淡い緑色の板に浮かんだ数字が、何の前触れもなく別の数字へと変化する。
その出来事は極めて瞬間的に起こるため、僕の目では二つの数字が移り変わる中間の姿を、まるで捉えることが出来ない。
普通、変化というのは、ある程度の時間をかけて進行するものである。例えば、米が酒に成るためにはおおよそひと月が必要であるし、米を餅に変えるのにも数時間はかかる。
ところが、目の前の数字はそんなゆるやかさの一切を排除したように素早く切り替わり、その変化に全く時間を要さなかった。この事実は、物の在り様としてはとても異質と言える。
だが、その様子を半日眺め続けた結果、僕の頭の中にはひとつの結論が導き出されていた。
そもそも、物質の変化において中間の姿がないなどということはあり得ない。つまり、この二つの数字の場合も、僕には追いつけないだけで、必ずその合間に何かが存在しているのだ。だが、その合間の要素は限りなく短い時間に押し込められていて、普通の人間や妖怪には感知することができない。僕はこれを、変化前と変化後の二つの姿の境界を強調するための作為であると考える。
なぜなら、ある時刻と、その次の時刻との境界をはっきりさせることは、時計という道具がもつ重要な役割だからである。
じっとしていれば決して暑くはない店の中にいながら、額に汗がにじむのを感じる。平時より、自分の両手が暖かい。
正直に言って、僕はこの数時間ずっと興奮していた。
理由は机の上に置かれた銀色の箱だ。窓越しに差し込む光に照らされ、その箱はしっかりと時を刻み続けている。
ソーラー式のデジタル時計。
今朝の無縁塚における、最大の収穫だった。
夏至まであと一月、という時節になると、もう朝晩に寒い思いをすることはなくなってくる。だがその快適な時間帯を眠りに費やせるかと言うと、残念なことにそうもいかない。この地の最高神たる龍神は、朝晩の過ごしやすさだけに飽き足らず、昼の蒸し暑さもまた律義にもたらしてくれるからである。単純な話、昼間は暑い。
そのため、体を動かすのは日が高くなる前か、日が傾いた後か、そのどちらかに限られてくる。今日僕が選んだのは、そのうちの前者だった。そうして、朝らしく、いつも以上に静かで息吹の薄い無縁塚で見つけたのが、ここにあるデジタル時計というわけなのだ。
幸運なことに、この時計は太陽の光を使って動くソーラー式という方式の時計だった。
太陽に依存する時計、と言えば日時計があるが、外の世界の技術で作られたこの時計は、たとえ太陽との位置関係が変わっても、動作に支障をきたすことがない。それはこの時計が、幻想郷では極めて珍しい、完全に動作する外の世界の道具であることを意味していた。もちろん非売品である。
左端の桁の変化が六回を数えたのを見届けた頃、ふと、このデジタル時計の有効な使い方を思いついた。
見たところ、このデジタル時計はほぼ確実に一定の時間を刻むことができるようである。このことは、直したつもりになっているいくつかの古い時計が本当に正しく動くかということを確認するのにちょうど良い。
僕は部屋の反対側にある棚に向かい、以前直したはずの時計を二つ、手に取った。表面には薄くほこりが積もっていて、指先がかすかにめり込んだ。しばらく掃除をさぼっていたな、という事実を認識させられる。
僕は、机に戻ってゼンマイを巻き始めた。複雑に編まれた歯車や輪軸を通して、回転が遡っていく。ただし、その遡上は必ず途中で妨げられる。それは、ゼンマイを巻くということが時計にとって平時と逆の動作であり、針まで逆向きに回すことは時計自体を傷めることになるからだ。まあもっとも針が逆に回ったからといって、時間が戻る心配は決してないが。
その時だった。
カラカラカラン。
「ちょっと、どなたかいらっしゃらないかしら?」
「いらっしゃいませ」
「あら、ここは道具屋さん?随分いろんな物があるわね」
見慣れない客だ。いや、話しぶりからすると客ではない可能性が高いか。
霊夢とは違う雰囲気の紅白衣装を身にまとい、ドアに片手をかけたままこちらを眺めまわしている。人間なら二十そこそこと思われる容姿だが、訝しげな表情からは、彼女がこの店の常連よりも数段落ち着いていることが窺われた。
「おっしゃる通り、この店は道具屋ですよ。何かお探しの道具があればご相談に乗りますが」
「いえ、私は道具が欲しいわけじゃないのだけれど……それにしてもこのお店、品揃えが独特なのね。古そうな壺、古い本、古いランプ。あら、この鉛筆削りはもう少し新しいものかしら。すごく古い物からちょっと古い物まで、まるで大学の資料館みたいだわ」
残念ながら客ではなかった。だが、道具を見る目は持っているようだ。ならば香霖堂の品揃えの魅力を押し出せば客に変わってくれるかもしれない。僕はゼンマイを巻く手を止めた。
「今貴方が覗いている棚は、主に玩具を集めた棚なんですよ。例えば正面にある自動車の模型。良く出来ているでしょう。しかも中にはちゃんと道を走るための仕組みが入っています。手にとって選んでも一向に構いませんから、是非いかがですか」
「自動車の模型、ってこれ?名前は……ええと、確かスロットカーとか言ったかしらね。それなら車だけあっても走るわけがないわよ。それよりこのクマの人形、ブリキ製じゃない」
「…あら、ほこり被ってる。うん、やっぱり、脈絡のない品揃えといい、掃除してない品物といい、本当に大学付属の資料館みたいだわ。そういう施設って、得てして若いころからあんまり目立たなかった年配の男性教授が就かされて、毎日少ない来客に蘊蓄を語っている閑職っていうイメージがあるんだけれど、ここはどうなのかしらね。一応、店主さんはまだ若いってところが違うのかしら」
「まあ、僕は教壇に立ったことはないけどね」
彼女の独り言だろうが、内容に少しむっとした僕は訂正を願い出ておいた。実際には若くもないのだが、これを言うとさっきの発言がより的を射たものになってしまうので黙っておくことにする。
それよりも、今は商品の推薦が先だ。僕は席を立ち、壁際に置いていた商品に手をのせた。
「この商品はお薦めですよ。名前はテレックス。紙を使わずに想いを送る道具です。あいにくこの店にはそんな便りは一通も来たことはないのですが」
「あら、今更電信を売りつけようとするなんて、冗談で言っているのかしら?大体そんなふうに置いといたって何の役にも立たないわよ」
「それより、その机の上にあるのは和時計ね。動いているところを見ると、良く手入れがされているのね」
「あ、あぁ、一度分解して、修理しているからね」
僕は少し驚いて、机を振り返った。彼女が見つめる先では、先程まで僕がゼンマイを巻いていた時計、二丁天符式の自鳴鐘が時を刻み始めていた。
それにしても、この自鳴鐘は香霖堂の商品の中でも比較的古いものである。その名前を容易に言い当てられる人間は、幻想郷にも決して多くない。僕は少しだけ、この来客への認識を良い方向に改めた。
「うんうん、その口調の方が良いわ。どうせ私はお客じゃないんだもの」
「でもこの和時計は面白いわね。筐体の調金細工といい、針に描かれた装飾といい、本当に手が込んでいるわ。これを作った人はよほど時間が有り余っていたのかしら」
彼女は机の近くの段差に腰掛けると、乗り出すように時計を見つめて言った。
「良く見ているね。確かにこの手の古い道具は今では考えられないほど手がかかっている。だがこの時計を作ったのは、暇を持て余した人間ではないよ。人間よりもっと暇を持て余している存在、妖怪さ」
彼女は眉をひそめたが、僕は気づかないふりをして話を進めた。
「そもそも時計は、何のために作られた道具かわかるかい?」
「それは…時間を操るためさ」
時計という道具がいつから作られるようになったかは知らないが、間違いなく言えることは、時計が無い大昔においても人々は生活出来ていたということである。つまり、古代の人間にどうしようもなく時計を欲する理由があったとは考えにくい。
だが今では、時計が無いと人々の生活は成り立たないとまで言われている。このギャップが意味するものは何なのか。そう考えた時、最も理にかなっているのが、時計を使って時間を操ろうとする、何らかの意志の存在なのである。
「時間を操るということは、人間を操るということに等しいからね」
そう、時計を作るという行為は、人間を時間によって支配するのと同義なのだ。なぜなら、人間だけが時間に対して強い感受性をもつからである。これは人間が短命であることに起因すると言って間違いないだろう。
一方妖怪はというと、彼らは人間より遥かに長命である。それゆえ、妖怪における時間の概念は極めて希薄であり、結果的に時計による支配も受けない。おそらく、時計を作った妖怪というのは、人間だけに効果のある妖術、のような感覚で時間を操ったのだろう。結果的には彼らの思った通り、人間は時間に追われ、必死に時間に抗おうとする、時間に支配された生活をするようになった。
「人間を操ろうと思ったら、まずは人間達の生活に普及させることを考えなければならない。そのために最も早道なのは、土地の指導者層に時計を使わせることだ。この時計、正式には二丁天符式自鳴鐘というんだが、これが大名時計という別名を持っているのはそのためだよ」
「あのねえ。全っ然、違うわよ!」
突然、彼女が真っ向から反対を表明した。
「まったく、これがちゆりだったらその辺の壺で殴ってるところよ」
やめてくれ。僕は荒事が得意じゃないんだ。
「話が飛躍しすぎて言ってる事を理解するのが大変なんだけれど、とにかく、あなたの言ってる事はおかしいわ。いい?まず和時計が大名時計と呼ばれるのは、当時の庶民には高価過ぎて、結果的に大名達にしか売れなかったからよ。それにあなたは、時計が時間を通して人間を支配したと言ってるけれどそうじゃないわ。事実は逆で、人々が使っていた時間の概念に合わせて時計が作られたの。だから天符が二つもあって、昼と夜の長さが変えられるんでしょう?」
確かに、彼女の言っていることは、知識としては間違っていない。
目の前の金属の箱には丁の字型の部品が二本突き立てられている。これが天符というもので、それぞれの丁の字の両腕には腕輪のようなおもりが嵌めてある。自鳴鐘ではこのおもりの位置が針の速さを決めているのだが、天符が二つある二丁天符式自鳴鐘では、二つの天符が別々に昼の時刻と夜の時刻を司っているのである。つまり、昼を伸ばして夜を縮めたり、昼を縮めて夜を伸ばしたり、ということが自由に出来てしまうのだ。
だが、彼女の意見はこの事実をどこか他人事として捉えている節があった。自分なりに考察をしている点には好感が持てるが、構成が消極的だ。
「君の意見も一理あるが、証拠があるのは僕の方だよ。見てみるといい。この複雑怪奇な構造が、まさに妖怪が作ったという証拠さ」
僕は時計の一部分、龍が描かれた扉を開けて、中の仕組みを彼女に見せた。
「どうだい、とても普通の人間には理解出来ないような代物だろう。だからその昔、これがまだ立派に使われていた頃には、こういう時計を専門に扱う仕事があったのさ。彼らは時計師と呼ばれ、その人数はごくわずかだった。彼らは持ち場にしている城や名家で、時計の調整と修理を一手に引き受けていた。その彼らこそ、暇を持て余している妖怪だったのだと、僕は思っている。なぜなら、これほど複雑な仕組みを壊さずにいじることが出来るのは、作った本人達しかいないからね」
二つある天符は、それぞれが昼と夜を司っていると同時に、人間と妖怪、それぞれの象徴でもある。昼を長くすれば人間が優勢、夜を長くすれば妖怪が優勢。そんな大事なことを勝手に決めていたのが、時計師として暮らす妖怪達だったのだ。時間を文字盤で表現するなら、彼らの存在はまさしくその中心である。残念なことに僕は彼らと触れ合ったことがあるわけではないが、この認識で大きく的を外すことはないだろう。
博識な話し相手は、机の端に片肘をつきながら、赤みの強い髪をいじっていた。白い袖に隠れて表情は判然としないが、どことなく呆れられている気配を感じる。
「ああもう、素敵だわ。素敵。私も仕事柄結構沢山の人から話を聞くし、人の話はちゃんと聞くようにはしているけれど、こんなに脈絡のない論理は初めてよ。あなたの言っていることって、私のものさしでは全然測れないじゃない」
「あ。でも私が魔力について発表した時も、聞いてる連中はこんな感じだったのかもしれないわね。素敵だと思ったかは別にして」
魔力、という単語が聞こえた気がしたが、幻想郷の住人にとってはそう珍しいものではない。一応、自鳴鐘についての説明は果たしたと思ったので、僕は手入れを再開した。あとは、そうそう、
「そうだわ、あなたの名前を聞いてなかったわね。私の名前は岡崎夢美。このお店に寄ったのは、実験途中で通りがかったからよ」
ちょうど相手も同じことを考えていたようだった。それにしても実験途中だったとは、彼女も魔理沙達と同じ魔法使いなのだろうか。
「ああ、お互い自己紹介が遅れていたようだ。この店は香霖堂。僕はここで店主をしている森近霖之助という」
一呼吸置いてから部屋を見渡すと、もう窓の外は暗くなり始めていた。客ではないという夢美だが、それにしては長居ではないだろうか。僕は手元のデジタル時計に目を遣った。
数字は、6、3、2と並んでおり、それに続けてP、Mというアルファベットが表示されている。
「ところで、もう午後の六時半を過ぎているんだが、実験に戻らなくていいのかい」
「問題ないわ。これも実験の一部。私の時間間隔がそこの時計と合っていれば、あと七時間半もすればちゆりが迎えに来るはずよ。それより、和時計の隣にあるのは結構新しいデジタル時計じゃない。やっぱりこのお店の商品には一貫性が無いわね」
彼女の告げた帰る時刻というのは、思いの外先だった。あと七時間半、と言えば午前二時である。ちゆりと呼ばれている人物も、わざわざそんな夜中に出歩かなければならないなんてご苦労なことだ。まあ、あと七時間以上も居座るというのに遠慮のかけらも見せない人物を前にしているのだから、僕もなかなかご苦労なことになっているのだが。
「そうだわ、折角だし、あなたのその飛躍の激しい思考でそのデジタル時計について説明してくれないかしら。どうせまだ時間はあるのだし」
言われて、僕は改めてデジタル時計を見つめなおした。こうしている間にも、文字盤の上では黒い点が二つ点滅している。そう、確かこれはコロンと呼ぶのだ。以前、国語辞典と称する分厚い本で読んだことがあった。
更に数秒の沈黙が流れ、右端の数字が、例によって捉えきれない速さで変化した。数字が、6、3、9という並びに変わった。
「見ての通り、これはデジタル時計だ。ちなみに売り物ではないよ」
「さて、この店には別の時計、自鳴鐘もある。この二つは共に時計であって、用途は時を刻むものではあるが、僕としては完全に同じものであるとは到底言えないね」
実際のところ僕は動作しているデジタル時計を見るのは今日が初めてだが、両者の違いはほぼ把握できている。
「二つの違いは……そうだな、例えばこの文字盤だろう。デジタル時計のほうは長方形をしていて、そこに数字や文字が表示されるようになっている。一方自鳴鐘のほうは時刻の書かれた円形の上を針が走る仕組みだ。これらは、その見かけからして大きく違う」
「だが僕が思うに、この二つの時計の最大の違いは、時刻の伝え方だね」
夢美は、興味があるともないとも判じ難い表情で、二つの時計を見つめている。ややあってその赤い瞳がこちらを向いたので、僕は話を再開した。
「人妖問わず、知恵のある者は易きに流れる。このデジタル時計では、その新しさゆえに、古い自鳴鐘とは時刻を伝える方法が大幅に変わってしまっているのさ。もちろん僕達には、より努力を求めない方向に」
「例えば僕が今の時刻を知りたいとする。その時もし、机の上にあるのが自鳴鐘だった場合、僕はその丸い文字盤を見るだろう。だが見るだけではだめなんだ。見て分かるのは文字盤の上にある針の位置でしかない。僕が時刻を知るためには、その針の位置が何時に対応しているか、それを針の周りの文字から翻訳することが必要なんだよ。これはいわば定規で長さを測るのと同じだ。自鳴鐘は僕に、文字盤と言う目盛を使って針の位置を計測させる努力を求める」
無論、僕がその作業を面倒だと思うことはない。なぜなら、長年の生活の中で、時計を見たら特に意識せずとも計測を行えるようになっているからだ。壁に掛かっている柱時計も、どこぞのメイドが使っている懐中時計も、みな作法は同じである。
「しかしデジタル時計は違うね。この時計は時刻を数字で直接示してくれる。僕は文字盤を使って計測する必要がない。この小さな箱の中に、自鳴鐘のような時を刻むだけの道具とその針の位置を時刻という数字に翻訳してくれる道具が同居しているのさ。だから、デジタル時計というのは人妖に努力を求めなくなった。ある意味では怠惰を招いた存在と言える」
これは紛れもない事実である。昼間ずっと使い続けて分かったことだが、明らかにデジタル時計はその使用にあたって頭を使わない。もしこの時計が大量に幻想郷に流入することがあれば、人里の時計は皆デジタル時計に置き換わってしまうのではないか、と思えるほどの便利さだ。単純に考えれば極めて危険であり、せいぜいこの店の中だけで使うべき道具であると言える。
だが僕はデジタル時計について、人妖を堕落させる以外の、より深遠な効果も持っていると考えている。
「今言ったように、確かにこのデジタル時計は人妖の能力を退化させかねない。だが僕は別の、デジタル時計の真の使い方を見つけたことによって、人妖はその退化を止め、新しい考察を得られるのではないか、と思うようになった」
それは、僕がこの時計を持ち帰ってきてから二時間ほど経ったときのことだ。
「分かっていると思うが、この文字盤には三つないし四つの数字が並ぶ。もちろんそれらはいい加減に並ぶわけではなくて、ちゃんと時刻に従って並ぶわけだが、そこで君は何か気付かないかい?」
「あら。そうねぇ、単純に数字の並びと見るのならば、数列?」
「そうさ。ここに並ぶのは数字。そして、本来数字にはその一つ一つに意味がある。そして、それがいくつか並んだ場合には、そこに極めて高度な意味を込めることが出来るんだよ。曰くありげな言い方をすれば、魔方陣の一部、あるいは魔法そのものや、暗号のようなものにだってなりうる」
「だからデジタル時計の文字盤というのは、僕達に何も考えさせないように見えて、実際は遥かに複雑な意図を表していると言えるね。本当はデジタル時計を使うときこそ、その文字盤の数列が示す本当の意味を考えなくてはいけない、思考を働かせなくてはいけないんだ」
このことに気付いたのは、たまたま見遣った瞬間に文字盤に1が四つ並んでいたのがきっかけだった。はじめは面白い偶然だと思ったが、考えてみればそれはただ面白いだけの出来事ではない。
例えばこの十一時十一分の例は、一日にたった二度しか起こらないのである。その瞬間に居合わせ、更に文字盤を見つめていることなど、余程何かの理由、縁のようなものがなければ不可能だろう。そんな場面に出会ったら、僕達はなぜその瞬間に至ったかを真剣に考えるべきなのだ。
また、考察は、現れる数字にどんな意味が隠されているかということだけにとどまらない。人妖は、主体的に数字に意味を与えることが出来るのである。それは、デジタル時計が、持ち主の意志を時刻の数だけ所持する魔道書のような存在になることを意味している。そうしてたくさんの想いを込められたデジタル時計が、やがて確固たる自我を有することだってあるだろう。時計は毎日、何度も目を向けられる道具であるから付喪神となる可能性は高い。やはり、このデジタル時計を人里に普及させるわけにはいかないだろう。
「こんなところで、デジタル時計と自鳴鐘との違いは理解できたかな」
「ええもぉ、素晴らしくサッパリだったわ」
僕としては、いつもより詳しく説明したつもりだったのだが。まだまだ話術には向上の余地があるようだ。
「でも面白かったわよ。まるで自分の思考を中心に世界が回っていると誤解してるんじゃないか、と思わせる勝手な理屈とか。やっぱり刺激というのは受けてみるものね」
どうやら彼女は彼女で、思うところがあったようである。
「ほら、八時ちょうど。こんな時に8、0、0になるのは、やっぱりあなたが嘘八百吐きまくったからじゃないかしら」
夢美はデジタル時計を指差して笑いだした。
僕としては嘘を言ったつもりではなかったのだが、決して悪い気分ではなかった。強いて憂慮すべきことと言えば、このデジタル時計が早々に付喪神にならないかという、そのことだけである。
時刻は既に、午前一時を回っている。
世界は、来たるべき日の出に備えて暗闇を蓄えているが、部屋の中には、まだ夜明けの気配はない。それは店の内と外を隔てる透明な結界のせいである。暗闇を背にして鏡となった窓ガラスは部屋の灯りを倍増させ、昼よりも明るい空間を創り出していた。
そんな夜の明るさの中で、僕と夢美は、思うままに会話を続けている。
幸いにして、僕は食事も睡眠も、特別必要な体ではない。一方の夢美も食事抜きや徹夜は慣れているとかで、僕達は彼女の来訪から数時間、ずっと話し続けていたのである。話の内容は、主に道具と、それを扱う技術についてだ。
驚いたことに、彼女はこの世界の住人ではなく、可能性空間、と彼女が呼ぶ別の世界から来たのだという。道理で外の世界の道具に詳しいわけだ、と感じた僕は、夢美のいる世界の道具の現状について教えてもらった。
曰く、彼女の世界では力というものが全て統一的な原理に基づくものだと信じられているのだそうだ。もちろん道具も、その原理に則って作られ、精巧な道具に満ち溢れた生活はとても便利になのだと言っていた。だが、そんな世界の大学で比較物理学という学問を研究する夢美は、研究の中でどうしても統一的な原理で説明できない力があることを確信してしまったらしい。彼女としては考察に考察を重ねた上での結論だったのだろうが、その理論、魔力の存在という説は学会でにべもなく却下されてしまったそうである。このあたり、何やら当事者意識が芽生えたが、まあ気にしないのが得策だろう。かくして彼女は、自ら作った可能性空間移動船という船に乗って様々な世界を巡り、魔力に関するデータを集めているのだと言っていた。
実験の結果が気になった僕は、それとなく聞いてみた。
「えぇ、もちろん私が直々に出張っているのだもの。上手くいかないはずがないわ。魔力に関するデータも結構取れているんだから」
「ただね、実験データというのは、その時その時は一期一会だと思って満足いくまで取ったつもりでも、後から考えてみると不十分だったり、もうちょっと集めておけばもっといい考察ができたんじゃないかなんて思ったりするものなのよ。だからまだ、私の世界では魔力は証明されていないわ。残念だけど」
現状では、そういうことであるらしかった。
僕は、昼に二つ取り出してきていた自鳴鐘のうち、これまで触れていなかったもう一つのほうのゼンマイを巻いた。
かちゃり、という音がして、自鳴鐘に力が蓄えられたことを知る。僕はそれを、そっと、今までの自鳴鐘の隣に置いた。
夢美の目が四つの天符に注がれる。
「あれ、こっちの和時計、壊れてるんじゃないの。天符が二つとも、同時に動いているわよ」
そう、新しく置いた自鳴鐘は、昼担当の天符と夜担当の天符とが同時に動くようになっている。段違いに配置された二つの天符はぶつかり合うことなく、一定のリズムでそれぞれの両腕を振っている。僕は、夢美を促し、自鳴鐘を上から覗きこませた。
「いいや、この自鳴鐘は壊れているわけじゃない。そうやって見下ろすと、人間を表す天符と妖怪を表す天符とが、互いに交わったり、離れたりしているのが分かるだろう。それは今の、この幻想郷の姿そのものだよ」
「かつて人間の世界の中心は、人間ではない時計師達が作った時計だった。だが、この幻想郷は人間と妖怪が対等に近い関係で暮らす世界。つまり、この世界の中心になる時計は、人間と妖怪、そのどちらでもない者から生み出されなければならないんだ」
僕は席を立った。
「実を言うと、僕は人間とも妖怪とも違う存在でね。もっとも、一から作るのは骨が折れるから古い自鳴鐘を改造しただけなのだけれど」
彼女は、訝しげに僕に視点を移した。
「ねぇ、もしかしてこの世界には、本当に妖怪がいるの?さっきから嘘ばかり言ってると思ってたけど、嘘にしては随分手が込んでいるじゃない?ひょっとして」
「静かに。もうすぐ自鳴鐘の鐘が鳴る時刻だ」
僕は、何か言おうとした夢美を制して鐘の音を待った。
チリ…ジリリリリリリン…
「さて、今鳴った鐘だが、その音が強くなりすぎず、また弱くなりすぎもしないのはここにある羽根が上手くバランスをとっているからさ。部品の名前は調速器というんだが、まあさしずめ、この幻想郷で言うところの霊夢のようなものだろうね」
「今、霊夢って言ったわよね。ねぇ、ひょっとして、霊夢って巫女じゃない?」
「ああ、確かに、霊夢はこの世界の巫女だが」
その途端、彼女の目つきが変わった。振り向いた彼女に胸倉を掴まれ、激しく揺さぶられる。
「ちょっと!!なんでそれを早く言わないのよ!あれだけ一期一会だと思っていた最高の世界に、私は戻ってきていたんじゃないの!あぁもぉ、こんなことなら船を出たあとこんな店に立ち寄らないでもっと探検するべきだったわ!胡散臭い店主と話している時間があったら、森の茸でも採集しているべきだったのよ!大体八時間もあったら、データだって取り放題だったじゃない!」
酷い言われようだが、まずはその手を放して欲しい。そもそも責められたところで僕にはどうすることも出来ないのだ。探求の機会を失ったことを呪っているのには同情するが、僕だって時間を戻すことはできない。
だが、ちょうどその時、文字通りの助け船がやってきた。
「おーーい、ご主人さまぁ?いるんだろー。迎えに来たぜー」
「ちゆり?あぁもう、こんなときに時間通りに来なくたっていいのに」
「ご主人さまいないのかぁ。あ?それとも、もしかして捕まってたりするのか?」
いや、逆だ。
ガタンという音と共に入ってきた助け船の船員は、案の定物騒な道具を携えていた。
「おい、これは小さくても最強の、ってなんだい。ご主人さまのほうが暴漢をとっちめてるじゃないか。心配して損したぜ」
わかったらそのおかしな武器をこちらに向けないでくれ。大体どうしたらこの現状で僕が暴漢に見えるのだろう。僕の背中なんて、もう柱に詰まっているじゃないか。
「あらちゆり、折角だからもっと座標設定に時間がかかっても良かったのよ?」
「そんなこと言われたって、この時間に迎えに来るように言ったのはご主人さまだぜ」
「どうでもいいが、まず僕を放してくれないか。迎えの船が来たらそれで帰らなくてはいけないんだろう?」
「……まぁ、そうね。店主は打ち出の小槌じゃないものね。あぁでも、やっぱり悔しぃわぁ~」
ちゆりという少女と僕の二人分の視線を浴びて、夢美はようやく僕を解放した。一息ついてみるが、その間にもまだ夢美は地団太を踏んでいる。だが、話の内容は次第に前向きな探求者のそれに変わってきていた。
「ねぇちょっと、ちゆり。ちゃんとこの世界の座標は記録したんでしょうね。もしこの世界に来られるのが今日が最後だったりしたら後で半年くらい研究室に缶詰にするわよ」
「はいはいしたぜしたぜ。それにもとはと言えばご主人さまが気分で実験を始めるからじゃ」
「それはあなたが私の実験に立ち会わなかったのがいけないの」
「あ、それと、さっきはああ言ったけど、あなたの話のお陰で研究の新しいインスピレーションが湧いたわ。恩に着るわよ」
夢美は、自分の助手に引きずられるようにして店を出て行った。扉を閉める音に紛れて後半は聞き取れなかったが、まあきっと、あの調子なら次の実験のことでも話していたのだろう。
二人が出て行った後、しばらくして不自然な光が辺りを照らした。暗闇を破る明るさに、僕は思わず身構えてしまう。
「今度こそまた来るわよ幻想郷!もう絶対、一期一会なんて言わせないんだからね!!!」
外からは夢美の声がして、それきり世界は暗闇を取り戻した。その変化があまりにも一瞬だったため、僕は思わず、デジタル時計に目を遣った。
文字盤の表示は、1、5、1、A、M。
「いち、ご、いち、え、か」
正直に言って、最後こそ散々な目に遭いはしたが概ね彼女は好ましい人間だったと思う。
そもそも、好奇心と考察を尊ぶ人間に悪い者はいないのだ。それを僕は、身近にいる人間達を通して身をもって知っている。それに彼女には、僕に勝るとも劣らぬ豊富な知識がある。そこに僕が与えた考察が加われば、魔力を実証することなどそう遠い未来の話でもないはずだ。時間に追われ、時間に抗う人間が挑戦するのだからなおさらである。
僕はどこか遠くの世界で探求に励む同志を思い浮かべながら、デジタル時計に向けてささやかにその成功を願った。
「ほら、もう一期一会ではないのだから、ね」
既に文字盤は、午前一時五十二分を伝えていた。
その出来事は極めて瞬間的に起こるため、僕の目では二つの数字が移り変わる中間の姿を、まるで捉えることが出来ない。
普通、変化というのは、ある程度の時間をかけて進行するものである。例えば、米が酒に成るためにはおおよそひと月が必要であるし、米を餅に変えるのにも数時間はかかる。
ところが、目の前の数字はそんなゆるやかさの一切を排除したように素早く切り替わり、その変化に全く時間を要さなかった。この事実は、物の在り様としてはとても異質と言える。
だが、その様子を半日眺め続けた結果、僕の頭の中にはひとつの結論が導き出されていた。
そもそも、物質の変化において中間の姿がないなどということはあり得ない。つまり、この二つの数字の場合も、僕には追いつけないだけで、必ずその合間に何かが存在しているのだ。だが、その合間の要素は限りなく短い時間に押し込められていて、普通の人間や妖怪には感知することができない。僕はこれを、変化前と変化後の二つの姿の境界を強調するための作為であると考える。
なぜなら、ある時刻と、その次の時刻との境界をはっきりさせることは、時計という道具がもつ重要な役割だからである。
じっとしていれば決して暑くはない店の中にいながら、額に汗がにじむのを感じる。平時より、自分の両手が暖かい。
正直に言って、僕はこの数時間ずっと興奮していた。
理由は机の上に置かれた銀色の箱だ。窓越しに差し込む光に照らされ、その箱はしっかりと時を刻み続けている。
ソーラー式のデジタル時計。
今朝の無縁塚における、最大の収穫だった。
夏至まであと一月、という時節になると、もう朝晩に寒い思いをすることはなくなってくる。だがその快適な時間帯を眠りに費やせるかと言うと、残念なことにそうもいかない。この地の最高神たる龍神は、朝晩の過ごしやすさだけに飽き足らず、昼の蒸し暑さもまた律義にもたらしてくれるからである。単純な話、昼間は暑い。
そのため、体を動かすのは日が高くなる前か、日が傾いた後か、そのどちらかに限られてくる。今日僕が選んだのは、そのうちの前者だった。そうして、朝らしく、いつも以上に静かで息吹の薄い無縁塚で見つけたのが、ここにあるデジタル時計というわけなのだ。
幸運なことに、この時計は太陽の光を使って動くソーラー式という方式の時計だった。
太陽に依存する時計、と言えば日時計があるが、外の世界の技術で作られたこの時計は、たとえ太陽との位置関係が変わっても、動作に支障をきたすことがない。それはこの時計が、幻想郷では極めて珍しい、完全に動作する外の世界の道具であることを意味していた。もちろん非売品である。
左端の桁の変化が六回を数えたのを見届けた頃、ふと、このデジタル時計の有効な使い方を思いついた。
見たところ、このデジタル時計はほぼ確実に一定の時間を刻むことができるようである。このことは、直したつもりになっているいくつかの古い時計が本当に正しく動くかということを確認するのにちょうど良い。
僕は部屋の反対側にある棚に向かい、以前直したはずの時計を二つ、手に取った。表面には薄くほこりが積もっていて、指先がかすかにめり込んだ。しばらく掃除をさぼっていたな、という事実を認識させられる。
僕は、机に戻ってゼンマイを巻き始めた。複雑に編まれた歯車や輪軸を通して、回転が遡っていく。ただし、その遡上は必ず途中で妨げられる。それは、ゼンマイを巻くということが時計にとって平時と逆の動作であり、針まで逆向きに回すことは時計自体を傷めることになるからだ。まあもっとも針が逆に回ったからといって、時間が戻る心配は決してないが。
その時だった。
カラカラカラン。
「ちょっと、どなたかいらっしゃらないかしら?」
「いらっしゃいませ」
「あら、ここは道具屋さん?随分いろんな物があるわね」
見慣れない客だ。いや、話しぶりからすると客ではない可能性が高いか。
霊夢とは違う雰囲気の紅白衣装を身にまとい、ドアに片手をかけたままこちらを眺めまわしている。人間なら二十そこそこと思われる容姿だが、訝しげな表情からは、彼女がこの店の常連よりも数段落ち着いていることが窺われた。
「おっしゃる通り、この店は道具屋ですよ。何かお探しの道具があればご相談に乗りますが」
「いえ、私は道具が欲しいわけじゃないのだけれど……それにしてもこのお店、品揃えが独特なのね。古そうな壺、古い本、古いランプ。あら、この鉛筆削りはもう少し新しいものかしら。すごく古い物からちょっと古い物まで、まるで大学の資料館みたいだわ」
残念ながら客ではなかった。だが、道具を見る目は持っているようだ。ならば香霖堂の品揃えの魅力を押し出せば客に変わってくれるかもしれない。僕はゼンマイを巻く手を止めた。
「今貴方が覗いている棚は、主に玩具を集めた棚なんですよ。例えば正面にある自動車の模型。良く出来ているでしょう。しかも中にはちゃんと道を走るための仕組みが入っています。手にとって選んでも一向に構いませんから、是非いかがですか」
「自動車の模型、ってこれ?名前は……ええと、確かスロットカーとか言ったかしらね。それなら車だけあっても走るわけがないわよ。それよりこのクマの人形、ブリキ製じゃない」
「…あら、ほこり被ってる。うん、やっぱり、脈絡のない品揃えといい、掃除してない品物といい、本当に大学付属の資料館みたいだわ。そういう施設って、得てして若いころからあんまり目立たなかった年配の男性教授が就かされて、毎日少ない来客に蘊蓄を語っている閑職っていうイメージがあるんだけれど、ここはどうなのかしらね。一応、店主さんはまだ若いってところが違うのかしら」
「まあ、僕は教壇に立ったことはないけどね」
彼女の独り言だろうが、内容に少しむっとした僕は訂正を願い出ておいた。実際には若くもないのだが、これを言うとさっきの発言がより的を射たものになってしまうので黙っておくことにする。
それよりも、今は商品の推薦が先だ。僕は席を立ち、壁際に置いていた商品に手をのせた。
「この商品はお薦めですよ。名前はテレックス。紙を使わずに想いを送る道具です。あいにくこの店にはそんな便りは一通も来たことはないのですが」
「あら、今更電信を売りつけようとするなんて、冗談で言っているのかしら?大体そんなふうに置いといたって何の役にも立たないわよ」
「それより、その机の上にあるのは和時計ね。動いているところを見ると、良く手入れがされているのね」
「あ、あぁ、一度分解して、修理しているからね」
僕は少し驚いて、机を振り返った。彼女が見つめる先では、先程まで僕がゼンマイを巻いていた時計、二丁天符式の自鳴鐘が時を刻み始めていた。
それにしても、この自鳴鐘は香霖堂の商品の中でも比較的古いものである。その名前を容易に言い当てられる人間は、幻想郷にも決して多くない。僕は少しだけ、この来客への認識を良い方向に改めた。
「うんうん、その口調の方が良いわ。どうせ私はお客じゃないんだもの」
「でもこの和時計は面白いわね。筐体の調金細工といい、針に描かれた装飾といい、本当に手が込んでいるわ。これを作った人はよほど時間が有り余っていたのかしら」
彼女は机の近くの段差に腰掛けると、乗り出すように時計を見つめて言った。
「良く見ているね。確かにこの手の古い道具は今では考えられないほど手がかかっている。だがこの時計を作ったのは、暇を持て余した人間ではないよ。人間よりもっと暇を持て余している存在、妖怪さ」
彼女は眉をひそめたが、僕は気づかないふりをして話を進めた。
「そもそも時計は、何のために作られた道具かわかるかい?」
「それは…時間を操るためさ」
時計という道具がいつから作られるようになったかは知らないが、間違いなく言えることは、時計が無い大昔においても人々は生活出来ていたということである。つまり、古代の人間にどうしようもなく時計を欲する理由があったとは考えにくい。
だが今では、時計が無いと人々の生活は成り立たないとまで言われている。このギャップが意味するものは何なのか。そう考えた時、最も理にかなっているのが、時計を使って時間を操ろうとする、何らかの意志の存在なのである。
「時間を操るということは、人間を操るということに等しいからね」
そう、時計を作るという行為は、人間を時間によって支配するのと同義なのだ。なぜなら、人間だけが時間に対して強い感受性をもつからである。これは人間が短命であることに起因すると言って間違いないだろう。
一方妖怪はというと、彼らは人間より遥かに長命である。それゆえ、妖怪における時間の概念は極めて希薄であり、結果的に時計による支配も受けない。おそらく、時計を作った妖怪というのは、人間だけに効果のある妖術、のような感覚で時間を操ったのだろう。結果的には彼らの思った通り、人間は時間に追われ、必死に時間に抗おうとする、時間に支配された生活をするようになった。
「人間を操ろうと思ったら、まずは人間達の生活に普及させることを考えなければならない。そのために最も早道なのは、土地の指導者層に時計を使わせることだ。この時計、正式には二丁天符式自鳴鐘というんだが、これが大名時計という別名を持っているのはそのためだよ」
「あのねえ。全っ然、違うわよ!」
突然、彼女が真っ向から反対を表明した。
「まったく、これがちゆりだったらその辺の壺で殴ってるところよ」
やめてくれ。僕は荒事が得意じゃないんだ。
「話が飛躍しすぎて言ってる事を理解するのが大変なんだけれど、とにかく、あなたの言ってる事はおかしいわ。いい?まず和時計が大名時計と呼ばれるのは、当時の庶民には高価過ぎて、結果的に大名達にしか売れなかったからよ。それにあなたは、時計が時間を通して人間を支配したと言ってるけれどそうじゃないわ。事実は逆で、人々が使っていた時間の概念に合わせて時計が作られたの。だから天符が二つもあって、昼と夜の長さが変えられるんでしょう?」
確かに、彼女の言っていることは、知識としては間違っていない。
目の前の金属の箱には丁の字型の部品が二本突き立てられている。これが天符というもので、それぞれの丁の字の両腕には腕輪のようなおもりが嵌めてある。自鳴鐘ではこのおもりの位置が針の速さを決めているのだが、天符が二つある二丁天符式自鳴鐘では、二つの天符が別々に昼の時刻と夜の時刻を司っているのである。つまり、昼を伸ばして夜を縮めたり、昼を縮めて夜を伸ばしたり、ということが自由に出来てしまうのだ。
だが、彼女の意見はこの事実をどこか他人事として捉えている節があった。自分なりに考察をしている点には好感が持てるが、構成が消極的だ。
「君の意見も一理あるが、証拠があるのは僕の方だよ。見てみるといい。この複雑怪奇な構造が、まさに妖怪が作ったという証拠さ」
僕は時計の一部分、龍が描かれた扉を開けて、中の仕組みを彼女に見せた。
「どうだい、とても普通の人間には理解出来ないような代物だろう。だからその昔、これがまだ立派に使われていた頃には、こういう時計を専門に扱う仕事があったのさ。彼らは時計師と呼ばれ、その人数はごくわずかだった。彼らは持ち場にしている城や名家で、時計の調整と修理を一手に引き受けていた。その彼らこそ、暇を持て余している妖怪だったのだと、僕は思っている。なぜなら、これほど複雑な仕組みを壊さずにいじることが出来るのは、作った本人達しかいないからね」
二つある天符は、それぞれが昼と夜を司っていると同時に、人間と妖怪、それぞれの象徴でもある。昼を長くすれば人間が優勢、夜を長くすれば妖怪が優勢。そんな大事なことを勝手に決めていたのが、時計師として暮らす妖怪達だったのだ。時間を文字盤で表現するなら、彼らの存在はまさしくその中心である。残念なことに僕は彼らと触れ合ったことがあるわけではないが、この認識で大きく的を外すことはないだろう。
博識な話し相手は、机の端に片肘をつきながら、赤みの強い髪をいじっていた。白い袖に隠れて表情は判然としないが、どことなく呆れられている気配を感じる。
「ああもう、素敵だわ。素敵。私も仕事柄結構沢山の人から話を聞くし、人の話はちゃんと聞くようにはしているけれど、こんなに脈絡のない論理は初めてよ。あなたの言っていることって、私のものさしでは全然測れないじゃない」
「あ。でも私が魔力について発表した時も、聞いてる連中はこんな感じだったのかもしれないわね。素敵だと思ったかは別にして」
魔力、という単語が聞こえた気がしたが、幻想郷の住人にとってはそう珍しいものではない。一応、自鳴鐘についての説明は果たしたと思ったので、僕は手入れを再開した。あとは、そうそう、
「そうだわ、あなたの名前を聞いてなかったわね。私の名前は岡崎夢美。このお店に寄ったのは、実験途中で通りがかったからよ」
ちょうど相手も同じことを考えていたようだった。それにしても実験途中だったとは、彼女も魔理沙達と同じ魔法使いなのだろうか。
「ああ、お互い自己紹介が遅れていたようだ。この店は香霖堂。僕はここで店主をしている森近霖之助という」
一呼吸置いてから部屋を見渡すと、もう窓の外は暗くなり始めていた。客ではないという夢美だが、それにしては長居ではないだろうか。僕は手元のデジタル時計に目を遣った。
数字は、6、3、2と並んでおり、それに続けてP、Mというアルファベットが表示されている。
「ところで、もう午後の六時半を過ぎているんだが、実験に戻らなくていいのかい」
「問題ないわ。これも実験の一部。私の時間間隔がそこの時計と合っていれば、あと七時間半もすればちゆりが迎えに来るはずよ。それより、和時計の隣にあるのは結構新しいデジタル時計じゃない。やっぱりこのお店の商品には一貫性が無いわね」
彼女の告げた帰る時刻というのは、思いの外先だった。あと七時間半、と言えば午前二時である。ちゆりと呼ばれている人物も、わざわざそんな夜中に出歩かなければならないなんてご苦労なことだ。まあ、あと七時間以上も居座るというのに遠慮のかけらも見せない人物を前にしているのだから、僕もなかなかご苦労なことになっているのだが。
「そうだわ、折角だし、あなたのその飛躍の激しい思考でそのデジタル時計について説明してくれないかしら。どうせまだ時間はあるのだし」
言われて、僕は改めてデジタル時計を見つめなおした。こうしている間にも、文字盤の上では黒い点が二つ点滅している。そう、確かこれはコロンと呼ぶのだ。以前、国語辞典と称する分厚い本で読んだことがあった。
更に数秒の沈黙が流れ、右端の数字が、例によって捉えきれない速さで変化した。数字が、6、3、9という並びに変わった。
「見ての通り、これはデジタル時計だ。ちなみに売り物ではないよ」
「さて、この店には別の時計、自鳴鐘もある。この二つは共に時計であって、用途は時を刻むものではあるが、僕としては完全に同じものであるとは到底言えないね」
実際のところ僕は動作しているデジタル時計を見るのは今日が初めてだが、両者の違いはほぼ把握できている。
「二つの違いは……そうだな、例えばこの文字盤だろう。デジタル時計のほうは長方形をしていて、そこに数字や文字が表示されるようになっている。一方自鳴鐘のほうは時刻の書かれた円形の上を針が走る仕組みだ。これらは、その見かけからして大きく違う」
「だが僕が思うに、この二つの時計の最大の違いは、時刻の伝え方だね」
夢美は、興味があるともないとも判じ難い表情で、二つの時計を見つめている。ややあってその赤い瞳がこちらを向いたので、僕は話を再開した。
「人妖問わず、知恵のある者は易きに流れる。このデジタル時計では、その新しさゆえに、古い自鳴鐘とは時刻を伝える方法が大幅に変わってしまっているのさ。もちろん僕達には、より努力を求めない方向に」
「例えば僕が今の時刻を知りたいとする。その時もし、机の上にあるのが自鳴鐘だった場合、僕はその丸い文字盤を見るだろう。だが見るだけではだめなんだ。見て分かるのは文字盤の上にある針の位置でしかない。僕が時刻を知るためには、その針の位置が何時に対応しているか、それを針の周りの文字から翻訳することが必要なんだよ。これはいわば定規で長さを測るのと同じだ。自鳴鐘は僕に、文字盤と言う目盛を使って針の位置を計測させる努力を求める」
無論、僕がその作業を面倒だと思うことはない。なぜなら、長年の生活の中で、時計を見たら特に意識せずとも計測を行えるようになっているからだ。壁に掛かっている柱時計も、どこぞのメイドが使っている懐中時計も、みな作法は同じである。
「しかしデジタル時計は違うね。この時計は時刻を数字で直接示してくれる。僕は文字盤を使って計測する必要がない。この小さな箱の中に、自鳴鐘のような時を刻むだけの道具とその針の位置を時刻という数字に翻訳してくれる道具が同居しているのさ。だから、デジタル時計というのは人妖に努力を求めなくなった。ある意味では怠惰を招いた存在と言える」
これは紛れもない事実である。昼間ずっと使い続けて分かったことだが、明らかにデジタル時計はその使用にあたって頭を使わない。もしこの時計が大量に幻想郷に流入することがあれば、人里の時計は皆デジタル時計に置き換わってしまうのではないか、と思えるほどの便利さだ。単純に考えれば極めて危険であり、せいぜいこの店の中だけで使うべき道具であると言える。
だが僕はデジタル時計について、人妖を堕落させる以外の、より深遠な効果も持っていると考えている。
「今言ったように、確かにこのデジタル時計は人妖の能力を退化させかねない。だが僕は別の、デジタル時計の真の使い方を見つけたことによって、人妖はその退化を止め、新しい考察を得られるのではないか、と思うようになった」
それは、僕がこの時計を持ち帰ってきてから二時間ほど経ったときのことだ。
「分かっていると思うが、この文字盤には三つないし四つの数字が並ぶ。もちろんそれらはいい加減に並ぶわけではなくて、ちゃんと時刻に従って並ぶわけだが、そこで君は何か気付かないかい?」
「あら。そうねぇ、単純に数字の並びと見るのならば、数列?」
「そうさ。ここに並ぶのは数字。そして、本来数字にはその一つ一つに意味がある。そして、それがいくつか並んだ場合には、そこに極めて高度な意味を込めることが出来るんだよ。曰くありげな言い方をすれば、魔方陣の一部、あるいは魔法そのものや、暗号のようなものにだってなりうる」
「だからデジタル時計の文字盤というのは、僕達に何も考えさせないように見えて、実際は遥かに複雑な意図を表していると言えるね。本当はデジタル時計を使うときこそ、その文字盤の数列が示す本当の意味を考えなくてはいけない、思考を働かせなくてはいけないんだ」
このことに気付いたのは、たまたま見遣った瞬間に文字盤に1が四つ並んでいたのがきっかけだった。はじめは面白い偶然だと思ったが、考えてみればそれはただ面白いだけの出来事ではない。
例えばこの十一時十一分の例は、一日にたった二度しか起こらないのである。その瞬間に居合わせ、更に文字盤を見つめていることなど、余程何かの理由、縁のようなものがなければ不可能だろう。そんな場面に出会ったら、僕達はなぜその瞬間に至ったかを真剣に考えるべきなのだ。
また、考察は、現れる数字にどんな意味が隠されているかということだけにとどまらない。人妖は、主体的に数字に意味を与えることが出来るのである。それは、デジタル時計が、持ち主の意志を時刻の数だけ所持する魔道書のような存在になることを意味している。そうしてたくさんの想いを込められたデジタル時計が、やがて確固たる自我を有することだってあるだろう。時計は毎日、何度も目を向けられる道具であるから付喪神となる可能性は高い。やはり、このデジタル時計を人里に普及させるわけにはいかないだろう。
「こんなところで、デジタル時計と自鳴鐘との違いは理解できたかな」
「ええもぉ、素晴らしくサッパリだったわ」
僕としては、いつもより詳しく説明したつもりだったのだが。まだまだ話術には向上の余地があるようだ。
「でも面白かったわよ。まるで自分の思考を中心に世界が回っていると誤解してるんじゃないか、と思わせる勝手な理屈とか。やっぱり刺激というのは受けてみるものね」
どうやら彼女は彼女で、思うところがあったようである。
「ほら、八時ちょうど。こんな時に8、0、0になるのは、やっぱりあなたが嘘八百吐きまくったからじゃないかしら」
夢美はデジタル時計を指差して笑いだした。
僕としては嘘を言ったつもりではなかったのだが、決して悪い気分ではなかった。強いて憂慮すべきことと言えば、このデジタル時計が早々に付喪神にならないかという、そのことだけである。
時刻は既に、午前一時を回っている。
世界は、来たるべき日の出に備えて暗闇を蓄えているが、部屋の中には、まだ夜明けの気配はない。それは店の内と外を隔てる透明な結界のせいである。暗闇を背にして鏡となった窓ガラスは部屋の灯りを倍増させ、昼よりも明るい空間を創り出していた。
そんな夜の明るさの中で、僕と夢美は、思うままに会話を続けている。
幸いにして、僕は食事も睡眠も、特別必要な体ではない。一方の夢美も食事抜きや徹夜は慣れているとかで、僕達は彼女の来訪から数時間、ずっと話し続けていたのである。話の内容は、主に道具と、それを扱う技術についてだ。
驚いたことに、彼女はこの世界の住人ではなく、可能性空間、と彼女が呼ぶ別の世界から来たのだという。道理で外の世界の道具に詳しいわけだ、と感じた僕は、夢美のいる世界の道具の現状について教えてもらった。
曰く、彼女の世界では力というものが全て統一的な原理に基づくものだと信じられているのだそうだ。もちろん道具も、その原理に則って作られ、精巧な道具に満ち溢れた生活はとても便利になのだと言っていた。だが、そんな世界の大学で比較物理学という学問を研究する夢美は、研究の中でどうしても統一的な原理で説明できない力があることを確信してしまったらしい。彼女としては考察に考察を重ねた上での結論だったのだろうが、その理論、魔力の存在という説は学会でにべもなく却下されてしまったそうである。このあたり、何やら当事者意識が芽生えたが、まあ気にしないのが得策だろう。かくして彼女は、自ら作った可能性空間移動船という船に乗って様々な世界を巡り、魔力に関するデータを集めているのだと言っていた。
実験の結果が気になった僕は、それとなく聞いてみた。
「えぇ、もちろん私が直々に出張っているのだもの。上手くいかないはずがないわ。魔力に関するデータも結構取れているんだから」
「ただね、実験データというのは、その時その時は一期一会だと思って満足いくまで取ったつもりでも、後から考えてみると不十分だったり、もうちょっと集めておけばもっといい考察ができたんじゃないかなんて思ったりするものなのよ。だからまだ、私の世界では魔力は証明されていないわ。残念だけど」
現状では、そういうことであるらしかった。
僕は、昼に二つ取り出してきていた自鳴鐘のうち、これまで触れていなかったもう一つのほうのゼンマイを巻いた。
かちゃり、という音がして、自鳴鐘に力が蓄えられたことを知る。僕はそれを、そっと、今までの自鳴鐘の隣に置いた。
夢美の目が四つの天符に注がれる。
「あれ、こっちの和時計、壊れてるんじゃないの。天符が二つとも、同時に動いているわよ」
そう、新しく置いた自鳴鐘は、昼担当の天符と夜担当の天符とが同時に動くようになっている。段違いに配置された二つの天符はぶつかり合うことなく、一定のリズムでそれぞれの両腕を振っている。僕は、夢美を促し、自鳴鐘を上から覗きこませた。
「いいや、この自鳴鐘は壊れているわけじゃない。そうやって見下ろすと、人間を表す天符と妖怪を表す天符とが、互いに交わったり、離れたりしているのが分かるだろう。それは今の、この幻想郷の姿そのものだよ」
「かつて人間の世界の中心は、人間ではない時計師達が作った時計だった。だが、この幻想郷は人間と妖怪が対等に近い関係で暮らす世界。つまり、この世界の中心になる時計は、人間と妖怪、そのどちらでもない者から生み出されなければならないんだ」
僕は席を立った。
「実を言うと、僕は人間とも妖怪とも違う存在でね。もっとも、一から作るのは骨が折れるから古い自鳴鐘を改造しただけなのだけれど」
彼女は、訝しげに僕に視点を移した。
「ねぇ、もしかしてこの世界には、本当に妖怪がいるの?さっきから嘘ばかり言ってると思ってたけど、嘘にしては随分手が込んでいるじゃない?ひょっとして」
「静かに。もうすぐ自鳴鐘の鐘が鳴る時刻だ」
僕は、何か言おうとした夢美を制して鐘の音を待った。
チリ…ジリリリリリリン…
「さて、今鳴った鐘だが、その音が強くなりすぎず、また弱くなりすぎもしないのはここにある羽根が上手くバランスをとっているからさ。部品の名前は調速器というんだが、まあさしずめ、この幻想郷で言うところの霊夢のようなものだろうね」
「今、霊夢って言ったわよね。ねぇ、ひょっとして、霊夢って巫女じゃない?」
「ああ、確かに、霊夢はこの世界の巫女だが」
その途端、彼女の目つきが変わった。振り向いた彼女に胸倉を掴まれ、激しく揺さぶられる。
「ちょっと!!なんでそれを早く言わないのよ!あれだけ一期一会だと思っていた最高の世界に、私は戻ってきていたんじゃないの!あぁもぉ、こんなことなら船を出たあとこんな店に立ち寄らないでもっと探検するべきだったわ!胡散臭い店主と話している時間があったら、森の茸でも採集しているべきだったのよ!大体八時間もあったら、データだって取り放題だったじゃない!」
酷い言われようだが、まずはその手を放して欲しい。そもそも責められたところで僕にはどうすることも出来ないのだ。探求の機会を失ったことを呪っているのには同情するが、僕だって時間を戻すことはできない。
だが、ちょうどその時、文字通りの助け船がやってきた。
「おーーい、ご主人さまぁ?いるんだろー。迎えに来たぜー」
「ちゆり?あぁもう、こんなときに時間通りに来なくたっていいのに」
「ご主人さまいないのかぁ。あ?それとも、もしかして捕まってたりするのか?」
いや、逆だ。
ガタンという音と共に入ってきた助け船の船員は、案の定物騒な道具を携えていた。
「おい、これは小さくても最強の、ってなんだい。ご主人さまのほうが暴漢をとっちめてるじゃないか。心配して損したぜ」
わかったらそのおかしな武器をこちらに向けないでくれ。大体どうしたらこの現状で僕が暴漢に見えるのだろう。僕の背中なんて、もう柱に詰まっているじゃないか。
「あらちゆり、折角だからもっと座標設定に時間がかかっても良かったのよ?」
「そんなこと言われたって、この時間に迎えに来るように言ったのはご主人さまだぜ」
「どうでもいいが、まず僕を放してくれないか。迎えの船が来たらそれで帰らなくてはいけないんだろう?」
「……まぁ、そうね。店主は打ち出の小槌じゃないものね。あぁでも、やっぱり悔しぃわぁ~」
ちゆりという少女と僕の二人分の視線を浴びて、夢美はようやく僕を解放した。一息ついてみるが、その間にもまだ夢美は地団太を踏んでいる。だが、話の内容は次第に前向きな探求者のそれに変わってきていた。
「ねぇちょっと、ちゆり。ちゃんとこの世界の座標は記録したんでしょうね。もしこの世界に来られるのが今日が最後だったりしたら後で半年くらい研究室に缶詰にするわよ」
「はいはいしたぜしたぜ。それにもとはと言えばご主人さまが気分で実験を始めるからじゃ」
「それはあなたが私の実験に立ち会わなかったのがいけないの」
「あ、それと、さっきはああ言ったけど、あなたの話のお陰で研究の新しいインスピレーションが湧いたわ。恩に着るわよ」
夢美は、自分の助手に引きずられるようにして店を出て行った。扉を閉める音に紛れて後半は聞き取れなかったが、まあきっと、あの調子なら次の実験のことでも話していたのだろう。
二人が出て行った後、しばらくして不自然な光が辺りを照らした。暗闇を破る明るさに、僕は思わず身構えてしまう。
「今度こそまた来るわよ幻想郷!もう絶対、一期一会なんて言わせないんだからね!!!」
外からは夢美の声がして、それきり世界は暗闇を取り戻した。その変化があまりにも一瞬だったため、僕は思わず、デジタル時計に目を遣った。
文字盤の表示は、1、5、1、A、M。
「いち、ご、いち、え、か」
正直に言って、最後こそ散々な目に遭いはしたが概ね彼女は好ましい人間だったと思う。
そもそも、好奇心と考察を尊ぶ人間に悪い者はいないのだ。それを僕は、身近にいる人間達を通して身をもって知っている。それに彼女には、僕に勝るとも劣らぬ豊富な知識がある。そこに僕が与えた考察が加われば、魔力を実証することなどそう遠い未来の話でもないはずだ。時間に追われ、時間に抗う人間が挑戦するのだからなおさらである。
僕はどこか遠くの世界で探求に励む同志を思い浮かべながら、デジタル時計に向けてささやかにその成功を願った。
「ほら、もう一期一会ではないのだから、ね」
既に文字盤は、午前一時五十二分を伝えていた。
さて、一日のうち、長針と短針が出会う回数は果たして何回でしょうか?
いいね、こういうのは。
一期一会の使い方も自然すぎてすげえ。
だが霖之助との雑談には俺も混ぜてもらおうか
〆がとてもよかったです。
この二人の会話に混ざりたいぜ
≫2
22回
二人のキャラ(特に霖之助)がよく出ている素晴らしい話でした!
面白い考察でした。出会う時間の意味、人間を操る、幻想郷の時計。
もっとふたりの論戦?を読んでみたいっすなw
会話文で?となる部分もありましたが、作品の魅力さに引き込まれました。
霖之助の突飛な思考と夢美の反応がくすりとしながらも、
どこかで納得してしまう所があり、実に愉快でした。
一期一会か、なるほどねぇ。
こういう話は好みですねー。
霖之助の妄想回路、ありそうでなかった教授との組み合わせや綺麗に纏まったオチなど、どれも楽しませて頂きました。次回作も期待してます。
原作の屈折してるだけど純粋な、霖之助の思考が読めて楽しかったです。
彼には井の中の蛙であり続けてほしいな。
特にあの締め方なんてもう反則でしょう
でも幻想郷の常識に則れば正しい事なの……か……?
なんかいかにもこーりんって感じの不遇っプリや知的っぽさと、
いかにも教授って感じの最後の暴れっぷりが素敵でした。
あ、「」は同じ人のせりふなら区切らないでほしいかな。
でもそんなのも些細に思えるくらい、素敵で美しい構成でした。ありがとう!
理論のぶっ飛び方、まさに東方香霖堂。
〆がもう拍手物なほどに綺麗で鳥肌立ちました。100点じゃ足りない。
教授と店主なら時間さえあれば何時間でもちぐはぐで面白い討論が出来そうです
霖之助に語らせるからこそ理論が飛んでて面白いんだろうけどあえて逆のパターンも見てみたい
会話がそれらしく、引き込まれました。
この解釈は霖之助でないと出来ないし、この反論は夢見でないと出来ないでしょう。
オチも秀逸で、完成度の高い作品でした。
本当に一度でもいいから霖之助の話をずーっと聞いていたい
あと最後の151AMは鳥肌が立ちました
すばらしい作品をありがとう
こじつけもいいところですがなぜか納得