Coolier - 新生・東方創想話

暗闇に沿えるアイリスの花

2010/05/09 23:43:13
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 ※過去話につき個人的な解釈を含みます。


 麗らかな日差しの中、暗闇が空を漂っていた。
 暗闇の妖怪が漂っていた。
 ルーミアが霧の湖の畔に降り立つと、きらきらと煌めいていた空気が僅かに、どんよりと身を濁らせる。
 湖畔の木陰に「虹の花」が咲いていた。
 それに気がついた彼女は、闇を霧散させると目を細めてそれを眺める。
 彼女の視線など気にせずに、薄紫色の花は時折吹き抜けるそよ風に身体を揺らしていた。
 ルーミアはその花のうち、一際綺麗に咲いていたものをやさしく手に取り、茎を千切ると再び飛び立った。
 この花を、彼女に渡してやろう。
 そう思ったのだ。
 頬を綻ばせて、両手を広げる。
 彼女が意図せずとも、その姿は十字架を思わせた。
 




 ~ハレルヤ・ラ・ミゼラブル~





 一

 宵闇に一人佇むは赤眼の妖怪。
 揺れる髪の毛は金糸。
 月の光を跳ね返し、跳ねる血潮を受け止める。
 その妖怪は強く、慈愛を持たなかった。
 頭も悪く後先なんて考えなかった。
 その上彼女は喰いしん坊であったから、死屍累々を背にして、まだ食物を選り好みする。
 下等な獣達と違って、妖怪にとっては食べる事は全てで無い。
 例えばその流れる血に堪らなく興奮するだとか、骨を飾りにしたいだとか、あまつさえその屍体を愛でたいだとか。
 周囲は暗くなり、蛆が蠢き、腐臭と共に蠅が舞う。
 その頃になってようやく彼女は辺りを見回した。

「誰も……いない、いなくなった? おっかしいなぁ」

 彼女の周りには誰もいなかった。
 そうして貧しい農村が一つ滅んだという史実と、彼女が独りぼっちだという事実が首をもたげる。
 彼女は幼かった。
 少なくともその容姿と、頭が。
 幼くして一人で生きる事は、彼女のような妖怪にとってそう難しい事では無かった。
 彼女の赤い瞳に光は無い。
 夜が深まる。
 夜が深まり、虫の音すら遠ざかる。未練がましく飛び回る数多の蠅を除いて。
 月すら翳りそうな深淵から、啜り泣き声が響いていた。
 木霊していた。
 
「なんだ、まだいるじゃん」

 ニィ、っと口の端を上げて、少女は音の出所を探した。
 声は呼んでいた。幼く頭の悪いその妖怪を、ではない。  
 敬虔に学んできた教えの中の救済を求めて、か細い声が響く。
 金髪の幼い妖怪は、血濡れた石畳を踏み、骨を踏み、肉を踏み、今羽化せんとする蛆を踏みつけて声の出所を探す。

「……たすけて、おかぁさん……神様」 

 掠れた声は僅かな理性に皮一つで繋がり、誰にともなく慈悲を乞う。
 無意味で、無神経で、どうしようもなく莫迦莫迦しくて、少女の言葉は何も生まない。
 この場で言葉は何も生まないし、言葉は何も救わない。
 言葉は救わないから、命が掬いとられそうだった
 それでも少女は呟き続けた。
 それが妖怪に抗う唯一の手段と信じて。
 そんな抗いの唯一の手段が、結果として妖怪を呼ぶ事になる。
 幼くも気丈な呟きはその子供の強さを物語っていた。
 そして皮肉にその強さが、自然と妖怪を近づける。
 見た目だけなら子供とそう違わぬ姿をした、喰いしん坊の妖怪を。

「きゃは、見ィ付けた」

 声も無く顔を上げた少女の瞳が、妖怪の赤眼に釘づけになる。
 不思議な事に、少女はこの妖怪の瞳に翳りを見出した。
 曇り濁ったルビーの瞳に、憐れみすら覚えた。 

 

 二 
 
 鳥が鳴き、朝が来る。
 彼女が少しでも行儀が良かったら、いくらかは立ち込める臭気も穏やかだったかもしれない。
 それを咎める者はいなかったし、咎める意味が無かった。
 この腐臭に鼻を曲げる者は誰もいない。
 阿鼻叫喚という言葉ほど陳腐では無くて、それ以上に無情の景観を呈した農村は、麗らかな朝日に相反してどす黒く血を吐き出し続けている。
 空っぽなのは家、頭、心。
 空っぽで無くなったのは幼い妖怪の腹具合だけ。
 とある家屋に併設されている物置。
 その片隅で腹が満たされてうたた寝する少女の傍には、小さな屍体が転がっていた。
 転がった拍子に捻じれたのか、首は在らぬ方を向き、長い鳶色の髪の毛は顔を半分覆っていた。
 艶やかな鳶色の髪は、自らの生き血に染められてよりどす黒く変貌している。
 片方の眼窩はがらんどうで、その奥底からは昨晩まで生きていたという名残が垂れ出ている。
 
 その妖怪の好物であるところの「幼子の眼球」すらも片方残してしまうほどの充足感。
 それがそこにあったのだろうか?
 妖怪は、満たされた腹具合に赤い瞳を閉じているのだろうか?
 充足感に包まれているはずの幼き妖怪はうなされていた。
 充足と安息をかどわかすのは、幼き彼女が昨晩最後に手に掛けた少女の瞳。
 少女の言葉は何も生まなかったが、その瞳は妖怪の心に何かを生んだ。
 それは慈愛の欠片か、あるいは癒えぬ傷跡か。
 妖怪は耐えきれぬ不快感に目を覚ました。
 口元を押さえながら身を起こし、隣に横たわる屍体を見つめた。
 何も考えずに、彼女は屍体が手にしたロザリオを手に取る。そうすると、ふと思いがけない頭痛と吐き気が彼女を襲う。
 口の中にへばりつく血の匂いは甘美に、しかしその舌触りが如何ともしがたかった。
 歯の隙間に僅かに残るその肉片が、蠢くのだ。
 無論、事実動くのではない。
 ただ彼女にはそう感ぜられた。
 口の中に転がり込んだ球体が、最後に自分を見つめた蒼い瞳であったと信じられなかったのだ。
 それは意識を持ち、何も生まなかった言葉を思い出させる。
 彼女に思い出させる。

 昨晩の事を思い出しながら、彼女は周囲が暗く闇に包まれていくのを感じた。

 
 
 三

 
 ――宵闇の中で見つめ合う。
 蒼い瞳と、赤い瞳が見つめ合う。
 鳶色の長髪を持った人間の少女と、金髪の妖怪が。
 妖怪には少女の瞳がいやというほど煌めいて見えた。
 それは目尻に浮かべた涙のせいであったかもしれないが、その煌めきは星々に勝るとも劣らぬ色をしていた。
 妖怪にはそれがたまらなく愛おしい物に見えた。
 恋慕にも似た心地は、ただし嗜虐心を伴う心地であった。

「お、おねえちゃん…は?」
 
 少女が口を開く。
 みすぼらしい出で立ちに、ロザリオを両手に握りしめ。
 その姿は板に付いていた。彼女が敬虔な信徒である証左である。
 妖怪を見つめる少女の蒼い瞳は、両親から受け継いだものだった。

「あたしはルーミア」
「ルーミア?」
「うん」

 妖怪の、ルーミアの頭の中にはただ目の前の少女をどうしていたぶり、そしていかにして甘美な肉をついばもうかと、そればかりであった。
 そんな内心など露知らず、少女は目尻の涙を拭いた。
 それでも尚、その瞳は輝いていた。
 目の前の金髪の幼子が、妖怪であり敵であり仇である事は知っているはずなのに。
 輝いた瞳でルーミアを見つめ、口を開いた。

「おねえちゃんは……お腹が空いていたの?」
「うん」
「おねえちゃんは……妖怪?」
「うん」
「おねえちゃんは、私を食べようとする?」
「うん」
「……そっか。最後に、お祈りさせてくれる?」
「お祈り?」
「うん。毎日やらないと、いけないから」
「ふぅん」 
 
 ルーミアの呟きを了承と取って、少女は跪き、拙い手つきで祈りを始めた。  
 ルーミアには少女の呟く言葉の意味がこれっぽっちも分からなかった。
 ルーミアはなぜ少女が死の間際で祈りなど捧げるのかが分からなかった。
 ルーミアは目の前の少女を理解できなかった。
 夜の帳の下、小さな呟きが終わり、再びとこしえの静謐が舞い戻る。
 
「どうして?」

 幼い妖怪が、静寂を引き裂くように、静謐に歯を立てた。

「……なにが?」
「どうせ死ぬんだから、意味無いじゃん」

 ルーミア自身もどうしてそんな事を口にしようとしたのか分からなかった。しかし、知らぬうちに言葉が口をついた。

「うん。でも……降る星を数えたら泣くのに飽きて、蒼い月が笑っていて」

 少女は囁き、窓から夜空を見上げた。
 つられて、ルーミアが視線を追う。
 深い闇に、星が光り、まん丸い月が漂っていた。

「全部がつかのまの夢で、小さな悲劇にもならない気がしたから」

 そこで区切る。
 少女に引き寄せられるように、ルーミアが覚束ない足を動かす。
 今までなりを潜めていたはずの涙が、少女の目尻に浮かんだ。
 溢れ出すまでにほんの一瞬も必要としなかった。
 少女の涙が頬を伝い、瞳が一層輝きを増す。

「――私はおねえちゃんの事も、愛せるんだって、証明したくて」

 そう言った瞳がどうしようもなく輝いていて、その言葉の意味が理解出来なくて、ルーミアには目の前の少女に爪を立てるのと同時に、自らの心に爪を立てたような心地になった。
 どうしてだか苦しくなった。
 未知の、無知の恐怖が彼女を苛む。
 そんな事は初めてで、戸惑わずにはいられなかった。
 しかし戸惑った心に、身体を止める術は無い。
 ルーミアは無意識のうちに手に掛けた細い首を捻じり、眼窩を穿り、眼球を貪った。
 彼女には、どうしてだか自らの視界が濁って思えた。
 幼き彼女には己が頬を伝う涙の意味すら理解出来ない。



 四

 旅人のような風貌の、赤い髪をした長身の女性が、数ヶ月も前に滅びたはずの農村に訪れた。
 荒れ果てているというのに、覗いた倉庫に整然と積まれた麦俵やワイン樽が奇妙であった。
 それを見て、彼女は状況を把握した。
 やはり妖怪か、と。

 旅人の緑色の裾の長い衣装は派手でもなく、動きやすさを重視されているようであった。
 髪の色と同じく赤色のスカーフは艶やかな表面をしていて、その生地が上等である事が分かる。
 そこには辺りに転がった骨やぼろきれになった衣服や、なんとも言えぬ臭いの他何もなかったが、村の隅にあった小屋から不自然な暗闇を見出して、彼女はそれに引き寄せられるように近づいた。
 酷い悪臭が漂っていた。
 しかし不思議と、不愉快な蟲の舞う音も、這う音も聞こえなかった。 
 
「すみません、ちょっとお尋ねしたい事があるのですが」

 そしてなんの躊躇も無しにその暗闇に話しかけた。
 それが何者かであると分かっているかのように。

「…………誰に話しかけているの?」

 しばらく間があって、その後に暗闇が言葉を返した。

「誰って、貴方ですよ」
「あたし?」
「そうです」
 
 沈黙に耐えかねた様子の旅人が困った顔で頭を掻く。
 
「…………あぁ、いえいえ。私も別に怪しい者ではなくて、この辺りに僵屍(キョンシー)が跋扈しているという噂を聞きましてね。それの退治に馳せ参じた次第です」 

 彼女は言いながら、何より目の前の暗闇に不信を抱く。

「へぇ」
「ところでお見受けする所によると貴方も何かしらの妖怪のようで」
「も、っていう事は?」
「そうですね、私もです」

 赤い髪をした女性は笑いながら言うと、これまた躊躇なしに暗闇の塊の隣に腰を下ろした。
 そして再び無言が辺りを支配する。

「ふむ、そうですね。いきなりですが、姿を見せてはくれませんか?」  

 黒い塊に向けて、紅い髪をした妖怪が問う。
 それに返事は無く、そして問うた妖怪もさほど気にしない様子で笑っていた。

「……ふふ、残念です。そう簡単にはいきませんか。さて、今日のところは、これで失礼しますね」 

 言って、旅人の妖怪は村を後にした。



 五 

 旅人は、次の日も、その次の日も村に訪れた。
 何も無い村に。
 あるのは寂寥と暗闇だけであった。
 そんな日々が幾らか続いた。
 そして月がまた満ちた頃、まだ昼間であるというのに、相変わらずはずれの小屋には暗闇が漂っていた。
 その暗闇は、あるいは閉ざした心のようにどんよりと鎮座している。
 元よりその旅人は暗闇から「心を閉ざした」気を見て取っていたのだが。

「またまたこんにちは。今日も良いお天気ですね」
「……そうなの?」

 強張った声色ながら、暗闇――ルーミアは旅人に言葉を返すようになった。

「見えないのですか? 中からは」
「見えないよ」
「それは残念です」

 二人はいつも、そんな他愛のない会話を続けた。
 それこそ、何も生まないような会話を。

「藤の花が綺麗に咲いているのです。紫色の。この季節にはそれこそ虹色の花が咲き誇っていて……それが見れないだなんていやはや、勿体ない」
「ねぇ、なんで?」

 旅人妖怪の取り留めない言葉に、ルーミアが疑問を投げかける。
 ルーミア自身、話を聞くのは嫌で無かった。
 だからどうしてそれに水を差すような事をしてしまったのかと、口にした直後に思い悩んだ。

「さて、何がでしょう」 
 
 旅人は飄々と答える。

「何が、って。なんであたしなんかに構うの?」
「なんでだと思いますか?」
「知らないから聞いてる」
「はは、違いありません」

 旅人はそう言ってから、小さくため息を吐き、

「まぁ、私も自分の事しか考えない妖怪なので。どれもこれも私の為なのですよ」
「あんたの為?」
「そうです。いずれお話しするかもしれませんね」
「ケチ」
「ケチとは言いますが、貴方だって話してくれないでしょう? どうして暗闇に包まれて、心を閉ざしているのか、と」

 旅人の言葉に胸を鷲掴みにされて、ルーミアはすっと血の気が引く感覚を覚える。
 心を閉ざす?
 身に覚えが無かったが、その言葉がどうしてか引っかかる。

「最も、私の話は聞いたら残念に思ってしまうかもしれません。貴方の話を聞いたら、私が残念に思ってしまう事もあり得ますが。では、またお会いしましょう」

 旅人は颯爽と歩き去って行った。
 暗闇の中のルーミアに、それを見送る事は出来ない。


 
 六
 
 その旅人、名は紅美鈴。
 生業は先にルーミアに名乗ったように僵屍の退治。
 僵屍といっても元々は人間であるし、それを退治するというのは言ってみれば「お清め」に近いものである。
 彼女は故郷から各地に渡った僵屍を追い、自らも大陸を西に進み、その土地その土地で退治をしていた。
 僵屍が跋扈するという問題の場所は、滅んだ農村からそう遠くない街であった。
 放っておけば惨状になりかねない。
 見かねた街の人間が、何処からともなく耳にした噂を頼りに依頼を美鈴に寄越したのである。
 気を操る事の出来る美鈴は周囲の気を探り、そして気の流れを淀ませる原因がルーミアにあると予測した。
 そうして彼女はルーミアの元をよくよく訪れるようになったのだ。
 ルーミアの心を開く事が、あるいは気が正常に流れるようになる為の鍵であると考えた。 
 
 ――そして何よりも、美鈴はまだ見ぬルーミアの姿に魅かれていたのだ。
 
(恥ずかしがり屋なのでしょう、きっと)

 美鈴は間借りした部屋で、うたた寝しながらそんな事を考えていた。 
 
(白百合のような可憐な乙女か、それとも声のようにツンとした、野薔薇のような少女なのか)
(我ながら少女趣味過ぎるか)

 思い描いてはクスクス笑って、次にはルーミアに何の話をしようかと考えていた。  
 いわば流れの身である彼女は行く先々で様々な草花を愛でていたから、専ら話というのは草花の事であった。
 そして、暗闇の中の幼き少女を、花に重ねて思い浮かべるのだ。 
  
「あのぅ、すんません旅のお方」
  
 戸を叩く音が聞こえて、美鈴が身体を起こす。
 
「はいはい、少し待って下さいね」

 美鈴が戸をあけると、人の良さそうな老人が恐る恐る戸の影から美鈴の姿を窺っていた。
 人が良さそうな風貌に釣り合わない金のアクセサリーが奇妙であった。
 成金、そんな言葉が美鈴の頭に浮かんだ。

「長老殿、こんな自分に如何な御用ですか?」
「い、いや、あの、時折ふつふつと現れるじゃろ、あの……なんと言ったか」
「僵屍、ですか」
「あ、あぁ、そうじゃったそうじゃった……いつも退治してもらうのはありがたいんじゃがな、そのぅ、いつになったら完全に現れんようになるのかと。いや、わしらもそれを心配してばかりでは、身が持たんでな」

 苦笑いを浮かべる老人の顔と、後ろ手に持っている包みを見て、美鈴は何となく続く用件を予見した。
 しかしそれを気にせずに、美鈴は努めて明るく振る舞う。

「目処は立ってきているのです。もう少しお時間を頂ければ。なに、私がいる間はすぐにでも退治して差し上げますから、ご安心を」
「あー、その事じゃが……」

 妖怪であるところの美鈴がどうして同様に人外である僵屍の退治を請け負っていたのか。
 これは単純に彼女の気まぐれである。
 この国で僵屍が出没するのは実に珍しい事であるから、それらに明るい者も少なかった。
 人から感謝されることを好み、また人間の食べ物を好んだ彼女は退治の報酬として食物を望んだ。
 それらが彼女の言う「自分本位の行動」となるのであろうが、それが彼女にとって「退治を請け負う十分な理由」になり得た。

 妖怪としても人間としても裕福とは言えない生活だったが、美鈴にとってこの生活は満更でも無かった。
 時間はいくらでもあった。
 いつかは花に溢れた大きな庭の手入れをしたいと、ぼんやりそんな事を夢に見ては忘れるような日々を過ごしていた。
 しかしそんな彼女は、人間から見れば得体の知れない者、なのだ。
 無理な見返りは求めない。求めたと思えばただの食物。
 その上海の向こうからやってきたと名乗り、あまつさえ妖怪であるともいう。
 妖怪が気まぐれで動く事は珍しくない。しかし人間が気まぐれで人生を転がす事はそう多くない。

「その、こんな事を言うのは失礼かもしれんのじゃが、お前さんがいるせいで、やつらが湧いて出てきているような、そんな気がしてならんのじゃ」
「湧いて、だなんて。元は人間の屍体ですからそんな事は……」

 こういう事を言われる事も決して珍しくなかったから、美鈴は落ち着いた面持ちで口を開く。
 それを見て、老人はますます縮こまるのだった。

「い、いや、わしもそれはなんとなくは分かっておるのじゃが、女子供が酷く怯えておるのじゃ……またお前さんがいとも簡単に退治するものだから、若い衆も自分たちでなんとか出来ると言いだしておる」
 
 美鈴はほんの少し困った顔をして、その後すぐに微笑みを湛えた。
 それも仕様が無い。
 美鈴は深くは問いただすことをせずに、無言で頷く。 
 
「まぁそれも仕方ないでしょう。私も見てくれだけなら、力仕事をしている男性達には劣るかもしれない」
「本当に申し訳ないとは思うのじゃ……だが」
「分かりました分かりました! 長老殿の心中お察しします。明日早速、ここを後にしましょう。それで騒動が起きないようになるのであれば、それは良い事です」

 美鈴は目の前の老人自身、あるいは板ばさみに苛まれていると、そう思ったのだ。
 自ら依頼をしておきながら不条理であるとは美鈴も思っていたが、人間とは元よりそういうものであると、彼女は自分に言い聞かせる。
 気まぐれなのだと、自分に言い聞かせる。
 
「…………本当に済まない」
「ですけどね、ちょっと待って下さい」

 美鈴は麻の袋を漁り、幾枚かのお札を取りだした。

「もし僵屍が現れたのなら、これをどうにか額に張りつけてやって下さい。ポツリポツリと現れるだけなら、若い衆でなんとか出来るでしょう」
「最後の最後まで、本当にお世話に」
「どうか顔を上げてください。なに、こういう事は慣れっこですから……っと、では明日も朝早くに出る事に致します故、そろそろよろしいですか」
「あ、あぁ……お世話になった、本当に。お礼に……」
 
 言いながら老人が後ろ手に持っていた包みを差し出そうとした。
 それを見れば元よりこうするつもりであった事が明け透けで、そして老人の言葉の裏を勘ぐりたくもなるが、美鈴はそれをしなかった。

「いえいえ、そんな滅相も無い。私には受け取れません。依頼はまだ完遂できていないのです」
「いや、これは心ばかり……」
「良いのですよ、私が皆様の不安を掻きたてていたというのであれば、私も悪いのです」
「そ、そうかの……」
「それではお休みなさい、長老さん。私もお世話になりました」
「あ、あぁ……それじゃ」

 長老が部屋を後にしたのち、美鈴は苦笑を湛えて頭を掻くと、再び横になった。
 そしてまた、気を紛らわせるようにルーミアの事を思い描いた。



 七

 暗闇の中のルーミアは湿り気のある草の匂いと、地面に跳ね返る水音によってその日が雨模様であると理解した。

「……今日は来ないのかな」
 
 彼女は呟く。今日、という単位すらあやふやになる闇の中で、彼女は傍らの白骨を、ロザリオを見つめていた。
 少女の死の際の瞳を思い出すと、そこを動く事が出来なかったのだ。
 そして知らぬうちに、辺りに闇をまとい、心を閉ざした。そうすれば、もうあの瞳を見ないで済むのだ。
 もう随分と、何も口にしていなかった。する気も起きずにいた。
 自分が酷く弱っている事も理解できたが、どうしてかが分からなかった。
 
「愛、って、なんなのよ」

 傍らの白骨に尋ねても、最早遅かった。
 答えの無い謎かけをされたようで心地が悪かった。
 ルーミアが、以前一度触れてどうしようもなく気分の悪くなったロザリオに恐る恐る手を伸ばす。
 触れるか触れないかというところで、指先に電撃が流れた錯覚を覚えて咄嗟に手を引く。
 ルーミアはひしとそれを掴んでしまうと、自分が、自分自身の感情の奔流に耐えきれない気がしたのだ。 
 彼女は初めて、後悔に近い感情を抱いた。

「……はぁ。今日は来ないのかな」

 暗闇の中で少女が呟く。
 なんとなく、声を聞きたかった。
 あわよくば自分の口から、何か話をしたかった。
 ほんの少しではあったが、ルーミアもまた、美鈴の瞳を見たい気になっていた。
 そしてその瞳が、少女の瞳と違う事を理解して、胸を撫で下ろしたいと思った。  



 八

 床板の軋む音がして、ルーミアがピクリと身を跳ねさせた。

「今日は、随分と湿っぽいのですね」

 ルーミアはようやく聞こえた、聞きたかったその声に飛び上がりそうだった。
 けれども実際は、何も出来ずに、固まってしまうのだ。
 美鈴はいつものように暗闇の塊の、その隣に腰掛けた。

「今日は、随分と湿っぽいのですね」

 美鈴がもう一度口にする。

「……雨だからじゃないの?」

 まだ雨音は止んではいなかった。

「さて、どうしましょうか」
「何が?」

 早まる気持ちが、すぐにルーミアの口から言葉を紡いだ。
 ルーミアも心の底では望んでいたのに、いざ隣に美鈴を感じると素直になる事が出来ず、蓮っ葉な受け答えになる。
 自分でそれを恨めしく思いながらも、勝手の分からない事であったから仕方ないとも思っていた。

「依頼が無くなってしまったのですよ」
「………そーなのかー」

 美鈴が相変わらず飄々とした調子で言うと、少しの間が合ってからルーミアがつまらなさそうな声を出した。

「ここの気の淀みを正すことで、とある街への気の流れを清めようと思っていたのです」
「何の事?」
「貴方は力を持ち過ぎているから、だからとても個人的な感情すら周囲の気を巻き込むのです。そして淀みを生む、と」

 ここで美鈴は、ルーミアに初めて自分の魂胆を話した。
 美鈴は所謂「生業」の事を、ずっと話さずにいたのだ。

「へ?」
「出来る事なら、貴方の力を抑止させて、そうして気の流れを正そうと思っていたのです」
「……何よ、それ」

 ルーミアには、美鈴の行動が自分を利用するだけに思えてしまったのだ。
 それは今までの親しげな言葉をすべて否定させるような気がして、どうしようもなく切なくなった。
 そんな感情すら、初めてであった。

「でも依頼は反故になってしまったのですから、そんな事はする必要が無くなってしまったのですね、つまり」
「…………あっそ。じゃ、もう来ないで良いんだね、ここに」

 ルーミアには、知らぬうちに自分の語気が荒ぐのを感じたが、それをどうする事も出来なかった。
 彼女は暗に「お前を退治しようとしていた」と、美鈴にそう言われた気になったのだ。

「だから、どうしようか迷っているのです」
「何が?」
「事務的な用事は無くなってしまったので、ここに来る理由を作らなくてはいけなくなってしまいまして」
「……もう少し分かりやすく言って」
「ふむ……難しい要望ですね」

 美鈴が顎に手を乗せて、考える素振りをする。
 それでも、元より心は決まっていた。

「貴方に会いたいと、そんなところでしょうか」

 予想外の言葉に、ルーミアが驚きの顔をする。

「な、何言ってんの。あたしなんかと会っても何も楽しくないじゃん」
「それは私が決める事ですから」
「意味が分からないわ」

 ルーミアは思いがけない言葉を耳にして、自分の胸が驚くほどに熱くなるのを感じた。

「……私は気を操る事が出来るのです。だから貴方の気も見てとる事が出来てしまいます。きっと、貴方は悲しいのです」
「悲しい? 私が?」
「どうしてかは……私の能力はそれが分かるほど便利ではありませんが、私はそれが知りたい」
「ちょ、ちょっと待ってよ。自分でも分からない事、教えられるわけ無いでしょう」
「でも、それならばどうして貴方は泣いているんです?」
「な、なんでそんな事――!」

 ルーミア自身気がつかないうちに、涙が頬を伝っていた。
 あまつさえ暗闇の向こうだというのに、美鈴にはそれが見えていた。

「私にその顔を見せてください、涙を拭わせて下さい」

 美鈴はその暗闇に手を差し伸べた。
 今まで一度として踏み入れた事の無いルーミアの領域に、その手を差し伸べた。
 薄らと暗闇に浮かぶ白い腕……それがルーミアの視界に揺れる。
 誰かに手を差し伸べられる。
 ルーミアにとって、それは初めての事ではなかった。
 それは二度目……。 
 幾らか前に、名も知らぬ、人間の少女が手を差し伸べてきたではないかと――!
 頭が真っ白になるのと同時にそれを理解した。
 初めて触れた愛の心地がいくらも鮮烈過ぎて、素敵過ぎて、自分にそぐわないものだと思い込み、そして悲しんでいたのだと、ルーミアは悟った。
 自らを悟った。
 それが傍らの白骨に抱く哀憐であり、悲愴であり、後悔だったと。

 ――私はおねえちゃんの事も、愛せるんだって、証明したくて。
 
 誰にも、増して彼女に愛の意味など理解出来るはずもなかったが、それでも知ろうという心が芽生えた。
 目の前の腕に、自分を託すのにはそれで十分だった。
 美鈴の掌が、ルーミアの頬を撫でた。

「こんなに長い事一緒に過ごした時間があったというのに、こうして貴方に触れるのは初めてなんですよね」
「……くすぐったい」
「ふふ、私もです」
「あんたは別にくすぐったくないでしょ」
「心がくすぐったいのです」
「…………なんとなく……分かるかも、しれない」

 ルーミアが小さく呟く。
 美鈴はそれを聞くと、柔らかく微笑み、そっとその手を離した。

「アイリスという花をご存知ですか?」
「……今日も花の話?」
「そうです。今日は、ちょっとお見せしたいと思っていて」
「無理よ、そんなの」
「なので、今日は無理をしてみようかと思いまして」
「へ?」
「はっ!!」

 ルーミアが気の抜けた声を出して、美鈴が掛け声を上げ……その直後、ルーミアの視界は黒から虹色にすり替わった。
 爆音が響き、木の軋む音がする。風が吹きすさび、つまり小屋の屋根が、美鈴の放った七色の弾幕によって吹き飛んだ。
 


 九

 ルーミアには自身に何が起こっているのか分からなかった。
 膝を抱えたままの姿で、急に辺りを虹色に包まれたのだ。
 闇を振り払う光は虹色。
 痛みを飲みこみ鮮やかに、柔らかにルーミアを包み込む。
 包まれて、ルーミアはそこに美鈴の感情の奔流を感じた。
 それに飲まれないようにと立ち上がった。 
 次第に鮮明になる視界から、空を舞う虹色の弾幕を見た。
 長い事暗闇に包まれていたルーミアにとって、その光は眩しすぎたが、彼女は決して目を逸らそうとはしなかった。
 その弾幕が、それこそ虹のように彼方へ飛散していって、後に残ったのは――

「……虹だ」

 雨上がり、空に掛かった虹だった。 
 知らぬ間に止んだ雨。
 吹き飛んでしまった屋根の代わりに、頭上には虹が浮かんでいた。

「やっと会えた」

 美鈴は微笑んで、一輪の花をルーミアに差し出した。
 薄紫のその花は菖蒲(アヤメ)。
 アイリスの花。

「あ、あたし……」

 肩を小刻みに震わせて、ルーミアが美鈴の手からアイリスの花を受け取った。
 ルーミアの目尻にまた薄らと涙が浮かぶ。
 それが溢れそうになったところで、それを美鈴の指先が拭った。
 拭って、その指先を美鈴がついばむ。

「しょっぱいですね、涙の味は」
「ぷっ、何言ってるのよ」

 元より赤い目をもっと赤くしながら、ルーミアが笑う。

「ははは、いえいえ……ほら、貴方の涙を食べちゃおうと、そんな事を思いまして」
「もう、変なの」
「ふふっ、言いましたでしょう。私は自分の事しか考えられない典型的な妖怪なのです。私が貴方の笑顔を見てみたいと思ったのだから、その通りにするだけなのです」
「……ありがとう」
「アイリス、虹って意味なんですよ。私は貴方と、虹が見たかったから」
「虹を……初めてじゃないのに、初めて見たような、そんな気がする」
「私は貴方を初めて見たはずなのに、そんな気がしませんね」
「思っていたよりずっと、可愛らしいでしょ?」
「ふふ、そうですね」
「ま、まぁ……あんたも、思っていたより、ずっとカッコいいわ」
「ありがとうございます」 
 
 青空の下、二人は出会った。
 虹の下、虹の名を冠した花が、少女の手の中で揺れていた。
 アイリス、その花言葉に「愛」がある事を、ルーミアはまだ知らない。 

 

 十
 
「あー、アレなんですね。その闇、自分で何とか出来ないものなんですか?」
「うーん……なんか知らないうちにこうなっちゃったから、どうすればいいのかよく分からないの。そのうち操れるようになるんじゃないの」

 しばらくして、二人は村を離れ、丘の上の木陰で涼んでいた。
 昼間であるというのに、やはりルーミアの周囲は闇に囲われていた。

「ふむ……随分と楽観してますね」
「時間はいくらでもあるもの」
「やはり力が強すぎるんですよ。ルーミアが思っている以上に」
「そーなのかなー。良く分かんないけど、ただ最近はすごく弱くなった気がする」
「気がするだけでしょう?」
「たぶんこれのせい」
「それは……ロザリオ?」
「ロザリオ?」
「そうです。十字架を模してあるでしょう。私も詳しくは知らないですが、それでお祈りをするのです」
「お祈り、かぁ。ま、落とさないように気をつけないとね」

 呟きながら彼女はあの晩を思い出していた。あの少女を思い出していた。
 ルーミアは自分があまり賢くない事を理解していたから、あの晩を忘れないように、愛という存在を忘れないように、それを持ち歩く事にした。

「でもあんまり触っていたくない……これ」  
「ん、そうだ。よろしければそのロザリオ貸してはもらえませんか?」

 美鈴は思いついたように声を上げた。

「ん、いいけど、どうすんの?」
「ちょっとばかり思いついた事があるのです」

 そして悪戯っぽく微笑んだ。



 十一

 その晩。
 屋根の無い小屋で、夜の帳よりも真っ暗な闇の傍ら、美鈴は針を動かしていた。
 微かに寝息が聞こえるだけで、他には何も聞こえない。
 美鈴のいつも首に巻いていた上等な赤いスカーフは、今や引き裂かれ、美鈴の手によって他の物に生まれ変わろうとしていた。
 小さなロザリオが動き回らないようにと丁度良い大きさをしていた手近なお札でくるみ、それをスカーフの切れ端で丁寧に包み込んだ。
 美鈴は手を動かしながら、なるほど、小さなこれをなくさないようにするのはルーミアにとっては少し大変かもしれないと、そんな事を思った。
 包み込み、縫い終えた後にスカーフの余った部分を広げて、根元が安定するようにと再びしっかりと縫い込む。
 そうしてスカーフは、幾らか大きいリボンに生まれ変わった。
 もとよりさほど大きくなかったロザリオは重さを殆ど感じさせない。
 美鈴は虹の下で見た飾りっ気ない黒い服をまとったルーミアを気に掛けて、せめて何か、と考えていた。
 これなら髪飾りになるだろう。 
 美鈴は寝息の聞こえる、暗闇を覗き込んだ。
 何も見えなかったが、ルーミアに良く似合うであろう事は想像に容易かった。

 


 
 ~虹に捧げるアイリスの花~


 


「美鈴」
「はーい。なんですか、咲夜さん」

 如雨露を手にして、美鈴が振り向く。
 紅魔館。中庭へ続く渡り廊下で美鈴は呼び止められた。

「いや、貴方の部屋を掃除していたのよ」
「そ、掃除って……そんな事して頂かなくても」
「今日ばかりは、珍しく仕事が無くて暇なのだわ」
「それなら私の仕事を――」
「水やりかしら? それくらいなら」

 美鈴は予想外の返答に目を丸くした。
 どんな気まぐれかは分からなかったが、美鈴自身は却下されるつもりでいたから。

「い、いえいえいえ! 冗談ですって!」

 中庭の草花への水やり。
 これは草花達にとっても日課であったが、なにより美鈴にとっての日課、だったのだから。
 
「あら、そう? じゃなくて……そう。貴方の部屋を掃除していたの」
「はい。それがどうかしましたか?」
「何かしら、これは。巫女の真似事でも始めようってつもりかしら?」
「あ、あぁ……」

 咲夜が手にしていたのはお札だった。
 
「それはですね、昔、僵屍というものの退治を生業としていまして、まぁその頃の名残です」
「僵屍、ねぇ……まさかお嬢様の寝首を掻こうだなんて思っていないわよね?」

 美鈴はなるほどそういう意図で、と「掃除」とやらに納得の表情を浮かべる。
 最も、美鈴にとっては咲夜もまた曲者に思えたが。 

「随分昔のお札ですし、そもそも吸血鬼や普通の妖怪には効き目が無いんですよ。というか、まぁ願掛けのようなものですからね」

 そう言うと美鈴はクスリと笑った。
 咲夜がその顔を不思議そうに見つめ返す。 

「そうなんです。効き目は無いんです」
「どうしたのよ、笑っちゃって」
「いえいえ。もし気になるのであれば捨ててしまって構いませんよ。っと、そろそろ行かないと」
「……ふぅん。またあの子?」
「ですね」
「随分と仲が良いようだけど、貴方たちはどこで知り合ったの?」
「さて、なんせ昔の事ですからね……ってそんなに仲が良いように見えますか?」

 美鈴が少し嬉しそうに、そんな事を言う。

「あのね。屋敷に彼女を忍び込ませて、私たちと一緒にこちらに連れてきたのは貴方の仕業でしょう?」
「そんな事もしましたね」
「あの時、気がついていて放っておいたんだから。お嬢様には感謝なさい」
「あら、それは初耳です」
「話していなかったもの」
「ふふ、そうでしたか。それでは、失礼しますね」

 如雨露を片手に、美鈴は中庭へと出て行った。
 咲夜は美鈴を見送ってから、お札を眺めまわした後に、自らの額にそれを張り付けてみた。

「…まぁ、人間だものね」
 
 
 ・


 美鈴は渡り廊下から陽の下に歩み出て、そうして蒼い空を見上げた。

「そろそろ時間、かな」

 美鈴が小さく呟くと、視界の隅に黒い塊が漂っているのが見えた。
 その気を引くように、美鈴が如雨露を振り上げる。
 水が飛散して、煌びやかに光を反射する。霧状に、はらはらと草花が水を浴びる。
 そしてその後に小さな虹が掛かった。
 それに気がついたのか、闇の塊が美鈴の方へと向かってくる。
 いつも決まって、この時間に彼女は来るのだ。

「相変わらず綺麗な虹ね」

 ルーミアが辺りの闇を霧散させながら、中庭に降り立った。

「私には、その暗闇の黒色が羨ましくもあるのです」

 虹色に、黒は含まれぬ。それを良く知っているのは美鈴自身だった。

「えー、贅沢。っとそうだ、リボン曲がってない? 大丈夫?」
「そうですね……」
 
 呟きながら美鈴はルーミアのリボンを優しく結び直した。

「っと、これで綺麗ですよ、ルーミア」
「ありがとう、って面倒よね。あんたがお札なんて入れるから」

 どうしてだか、ルーミアはそのリボンに触れる事が出来なかった。
 だから最初、美鈴はルーミアにリボンをつけるのに苦労したのだ。
 アイリスの花を手渡した時のように虹色の弾幕を放ち、暗闇を払って……そんな面倒な手はずで、美鈴は恥ずかしがるルーミアにリボンをつけた。
 それからだった。
 ルーミアが自身の暗闇を操れるようになったのは。
 
 彼女が心のどこかでロザリオに触れる事を拒否しているのか、それとも美鈴が「仕込んだ」というお札を意識してしまって触れる事が出来ないのか。
 ルーミアに対してお札が意味を為さない事は美鈴も分かっていたが、それは敢えて黙っている事にした。
 ただ少なくとも、ルーミアにはそのリボンに触れる事は出来なかった。
 それと引き替えに、彼女は自らを覆う闇を操れるようになった。
 それは事実であった。
 自分の感情を、少しは操れるようになったという事。

「でも、ロザリオはなくさないで済みますよ?」
「もう、そういう問題じゃ無いじゃん」
「ふふっ……あら? それは?」
「あ、そうそう。手に持ってるのに忘れちゃうところだった。アイリスの花が、湖のとこに咲いていたの。綺麗だったから、美鈴にも見せたくて」
「くれるんですか? 嬉しいです。すぐに花瓶を用意しないと」
「別に急がなくても平気じゃないの?」
「日差しも強いですからね。切り花はすぐに弱ってしまいます」

 呟くと、手で日差しを使って空を仰ぎ見る。

「そーなのかー。あーあ、今日もやっぱりなんか力が出ないー。これが無ければなー」

 ルーミアが頭に付いた、紅いリボンを揺らしながら呟く。

「捨ててしまえば良いんじゃないですか?」

 美鈴が悪戯っぽく笑って見せる。

「出来ないんだってば。分かってる癖に……」

 それは自ら外せないという意味だけでなくて、美鈴からの贈り物であったからで、そして少女のロザリオだったから。

「ふふ、もちろんです」
「あー、そうだ。今度お散歩しましょ。そうね、湖の畔にでも」
「それは素敵なお誘いです。喜んで。良い天気ですしね、この頃」
「あんた、良い天気、って口癖でしょ? 随分前から聞いている気がするわ」

 ルーミアがクスクスと笑いながら言う。 

「さて、どうだったか……」
「ま、いいわ。んじゃ」
「えぇ、また」

 そう言って手を振ると、美鈴は再び上昇していく闇の塊を見送った。

「虹の花、か」

 呟く。
 手にしたアイリスの花を、先にルーミアがしたのと同様に、愛おしそうに眺めて。
 

 ・


 紅魔館を飛び去った後、ルーミアはいつものように行く宛てもなく空を漂っていた。
 ふと、村はずれの農家の裏から泣き声が聞こえた。
 ルーミアはすぅっとそれに引き寄せられて、そして蹲って泣き声を上げる少女を見下ろしていた。
 闇を霧散させると、その少女が鳶色の髪をしているのに気がついた。
 その鳶色が、まだらに汚れていた。
 鳶色でありながら、黒々しい。
 ルーミアはその色にどこか見覚えがあったが、いつ見たのか、それが何だったのかを思い出せずにいた。
 みすぼらしいが、彼女は洋装をしている。
 すると……里の子ではないのか。

「どうしたの?」

 ルーミアが声をかけると、少女が肩をびくつかせながら、振り向いた。

「……おねえちゃんは、お腹が空いているの?」
「うん」
「おねえちゃんは……妖怪?」
「うん」

 既視感に背筋が凍る。  

「ルーミアおねえちゃんは、私を食べようとする?」

 一瞬、ルーミアは何が起こったのか理解できなかった。
 一瞬では無い。
 事実、数拍経ってもそれを理解出来なかった。
 少女が、自分の名前を知っている理由が分からなかった。

「…………さ、さあ。あ、でも」

 だがうろたえたのは一瞬で、呟いてから、ルーミアは指先で少女の涙を拭って、その指先を舐めた。

「しょっぱ」 
「ぷっ、おねえちゃん、何やってるの?」
「何って、君の涙を食べてあげようと思ったの」
「あはは、おねえちゃん面白いね」
「まぁねー。んじゃ、ばいばい」

 とにかく、ルーミアはこの少女の前からから逃げ出したかった。
 平常を保つ心の裏で、得も言えぬ恐怖を覚えたのだ。
 再び周囲に闇を漂わせて、自分自身に目隠しをする。
 それと同時に、耳元で空気が揺れた。
 囁いた。
 誰が?
 名も知らぬ少女が、囁いた。

















「……今度は、見逃してくれるんだ?」















「ふへっ!?」

 ルーミアが飛び跳ねるように後ろを振り向く。
 暗闇で何も見えなかった。
 ただ、その少女のものと思しき嬌声が遠ざかるのを耳にした。
 風も無いのに、ルーミアの赤いリボンがガサリと揺れた。
 ざわわ・・・ざわわ・・・


 赤い髪したエイリアンが言ってたの。
 「ほら、君の涙を食べちゃおう」
 って。



 ここまで読んでいただいて謝謝です。
 本当はhideちゃんのMiseryの詞からもっとハートフルなのを書こうと思ってたんだ。
 どうしてこうなった。
 というか美鈴が凄く男前になってしまいました。

 本当は5/2に投稿出来ればよかったんだけど……。
 なにかございましたらお気軽にどうぞ。
実里川果実
http://vivaemptiness.blog97.fc2.com/
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コメント



0.1270簡易評価
13.90名前が無い程度の能力削除
ざわ・・・ざわ・・・
19.100名前が無い程度の能力削除
最後に台詞にゾクッしました。おもしろかったです。
22.100v削除
おぉ……何故か分からないけど「吸血鬼ハンターD」を初めて読んだのと同じ感じが。
これは、実に良い"自分勝手"の話。
最後の少女の台詞が……そして受け答えが。いいなぁ…なんて。
23.90蕪城削除
うわぁ怖っ
いいなぁ
面白い
27.90jude削除
ふおお、hideさんとのコラボ?
最初のあたりからまさかとはおもいましたが…。
面白かったです。
29.90ずわいがに削除
美鈴が実に強かですね。やはり妖怪が人間に味方するのは気まぐれか

ルーミアは美鈴によって幻想郷にやって来たのね
それにしても結構ダークでホラーなお話、温かさとぞくぞく感がたまりませんわ
30.100名前が無い程度の能力削除
カッコイイ美鈴、可愛いルーミア、素敵な紅魔館。
彩られたアイリスの花と最後の女の子に、胸に響きました。
面白かったです!
31.80名前が無い程度の能力削除
ホラーっぽさとイイ話を両方楽しめました
美鈴が確かに男前すぎましたねw
35.90名前が無い程度の能力削除
よい雰囲気