Coolier - 新生・東方創想話

妖精たちの遠い夏

2010/05/12 02:19:22
最終更新
サイズ
21.39KB
ページ数
1
閲覧数
896
評価数
5/15
POINT
820
Rate
10.56

分類タグ

/1 夏の始まり

 チルノは妙な気配を感じて、ぼんやりと目を覚ました。すると上のほうから誰かがじいっと覗き込んでいるのが何となく分かった。木陰の十分にある大樹の根元に縮こまっているとはいえ、夏の太陽が生み出す熱気はいかんともしがたく、ひどい疲れもあってか、頭がはっきりとしない。それでも好奇心に負けて、チルノはぱっちりと目を開けた。
 すると不安そうな顔をした、何ものかがいた。誰だろうと考え込むこと数秒、自分の知っている妖精だと思い出し、チルノはがばりと身を起こした。彼女は身を震わせ、数歩下がって尻餅をつき、それでもここから逃げだそうと、短い距離の瞬間移動をひっきりなしに行い、チルノから離れようとした。
「待って、どうして逃げるの?」チルノはそれが悲しいことのように思え、ふらふらする体で慌てて追い縋った。「一緒に遊ぶんじゃないの?」
 そう、自分はいつも彼女と一緒に、色々な所を好奇心のまま探し回ったり、悪戯をして回った、ような気がする。いや、間違いない。この茹だるような暑さの中に、彼女がいた光景は朧気ながらも記憶の隅に残っていた。どうして忘れていたのだろうか。
「ねえ、一緒に遊ぼうよ」
 更に逃れようとしたので続けて声をかけると、彼女はぴたりと止まり、おそるおそる顔を上げた。そして口をぱくぱくと動かし、小さく首を横に振った。声には出されなかったけれど、チルノには彼女が何を言いたいのか何となく分かった。
「昨日、喧嘩をしたの? あたいよく覚えてないなあ」
 そう言えば少し前に、彼女のことを激しく詰ったような気はしたけれど。薄ぼんやりしていて、ほとんど記憶に残っていなかった。つまりそこまで気にすることではないのだ。そう結論するとチルノは彼女に手を差し出した。
「あたいが悪いことしたんならごめん。あやまる。だから一緒に遊ぼうよ」
 チルノが手を差し伸べると、彼女は迷った末にそっと手を握り、それから一足飛びに抱きついてきた。その体は夏の大気に比べて随分とひんやりしており、とても良い匂いがした。どこか遠くへ置き忘れてしまった、懐かしいいつかの匂いがした。
 この匂いだと思った。これゆえに彼女のことを忘れないのだ。夏にあって自分に、ずっと遠い季節を教えてくれるから。
 チルノは彼女の体をぎゅっと抱きしめた。ずっとこうしていたかったけれど、でも一所にじっとしているのは性分ではなかった。だから、彼女の手を握ると、羽をぱたぱたさせて空に舞った。夏の厳しい日差しも彼女と一緒なら大丈夫だ。根拠もなくそんなことを思いながら。
 
/2 夏

 夏は氷の妖精に取ってあまり芳しい季節ではない。そもそも夏に氷の力を使うなんて、自然の摂理に反しているとさえ言える。それでもチルノは存在できたし、夏でもとても元気だった。
 不思議だなあと彼女は思う。でもこの郷には不思議が一杯あって、だからいちいちその数を数えるのも面倒だったし、どのみち彼女は十より多くのものを上手く数えられないのだった。そもそも自分のきちんとした名前を覚えていない。元々名前がないのかもしれないけれど、ふさわしいものがあるのかもしれない。自分に意味のある時期だけ思い出せるのかもしれないし、思い出す必要なんてないのかもしれない。
 よく分からなかった。難しいことを考えるのは嫌なので、彼女はチルノの元に向かい、一緒に冒険をする。湖の一部を氷で凍らせてつるつると滑りながら遊んだり、あるときは丸いものを冷たくできると強いなんて白黒の人間に言われたチルノの後を追った。沢山の丸いものを冷たくして、それで近くを飛んでいた緑っぽい人間に勝負を挑んだら、あっという間に打ち落とされた。彼女もその相方だと見なされて容赦なく打ち落とされてしまい、チルノは騙されたと地団太を踏んだ。
 毎日毎日、チルノは色々なものを凍らせていた。それらの行為はどこでも概ね歓迎された。夏の氷は人間や妖怪に取って愛されるものであるからだ。あるときなどは青っぽい服を着た人間に依頼されて氷菓子を作る手伝いをしたのだけれど、あとで満面の笑みとともに分けてくれた。あまあいお菓子はとても美味しいのだと彼女は知った。冷たくてあまあい匂いは夏の日差しと相まって、彼女に懐かしい季節を思い出させた。彼女はそれが好きで、チルノの側にいるのもそれが理由だった。夏の大気とチルノの氷が混ざったとき、それは彼女に心地良さを与えてくれる。だから彼女は夏のチルノが好きだ。
 もちろんそれだけではない。彼女がチルノと一緒にいるのは、何も特徴のない自分を唯一、単純に好きでいてくれるからだ。
 いつからチルノと一緒に行動するようになったのか、彼女はよく覚えていなかった。彼女もまた、妖精の一人であり、頭の程度は限られていたからだ。誰かとの馴れ初めなんて、覚えているはずがなかった。それでも別に構わないと彼女は思う。いま側にいられることが何よりも大切だからだ。
 
/3 秋

 よく似ているようで違うなと彼女は思う。
「何が違うの?」チルノが不思議そうに訊ねてきたので、彼女にしてはとても真剣に考えた。でもよく分からなかった。「分からないなら大したことじゃないんだよ、きっと」
 そうに違いないと思い、いつものようにチルノの隣を飛んでいると、遠くから良い匂いと威勢の良い声が飛んできた。それは人里のほうからやってくるものだった。
「面白そう。言ってみようよ」
 チルノに誘われて人里に向かうと、収穫を終えた畑の側に、子供たちが随分と集まってきていた。妖精は子供くらいの大きさだから、羽ばたかなければチルノや彼女が紛れ込んでも違和感はさほどなく。再びの口上が辺りに響いた。
「さあさあ良い子は寄っといで。あまあいあまあいお芋さんだぞう」
 子供たちの輪の中心にいるのは、いかにも秋色といった感じの少女だった。人間ではなく別の存在であったけれど、子供たちは誰も怖れていないどころか、誰もが嬉しそうな表情をしていた。
 お芋のお姉ちゃんと誰かが呼んでいたけれど、彼女は三文字より長い名前を覚えるのが苦手だった。チルノの名前も少し長すぎると感じているくらいだった。
 お芋のお姉ちゃんはまん丸とした紫の芋が成ったつるをいくつも担いでおり、それを地面に円を描くように置いた。すると辺りに落ちていた枯れ草がひゅうと巻き上がり、新鮮な紅葉とともにはらはらと芋を隠していった。お芋のお姉ちゃんが火を入れると、ぱちぱち良い音を立てながら、煙を発し始めた。
 その様を見てチルノはそそくさと後ろに下がった。燃え盛る火ほど怖ろしいものはこの世にないからだ。彼女はチルノと違い、焚き火にも芋にも興味があったけれど、チルノのほうが大事だからその後について行った。
 一方、周りの子供はといえば、次々とお芋のお姉ちゃんにしがみついていった。おおよそ十人ほどが一気に飛びかかり、しかし体勢をいささかも崩すことなく踏みとどまり、子供たちの頭や頬を順繰りに撫でていく。お芋のお姉ちゃんは子供に大層好かれているようだった。
 このままここに突っ立っていると不審がられるかなと彼女は考える。でもチルノを放って置いて一人で子供の輪に混じることはできない。どうしようか悩んでいると、じっとりした視線を感じ、そちらを向くと機嫌悪そうな子供が一人、ぽつねんと立っていた。
「お前ら、見ない顔だな」
 三白眼をきりきり向けられて彼女はびくりとしたけれど、チルノは怖れる様子もなく、子供と向かい合った。
「胡散臭いよな。あんなほわほわしてて豊作の神様なんだぜ、あれ。神様ってもっと、格好良くて威張ってる感じだよな。あんなの、ご加護があるわけないよ」
 ところどころ分からない言葉はあったけれど、お芋のお姉ちゃんは神様で、子供は神様が気に入らないということくらいは分かった。彼女は神様の力を感じられるので素直に頷けなかったけれど、チルノはししおどしのように深くこつんと頷いた。
「折角涼しくなって来たのに、火を使うなんて許せない」
 子供はチルノの怒りように首を傾げつつもそうだそうだと声をあげ、するとチルノは興に乗って焚き火に手をかざした。彼女がまずいと思ったときには、氷柱がいくつも焚き火に飛び込んでいた。火は瞬く間に消え、木の葉が舞い上がり、辺りはあっという間に子供の叫び声で一杯になった。
 チルノは悪戯に成功してけらけらと笑っていたけれど、すぐにそうも言ってられなくなった。舞い散った大量の木の葉が中空で留まり、一斉に向かってきたからだ。チルノと彼女と子供は一目散に逃げ去り、人里の外れ近くまで来た。すると巻き込まれた子供は今更ながらに怖くなったのか、わあわあと泣き始めた。
 二人で宥めても子供は泣くばかりで、更にはわけの分からないことを口にし始めた。
「もう駄目だ、うちの畑だけ今年も不作なんだ、どうしよう!」
 なおも泣き続けたあとで子供は突然、鋭い目をチルノに向けた。
「お前たちのせいだぞ。あんな、何個も石を投げるから、神様を怒らせた。俺も仲間だと思われた」
「あんな神様、信用できないって言ってたじゃん!」
 どうしようもない言葉を向けられて、チルノは頭から湯気を出すほどに怒っていた。
「それに石なんて投げてない。あたいが投げたのはこれよ!」
 そう言ってチルノは周囲に沢山の氷柱を浮かべてみせた。すると子供の目がみるみる、涙でゆらゆらとし始めた。
「お前ら何者だ! 人間じゃないな! ここらで見かけない奴らとは思ってたけど、まさか物の怪なのか?」
「もののけ、ではないわ。あたいは氷の妖精よ。そしてこっちが」チルノは彼女を指して、かくんと首を傾げた。「まあ、何かの妖精よ。どう、驚いたでしょ?」
 チルノがえへんと胸を張ると、子供は怯えた表情のままで、一目散に村の方へ戻っていった。また悪戯が成功してチルノは今にも鼻が高くなりそうだったけれど、紅葉の大群が再び襲ってきたので、慌てて逃げ出した。
 今度こそ本当に追ってきそうもない所まで逃げ、すると地面に寝転んで二人してけらけらと笑った。チルノはもちろんのこと、彼女も悪戯好きではさほど変わらなかったから。
「ああ、楽しかった」
 わたしもと言いたくて彼女が頷くと、チルノは鼻の頭をこすり、それから手足を大の字に伸ばした。
「冷たい風がひゅうひゅう。もうすぐ冬だよ。あたい、冬が来るの楽しみ」
 そうだねと頷きながら、彼女はおぼろげに思い出していた。冬が来たらチルノの側にいられないことを。どうしてかは分からないけれど、それは明らか過ぎるほど確かだった。
 仕方のないことではあるけれど、悲しかった。チルノの側にいられないことが。自分がいなくなる季節を心待ちにしているチルノを見ることが。
 それでも何かを変えることはできない。だから、さよならの時まで彼女は少しでも多くチルノの側にいようと思った。
 
/4 冬

 チルノは冬が好きだった。冷たい風が心地良いし、最も強い力を使えるからだ。それに、レティが遊び相手になってくれる。レティは冬の妖怪で、チルノに氷や雪に関する色々なことを教えてくれるし、ひんやりとした体にしがみつくのも好きだった。
 一方のレティ――本名はレティシア・ホワイトロックと言うのだけれど、長い名前を覚えられない妖精のチルノにレティと呼ばれ続け、仕方なく簡略された名前に甘んじている。それはまだ良いとして、餓鬼の一つ覚えのように構われるのは稀に嬉しいけれど、基本的には鬱陶しかった。
 その日もチルノはレティの元にやってきて、物騒な雪合戦を挑んできた。
「ねえねえ、雪弾ぶつけっこしよ!」
 レティがいかに冬を司るものであるとはいえ、氷柱を一気にぶつけられるとそれなりに痛い。しかもここ数年で少しずつではあるけれど、チルノは力を増してきていた。頭は悪いけれどなかなか侮れず、だから言葉巧みに隠れん坊に変えてから、チルノを鬼にして遠くへ逃れた。真剣に隠れるつもりはなかったから、数日でチルノに見つかるのだけれど、毎日まとわりつかれるよりは余程ましだった。
 気が向けば弾幕ごっこをして遊んだし、時にはチルノの武勇伝を聞いてあげた。巫女の料理を氷漬けにしたとか、蛙の王様と互角の戦いをした――話を聞いているとその王様は随分と手加減しているようではあった――とか、とても楽しそうに語るのだ。
 あまりにも楽しそうで、レティはついいらっとして、チルノに棘をぶつけてしまった。
「チルノはいつも一人なのね。友達とかいないのかしら」
 するとチルノはうーんと首を傾げ、それから自信なさげに、次にははっきりと首を横に振った。
「いないよ。いや、あたいの友達はレティだよ。そうじゃないかい?」
 レティは大きく溜息をつき、そういうことにしてあげると言っておいた。こんな皮肉でもチルノには通じなくて、きゃあきゃあとはしゃぐさまを見ていると、氷のように冷たい心にもずきりと来た。と同時に腹立たしくもあった。
「チルノ、あなたは無自覚に幸せである愚かさに気付くべきよ」
 するとチルノは難しすぎて分からないのか、不機嫌そうな顔をした。その表情を去年も一昨年も見たことがあり、自分もそう進歩していないなと、悲しみのような寂しさが浮かぶ。それを紛らわせるため、レティは大きな雪玉を作り、チルノにぶつけてから言った。
「わたしという良き友人がいることを感謝しなさい」
 チルノは雪を顔からふるい落とし、それから心底嬉しそうに頷いてから、氷柱をぶつけてきた。そんな姿を見ていると、レティはやれやれと思う。そして彼女との約束を思い出す。
 春になればレティは去らなければならない。だから当然ながら、チルノの側にいることはできない。そして彼女は別の理由から、チルノの側にいることができない。
 春はチルノにとって一番寂しい季節だ。だからすぐ忘れてしまうとしても、冬のいくらかをチルノとともに過ごすべきだと思った。
 
 そうして冬は瞬く間に過ぎていく。ここ最近は、冬が少しだけ短くなったような気がしたけれど、今年の冬は久々に充実した寒さであった。これだけ満喫すれば十分であろうと頷き、それからレティはあるものの到来を待った。別に顔を合わせる必要はないけれど、同じものを好きであるのだから、少しだけでも意志は交わしておきたかった。
 雪解けのせせらぎに耳を傾けることしばし、彼女はいつものように申し訳なさそうな表情で現れた。チルノから冬を、レティを奪うことに、律儀な彼女は罪悪感を覚えているようだった。
 妖精は鳥と同じくらいに覚えていられない。チルノも似たようなものだけど、力がある分だけ余計に知識を留めていられる。夏にも存在できる破格の現象として、いつかは自分に近しいものになるのだろうとレティは思っている。
 彼女は基本的にチルノより力が弱いから、一つの季節ほども過去のことなど、覚えていないはずだ。特別な条件が揃えば妖怪に近いほどの力を発揮するけれど、それでも覚えていられることなんてたかが知れている。
 それなのにチルノのことを話すと彼女は心を動かしていた。今年の冬にチルノがどのようであったかを聞くととても嬉しそうだった。つまりチルノのことを覚えているのだ。どれほどはっきりかは分からないけれど、覚えている。
 本当に必要なとき、側にいられないことが、特別な記憶を作っているのだろうか。あるいはその特別な成り立ちゆえなのか。どちらにしろ難儀なことだと思う。それ故に彼女は随分と無理をしているはずなのだ。必要のない季節に存在するため、他の妖精のように特色すら持てない。本当にか細く弱く、ただいることしかできない。
 それなのに。チルノが好きという一心で彼女はいるし、覚えているのだ。レティは毎年のように放っている言葉を、今更のように思い出す。チルノはできるだけ側にいようとしている彼女がいるその幸せを、感謝するべきなのだ。そのための力がなくてレティは歯がゆくてならなかった。
 そんな表情が顔に出ていたのか。彼女は小さく首を振った。気にするなと言いたいのだろう。そんなことできるはずもなかったけれど、彼女と顔を合わせるのは一年に一度しかないのだから、安心させるように微笑むしかなかった。
 そうこうしているうちにも、レティは冬が遠ざかるのを肌身に感じつつあった。まだ数日は無理していられなくもないけれど、彼女と顔を合わせてしまったし、これが潮時だと思った。
「どうやらこの辺でさよならね。それではごきげんよう。あなたはこれから忙しいと思うけど、頑張ってね」
 レティは似合わないと思いながらウインクを飛ばし、それから彼女の名前を口にした。
 
 レティが消えたのを見届けると、彼女は空を舞う。その身は白を基調に、桜色の意匠が織り込まれたローブで包まれている。髪の色は金色に輝き、厳寒の季節を払う暖かさに満ちあふれていた。彼女は大きく息を吸い、満面の笑みを浮かべ、春を告げる言葉を大空に響かせながら、空を駆ける。そうして幻想郷の誰もが、春の訪れを知るのだった。
 
/5 春

 春はチルノの嫌いな季節だった。心地の良い寒さがどんどんと薄れていくし、それに何かが欠けているような気がした。だからチルノは春になると、無闇矢鱈に喧嘩を吹っかけるようになる。その相手は周りにいる妖精だったり、目覚めたばかりでふらふらしている蛙だったり、ときには目の前を通りかかる空飛ぶ人間だったりもした。もっとも空飛ぶ人間は強い奴らばかりでいつも勝てなくて、チルノはそのたびに悔し泣きするのだった。
 そんなある日、人里の外れで男の子が二人、遊んでいるのが見えた。それが無性に気に入らなくて、チルノは脅かしの意味を込めて氷柱を二人の近くに撃ち込んでやった。すると子供たちは泡を食って逃げ出し、チルノは子供たちを愉快な気持ちで追いかけ始めた。しかし、その楽しみも長くは続かなかった。白黒の空飛ぶ人間が割って入り、子供たちを逃がしてしまったからだ。
「こらあ、邪魔するな。折角、楽しいところだったのに」
 怒りに任せて氷柱を放つと、しかし白黒の空飛ぶ人間は素早い動きで交わし、本当に沢山のミサイルをぶつけてきた。最初の沢山はうまく交わしたけれど、すると今度は星型の弾をばらまく奇妙な形のものを飛ばしてきて、チルノはすぐに逃げ場がなくなって撃ち落とされてしまった。頭を強く打ち、ふらふらするチルノの頭上から白黒の人間が降りてきて、からかうように覗き込んできた。
「おいおいどうしたんだ? いつもは痒くもない悪戯ばかりなのに、今日は随分とたちが悪いじゃないか。妖精にもアレな日とかあるのかい?」
 白黒の人間はけらけらと笑ったのち、こほんと咳をしてから睨むように目を細めてきた。
「なあ、どうせ覚えてないかもしれないが、言っておく。人里を襲うのはやめろ。お前は妖精だから死なないかもしれないが、赤い色をした巫女はそれでもお前を永遠にいなくできるかもしれないんだぞ」
 チルノには言っていることの全ては理解できなかったけれど、自分にとってとても怖ろしいことであるのは本能的に理解できた。だから怒りを収め、素直に頷いた。
「よろしい。まあ適当に悪戯してる分にはそんなに問題ないだろうし、相手が欲しければ、わたしならどんぱちやるのにやぶさかではない。だからまあ、無茶はやめとけ。友達がいなくて寂しいのは分かるけど」
「友達?」馴染みのあるような、しかしチルノには思い当たるところがまるでなかった。「あたいは一人よ。友達なんていないわ」
 そう言い放つと、チルノはその場を急いで離れた。何となく落ち着かない気がしたからだ。
「あたいには、いつも側にいてくれるやつなんていない」
 そうわざとらしく呟き、それからざわざわとした声がして、チルノは聞き耳を立てる。するとすぐそこに、三人組の妖精がいて。何だか無性に腹が立って、撃ち落とされたばかりだというのに、チルノは彼女たちに弾幕勝負をふっかけようと飛び込んでいった。
 それがチルノの春だった。孤独で、でもそんなに寂しくなくて。でも寂しい春だった。
 
/6 梅雨

 春が終わり、ひとまずは夏がやってくる。けれどもすぐに雨の多い時期が訪れる。チルノは太陽が照っているうちは雲が出ろと思っていたけれど、実際に雨が降り始めるとどこにも行けないことに気付いた。流水は時に太陽よりも多くの氷を溶かしたし、曇ってもそんなに気温が低くなるわけでもない。実はチルノにとって一番、嫌な時期だった。
 でもチルノは覚えておくことが苦手だから、雨が収まるとすぐに出かけてしまう。そしてすぐ雨に降られてしまう。ねぐらから近いと慌てて帰るだけ。でも遠い場合、途中で力尽きることもある。木陰で雨をしのぐけれど、その間のチルノはいつものからからな元気が嘘のようにしょんぼりとして、泣き虫の女の子のようになる。流れる雨を凍らせられるほど器用でもなく、だからただただ降る雨が怖かった。目から何かが流れても、それを雨のせいにできないくらい、弱くなる。
 その日もチルノは大樹の下で一人、膝を抱えてぐすぐすしていた。太陽は分厚い雲で隠れており、昼か夜かも判然としなかった。雷の音に耳を塞ぎ、本当に何もできなかった。これならばまだ、太陽の出ているほうがましだと思った。
 すると、チルノの耳にぱちゃぱちゃと水の打つ音が聞こえてきた。誰かが助けに来てくれたのかとそちらを向けば、そこには壊れた傘の大群を引き連れ、陽気そうに歌を歌う妖怪がいた。
 チルノは一瞬だけかっとなって氷をぶつけようと思ったけれど、反撃されるのが怖くてやめた。そんな弱気が尚更のこと憎らしくて、チルノは目の前にできつつあった大きな水たまりを一気に凍らせた。
 それでチルノはようやく、流れてない水なら簡単に固められると気付いた。だから氷の上に再び水が張るとすぐに凍らせて、力任せで引っこ抜いた。それを三度笠のように頭に乗せると、重たいけれど雨がそれほど辛くない。それどころか、ぴちぴちと氷に当たる雨の音が、面白いくらいだった。
 チルノは嫌いだったはずの雨に嬉々として打たれながら、ねぐらを目指す。氷の傘は雨とその凍結によってごく小さな氷柱だらけになり、妙な髪型をしているようだった。そんな自分がふと、水たまりにぼんやりと映り、チルノはきゃはきゃはと笑った。雨って案外、嫌なものではないんだわ。そんなことを心で呟き、次いでねえと隣に話しかける。
 しかし誰もいなかった。それだけで何故か心がずしんと沈んでしまい、ただ一目散にねぐらへたどり着いた。寂しがり屋の自分など、眠って忘れてしまおうと思った。
 チルノがねぐらとしている木の真ん前に、彼女が立っていた。服も髪も雨に濡れて、張り付いて、随分とくたびれて見えた。
 どうして彼女はここにいるのだろう。チルノはそんなことを考えながら、氷の傘を差しだした。自分にはもう必要なく、彼女には必要に思えたからだ。
 すると彼女もチルノに気付き、最初は嬉しそうな顔を、次いでとても寂しそうな顔を、最後は申し訳なさそうな顔をして、ぺこりと一つ頭を下げた。
 似たような光景を、チルノはいつかどこかで見たような気がした。でも、いつだっただろうか。首を傾げてみても、チルノには彼女が誰か思い出せなかった。
 思い出せないのなら、大したことではない。チルノはそう考え、自分より少しだけ小さな、だから妖精としてみれば大きな彼女を家にあげようとした。
 でも他の妖精を見て、チルノはいじめることしか考えられなかった。だから彼女をどうして助けたいのか分からなかった。その理由もすぐには思い出せなかったけれど、思い出せないから大したことではないと、片づけてはならないのだとチルノは強く考えた。彼女を思い出す必要があった。
 でも、どうして? 疑問符を浮かべるチルノに、彼女はおずおずと近づいてきた。隣にいようとしてきた。
 それでチルノは思い出した。彼女を思いだした。全てではないけれど、彼女がいつも側にいてくれたことを思い出した。何故か長い間、側にいてくれなかったことを思い出した。
「――!」チルノは彼女の名前を呼ぼうとした。でも、思い出せなかった。喉まで出かかっているような気がしたのに、何も出てこなかった。だからチルノは強く、激しく彼女に問いかけた。「どうして? どうして? どうして? あたい寂しかったのに? どうして、側にいてくれなかったの?」
 すると彼女は一歩後じさり、二歩後じさり、そして受け取った氷の傘を取り落とし、一目散に飛び去ってしまった。チルノは素早く手を伸ばしたけれど、何もつかめなかった。
「あぅ……」情けない声が一つもれた。「どうしてよぅ……」
 このどうしては、彼女が側にいてくれなかったどうしてではなかった。どうして、いつも同じことをするのだろうという、どうしてだった。いつも? 自分はこれと同じことを過去にもやったのだろうか。チルノは自分に問いかけたけれど、答えは既に失われていた。彼女と同じように、この場から失われていた。
 チルノはねぐらに戻り、身についた雨を凍らせるに任せ、ごろんと横になった。
「どうしよう。あたい、ひどいことをした」
 彼女はきっと理由があって、長いこといられなかったのだ。何故かチルノはそうであると確信していた。記憶にはないけれど、それ以外の何かがチルノにそう教えてくれているような気がした。
「探さなくちゃ」
 彼女を。今すぐ、探さなくては。チルノは外に出ると手頃な水たまりを探し、傘を作って雨の中を飛び出した。どこにいるか分からないし、名前が思い出せないから、声もあげられないけれど。この氷の傘を見て、彼女が見つけてくれれば良い。チルノはそれだけを願いながら、雨の中を飛び続けた。昼も夜も分からない中を目一杯。するとすぐに何も考えられなくなってきた。
 だからチルノが力を使い果たし、ある大樹の根本に倒れ込んだとき、彼女のことはほとんど何も覚えていなかった。
「見つからなかったな」誰かは分からないけれど、自分の大切な何かだ。「明日は見つかるかな」
 見つかると、チルノは何故か楽観的に思えた。そうしてきちんと仲直りして、きっと二人で仲良く、空を飛び回るのだ。チルノはそのことを信じ、木の根本ですやすやと眠る。
 空を覆っていた雲はいつの間にかすっかりと晴れ、月が淡い色を放ち、星の合間を龍のような薄い雲がすいと駆け、どこかに消えていく。夏はもう本当に間近まで迫っており、チルノの元にはとても大事なものが迫っていた。
 夏が来る。氷の妖精にとって最も辛く、遠く、けど本当はとても待ち遠しい季節がやって来る。
 夏が、やって来るのだ。
二度目まして。

今回もおそらく、かなりへんてこな話です。
最近、紅魔郷と妖々夢のルナレベルに挑んでいるのですが、
大妖精とリリーホワイトは割と似たような動きするよなあ
というのが、話を思いついたきっかけでした。似てないよ
とツッコミを入れられそうですが、まあ。

カテゴリでキャラ名を入れると微妙にネタバレとなるので、
妖精という曖昧で分かりにくいカテゴリになっています。
すいません。


P.S.
前回はへんてこなお話に多くの感想やアドバイスを頂き、ありがとうございました。
次作を投稿した際、前回の感想に返答する予定だったのですが、私は筆が遅く、
時間がかなり空いてしまいました。故にここでまとめての返答となります。
今回からは定期的に確認して都度、返答するようにします。
blue_nowhere
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.390簡易評価
1.70名前が無い程度の能力削除
イイハナシダナー
5.90名前が無い程度の能力削除
良いですねぇ。童話を読んでいるような気分になりました。
三人称の字の文が、本当に第三者の語りのように聞こえます。
接続詞が多いことと、「~た」で終わる文が多いこと、
感情を語る箇所が多いせいでしょうか。
構成も綺麗にまとまっていてよかったです。

ただ、少々客観的になりすぎて盛り上がりに欠ける印象を持ちました。
まあ、これはこれで良いんでしょうけど。
8.70名前が無い程度の能力削除
リアル無限ループな妖精って幸せなんでしょうかねぇ。
妖精には妖精なりの世界があるんでしょうが。

それと誤字報告を。
> 人間や妖怪に取って愛される
あと一箇所見つけたんですが失念……
13.100パレット削除
 妖精の一面を端的にきっちり書いてて面白かったです。
14.100名前が無い程度の能力削除
記憶が曖昧な者たちが外をふらふらしているのって
見方を変えればすごく怖いことだし、哀しいことだ
それが可愛い少女たちであるなら、なおさら