場所にされのよ」
静かに、しかしながら睨まれただけで命を奪われそうな視線が、傍らで飲んでいる紫に刺さる。賽銭箱は、直ぐさま山の妖怪が新しく作ってくれる事になった。それはそれで、である。
「全てを受け入れる能力を持つ巫女は誰でしたっけ? 新参者が早く幻想郷に慣れるには、貴方に逢わせるのが一番。そういう事よ」
「新参者? はたての事? そう言えば見ない顔だけど」
キョトンとした顔ではたてを見る霊夢。はたては長い間引き篭もっていて、表立った場面に出る事は無かった。とは言っても天狗である、人間の寿命を遥かに超えた時間を生きている。
「引き篭もりのお嬢ちゃんはついでだったんだけど……そうね、もしかしたらお嬢ちゃんが幻想郷に呼んだのか、はたまたお互いが引き合ったのか……」
紫はケータイに視線を落す。はたてはハッとしてケータイを見る。霊夢は話を理解出来ずに怪訝な顔をする。
「その変な形のカメラがどうかしたの? 外の世界の道具だって聞いたけど」
霊夢は紫に焦らされている事に苛立った。さらにその姿を紫が楽しそうに眺めている事に気付いてさらに不機嫌になる。
紫は霊夢の態度に満足したようで、くすりと笑って話を始めた。
「それはもう、外の世界のタダの道具ではないのよ、言うなれば付喪神ね」
「付喪神~!?」
はたてと霊夢は同時に聞き返した。
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数年前、外の世界に一人の少女がいた。少女は生まれつき身体が弱く、病気がちであった。学校もほとんど病欠してしまい、友達を作る事もままならなかった。いつか丈夫な身体になって、たくさんの友達を作って遊びたい。そんな事を夢見る少女だった。
しかし、少女の願いは叶わなかった。体調を崩し、いつしか学校に全く行けなくなった。ただ、自宅と病院のベッドを行き来するだけの生活になっていった。
そんな少女の心の支えになっていたのは、親が買い与えてくれた携帯電話だった。
最初は、学校の数少ない友達との、何気ない会話やメールのやり取りに使っていた。暫くして少女は、その携帯電話から世界中のネットワークに繋がる事を知る。
少女は歓喜した。ベッドの上から、世界中のあらゆる人と意志の疎通を図った。
老若男女、あらゆる人種と、病気の事、学校の事、好きな事、嫌いな事、TVに出ているイケメンアイドル、将来の夢、恋への憧れ、そんな他愛ない、けれどもかけがえのない話をする事ができた。
そうして少女と心を通わせた人たちは、一つのコミュニティを作る。少女のために何かをしたい、何か出来る事はないかと問いかけた。少女は答えた、沢山の事を知りたい、沢山の人と知り合いたいと。コミュニティは数千人の規模に膨れ上がった。
少女の下には毎日沢山の情報が集まった。時に楽しい、時に下らない、時に涙を誘うような話が届けられた。
たくさんの人と夢を語り、たくさんの人に感謝の意を表して、
そうして少女は、短い人生を終えた。
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「そのケータイにはね、少女と心を通わせた何千人という人間の、想いや祈りが込められたの。強い想いを受けて長い時間を経た物は、やがて神へと昇華するわ。時間をかけたわけじゃないから、強い力を持つ神とは言えないけど、そうね、少女に良く似た引き篭もりさんと心を通わす、妖怪程度にはなったんじゃないかしら」
紫の説明が終わった。
はたてはケータイを抱きしめて、嗚咽を上げて泣いている。
「ぅう……ひっく……そんな、そんなことが……」
夢に見た少女に同情し、涙を流すはたてに、紫はやわらかく微笑む。
「少女の人生が幸か不幸か、それは分からないわ。でもね、その魂は未練に迷い冥界に行く事も、世界を怨んで地獄に堕ちる事もなかった。むしろ少女を失って一番浮かばれなかったのは、妖怪化した挙句にこんなところまで来ちゃったその付喪神なんじゃないかしら?」
はっと息を飲み、胸に抱いたケータイを見つめるはたて。
「お前……」
紫は一層優しく微笑んだ。
「大事にしてあげなさい」
「……はい」
強く、やさしく、はたては再びケータイを抱きしめた。
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数ヶ月後。
「撮ったぁぁぁぁ! 撮ったぞ~!」
ボロボロになった身体を地面に放り投げて、はたては歓喜の雄叫びを上げた。
「全く……こんなになるまで付き合わされるなんて……どっちが勝者だか分かりゃしない」
ぜぇぜぇと息を切らし、文は文句をぶちまける。
「ふーんだ! 誰も回数制限なんて言ってないもん。アンタの『幻想風靡』を撮れば私の勝ち、それまで何回被弾しようが、諦めなければいいのよっ」
それは2人の鴉天狗の、お互いを高めあう修行のようなものだった。
はたては幻想郷最速とも言われる射命丸文の、最速の弾幕『幻想風靡』の撮影に成功した。
はたての言い分では勝者ははたてだが、現在までの戦歴は100戦1勝99敗である。
「全くなんて諦めの悪い……」
文は不満を口にしながら、それでいて気分は晴れやかだった。
「さぁ! これで少し自信がついたわ! 明日から幻想郷中の妖怪と写真を撮るわよ!」
「元気な事で……って、あなた念写の能力に目覚めたんじゃなかったですか?」
霊夢との弾幕戦以来、はたては遠い地の風景を写真に写す、念写の能力に目覚める。
それはまるでカメラの機能のように見えるが、紫が言うには、元々はたてが持っていて眠っていた能力なのだそうだ。
カメラ自体には何の能力も無い、強いて言うなら『はたてと心を通わせる程度の能力』しかないのだとか。
外の世界の様々な想いの集合体と心を通わせて、はたては世界に興味を持った。もっと広い世界が見たい、もっと色んな人と知り合いたい、そんな想いが、はたての眠っていた能力を開花させた。
引き篭もりのはたてはもういなかった。積極的に、好奇心の赴くままに行動する、世間知らずで無鉄砲で、時々泣き虫なはたてがそこにいた。
「念写だけじゃダメなのよ! お互いの全力の弾幕を見せ合って、気持ちを込めた写真を撮ってこそ、真の理解が生まれるのっ!」
「へいへい……」
あなたの諦めの悪さはよーく理解しましたよ、と文は言外に続けた。
「ねっ! ケイ?」
はたてはケータイに話しかけた。
「……けい?」
「ん? あぁコイツの名前だよ、いつまでも物の名前で呼ばれちゃかわいそうだもんね」
「ああ、付喪神でしたっけね、あなたのカメラ」
「そう、漢字ではね、繋がるって書いて『ケイ』って読ませるの。人と人、妖怪と妖怪の心を繋げて、広い世界を見せてくれる私の相棒……いい名前でしょ?」
屈託のない笑顔に、思わず文はどきりとする。
全く、つい最近まで引き篭もっていた根暗な引っ込み思案が、こんな顔をするようになって……。
「……妬けますよ。さて、2人の間に入り込む隙は無いみたいだし、私は行くとしますか」
飛び立とうとする文の手を、はたてはむんずと掴んだ。
「おや?」
「わたし、文の弾幕受け過ぎてもう動けないの」
「……はぁ」
文は首を傾げる。確かに疲れているだろうがそこまでではないだろう?
「だからー、おんぶして?」
「……はぁ!?」
「私の部屋まで連れてって」
「な、何を甘えた事をいってるんですかっ! 大体、あなたの一方的な挑戦を、私は渋々受けたのにっ!それを!」
「もー一歩も動けなーい」
文の背中に飛びつき、あからさまに寝たフリをするはたて。
「くぅ~~~! 泣き虫引き篭もりだったかと思えば、今度はわがまま甘えん坊ですかっ! これなら引き篭もりだった頃の方がまだ……」
渋々はたてを背負い、その場を飛び立つ文。
「……そう言えば」
ふと何か思いついたのか、ニヤリと笑って話しだす文。
「あなたの念写画像、河童が開発した現像機を使って写真にしているそうですねぇ」
何の事かと思いながら、とりあえず寝たフリを続行するはたて。
「という事は、頭に思い描いた記憶の映像も、写真におこせるかも知れないワケですね?」
「……?」
言っている意味が分からず、寝たフリをしつつ眉をしかめるはたて。
「と、いう事は、ですよ? 私が以前遭遇した、はたてがあられもない姿で水浴びをしている記憶なんかも、写真にできちゃったりするんですかねー?」
はたては顔から火を噴いた。
「なぁぁあぁ! それは! その記憶はぁ!」
「あれ? 一歩も動けない割りに元気じゃないですか?」
文の背中から離れ、口をぱくぱくさせているはたて。
「で、出来ない出来ないっ! 記憶を写真にするなんて出来ないっ! っていうか忘れろー! その煩悩にまみれた頭の中から、私の記憶を消せー!」
「はっはっはー、消せるわけないじゃないですかー。今でも鮮明に蘇ってきますよ、あの頃のウブなはたてのウブな反応っ! 思い出しただけでも抱きしめたくなりますねぇ」
「~~~~~~ぅぅぅぅう」
耳まで真っ赤にしてカメラの『繋』を構えるはたて。
「切り撮ってやるっ! 文の記憶の画像をっ!」
「ふんっ、出来るものならやってみなさい! ちなみに私の頭の淫らなはたて画像は108枚あります」
「多いよ! っていうか淫らって何よっ! そんな姿を見られた覚えはなーい!」
「はっはっは、私の妄想力は無限大って事ですよ!」
ちろっとはたてに舌を見せると、音の速さで飛び去る文。
「あっ! ま、まてー!」
見る見るうちに、空の青さに霞んでゆく文。
はたては手に持ったケイを開いて話しかける。
「いこう、ケイ! 文のヤツをギャフンと言わせて、そうしたら幻想郷中の妖怪とツーショット写真を撮りに行こう! 知らない妖怪に会って、話して、たまには弾幕撃ち合って! それでも物足りなくなったら、外の世界にくりだそう! だから教えて、広い世界を! 一緒に探そう、誰も知らない素敵な事を!」
はたては翼を広げる、広い世界へ。
はじけて溢れた好奇心に導かれ。
寂しさゆえに、時空を超えて惹かれあった相棒と共に。
「私はもう、一人でなんかいられないから!」
<了>
こういうのもありかもしれませんよね!
が、それ以上に自然に感情移入して読めて楽しかったです
情景が鮮やかに伝わってきました