ある日、「住ませて」と魔理沙がやってきた。
「好きにすれば」
特に断る理由は、無かったから。そっけなく許可し、そっけなく食事を用意し、そっけなくお小遣いを与えたのだった。
あれから数ヶ月。
気が付けば魔理沙の占領する部屋が六つで、私が自由に使えるスペースはトイレのみ。
「おかしいわよね?」
「そうかな」
「家主は私の筈なんだけど」
「……ごめんなアリス。不安にさせて」
これで許してくれないか。甘い囁きと共に、優しい抱擁。それで全てを悟った、この子は純粋なのだと。
「まだ文句が有るのか?」
「ううん。きっとただの考え過ぎね。それよりビスケット焼いたんだけど、食べる?」
「おう!」
口の周りに食べカスをつけながら、魔理沙は微笑んだ。
「美味い」
「みっともないわよ。拭いたら?」
「あっ。こりゃ恥ずかしいな」
「んもう。私しか見てないし、今後とも他の誰かに見せるつもりはないけど、女の子なんだから身だしなみには気を配った方いいわよ」
魔理沙が最後に外出したのは、三ヶ月前になる。外は危険がいっぱいだ、直射日光で死んでしまうかもしれない。だから家に閉じ込めておくのだ。
「ハンカチで拭こうかと思ったんだが。失くしたみたいだぜ」
「また?」
ちょっとハンカチ買って来る、と魔理沙は外に出ようとした。すかさず、完全自立式人形で取り押さえる。
近頃の魔理沙は、二時間に一度のペースでハンカチを失くす。
「凄いな。完全に自立した人形、実用化したのか」
「ええ」
「魂はどうやって与えたんだ?」
「最初から持ってたわ」
「それ、人間じゃないか?」
「人形にして下さい、と志願してきたんだもの」
里の若い男は、流し目を送るだけで奴隷に出来る。これは大発見。
「アリスは賢いな」
魔理沙の顔は、どこまでも涼しげ。しかし足元は別、凄まじい勢いで貧乏揺すりしている。
「何か不満でも有るの?」
テーブルが引っくり返る規模の貧乏揺すりなんて、初めて見た。
「別に不満なんて無いぜー?」
そう言って、魔理沙は唇を尖らせる。キスをねだってるのかしら、と一瞬興奮した。でも、ぴゅひゅーと下手糞な口笛が漏れてきたので、変に意識するのは止めた。
「魔理沙!」
心地よい空気を打ち破る、雑音。私と魔理沙の生活音以外は、全て雑音なのだ。
「今だ、早く!」
庭で、男の人が声を張り上げている。うるさい。そして弱い。二秒で倒せた。
「この人、香霖堂の店主さんよね」
「ああ」
「さっきの口笛、もしかして脱出のタイミングを知らせる合図? この男と組んで、家を出る気だったのね」
「アリス、ヘアバンド変えたろ。いつもより似合うな」
深く追求しない事にした。ついでにお菓子をあげよう。
「美味しい?」
「美味いよ」
気分がいいので、今日のお昼は魔理沙の好物にする。
特上寿司だ。
そういえば、昨日のランチもこれだったっけ。出費がかさむわ。
「ま、いっか」
支払いは実家に押し付けちゃう、罪な私であった。
「~♪」
トントントン。金銭問題から開放された今、包丁捌きも軽やか。
思わず鼻歌も出るというものだ。曲名はヤンデレの象徴、『悲しみの向こうへ』。
他の女に色目使ったら、この出刃包丁を遠慮なくぶち込むからね、という牽制も兼ねて口ずさんでみる。
「調理中に悪いんだけどさ」
「何?」
「幻想郷に無いよな、海」
「そうね」
「どうやって作ってるんだ、寿司」
これは魚だ、と聞かされて食べた獣肉は、まるで魚肉のように感じる。
思い込みの力とは恐ろしい。
「そういうの気にしなくていいから。はい、あーん」
「あーん」
至福の時。魔理沙の小ぶりな口へ、トロに偽装した熊肉を持っていく――
「――おい」
「?」
「なんか鳴ってるぞ」
呼び鈴ったらいけず。
来客なんて殺しても構わないけど、魔理沙の前ではレディーでいたい。だから、精一杯の愛想笑いを浮かべて玄関に向かう。
「はーい。御用はなあに」
「アリスちゃん?」
ドアを開けると、おさげ髪。その下に女の子が生えている。
「違う! 女の子の上におさげ髪が生えてるのっ」
どっちでもいいよ。
「母さん……どうしてここに」
多忙な魔界神が、こんな所に来ていいの?
畑仕事が溜まっているのでは?
「魔界に、凄い量の請求書が届いてるんだけど」
ああ、それで来たんだ。
「どういうつもり? 説明しなさい」
金使いの荒い女、と魔理沙にバレたら嫌われる。内々に処理しなくては。
幸い、魔理沙は寿司モドキに夢中。何かしでかしてもバレそうにない。
これはチャンス。
こっそりと母さんを家に上げ、我が最後の領地トイレへ案内。ここなら騒がれても、それほど音は漏れない。と思いたい。
「え、これがアリスちゃんの部屋? 便器の上に枕と布団が有るけど、まさかここで寝泊りしてるの……?」
外側から鍵をかける。どんどん監禁スキルが洗練されていく、自分が恐ろしい。
「なにこれ? 出してよ! 出してってば! アリスちゃん!」
外に出してぇ、とアニメ声で連呼。このままでは私の名誉がヤバイ。
早いとこ魔理沙と、話をつけなくては。
鏡の前でギギギと唇を吊り上げ、とびっきりの笑顔を作る。魔理沙にお願い事をする時は、いつもこの顔だ。大抵、断られるのは何故かな。目が血走ってるせいかな。
「ね。お母さんを大事にする子って好き?」
「なんの話だよ。それに、さっき来たの誰なんだ」
「ただの訪問販売員よ。追い出しといたわ」
「トイレから絶叫が聞こえるぞ……?」
お手洗を発生源とする騒音は、怒声からマジ泣きに変化しつつある。罪悪感が半端じゃない。
「もしもの話よ。お母さんにやたら優しい子がいたら、どう思う?」
「さっきからどうしたんだよ」
「答えて」
親孝行な娘って素敵だぜ。押し倒したい。
そう言ってくれると、
「マザコンなんて、ありえないだろ」
信じてたのに。
「母親にべッタべッタな奴なんて。自立できてないとしか思えないな。きもい以外の形容詞が見つからないぜ」
「……だよねー」
これは一刻も早く、母さんを追い返さねば。
「ちょっと、おトイレ行ってくるわね」
「頻繁だな」
不審げな目で見られた。どうしてこうなった。
「ん。マグロって毛なんか生えてたか……? なあアリスー、おーい」
寿司の言い訳も考えておかないと。頭痛くなってきた。眉間に手を当てつつ、トイレに向かう。
――カラカラカラ。
凄まじい勢いで、トイレットペーパーを消費する音がした。おそらく私の足音を聞き、急いで涙を拭いているのだろう。
「母さん?」
「泣いてないわよ」
鼻声なのはスルーしてあげる。これぞ親子愛。
「あまり大きい声、出さないでよ。同居人が変に思うでしょ」
「同居人? アリスちゃん、友達が出来たの?」
しまった失言だ。
「やだ、ご挨拶しないと! えっとお化粧も直さないといけないし、それからそれから」
「いいから、そういうのいいから!」
「アリスちゃん、いっつも一人で過ごしてたじゃない。それが、こんな立派になって」
神様はきちんと見てらっしゃるのね。と、母さんは大粒の涙を零した。自身も神だというのに、敬虔なクリスチャンなのはどうかと思う。
「で、そのお友達って誰」
そりゃあ、勿論。
「魔理」
「昔、魔界に侵入して暴れ回った子じゃないわよね」
「まり……マリリン・モンローのせいで、金髪の女は頭が悪いという偏見が生まれたのよ。嫌ねえ」
上手く誤魔化せた。間違いなく誤魔化せた。
「まりちゃんって子と、同居してるのね」
しっかり耳に入れてるぅ。
「じゃ、挨拶してくるわ」
「待ってよ!」
「おみやげ用意してて良かったぁ」
私の制止を振り切り、母さんは飛び出す。
駄目、止めきれない――あ、かわいい、魔理沙ったら虫眼鏡で寿司を見てる。探偵みたい。
「なあ、この寿司ホントにトロか? 調べてみたら明らかに獣肉だぞ。それとこっちのエビ、匂いがザリガニ……って、誰?」
「こんにちはー……あら?」
バッチリ母さんと魔理沙の眼が合った。戦争の予感。
「……あっそー。ふーん。そうねー。アリスちゃん、昔っから悪趣味だったものねー」
「これアリスの母さんか? 他人の母親と同居なんて、絶対に嫌だからな! 私は出てくぞ!」
眩暈がする。
何かと理由をつけて外出したがる魔理沙、お土産に怪しげな加工を始めた母さん。この二人を一度になだめるなど、難題にも程が有る。
「うふふ。アリスちゃんがいつも、お世話になってますぅ」
「なんだよ?」
「おはぎ作ってきたの。よかったら食べて」
「あ、ども」
条件反射でタッパを受け取る魔理沙に、待ったを出す。
「中身を拝見させて貰うわよ」
先ほど母さんが行った、不穏な細工が気になってしょうがない。
「まさか、おはぎに裁縫針を入れたんじゃないでしょうね」
母さんの必殺料理その一である。その二以降は存在しない。なぜなら、その一で仕留め切れなかった獲物はいないのだから……。
「う。酷い」
案の定、おはぎには裁縫針が仕込まれていた。というか針が主成分に見える。表面積の許す限り針を刺され、ウニの如き外観。殺る気まんまんだ。
「これは食べ物か? 現代アートと言われた方が納得できるぜ」
「つまらないものですが……喉に詰めて死んでぇ!」
母さんは主婦の顔をしたまま、殺しのモーションに入った。
瞬間、魔理沙は死角に潜り込む。ここまで僅か一秒。
魔理沙は最近、体術が向上した。魔法でドアや壁に穴を開けて逃げないよう、八卦炉を取り上げたら筋トレし始めたのだ。おそらく、素手で壁を破壊する気であろう。そこまで腕力を鍛えずとも、脱出する方法は有るのに。そう、窓から出ればいい。未だ気付いてなくてチャーミング。
「魔界じゃ、和菓子の感覚でサボテン食わせるのか? 物騒だな」
「やるわね」
対峙する両者。母さんの切り札はウニ状のおはぎ、魔理沙は徒手空拳。弾幕もスペカも、気配すらない。
「東方成分が少なくて、不安になってきたぜ。ここは一つ、幻想郷らしい決闘でいこうじゃないか」
「なんですって?」
魔理沙はスペカを取り出した。物騒なものは全て差し押さえた筈だが、一枚だけ隠し持っていたようだ。
タイマンという大義名分が有る今、家を破壊する気ではないか……?
脱出口を作る気ではないか……?
反射的に、私も身構える。
一方、母さんは頭上に疑問符を浮かべていた。
「すぺるかあど?」
「そっか。母さんは知らないのね」
博麗の巫女が普及させた、スペルカードルール。細かく説明すると長くなるので、要所のみ語る。
「博麗神社で販売している、スペルカードが必須。15枚入りで500円よ」
「トレカ?」
どうも霊夢は、この商売を軌道に乗せるため、スペルカードルールを流行らせた節が有る。
「あれほどカードゲームには手を出しちゃ駄目って言ったでしょ! 交換でトラブルが起きるから禁止だって、PTAからも言われたじゃない!」
「で、でも流行ってたから」
「言い訳は聞きたく有りません。没収!」
しばらく母さんの説教を聞くはめになった。
「アリスちゃんには、もっと相応しい子がいると思うの」
謎の迫力で私と魔理沙を正座させ、延々と愚痴を吐き続ける。これが母というものか。姑というものか。
「例えば……大妖精ちゃん。フランドールちゃん。早苗ちゃん。こういう子達の方が、品位も有ってアリスちゃんと気が合うんじゃないかしら」
全員、おさげ髪だった。昔からこうだ、自分と共通点の有る子しか認めたがらない。
ちなみに魔理沙はというと、寿司の正体を教えてから機嫌が直らない。
「どうしても、この子と一緒に住みたいの?」
「当然よ。そもそも事実婚状態だし」
「な」
「魔理沙は既に、マーガトロイド姓を名乗ってるわ」
マーガトロイド魔理沙って、いい名前よね?
と睡眠学習で洗脳したら、そう名乗るようになったのだ。夜毎、枕元で囁くという単純な方法の割によく効いた。目を覚ましても囁き続けた甲斐があった。
「へ、へえ。でもね、お母さんは分かるのよ。世の中には、お付き合いしちゃいけないタイプの子がいるって」
母さんは秋茄子を強奪する姑の目で、魔理沙にガンを飛ばす。
「貴方。どうして私とアリスちゃんの苗字が違うか、分かる?」
「もしや、お前達は義理の親子」
「違うわ。アリスちゃん、佐藤姓はありふれ過ぎてて嫌だからって、自分で考えたカッコイイ苗字を勝手に使ってるのよ」
「えっ。本名、佐藤アリス?」
「更にもう一つ。アリスちゃんの髪、染めてるだけで地の色は黒」
「なんだと……妙に日本通な訳だ……やっぱり日本人か……」
「ちょっと母さん!」
間違いない。私の恥ずかしい秘密を暴露して、破局へ追い込むつもりだ。
「これでもまだ、アリスちゃんと上手くやっていける? 私はそう思わない」
「ああうん、同意するぜ」
非道な脅しによって、魔理沙は屈服させられた。許せない。
「私達の問題に、母さんは口を挟まないで!」
「言わせて貰いますけどね。この魔理沙とかいう子が、魔界の環境に適応できると思って?」
「そ、れは」
「いずれは実家に帰って、家業を継ぐのよね? いいでしょう。仮に貴方達が、魔界で同居したとする。だけどテレビもない、ラジオもない、たまに来るのは回覧板。朝起きて、牛連れて、二時間ちょっとの散歩道。人々はズーズー弁で会話。明らかに限界集落。いかにも派手好きな魔理沙ちゃんが、耐えられるかしら?」
――東北?
と魔理沙は呟く。
「私、こっちでは都会派で通ってるんだけど? 余計なこと言わないでくれる」
「見栄っ張りねえ。……背伸びしなきゃ、付き合えない子といて楽しいかしら」
「どう言われても、魔理沙を諦めるつもりはないから。東北の女はしぶといの。母さんも知ってるでしょう」
――今、東北の女って言ったよな?
再び魔理沙が呟いた。「騙された」と言いたげな顔をしているが、構ってられない。
「さすがにここまで馬鹿にされると、腹が立つぜ」
「謝ってよ母さん!」
「いや。アリスにも怒ってるぞ私は」
あれ?
「とりあえず話し合いは後だ。とっとと、このうざったい母親を追い払ってくれ」
分かってる。
魔理沙に命じられたからには、絶対に追い出して見せる。豪雪と田植えで鍛えられた、魔界女の底力を見せてやろうじゃない。
「あまり口うるさいようなら、私にも考えがあるわ。母さんの実年齢を」
「覚えてる? アリスちゃん、四歳の冬に酷い熱出したでしょ」
「それが何よ」
「あの時、魔界中を回ったの。夜中だったから、どこの病院も閉まってて。大変だったわぁ」
卑劣。力押しでは適わないと知って、泣き落とし戦法で来たか。
「やっと診てくれる病院を見つけたんだけど、時間が時間だから。そこのお医者さん、凄く機嫌が悪くて」
「いい加減にしてくれない? 情に訴えてるつもりなんだろうけど、あざとくてイライラするわ」
「私を見るなり言ったの。胸を触らせてくれたら、治療してもいいって」
お母さんごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
「魔理沙は少し、自重すべき。母さんと上手くやっていけないようなら、ご飯抜きよ」
「なに一瞬で態度変えてるんだよ」
二人、向かい合う。
しばしの沈黙。
――先に目を逸らしたのは、魔理沙だった。
「アリスの馬鹿! マザコン! 佐藤!」
「魔理沙!」
「こんな家、出てってやる!」
魔理沙は一瞬、はっとした顔になって窓を開けた。
(綺麗)
無駄な筋トレへ費やした時間の価値に、打ちひしがれながらも。割り切って、新たな一歩を踏み出す美少女――その姿は、ギャルゲのイベント画の如く秀麗。美麗。華麗。萌え。
「ビューティフ……あ」
更なる美辞麗句は無いかと思考を巡らせているうちに、外へ逃げられてしまった。
「どうしよう魔理沙が花粉症で死んじゃう、連れ戻さないと」
「落ち着きなさい」
「だけど!」
「あの子、しっかり財布を持って行ったわ。遊ぶ気よ」
そういえば私の財布が見当たらない。
「これでハッキリしたわね。あの子の本質は泥棒なの。ろくでなしよ」
「知ってる。でも可愛いから許してる」
地獄の沙汰も顔次第である。
「嫌なところばかり親に似るのね。まるで若い頃の私みたい。……ねぇ、イケメンだけど無職で無能な男に嫁いだ見本が、ここにいるのよ。結果、どうなるか分かるでしょう?」
雑談している時間がもったいない。早く見つけないと、魔理沙が他の女に拾われてしまう。
ネグリジェもやしに河童エジソン、ライバルは無尽蔵にいる。
善は急げとばかりに、全力で飛び立つ。
天狗もドン引きの速度が出た。Gで顔が大変なフォルムになるため、女の子なら自重するスピードだ。
(神社)
魔理沙の向かいそうな場所と行ったら、ここしかない。霧雨邸は廃墟と化しているので、帰る筈が無いし。
「な。貴方、マッハで飛べたの?」
ゴウン。風を伴いつつ、着地。腰を抜かしている霊夢の元へ、駆け寄よった。
「魔理沙を見なかった!?」
「……見たわ」
「どこ」
「知りたい?」
「知りたい」
「じゃあ、この賽銭箱にお金を入れて」
硬貨を投げ入れた。
「魔理沙はまず、トイレに向かったわ」
神社の隅っこにある、傾いた厠へ足を進める。
「いないじゃない。どういうこと」
「知りたい? なら、お賽銭をそこに入れて」
トイレにまで賽銭箱を完備。この露骨な守銭奴ぶりが、参拝客を減らしている一因と自覚すべきだ。
「魔理沙はトイレを済ませた後、手を洗いに行ったわ」
「その次は?」
何を言われるか予想していたので、先にお賽銭を渡しておいた。
「魔理沙は……貴方の名を呟きながら、再びトイレへ向かったわ」
「そ、それで?」
「しばらくしたら、トイレから熱っぽい声が聞こえてきたの」
霊夢の目が告げる。続きを語って欲しければ、賽銭をよこせと。
「アリス、アリス……! そんな切ない声が、周囲に漏れていた」
「詳しく」
「陽光が柔らかく降り注ぐ、昼下がりの出来事だった。魔理沙の白い指は……」
それは耽美な愛に溢れたエピソード。情感溢れる描写のせいで、涙が止まらない。
私は何度も賽銭を差し出し、聞き続けた。
やがて所持金を八割ほど消費した後、気付く。――話が出来すぎ。これ、作り話だ。
「無駄な時間を過ごしたわ」
霊夢の驚異的なストーリー作成能力に釣られた。悔しい。でも、あのお話は後で書籍化して欲しい。
「どこにいるのかしら」
幻想郷中を脅迫して回ったが、誰も魔理沙の居所を話さない。
ここでふと気付いた。もしかして魔理沙は、とっくの昔に帰宅しているんじゃないか。そしてエプロン姿で夕食の支度を済ませていて、三つ指ついて私を出迎えるんじゃないか。
盲点だったわね……!
その線が有ったわね……!
魔理沙の愛を信じ、さっそく自宅へ引き返す。そこには、
「あら、お帰り」
母さんしかいなかった。
「って、おま」
なに如何わしい本を整理してんの!?
「散らかってたから」
母親がそっち系の本をサーチする能力は異常と聞いていたが、身をもって実感させられるとは思わなかった。
「アリスちゃんも年頃だもの。こういうのに興味が有るのは、仕方ないわよね」
「それ多分、魔理沙の本じゃないかしら。うん。そうよ。きっと。絶対」
「じゃあ捨てていいのね?」
「駄目ッ!」
叫んでから気付いた、墓穴を掘ったと。
「やっぱりアリスちゃんのなんでしょ。……失礼かと思ったけど、中身を読ませて貰ったわ」
穴があったら入りたい。そうだ、さっき自分で掘った墓穴に入ってしまえ。
「どの本も、金髪で巻き毛の女の子ばっかり載ってるわねぇ」
ハハハ上海を作る時の資料にしたのデスよ。嘘じゃないヨ。
「時々、黒髪ポニーテールの子も混じってた」
「食わず嫌いはいけないと思って……」
性癖がどんどん晒されていく。
羞恥に耐えかねた私は、より深く穴を掘り下げた。わあ、マントル層ってあったかい。
「まさか、魔法の森が穴だらけなのって、アリスちゃんのせい?」
恥ずかしい目に会うたび、トンネル開通して中で悶えるのが日課。おかげで霧雨邸が地盤沈下起こして倒壊したけど、問題ない。魔理沙が私の家を頼るきっかけになったし。
「がっかりよ。幻想郷で何をしてるのかと思えば、掘削工事のプロフェッショナルになってるんだもの。まったく。卵の頃は、あんなに純粋で可愛かったのに」
私、卵で産まれてきたの?
「ショックだわ。実の娘がこんな風になっちゃうなんて」
こっちだって相当ショックだ。これからは有精卵相手に、仲間意識を感じなきゃいけない。どういう人生。
「お母さんもね、貴方が憎くて叱る訳じゃないの。心配なのよ」
「母さん」
「まさか、女の子が好きだなんて思わなかったから」
私だってよく分からない。自分でも止められないのだ。庭に生えてたピンク色のキノコを食べて以来、同性を魅力的に感じて仕方ないのだ。
「辛かったわよね。今まで隠してたのよね。言えなかったのよね」
優しいハグ。鼻腔をくすぐる柔らかな母の匂いに、強張った体が解されていく。
「あれから色々、考えてみたの。色恋沙汰に、親が口を挟むべきじゃないって」
「え」
それは、つまり。
魔理沙との交際を、認めて――?
「その変わり、同居させて」
「あ?」
「それと魔理沙ちゃんには、生命保険に加入して貰うわ」
「おい」
「食事もぜーんぶ、私に支度させてくれないかしらぁ」
毒入り味噌汁で昏倒する魔理沙が、脳裏をよぎる。
……いいわ。
愛する人を保険金に変換されるくらいなら、神をも殺して見せよう。
「はーん。奇遇ねぇ。実は言うと私も、母さんとこっちで同居する準備はしてあるの」
「!」
「育ててくれた恩を、仇で返す訳にはいかないでしょう?」
「アリスちゃんったら」
「本邸は私と魔理沙の愛の巣だし。母さんには、庭に建てた別邸へ住んで頂こうかしら」
アホ毛を引っ掴み、ぐいぐいと目的の地へ案内。
さあ、その目で確かめなさい。これが自慢の二世帯住宅!
「ここが、別邸」
「そうよ」
「ちゃんと表札も貼って有るでしょ、『神綺』って」
「うん……でも……でもね……これ……」
――犬小屋よね?
母さんは、目に涙を浮かべながら言った。
「四つん這いで入り込むのが前提だから。どんなに足腰が弱っても、転倒の危険性は無いでしょ。バリアフリーよ」
「そうね。最初から地べたに手をついてるんだもん。これ以上転びようがないわね」
手で顔を覆って、母さんはその場に座り込んだ。
「アリスちゃんが、私をどう思ってるのかよっく分かりました」
暗に「帰れ」と告げているのだ。察してくれると嬉しい。
「お母さんをペットにしたいなんて、変態ね。わん、とでも鳴けばいいのかしら」
そう言って母さんは、首輪を受け容れた。魔理沙のために用意した筈が、母さんにもサイズが合うとは思わなかった。
じゃらじゃら。
じゃらじゃら。
首輪から伸びる鎖が、けたたましく金属音を立てる。それは犬小屋と母さんを繋ぎ止める、滅びのさえずりだった。
「わん」
「母さん……」
「わん」
熱い雫が、頬をつたう。思い出が溢れて、止まらなくなった。
「お母さん覚えてる? 遠足の時の話よ。他所の子は、豪華なお弁当持って来てた。だけど、私のは日の丸弁当だったわよね。見た目ガイジンなのに」
「わん」
「綺麗なお弁当を作ってくれないお母さんなんて、いらない。そんな事、言っちゃったよね」
「わん」
「あれ、今でも後悔してるの」
あの後。母さんが徹夜で料理を練習してたの、本当は知ってた。母さん、目にクマが出来てたのに平気なフリをしてた。それが凄く可哀想だった。でも、恥ずかしくて言えなかった。
「今なら言えるわ」
確かめるように、呟く。
「ごめんね。お母さん」
――返事は犬の鳴き声だった。
もう、あの母はいない。言葉さえ失ってしまった。ここにいるのは、母の形をした抜け殻なのだ。いずれ、私の顔も名も忘れる。そうなる前に、いっそ。
「さようなら、母さん」
「わん……アリスちゃん? 今、シリアスもどきな空気に任せて、私を埋めようとしたわね」
せめて綺麗な別れ方にしよう、という子心である。黙って受け取ってちょうだいな。
「そんなに私が邪魔な訳」
親離れはとっくに済んでいる。今の私は恋に生きる女、ましてや両思いの婚約者がいる身。
母親など。障害物以外の何でもない。
「少し、甘やかし過ぎたかしらね」
「なんですって?」
「そもそも、ミュージシャンになりたいと言って魔界を飛び出した時点で、引き止めるべきだったわ。延々と仕送りを催促してくるし。……だけど、夢を追ってるんだから。仕方ないんだって、大目に見てきた。それなのに。いつの間にか、魔法使いとフリーターの狭間をさ迷う、親不孝者になって」
だって私には音楽の才能が無いって、気付いちゃったんだもん……。
「あげく、どこの馬の骨とも知れないじゃじゃ馬に、お熱とはね。ふふ。うふふふ」
「魔理沙を悪く言わないで」
「ね、アリスちゃん」
「なに」
「親子の時間は、もうお終い」
「!」
「これより先は、魔界神として振舞わせて頂くわ」
「母、さん」
目の前には、一個の神がいた。母の顔を脱ぎ捨てた、邪悪で強大な魔の創造神だった。
ここに来て私は。
人知を超えた、神の脅威と対峙する事になったのである。
「どうやら失敗作のようね、アリスちゃん!」
薙ぎ払うアホ毛は暴風雨。振り下ろすアホ毛は、落雷と見紛う。
それは天災の域に達した暴力。
「直撃したら最後。肉片さえ残らないわよ」
上下左右、全方位からのアホ毛攻撃。その変則的な軌道を見切れぬ者に、生還は許されない……!
でも私には届かない……!
だって母さん、首輪つけたままだからね!
「あれっ!? あれれっ!?」
犬小屋から続く鎖が、母さんの行動範囲を大きく狭めている。
私まで残り2メートルの距離で、虚しくアホ毛を振り回す神様。
かっけー。
「貰ったわ!」
スパリと一閃。遠距離からのドールクルセイダーで、母さんの象徴たるアホ毛を切断せしめる。
「なんてこと。こんな、こんなことって」
最大の攻撃手段を失った魔界神は、力なく倒れた。
「ああ。完敗だわ。単なるボケかと思ってた首輪が、私の動きを拘束する為の伏線だったとね。恐れ入ったわアリスちゃん、とんだ策士よ貴方は」
「え? …………ま、まあねー。こういう展開になると、予想してたしねー」
母さんこそ。
「どうして弾幕を放たなかったの?」
「?」
「アホ毛じゃなくて、通常弾なら……離れた相手にも、攻撃が届いたでしょうに」
「あ」
気まずい空気が漂う中、一陣の風が舞い込んだ。
金色の髪、出かける前より豪華になった黒白衣装。
最愛の人だった。
「魔理沙」
「すまんアリス。どういう訳か、ポケットにお前の財布が入っててな。店員に進められるがまま、服を新調しちまった。その、断りきれなくて」
「いいのよ分かってる。貴方は悪くない」
騙されないで、を連呼する母さんの口を塞ぎつつ、いい雰囲気を維持しようと精一杯のスマイル。
「もう帰って来ないかと思ってた」
「言わなきゃいけない事があるんだ。それで、戻ってきた」
なんだろう。そわそわしてしまう。
「霊夢に説得されてさ。アリスみたいなカモは、滅多にいないって。間違えた、アリスみたいなお人良しは滅多にいない、だった。うん」
本音出たよね?
「結婚しよう」
「嬉しい!」
確かに魔理沙は、私からお金をせびる。
この結婚だって、打算かもしれない。
でも、ずっと一緒にいれば。いつか、本気の愛が芽生えて――
「さっそく式をあげなきゃ! えっと、神父いない……あ、ちょうど母さんがクリスチャンじゃないの」
「えー? 誓いの言葉、私が読み上げるの?」
結婚には、祝福が必要なのだ。
「いいやもう。ツッコミ切れないって分かっちゃったし」
「それでこそ母さんよ」
「さと……ゴホン、アリス・マーガトロイド。貴方は魔理沙を生涯の妻とし、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
『健やかなるとき』が抜けてると思うんだ。
「だってアリスちゃんの精神が健やかなる時なんて、無いでしょ」
母さん、後で話し合おう。
「これで、霧雨姓とは本当にお別れだな」
感慨深そうな顔で遠くを見つめる魔理沙の顔に、微かな迷いを感じ取った。
マリッジブルーかもしれない。
「大丈夫よ、魔界はいいところだから。すぐに慣れるわ」
「おい、何時の間にお前の実家で暮らす流れになったんだ?」
ああ、目を閉じれば鮮明に蘇る、懐かしの故郷。
麗しき魔界。
どこまでも真っ直ぐな農道に、人影は無く。
米は豊かに実り、イナゴはそれを食い荒らす。
畑のド真ん中で叫ぶのは、アルツハイマーに脳をファックされた徘徊老人。彼が青年期(二次大戦時)に意識のみ時間旅行し、エア米兵との銃撃戦に突入するや否や、第一発見者が優しく家族の元へ送り届ける。もちろん、送迎手段はイカしたトラクター。
「なんだろ……私にはこう、高齢化の進んだ末期の田舎としか思えないな」
「住めば都だべさ」
「それ魔界訛りか? イミフだから止めてくれ」
頭を抱える魔理沙とは対照的に、母さんは満面の笑みを浮かべていた。
「アリスちゃん、こっちに帰ってきてくれるの?」
「ええ」
「そうよね。やっぱり母親と離れ離れなんて、嫌に決まってるわよね」
ていうかお前のせいだよ。さっきアホ毛振り回したせいで、私の家倒壊したじゃない。嫌でも実家のお世話になるわ。
「まぁ細かいことは置いといて。そうねぇ。帰ったら久々に、新鮮な野菜が食べたいかな。魔界自慢の、有機野菜が」
「ごめん」
?
「今の魔界はね。田も畑も、荒れ地なの。有機野菜はおろか、ぺんぺん草も生えてない」
「まさか」
冷害で、作物が全滅したとでも?
「そのまさかよ」
「そんなっ!」
「そう。ミミズが怖いんで手入れサボってたら、荒れ地になってたの」
「それで農村の主婦が務まるの!?」
そら見た事か。やめようぜ、このまま幻想郷で暮らそうぜ。囃し立てるように騒ぎ始めた魔理沙をシカトしながら、七色の脳細胞で解決策を練る。
「うん」
何も思いつかなかった。
でも、二人ならやれる。私と魔理沙の、二人なら。
瘴気漂う森の中。
佐藤家は、新たな一歩を踏み出したのだった……。
>「そう。ミミズが怖いんで手入れサボってたら、荒れ地になってたの」
でも神綺様も超かわいい。
参ったな、フフ……。
思わず変な想像をしてしまった・・・・・・
後書き酷い
いやー、訳30kbがあっという間でした。
なにこれ……いやなにこれw
ちくしょう卑怯だぞ、こんな深夜に爆笑させるなんて!
ウルトラレアのスペカとかは香霖堂で買取とかやってんのかな
魔理沙の外道っぷりが面白かったですw