=注意事項=
※この作品は前作『幸せの温度-私の場合-』を読んでからだとより一層楽しめます。
※自分設定・種族差等の表現が多々含まれております。ご注意くださいませ。
では、よろしければ本編をどうぞ。
鬱蒼とした魔法の森に梟の鳴き声が、響く。
その鳴き声は、森に住む住民達に夜だと言うことを知らせてくれる合図にもなっていた。
私もまた、梟に夜を知らされた一人である。
「……もう、こんな時間」
見上げた先にある時計の針は、今が深夜だと言うこと告げていた。
今日も一日、研究に没頭してしまったらしい。
ここ最近、いつもこんな事ばかりだ。気付けば一日が終わっている。
睡眠も食事も、前程はとらなくなってきている気がする。
そういったものを生きる為には必要としない体になってから、随分と時が経っているのだ。心が、どんどんとこの体に馴染んできている。そう言うことなのかもしれない。
ふと、研究室にひとつだけある、小さな出窓を見やる。
そこから見える夜空に、大きなまんまるい月が、浮かんでいて。
ふと、あの日の事を思い出す。
あの、長い永い、夜の事を。
大事な大事な、彼女との思い出。
あれから、色々な事があった。
あの時は、あの子がこんなにも大事な存在になるだなんて、思いもしなかったのに。
……月も、好きだけれども。
あまりに明るい月光のせいで見難くなってしまっている星の方が、いつの間にか好きになっている自分がいた。
言うまでもなく、彼女のせいだろうと思う。だって、星は彼女の代名詞だ。
くん、と心が締め付けられる。
思えば、ここ最近彼女と全く会話をしていない。
寂しさが、溢れてくる。
いつもは蓋をしているはずなのに、こうなってしまうと、もう止められなくなる。
最後に彼女の笑顔を見たのは、いつだったのか……。
寂しさと切なさが、こみ上げてくる。
どうしようもなく強い衝動が、こみ上げてくる。
耐え切れずに伏せた顔を、上海人形が覗きこんできて。
笑顔を作って、頭を撫でてやった。
大丈夫。このくらい、平気。
そう、上海に言い聞かせるように。
……自分に、言い聞かせるように。
「さ、行きましょうか」
なるだけ元気な声で人形達にそう声をかけて、支度を始めさせる。
目的地は、いつもの場所。
彼女の、家。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ガチャっと、静まり返った真っ暗な家にドアを開ける音が響く。
それがなにか、酷く寂しさを感じさせた。
彼女の家。
そして、私の別宅……のようなものなのかもしれない。
昔は物が乱雑に置いてあって、こんな真っ暗な中歩くだなんて正直自殺行為だった。
今ではちゃんと整理整頓されて、もうそんな危険はない。
勿論、そうしたのは彼女ではない。彼女にはいくら言っても無駄だったから、私が勝手にやったのだ。
そんな事で喧嘩した事もあったななんて思い出して、くすりと思わず笑いがもれる。
今ではもう、ただの笑い話だ。
そんな思い出を仕舞いこみ、奥へと続く廊下へと歩を進める。
この先にあるのは、彼女の寝室だ。きっと今、そこで彼女は寝ている。
ひとつ、深呼吸をする。
もし、彼女が起きていたらどうしようか。
こんばんわ、と声をかけて。
元気だった?と声をかけて。
「……ちょっとくらいなら、甘えてもいいかしら」
思わず呟いた自分の言葉に、ハっとする。何を言っているのだ、私は。
もし彼女が起きていたら、今の声は届いてしまっただろうか?
起きていないのならば、聞かれたのは人形にだけだ。それなら、恥ずかしさは余り感じない。
……どうせ期待したところで、起きているはず、ないわよね。
わかっているのに、どうして期待をするのか。なんと自分はバカなのだろうか。
気を取り直し、寝室へと繋がる扉を開ける。
やはり部屋は真っ暗なままで。
この家の主は、静かに寝息をたてていた。
わかっていても、やはり寂しい。
そんな自分の考えに、思わず苦笑がもれた。
「こんばんわ、魔理沙」
彼女の眠るベッドに腰掛ける。ギシっ、という音が部屋に響く。
月明かりに照らされた彼女の髪が、キラキラと光っている。
夜空に浮かぶ星のような、少し儚げな光。
思わず、一房持ちあげる。
本当にここにあるのだと確かめる為に。あなたがここにいるのだと確かめる為に。
そんな事、馬鹿げているだなんてわかっているけれども。
それでもやってしまうのだから、仕方ない。
「魔理沙、また痩せた?」
いつものように、眠る彼女に向けて話しかける。
返事が返ってこないことなど承知の上だ。
そっと、顔に触れる。
ひんやりとした頬、鼻、瞼。
そして、唇。
『よう、来てたのか?』
そんな風に、この唇が動いてくれればいいのに。
そんな風に、いつもの笑顔で私に笑いかけてくれればいいのに。
「ねぇ」
そう、一言呟いて。
眠り続ける姫のひんやりとしたその唇に、一瞬だけ、自分の唇を重ねた。
そっと唇を離しても、彼女は目覚めてくれない。
「……ここは愛する人の口付けで目覚めるところじゃないの?」
不満をそのまま口に出して見ても、彼女からの反応はない。まあ、当たり前だけれども。
「寝ているのにそんな事言っても、無駄よね……」
ふふふ、と、思わず苦笑がもれる。
わかって、いるのに。
先程溢れ出した寂しさが、どうしてもとあなたを求めていて。
「……今日、だけ」
そっと、彼女の寝ているベッドに潜り込む。
こんな事、本当はしてはいけないのだろうけれど、今日だけ。
どうしても、寂しくて仕方ない今日だけは、一緒に。
ぎゅっと、抱き付いて。離れないように。
昔より幾許か低くなった彼女の体温に包まれて、私は久方ぶりの眠りに付いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
もぞりと、何かが私の頭を撫でてくれた。
心地良いその感覚に、ふんわりと心が温かくなるのを感じる。
とくん、とくん、という心地良い音に、次第に意識が浮上してくる。
少しだけ感じる、振動。
「んん……」
昨夜の事が次第に思い出されて行く。
ああ、そうだ。
昨日は、彼女のベッドで……。
「んー……」
久しぶりに寝たせいなのか、目がよく覚めてくれない。なんとなく、体がもっと睡眠を求めている気がする。
くしゅくしゅと、彼女の胸元に頬を擦り付ける。少しでも、目が覚めてくれればいいと思った。
ふにふにと心地良い、その感覚に酔いしれる。少し控えめなこの胸の上で目を覚ますのは、久しぶりの事だ。
こんな風にすると、いつもすぐには起きてくれない彼女が目を覚ましてくれることを思い出す。
そう、こんな風に。
いつもよりちょっと速めの鼓動が聞こえてき、て……?
「まりさ……?」
微かな期待を胸に、愛しい彼女の名を、呼ぶ。
そして私はまた、帰ってこない返事に勝手に寂しさを覚えるのだ。
「……よう、おはよう。まずはこの状況を説明して欲しいんだが」
「……んー?」
嘘だと、思った。
寂しさの余り、空耳が聞こえたのだと思った。
だが、顔を上げた先の彼女はちゃんとこちらを見ていて。
これは、私の空耳でもなく、妄想でもない。
彼女が、久しぶりに目を覚ました。
いつぶりだろうか。少なくとも、一ヶ月は経っているはずだ。
じわじわと、涙がこみ上げてくるのを、必死に笑顔で隠した。
久しぶりに、彼女を感じられるのだ。
涙は、似合わない。
そうだ。思いっきり、甘えてしまおう。
短い短い、恋人との逢瀬。
そのくらい、許されるはずだ。
もぞもぞと、彼女の体の上を這いあがる。
鼻がぶつかり合いそうなくらい、顔を近づけて。
「なあ、状況を──」
「んっ」
ちゅっと口付けを落とした瞬間、不機嫌そうな表情はそのままピシっと固まって。
相変わらずな彼女の反応に、思わず頬が緩む。
自分がするのはいいのに、されるのには滅法弱い彼女のかわいい反応。
これだけは、いつまで経ってもかわらない。
私から思いきりグリンと顔を背ける、その仕草が愛おしい。
このくらいで真っ赤になるあなたが、愛おしい。
「まりさ?」
わかっているけど、あえてわからない振りをして。
可愛く見えるよう、ちょっと小首をかしげて。
かなり演技っぽくなってしまったかもしれないな、なんて思って少し恥ずかしくなるけれど、そんなところに気付ける程今の彼女には余裕はないはずだ。問題はないだろう。
もっともっと、私を甘えさせて。
もっともっと、私に甘い記憶を残して。
「魔理沙はおはようのチュー、してくれないの……?」
「し、しないぜそんな事!」
「いつもはしてくれるのに?」
「し、してないぜ!!!」
「いつもは嫌だって言ってもしてくるじゃない……」
「し、してないってばっ!」
してたわ、いっつも。本気で嫌だなんて言った事、一度もないけれど。
本当は、もっともっと欲しくって。
でも素直になんて、もっとなんて、言えなくて。
ねぇ、本当にもっとして欲しいの。
本当に、あなたからして欲しいの。
「魔理沙ったら……耳まで真っ赤よ?かわいいなー、もう」
「そ、そんなことないのぜっ?!ほ、ほら!もういいだろ?もうどいてくれ!」
「いやー!」
こんな風になっても、そんな事を素直には言えなくて。
いつの間にかあなたをからかうような事を言っている自分が、どうしようもなく嫌いだ。
ふざけている振りをして、ぎゅっと胸にしがみつく。
どうか、この涙が、魔理沙にバレませんように。
どうか、少しでも長く魔理沙と笑い合っていられますように。
「あーもう!いいからもう離せ!もう十分人で楽しんだだろ?!」
そんな風に、彼女は投げやりに言う。
違うの。本当に、からかいたかったわけじゃないの。
ぐっと、涙を堪えて。
ちょっと、機嫌の悪い振りをして。
「嫌よ。まだ魔理沙からチューして貰ってないもの」
精一杯のおねだりを、する。
どうか、この気持ちが伝わってくれますように。
そんな願いを込めていると、ぐっと、抱き寄せられた。
力強いわけではなく、かといって、弱くもないその腕に。
一生懸命にこたえようとしてくれるこの腕の強さに。
ぎゅーっと、心が締め付けられた。
ずっとずっと、こうしていたい。
ただそれだけを、思った。
ふと、気付く。
微かに震える、彼女の腕に。
何かを耐える、彼女の表情に。
「……魔理沙?」
どうしたというのだろう?
こんなにも幸せなのに、どうして。
どうしてあなたまで、そんな泣きそうな顔をするの?
そっと、彼女の頬を包んでやる。
そうしてやれば、彼女の頬を一粒、涙が流れた。
あなたは、泣かなくていいのに。
あなたは、もう十分苦しんでいるのに。
「……もう、どうしたの?」
「なんでも、ないんだ」
そう言って、彼女はそっと私の頬を包んでくれる。
その手から伝わってくる温度は、昔より幾分か、低い。
それが何を示しているかだなんて、考えたくもなかった。
「なあ」
そんな合図で、どちらともなく、お互いの距離を縮める。
ふんわりと柔らかい、いつもの感触。
触れ合った唇から感じる彼女の体温は、今の私にとってなによりの幸せを感じられる温度。
高すぎず、低すぎず、丁度いいくらい。
なんというか、ぬくい。
そんな言葉が似合うような温度。
二人で選んだ、私達の幸せの温度なのだ。
「……これじゃあ『魔理沙から』じゃないじゃない」
「私が合図したんだ。私からで間違いないだろ?」
そんな事を言って、彼女はいつものように笑う。
ああ、もう、なのか。
ぎゅっとぎゅっと、抱きしめあう。
まだ、もっと、お願いだから。
そんな思いとは裏腹に、彼女の瞼は、落ちていく。
「ねぇ、魔理沙」
どうしても、名前を呼んで貰いたかった。
『アリス』
そうやって、にっこりと私に笑いかけて欲しくて、堪らない。
「ねぇ」
そう言って、何度も彼女の唇をつついてみる。
目を覚まして欲しくって。私に触れて欲しくって。
「ねぇ、魔理沙」
その言葉は、私とあなたの二人だけの合図。
何回も、さっきから求めているのに、どうして。
「ねぇ、魔理沙……っ」
彼女は、また眠りにつくだけだ。
そんな事、わかっているけれど。
この瞬間は、どうしても私にある事を髣髴させる。
【死】
その一文字が、頭から離れなくなる。
もう彼女はこのまま目を覚まさないのではなかろうか。
まだ、言っていない事がいっぱいあるのに。
まだ、伝えたい事は一杯あるのに。
「ねぇ、魔理沙……っ」
考えたくもない事が、次々と頭の中に浮かんで。
わかっているのに。
頭では、わかっているのに。
「もうちょっとでいいから……お願い……」
私に、答えて。
私の名を、呼んで。
もっともっと、そばにいて。
「……ア……リス」
微かに、私の名を、彼女が呼んでくれる。
もう意識はないのかも、しれない。
それでも、うわ言でも、いい。
涙が、溢れる。
止まらない。止められない。
まだ、もっと、そばにいて。
ずっとずっと、そばにいて。
「ねぇ、魔理沙」
もう、聞こえているかどうかなんて、わからない。
でも──
「大好きよ。いつまでも、ずっと永遠に」
例え、あなたの命がこれで尽きてしまったとしても。
例え、私の命があなたより先に尽きてしまったとしても。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『少しでも長く、お前と一緒にいたい』
彼女はあの日そう言って、研究を始めた。
そんな彼女を私もサポートし、何度も研究を重ねた。
私と同じように種族として魔法使いを選んだわけではない。
彼女はあくまで、人間にこだわり続けた。
それでも、いいと思った。思っていた。
少しでもいい。
ほんの数分でも、数秒でもいいから。少しでも一緒に生きていきたいと、私も願ったから。
その結果、彼女は私達と同じ時を生きている。
『蓬莱人』ではない。
彼女はちゃんと老いる。
だが、『普通の人間』ではない。
なぜなら彼女の老いるスピードは、私達と同程度だからだ。
果たしてこの彼女が本当に『人間』と呼べるのか、それは未だに疑問だ。だが、蓬莱人を『人』とするのならば、きっと彼女の存在は『人』なのだろう。
蓬莱人よりも短く、普通の人間よりもずっとい長い時を生きる『人』。
それが、今の霧雨魔理沙だった。
それでも、私達はよかった。
一緒に同じ時を刻める、それだけでよかったのだ。
それなのに。
唐突に、それは始まった。
いつから、とははっきりは言えない。
だが、徐々に彼女の睡眠時間が長くなっていったのだ。
最初は、数時間。次に、十数時間。
それはやがて、いつのまにか一日、三日、一週間と長くなり、現在に至っている。
次に目覚めるのは、二ヶ月後か、半年後か。
……本当に、次などあるのか。
それは、彼女にしか、わからない。
もしかしたら、これは私達に与えられた罰なのかもしれない。
いや、これは。
彼女に『人間』か『妖怪』の選択を最後まで迫れなかった、私への罰なのか。
それでも、こうやって私達に与えられた時間はまだ残っている。
そうなのだとしたら、私は最後まで抗おうと思う。
「……帰りましょうか、上海」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今、私はとある研究をしている。
捨食の魔法と捨虫の魔法を、自分以外の者にかける研究だ。
『人』である彼女が眠り続けるのであれば。
彼女を、『妖怪』にしてしまえばいいのだから。
きっと、彼女もわかってくれるはずなのだ。
大丈夫。
きっと、この研究は成功を収めるだろう。
だってその先には、あなたとの幸せな日々が待っているのだろうから。
-fin-
※この作品は前作『幸せの温度-私の場合-』を読んでからだとより一層楽しめます。
※自分設定・種族差等の表現が多々含まれております。ご注意くださいませ。
では、よろしければ本編をどうぞ。
鬱蒼とした魔法の森に梟の鳴き声が、響く。
その鳴き声は、森に住む住民達に夜だと言うことを知らせてくれる合図にもなっていた。
私もまた、梟に夜を知らされた一人である。
「……もう、こんな時間」
見上げた先にある時計の針は、今が深夜だと言うこと告げていた。
今日も一日、研究に没頭してしまったらしい。
ここ最近、いつもこんな事ばかりだ。気付けば一日が終わっている。
睡眠も食事も、前程はとらなくなってきている気がする。
そういったものを生きる為には必要としない体になってから、随分と時が経っているのだ。心が、どんどんとこの体に馴染んできている。そう言うことなのかもしれない。
ふと、研究室にひとつだけある、小さな出窓を見やる。
そこから見える夜空に、大きなまんまるい月が、浮かんでいて。
ふと、あの日の事を思い出す。
あの、長い永い、夜の事を。
大事な大事な、彼女との思い出。
あれから、色々な事があった。
あの時は、あの子がこんなにも大事な存在になるだなんて、思いもしなかったのに。
……月も、好きだけれども。
あまりに明るい月光のせいで見難くなってしまっている星の方が、いつの間にか好きになっている自分がいた。
言うまでもなく、彼女のせいだろうと思う。だって、星は彼女の代名詞だ。
くん、と心が締め付けられる。
思えば、ここ最近彼女と全く会話をしていない。
寂しさが、溢れてくる。
いつもは蓋をしているはずなのに、こうなってしまうと、もう止められなくなる。
最後に彼女の笑顔を見たのは、いつだったのか……。
寂しさと切なさが、こみ上げてくる。
どうしようもなく強い衝動が、こみ上げてくる。
耐え切れずに伏せた顔を、上海人形が覗きこんできて。
笑顔を作って、頭を撫でてやった。
大丈夫。このくらい、平気。
そう、上海に言い聞かせるように。
……自分に、言い聞かせるように。
「さ、行きましょうか」
なるだけ元気な声で人形達にそう声をかけて、支度を始めさせる。
目的地は、いつもの場所。
彼女の、家。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ガチャっと、静まり返った真っ暗な家にドアを開ける音が響く。
それがなにか、酷く寂しさを感じさせた。
彼女の家。
そして、私の別宅……のようなものなのかもしれない。
昔は物が乱雑に置いてあって、こんな真っ暗な中歩くだなんて正直自殺行為だった。
今ではちゃんと整理整頓されて、もうそんな危険はない。
勿論、そうしたのは彼女ではない。彼女にはいくら言っても無駄だったから、私が勝手にやったのだ。
そんな事で喧嘩した事もあったななんて思い出して、くすりと思わず笑いがもれる。
今ではもう、ただの笑い話だ。
そんな思い出を仕舞いこみ、奥へと続く廊下へと歩を進める。
この先にあるのは、彼女の寝室だ。きっと今、そこで彼女は寝ている。
ひとつ、深呼吸をする。
もし、彼女が起きていたらどうしようか。
こんばんわ、と声をかけて。
元気だった?と声をかけて。
「……ちょっとくらいなら、甘えてもいいかしら」
思わず呟いた自分の言葉に、ハっとする。何を言っているのだ、私は。
もし彼女が起きていたら、今の声は届いてしまっただろうか?
起きていないのならば、聞かれたのは人形にだけだ。それなら、恥ずかしさは余り感じない。
……どうせ期待したところで、起きているはず、ないわよね。
わかっているのに、どうして期待をするのか。なんと自分はバカなのだろうか。
気を取り直し、寝室へと繋がる扉を開ける。
やはり部屋は真っ暗なままで。
この家の主は、静かに寝息をたてていた。
わかっていても、やはり寂しい。
そんな自分の考えに、思わず苦笑がもれた。
「こんばんわ、魔理沙」
彼女の眠るベッドに腰掛ける。ギシっ、という音が部屋に響く。
月明かりに照らされた彼女の髪が、キラキラと光っている。
夜空に浮かぶ星のような、少し儚げな光。
思わず、一房持ちあげる。
本当にここにあるのだと確かめる為に。あなたがここにいるのだと確かめる為に。
そんな事、馬鹿げているだなんてわかっているけれども。
それでもやってしまうのだから、仕方ない。
「魔理沙、また痩せた?」
いつものように、眠る彼女に向けて話しかける。
返事が返ってこないことなど承知の上だ。
そっと、顔に触れる。
ひんやりとした頬、鼻、瞼。
そして、唇。
『よう、来てたのか?』
そんな風に、この唇が動いてくれればいいのに。
そんな風に、いつもの笑顔で私に笑いかけてくれればいいのに。
「ねぇ」
そう、一言呟いて。
眠り続ける姫のひんやりとしたその唇に、一瞬だけ、自分の唇を重ねた。
そっと唇を離しても、彼女は目覚めてくれない。
「……ここは愛する人の口付けで目覚めるところじゃないの?」
不満をそのまま口に出して見ても、彼女からの反応はない。まあ、当たり前だけれども。
「寝ているのにそんな事言っても、無駄よね……」
ふふふ、と、思わず苦笑がもれる。
わかって、いるのに。
先程溢れ出した寂しさが、どうしてもとあなたを求めていて。
「……今日、だけ」
そっと、彼女の寝ているベッドに潜り込む。
こんな事、本当はしてはいけないのだろうけれど、今日だけ。
どうしても、寂しくて仕方ない今日だけは、一緒に。
ぎゅっと、抱き付いて。離れないように。
昔より幾許か低くなった彼女の体温に包まれて、私は久方ぶりの眠りに付いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
もぞりと、何かが私の頭を撫でてくれた。
心地良いその感覚に、ふんわりと心が温かくなるのを感じる。
とくん、とくん、という心地良い音に、次第に意識が浮上してくる。
少しだけ感じる、振動。
「んん……」
昨夜の事が次第に思い出されて行く。
ああ、そうだ。
昨日は、彼女のベッドで……。
「んー……」
久しぶりに寝たせいなのか、目がよく覚めてくれない。なんとなく、体がもっと睡眠を求めている気がする。
くしゅくしゅと、彼女の胸元に頬を擦り付ける。少しでも、目が覚めてくれればいいと思った。
ふにふにと心地良い、その感覚に酔いしれる。少し控えめなこの胸の上で目を覚ますのは、久しぶりの事だ。
こんな風にすると、いつもすぐには起きてくれない彼女が目を覚ましてくれることを思い出す。
そう、こんな風に。
いつもよりちょっと速めの鼓動が聞こえてき、て……?
「まりさ……?」
微かな期待を胸に、愛しい彼女の名を、呼ぶ。
そして私はまた、帰ってこない返事に勝手に寂しさを覚えるのだ。
「……よう、おはよう。まずはこの状況を説明して欲しいんだが」
「……んー?」
嘘だと、思った。
寂しさの余り、空耳が聞こえたのだと思った。
だが、顔を上げた先の彼女はちゃんとこちらを見ていて。
これは、私の空耳でもなく、妄想でもない。
彼女が、久しぶりに目を覚ました。
いつぶりだろうか。少なくとも、一ヶ月は経っているはずだ。
じわじわと、涙がこみ上げてくるのを、必死に笑顔で隠した。
久しぶりに、彼女を感じられるのだ。
涙は、似合わない。
そうだ。思いっきり、甘えてしまおう。
短い短い、恋人との逢瀬。
そのくらい、許されるはずだ。
もぞもぞと、彼女の体の上を這いあがる。
鼻がぶつかり合いそうなくらい、顔を近づけて。
「なあ、状況を──」
「んっ」
ちゅっと口付けを落とした瞬間、不機嫌そうな表情はそのままピシっと固まって。
相変わらずな彼女の反応に、思わず頬が緩む。
自分がするのはいいのに、されるのには滅法弱い彼女のかわいい反応。
これだけは、いつまで経ってもかわらない。
私から思いきりグリンと顔を背ける、その仕草が愛おしい。
このくらいで真っ赤になるあなたが、愛おしい。
「まりさ?」
わかっているけど、あえてわからない振りをして。
可愛く見えるよう、ちょっと小首をかしげて。
かなり演技っぽくなってしまったかもしれないな、なんて思って少し恥ずかしくなるけれど、そんなところに気付ける程今の彼女には余裕はないはずだ。問題はないだろう。
もっともっと、私を甘えさせて。
もっともっと、私に甘い記憶を残して。
「魔理沙はおはようのチュー、してくれないの……?」
「し、しないぜそんな事!」
「いつもはしてくれるのに?」
「し、してないぜ!!!」
「いつもは嫌だって言ってもしてくるじゃない……」
「し、してないってばっ!」
してたわ、いっつも。本気で嫌だなんて言った事、一度もないけれど。
本当は、もっともっと欲しくって。
でも素直になんて、もっとなんて、言えなくて。
ねぇ、本当にもっとして欲しいの。
本当に、あなたからして欲しいの。
「魔理沙ったら……耳まで真っ赤よ?かわいいなー、もう」
「そ、そんなことないのぜっ?!ほ、ほら!もういいだろ?もうどいてくれ!」
「いやー!」
こんな風になっても、そんな事を素直には言えなくて。
いつの間にかあなたをからかうような事を言っている自分が、どうしようもなく嫌いだ。
ふざけている振りをして、ぎゅっと胸にしがみつく。
どうか、この涙が、魔理沙にバレませんように。
どうか、少しでも長く魔理沙と笑い合っていられますように。
「あーもう!いいからもう離せ!もう十分人で楽しんだだろ?!」
そんな風に、彼女は投げやりに言う。
違うの。本当に、からかいたかったわけじゃないの。
ぐっと、涙を堪えて。
ちょっと、機嫌の悪い振りをして。
「嫌よ。まだ魔理沙からチューして貰ってないもの」
精一杯のおねだりを、する。
どうか、この気持ちが伝わってくれますように。
そんな願いを込めていると、ぐっと、抱き寄せられた。
力強いわけではなく、かといって、弱くもないその腕に。
一生懸命にこたえようとしてくれるこの腕の強さに。
ぎゅーっと、心が締め付けられた。
ずっとずっと、こうしていたい。
ただそれだけを、思った。
ふと、気付く。
微かに震える、彼女の腕に。
何かを耐える、彼女の表情に。
「……魔理沙?」
どうしたというのだろう?
こんなにも幸せなのに、どうして。
どうしてあなたまで、そんな泣きそうな顔をするの?
そっと、彼女の頬を包んでやる。
そうしてやれば、彼女の頬を一粒、涙が流れた。
あなたは、泣かなくていいのに。
あなたは、もう十分苦しんでいるのに。
「……もう、どうしたの?」
「なんでも、ないんだ」
そう言って、彼女はそっと私の頬を包んでくれる。
その手から伝わってくる温度は、昔より幾分か、低い。
それが何を示しているかだなんて、考えたくもなかった。
「なあ」
そんな合図で、どちらともなく、お互いの距離を縮める。
ふんわりと柔らかい、いつもの感触。
触れ合った唇から感じる彼女の体温は、今の私にとってなによりの幸せを感じられる温度。
高すぎず、低すぎず、丁度いいくらい。
なんというか、ぬくい。
そんな言葉が似合うような温度。
二人で選んだ、私達の幸せの温度なのだ。
「……これじゃあ『魔理沙から』じゃないじゃない」
「私が合図したんだ。私からで間違いないだろ?」
そんな事を言って、彼女はいつものように笑う。
ああ、もう、なのか。
ぎゅっとぎゅっと、抱きしめあう。
まだ、もっと、お願いだから。
そんな思いとは裏腹に、彼女の瞼は、落ちていく。
「ねぇ、魔理沙」
どうしても、名前を呼んで貰いたかった。
『アリス』
そうやって、にっこりと私に笑いかけて欲しくて、堪らない。
「ねぇ」
そう言って、何度も彼女の唇をつついてみる。
目を覚まして欲しくって。私に触れて欲しくって。
「ねぇ、魔理沙」
その言葉は、私とあなたの二人だけの合図。
何回も、さっきから求めているのに、どうして。
「ねぇ、魔理沙……っ」
彼女は、また眠りにつくだけだ。
そんな事、わかっているけれど。
この瞬間は、どうしても私にある事を髣髴させる。
【死】
その一文字が、頭から離れなくなる。
もう彼女はこのまま目を覚まさないのではなかろうか。
まだ、言っていない事がいっぱいあるのに。
まだ、伝えたい事は一杯あるのに。
「ねぇ、魔理沙……っ」
考えたくもない事が、次々と頭の中に浮かんで。
わかっているのに。
頭では、わかっているのに。
「もうちょっとでいいから……お願い……」
私に、答えて。
私の名を、呼んで。
もっともっと、そばにいて。
「……ア……リス」
微かに、私の名を、彼女が呼んでくれる。
もう意識はないのかも、しれない。
それでも、うわ言でも、いい。
涙が、溢れる。
止まらない。止められない。
まだ、もっと、そばにいて。
ずっとずっと、そばにいて。
「ねぇ、魔理沙」
もう、聞こえているかどうかなんて、わからない。
でも──
「大好きよ。いつまでも、ずっと永遠に」
例え、あなたの命がこれで尽きてしまったとしても。
例え、私の命があなたより先に尽きてしまったとしても。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『少しでも長く、お前と一緒にいたい』
彼女はあの日そう言って、研究を始めた。
そんな彼女を私もサポートし、何度も研究を重ねた。
私と同じように種族として魔法使いを選んだわけではない。
彼女はあくまで、人間にこだわり続けた。
それでも、いいと思った。思っていた。
少しでもいい。
ほんの数分でも、数秒でもいいから。少しでも一緒に生きていきたいと、私も願ったから。
その結果、彼女は私達と同じ時を生きている。
『蓬莱人』ではない。
彼女はちゃんと老いる。
だが、『普通の人間』ではない。
なぜなら彼女の老いるスピードは、私達と同程度だからだ。
果たしてこの彼女が本当に『人間』と呼べるのか、それは未だに疑問だ。だが、蓬莱人を『人』とするのならば、きっと彼女の存在は『人』なのだろう。
蓬莱人よりも短く、普通の人間よりもずっとい長い時を生きる『人』。
それが、今の霧雨魔理沙だった。
それでも、私達はよかった。
一緒に同じ時を刻める、それだけでよかったのだ。
それなのに。
唐突に、それは始まった。
いつから、とははっきりは言えない。
だが、徐々に彼女の睡眠時間が長くなっていったのだ。
最初は、数時間。次に、十数時間。
それはやがて、いつのまにか一日、三日、一週間と長くなり、現在に至っている。
次に目覚めるのは、二ヶ月後か、半年後か。
……本当に、次などあるのか。
それは、彼女にしか、わからない。
もしかしたら、これは私達に与えられた罰なのかもしれない。
いや、これは。
彼女に『人間』か『妖怪』の選択を最後まで迫れなかった、私への罰なのか。
それでも、こうやって私達に与えられた時間はまだ残っている。
そうなのだとしたら、私は最後まで抗おうと思う。
「……帰りましょうか、上海」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今、私はとある研究をしている。
捨食の魔法と捨虫の魔法を、自分以外の者にかける研究だ。
『人』である彼女が眠り続けるのであれば。
彼女を、『妖怪』にしてしまえばいいのだから。
きっと、彼女もわかってくれるはずなのだ。
大丈夫。
きっと、この研究は成功を収めるだろう。
だってその先には、あなたとの幸せな日々が待っているのだろうから。
-fin-
二人には幸せになってほしい…
お互いが幸せを求めて得た長く生きる時間。その代償に、短い逢瀬の時間……
切ない話でしたが、とても良かったです。
アリスが不安に押しつぶされる前に、打開できればいいなぁ。
新しい選択肢を示してくれた作者様に感謝。
アリスと魔理沙が幸せになる事を切に願う。
アリスの努力は実を結ぶのか……。
素敵なお話をありがとうございました。
と書いて気付いたが、1氏以外皆コメが「これは」で始まっている。
アリスが魔法を完成させてほしいと思う反面、悲しい展開が伺えるのがなんとも…
>きっと、彼女もわかってくれるはずなのだ。
これがフラグに思えて仕方がない。
久々にシリアスなマリアリが読みたいなあ、と来てみればなんという良作。
ただ何でしょうか、たとえアリスが魔法を完成させても幸せな未来が思い描けないというかなんというか…
とにかく良かったです! ありがとうございました!
代償の設定も良いですね。魔理沙にとっては昨日のことでも、アリスにとってはだいぶ前のことになってしまうなんて。
ただの眠りか死かも判別のつかない状況に不安を覚えるのも納得です。アリスの披露は徐々に溜まっていたのですねぇ。