Coolier - 新生・東方創想話

風神の湖にて、初夏

2010/05/23 15:48:41
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 青々とした若草が萌える、ある日の午後の事でした。昼食を食べ終えて、やる事も無く
なってしまった諏訪子は、さて、何をしたものかと、縁側で思いあぐねておりました。穏
やかな日差しがあたり一面を包み込み、そよぐ薫風が木々についた青葉を揺らします。ふ
と外に目をやると、目に入り込んできた物は雲一つ無い青空でした。そこでは、複数の鴉
天狗たちが、せわしく大空を翔ておりました。もう春も中頃、外出するのにもってこいの
気候です。ともすれば、するべきことはただの一つでしょう。暖かな陽気を浴びながら、
うつらうつらとする誘惑を何とか断ち切って、付近を散策しようと心に決めました。何か
を持っていくということはありません。玄関に走り、靴箱にしまってある靴には目もくれ
ず、そのまま諏訪子は神社を飛び出して行きました。

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 さて、勢い良く出発したは良いものの、肝心の行き先をまだ決めて無かった事に気付き
ました。山の空気は澄み渡っており、狭い室内から抜け出した事による開放感に心は満ち
満ちております。諏訪子は、胸の高鳴りを知らず知らずのうちに感じました。ただ、外を
出歩くだけではつまらない。上空では、先程の鴉天狗たちが、どうやら山頂に向かって飛
んでいるようです。おや。この山の上部にある物と言えば、神社と湖くらいだった筈。天
狗たちの住処から神社へは、飛んでいくような距離ではありません。だとしたら、きっと、
彼女たちは湖へ行くのでしょう。あそこは木々に囲まれていて、歩いていくには少々厳し
いから。だから空を飛んでいる。そう思い至り、諏訪子は、どこに行くかも決めていなか
ったし、この際だから、下からその天狗たちを追いかけて行くことにしました。諏訪子の
小柄な体ならば、入り組んだ雑木林を抜けるのも、苦になることは無いでしょう。

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 さて、先程諏訪子は暖かな陽気を浴びながら昼寝でも、と一瞬思いました。しかし、暖
かな、というのは間違いであることに歩いている内に気が付きました。確かに神社の縁側
でのんびりとしている分には暖かなままだったでしょう。でも、今のように、太陽の日差
しの降り注ぐ下、ひっきりなしに歩いていれば、段々暑苦しくなっていく事は分かりきっ
た事でした。なんだか体がむずむずしていきます。一度気になってしまったら、纏わりつ
くその感覚から抜け出す事は簡単ではありません。早く何とかならないものか……そうだ、
せっかく湖に行くんだ、少しくらい水浴びをしていっても良いかな、なんてことを思いな
がら、諏訪子は目的地へ急ぎました。

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 上を見上げても、あの鴉天狗たちはもう見えなくなっておりました。きっと、もう到着
したのでしょう。そして前を見れば、あの湖はもう目と鼻の先にありました。木々の隙間
から、雄大な、それでいて、粛々とした面持ちで、それは臨在しておりました。――風神
の湖、山坂と湖の権化、あの、八坂神奈子の、化身。草木は踊り、湖面は穏やかに波立っ
ております。上から差し込む光によって、それは白く照り映えておりました。不意に、ふ
ぅっと、弱い風が、諏訪子の横を吹き抜けました。それに応じて、すらりと伸びた諏訪子
の髪がなびきます。どこからか、虫の、ささやくように鳴く声が聞こえてきます。それだ
けです。あの、下から追いかけた天狗たちは、どこにも見えません。それどころか、人の
気配が全くないのです。そこには諏訪子しかおりません。そして、目の前に構える、神の
化身、風神の湖に、ただただ諏訪子は圧倒されるばかりなのでした。そしていつしか、ふ
わふわと体が浮き上がるような感覚と共に、視界が段々とぼやけ、まるで煙が空に消えて
いくかのように、意識を失っていきました。

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 目を開けると、そこは神社の縁側でした。どういう訳か、そこに諏訪子は横たわってお
りました。どうやら、しばらくの間眠っていたようです。あたりは既に、夕日によって茜
色に染まっております。諏訪子は、体中が、まだ、じめじめしている事に気が付きました。
思いっきり体を動かした後の、あの倦怠感――先程の出来事は、夢ではないようでした。
服がべったりと体に張り付きます。体を洗い流したい。諏訪子は起き上がり、外に出て、
とにかく、水を浴びてこようと思いました。ふと、台所の方から、夕食の匂いがほのかに
漂ってくるのに諏訪子は気が付きました。もう直ぐご飯の時間です。きっと、早苗が腕に
よりをかけて作っていることでしょう。手早く済ませなければ、せっかくのご飯が冷めて
しまいそうです。遅れないように、急いで諏訪子は外に駆け出しました。

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 守矢神社の鳥居、その壮大な佇まい、見るものを圧倒させ、神社に祀られる神のいかに
徳が高いかを身に染みて感じさせます。わずかに残る夕日に、その鳥居は照らされており
ました。その頂点に、ぽつんと、何者かが立っているのが見えました。影になっていて、
よく見る事はできません。諏訪子は立ち止まって、その影を少しの間、じっと見つめてお
りました。そしてまた、体を洗いに行く為に走り出すのでした。鳥居の上に立つその人物
は、じっとしたまま、ただただ、そこでこの幻想郷を、見下ろし続けているのでした。
大きな異変や、華やかな弾幕の裏に隠れた、少し不思議な日常。
諏訪子に対するちょっとした悪戯か、あるいは他の意図があったのか。
それは、きっと神のみぞ知る事なのでしょう。
オクラ
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コメント



0.150簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
何とも言えない雰囲気で良かったです
5.80名前が無い程度の能力削除
神社付近の静けさが感じられる作風だったと思います。
一部表現に違和感がありました。

>胸の高鳴りを知らず知らずのうちに感じました。
通常、知らず知らずは、無意識に○○している時に使うと思うのです。感じる、ということは自覚しているので、知らず知らずが適切な表現か微妙なところです。

>見るものを圧倒させ
これだと見る者が他人を圧倒するように神社が仕向ける、というような意味になるので、単純に「圧倒し」で良いかと思います。
6.80優依削除
雰囲気が好みに合っていて、楽しませていただきました。
何をやっていても気づけば汗ばんでいて、もう少し涼しければ良かったのにと思ってしまう――。
快晴で気温も丁度よいと感じても、それは一時の感想に過ぎないという事はよくありますよね。
暇を持て余している諏訪子が、天気の良い日、靴を履かずに飛び出して、意味も無く天狗を追いかける。
そこから水浴びという新しい目的が出来るのは、何気ない風に書かれているけれど、とても自然な流れだと感心しました。
湖に着いたとき、一番最初の目標(と言う程でもないのですが)であった鴉天狗はいない。
とっくに着いているのだろうけど、何故かいないのだと書かれています。
しかし、そこに余分なものは存在しないことは、書かれる前から分かっていました。
威厳に満ち溢れた八坂の神のイメージが頭の中に描かれていたからです。
言の葉は一つもなく、動きも無い。それなのに(あるいは、だからこそ?)心が圧迫される感じがありました。
他の人物も風景も焦点の外にあり、ただ、ひとつの存在がそこにあるというのでしょうか。
裸足で山を駆ける少女を観察していたのが、この時ばかりは彼女の視点と同化してしまいました。
一陣の風によってわずかに注意が外へと向き、忘れかけていた天狗を思い出したり虫の声を拾いますが、それも一瞬。
雑念が混じって少女と私の視点は分離しましたが、再び意識は神へ。
先程は永遠に時間が続くように感じたのですが、今度はそうなりませんでした。
神に少女と木々や湖のイメージが融合して、幻のようにあやふやな像になってしまったためです。
おそらく、読み手と少女の失神の理由は異なるのでしょう。けれども世界が曖昧になるのは同時でした。
目の前にそれが在る状態の諏訪子にとって、風など閾下の刺激に過ぎないはず。
「何も無い」という情報を私達が受け取るのに対して、彼女にとっては本当に何も起きていなかったのだと想像できます。
諏訪子にしてみれば気を失うまでの間、この時間が終わる事は無いと感じていたに違いないでしょう。
誰かに声をかけられたりして意識が切り替わるというのは、無粋を超えて、この世界では「ありえない」のですから。
幻想の時間が崩れて少女が眠りに落ちる(読者にとっては目が覚める)場面転換は、この切り替えしかないと感じました。
さて、後の物語は風呂敷を畳むだけの部分です。前後している単語はありましたが、ここも綺麗にまとまっていました。
夢が終わって、もう夕食。湖で果たせなかった水浴をするために出て、見上げる。鳥居がある。神がいる。
最後に美しい画を思い浮かべる事ができて、先程までの余韻に浸ったまま、静かに一日が終わるのを感じる事ができました。
実に良い作品だったと思います。
しかし、途中で諏訪子が意識を失う事についてだけは、どうにも納得がいきませんでした。
というか、この一日を体験したのが人間の子供で無かった事が不満なのかもしれません。
互いに神であるはずなのに、関係が神と人に近いような印象がありました。
八坂様の方が力関係では上だというのは分かっているのですが……。
いっそ早苗の娘(子孫)という設定ならば引っかかりもなく読めたのかもしれません。
などと……こんな文句をつけていますが、湖の場面では前述の通りに思っていたのは確かです。
読後に思い返してみると、ちょっとおかしいかなと感じる部分があっただけで、あまり気にする事は無いのかもしれません。
それでは、また。