聖白蓮は困っていた。
寺の仲間が優しいのだ。
いや別に普段が優しくないわけではない。いつも優しく礼儀正しい良い子達であると自負している。
ただ今日に限ってはその優しさの度合が大きすぎるのだ。
朝早くに起き、日課の修行と読経を終え、朝食の準備に取り掛かろうとしたところ、台所から美味しそうな味噌汁の匂いが漂ってきた。不思議に思い確認すれば星とナズーリンが既に朝食を作り終えていたのだった。自分が遅刻したのかと思案したが時間はいつも通り。とにかく二人にお礼を述べたが、いえいえお気になさらずと笑いながら返されてしまう。
天気が良いので洗濯をしようと洗い場に行けば、そこでは水蜜が洗濯を済ませていた。それなりに多くの衣類を一人で片付けるのは大変だったろうと労えば、水場は自分の管轄。これしきのこと苦ではないと返された。
ならばお堂の掃除でもと思い立ったが、今度は一輪と雲山が掃除を行っていた。手伝おうと雑巾に手を伸ばせば、姐さんの手を煩わせるわけにはいきませんとまた返されてしまった。
そこまではまだ理解できる。こういうことが日頃からないわけではなかったから。今挙げた面々は昔から宗徒として一緒に過ごしてきたので、自分の手伝いとして自主的に仕事をすることも珍しいことでもないのだ。
しかし、最近になって門下に入った者、封獣ぬえが境内の掃除を行っているのを目撃したときは大変驚いた。眠そうな瞼を擦りながら、それでも丁寧に箒を掃いている。いつもならこの時間には二度寝をするか、遊びに出掛けるかで手伝いをせずに逃げ回っているものである。たまに水蜜や一輪に強制的に手伝わされることもあったが、見たところ自主的に行っているようだ。そんなぬえの姿に白蓮は感慨深くなる。しかもそれだけではなかった。ぬえから、掃除は自分がやるから聖は休んでいてと声を掛けられたのだ。その言葉に偉く感動した白蓮は掃除を任せ、居間でお茶を飲むことにした。
仲間達の優しさに疑問を持ち始めたのは午後、おやつ時を過ぎてからだった。
昼食を用意しようと台所へ向かえば今度は水蜜がカレーを大量に作っていたり、人里へ説法の為出掛ける準備をすれば星が代わりに赴いてくれたり、おやつの時間にはナズーリンが有名所の甘味を持ってきてくれた。一輪には肩を揉んでもらい、ぬえは話し相手になって、雲山はお茶のおかわりを注いでくれる。
幸せだった。もう死んでもいいとさえ思えた。自分の夢を叶えるまで絶対に死にたくはないが……。
最初はみんなの優しさに甘えさせて貰い、幸せを噛み締めていたが、それがずっと続くと不安になってくる。
一体何故みんながこのような行動に出たのかをもう何杯目か分からないお茶を飲みながら考える。自分の誕生日ではない。命蓮寺の建立記念日でもない。それともなにかの記念日なのか? それすら心当たりもなかった。
ふと壁に掛けてあるカレンダーに目が留まる。お近づきの印にと人里から頂いたものだ。そこから今日の日付を探す。5月の第2日曜日、日付の下に小さく、
“母の日”
と書かれているのを発見した。
なるほど今日は母の日というんですねと納得したがでも疑問が残る。母の日、魔界に封印される前には無かった行事だ。きっと母親への感謝を表す日なのだろうと推測はできる。子供が母を思いやる、それは素晴らしい日であると理解もできる。
だがそれは関係ない。なにせ自分は母親ではないから。仲間達を本物の家族のように思ってはいるが肉親ではない。ましてや母親だなんてもってのほか、母とは子を生み、育てるもの、自分の人生全てを懸ける尊くも強い行動ができる者であると考えている。だからこそ白蓮は母というものを尊敬していた。生まれてこの方子供など身篭ったこともない自分は母親には決してなれるわけがないとさえ思っていた。
故に母の日は自分に当てはまるものではないとすぐに切り捨ててしまった。白蓮はあまりにも愚直過ぎたのだ。
結局、白蓮は何も思いつくことができなかった。寺の誰かに聞けば済むことだが、優しさを疑うようでどうしてもそんな気分になれない。そうでなくても今この場には誰の姿も無かった。お昼を過ぎてから参拝客や説法を聞きに来る者が増え、みんな忙しそうに仕事を行っている。寺の僧侶として手伝おうとしたがそれも拒否された。みんな揃って、今日は休んでくれと言ってくる。親切心からでた言葉だと解るだけに逆らうこともできず、ただお茶を啜るだけであった。休むのは良い、でも誰もいない。それがたまらなく寂しかった。
寂しさに耐えきれず、けれども他にやることもないので仕方なく出掛けることにする。その旨をお客様用のお茶汲みを行っていた水蜜に伝え、いざ出発。といっても行く当てもなく、今日は布教活動も禁じられている為ただの散歩になってしまった。
周りの景色を眺めながら歩く。最近では寒さも息を潜め暖かい日が続いている。春告げ精が楽しそうに飛んでいる様も見られた。気がつけば辺りには家族連れの人々が多く、その誰しもが母親と思わしき者の手を引いている。その光景に白蓮は心までも温かくなっていく。人妖問わず仲の良い姿を見るのは好きだ。家族というものは白蓮にとって一つの理想形であった。すると自分の存在に気づいた一組の母子が手を振ってくる。笑顔で手を振り返すことでそれに応え、幸せそうな人々に癒されながらも、心の片隅にまた寂しさが湧いてくる。今の自分は一人ぼっち。セーラー服の幽霊や、入道使い、寅柄の毘沙門天とその従者。それに正体不明の少女。隣には誰もいない。
ふと自分にも子供がいたのならと妄想する。先ほどの母子のように楽しく散歩をしながら他愛もない話に華を咲かせ、幸せを感じられたのかもしれないと考えた。そして苦笑いをしながら首を横に振る。それは所詮妄想に過ぎず、遠い昔に諦めた一つの夢。僧侶の道を選んだ時から決して叶うことのない小さな小さな女の夢であった。今を否定する気はない。この険しい道を選んだことを後悔もしない。この道こそが聖白蓮の生き方なのだ。そう思い返し自分を戒める。やはり彼女はどこまでも愚直だった。
寂しさを紛らわせる為に歩く、歩き続けた。どれほどの時間歩いたのか思い出せないくらいに。
気がつけば白蓮は博麗神社まで辿り着いていた。なぜここに来たのか分からないが、折角なのでここの紅白巫女に挨拶でもと足を動かす。そしてその相手は縁側で優雅かつ暇そうにお茶を飲んでいた。
巫女は白蓮の姿を見ると珍しそうな顔をしながら素敵な賽銭箱の在り処をを告げる。他の者なら普通は無視をするのが決まりだが、白蓮はいいひとだった。丁寧に賽銭を入れお祈りを済ます。巫女は更に珍しそうな顔をしながら隣の席に招待し、お茶を勧めてきた。白蓮は知る由もないが、巫女自らお茶を勧めることは宝くじで一等を当てることよりも珍しい光景なのだ。そして、賽銭箱に石や葉っぱ以外の物が入ることはどこぞの隙間妖怪が早起きしてラジオ体操を行うことよりもありえない出来事である。
お茶を啜りながらなんでもない話をする二人。今日は天気が良いだとか誰それと弾幕ごっこをやっただの、レミリアはまだあと2回変身を残しているとか本当にどうでもいい話ばかりだったが、それでも白蓮は楽しかった。
団欒に一区切りうち、巫女がお茶の替えを用意すると立ち上がった際、部屋の中がチラリと映る。そこは魔窟と化していた。散らかったテーブル、転がる空の酒瓶。それらが一面中埋め尽くしている。惨劇の訳を尋ねると、前日に子鬼や魔法使いと宴会を行っていたとのこと。誰一人片付けを手伝わず帰ってしまい、自分も面倒臭かったので後回しにしようとしていたらしい。白蓮は呆れると同時に意欲が湧いてきた。お茶よりも片付けることの方が優先と言わんばかりに上がりこみ、部屋の掃除を始める。唖然としていた巫女にも指示を出し働かせる。思い出してみれば、この日で初めて働いたのだと気付く。そしてそれは止まらなかった。部屋を片付けたら次は洗い物、台所も予想した通り食器や鍋が溜まっていた。他にも廊下の雑巾がけ、お風呂の掃除、夕飯の準備とありとあらゆるものに世話を焼いた。巫女もあんたは私の母親かと文句を言っていたが、その割にはどこか嬉しそうだったのは気のせいか。ともかく寺で出来なかったことを全てやれたので白蓮はご満悦であった。
日も暮れたころ博麗神社は見違えるほど綺麗になっていた。今は最初のように二人で縁側に並んでお茶を啜っている。疲れ果てて紅白の紅が消え真っ白に染まった巫女に、白蓮は思い切って寺の仲間の話を投げかけた。なぜ急にみんなが優しくなったのか理由が分からないと。巫女は悩むでもなく一つのキーワードを出す。今日は母の日だから。簡潔にそれだけ述べた。しかし、自分は母ではない、だから感謝されるのはおかしいと白蓮はそれを否定する。なぜかまた寂しさが込み上げてきた。
巫女なら答えを示してくれると期待していたが余計分からなくなってしまう。地面を見下ろしもう一度考え直していたら頭に衝撃が走った。答えを閃いたわけではない。隣の巫女がお祓い棒で殴っていたのだ。なんという鬼畜。涙目で抗議をしようと顔を見合わせれば、巫女は心底呆れた顔をして、馬鹿ねと呟いた。それと同時に立ち上がり、気になるなら本人達に聞けと白蓮を外へ蹴り飛ばす。地面を転がりながら巫女の真意を図ろうとしたが、今日はありがと。と遠くなっていく声が聞こえた気がした。ぬえ以外のツンデレを見たことに感動しながら階段から落ちていく。
余談だが博麗神社の階段は参拝客が上るのを諦めるくらい段差が多いことをここに記しておく。南無三。
ボロボロになりながらも我が寺へと辿り着く。辺りはすっかり暗くなり、みんなに心配を掛けたと一人落ち込む白蓮。自分はこの寺の僧侶だ、少し遅くなっても大丈夫だもんと気合を入れ、いざ決心して玄関を少しづつ開ける。誰かがいる様子もなくひとまずホッと溜息を吐き、続いてはと抜き足差し足でこっそりと廊下を歩いていく。目標の自分の部屋まであと少しというところだった。居間の前を匍匐前進で進んでいたとき、その中から白蓮を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声の主は星だ。帰ったのがバレバレだったらしい。一呼吸置き、居間へ滑り込むなり思いっきり謝った。恥も何もない見ている者が清々しくなるくらいの土下座。罵声の一つ二つ覚悟もしていたが、返ってきたのは優しい声だった。恐る恐る顔を上げると、そこには星だけではなく、他の仲間達も座っている。全員で白蓮の帰りを待っていたようだ。申し訳なさそうにしていると笑って許してくれた。
許してもらったついでにと疑問だった今日の出来事を尋ねる。親切心を疑うなど良くない事だとは解っていたが巫女にも言われたからには確かめてみたかった。嫌な顔をされるか心配だったが、みんな顔を見合わせただけで、説明を一輪が代表で語ってくれた。
曰く、今日は母の日なので折角だからいつもお世話になっている白蓮を労ってあげたいと思い、みんなで企画したとのこと。一日仕事を代わり、普段休まずに働き詰めだった分、休暇を満喫して欲しかったと。
みんなの想いはありがたかったが、白蓮はそれを訂正する。巫女にも言ったように自分は貴方達の母親ではない、今日感謝されるのは間違っている。その旨を伝えた。そもそも礼を言われたくてみんなと一緒に居るわけではないという気持ちなのだ。打算で動いていることは決してないと教えたかった。
言いたいことを言い、返事を待つ。優しさを否定した。呆れられても、怒られても仕方がないと思う。けれど、返ってきたのは暖かい言葉だった。
星が紡ぐ。それでも、それでも自分達は貴方に感謝したい。助けられたからではない、恩義があるからではない。一緒に居てくれた、ただそれだけだ。話しかけると返事をしてくれた、毎日御飯を作ってくれた、悪い事をすると叱ってくれた、良い事があれば共に喜んでくれた。そんな単純なことを一生懸命やってくれた。礼を言うにはそれだけで十分、貴方が否定しようが、紛れもなく貴方は自分達の母親なのだ。
星が真剣に語り、そして微笑む。
白蓮は泣いた。溢れる涙を止めようともせず、声を出して泣いた。仲間にここまで愛されていたことに気付かなかった自分を恥じ、愛されていることに気付けたことが嬉しく、人間だった頃に捨てたちっぽけな夢が叶えられた、叶えてくれたみんなの心を感じて、最高に幸せだった。
そんな白蓮を仲間達は何も言わずに泣き止むまでずっと待っていてくれた。
沢山泣いた後には笑顔の花が咲く。落ち着いた白蓮の顔は既に今まで以上の笑顔があった。今日のお礼を述べる為に口を開こうとしたら水蜜に止められる。まだ母の日は終わってないと告げられた。これからみんなで作った晩御飯を食べ、一緒にお風呂に入り、最後は全員で並んで眠るとのこと。誰が白蓮の隣になるか生死を賭けたあみだくじを行ったと自慢げに語ってくる。
それなら早速食事にしようと提案するがまた止められた。その前にとっておきを披露するので見て欲しいと言われる。それならともう一度みんなの正面に座りなおす。目があったぬえが顔を真っ赤に染めながらそっぽを向いた。これから何が起きるのか期待する白蓮。
水蜜が笑いながらが指揮をとり、3,2,1の掛け声で全員一斉に声を出す。
真面目に、照れながら、笑顔で、それぞれ違う表情だけど伝えたい想いはみんな一緒だった。
『お母さん、いつもありがとう』
完
面白かったってことだよ、言わせんな恥ずかしい
霊夢さん酷いけど優しい
お母さんは毎日感謝しなければいけないんだよ。
言わせんな恥ずかしい。
聖さんが愚直すぎて可愛すぎる。そしておまけwww
寺の皆さんは本当に、良い人?達だなぁ……
最後の一言への布石も気になったけど、読みにくいほどではなかったです。
優しい話をありがとう。
冬の筈なのに、あったかい
親孝行、したいときに、親はなし
ウチは白いカーネーションだったんだよね