Coolier - 新生・東方創想話

ふたりかたり

2010/05/11 23:09:06
最終更新
サイズ
16.86KB
ページ数
1
閲覧数
2905
評価数
21/100
POINT
5980
Rate
11.89

分類タグ


 千年以上一緒にいれば、わかることは色々ある。
 種族。鼠の妖怪。機嫌が悪いと円い耳が若干内向きになる。
 特技。探し物。しもべの野鼠達と探索道具を駆使して、大抵のものは探し当てる。
 好きなもの。稀少品の蒐集と手入れ。静けさと暗がり。夜間の散策。毘沙門天様のお堂。
 嫌いではないもの。大騒ぎを遠巻きに眺めること。古の山寺と今の命蓮寺。
 嫌いなもの。鍵のかからない部屋。ノックをしない侵入者。一輪やムラサに押されがちな、頼りないご主人様の私。ぬえに頭の蓮飾りを引っ張られる、頼りないご主人様の私。聖に慰められて和む、頼りないご主人様の私。

 正体。私の推測が正しければ、ナズーリンは恐らく毘沙門天様の監視。


 疑問に思うことは何度もあった。
 聖に保護されたのに、毘沙門天様の弟子で代理の私にも関心を示したこと。他の多くの妖怪が聖に帰依する中、ナズーリンは私の説経にも訪れた。耳と尻尾を頭巾と服に隠し、人間の参拝客に紛れた。実は偽者だ、宝塔は本物の毘沙門天様に頂いたのだと告げても、失望した様子を見せなかった。不妄語戒はよく破られる、多かれ少なかれひとは他人を欺くものだ。童女の声で真理を語った。賢さと注意力を認めて、私は彼女を侍女にした。貴方の助けが欲しい。私の要請を、彼女は快く呑んだ。ご主人様と呼ばれる日々が始まった。
 私の周囲に、常に手下の鼠を置いていたこと。気になって訴えると、境内や山中にも配置していると反論された。確かに至るところに、彼女の遣いが潜んでいた。情報収集をしていた。人間達の聖への不信感を、いち早く掴んだ。聖や仲間は、自らの正義を貫くと決めた。私は恩人の聖と、道を違える選択をした。ここは妖の寺だが、人の寺でもある。私の法話を道標とする人々を、足蹴にはできなかった。聖はそれでいいと、私を励ましてくれた。ナズーリンは、私の補佐を続けると言った。聖にはもう大勢の味方がいる。ご主人様は独りになるかもしれない。私くらいはついていてやらないと。感謝して彼女を抱いて、暑いと睨まれた。
 何百年経っても、私の傍を離れなかったこと。信者が零になろうが、本堂の床が腐って抜けようが、参道がぺんぺん草で埋め尽くされようが。荒れ行く寺は、住みにくい。ナズーリンの身を思って、何度か別れを提案した。侍女は辞めていい。好きなところへ去るといい。私が勧める度に、彼女は断った。他に安全な場所もない。ご主人様は放置すると、孤独に逝きそうだ。化けて夢に出られても困る。おどけた理由をつけて、小寺に留まった。私は彼女のために、食料品や衣類を調達した。薄っぺらな布団にぼろ布を詰めた。毎夜二人で経典を読んだ。彼女を下がらせて、財宝狙いの盗賊や妖怪を懲らしめた。
 何故、彼女は私を重んじるのか。私にいつまでも仕えてくれるのか。大した神徳も、聖のような人徳もないのに。深い訳があるのではないか。ひとを疑うのは罪悪だけれど、考えてしまった。直接尋ねはしなかった。話術ではぐらかされる気がした。厳しく問い詰めたら、逃げられそうで怖かった。推理は建築物の補修や、外敵との争いで中断された。


 宝塔の紛失の一件が、ナズーリンの真の姿を知る糸口となった。
 聖達がいなくなってから、約千年。聖輦船や一輪達と、私達は再会した。私は自分も妖怪だと打ち明け、聖の封印を解く方法を教えた。飛倉の破片を追って、幻想郷に赴いた。
 博麗大結界の突破には難儀した。ムラサに船を全速力で進めさせた。私は船首で宝塔の青光を解放し、法力で何重もの境界を緩めた。浮遊艇は縦横に揺れ、あちこちに空間の裂け目が走った。最後はほとんど気合で、幻想の世界に突入した。
 結界の内側に潜った途端、強大な力に毘沙門天様の塔をもぎ取られた。煌めいて遠ざかる。いけない、見失う。私が手を伸ばすより先に、船内からナズーリンが躍り出た。船縁を蹴って飛び、塔を私の側に幾らか弾いた。黒い亀裂が、彼女の背に迫っていた。宝塔の行方と、ナズーリン。私は迷わず後者を選んだ。青く瞬く塔は、大地に落ちていった。彼女は激怒していた。

「ご主人様はあれがどれほど尊いものかわかっていない。私を切り捨てて取るべきだった。大馬鹿者だ」

 これには私も反発した。

「ひとより大事な宝はありません。ナズーリンなら余計にそうです。切り捨てろとか、簡単に言ってはいけません」

 彼女は稲妻に打たれたような、泣きそうな顔を一瞬見せた。やがて薄い笑顔に戻り、宝物の捜索に出発した。見事に宝塔を探し出し、私に届けてくれた。
 私達は聖を救出し、幻想郷に寺を建立して生活を始めた。

 命蓮寺開山の式典が終わった、晩春。私は中断されない思考の時間を得た。宝塔紛失時のことを回想し、ナズーリンがどうしてあそこまで宝塔に執着したのかと首を傾げた。謎はそれだけではなかった。聖輦船に乗船した、巫女や魔法使いが証言していた。あの鼠は、宝塔を使って私達から逃亡したと。神聖な塔を扱えるのは、毘沙門天様と契約を交わした者だけだ。一輪やムラサはもちろん、高僧の聖でも力を解き放てない。ナズーリンが果たせたのは、どういう訳か。軽い調子で質問してみた。ご主人様の気が残っていたと、涼しく回答された。おかしくはないが、正しくもないと思った。素直に考えると、ナズーリンも本物の毘沙門天様の縁者だったから、ということにならないか。
 毘沙門天様と縁のある者が、私と千年以上の歳月を過ごした事情。非常時に宝塔を回収するため? 寺の管理のため? 私の代理?

「うー、ん?」

 机の円鏡に、後ろの小鼠が映っていた。私を見ている。ずっと見てきた。それで思い当たった。監視という、目立たないが重要な役割があると。私から目を離さず、真相はぼやかす。ナズーリンの一連の行動に、合点が行った。


 正解か、不正解か。口の堅いナズーリンは、決して己の任務を漏らさないだろう。多忙な毘沙門天様への報告に、文を用いているとも考え難い。家捜しをしても証拠は出まい。第一やってはいけない。やりたいけれど。
 家捜しに走りそうなほど、知りたかった。正誤と、正答ならば彼女の気持ちを。彼女が私に優しかったのは、単に仕事だったからか。それとも、一匙でも真心があったのか。どこまでが演技だったのか。

 心を解する。命蓮寺開基時の来訪者記名帳に、ある妖怪の名と住所を見つけた。お祝いの席に来たのなら、ナズーリンの内面も視ているはずだ。正答を知っているに違いない。私は次の休日の、使い方を決定した。訪問の許可を求める手紙を、博麗神社にいた黒猫に持たせた。いつでもどうぞとその場で返事をされた。彼女の飼い主は家に籠もる方らしい。昼過ぎに訪ねると伝言してもらった。




「地底?」

 今日はどこか行くの、星? はい、地底にお邪魔してみようかと。私と聖の会話に、一輪、ムラサ、ぬえが割り込んできた。各々、雲山としかめ面をしたり、お碗を卓に擦りつけたり、筍煮に箸を突き刺したりしている。一輪達にとっては、嫌な思い出のところらしい。千年も封じられればうんざりするか。

「物好きね。押し潰された気分になるわよ」
「頭枯れるよ?」
「行ってみないとわかりませんよ。一輪、ぬえ」

 ムラサはお守りにと、海色の碇刺繍のハンカチを投げて寄越した。

「迷子になったらそれを水に浸しなさい。保護者と連絡先がひらがなで浮かび上がるわ」
「私は子供ですか」

 一応仏教の守護神のはずなのに、同居人からは心配されている。押しが弱いからだろうか。左隣のナズーリンが、耳をやや内に巻いていた。気分を悪くしている。威厳、威厳。ちゃんと帰ってきますと、私は胸を叩いた。

「旧都と地霊殿に行ってみます。お土産、希望はありますか」

 旧地底組は特になしと口を揃えた。つい最近までいた地で、土産も何もないか。聖はお堂に飾る花が欲しいと手を挙げた。簡素な木箸を休めたナズーリンは、

「ご主人様に探せる範囲でのレアアイテム」

 難しいお題を出した。多少の珍品には彼女はびっくりしない。水入り琥珀も隕石の欠片も、既に蒐集箱にあると言われた。地下の財宝に期待しよう。


 天候は外出向きではなかった。墨雲の層が重なりつつある。少々肌寒い。

「夕方までは崩れないと思うけど。傘、持っていく?」
「大丈夫ですよ。降る前にお暇します」
「下の方々によろしくね」
「精々気をつけて、ご主人様」

 見送りの聖とナズーリンに一礼して、曇天の中を歩んでいった。

 挨拶の品を購入して、神社付近の洞窟に入って、旧都を見学して、最大の目的である地霊殿へ。順序を確認していたら、後方に生き物の気を感じた。ナズーリンの忠実な配下が、動く小石のようについてきていた。彼女のことだから、地底世界にも先に鼠を送っているだろう。どこに行っても目がある。私の言葉や一挙一動は、全て筒抜けだ。監視と思うとやりにくい。彼女に疑念を悟らせず、真実を手に入れる。難問かもしれない。綻んだ五弁の桜を見上げ、溜息を吹き上げた。




 花鳥の便箋や懐紙を包装してもらって、洞穴に向かった。無限に続くかのような縦穴を降下した。降りるにつれて空気が生暖かくなった。風の湿気も増した。雲は遥かに遠い。ムラサ達の感想が幾らかわかった。遠足に来る分にはいいが、永住には不向きだ。茶褐色の空は物足りない。
 けれども旧都の活気は、魅力的だった。鬼の大好物、お酒の匂いが居座っている。散歩するだけで赤ら顔になりそうだ。商店は人里に劣らぬ熱気と、品揃えを誇っていた。呼び込みの声も、商売問答も明るい。大路を闊歩する鬼や妖怪は、生の喜びを謳歌していた。よそ者の私にも、寛容だった。馴れ馴れしいくらいだった。腕を引かれて、さいころ遊びや歌舞に招かれた。仏の弟子が賭博まがいの遊戯に加わってはいけない。柔らかく拒否して、街の見物に戻った。ナズーリンがいれば、いかがわしい場を事前に察知して遠ざけてくれるのだろう。

 生花の店や花売りの台車は幾つも見かけた。花梨、八重の山吹、蓮華草。種類も色も豊富だ。弱らないように、帰りに花束をこしらえればいい。
 ナズーリンの要望は、叶えられるかどうか。骨董店や陶器市を覗いた。財宝集めの能力も全開にした。引っ掛かるものはなかった。都合よく、伝説級の名宝が転がっているはずがないか。
 大物の針水晶が、鉱石の専門店に鎮座していた。黄金の結晶を透明に抱いている。これも彼女は所有している。五百年ほど前に、張り切って贈ってがっかりした。六角に削った上物を、彼女が磨いていた。私の赤茶けた小水晶とは、まるで別物だった。ただ、彼女は私の贈り物も貰ってくれた。稀少価値がない、ご主人様はまだまだ頑張れる。きつい評価を下しながら、箱や籠に収めた。どんなにありふれた古道具でも、必ず引き取ってくれた。あれは、見張りの業務とは無縁だろう。

「ナズーリン、あの石はどうですか」

 目線を下げて訊いて、今日はひとりだったと気付いた。千年来共にあった鼠の妖怪の影は、見当たらなかった。私は彼女の存在に慣れていた。実感して落ち込んだ。お気に入りの装束や、靴を失くしたかのようだった。

 今頃香の調合をしているのかな。
 寒いと食が細くなるけれど、平気かな。
 こっちに降りてきたこと、あったかな。
 さっきのお店の藍染めの絣、似合うだろうな。でも和装は苦手だからな。
 路地を辿ったり、軽食を取ったり、商品に触ったり。小さな一人旅をしながら、彼女のことを想像していた。
 正体や本心を強引に知って、何になるのだろう。地底探検の動機に、ふと疑問を投げかけた。追究したくて、はるばる地下都市まで来たはずなのに。
 もしも私が、ナズーリンの立場だったら。務めだとしても、こんなご主人様に延々と仕えたくはないだろう。勇気や徳がなくて、説法も宝探しも上達しなくて。迷子にならないかと仲間に不安がられて。多分途中で見捨てる。そうしないのは、何かしら情があったからではないだろうか。私の自惚れか。それに、毘沙門天様の命令であったとしても、

「あ」

 時報の太鼓が鳴り響いた。訪問の時刻だ。急がなければ。


 酒気を帯びた都を疾走して、異国情緒溢れる屋敷に降り立った。両開きの鉄門の前で、霞がかった紫髪の少女が待っていた。紅い瞳を心臓の位置に取りつけて。

「こんにちは、今日はありがとうございます。古明地さとりさん」
「そんなに遅刻してはいませんよ。気に病むことはありません。お茶の準備が整ったところです。残念ながら、緑茶と生菓子ではありませんが」

 読心の妖怪は、声にならない声に答えた。
 私の背後で、野鼠が目を光らせていた。さとりさんは私の状況を読んだらしく、了解しましたと冷静に囁いた。




 庭の薔薇園の一角に、白い円卓と二脚の椅子が設置されていた。日除けの傘はないけれど、紅魔館の庭園のようだ。
 薔薇の色形は吸血鬼の館と異なり、様々だった。尖った花弁の紅一色ではない。白粉をまぶした桃のような色、紅白の濃淡、波状の花びらと黄緑、ドレスのように開く紫。中でも、透明感のある青は珍しかった。地上では青薔薇は見たことがない。ナズーリンも参るかもしれない。

「怨霊の魂が、色素に影響を与えているのかもしれませんね。彼らは鈍く青く、彼女達は純粋に青い。後で切らせましょうか」
「いいんですか」
「これから盛りになります。持っていってもらった方がいいのです。誰にも見られずにしぼむ薔薇は、淋しいでしょう」

 花の心は察せませんが。さとりさんは声をたなびかせ、椅子に座った。私も斜め向かいに掛けた。一番のお土産があった、よかった。
 果物満載の焼き菓子が切り分けられ、紅茶が注がれた。簡略化した薔薇を彫った白カップで、濃い紅が揺れている。外国に迷い込んだみたいだ。紅魔館で作法は学んだけれど、上手くできるかわからない。

「細かいマナーは私も忘れました。紅茶はミルク抜きが合うでしょうね」
「すみません、直々の許しも得ずに押しかけて。丁寧なおもてなしまでしていただいて」
「霊はペット任せで、暇なので。たまに作らないと腕がなまります」

 器の柄と底を持ち、

「貴方の悩みは面白そうでしたし」

 能力頼りの勝手な私を、気遣ってだろうか。悪者のようにさとりさんは目元を歪めた。できたひとだ。お菓子も甘過ぎなくて美味しい。さくらんぼや橙に内側のクリームをつけて、口に運んだ。
 私にさとりさんの瞳があれば、ナズーリンの本性を容易く暴けるだろう。水晶に透ける鉱石のように、嘘も真も。しかし、何でも視えることは幸せなのだろうか。目の前のさとりさんには悪いけれど、惑ってしまった。

「幸せなこともあります。そうでないこともあります。何だってそうでしょう。善悪片方に偏ることはない」

 挨拶品の便箋を捲って、さとりさんは静かに笑った。さとりさんの言う通り、苦しくも楽しくもある千余年だった。投げ出したくなる日にも、おめでたい日にも、隣に彼女がいた。
 旧都を独りで巡って、彼女の不在の辛さを痛感した。彼女は私の心の、深い部分を占めている。監視であろうと、なかろうと。力や役目に関係なく。
 さとりさんは、羨ましいと呟いた。何が羨ましいのか、わからなかった。

「星さんの内には、二つの欲があります。知りたい欲と、知りたくない欲。激しく知りたくなったら、私は教えましょう。行動の内容も、付随する想念も。暴露するのもまた一興ですが」
「冗談でもやめてください!」

 即座に言い返していた。立ち上がりかけていた。さとりさんは軽やかな笑い声を上げた。

「虎を飼うのもありかもしれませんね。鼠もついてきて得です」

 前言撤回、さとりさんはできているがおっかないひとだ。ふざけているのだとしても怖い。けれども、からかいへの咄嗟の反応で、理解した。今の私は、間接的には知りたくないのだ。さとりさんの力を借りて、答えに至りたくない。覚りの瞳も、反則だ。解を手にするなら、ナズーリンの口から。

「助力を願っておいて、申し訳ありませんが」
「ええ、よくわかりました。うっかりばらすと虎さんに食べられてしまいますね」

 がおーっ。さとりさんは虎の鳴き真似をして、木苺と生地をフォークに載せた。私は紅茶を飲んで、むせかけた。苦くて鋭くて舌に来る。ナズーリンの淹れてくれる、淡白な緑茶が恋しい。
 周りには、小鼠がいる。彼女に伝わることを覚悟して、私は話した。結論は出せた。

「仮に毘沙門天様の命令だったとしても、ナズーリンが千年間傍にいてくれたことは事実です。もしも明かしてくれたら、言いますよ。うん知ってた、ありがとうって。それまでは騙されます。彼女がまあまあ尊敬できるような、ご主人様役を続けましょう」
「気の長い話ですね」

 お茶を注ぎ足すさとりさんに、

「待つことには慣れていますから」

 重く笑いかけた。聖を救うのに、千年。今度は何千年かかることか。時の長さには、私は怯まない。

「羨ましい。貴方達の在り方は、とても」

 大きく扇形にケーキを切り、さとりさんは無理矢理私のお皿に盛った。はみ出ている。長期戦には体力が必要だそうだ。
 たっぷり時間をかけて、私はお菓子を平らげた。

「これは私の視たことですが。意識しない強さや優しさも、ひとを動かすものですよ」

 偵察の鼠達は、どこかにいなくなっていた。




 今度はナズーリンさんも連れていらっしゃい。銀の名札つきの首輪を、二本作っておきましょう。戯言に聞こえない恐怖の戯言で、さとりさんは送り出してくれた。ペットや妹さんや寺の話で、少し遅くなった。

 左手には、聖のための雪白の薔薇のブーケ。重なりの見えるほど薄い花びらが、上品に集まっている。小振りで香りは微弱、お堂に相応しい。
 右手には、ナズーリンのための青薔薇を数輪。弁は外向きに丸まっている。花の中心は高く、姿勢がいい。
 お花屋さんから出てきた客のようだ。白と青を抱えて、私は地下の空を逆走した。


 折れ曲がった洞窟の出口に近付くと、雨音が耳を打った。次第に音量が膨らんでいく。降り出していたか。ムラサのハンカチを濡らさないよう、懐に押し込んだ。白羽衣を薔薇に被せて、

「ナズーリン」
「降る前にお暇するんじゃなかったのかい。聖達が待っているよ」

 二本の番傘を足元に広げて佇む、馴染み深い影を見た。尻尾の手籠に、濡れ鼠や乾いた鼠が入っている。短い髪や上着が、雨滴に湿っていた。私は羽衣で水気を吸い取った。

「すみません、迎えに来させてしまって」
「いいよ。ご主人様の世話は私の仕事だ」

 彼女に詫びて、私はレアアイテムを差し出した。鼠の耳は不機嫌に丸まらなかった。今回は自信があった。
 彼女は春の雨に花をかざし、沈黙を挟んで

「宝塔の色だ」

 雫のように声を落とした。雨の筋が、頬を伝ったように見えた。息苦しそうに笑い、彼女は青い花を胸に抱いた。

「棘、取っていませんからね。怪我しないでくださいね」
「稀少品相手にそんなへまはしないよ」

 どうもありがとう。悪かった。二つの言葉が、水音に溶けた。謝るようなことは、何もしていないのに。
 彼女は私に淡黄色の傘を渡し、灰鼠の傘を掲げた。重たそうだった。私は彼女の傘を引ったくって、代わりに聖の薔薇を託した。

「二人で行きましょう。ナズーリンはお土産をお願いします」
「濡れても知らないよ」
「守りますから。なるべくくっついていてください」

 笑顔と腕力で押し切った。頷いて、彼女は私に従った。


 桜と土を洗う大雨を、一本の傘で防いで飛んだ。ナズーリンの側に多めに傾けて、水に打たれないようにした。
 花の香と、体温が近かった。
 彼女は監視者なのかもしれない。私が毘沙門天様の道を外れたら、ダウジングロッドで罰するのかもしれない。内に忍ばせた短刀で、殺めるのかもしれない。危ない推論ばかりだ。それでもいいと思えた。真実が何であれ、彼女は今はここにいてくれる。

 雨を弾く音に隠すように、彼女は細く声を発した。

「はじまりは――でも、きみへの――に――はなかったつもりだよ」
「ナズーリン?」

 轟音で、はっきりと聞き取れなかった。二度は言わないとばかりに、彼女は顔を背けていた。
 私は妖虎の聴力を総動員して、解明に励んだ。耳と記憶と推量で鮮明になってきた。ナズーリンの密やかな想いは、

『始まりは仕事でも、君への心に嘘はなかったつもりだよ』

 きっと、これで合っている。
 私は喜びを堪えるのが大変だった。傘を振り回しそうだった。
 彼女の千年の心情を、ひとひら受け取れた。おぼろげな光でも、旅路は照らされる。仕事の内容は、いずれわかるだろう。覚悟はできている。私は彼女に肩を寄せ、

「ありがとうございます。待っています、いつまででも」

 相合傘で、夕刻の雨を翔けた。


 待っている。一言、うん知ってたと言える日を。
 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
 星とナズーリンの組み合わせは、色々と想像が膨らみます。言葉が浮かんで、キーを打ちたくなります。
 これはこれでありかなと、感じてくだされば幸いです。
 鉱石の問屋さんを見に行きたいです。
深山咲
[email protected]
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.3910簡易評価
4.100ktr削除
ナズーリンと星にさとりとは……素晴らしい。
相変わらず文章が美しく、物語が染み渡ってくるようです。
>「羨ましい。貴方達の在り方は、とても」
さとりのこの言葉に心を揺さぶられた。さとり……

作者様の最近の安定した投稿ペースはとてもうれしいです。
素晴らしい作品をありがとうございました。
6.90名前が無い程度の能力削除
深山さんの作品は、サブ(と言うのも何ですが)キャラが魅力的に書かれているのが素晴らしい。
今回のさとりんも非常に良い味出してました。
7.100名前が無い程度の能力削除
おおおお…素晴らしい…
星ナズにどうさとりが関わってくるのかと思いましたが、いやはやお見事
いつもいつも素晴らしい作品をありがとうございます
8.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
12.90名前が無い程度の能力削除
相変わらずの美しさ。
王道のストーリーをここまでテンポよく綺麗にまとめられるのは羨ましい限りです。
13.90コチドリ削除
千年では解けない問答。
確かにこればかりは、お釈迦様にもさとり様にも頼ってはいけないですよね。

良きお話、ありがたく頂戴致しました。
18.100金欠削除
貴方様の星ちゃんとナズちゃんの話は毎回楽しみで楽しみでたまりません。
投稿ペース、書き方、台詞、見習いたい所ばかりです。

なんかもう、最後の相合い傘の為にわざわざ地底まで行かせたんじゃないかと疑ってしまいますね!破壊力やば過ぎでした。
21.100名前が無い程度の能力削除
ナズ星の素晴らしさを垣間見た。
ナズーリンが宝塔を優先すべきだったというシーンや、さとりのからかいシーンで即答する星ちゃんマジ素敵。

うーん、良いもの読めました。ありがとうございます。
22.100名前が無い程度の能力削除
貴方が書かれる星ナズが好きすぎて困ってます。
今回も星ちゃんのナズーリンへの思いがじわじわ伝わってきて心が温まりました。星ちゃんかわいいよ
素晴らしい作品に感謝。しばらく幸せな日が過ごせそうです
26.100名前が無い程度の能力削除
イイハナシダナー
31.100名前が無い程度の能力削除
さとりの役割が良いですね
34.100とーなす削除
この二人は、微笑ましいなあ。
何とも言えない幸福感がある。

「がおーっ」とかさとりん可愛すぎるでしょう?
39.100名前が無い程度の能力削除
いい話でした。
46.100名前が無い程度の能力削除
いい二人だなー
47.100名前が無い程度の能力削除
フェルスマンの「石の思い出」を想起しました
52.100aswd削除
星は強くないところが魅力ですね
55.無評価深山咲削除
嬉しいご感想、ありがとうございます。書いてよかったなぁと思えるひとときです。

>さとり……
>今回のさとりんも非常に良い味出してました
>星ナズにどうさとりが関わってくるのかと思いました
>さとりの役割が良いですね
ありがとうございます。星とさとり、どんな会話になるのかなと想像しながら書きました。
翻弄あり、羨みあり、真実あり、動物好きあり、不思議な交友関係になりました。何となく、仲がいい気がします。
導き手として、どうしてもさとりを使いたかったのです。

>最後の相合い傘の為にわざわざ地底まで行かせたんじゃないか
キーを打っている最中、外が雨だったので天気を合わせました。気付いたら相合い傘になっていました。

>即答する星ちゃんマジ素敵
>星ちゃんのナズーリンへの思いがじわじわ伝わってきて心が温まりました
心に響くものがあれば、幸いです。
内に秘めがちな情熱が、どんなときに表に出るのか。考えてお話にしました。誰かの気持ちになるのが好きです。

>フェルスマンの「石の思い出」を想起しました
ご本の紹介、ありがとうございます。一度読んでみたいです。
60.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
70.100名前が無い程度の能力削除
美しい……絆とはこういうものか。
73.100名前が無い程度の能力削除
…素晴らしい。
84.100名前が無い程度の能力削除
羨ましいあり方
96.100ばかのひ削除
なんかどんどんもってかれていく魅力的な文章でで、とても素敵