「――コレだ」
天啓だった。
人生の指針を古典に委ねること数ヶ月。蒟蒻の秘める意外性は限界まで極めた、と自負する私をして会心と言わしめる着想であった。
――歌って踊れる蒟蒻
いける。これならば神や悪魔の度肝も抜ける。彼らの醜態に愛想をつかした民草は、新時代の象徴としてこの私を求めるだろう。歓呼するのだ。小傘様、と。
「グラッツェ!」
早くも現れた架空の民衆に手を振ると、私はいつもの傘を取る。
「多々良小傘は酒乱お一人につき、二万六千円の手当をお約束します!」
財源には触れず走り出す。前代未聞の驚愕を求めて。多々良小傘の出陣だった。
∇
蒼穹に映える原色の花々。百花の誇る芳醇な蜜が風に乗って甘く鼻をくすぐる。五感を潤す天然の花畑。このまま昼寝としゃれ込みたくなる心地だが、今は火急の用がある。
「たしかこの先よね」
道中妖精に聞いたところによれば、目指す地はこの色鮮やかな楽園を抜けた先にあるらしい。
「驚天動地は素材に拘らなくちゃね」
歌って踊れる蒟蒻。至高と信ずるエンターテイメントだが、ならば細部に手を抜きたくない。澄み渡る美声、躍動感溢れる食物繊維。どうせやるなら最高を求めるのが信条だ。
「話によればそろそろ……」
目的地に着いておかしくない。そう首を伸ばしたすぐ先で、世界は金色に染められていた。
「わぁ……」
見渡す限りの向日葵の花。太陽を溶かして撒いたような一面の夏に目が眩みそうになる。
「ここが……」
ふと、向日葵畑の入り口に立つ女性に気付く。落ち着いた、それでいて華のある装いに、この地の関係者であることを確信した。駆け寄る。
「蒟蒻畑ですかっ、お姉さん!」
「違います」
にこやかに頬をつねられた。
「にゃー! い、痛いですっ」
火照る頬を押さえて女性と距離を取る。
「ど……どうしてつねるんですかっ」
理不尽である。納得のいく釈明をせよ、とぶんぶん傘を振る。
「どうしてはこちらの台詞よ。この咲き誇る夏を前にどうして蒟蒻が躍り出てくるのかしらね」
こちらの精一杯の威嚇にしかし、女性は微塵も怯まない。
「喧嘩を売りにきたのかしら?」
「の、ノー!」
襟をつかまれ猫のように吊るされる。
「降ろしてくださいーっ」
「卸してください?」
「にぎゃー! どうして卸し金を持ち歩いてるんですかー!」
女性の豊かな胸元から取り出される花柄のオロシガネ。そのファンシーなキッチンアイテムにこびり付く血糊が、それが相当に使い込まれた凶器であることを強烈に物語る。
「右肘からいっちゃう?」
百点満点の笑顔で〝さですと〟を宣言する女性。
「ひぃぃ……」
終わった。小傘の冒険はここで終わってしまった。
「……多々良小傘と申します」
せめて墓に刻めと名を残す。思えば辛い人生だった。人を驚かすことを性として生まれ、その本懐を遂げることなく散り逝く付喪神。
「こんな美しい花畑でターミネーターに出会ってしまうなんて……」
この世に万分の一以下の確率で存在する、ラスボスとのランダムエンカウントである。まさか最初の街を出た瞬間、卸し金で武装したカリフォルニア州知事に遭遇してしまうとは。
「ふむ……」
いつか白蓮に聞いた念仏を唱え、安らかな眠りを祈ろうとしたその時、不意に襟首を解放されて地に足がついた。
「ふぇ?」
女性を見上げる。
「知恵と知識はないようだけど、花を愛でる心はあるのかしらね」
「あの……?」
「風見幽香よ」
「え、と……?」
「名乗ったでしょう?」
「あ……」
どちらかというと戒名を求めたのだが、名乗ったと言われればそのとおりだろう。
「学べとまでは言わないけれど、もう少し見聞を広めなさい。花にも矜持はあるの。貴方も蒟蒻と混同されるのは愉快ではないでしょう」
「いや……」
だからといって即座に卸し金が出てくるのはいかがなものか。
「向日葵は分かりますけど……」
「ならどうして蒟蒻が出てくるの」
「あの……人に聞いたんです。この道を真っ直ぐ行って、花畑を抜けた先に畑があるって」
「俗称よ。一面の向日葵を指して太陽の畑と呼ぶ者もある」
「たいようの……はたけ?」
おや?
「……蒟蒻畑は?」
「知るものですか。こんにゃくも五年に一度は花をつけるけどね。畑と呼ばれるほど群生する土地に当てはないわ」
「え……? だって氷の妖精に聞いたらこっちだって……」
「……アレに物を尋ねる馬鹿が幻想郷にまだいたとはね」
「……え? えっ?」
「いいわ。もう帰りなさい」
くるりと幽香は後ろを向いた。これ以上話すことはないという明確な拒絶だ。
「で、でも、どうしても行きたいんです。蒟蒻畑は……」
求めるは至高の蒟蒻。ならば汝は蒟蒻畑に行くべしと妖精は言っていたのだ。
「知らないと言ったでしょう」
「だけど――」
「しつこいわ。マンナンライフにでも聞いて頂戴」
「その人が知ってるんですか?」
「ええ、知っているでしょうね。寧ろ彼にしか分からないわ」
「まんなんライフ……万難人生?」
キビしい人生を送る人のことだろうか。思いを果たせず生を終える憂き目にあっていたのは、何を隠そう五分前のこの私であるが。
「あー、そゆこと」
ぽむ、と手を打った。蒟蒻の錬度とは持ち主の悲哀に比例するものなのだろう。そして驚嘆の惹起にあたり幾度となく辛酸を舐めたこの私と常に共にあった蒟蒻たちは、既に比肩するものがないほどに練り上げられているのだろう。灯台下暗し。至高の素材は我が冷蔵庫にあり。
「分かったわ。ありがとうお姉さん!」
「い、今のやりとりで分かったの?」
あ、ちょっと驚いてる。嬉しい。
「うん! お姉さんのおかげで! マンナンライフは私なの! 私が蒟蒻畑なの!」
答えは得た。さあ家に帰ろう。蒟蒻のストックはうなるほどある。
「ばいばい、幽香お姉さん!」
大きく手を振って向日葵畑から飛び上がる。
「……まあ探し物が見つかったのなら何よりだわ」
「うんっ」
ここに来て良かった。幽香は最初は怖かったけど、蒟蒻畑に繋がる道を照らしてくれた。そうだ。本当の優しさとは答えを与えることじゃない。与えるべきは解答を導くに足るピースと方程式。そこから先は自らが切り開く新天地である。幽香はそれを教えてくれたのだ。
「また来るわ! 今度は踊る蒟蒻を連れて! お姉さんに一番に見せてあげる!」
「お、踊る蒟蒻!?」
「むふぅ」
またちょっと驚いた幽香の表情を堪能して背を向けた。目指すは自宅だ。極上が私を待っていた。
∇
「ふむん……」
「ど、どうでしょうか……?」
自宅に戻り蒟蒻を携え、続き足を運んだのは妖怪の山、未踏の渓谷。そこに何でも作れる河童が住むと聞いてやってきたのだ。
「いや素晴らしい。人々に未知の感動を与えんとする希望、夢を形にするため妖怪の山を踏破する気概。何よりその術を私の技術に求める選択が理に適っている」
この地に住む河童、河城にとりはそう言って、一歩私に近づいた。
「蒟蒻という古典的な手法を科学で補うか。いや、補填ではなく止揚かな。クラシックとサイエンスが絡み合い、一つ上の位階に足をかけるんだ」
サイエンスフィーチャリング蒟蒻だ、とにとりは嬉しそうに私の手をとった。
「お目が高いね、小傘」
「で、では……」
「うん、喜んで協力するよ」
「あ……ありがとうございますっ」
にとりに後光が差して見える。
「いやなに。未知に挑む少女が科学の門を叩いたんだ。応えてみせるが河童の粋さ」
そう言うと、にとりは楽しげにリュックの中を漁りだした。見たことのない工具がざらざら出てくる。
「さて小傘。早速作成に取り掛かりたいところだが、まずは基本設計が必要だ」
「きほんせっけー」
「そう。歌って踊れる蒟蒻と言っても色々あるだろう。大体人が蒟蒻と聞いてイメージするのは灰色の直方体だろうが、それをその形状のまま歌って踊らせたいのか、それとも歌って踊れるアンドロイドでも作って、外皮を蒟蒻でコーティングしたいのか。おそらくは前者が近いんじゃないかな? 一目で蒟蒻と分かるものでなければ歌って踊らせたとて誰も驚かないからね」
「う、うん……」
にとりの言うことは良く分からないが、見た人が驚いてくれないのは困る。
「で、でもかわいい方がいい……」
折角歌って踊れるようになるのだ。たっぷり驚いてもらった後は、皆に愛されてほしいではないか。
「かわいいだって? 難しいことを言うな、小傘は」
「だめですか……?」
「いや、そんなことはないさ」
にとりはニヤリと笑った。
「一流のエンジニアはデザインにも気を配る。依頼主が望むなら最高のキュートを見せつけてやろうじゃないか」
「ありがとうございます!」
「うむうむ。それじゃあ早速製作に取り掛かるとするよ」
「あ、はいっ。おねがいしますっ」
一礼して正座する。下はごつごつとした岩場だが、にとりが用意してくれたふわふわのグリーンシートがあるので全く足は痛まない。
「……そこでずっと見てるつもり? いいけど、そんなにじっと見つめないでほしいな」
照れるじゃないか、と頬を赤らめることもなくにとりは言った。
「そうだ。暇ならひとつ仕事を頼まれてくれないか」
「おしごとですか」
「うん。蒟蒻の形状を維持したままキュートに駆動するメカの構想は既にあるんだ。でもこの案だと自ら歌うことが出来ない。……というか、歌唱するオートマタは幻想郷にはまだない技術なんだよ。だから歌う部分についてはこいつを使う」
手の平大の四角い機械を渡される。
「これは?」
「ICレコーダーさ。踊る蒟蒻完成の暁にはこいつをジョイントして歌わせる。小傘、君にはコレに歌を録音してもらいたいんだ」
「あいしーれこーだ……」
「側面にスペルが彫ってある。『incandescent cyappa's recorder』……光り輝くカッパの録音機という意味だ。フフフ、小傘は外来語は苦手かな? いけないな。精通する言語の数は咀嚼可能な世界の数だよ。少し私を見習って……」
「『Y』いりませんよね、真ん中の。光り輝くキャッパの録音機ですよ、これ」
「……」
散らばる工具の一つをとって岩にガリガリ『CYAPPA』と刻む。
「Please concurrently with me」
ご一緒にどうぞ、と発音を促す。
「キャッパ」
滑らかな発音は私一人のものだった。
「あとたぶんここ『K』です」
地面に書いた『CYAPPA』の『CY』にバッテンをつけて、その上に『K』を加えた。
「カッパ」
ね? と微笑む。
「……」
「……? どうするんですか、そのバール?」
「……いや。まあ兎も角それは音声を収録することができる機械だよ。取説はこれ。私がボディを作っている間、君はレコーダーに好きな歌を録音しておいてくれ」
ぽい、と紙束を放られた。
「わあ。こんな小さな機械に歌が入るんですか」
流石は名高い河童のエンジニア。にとりに頼んで本当に良かった。
「……さあ行った行った。気が散るから録音はどこか遠くでやってくれ。なに、妖怪の山は幼女に寛容だ。天狗様も放送禁止用語さえ含まなければ、大声を出しても文句は言わないよ」
「あうぅ……で、でも私上手に歌えない……」
「なら誰かに歌ってもらえばいい。頼まれてくれそうな妖怪もいるだろう」
「うぅん……」
歌ってくれる妖怪。誰かいただろうか。
「それから小傘、何処に住んでいるんだい? 出来上がったら届けてあげるよ」
「え、いいんですか?」
「ああ。サービスさ。あんまり遠くなけりゃね」
「わ、ありがとうございます。私のおうちはえっと……あ……」
待て。誰よりも早く、歌って踊れる蒟蒻を見せると誓った女性がいたのではないか。
「あの、おうちじゃなくてもいいですか?」
「構わないさ。どこ?」
「えっと、たいようのはたけって分かります?」
「太陽の畑か。些か物騒な場所だね」
「だめですか?」
「構わないと言ったろ。届けてやるさ」
「ありがとうございます!」
これで幽香にお披露目ができる。にとりの手がけた蒟蒻ならば、幽香もきっと喜んでくれるに違いない。
「そろそろ行きなよ。歌を誰かに頼むなら日が暮れる前がいいだろう?」
「あ、はいっ」
膝の下のシートを返して立ち上がる。同時に素材となる蒟蒻も手渡した。
「それじゃあよろしくお願いします!」
「頼まれた。大船に乗った気でいるといいさ」
「はいっ」
にとりの頼もしい台詞に押されて飛び上がった。
「んー、里の方に言ってみようかなあ」
探すは私のために歌ってくれる妖怪だ。確か人里に近いところに歌好きの夜雀がいたはずである。まずは彼女を訪ねよう。彼女がダメでも里になら歌ってくれる者があるかもしれない。
「歌、練習しようかな」
頼める者がなければ自分で歌うしかない。
「でも可愛い歌、知らないし……ううん……」
狭い持ち歌のレパートリーに思いを巡らせながら、ふわふわと人里に向かうのだった。
∇
「すっかり遅くなっちゃった……」
とっぷり暮れた花畑に人影はなく、濃密な花の香りも昼に比べてどこか寂しげな風である。足音しか響かない薄闇を足早に抜けていく。
「ミスティアさん、いい人なんだけど……」
収穫はあった。最初に尋ねた夜雀のミスティアは歌の録音を快諾してくれ、今この手にあるICレコーダーには彼女の歌がギッシリ詰め込まれている。
「マイクを放さない人なのね……」
兎に角長い。歌い始めると止まらない。突如始まった即席リサイタルショーは、いつしか録音限界に達していたレコーダーの沈黙に気付いた私に制止されるまで、延々六時間ほど続いたのだった。
「歌もなんというか……」
音痴ではない。ではないのだが選ぶ歌が酷い。彼女のオリジナルなのだろうか、速射される支離滅裂な歌詞の中には嫌がらせのような単語も散見され、実は歌の依頼は迷惑だったのではないかと疑えないこともなかった。
「けど楽しそうだったなあ」
そう、それでも彼女に歌ってもらって良かったと思えるのは、彼女が心底楽しんで歌っていたからだ。開店時間を過ぎても屋台そっちのけで歌い続けていたミスティアを囲む、おあずけを食った屋台の客たち。彼らの腹の虫と手拍子に乗っていよいよ伸びる放吟は、歌い手と聞き手の区別なく笑顔を配る愛情表現だった。
「うん。この歌なら大丈夫」
握り締めたレコーダーを見つめて頷く。彼女の歌なら大丈夫だ。にとりの作ってくれる至高のボディが繰り出す究極のダンスに見劣りすることなどありえない。
「けど、もしかしてもう届けてくれちゃってるかな?」
心配は質ではなくタイミングである。日が落ちて随分経った。太陽の畑で直接にとりからボディを受け取るつもりだが、もしかしたら既に配達してくれているかもしれない。時間の指定がなかった以上、私がいなくても構わないのかもしれないが、善意で届けてくれるにとりに待ち惚けさせるのは申し訳がない。
「そろそろ……あ……」
私も夜に力を増す妖怪だ。十分に利く夜目に人影を察知した。位置的には太陽の畑の入り口にあたる。昼に幽香に出遭ったあたりだが……。
「お姉さん!」
人影はやはり幽香であった。彼女も夜目が利くのか、闇の中の向日葵たちを昼間と変わることなく眺めていた。
「来たわね……」
ゆっくりと振り向く幽香。その顔は一見笑っているようである。
「え、待っていてくれたんですか?」
台詞と表情からはそう受け取れる。が、なんとなくそうでないような気もする。なんだろうか。うなじがちりちりするような……第六感?
「ええ、待っていたわ。これがどういう了見か聞こうと思ってね」
かつ、と折り畳んだ日傘で大地を軽く打つ幽香。日傘の差す先には腰の高さほどの箱が置かれていた。
「なんですか、それ?」
「こちらの台詞よ。なんなのよ、これは」
「え?」
「山の河童が置いていったわ。貴方が取りに来るからってね」
「――ああ」
やはりにとりは先に来ていたのだ。私の到着があまりに遅いので荷物だけ置いて帰ったのだろう。悪いことをしてしまった。今度イケメンのキュウリでも差し入れに行こう。
「ああ、じゃないわ。やっぱり心当たりがあるのね」
「あ、はい」
「ここに運ばせた理由を述べなさい。如何によっては無事に帰れるとは思わないことね。おかげで一時間もこの場所を動けなかったんだから」
「え? ずっとここにいたんですか?」
「ん……」
「もしかして、荷物を見ていてくれたんですか?」
「……そんなわけないでしょ」
「え? じゃあ……」
どうして、と言おうとして遮られた。
「いいわ」
「でも」
「いいの! で、その箱、なんなのよ」
幽香の顔がほんのり赤い。怒らせてしまったのだろうか。
「ああ、これはほら、朝お約束したアレですよ」
「ま、まさか踊る……?」
「はい。歌って踊れる蒟蒻です」
にとりさんが頑張ってくれました、と胸を張る。
「そ、そう……実在するのね……というか、こんなに大きいの?」
「さ、さあ……」
箱は大人の下半身ほどある。にとりは蒟蒻の原形を留めた形状と言っていた気がするが、それにしてはデカイような?
「さあ、って……小傘、貴方が運ばせたんでしょう」
「にとりさんに作ってもらったばっかりで、私もまだ見てないんですよう」
「じゃあさっさと開けなさいな。貴方もそのために来たんでしょ」
「あ、ハイ」
とてて、と箱に駆け寄る。鉄製の箱にでかでかと張られた伝票には『配送先:太陽の畑2-1-2 風見様方、多々良小傘様』と書かれていた。伝票があるということは、にとりが直接持ってきたわけではないのだろうか。というか……、
「居候みたいですね、私」
「根無し草のように生きているからよ」
「えうぅ」
返す言葉もなかった。
「えっとここを捻ってこっちを……あれ?」
「……何してるの」
「中々開かなくて……こうかな? ううん……」
夜目が利くとはいえ、暗所で未知の構造を弄るのは厄介である。小さく書かれた『開』と『閉』の区別もつかない。
「お姉さん、ちょっと待ってもらえますか?」
「嫌よ」
裁断するような声と同時、周囲の向日葵が橙色の明かりを一斉に灯し始めた。
「わ」
ぼんやりとしたオレンジは瞬く間に畑いっぱいに広がっていき、すぐに辺りは昼の如き明るさとなった。
「これで見えるでしょ。早くしなさい」
「ほはぁ……凄いですね……」
千はくだらない数の花々を発光させる事がどれほど大変なのかは分からないが、少なくとも膨大な魔力を要す行為であり、かつ幽香にとってはそれがささやかな消費に過ぎないということくらいは察せられる。
「言ったでしょう。太陽の畑と呼ばれることもある、と。いいから急ぎなさい。あまり長くこの子達の眠りを邪魔したくないの」
「は、はい」
再び箱に挑む。どうやら箱は二つに割れる構造らしい。留め金を外しレバーを捻ると亀裂のように隙間が生まれ、それに沿って力を加えると斜めにスライドして箱の上部が地面に落ちた。無駄に面倒な機構である。
「おお……」
「こ、これが……」
そして現れる科学の粋。
「歌って踊れる……」
その一見どこにでもある、しかし良く見れば明らかに異彩を放つフォルムは。
「……扇風機?」
どこからどう見ても扇風機だった。
「……なにこれ」
「さあ……」
箱から引きずり出すと、ほんのり香る生臭さ。良く見ると扇風機の羽根に四角い蒟蒻が突き刺さっている。おでんの串のように、通常よりも幅を狭くとられたファンに二つ三つと差し貫かれた蒟蒻たち。全ての羽根に取り付けられた蒟蒻は計十八個。そのツヤのある威容は見る者を圧倒せずにはおかない貫禄を確かに備えていた。
「……これがどう歌って踊るのよ」
「ど、どうするんでしょう……」
スピンナーに張られたキッチュなカッパはどう見てもただのシールであり、単体起動して踊りだすようにはとても思えない。もしかして『かわいく』の注文をこれでクリアしたつもりなのだろうか。なんか白目とか剥いてて怖いんだけど。
「ええと……あ、これにとりさんの字で……」
取説を発見する。
「なになに……? 商品名:ICBM(incandescent cucumber's bold machine)……輝くキュウリの大胆な機械? ……あ、燃料がウランだ」
「そういう大胆はいらないわ」
「使用方法:扇風機と同じ」
「手抜きじゃないの」
「……背面のスロットにICレコーダーを差し込み、レコーダーのスイッチをONにすると、レコーダーの音声に合わせて本体が稼動します、だって……」
「そう……」
「……」
なんとも言えぬ残念な空気が流れる。
「い、いや! 幻想郷最高のエンジニアと言われるにとりさんが作ってくれたんです! きっと見る人の度肝を抜く壮大なマシーンに違いありません! この見た目はカモフラージュです!」
既に後ろ向きに所有者の度肝を抜いた気もするが勢いでねじ伏せる。一時間も待たせたのだ。幽香をガッカリさせるわけにはいかない。
「動くとスゴいんです! ほら、お姉さんもこっちに来てください!」
「え、ええ……」
大地に敷いたシートをぱんぱん叩いて、引き気味の幽香を扇風機の正面にしゃがませる。
「大丈夫! にとりさんを信じてください!」
「まあ悪い噂は聞かないわね」
「そうですよ! ……えっと、ここに入れて……スイッチON……と」
背面にレコーダーをセットしてちょこんと幽香に並ぶ。体育座りの緑髪二人が踊る扇風機と対峙する。
「さあお姉さん、始まりますよ! 楽しい楽しい、歌って踊れる蒟蒻ショーです!」
幽香の不安を消し飛ばすようににっこり微笑む。大丈夫。河童の技術だ。きっとヴェルファーレも真っ青のステップで幽香の度肝を抜いてくれるだろう。
「ありがとう、二人とも!」
対価もなく協力してくれたにとりとミスティアに感謝して、力いっぱい『強風』ボタンを押下した。
瞬間、溢れ出す蒟蒻の世界。流れる穏やかな歌声を微塵も気にかけることなく、これが俺だと言わんばかりに高速回転を始めた扇風機は、その骨太な遠心力により初動で全ての蒟蒻をカバーの内側に叩きつけると、無駄に鋭いその羽根で一口サイズに刻むや否や、自慢の首振り機能を見せつけながら、ご注文どおりの強風に乗せて細切れの蒟蒻を力強く前面に撒き散らした。体育座りのまま顔面で蒟蒻を受け止める二人。BGMは『傘がない』。遠い都会の自殺者よりもまず今日の天気を憂う若者の近視眼的な生き様に乗せて、白目を剥いたカッパが景気良くチョッパーを回し続ける。
――問題は、今日○雨。傘○ない。
大人の都合によりところどころブツ切りの歌に合わせ、ゆっくりとこちらを向く蒟蒻まみれの幽香。
「小傘……?」
極上品のコルクを抜くソムリエのような笑顔で朗らかに頭蓋をワシ掴まれる。申し分のないクォリティのアイアンクローだった。
「ひぃぃ……」
傘がないっていうか、小傘の命が危ない。
――行かな○ちゃ。君に逢いに行か○くちゃ。
生きなくちゃ。明日のために生きなくちゃ。
「覚悟は出来てるんでしょうね?」
「の、ノー! 助けて井上ェ!」
走馬灯に混じって夜空で腰を振る総書記似のオッサンに手を伸ばすも祈りは届かず、扇風機からは一曲終えて気持ちよくMCに入ったミスティアの不穏なシャウトが響き渡る。
『うおお! 来いよJASRAC!』
鬨の如し宣戦布告。天まで焦がす開戦の狼煙。絶叫に同期して全ての蒟蒻を吐き出した扇風機が満足げに自爆した。
「……」
完全に上方へと限定された指向性の爆発。周囲の花への影響もない。が、チョッパーの爆ぜるパチパチという余韻が場の空気を秒刻みで冷却していく。
「……」
「……あの、」
アイアンクローを決められたまま、恐る恐る幽香を見上げた。
「……さてと。右肘からだったかしら」
「あわわ……ノーモアオロシガネ!」
笑顔のまま卸し金を取り出す幽香。やはり常備しているらしい。
「にゃー! 許してくださいー!」
じたばたする。
「許しを請うのはこちらよ。ごめんなさいね。気付くのが遅れて。やっぱり喧嘩を売っていたのね」
「ノオォ!」
鋼鉄の指は外れない。
「お、お慈悲を。チャンスをください」
「どうすると?」
「もう一度、今度は完璧な歌って踊れる蒟蒻を連れてきます!」
「別にそれほど蒟蒻に興味はないんだけど」
「そんなっ。楽しいですよっ。きっとお姉さんも楽しくてびっくりするはずですっ」
声にぐっと力を込める。勝利の鍵は古典にあり。人生の活路は蒟蒻にあるのだ。
「絶対に満足させて見せますっ」
真っ直ぐに幽香の目を見つめる。多々良小傘の正念場である。
「……」
「……」
「……」
「……ふん」
不意に頭を解放された。
「……お?」
「いいわ。行きなさい」
「おお……あ、ありがとうございますっ」
早速駆け出そうとしてふと、扇風機の残骸に目がとまる。
「それもいいわ。処分しておくから貴方はさっさと行きなさい」
「あ、はい……でも、」
「何?」
「この機械、折角にとりさんが作ってくれたのに……」
彼女も暇ではあるまいに、一生懸命作ってくれたのだ。謝礼の挨拶が武勇伝の報告どころか死亡通知を兼ねるなんて、彼女に会わせる顔がない。
「どういう思想で設計すればこんな自爆兵器が生まれるのか知らないけれど、墓くらいは作ってやれるわ。小傘、いいから貴方は先を急ぎなさい」
「お姉さん……でも……」
「私に完璧を見せ付けるんじゃなかったの? 貴方には後ろを振り向く時間なんてないはずよ」
はて、そこまで急ぎの話だったろうか。
「あ……お姉さんやっぱり歌って踊れる蒟蒻が楽しみで仕方が」
「長くはもたないからね。私の堪忍袋の緒」
「あー……そゆことですか」
しょんぼりする。
「行きなさい」
「ハイ」
マシンを幽香に託して飛び上がる。この手で葬れないのは無念だが、幽香も鬼ではないはずだ。丁重に埋葬してくれるだろう。
「じゃあお姉さん、お願いします」
言って空を目指す。蒟蒻を歌って踊らせる第二案は既にある。まずは蒟蒻の補充のために一旦我が家に戻るとしよう。
∇
「さて、この辺でいいかしら」
こと、と直方体の蒟蒻を乗せた白い皿を地面に置いた。
「どのくらい待てばいいんだろ……」
皿の側に寝そべって蒟蒻をじっと見つめるも、目ぼしい変化は現れない。
「焦っちゃだめよね。踊り子さんは天然が一番なんだから」
如何にして蒟蒻を歌って踊らせるか。科学に頼る方法はワケの分からん蒟蒻破砕機に成り果てる結果をもって頓挫した。やはり河童の誇る科学といえど万能ではないのだろう。歌や踊りには心が必要なのである。
「んー……」
そこで訪れたのがここ、無名の丘だ。鈴蘭で覆われたこの地はメディスンという妖怪の生地である。何でも丘に捨てられた人形が意思を持ち妖怪化したとか。素晴らしい。ここは天然の妖怪発生器。ならばここに置かれた蒟蒻もいつしか妖怪となるに違いない。歌と踊りは生後じっくり教えてやればいい。
「どんな子かなあ。優しい子だといいなあ」
もうすぐ生まれる蒟蒻妖怪に思いを馳せる。きっと優しいヌメりと湿った愛嬌に恵まれた、弾力感のある幼女だろう。そのプニプニの頬を震わせて歌うララバイは、聴く者を優しく驚きに包んでくれるはずである。
「なんて子かなあ。あ、私が名付けてあげるのかな?」
名付け親、それは即ちママである。この私が、ママになる。
「おお……」
新鮮な驚きをしばし味わう。
「ママかあ……」
幼子の手を引く夢を見る。お揃いの傘で人々を驚かせて回る日々。
「えへへ……」
うっとりだった。
「それじゃあ私の子供だから名前は――」
小傘の子。小さな小傘。小傘より小さい子?
「微傘」
愛娘の名は二秒で決定した。
「うふふ……」
傘を抱きしめてわが子を思う。
「早く生まれておいでー」
皿の周りをごろごろ転がる。ばさばさと揺れる鈴蘭の花。
「ごほっ……ぐはぁ」
降りかかる花粉にむせ返る。マズイ、鈴蘭は全草に毒があったはずだ。
「ふおぉ……」
悶えながら皿の上に覆いかぶさり、蒟蒻を花粉からガードした。
「大丈夫。ママが守ってあげるからね」
まだ見ぬ娘に微笑みかけて、そっと蒟蒻を抱きしめた。
「だから安心して、微傘」
口付ける。
「あばばばば」
痺れる唇に悶絶する。
「ふえぇ……微傘ぁ……」
唇に付いた花粉をごしごし袖で落としながら、蒟蒻を抱いて横になった。
∇
「うえぇん。微傘が目を覚ましませんー」
「……ちょっと小傘、腰にしがみつかないでくれる?」
「あうぅ……」
無名の丘で横たわること数時間。コンバロサイドによる頭痛が限界を迎えるまで、卵を温める親鳥のように蒟蒻を抱き続けるも、微傘が生まれることは遂になかった。
「うう……私はママになれません……」
失意に暮れる私は幽香の待つ太陽の畑に戻ってきていた。
「ママ? っていうかビガサってなによ。巨神兵みたいなもの?」
「違います! そんなの目を覚まさないに越したことないです! 微傘は私の娘です! 歌って踊れる蒟蒻妖怪です!」
漢字を宙に書いて、蒟蒻の乗った皿をぷるんと突き出す。
「微妙な傘?」
「微かな傘ですっ」
食って掛かる。そのニュアンスは許容できなかった。
「幽かな傘ね。いい名前じゃない」
「そう思いますかっ」
「ええ」
「えへへ」
幽香がそういってくれると微傘が祝福されているようでちょっとうれしい。
「でも生まれてこないんです。無名の丘で何時間も頑張ったのに……」
しょんぼり肩を落とす。
「無名の丘で? 柳の下のメディを狙ったの?」
「はい……」
「無理よ」
「え?」
「あの子の元になった人形は、丘に捨てられたまま何年も放置されていたのよ。降り積もった鈴蘭の毒が人形に浸透し、毒を媒介に力を得た。……無名の丘とはその名のとおり、毒と孤独の吹き溜まり。ほんの数時間その身を晒すだけで、易々と妖怪化が成るような都合のいい場所ではないのよ」
「そう……ですか」
「あと形もね。メディは恨みつらみで誕生した妖怪ではないけど、人の形には思いが集い自我も生まれやすい。ベースが人形だったことも、妖怪化の要因の一つではあったでしょうね。まあ、付喪神の小傘に言ってもピンとこないでしょうけど」
人の形に心が生まれる。メディスンですらそれには数年の時間を要したらしい。それでは四角い蒟蒻に思いが宿り、歌って踊れるようになるにはどれほどの年月が要るのだろうか。
「あ、それじゃあ、ただの四角じゃなくって目鼻や手足を作ってあげて、そうすれば少しは早く妖怪になれますか?」
「……多少は早まるかもしれないわね」
ならば躊躇うことはない。同時に無骨な外見を可愛く整えてあげられるなら、微傘も喜んでくれるに違いない。
「お姉さん、小さなナイフとか持ってますか?」
「貸してあげるわ」
幽香の袖から刃渡り三十センチほどの刺身包丁が現れる。卸し金といい、物騒な台所用品に事欠かぬ女である。
「ごめんね。痛くしないからね」
蒟蒻にそっと刃を向けた。慎重に、丁寧に。娘の髪に鋏を入れるように手を動かす。
「こうして……ここを……」
しばし時を忘れて没頭した。
「出来た……」
そして生まれるニュー微傘。
「うん、かわいい」
「ようかんマン?」
「違います! なんてこと言うんですか!」
ぶんぶん傘を振って抗議する。
「嘘よ。いや、それっぽいけど、可愛いわ」
「えへへ」
幽香が認めてくれると嬉しいのはなんでだろう。
「けどそれでいいのかしら」
「え?」
「確かに可愛いけれど、それは言わば愛でる者の喜ぶ造形。愛玩される可愛さね。小傘、貴方好みのキュートな外見は貴方が側に置きたい形よ。小傘はきっと愛せるでしょうけど、愛されるために与えられた造形を一生抱える本人はどう思うかしらね」
「で、でも……だって……」
そんなつもりじゃなかった。いや、そんなこと考えもしなかった。
「少しでも可愛いければ、それだけ皆が好きになってくれると思ったから。お姉さんも可愛がってくれると思ったから……。それはいけないことなの?」
「……愛されるのは外見じゃないのよ。美しく繕えば幸せになれるわけじゃない。可愛くしてあげたいと思う気持ちは間違ってはいないけどね。自らと同じ意思のある妖怪を願うのならば、自らと同じ、人を模した身体を作ってあげなさい」
尤も、妖怪と成った暁にその身体が維持されるとも限らないけどね、と幽香は少し語調を和らげた。
「……」
マスコットのように可愛い微傘。けどそれはマスコットとしての生を押し付けることだと幽香は言う。
「強制はしないわ。貴方の『子供』だからね」
自分と一緒に人々を驚かせてくれる子がほしかった。きっと私のエゴなのだろう。マスコットに自由意志はないのだから。
「うん……ひとのかたちにする……」
「そう……。生命を望むならね、初期値はニュートラルが一番なのよ」
一度だけ、ゆっくり髪を撫でられる。間近で感じる幽香の香りは、どんな花より柔らかかった。
「あ、でも……」
「なに?」
「ひとのかたちなんて、きれいに作れない……。私ぜんぜん器用じゃないし……」
どうしよう。外見が全てじゃないと幽香は言うけど。
「ぼろぼろの体じゃきっと嫌だよね……? どうしてこんな体なの、ってきっと悲しいよね?」
「……」
「どうしよう……。私がにとりさんみたいに手先が器用だったら……」
「……貸しなさい」
「……え?」
返事も待たずに幽香は皿ごと微傘を取り上げた。包丁も彼女の手に収まっている。私より少しだけ大きな手の中で、包丁はくるりと一回転して光を弾いた。
「あっ……」
幽香はゆっくりと刃を入れた。機械のように精緻な動きでありながら、振るわれる刃先はどこまでも優しい。でも……。
「あの、お姉さん……それは……」
「……心配しなくても、これは小傘の子よ。どうせまた、意思を持つまで抱いているんでしょう。そんな真似は親にしか出来ないわ」
「あ……」
「私は出産をちょっと手伝うだけ。産科の看護婦とでも思えばいいわ」
幽香の言葉に安心する自分の気持ちがよく分からない。暖かくて、真ん中が少し寂しい感じがする。
「幽香お姉さんは看護婦さんじゃありません」
「例えよ。実際は患者の量産しか出来ないわ」
少しだけ突き放した声。でも、分かる。それはきっと本心だけど、本当とは少し違う。ぎゅっと、幽香を背中から抱きしめた。
「あったかい……」
「ちょっと、手元が狂うわ」
「わ、胸おっきい……。おなか細い……」
「怒るわよ」
「えへへ……」
太陽の匂いのする背中に顔を埋めた。どうしてか、昔々、まだ私がただの傘だった頃を思い出した。
「お姉さんがパパですねっ」
「……っ」
びく、と背中が震えた。
「ペンギンはママの生んだ卵をパパが温めるんだって。何ヶ月も、ごはんも食べないで」
そして母親が食事から戻ると交代するのだ。そうやって、卵が孵るまで代わる代わる暖め続ける。
「あれ、それじゃ私がパパかな?」
「……私は妖怪になるまで抱いたりしないわよ」
「うん。私がやる」
私が名付けて、幽香が作って、そして私が暖める。いや、暖める必要なんてないんだけど、やっぱり一人ぼっちで置き去りにされるのは寂しいと思うし。
「それにね、小傘。人の形をしていたって、妖怪化する保障なんて全くないのよ」
「ん、分かってます」
「分かってないわ。メディは幸運と悪運が重なった特例なの。それでも数年かかっている。蒟蒻なんて数日もあれば傷み始めるし、それこそ奇跡や運命の悪戯でもなければ不可能な話よ」
「じゃあどうしてお姉さんは体を作ってくれるんですか? 不可能だって、分かっているのに」
綺麗な緑色の髪からちょっとだけ見える耳朶が赤い。つついたら怒られるだろうか。
「大丈夫です。奇跡にも運命にも心当たりがありますから」
「……あいつらはそう簡単に手を貸してはくれないわよ。貴方、前に奇跡の方にいじめられたんでしょう? 運命はもっと意地が悪いわよ」
「あうぅ……へ、平気です。意地悪をされたら言ってやります。パパがいるんだからって。きっと、すごく強いんだからって」
「……ぅ、な……何を……」
「ウナナーニオ? 外国語ですか? モスクワあたりの出産のおまじないですかっ?」
なになにー、と幽香にまとわりつく。
「この……違うわよっ」
「ひにゃっ」
蒟蒻を頬に押し付けられた。痛くはない。少々の生臭さに目を瞑れば、ひんやりとして気持ちが良かった。
「でもぬるぬる……」
妖怪になったときこのへんの影響は出るのだろうか。ヌメリを操る妖怪とか、どうなんだろう。
「あ、凄い。もう出来たんですかっ」
見れば、押し付けられた蒟蒻はちゃんと人の形をしていた。髪の毛一本まで作られた細緻な出来栄えに思わず声が出る。
「わ……きれい……流石ですねお姉さん! これ、幕張で展示できますよ!」
「その褒め言葉は複雑ね……」
「すごいなー。かわいいなー。お姉さん、上手なんですねっ」
両の手で抱えて空に翳す。太陽の光に透かされた姿は天使のようだった。
「……たいしたことはないわ。長く生きていると出来ることが増えるというだけのことよ」
ぷい、と幽香はそっぽを向いてしまった。
「ううん、そんなことないです」
だから、ぐるっと回り込む。
「ありがとう。お姉さん」
「……ええ。どういたしまして」
「えへへ」
見上げた幽香の顔は逆光でよく見えない。それでも声は優しかった。
「無名の丘に行くのはもう止めておきなさい。小傘が抱いているのなら場の差異による影響は少ないわ。雲の中でも……太陽の畑でも。好きなところにいればいいわ」
人の形に思いは集まる。私の思いも伝わるだろうか。
「じゃあここにいます。ここは……あったかいから」
「そ」
幽香のいる太陽の畑。きっとここなら、集まる思いも二人分だから。
「好きになさい」
「はいっ」
微傘を抱いて空を見上げる。空に咲く一つの大輪も、地上の命を祝福していた。
∇△∇△∇△
「や、八坂様! またです、また幽香さんが来ました!」
「ええ!? この前も来たんでしょ!? 用件は!?」
「いつもどおりです! 奇跡を起こせと蒟蒻を持って!」
「こ、蒟蒻!? 何がしたいのよあいつは!」
「二ヶ月前にステージ4の道中で小傘さんがゲームオーバーしてからずっとですよう! 三日に一度は山を登ってきて神の奇跡を強請るんです!」
「三日に一度!?」
「蒟蒻が腐らないようにって……」
「奇跡を何だと思ってんの!? 腐る前に食べなよ!?」
「何度も言いましたよう! って、来た! 来ましたよ八坂様!」
「ああもう、何考えてんのよあいつは! 出るよ早苗! 諏訪子の昼寝を邪魔しないよう、境内前で迎え撃つよ!」
「はいっ……て、もうすぐそこまで来てます!」
「うわなにあの造形美! フリルとか付いてるんだけど! アレ蒟蒻なの!?」
「少女趣味の泣き虫がどうとか言いながら、いつもアレ持って来るんですよ!」
「うわあ何それめんどくさい! しかもなんか口ずさんでるんだけど! サンバデジャネイロ!?」
「なんか……胎教とか……」
「サンバと蒟蒻でどうして胎教!?」
「知りませんよう!」
小傘が太陽の畑に居ついて二ヶ月。その美麗な彫刻と思い切った教育方針に驚く声は数あれど、人々が歌って踊れる蒟蒻に度肝を抜かれるのは、まだ先のことになりそうだった。
天啓だった。
人生の指針を古典に委ねること数ヶ月。蒟蒻の秘める意外性は限界まで極めた、と自負する私をして会心と言わしめる着想であった。
――歌って踊れる蒟蒻
いける。これならば神や悪魔の度肝も抜ける。彼らの醜態に愛想をつかした民草は、新時代の象徴としてこの私を求めるだろう。歓呼するのだ。小傘様、と。
「グラッツェ!」
早くも現れた架空の民衆に手を振ると、私はいつもの傘を取る。
「多々良小傘は酒乱お一人につき、二万六千円の手当をお約束します!」
財源には触れず走り出す。前代未聞の驚愕を求めて。多々良小傘の出陣だった。
∇
蒼穹に映える原色の花々。百花の誇る芳醇な蜜が風に乗って甘く鼻をくすぐる。五感を潤す天然の花畑。このまま昼寝としゃれ込みたくなる心地だが、今は火急の用がある。
「たしかこの先よね」
道中妖精に聞いたところによれば、目指す地はこの色鮮やかな楽園を抜けた先にあるらしい。
「驚天動地は素材に拘らなくちゃね」
歌って踊れる蒟蒻。至高と信ずるエンターテイメントだが、ならば細部に手を抜きたくない。澄み渡る美声、躍動感溢れる食物繊維。どうせやるなら最高を求めるのが信条だ。
「話によればそろそろ……」
目的地に着いておかしくない。そう首を伸ばしたすぐ先で、世界は金色に染められていた。
「わぁ……」
見渡す限りの向日葵の花。太陽を溶かして撒いたような一面の夏に目が眩みそうになる。
「ここが……」
ふと、向日葵畑の入り口に立つ女性に気付く。落ち着いた、それでいて華のある装いに、この地の関係者であることを確信した。駆け寄る。
「蒟蒻畑ですかっ、お姉さん!」
「違います」
にこやかに頬をつねられた。
「にゃー! い、痛いですっ」
火照る頬を押さえて女性と距離を取る。
「ど……どうしてつねるんですかっ」
理不尽である。納得のいく釈明をせよ、とぶんぶん傘を振る。
「どうしてはこちらの台詞よ。この咲き誇る夏を前にどうして蒟蒻が躍り出てくるのかしらね」
こちらの精一杯の威嚇にしかし、女性は微塵も怯まない。
「喧嘩を売りにきたのかしら?」
「の、ノー!」
襟をつかまれ猫のように吊るされる。
「降ろしてくださいーっ」
「卸してください?」
「にぎゃー! どうして卸し金を持ち歩いてるんですかー!」
女性の豊かな胸元から取り出される花柄のオロシガネ。そのファンシーなキッチンアイテムにこびり付く血糊が、それが相当に使い込まれた凶器であることを強烈に物語る。
「右肘からいっちゃう?」
百点満点の笑顔で〝さですと〟を宣言する女性。
「ひぃぃ……」
終わった。小傘の冒険はここで終わってしまった。
「……多々良小傘と申します」
せめて墓に刻めと名を残す。思えば辛い人生だった。人を驚かすことを性として生まれ、その本懐を遂げることなく散り逝く付喪神。
「こんな美しい花畑でターミネーターに出会ってしまうなんて……」
この世に万分の一以下の確率で存在する、ラスボスとのランダムエンカウントである。まさか最初の街を出た瞬間、卸し金で武装したカリフォルニア州知事に遭遇してしまうとは。
「ふむ……」
いつか白蓮に聞いた念仏を唱え、安らかな眠りを祈ろうとしたその時、不意に襟首を解放されて地に足がついた。
「ふぇ?」
女性を見上げる。
「知恵と知識はないようだけど、花を愛でる心はあるのかしらね」
「あの……?」
「風見幽香よ」
「え、と……?」
「名乗ったでしょう?」
「あ……」
どちらかというと戒名を求めたのだが、名乗ったと言われればそのとおりだろう。
「学べとまでは言わないけれど、もう少し見聞を広めなさい。花にも矜持はあるの。貴方も蒟蒻と混同されるのは愉快ではないでしょう」
「いや……」
だからといって即座に卸し金が出てくるのはいかがなものか。
「向日葵は分かりますけど……」
「ならどうして蒟蒻が出てくるの」
「あの……人に聞いたんです。この道を真っ直ぐ行って、花畑を抜けた先に畑があるって」
「俗称よ。一面の向日葵を指して太陽の畑と呼ぶ者もある」
「たいようの……はたけ?」
おや?
「……蒟蒻畑は?」
「知るものですか。こんにゃくも五年に一度は花をつけるけどね。畑と呼ばれるほど群生する土地に当てはないわ」
「え……? だって氷の妖精に聞いたらこっちだって……」
「……アレに物を尋ねる馬鹿が幻想郷にまだいたとはね」
「……え? えっ?」
「いいわ。もう帰りなさい」
くるりと幽香は後ろを向いた。これ以上話すことはないという明確な拒絶だ。
「で、でも、どうしても行きたいんです。蒟蒻畑は……」
求めるは至高の蒟蒻。ならば汝は蒟蒻畑に行くべしと妖精は言っていたのだ。
「知らないと言ったでしょう」
「だけど――」
「しつこいわ。マンナンライフにでも聞いて頂戴」
「その人が知ってるんですか?」
「ええ、知っているでしょうね。寧ろ彼にしか分からないわ」
「まんなんライフ……万難人生?」
キビしい人生を送る人のことだろうか。思いを果たせず生を終える憂き目にあっていたのは、何を隠そう五分前のこの私であるが。
「あー、そゆこと」
ぽむ、と手を打った。蒟蒻の錬度とは持ち主の悲哀に比例するものなのだろう。そして驚嘆の惹起にあたり幾度となく辛酸を舐めたこの私と常に共にあった蒟蒻たちは、既に比肩するものがないほどに練り上げられているのだろう。灯台下暗し。至高の素材は我が冷蔵庫にあり。
「分かったわ。ありがとうお姉さん!」
「い、今のやりとりで分かったの?」
あ、ちょっと驚いてる。嬉しい。
「うん! お姉さんのおかげで! マンナンライフは私なの! 私が蒟蒻畑なの!」
答えは得た。さあ家に帰ろう。蒟蒻のストックはうなるほどある。
「ばいばい、幽香お姉さん!」
大きく手を振って向日葵畑から飛び上がる。
「……まあ探し物が見つかったのなら何よりだわ」
「うんっ」
ここに来て良かった。幽香は最初は怖かったけど、蒟蒻畑に繋がる道を照らしてくれた。そうだ。本当の優しさとは答えを与えることじゃない。与えるべきは解答を導くに足るピースと方程式。そこから先は自らが切り開く新天地である。幽香はそれを教えてくれたのだ。
「また来るわ! 今度は踊る蒟蒻を連れて! お姉さんに一番に見せてあげる!」
「お、踊る蒟蒻!?」
「むふぅ」
またちょっと驚いた幽香の表情を堪能して背を向けた。目指すは自宅だ。極上が私を待っていた。
∇
「ふむん……」
「ど、どうでしょうか……?」
自宅に戻り蒟蒻を携え、続き足を運んだのは妖怪の山、未踏の渓谷。そこに何でも作れる河童が住むと聞いてやってきたのだ。
「いや素晴らしい。人々に未知の感動を与えんとする希望、夢を形にするため妖怪の山を踏破する気概。何よりその術を私の技術に求める選択が理に適っている」
この地に住む河童、河城にとりはそう言って、一歩私に近づいた。
「蒟蒻という古典的な手法を科学で補うか。いや、補填ではなく止揚かな。クラシックとサイエンスが絡み合い、一つ上の位階に足をかけるんだ」
サイエンスフィーチャリング蒟蒻だ、とにとりは嬉しそうに私の手をとった。
「お目が高いね、小傘」
「で、では……」
「うん、喜んで協力するよ」
「あ……ありがとうございますっ」
にとりに後光が差して見える。
「いやなに。未知に挑む少女が科学の門を叩いたんだ。応えてみせるが河童の粋さ」
そう言うと、にとりは楽しげにリュックの中を漁りだした。見たことのない工具がざらざら出てくる。
「さて小傘。早速作成に取り掛かりたいところだが、まずは基本設計が必要だ」
「きほんせっけー」
「そう。歌って踊れる蒟蒻と言っても色々あるだろう。大体人が蒟蒻と聞いてイメージするのは灰色の直方体だろうが、それをその形状のまま歌って踊らせたいのか、それとも歌って踊れるアンドロイドでも作って、外皮を蒟蒻でコーティングしたいのか。おそらくは前者が近いんじゃないかな? 一目で蒟蒻と分かるものでなければ歌って踊らせたとて誰も驚かないからね」
「う、うん……」
にとりの言うことは良く分からないが、見た人が驚いてくれないのは困る。
「で、でもかわいい方がいい……」
折角歌って踊れるようになるのだ。たっぷり驚いてもらった後は、皆に愛されてほしいではないか。
「かわいいだって? 難しいことを言うな、小傘は」
「だめですか……?」
「いや、そんなことはないさ」
にとりはニヤリと笑った。
「一流のエンジニアはデザインにも気を配る。依頼主が望むなら最高のキュートを見せつけてやろうじゃないか」
「ありがとうございます!」
「うむうむ。それじゃあ早速製作に取り掛かるとするよ」
「あ、はいっ。おねがいしますっ」
一礼して正座する。下はごつごつとした岩場だが、にとりが用意してくれたふわふわのグリーンシートがあるので全く足は痛まない。
「……そこでずっと見てるつもり? いいけど、そんなにじっと見つめないでほしいな」
照れるじゃないか、と頬を赤らめることもなくにとりは言った。
「そうだ。暇ならひとつ仕事を頼まれてくれないか」
「おしごとですか」
「うん。蒟蒻の形状を維持したままキュートに駆動するメカの構想は既にあるんだ。でもこの案だと自ら歌うことが出来ない。……というか、歌唱するオートマタは幻想郷にはまだない技術なんだよ。だから歌う部分についてはこいつを使う」
手の平大の四角い機械を渡される。
「これは?」
「ICレコーダーさ。踊る蒟蒻完成の暁にはこいつをジョイントして歌わせる。小傘、君にはコレに歌を録音してもらいたいんだ」
「あいしーれこーだ……」
「側面にスペルが彫ってある。『incandescent cyappa's recorder』……光り輝くカッパの録音機という意味だ。フフフ、小傘は外来語は苦手かな? いけないな。精通する言語の数は咀嚼可能な世界の数だよ。少し私を見習って……」
「『Y』いりませんよね、真ん中の。光り輝くキャッパの録音機ですよ、これ」
「……」
散らばる工具の一つをとって岩にガリガリ『CYAPPA』と刻む。
「Please concurrently with me」
ご一緒にどうぞ、と発音を促す。
「キャッパ」
滑らかな発音は私一人のものだった。
「あとたぶんここ『K』です」
地面に書いた『CYAPPA』の『CY』にバッテンをつけて、その上に『K』を加えた。
「カッパ」
ね? と微笑む。
「……」
「……? どうするんですか、そのバール?」
「……いや。まあ兎も角それは音声を収録することができる機械だよ。取説はこれ。私がボディを作っている間、君はレコーダーに好きな歌を録音しておいてくれ」
ぽい、と紙束を放られた。
「わあ。こんな小さな機械に歌が入るんですか」
流石は名高い河童のエンジニア。にとりに頼んで本当に良かった。
「……さあ行った行った。気が散るから録音はどこか遠くでやってくれ。なに、妖怪の山は幼女に寛容だ。天狗様も放送禁止用語さえ含まなければ、大声を出しても文句は言わないよ」
「あうぅ……で、でも私上手に歌えない……」
「なら誰かに歌ってもらえばいい。頼まれてくれそうな妖怪もいるだろう」
「うぅん……」
歌ってくれる妖怪。誰かいただろうか。
「それから小傘、何処に住んでいるんだい? 出来上がったら届けてあげるよ」
「え、いいんですか?」
「ああ。サービスさ。あんまり遠くなけりゃね」
「わ、ありがとうございます。私のおうちはえっと……あ……」
待て。誰よりも早く、歌って踊れる蒟蒻を見せると誓った女性がいたのではないか。
「あの、おうちじゃなくてもいいですか?」
「構わないさ。どこ?」
「えっと、たいようのはたけって分かります?」
「太陽の畑か。些か物騒な場所だね」
「だめですか?」
「構わないと言ったろ。届けてやるさ」
「ありがとうございます!」
これで幽香にお披露目ができる。にとりの手がけた蒟蒻ならば、幽香もきっと喜んでくれるに違いない。
「そろそろ行きなよ。歌を誰かに頼むなら日が暮れる前がいいだろう?」
「あ、はいっ」
膝の下のシートを返して立ち上がる。同時に素材となる蒟蒻も手渡した。
「それじゃあよろしくお願いします!」
「頼まれた。大船に乗った気でいるといいさ」
「はいっ」
にとりの頼もしい台詞に押されて飛び上がった。
「んー、里の方に言ってみようかなあ」
探すは私のために歌ってくれる妖怪だ。確か人里に近いところに歌好きの夜雀がいたはずである。まずは彼女を訪ねよう。彼女がダメでも里になら歌ってくれる者があるかもしれない。
「歌、練習しようかな」
頼める者がなければ自分で歌うしかない。
「でも可愛い歌、知らないし……ううん……」
狭い持ち歌のレパートリーに思いを巡らせながら、ふわふわと人里に向かうのだった。
∇
「すっかり遅くなっちゃった……」
とっぷり暮れた花畑に人影はなく、濃密な花の香りも昼に比べてどこか寂しげな風である。足音しか響かない薄闇を足早に抜けていく。
「ミスティアさん、いい人なんだけど……」
収穫はあった。最初に尋ねた夜雀のミスティアは歌の録音を快諾してくれ、今この手にあるICレコーダーには彼女の歌がギッシリ詰め込まれている。
「マイクを放さない人なのね……」
兎に角長い。歌い始めると止まらない。突如始まった即席リサイタルショーは、いつしか録音限界に達していたレコーダーの沈黙に気付いた私に制止されるまで、延々六時間ほど続いたのだった。
「歌もなんというか……」
音痴ではない。ではないのだが選ぶ歌が酷い。彼女のオリジナルなのだろうか、速射される支離滅裂な歌詞の中には嫌がらせのような単語も散見され、実は歌の依頼は迷惑だったのではないかと疑えないこともなかった。
「けど楽しそうだったなあ」
そう、それでも彼女に歌ってもらって良かったと思えるのは、彼女が心底楽しんで歌っていたからだ。開店時間を過ぎても屋台そっちのけで歌い続けていたミスティアを囲む、おあずけを食った屋台の客たち。彼らの腹の虫と手拍子に乗っていよいよ伸びる放吟は、歌い手と聞き手の区別なく笑顔を配る愛情表現だった。
「うん。この歌なら大丈夫」
握り締めたレコーダーを見つめて頷く。彼女の歌なら大丈夫だ。にとりの作ってくれる至高のボディが繰り出す究極のダンスに見劣りすることなどありえない。
「けど、もしかしてもう届けてくれちゃってるかな?」
心配は質ではなくタイミングである。日が落ちて随分経った。太陽の畑で直接にとりからボディを受け取るつもりだが、もしかしたら既に配達してくれているかもしれない。時間の指定がなかった以上、私がいなくても構わないのかもしれないが、善意で届けてくれるにとりに待ち惚けさせるのは申し訳がない。
「そろそろ……あ……」
私も夜に力を増す妖怪だ。十分に利く夜目に人影を察知した。位置的には太陽の畑の入り口にあたる。昼に幽香に出遭ったあたりだが……。
「お姉さん!」
人影はやはり幽香であった。彼女も夜目が利くのか、闇の中の向日葵たちを昼間と変わることなく眺めていた。
「来たわね……」
ゆっくりと振り向く幽香。その顔は一見笑っているようである。
「え、待っていてくれたんですか?」
台詞と表情からはそう受け取れる。が、なんとなくそうでないような気もする。なんだろうか。うなじがちりちりするような……第六感?
「ええ、待っていたわ。これがどういう了見か聞こうと思ってね」
かつ、と折り畳んだ日傘で大地を軽く打つ幽香。日傘の差す先には腰の高さほどの箱が置かれていた。
「なんですか、それ?」
「こちらの台詞よ。なんなのよ、これは」
「え?」
「山の河童が置いていったわ。貴方が取りに来るからってね」
「――ああ」
やはりにとりは先に来ていたのだ。私の到着があまりに遅いので荷物だけ置いて帰ったのだろう。悪いことをしてしまった。今度イケメンのキュウリでも差し入れに行こう。
「ああ、じゃないわ。やっぱり心当たりがあるのね」
「あ、はい」
「ここに運ばせた理由を述べなさい。如何によっては無事に帰れるとは思わないことね。おかげで一時間もこの場所を動けなかったんだから」
「え? ずっとここにいたんですか?」
「ん……」
「もしかして、荷物を見ていてくれたんですか?」
「……そんなわけないでしょ」
「え? じゃあ……」
どうして、と言おうとして遮られた。
「いいわ」
「でも」
「いいの! で、その箱、なんなのよ」
幽香の顔がほんのり赤い。怒らせてしまったのだろうか。
「ああ、これはほら、朝お約束したアレですよ」
「ま、まさか踊る……?」
「はい。歌って踊れる蒟蒻です」
にとりさんが頑張ってくれました、と胸を張る。
「そ、そう……実在するのね……というか、こんなに大きいの?」
「さ、さあ……」
箱は大人の下半身ほどある。にとりは蒟蒻の原形を留めた形状と言っていた気がするが、それにしてはデカイような?
「さあ、って……小傘、貴方が運ばせたんでしょう」
「にとりさんに作ってもらったばっかりで、私もまだ見てないんですよう」
「じゃあさっさと開けなさいな。貴方もそのために来たんでしょ」
「あ、ハイ」
とてて、と箱に駆け寄る。鉄製の箱にでかでかと張られた伝票には『配送先:太陽の畑2-1-2 風見様方、多々良小傘様』と書かれていた。伝票があるということは、にとりが直接持ってきたわけではないのだろうか。というか……、
「居候みたいですね、私」
「根無し草のように生きているからよ」
「えうぅ」
返す言葉もなかった。
「えっとここを捻ってこっちを……あれ?」
「……何してるの」
「中々開かなくて……こうかな? ううん……」
夜目が利くとはいえ、暗所で未知の構造を弄るのは厄介である。小さく書かれた『開』と『閉』の区別もつかない。
「お姉さん、ちょっと待ってもらえますか?」
「嫌よ」
裁断するような声と同時、周囲の向日葵が橙色の明かりを一斉に灯し始めた。
「わ」
ぼんやりとしたオレンジは瞬く間に畑いっぱいに広がっていき、すぐに辺りは昼の如き明るさとなった。
「これで見えるでしょ。早くしなさい」
「ほはぁ……凄いですね……」
千はくだらない数の花々を発光させる事がどれほど大変なのかは分からないが、少なくとも膨大な魔力を要す行為であり、かつ幽香にとってはそれがささやかな消費に過ぎないということくらいは察せられる。
「言ったでしょう。太陽の畑と呼ばれることもある、と。いいから急ぎなさい。あまり長くこの子達の眠りを邪魔したくないの」
「は、はい」
再び箱に挑む。どうやら箱は二つに割れる構造らしい。留め金を外しレバーを捻ると亀裂のように隙間が生まれ、それに沿って力を加えると斜めにスライドして箱の上部が地面に落ちた。無駄に面倒な機構である。
「おお……」
「こ、これが……」
そして現れる科学の粋。
「歌って踊れる……」
その一見どこにでもある、しかし良く見れば明らかに異彩を放つフォルムは。
「……扇風機?」
どこからどう見ても扇風機だった。
「……なにこれ」
「さあ……」
箱から引きずり出すと、ほんのり香る生臭さ。良く見ると扇風機の羽根に四角い蒟蒻が突き刺さっている。おでんの串のように、通常よりも幅を狭くとられたファンに二つ三つと差し貫かれた蒟蒻たち。全ての羽根に取り付けられた蒟蒻は計十八個。そのツヤのある威容は見る者を圧倒せずにはおかない貫禄を確かに備えていた。
「……これがどう歌って踊るのよ」
「ど、どうするんでしょう……」
スピンナーに張られたキッチュなカッパはどう見てもただのシールであり、単体起動して踊りだすようにはとても思えない。もしかして『かわいく』の注文をこれでクリアしたつもりなのだろうか。なんか白目とか剥いてて怖いんだけど。
「ええと……あ、これにとりさんの字で……」
取説を発見する。
「なになに……? 商品名:ICBM(incandescent cucumber's bold machine)……輝くキュウリの大胆な機械? ……あ、燃料がウランだ」
「そういう大胆はいらないわ」
「使用方法:扇風機と同じ」
「手抜きじゃないの」
「……背面のスロットにICレコーダーを差し込み、レコーダーのスイッチをONにすると、レコーダーの音声に合わせて本体が稼動します、だって……」
「そう……」
「……」
なんとも言えぬ残念な空気が流れる。
「い、いや! 幻想郷最高のエンジニアと言われるにとりさんが作ってくれたんです! きっと見る人の度肝を抜く壮大なマシーンに違いありません! この見た目はカモフラージュです!」
既に後ろ向きに所有者の度肝を抜いた気もするが勢いでねじ伏せる。一時間も待たせたのだ。幽香をガッカリさせるわけにはいかない。
「動くとスゴいんです! ほら、お姉さんもこっちに来てください!」
「え、ええ……」
大地に敷いたシートをぱんぱん叩いて、引き気味の幽香を扇風機の正面にしゃがませる。
「大丈夫! にとりさんを信じてください!」
「まあ悪い噂は聞かないわね」
「そうですよ! ……えっと、ここに入れて……スイッチON……と」
背面にレコーダーをセットしてちょこんと幽香に並ぶ。体育座りの緑髪二人が踊る扇風機と対峙する。
「さあお姉さん、始まりますよ! 楽しい楽しい、歌って踊れる蒟蒻ショーです!」
幽香の不安を消し飛ばすようににっこり微笑む。大丈夫。河童の技術だ。きっとヴェルファーレも真っ青のステップで幽香の度肝を抜いてくれるだろう。
「ありがとう、二人とも!」
対価もなく協力してくれたにとりとミスティアに感謝して、力いっぱい『強風』ボタンを押下した。
瞬間、溢れ出す蒟蒻の世界。流れる穏やかな歌声を微塵も気にかけることなく、これが俺だと言わんばかりに高速回転を始めた扇風機は、その骨太な遠心力により初動で全ての蒟蒻をカバーの内側に叩きつけると、無駄に鋭いその羽根で一口サイズに刻むや否や、自慢の首振り機能を見せつけながら、ご注文どおりの強風に乗せて細切れの蒟蒻を力強く前面に撒き散らした。体育座りのまま顔面で蒟蒻を受け止める二人。BGMは『傘がない』。遠い都会の自殺者よりもまず今日の天気を憂う若者の近視眼的な生き様に乗せて、白目を剥いたカッパが景気良くチョッパーを回し続ける。
――問題は、今日○雨。傘○ない。
大人の都合によりところどころブツ切りの歌に合わせ、ゆっくりとこちらを向く蒟蒻まみれの幽香。
「小傘……?」
極上品のコルクを抜くソムリエのような笑顔で朗らかに頭蓋をワシ掴まれる。申し分のないクォリティのアイアンクローだった。
「ひぃぃ……」
傘がないっていうか、小傘の命が危ない。
――行かな○ちゃ。君に逢いに行か○くちゃ。
生きなくちゃ。明日のために生きなくちゃ。
「覚悟は出来てるんでしょうね?」
「の、ノー! 助けて井上ェ!」
走馬灯に混じって夜空で腰を振る総書記似のオッサンに手を伸ばすも祈りは届かず、扇風機からは一曲終えて気持ちよくMCに入ったミスティアの不穏なシャウトが響き渡る。
『うおお! 来いよJASRAC!』
鬨の如し宣戦布告。天まで焦がす開戦の狼煙。絶叫に同期して全ての蒟蒻を吐き出した扇風機が満足げに自爆した。
「……」
完全に上方へと限定された指向性の爆発。周囲の花への影響もない。が、チョッパーの爆ぜるパチパチという余韻が場の空気を秒刻みで冷却していく。
「……」
「……あの、」
アイアンクローを決められたまま、恐る恐る幽香を見上げた。
「……さてと。右肘からだったかしら」
「あわわ……ノーモアオロシガネ!」
笑顔のまま卸し金を取り出す幽香。やはり常備しているらしい。
「にゃー! 許してくださいー!」
じたばたする。
「許しを請うのはこちらよ。ごめんなさいね。気付くのが遅れて。やっぱり喧嘩を売っていたのね」
「ノオォ!」
鋼鉄の指は外れない。
「お、お慈悲を。チャンスをください」
「どうすると?」
「もう一度、今度は完璧な歌って踊れる蒟蒻を連れてきます!」
「別にそれほど蒟蒻に興味はないんだけど」
「そんなっ。楽しいですよっ。きっとお姉さんも楽しくてびっくりするはずですっ」
声にぐっと力を込める。勝利の鍵は古典にあり。人生の活路は蒟蒻にあるのだ。
「絶対に満足させて見せますっ」
真っ直ぐに幽香の目を見つめる。多々良小傘の正念場である。
「……」
「……」
「……」
「……ふん」
不意に頭を解放された。
「……お?」
「いいわ。行きなさい」
「おお……あ、ありがとうございますっ」
早速駆け出そうとしてふと、扇風機の残骸に目がとまる。
「それもいいわ。処分しておくから貴方はさっさと行きなさい」
「あ、はい……でも、」
「何?」
「この機械、折角にとりさんが作ってくれたのに……」
彼女も暇ではあるまいに、一生懸命作ってくれたのだ。謝礼の挨拶が武勇伝の報告どころか死亡通知を兼ねるなんて、彼女に会わせる顔がない。
「どういう思想で設計すればこんな自爆兵器が生まれるのか知らないけれど、墓くらいは作ってやれるわ。小傘、いいから貴方は先を急ぎなさい」
「お姉さん……でも……」
「私に完璧を見せ付けるんじゃなかったの? 貴方には後ろを振り向く時間なんてないはずよ」
はて、そこまで急ぎの話だったろうか。
「あ……お姉さんやっぱり歌って踊れる蒟蒻が楽しみで仕方が」
「長くはもたないからね。私の堪忍袋の緒」
「あー……そゆことですか」
しょんぼりする。
「行きなさい」
「ハイ」
マシンを幽香に託して飛び上がる。この手で葬れないのは無念だが、幽香も鬼ではないはずだ。丁重に埋葬してくれるだろう。
「じゃあお姉さん、お願いします」
言って空を目指す。蒟蒻を歌って踊らせる第二案は既にある。まずは蒟蒻の補充のために一旦我が家に戻るとしよう。
∇
「さて、この辺でいいかしら」
こと、と直方体の蒟蒻を乗せた白い皿を地面に置いた。
「どのくらい待てばいいんだろ……」
皿の側に寝そべって蒟蒻をじっと見つめるも、目ぼしい変化は現れない。
「焦っちゃだめよね。踊り子さんは天然が一番なんだから」
如何にして蒟蒻を歌って踊らせるか。科学に頼る方法はワケの分からん蒟蒻破砕機に成り果てる結果をもって頓挫した。やはり河童の誇る科学といえど万能ではないのだろう。歌や踊りには心が必要なのである。
「んー……」
そこで訪れたのがここ、無名の丘だ。鈴蘭で覆われたこの地はメディスンという妖怪の生地である。何でも丘に捨てられた人形が意思を持ち妖怪化したとか。素晴らしい。ここは天然の妖怪発生器。ならばここに置かれた蒟蒻もいつしか妖怪となるに違いない。歌と踊りは生後じっくり教えてやればいい。
「どんな子かなあ。優しい子だといいなあ」
もうすぐ生まれる蒟蒻妖怪に思いを馳せる。きっと優しいヌメりと湿った愛嬌に恵まれた、弾力感のある幼女だろう。そのプニプニの頬を震わせて歌うララバイは、聴く者を優しく驚きに包んでくれるはずである。
「なんて子かなあ。あ、私が名付けてあげるのかな?」
名付け親、それは即ちママである。この私が、ママになる。
「おお……」
新鮮な驚きをしばし味わう。
「ママかあ……」
幼子の手を引く夢を見る。お揃いの傘で人々を驚かせて回る日々。
「えへへ……」
うっとりだった。
「それじゃあ私の子供だから名前は――」
小傘の子。小さな小傘。小傘より小さい子?
「微傘」
愛娘の名は二秒で決定した。
「うふふ……」
傘を抱きしめてわが子を思う。
「早く生まれておいでー」
皿の周りをごろごろ転がる。ばさばさと揺れる鈴蘭の花。
「ごほっ……ぐはぁ」
降りかかる花粉にむせ返る。マズイ、鈴蘭は全草に毒があったはずだ。
「ふおぉ……」
悶えながら皿の上に覆いかぶさり、蒟蒻を花粉からガードした。
「大丈夫。ママが守ってあげるからね」
まだ見ぬ娘に微笑みかけて、そっと蒟蒻を抱きしめた。
「だから安心して、微傘」
口付ける。
「あばばばば」
痺れる唇に悶絶する。
「ふえぇ……微傘ぁ……」
唇に付いた花粉をごしごし袖で落としながら、蒟蒻を抱いて横になった。
∇
「うえぇん。微傘が目を覚ましませんー」
「……ちょっと小傘、腰にしがみつかないでくれる?」
「あうぅ……」
無名の丘で横たわること数時間。コンバロサイドによる頭痛が限界を迎えるまで、卵を温める親鳥のように蒟蒻を抱き続けるも、微傘が生まれることは遂になかった。
「うう……私はママになれません……」
失意に暮れる私は幽香の待つ太陽の畑に戻ってきていた。
「ママ? っていうかビガサってなによ。巨神兵みたいなもの?」
「違います! そんなの目を覚まさないに越したことないです! 微傘は私の娘です! 歌って踊れる蒟蒻妖怪です!」
漢字を宙に書いて、蒟蒻の乗った皿をぷるんと突き出す。
「微妙な傘?」
「微かな傘ですっ」
食って掛かる。そのニュアンスは許容できなかった。
「幽かな傘ね。いい名前じゃない」
「そう思いますかっ」
「ええ」
「えへへ」
幽香がそういってくれると微傘が祝福されているようでちょっとうれしい。
「でも生まれてこないんです。無名の丘で何時間も頑張ったのに……」
しょんぼり肩を落とす。
「無名の丘で? 柳の下のメディを狙ったの?」
「はい……」
「無理よ」
「え?」
「あの子の元になった人形は、丘に捨てられたまま何年も放置されていたのよ。降り積もった鈴蘭の毒が人形に浸透し、毒を媒介に力を得た。……無名の丘とはその名のとおり、毒と孤独の吹き溜まり。ほんの数時間その身を晒すだけで、易々と妖怪化が成るような都合のいい場所ではないのよ」
「そう……ですか」
「あと形もね。メディは恨みつらみで誕生した妖怪ではないけど、人の形には思いが集い自我も生まれやすい。ベースが人形だったことも、妖怪化の要因の一つではあったでしょうね。まあ、付喪神の小傘に言ってもピンとこないでしょうけど」
人の形に心が生まれる。メディスンですらそれには数年の時間を要したらしい。それでは四角い蒟蒻に思いが宿り、歌って踊れるようになるにはどれほどの年月が要るのだろうか。
「あ、それじゃあ、ただの四角じゃなくって目鼻や手足を作ってあげて、そうすれば少しは早く妖怪になれますか?」
「……多少は早まるかもしれないわね」
ならば躊躇うことはない。同時に無骨な外見を可愛く整えてあげられるなら、微傘も喜んでくれるに違いない。
「お姉さん、小さなナイフとか持ってますか?」
「貸してあげるわ」
幽香の袖から刃渡り三十センチほどの刺身包丁が現れる。卸し金といい、物騒な台所用品に事欠かぬ女である。
「ごめんね。痛くしないからね」
蒟蒻にそっと刃を向けた。慎重に、丁寧に。娘の髪に鋏を入れるように手を動かす。
「こうして……ここを……」
しばし時を忘れて没頭した。
「出来た……」
そして生まれるニュー微傘。
「うん、かわいい」
「ようかんマン?」
「違います! なんてこと言うんですか!」
ぶんぶん傘を振って抗議する。
「嘘よ。いや、それっぽいけど、可愛いわ」
「えへへ」
幽香が認めてくれると嬉しいのはなんでだろう。
「けどそれでいいのかしら」
「え?」
「確かに可愛いけれど、それは言わば愛でる者の喜ぶ造形。愛玩される可愛さね。小傘、貴方好みのキュートな外見は貴方が側に置きたい形よ。小傘はきっと愛せるでしょうけど、愛されるために与えられた造形を一生抱える本人はどう思うかしらね」
「で、でも……だって……」
そんなつもりじゃなかった。いや、そんなこと考えもしなかった。
「少しでも可愛いければ、それだけ皆が好きになってくれると思ったから。お姉さんも可愛がってくれると思ったから……。それはいけないことなの?」
「……愛されるのは外見じゃないのよ。美しく繕えば幸せになれるわけじゃない。可愛くしてあげたいと思う気持ちは間違ってはいないけどね。自らと同じ意思のある妖怪を願うのならば、自らと同じ、人を模した身体を作ってあげなさい」
尤も、妖怪と成った暁にその身体が維持されるとも限らないけどね、と幽香は少し語調を和らげた。
「……」
マスコットのように可愛い微傘。けどそれはマスコットとしての生を押し付けることだと幽香は言う。
「強制はしないわ。貴方の『子供』だからね」
自分と一緒に人々を驚かせてくれる子がほしかった。きっと私のエゴなのだろう。マスコットに自由意志はないのだから。
「うん……ひとのかたちにする……」
「そう……。生命を望むならね、初期値はニュートラルが一番なのよ」
一度だけ、ゆっくり髪を撫でられる。間近で感じる幽香の香りは、どんな花より柔らかかった。
「あ、でも……」
「なに?」
「ひとのかたちなんて、きれいに作れない……。私ぜんぜん器用じゃないし……」
どうしよう。外見が全てじゃないと幽香は言うけど。
「ぼろぼろの体じゃきっと嫌だよね……? どうしてこんな体なの、ってきっと悲しいよね?」
「……」
「どうしよう……。私がにとりさんみたいに手先が器用だったら……」
「……貸しなさい」
「……え?」
返事も待たずに幽香は皿ごと微傘を取り上げた。包丁も彼女の手に収まっている。私より少しだけ大きな手の中で、包丁はくるりと一回転して光を弾いた。
「あっ……」
幽香はゆっくりと刃を入れた。機械のように精緻な動きでありながら、振るわれる刃先はどこまでも優しい。でも……。
「あの、お姉さん……それは……」
「……心配しなくても、これは小傘の子よ。どうせまた、意思を持つまで抱いているんでしょう。そんな真似は親にしか出来ないわ」
「あ……」
「私は出産をちょっと手伝うだけ。産科の看護婦とでも思えばいいわ」
幽香の言葉に安心する自分の気持ちがよく分からない。暖かくて、真ん中が少し寂しい感じがする。
「幽香お姉さんは看護婦さんじゃありません」
「例えよ。実際は患者の量産しか出来ないわ」
少しだけ突き放した声。でも、分かる。それはきっと本心だけど、本当とは少し違う。ぎゅっと、幽香を背中から抱きしめた。
「あったかい……」
「ちょっと、手元が狂うわ」
「わ、胸おっきい……。おなか細い……」
「怒るわよ」
「えへへ……」
太陽の匂いのする背中に顔を埋めた。どうしてか、昔々、まだ私がただの傘だった頃を思い出した。
「お姉さんがパパですねっ」
「……っ」
びく、と背中が震えた。
「ペンギンはママの生んだ卵をパパが温めるんだって。何ヶ月も、ごはんも食べないで」
そして母親が食事から戻ると交代するのだ。そうやって、卵が孵るまで代わる代わる暖め続ける。
「あれ、それじゃ私がパパかな?」
「……私は妖怪になるまで抱いたりしないわよ」
「うん。私がやる」
私が名付けて、幽香が作って、そして私が暖める。いや、暖める必要なんてないんだけど、やっぱり一人ぼっちで置き去りにされるのは寂しいと思うし。
「それにね、小傘。人の形をしていたって、妖怪化する保障なんて全くないのよ」
「ん、分かってます」
「分かってないわ。メディは幸運と悪運が重なった特例なの。それでも数年かかっている。蒟蒻なんて数日もあれば傷み始めるし、それこそ奇跡や運命の悪戯でもなければ不可能な話よ」
「じゃあどうしてお姉さんは体を作ってくれるんですか? 不可能だって、分かっているのに」
綺麗な緑色の髪からちょっとだけ見える耳朶が赤い。つついたら怒られるだろうか。
「大丈夫です。奇跡にも運命にも心当たりがありますから」
「……あいつらはそう簡単に手を貸してはくれないわよ。貴方、前に奇跡の方にいじめられたんでしょう? 運命はもっと意地が悪いわよ」
「あうぅ……へ、平気です。意地悪をされたら言ってやります。パパがいるんだからって。きっと、すごく強いんだからって」
「……ぅ、な……何を……」
「ウナナーニオ? 外国語ですか? モスクワあたりの出産のおまじないですかっ?」
なになにー、と幽香にまとわりつく。
「この……違うわよっ」
「ひにゃっ」
蒟蒻を頬に押し付けられた。痛くはない。少々の生臭さに目を瞑れば、ひんやりとして気持ちが良かった。
「でもぬるぬる……」
妖怪になったときこのへんの影響は出るのだろうか。ヌメリを操る妖怪とか、どうなんだろう。
「あ、凄い。もう出来たんですかっ」
見れば、押し付けられた蒟蒻はちゃんと人の形をしていた。髪の毛一本まで作られた細緻な出来栄えに思わず声が出る。
「わ……きれい……流石ですねお姉さん! これ、幕張で展示できますよ!」
「その褒め言葉は複雑ね……」
「すごいなー。かわいいなー。お姉さん、上手なんですねっ」
両の手で抱えて空に翳す。太陽の光に透かされた姿は天使のようだった。
「……たいしたことはないわ。長く生きていると出来ることが増えるというだけのことよ」
ぷい、と幽香はそっぽを向いてしまった。
「ううん、そんなことないです」
だから、ぐるっと回り込む。
「ありがとう。お姉さん」
「……ええ。どういたしまして」
「えへへ」
見上げた幽香の顔は逆光でよく見えない。それでも声は優しかった。
「無名の丘に行くのはもう止めておきなさい。小傘が抱いているのなら場の差異による影響は少ないわ。雲の中でも……太陽の畑でも。好きなところにいればいいわ」
人の形に思いは集まる。私の思いも伝わるだろうか。
「じゃあここにいます。ここは……あったかいから」
「そ」
幽香のいる太陽の畑。きっとここなら、集まる思いも二人分だから。
「好きになさい」
「はいっ」
微傘を抱いて空を見上げる。空に咲く一つの大輪も、地上の命を祝福していた。
∇△∇△∇△
「や、八坂様! またです、また幽香さんが来ました!」
「ええ!? この前も来たんでしょ!? 用件は!?」
「いつもどおりです! 奇跡を起こせと蒟蒻を持って!」
「こ、蒟蒻!? 何がしたいのよあいつは!」
「二ヶ月前にステージ4の道中で小傘さんがゲームオーバーしてからずっとですよう! 三日に一度は山を登ってきて神の奇跡を強請るんです!」
「三日に一度!?」
「蒟蒻が腐らないようにって……」
「奇跡を何だと思ってんの!? 腐る前に食べなよ!?」
「何度も言いましたよう! って、来た! 来ましたよ八坂様!」
「ああもう、何考えてんのよあいつは! 出るよ早苗! 諏訪子の昼寝を邪魔しないよう、境内前で迎え撃つよ!」
「はいっ……て、もうすぐそこまで来てます!」
「うわなにあの造形美! フリルとか付いてるんだけど! アレ蒟蒻なの!?」
「少女趣味の泣き虫がどうとか言いながら、いつもアレ持って来るんですよ!」
「うわあ何それめんどくさい! しかもなんか口ずさんでるんだけど! サンバデジャネイロ!?」
「なんか……胎教とか……」
「サンバと蒟蒻でどうして胎教!?」
「知りませんよう!」
小傘が太陽の畑に居ついて二ヶ月。その美麗な彫刻と思い切った教育方針に驚く声は数あれど、人々が歌って踊れる蒟蒻に度肝を抜かれるのは、まだ先のことになりそうだった。
この組み合わせは良いですね
ウランちゃんはどこで見れますか?
この小傘と幽香を眺めていたいなあ。
いいコンビですね。
そして次回作期待
幽香の卸し金や神奈子と早苗の会話も面白かったです。
小傘と幽香さんのやりとりに和みに和みました。
そしてウランドールちゃん、スカーレットだけに『紅』ってか。
魔法を使いつつこん棒で殴るのかwwwww
小傘がかわいすぎます。幽香が魅力的すぎます。
面白すぎます。
でも、十分面白かったので100点。
予想とは違ったけど、これはこれで、とても素晴らしかったです
小傘の可愛さと、幽香のお姉さんぶりに悶えさせてもらい、あとがきで爆発した
『魔法少女ウランドール』にも期待していいんでしょうか? 凄く読みたいんですが……
最近、投稿頻度が増えているようで、嬉しいかぎりですね
次回作も楽しみにしています
それでいて全体を見ればしっかりと良い話になっているという驚愕の事実。
どうすればそんな芸当ができるのか、自分には見当もつきません。
ただただ尊敬するばかりです。
蒟蒻を最後まで引っ張り続ける展開には、ちょっと乗り切れませんでした。
いやあ、読んでて幸せな気持ちになれました。
しかし蒟蒻フィギュアが動いたら余裕で驚く自信がある
まるで、生まれたてのカルガモの雛のようではないか。
そしてこの太陽の畑にメディスン、あまつさえ微傘ちゃんまで加わってしまったら
どうなってしまうというのだ……
間違いなく幻想郷縁起における幽香関連の記述が、丸ごと書き換わってしまうではないか!
優しい幽香、パパ幽香
むっすめのたっめならえんやこ~らさっ!
びたんびたんと体育座りで蒟蒻を顔に受ける二人を想像するともう駄目だww死にそうww
『うおお! 来いよJASRAC!』と自爆のタイミングでトドメを刺されたwwww
そもそもなぜ蒟蒻でこんな話を書くに至ったのかその経緯を知りたいです。
魔法で出したステッキでぶん殴るとは…ほぅ
太陽の畑でころころする小傘ちゃんすごくかわいいっ!
幽香もすごくいい……!
神社に乗り込むゆうかりんが可愛すぎる…
そして純粋に書くのうめぇと思った。
奇跡を蒟蒻が腐らないだけにとどめるゆうかりんの胸中を思うと胸が熱くなるな
かわいらしいママに育てられる微傘ちゃんの将来は安泰ですね。
相変わらず絶妙な言い回しに抱腹絶倒しました
幽香さんの優しさに、涙目。幽香お姉さん…!
魔法少女にも期待してよろしいでせうか?w
それにしてもこの二人、良いなぁ…
お風呂掃除で大活躍するSSはいつ公開ですか?
爆笑しました、最高です
>BGMは『傘がない』。
で完全にやられたw
文章による場面と音楽の組合せがシュールすぎるw
微傘ちゃんと魔法少女、どちらも見たいボクはわがままですか?
まったく、あなたは言葉の魔術師でいらっしゃる。
どうしてこんなにテンポがいいのでしょう。語彙の選び方が神がかっておる。
そしてほのぼの終わるのかと思っていたら、不意打ちで早苗達の会話に笑ったw
して、ウランドールはいつ始まるんですか?
ウランちゃんだったりで笑いの総合商社かとツッコミたくなるほど
豊富なネタが面白い。
そのおかげで蒟蒻が読めなくて凹んだ心もカピカピに乾きましたわ。
(他の人は一発で読めたのだろうか……?)
英語表記の冷静な突っ込みの部分から小傘が全て計算ずくで幽香を
堕としたように見えたのは変なゲームのやり過ぎですかねw
小傘の知識の偏りっぷりが実にひどくて面白い。
蒟蒻という名の愛の結晶の今後が実に楽しみかつ心配です。
最後の幽香もいいし
いいなあ
ほのぼのする
食物繊維の化身に新たなる可能性を見ました。
よって満点以外に選択肢が無ぇっす。
流石は冬扇さんだと言わざるを得ないっす。
ハッハッハ!……もしかして小傘ってもはや幻想郷一頭の弱い子キャラになってしまったのかな;ww
後書き読んだらやっぱり冬扇さんだったw
魔法少女ウランドール期待してます!
笑いをありがとう。
笑いで