暖かな春の陽気はポカポカと、吹き抜ける風が頬を撫でて心地良い。
それはこの場、命蓮寺においても変わりは無く、ゆったりとした気温の中で皆は思い思いの時間を過ごしている。
その自由な時間を満喫しているだろう仲間を探す二つの人影。
毘沙門天の代理、寅丸星とその従者、ナズーリンである。
「ムラサー、どこに居るのですかー? 返事をしてくださーい!」
「……おかしいな、いつもこの辺りでボーっとしていると思ったのだけれど」
縁側で件の人物の名を呼ぶが返事は無く、姿も見つけられず、ナズーリンは主人の傍らで小さくため息をついた。
いつもは縁側でボーっとしていることの多いムラサこと村紗水蜜であるが、時々こうやってふらりと出て行っては、またふらりと人知れず帰ってくることが時々起こっている。
それが悪いとはいわないが、彼女たちが信を置く聖白蓮がそのたびに心配するので、せめて行き先ぐらいは告げて欲しいと思うのが正直な思いでもあった。
そんな彼女たちのいる反対側から、口笛を吹きながら歩いてくる人影がひとつ。
最近、この命蓮寺に住み着いた新たな住人、村紗とも仲の良い封獣ぬえである。
「ムラサなら釣りに出かけてて居ないよ」
「釣りですか?」
「そ。釣竿とバケツもって出て行ったし、今までも何度か釣りに出かけてるの見たよ」
あんなのの何が楽しいんだか。そういって肩をすくめたぬえを見やりながら、ナズーリンは得心がいって呆れたように瞳を閉じた。
何でここにはこう、ナイーブな連中ばかりなんだかとため息をついたナズーリンの表情には、深い疲れの色が見えていたとか何とか。
▼
紅魔館の目前には巨大な湖が存在している。
その広さは広大であり、ともすれば海と勘違いしてしまいそうなほどの面積があった。
その湖のほとり、紅魔館とはまったく正反対の位置で彼女―――村紗水蜜はぼんやりとした様子で竿を垂らしている。
どれくらいそうしているだろうか。傍らのバケツには小さな魚が三匹ほど、スイスイと窮屈そうに泳いでいるが、村紗は小さくため息をついて浮かない顔だ。
そんな彼女の元に、ふわふわと舞い降りる人影がひとつ。
それに少しだけ視線を移して、笑顔を浮かべてひらひらと手を振ると、人影はどこか嬉しそうに笑顔を浮かべてくれて、それで少しだけ、憂鬱な気分が和らいでくれた。
「釣れますか?」
「んー、ぼちぼちね」
ここに来るようになってすっかりとかお馴染みになった少女にそんな言葉を返して、村紗は再び視線を竿に戻す。
傍らで少女が微笑んでる気配がして、そんな彼女に苦笑しながら時折竿をクイクイと動かしてみるが、やっぱり効果なし。
「大ちゃんは、今日はいつもの氷精とは一緒じゃないの?」
「はい。チルノちゃんは今日、天狗さんの取材で手が離せないみたいで」
「ははぁ、それはまたなんとも物好きな」
苦笑して、彼女―――大妖精にそんな言葉を返してみれば、同じように苦笑して「そうですね」なんて声をこぼす。
それから少しの無言。どちらとも無く話すことをやめ、ただ静かに竿の動きを目で追っている。
静かに揺れる水面は変化も無く、獲物が掛かったと知らせる竿の先には微塵も揺らぎもしない。
釣りとは根気の勝負だ。時には何十分、あるいは何時間と獲物が掛からないなんてことはざらにあるし、だからこそ釣り上げたときの喜びが格別なのである。
こうしていると、昔を思い出すなぁなんて心中で思う。
それは、まだ自分が人間として生きていた頃であったり、舟幽霊として人間の船を沈めていた頃だったり。
未練だなぁと、自覚もある。かつて自身を縛り付けていた海が恋しく思える辺り、村紗はやはりどこまで行っても皆が言うように船長なのだろう。
もっとも、その船も今は寺になっているし、そもそも海の無い幻想郷では船長として活躍するには難しいだろうが、ソレはさておき。
「あぁ、見つけた。こんなところに居たのか君は」
そんな風に昔を思い出していた村紗の耳に、聞きなじんだ声が入り込む。
それで意識を現実へと引き上げた彼女は声のした方に振り向くと、同じ志を持った仲間であるトラとネズミのコンビがそこに立っていた。
「あらら、ナズーリンに星じゃない。どうしたのさ、こんなところで」
「ソレはこちらの台詞だよムラサ。出て行くなら一言伝えてからにして欲しいな。そうでないと私はともかく、他の連中が心配するだろう?」
「あはは、相変わらずナズーリンはお母さんみたいなこというねぇ」
「……ほう、ソレはつまり私が所帯くさいといいたいのかなムラサ船長?」
底冷えのするような声でナズーリンは村紗を睨みつけるが、彼女はソレを意に介した風も無くカラカラと楽しそうに笑ってみせる。
ナズーリンの眉が鋭角につり上がっていくのだが、ソレを見かねた星が「まぁまぁ」と彼女をなだめた。
そんな様子に苦笑していたのは大妖精である。なんてことの無い気の緩んだやり取りは、見ていてどこか微笑ましいところがあったからか。
「で、こんなところで釣りをするような趣味を持っていたとは初耳だが?」
「趣味……て程でも無いよ。ただ、こうしてると気分が落ち着くというか……ほら、私は海の女だし」
「意味がわからないんだが」
深いため息がひとつこぼれ出る。
聖を救出するために動いたときはあんなに生き生きしていたというのに、今の村紗はまるで隠居した人間のようだ。
大きな目標を達成して、次の目標を見失ってしまったような、そんな雰囲気を今の村紗水蜜はまとっている。
ソレを無理に隠して、今も目の前でけらけらと笑って見せてはいるものの、どことなく元気が無いのは気のせいでもあるまい。
「まぁ、いいさ。隣に座るよ船長」
「およ? 見てて楽しいもんでもないよナズーリン」
「当たり前だ。私も釣るから隣に座るといったんだ……と、もう少し距離を離したほうがいいか」
そういって位置を調整しながら歩くナズーリンの言葉に、村紗は目をパチクリと瞬かせた。
「なんで?」
「あぁ、言っていなかったが今日は夕食の材料を集めるためにここに来たんだ。君を見つけたのは正真正銘、まったくの、偶然だよ。
ところでそこの妖精君、魚が集まりそうな場所があれば教えて欲しいんだが」
「あ、はい。私でよろしければ」
不思議そうに首を傾げる村紗には見向きもせず、ナズーリンは顔を見られないように湖に視線を向ける。
彼女の手には愛用のダウジングロッドに糸を括り付けただけの急造の釣竿。
ナズーリンに駆け寄る大妖精を見送りながら、村紗はふと星に視線を向ける。
そこには、困ったように、ソレでいてどこか微笑ましそうな笑みを浮かべるトラの姿。
その笑みの意味がわからずに首をかしげた村紗だったが、竿の引く感触でそれ所ではなくなってしまったのであった。
▼
バケツの魚が四匹に増え、けれどもそれ以降は食いつく気配すら見せずにぱったりと当たりがやんでしまった。
別にそれはかまわない。釣りって言うのは大体にしてそういうものだ。けれども、村紗はため息をつかずに入られなかった。
深いため息をつく村紗の隣で、大妖精が気まずそうに引きつった笑みを浮かべておいでだった。その視線の先には―――
「フィィィィィィィィィッシュ!!」
ザパァァァンッと勢い良く魚を釣り上げる、ノリノリのネズミがそこにいた。
普段のクールな彼女からは想像も出来ないテンションの高さで嬉々として魚を釣り上げるナズーリン。
そしてその釣り上げられ、そのまま勢いで針から外れて宙を舞う魚は―――
「ごろにゃーん!」
腹ペコタイガーが口でナイスキャッチしておいでだった。
そのままもぐもぐと咀嚼し、目を輝かせてご満悦な毘沙門天代理こと寅丸星。
普段の威厳もへったくれもないトラそのもの……っつーより、猫そのものな行動に、大妖精は愛想笑いを浮かべることしか出来なかったのである。
「はははははははは! 存外に楽しいものだな釣りというのも! ところでムラサ、君は今何フィッシュ目かな? 私は今ので30フィッシュ目だが?」
「うるさいなぁ、静かにしててよナズーリン。魚が逃げちゃうじゃない」
「おっと、コレは失礼。しかし、私のダウジングロッドならば魚を釣り上げることなどたやすいことだよ。
ところでムラサ、―――ここら一体の魚、全て釣りつくしてしまってもかまわないだろう?」
なにやら無駄にかっこつけて口走るネズミにため息をつき、すぐさま「フィィィィィィッシュ!」とノリノリな声が聞こえてくる。
ちなみに、ナズーリンが釣り上げた魚は全部、星の胃袋の中に消えていった。
無意味である。まったく持って無意味なことこの上ない間抜けな光景であっただろう。
一体コイツ等何しに来たんだろう。アレか、嫌がらせか? などと割と本気で悩み始めた村紗だが、まぁいっかと適当に考えるのを切り上げる。
何事も深く考えすぎないのは彼女の美点である。同時に欠点でもあるのだが、それはさておき。
「あ、ムラサさん。引いてますよ!」
「お、この手ごたえは大物ね!!?」
「フィィィィィィィィィッシュ!!」
竿は大きくしなり、腕に掛かる力は今までの比ではない。
錨を振り回すほどの彼女の力をもってしても、ピクリともしない力の強さに、知らず知らずのうちに深い笑みがこぼれ出た。ネズミの声も最早瑣末ごとだ。
上等だ。これほどの大物に出会えたのは果たしていつ以来か。
竿を握る腕に力がこもる。普通ならここで魚との根気とタイミングの勝負が巻き起こるのだが、そこは我らがムラサ船長。
合計8本の錨すらも同時にぶん投げることを可能にする彼女の細腕に宿る力ならば、一気に釣り上げることも可能なのである。
「せりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「フィィィィィィィィィッシュ!!」
村紗の気合とナズーリンの気合が重なる。そしてその直後に聞こえてくる「ごろにゃーん」という猫撫で声。
そして現れたのは―――
「こんにちわ、永・エイ・玖です」
エイの着ぐるみに身を包んだ竜宮の使いだったんで、そのまま竿を戻して何も言わずに湖の中にリリースした。
「フィィィィィィッシュ!!」
「ごろにゃーん!!」
「うるさぁぁぁぁぁぁい!!」
そしていい加減鬱陶しくなってきた約二名に錨をぶち込んで黙らせる村紗であった。
▼
空は夕暮れに染まり、茜色が村紗たちの瞳に深く映りこむ。
バケツには合計七匹ほどの魚。大量、というほどではないかもしれないが、少なくとも夕飯の人数分の数にはなったので、まぁ良しとしよう。
「ムラサ、頭が痛い上に記憶が曖昧なのですが……」
「何かあったのか私たちは。何か致命的なことをやらかしてしまったような気がして仕方ないんだが」
「あ、うん。なんでもないよ、なんでもない」
「なんだかやたら胃が重いんですが……」
「なんでもないってば星! さぁさぁ、聖がおいしい料理を待っているわ!」
なかば無理やり会話を打ち切るのは彼女の老婆心か、それとも二人の頭に錨を直撃させて記憶をすっ飛ばしてしまった罪悪感からか。
釈然としない様子の二人だったが、村紗がズンズンと先へと進んでいってしまうので仕方なしに彼女の後を追いかける。
まぁ、思い出せないのなら大した事じゃなかったんだろうと無理やり納得して、二人は村紗の背中を眺めていた。
「ムラサ」
「ん、何?」
ふと、彼女の名前がついて出る。
不思議そうに振り返ったムラサの表情を見て、ナズーリンは言葉を紡ごうとし……苦笑して頭を振った。
「いや、今日は君が夕飯の当番だろう? おいしいカレーでもリクエストしようかと思ってね」
「もちろん、そのつもりだったけどさ……ナズーリンからのリクエストなんて珍しいね」
「そうかな?」
「そうよ。ぬえとかなら結構アレコレ言ってくるんだけどね」
そんな風に苦笑して、「まぁ頑張りますか」と満面の笑顔で言葉をこぼす。
その表情を見て、意地の悪そうな微笑みながら「期待しているとも」などとプレッシャーをかけてやる。
それが聞こえているんだかいないんだか、村紗は上機嫌な様子で歩みを進めていく。
「何も言わなくてよかったのですか、ナズーリン。ムラサのことが心配だったのでしょう?」
「まぁ、確かにそうだけどね。釣りに行ってると聞いて、海が恋しくなってるんじゃないかと心配だったわけだが」
「事実そのとおりだったがね」と言葉にして、ナズーリンは肩をすくめる。
星の言うとおり、村紗の様子を心配したからこそ、わざわざナズーリンは彼女に会いに行ったのだ。
釣りに行くのは、恐らくだが海が恋しくなって憂鬱になっているからなんだろうとあたりをつけて。
事実そのとおりであり、ナズーリンは口ではなんだかんだというが皆のことは仲間と思っているのだ。
だから、悩みがあるなら相談に乗ろうと思って、星と一緒に村紗の元に来たわけなのだが。
「けれど、あの様子なら心配要らないだろうさ。釣りはムラサにとって一種のけじめみたいなものなんだよ、ご主人。
この幻想郷には海がない。だから、海が恋しくなってもそこにはいけない。けれど―――釣りという行為は海でも出来るし、川でも出来るし、そして湖でも出来る。
だから、彼女は釣りをする。釣りをしながら昔を思い出して、そしてまた明日から頑張ろうって自身に発破をかけるんだろうね」
「無論、全て想像でしかないがね」と、肩をすくめたナズーリンの言葉を聞き、星は満足そうにクスクスと笑った。
それを見てムッとした表情を浮かべたナズーリンを見やり、「ごめんなさい」と苦笑しながらぽんぽんと手を頭の上に置く。
「さすがナズーリンですね。人の心の機微を掴むのもお手の物ですか」
「私はネズミだからね。ずるく小賢しく、そして相手の顔色を伺うのも得意になってしまうものだよ。種族柄ね」
そんなやり取りをする主従の言葉。
それはどこか微笑ましくて、確かな信頼が感じられる暖かいやり取りだっただろう。
そのやり取りは―――先を歩いていた村紗の耳にも届いていた。
生憎、村紗水蜜は海の女。荒れ狂う波の音に混じって聞こえる人の声が聞き分けられる彼女の耳ならば、二人のやり取りを聞き取るなど造作もない。
まさか、二人は村紗に聞こえているとは思ってもいないだろう。そんな様子に苦笑して、村紗はポツリと言葉をこぼす。
「まったく、ぶきっちょのネズミめ。アンタはどこの覚妖怪よ」
本当に、恐れ入る。ナズーリンの言葉はまさしく正解であり、彼女は海が恋しくなるたびにこうやって釣りに赴くのだ。
誰にもそのことで心配かけないように、一人で、こっそりと。
それは今回のことで無駄に終わってしまったようだが、まぁいいかと能天気に考える。
良くも悪くも、深く考えないのが彼女、村紗水蜜なのだ。
心配してくれたのは、素直に嬉しいと思う。
何しろ、自分たちの中では一歩引いた位置にいるあのナズーリンが、自分のことを心配してくれていたというのだ。
それが、嬉しくなくてなんだというのか。
これからも、きっと彼女は海が恋しくなる。
その度に、こうやって釣りに出かけて、海に対する思いにけじめをつけながらも昔を思い出すのだろう。
本当は、それがタダの誤魔化しに過ぎないのはわかってる。けれども―――
「私の居場所は、やっぱり皆のところだからね」
そんな、満ち足りた言葉を紡いで、村紗は笑う。
船長としての役目は果たせなくなったけれど、それでも、自分の居場所は聖たち仲間の中にあるのだと。
聖と出会うまで、村紗は独りだった。
何度も何度も人間たちの船を沈め、何人もの人間たちのもがき苦しむさまを見続けてきた。
それから解放してくれたのは、他でもない聖。
救われて、右も左もわからない村紗を支えてくれたのは、他でもない仲間たち。
だから、自分の帰る場所は海じゃない。他でもない―――皆のところだ。
そんな風に、今は思える。だからこそ、海のない幻想郷で彼女は心から笑えている。
夕暮れの空を見上げながら、村紗は笑う。
今日は皆に飛びっきりのカレーをご馳走してあげようなんて、そんな事を考えながら。
帰る場所があるのって幸せですね。そう感じさせられました
悟妖怪→覚妖怪でごじゃる。
錨八個……そういえばそうだったなあ……うん、あれは怖かった。
租借→咀嚼
黄金の釣竿を大漁旗のごとく大量におったてて
参戦してきそうだなあwwww
なんとなく、わかめっぽいこーりんが『こころよく』貸してくれたのだと妄想w
どうゆう事それぇーーー!!!
センス良すぎでしょう、貴方ww
ナズーリン with アー○ャーwww
確かに、口調は似た感じですが…。
あとタイガーは、よりダメになってるしww
ノリノリなナズーリンと「ごろにゃーん」な星ちゃん想像しただけでもう!
なんて言うか!ああああああrtghj;klぽ
フィィィィィィッシュ!!てまさかグランダー武蔵!?
穏やかにおもしろい話でした。
>それから開放してくれたのは→解放
ナズーリン。君、タイガー道場行き決定!
水蜜に舌を入れるに見えたww