縁側に腰掛ければ、ため息が自然と漏れる。
萃香は足をぷらぷらと遊ばせながら、境内を眺めていた。
そこには博麗の巫女の姿があった。両手に箒を持ち、一定の拍子を刻みながら、ざっざと心地良い音を響かせている。
「ふんふんふーん」
小さな鼻歌混じりに、霊夢。
珍しいこともあるものだと、萃香は思った。今日の巫女は少しご機嫌なのかもしれない。
しかし、それよりも気になることがあった。
(ああ、またそんなに……)
霊夢が箒を動かす仕草を見ながら、萃香は噛み締めるように眉を顰めた。
巫女の衣装は刺激が強すぎるのではないか。霊夢が少し動くたびに、萃香の視線は吸い寄せられるが如く、そこを見てしまうのだ。
うぐぐ、と歯を噛み締める。けしからん。実にけしからん。
伊吹の鬼は古い妖怪である。年を経た世代に、今時のキャピキャピした衣装は沿わないものだ。淑女たるものもっと清楚な衣装を身に着けるべきである。まして神に仕える神職者であるのなら尚更。
自身の衣装を棚に上げて、伊吹の鬼は憤慨していた。
(駄目だ駄目だ。箒を動かすたびにちらちらと。目に良くないじゃないか。でも何度言っても、霊夢は私の言うこと聞かないしな……)
そんな破廉恥な衣装は控えるべきだと告げても、霊夢は聞く耳を持とうとしない。
だが巫女だって、年を経ればきっと後悔する筈だ。わたしはなんてものを着ていたんだろうと。それは多くの若者が経験すべきことなのだけど。
萃香としては、その後悔を少しでも和らげてあげたいという老婆心があった。偶に勢い余って、地底に連れて帰ろうと鎖を取り出したりもするけれど。
そう考えていたところで、萃香の脳裏にひらめくものがあった。
(そうだ! 私が言うのが間違いなんだ。若者ってのは年配の言葉を否定したがるからね。自分で自分を省みない限りは、反省しようとしない)
ぽんっと両手を打って、うなずく。
内省無き者に、どんな言葉も届きはしない。
あのぶっきらぼうの霊夢から「やだこんな服恥かしい」との言葉を引き出すには、どうすればいいのか。こんな衣装を着ていたんだと、後悔させるには何をすべきなのか。
後悔が先に立たないならば、後に立たせればいい。力の使い方次第で、自分ならばそれは可能だろう。
「よしっ」
萃香は立ち上がった。
脳裏にある考えを実行に移すには、それなりの時間を要する。
だがその前にと、萃香は居間に戻って紙と書くもの探した。とりあえず、霊夢に書置きを残しておくべきだろう。
すらすらと筆を走らせながら、思う。
(霊夢には少しかわいそうだけど、仕方ない。元々はといえば、あんな破廉恥な衣装で妖怪をたぶらかす霊夢が悪いんだ)
などと胸中でつぶやいて、書き上げる。
境内を見やれば、巫女は未だ小さな鼻歌を唄いながら竹箒を動かしている。
その姿を最後に一目見て、伊吹の鬼は霧散した。
「あれ?」
境内の掃除を終えて縁側に戻れば、小鬼の姿が消えていた。
霊夢はきょろきょろと辺りを見回したが、姿は見受けられない。
「萃香ー、何処に居るの?」
声を響かせるも、返ってくるのは神社の無機質な気配だけだ。
霧散して霧になっているのかと思ったが、あの独特の気配も消えている。つまりは居ないということなのだろう。
「掃除が長引いたから、帰っちゃったのかしら……」
頬をかいて、ぼんやりとつぶやく。
だとしたら、少し悪いことをしたかもしれない。妖怪は気長な性格をしているので、普段と変わらぬ拍子で掃除をしていたのだ。
ふと。霊夢は縁側に紙切れを見つけて、それを取り上げた。萃香の残したものだろうか?
「なにこれ。『脇開きて我が堪忍袋の緒切れたり。世のため妖怪のため、霊夢は反省すべき也』……」
読み上げる。
しばし沈黙して――
なんだこれと、霊夢は口に出した。数回目を通しても、やはり意味が判らない。
この書置きを残して、あの小鬼は自分に何を訴えたかったというのか。何をどう反省すればいいのか。
考えてみるも、妖怪というのは得てして人間の理解を越えた存在だ。深く考えたところで、意味は無いのかもしれない。そもそも、酔っ払いの言葉ほど価値の無いものもないだろう。
「……ま、お茶にしましょ」
ひとりつぶやいて、霊夢はその紙切れを捨てた。
翌朝。
目覚めはいつもと同じ調子だった。不快でもなければ快適でもない。つまりは普通だ。
浮上する意識を悟り、目を開ける。布団の中でぐぐっと身体を伸ばして、上半身を起こした。
外を見やれば、僅かに白んでいた。やけに肌寒いが、それも早朝のうちだろう。少し日が昇れば、暖かくなるはずだ。
霊夢は大きな欠伸をした。
「ふあ」
滲んだ涙を拭う。
とりあえず着替えて、外の井戸で顔を洗おう。いつもの日課に従い、身体を起こしたところで違和感に気が付く。
視界が高い。その他もろもろが小さく、部屋に僅かな狭さを覚える。
「んー?」
寝ぼけ眼だったので、気のせいとも思ったが、彼女は自らの感性を大事にしていた。巫女とは勘がものいう職業なのだ。
のっそりと布団を畳みながら、疑問符を浮かべる。なにかおかしい。
着替えに手を伸ばしたところで、気が付く。彼女の着ている寝巻である白一色の衣装。その丈が異様に短い。
怪訝に思い、鏡に自らの姿を映せば、その違和が発覚した。
「な、なによこれ……?」
ぱちぱちと瞬きをしながら、霊夢。
眠気が吹っ飛んだ。鏡の中で唖然とした表情を晒す自分の姿は、紅魔館の従者よりも、山の風祝よりも年上に見えた。少女然とした色が薄い。
何かの間違いかと思い、ぺたぺたと身体と鏡を触るが、やはり鏡に映る人物は同じ事をしている。
それでも戸惑ったのは僅かな時間で、空が明るくなる頃にはこの状況を受け入れていた。幻想郷がすべてを受け入れるように、博麗の巫女もまた同じなのだ。
職業柄、突発的な出来事に慣れているというのもあるだろうが。
(とりあえず、着替えよう)
いつもの衣装を身に着けようと手を出すも、背丈が合わない。
なので、箪笥の引き出しを手当たり次第に開ければ、あるものが見つかる。
霊夢は隠されたように奥底に眠っていたそれを手に持ち、広げた。
「普通の巫女服、あるじゃない……」
愕然とする。
先代のものだろうか。紅白の衣装。もちろん肩から分離しているなんてことも無い。丈は背丈と合っている。
普通の巫女服があるのに、何故自分はあんな斬新なものを着ているのだろう。そもそもあの衣装を最初に手渡してきた人物は、一体誰だったか。
その記憶を手繰り寄せることが出来ず、うーんと唸る。しかしまあいいわと、それを身につけることにした。
しばらくして――
「へぇ。これが普通の巫女服なんだ。冬場はいいかもね、寒くないし」
感慨深くつぶやく。
鏡に映る自分は、どこからどう見ても巫女だった。身体が大きくなっているため、より様になっている。わたしが巫女でないのなら、一体なんなのだ。文句があるなら言ってみろと、そう堂々と口に出せるほど巫女然としていた。
霊夢は若干満足げな心地で髪をリボンで括ろうと思ったが、その手を止めた。鏡に映る自分と、普段つけている赤いリボンを見比べる。微妙に似合わない。
(成長するって、こういうことなのかなぁ)
リボンをつけていいのは、きっと少女のうちだけなのだ。霊夢はしんみりと思った。
結局リボンはしまい、髪はそのままにしておくことにした。
身体が大きくなったからといって、やるべき事は普段と変わらない。いろいろと雑事を終え、境内の掃除も終えた霊夢は、お茶を飲みながら縁側で寛いでいた。
(なんというか、動こうって気になれないのよねー)
湯飲みを傾け、のんきに思う。
異変ならば、勘が身体を突き動かすのだ。解決に乗り出さねばならないと。
しかしその衝動は感じない。ならばこれは異変ではないのだろう。解決に乗り出さなくても、日が経てば自然と終わる出来事なのだ。
それにもう、犯人の目星はなんとなくついていた。自らが動かずとも、相手から姿を現すだろう。
(来たわね)
やがて境内に侵入する妖怪の気配を感じ、霊夢は立ち上がった。
境内まで歩いてゆけば、辺りに霧散していた粒子が収束し、形を現す。
「やっほー霊夢。調子は」
軽やかに石畳へと着地した小鬼は、唐突に言葉を切った。
構わず、霊夢は牽制の意味を籠め、びしっとお祓い棒を向けた。
「萃香、あんたの仕業ね。ネタもタネも上がってないけど、わたしの勘が言っているわ!」
「お、おお……?」
告げれば、萃香は戸惑ったような声を上げた。
目をまんまるに見開きながら、訊いて来る。
「れ、霊夢?」
「わざとらしいわね。聞かなくても判るでしょうに」
「おお、おおお」
こちらを見やり、妙な声を出している。狼狽と言ってもいい。
その反応に、霊夢は怪訝に眉を寄せた。自分の勘が外れたとは思えないが、様子がおかしい。
訊ねる。
「あんたじゃないの?」
「あ、いや。私。私だよ。私の所為……」
あっさりと白状してくる。
手鼻をくじかれた心地で、なんなんだと胸中で訝るが。相手が認めても認めなくとも、やること決まっていた。
理由を問いただすか、元に戻る方法を聞きだすか。まあ、どちらも重要とは思えなかった。そう勘が告げている。
なので、霊夢は思いついた言葉を適当に並べた。
「じゃあ選びなさい。ぼこぼこにされて理由を白状するか、素直に白状してぼこぼこにされるか」
淡々とした口調で、問いただすが。
萃香といえば、魂の無い抜け殻のような面持をしていた。
しばし待つも応答が無く、霊夢は胡乱に目を細めた。
「ちょっと、萃香?」
「……」
「萃香ってば!」
「……え、ああ。なんだい?」
声をかければ、瞳に意識が宿る。
こちらと争う素振りも見られず、毒気を抜かれた霊夢はとりあえずお祓い棒を収めた。
軽く腕を組みつつ、咎める口調で言葉を紡ぐ。
「あんたねぇ……。まあいいわ。なんでこんなことしたの。返答次第じゃただじゃおかないわよ。いや、どんな返答でもただじゃおかないけど」
「どうしてかって……? そりゃ霊夢の破廉恥衣装が若気の至りで、ちらちらと妖怪をたぶらかすから、改めさせようと大人にしてもっと破廉恥になれば私はうれしいな……」
「……」
意味が判らなかった。
見やれば、萃香は恍惚として吐息を漏らしている。
その表情を、何処かで見たことがあると霊夢は思った。しばしして、思い当たる。
それは満月の晩、妖怪達が満天の星空を眺めるときに見せる顔。妖怪特有の、狂気と崇拝を孕んだ表情だった。
萃香がうっとりと言ってくる。
「そうか、そういうことか。どうして妖怪が霊夢の元に集まるのか、不思議だったんだ。いや、これも唯のひとつの要素なんだろうけど、ここまでになるとは。まるで本物と遜色が無い。お月さまみたいだ……」
「萃香……?」
虚ろな目で呟きながら、萃香が一歩間合いを詰めてくる。
滲み出る妖気に、霊夢は一歩後ずさりした。
「鬼ごっこ」
唐突に、ぽつりと言ってくる。
「は?」
「鬼ごっこをしようよ、霊夢。もちろん私が鬼だよ。これは譲れない。霊夢は人間だから、捕まる側ね。私に捕まる側」
「ちょっとあんた、いきなりなんなの。お酒の飲みすぎなんじゃないの? ってか、まだ理由を聞いてないわ。さっきのじゃ納得できないわよ。それにこれ、元に戻るんでしょうね?」
自らを指差して、聞くが。
萃香はどことなく投げやりな口調で言ってくる。
「草木の齢を軽く萃めた程度だからね、時間が経つごとに元の持ち主のものとに帰るんじゃないかな。多分」
「多分じゃ困るでしょうが! きっちり保証しなさいよ! それよか今すぐ元に戻せ。出来るんでしょ。出来なかったらしばくわ。出来てもしばく。というか今すぐしばく」
「じゃあ治さない。治す気もないし」
「こら」
「霊夢、鬼ごっこで捕まった人間って、どうなるか知ってる? 鬼になるんだよ」
「んなこと知ってるわよ。わたしは鬼ごっこなんてやらないからね。ひとりでやってなさい」
冷ややかに告げるが。
萃香はそれを無視して、あとを続けてきた。
「そう、鬼に捕まった人間は、鬼になるんだ。そうしたらもう人間には戻れない。例え人間界にもどっても、誰も受け入れるものは居ない。鬼に攫われた人間は、鬼として暮らすしかないんだ。ずっとね……」
「あんた……」
怪訝に眉を顰める。
じゃらじゃらと金属音を鳴らしながら、萃香の両手には鎖が握られていた。
金色の瞳は縦に裂け、妖怪の色に染まっている。僅かに震えるような呼吸音が耳に伝わってくる。
「さあ鬼ごっこだよ、霊夢! 捕まえて攫って、私だけのお月さまにしてあげる!」
発声と共に、萃香は鎖を投げつけてきた。
十分な質量を持った鎖は、小柄な身体が投げたとは思えない速さで向ってくる。
「ちょ、萃香……!」
霊夢は横へ飛んで、その鎖をやり過ごした。しかし鎖は巻きつくように曲がり、こちらを捉えようと動いてくる。その鎖の包囲を再び横へ飛んで逃れる。
霊夢は正面をきつく見据え、口を開いた。
「あんた何して――」
が、小鬼の姿が消えている。
背後。
勘が警鐘を鳴らし、少し遅れて後ろから声が聞こえた。
「つ~かまえた!」
恐らくは霧になり、後ろを取ったのだろう。
両手を大きく広げ、抱きつくような格好で萃香の姿が形を作る。同時に、霊夢は亜空穴により身体を転移させていた。
小鬼の腕は空を切り、素っ頓狂な声を上げる。
「あれ、居ない?」
首を傾げる萃香に、距離を取った霊夢は怒気を籠めて叫んだ
「あんたねぇ、どういうつもりよ。今本気で投げてきたでしょう!」
「本気も本気さ。霊夢が私に捕まるか、それとも攫われるかのどちらかだよ」
「どっちも同じじゃないそれ」
萃香は胸を張った。
小さい身体をそらせ、威厳たっぷりに口を開いてくる。
「私を誰だと思ってるんだい。かつては酒呑童子として京を騒がせ、妖怪の四天王として山に君臨した伊吹の鬼。たかだか人間ひとり攫えなくて鬼が務まるかい」
「いや知らないし、そんなこと」
「ふふふ。本気で人間を攫いたいと思ったのは久しいねぇ。心が躍る。血が騒ぐよ」
じゃらと、再び鎖を構える。
縦に割れた瞳孔が、こちらを射抜くように捉えている。うっすらと輝きを放つ金色の双眸は、標的を見定めたものだ。
それを見取り、霊夢は懐から御札を数枚取り出した。告げる。
「正気を失っているのか酔っ払っているのか判らないけど、人に仇為す妖怪を調伏するのが巫女の仕事よ。あんたをふんじばって、どうしてこんな馬鹿な真似をしでかしたのか吐いて貰うわ。ついでにその瓢箪は没収ね。前々から欲しかったの」
「無理無理。私を倒そうだなんて! 異変のときは手を抜いていたけど、今回は本気でいかせてもらうよ!」
だんっと石畳を踏み込み、萃香の身体が大きくなった。巨体化ではない。ただ距離を一瞬で詰めてきただけだ。
霊夢は後ろに飛んで、詰めてきた距離を伸ばした。が、脈絡も無く、背後の土が音を立てて隆起した。
「え?」
どんっと土壁に背中が当たり、声が漏れる。もちろん萃香の仕業だろう。逃げ道を塞がれたのだ。
小鬼が迫ってくる。
「れ・い・む~!」
むちゅーとそんな感じに唇を突き出して、萃香。
うげ、と霊夢は眉を顰めた。追い払うように、お札をすべて投げつけるが。
萃香は勢いそのまま、部分的に霧になった。お札は身体を貫通したかのように通り過ぎていく。ちょっとしたホラーだ。局所的な攻撃は、この小鬼に有効ではない。
再び亜空穴で逃げるか、構わず攻めるか。刹那の時間中で、霊夢は迷わず後者を選択した。
(部分的な攻撃が駄目なら)
懐から新たなお札を取り出す。それは鬼に対する一種の切り札。
しかし萃香とて、この切り札の存在を認知しているはずだ。それを見越して攻めてきているのを、理解しなければならない。
自分の見通しが甘いのか、それとも萃香の見通しが甘いのか――
霊夢は自らの選択を信じた。お札に霊力を籠め、起こす。萃香との間合いを見極め、地面へと叩きつけた。一瞬の閃光の後、霊夢を基点に正八角形の結界が広域に展開される。
「あれ?」
違和感に、声が漏れた。
結界の範囲が、認知していた距離よりも広過ぎる。博麗神社一帯を、まるごと包み込んでいた。
懸念を置き去りにして、結界が発動する。
「え?」
萃香がきょとんとするのを、霊夢は見た。
と同時。博麗神社から、極光の輝きを放つ霊力の柱が天高く上がった。
「あれええええぇぇぇぇ……」
天界を貫かんばかりの光は雲を突き抜け、小鬼の悲鳴を遥か上空にまで運んでいく。
やがて光の柱が消え、霊夢は空を見上げぽつんと佇んでいた。
「な、なんなの……?」
呆然とつぶやくが。
恐らくは、この身体の所為だ。成長に応じ、威力が増加したのだろう。インフレにも程がある。霊夢は思った。
しばらく気持ちを落ち着けていたが……
とりあえず騒動の原因はやはり萃香で、何故こんな真似をしたのか理由は判らなかったが、ほっとけば元に戻るそうだ。
つまりは最初の勘通りということになる。
「……ま、お茶にしましょ」
えぐれた地面は、戻ってきた小鬼に直させよう。ついでに迷惑料としていろいろふんだくってやればいい。
小さく嘆息して、霊夢は縁側へと足を向けた。
強大な霊力を肌に感じ、意識が浮上する。
八雲紫はすっと目を開け、上半身を起こした。寝起きは常に倦怠感に襲われるが、それは無視しなければならない。
「今のは……」
囁くように言葉を漏らし、こめかみを押さえる。
と――
規則正しい足音が聞こえ、近くで止まる。
「紫様、起きておられますか」
ふすま越しに、式の声が聞こえてくる。
考えるまでもない。十中八九、先程の件だろう。紫は口を開いた。
「ええ、起きているわ。というより、起こされたというべきね。あなたも感じたの?」
「はい。凄まじい力の奔流でした。まさかこの地にまで届くとは。方角から見て、場所は恐らく博麗神社でしょう」
それを伝えに、式はやってきたのだろう。
神社に住む博麗の巫女は、この世界の要因に大きく組み込まれている。その巫女が一大事となれば、幻想郷を管理するものとして動かざるを得ない。
だが先程の霊力。紫には身に覚えがあった。あの独特の雰囲気は間違えようがないが、それにしては様子がおかしい。
「私が見に行くわ。あなたは待機していなさい」
「判りました」
着替えを一瞬で済ませる。
紫はふっと腕を上げた。呼応して空間が割れ、博麗神社へと繋がる道が開かれる。
(まったく、今代の巫女は本当に異変に事欠かないわね)
軽く愚痴を呟いて、境界を跨ぐ。
境内の石畳に足をつける。博麗神社は、彼女の来訪を歓迎するように聳え立っていた。いつぞやのように、神社が倒壊しているなんてことはない。
くるりと、境内を見回す。変化といえば、石畳が地面から隆起していることぐらいか。
(なにかしらね、これは)
要因が思い当たらず、首を傾げるが。
そのほかに異変を見る事は出来ない。視覚的にも、霊的にも。
ともあれ、事情を聞くのなら本人に聞くのが一番手っ取り早く効率も良い。その本人が正常であるならば。
おそらく縁側だろうと当たりをつけて、紫は足を向けた。
予想通り、巫女は居た。
だが予想と外れて、その巫女は彼女が想像していた姿をしていなかった。紫の知る博麗の巫女とは小さい巫女であり、大きくはない。いつもリボンで髪を括っているし、巫女服はあの独特な衣装なのだ。
だが。
(霊夢……?)
その言葉が、脳裏をよぎる。
紫は気配を殺し、その巫女を観察した。
縁側に腰掛けて、のんきにお茶を啜っている様子は霊夢を髣髴とさせる。
しかし纏う雰囲気が大きくかけ離れていた。穏やかでいて、引きつける様な強い引力がある。だが、近づき過ぎてはいけない。それは理性を蝕む何かを孕んでいる。
(なに、これは)
眩暈を覚えた。地震に見舞われたかのように、足元が覚束ない。
揺れ動く感覚の中で、本能が渇望している。あれを手に入れろと。理性が叫んでいる。あれから離れろと。
目の前の人間。
その存在を、紫はよく知っていた。妖怪であるならば知らぬ者は居ない。
あれは月だ。それも満月。
その巫女の放つ雰囲気は、満月の光に限りなく近い。妖怪を狂わせる狂気を内包した、やわらかい光。
ふと、巫女がこちらを見た。気配は完璧に断っていたはずだが。
巫女の黒い瞳と、彼女の金色の瞳が重なる。
「……まあ」
知らず、そんな言葉を漏らしていた。
神社の居間。
「で、あんた何しに来たの?」
「それより、この縄を外して欲しいわ」
そこに転がされた紫は、身体を縄でぐるぐる巻きにされていた。
身動きが取れない。ただの縄ならば容易に引きちぎれるが、神的な加護が施されているのか、どんなに力を込めても外れる気配が無かった。
巫女が半眼で言ってくる。
「いきなり襲ってくる妖怪の手綱を放す馬鹿が居る?」
「あれは管理者としての勤めです。貴方が本当に博麗の巫女であるのか、私は確かめなければならなかった」
「思いっきりわたしの名前呼んでたわよね」
「そういう駆け引きだったのよ。貴方の反応を見ていたに過ぎないわ」
ふーんと、巫女は胡乱な表情をしていた。明らかに疑いを含んだ眼差しだったが。
訊いてくる。
「それでどうなの。あんたから見て、わたしは博麗の巫女なのかしら」
「貴方は博麗霊夢でしょう。ならその人間は博麗神社の巫女に違いありません」
「あら、意外とすんなり通ったわね」
「私は違いの判る女ですからね」
「変わってないけどね」
霊夢の持つ霊力ほど、判りやすいものはない。
ふんわりとして捉えどころが無く、本人の特性をそのまま反映したようなものだ。
普段は心地良い程度でしかない霊力。だが、より強大となった霊力を目の当たりにして、紫はその理由を理解した。霊夢の放つ霊力の波長。それは月の放つ魔力に酷似している。
「ま、いいわ。外してあげる。次飛び掛ってきたら殴るからね。グーで」
凶暴な台詞を吐いて、霊夢が縄を解く。
とても良い匂いが鼻を掠めた。とにかく自由の身となった紫は、ぽんぽんと衣服を叩いて正座をした。
霊夢を正面に見据え、口を開く。
「はじめの質問に答えましょう。私が神社に足を向けたのは、貴方の霊力を感じたからよ」
「ああ、それね。あれはただ悪い妖怪を退治しただけだから、気にするほどのことじゃないわよ。いつものことじゃない」
あっけらかんと言ってくるが。
天地を揺るがさんばかりの出力を出しておいて、気にするなというは無理だろう。
紫は続けて言葉を紡いだ。
「そうして来てみれば、成長した貴方が居た。昨日まではあんなに小さかったのに、人間ってそんな早く大きくなるものなのかしら」
「そんなはずないでしょ。萃香の所為よ。結局問いただしても何言っているのか判らなかったし、でもほっときゃ元に戻るって言うから、まあいいかってお茶を飲んでたのよ」
のんきなものだと、紫は思う。
この巫女は自分がどういった存在になっているのか、理解していないのだ。
それを飲み込んで、騒動の原因の居場所を尋ねる。
「それで、その鬼は何処に? できれば早急に貴方を元に戻したいのだけど」
「さあね、天界にでも昇っていったんじゃないかしら」
「天界。これはまた、面倒な場所に居るわね」
眉を顰めて、紫。
加えて、あの小鬼は霧散してほいほいとそこら中を漂っているため、探すのに骨が折れる。
(まあいいわ。鬼については保留しましょう)
ともあれ今すべき事は、この霊夢を匿うことだ。
おそらくあの強大な霊力の柱を見て、お祭り好きの妖怪が博麗神社にやってくるだろう。
今の霊夢は満月が服を着て歩いているような状態だ。この至近距離。満月の晩でも理性を保つことのできる彼女でさえ、目が合った瞬間我を見失ったのだ。並の妖怪が霊夢の姿を見てどうなるかは、火を見るより明らか。
おそらく霊夢が退治した妖怪というのも、その被害を被ったのだろう。
紫はすっと腰をあげた。
「霊夢、立ちなさい。今の貴方はここにいてはいけない。元の姿に戻るまで、一時的にマヨヒガで身柄を預かります」
「は? どうしてよ。わたしが神社から居なくなったら困るじゃない」
「いいえ、むしろ居たほうが困るわ。どちらにしろ参拝客は来ないでしょう。荷物を纏めなさい。すぐに発つわよ」
「ちょっとちょっと、いきなり言われても困るわよ。せめて理由ぐらい教えなさいよね」
「今の貴方は、本来あるべき姿ではない。理由はそれだけで足りますわ」
真実を告げたとして、それを霊夢に悪用されては困る。まあ、この巫女がそんなことをするとは思えないが。
それでも霊夢がここに残った場合、妖精・妖怪・悪霊の魑魅魍魎が蝋燭の火に惹かれる蛾のようにやってくるだろう。そして博麗神社では血みどろの争いが繰り広げられることになる。それは避けなければならない。
霊夢はかなり渋っていたようだが、最終的に頷いた。勘の良い巫女だ。紫の雰囲気から、何かを察したのかもしれない。
もとより手持ちのものが少ない霊夢は、すぐに荷物を纏め上げた。
「さあ、行くわよ」
「あーあ、なんか面倒なことになってきたわね。そんな気がするわ」
何処と無く気落ちした様子で、霊夢。
紫は霊夢を見やった。立ち上がった巫女は、彼女の背丈と大して変わらない。若干霊夢のほうが低いぐらいか。
くいくいと手をこまねいて、巫女を引き寄せる。
「霊夢、私に寄りなさい」
「はいはい」
「もっと、顔を見せて」
「?」
疑問符を浮かべつつ、素直に従う巫女。
霊夢が見上げてくる。黒い瞳に、紫の姿が映し出される。くらっときたが、踏みとどまる。
彼女はその頬にそっと触れ、つぶやいた。
「綺麗になったわね、霊夢……」
「はあ……?」
「いえ、判っているのよ。この姿はまやかしで、現の夢でしかないと。でも今の貴方の姿を見ると、ちょっと涙腺が。年を取るって嫌ね」
告げて、霊夢の存在を確かめるように抱きしめる。
いろいろと気にかけている幼い巫女も、いつかは年を経るものなのだ。人と妖怪は過ごす時間は同じでも、生きる時間は違う。ずっと昔から悟っていたことでも、感慨深いものがあった。
途端ごちんと殴られ、紫は声をあげた。
「い、痛いっ。なにするの!」
「次は殴るって言ったじゃない。グーで」
淡々とした様子で、巫女。
酷い。紫は思ったが、霊夢が先を促してくる。
「とっととしなさいよ。急いでるんじゃないの。知らないけど」
「そうね。こんなことをしている場合じゃなかったわ。急ぎましょう」
ふっと腕を上げる。
空間が裂け、マヨヒガへと繋がる道が出来る。その境界を潜りぬけた。
マヨヒガにたどり着いて屋敷の中に入れば、とっとっとと、規則正しい足音が聞こえてきた。
式である藍が現れて、声をかけてくる。
「紫様、お帰りですか」
「ええ、すこし妙な事態になっているけど、とりあえず被害は最小限に抑えられそうね」
「そうですか、それは喜ばしいことです。おや、そちらの方は」
ほっと息をついて、首を傾げる。
紫はいつでも式を取り押さえられるよう警戒態勢を敷きながら、巫女を紹介する。
「霊夢よ。訳あって成長しているけどね。詳しい事情は後々説明するわ。元の姿に戻るまで、この娘はここで預かることになったのよ」
「えーと、ひさしぶり。よろしくでいいのかしら?」
藍の息を呑む音が、はっきりと聞こえた。見開いた目には、理性の揺らぎが見て取れる。
それが振り切れる前に、紫は式の目を覚ますよう口を開いた。
「藍」
告げれば、式ははっとしたような面持ちをした。
少しだけ動揺を漂わせながらも、理性ある口調で言ってくる。
「あ、はい。なるほど、何故霊夢が成長しているのか理由は判りませんが、どうして預かることになったのかは理解しました」
「そう。話が早いわね」
ならば好都合と、彼女は続ける。
「貴方は霊夢の面倒を見なさい。私は騒動の原因を探してくるわ。期待は出来ないけどね」
「判りました。お気をつけて」
「あ、萃香の瓢箪没収してきてね、それわたしのだから」
巫女の意味の判らぬ言葉を耳に入れ、紫は境界へと潜った。
それでも探索は一時間もすれば打ち切った。
天界特有の空気を吸いながら、彼女は胸中でつぶやいた。
(やはり手当たり次第では効率が悪い。僅かな残滓さえないのなら、単独で探す意味が無い)
人手が多いのなら、また意味も違ってくるだろうが。
ため息混じりに、ふと目を瞑る。
(それほど急くことでも無いか。火種がマヨヒガに居る限り、引火する恐れはないもの。鎮火するの待つのも手か)
天人に見つかる前にさっさとお暇しよう。
彼女は境界を潜り、マヨヒガへと戻った。
屋敷の中に入り、居間へ続くふすまに手を掛けたところで、その手が止まる。中から、声が聞こえてくる。
「ほら、霊夢。次はこれなんてどう? 名のある銘店お菓子でね、今人里では大人気らしいんだ。おいしいわよ」
「うわ、すごい。これって年単位で予約待ちのものでしょ。はじめて見たわ」
そっとふすまを開ける。
隙間から覗く心地で中を見やれば、そこには巫女と狐の姿があった。ちゃぶ台の上に置いてあるお菓子を囲みながら、会話をしている。
それはいい。巫女の面倒を見ろ告げたのは自分だ。
「食べるかい?」
「え、いいのっ! うん、食べたい!」
だが問題は、その狐が巫女の対面に座っているのではなく、ぴったりと肩が触れるまで寄り添っているということだ。
しかも巫女がお菓子に釘付けになっていることをいいことに、巫女の腰に手を這わせ、密着している。
きらきらと眼を輝かせる霊夢に、藍は渋るような表情を見せた。わざとらしい仕草だ。
「でも、そうね。条件があるわ。このお菓子に見合った対価を払ってもらわないと、貴方にあげる事はできないわね」
「なに、条件って? 無理難題じゃないなら割とがんばるわよ、わたし」
藍はお菓子の包装を解いて、中身を取り出した。
それを手に持ち、笑みを浮かべて口を開いた。
「あーん」
「?」
首を傾げる巫女に、式は続ける。
「あーんって、私が食べさせてあげよう。それができないなら、私が食べちゃうわ」
「それだけでいいの?」
「ええ」
「本当に? なんだか悪い気がするわ」
「ふふ、いいさ。美しい巫女さんにこの行為をすることが、意味のあることだからね。ほら、あーん」
「あーん」
「……おいしい?」
「うんっ!」
「じゃあもう一個いこうか」
めきっ。
ふすまがひび割れる音が聞こえた。
(あの馬鹿狐、すっかり落とされてるじゃない……!)
だが逆に懐柔しようと反撃を試むあたり、大妖怪の意地を感じる。
藍の瞳には確固とした理性の光が宿っていた。だがそれと同時に、肉付きの良い獲物を狙う肉食獣の光もらんらんと同居している。
「ところで藍」
「なんだい?」
やさしく首を傾げる式。
巫女はわずかに口篭ってから、言葉を漏らした。
「その、良くして貰ってるから言い難いんだけどね……。さっきからわたしの腿を触ってるその手、何か意味があるのかしら」
「おや、判らないのかい?」
「ええ」
「つれないな、霊夢」
艶やかな流し目を送る藍。
人間から妖怪まで、あらゆるものを魅了するような色気を放っているが。その視線を真正面から受けても、巫女には一切通じていないようだった。
「なんかぞわぞわするから、やめて欲しいんだけど」
「ふふ、まあいいわ。直に、私のことしか見えなくなるからね……」
ぞっとするような表情で、囁く。
どばんっと、紫はふすまを勢い良く開け放った。
霊夢が驚いたようにこちらを見るが、式は冷静なものだった。彼女の存在に、気がついていたのかもしれない。
すまし顔で言ってくる。
「お早いお帰りですね、紫様。騒動の原因は見つかったのですか?」
「藍。貴方ね……」
「なんです? 霊夢の面倒ならしっかり見ていましたよ。屋敷の案内も、立ち入り禁止の場所も教えました。時間が余りましたので、こうして親交を深めていたのです。だろう、霊夢?」
「え? うん、まあ」
話を振られ、曖昧にうなずく霊夢。
藍は巫女の肩に手を回し、抱き寄せた。見せ付けるように、口を開く。
「もうすでにここまで仲良しになりました。前々から、私は霊夢と話をしてみたかったのです。霊夢は良い娘ですね。夕飯の手伝いも申し出てくれました」
「そりゃお世話になるらしいからね。どうしてか判らないけど。わたしだって、人様の家で何もせずぐうたらする度胸はないわ」
霊夢は肩に乗せられた手を見て、眉を寄せている。
放せと言って良いものなのか、藍を相手にはかりかねているようだった。「どうすっかなー」という表情だ。
藍は大げさな身振りをして、巫女にほお擦りをした。
「良い娘だね、霊夢は。ほんとうにできた娘だ。おまけに清楚で美しく美味しそうときた。おや、今日はいつもの可愛らしいリボンはつけていないのかい?」
「え、まあ。なんか似合わなかったし。てか、あんた今すごいこと言わなかった?」
「確かに、今の霊夢に余計な飾り物は必要ないわね。逆に品位を落としかねないわ。それにリボンが似合うのは少女だけだろう。歳を弁えず、無駄な装飾で着飾ろうとするものほど見苦しいものはない」
ぎりッと紫は奥歯を噛み締めた。
そんな彼女を見て、式はしれっと言ってくる。
「紫様。そういうことですので、引き続き霊夢の面倒は一から十まで私にお任せください。今日は早く起きられたでしょう、ゆっくりとお休みになってはいかがでしょうか。お身体に障ります故」
「藍、眼を覚ましなさい。その娘は人間よ。月ではないわ」
「私はもとより正気です。そうだ、霊夢。この屋敷には布団が二組しかなくてね。先程言ったとおり、紫様のお部屋は立ち入り禁止となっている。となれば、私の布団に入ることになるんだが、構わないわよね?」
「あ、そうなの。なら神社から掛け布団だけでも持ってくるけど」
「来客にそんな手間をかけさせる訳にはいかないわ。それに不便をかけるが、今の霊夢をマヨヒガから出すわけにはいかなくてね。なに、大丈夫だよ。布団は狭いが、寄せ合えば二人は入る。少し冷える事はあっても、暖かくなるわ。すぐに嫌でも熱くな――」
台詞の途中で――
藍がばたんと音を立てて、ちゃぶ台に伏した。その後頭部には、大きなコブができていた。
紫が隙間越しに黙らせたのだ。グーで。
式の襟首を掴み、ずるずると引きずる。きょとんとしている巫女に、彼女は声をかけた。
「霊夢、悪いけど時間を貰うわ。そこのお菓子でも食べていてちょうだい」
「はあ……」
ぼんやりと頷く巫女を見て、紫はふすまを閉じた。
巫女から離れた部屋へ入る。
今の霊夢は近くに居るだけで、あらゆる妖怪に影響を与えかねない。
紫はぺちぺちと式の頬を叩いた。
「起きなさい、藍」
式はすぐさま眼を覚ました。むくりと起き上がって、不思議そうな声を出す。
「紫様? ここは? なにか後頭部がじんじんするのですが」
「あらそうなの。不思議ね」
とぼけるように告げれば、式が非難の眼差しを向けてくる。
「不思議ね、ではありません! ちゃんと見ていましたよ。酷いではないですか、私は与えられた仕事をこなしていただけだというのに」
「貴方ね、あれだけ理性を失っておいてそれはないでしょう」
呆れたように言うが。
式は神妙に口を開いた。
「紫様。満月を近距離で直視し続けて、一定の理性を保ち続けることのできる妖怪など居ません。今の霊夢は妖怪にとっての誘蛾灯みたいなもの。向こうが誘ってくるのなら、むしろ私のものにしてやろうと抵抗したわけです」
「それは抵抗ではないわ。あの娘はね、自分の持つ特性を自覚していないのよ。私が神社に出向いたときも、のほほんとお茶を飲んでいたくらい」
彼女は疲れを吐き出す心地で、息を零した。
巫女は妖怪の引き起こす異変に対して敏感ではあるが、それが自分の事となれば疎くなるようだ。
式が首を傾げてくる。
「そう悲観することもないでしょう? 霊夢は二、三日も経てば元に戻りそうな気がすると、そう言っていましたよ。巫女の勘は当たりますからね」
その程度の日数なら、神社を空けても問題ないだろうが。
紫はかぶりを振った。深刻な口調で言葉を紡ぐ。
「それは朗報ね。でもね、大局を眺めれば問題はそこではない。今の霊夢は、来たるべき未来の姿よ。例えもとの姿に戻ったとしても、いずれそこにたどり着くのは必然」
「確かに。ということは……」
息を飲み込んだ式に、紫は頷いた。
「成長した霊夢の持つ霊力。その波長は、月の魔力と酷似している。私はこれまで気がつかなかったけど、きっとこれから霊夢が成長するにあたって、その燐片が見えてくるのでしょうね」
霊夢の周りには、不思議と妖怪が集まる。
つまりは、現段階でも予兆は見られているということだ。誰しもその要因に気がついてはいないが、妖怪の本能は悟っているのだろう。
じっと聞き入る藍に、彼女はあとを続けた。
「これまで満月の恩恵は、あまねく妖怪に平等に分け与えられていた。でも、その満月の力を個人が所持していたら? 考えるまでもない。貴方も、そしてわたしでさえ霊夢を見て理性が揺らいだ。月の力を求めて、多くの妖怪が争うことになる」
「加えて美人な巫女さんですからね」
「……まあ、それを加味してもいいでしょう。幻想郷を守る存在である博麗の巫女。だがその巫女が、いずれ幻想郷を脅かす存在になる」
皮肉なものだと、紫は胸中で苦虫を噛み潰した。
つぶやくように言う。
「萃香には感謝しないといけないわね。理由はどうであれ、私達が見逃していた問題を浮き彫りにしたのだから。いや、もしかしたら、あの粋な鬼はこれを伝えたかったのかもしれない」
「対策はあるのですか? 例え霊夢が脅威になろうとも、幻想郷には博麗の巫女が必要になります」
「心当たりはあるわ」
淡々とうなずきを返す。
表情を明るくした式に、釘を刺す口調で言う。
「しかしそれには、ある概念を幻想郷に取り入れなければならない」
「その概念とは?」
促す式を見据え、彼女は自らへの確認も籠めて口を開いた。
「幻想郷はあらゆるものを受け入れる。新たな技術も、情勢も、季節変化もそして異変も……。私達はそれを受け入れたうえで、しかし時間の流出を食い止め、時を永劫回帰させなければならない」
「ほう」
「すべてを受け入れた上で、かつ時間を滞留させる概念。神の領域にも等しいその概念を、人はサザエさん時空と呼ぶわ」
藍はぽつりと繰り返した。
「サザエさん時空……。しかし、可能なのですか。そんなことが?」
尋ねてくる。
紫はかぶりを振りたい衝動を抑え、確固として言葉を紡いだ。
「難しいと言わざるを得ない。でもやらなければならない」
霊夢を成長は、幻想郷の破滅へと繋がる。
ならば成長させてはならない。その為には幻想郷の時間を回帰させ、幻想郷の乙女達は常に少女でなければならない。しかし一部の力の強い妖怪、または神にこの概念は通じないだろう。
紫は遠くを見据えた。
「藍、力を貸しなさい。まだ見ぬ幻想郷の明日のため、私達は立ち上がるのよ」
「はい、紫様」
灰は灰に。塵は塵に。そして少女は少女に。
ここに、八雲紫の挑戦が始まった。
しかし藍様がエロすぎるw
霊夢率も一〇〇%だしね!
最後あたりからおかしくなったような?
なんて素敵な。
永遠の巫女ですね
ハッ!? 危うく魂を持っていかれる所だったぜ…… ふぅ、やれやれ。
妖怪達による霊夢争奪戦という名のドタバタではなく、あえてこういう方向に
お話を持ってくる所に、作者様のセンスを感じますね。
うん、自分に正直な紫様も可愛いけど、理性的な彼女もやっぱり良いなぁ。
ただ、これは続きものでしょうか?
最後のサザエさんネタで話のバランスが崩れ、やけに中途半端に終わった印象を覚えました。
個人的なところでは、他に何かあればよかったのですが……。
これで終わりなら微妙なところ。
続くならどう治めるのかに期待するところです。
紫&藍のこの後の奮闘が見たいですね。
続編に超期待してます。
サザエさん時空という単語にはしばらく目を疑いました
「霊夢ちゃんはもう少女じゃないってことだな……」
「……な……」
サザエ時空とは違うけど、なんとなく思い出した。
毎度毎度、あとん氏はツボを突いてきてくれる。
出来れば続編を期待したいところ
ギャグっぽい要素をシリアステイストに描ききるその文体に感心させられました。
確かにこれは、続いたら続いたで面白そうなお話ですね。
しかし内容や登場人物からすると、これ自体既に『すいかでいず』の続編と見てもいいのか・・・?ノリは全く異なるけれど。
不思議な気分になった
なんせこの作品のジャンルすら掴めてない。いや、この作品をそんな枠に当てはめること自体が無粋か。
とりあえず、面白かった。これだけは確か。
あと霊夢を満月と見立てたことについては、なるほどと思わされました。
これは面白かったです。タイトルの意味が最後に効いてくるのも。
面白かったです。
すらすらと淀みなく読める地の文章力も素晴らしいです。
そして何より萃香ちゃんの可愛らしさがお値段異常!
この萃香ちゃんには乱暴にされたい、だとか滅茶苦茶にして欲しい――、などと
煩悩の犬は追えども去ってはくれないのです。