「と、言うわけで! ナズーリン、今度のお休みに二人で地底探検をしようと思うのですが!」
「いやです」
「な、なにも即答しなくたっていいじゃないですか……」
「行きたいならご主人様お一人で行かれればいいでしょう。私はこう見えて忙しいんです」
涙目の星に、ナズーリンはこう冷たく言い放った。彼女の言葉に打ちのめされたように、星は自室の床にへたりと座り込む。
星の奇怪な発言の発端は、先程の夕飯の時に遡る。いつもと変わらない団欒の中で、一輪が何気なく地底での話を口にした。地底にいる時に彼女達が経験したことを色々と話していたのだが、どうやら星はその話に心をときめかせてしまったらしい。
今は立場上落ち着いた性格を保ってはいるが、星は元々好奇心旺盛な性格である。そんな彼女だから、初めて聞く未知の世界の話に心を揺さぶられ、是非ともその景色を自分の眼で見てみたいと思ってしまったのだ。
そういった経緯が全て分かっていたから、ナズーリンはわざと星を冷たくあしらったのだった。ずっと星の従者をやってきた彼女だから、星が半端な気持で地底に行ってみたいと言い出したのではないことは当然分かっている。
しかしながら、ここで素直に彼女の申し出を受けてしまうのはナズーリンにとって避けるべきことであった。長年星を支えてきた彼女は、星がどういう想いで自分を誘ってきたのかさえも知っている。
想いを知っているからこそ、彼女はそれを正面から受け止めるような真似をするのが恥ずかしくてたまらなかった。けれども、それは彼女に星の望みを叶えようとする意思がない、というわけではない。
星に背を向けていたナズーリンは、振り返って今一度主の様子を眺めた。
彼女は俯き、泣き出してしまいそうな表情を浮かべている。
本当に仕方のないご主人様だな。私がいないと嫌だなんて、困ったものだよ。
そんな事を心の中で呟きながら、ナズーリンは溜め息混じりに口を開いた。
「やれやれ。仕方ないですね。ご主人様がどうしてもと仰るなら、私も行きますよ」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、一応私も従者ですから」
潤んだ瞳で見上げる星から目を逸らして、ナズーリンはそう感情を込めずに答える。そんな彼女を見て、座っていた星は目にも留まらぬ速さで立ち上がり、すぐさま目にも映らぬ速さで彼女に抱きついた。
「ナズーリン、ナズーリンンンン!!!!」
「おち、落ち着いてくださいご主人様、く、苦しいですよ!」
「ありがとうナズーリン! 私、すごくうれしいです!!」
星の眩しい笑顔を見て、ナズーリンは思わず微笑んだ。
まあ、なんにせよご主人様が喜んでくれたのなら問題ない。しかし、こんなに喜んでくれるとは思わなかったな。これだから、ご主人様を焦らすのは止められない。
そんな事を考えるナズーリンの微笑みは、ほんの少しだけ黒かった。
* * *
ある休日。ついに、星の探検が実行に移される日がやって来た。
この日は天気もよく、絶好のお出かけ日和であった。尤も、太陽の出ていない地底にはあまり関係のない話かもしれないが、出かける際に天気がいいとそれだけで気分も晴れ渡ってくるものだ。そういう点でも、天気は彼女たちに味方してくれたというわけである。
春の日差しが降り注ぐ命蓮寺の境内に、準備を終えた二人がやってくる。自分達を歓迎してくれた天気に感謝をして、星は本堂で参拝客のための準備をしている白蓮に声をかけた。
「それでは聖、いってきます!」
「ええ、気をつけていってらっしゃいね」
「ええ! でも、すみません聖、せっかくのお休みなのにお寺を任せてしまって」
「いいのよ、いつも星が頑張ってくれてるんだから。今日は楽しんできなさい」
「はい! それじゃあナズーリン、行きましょうか」
そう言うと、星はナズーリンの隣に駆け寄り、彼女の手を握った。突然の行動にナズーリンは思わず体を震わせたが、若干頬を染めて星の手を握り返した。
そんな二人の様子を後ろから眺めていつも以上に微笑を浮かべている白蓮には気づかず、二人は地底へと歩き出した。
毘沙門天の弟子とその従者による地底探検の始まりである。
地下への入り口に向かう道を歩きながら、天気というのは不思議なものだなあ、と星は一人感心していた。柔らかな光の差し込む春の小道は、生命の息吹に包まれている。木々の新緑や、あちこちで咲き誇る花々を見ていると、自然と優しい気持になれるものだ。そんな素晴らしい世界が目の前に広がっていたとしても、もし今雨が降っていたとしたら、おそらくこんな気持にはなれなかっただろう。本当に、今日がいい天気でよかった。
そんなことを思いながら進む星の表情はいつになくにこやかなものであった。それを見たナズーリンが、どこか複雑そうな表情で溜息を吐きながら言う。
「まったく……ご主人様、表情を引き締めたほうがいいんじゃないですか? あなたは一応毘沙門天様の代理なんですから、もっと威厳だとかそういうものをですね」
「いいじゃないですか。それとも、楽しい時に笑ってはいけないのですか?」
「そういうわけではありませんが……」
「ナズーリン、私はあなたが一緒に来てくれてうれしいのです。初めてのことが待っているのはとても楽しみですが、やはり一人では不安ですし、それに……」
「……それに?」
「や、やっぱりその話は後でします! ええと、そろそろ……あ、見えてきましたよ!」
ナズーリンが見てみると、そう遠くない前方で地底へと向かう洞穴が口を開けていた。
「さあ、行きましょうナズーリン!」
「ええ、行きましょうか」
興奮し出した星を器用に宥めながら、ナズーリンは彼女とともに洞穴へと向かった。うれしそうな主を見て、彼女は困ったような表情を浮かべる。
やはり、ご主人様は私をただの従者以上に想ってくれているのだろうか。それは素直にうれしいが、私はうまく彼女の気持に応えられるだろうか。なんにせよ、私が今出来る事はご主人様を支えていく事だけだ。
頼むから、何も起こらないでくれよ。
そんな事を考えながら、彼女達は洞穴へと入っていった。
地下の世界は、二人の知らないものでいっぱいだった。そのせいなのか、うまく抑えられていた星の興奮は再び彼女の心に湧き上がっていた。
興味を持つことはいいことだが、行き過ぎた好奇心は危険を呼びかねない。主を危険な目には遭わすまいと心に誓い、ナズーリンは宝石のような笑みを零す星の少し後ろをついていく。
「わあ! ナズーリン、見てください、綺麗な鉱石ですよ!」
「どれどれ……おお、本当ですね。あんな立派なもの、地上ではお目にかかれませんね」
「ナズーリン、あそこに湧き水があります!」
「どれどれ……ほう、やはり地下水なだけあって澄んでいますね」
「ナズーリン、何かに引っかかってしまいました……」
「どれどれ……って、ええっ!?」
彼女のはしゃぎ振りについ油断してしまった自分を戒めながらナズーリンは星を見た。
彼女は細い糸のようなものに絡まり、身動きが取れないようだった。
「な、なんでしょうこれ?」
「これは……蜘蛛の糸でしょうか? しかし地底に蜘蛛なんているんでしょうかね」
「いるんだな、これが」
突然の返答に二人が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。その異様な出で立ちから、彼女が妖怪であることはすぐに見て取れる。その少女は二人に近づくと、物珍しそうに瞳を輝かせながら二人に話しかけた。
「いや、びっくりさせて悪かったね。私の巣に引っかかっちゃったか」
「いやいや、うちのご主人様がぼーっとしてたのがいけないのさ」
「だ、だって、あんまり綺麗だったから、ついキョロキョロしちゃって……」
「はは、そっか。まあ、地上にはないものばっかりだもん、仕方ないよ。私、黒谷ヤマメ。あんたらは? 地上から来たんだろ?」
「ああ、挨拶が遅れてすまない。私はナズーリン。こちらはご主人様の寅丸星だ」
「よろしくお願いします、ヤマメさん」
「うん、よろしく。いや、しっかし……」
ヤマメは二人の様子を見て興味深そうに笑みを浮かべた。
主の体に絡みついた糸を取ろうと奮起しているナズーリンと、少し照れくさそうにしている星。その姿がまるで甲斐甲斐しく互いを想い合うつがいのように見えて、ヤマメは自然と微笑を零していたのだ。
彼女の妙な反応に気づき、星が包まれていた糸をほぼ取り尽くしたナズーリンは訝しげな表情で彼女に訊ねた。
「どうかしたのかい、ヤマメ? ニヤニヤしているようだが」
「あれ、顔に出てた? いやさ、二人があんまり仲良しだからつい、ね」
「な、仲良し!? 別に私達はそういう関係ではない! 私達は単に主従の関係なだけだ! そうですよね、ご主人様?」
「そうですよ! おしどり夫婦なんかじゃありません!」
「いや、そこまでは言ってないんだけどなあ」
予想外の食いつきにヤマメは若干呆れてしまったが、二人のじゃれ合いを見ているうちに再び表情を綻ばせた。うれしそうに微笑みながら、二人に話しかける。
「いやー今回の訪問客は面白いなあ。ところで二人とも、これから行く当てでもあるの?」
「いや、それが特に決めてないんだ。ご主人様が突発的に行こうと言い出したものだから」
「そうか。それなら一度旧都に行ってみるといいよ。あそこはいつもお祭り騒ぎだし、楽しいぜぃ?」
「お祭りですか! 楽しそうですねえ……」
「行ってみますか、ご主人様?」
「はい! では、早速行きましょう! ヤマメさん、ありがとうございます!」
「うん。また顔見せてくれよー」
二人に手を振るヤマメの表情は少々複雑そうなものであった。安易に旧都に行くよう薦めてしまったことを、少し後悔していたのだ。
先程のやり取りで、星とナズーリンは互いを想い合っているのだろうということをヤマメは見抜いていた。だから、二人で楽しい旅を続けてもらおうと思い旧都を提案したのだが、その時ヤマメは大事なことを忘れていた。
旧都には、あの鬼がいる。嘘や建前を嫌う鬼に、想いを打ち明けられずにいる気持やその歯痒さなんて理解できるはずがない。あの二人の様子を見たら、あの姐さんは怒り出したりしないだろうか。まあ、それも面白いし、いいか。
そんな事を思いながら、ヤマメは一つ伸びをした。そして旧都で二人の仲を問い詰められる情景を想像して思わず吹き出しながら、彼女は巣を張り直し始めた。
ヤマメの言うとおり、旧都は華やかな街だった。
様々な店の明かりで辺りが照らされ、それぞれの店の中は大勢の客で賑わっている。すれ違う人々は皆仄かな酒の香りを漂わせ、楽しそうに笑いながら歩いていく。
まるで本当に祭の夜の縁日にいるような気がして、星は今まで以上に瞳を輝かせていた。
「すごい、すごいですよナズーリン! お祭り、お祭りです!!」
「はしゃぎすぎないでくださいね。いい大人が転んだりしたらみっともないですよ」
「むぅ、いくら私でも転びませんよ! 子供じゃないんですから……いたっ!? す、すみません!」
確かに、星は転ばなかった。しかしながら、余所見をして歩いていた彼女は前から来る人にぶつかってしまった。
しまった、と心の中で叫びながら、ナズーリンは星の下に駆け寄る。
「大丈夫ですか、ご主人様!? まったく、気をつけてくださいと言ったばかりではないですか。他の方にご迷惑をおかけしてはなりません」
「す、すみません……」
「主もこう言っておりますし、どうかご無礼をお許しいただけないでしょうか? 私からも、お願い致します」
そう言って相手を見上げたナズーリンは、思わず息を呑んだ。
緑眼の瞳は透き通るように深く、しかしその奥底は暗く濁っている。
感情を押し殺すように噛み締められた唇は、既にその色を失いつつある。
まるで心の奥を焼かれたような、悲しい表情を浮かべた彼女に、ナズーリンは瞳を奪われたのだ。
彼女の心にあるのは嫉妬だろうか。何に対して? まさか私達? ……いや、おそらくは彼女にとって対象など存在していないのだろう。ただただ全てが妬ましい。そんな顔をしている。地底の妖怪は変わり者だと聞いたことがあるが、それにしてもえらい奴に出くわしてしまったものだ。
謝る二人に反応を示さない少女を見ながら、ナズーリンはそんな事を考えていた。すると、それまで無関心を決め込んでいた彼女は苛立ちを抑えられないような表情を浮かべ、口を開いた。
「……はぁ。これだから街は厭なのよ。人が多いし、こんな馬鹿にも出くわすし」
その口振りで、彼女はわざと挑発しているのだとナズーリンは理解した。
おそらく、それが彼女なりの反抗の仕方なのだろう。何がそんなに気に入らなかったのかは知らないが、実際悪いのはご主人様だし、下手に出て穏便に済ませよう。
ナズーリンはそう考えて、もう一度謝ろうと顔を上げた。
「ええ、本当にすみませんでした。ほら、ご主人様も謝ってください」
「すみません……」
少女は謝る二人をつまらなそうな表情で眺めていたが、やがてすっかり元気を失くした様子の星を見て少し厭らしい微笑を浮かべた。
「謝るだけなら誰でも出来るわ。あんたには、ちゃんと誠意を見せてもらおうじゃない」
「せ、誠意といいますと?」
「そのくらい自分で考えなさいよ、余所者のくせに生意気ね」
少女はそう言うとそっぽを向いてしまう。彼女に突き放された星は、何をすればいいのかと悩むばかりだ。そんな状況を見て、ナズーリンはナズーリンで頭を悩ませる。
本当に面倒な奴だ。性格が悪いのか、態度がまずいのかは知らないが、どちらにせよ迷惑極まりない。これではご主人様がまた妙なことを言い出しかねないじゃないか。どこで覚えたのか知らないが、この前みたいに「……か、身体で払いますっ」とか言い出したらどうしてくれるんだ。それとも何か、「寅丸星の迷言録」にまた新たな一ページが誕生するとでもいうのか。困った時の「うぅ……むむむ……」とか、意地悪された時の「がおー!!」とか、悲しい時の「ふにゅうう……ぐるる……」とかは可愛いからいいとして、身体云々の問題発言は出来れば増えてほしくない。ああ、そういえばあの時のご主人様可愛かったなあ。目なんかうるうるさせちゃってまったく……
ナズーリンが星の涙目を妄想していたところで、急に向こうの方から声が聞こえた。我に返った彼女が耳を澄ますと、どうやらその声の主はこちらに向かってくるようだった。
それに二人も気づいたらしく、声のする方向を見ていた。
その刹那、三人を囲んでいた雑踏の中から一人の女性が飛び出し、少女に強烈なボディーブローをぶちかました。
「おうふぁっ!?」
少女とは思えぬ奇声を発し、彼女はその場に倒れこむ。それを支えながら、その女性は呆れたように言った。
「まったく、待ち合わせの場所にいないと思ったらこんなところで何してるんだい。客人をいじめたら駄目じゃないか」
「そ、そいつらが悪いのよ。いきなりぶつかってきたし、それに……」
「それに? 分かってるだろパルスィ、私に隠し事は無しだ」
「あ、あのー……」
「ん? おお、無視しちゃって悪かった。私は星熊勇儀。一応この街の管理をしてる者だよ。こっちは水橋パルスィ。口も態度も悪いけど、根はいい奴だよ」
「あ、ああ、これはどうも。私は寅丸星と申します。こちらは従者のナズーリンです」
「どうも」
「ああ、よろしく。悪かったねえ、いきなりこいつが絡んじゃって。まあ悪気はないと思うし、許してやっておくれよ」
そう言って勇儀は申し訳なさそうに微笑む。それにつられて、いつの間にか星達の心に浮かんでいた不安は消え去っていた。
それが伝わったのだろう、勇儀はまたうれしそうに笑い、支えていたパルスィに視線を戻した。
「さあてパルスィ、さっきの続きだ。いくらあんただって、ただぶつかってきた相手に嫌がらせはしないだろう? 何を思ってたのか、聞かせてくれないかな?」
そう言って微笑む勇儀の笑顔を、ナズーリンは星のそれと比べていた。
なんとなくだが、二人は似ているような気がする。姉御肌の勇儀と、偶に子供っぽいところがあるご主人様。性格は全然違うが、その笑顔はなんだか同じものを感じる。向けられた者の心を無条件で開かせるような、ある意味で凶器の微笑。それを備えているのは、この二人くらいではなかろうか。
ナズーリンがそんな事を考えていると、やがてパルスィが口を開き始めた。どうやら彼女も最終兵器には敵わないようだ。
「……仲がよさそうだったから」
「仲が? 二人の仲がかい? なんでそれが意地悪に関係するんだ?」
「決まってるじゃない。……羨ましかったのよ。最近は勇儀と会えなかったし、ずっと一人だったから……だから、お互いを想い合うそこの二人が、すっごく羨ましかったの!」
吐き捨てるようにそう言うと、パルスィは少し頬を染めて視線を外した。それを聞いて勇儀はうれしそうに笑ったが、星達にとってパルスィの発言は決して笑えるようなものではなかった。
それを知ってか知らずか、上機嫌になった勇儀が急にぎこちなくなった二人に訊ねた。
「ところで、あんた達はどうなんだい?」
「どう、とは?」
「好きなのかってことさ」
「す、好きなのかだって!?」
「いやいや、見れば分かるんだがね。ただ、やっぱり思ってることは全部言ったほうがいいと私は思うんだよ。いくら仕草で伝えようとしたって、無理なことはあるだろ?」
「……そう、ですね。私、言います!」
「ちょ、ご主人様!?」
何故か決心してしまった星の発言に驚き、ナズーリンは彼女の顔を見た。
普段見ることの出来ない、主の恥らう顔。それを一目見た瞬間から、ナズーリンの瞳は星に奪われていた。
潤む瞳で、星は従者に告げる。
「こういう場所だと、余計に緊張しますね。……ナズーリン、私、あなたにずっと言えなかったことがあるんです。あなたはずっと、こんな私を支えてくれた。あなたのおかげで、私は今まで頑張ることができました。ナズーリン、私はあなたを、ただの従者としてではなく、一人の」
「やめてください!」
声を振り絞って、ナズーリンは星の言葉を遮った。
なにも、彼女は星を受け入れたくなかったわけではない。ただ、彼女は自分では星を受け入れることが出来ないと思っていたのだ。
星とナズーリンを結ぶ関係は、単なる主従の関係だけではない。毘沙門天の弟子として活動する星と、それを監視するナズーリン。その立場上の位置関係が、ナズーリンにとって心の障壁となっていた。
対象を監視するには、客観的判断が必要になってくる。もし監視者とその対象が一定の距離を保てずにいたならば、その客観性は危ういものになってしまう。だからこそ、ナズーリンは何かにつけてこの心の壁を意識してきた。
しかしながら、星に想いを打ち明けたいと願う気持もまた、ナズーリンの心には存在している。ずっと傍で支えてきた彼女を大事に想ってしまうのは当然のことで、誰もそれを責めることは出来ない。けれども、監視役であるナズーリンはその最後の壁を越えるわけにはいかなかった。何度も恋焦がれる感情を押し殺しながら、彼女は今まで生きてきたのだ。
だからこの時も、星の気持を受け止めてはいけないとナズーリンは思っていた。そのまま主を抱きしめてしまいたい感情を堪えながら、彼女は声を絞り出したのだった。
消え入りそうな声で、ナズーリンは続けた。
「やめてください、ご主人様。私は、あなたの想いに応える資格なんてありません。私には、あなたを監視し毘沙門天様に報告する義務があります。そのためには、どうしてもあなたと一定の距離をおかなくてはならないのです。ですから、私はあなたの気持には、応えられません……」
ナズーリンは顔を覆った。
その両手からは、抑えきれない想いが雫となって零れ落ちる。
その姿に、その場にいた全員が息を呑んでいた。辺りを包む悲しい空気に、皆心を痛めずにはいられなかったのだ。
しかしながら、その張り詰めた空気は突然の怒号によって吹き飛ばされていく。
どのくらい経った頃だろうか。腕組みをして二人の気持を聞いていた勇儀が突如口を開いた。
「それで、あんたの言いたいことは終わりかい、ナズーリン?」
「……ああ。ご主人様には申し訳ないが、やはり私は」
「ふざけるんじゃない!!!」
突然の大声に、辺りの空気は文字通り震え上がった。その場の全員が驚きながらも勇儀に視線を送る。
本人もやり過ぎたと思ったのだろうか、先程よりは声量を落として、けれども強い口調で勇儀は続ける。
「監視役? 義務? そんなのは問題じゃないね。一番大事なのは、あんたが星をどう想ってるかじゃあないのか? ナズーリン、今まであんたは逃げてたんだよ。確かに、監視には客観的な判断が必要になる。だけど、密接な関係を築きながらも報告の時だけは客観的視点を持つ、くらいのことはあんた次第で可能だったんじゃないかい?
もう一度、自分の気持と向きあってみなよ。あんたの気持次第で、星の想いは十分叶えてやれると思うけどねえ」
そう言うと、また勇儀はあの微笑をナズーリンに向けた。その笑顔のおかげなのか、ナズーリンは落ち着いて自分の気持を整理することができた。
そう、確かに私は逃げていた。役目だとか、任務だとか、そういう言葉にすがって、自分の本当の気持から逃げていたんだ。
私の本当の想いは、あの頃からずっと変わっていない。それはたぶん、ご主人様も同じなのだろう。それなら、彼女の想いに応えないわけにはいかない。本当の気持を今、ご主人様にぶつけよう。
そう心に決めて、ナズーリンは星を見つめた。
「……ご主人様、私はあなたの従者です。初めて会ったあの日からずっと、私はあなたの従者でした。でも、もう耐えられません。私はもう、ただの従者では嫌なのです。もっとあなたの傍で、あなたを支えていきたい。あなたのために、もっと力を尽くしたい。あなたとともに……ずっと、あなたと一緒にいたいのです。
これが、私の本当の気持です。監視役としての都合上、偶に素っ気無い態度や応対をするでしょうが、それを許してくださるなら、私は是非あなたtんぐぅうう!?」
照れ隠しに目を閉じていたナズーリンは、正面から抱きついてくる主に気がつかなかった。息が出来なくなりそうに強く抱きしめられながら、彼女はうれしそうに抵抗する。
「ナズーリン、ナズーリン、ナズーリン!!」
「わか、分かりましたから! ご主人様、あんまり締めつけたら苦しいですよ!」
「いやったああああああああ!!!! 酒持ってこぉおおおおい!! 今宵は客人の祝言じゃあああああああ!!!!!!」
地鳴りに近い歓声を聞いて、二人は告白の場が旧都の街道のど真ん中であったことを思い出した。
恥ずかしそうに頬を染めながら、抱き合っていた身体を離そうとした二人だったが、気づくのが少々遅すぎたようだ。抱き合ったまま二人は周りにいた鬼達に胴上げされ、彼らはそのまま旧地獄の街道を歩き始めてしまった。
「お、おい! こんな恥ずかしい真似はやめないか!」
「ああ、無理無理。私ら鬼の目の前で告白なんかするほうが悪いのさ。サービス精神旺盛でノリのいい鬼がカップルの成立を見てパレードせずにいられるかっての。なあ、お前達?」
「ええ! 客人のおかげで今宵もいい酒が呑めそうです! これも姐さんのおかげでさあ!!」
「そうだろそうだろ、がっはっは!!」
「でも、皆に見られて恥ずかしいですよ……」
「諦めるのね。鬼は祭好きだもの、飽きるまでパレードでしょうよ。まあ私はあまり好きじゃないけど」
「そう言いながらついてくるなんて、パルスィもツンデレだなあ」
「よっ、ツンデレパル嬢!!」
「はあっ!? わ、私は別に、そう、暇だからよ」
「どうでもいいけど、降ろしてくれーー!!」
ナズーリンも叫びも虚しく、カップル誕生記念パレードは数時間に渡って行われた。旧都の街道を縦横無尽に練り歩き、その道中で更に人数を増していく。終点と思われる場所に一団が着く頃には、最初の群衆の数倍の人数が集まっていた。
やれやれ、えらい目に遭ったが漸く終わったようだ。かなり時間がかかってしまったし、そろそろ帰ろうか。
そう考えたナズーリンが星にもう帰ろうという旨を告げようとした瞬間、勇儀の大声がそれを見事に遮った。
「さあて皆! 今宵の宴は一味違う! 今夜は、今日誕生したカップルを祝って、ここの二人と楽しく盛り上がるぞおおおおおお!!!!」
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」
勇儀の豪快な掛け声と共に、酒樽が割られる。その瞬間、ナズーリンと星は自分達はもう鬼達の誘いを断れない状況にあるということを理解した。
あの鬼達に呑まされて、無事に生きて寺に帰ることができるだろうか。思わず顔を引きつらせたナズーリンに、星は楽しそうに微笑んだ。
「なんだか、大変なことになりましたね」
「随分呑気ですね、ご主人様」
「ええ、まあなんとかなるでしょう。それより、せっかくのお祭りなんだから楽しまないと損ですよ、ナズーリン!」
「そうそう! 主賓のあんたらが呑まないとこいつらも呑めないだろうが! まま、最初だけでもいいからさ、グッといっとくれよグッと」
そう言ってヘラヘラしながら酒を勧める勇儀を見て、ナズーリンは溜息を吐いた。
やれやれ、私達は確か地底探検に来たはずだったんだけどな。まあ、ご主人様との距離をうまく縮められたし、いいとするか。そういう点では、勇儀に感謝しないとな。自分の気持を正直に伝えることがこんなにいい事だなんて、きっと私一人では辿り着けなかった考えだ。結果としてご主人様も喜んでくれたし、これからはもう少しばかり素直になってみるのも面白いか。
いや、やっぱり偶に素直になることにしよう。そうでもしないと、彼女の困った顔が見られなくなりそうだから。
そんな事を考えながら、ナズーリンは空を見上げた。
月も星も出ていない地底の空は不思議と透き通っていて、辺りの明かりが映える。
幻想的な風景に胸を弾ませて、ナズーリンは杯を仰ぐのだった。
やはりアブソリュートジャスティスに敵うものは無いな
何気に勇パルだしww あと「寅丸星の迷言録」全部見てみたいなww
やってくれますねぇ。
そして、このお話の星は、笑うと絶対歯が光るはずだ。間違いなく!