春はいつの間にか通り過ぎ初夏の匂いが漂う頃。里の外れの骨董屋。
その店先でのんびりぷかりと一輪は煙草を吹かしていた。いつも頭を覆っている布も今は無い。
過ごしやすい春の陽気から暑い暑い夏の熱気になったため、あれを被ったまま出歩くのは少々鬱陶しい。
無造作に後ろに束ねた髪をいじると右腕の輪がちりりと鳴った。
本日は晴天なり。雲山に調べさせる必要もないほど空は青く突き抜けていた。
白い一筋の煙が青の中に掻き消えて、自分も一緒になって空に溶ける感覚。
ふわりふわふわ、手元の煙草の熱を感じて一輪は慌てて現実に意識を戻した。
煙が空に上がっていくのを眺めながら、丸耳の同僚に任せた洗濯物の様子を思い浮かべる。
鼠に触らせてないだろうなあいつは。歯跡と足跡に塗れた聖の服がちらっと一輪の頭によぎった。
嫌な予感と短くなった煙草の灰を振り落とし、新しい煙草を出そうと懐に手を伸ばしたところで隣のドアがゆっくりと開いた。
「どうだった?」
中から出てきたセーラーの少女に声をかける。
少女はそれに答えず手に持った品を掲げてにやりと笑った。
無事目当てのブツが手に入ったのを確認し一輪は安堵の表情を浮かべた。
「やっぱりここにあったか」
「例の魔女が売りに来たらしいよ、今回は」
「人形?」
「黒白」
「この前星の宝物庫に忍び込んだほうか」
「だあね」
売りに来る時点で答えは決まったようなものだがやはりといった感じである。
宝物庫から盗んで、と一瞬考えたが星が片時も手放すまいと努力した結果失くしたのでそれは無いと直ぐに思い直した。
売り払ってくれたのは逆に良かったのかもしれない。直接交渉すると面倒臭そうな相手である。
「ナズナズのこと話したら一発で譲ってくれたよ」
「だろうな。ここの店主にゃうってつけだし」
「いつでもいいから顔出してくれってさ」
「ふうん」
「あと、これ」
言うやいなやムラサは下からひょいと小さな箱を放り投げた。
一輪は片手でそれを受け取りやけに綿密に書かれた注意書きを読むと満足そうに懐にしまった。
どうやら在庫が残っていたようだ。
「ほどほどにね」
「分かってるよ」
「聖が心配してたよ。いっちゃん、妖怪さんなのにね」
「姐さんには見つからないようにするさ。止めろって言われたら一生禁煙しそうだし、それでも別にいいんだけどさ」
「そっか」
最後の一言だけムラサは相手から目を逸らし、空を見上げながら答えた。
いい天気だから、とても綺麗な空だから、だから見上げた。
一輪はそう受け取った。
ムラサもそう思うことにした。
「らしいね」
「そう?」
「そうだよ」
二人は店を後に里に向かって歩き出した。
急いで帰る必要も無いので飛ばずに散歩感覚で畦道を進む。
お互いに口数が少ないのは話すことが無ければ別に無理に話さなくてもいいと思っているから。
気まずいわけじゃない。
「雲山は?」
「そこら辺浮かんでるか、付喪神に絡まれてるか、どっちかかな」
「小傘ちゃん? だっけ。妙に懐いてたね」
「『驚かすのにぴったりの顔!』っつってたな確か。雲山、泣きそうになってたよ」
「あはは」
***
風で木々が揺れる音、どこかの名前の知らない鳥が鳴いてる声、それに混じってちらほらと人の声が聞こえてきた。
いつもより少し賑やかに聞こえるのは何故だろう。一輪はふと疑問に思ったが入り口に着いた時点で解決した。
人形劇が行われている最中だったのだ。
──その時! 姫の剣が絶望の魔女の心臓を貫いたのです!
語りも声に力を込める最大の見せ場、ヒロインが悪役を倒す場面になると会場の熱気も最高潮に高まった。
集まる子どもたちは食い入るように姫の行く末を見つめ目は爛々と輝いている。
いつの時代も冒険譚というのは心震わすものらしい。
一方操る人形はまるで生きているかのように実に多彩に表情豊かに動いた。
まるで小さな人間がそこにいるかのようである。
思わず二人もその迫力に惹きこまれ、気づいたら演技を終え観客に一礼する人形たちに拍手を送っていた。
話には聞いていたが実際にこの目で見るのは初めてだった。
「すごかったねえ」
「うん」
片付けが終わり、大人たちがぼちぼち解散すると人形遣いの魔女は群がる子どもたちに飴玉を配り始めた。
人気の秘密はこれか、と微笑ましい光景に一輪はくっくと含んだように笑った。
「私も貰ってこよっかな」
「止めときなさいって」
「いっちゃんの分も貰ってきてあげるねー」
「いいって。おーい、聞いてるかー。みーつ」
一輪の呼び掛けに構わずムラサは子どもたちの群れに混じっていった。
人形遣いは特にそれに戸惑う素振りも見せず小さいお友達にも大きいお友達にも別け隔てなく飴を配っている。
あれがプロというものだろうか。
連れが行ってしまい手持ち無沙汰になったので何となく先程買った煙草をくわえ火を点けた。
連れの様子を眺めながら平気な顔できちんと飴をもらう方には呆れ、平然とした顔できちんと飴を渡す方には感心しつつ一輪ははあ、と息を吐いた。
「入道屋さん?」
どこからか声を掛けられ辺りを見渡すが近くには誰もいない。
ふと見下ろすと6歳ぐらいの女の子が一輪の顔をじっと見つめていた。
前に寺を訪ねてきた娘かな、と一輪は思い返したが顔を見たことがある気がするだけではっきりとは思い出せなかった。
何回も自分の店に遊びに来てくれている子たちは名前も知っているのだがこの娘は常連さんではないらしい。
「こんにちわ」
「こんにちわ」
どうかしたのだろうか。少女は言葉を続けない。
用があるのは確かなようなのでこちらからは無理に催促せず反応を待った。
しばらく互いに無言の状態が続いた後、唐突に少女は手を差し出した。
「あげる」
「え?」
何を、と一輪が聞く前に少女は手に持った飴を押し付けて走り去ってしまった。
よく分からないまま檸檬味のそれをぼんやり見つめているとムラサが少し残念そうな顔をして戻ってきた。
「一人一個までだってさ」
「そうかい。そりゃ残念だ」
「だからこれいっちゃんにあげるよ、檸檬味」
「いや、大丈夫」
袋をつまみ上げると黄色の玉が太陽の光を反射してきらきらと輝いた。
「もう貰った」
***
一通りの買い物を済ませ寺に戻ってくると中が少々騒がしい。
この時間はナズーリンしかいないはずなのに何故か叱咤する声が聞こえる。
二人は顔を見合わせ何事かと声の発信地である縁側の様子を伺った。
「拭けい! 拭くのだ! 足に力を込めろ! 尻尾を真っ直ぐ立てろ!」
「何やってんだネズ公」
「おおう、帰ってたのか二人とも。ご覧の通り掃除の真っ最中だよ。あと一輪、私のことを『ネズ公』呼ばわりするのは止めたまえ」
「鼠たちにやらせんなって言っただろうが衛生面の問題で。なに便利な方法思いついちゃってんだよ」
「へえ、二匹一組で雑巾掛けさせてんだー。ちょっと可愛い」
「部下を効率良く使うのは上司として当然だ。それすら出来ない者は上司失格だよ」
「特定の人物に対する愚痴に聞こえるのは気のせいか?」
「気のせいだ」
屁理屈でこの口を尖らせた鼠に勝てる気がしない。
ため息をついて一輪は目の前の小さな大将に釘を刺しておいた。
「食事ん時に同じことやったら拳骨落とすからな」
「ふん、そのくらいの分別はついてるよ」
ナズーリンは小さい体に似合わない挑発的な態度で一輪を見上げた。
喧嘩を売ってるわけではなくこの鼠の性分がこういうものなのである。
いちいちそれに青筋を立てていてもしょうがないということを一輪は分かっていた。
「で、例のブツは?」
「ん」
一輪がムラサのほうへ首を振るとムラサが懐から宝塔を取り出した。
それを確認しナズーリンは安堵の息を漏らした。尻尾にぶら下げたバスケットを近づけ品を受け取る。
中の部下がキー、と鳴いた。
「やっぱりあそこにあったろ?」
「まあね。何時でもいいから顔出してくれって店主からの言付け」
「致し方あるまいな。まあとにかく助かったよ二人とも」
「どういたしましてー」
取り敢えずの用事は済んだとそれぞれが持ち場に戻ろうとしたその時、雑巾に乗っかる鼠たちと戯れていたムラサが何かに気づいたように小さく声を漏らした。
「あっ」
「どうした?」
「あっと、えーと。大根買い忘れちゃった、かも」
「あらら」
「鼠たちに……分かったよ一輪。そう睨むな」
「いっちゃん付き合ってくれる?」
「ん、別にいいよ」
「ありがと」
あれ、とここでナズーリンは小さな違和感を覚えた。
再び出かける二人を見送りながらしばらく考えたがその正体は掴めなかった。
要はその程度のものだということだろう。
「まあ、いいか」
独りぼやいてナズーリンは作業に戻った。
***
陽の光は徐々に傾きさてそろそろ夕飯の支度かしらと買い物に向かう人たちが集まる頃、二人は並んで里の通りを歩いていた。
一輪は顔が広い。
屋台などで寺の窓口として活動しているせいかすれ違う人々がみんな一輪の顔を知っている。
子どもたちは人懐っこい笑顔を向けてこんにちわとか、さよならとか、また来るねとか、勝手に言って勝手に去っていく。
ムラサもそれに合わせて会釈したり少し小さめな声で挨拶を返したりする。
一応、寺の関係者として無視は良くないだろうなと思いながら。
でもみんなが声を掛けているのはあくまで一輪なんだと思いながら。
横目でちらっと見えるのはにこやかに返す友の姿。
だけどもその笑顔がどことなく、薄い。
愛想笑いとは少し違うけれどもムラサにはそれが何となく気になった。
「人気者だね」
「茶化すなって」
「ごめん」
冗談の流れだと思ったのに普通に謝罪され一輪は思わず相方の顔を見た。
そういう雰囲気なのだろうか。だとしたらそろそろ頃合いか。
いつも利用している八百屋まであと少しという所で一輪はゆっくりと口を開いた。
「大根」
「ん?」
「まだ蔵に残ってた」
「知ってる」
会話が途切れる。
二人は歩みを止めない。
目的だったはずの店はとうに過ぎ段々と里の出口が近づいていった。
その横、ぽつんと佇む茶屋を一輪は指さした。
「あそこの団子、なかなか美味いんだよ。うん」
「お誘い?」
「宜しければ」
店の前の長椅子に並んで座り、頼んだ品が来るまでしばし待つ。
日は傾き反対側には夜の闇と星が広がりつつある。
里に吹き抜ける風は少し肌寒く本格的な夏の到来はまだまだ先になりそうだった。
出された茶にも手をつけず二人は口を閉ざしたままでいた。
お互いに話があるはずなのにお互いがそれを催促しない。
団子が二皿、椅子の上に置かれたところでムラサの方がぽつりぽつりと漏らし始めた。
「地底にいた頃、いっちゃんどっか遠い場所ばっかり見てた。ぼーっとした感じ」
「そりゃそうだよね、聖があんなことになっちゃったんだもん」
「今はこうしてみんな元通りになって、めでたしめでたしで」
「でもどうしてかな、いっちゃんまだ遠く見てるんだよ。たまーにだけど」
「そのまま雲みたいにどっか行っちゃいそうでさ」
少し、怖い。か細い声でそう呟いてムラサは口を閉じた。
一輪はそこまで自分のことを心配してくれたのかというありがたみと、そこまで相手に心配させてしまっていたのかという申し訳なさを同時に感じた。
別に、大したことじゃないのに。
「大したことじゃ、ないんだ」
「え?」
冷め切った茶の横で今度は一輪が語り始めた。
「『もういいかな』って思っちゃったんだ。姐さんが復活してみんな揃った時に。『いなくてもいいかな』って」
「存在意義だとか役目だとかそんな小難しい話じゃなくて、何だろ、満足しちゃったのかな。自分でもよく分からない」
「寺のみんなは好きだし、一緒にいたい。だから、姐さんに憧れてみたり、煙草吸ってみたり、飴玉貰ってみたりして、どうにか自分をここに繋ぎ止めてるんだと思う」
「それでももし、私が流れていってしまいそうになったら、その時は」
ムラサは手の甲に温もりを感じた。一輪は手の平に温もりを感じた。
ムラサは相方の顔を見た。一輪は相方の顔を見られない。
反対側の手で頬をついて、ちょっと顔を伏せて。
「みつの、あんたの錨で、繋ぎ止めてくれると助かるなー、とか。思っちゃった、り」
言い終わった後も一輪は目線を明後日の方向に向けたままでいた。
格好をつけすぎた、恥ずかしい。しかもどもったし。
だけど、握り返された手の感触に思わず顔を上げ隣の船長を見た。
ムラサはにっこり微笑んでいた。
決意、なんて大層なものではないけどそんな感じのものを胸に秘めて。
「任せて、いっちゃん」
「任した、みつ」
夕暮れ時に二人、手を繋いで。
***
以来の話。
煙草の本数が少し減った。
名前を呼ぶ回数が少し増えた。
誰もそれに気づかない。
上空で見ていた入道だけが知っている。
いちさんかっけぇ!!
( ゚∀゚)彡 ムラいち!ムラいち!
⊂彡
いっちゃんとみっちゃんはこれくらいの距離感がいいと思うんだ、もちろん激甘なのも良いがね。
これは惚れるしかない。
空の入道使いに海の船幽霊、浮かぶ雲に沈む錨
やっぱりこの二人は対称的なんだなぁ
カップリングの名称は色々ありますが、作者様のお話の二人だけは
『いっちゃんとみつ』、オリジナルで呼びたいなぁ。
あ、それとナズ、君のあだ名はたった今『ガンバ』に決定した。
ナズさんは後に白イタチとガチっすかね。
やっぱり友情以上恋愛以下、ほんの少しの倒錯くらいがちょうどいいですよね。
にしても、小傘に追われる雲山かw
これが友情以上恋人未満、という奴っすか……いいなぁ。
ありがとうございました
凄くいいです……
いいコンビですやっぱり
>>うっとおしい
うっとうしいの間違いだと思われ
この空気だけでご飯三杯いける!
結構ベタでありがちだと思われそうだが、幽霊ポジのムラサの方が存在が不安
定に書かれたり、一輪さんが普通にしっかりしてるssだったりとむしろ逆の方
がよく見られるんだよね
良作を読めたことに感謝!テーマが簡潔なのも好きだなあ
わをんさんの書く二人は良いね、後書きも含め同意したい
アリスさん、今日の演目は『プリンセスブレイブ』ですかw
ちょうど良い距離を保った、二人の仲の良さがとっても好みでした。
たまらんね!
最後のやり取りが素敵。
素敵なムラいちありがとうございます。