---お暇をとらせていただきます---
紅魔館の悪魔の犬、十六夜咲夜が主にそう伝えたのは狂おしいほどに月が紅く輝く晩のことであった。
しかし、玉座に腰掛けたレミリアは動じない。なぜなら彼女が『そう』なることはすでに分かっていたのだから。
…………何度も悪夢に見るほどに。
「あら、それはまた突然ね?」
それでもいつもと変わらぬ泰然とした吸血鬼の品格を崩すこと無く、レミリアは余裕の笑みと共にそう聞いた。
普段と変わらぬ何気なさを装って。内心の葛藤など見せること無く。
「猫は己の死に様を、主に見せることはないと聞きますわ」
対する彼女はただ微笑むだけだ。己の主人がいったいどんな感情の狭間で狂おしいほどの葛藤に苛まれているのかすら理解していながら、それでも瀟洒な従者は「人間」であり続けることを望む。
「あはは、残念だけどお前の猫度の査定は34点。だけど犬度は76点だ」
「10点余分ですわ、お嬢様」
「100点が満点だなんて常識に縛り付けられる。やっぱり咲夜はまだまだね」
「常識は万人が知っているからこその共通意識。その理論でいえば幻想郷の賢者も真っ青ですね」
他愛の無い会話が進んで行く。しかし無情にも刻まれる時も、情けの容赦もなく一寸足りとも休まず進む。
「あぁ、そうだ。咲夜は何か欲しいものとかないの?」
しかし、本当の最後の最後で
「欲しいもの……ですか?」
吸血鬼は敗けてしまった。永遠に幼い赤き月は負けてしまった。
「えぇ、この屋敷に勤め上げた貴女だもの。餞別代わりに可能なものなら何でも与えてあげる」
いつも自分の懐にあった純銀のナイフを、惜しいと。望むのなら眷族として迎え入れると、人間には有り得ぬほどの寿命を与えると。
しかしその悪魔のささやきは、いったい誰がためか。
「……いいえ、やっぱり結構ですわ」
ほんの僅かな逡巡。俯いた端正な顔立ちに、何か絶ち切れない未練が浮かんだことをレミリアは気付けたのか。
「……そう、分かったわ」
しかし、それが従者の選んだ道だというのならば敢えて無理は言うまい。
時を止める力を持つが故に幻想に流れ着いた化物は、悪魔のもとでは人間であれたのだ。
それが彼女の矜持であり、プライドであり、誇りであったのなら。
彼女を愛する一人として、言うべきセリフは決まっていた。
「…………咲夜、長い間お疲れ様。霊夢と魔理沙によろしく言っといて」
「……かしこまりましたわ。それではお嬢様、どうか末永くお元気で」
それが二人の交わした最後の言葉。
そして二人の交わした最期の言葉だった……
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バラにオダマキ、ヒヤシンス。多種多様な命が芽吹く場所。
綺麗に整理された庭園に舞い散る桜をよそに、冷たい靴音がカツンカツンと響いている。
一歩踏み切り未練を絶って
ニ歩目踏みしめ抱くは郷愁
三歩進めば立ち止まり、朽ちる体に鞭を打つ
まだ、まだいけない。まだ一人、言葉を交わさねばならない娘が残っている。
いつも変わらぬ笑顔を見せてくれた、華のように可憐な華人小娘。
(さいゴに……も 一度、だケ……)
崩壊は寸前。灯火すらも掻き消え、すでにこの身は炎が温めた空気の残滓のようなもの。
空蝉は虚蝉と成り代わり、歩みを進める度に大事なものが空虚な体からこぼれ落ちていく。
欠落を見せる思考のなか、それでもただひたすらに……ただ一途に……我武者羅に。瀟洒の言葉を返上してでも前へ進む。
それが悪魔の誘いすら断った、咲夜の最期の願い。
---ギシ・・・ギシ・・・---
そら、聞こえてきた。
手足の関節が奏でる破滅のリズム。まるで油を差し忘れた絡繰のような不協和音。
視界には砂嵐のようなノイズが走り、指先などはもう2,3本は崩れ落ちてしまっているだろう。
鏡を見れば古びたセルロイドのようなひび割れた顔が映っているに違いない。
だけど、そんな無様な醜態を晒しながらも
「……綺麗な月夜ですね、咲夜さん」
いや、だからこそ。最期の願いは成就された。
「……ほんトに …キレイ……」
月明かりの下、門に寄り掛かるようにして咲夜を待っていた人影。
その人影こそ咲夜が辿り着こうとした花咲く少女。紅魔館の門番「紅 美鈴」だった。
月明かりに照らされた美鈴の横顔に、咲夜はウットリと見蕩れながら口を開く。
「門番ノく seニ……つKi見な て……優雅…なも………のね……」
口はすでに言葉を紡ぐ器官としては使い物にならない。
それでも最後の力を振り絞って喉を震わせる。
「アハハ……こんなにも月が綺麗だったものですから……咲夜さんこそ、こんな夜更けにどこかにお出かけですか?」
口調こそ疑問形だったが、そこに答えを求める意思はなかった。
気功を扱う能力を持つ彼女は、生命というものの機微にとても敏感なのだ。
もしかすれば、咲夜本人よりも早く彼女の死期に気づいていたかもしれない。
「オ嬢さ まにネ……お暇 を もRa ったnoよ」
「あはは。ずっと無休でしたもんねー、咲夜さん。今までの休暇分もらおうと思ったらどれだけの時間になるのか分かりませんよ」
月を見上げながら笑うその横顔がノイズまみれでしか見れないことがひたすらに口惜しいと咲夜は思う。
だが、ボヤけた視界でも彼女が……美鈴が涙してくれていることだけは……なぜか、理解できた。
「本当はもっとこうやって……いえ、もうずーっと一緒に喋ってたいですけど……もう無理ですよね」
「 えェ ソ ぅね」
ギシリ
足を踏み出す。
「も コレde さヨナLa……」
ガキン、ガキンと空回り。歯車が噛み合わない。
壊れかけた殺人ドール。血錆でもはや見る影もなし。
そしてようやく最期の一歩。
門をくぐり、紅魔館の敷地を出ようとしたその瞬間に聞こえてきた小さな呟き。
咲夜はとても信じられないようなことを聞いて動きが止まり、最後の最期に
「………… えぇ 」
とだけ応え、時を刻み終えた砂時計のように小さな砂となって風に流れていった………………
------それでは、『また』------
くるくる、くるくる
季節はめぐる。
咲夜さんがいなくなってから最初の一年で紅魔館は無くなった。
建物が、ではなくて。その城主が館を捨ててしまった。
「……思い出が、ありすぎるもの」
そう、自らを納得させるように話していたお嬢様の姿が、妙に心に痛かった。
パチュリー様も妹様もお嬢様について行った。けれど、私にはそれが出来なかった。
私がここに残ると言った時にお嬢様はその理由を尋ねた。
「約束が、ありますから」
私が答えると、お嬢様は「そう……」とだけ言って私を門番職から解雇した。
パチュリー様は紅魔館の敷地を守る結界は残して行ってくれた。
敷地にはいるなら、必ず門を通らなければならないように。
門番でなくなってからも、私の護るべき場所を護り続けられるように。
くるくる、くるくる
季節はめぐる
桜を数えて30回。そろそろ屋敷もくたびれてきたように感じる。
庭園の世話は暇を見てやっているけど、屋敷の方には手を出していない。
なぜなら、それは『私の仕事じゃない』からだ。
だから私は待っている。ずっとっずっと
これからも
くるくる、くるくる
季節はめぐる
春が告げられ夏を終え、秋を愉しみ冬が来た。
ふわふわと舞い降りる雪華を眺めながら思いを馳せる。
あとどれだけの時を過ごせば良いのだろう。
咲夜さんは、いつになったら還ってくるのだろうか。
想いだけが募っていく。
こんこん、こんこん。
いけない、冬の寒さにやられたかしら。
咳と共に出てきたベットリした血を拭い取る。
くるくる、くるくる
季節はめぐる
竹林の医者に見てもらった結果、たちの悪い病を患ってしまったらしい。
天才の名を冠する先生にも治し方は分からないとのこと。
それでも、なってしまったものは仕方ない。
ならば残りの命をただ護るためだけに費やそう。
咲夜さんとの約束の果たされる、その日まで。
くるくる、くるくる
季節はめぐる
ぼーっと空を見上げる。
長い冬を乗り越え、春告精がやってきた。
広大な庭園は今年も多くの花が咲き乱れていた。
もう、広大な館全ての庭を剪定する体力も残っていない。
それでも植物の生命力は逞しいもので、多くのものは手入れもなしに力強い花を咲かせた。
「またそんなところで……貴女のサボリぐせはいったいどれだけ経ったら治るのかしら?」
そんな私を叱る声がする。
視線を空から、下ろして行く。
そこにいたのは、紛れも無い待ち人の姿。
「あは……サボってたわけじゃありませんよー。ただ空を眺めてただけですって」
昔と変わらぬ切れ長の瞳。
「それをサボるっていうのよ。……まぁ、確かに今日はいい月夜だものね。少しくらいなら大目に見てあげる」
銀細工のような華奢な髪。
「わー。どうしたんですか。いつになく優しいですけども」
纏う雰囲気は瀟洒の一言。
「久しぶりの再会だもの。それとも、いつもみたいにナイフで折檻がお望み?」
「う……それは勘弁したいかも」
「なら、まず言うべきセリフがあるでしょう」
その全てがあの日のまま。彼女は変わらぬ姿でそこにいた。
そう、彼女はそこにいた。
「はい……お帰りなさい、咲夜さん」
「バカね、やっぱり」
「へ?」
「おかえり、でもないでしょう」
「え、いやだって……えぇっ!?」
咲夜は苦笑とともにため息をつく。
「私が「ただいま戻りました」と言う場所は、お嬢様のいる場所よ。ここにも思い出はあるけれど、お嬢様がいないんじゃ意味はないわ」
「あはは……なら、どうしますか? お嬢様の枕元にでも現れます?」
「ふふ……なに言ってるの。従者がまず主人に言うセリフなんて決まっているでしょう?」
---お帰りなさいませ、お嬢様……よ---
「……そろそろ行くわよ。貴女も私を待ってここに残ったっていうなら、もう紅魔館に未練なんて無いでしょう?」
「……そうですね。確かに、門番なら真っ先にお嬢様をお出迎えするものですもんね」
「そういうこと。さぁ……」
咲夜さんが伸ばしてくれた手。
細くしなやかな指先。
その手をしっかりと握って共に歩き出す。
体が軽い。
それこそ天にも昇るほど。
今度は咲夜さんではなく、お嬢様を待つ日々が始まるのだろう。
それでも今までほど苦ではないと思った。
だって、これからは二人だから。
一人の寂しい悠久も二人でいればあっという間。
咲夜さんと、一緒なら…………
このお話はな。
露骨にめーさくをプッシュしてくる……いやらしい、だがGJ
初投稿ですか。目出度いですねぇ。
門をバックに舞い散る桜、飛び交う蛍、色付いた紅葉や降りしきる雪、
そしてなにより、咲夜さんがいるであろう空を見上げる美鈴。
そんな情景が浮かんでくるようなお話でしたねぇ。うーん、切ないぜ。
一つ個人的に注文を付けるとするなら、後書きのあらまし部分は必要無いかな?
説明不足もイカンですが、説明過多も同様かと。
特にこのような余韻を楽しみたいお話では、少し水を差された気分になりますしね?
それでは次回作を楽しみに待っていますよ。
ギャグならまだしも、シリアスな場面でこういう英語を使った表現はしないでほしい、冷めるから。
作品の内容が好みだっただけにそれが残念でした。