筆舌に尽くし難いとか言語を絶するとか、人間という奴らは何とも便利な表現を考えるものだと私は思う。
現在進行形で私を取り巻く不可解な状況を一言で説明しようとすると、貧弱な私の語彙ではどうしてもその辺りの言葉に頼らざるを得ない。
そうした言葉に敢えて縋らず、簀巻きの上逆さに吊られた私の前に五体投地で少女がひれ伏しているこの奇天烈極まりない光景を言い表そうとするならば、私としてはこう述べるしかないだろう。
どうしてこうなった、と。
「……あのー、お嬢さん」
この状況をどう打破したものかと考えあぐねた末に、伏したまま一向に頭を上げようとしない緑髪の――恐らくは人間の――少女へと私はとりあえず慎重に声を掛けた。
恐れている訳ではないが、ここ数百年ほど地下に篭っている内に人間は何やら随分と危険な生き物へと変貌を遂げてしまったようなので、警戒は万全にしておくに越した事はない。それが証拠に、長く行き来の途絶えていた地上から何やら分裂気味な独り言をぶつぶつ呟きながらやってきた二人の人間にいきなり殺気全開で襲われたという苦い記憶が私にはある。最近の人間は初対面の相手に針やミサイルをぶつけてはいけませんと教わらないらしい。キレる十代とか言うのだそうだ。妖怪の私が言うのも何だが、世も末である。
私の言葉に少女はがばっと上半身を起こした。驚いた私は反射的に回避行動を取ろうとしたが、蓑虫体験学習真っ最中の私の身体は振り子のようにぶらぶらと寂しく揺れるだけである。前言撤回、めっちゃ怖い。
身体に一切の自由が利かない状態というものは思った以上にいい感じの絶望感を私に与えてくれる。こんな危機的状況に進んで飛び込む蓑虫はどれだけ被虐に飢えているのだろうかと思うと、ドン引きを通り越して尊敬すら浮かんで来る。蓑虫さんマジリスペクト。だから降ろしてお願い。
実際の所、何が何だか解らない。私は確かに旧都へ架かる橋の下で昼寝していたはずなのだが、今吊るされているここはどう見ても旧都のどこかではない。納屋だろうか。よく解らないが、木造の壁も床も、妖怪の私には不快なまでに徹底した清潔さに溢れている。外からは久しく聴かなかった鳥らしき鳴き声もするから、旧都どころか地底ですらないのだろう。
地上、人間、そしてこの居心地の悪い神聖さ――まさか、ここはどこかの神社なのだろうか。そう考えると、目の前の少女の服装も何やら巫女のそれに見える。
簀巻きの私。神社。巫女(キレる十代)。そこから導き出されるものは――オーケー、私は死んだ。
腹を括る前にせめて命乞いの一つもしようかと、私はぶらぶら揺れながら口を開いた。
「たす――」
「助けて下さい!」
「はっ?」
聞き間違いかと思ったが、少女は縋るような瞳で私を見上げている。
「黒谷ヤマメさんですよね!?」
「え、いや、そうだけど……」
「噂は聞いています。お願いです、どうかそのお力で私を助けて下さい!」
その前に私を助けろよ、とは無論言えない。眼の前だけを見れば、それは斎戒沐浴でもしたような清らかな出で立ちの少女が神に祈る如くに跪いている、実に弱々しくも美しい光景である。ただし忘れないで頂きたいが、私はあくまで蓑虫である。周囲がいかな状況にあろうと、私がこの少女に生殺与奪の全てを握られている事だけは揺るぎない事実なのだ。
しかしともあれ。何の噂だかは知らないし、人間を助けるような力に心当たりもないのだけれど、そういう事ならとりあえずこの宙吊りぐらいは何とかしてもらえるかもしれない。
「その、何だか知んないけど、とりあえずこの縄ほどいてくれないかな」
「駄目です」
即答だった。
「えーと……お願いっていうのは簀巻きにした挙句逆さに吊るした相手にするものじゃないよね?」
「だって縄をほどいたら逃げちゃうじゃないですか」
いや逃げるよ。逃げるけども、その原因を作り上げたのは九割九分あんたでしょうが。
「最近、皆ひどいんです。私が挨拶をしようとしただけで、顔を青くして逃げ出すんです」
少女はよよと泣き崩れたが、こんな目に遭わされては彼女の言う挨拶とやらは私の知っているそれとは別の世界の言葉なのだろうと思わざるを得ない。
「話は聞くよ。聞くからとにかく縄をほどいて」
「助けてくれないんですか……?」
「あっはい、このままで結構です。宙吊り大好き」
この女眼がマジだったでござるの巻。彼女の背後から一瞬立ち上った捕食者の気配に、私は全力で首を縦に振っていた。
風なんたらの――巫女のようなものらしい――東風谷早苗と名乗った少女は、実はですねと前置きしてから、本当に私を逆さに吊るしたまま語り始めた。
曰く。自分は二柱の神に仕える者だが、同時に現人神として人々に崇められた者達の末裔でもある。つまり、人でありながら同時に信仰によって神となった者でもあると。しかしながら今やその信仰も絶えて久しく、今の彼女には精々奇跡を起こす程度の能力しか残ってはいないのだという。
「なるほど」
とりあえず相槌を打ってはみたが、彼女の語る話が真実なのか、それとも歳若い人間にありがちなイタい妄想なのかは判断に困る所である。
「私はこれまで、八坂様と洩矢様の信仰を獲得する為に昼夜を問わず奔走して来ました。しかしある時、ふと私の内なる神がこう囁いたのです。『そろそろ自分の為に信仰集めてもいんじゃね?』……と」
「フランクだなぁ内なる神」
そもそも内なる神って何だ。いよいよもって眼を合わせてはいけない感じのフレグランスがしてきたが、当の東風谷早苗はどこ吹く風である。東風谷だけに。
……今のは忘れて欲しい。
「そんな訳でですね、私は満を持して己が信仰を集めに出たのですが」
これがさっぱり集まらないのですと早苗は言った。
「……そうだろうねぇ」
「そうなのです。不思議な事に」
駄目だ、日本語が通じていない。
「信仰というのはですね、ぶっちゃけて言えば人気なのです。だから神社仏閣はこぞって学業成就だの恋愛成就だの、裸踊りだの褌祭りだので客を釣り上げようとする訳です」
「解らんでもないけど、巫女がそんな暴論吐いちゃっていいの」
「巫女である前に神ですから」
神である前に暴君だと思った。
それで、と早苗は居住まいを正した。私もそうしたかったが、無論の事虚しく揺れただけに終わった。
「貴女に助けて頂きたいのはそこなのです」
「……どこ?」
「聞いた話では、貴女は地底でも有数の人気者だとか。その人気の秘訣を、どうか私に教授して頂きたいのです!」
「え、えーっと……」
私は言葉に詰まった。秘訣と言われてもそんなものは考えた事もない。というか、私は人気者だったのか。確かに友達は多い方だし、少なくとも嫌われ者ではないはずだという自覚はあるけれど。
そう言うと、巫女はどこから取り出したのか、「どーん」と効果音を口ずさみながら一枚のフリップを私に見せた。その上部には、「旧都の妖怪三百人に聞いた! 地底人気者ランキング」という文字が躍っている。
「……端っこの方に赤黒い染みが付いてるように見えるんだけど」
「気にしたら死にます」
「死ぬの!?」
私の戦慄などそっちのけで、早苗はタイトルから下を覆う白いシールを剥がした。
一位 黒谷ヤマメ 百二十二票
二位 星熊勇儀 六十八票
三位 火焔猫燐 五十五票
.
.
.
最下位 古明地さとり 一票
「このような結果に」
「一人だけ物凄く悲しい人が混じってるんだけど!」
自分で入れたんだろうかこれ。やべ、涙が出てきた。
「どうです? 名実共に地底のアイドルですよ」
「……私としてはこの六位の魂魄妖忌って人が気になるんだけど」
初めて眼にする名前である。早苗は「ああ」と言うと、
「最近ふらりと旧都にやって来た剣術使いの老人だそうですよ。眼に止まった獲物をですね、こう、手当たり次第に」
「まさか辻斬り――」
「いえ、辻庭師です。手当たり次第に庭の剪定をしていくのだそうで」
「ただのいい人じゃねーか!」
「だから人気者ランキングだと言ってるじゃないですか」
まあ庭師の話は置いときましょうと言いながら早苗は無造作にフリップを投げ捨てた。手裏剣のように回転しながら窓の外へそれが消えた直後、ウギャアという悲鳴と共に血飛沫と黒い羽が舞ったのが見えた気がしたが、早苗は表情一つ変えなかったので私も気のせいだと思い込む事にした。
しかし本当に一位とは驚いた。人気者と言えば、てっきり勇儀辺りが一番上に来るだろうと思っていたのだけれど。
「自分の事ほど解らないものですよ。かく言う私もこの歳になるまで学校で問題児扱いされていた事に気付きませんでした」
「それはもうちょっと早く気付こうよ」
知りたくもない黒歴史の一端を垣間見てしまった。
ともあれ、そのくらいの事なら協力してもいいかなと私は思った。別段私に損がある訳でなし、元々仕事もなければ目的もないその日暮らしだから、時間がないという事もない。尤も、それ以前に私に拒否権など与えられてはいないのだけれど。
私は喜んで協力する旨を伝えた。とにかく、一刻も早くこの状態から脱したい。頭に血が昇り過ぎてそろそろ判断力も怪しくなって来た。今なら連帯保証人の証明書が束で来ても爽やかな笑顔でサインしてしまえそうな気さえする。
「そういう訳だから、可及的速やかに降ろして貰っていいかな……」
「勿論です! 流石は地底一の人気者、話が早くて助かります」
それは良かった。いいからとっとと降ろしてくれと混濁しかけた頭で考えていると、早苗は何かを思い出したように「あ」と言った。
「念の為言っておきますけど、もし逃げたりしたら冥府の果てまで追い掛けて息の根を止めますからね」
これからは悪戯半分に通りすがる人を縛り上げるのはやめようと心に誓いつつ、彼女の花が咲くような笑顔を最後に、私の意識はふっつりと途切れた。
* * * * *
そんな次第で、私は早苗を伴って住み慣れた地底へ戻って来た。
折角地上へ出たのだから観光ぐらいはしたい気持ちもあったが、どうせ地上では私は嫌われ者だし、何よりあの山は河童の臭いがしたので結局長居は諦めた。
我々土蜘蛛と河童達は非常に仲が悪い。奴らは暇さえあればあらゆる手段で人間の行動を観察しようとする天狗顔負けの窃視常習者の癖に、さも常識人のような顔をして我々が河を汚すだの何だのと難癖をつけてくるのだ。戯れに河を汚染してみた事など数えるほどしかないというのに、失礼極まりない奴らである。
「それで、私は一体何をすればいいんですか?」
早苗が訊いた。旧都へと続く縦穴を進みながら、私は「うん」と答えて早苗を見た。
「まずは顔を覚えて貰おうと思って」
「それだけですか?」
「うーん、まあ強いて言うなら、出来るだけ柔らかな態度で接するように。折角顔を覚えて貰っても、悪印象じゃ逆効果だからね」
「なるほど……流石は先生、含蓄の深いお言葉です!」
「せ、先生は恥ずかしいから止めてくれないかなぁ」
「クソ虫の方が良かったですか?」
「両極端すぎるだろ!」
私は頭を抱えた。一見大人しそうな顔をして、隙あらば嬉々として毒の散布にかかる。こんな爆弾を引き連れて旧都に乗り込んでしまって本当にいいものだろうか。
「あ、着きましたね」
そんな私の気持ちなど忖度する事なく、早苗は無邪気に言って地面に降り立った。眼の前にはもう広大な旧都が広がっている。こっそり溜息を吐いて着地した瞬間、不機嫌な声が辺りに響いた。
「止まりなさい、貴女達。旧都に何の御用かしら?」
「おや、パルスィ」
私達を呼び止めたのは見知った隧道の守護者だった。「今日もお仕事かい。地上との断絶もなくなったんだし、もうちょっとゆるく行こうよ」
「貴女はともかく、得体の知れない人間を簡単に通すほどざるじゃないわ。ふん、随分と悩みのなさそうな顔をしているわね。ヤマメを連れて地底観光かしら? いいご身分ね」
水橋パルスィは言いながら早苗の前に立ちはだかり、じろりと彼女を眺めた。
「妬ま」
「セイッ!!」
眼にも留まらぬ一撃をレバーに受けて、パルスィは「オウフ」という声を残して地面にくずおれた。
「おおおい! 何してるの!? ねえいきなり何してるの!?」
「邪魔者には死あるのみ、ですよ」
「にっこり笑って言われても怖ぇよ!!」
解ってない、私の言った事全然解ってないよこの子。
「だ、大丈夫かいパルスィ」
「口から内臓吐くかと思ったわ……」
駆け寄って抱き起こすと、パルスィは地獄を見てきたような声で答えた。
「よく見たら貴女、この前のアンケート女じゃない。一度ならず二度までも……あの時は油断して取り逃がしたけれど、今度は容赦しないわよ」
本当に自分で聞きまわったのか、あの胡散臭いアンケート。
パルスィの双眸が翡翠の如くに光る。早苗はにこにこと笑いながら――これで柔らかな態度のつもりなのだろうか――御幣を取り出した。
明らかに一触即発の態である。これでは人気を集めるどころではない。
「ま、まぁまぁパルスィ落ち着いて!」
「何よ、邪魔しないで」
「悪気はないんだ、許してやってよ。彼女はなんていうか、ほら、若干人見知りで――」
「挨拶代わりに人の内臓を打ち抜くような人見知りは即刻檻にブチ込みなさい」
「ま、まぁまぁまぁまぁ! 多めに見てやってよ、ね? 友達の顔を立てると思ってさ、頼むよパルスィ」
「と、友達……」
どうにか丸く収めようと私は頭を下げた。パルスィは怒ったような顔でそっぽを向くと、
「し――仕方ないわね。貴女がそこまで言うなら、今回だけは許してやってもいいわ。今回だけだからね!」
と言った。
「ありがとうパルスィ、今度何か奢るよ。ほら、早苗も礼を言って……早苗?」
「……こ」
「こ?」
「こ、これがアイドル力……!」
「アイドルぢから!? 語呂悪いな!」
こほんと一つ咳払いをして、パルスィはそれはともかくと言った。
「ここを通すというのは別の話よ。今なら見逃してあげるからさっさと地上へ帰りなさい」
「パルスィ」
「そうですか……解りました」
早苗はいやに物分り良く頷いた。
私は嫌な予感に顔をしかめた。こういった手合いが大人しく引き下がる時は、必ず何かあるというのが古来よりのお約束である。案の定、早苗はにやりと笑ってこちらを向いた。
「ところでヤマメさん。例のアンケート、パルスィさんが誰に票を入れたか知りたくありませんか?」
「なっ――!」
私よりも先に、パルスィが声にならない声を上げた。早苗はあくまでも純情可憐な美少女然とした笑顔で、
「一般論ですけれど、こういったアンケートってどうしても自分の好感度の高い人に票を上げたくなるものですよね。あくまでも一般論ですけれど。それはさて置きパルスィさんですが、一匹狼の嫌われ者を気取っておられる割には意外や意外――」
「や、やめてぇぇぇぇ!」
パルスィは顔を真っ赤にして叫ぶと、早苗に飛びついてその肩をがくがくと揺らした。
「あ、あああ貴女最低よっ! 人のプライバシーを玩具にして何が楽しい訳!? ええっ!?」
「そんなに恥ずかしいんですか、ヤ――」
「やーめーてー!! 日本語は通じてるかしらこのワカメ頭ッ!!」
「私だってこんな事したくありませんよ。ですけどパルスィさんと心を通じ合わせるにはやっぱりこれしかないかなって……」
「解ったわよ、通せばいいんでしょ!? 好きなだけ勝手に通りなさいよっ!! バーカバーカ、馬に一万回蹴られて死ねっ!!」
「あ、パ、パルスィ――」
涙目で子供のような呪詛を吐いて、パルスィは私が引き止める間もなく走り去ってしまった。
「いやぁ、人と妖怪も頑張れば解り合えるんですねぇ」
殴りたいほど爽やかな笑顔で早苗は額の汗を拭った。
「何一仕事終えた感出してんだ! 明らかに脅迫じゃん今の……信者達が見たら泣くよマジで」
「綺麗事だけじゃ生きては行けないのですよ」
そういう台詞は一度でも綺麗事を言ってから吐けよ。
「今度埋め合わせしないとなぁ……」
パルスィが走り去った方角を見ながら私は溜息を吐いた。私も今すぐ走り去りたい気分だが、このヒト科ミコモドキの魔手からはどうあっても逃れられそうにない。せめてもの抵抗に、肩をすくめてじろりと早苗を見た。
「早苗、本当に人気者になる気あるの? 折角いい印象を持ってもらうチャンスだったのに、何もかもぶち壊しだよ」
「……すみません、ヤマメさん」
早苗は素直に頭を下げて言った。
「でも、あの人の悪夢に出てくるぐらいには印象に残ったんじゃないですか?」
「どこまでも最悪だなあんた!」
* * * * *
旧都は今日も地底には不似合いな活気を見せていた。
行き交う妖怪達に片手を挙げて挨拶しながら、その間を縫って私は進む。その後ろを、早苗がぺこぺこと頭を下げながら追いかけて来る。子分を引き連れているような構図だが、実際は刃物を突き付けられて前を歩かされているようなものだ。この人ごみは遁走には絶好のチャンスに思えるが、無事に逃げ切る事はまず諦めた方がいいだろう。上手く早苗の隙を突けたとしても、例えば看板が落ちてくるとか人垣に行く手を阻まれるとか、何かしら良からぬ事が起きるような気がする。
早苗は奇跡を起こす程度の能力を持つという。奇跡が起こる、ではなく起こす能力なのだから、少なくともある程度は意識的に発生を操れるのだろう。
「病気にしてやっても、変な奇跡で復活しそうだしなぁ……」
「何の話ですか?」
「おわぁぁっ!」
いつの間にか隣に来ていた早苗に顔を覗き込まれて、私は思わず仰け反った。
「さ、早苗」
心臓を鷲掴みにされたような気分だったが、気付いているのかいないのか、早苗は近くの屋台を指差して、あれは何ですかと無邪気に訊いた。
「へ? ……ああ、ネズミ肉のタレ焼きだよ。味は悪くないけど、ちょっと臭いにクセがあるから人間にはキツいかもね――」
「すいません、二本下さい」
「一瞬の躊躇もなく!?」
戻って来た早苗はどうぞと言いながら私に一本渡すと、矢張り躊躇なく焼けた肉にかぶりついた。
「中々美味しいですね、コレ。……何ですか?」
「いや、勇気があるなと……妖怪でも苦手な奴は苦手なんだけど」
「私、こういうのってあんまり抵抗ないんです」
イナゴとかザザムシとか食べ慣れてますしと言って巫女はまた一口肉を齧った。幻想郷の外から来たと言うが、余程食物不毛の地で育ったのだろうか。であればこの意地汚いまでの闘争心にも少なからず納得が行くというものである。私が人知れず同情していると、早苗は「それに」と付け足した。
「旅先の名物料理は食べなきゃ損じゃないですか。蝙蝠の丸焼きだって食べますよ、私」
「そういうものかねぇ」
「そういうものなんです」
早苗は何故か、少し遠い眼をしてそう言った。
「ところで、どこへ向かってるんですか?」
三本目の地底チョコバナナ――実に安直なネーミングである――を平らげた後、早苗はようやくその一言を発した。
「うん」
私は肩越しに彼女を見て答えた。「勇儀を探してるんだけど」
「はあ、あの方ですか」
先日はいきなり勝負を挑まれて困りましたよと早苗は肩をすくめた。
「へぇ、勇儀にねぇ」
矢張りあの喧嘩馬鹿のお眼鏡に適うだけの力は持っているらしい。
「戦ったの?」
「逃げましたよ」
早苗は小走りに私の隣に並んで言う。「アンケートで忙しかったですからね。それで、何故勇儀さんを?」
「勇儀は人気者だからねぇ。あれに顔を覚えて貰えれば、早苗の認知度も一気に上がるんじゃないかと思って」
「なるほど、一つのコネより二つのコネ。ヤマメさんと勇儀さんの名前を利用出来れば、確かに一気にのし上がる事も不可能ではないですね」
「本人眼の前にして堂々と利用とか言えちゃうその神経の太さだけは尊敬するよ」
ナイフも跳ね返すと噂の天人よりも分厚い面の皮である事はまずもって間違いなかろうと私は思った。
「それでさっきから探してるんだけど、どうもね」
勇儀は面白い事を探していつもふらふらしているので、決まった場所に居るという事がない。早苗が飢えた獣のように屋台を食い荒らしている間に道行く妖怪達に尋ねてはみたのだが、今の所勇儀の居場所を知っている者はいなかった。
そう言うと早苗は不思議そうに首を傾げて、「あそこじゃないんですか?」と一点を指差した。
「あ」
偶然の産物かそれともこれが奇跡の御業か、星熊勇儀はあっさりと私達の前に姿を現した。
* * * * *
かつては地獄の管理者の一人が住んでいた廃屋である。
この旧都が我々の手に渡って数百年、殆どの建物は何らかの形で再利用されているが、ここだけは未だ手付かずのままで残っている。敷地は荒れ放題に荒れており、整然と植えられていたはずの木々は本能のままに枝葉を伸ばし、美しく管理されていたであろう植え込みは最早所構わず生える雑草に紛れて区別がつかない。今や屋敷は草木の海に呑まれ沈んでゆく廃船の如き様相を呈している。
その船の舳先に立って、星熊勇儀は同じくその向こうに佇む人影に指を突き付けた。
「やっぱり来たねぇ。ここで待ってれば会えると思ったよ――魂魄妖忌!」
高らかに吼える。人影は――僅かに口の端を歪めたように見えた。
「あれが……魂魄妖忌」
「そのようですね」
私はまじまじと勇儀の向こうの人影を見つめた。
老人だと聞いてはいたが、本当に老人である。長く伸ばした白髪と、同じく長く蓄えられた美髯。仙人かと見紛う相貌だが、その痩躯を包む和服と、何より腰に佩いた太刀がそれを否定している。妖怪でも人でもない。傍らに浮かぶ白い塊は、半人半霊の証である。
――強い。私は直感的にそう思った。その道を極めた者にしか発し得ぬ何かを、この老翁は身に纏っている。
勇儀の立つのが船の舳先なら、妖忌は船尾に立って勇儀と対峙していた。
「かなりの使い手なんだろう、あんた。……いや、聞かなくても判る」
指を突き付けたまま勇儀は言った。「私と勝負してもらうよ。嫌とは言わせない」
妖忌は答えない。ただ、一瞬にして周囲の空気を塗り替えた底冷えのする殺気が、言葉よりも雄弁にその意志を語っていた。
「……言葉は不要か」
勇儀はにやりと笑い、手にした杯を飲み干した。
投げ捨てた杯が屋根瓦に落ちてからんと音を立てる。その瞬間、勇儀は「行くよ」と呟いて――飛んだ。
私はごくりと唾を飲んだ。杯を捨てた勇儀を見るのはいつ以来だろうか。私はひょっとすると、凄い現場に居合わせているのかも知れない。
屋根瓦を踏み割りながら駆ける勇儀の迫力にも何ら動じる事なく、妖忌はす、と右手を持ち上げた。
その両肩からは×の字に背負われているのであろう刀の柄が二本覗いている。
妖忌が右の柄に手を掛けて引き抜くと、左の柄も同時に持ち上がり――、
「ってあれ高枝切り鋏じゃねえか!!」
二本の柄と見えたものは高枝切り鋏の持ち手である。妖忌はそれを両手に構えてシャキンシャキンとやっている。何もかもが台無しだった。
「だから庭師だと言ってるじゃないですか」
「それで納得するのもおかしいだろ!?」
「見て下さい、鋏の持ち手をわざわざ柄巻にするあの拘りっぷりを」
「そこまで刀に拘ってるなら大人しく剣士やってろよ!」
というか腰のものを抜け。無理して鋏なんぞ使おうとしなくていいから、今すぐそれを捨てて太刀を構えてくれ。ね、ホントお願いします。
そんな私の願いも虚しく、孤高の剣豪から妖怪ハサミ爺へと自ら堕した魂魄妖忌は高枝切り鋏を下段に構え、真正面から勇儀を迎え撃った。
二人の修羅が交差する。その刹那に勇儀の右手が閃き、瓦を粉々に砕いて屋根に大穴をあけた。
「うわ……!」
衝撃の余波がここまで飛んで来る。髪を押さえて私は思わず声を上げたが、爆心地に既に妖忌は居ない。まるで河の流れに浮かぶ木の葉のように、実に自然な動きで勇儀の背後に回っていた。しかし勇儀もさる者、読んでいたと言わんばかりにそちらを振り返り、同時に光球の雨を散弾のように撃ち放つ。手加減も何もない、山の四天王が本気で放つ一撃である。私が相手であれば十回は死んでいる事請け合いのそれを、妖忌は事もなげに躱してゆく。最後の弾を回避した瞬間、妖忌の身体は空気に溶けるようにふ、と消失した。
「消えた……!?」
「いや、下です!」
早苗が叫ぶ。見れば庭を埋める雑草に紛れて白髪が舞っている。
「逃がすかッ!」
吼えて勇儀もまた庭へ飛び降りた。しかしそれを嘲るように妖忌の姿は再び朧のように消失し、次の瞬間には最初からそこに居たように勇儀の背後に出現していた。
「瞬間移動!?」
「いえ、あれは……!」
「知っているのか早苗!」
訊いたのは私――ではなく、隣の知らない妖怪だった。誰だよお前という私の叫びなど耳に入っていないかのように、早苗は「むゥ」と唸って言った。
「あれはまさしく二百由旬の一剪……!」
「何それ有名な技なの!?」
早苗が何やら解説を始めたが、深入りしたくなかったので私は聞こえない振りをした。
一撃で妖怪を十匹は薙ぎ倒せるような攻撃を勇儀は矢継ぎ早に繰り出してゆくが、妖忌はその全てをひらりひらりと躱し続ける。凄まじい技量である事は確かだが、それにしても妖忌の狙いが解らない。ついでにいまいち締まらない。
ハサミ爺が飛んだり跳ねたり消えたりする度に、隣からは「あれはまさか」とか「あの技は幻の」という声が上がるが、無論の事私にはさっぱりである。こいつらは私には見えない何かが視えているのではなかろうか。要するに避けてるだけじゃんと言った途端にゴキブリの死骸でも見るような眼を向けられて、私は少し泣きそうになった。
「大体なんでそんな詳しい訳――」
と言いかけて私は口をつぐんだ。裂帛の気合と共に突進する勇儀に向けて、妖忌が一直線に突っ込んだからだ。
二つの影が衝突し、凄まじい衝撃波が巻き起こる。同時に硬質的な破砕音が響き――真ん中から二つに折れた高枝切り鋏が地面に突き刺さった。
「……私の負けだ」
膝をついて敗北を宣言したのは、しかし老人ではなく鬼だった。
妖忌の右手には、いつの間にか抜き放たれた太刀が握られていた。妖忌は無言のまま、それを音もなく鞘に収める。鯉口と鍔が触れ合って小さな音を立てた瞬間、枝葉の落ちるばさりという音と共に、草木の好き放題に繁茂していた庭は見事に手入れされた姿を取り戻していた。
ギャラリーから驚嘆の声が巻き起こる。
勇儀は顔を上げて、「お見事」と言った。
「やられたよ魂魄妖忌。ぐぅの音も出ない劇的なビフォーアフターだ。元の荘厳な雰囲気を寸分違わず蘇らせ、しかし随所に匠の遊び心がちりばめられている……完璧な仕事だ。私の完敗だよ」
勇儀は首を振って言う。妖忌は彼女に手を差し伸べ、立ち上がらせながら何事か口にした。
「……ああ、また再戦しよう。必ずだ!」
二人はそのまま固く握手を交わした。
ギャラリーからは一斉に拍手と歓声が湧き上がる。鳴り止まぬ「勇儀」「妖忌」コールに包まれながら、魂魄妖忌は風のように姿を消した。
「わぁーいなんだこれ……」
ただ一人ついていけずにいる私は、感涙に咽んでいる早苗の方を極力見ないようにしながら弱々しく呟いた。
しかし魂魄妖忌――実に恐ろしい老人だった。
その徘徊老人的な行動はともかく、山の四天王と互角に戦える実力の持ち主である事は確かだ。彼が我々の敵であれば、旧都には一体どれほどの血が流れていた事だろうか。妖忌に少なくとも害意のない事に胸を撫で下ろし、私は溜息と共に未だ興奮冷めやらぬ様子のギャラリーに視線を向けた。
「……」
蟻のように群がるファンの群れに、魂魄妖忌がもみくちゃにされていた。
「折角綺麗に終わらそうとしてるのに早く帰れよ!!」
風のように消えたんじゃなかったのかあんた。立つ鳥跡を濁さずどころか全力でバタ足を繰り広げて、妖忌は何とか話を綺麗に纏めようという私の努力を端から粉砕した。
「もういいや……。早苗、本来の目的を果たそう――早苗?」
「ここに『早苗さん江』って入れて下さい!」
「何どさくさに紛れてサインねだってんの!? そして応じるなよあんたも!!」
私の叫びも虚しく、由緒正しき巫女装束の背に達筆で書き入れられる墨字。あんた本当にそれでいいんですか現人神――聞いちゃいねえ。クソッ、なんて時代だ!
早苗に続いて我も我もとサインをねだる妖怪達。嫌われ者の同志だったはずの旧都の皆が何だか物凄い勢いで遠のいてゆく。今夜はパルスィとヤケ酒を呷ろうと私は心に決めた。
* * * * *
「すみません、私とした事が我を忘れてしまいました」
人だかりから無理矢理引っ張り出した所で、早苗はようやく正気に戻ったように私に頭を下げた。
だからあの爺さんに我を忘れさせるほどの何があるんだよと言いたかったが、もうアレと関わるのは願い下げなので私はただ曖昧な顔で頷いておく事にした。
「それで勇儀だけど――」
「大丈夫、皆まで言われなくても解っています」
早苗は顔を上げて、屋根の上で杯を傾けている勇儀を見た。「勇儀さんは旧都をヤマメさんと二分する人気者――つまり」
「うん」
「敵は屋根の上にありッ!」
「待て待て待て待て待て!」
待って待っておかしい。どこをどうしたらそういう結論に行き着くんだあんた。
何、簡単な事ですと早苗は得意げに言った。褒めてねーから!
「皆の注目がこの場に集まっている今ならば、私が勇儀さんを倒す事で圧倒的な注目を集められるはず。加えて勇儀さんは先ほどの戦いで少なからず疲弊している! 畢竟、勇儀さんを倒す機は今をおいて他になしッ! ですよね、ヤマメ先生!!」
「ですよねじゃねーよ!! 大音量で何のたまってんだ――あ、ちょっ、待って早まらないで! おおおおい!」
早苗は心配するなとでも言うようにクールにサムズアップして、ハサミ爺のような速さで屋根の上へ飛んでいった。私が心配してるのはそこじゃないという悲鳴が彼女に届く頃には、二人は既に屋根の上で向かい合っていた。
「戦う相手を探しているようですね、星熊勇儀さん」
「ああ――あんたこの前の」
あぐらをかいたまま早苗を見上げて、勇儀は一口酒を呑んだ。
早苗の背中には一体どこからどうやって取り出したものか、いつの間にか大きなのぼりがはためいていた。その表には「日本第一大軍神」の文字が墨色鮮やかに躍っている。そして裏手には「守矢神社」の文字。ただしこちらは元あった文字を墨で塗り潰した横に無理矢理書き入れられていた。私は何とはなしに墨の下に覗く元の文字を読んでみようと眼を細める。何々、博――麗、
「やりたい放題だなあんた!!」
いくら商売敵だからって、他所様ののぼりを塗り潰して再利用ってお前……。
私は頭を抱えて蹲った。今すぐ早苗の首根っこを引っ掴んで連れ戻したいが、といってそんな事をしてしまえば私が注目されるのは間違いなく、更に火に油を注ぐような事態にもなりかねない。こうなればせめて小火で済ませてくれと願うぐらいが関の山だが、早苗がとてもいい笑顔でバケツ一杯の灯油を火に降り注ぐような人物である事はもう身に染みて解っていた。
「立って下さい。この黒谷ヤマメ先生の一番弟子、東風谷早苗がお相手しましょう!」
「やめて私の名前を出さないでマジで」
絶対わざとだよこの野郎。
妖怪達の視線が八方から私の心臓と胃に突き刺さる。頼むから私がストレスで血を吐く前に始めて下さい。神様仏様勇儀様、願わくば我が不肖の押しかけ弟子に再起不能の一撃を。
「ヤマメの……? ま、何だか知らないけど喧嘩なら大歓迎だよ。最近の人間は気骨があっていいねぇ」
騙されるな勇儀、そいつにあるのはもっとドス黒い何かだ。
「だがまだ甘い。ハンデだ、この杯から酒を一滴たりとも零さずに戦ってやろう」
杯に酒を足しながら腰を上げて、勇儀はにやりと笑った。
てっきり頭に血が上るかと思ったが、早苗は意外にも落ち着き払って笑い返した。
「ふ……愚かなり星熊勇儀! ならば私も宣言します。私は貴女に指一本触れず、『参った』と言わせてみせましょう!」
のみならず、とんでもない大言壮語をぶちかます。
よく解らないなりにギャラリーがどっと沸いた。頑張れ姉ちゃん、とあちこちから声が飛び始める。なるほどこれはこれで早苗の書いた絵図通りの展開なのだろうと思いつつも、いつの間にか完全に蚊帳の外に放り出されている自分に気付いて私は何とも複雑な気分になった。
「あっはっは! いいねぇ、実に面白い! さあ、あんたの力を見せてみな!」
言うや否や、勇儀は鋭いレーザー弾の雨を開戦の合図代わりに撃ち放った。早苗は踊るような体捌きでそれを避け、よく通る声で答えた。
「よろしい! かみのちから、とくとめにやきつけておけ!」
その瞬間、早苗を眩い光が包み込んだ。
私は――いや、誰もがその明るさに思わず眼をつぶった。
再び眼を開けた時、早苗は――増えていた。
八人に。
「これが奇跡を起こす程度の能力です」
「奇跡の一言で何とかなるレベルじゃねーだろ!?」
増えた早苗達はめいめいがしゅっしゅとパンチを繰り出してみたり、荒ぶる巫女のポーズを取ってみたりと好き勝手に動いている。どういう原理なのこれ。
「どうです、一体どれが本物か、貴女に解りますか!?」
文字通り八方から勇儀を取り囲み、一人だけのぼりを背中に生やした早苗が胸を張って言う。鬼をナメきっているのか、それとも規格外の阿呆なのか判断がつきかねて、私はとりあえず頭を抱えた。
「どいつが本物だろうが関係ないさ。全員ぶっ飛ばせば済む話だ。行くよ――光鬼、『金剛螺旋』」
気付いているのかいないのか。勇儀は天を穿つように片手を突き上げ、そこから螺旋状に弾幕を放出した。
「わわっ!」
八人の早苗は蜘蛛の子を散らすように一斉に跳んだが、逃げ遅れた一人が直撃を受けて墜落した。
「ここまでか……!」
「始まったばっかりですけど!?」
いっそ男らしいほど堂々とした台詞を吐いて早苗は消え去った。しかし勇儀の攻撃はそこで止まらない。残る早苗達が体勢を立て直す頃には弾幕の放出点に既に勇儀の姿はなく、それに気付いた時には更に一人の早苗に鬼の強烈な蹴りが突き刺さっていた。
立て続けに二人の早苗が消滅する。しかしそこに生じた隙を今度は見逃さず、三人の早苗が勇儀を一斉に取り囲んだ。
「ふッ」
勇儀は僅かに息を吸い込み、次の瞬間声とは認識出来ないほどの大音声を吐き出した。勇儀十八番の宴会芸、「壊滅の咆哮」である。凄まじい衝撃波が四方に放たれ、思わず耳を塞いだ一人の早苗を消し飛ばす。残る二人は何とか結界を展開したが、衝撃波はそれすらも突き抜けて全てを吹き飛ばした。
「……相変わらず化け物だなぁ」
塞いだ耳の奥で鼓膜がびりびりと痺れるのを感じながら、私は思わず呟いた。
残敵を探すように勇儀は辺りを見回した。その背中に、高らかに笑う早苗の声がぶつかった。
「どうしました? こちらはまだ三人もいますよ!」
「もう三人じゃねーか!!」
どれだけポジティブなの? 馬鹿なの? 開始三十秒で五人消えたよおい。悪の組織の戦闘員並に無意味に倒れた早苗達を思うと涙を禁じ得ない。
それにしても、何と言うかどうにも弱すぎる気がする。まさか八人に分身したら力も八分割されちゃいましたなんてオチではあるまいなと、私はぼんやり考えながら屋根の上に目を遣った。
生まれたての小鹿のようにぷるぷる膝を震えさせながら、のぼりを杖代わりにしてどうにかこうにか姿勢を保つ早苗の姿がそこにあった。
「……」
八分割どころか殆ど持って行かれていたらしい。何やらいたたまれなくなって私は眼を逸らした。
勇儀はアピールするように杯を掲げた。中身は無論健在だ。
その挑発に掛かったか、或いは敢えて乗ったものか、二人の早苗が前後から勇儀を挟んで飛び出した。同時に斉射された無数の光弾が、勇儀を取り囲んで次々と爆発する。
なるほど、と私は声を上げた。勇儀本人には当たらなくとも、杯の中身に影響を与えるような攻撃であれば勇儀は対応せざるを得ない。計略通り、勇儀は足を止めて杯の防御に入った。その瞬間を見逃さず、攻撃を相棒に任せてタッグの片割れが突進する。しかし――その身体が間合いに入った瞬間、勇儀の左腕が早苗を凄まじい勢いで殴り飛ばした。
「悪い夢……いや……いい夢……だった……」
何もしていない割に随分と満足げな表情を浮かべて六人目が散った。
右手の杯を身体で守るようにしながら、勇儀は左手で爆発を往なす。このままでは千日手かと思われた時、私は勇儀の片足に妖力が集中している事に気付いた。あ、と私が呟くより早く、勇儀はそれを早苗目掛けて蹴り出し、己が弾幕に注力していた早苗は避ける間もなく妖弾に吹き飛ばされた。
「最後に敗れる……そんなさだめか……」
七人目の早苗が消滅する。さっきから無駄に大物くさい台詞だけどあんたら何もしてないからな。
これで勇儀の勝ちは確定した。早苗のやった事といえば何一つ意味のないびっくり人間ショーだけだったが、それで早苗の名を周知して貰えるならば目的はまあ果たせている。そう思った瞬間、「何ッ」という勇儀の声とギャラリーのどよめきが私の耳に届いた。
反射的に勇儀を見る。
そこには、勇儀の杯にかぶりついて無理矢理中身を飲み干す早苗の姿があった。
「ふっ……」
ごしごしと口を拭い、早苗は勇儀にびしりと指を突きつけた。
「自らの力に溺れましたね勇儀さん。私は手を触れずに勝ってみせると言ったはずです」
勇儀が勝利を確信する瞬間を――待っていたのか。
「さあ、杯は空っぽですよ。私の勝ちです。宣言なさい勇儀さん、参っ……ひっく、ま、まい」
急にろれつが怪しくなり、早苗は空中で頼りなくふらふらと揺れた。
「参った」
「あんたが言ってどうするってわぁぁ早苗ェーーー!!」
とても満足げな顔のまま、早苗はたったの一杯であっさりと意識を失って地面に墜落した。
* * * * *
「……ここは……」
「お、気が付いたかい」
ベッドに上体を起こしてのろのろと辺りを見回す早苗に気付いて、私は手近な椅子に腰を下ろして声を掛けた。
「ヤマメさん」
私の姿を認めて早苗は少しほっとしたような顔をした。
「まあ安静にしてなよ。大丈夫、ここは私の――」
「巣ですか?」
「そうだけど感じ悪いな」
蜘蛛だと思って言いたい放題か。薄暗い岩屋ならばいざ知らず、旧都の立派な一戸建てである。今や地底の妖怪は家持ちが当たり前。いい時代になったものだ。
「……それで、私は」
「落ちたよ。気絶して落下。ひっぱたいてもブン殴っても起きないからここまで運んだよ」
「叩く以外の選択肢はなかったんでしょうか」
蹴りも一発入れてみた事は黙っておこう。
「負けたんですね、私」
「負けたと言うか何と言うか……」
正直感想に困る。まあ仕方ないんじゃないと私は言った。
「あの酒凄くキツいらしいし。すぴりたすだかなんだかっていう……それにしたって弱すぎるとは思うけど」
「酒に弱いのは仕方ないです。日本人ですから。大和撫子ですから」
「微妙に厚かましいな」
なでしこよりはさですと寄りだと思うがどうか。
「勇儀も面白い人間だったって褒めてたよ。常識のカケラもない奴だったって」
「褒められてるんでしょうか私。そして喜んでいいんでしょうか」
「……いいんじゃないの」
とりあえず眼は逸らしておいた。
まあ、実際勇儀に一杯食わせた事だけは確かなのだし、その辺は喜んでおいてもいいのかも知れない。
「……ところでごめんなさい、変な意味ではないんですが」
「何?」
「このベッドおかしな菌がついてたりはしませんよね?」
「ほんと無邪気に人の心を抉るなあんたは」
矢張りさですと寄りだと思った。
「今日はありがとうございました」
水を飲んで一息ついてから、早苗は改まって言った。
「こんな結果にはなりましたが、色々と勉強になりましたし実益もありました。羽も伸ばせましたし」
「そうでしょうね」
あれだけ暴れりゃさぞかし気持ちが良かろう。
「いえ、そういう事ではなくて」
「?」
まだ暴れ足りんと申すか。
「そうではなくてですね。今日は私にとっては、半分観光のようなものでしたから」
そういや端から屋台を食い荒らしてたなこの子。早苗は僅かに遠い眼をして、
「幻想郷に来てから、誰かとそういう事をした事は一度もなかったので。……楽しかったです」
「……そうなんだ」
何を言うにも躊躇のない人間だと思う。真っ直ぐ私を見つめる早苗に、何故かこちらが照れてしまった。
「あの巫女とか魔法使いとかは友達じゃないの?」
「あの二人は――友人と言うよりは、私にとっては先輩でありライバルなのです」
いつか涙目で跪かせてやるのが夢ですと早苗は夢見る少女のような表情で言った。
「……神より魔王の方が向いてるんじゃない」
「魔王になったら、ヤマメさんは私の側近第一号にしてあげますよ」
「……それは勘弁」
私は苦笑いで答えた。
早苗の笑顔は悪魔のようにも天使のようにも見えて、私も何だか少し魅入られてしまったようだった。
「ところで早苗」
「何でしょう」
「私程度の人気でいいなら、私は今頃神様なんじゃないの?」
「あっ」
「えっ」
了
にしても妖忌爺ちゃん地底にいたとはね
妖忌爺ちゃんは地底に限らず庭のあるところならどこにでもいるんだろうなあ。
地底は本当に平和そうで何よりです。剪ってそれ同音異字だから!w
ヤマメさん、お疲れさまです……合掌。
さらに文章が軽妙洒脱でかつ捻っているところが、いやもう凄まじい。
あああ……何故か読了感がすんごいに悪いんだよね……。
美鈴イジメネタ読んだ後みたいな、そんな感じ。
文自体は良かったと思います。
対勇儀のところは、分身の一人が飛べなくなって池か川かに沈んでれば完璧だったと思うよ、うん。
特に早苗さんの見事な天然毒舌キャラっぷりと
某庭師のおじいさんがもう
カオスヒーローだのACだのネタが豊富ですがそれ以上に突き抜けた早苗がイイ。
そういやさとりはペットにも避けられてるんだったなぁ……妹くらいは入れてやれよw
疾走感が心地良かったです。
ヤマメちゃんツッコミ上手いなぁw
テンポの良い漫才を見てるかのようでした。
とても面白かったです!
こういう笑い、けっこう好きです。
なら話がカオスでも仕方ないな
それにしても庭師何してんすか