生ぬるい風が頬を撫でる。
春も終わり、最近では朝夕でも涼しいという事がない。
ここは山奥で、多少の避暑は出来ているはずなのだけれど。
そろそろチルノの一匹でも攫って来るべきだろうか?
水分を含み、まとわりつくような重たい空気。
その中に、ふと馴染みの無い香りを見つける。
この空気のように肌にまとわりつく、甘ったるい匂い。
紫の香水に似た、忘れがたい香り。
どこから漂ってくるのか、その香を辿ってみる。
香りの出所は庭だった。
そこで女が一人、背中を向けてしゃがんでいる。
香りの元はその女性らしい。
土を掘る音がする。
周りにも何箇所か、掘り返したような跡がある。
じょうろを傍に置いているから、何かの種を植えているのだろう。
私に断りも無く。
不法侵入と土地の不法占有といったところか。
さて、どんな制裁を加えてやろう。
少し様子を見ていると、女が急に立ち上がる。
じょうろを持ち、水を撒いている。
鼻歌まで歌っている。
それらが一段落してから、ようやくこちらを振り向く。
「こんにちわ、霊夢」
「こんにちわ、幽香」
しれっと笑顔で挨拶してくる。
強者は常に笑顔と言うけど、少しは悪びれてもいいだろうに。
それとも、園芸がそんなに楽しかったのか。
幽香の胸元に、一輪の花が挿してある。
ラッパ型の、白くて大きな花。
匂いの元はどうやらこれらしい。
「その花は」
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は?」
「百合の花」
「正解。百合の女王・カサブランカよ。いい香りでしょう」
「そうね。少しくどいくらい」
離れていてもその香がはっきりと分かる。
たった一輪なのに、場の空気を劇的に変えてしまう。
私はもう少し穏やかな香りの方が好みだけどね。
幽香の赤い洋服に、白い花が映えている。
私の服にも似合うだろうか?
いや、やめておこう。
あの香りをずっと嗅いでいたら、鼻がおかしくなってしまいそうだ。
「ここにアサガオを植えさせてもらったわ。後で竹格子を持ってくるから、ちゃんと育ててね」
「事後承諾な上に、管理は人任せなのね。なんで私に頼むのよ」
「神社とアサガオはお似合いだからよ」
「そうかしら?」
「それじゃあ、また来るわね。ごきげんよう、また会う日まで」
日傘を差し、石段を下りていく幽香の後姿を見送る。
やりたい事をやって、言いたいことだけ言ってすぐ帰ってしまった。
まだ百合の香りがしつこく漂っている。
朝顔ねえ。
別に育ててやる義理もないんだけど…。
庭の様子を確認する。
思ったよりも広範囲に植えていったようだ。
順調に行けば、夏には朝顔の壁が出来てしまうだろう。
朝顔と神社。
それも良いかもね。
打ち水のついでに水をやろう。
幽香が植えたのだから、きっと綺麗に咲くことだろう。
朝の日課が一つ増えた。
・・・
百合の香りに気が付いて、目が覚める。
見回してみるが、百合の花などどこにもない。
幽香が残り香を撒いていったのだろうか。
惰性で百合の香を追い、庭まで出る。
今度は幽香はいなかった。
変わりに目に入ったのは、土から顔を出した朝顔の芽。
か細いが、ようやく何株か顔を出した。
これから庭先が賑やかになりそうだ。
ふと縁側に目をやると、妙なものが置かれていた。
『アサガオ観察日記』と銘打たれた和綴じのノートと、色鉛筆。
ノートの中身は真っ白。
私に絵日記でも書けってか。
ノートの隣に饅頭が入った箱と、五円玉が置いてある。
……。
物で釣られたようで気に食わないけど、しばらく付き合ってあげてもいいか。
お茶を淹れて、饅頭をつまみながら絵日記に取り組む。
そういえば、こういうことってあんまりやったことがなかったわね。
幽香が何を考えてるのかは分からないけど、こういうのも悪くないのかも。
朝の日課がまた一つ増えた。
・・・
絵日記をつけ始めてしばらく経った。
毎日欠かさずつけ、今ではそれなりの量になっている。
最近では、日々成長する朝顔を見るのが楽しみになっている。
朝顔は竹格子に蔦を巻きつけ、元気に育っている。
案の定、独特な葉を広げて緑の壁を作ってしまった。
花が咲くのはもう少し先かな。
幽香は種を植えたきり姿を見せない。
余分な葉を切ったり肥料を与えたりと、たまに朝顔の世話をしに来ているらしい。
私はその姿を見たことが無いんだけど。
時には百合の香りを残し、お土産を置きに来ることもある。
私が知らない間にこっそり来て、こっそり帰っているらしい。
もしかしたら、香りを残さずにこっそり来てる事もあるかもしれない。
もしかしたら、縁側に置きっぱなしの絵日記を見ているかもしれない。
もしかしたら、これは幽香以外の誰かの仕業かもしれない。
あいつが何を考えているかはよく分からない。
会いに来たら、お茶の一杯くらい淹れてやるのに。
・・・
梅雨に入った。
幾分涼しくなったものの、この湿気は勘弁して欲しい。
いっそ天界か地底にでも逃げ込んでしまおうか。
下駄を履き、傘を差して外へ出る。
朝顔は元気に育っている。
中には花が咲いている気の早いものまである。
雨のお陰で水遣りの手間が省けていい。
曇りがちな空と違い、鮮やかな花の色。
花弁を叩いて水を跳ねさせる。
憂鬱な曇り空も、これで清算できる思いがする。
朝顔の列をひとしきり眺めた後、別の場所へ足を向ける。
不覚にも最近まで気付かなかったのだが、幽香が植えたのはどうやら朝顔だけではなかったらしい。
赤紫の紫陽花を眺める。
雨に濡れ、官能を覚えるような美しさを醸し出している。
下に死体が埋まっていると、花の色が変わると聞いた覚えがある。
あれは青だったか、赤だったか。
確かめるのは止めておこう。
本当に死体が埋まっていたら洒落にならない。
幽香の事だから、首の一つ二つ埋めていてもおかしくは無い。
知らぬが仏とはこのことか。
くわばらくわばら。
神社周辺を歩いてみる。
他にも幽香は夏の花を植えているらしい。
私に気付かれずに、大したものだ。
雨の中、のんびりと神社を一回り。
赤や青や紫、それに白の花が多いだろうか。
向日葵がないのは少し意外だった。
自分のとこで育てて満足してるのだろうか。
どうせなら、食べられる花を植えてくれればいいのに。
ここを植物園にするつもりはないし、徒花なんて何の役にも立たないじゃない。
まあ、綺麗なのは認めるけどね。
幽香も、この花を見に来るのだろう。
私と顔を合わせないようにしてるのが不思議よね。
・・・
梅雨はまだ明けない。
移り気な紫陽花はその色を変え始めている。
朝顔は蕾が膨らみ始め、直に一斉に咲き誇る事だろう。
雨が多く、引き篭もりがちになるこの季節。
庭に咲いた花はいい慰めになっている。
縁側に座り、雨音に耳を傾け、紫陽花の赤や紫を眺める。
朝顔をじっくりと見つめ、緻密な絵を描く事もある。
憂鬱にならず、いい気晴らしとなっている。
幽香は相変わらず姿を見せない。
時折百合の香を残して行くが、その香も長続きはしない。
まめに手入れをしに来ているようだが、いつやっているのかはさっぱりだ。
百合の強い香りも、時折幽かに漂っているだけならば飽きも来ない。
幽香に会いに行きたい気もするけど、この雨では出かける気にもならない。
そのうち顔を見せに来るのを期待するか。
・・・
百合の香りで目が覚める。
今日は一段と強く香が残っている。
長いこといたのか、出て行ってから間もないのか。
朝顔の様子を見るため、布団を抜け出して庭へと向かう。
縁側には先客が一名。
百合の香が強くなる。
「おはよう、霊夢」
「おはよう、幽香」
相変わらずの笑顔。そして胸元に挿した一輪の百合。
いつもは姿を見せないのに、今日はどういうつもりなのか。
「絵日記、ちゃんと毎日つけているようね」
観察日記の中身を見ている。
日付と絵、それに一言書き添えただけの簡単なもの。
他にすることもないので、絵には多少時間をかけてはいるけれど。
「ただの暇つぶしよ」
「そんな良い子のために、今日は紅茶とクッキーを持ってきました。一緒に食べましょう」
「着替えてくるから、紅茶を淹れておいて」
「はーい」
雨に煙る庭を眺めながらのティータイム。
何でわざわざ紅茶を持ってきたのか、すぐに合点がいった。
百合の香と緑茶では、不調和もいいとこだ。
クッキーを齧る。
甘く、ほんのりと温かい。
この天気では、すぐにしけってしまうだろう。
量もそんなに多くないし、さっさと全部食べてしまうとしよう。
さくさく。
もぐもぐ。
「食い意地張ってるのね。最近では食べる物にも困ってるのかしら?」
「しけったら美味しくないでしょ。一番美味しいうちに食べてあげてるのよ」
「そう、それは嬉しいわね」
「そうよ」
クッキーを食べ終え、紅茶を飲んで一呼吸。
もう百合の香りも気にならなくなってしまった。
「お粗末様でした」
「ご馳走様。これって幽香が作ったの?」
「どうしてそう思うの?」
「何となく。作りたてみたいで温かかったし」
「気に入ったのなら、また持ってくるわ」
「よろしく」
「はいはい」
雨。
雨音のせいで、余計に静寂が身に沁みる。
幽香はずっと庭を見ている。
そして思い出したように、『絵日記』を開いては微笑んでいる。
あんまりじっくり見るな、恥ずかしい。
「思ったより気にかけてくれてるようで安心したわ」
「朝顔のこと?」
「ええ」
「何でここで育てようと思ったの?」
「この場所が好きなのよ。風情があって、適度に寂れてて、花見にはちょうどいいでしょ」
「どうせ寂れてますよ、ここは」
「それに、あなたが好きだから」
「……は?」
「菓子折一つで簡単に懐柔できるんですもの。ペットみたいなものよね」
「さいですか」
「まあ、一番納得できる理由を適当に考えてくれていいわ。
私はただ、綺麗な花が見たかっただけだもの」
「そうね。理由なんてそんなものよね」
「梅雨が明けて、アサガオが咲く頃にはまた来るわ。それまでごきげんよう」
雨の中、ピンク色の傘を差してふらふらと飛んで行く。
太陽の畑に帰るのだろう。
向日葵は今どうなっているか、聞いておけばよかったかな。
・・・
翌日。
部屋に百合の香が漂い、例によって縁側に手土産が置いてあった。
幽香の仕業に違いない。
しばらく来ないようなことを言っておいて、昨日の今日でやってくるとは。
そろそろ本気で空き巣用の結界でも張るべきだろうか。
空を見ると、久方ぶりの青空と白い雲。
庭では露に濡れた朝顔が一斉に花開いている。
幽香はこれを見に来たのだ。
最後の日記をつけるべく、アサガオ観察日記を開く。
今日の分のページに、既に絵が描かれていた。
赤と紫の色鮮やかな朝顔の絵と、押し花が作ってある。
そして一言、『お疲れ様』と書かれていた。
何だか悔しかったので、文を呼んで朝顔の写真を撮ってもらう事にした。
その写真を貼り、横に種の絵を描いて『また来年』と書き添える。
種を採って和紙で包み、絵日記と一緒にしまう。
今年の宿題はこれでお終い。
花の世話はほとんど幽香がやって、私はたまの水遣りと花を見ているだけだった。
もしかしたら、私に花を見て欲しいだけだったのかもしれない。
幽香の意図を考えるだけ時間の無駄かな。
とりあえず、綺麗な花が見れて満足だ。
昼になり、朝顔も萎んでしまった。
百合の香も失せてしまった。
幽香はこれからも神社に来るのだろうか?
……。
直接聞きに行けばいいか。
ついでにカサブランカも貰ってこよう。
向日葵が咲いているなら、しばらく眺めてこよう。
秋の花を教えてもらうのもいいかもしれない。
よし。
暑くなる前に、気紛れな花の精を捕まえにいくとしようか。
春も終わり、最近では朝夕でも涼しいという事がない。
ここは山奥で、多少の避暑は出来ているはずなのだけれど。
そろそろチルノの一匹でも攫って来るべきだろうか?
水分を含み、まとわりつくような重たい空気。
その中に、ふと馴染みの無い香りを見つける。
この空気のように肌にまとわりつく、甘ったるい匂い。
紫の香水に似た、忘れがたい香り。
どこから漂ってくるのか、その香を辿ってみる。
香りの出所は庭だった。
そこで女が一人、背中を向けてしゃがんでいる。
香りの元はその女性らしい。
土を掘る音がする。
周りにも何箇所か、掘り返したような跡がある。
じょうろを傍に置いているから、何かの種を植えているのだろう。
私に断りも無く。
不法侵入と土地の不法占有といったところか。
さて、どんな制裁を加えてやろう。
少し様子を見ていると、女が急に立ち上がる。
じょうろを持ち、水を撒いている。
鼻歌まで歌っている。
それらが一段落してから、ようやくこちらを振り向く。
「こんにちわ、霊夢」
「こんにちわ、幽香」
しれっと笑顔で挨拶してくる。
強者は常に笑顔と言うけど、少しは悪びれてもいいだろうに。
それとも、園芸がそんなに楽しかったのか。
幽香の胸元に、一輪の花が挿してある。
ラッパ型の、白くて大きな花。
匂いの元はどうやらこれらしい。
「その花は」
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は?」
「百合の花」
「正解。百合の女王・カサブランカよ。いい香りでしょう」
「そうね。少しくどいくらい」
離れていてもその香がはっきりと分かる。
たった一輪なのに、場の空気を劇的に変えてしまう。
私はもう少し穏やかな香りの方が好みだけどね。
幽香の赤い洋服に、白い花が映えている。
私の服にも似合うだろうか?
いや、やめておこう。
あの香りをずっと嗅いでいたら、鼻がおかしくなってしまいそうだ。
「ここにアサガオを植えさせてもらったわ。後で竹格子を持ってくるから、ちゃんと育ててね」
「事後承諾な上に、管理は人任せなのね。なんで私に頼むのよ」
「神社とアサガオはお似合いだからよ」
「そうかしら?」
「それじゃあ、また来るわね。ごきげんよう、また会う日まで」
日傘を差し、石段を下りていく幽香の後姿を見送る。
やりたい事をやって、言いたいことだけ言ってすぐ帰ってしまった。
まだ百合の香りがしつこく漂っている。
朝顔ねえ。
別に育ててやる義理もないんだけど…。
庭の様子を確認する。
思ったよりも広範囲に植えていったようだ。
順調に行けば、夏には朝顔の壁が出来てしまうだろう。
朝顔と神社。
それも良いかもね。
打ち水のついでに水をやろう。
幽香が植えたのだから、きっと綺麗に咲くことだろう。
朝の日課が一つ増えた。
・・・
百合の香りに気が付いて、目が覚める。
見回してみるが、百合の花などどこにもない。
幽香が残り香を撒いていったのだろうか。
惰性で百合の香を追い、庭まで出る。
今度は幽香はいなかった。
変わりに目に入ったのは、土から顔を出した朝顔の芽。
か細いが、ようやく何株か顔を出した。
これから庭先が賑やかになりそうだ。
ふと縁側に目をやると、妙なものが置かれていた。
『アサガオ観察日記』と銘打たれた和綴じのノートと、色鉛筆。
ノートの中身は真っ白。
私に絵日記でも書けってか。
ノートの隣に饅頭が入った箱と、五円玉が置いてある。
……。
物で釣られたようで気に食わないけど、しばらく付き合ってあげてもいいか。
お茶を淹れて、饅頭をつまみながら絵日記に取り組む。
そういえば、こういうことってあんまりやったことがなかったわね。
幽香が何を考えてるのかは分からないけど、こういうのも悪くないのかも。
朝の日課がまた一つ増えた。
・・・
絵日記をつけ始めてしばらく経った。
毎日欠かさずつけ、今ではそれなりの量になっている。
最近では、日々成長する朝顔を見るのが楽しみになっている。
朝顔は竹格子に蔦を巻きつけ、元気に育っている。
案の定、独特な葉を広げて緑の壁を作ってしまった。
花が咲くのはもう少し先かな。
幽香は種を植えたきり姿を見せない。
余分な葉を切ったり肥料を与えたりと、たまに朝顔の世話をしに来ているらしい。
私はその姿を見たことが無いんだけど。
時には百合の香りを残し、お土産を置きに来ることもある。
私が知らない間にこっそり来て、こっそり帰っているらしい。
もしかしたら、香りを残さずにこっそり来てる事もあるかもしれない。
もしかしたら、縁側に置きっぱなしの絵日記を見ているかもしれない。
もしかしたら、これは幽香以外の誰かの仕業かもしれない。
あいつが何を考えているかはよく分からない。
会いに来たら、お茶の一杯くらい淹れてやるのに。
・・・
梅雨に入った。
幾分涼しくなったものの、この湿気は勘弁して欲しい。
いっそ天界か地底にでも逃げ込んでしまおうか。
下駄を履き、傘を差して外へ出る。
朝顔は元気に育っている。
中には花が咲いている気の早いものまである。
雨のお陰で水遣りの手間が省けていい。
曇りがちな空と違い、鮮やかな花の色。
花弁を叩いて水を跳ねさせる。
憂鬱な曇り空も、これで清算できる思いがする。
朝顔の列をひとしきり眺めた後、別の場所へ足を向ける。
不覚にも最近まで気付かなかったのだが、幽香が植えたのはどうやら朝顔だけではなかったらしい。
赤紫の紫陽花を眺める。
雨に濡れ、官能を覚えるような美しさを醸し出している。
下に死体が埋まっていると、花の色が変わると聞いた覚えがある。
あれは青だったか、赤だったか。
確かめるのは止めておこう。
本当に死体が埋まっていたら洒落にならない。
幽香の事だから、首の一つ二つ埋めていてもおかしくは無い。
知らぬが仏とはこのことか。
くわばらくわばら。
神社周辺を歩いてみる。
他にも幽香は夏の花を植えているらしい。
私に気付かれずに、大したものだ。
雨の中、のんびりと神社を一回り。
赤や青や紫、それに白の花が多いだろうか。
向日葵がないのは少し意外だった。
自分のとこで育てて満足してるのだろうか。
どうせなら、食べられる花を植えてくれればいいのに。
ここを植物園にするつもりはないし、徒花なんて何の役にも立たないじゃない。
まあ、綺麗なのは認めるけどね。
幽香も、この花を見に来るのだろう。
私と顔を合わせないようにしてるのが不思議よね。
・・・
梅雨はまだ明けない。
移り気な紫陽花はその色を変え始めている。
朝顔は蕾が膨らみ始め、直に一斉に咲き誇る事だろう。
雨が多く、引き篭もりがちになるこの季節。
庭に咲いた花はいい慰めになっている。
縁側に座り、雨音に耳を傾け、紫陽花の赤や紫を眺める。
朝顔をじっくりと見つめ、緻密な絵を描く事もある。
憂鬱にならず、いい気晴らしとなっている。
幽香は相変わらず姿を見せない。
時折百合の香を残して行くが、その香も長続きはしない。
まめに手入れをしに来ているようだが、いつやっているのかはさっぱりだ。
百合の強い香りも、時折幽かに漂っているだけならば飽きも来ない。
幽香に会いに行きたい気もするけど、この雨では出かける気にもならない。
そのうち顔を見せに来るのを期待するか。
・・・
百合の香りで目が覚める。
今日は一段と強く香が残っている。
長いこといたのか、出て行ってから間もないのか。
朝顔の様子を見るため、布団を抜け出して庭へと向かう。
縁側には先客が一名。
百合の香が強くなる。
「おはよう、霊夢」
「おはよう、幽香」
相変わらずの笑顔。そして胸元に挿した一輪の百合。
いつもは姿を見せないのに、今日はどういうつもりなのか。
「絵日記、ちゃんと毎日つけているようね」
観察日記の中身を見ている。
日付と絵、それに一言書き添えただけの簡単なもの。
他にすることもないので、絵には多少時間をかけてはいるけれど。
「ただの暇つぶしよ」
「そんな良い子のために、今日は紅茶とクッキーを持ってきました。一緒に食べましょう」
「着替えてくるから、紅茶を淹れておいて」
「はーい」
雨に煙る庭を眺めながらのティータイム。
何でわざわざ紅茶を持ってきたのか、すぐに合点がいった。
百合の香と緑茶では、不調和もいいとこだ。
クッキーを齧る。
甘く、ほんのりと温かい。
この天気では、すぐにしけってしまうだろう。
量もそんなに多くないし、さっさと全部食べてしまうとしよう。
さくさく。
もぐもぐ。
「食い意地張ってるのね。最近では食べる物にも困ってるのかしら?」
「しけったら美味しくないでしょ。一番美味しいうちに食べてあげてるのよ」
「そう、それは嬉しいわね」
「そうよ」
クッキーを食べ終え、紅茶を飲んで一呼吸。
もう百合の香りも気にならなくなってしまった。
「お粗末様でした」
「ご馳走様。これって幽香が作ったの?」
「どうしてそう思うの?」
「何となく。作りたてみたいで温かかったし」
「気に入ったのなら、また持ってくるわ」
「よろしく」
「はいはい」
雨。
雨音のせいで、余計に静寂が身に沁みる。
幽香はずっと庭を見ている。
そして思い出したように、『絵日記』を開いては微笑んでいる。
あんまりじっくり見るな、恥ずかしい。
「思ったより気にかけてくれてるようで安心したわ」
「朝顔のこと?」
「ええ」
「何でここで育てようと思ったの?」
「この場所が好きなのよ。風情があって、適度に寂れてて、花見にはちょうどいいでしょ」
「どうせ寂れてますよ、ここは」
「それに、あなたが好きだから」
「……は?」
「菓子折一つで簡単に懐柔できるんですもの。ペットみたいなものよね」
「さいですか」
「まあ、一番納得できる理由を適当に考えてくれていいわ。
私はただ、綺麗な花が見たかっただけだもの」
「そうね。理由なんてそんなものよね」
「梅雨が明けて、アサガオが咲く頃にはまた来るわ。それまでごきげんよう」
雨の中、ピンク色の傘を差してふらふらと飛んで行く。
太陽の畑に帰るのだろう。
向日葵は今どうなっているか、聞いておけばよかったかな。
・・・
翌日。
部屋に百合の香が漂い、例によって縁側に手土産が置いてあった。
幽香の仕業に違いない。
しばらく来ないようなことを言っておいて、昨日の今日でやってくるとは。
そろそろ本気で空き巣用の結界でも張るべきだろうか。
空を見ると、久方ぶりの青空と白い雲。
庭では露に濡れた朝顔が一斉に花開いている。
幽香はこれを見に来たのだ。
最後の日記をつけるべく、アサガオ観察日記を開く。
今日の分のページに、既に絵が描かれていた。
赤と紫の色鮮やかな朝顔の絵と、押し花が作ってある。
そして一言、『お疲れ様』と書かれていた。
何だか悔しかったので、文を呼んで朝顔の写真を撮ってもらう事にした。
その写真を貼り、横に種の絵を描いて『また来年』と書き添える。
種を採って和紙で包み、絵日記と一緒にしまう。
今年の宿題はこれでお終い。
花の世話はほとんど幽香がやって、私はたまの水遣りと花を見ているだけだった。
もしかしたら、私に花を見て欲しいだけだったのかもしれない。
幽香の意図を考えるだけ時間の無駄かな。
とりあえず、綺麗な花が見れて満足だ。
昼になり、朝顔も萎んでしまった。
百合の香も失せてしまった。
幽香はこれからも神社に来るのだろうか?
……。
直接聞きに行けばいいか。
ついでにカサブランカも貰ってこよう。
向日葵が咲いているなら、しばらく眺めてこよう。
秋の花を教えてもらうのもいいかもしれない。
よし。
暑くなる前に、気紛れな花の精を捕まえにいくとしようか。
梅雨はいいね、堂々と籠もれる
まさにそれだと私は感じました。
……下戸ですけど。
甘口や辛口も、もちろん好きなのですが、偶にはこのような銘酒で
気分良く酔いたいですよね。
……下戸ですけど。
最後にまたほっとするようなお話でした。
紫陽花豆知識
アジサイは毒があるから、食べると嘔吐、痙攣、麻痺などを起こして死ぬ場合がある
らしいですよ?
観察日記なんてしたこと無かったなぁ
霊夢と幽香の距離感が凄くいい。
観察日記なんか小学生以来やってませんな。
これで明日からも仕事頑張れる
これはいいですね
香りを残すというのが良いなあ。
なんとも穏やかな時間。
落ち着いた気持ちになれました、ありがとう
雰囲気と香りを楽しませていただきました。
素敵です、幽香お姉さま。
さて、私もちょっくら踏まれてきますか。
ゆうかれいむは、俺のジャスティス!!
まっすぐな霊夢とお姉さんな幽香が素晴らしい作品でした。
全くその通り。
一緒にいるけどそれぞれ自分の目線を持ってるって素敵だよなぁ。
アジサイの描写では花言葉が「移り気」なだけに、別の話で梅雨時にミディスンを囲うものがあったので、ゆうかりんはそっちに行っちゃったのかと思った。