Coolier - 新生・東方創想話

夢妖夜

2010/05/25 01:03:40
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 目の前には『私』が座っている。何かを含んだような笑みを浮かべながら、私を見つめている。
 そんな彼女をぼんやり眺めながら、はて、ここはどこなのだろうと私は考えた。そもそも自分が何をしていたかということさえ思い出せないのだ。記憶力にはそこそこ自信があったはずなのに、これは良くない。仕方が無いので、私はとりあえず自分の周囲をじっくりと観察する所から始めることにした。
 私は厚手の座布団に座っていた。高級品なのか座り心地がとても良い。あまり正座は得意ではないはずなのに、一向に足が痺れる気配はなかった。足を崩そうなどとは全く思えず、このまま幾らでも座っていられそうである。ぐるりと視線を動かしてみると、私が居る部屋は広さ十畳ほどの和室のようだった。他の部屋へ続いているであろう襖は全て閉められている。床の畳の目はどこも綻んでおらず、イグサの良い匂いがする。
 けれども何より嗅覚を刺激するのは、私の前に並べられている膨大な量の料理だった。数えきれないほどの漆塗りの膳の上に、これまた沢山の皿や器が載せられている。全て和食だ。白米、蓋の閉じられている汁物、芋の煮転がし、漬け物、鯛の尾頭付き、鍋、焼き豆腐……挙げていけばきりがない。料理は全て作り立てらしく、どれもほこほこと湯気を放っていていかにも美味しそうである。それらの料理を眺めているうちに、自分がひどく空腹であることに気が付いた。まるで何日も前から何も口にしていなかったかのごとく腹が減っている。胃にぽかりとした穴が空いているような気分だ。

「さあどうぞ。召し上がって下さいな」

 そんな私の内心を見透かしたように、『私』は笑顔のままそう言った。こんな形で自分と向き合う機会が訪れるとは思っていなかったので、私は彼女のこともよく見てみることにした。無遠慮な視線を向けられても気にすることはなく、彼女は艶やかな笑みを浮かべている。
 彼女は紫色のワンピースを身に着け、屋内だというのに白い帽子をかぶっていた。見慣れないその格好が、東洋的とも西洋的ともいえない不思議なバランスを保っている。多少長くはあるが透けるような金髪も、切れ長の紫色の瞳も紛れなく私のそれだというのにまったくの別人のように思えてしまう。それはきっと、服装も含めて彼女の雰囲気が私とは掛け離れすぎているからではないだろうか。彼女が絶えず纏っている笑みはとても妖艶であるものの、そのせいか彼女からは全体的に胡散臭さを感じ取らずにはいられなかった。きっと誰にしたところで、彼女が口にする言葉を心の底から信じられる者はいないだろう。もしも蓮子が彼女を前にしたら、遠慮なく思い切り胡散臭そうな表情を浮かべてみせるに違いない。
 蓮子?
 そうだ、蓮子はどこにいるのだろうか。私は今更のように気づいて、慌ててきょろきょろと辺りを見回してみた。しかしこの部屋にいるのは私と彼女のみで、蓮子の姿はどこにも見えない。おかしい。ここが所謂『境界の向こう側』だとすれば、蓮子無しに私がこちら側にやってくることはありえない。

「どうしました? 早く召し上がらないと冷めてしまいますわ。大丈夫、毒など入っておりません」

 焦れたわけではなさそうだが、彼女はそんなことを言った。相変わらず胡散臭さは拭えていなかったが、毒が入っていない、という彼女の言葉は何故か本当のような気がした。

「あの、蓮子は」
「蓮子、というと」
「友人です。彼女の居場所を知りませんか」
「ああ、彼女ならここには居ませんよ」

 彼女は当然のようにそう答えた。それがあまりにも淀みのない口調であったから、私は少しがっかりした。もしかしたら他の部屋に蓮子がいて、同じようにご馳走を前にしているのではないかと思ったのだ。けれどもそういうわけではないらしい。襖が閉まっているせいで他の部屋の様子は分からないが、ここはどこかのお屋敷のようなものなのだろうか。そっと耳を澄ませてみたが、不思議なことに物音がほとんどしない。
 不可解さを込めた視線を彼女に送ると、彼女はにこやかに手のひらで私の手元にある箸を示した。食べろということらしい。蓮子のことがまだ気にかかっていたが、何しろひどくお腹が空いているので、私は素直に箸を取った。箸は輪島塗のようだった。
 しかし、どれから手を付けたら良いものだろうか----------あまりにも種類が多すぎて、私は少しばかり途方に暮れた。私は元来好きな物は最後まで残しておく性質である。しかし好き嫌いが酷い方かと聞かれればそんなことはないので、よく食事の時にどういった順序で食べようかということで迷ってしまうのだ。大根と鰤の煮付けはよく味が染み込んでいそうだし、蒸した浅蜊からは酒の匂いが漂ってきており、盛り合わせの刺身はいかにも新鮮で脂がのっていそうだ。白米はつやつやと輝いているし、蓋を空けてみれば中身のお吸い物がふわりと白い湯気を吐いた。どれも味気ない合成食料などではなく、紛れのない本物の食材である。どれほどのお金を積めばこれほどの料理が揃うのだろう。
 散々迷った挙げ句、私はぐつぐつと音を立てて煮えている鍋に手を付けることにした。葱や白滝、椎茸、白菜に混じってまさに今色を変えようとしている薄い肉はとても美味しそうだった。鍋の傍らに用意されている、たれの入った器を引き寄せる。そうして煮えた肉を一枚取り、目の前に掲げてじっくりと眺めてみた。
 一体これは何の肉なのだろう。豚でもないし、牛でもない。鶏でもないし、食べたことはないが猪や鹿とも何か違うような気がする。

「これは、何の肉ですか」
「さて、何でも良いでしょう。どうぞお食べになって下さいな。美味しいですよ」
 
 彼女はそう言った。ふむ、と私は思ってまじまじと肉を見た。私の胃袋はまるでブラックホールのごとく吸い込む物体を探し求めているのだというのに、それを阻んで止めているものはなんなのだろう。まだ全体的に靄がかかっているようにぼんやりとしている私の頭の中に、何やら固い石のようなものが一つだけ転がっていて、食べるのはよしたほうがいいんじゃないと囁いているのだ。このうるさいものは一体なんなのだろう? あるいは人はこれを理性と呼ぶのかもしれない。
 だから私はもう一度、自分が置かれている状況について考えてみた。見慣れない部屋に豪華な料理。胡散臭い女性。ふむ、と私は今度は口に出して言う。
 見慣れない部屋に豪華な料理。人間らしくない女性。もしかして?

「口にしたらもう戻れない、とか?」

 そう言うと、『私』はいっそう笑みを深くした。口の端をつり上げて、猫のように笑う。ああ、やっぱりこいつは『私』ではない。私はこんな笑い方しないもの。私は昔読んだお伽噺に出てきた、狐やら狸やらを連想した。くるくる化けて人間を騙す妖怪、もしくは化け猫。彼女は私ではなく私の姿を模して狐狸が化けたものなのだろうか?
 立ち上がる。急に動いたせいで空っぽの胃袋がくうと情けない音を立てた。彼女は顔を上げて私を見る。

「私、帰ります」
「どうして」
「蓮子を探さなきゃ」
「彼女は直にやって来ますよ。それまでここでくつろがれるのが良いでしょう」
「いえ、探しに行きます。空が見えない場所では、蓮子はすぐに迷うんです」

 私はきっぱりとそう言った。そうでもしなければ漂ってくる料理の匂いに白旗を上げてしまいそうだったからだ。そして何より、蓮子はどこにいるのだろう。彼女は今私と同じようにお腹を空かせているのだろうか。それとも、それとも----------誘惑に負けて既に料理を口にしてしまっているのだろうか。まさか。
 今並んでいる料理はきっととても美味しいだろうけれど、人間が口にして良いものではない。


 走り出す。飛びつくように襖に手を掛けて、思い切り横に引っ張る。後ろから「ここから抜け出すのは骨ですわよ」という声が聞こえたような気がしたが、構わずに私は走り続けた。彼女が追いかけてくる気配はない。それでもなんとなく、足を止めてはいけないような気がした。次の襖を見つけて、また引っ張る。広い和室が現れ、それを横切る。
 襖を開き、部屋を横切る。また襖を開き、部屋を横切る。
 何度繰り返しても、同じような部屋が現れるだけで一向に外に出られる気配はない。せめて廊下か、何か違った部屋に出るかしても良いものなのに。例えこの屋敷がどれほどの広さだったとしても、ここまで同じような部屋が続くはずはない。何か仕掛けがあるのだ。息を切らせながら私は走り続ける。考えろ、考えろ。しかし酸素の回らない頭ではろくに物事を考えることが出来ない。時折急に足取りを変え、別の方角の襖を開けてみるもののやはり何も変わらない。胃袋はぐうぐうと音を立てる。動かし続けてひどく疲弊した足がふらつく。
 急にかくん、と膝が曲がった。

「きゃ」
 
 気づいたときには既に上半身が傾いていた。体勢を立て直すことなど出来るはずもなく、そのまま前方に倒れ込んでしまう。咄嗟に手を突き出して受け身を取ったものの、したたかに膝小僧を打ってしまいじりじりと痛んだ。思わず涙目になりながらも身体を起こし、走らなければと立ち上がろうとしたところで、
 ぐん、と足首が誰かに掴まれる。それはもうひどく強い強い力で。

「っ!」

 思わず振り返った。私の足首を、誰のものか分からない白い手が掴んでいるのが見える。引きはがそうとその手に両手をかけたところで、私の目に飛び込んできたのは、何十何百という数の白い手が私目がけて一斉に伸びてくる光景だった。
 私は何かを叫ぼうと、口を大きく開




















 
「メリー? おうい、メリーさん?」

 名前を呼ばれた。
 メリーって私のことよね、と思いながら目を開ける。机につっぷしていたらしい私の顔を、蓮子が覗き込んでいた。肩を何度も揺さぶられる。
 まだ上手く状況が飲み込めない私の肩を蓮子はちょっとずつ揺らし続け、遂には震度八くらいの揺れになったところで私は蓮子の頭をはたいた。大袈裟なリアクションを取りながら蓮子が私から離れる。

「何さあ。1時間経ったら起こしてって言ったのメリーじゃない」
「……今、何時?」
「そうね大体ね」
「怒るわよ」

 本気で睨みつけると蓮子は呑気な顔で口笛を吹き始めた。彼女が窓の外に目を遣るので、私もつられてそちらを見る。月の光は冷ややかだが、空の色はどこか薄くなりつつあった。ちらほらと小さな星が見える。
 空を眺めながら、私は寝る前のことを思い返してみた。確か……そうだ。試験前である私の部屋に蓮子が転がり込んできて。それで二人で勉強をして、私は彼女に目覚まし時計の係を命じて、仮眠に就いたのだ。

「宇佐見蓮子が午前3時52分をお伝えいたします」
「じゃあ後8分寝るわ……」
「ただいま53分になりました。やめといた方が良いわよ、本格的に寝入っちゃうから」

 死にそうな顔してる、と蓮子は言った。そうかもしれない。私はのっそりと顔を上げ。寝癖のついた髪を指で梳いた。ここまで寝覚めが悪いなんて珍しい、蓮子じゃあるまいし。私は夢の中に出てきた彼女を少し恨んだ。勝手に人の夢の中に現れる得体の知れない人物なんて、ろくなものじゃない。
 ほっぺたにノートの痕らしきものが付いていることにショックを受けながら、私は立ち上がった。とてもお腹が空いている。お腹が空いているせいであんな夢を見たのか、もしくはあの夢を見たからこんなにお腹が空いているのか、それは定かではない。

 とにかく台所へ向かおうとした足を、私ははたと止めた。冷蔵庫の中身を思い返してうんざりする。
 麦酒、カクテル、タマネギ、チーズ……他に何かあっただろうか。いずれにしても、私の胃袋を満足させてくれる食材でないことは間違いない。

「……蓮子、今からご飯付き合う気ない?」
「はあ。いいけど、どこ行くのよ。カフェはまだ開いてないからファミレス?」

 蓮子はのんびりと、すぼめた唇の上にペンを載せる遊びに興じている。小学生か。私は近くのコンビニや、少し離れたところにある何件かのファミレスのメニューを思い浮かべ、それから言った。

「ううん。24時間営業のスーパーで材料買って、鍋」
「はあー鍋ねーって……は? 鍋?」

 「この時間に鍋!?」と蓮子は叫んだが、知るものか。そうと決まればと、私は適当に放り出してあった鍵を寝間着のポケットに入れ、財布を捜した。山のような資料の下敷きになっていた財布はぺしゃんこだったが、カードくらいは入っている。私はそれもポケットに入れ、口をぱくぱくさせている蓮子の手を引っ張り、玄関へと向かった。
 ガスボンベは、確か押し入れの中にしまっておいたはずだ。前時代の遺物だのなんだの言われていようと、ガスボンベは役に立つ。特に、早朝に鍋を食べたい学生なんかにとっては。

 ぐいぐいと引っ張る私に付いて来ながらも、蓮子はまだ何かを叫んでいる。しかし、私はお腹が減っているのだ。スーパーに付いたら適当な野菜と、牛でも豚でも鶏でも何でも良い、とにかく何の動物かはっきりしている肉を買って、鍋にして食べるのである。
 そうでもしなければちょっとこの空腹は収まりそうにない。
 










fin.
夢十夜のイメージで書きました。
口にしたら元の世界へは戻れない、系のお話は結構好きです。
柚季
http://yuzuhana01.web.fc2.com/
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コメント



0.950簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
お腹空いてる時の夢って意味不明だよね
7.100ulea削除
蓮子とハフッハフッしたいよお
9.100名前が無い程度の能力削除
此処と何処かの境界を越えるきっかけはいろんなところに転がってるんだろうなぁ
11.100v削除
やぁ、今の自分はあっさりとパクつきそうだ……空腹は理性に勝る!
それはともかく、メリーさん鋭いな。こんな事がしょっちゅうあっても、しっかり帰れるのはその冷静さがあってこそか。
でもその女性の形容の仕方はむしろ何故か笑えます。逼迫してるはずなのに、ユーモア?を忘れない。さすがです。
15.100名前が無い程度の能力削除
上手く説明の出来ない嫌な感じをメリーの夢から感じた・・・具体的に説明出来ないけど。
夢特有の不可解さと薄気味悪さがよく出てたと思う。紫様の胡散臭さで倍増し。お見事。
お腹が空いていたからみょんな妖夢を見たのか、それとも夢のせいでお腹が空いたのか。

面白かったです。夢の意味って考えるのわくわくしますよね。
18.90即奏削除
あぁ、なんて不思議でおもしろい感覚。
夢っておもしろいです。
そして夢を引きずってしまう人間もまたとってもおもしろい。
おもしろ過ぎて、なんだか変なテンションになってしまいました。
それくらいおもしろかったです。
20.90名前が無い程度の能力削除
こういうお話、大好きです。
21.80名前が無い程度の能力削除
こんな夢を見た。
ゆかりんが鍋の具材を箸で挟み、アーンしてくれた。嘘ですが。
それはさておき、夢の中の食べ物は食べちゃいけないらしいですが
なるほど、もう戻れなくなるってのはなんか納得です。
22.100名前が無い程度の能力削除
浸らせて頂きました。
25.100蛮天丸削除
いったい何の肉だったのか……それを考えるとちょっとぞっとしました。
いかにも胡散臭い彼女のことですから。
30.100プロピオン酸削除
行動派なメリーさんも素敵