博麗神社に来る猫は二匹いる。
どちらも尻尾は二本あることから、普通の猫ではない。片や死体を好む猫で、もう一方は不吉を呼ぶ猫。正直に言えば、どちらも訪問をお断りしたい猫である。
しかし邪険に追い払っても懲りずにやって来るし、かといって猫又避けに結界を張るのも手間である。というか、妖怪猫だけを阻む結界なんてものも無いので、どうしようもないのが現状だ。
(まあ別に、来られたからといって、問題があるわけじゃないんだけど)
などと、霊夢は居間で寛ぎながらぼんやりと思った。
神社という場所的な問題は大いにあるだろうが、それを言うのは今更だった。妖怪猫に限らず、この神社には魑魅魍魎が跋扈しているのだから。
「ニャーン」
声を上げたのは、火焔猫のお燐だ。
先ほどから霊夢の膝の上に乗りたそうに、ぐるぐると彼女の周りを回っている。が、そこにはすでに湯飲みを持った両手がある。わざとだ。この猫は重たそうなので、霊夢は膝に乗せるのを嫌がっているのだった。
その意図は察しているだろうに、お燐は主張を繰り返すようにぐるぐると回る。そろそろ眼を回して倒れるのではないかと霊夢は思ったが、彼女は知らん振りを貫いた。むしろ倒れれば静かになるだろう。早く倒れてしまえとさえ思った。
「ニャーオ」
やがて痺れを切らしたのか、声の調子を変えてお燐が鳴く。甘えるような声である。
そこに含まれた意図は明白だ。乗せて。
「今日は雨が降って嫌ね」
それを無視する心地で、霊夢は誰にともなくつぶやいた。
お燐がすりすりと膝に頭をこすり付けてくる。猫の毛が付きそうで、霊夢は眉を顰めたが、構わず続けた。
「洗濯もできないし、じめじめしてるし……あんたも帰ったほうがいいんじゃないの」
邪魔者を払う気持ちで、問いかけるが。
お燐はがじがじと膝を噛みだした。痛くは無い。いや、少し痛いが甘噛みというやつだろうか。妙な噛みかたをすると、霊夢は感じた。
「こら、やめなさい」
駄目でしょと、叱咤するとお燐は素直に止めた。
代わりに、顔を上げてじっと見詰めてくる。媚びるような眼差しだ。
しかし、そういった情を含んだ目線は、博麗の巫女には一切通じない。どんなものであれ、ばっさりと切って捨てるのが彼女である。たとえ大妖怪だろうと、びしばしとしばき倒すのが巫女の務めである。
それでも諦めるようにため息をついたのは、外が雨だったからか。晴れならば境内に逃げられただろうが、外が雨では逃げ場は無い。猫によってここから動かされるのも、なんとなく癪である。つまりは気まぐれだった。
「まあいいか……」
呆れ混じりにつぶやいて、お茶を机に置く。
膝が空いたのを好機と見たのだろう。お燐がネズミを仕留めんばかりに飛び乗ってくる。
「うわ重」
ずっしりとくる猫の重量に、思わず声を上げる。
お燐はぶるぶると震えていた。実は霊夢の膝の上に乗るのは、これが初めてだったのだ。神社に来るたびに、野良猫を追い払うようにしっしと手を振るわれ。それでも通いつめて通いつめて、ようやく手にした場所である。感極まっていた。
「猫って重いのね。すぐ退いてよ」
あしらうように言う。
霊夢も、猫を膝の上に乗せるのははじめてだった。
まあ重い。重いだけだ。どうして猫が膝の上に乗りたがるのか、不思議だ。自分の膝の上が居心地の良い場所とも思えないのだけど。
「……」
お燐を乗せたまま、ぼうっとする。
特にやることも無く、霊夢はふと眼をつむった。外から雨の音が聞こえる。それだけだ。昔から、雨の日は雨音を聞くだけの日だ。それ以上でも、それ以下でもない。
染み渡るような音。うるさくもなく、心地良いわけでもない。ただ身に染みる音。何度も聞いた音だ。きっとこれからも聞くのだろう。
やがてぷーぷーという音が混じり、眼を開ける。お燐が寝息を立てていた。
「あら、寝ちゃった」
つぶやいて、その背中を撫でる。
そして気がつく。
(あ、気持ち良い)
たったそれだけのことなのだけど。
霊夢にとっては新たな発見だった。人も寄り付かぬ神社にいて、やることと言えばお茶を飲んで掃除をして妖怪をしばき倒すことぐらい。
出歩くことも少ない為、普通の人間が人里で得ることや発見することも、彼女には殆んど無い。それは博麗の巫女として受け入れなければならないことなのだけど。
こうして新たなことを自分で見つける事は、彼女にとっては大きなことだった。たとえそれがどんなに小さなことでも。
「猫って撫でると気持ち良いのね。これなら邪険に扱わないで、少しぐらい撫でてあげればよかったなぁ」
などと言って、その感触を確かめるように撫でる。
それに触発されたのか、お燐の寝息が更に深く安らかなものになった。巫女の衣装越しに、お燐の暖かさが伝わってくる。
のんきなものねぇ、と霊夢は自然と笑みを浮かべていた。
でもしばらくして膝が痺れたので、お燐を叩き落した。
地底に住む猫。
死体大好き火焔猫ことお燐は、今日も今日とて博麗神社へと足を向けていた。るんるんと、猫でありながらスキップでもしそうな様子だった。
以前は週に数回程度の来訪が、ここのところは毎日足繁く通っている。きっかけは博麗の巫女の膝の上に乗せてもらえたことだ。それに味を占め、また霊夢の対応も驚くほどやわらかくなったので、上機嫌だった。
巫女は、いつも決まった時間に縁側に居る。今日もやはりいた。独り静かに座り、ぼんやりと遠くを眺めている。その姿を見ると、お燐の気持ちは跳ね上がるのだ。うひょうっとなる。
そのまま眺めていても良い。が、やはりさわって欲しいし、声を聞きたいのだ。
なので近づけば、勘の良い巫女はすぐに気が付いた。半径50メートル。お燐の経験からして、それが巫女の間合いだ。それより近づけば、感づかれる。恐ろしい。巫女は人間ではないと、お燐は確信していた。
とにかく霊夢の足元に近寄れば、巫女は呆れたような表情で迎えた。
「あんた、また来たの? ここ最近毎日来るわね」
「ニャーン」
猫である利点は、鳴き声である。
人型では返事をしにくいことも、猫ならばニャーン一発で済ませられる。素晴らしい。ニャーン。
縁側に腰かけ呆れている霊夢を、お燐はじっと見上げた。その視線に、ある意図を籠めながら。
それを汲み取ったのだろう。巫女は小さなため息をついたが、表情を緩めた。
普段滅多に見せない小さな笑みを浮かべ、ぽんぽんと自分の膝をたたきながら、
「おいで」
とやさしい声で促してくる。
ああ、とお燐は喉を震わせた。
今なら死んでもいいと思った。でも死ぬのなら霊夢の膝の上で死にたいので、巫女の膝の上に飛び乗った。
「っと、相変わらず重いわねぇ。太りすぎなんじゃないの?」
乙女になんということを言うのか。
他の者なら爪の研ぎ石にしてやる台詞も、巫女ならば仕方ないと思えるから不思議だ。霊夢は基本的に歯に絹を着せぬ物言いをする。それでもやっぱりちょっと傷つく。
抗議の意味を籠め、二つの尻尾で霊夢をぴしぴし叩く。が、気づいていないようだった。
むっとして、もう一度叩こうとして――
「はにゃっ」
ぞわぞわっと背筋が震え、声が漏れる。尻尾がぴーんと張った。
(しまった……!)
迂闊。お燐は胸中で叱責した。
博麗の巫女の膝の上において、もっとも留意しなければならないこと。それは気を抜かないこと。
いかなる神的な要素か。霊夢の手はとても気持ち良い反面、妖怪を堕落させる。なでなでされると、たちまち妖怪としての矜持や威厳、尊厳などを取り払われ、ただの畜生と化してしまうのだ。
何故か。
ここに、お燐は一つの仮説を立てた。
一般的に獣の妖怪は、肌で相手の意を汲み取ることができる。相手の喜怒哀楽。そして実力も。それは肌を通した意思の疎通が発達しているからだろう。そこから汲み取った情報は本能的なものであり、極めて精度が高い。
巫女の手を通して伝わってくるのは、ただ触れたいという単純な想い。そこには邪な念も、妖怪だからという気持ちも無い。普段の凶暴な姿からは想像も出来ないほど、ただ純粋なもの。まるで穢れを知らぬ純白のようだった。
それだけでもクリティカルヒットだったが、ならばお燐は幼子に触られる度に、はひはひ言わないとならなくなる。
霊夢の手には、それに加え何かが混じっている。博麗の巫女の手。お祓い棒を握り、御札を並べ、封魔針を投げてきた手。それは妖怪を無力化することを目的とした手。無力化。
恐らくは、そんな巫女的なパワーと純粋な想いが交じり合って、作用を及ぼしているのだろう。その結果、霊夢の手は、妖怪を堕落させ、畜生にまで落とすのだ。それは恐ろしいことである。
「あんたって、しっとりしてて気持ちいいわね。ちゃんとお手入れしてるからかしら」
「なーん……!」
よく通る声でつぶやいて、霊夢が背中を撫でてくる。
おひょうっと胸中で声を上げる。気持ち良いが、これはまずい。
(しっかりと気を保たないと……!)
お燐の脳裏に、初めて霊夢に撫でられた日の光景が浮かんだ。実際は一回目は寝ていたので、二回目だが。
このお姉さんはどんな撫で方をするのだろうと、期待を膨らませていたあの日。お燐は初めて我を見失った。
ひと撫でされて、まず変な声が出た。気持ち良い。ふた撫でされて、また変な声が漏れた。すごい気持ち良い。なにこれと思った。
それから三回四回と繰り返されて、お燐は思った。やばい。なんか判らないけど、これはやばい。今思えば、それは妖怪としての本能が働いたのだろう。どんな妖怪にも、矜持というものがある。物の怪とは精神を主柱とした存在。独自の意義や尊厳を必ず持っている。それが今、取り払われようとしている。それを失ってしまえば、あたいはただの猫じゃんか……! そんな思いがお燐を動かしたのだろう。
さっと血の気が引き、訳も判らず恐怖を感じたお燐は、巫女の膝の上から逃げ出そうとした。
しかし駄目だった。時すでに遅し。普段は聞くことの無い柔らかい声はお燐を虜にし、その手つきは腰を砕いていた。動けなかった。
後はされるがままだった。白いおなかを晒したお燐は、「お姉さん止めて!」と、必死に声を張り上げたが、霊夢からすればにゃんにゃん言っているだけである。「あ、お腹はもさもさしてるのね」と、邪気の無い声で、手を滑り込ませてくる。この巫女は、自分が何をしているのか気が付いていないのだ。
妖怪を貶めているのだと、理解していないのだ。
お燐は悲鳴を上げた。霊夢の手はお腹を容赦なく弄った。やさしく、その感触を確かめるように。
妖怪としての矜持を貫くか、畜生に堕ちるか。恐怖と快楽の狭間で、お燐はもがき苦しんだ。気がおかしくなるほどの快楽に意識が擦り切れ、狂気と正気の天秤が大きく傾いた。気がつけば涙を流し、だらしなく涎を垂らしていた。頭の中は白濁し、あたいはここで死ぬんだと、何度も思った。
眼を覚ませば夕方だった。後で聞けば、寝たと思って放置したとの事。ひどい話だ。そこから先は覚えていない。地霊殿に戻ったのか、それとも神社にお泊りしたのか……
「えーと、ここが好きなんだっけ?」
「にゃんっ!? にゃーんっ!」
「あ、当たり? ほーら、こちょこちょー」
「はにゃーんっ!」
お腹を弄られ、意識が浮上する。
(な、何とかしないと……このままじゃ、あたいは……!)
あの惨劇を繰り返さないため、手をうたなければならない。
しかし、そう息巻く反面、お燐の胸中にはすでに諦念が沸いていた。
自分のだらしのない声を耳に入れながら、お燐はある種冷静だった。
霊夢の膝の上で、もっとも留意すべきこと。それは気を抜かないこと。そう、自分は初手を誤ったのだ。開始早々懐に入られ、重いものを一発貰った。あとはただの消耗戦。結局はじり貧にしかならない。それにもう腰を砕かれていた。逃げられない。
(ああ、おねえさん……)
喘ぐお燐を見て、霊夢は無邪気な笑みを浮かべている。
なんて恐ろしい巫女だ。これは生まれついての巫女に違いないと、確信する。お燐は巫女の定義はよく判っていなかったが、とにかく恐ろしいものだと理解していた。
どれだけの時間が経ったのだろう。一分か一時間か。とにかく正常な判断力を失い、お燐がただの猫と化してにゃんにゃんしている時。
涎を垂らし、なすすべも無く弄られながら、お燐の視界の端に黒いものがちらついた。
黒い猫。自分とおなじ猫又。不吉を呼ぶ猫が、呆然とした様子で霊夢とお燐の姿を見ていた。それもそうだろう。あの猫も霊夢を気にいって神社に来ていたが、一度として撫でられたことは無いはずだ。霊夢の姿を見て、驚いているのだろう。
と――
狂気でしかない快楽が失せる。お燐はぐったりとして、縁側に退けられていた。霊夢が、黒猫を見ている。
ぽんぽんと、先程までお燐が居た膝を叩いて、言う。
「あんたも来る?」
ぱぁっと黒猫の表情が明るくなるのを見た。霊夢からすれば、猫の表情など判らないだろうが。
お燐はなんとか気力を振り絞り、伝えようとした。来ちゃ駄目だと。しかし、言葉を発する気力も残っていなかった。うめき声が漏れるだけだ。
「あんたはどんな感触なのかしら。猫でも、やっぱり種類によって違うわよね?」
「にゃーん」
よいしょと、霊夢に持ち上げられた黒猫はとてもうれしそうだった。
膝の上に乗せられて、すりすりとほお擦りまでしている。
その無邪気な喜びが、どう歪んでしまうのか。にゃーにゃー泣きながら許しを請い、それでも気づかれずに尊厳を貶められ、蹂躙されるのが目に見えるようだった。
「ふーん。あんたはすべすべしてるんだ」
「!」
ああ、とお燐は胸中でつぶやいた。
突き抜ける青い空に響く喘ぎ声を聞きながら、お燐は思うのだ。
(また明日も来よう……)
後日。
自分の式が世話になったと九尾の狐がやってきて、巫女はその尻尾に興味を示し――
更に後日。
博麗神社に九尾の狐が入り浸っているとの噂を仕入れた鴉天狗がやってきて、巫女はその翼に興味を示す。
妖怪が妖怪を呼び、博麗神社に幻想郷に住まうあらゆる獣の妖怪が集まりはじめる。
これが後に語られる博麗王国の誕生秘話である。
ニヤニヤが止まりませんねぇ……。 藍たちも霊夢に虜になってしまったりとか面白かったです。
くそぅ、あやかりてぇ……
ちなみに、燐の時は女の子座り、橙の時は正座の霊夢を希望します。
もふ!もふっ!なでなでもふもふ!
みんなかわいいよもふもふ!霊夢ももふもふ!
…温もりが欲しい…
いいぞもっとやれ
さあその後日談を書く作業に戻るんだ
殆ど究極と言っていいエロですっ!
喘ぐお燐がもう‥橙、藍、文、etc‥(獣っ娘多いですね)片端から霊夢の餌食に。
素晴らしいっ!
さあ、作者様は黙って、『博麗王国年代記』を綴るのですっ!
一匹ずつ以下に虜になったかを、微に入り細を穿って♪
撫でてぇ…
ムツゴロウ霊夢か!
最初はお燐を撫でたいって思ってたのに、なぜか今は霊夢に撫でられたいと思ってるにゃー。
今なら霊夢への想いだけで獣人に転生できる気がするにゃー。
あれ?でもあの二人元の獣になれたっけ?
続き、というか狐達の過程も見てみたいぞ!
椛は俺が引き受けるわ
狐目をさらに細めてキューンとうめく藍様とか、仰向けに転がされてクルッポーと鳴く文とか
腹を晒して尻尾を扇風機みたいに振りながらヘッハッヘッハッしてる椛が容易に想像できる
上手いですね。
霊夢「ぐえ」
という情景が
モニタに写る俺はキモイですねえ。
↓10分後
椛「わふ~わふぅん……」
という光景が目に見えるかのようだ。
「皆あの巫女に犯られてしまったわ…」
ウサギはおでこや背中を撫でるといいらしいですよ~
ニヤニヤが止まらない作品でした
学校から帰ってくると直ぐに玄関まで来て餌をねだったし、椅子に座っていると
その上に乗って来るし・・・あの子は人なつこかったなあ。
でも縁側の霊夢の膝には俺の頭を(ry
続編を期待しています。
それから>>111は良い事言った
お燐の焦りと葛藤がよく伝わってきたw面白かったです。
2828してしまう話でした。