踊れ妖精、歌い狂え。
この幻想郷を、稚拙に彩れ。
☽
朝。
温かく優しい光の心地よさに、ルナチャイルドは目を覚ました。ぼんやりと浮いたような意識でしばらく感覚に任せるままに横になっていたが、やがて起き上がり、思い切り伸びをして、そして再び横になった。
春。息吹の季節。春眠暁を覚えずとはよく言ったもの、とても起きる気にはなれなかった。とはいえ、春は月の光すらどこか優しい。太陽より月の光のほうが好きなルナチャイルド、この頃は一日中寝ようとすることも珍しくなかった。
このまま永眠しようかしら。そんなことを考えている最中、
「ルナー、もう昼になっちゃうわよー」
という、良く通る体に響く、しかし決して不快ではない声が扉の向こうから聞こえてきた。
その声に「むぅー」という唸り声で返事をして、今度こそ起き上がり、ベッドから這い出た。あと半日ぐらい横になっていたかった。
リビングとして使っている部屋に入ると、スターサファイアが遅い朝食の準備をしていた。
「おはよう」
「おはよう」
「明日はルナが食事当番よ」
「うえあ」
衝撃的に面倒くさかった。
「ふうき味噌にしようかしら」
「サニーが嫌がるわよ」
「なんであの美味しさが分からないのか」
「それは同感」
椅子に座る。卵焼きの甘い匂いにお腹を刺激される。
「サニーは?」
「まだ寝てる。昨日大分酔ってたからねぇ。ルナもサニーも」
「そうだっけ?」
そういえば、少し頭が痛む。
「起こしてきてくれる?」
「分かった」
サーニーミルクを起こしに行こうと席を立ち上がろうとしたところで、リビングの扉がバーンと大きな音を立てて開いた。
そして、
「月に行くわよ」
下着姿のサニーミルクが第一声、叫ぶようにそう言いながら部屋に入ってきた。
「…………」
「…………」
「…………」
静寂。
「おはよう」
「おはよう」
「二日酔いにも限度ってものがあると思うわ」
「そうじゃなくて!」
テーブルまでずんずんと歩いて来て、椅子に座って、卵焼きを手掴みで口に運びながら、尚もハイテンションで捲し立てるサニー。
スターにお玉で殴られた。
「痛い」
「行儀が悪いわ」
「ごめん……」
深刻な二日酔いのようだ。
「じゃなくて!昨日話したじゃない!月のこと!」
「うん?そうだっけ?」
全然記憶に無かった。
「あー。なんか話してたわね、そんなこと」
スターは覚えているようだった。
スターは三人の中で一番お酒に強い。
「全然覚えてない」
「ルナってば、話し聞きながらうんうん頷いてただけだったじゃない」
「そうだっけ……?」
「なんですと!?」
「仕方ないじゃない。お酒に潰されちゃったんだから」
「もう、そんなんで!妖精の名が泣かせるよ」
「あ、そう」
最弱の誇りってやつだろうか。
「で、月の話ってなんだっけ?」
「だから……!」
「とりあえずご飯の支度ができたから、食べちゃいましょう」
「あ、うん」
大人しく従うサニー。ご飯の力は絶大である。
「「「いただきまーす」」」
むぐむぐとご飯を咀嚼しながら、箸で私を指すサニー。
「月の話っていうのは……!」
「行儀が悪い」
静かに注意するスター。
「あ、うん、ごめん」
箸を下ろし、「だから!」と続けるサニー。
「月の話っていうのは、こないだ巫女と魔理沙さんと他数名で、ロケットで月に旅行に行ったらしいって話」
「ああ、それね」
なんでも紅い悪魔の館『紅魔館』の面々と、ロケットで月に飛び立って月の民にぼこぼこにされたとかなんとか。
「それが?」
「だから、私達も月に行こうって!」
「…………」
卵焼きを咀嚼するのを中断する。そして、ため息を吐いた。また頭が春全開なこと言いだしたこの子。
「どうやって?」
「それを考えるのよ」
「どうやって?」
「私達で!」
再度ため息を吐く。無理難題とはこのことだ。
「巫女が行けたんだから、私達が行けない道理は無い!」
「あるわよ」
「無い!」
「いいんじゃないの?面白そうだし」
微笑みながらサニーの案を支持するスター。どうせ無理だろうけどという雰囲気に満ち満ちていたが、そんなことお構いなしに、サニーはますますテンションを上げ、口に含んだご飯を撒き散らしながら意気揚々と私に宣言した。
「多数決の結果、二体一!決まりね!今日は月に行く方法を探すわよ!」
一日でその方法を見つけるつもりらしい。いかにもサニーらしかった。
ま、いいか。面白そうだし。
「ごちそうさま」
「ご馳走様でした」
「ごちそうさま!さて、早速出発よ!早く準備準備!」
言うが早いか、サニーは飛ぶようにリビングから出ていった。
「私は片付けがあるからちょっと遅れるかも」
「ん、手伝うよ」
「ありがと」
二人で食器を洗っている間に、上の方でどったんばったんという騒音が聞こえてきた。
さて、今日も一日が始まる。
☆
「まずは月に行った張本人達に話を聞きに行こう!」
ということで、場所は博麗神社(徒歩四分)。の、神社を囲う茂みの中。なぜこんなところで境内の掃除をしている紅巫女を観察しているかというと、来たはいいが話しかける決心が付かずだらだらと時間を無駄にしているといういかにもヘタレな理由。いや、いかにも妖精らしい、か。
「ス、スター。ちゃっちゃと話を聞きに行ってよ」
「なんで私が?ここは言いだしっぺであるサニーが行くべきだわ。それか、間を取ってルナね」
「自分だけを選択肢から外すな!」
と、責任の擦り付け合いという漫才をやっていると、
「なにやってんだ?お前ら」
「「う、うひゃあぁあああぁあ!!」」
唐突に後ろから誰からか声を掛けられ、三人は驚愕の声を上げながら飛びあがった。
「べつに取って喰いはしないよ……」
振り向いてみれば、そこにいたのは霧雨 魔理沙だった。箒を肩に担ぎ、呆れたようにこちらを見ている。
「あ、魔理沙さん」
「おう。普通の魔法使いの魔理沙さんだぜ。で、お前らなにやってんだよ」
「サニーが自分の能力で虫眼鏡を使うようにして博麗神社を燃やせないか実験してました。私とルナはただの見学です」
「嘘を言うな!嘘を!」
返答の代わりにボケ突っ込みを披露するサニーと私。もちろんボケが私。
しかし魔理沙はそんなボケ突っ込みは気にせず、周りをきょろきょろと見回した。
「ん?ルナ?もう一匹はどこ行ったんだよ」
「え?」
そういえば、先ほどの叫び声は二重にしかなっていなかった。
ルナはショックで気絶してぶっ倒れていた。
「ル、ルナー!」
「……ひょっとすると、私は殺人犯か?」
「殺妖犯です」
「犯罪チックな響きだな。私はそんな趣味無いはずなんだが」
「は、早く起こしてー!」
蘇生。
「で、なにしてんだ?お前ら」
地面に突っ伏しているルナは無視して、三度目の質問を投げかける魔理沙。それに答える私。
「魔理沙さんはこの間、月に旅行に行かれたとかなんとか」
「ん、おう。行ったな」
「そのときの色々をインタビューに来ました」
最初は紅巫女に対して。まあインタビューの順序はどうでもいいだろう。
「ふーん。なんだ、随分と遅いインタビューだな」
「妖精ですから」
「ふむ」
しかし魔理沙がそのインタビューに答える前に、茂みの向こうから声が掛かった。
「なにやってんのよ、そこ。さっきっから煩いわね」
「私の独占インタビューだとよ」
茂みから出ながら応じる魔理沙。三人は魔理沙の影に隠れるようにその後に付いていく。
「あんたの?誰が?」
「この妖精達だ」
「なんの?」
「私がどれだけ偉大かという云々だな。本にして五冊にもなる」
「ふーん。一冊一ページも無い本っていうのも、確かに斬新かもね。売れないだろうけど」
そんな軽口を叩きあう二人に、やはり私が割り込む。
「こないだの月旅行の件についてのインタビューです。ぜひ霊夢さんにも答えていただきたいです」
「月旅行?えらく昔のことを引っ張り出すわね」
「妖精ですから」
「ふむ。折角だからお茶でも飲みながら話しましょうか」
「ありがとうございます」
それから一時間程度、縁側でお茶を楽しみながら、月旅行に関するあれこれの話を傾聴していた。ロケット、推進力の神、月の番人、月の巫女みたいのやら、星を食ったやら、ダブル巫女やら、強制労働やら。
「――とまあ、こんなところだ」
「なるほど。ありがとうございます。興味深かったです」
「ん」
といった感じで、三人は博麗神社を後にした。
私以外、なにもやっていなかった。
「た、溜めてるのよ」
「なにを?」
「労力、とか……」
「…………」
「…………」
しばし沈黙。静寂。サニーとルナは私から目を反らした。
☀
「で、どうするの?」
「どうするって?」
首を傾げる。
「さっきの話だと、ロケットを造ったのは『紅魔館』の魔女、パチュリー・ノーレッジ。紅魔館にも突撃取材しに行くの?」
「…………」
それは、できれば避けたい。以前紅魔館の妖精メイドに紛れてタダ酒を頂いた際に、こっ酷くお仕置きされたのだから。
約一名を除いて。
「……あのとき一人だけ逃げやがってー」
「仕方ないじゃない。仕方ない仕方ない」
はぐらかすスター。
「それより、もし行くなら私は除外ね」
「「何故!?」」
「さっき十分に活躍したじゃない」
「ぐっ……。だ、駄目よ!皆で行きましょう皆で!」
「行くの?」
「行く!」
ということで、場所は紅魔館。
前回はこそこそしてたからお仕置きされたということで、正面から堂々と館を『訪問』することに。
「す、すみません」
勇気を振り絞り、紅魔館門番に話しかける私。壁に寄りかかり目を瞑っていた彼女は、顔だけこちらに向けた。
「なにかな?」
悪魔の館の門番、しかしこの人は比較的人当たりがよく、温厚だ。
「紅魔館にお邪魔したいんです、けど……」
妖精が館に『お邪魔』するなんてこと、門番が許すわけもなく、
「アポは取ってるのかな?」
などと意味の分からないことを言ってきた。
「あ、あぽ?」
「アポ」
……あぽってなんだ?字面は似てるのに発音はあほに似てないというのは至極どうでもいいなどと混乱していると、
「パチュリー・ノーレッジ様に事前に来ることを連絡しているはずですが」
とスターが当然のようにそう言った。びっくりする二人。首を傾げる門番。
「パチュリー様に?ふむ?どんな用事なの?」
「なにやら妖精の被験体がどうとかなんとか。意味は分かりませんが」
「…………。……そう」
それだけ言って、門番は門を開いてくれた。
庭の小道を歩きながら、
「……スターは空気を吐くように嘘を吐くよね」
「生きるように嘘な人よりはいいと思うわ」
「…………?」
二人には意味が分からなかった。
スターは二人より一歩半分後ろに下がって歩き、そして立ち止まり門番を振り返り、頭を下げた。門番は門に寄りかかりながら後ろ手に手を振った。
「ロケットの仕組み?」
紅魔館図書館。なんとかここまで紅魔館の主要人物には誰にも見つからずにここまで来ることができた。
「そんなこと聞いてどうするつもりなの?」
「イ、 インタビューです」
愛想笑いで答えたが、図書館の主の魔女は訝しむような表情でじっとこちらを見ている。冷や汗が出る思いだ。
しかしやがて魔女はため息を吐き、「妖精の考えることだしね」などと呟き、奥の本棚へと消えていった。無視されたのかと思ったが、一冊の分厚い本を持って再び魔女は現れ、それを手渡してきた。
「お、重い……」
重量で中腰になってしまった。この魔女は力は人間以下ということだったが、魔法で軽くしていたのだろうか。できればその魔法が掛かったまま渡してほしかった。
「これはなんですか?」
「その本を読めば、大体のことは分かるはずよ」
「…………」
本を床に置き、開いてみる。
まず字が読めなかった。
「…………。……二人とも、分かる?」
「分からない」
「分かるわけもない」
「その本を解読できないようじゃ、説明しても無駄よ」
「うっ……」
早くも月旅行計画は破綻してしまったようだ。くそう、月の兎が突いたお餅が食べたいのに。
「それに、どちらにしても私一人の力じゃ無理だったわ」
「ん?どういうことですか?」
「協力者、というより陰謀者がいたのよ」
「…………?」
陰謀者?意味は分からない。
「その陰謀者っていうのは誰なんですか?」
「それはシークレット。でも、月に行くには特別なアイテムが必要でね。今現在この地球上には、……は、分からないけど、少なくとも幻想郷には存在しないアイテムね」
「ぐぅ……」
「あれは必然的なイレギュラーだったのよ」
その言葉の意味もやはり分からなかったが、ロケットで月に行くことはもうできないということは分かった。
「じゃ、じゃあ、もう月に行く方法は無いんですか?」
絶望。
「……あるにはあるけど」
少し間を置いてから、なぜか顔をしかめて魔女は答えた。
「ほ、本当ですか?」
希望!
「スキマ妖怪のスキマを使って行く方法が、あるにはあるけど」
「…………」
絶望。
☆
「……やめたほうがいいって」
「私もそう思う」
「ここまで来て引き下がれるか!」
怒鳴るサニー。ここまでもなにも、まだ三人にインタビューを試みただけじゃないか。
「頼んだところで、冷たい視線で冷笑されるかボコボコにされるかのどっちかだって」
「私もそう思う」
「い、いいよ!私だけで頼んでやるから!」
ムチャシヤガッテ……。
「で、どうやってスキマ妖怪に会うの?」
「え?」
「…………」
「…………」
あるのは覚悟だけのようだった。
「よ、呼んでみる」
「どうやって?」
黙るサニー。ちょっとは考えて発言しましょう。
しばらく唸りながらいかにも顔で思案した末、サニーは息を大きく吸い込み――。
「ちょっと。まさか」
「八雲 紫さーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!」
と、大声で叫ぶというこれ以上無い程シンプルな回答を導き出した。うるせぇ。
さーーーーーん!さーーーーん!さーーーん!
と、声は空間に反響したが、それが消えると待っていたのは静寂だった。
「…………」
「御苦労さま」
「うん……」
「意外と、おばあちゃーん!とか叫んでみたら来たりして」
ケラケラと笑いながらそんなことを言って。
「あなたのおばあちゃんになった覚えはないんだけど」
――私は、ゆっくりと、ぎぎぎぎという擬音が聞こえそうな油が切れた機械人形のように首だけで後ろを振り向き、
果たして。
八雲 紫は、そこにいた。
「あ、嘘です。紫さんは常々美人だと、美人の秘訣ってなんだろうとか今度聞こうかなと思ってたり、妖艶って言うんですか?幻想のような美しさ?だからあえてその美貌を妬んでおばあちゃーんとか言ってみたりしたんですよ」
「謝らないところは褒めておきましょう。物事の処理言い訳が上手なのね」
「私は言ってません」
「こいつが紫さんをおばあちゃーんとか言ったんです」
フォローどころか思い切り背中を蹴飛ばす友人二人。持つべきものは友達。
「ふうん。で、私を呼ぶ声が聞こえたような気がしたんだけど、何の用?眠いんだけど」
無罪放免、べつに妖精の言うことを一々高等妖怪が気にしないか、とほっとすると同時に、私の頭上から光玉の雨が降ってきた。
直撃。
瀕死。
「…………」
「…………」
「…………」
「それで、なんで私を呼んだのかしら?」
「あ、それはですねぇ」
私は無視する方向で話を続けるらしい。ていうか、サニーが一人で頼みに行くんじゃなかったっけ?
「わ、私達を月に連れて行ってください」
「ちょお!?」
「おまっ!?」
どストレート!ストライクゾーンど真ん中!しかも球速が無さ過ぎてスローボール!
スローボールなんかに引っ掛かる打者じゃないだろうに……。
「…………」
八雲 紫からの返答は。
冷たい視線で冷笑された。
やっぱりね。
そして。
「いいわよ」
肯定だった。
「いうぇ!?」
「なっ!?」
「やったー!」
一人喜ぶサニー。
いや、いや。
無理矢理起き上がり、サニーの後ろ襟首を引っ掴み思い切り引っ張る。同時にルナも同じ動作をしたため、結構な力でサニーは後ろに引っ張られた。
「うぐぇっ!」
そんな奇妙な音を出し、サニーはその場に倒れた。二秒後、ガバッと起き上がって涙目で私達を睨みつけた。
「な、なにすんのよ!一瞬息止まっちゃったじゃない!」
「罠よ!」
「罠だってば!」
顔を寄せ合い、ひそひそ声でサニーに言い聞かせる。
「へ?」
と、そんな呑気な返事を返してくるサニー。
「罠以外の何物でもないでしょう!なんで私達妖精のふざけた頼みを、即決で了承してくれるのよ!」
「そう!」
「い、いい人だからじゃないの?」
……だめだこいつ。早くなんとかしないと。
「ちょっと、呼びだしておいて仲間外れでひそひそ話しされるのはちょっと寂しいわよ、おばあちゃん」
そんなことを言って、なぜか光玉を飛ばしてくる八雲 紫。私の腹に命中。蹲る私。な、なぜ……。
「あ、あれが『いい人』だっていうの?」
「それはスターが悪い」
「同感」
素晴らしい友人達だった。
「でも、月に連れて行ってあげるっていうお誘いは断るべきだわ」
と、ルナ。
「こっちから言い出したのに?」
と、サニー。言いだしたのはお前だけだ。
「ちょっとー。いい加減待てないわよ。行くの?行かないの?」
「行きます!」
元気よく答えるサニー。よし、逝け。
「他の二人は?」
私はルナと顔を見合わせ、ため息を吐いた。
サニーが行くのなら、私達も行かないわけにはいかない。こうして私達は、なにがなんやらの状況のまま、八雲 紫が連れて行ってくれるという『月』へと旅行に行くことになった。
……間違えて地獄に送っちゃった、みたいな展開にならないことを祈るばかりだ。
☽
『出発は明後日の満月。準備しておくように』
「サニー、知ってた?宇宙には空気が無いんだよ」
「知ってるよ。あ、じゃ、じゃあ私達窒息しちゃうじゃん!」
「というのは、迷信なんだよ」
「……え?そうなの?」
「魔理沙さんの言葉を信じるなら、ね」
「そ、それは……。うーん……」
スターとサニーのそんなやり取りを眺めながら、私はため息を吐いた。
月に行けるのは嬉しいけど。
月に行けるなら嬉しいけど。
八雲 紫。引越しの時だって、散々痛めつけられたじゃないか。
しかしサニー曰く、
「でも結局引っ越しさせてくれたじゃん」
いや、あの人が邪魔してなかったら何事もなく引っ越しできたから。
「あーあ……」
気付いたら宇宙空間に浮いてました、みたいなオチだったらやだなぁ……。今からでも断ることはできないかなぁ……。でもあの人ほんと怖いから、そんなこと今更いえないなぁ……。
「ちょっと散歩してくるね」
「あ、はーい」
「いってらっしゃい」
「ん。行ってきまーす」
外に出た瞬間、薄雲が所々に浮かぶ空の中心で、涼やかに、しかし温かみのある、明るく輝く月の光を全身に浴びて、爽やかな気分が粒子のように体を突き抜けていくような快楽を全身に感じた。思わず、微笑む。
しかし、月かぁ。
地上でもこんなに力を感じるのに。
月に行ったら、いったいどれほどの爽快感を感じるのだろう。
心地よいだろうなぁ。
想像できないほどに。
…………。
このとき私は、八雲 紫の誘いに応じる決心が付いた。
☆
二日後。
雲一つ無い夜空を見上げながら、三人は大蝦蟇の池の畔の岩に腰掛けていた。夜空には見事な満月が、立体感を微塵も感じさせない形を持ってして輝いていた。月見酒と洒落込みたいところだが、しかし私達には重大且つ壮大な目的があるので、今は我慢しておく。
隣を見ると、ルナは緊張した表情で満月を眺めていて、サニーは歌を歌いながら上機嫌で満月を眺めていた。
「いやー、楽しみ楽しみ。月の兎が突いたお餅って、どんな味なのかなー?」
あくまで能天気なサニー。
「宇宙空間にほっぽり出されるとかは嫌だなぁ……」
悲観的なルナ。同感だ。
「……そろそろ時間かな?」
明後日午前零時に大蝦蟇の池に集合、ということだったが。もしかしたらこのまま来ないかもしれない。からかっていただけかも。という希望――うん、希望――を思ってみたが、あの妖怪が妖精が来るはずもない者を待っているのを思って楽しむというようなことをするとは思えない。
と、
「お待たせ」
と、どこかから声がした。辺りを見回してみたが、そして辺りの気配を探ってみたが、誰もなにもどこにもいない。
「ど、どこにいるんですか?」
空間に呼び掛けてみると、
「目の前よ」
目の前に突然スキマが出現し、八雲 紫が出現した。
「うひゃあっ!」
後ろ向きにひっくり返るルナ。
「それじゃ、行きましょうか。私はいかないけど」
ルナを無視して、スキマ妖怪は池へと歩いていく。
「ほら、ルナ、行くよ」
倒れたルナを助け起こそうとする。
気絶していた。
蘇生。
「あの、どうやって月に行くんですか?」
後ろ頭を抱えるルナを介抱しながら、こちらに背を向けているスキマ妖怪にサニーが質問した。
「簡単よ。池に映る月に飛び込めばいいだけ」
なにも起こらずにびしょ濡れ、みたいなオチだったりして。むしろそのほうがいい気がする。
そしてもう一つの不安要素。先日話を聞いたその後に気が付いた、重大且つ重要な問題を質問した。
「帰りはどうするんですか?」
「あ」
「あ」
サニーもルナも気付いてなかったようだ。ああ、さらに行きたくなくなってきた。
「帰りは次の満月に私が迎えに行ってあげるわ」
「うえぇえ!?」
「どうかした?」
「あ、いや……」
約一ヵ月間、月で生活するの!?
あちらが受け入れてくれるとも限らないのに!
いや、受け入れてくれない可能性の方が遥かに絶大だ。
「一か月間はちょっと……」
「私でもさすがに、満月の夜じゃないと月との境界は渡せないわ。それが嫌なら月への旅行は諦めることね」
……うーん。
一ヵ月間はちょっとなぁ……。
ていうか、今なら断ることもできるのか。
それなら……。
「行きます」
「うえぇえ!?」
「うえぇえ!?」
即答するサニー。
今度はルナも驚きの声を上げる。
なに考えてんだ!
娯楽にしてはあまりにもリスクが高いだろうが!
「ちょ、ちょっと作戦会議!」
サニーを二人で引っ掴み、スキマ妖怪に背を向けて顔を寄せ合い、ひそひそ声でサニーを罵踏する。
「バカ!一ヶ月も帰れないであっちに受け入れてもらえなかったらどうするの!ていうか、どっかべつの、例えば地獄みたいな場所にほっぽり出されて一カ月放置ってことも有り得るのよ!」
「そうよ!遊びに行くにしては危険すぎるわ!今からでも断るべきよ!たとえそれでちょっとばかしボコボコにされても!」
しかしそんな猛抗議にサニーは、
「まあ、まあ。私だってなんにも考えずに承諾したわけじゃないのよ」
と余裕ぶって答えた。
「……なにか考えがあるの?」
さすがになにも考えていなかったというのは馬鹿にしすぎだったか。
「まあね」
とふんぞり返って答えるサニー。
「どんな案なの?」
「ふっふっふ」
と少し焦らしてから、
「考えてもごらんよ!私達の能力!姿を消せる!音を消せる!生物を探知できる!この能力があれば、たとえあっちが受け入れてくれなくても、一か月くらい逃げ切れるでしょ!月に行くんだから、多少のリスクは覚悟しなくちゃ!」
と、自信満々に言うのだった。
……いや、あっちの月の番人は、紅白の巫女たちを鎧袖一触に蹴散らしたって話しなんだけど。その程度の能力、通じるわけが……。
しかしルナは、
「あ、そうか」
と、納得顔で頷いた。
コイツラ……。
「まあ、それなら、うーん、大丈夫、かな?」
「…………」
もはやなにも言うまい。
「ちょっと。私だって暇じゃないの。時間ももう無いし、そろそろ決断してよ」
いや暇だろう私達の頼みを聞いてる時点で。と心の中で突っ込みを入れる。
「……まあ、なんとかなるかもね。私も行くわ」
なるようになれ。
「決まり!」
笑顔満点のサニー。
……まあ、いいか。
「三人手を繋いで、池に映る満月に飛び込んで」
さて、どうなる?
三人手を繋ぎ、息を飲んで、手にぐっと力を込めて。
そして、揺れる満月へと、私達は飛び込んだ。
ルナがこけやがった。
かなりかっこ悪い形で顔面から満月に突っ込み、私の意識はそこで途切れた。
☀
「……………………む、むぅ…………」
自分のうめき声が空洞の意識に響き、目を覚ました。しばらくぼーっとしていたが、あれなんで私は倒れてるんだっけここどこだっけという疑問がぼんやりと浮かんできて、そしてなにがあったのか、今の自分の状況を思い出し、がばっと起き上がった。
辺りを見渡す。
水。
辺り一面、視界いっぱいに広がる、水。
湖、なんてレベルじゃない。
あまりにも広く、広大だ。
私達はその広大な水溜りの岸に倒れていた。
岸では、水が押し寄せたり引いたり、ああ、これが波の満ち引きってものなのか。
これが、海。
「ル、ルナ!スター!」
脇に倒れている二人を揺り起こす。
「う、う、ん……」
「起きて起きて!」
「む、う……」
ルナとスターは体を起こし、ぼーっとした様子で四つん這いで目を擦る。
「見て、見て!」
急かし、二人は辺りを見渡した。そして、ぽかんと口を開いたまま、固まってしまった。
「…………」
「…………」
「ほんとに月だよ!私達、月に来たんだよ!」
「…………」
「…………」
しばらく二人は固まったまま、海を眺めていた。
「……ほんとに、月に来たの?私達……」
「そうだよ!これが天狗の新聞に書いてあった『海』だよ!」
「それなら、凄いけど……」
でもなんで私達の願いなんか簡単に……、とスターは呟いた。
「とにかくさ、せっかく月に来たんだから、色々見て回ろうよ!」
時間はたっぷり、一か月もあるにしても、そんなことは関係ない。一刻も早く月の様々が見たい。ドキドキし、ワクワクする!興奮を抑えろというのは無理難題だ!
「そ、そうね。……はー、本当に、月かー」
「……本当に月なのかな?」
「本当に月なんです!」
幻想でも、空想でもない。現実だ。
ああ、しばらくこの海を眺め遊んで、それから月の都に忍び込んで、それから月兎が突いたお餅を食べて、それからそれから――。
この素晴らしい気持ちの高揚は、何人たりとも、どんなものでも事でも止められるものか!
その気持ちの高ぶりは、三秒後に霞みと消えた。
ジャコジャコジャコン。
そんな不吉な音の連続、重なりが、突然、背後の四方から聞こえた。
「え」
振り返れば。
銃を構えた月兎が、大勢、おそらく二十人以上、扇形に広がってこちらに銃口を構えていた。
「え」
なにこれ。
「汚れた彼の地から訪れた穢れ無き者達よ、清き此の地へ何用で参ったのか」
芝居掛かった口調で、彼女は、険しい表情で構える兎達の先導者のように、扇の頂点に佇みながら、静かに尋ねてきた。
「えっと……」
なにこれ。
「ついこの前散々痛めつけられて恥をかかされたにも関わらずのこのことまた此の地へ踏み込むとは、その愚かな心意気だけは買ってやらなくもないです。が、しかし」
彼女は腰に差した一振りの日本刀を、緩慢な動作で抜刀しその美しい刀身を露わにして、刀の切っ先を私達に突き付けた。
「こちらも月の住人としての沽券に関わるまでの恥をかかされました。今度は容赦はしない」
「「「え、ええぇえぇえー……」」」
なに、これ。
☽
どうして、どういった理由でこうなったかは分からないが、私達が劇的に歓迎されていないことは理解できた。今ものすごくピンチだということも感じ取れる。
いや、そりゃこの地へ無断で踏み入ったのだから私達は不法侵入した賊だと判断されても仕方ないのかもしれないけれど、でもなぜだろう、彼女の射抜くような視線に、怨恨のような怒りを感じるのだけれど。私達が何をした。
「あ、あの」
「問答無用」
「な、なんで!?」
「……なんで?」
彼女は訝しげな表情で首を傾げた。
「賊に情けをかけるわけがないでしょう」
「私達は賊じゃないです!」
「じゃあ、なんだというんです?」
「それは……」
…………。
なんだろう。
とりあえず、私達がここに来た経緯を話したほうがよさそうだ。
「月兎が突いたお餅を食べに来た一般人です」
「は?」
「うげっ!」
私とスター左右挟み討ちの形でサニーの腹をぶん殴った。ちょっと黙ってろ。
深呼吸。
大丈夫、落ち着いて説明すれば分かってくれるはずだ。少なくとも抹殺するのは考え直してくれるかもしれない。
「え、ええとですね、私達は賊ではないのです。私達がここに来た経緯を説明してもよろしいでしょうか」
「……いいでしょう。話してみなさい」
噛んでもいいから、支離死滅な説明になるのだけはだめだ。精一杯頭を回転させ、早口にならないように気をつけながら話しだす。
「ええと、まず、なぜ私達は月に来ようと思ったのか。それは、このサニーが」
蹲ってお腹を抱えているサニーを指差す。
「月に旅行に行こうと言いだしまして」
「馬鹿なんですか?」
「馬鹿なんです」
はっきりと言った。下から涙目で私を睨むサニー。無視。
「私達もまさか月に行けるとは思わなかったんですが、そうですね、遊び程度にそんなことを言っていたのですが」
ですが。ほんとにですがだよ。
「境界を操るっていう、ご存知でしょうか、八雲 紫という妖怪に出会って」
「始末するぞ。皆銃を構えなさい」
「何故!?」
「問答無用」
「何故!?ちょ、ちょっと、どうして……」
しかし訴えは無視され、彼女は冷めた表情で、刀を持った反対の手を挙げた。
な、なに?もしかして今私達がこんなにも怒りと殺意を向けられている原因って、八雲 紫の所為なの?やっぱりあんな100%の怪しさと120%の悪意で出来た奴に関わるんじゃなかった。でも今更遅すぎる!
「ちょ、ちょっと!冗談ですよね?」
「撃て!」
彼女の右手が振り下ろされた。
「「「う、うわあああぁああぁああ!!」」」
私達は彼女の腕が振り下ろされそうになった瞬間、同時に全力で空へと飛び上がった。そして腕が振り下ろされた瞬間、一瞬前私達のいた場所に大量の銃弾が目にも止まらぬ速さで通過していった。
ああ、まずい。地面の力を利用して飛び上がり移動したから今のは避けられたけれど、次に狙い撃ちされたら避けることは不可能だ。お終いだ。
頭が真っ白になり、一刹那先の惨状が、色を持ったあまりにも現実すぎる場景が、瞼の裏に焼き付いた。
――が、しかし。
数分と錯覚した一刹那が過ぎて。
錯覚ではない数秒が過ぎても。
何故か、次の銃弾の嵐は襲ってこなかった。
「…………?」
恐る恐る、瞼を開く。
下を見てみると。
「…………」
指揮官らしき彼女が、兎達が放った銃弾の嵐によって蜂の巣にされていた。兎達は慌てて彼女に駆け寄り、介抱している。
馬鹿なんですか?
☆
敵が馬鹿だったことに今までにないほどの感謝を覚え、しかしいくら馬鹿でもこの騒動で私達の存在を忘れるほどに馬鹿ではないだろう。逃げなければ。
「今の内に逃げよう!サニー!ルナ!」
「「分かってる!」」
二人は声を揃え、能力を発動した。知覚はできないが、これで私達の姿と私達が発する音は消えたはずだ。
「ど、どっちに逃げるの?」
「…………」
ここのはそういうものなのだろう、息吹を感じない木々が生い茂る林へ逃げて隠れていてもいい。だが、ここは。
「月の都に逃げるわよ!」
「う、うえ?」
「林の中に逃げても、あの人達から逃げ切れるとは思えない!なら姿と音を隠して人ごみに紛れたほうがいいわ!」
「わ、分かった!」
そうと決まれば早速逃げよう。林に逃げ込んで月の都に行くより、姿と音が消えているのだから飛んでいったほうが早い。
と、今の私達から見て斜め左に見える、月の都の名に相応しい、優雅だが決して派手さは無い、清楚だが決してチープではない、遠目からでも素晴らしいと分かる都に向かって全速力で逃げようとしたしたその瞬間。
「の、のわわわわわわわ!」
弾丸が数発飛んできた。見下ろすと、兎達がこちらに銃を構えていた。私達が消えた場所へ適当にぶっ放してきたらしい。
「逃げなきゃ!」
「離れちゃだめだよ!」
ここから少しでも離れれば私達の勝ちだ。パニックになる必要は無い。
という考えは、まあ、甘くはなかったはずだ。いかにもボスっぽい彼女はまだ倒れたままだし、対峙してみて分かったが、兎達はそれほどの力は持っていないようだ。もちろん正面からやり合えば勝ち目はないけれど、幻想郷のそこらへんの妖怪と同じ、または少し劣るくらいの力しか持っていない。逃げに徹すれば問題は無い。逃げるが勝ち。
だがしかし、もしこのとき私が能力を使っていれば、分かったはずだ。兎達が私の探査レーダーに引っ掛からないことに。しかしここから見れば兎達は丸見えだったし、もし林に何人か隠れていても、私達を捉えることはできないだろうと考えるのは、考えてしまったのは、必然的な流れだった。
兎達の弾丸は、正確に私達へと向かってきた。
「うおわああ!な、なんで!?」
そして、今更気付く。
「うどんさん!」
「は?え?どこ?」
きょろきょろと下を見回すサニーとルナ。
「じゃなくて!うどんさんの能力!」
「あ」
「あ」
鈴仙・優曇華院・イナバ。地上にいる、月から逃げ出したという兎妖怪。波長を操る能力を持っていて、私達の能力が全て無効化されてしまった。私は月から逃げ出した兎なんだという話は、いつだかぽつりと話してもらったのだが、私達はその話は眉唾もの程度に捉えていたのだが。
もしもあの話が本当で。
もしもあの兎達も、うどんさんと同じような能力を持っていたら?
「計画破綻してんじゃん!」
「お、終わった……」
「まあそれなら最初から破綻してたし終わってたってことなんだけどね……」
あああ、もうちょっと色々な可能性を考えておくべきだった。いや、色々な可能性を考えたし、それでこのことに考え着かなかったのだから、月に行くと決めた時点でこの結果は避けられないものだったのか……。
「動くなあぁあ!」
兎の内一匹が叫んだ。三人とも固まる。動かないから打つなよ?
「ど、どうすんの?」
「どうするも」
「こうするも」
「ゆ、許してくれると思う?」
「思」
「わない」
「だよね……」
諦めるわけにはいかない。なんとか逃げる方法を――。
「一か八か」
「は?」
「サニー。あの必殺技」
「え?あ、いや……」
「それはあまりにも危ういんじゃ……」
「もうすでに危ういなんでレベルの状況じゃないでしょ」
「そ、そうだね。分かった!」
やむを得ない。私達にスキマ妖怪のような頭脳は無いし、作戦とも言えないような単純な方法でここを切り抜けるほかない。
私達が堅く目を瞑ったことを確認して、サニーは全身を抱くように全身を縮め、そして。
「はーーーーーーーーっ!!」
叫び声と共に体を大の字に思いきり伸ばし広げた。
まるで爆発のような閃光が、サニーの全身から迸った。目を瞑り腕で顔を覆っている私ですら、その眩しさに一瞬視界が真っ白になった。
サニー必殺、サニーフラッシュ。
もちろんその素敵ネーミングは私が命名。
「が、ぐあああああ!」
「うわあああ!」
といういかにも雑魚っぽい叫び声を上げる兎達。いけるか?
「逃げるよ!」
「ラジャ!」
しかし、兎達に背を向け、月の都へ全力疾走しようとした瞬間。
「視覚で追う必要はありません!波長を探査して感覚で追いなさい!」
ボスっぽい彼女の大声が辺りに響いた。寝てろ!
だめだ、撃ち落とされる!幾度目の絶体絶命!
――ふと、思い付いた。馬鹿な兎にならあるいは……。
「後ろだ!後ろに回り込んで私達を狙っているぞ!」
と叫んでみた。
兎全員が後ろを振り向き、銃を構えた。馬鹿だこいつら。
こうして、辛くも私達は逃げ切ることができた。
「い、生きた心地がまったくしない……」
「相手が馬鹿でよかったね」
「妖精より頭が悪いってなんなんだろう……」
「兎よ」
「兎かぁ」
「あいつら毒草も平気で食べるからね」
「サニーもこの前野草を拾い食いしてお腹壊してたじゃん……」
「同列かぁ」
「同列ね」
「うるさいな!」
そんな雑談をしているうちに、時間はあまりかかっていないが、やっとの思いで辿り着いた。
月の都。
清き清浄の清潔の清々の静界にして浄土の都。
お伽噺の幻想世界。
息を飲むような美しさ?
いや、息が止まるような美しさ。
「綺麗ねぇ……」
「綺麗だね……」
「でも、幻想郷だって負けてないと思うわ」
「田舎と都会って感じがするけどね」
「確かに」
「田舎と都会の違いってなんだろう?」
「都会の人が言ってた。田舎を歩いてても誰も居なかった、とかいって」
「え?」
「なに?」
「なんでもないよ……」
☽
意気揚々と月の都に入りました。
三秒で捕まりました。
「え、えぇえええー……」
「残念賞」
数人の警備達を引き連れた彼女は、皮肉も悪意もない笑顔で両手を広げながら言った。むかつく。
どうやら、先ほどの兎隊から連絡があったらしい。
どうやら、私達は能力を発動するのを忘れていたらしい。
「馬鹿じゃないの?」
心底呆れたような表情のスター。ごめんなさい。
「同列ね」
「同列ですか……」
「同列かもしれない……」
手に紐を巻きつけられ、月の都の、なんだか立派な建物に連行される私達。都の住人からは、奇異と好奇心と若干の興奮の混じった視線を向けられている。
「あ、あの」
前を歩く彼女に声をかける。彼女は前を向いたまま、応えてはくれた。
「うん?」
「私達はどうなるのでしょうか?」
「被験体になります」
「うえあ!?」
「そんな!」
こないだのスターの冗談そのままじゃないか。
「嘘です」
「な、なんだ。良かった……」
「今のところは」
「…………」
「まずは事情を聞きましょう。妹の説明はいまいち要領を得ない、いえ、全くと言っていいほど要領を得ない説明でしたし」
あんたはあの兎の指揮官の姉か。
「どうもあの子はそういうところがある。しっかり者のくせに、肝心なところがあやふやで。肝心なところをあやふやなままにすると言ったほうがいいのかしら。それとも」
彼女は立ち止まり、振り向き、私達をじっと見つめてきた。
「貴方達が、話をはぐらかしたのかしら?」
「違います」
即座に否定する。
「あの人が、話の途中で襲ってきたのです」
「ふうん?」
首を傾げ、頬に人差し指を添える彼女。
「なぜ?」
「八雲 紫の名前を出したら急に……」
「……まったく」
彼女はがっくりといった風に肩を落とし、深いため息を吐いた。いちいちリアクションが大きいな。この人。
「どうもあの子はそういうところがある。冷静なようでいて簡単に考えることを放棄して、実力行使に移る」
まさにその通りだよ。
「まあ、話しは中でゆっくり話しましょう」
「…………」
良い予感はまったくしないが、少なくともさっきの兎の指揮官よりは話しが通じそうだ。なんとかなる、か?
なんとなく隣を見てみると、サニーは不安げに俯いていて、スターはなぜか真っ青だった。いや、蒼白と言ってもいい。
「スター、大丈夫?」
「あ、ああ、うん。大丈夫だよ」
その様子は、どう見ても大丈夫じゃなかった。
「ごめんなさい……」
自分が犯したヘマを謝ったが、スターは無理矢理に笑い、
「いいよ、もうしかたないし」
と言ってくれた。持つべきものは頼れて性格の良い親友。スターの場合後者は微妙だけど。
少しだけ気持が軽くなり、しかしそれで状況が変わるはずもなく、私はただ引かれるままに歩き続けた。
☆
意気揚々と月の都に入りました。
三秒で捕まりました。
「え、えぇえええー……」
「残念賞」
数人の警備達を引き連れた彼女は、皮肉も悪意もない笑顔で両手を広げながら言った。むかつく。
どうやら、先ほどの兎隊から連絡があったらしい。
どうやら、私の隣で茫然と突っ立っている友人二人は能力を発動するのを忘れていたらしい。
ギャグとしても笑えない。いやそもそもこれはギャグなんかじゃないし。いやそれともギャグなのか?いけない混乱している。
「馬鹿じゃないの?」
とりあえず壮絶なヘマをした友人二人を責めてみた。
「同列ね」
「同列ですか……」
「同列かもしれない……」
同列だ馬鹿者。
もうこれはどうしようもない。この状況で逃げ切れるわけがなかった。諦める。降参。投了。好きにしろ。
警備の者が、なにか細い糸のようなものを取り出した。いや、糸か?薄らと発光しているように見えるそれを指差し、尋ねた。
「それは?」
「しゅゆの糸。絶対に解くことのできない拘束具」
ご丁寧にも教えてくれた。そんな大層な拘束具を使ってくれるとは恐悦至極だ。まったく。
警備の者にボディチェックを受けるかもしれないと思い、それとなく自分の服を探ってみた。妙なものは持ってきていないが、一応。
と。
上着の右ポケットに、紙、小さく折り畳まれた紙が入っていることに気付いた。
なんだ、これ?
紙なんて持ってきてないはずだけど。
出かけるときに持ち物は確認したはずだけど。
連中にばれないように取り出す。やはり、紙だ。広げてみる。
……手紙?
手紙だった。
誰から?
読んでみる。
『月旅行の運賃は、最低でも五百年物の月の古酒。行きの運賃は後払いで構わない』
「…………」
手紙を口に放り込み、飲み下す。
連中を見る。ばれていないようだ。
『行きの運賃は後払いで構わない』
帰りの運賃は先払いのこと。
ってことだろう。どう考えても。
しかも、後払いで構わない。後払わないと許さない。月の民に地上に送ってもらうという選択肢は無くなりました。あはははは。
笑えるか。
その後私達は手に紐を巻きつけられ、月の都の、なんだか立派な建物に連行されることになった。
途中、ルナが、
「スター、大丈夫?」
と声を掛けてくれた。全然大丈夫じゃないです。
「あ、ああ、うん。大丈夫だよ」
それでもそう答えるしかなかった。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうに頭を下げて謝るルナ。そんなルナを見て、私の心は僅かに軽くなった。
「いいよ、もうしかたないし」
友人の過ちならどんなことでも許すさ。
しかし僅かに心が軽くなったとはいえ、しかしそれで状況が変わるはずもなく、私達は二重の意味で絶体絶命の状況に陥っているのだった。
☽
「――ふむ、なるほど。大体の経緯は把握しました」
大きく立派な建物の、大きく立派な一室。そこで事情徴収が行われた。説明は全部スターがやってくれた。頼りっぱなしでごめんなさい。
手をぎゅっと握りしめながら判決を待つ私達。
「死刑で」
「えぇえ!?」
「嘘ですよ」
やんわりと微笑む彼女。なるほど、そういう性格の人か。
「そうですね。八雲 紫が貴方達のことをなんらかの形で利用しようとしているかもしれません。ので、保護という形になりますかね」
「被験体には……」
「なりませんよ」
「よ、よかった……」
いやほんとに。
あの兎の指揮官と違って、姉のほうはある程度は話の分かる人らしい。ならばあそこで逃げたのは正解だった。問答無用の極刑は免れた。
「では、こんな堅っ苦しい部屋に閉じこもってるのもなんです、どこか来客用の部屋に移動しましょうか」
「は、はい」
ということで、尋問部屋から出る私達。いや、べつにあそこ、そんなに堅苦しくはなかったけど。滅茶苦茶広くて立派だったし。金持ちの感覚って分からない。
廊下は相変わらず、なんというか、芸術作品みたいな廊下だった。ブルジョワ。
「しかし妙ですねぇ」
と、先頭を歩きながら彼女は首を傾げた。
「なにがですか?」
「いえ、些細なことなのかもしれませんが、うーん、それともそれが重要な鍵なのか」
「…………?」
「私は、あなた達がここに存在できるのが疑問なのです」
「……え、えっと」
意味が分からない。ここに存在するな不愉快だ、とそういうことを言われているのだろうか?
「……ああ、なるほど」
しかしスターはその言葉のなんらかの意味を察したらしく、なにかに気付き思わず声が漏れてしまったという風に呟いた。
彼女は顔だけ後ろを歩く私達に向け、思案顔のスターを見て、
「そっちの妖精さんは私の言っていることが分かりがぁっ!」
叫び声を上げてひっくり返った。よそ見をしていたので、前方の太い柱に頭を思い切りぶつけて倒れたのだった。付き添いの者が慌てて駆け寄る。
……なんだろう。なんか同じ匂いがする。
「……そっちの妖精さんは私の言っていることが分かりますか?」
立ち上がり、何事もなかったかのように話を続ける彼女。見事なまでになんでもなさそうを装っていた。
「……ええとですね」
スターも、何事も起こらなかったように話し出す。
「私達は自然の化身、自然の具現化。世界の具現化では、まあ世界の一部という意味ではそう言えなくもないでしょうが、私達は、世界の具現化ではない。そして現象の具現化でもない。私達は、存在の具現化。そしてそれは幻想郷という限定的な場所のみでの具現化です。それがなぜ、この別世界、月において存在できるのか、ということですよね」
……なにを言っているのか全く分からない。なんの話をしているのかも分からない。馬鹿でごめんなさい。
「簡単に言うと、私達は幻想郷でしか存在できないはずだってこと。それがなんで私達はいま月にいるのに消滅しないのかっていう」
「あ、物騒な話?」
「そう。物騒な話」
「聡明な妖精さんね。驚いたわ。師匠からは、妖精っていうのは知能の低い植物並の意思しかない自然の具現化だって聞いてたけど、あなたみたいな妖精さんもいるのね」
彼女はスターににっこりと笑いかけ、小さく拍手した。その直後、また柱にぶつかって倒れた。
「…………」
「…………」
「…………」
彼女は慌てる付き添いの者をしり目にゆっくりと起き上がり、
「なんでこんなに無駄な柱があるのよ!」
と誰にでもなく怒鳴り柱を蹴っ飛ばし、
「痛ったー!」
つま先を抱えてぴょんぴょんとそこらじゅうを飛び回った。
……これ、前方不注意でぶつかった木に対して全く同じことやったわ、私。
知能の差はあれど、属性は非常に似通っているらしい。
で、私はその後どうなったかというと。
「ぐぁっ!」
そうそう、ちょうどこんな風にぴょんぴょん飛び回ってるうちに別の木に衝突したんだった。
柱に衝突した彼女は動かなくなった。
……これ逃げるチャンスじゃね?
ブービートラップ。
一見無害に見えるものに罠を仕掛け、対象者がその一見無害なものになんらかのアクションを起こした瞬間発動するという戦術の一手。
さて、先ほどの彼女とスターの会話、いくらなんでもスターサファイアの受け答えは、一妖精としては出来過ぎだろう。いや、スターのことだ、その模範回答に行き着くこともそれほど不可解ではないかもしれない。しかし彼女は聡明かもしれないが、その聡明さを決して周りに披露しないという周到さも兼ね備えているのだ。能ある鷹は爪を隠す、なんて意味合いではなく、ただその妖精としては高い知能により厄介事に巻き込まれるのを嫌うだけだ。そういう意味での周到さを、彼女は所有している。彼女は傍観者であることが楽しいのだ。
さて、ではなぜあのとき、スターはわざわざ持ち前の知能を披露するようなことをしたのか。
印象を良くするため?
いや、そんなことで彼女は自分の信念を曲げない。
その理由は。
大体、あの天上天下唯我独尊を旨とすることで知られる八雲 紫が、なんの理由も無しに妖精の願いを叶えるものか。
理由。
八雲 紫の行動原理は、大きく分けて三つ。
一つ、己の利益になる事柄のための行動。
一つ、幻想郷を守るための行動。
一つ、悪戯、つまり趣味のための行動。
この場合、三妖精を月に送った理由を考える場合、もっとも考えられそうな答えは三つ目、つまり悪戯であろう。
しかし、スターサファイア宛てに彼女の服に忍ばせた手紙には、こうある。
『月旅行の運賃は、最低でも五百年物の月の古酒』
この手紙に書かれた彼女の『目的』は、少なくとも『目的』の一つは、本当だと判断してもいいだろう。嘘を書く理由が無い。つまり一つ目、三妖精を月に送り込んだのは、己の利益になる事柄のためでもあるということだ。
八雲 紫は月の古酒が気に入ったようである。
さて、それらを統合して考えてみると、今回の事柄の全貌が見えてくる。
月の古酒飲みたい。
でも月にまた攻め込むのはリスキー。
じゃあ丁度タイミングよく月に行きたいとか言ってる妖精を送りこんじゃえ。死んでも構わないし。
と、こんな感じだろう。
しかし、今回の事柄は己の利益が絡んでいる。失敗してもべつにいいけれど、妖精に頼むのはちょっと 成功率が低すぎる。だから。
手助けくらいはしてやろう。助言くらいはしてやろう。
己の利益のために。
しかしいくら八雲 紫でも、月というのは距離的にもその他色々な意味でも遠すぎる。さすがに能力で干渉できるはずもない。
だから、たとえば予め術を施しておいた紙、開いた瞬間に発動するブービートラップを三人の内の誰かに持たせて、しかし能力が完全に紙を開いた者へと発動するのにはしばらくの時間が必要であって、その能力が発動したのは事情徴収が終わったあと、廊下を歩き始めた時であって、スターサファイアの意見はそもそもスターサファイアの意見ではなく、そう言えと脅されていたのであって。
そういうわけで、今スターサファイアの中には、八雲 紫の意思が在るのだった。
☆
柔らかなソファ。静かに輝く石のテーブル。伝統工芸のような箪笥にクローゼット。豪華なベッドまである。その他よく分からない機械もいっぱい。もちろん空調完備。おお、ブルジョア。あの部屋が堅苦しいとか言ってたのも納得できる。
ていうか、なんか、いきなり押しかけてきてこのもてなし、なんだか申し訳ない気分に。ならないけど、べつに。
「紫さん、ほんとに勘弁してくださいよ」
ソファに寝転びながら、己の中の意思へとひそひそ声で話しかける。他の二人は、この広い室内を物珍しげに探索、もとい物色している。
「あら、なにがかしら?」
まるで耳元で話しかけられているように、八雲 紫の声は鮮明に聞こえた。
「無理ですよ、ここからなにかを盗み出すなんて」
「あら、代金は払わないとだめじゃないの。月の旅行の代金は」
「無理なものは無理なんです」
泣きが入っていた。そりゃ泣きたくもなる。
「幽々子はちゃんと盗ってきてくれたわよ」
「冥界王と妖精を同列にしないでください!」
「王じゃなくで王女ね。あの子は王女って風でもないけど」
「紫さん、本当に無理ですよ。帰ったらほぼなんでもしますから、それで勘弁してください」
「ほぼなんでもって、たとえばなにをしてくれるの?」
「奴隷でもなんでも。性的な意味でもオーケーです」
「……あなたほんとに妖精?残念ながら、そういう趣味は無いわ」
「私達の能力、全部無効化されてるんですよ?」
「私が指示を出せば、あなたなら大丈夫よ。本当、想像以上に有能ね、あなた。手紙を口の中に放ったところなんて百点よ。おかげで通信しやすくなったし、胃の中から紙の針が飛び出すビックリパフォーマンスもできるわ」
「…………」
う、迂闊だったか……。八雲 紫から渡された手紙を飲みこむなんて……。
「ま、頑張んなさいな」
至極どうでもいい風に言うのだった。本当に泣きたい。
「それと、帰りは月の民共があなた達を地上に送り返してくるでしょう」
「え?」
少し驚く。意外だ。
「え?って?そういう選択肢を考えていなかったの?」
「いえ、紫さんのことだから、帰りも私が送っていくから、その分の代金も支払えって言うのかと……」
「私はそこまで鬼畜じゃないわよ。酷いわね。――ただ、まあ」
彼女は、妖艶に、愉快気に無慈悲に冷たく、笑った。
「私が送っていくことにならないように、気を付けなさいな」
――――鬼畜め!!
☽
「あなた達の処分が決まりました。とりあえずは監視を付けるだけ、それ以外は自由にしてもいいということです」
豪奢な部屋の中を探検――そう、この部屋は探検できるほどに広かった――して、色々な珍しいものに目を輝かせていると、しばらくすると彼女は戻ってきて、私達の判決を言い渡した。これ以上望めないほどに優遇な処置だ。
「監視役には私が付くことになりました」
「そ、そうですか。よろしくお願いします」
「いえいえ。私は無邪気で無垢な子供達を監視するのが大好きなんです」
「え」
「冗談ですよ」
「で、ですよねー」
それから、私達は彼女と共に月の都を見て回った。地上には無い珍しいもの、特に技術に驚嘆し、感動しながら、私達は存分に楽しんだ。
道中、彼女に月の都についての様々を教えてもらった。歴史、成り立ち、地上との関係、月に住む民の種族に、お偉いさんの名前など。
「おっとそういえば。遅ればせながら自己紹介を。私は綿月 豊姫。海と山を繋ぐ能力を持つお嬢様です」
自分でお嬢様って言ったよ。
「趣味は妹のヌード写真です」
「え、えっ!?いや、意味が分かりませんが……」
「ふふっ」
いや、微笑まれても。
「ちなみに私の妹、兎の指揮官の名前は綿月 依姫。名前に姫っていう字があることから分かると思いますが、少し傲慢なところがあるのです」
いや、あなたも名前に姫っていう字入ってるし。
取り調べのときも一応名乗ったが、改めて私達も自己紹介することに。
「私はサニーミルク!能力は光の屈折を操る程度の能力!」
「私はスターサファイア。生き物の動きを捕捉するだけの能力を持っています」
「私はルナチャイルド。周りの音を消す程度の能力を持ってまふ」
……噛んだ。恥ずかしい。
「ふふっ。サニーちゃんにスターちゃんにルナちゃんね。宇宙に相応しい名前ね。ここは月だけど」
私が噛んだことはスルーしてくれた。いい人。
「ま、せっかく来たんだから楽しんでくださいね」
「は、はい。ありがとうございます」
そのあと、豊姫さんに月のご馳走を奢ってもらった。ほんといい人。月のお餅を食べれて、サニーは歓喜していた。
それからしばらくまた月の都の見学を続けていると、あの兎の指揮官、依姫さんがやってきた。なんか、彼女には苦手意識が……。あんな目に遭わされたら無理無いけど。
「ごめんなさいね、殺そうとしちゃって」
「い、いえ……」
開口一番、彼女は率直な謝罪を口にした。
やばい怒ってる?
「いえ、怒ってはいますが、あなた達に対して怒っているわけではありませんよ。頭がからっぽとしか思えない兎達に腹を立てているのです」
「あー……」
「まったく、どうしようもありませんねあの子達は。まったくどうしようもありません」
そんな依姫さんの愚痴を聞いて、豊姫さんはくすくす笑った。
「あのね、この子は見た目も言動も怖いように思えるけど、ただのツンデレだから」
「……姉上、ツンデレってなんですか?」
「ツンツンしてるけど本質はデレで構成されている者のことだって。永琳先生に教えてもらった」
「なっ!?い、いつの間に先生と文通なんか……」
「この前のあの事件のときにちょくちょくと」
「なんで教えてくれなかったのよっ!!」
「依姫のその顔が見たかったから」
「こ、この……っ!!」
姉妹仲がよろしいようでなによりです。
「大体、そのデレた部分が私にあれば、兎達も私と接してくれるはずです。あの事件以来、訓練を一段と厳しくしているのですが、それから兎達の私に対する態度が以前までと違和感があるのです」
「それは私が兎達に、元気出してと妹のヌード写真を週一で配っているからかもしれない」
「てめーーーーーーーーーーーッッ!!!!」
豊姫さんというキャラを再確認した。
貰ってばっかじゃ悪いということで、街中で芸を披露したりした。サニーが。サニーの特技は一発芸なのだ。(種なし手品、漫才(相方スター)、曲芸色々、太神楽曲芸などなど)
しばらくは観客と一緒に唸ったり笑ったりしていたが、いつの間にか観衆の群れから外れ、後ろのほうで並んで何事かを話し合っている豊姫さんと依姫さんに気付いた。豊姫さんはいつもの表情だが、依姫さんはなんだか真剣な表情だった。
……なんだろう。私達のことを話してるのかな?なんか、不味いことでもあるのか……?
嫌な、予感がした。
気になり、盗み聞きをしてみることに。音を消して、抜き足差し足で二人に近づく。胸の中に不安を詰め込まれたような嫌な感覚を感じる。
「……いやあ、しかし可愛いわねぇ、妖精三人組。ほんとに可愛いわぁ。三人とも、優劣付けがたいほど可愛い。でも私の一番のお気に入りはルナちゃんね。ドジっ子ってところにあそこまで愛らしさを感じるなんて、ドジっ子なんて安易だなんてほざく輩にあの子の愛らしさを見せつけてやりたいわ。ああでも、知的なスターちゃんも素敵だし、元気一杯のサニーちゃんも花丸満点ね。ああもう、三人とも可愛すぎて犯罪よ。八雲 紫は心底腹が立つけれど、月にあの子達を送ってきたことだけは評価するわ。ねえ依姫、あの子達と今晩一緒にお風呂に入ろうって誘うのって、全然不自然じゃないわよね。ああでも、一緒に寝ましょうっていうのはいくらなんでも不自然かしら。でも、ううん、そのために監視役を買って出たと言っても過言ではないんだし……」
「姉上」
依姫さんは顔を顰め、一言一言、まさに釘を刺すように、これ以上無く真剣な声で、ともすれば懇願のように聞こえてしまうような調子で、激しい口調で言い放った。
「絶対に、絶対に、あの子達に手を出すような真似はやめてください。手は出さないにしても、それに近いようなことも、絶対にやめてください。あなたがそんなことをすれば月の民の恥だ、なんていう話ではなく、私の姉として、です。言っていることが分かりますね?分かりますね?誓ってください。いつも私にしているような思考の腐った悪戯を決してあの子達にしないと、誓ってください」
「…………」
豊姫さんは、黙ったままだった。
…………。
……気をつけよう。
☀
日が沈み、夜がやってきた。
月の夜はとても寒いという噂を聞いたことがあるが、そんなことはなく、地上の気温と変わらなかった。が、地上と同じで肌寒い。
ルナはなんだか上機嫌だった。空気が澄み澄んでいるとか。確かに、月の夜の空気は清潔で透き通った水を思わせた。
散々遊んだ後、月にいる間の宿はどうしようという問題に気付いたが、さっきの客人用の豪奢な部屋で月に滞在している間寝泊まりすることを許された。いたりつくせりだ。
「ただし、一応私はあなた達の監視役です。あなた達が月にいる間、私もこの部屋で寝泊まりすることになりますが、よろしいですか?」
もちろん快諾。そのくらいの制約は受け入れて当然だ。
しかしなぜか直後、依姫さんが豊姫さんの後頭部を抜き身の刀でぶん殴り(もちろん峰打ち)、寝ている間は監視する必要がないと明らかに気絶している豊姫さんに言って、就寝時は自由でよろしいということになった。べつに豊姫さんがいるからって不自由になるわけじゃないと思うけれど。
「ただし二つ、約束してください」
「なんでしょう?」
「一つ、夜に外出したいときは邸内にいる誰かしらに声をかけて同行してもらってください」
「はい、分かりました」
「もう一つ、姉があなた達の部屋に来たら、すぐに、すぐに邸内にいる誰かしらに声をかけてください。すぐにですよ」
「……は、はあ」
二つ目の約束の意味はよく分からなかった。
「ね、月に来てよかったでしょ?」
私はベッドの上に立ち、胸を反らし、二人に言った。
「そうねぇ」
ルナはソファに深く座りながら、うとうととまどろみながら答えた。
「来てよかった。楽しいし、素敵なものも沢山見れるし」
「でしょ?スターは?」
「私も来てよかったと思うわ」
冷蔵庫という箱の中にあった果物を頬張りながら、うんうんと頷くスター。
「たとえ今どんな状況でもね」
「……?なにそれ」
「べつに。しかし、ここまでもてなしてもらうとなんだか悪いわねぇ」
「……絶対そんなこと思ってないでしょ。冷蔵庫の中のものばくばく食って」
「悪いとは思うが気まずくはない」
「まったく」
呆れながら、ぶどう美味しそうだなぁ食べたいなぁという誘惑に駆られる。
「ぶどうだけ」
「食べるんかい」
「……おいしい」
「あ、そ」
「……桃も食べたい」
「あ、そ」
果物はどれも芳醇な香りに濃厚な味で美味しかった。うん、結局いっぱい食べた。
そして果汁でべたつく手を洗っていると、
「一緒にお風呂に入りましょうか」
と、豊姫さんが四人分の桶を持って部屋にやってきた。
☆
ガポーン。
お風呂シーンでの偉大な擬音に濁音が入っているのは、それはもちろんルナが滑ってこけて桶が宙を舞い床に落ちた音だからだ。(ルナは豊姫さんが頭を打つすんでのところで抱きかかえてくれた)
美しい宝石を思わせる(いや本当に宝石かもしれない)床。呼吸するだけで穏やかな気分になる湯気。(豊姫さん曰く、清浄が過ぎる水はただの毒だが、清浄の先の更に先の浄土の水は体を癒す、らしい)様々なところに細かな彫刻が施されていて、お風呂全体が静かな芸術を思わせた。
いや、それよりなにより。
「お風呂、広……」
お風呂がこれほど広い理由を問い質したくなるような広さだ。いや、これ確実に無駄な広さでしょ……。
「ああ、そうか。兎達が一度に入るからこんな広いのか」
それでも百人一度に入ることはないだろうに。百人一度に入っても全然窮屈じゃなさそうだし。
しかし。
「いえ、兎達はまたべつのお風呂ですよ。ここよりちょっと小さいですけど、まあ百人くらいまでなら窮屈な思いをせず入れます」
……恐るべきブルジョア。
ん?ていうか、そうするとあの部屋といい、最初の尋問部屋といい、このお風呂といい、そんな場所がいくつもあったらあきらかに建物の面積以上の面積を取っちゃわないか?……ああ、そういえばあの吸血鬼の館、紅魔館もそんな感じだったな。なにかの能力、いやこの月の都の場合、技術、か。
豊姫さんが部屋に来たということで、依姫さんの言うとおり誰か呼ぼうかどうしようかちょっと戸惑ったが、
「やあね、あの子の言うことなんて、一々真に受けなくていいわよ。それより、どうする?お風呂」
ということで、断る理由は特に無かったのでお誘いを承諾した。豊姫さんはお風呂好きなのか、私達を先導してお風呂に向かいながら、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
「それじゃ、私が体を洗ってあげるわ。まずはスターちゃん。サニーちゃんとルナちゃんは先にお風呂に入ってて。ここの水は決して汚れないから、そのまま入っちゃっても大丈夫だから」
「え、いや、そこまでしてもらうのは……」
「いいからいいから。お客様なんだから当たり前よ」
豊姫さんは微笑み、ちょいちょいと壁際に私を手招きした。うーん、本当にいい人。
「あれ、でもお湯がありませんよ」
「ふふっ。それは、こうするのよ」
言って、青みを帯びた滑らかな壁を指で縦になぞった。すると、なにも無いはずの空間から霧のようなシャワーが降り注いできた。
すごっ!
「本当に、月の技術っていうのは凄いですね……」
「まあね。さ、そこに座りなさい」
そこ、と言われてもどこだと思ったが、いつの間にか床が椅子の形になっていた。すげえ。
「この床は決して汚れないといっても、私は感覚的にこの装置はどうかと思うんだけどね」
言いながらもう一度壁をなぞり、自分の分の椅子を出し座った。
「じゃ、じゃあ、お願いします」
「はい」
なんかほんとに悪い気がしてきた。いきなり押しかけてきてこの待遇。月の民は優しさに満ち溢れている。いや、豊姫さんが優しいのか。これは想像でしかないけれど、もしかしたら私達の処置だって豊姫さんが計らってくれた可能性もある。
霧のシャワーは、あっという間に私を全身隈なく濡らした。髪も根元までしっとりと濡れている。これもなにかしらの技術なのだろう。壁を横になぞると、シャワーは降り止んだ。
さっそく髪を洗ってもらう。シャンプーは異様なほどに泡立った。
「スターちゃんの髪、さらさらねぇ」
「そうですか?」
「ええ。柔らかいし、素敵だわ」
照れますな。
ていうか豊姫さん、洗うの滅茶苦茶上手い。
「少し前まで、兎達の体も洗ってあげてたからね」
「なる」
優しいなぁ。
「って、ん?少し前まで?」
「禁止されちゃった。私は一応お嬢様だからね。そういうのは問題があるって」
「ふーん。あれ?じゃあ、これも問題になるんじゃ」
「お客様の体を洗うのはべつにいいでしょう」
「そんなものですかね」
続いて体。背中だけ洗ってもらうのならまだしも、全身というのはちょっと気恥ずかしい。
「わっ、肌すべすべね。透き通るように白いし。妖精ってみんなこうなの?」
「んー、さあ。どうでしょう」
「ふふっ、ほんとにすべすべだわ。柔らかいし、お人形さんみたい」
照れますな。少し赤くなってるかも。
「あ、ちょっ、豊姫さん、少しくすぐったいです」
「あ、ごめんなさい」
ふふっ、と笑う豊姫さん。なぜかとても上機嫌だった。
「はい、おしまい」
「ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
…………?
なんで?
まあいいや。
「次はサニーちゃん。いらっしゃい」
「あ、はーい」
ざぶんと音を立てて湯船から出たサニーは、当然のように体にタオルなど巻いていなかった。なぜかサニーは体にタオルを巻くという行為を毛嫌いする。
サニーと入れ違いで湯船に浸かる。心地よい。体に染み渡るという表現は、ここでは比喩ではないように思える。
「ふう……」
「ねえ、スター」
「ん?」
湯船から頭だけを出しながら、ルナはなんだか躊躇するような口調で話しかけてきた。
「あーっと……」
ルナはなにか言いにくげにもじもじして、しかし結局、
「ごめん、なんでもない」
と、話すのをやめてしまった。
「うん?なんか言いにくい相談?乗るけど」
「ん、ごめん。ほんとになんでもないから」
「ふうん?」
なんだろう?……まあ、いいか。胸の内に秘めている相談できない悩みは、誰しもというわけではないが抱えているものだ。私だって、ある。
「あなたはそういうことには鈍いのねぇ」
しばらくまったりしていると、突然、頭の中で声が聞こえた。もちろん、あのスキマ妖怪の声だ。突然であっても、今更驚かない。さっきも何度かあったことだ。
「そういうこと、っていうのは?ルナの悩みのことですか?」
ルナにばれないように、絶対に聞き取れないような小声で話しかける。案の定、それでも八雲 紫には聞こえたようだ。
「違うわよ。危うい危機に対してって意味」
「…………?危うい危機?豊姫さんが私達を陥れるためになにかしているってことですか?」
「ある意味そうだし、ある意味そうじゃない」
ええい、遠回りな言い方が癇に障る。
「ま、命の危険って意味じゃないから、気にしなくてもいいかもね。身の危険ではあるけれど」
「いや、だからどういう意味ですか」
「そうそう、お酒は手に入りそう?」
話し変えやがった。この野郎。
「無理です。っていうか、手伝ってくれるんじゃなかったんですか?」
「どうしようもなくなったらね」
「あ、そうですか……」
「ま、頑張りなさいな」
……あーあ。だるい。
「次、最後はルナちゃん。いらっしゃい」
豊姫さんの呼び声に、なぜかルナはびくっと身を強張らせた。……なんでだろ?
「は、はい」
湯船から上がり、三歩目で盛大にこけるルナ。学習しない。
「だいじょぶ?」
「……うん」
後頭部を抱えて起き上がるルナ。ルナは以外に石頭、この程度の衝撃では気絶しない。
サニーは湯船へ戻ってくると、決して深くない湯船に飛び込みやがった。こいつは。
「うはー。何度入っても気持ちいい。豊姫さん、体洗うの上手かったねー」
「そうね」
「優しいし、いい人だねぇ」
「うん」
「ういー」
親父のように唸って、サニーは目を閉じた。私もしばらくまたまったりしていたが、聞こうかどうか迷っていた気になることをスキマ妖怪に聞くことにした。部屋でくつろいでいたときも、体を洗ってもらっていたときも、湯船に浸かってまったりしていたときも、ずっと聞こうかどうか迷っていたことだ。
「紫さん」
「なに?」
「ツンデレはやがてヤンデレへと変貌する可能性を持っている、なんてことを言っていた人がいるんですが、私の意見としてはそんな者ツンデレとは呼べないと思うのです。好意を持っている者に好きな者ができれば、それをツンツン応援しながらも陰で悲しみに暮れる。そういう者こそツンデレといえると思うのですけれど、紫さんはどう思いますか?」
「いや、どう思うって……。ていうかなんで妖精がツンデレ談義語ってるのよ」
うーむ、普通の回答。紫さんとは分かり合えない。
もちろん、そんなことが聞きたいのではない。
「なんで、月にぶどうやら桃やらがあるんですか?」
「……なんでそんなことが疑問なの?べつに普通じゃない。月にぶどうや桃があっても、なんの不思議も無いわ」
「月には私達の声に応えてくれる木々がありません」
妖精は、生ける自然に対してコンタクトを取ることができる。当然会話などはできないが、妖精が声をかければ生命反応で自然は応えてくれる。
「最初は月だからそういうものなのかもと思っていましたが、あきらかに月の木々には命が宿っていない。宿っているかもしれないけれど生命の息吹を感じない。そんな木々が、実を生み出すとは思えません」
「ふむ。しかしそこは、月の技術でどうにかなるでしょう」
「その技術を使うための『元』は、どこから手に入れたんでしょう」
「さあ。満月の夜に地上に降り立って、そういった果実を取ってきたんじゃない?」
「それならいいんですけれどね」
この疑問は、あやふやなままにしかならないだろう。相手が八雲 紫ならなおさら。それが聞こうか迷っていた理由の一つだ。
「ただ、それだけのために地上に降り立ったとは、少し考えにくい。ぶどうや桃だけじゃない、ここには色々な果実がありました。その全てを一度に、というわけにもいかないでしょう。それも考えられますが、果実を取ってきたのはなにかのついでと考えるのが自然です。そう考えると、あの量はちょっと納得できない。何度も地上に降り立ったというのも、秘密主義の月の都としては考えにくい」
「…………」
「ねえ、紫さん。もしかして、もしかして、月の都は……」
そこまで言っておきながら、結局最後の結論は言わないことにした。
怖かった、から。
「……いえ、すみません。なんでもありません」
「…………ふ。ふふ。ふふふふふふふふ」
しかし、八雲 紫にしてみれば、これだけ言ってしまえば結論を言わずともそれがどんな結論だったのかを確信を持った推測するのは、一足す一を暗算することよりも簡単だろう。
「あなたは、本当に頭がいいのね。頭が、良過ぎる。妖精としては。妖精としての器を超越している。今すぐ精霊へと変貌しても可笑しくない。というのは少々言い過ぎにしても、体が成長しないというのは不可解ね。自分で抑制しているのか。とすると、自分に巻いた鎖も結構なモノでしょう。ふむ。でも、大変じゃない?他の二人に合わせているのは」
「紫さん」
「なに?」
「今回の件、紫さんが月の古酒を飲みたいというだけで、私達を深いところまで関わらせるつもりでは、ありませんね?」
「ええ。もちろん」
「あの二人に、危険はありませんね」
「もちろん」
「危害は加わりませんね」
「ええ」
「惨禍は訪れませんね」
「少しくどいわよ」
「紫さん、もしあの二人をそういった企みの犠牲にしようとしているのなら、私は貴方を許さない」
「許さない?ふふ。あなたになにができるのかしら」
「どんな手を使ってでも、貴方を殺す」
「どんな手を使ってでも、ねぇ」
「安心してください、ただ殺すだけですから」
「……肝に銘じておきましょう」
八雲 紫は静かにそう言って、そして再び笑った。
「あなたも面白いわねぇ」
「幻想郷は面白い者だらけでしょう」
「そうかしら?」
「あなたが気付いていないだけですよ」
「へぇ。ふうん。そうね、これからは少し周りに気を配ってみようかしら」
「…………」
八雲 紫が周りに気を配るということがどういうことかは分かっていたので、私は黙った。
「……スター?」
サニーの声で、はっと意識が現実に戻った。いつの間にか消えていた視界に、不安そうな表情のサニーが映った。
「だいじょぶ?なんかおっかない顔してたけど」
「あ、ああ、うん。大丈夫。ツンデレとヤンデレのデレの比率の違いを一人論議してただけだから」
「あ、そう。……時々、スターの言ってることが分からない」
「うーむ。やっぱりこの手の話題は門番さんとじゃないと分かり合えないか」
そこで、体を洗い終えたルナと豊姫さんがこちらへやってきた。豊姫さんはなぜかほくほく顔、ルナはなぜか顔中どころか体まで真っ赤だった。さっき転んだことをからかわれたのかな?
それから十分ほど湯船に浸かりながら雑談して、お風呂から上がった。あれだけ入っていたにも関わらず、まったくのぼせていなかった。
「ねえ、スター」
「うん?」
着替えながら、ルナが聞き取れるぎりぎりの声で話しかけてきた。
「無償の優しさなんてやっぱないね……」
「……うん?」
その言葉が指す意味が分からなかった。
「相談なら乗るって」
「いや、そういうんじゃないんだ。ごめん、ただ言ってみただけ。なんでもないんだ」
俯き言うルナ。あきらかに深刻そうな悩み事だった。
その夜、ルナからなんとか悩み事を聞き出し、お風呂でされた数々のセクハラを聞き出し、部屋にあったありったけの刃物を持って止める二人を振り切り豊姫さんを襲撃し依姫さんがそれを止め理由を激昂する私から聞き出し激昂し姉に刃を向け刃物を振るう二人から一晩中月の都の館にいた全員を巻き込み逃げ回ったその事件は、後に『浄土に咲いた不浄の華事件』と呼ばれ、語り継がれたとかなんとか。
☆
次の日も、昨日と同じく月の都を見て回った。同行する豊姫さんは、全身切り傷だらけだった。
「自業自得です」
辛辣に言い放つ。自業自得以外の何物でもない。
「……いやあ、怖いのねえ、スターちゃんって。私の妹よりもしかしたら怖かったわ。ねえスターちゃん、提案があるのだけれど」
「なんですか?」
「三人とも、これから月の都で暮らさない?」
「お断りします」
「残念」
豊姫さんは本当に残念そうにそう言った。
「……セクハラが優遇の対価だというなら、ある程度は私が受けます。だからあの二人には手を出さないでください」
「まじで!?」
まじでじゃねえよこいつは……。
一晩で豊姫さんの私の中の評価はガタ落ちだった。
「じゃ、じゃあ今晩私の部屋でベッドで」
「調子に乗らないでください」
「……じゃあ、ヌード写真は?」
「……それくらいならいいでしょう」
「やったーーーーーーーーーー!!!!」
大きなガッツポーズ。ある意味面白いなこの人。エロ属性とドジっ子属性の二つの性質を持ってる人なんて珍しいだろうし。うわあほんとに幸せそう。
ただし、喜びの声が大きすぎた。
「姉上、寝言を死んでからもほざくのはやめてくださいね」
「がッッ!!」
後ろから依姫さんにぶん殴られた。金属バッドで。思い切りスイングして。
「な、なんで金属バッドなんか……」
「あれ、死んでない」
「気絶してない、でしょう」
「打ちどころがよかったんですかねぇ。ではもう一発」
「やめなさい落ち着きなさい」
「あなたはいい加減にしてください」
そんな二人のやり取りを見ながら、考える。前に、自称普通の魔法使い、霧雨魔理沙さんが自慢してた話。月の千年物の超超古酒を飲んだとかなんとか。つまり、前回の騒動の結果とは。
今なら八雲 紫は眠っているだろう。
「豊姫さん、依姫さん」
「ん、なに?」
「月の都の、五百年以上ものの古酒をお土産に持って帰りたいです」
「……分かったわ」
豊姫さんはいつもの微笑みで、依姫さんは無表情に頷いた。察してくれたか。
さて、あとはなるようになれ。私の役割は終わり。結果どうなろうと、私の知ったことではない。ていうか悲惨な結果になれスキマ妖怪め。
終わり、だと思った。
迂闊すぎた。
私の考えることなど、あのスキマ妖怪が予想できないわけがないだろう。やはり私はただの妖精だった。
夜。
今日の出来事を三人で語り合っているところに、二人はやってきた。
豊姫さんに、いつもの微笑みは無かった。冷たい、影が差したような無表情。しかし、瞳の中の不安の色は押し殺せてなかった。
依姫さんは、豊姫さんほど無表情を装えてなかった。まるで持てる力の全てを使って無表情に努めているかのようだったが、不安と焦りが滲み出ている。
「スターちゃん」
感情を押し殺した豊姫さんの声。ああ、でも、この人は本当に優しいんだな。微かに、私を想う不安で声が震えていた。それが、伝わってきた。
「月讀様が、お呼びです」
☆
大丈夫。
心配する二人にそう言って、私は月讀様の御座すお部屋へと、豊姫さんと依姫さんと一緒に、向かった。
八雲 紫。
これも、あなたの描いたシナリオ通りなのか?
月讀。
月の最高権力。
実在すら疑われている、月の頂点。
もはや、それは信仰。
彼女は、月の最高神だ。
私は妖精。なんだこの状況は。
豊姫さんが話してくれた月のあれこれの中にも、月讀様の名は当然、出た。
「月讀様っていうのは、本当は実在しないのよ。噂ね。でもだからこそ、月讀様は月で一番偉い存在なのよ。面白いでしょう?」
あれは、嘘だった。
その存在を語ることすら、禁忌なのか。
それが、その人が、私を呼んだ?
見抜かれたか。私の中に八雲 紫の意思が在ることを。
限られ過ぎた破片で。いとも簡単に。
……ああ。昼間の古酒の話が決定打か。ならば、間違いなくこれも八雲 紫の計画通りなのだろう。
「私達はここまで」
豊姫さんと依姫さん、二人は立ち止まり、そしてそれ以上ここから先に進むことは決してなかった。私はその意味を察し、一人でその先の道を進む。
「紫さん」
呼びかける。心臓が喉で鳴っているようだ。吐き気がする。
「そのまま進みなさい」
八雲 紫は愉快気だった。しかしもはや腹も立たなかった。
どれだけ歩いたか分からない。十分か、十五分か、分からない。永久のように長く感じた。緊張は高まるばかりだ。
やがて、大きな、暗い、あまりにも暗い扉が、突然、目の前に現れた。
「帰りたい……」
呟き、扉に触れる。
扉は音も無く無気味なほど滑らかに開いた。
「……こんばんは」
中も薄暗かった。いや、薄暗いという表現はこの部屋に当てはまらない。
部屋の中は、夜だった。
地上の、夜だった。
生活感のまるでない静かな広い部屋に、なぜか月の光が差し込んでいる。明るい、満月の光が巨大な窓から差し込んでいた。
明るい、けれど暗い部屋。
しかしそんな些細な不思議、なんでもなかった。
部屋に一人佇む彼女に比べたら、なんでもなかった。
「――――っ」
部屋に佇む彼女。
水気の全く無い白髪。
張りの無い、干乾びた肌。
決して小さくないその体には、肉がほとんど付いていなかった。
そしてなにより、その身に纏った雰囲気。
「――あ、ああ……」
まるで死臭のような。
死、そのもののような。
禍々しくは、ない。
しかし、不吉だった。
どうしようもなく、不吉だった。
「う、ぐ――……」
「……ごめんなさい。不快な思いをさせてしまったわね」
彼女、月讀は、深い、清らかな声でそう謝った。とてもあの肉体から出た声だとは思えなかった。
「あ、いえ。す、すみません……」
「いいのよ。さあ、座って」
「は、はい」
私は、いつの間にか彼女の目の前に出現した椅子へと腰掛けた。気丈を装って。欠片でも心を削られれば、一気に崩れてしまいそうだった。彼女も、いつの間にか出現した椅子へと腰を下ろした。
「貴方の中には今、八雲 紫の意思が在るのね?」
彼女は、そう切り出した。
「はい。いえ、通じている、という可能性もありますが」
「貴方は賢いのね」
彼女は笑った。静かな笑い、しかしそれすらも不吉だった。
「貴方の中の八雲 紫に話しかけてもいいかしら」
「どうぞ」
「ありがとう。……八雲 紫。久しぶりですね」
久しぶり。やはり二人は、知り合いか。
「ええ、久しぶり」
私の中で、八雲 紫の声がした。
「随分醜くなったわね、月の化身。もっとも、それでも昔より幾らかましになったのかしらね」
意味は分からないが、酷いことを言っているのは分かった。最悪その言葉を私が代弁することになりそうだと怯えたが、それは不要だった。やはりさっきの『話しかけてもいいかしら』は、心の声を聞いてもいいかという意味だったらしい。彼女は微笑み、その暴言に応じた。
「ええ、そうですね。それは自覚していますよ」
「自覚、ねえ」
「お互い変わりましたね。本質的な意味ではまるで変わりませんが」
「生物が本質的に変わるなんてことは無いのよ。全てが変わるとしたら、それは元々それに本質が無かったというだけのこと」
「変わりませんねぇ」
「変わらないわよ、私は」
笑う二人。その間に挟まれてる私はめっちゃ気まずい。
「成る程、完全なる自然の具現であれば私の呪いの影響は受けない。押されてはしまうけれど。しかし八雲 紫、そうまでして私と話したいこととは一体。私はできれば貴方とは一生どころか永遠に関わりたく無かったのですが」
「べつに。ただ話をしてみようかとふと思い付いただけよ」
「そんなことだろうと思いました」
彼女は深いため息を吐いた。
「それで?なにを話しましょうか?」
「……んー、特に話し合いたいことは無いわね」
「でしょうね」
「ああ、そうそう。ツンデレはやがてヤンデレへと変貌する可能性を持っている、なんてことを言っていた輩がいるのだけれど、私の意見としてはそんな者ツンデレとは呼べないと思うの。好意を持っている者に好きな者ができれば、それをツンツン応援しながらも陰で悲しみに暮れる。そういう者こそツンデレといえると思うのだけれど、貴方はどう思う?」
「……意味が分かりませんが」
「元はそこの妖精さんが私に持ちかけた話題よ。後でゆっくり解説してもらいなさい」
やめてくんない!?そういう笑えない嫌がらせ!!
「まあ本当に話したいことなんてないしね」
「ええ。私も貴方と話したい事など有り得ませんよ」
「あ、そう。まあその姿が見れただけでもいいわ。もう満足よ」
「そうですか」
「そこの妖精と、ツンデレとヤンデレのデレの比率の違いを論議してなさい」
「だからやめてくんない!?そういう嫌がらせ!!」
声に出して突っ込んだ。いい加減にしやがれ!!
「あ、そうそう。一つ大切な頼み事があったんだった」
「頼み事?」
「できるだけ古い古酒が飲みたい。腐ってるとかそういうのは無しね」
「分かりました」
月讀様は別段何を思うでもなさそうに、すんなりとそれを承諾した。
「じゃ、もうこれで用は無いわ。この子の意思の中から出ていくとしましょう。後はその子と雑談でもしてなさい」
そう言い残し、八雲 紫の意思は私の中から消えた。
……まったく、ほんとにとんでもない人だな。
「……変わりませんね、彼女は」
月讀様は薄く微笑んで、そう繰り返した。
「昔よりは大分丸くなったようですが」
「……あれで、ですか?」
「昔と比べれば、ですけどね」
どんだけなんだよ、昔の八雲 紫。
……想像したくもない。
「穏やかになりましたよ、彼女は。しかし形がどうであれ、彼女は性悪なようですね」
「まったくです」
「まあ、害悪な私よりはましなのでしょうが」
「…………」
どういった経緯で呪いそのもののような体になってしまったのですか?
なんてことはもちろん聞かない。
「貴方も随分と苦労したみたいね。残りの時間も、月の都を堪能してください。短い時間でしたけれども、久しぶりに他人と話せて楽しかったわ」
気付くと、私は立ち上がっていた。彼女も。椅子は、どこにも、影も形も無い。なにかの能力だろうか。
「さようなら」
私はしばらくただそこに佇んでいたが、やがて彼女に背を向け、しかしまた振り向き、
「私が考えるに、ツンデレのデレ率は2.3割がベスト、ヤンデレのデレ率は固定で8.65割です」
と言ってみた。
「は?」
彼女は案の定、ポカンとした表情になった。私は微笑んだ。
「さようなら。また会いましょう。月讀様」
私は頭を下げた。深々と。月のために存在しているであろう、月の最高神に。
彼女はしばらく黙っていたが、
「………………ふふふ」
微笑み、手を振ってくれた。
「さようなら、小さな優しい妖精さん」
☆
「しかし、あなたは本当に凄いわねぇ」
豊姫さんは、心底関心したかのようにそう言った。
「月讀様に会って無事だなんて。会った人がそもそも少ないのだけれど、会えば必ずその者は帰ってこないとまで噂されていたのに。彼女に忠実な、忠実が過ぎる者達だって、会えば帰ってこなかったというのに」
……それは、口封じ、ではないだろう。
そして彼女に会ったのは、彼女に忠実な、忠実が過ぎる者達だけだろう。
呪い。
在るだけで、存在を呪う。
存在としての全てを呪う。
在るだけで、悪害。
それでも彼女は生きている。
ああ、そうか。彼女は誰かに似ていると思ったが、そう、八雲 紫に似ていたんだ。
おそらく月のために生きている彼女と、幻想郷を深く愛し、守る彼女。
月讀様は月を愛しているだろうか。
「疑問にするまでもないな」
「ん?」
「いえ、なんでも」
その後の日々は、遊び、食べ、そして芸を披露する日々が続いた。楽しく、愉快な日々だった。私は豊姫さまに気に入られてしまい、毎日違った服を着せられた。(着物、浴衣、ワンピース、キャミソールにミニスカート、チューブトップに足の大部分を露出させたパンツ、ニット帽に革ジャンにジーンズ、ジャージ、ゴスロリ服などなど)何度か豊姫さんが問題を起こしかけたが、依姫さんによってそのほとんどを未然に止められた。ほとんどを。
兎達とも仲良くなり、一緒に遊んだり弾幕ごっこをしたりした。数回まぐれで勝つことができた。うどんさんと同じ能力を皆持っているようだが、うどんさんとの能力差は歴然としていた。
「波長を操る程度の能力、だっけ」
波長を操り、姿を消したり相手を惑わせたりできる能力。こちらの干渉系や探査系の能力も乱すことができるし、能力の幅が広い。その能力の色々な使い道を見せてもらって、驚き感心したものだ。
「でもそういう応用したことはできないみたいだね、あの兎達」
「うどんさんが特別なんでしょ。目からビームとか出せるじゃん、あの人」
うどんさんのことは誰にも言わなかった。逃げてきたって言ってたし。
……どんな理由で逃げてきたんだろう。
それも、知るべきことではないと思った。
月讀様と会ったのは、結局一度きりだけだった。なんて結末にはさせなかった。もう一度月讀様に会いたいと、帰宅予定日の三日前に豊姫さんに頼んだ。会えるかどうかは月讀様次第、と月讀様に伝言を送ってくれた。かなり無理を言って伝言を通してくれたみたいだ。感謝。
伝言は聞き届けられた。もう一度だけ、私は月讀様に会うことを許された。
「好きの対義語ってなんでしょう?」
そう切り出した。
「無関心、ですか?」
「私はそう思います。では、希望の対義語はなんでしょう?」
「…………。無関心、ですか?」
「そうも言えると思います」
「……ふふ。貴方は本当に優しいですね」
「……そうでしょうか」
「ええ。とても」
その言葉が意味する真意は、私には分からなかった。
希望は要りません。崩れてしまいそうだから。
そんな言葉が、ふと浮かんだ。
だけど彼女には月という希望があるから。
これは優しさだろうか?そうは思えないけれど、でもそう思っておこう。今は。
その後は取り留めのない雑談を交わした。本当にどうでもいいような雑談。でも楽しかった。
「またここに来てもいいでしょうか?」
怖かったが、そう聞いてみた。
彼女は微笑み、
「ええ。いつでも歓迎するわ」
と言ってくれた。それがどっちの意味なのかは分からなかった。
「……貴方の日常は、永くは続かない」
別れ際、月讀様はそう言った。
「…………」
「貴方はあまりにも大きすぎる。妖精の器に収まり切らない程に」
「…………」
「いつか貴方は思い悩むでしょう。深く、思い悩む」
「…………」
「その時は」
彼女は、にっこりと笑った。やはりその笑いも、不吉でしかなかったが。
「ここに相談に来なさい」
「……はい」
しっかりと答えた。嬉しみが、体の奥から湧き上がってきた。
するとなぜか、月讀様はくすくすと笑った。
「ど、どうしました?」
「泣いてるわよ、貴方」
「え、あっ……」
慌てて顔に触れる。頬に、溢れる涙が伝っていた。袖で目を擦ったが、それでも滴をとめることはできない。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ」
しばらく涙は止まらなかった。まったく、仕様がない。やはり私は所詮妖精だ。月讀様は、そんな私を静かに見ていた。
「さようなら、小さな優しい妖精さん。また会いましょう」
「はい。また、会いましょう」
また。
それは、何時のことだろうか。
さて。
そして、今回の月旅行の、寝泊まりという意味では最後の夜。
月での様々の思い出を振り返りながら笑い合い浸り恥じらい(恥じらいはほぼルナのみ)共感しながら話していると、豊姫さんがやってきて、一緒にお風呂に入りましょうと土下座された。ありえん。
依姫さんも一緒に入るという条件で一緒に入ったのだが、案の定セクハラしてきた。おもに、重点的に私に。際どい、いや歴然とアウトなセクハラをされた際に依姫さんが豊姫さんに馬乗りになり首を絞めている様は壮絶だった。
そんなこんなで夜が明けて、月の都の観光も最後。この日はほとんど芸をして過ごした。ルナが傘回しに挑戦し、なぜか最終的に玉を回しながら逆立ちして足で傘を回すという大技を披露して(ものすごいまぐれ)喝采を浴びたりした。しかしその後スカートが捲れ下着がはだけ笑われるというルナらしい結末になった。(豊姫さんは身を乗り出しガッツポーズをしていた)
そんなことをしている間に、あっという間に夜はやってきた。
「はい」
月の海の浜辺で、豊姫さんから酒瓶を受け取った。
「月の古酒、七百年物よ」
「ありがとうございます」
サニーがわあっという声を上げたが、残念ながらこれは私達のものではない。絶対に感知できない毒とか入ってないかな。入ってるといいな。
「それと、もう一度だけ聞きましょう。サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃん」
「はい」
「一緒に月に住むつもりはありませんか?」
「「「いいえ」」」
私達は、揃って答えた。
「残念」
豊姫さんはしかし、今度は残念そうに微笑むだけだった。
「聞いてもいいかしら。なぜ?」
「――幻想郷が、好きだからです」
私は、答えた。
愛しているとまではいかないかもしれないが、私はあそこが大好きだから。
「そう」
豊姫さんはやはり、微笑むだけだった。
「では最後に三妖精ちゃん、キスしてもいいですか」
「…………。……はい」
いくらか迷ったが、それくらいはいいだろう。
豊姫さんは二人の口に軽く口付けした。
私には二人よりも長く、あきらかに長く、たっぷり数秒間口付けした。
ていうか舌入れてきやがった。
「ちょっと依姫ちゃんっ!そっち刃!!切れちゃう切れちゃう!!!があぁああ!!!!」
最後まで愉快な人だった。
兎達とも別れを済ませ、いよいよ月とお別れだ。
「八雲 紫が送ってくるとはいえ、それがあなた達であれば私達は歓迎します。気が向いたらまたいらっしゃい」
と言ってくれたのは、依姫さんだった。おお、依姫さんにそう言ってもらえるのは嬉しい。ツンデレ効果だな。
「なにか?」
「いえ」
「では、お別れです」
刀で突かれた腹を摩りながら(さすが達人、思い切り突いても少ししか血が出なかった)、豊姫さんは言った。
「三人手を繋いで、目を瞑って」
言われた通り、私達は強く手を繋ぎ、目を瞑った。
舌を入れられた。
「があぁああ!!!!」
もうそれはいいんだよ。
「……では地上へ送ります。三つ数えますね。……一、二、」
「三」
暗い視界から、闇さえ消えた。
意識が消える。
その直前に映ったのは、月の都、兎達、豊姫さん、依姫さん。
そして、月讀様だった。
さようなら。また会いましょう。
「次に会うときは、もう少しくらい強くなっていますから」
そう呟いた気がした。
――――。
☀
「……………………む、むぅ…………」
自分のうめき声が空洞の意識に響き、目を覚ました。しばらくぼーっとしていたが、あれなんで私は倒れてるんだっけここどこだっけという疑問がぼんやりと浮かんできて、そしてなにがあったのか、今の自分の状況を思い出し、がばっと起き上がった。
辺りを見渡す。
暗い。
けれど明るい。
満月の光。
久しい、冷たいが心地よい光。
遠くで、獣の吠える声が聞こえる。
土の匂いを含んだ風が、頬を撫でる。
「帰ってきた、のか……」
ぼんやりと、呟く。
とりあえず二人を起こすことにした。
「ルナー、スター」
呼びかけながら、揺すり起こす。
「う、う、ん……」
「起きて起きて」
「む、う……」
ルナとスターは体を起こし、ぼーっとした様子で四つん這いで目を擦る。
「帰ってきたよー」
「……ああ、そうか」
「地上、か……」
状況を確認しても、私も二人もぼんやりしたままだった。やっぱり故郷は落ち着く。
「やっぱり田舎もいいよね」
「そうねぇ……」
「田舎に行ったら誰もいなかった」
「え?」
「なに?」
「いや、なんでもない……」
「少なくとも私はいるわよ」
その声に、衝撃を与えられたように意識が覚醒した。
振り向くと、スキマ妖怪、八雲 紫がスキマに腰掛けながらこちらを見ていた。
「……いつの間に」
「最初から」
「あ、そうですか……」
神出鬼没。相変わらずだった。
月旅行の感想でも聞かれるのかと思ったが、そんなわけがなかった。
「約束の品を受け取りに来たわ」
「約束の品?」
「ああ、はい」
言って、スターは大事に抱いていた七百年物の月の古酒を手渡した。あ、それはそういうことだったのか。
「七百年物だそうです」
「そう。それは重畳」
古酒を受け取り、微笑むスキマ妖怪。
「せっかくだから、あなた達もこれから飲む?」
「え?いいんですか!?喜んであだっ」
なぜかスターに殴られた。
「な、なにすんのよ……」
「毒見役だこのアホちん」
あ、そういう……。
しかし八雲 紫はため息を吐いて、「そんなわけないでしょう」と言った。
「幽々子と飲んでもいいけど、今日はそんな気分じゃないしね。それに」
と、なぜか八雲 紫はスターを見て、怪しく、妖艶に微笑んだ。
「色々、月であったことも聞きたいしね」
スターはため息を吐いた。なんでだろ?
結局、そのまま八雲 紫の家でお酒を頂くことになった。
☆
土と川と樹木と生き物と。
様々な匂いが混じった風に懐かしさを感じながら、月の古酒に満月を映しながら、清浄で清々なお酒の味を楽しんでいる。
「やっぱり、私は田舎のほうが好きですね」
「そう」
「田舎と都会の違いってなんでしょう?」
「自意識」
「なるほど」
二人はとうに酔い潰れて眠ってしまった。今は私と八雲 紫、二人が向き合っている。
「式神の狐さんは?」
「出払ってるわ」
「そうですか」
それからしばらく沈黙が続いた。お酒を楽しむ。こんな状況でも、お酒は美味しい。
べつに酔っているからではない。体は火照っているが、脳髄は冷え切っていた。どうせもうほとんど言ってしまったことだ。ここでそれを聞くのも一興かな。そう思った。
「ねえ、紫さん」
「ん?」
「月の都は、貴方が創ったんですか?」
「そうよ」
一言。それだけ、彼女は答えた。
なんの感慨もなさそうに。
「創り変えた、ですか?」
もう一歩踏み込んでみる。
しかし八雲 紫はそれには答えず、微笑むだけだった。
そして、
「ねえ、あなた。ちょっと見ない間に、身長が伸びたんじゃない?」
と、そんなことを言ってきた。
「……そうでしょうか」
「ええ」
「……ねえ、紫さん」
「なに?」
「幻想郷は、素晴らしいですね」
「そうね」
「それでも、だからこそ世界は変わり続けますね」
「……そうね」
彼女は頷き、酒を煽った。美味そうにそれを飲みこみ、微笑む。
「ねえ妖精さん」
「なんでしょう」
「私が考えるに、ツンデレとヤンデレのデレの比率は、ツンデレは2.5割がベスト、ヤンデレは8.78割で固定なんだけれど、どう思う?」
「……それは少し浅はかでしょう。ツンデレのデレ率は2.3割がベスト、ヤンデレのデレ率は固定で8.65割です」
「それはなんだかマゾが入ってるわね。デレは――」
「甘いですね。ツンデレとはツンが印象的だからデレが輝くわけで――」
「私の計算に間違いは――」
「計算ではなく感覚――」
「感覚さえも計算して――」
「計算なんて使って問題を複雑にするから――」
「デレは――」
「だからこそ――」
「なら――」
「では――」
まあ、とりあえずはこれでいいのだろう。しばらくは、このままで。
希望の類義語は切望、希望の類義語は絶望、希望の類義語は奇妙、希望の類義語は奇跡、希望の類義語は幸福、希望の類義語は愛情。どうとでも捉えることができるから、だから己の考え方次第で世界は変わる。なんて問題ではないけれども、しかしそれでも強い想いを抱き続ければ世界は続く。とかなんとかごちゃごちゃ考えるのも問題なんだろうな。
まあ、いいや。なるようになれ。なんて達観したような覚悟は持てないし持つつもりもないけれど、どうにでもなるさ、そんな問題。
それでも思い悩んでしまったら、あの人に会いに行こう。また月に行く口実にもなるしね。
私の隣では、私の大好きな二人の友人が寝息を立てている。
私は微笑み、二人の頭を大切に、撫でてみた。
物語は以外に、まだ続く。
あれから約一ヶ月後。
飲み干した月の古酒の空瓶を月に投げ返すという悪質な悪戯を八雲 紫が企んでいるという情報をたまたま手に入れたスターサファイアは、命がけで八雲邸に忍び込み、正しく命がけでした『ある悪戯』を古酒の空瓶に詰め込んだ。
満月の夜、空瓶は月に投げ返された。
月の海の浜辺で訓練をしていた兎隊を、たまたま気紛れで見学していた豊姫が見学に飽き波打ち際を散歩していたところで空瓶は発見された。豊姫は舌打ちし、スキマ妖怪を罵った。
それに気付いた依姫もそこにやってきて、同じように舌打ちし、スキマ妖怪を罵った。そして、憤りに任せて刀で空瓶を粉々に砕いた。
そして、『それ』は出てきた。
「――――。…………。……ぶ、ぶふっ、あーっはははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
「――な、これは、は、破廉恥な……。くっ、くく、あーっはははははははははははははははははははははははは!!!!」
「うふふふふふふふ。はははははははははははははははは!!!!」
「ふ、はははははははは。ひ、ひっひっひ!!はははははははははははははははは!!!!」
狂ったように笑う二人を心配しながら駆けつけた兎達も、同じように声の限りに笑い尽くした。
おそらく八雲邸にあったのであろうポラロイドカメラで撮影された、一枚の写真。
その写真には、八雲 紫が映っていた。
酔い潰れ、何者かに頬に猫髭の落書きをされ、額には『満身創痍だにゃあ……』とでかでかと書かれた、ふわふわの猫耳を付け全裸で眠る八雲 紫の姿が、そこには映っていた。
写真の左端には小さく『スターサファイア』とサインされていた。
今作が伏線回と言うことなので,次回作も是非期待します。
あと私はツンデレが2.7割、ヤンデレが8.85割ぐらいで良いと思います。
オリジナル設定を作るなら、わずかでもなにがしかの原作描写を種にして膨らませないと、単なるでたらめなお話になってしまいます。
妖精の枠を超える知性を持つスターサファイア。
月夜見と知り合いだったり月の都を創ったりする紫。
それらの設定は原作描写のどのあたりを種にして生まれたんですか?
読んでいて得心のいく説明が無く、なんじゃこりゃ?と頭の中で疑問符が回っていました。
次回作でなにかしら答えを見せていただけるのか、それとも最後までこの調子なのか、楽しみにしています。
気になるレスを頂いたのでその説明のための返信を。
>妖精の枠を超える知性を持つスターサファイア。
識見のSSにおけるスターは完全オリジナル設定です。
>月夜見と知り合いだったり月の都を創ったりする紫。
>それらの設定は原作描写のどのあたりを種にして生まれたんですか?
これらが伏線です。
>読んでいて得心のいく説明が無く、なんじゃこりゃ?と頭の中で疑問符が回っていました。
まあ伏線回ですからねぇ。推理小説で推理のための調査までの粗筋を読んで、
「え?いやこれ殺人トリックとか殺人動機とか全然分かんないんですけど」
とか言われても困ります。
ですが月面戦争のエピソードを詳しく知っている人であれば、次回作の大体の粗ましは今回のお話だけで予想できるかもしれません。
今回の作品の趣旨は、ギャグ、そして何度も言いますが次回作への伏線です。あるいはツンデレヤンデレ談義。とりあえず三妖精のドタバタ騒ぎ、豊姫さんのセクハラや依姫さんの撲殺突っ込みに少しでも笑っていただければ幸いです。いやでした、か。
それと、そのなんじゃこりゃ?という疑問符を次回作を読んでいただけるときに少しでも思い出してもらえれば尚幸いです。
それでは次回作で。
色んなオリ設定見るのは大好きなので、次回作を楽しみに待たせていただきます。
私が「なんじゃこりゃ」となったのは、伏線どうこうの話ではないことをご理解ください。
スターにしろ、紫にしろ、儚月抄、三月精、いずれも熟読した上で、それら原作のどの要素に着想を得て書かれた設定であるのか皆目見当付かなかったからです。
スターは作者さん自ら完全オリジナルと言ってしまわれたので、これはもう私自身がそれに馴染めなかったものとしてしまうしかありませんが、
紫の設定に関しては次回作で「へえ、なるほど原作のあれを活かしたのか」と納得させていただけるのであれば楽しみです。
贅沢を言うなら、サニーとルナ、特に月に行ったのならルナに活躍して欲しかったですね。
何もないところで転ぶ程度の能力は存分に発揮していましたが、能力120%という感じですし、月ですから。
紫にあなたが一番妖怪に近い?でしたか、コミックでルナがそんなことを言われていたようですが、どう考えてもスターですよね。この点は大いに謎ですw
公式設定がどうなっていたのかはっきり思い出せないのですが、たしか力の強さ的には 精霊(毛玉)→妖精→妖怪 だったと思っていました。
文中で 精霊になるとあったので、あれ逆だったかなと思いまして。
もちろん1次設定にひたすらこだわるという必要もないのでしょうが。
視点が変わって誰の視点なのかよく見失ってちょっと辛かったです。
三人称で視点をいわゆる神の視点に固定されたら、かなり読みやすくなるのでは、と思いました。
素敵な小説をありがとうございました。
また三妖精が活躍すると良いなぁ。
綿月姉妹のキャラを崩してギャグっぽくしてますけど、一方で紫はなんだかやたら凄そうなキャラに仕立ててますよね。
これでは見ていてなんだかなあと思っちゃいますよ。
最後の写真ネタくらいではこのバランスの悪さを取り繕えないと思います。
光の三妖精が活躍してくれるだけで最高に嬉しいです。
ただ、視点がどんどん変わるので、それに付いて行くのが大変でした。
三月精好きなので、次回にも期待です。
それにしたって中途半端な印象を受けた。
上でも言われている通り、ギャグに徹しきれなかったのが痛い。